Coolier - 新生・東方創想話

曲目『brilliant ray』 《後半》

2007/09/18 23:37:20
最終更新
サイズ
39.81KB
ページ数
1
閲覧数
590
評価数
1/12
POINT
490
Rate
7.92


  ☆ ★ ☆


 騒霊屋敷で生活を始めてから、早二週間。
 これまで何不自由なく生活を続けてきた澪だが、ここにきて最大の問題とぶつかっていた。
 目の前には、家を出るときに持ってきた自分の鞄。
 中には数日分の衣服一式と、貯めておいたお小遣いが入っている。
 そして容積の殆どを占めているありったけの食料――が底を尽きていた。

 さすがに二週間という長い期間、一度も買い出しに行っていないと無くなっても当然。
 魚を捕まえようにも、不器用な自分では三日に一匹獲れるかどうか。
 この周辺には食べられる実や草は少なく、元々所持していた食料に頼らざるを得なかったのだ。
 
 食べなければ死んでしまう。
 しかし食べ物は買いに行くしか手に入れる手段がない。
 だがそれは人間の里に行かなければならないということ。
 もし万が一にでもアイツ等に見つかってしまったら、せっかく手に入れた自由と自信が奪われてしまう。

「そんなの嫌ッ」

 吐き捨てるように呟くも、早朝ではルナサも起きてきていないため、それを聞く者は誰もいない。
 まだここでやるべきことがある。
 その為にはその間を過ごすための食料が必要だ。

「……どうしたら良いのよ」

 力なく呟くが、誰も助けてくれなどしない。
 姉がいれば助言の一つどころか、欲しい物は何かとすら聞いてくるだろう。

 そんな考えが頭をよぎって、澪はいきり立つ。
 ちょっと壁に当たったからって、まだそんな甘いことを考えている自分に怒りが込み上げてしょうがない。
 アイツ等が最低な奴等だと、そう何度も感じてきたのに。
 これじゃあ、これじゃあまるで……。

「やっぱり戻る?」

 いつからそこにいたのか、澪を見下ろすようにルナサが浮かんでいた。
 もしかして最初から見ていたのか。
 澪は表情を取り繕うと、罰が悪そうな笑みを浮かべた。

「あ、あははっ。やだなぁ、起きてきたなら「おはよう」の一言くらい言ってよ」
「食料が底を尽きたようね。どうするの?」
「どうするのって……そりゃあ買いに行くしか」
「行くの? 人里まで」
「行かなきゃいけないんだけど……でも行ったら見つかっちゃうかもしれないし……」

 なんだか今日のルナサは様子が変だ。
 まるでリリカのような、こちらの奥底を覗き込んでくるような物言い。
 なんで今更そんな言い方をするの。

「まるで……私に戻れって言ってるようね」
「違う。戻りたいなら戻っても良いと言ってるの」
「そんなことあるはずないじゃないっ!」

 思わず声を荒げてしまうも、ルナサは微動だにしない。
 そう言えばきっと澪は激昂すると分かって言っているのだ。

「そう、だったら別に戻る必要はないわ」
「え……」
「だから言った通り。戻りたければ戻っても良い、戻りたくないなら戻らなくて良い。
 私たちは引き留めようとも、無理に追い返そうとも思ってないから」
「そう、だったわね」

 その言葉は戻れと言われずに済んで嬉しいはずなのに、澪はどこか寂しさを感じていた。
 それはつまり、居ても居なくてもいいと言われているのと同じこと。

 住まわせてくれと頼んだのも、音楽を教えてくれと頼んだのも、自分だ。
 ルナサ達はそれを承諾してくれただけで、別に自分を必要とはしていない。
 必要としているのは自分なのだ。

 だけど、そう真っ向から言われると、どうしようもなく寂しさを感じてしまう自分が居る。
 ルナサ達の家族はレイラなのだ。所詮自分はレイラではない。自分はただのよそ者でしかない。

「そうよね。だって、あなた達はレイラの……」
「何か言った?」

 ぽそりと呟かれた言葉は、どうやら聞こえずに済んだらしい。
 あの部屋に立ち入ったことがばれれば、「居たいなら居ても良い」から「即刻出て行け」に変わるかもしれない。
 澪は慌ててシラを切ると、努めて平静を保とうとした。

「ううん、なんでもないっ。でも居たいと思ってる間は居ても良いのよね」
「まぁ、そうね。でも食料が無くなっちゃったんでしょ? そこは本当にどうするの」
「それなんだけど、ちょっと協力してもらえるかな」 
 

  ☆


 数刻後。

 起きてきたメルラン、リリカも巻き込んで、騒霊屋敷はちょっとした騒ぎになっていた。
 いや騒がしいのはいつものことだが、今日はその騒ぎ方が違う。

「えーっ、絶対こっちの方が似合うわよ」
「バカ、そんな目立たせてどうするの」
「でも地味すぎると逆に浮かない? ルナサ姉さんみたいに、痛ぁっ」
「地味言うな。殴るわよ」
「殴ってから言うんだもの。これだから姉は横暴で困るわ」
「良いからさっさと選ばないと。肝心の買い物ができなくなるわ」

 一同は屋敷のある一室に集まって、部屋中をひっくり返していた。
 探しているのは洋服だ。
 澪が考えたのは、簡単に言えば変装して里に行くというもの。
 勿論あまり人目に付かないようにというのは前提の上で、それでも心配だから念には念をというわけだ。
 それで丁度良い服がないかルナサ達に探して貰っているのだが……

「あぁ~っ、これ可愛いっ」
「可愛くてもそんなフリルだらけの派手な服、目を惹くに決まってるじゃん」
「それならこれは?」
「だからさっきからルナサ姉さんは地味なの選びすぎ」
「地味なのが良いんでしょ。見つかりにくいのが良いんだから」

 この調子で一向に決まらない。
 流石に澪も苦笑に限界が見え隠れしている。
 何事も楽しむのは良いことだ。
 しかし今は時間が限られているから、早くして欲しい。
 部屋を舞い飛ぶ洋服に、思わず溜息が出る。それはその光景が綺麗だからではない。
 見ようによっては綺麗かもしれないが、今はそんな感慨に耽っている暇はないのだ。
 
 澪は騒ぐ三人をよそに、近くに落ちてきた洋服と帽子を拾いあげた。
 そして手早く着替え終えると、まだ互いのセンスを押しつけあっている三人に、
 
「いってきます」

 そう告げて屋敷を出て行ったのだった。


  ☆


 久しぶりに里へ向かう足取りは重い。
 できることなら行きたくないのが、やはり本音だ。
 だがこれも致し方ない。
 帽子のつばを抓んで深く被り直すと、日が暮れる前に戻れるように、澪は速度を上げて歩き始めた。


 そうして里へ辿り着いたのは昼の二時頃を過ぎた頃くらいか。
 二週間ぶりに見る人里は、何も変わらない日々を送っていた。
 たかだか一人の女の子が消えたくらいで、そこまで大騒ぎすることもないのだろう。
 これならさっさと買い物を済ませて里を出れば、誰にも気付かれることなく戻ることが出来る。

 あまり挙動不審にしていても不審者として見られてしまう。
 慎重に周囲の声や様子に気を配りながら、比較的人通りの少ない路地を移動する。
 なんだかんだで十五年は暮らしてきた所だ。裏道や近道は大体把握している。

 なんとか食料品店まで着くと、保存の利く缶詰や乾燥食などを中心に手早く品を選んでいく。
 嫌いな物だって勿論あるが、そんなことを気にしていては買い物が長引いてしまう。
 残金と料金とを概算しながら、ありったけの食料を買い込む澪。
 これだけ買うと怪しまれそうなものだが、ここの店主はだいぶ歳を取った老婆だ。
 計算間違いをしないのが精一杯な店主なら、別に何をどれだけ買っていようと怪しみはしないだろう。
 いくつかある食料品の店の中から、澪がここを選んだ理由はそれだった。

「えーっと……ごめんねぇ、たくさん買ってくれるから計算が追いつかないんだよ」
「えぇ。ゆっくりで構わないですわ」

 本当は急いで欲しい。
 だが今のところは全て順調なのだ。
 後は金を払って、また人気のない路地を通って、里を出て屋敷へ戻る。
 そうすればまたしばらくは、あそこで過ごせるのだ。

 老婆の計算は、そこまでの時間が掛かることなく済んだ。
 もうこれで金を払えば店を出ることが出来る。
 そんなときになって、新たに女性客が二人入ってきた。
 タイミングが悪いことこの上ないが、もう買い物は済んでいるのだ。
 気に留まらないように足早に店を出ればいい。

「――さんのところの、澪ちゃん。もう二週間も帰ってきてないそうよ」
「あぁ、あの大きな屋敷の?」

 刹那、澪の耳はどうしてもその言葉に反応してしまう。
 そんなこと気にせずに早く店を出ればいいのに、足がそっちに動かない。
 財布から金を取り出しながら、その二人の会話に聞き耳を立てる。

「そうなの。ご主人達はまだ探してるの?」
「みたいね。家族揃って澪ちゃんのこと溺愛していたから……」
「それにしても、どうして澪ちゃんは家出なんかしたのかしら」
「そうよねぇ、裕福な暮らしに可愛がってくれる家族。うちの子なんて羨ましいってよく言ってるわよ」
「お姉さん二人もよくできた子達だしねぇ」

 思わず声を出しそうになるが、ここでそれをしてしまえば全てが水の泡だ。
 ぎりりと歯軋りを立てながら、ぐっと言葉を呑み込む。
 ここに居てはいけない。居てしまったのは誤算だった。

 澪は手早く金を渡すと、商品の入った袋を持って店を出た。
 後ろで自分のことを呼ばれた気がしたが、振り向かない。
 聞こえないフリを装って、そのまま路地裏へと身を隠した。
 そのまま一直線に里から出て、騒霊屋敷への家路を急ぐ。
 その足取りは、行きとは別の意味で急いでいた。


  ☆


 ちょうど西の山に日が沈む頃合いに屋敷へと戻ってこられた澪。
 買ってきた食料をキッチンに置いた後は、塞ぎ込むようにしてリビングのソファにうずくまっていた。
 里で聞いた会話が気になって仕方がないといった様子だ。

「お、帰ってきたみたいね」
「メルラン……」

 そこへ澪の気持ちを知りもせず、脳天気な笑顔を振りまきながらメルランがやって来た。
 他の二人の姿はまだ見えない。
 メルランと二人きりというのはなかなかないシチュエーションである。

「もー、勝手に行っちゃうなんて」
「ごめんなさい。早く行かないと日が暮れちゃうところだったから」
「まぁ良いんだけど。今度は私の選んだ服を着て行ってよ?」
「あはは、善処するわ。そういえばルナサとリリカは?」
「リリカは明日のライブ会場の下見。姉さんは……よくわかんないわ」

 ということは、屋敷にはメルランと自分しかいないことになる。
 メルランはいつもニコニコしているか、その反対にどんよりしているかのどちらかだ。
 表情や気分ははっきりしているが、その態度に阻まれて、何を考えているのかよくわからない。
 リリカよりも考えが読めず、澪は少し苦手意識を持っていた。
 だがもしそれが杞憂で、メルランは特に何も考えない安気者なら、本音を聞き出す機会とも考えられる。

「ねぇメルラン。メルランは私のことをどう思ってる?」
「なんだか突然ねぇ」
「なんとなく聞いてみたくて。二週間も一緒に過ごしてきたから、どうなのかなって」
「うーん……そんな風に考えることはないからなぁ。難しいわね」

 どうやらメルランの上下差激しい性格は、深層を隠すためのものではないらしい。
 これなら話はやりやすそうだ。

「じゃあ質問を変えるわ。私が居る今って、メルラン達がレイラと過ごしていた頃と比べてどんな感じ?」
「レイラ? ちょっと待って、澪にレイラのこと話したっけ」
「る、ルナサが教えてくれたのよ。メルラン達はレイラって人に生み出されたって」

 勿論これは嘘だ。
 だがこの嘘は何も自分の為だけに吐いているものではない。
 メルランはそれで納得したのか、それ以上追及してはこなかった。

「もうだいぶ前のことだしね。それに比べるような事じゃないと思うけど」
「やっぱりレイラと居たときの方が楽しかった?」
「違う違う、そういう事じゃないわ。澪と居ても楽しいわよ。姉さんは焦るし、リリカもちょっとは素直だし」
「そう、いうこと」
「さては姉さんになんか言われたんでしょ」

 その言葉に澪はぎくりとする。
 あの時の会話をメルランに聞かれていたのか。
 いや、あの日メルランは最後に起きてきたときも眠たそうだったから、そういうことじゃない。
 メルランはなんとなくで言い当てたのだ。
 成る程、ルナサが思慮深くて、リリカが観察眼が鋭いなら、メルランは直感が冴えているのだろう。

「ちょっと、ね。私ってやっぱりレイラのように、みんなの家族じゃないんだなぁって」
「姉さんがそんなこと言ったの?」
「居たいなら居ても良い、居たくないなら出て行けばいいって言われたから」
「バカね。だから家族じゃないって?」
「え?」
「私も姉さんもリリカも。ここにいる間は、澪のことを家族だと思ってるわよ」

 そうだったのか?
 ルナサはそういうことを口にはしないし、リリカだってそうだ。
 だがの側にいるメルランがそう言っているのだ、本音はそうなのかもしれない。
 それを聞くと無性に嬉しくなり、同時になぜだか凄く安心もした。

「どうしたの。まだ信じられない?」
「まさかそんな風に思っていてくれたなんて、思ってなかったから……」
「姉さんは多分、あなたが本当は迷ってるんじゃないかって思ってるはずよ」
「私が迷ってる……」
「だからそんな風に突き放したような言い方をしたんじゃないかしら。姉さんてば真面目だからなぁ」

 なんだそうだったのか。
 そう言えばあの時のルナサは表情を作っているように見えたような気がする。
 真剣に聞いているのは何となく察したけど、その真剣さの色と表情がどこか噛み合ってなかったような。

「そうだったんだ……」
「成る程ね、あなたは言われなきゃ気付かないタイプなんだ」
「そ、そんなことないわよ」
「はいはい。――ねねね、誤解が解けたところで相談なんだけどさ。今夜のレッスンは楽器に挑戦してみない?」
「ルナサやリリカに反対されそうだけどなぁ」
「大丈夫。音を知るのも大事だけど、私の音楽道は楽器と遊ぶことから始まるのよ!」

 一人でどんどん盛り上がるメルランは、もういつもの調子だ。
 さっきまで話していたテンションから、あっという間についていけなくなってしまう。
 そんなメルランに澪は苦笑しながらも、心の中では深謝していた。

 しかしどうしてだろう。
 まるで喉に魚の小骨が引っ掛かっているような、そんな違和感のようなものも感じている。
 それが何なのか分からなくて、何なのかを考えるけれどやっぱり答えは出てこなくて。


 澪がその正体に気付くのは、この夜のこと。


  ☆


 新月から数日。
 今宵の空には三日月が、まるで下卑た笑みを浮かべているような姿で浮かんでいる。
 そんな風に見えてしまうのは、自分がやったことに自信が持てないからだ。

 淡い月明かりに照らされたルナサの表情は険しさで彩られている。
 何か真剣に物事を考えながら、屋敷への帰りの空を飛んでいた。
 そこへ明日のライブの下見を終えたリリカが、ルナサを見つけて近づいてくる。

「やっほー、ルナサ姉さんっ」
「リリカ。今帰り?」
「そう、姉さんと一緒でね。……って、なんかあった? いつもの五割り増しぐらい暗いわよ」
「……ちょっとね」
「ツッコミも無しって事は結構重要事みたいね。もしかして……」

 察しの良いリリカは何か勘づいたらしい。
 隠す必要もなく、むしろこれはリリカやメルランにも話しておくべき事。
 ルナサは、今自分が行ってきた場所、そこでやってきたことを全てリリカに話した。

 本当ならメルランやリリカと相談してから決めるべき事だったかもしれない。
 だけど自分だけが悪者になって、それで事が済めば良いと考えて話さずに行動に移したのだ。

「姉さん」
「うん」
「てやっ」

 どんな返事が返ってきても大丈夫なように覚悟はしていたが、まさか思い切りデコピンされるとは思ってなかった。
 言い方は軽易だが、その痛みがリリカの怒りを如実に表している。
 その一発で、リリカが言わんとしていることは、まさに痛いほど伝わってきた。

「私たちってそんなに頼りない?」
「そうじゃなくて。澪に嫌われるのは私だけで良いから」
「もう一発喰らいたいの?」
「……リリカ」
「まったく。真面目すぎなのよ。……さぁさぁ、早く帰らないと! “いつ来るか”わからないんでしょ」

 こういう時、リリカの察しの良さは頼りになる。
 なんだかんだでやっぱり自分たちは姉妹だ。
 考えていることは同じらしい。
 ただ今は嬉しさに浸っている時間は少ない。

 もう賽は投げてしまったのだから。


 


「あ、お帰りなさい。二人とも遅かったね」
「ただいま。うん、ちょっと野暮用でね」

 出迎えてくれた澪はなんだかとても嬉しそうだった。
 それだけに余計自分がしたことに後ろめたさを感じてしまい、目を直視することが出来ない。
 そんなルナサの肩に手が乗せられる。
 振り返るとリリカが頷いていた。

「そうね。もうやってしまったことだもの。どう転んでも私達は見届けるしかない」
「そんな深刻に考えないの。案外丸く収まるかもしれないじゃない」
「……だと良いんだけど」

 二人は上機嫌で夕食の片付けをしていてる澪に、複雑な視線を送っていた。


  ☆


 夕食も終え、ルナサ達も帰ってきた。
 いつものようにリビングでレッスンの準備を始める一同。
 今日はメルランが言うことを信じるなら、楽器に触らせてくれるかもしれないのだ。
 まだ自分には早いと分かっていても、楽しみなのは隠せない。

 そんなときだった。
 夜も遅いというのに来客を告げるドアの音が鳴り響いたのは。

「こんな時間に誰かしら」

 騒霊屋敷に、しかもわざわざこんな時間にやって来るなんて物好きにも程がある。
「私が出る」と玄関へと向かうルナサの背中を目で追いかけながら、どんな物好きなんだろうと澪は気楽に考えていた。

 きっと三人の知り合いの幽霊か妖怪かなんかだろうと。
 そのくらいの予想しかしていなかったから、自分への来客と聞かされたときは凄く驚いた。
 同時に凄く嫌な予感が全身を駆けめぐり、まさかという予想が頭を支配する。

 その予感予想は、意を決して迎え出た来客の顔を見た瞬間に的中する。

「姉……さん」
「澪」
「澪ちゃん」

 二週間ぶりに見た姉の顔。
 どうしてここにという考えよりも、何故ここがばれたのかという方に意識が囚われる澪。 
 この場所は里からもそれなりに距離があるし、人間は滅多に近づかない。
 まさか今日里に行ったときに正体がばれていたというのか。
 いや、それでも後を付けられない限り、この場所を確定することは不可能のはず。
 今日の今日で見つかるなんて、そんなことあるはずがない。

 考えられるとすれば可能性は一つ。いやしかしそれは、だってそれは……

「ル、ナサ?」

 期待と願いを込めて振り返る。
 自分と同じで驚きの表情を浮かべていてくれたら、それで良かった。
 違う。そういう顔で居て欲しかった。

 ルナサは、今にも詫び言を言い出しそうな表情で俯いていた。

「なんでっ、どうしてっ? 居たいなら居ても良いって言ってくれたじゃないっ」
「澪、落ち着いて。その人は――」
「煩いっ! あんた達は黙っててっ」

 澪は制止する姉の腕をふりほどき、俯いたままのルナサに詰め寄る。

 もし考えていることが本当にそうだとするなら。
 ルナサは……

「そうよ、私があなたがここにいることを伝えたの」
「っ! なんで……」

 徐に話し始めたルナサは、今日澪が里へ出掛けていった後にやってきたことを告げた。


  ☆


 本当に澪は戻りたいと思っていないのか。
 本当にそれで良いと思っているのか。
 ルナサは、どうしても澪がまだ本音を隠しているとしか思えずにいた。
 だから澪が出て行った後、様子を見ようとこっそりとその後に付いていったのだ。

 そこで聞いた二人の女性の会話。
 澪の家族は、ずっと澪を探し続けている。
 それにその話を聞いていると、澪が思っているような家族には聞こえてこない。
 もう少し詳しい話が聞ければ、と思っていると、突然店主が慌てたように外へ出た。

「お客さーん、おーいっ!」
「どうしたんだ、店主」

 そこへ丁度、里に住む半妖上白沢慧音が通りがかった。
 どうもさっきの客、つまり澪がお釣りを貰い忘れたということらしい。
 しかし澪の姿はとうに見えなくなっており、慧音はやれやれと肩をすくめていた。
 ルナサはその時、慧音相手なら何か聞けるのではないかと考えたのだ。

「ちょっと」
「誰だ? って、騒霊が人里に何の用だ。里での騒音行為は認めないからそのつもりでな」
「そうじゃないわ。少し教えて欲しいことがあるの」
「ふむ、お前は話がしやすい性格だったな。それで、聞きたいこととは?」
「最近、女の子が一人家出したわよね」

 どうせ大した用事ではないだろうと踏んでいた慧音の顔が、その言葉を聞いた瞬間に真剣味を帯びてくる。
 どうやら慧音も里を守る者として、澪のことを案じていたらしい。
 これなら話に乗ってくれる。

「その子の家族について聞きたいの」
「それは澪の行方と関係有るんだろうな」
「……答えるのはあなたが先よ」
「なるほど……わかった。私が知っていることで良いなら話そう」

 ルナサの真意に気付いた慧音は、澪の家族について里での評判も含めて話してくれた。
 そこでルナサは、今回の一連の出来事にまつわる真実を知ったのだ。


  ☆


「あなたは、家族があなたを貶めていると言っていたわね」
「そうよ。可愛がるフリをして、その濁った目で私を可哀想な出来ない子だと蔑んでいるの」
「澪ちゃん……私達のこと、そんな風に思っていたの?」
「そんな目で見ないでよっ、話しかけないでっ」

 敵意と憎悪を剥き出しにして、実の姉に刃向かう澪。
 そんな澪に眉一つ動かすことなく、ルナサはさらに話を続けた。

「でも里の人間達も、上白沢の半獣も、あなたの家族はそんな人達じゃないって言っていたわ」
「何よそれ。そんなこと私が一番知ってるわよ」

 里でも評判の家族仲。
 だけどそれは外面しか見ていないから、そんな事が言えるのだ。

「ねぇ澪。あなたは本当に家族が、あなたをそんな目で見ていると思ってるの?」
「さっきからどうしたのよ。ルナサ、今日のあなた変よ?」
「変じゃない。私はいつだって冷静だもの。ねぇ澪、顔を背けずに聞いて」


「――ゃ」


「澪?」






「嫌、嫌嫌嫌っ! 嫌ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」





「澪っ!」

 突然大声で叫んだかと思うと、澪は脇目もふらずに屋敷を飛び出していった。
 慌ててその後を追う澪の姉たち。
 そこへ様子を見ていたメルラン達もやって来た。

「ちょっとルナサ姉さんっ」
「なになになに! どうしちゃったのよ?」
「話は後よ。私たちも澪を追わなきゃ」

 確かに今の澪は危ない。
 悠長に話をしている間に、まさかの事になってしまっては手遅れなのだ。
 ルナサ達は話を切り上げて、三日月の浮かぶ空へと舞い上がった。 


  ☆


 今自分が何処を走っているのかわからない。
 だけど走らなくちゃいけない。
 後ろから聞こえてくる姉たちの声が届かない所まで。


 ケタケタ、ケタケタ――


 三日月が嘲笑っている。
 嘲り、侮蔑、嘲弄、あらゆる蔑みを込めた笑いが聞こえる。


 ケタケタ、ケタケタ――


「うるさいうるさいうるさいうるさいっ。黙れ黙れ黙れっ」

 聞きたくない、何も聞きたくない。
 ルナサ達は、と信用していたのに。
 所詮あの騒霊達は生み出された存在に過ぎなかった。
 自分を家族だと言ってくれたときは、凄く嬉しかったのに!

「澪っ」

 見上げるとリリカがこっちを見下ろしていた。
 だが、今立ち止まるわけにはいかない。

「そっちはダメっ」
「え? ――ひいっ!?」

 気付くと谷が広がる場所まで来てしまっていた。
 今日の月明かりでは底を覗くことが出来ない。
 いつの間にかこんな場所に来てしまっていたらしい。
 せせらぎを頼りに走っていたはずなのに、どうやらより大きな水音に導かれてしまったようだ。

「澪、やっと見つけた」
「はぁっはぁっ。なんとか追いついたわね」
「メルラン、ルナサ……姉さん達も」

 崖っぷちで往生している間に、全員に追いつかれてしまった。
 しかもタイミングの悪いことに、厚い雲が月を隠し周囲の暗さは最悪になる。
 この状態で下手に動けば、足を滑らせて谷底へ真っ逆さまになってしまってもおかしくはない。

「澪ちゃん、戻りましょう? ね」
「嫌だって言ってるじゃないっ。その甘ったるい声なんか、特に聞きたくないっ」
「澪、どうして帰りたくないのよ。こんなに心配してくれてるのに」
「煩いっ、リリカなんかに分かりっこないわよ!」

 誰が何を言っても、焼け石に水。
 余計に澪の感情を逆撫でするだけにしかならない。
 どう言えば澪は話を聞いてくれるのか。
 皆が困り果て考えあぐねている中、すっと歩み出る者がいた。

「ルナサ……」
「澪、あなたがどう思っていようと構わない。でもあなたは誤解している」
「誤解なんかしてないわよ。ルナサに私の何が分かるって言うの?」

 ルナサは何も言い返さない。
 ただ黙って澪の瞳を見つめ続けるだけだ。
 それを降参と取ったのか、澪はさらに言葉を続けて反撃する。

「分かるはず無いわよ。だって、あなたはレイラが生み出した“理想のルナサ”だものね!」
「澪。何を言ってるの?」

 それは演技ではない。
 本当に澪の言っていることが分からないと言った様子だ。
 そんなルナサに、澪は「やっぱりね」と納得したように呟き、その後にルナサ達に隠していた事実を突きつけた。

「私は知ってる。あなた達騒霊姉妹は、レイラって言う人が離ればなれになった姉たちが忘れられなくて生み出した存在だって。
 でもそれはただ忘れられないからじゃない。レイラは、本当に家族が大好きだった。
 だから生み出したのよ。あなた達騒霊のプリズムリバー姉妹を。だけどただ生み出しただけじゃない。
 あなた達はレイラの力と意思によって生み出された。つまりレイラの理想の姉としてね。
 どこにも行かない。ずっとみんなで一緒にいてくれる、レイラの為のルナサ達。
 そんな風に生み出されたあなた達が、私のことなんか分かるはずがないじゃないっ!」

 澪が以前に見つけたレイラの手記。
 そこに書かれていたのは、プリズムリバー家に起きた悲劇とレイラの思い。

 レイラはずっとルナサ達にコンプレックスを抱いていた。
 三人の姉はみんな楽器が上手で、楽しそうに演奏していたけど、レイラにはその才能がなかった。
 いつも側で眺めているしかできない自分。
 それでも優しい姉達は丁寧に教え続けてくれた。
 劣等感を感じながらも、レイラはそんな姉達が大好きだった。

 しかしその幸せがある事件によって引き裂かれたとき、レイラは絶望することになる。
 父も母も失って、姉妹四人しかいなくなったプリズムリバー家。
 それでも家族一緒にいれば、ささやかな幸せは得られるはずだと。
 両親の死を乗り越えて、きっとまたみんなで楽器を奏でる幸せな時間を取り戻そうと。

 そう約束したのに。

 当主のいなくなった貴族の没落は早く、生活は苦しくなる一方。
 それでもレイラは姉達と過ごしているだけで良かった。
 それなのに、時が経つにつれて苦しくなる生活から逃れたいが為に、ルナサ達は親類の元にそれぞれ引き取られていった。
 家族一緒にいることよりも、自分たちのこれからの生活を取ったのだ。

 ああなんだ。しょせん家族として大切に思っていたのは自分だけだったのか。

 全てを悟ったレイラは、姉達を憎んだ。
 しかし完全に憎みきることが出来なかった。
 だって家族なのだから。
 その思いが通じたのか、それとも偶然の悪戯か。
 レイラの潜在していた力が、騒霊を生み出したのだ。

 レイラは望んだ。例え騒霊でも良い。
 このルナサ達には裏切って欲しくない。
 ずっと一緒に居て欲しい。

 その願い通り、騒霊の姉達は何処にも行くことはなかった。
 レイラは理想の姉との生活が戻ってきたと、そう手記に書き残していた。

「あなた達はレイラが自分のために生み出した存在でしかないのよ」
「それで?」

 ルナサはそれでも動じることなく澪の目を凝視している。

「もしかして知ってたの?」
「いいえ、私達がレイラに生み出されたということは知っているけど。まさかそんな風に思っていたなんて知らなかった」
「そうよね。あなた達は“レイラの理想”なんだもの」

「それは違うわよ」

 突然二人の会話にもう一人の声が割り込んでくる。
 それは後ろで口を噤んでいたリリカだった。
 ルナサと同じ所まで近づくと、リリカもまた澪の瞳を直視する。

「確かに私たちはレイラに生み出された。だけどレイラの理想がそのまま具現化したものじゃないわ」
「嘘よ……。だってレイラは、あなた達が理想の姉だって書いていたもの!」
「そうね、レイラからすれば私達は、本当の私達よりも理想的なのかもしれない」

 でも、とリリカは続ける。

「私達の姿や声はレイラの記憶が生み出したものでも、私達の自我は私達が手に入れたものだもの」
「そうそう。レイラと話している内に、私はメルランなんだって思い始めてね」

 ルナサの隣にメルランもやってくる。
 場にそぐわないへらへらとした表情を浮かべながらも、視線は真っ直ぐに澪を見据えている。
 三人の瞳に見つめられて、澪は少したじろぎを見せた。

「どうなってるのかよく分からないけど。今の話はよく分かるわよ。私達は私達の意思で動いているもの。
 それに今の話が本当だったとしたら、どうして私達は澪みたいな余所者を家族して受け入れたの?」

 メルランの言葉に、今日の夕方彼女と交わした会話が蘇る。
 家族と言ってくれた、メルランの偽りを感じない言葉。
 それに感謝した自分。

 そして感じた違和感。
 それはルナサ達が理想の具現と思い込んでいたために、どうして自分を家族として受け入れてくれたのかという、
 その矛盾が生み出していたのだ。

「そんな……レイラはそれに気付いてなかっただけって事?」
「まぁそういうことなのかしら。私達は決められた楽譜通りに演奏しないもの」
「だからいつもメチャクチャになるんだけどねぇ」

 苦笑を浮かべるリリカに「何よー」と不満げな反論をするメルラン。
 会話の主導権は、次第にルナサ達の方に動きつつあった。

「じゃあ、じゃあ……あなた達はレイラの思いに気付かなくてもレイラの側にいたって言うの!?」
「気付いてない事はなかったわよ」
「えっ?」
「たまに見せる曇った顔や、私達じゃない誰かを見ているような目。真意は今聞いて初めて知ったけど、なんとなくは分かっていた」
「レイラは感情を隠すのが下手だったものね。まるで何処かの誰かさんみたいに」

 ルナサ達は気付いていた。
 幸せだと言ってるにもかかわらず、その顔には翳りがあったことを。
 一緒に楽器を演奏しようと言っても、自分は下手だからと断り続けてきた、その時の悲しげな瞳を。
 
 レイラは理想の家族を手に入れても、それが本当の家族ではなく、自分が生み出した理想に過ぎないと思っていたことを。
 ルナサ達は何となくだがわかっていたのだ。

「それなのに……理想の具現と思われているって分かっていたのに、一緒にいたの?」
「決まってるじゃない」
「そうね。当然のことよ」
「そうそう」


 だがそれを指摘したところで、どうにもならないことにもまた気付いていた。
 だからレイラには何も言わず、共に暮らし、共に笑い合うことで、その翳りを少しでも減らせればと。
 そう考えたからこそ、居続けたのだ。

 それになにより、そんなことよりも大事なことがある。



「「「だって、レイラは私達の家族だもの」」」



 重なり合った言葉に、嬉しそうに同意の頷きを示すメルランとリリカ。
 ルナサも微笑を浮かべている。

 レイラがどういう意図で生み出したにせよ、自分たちにとってレイラは家族なのだ。
 生み出してくれたからとかそういう恩愛があったからじゃない。
 自分たちにとって、レイラは家族なのだ。
 それだけで家族であることを証明づけるのに、他に何が要るだろうか。

 愕然としている澪に、ルナサは柔和な表情で話しかける。
 今の話を聞いて、もう迷いはなくなった。
 澪は元の家族の元に帰るべきなのだ。今なら全然間に合う。

「澪、今のあなたはレイラと同じね」
「どういうこと……」
「レイラは悲しい子だった。私達もなんとなくしかその悲しみに気付いてあげられなかった」

 そのレイラはもういない。
 気付いてもどうにかする前に、彼女はその命を終えてしまったから。

「でもあなたはまだ生きている。気付いてあげられる。どうにかできる所にいるの。だから私は里で――」
「私の何に気付いてくれるって言うの。今の今までレイラの本当の気持ちに気付いてあげられなかった癖にっ」
「そうね、レイラにはとても悪いことをしたわ、理想の姉だって思ってくれていたのにね」
「そうよ。だから私のことだって分かるはずがない!」
「“はずがない”、ね」
「何よ……」
「あなたは一人で考えて、一人で勝手に思い込んでいるだけにしか見えない」

 レイラもそうだ。
 自分だけが家族を大切にしていると思い込んでいた。
 姉達はみんな自分を捨てて出て行ったと決めつけた。

「レイラには、その誤解を解くことができなかった。だってもうみんな居なくなってしまった後だったもの」

 しかし澪にはそのチャンスがある。
 まだ澪は生きているし、誤解を解く相手だって目の前にいるじゃないか。

「理由が何であれ、自分の勝手な思い込みで誤解したまま恨んで死ぬなんて……そんなの悲しすぎるじゃない」
「な、何よそんなの。私は信じない。レイラはそうだったかもしれないけど私は違うっ」


 パシンッ


「このバカ妹っ!」

 澪もルナサ達も、一瞬何が起きたのか分からなかった。
 口を噤んでいたままだった澪の姉が、突然動いたかと思うと、早足で澪に近づき頬を張り飛ばしたのだ。
 頬が赤く染まり、脳が痛みを認識し始めると、ようやく澪も自分が叩かれたことに気付く。
 同時に、いきなり叩かれるという理不尽な姉の行動に対して怒りが込み上げてきた。

「……何、すんのよっ!」
「今のは私の分。次は――」

 直後、再び乾いた音が響き渡る。
 今度は叩かれていない左頬を叩かれた。
 思わず目尻に涙が溜まるほどの、躊躇無い平手打ちだ。

「痛ぁっ」
「これは姉さんの分よ。本当は父さんや母さんの分も張り飛ばしてやりたいところだけど、これで止めておいてあげる。
 話は私より姉さんの方が落ち着いてしてくれると思うから任せるわ」

 そう言って、澪の両頬を張り飛ばした姉は後ろへと下がっていった。
 替わるようにしてもう一人の姉が澪の前に立つ。

「澪ちゃん、どれだけ私達が心配したか分かってる?」
「心配してくれてたんだ」

 顔を背けたまま、唇を尖らせまちもに取り合おうとしない澪。
 しかし姉は至って穏やかな口調で話を続ける。

「当たり前じゃない。可愛い妹が突然家出したら誰だって心配するわよ」
「当たり前、か。そうよね、姉さん達にとって私は良い比較物だものね」
「本当に私達がそう思ってるって?」

 こんな姉の姿は見たことがないのだろう。
 それまで言い返し続けてきた澪が、黙り込んでしまった。
 さっきまでのルナサ達との会話や、もう一人の姉の叱咤が功を奏したらしい。

「だって……姉さん達は頭も良いし器用だし。私が何をしても姉さんのように上手くできないし。
 そんな私を見て、姉さん達は可哀想だって思っていたんでしょう?」
「そんなこと思ってないわ。そんなに澪ちゃんは自分のことが嫌い?」
「私が私を嫌ってる……? そんなことあるはずないじゃないっ」
「澪ちゃんが思ってる私達は、澪ちゃんの劣等感と嫉妬が生み出した私達よ。
 何をやっても私達ほど上手くできない。それが恥ずかしくて、辛くて。
 だから私達が澪ちゃんのことを蔑んでいるって思うことで、誤魔化していたのね」
「そんなっ、こと……」

 面と向かって言われることで、気づき始めたのだろう。
 思い当たる節があるのか、澪からの反論はない。
 むしろ真実を突きつけられて呆然としている様子だ。

「私達もいけなかったのよね。澪ちゃんを可愛がりすぎて、その誤解を助長させてしまった。
 “私の中の澪ちゃん”を可愛がって、本当のあなたを見てあげられなかった。ごめんなさい」
「そうね。出来の悪い子ほど可愛いってつもりでいたんだけど。まさか澪がそんな風に思っていたなんて知らなくて……。
 ずっと昔の澪のままだと勝手に思い込んでいたみたい……。ごめんね。あとさっき叩いた分も、ごめん」

 揃って頭を下げる二人の姉。
 だが澪はまだ信じられないで居る様子だ。
 この二人とは違って、澪の誤解はかなり深い所まで根ざしているようだから無理もない。

「嘘よ、嘘嘘嘘……全部、私の劣等感が生んだ誤解だっていうの?」

 今まで自分を動かしていた、自分の信じてきたものが、全て間違っていた。
 しかもそれは自分の醜い感情が生み出した、醜い誤解。

「違う……姉さんは、私なんかどうでも良いって……」

 口に手を当て、よろよろと後ずさる澪。
 しかし今は混乱していても、時が経てば納得できるだろう。
 根ざしている所が深いのだから、それを取り除くのに時間が掛かるのも当然だ。
 その根さえ抜けてしまえば、後は“家族”で解決していけばいい。

「お疲れ様」
「何かよく分からないけど良かったね」
「うん。でも、ちょっと寂しくなるかな……」

 もう澪が騒霊屋敷で暮らす必要はない。
 元々こうなることを望んで、慧音に澪が居候していることを教えたのだが、
 やはりいざ出て行くことが決まるとなると、寂しさを感じずには居られない。
 それをリリカ達に茶化されながら、ルナサはようやく訪れた円満な雰囲気に安堵していた。


 だから“目の前の光景”に、何も反応することが出来なかった。


「澪っ!」


 皆が安心しきっている中、まだ我を取り戻すことが出来ずに呟き続ける澪。
 その意識は考えることだけに集中していて、自分が次第に崖に近づいていることには気付いていない。
 姉達がその危険に気付いたときには、すでに片足が空を泳いでいた。

「あっ――」

 そこで我に返ったものだからバランスはさらに崩れ、澪の体は為す術もなく崖下へと誘われる。
 しかし叫ぶよりも早く駆けだした次姉が、その腕を間一髪の所で掴み取った。

「姉さん……っ」
「澪、離すじゃ……ないわよ」

 次姉はもう片方の手で安定して掴める物を継がして首を動かす。
 しかし周りには他に掴まれる物はない。
 開けた場所になっているため、踏ん張りを効かせる木も岩もないのだ。
 次姉の足を長姉が抑えるが、それもどれ程の効果があるかは分からない。
 早いところ引き上げないと、危険だということだけは理解できるが、それをどうにかできる術は誰の頭にも浮かんでこない。

「そうだっ、あなた達の力で何とか出来ないっ!?」
「そ、そう言われてもっ」

 長女の必死の懇願に答えたい。
 だが自分たちは実態の無い騒霊だ。
 一緒になって引き上げることは出来ないし、力と言っても無生物を動かす程度の力しか持ち合わせてはいない。
 騒霊――ポルターガイストは、所詮無生物にも霊が宿ることを知らしめるだけの存在なのだ。

 そんな自分たちができることと言えば、誰かに助けを求めることだけ。
 しかしこんな真夜中、助けてくれるような奇特な妖怪が都合良く飛んでいるはずもない。
 人間の里も離れているから、今から助けを求めに行っても遅すぎる。

「姉さん……ごめんなさい」
「こんなっ、時に謝らないのっ。上に上がったら、もっとちゃんと謝ってもらうんだからっ」

 必死に落とすまいと歯を食いしばる姉の顔。
 その瞳には、自分が感じていた曇りは微塵も見られない。
 そんな目を見せられたら、もう認めるしかないじゃないか。

(あぁ、姉さん達の目が曇って見えたのは、私の目が曇っていたなんだ。
 こんな危険を冒してまで私を助けてくれようと……。みんな、私が誤解していただけだったんだね)

 手がぬめる。
 もう長いこと持ちそうにはない。
 このままだと、下手をすると姉まで落ちてしまう。
 自分が勝手に誤解して、勝手に家を出て行って、その上自分の勝手で姉まで危険な目に遭わせてしまって。

「本当にごめんなさい」
「いいからっ、絶対に離しちゃダメだからねっ」
「そうよっ、絶対に私達が助けてあげるからっ」

 うん、うん、わかってる。
 いつも姉さん達は私を助けてくれたもの。
 今なら素直にそう思える。
 今ならきっと素直に「ありがとう」も言える。
 そう言えば、もう随分言ってなかったね。
 だけど、ようやく気づけたから。
 助かったら、何よりもまず「ありがとう」って言うからね。


 瞳から流れる温かな滴。
 だけど、その口元にはとても綺麗な微笑みが浮かんでいて。
 












「……でも、ごめん。気付いたのが遅かったね」












 ようやく戻った姉との繋がりを、自らの手で断ちきる澪。
 涙と微笑みが、暗闇に消えていく。
 二人の姉と三人の義姉の叫びと共に。

 ようやく顔を出した三日月に照らされながら、五人はただただその暗い裂け目に叫び続けていた。


 ――三日月は、もう笑っていない。











  ☆ ★ ☆



 今宵も始まる騒霊ライブ。
 満月の光が煌々と降り注ぐ中、その狂気に浮かされて大勢の客が集まっている。
 すでに幽霊妖怪、ちょっとの人間で開場前から大盛り上がりだ。
 ステージ脇では、お馴染みの騒霊三姉妹が最後の調整を行っていた。

「良い? まずはアンサンブルで盛り上げて、次にそれぞれのソロ曲に入るわよ」
「わかってるわかってる♪」
「もぉ、また勝手に人の曲に割り込んだりしないでよ?」
「わかってるわかってる♪」
「……不安要素は残ってるけど、まあいつものことね」
「割り込んできたら、演奏そっちのけでぶん殴ってやるんだから」
「わかってるわかってる♪」
「それで“トリの曲”は“わかってる”わね?」
「もちろん」
「わかってるわかってる♪」
「メルランもその調子なら、大丈夫……というか、もう演奏したくて堪らないって感じね」

 すぅ、と大きく息を吸い込み、三人はその全てを決意の言葉に換えた。

「よぉっし、それじゃあ今日も盛り上げるわよ!」
「「おぉ~っ!」」



 そして今宵も騒霊ライブの幕が上がる。


  ☆


 その同時刻。
 人間の里にある富豪の屋敷には、まだ灯りが灯った部屋があった。

 どうしてかふと目が覚めた長姉は、廊下に出るとその灯りに気がつき部屋の前までやってくる。
 すると中から微かに歌を口ずさんでいる声が聞こえてきた。
 それを邪魔しないように、そっと入ることを合図する。
 そして静かに中に入ると、上半身だけを起こし、窓の外を見つめながら歌っている妹を見つけた。

「どうしたの? 眠れない?」 
「ううん、そうじゃないの。月が明るすぎて……」

 妹の言うように、今日の満月は殊の外綺麗に光っているように見える。
 真っ白で大きくて、まん丸で。

「そういえばもう一ヶ月になるのかしら」
「何が?」
「あなたがここを家出した日から」

 その言葉に、妹――澪は罰が悪そうな笑みを浮かべる。
 あまりそのことには触れて欲しくないといった様子だ。

「……でも本当に色々あった一ヶ月だったわね」
「うん……」

 姉がしみじみと言うのも無理はない。
 本当に色々有りすぎて、もしかしたら全て夢じゃなかったのかとすら思えてくるほどだ。
 だが胸のつっかえは無く、姉ともこうして普通に会話できている。
 何よりまだ治らない全身の怪我が、あれが夢ではなかったことを教えてくれていた。


 そう、あの後、澪はどうなったのか。

 あの後は怒濤のようにすべてが流れていった。
 ……というのも、澪はずっと意識を失っていて、話に聞く程度のことしか知り得ないのだ。
 その話の内容はこのようなものである。

 あの崖の下は川になっていて、落ちた澪はそのまま下流へと流されていった。
 翌朝になるまで探索を放っておいたら、手遅れになるかもしれない。
 空を飛んで移動できるルナサ達が探し、澪の姉達は人里へ助けを求めに行くことでその場は合致した。

 そして数百メートル流された先で、澪は無事に発見された。
 その時役に立ったのがメルランのトランペットである。
 あのどこまでも遠くまで届きそうな澄んだ音が、場所を報せるのに一役買い、澪はかなり早い時間の内に里まで運ばれた。
 おかげで治療が間に合い、一命を取り留め、こうして無事な姿で家に戻ることが出来ている。

 ――とまぁ、そういう経緯で助かったらしいのだが、どうにも澪にはその大変さが実感できていない。
 ただ家族や里のみんなが、それはもう大変だったと言うのを見ては、曖昧に答えるだけだった。
 そんな中、一つ確実に言えることがある。
 これは家族にも話していない。

 意識を失っている時、澪はある夢を見た。
 それはレイラが机に向かってあの手記を書いている姿。
 そのページが先に進むにつれ、レイラの表情はくるくると変わっていく。
 しかし騒霊姉妹を生み出してからのレイラは、顔は笑っていてもどこかで後悔しているような、憂いを秘めた瞳をしていた。
 その瞳のまま、レイラはこちらを振り返る。
 そして口を開いて言うのだ。
 声を聞いたことがないからか、それははっきりと届いたわけではない。
 それでも澪には、レイラが何を伝えようとしているのか、はっきりと分かっていた。


「そういえば何の歌を口ずさんでいたの?」
「……知らない歌。だって曲名なんてないんだもの」

 澪が口ずさんでいるのは、夜風に乗って微かに届く曲。
 あれから一度も会えていない、もう一つの家族が何処かで演奏している曲。
 ヴァイオリンとトランペットとキーボードが奏でるアンサンブル。
 初めて耳にしたときから大好きになり、よくリクエストしていた曲だ。

「姉さん、私ね。楽器を勉強しようと思うの」
「良いわね。何の楽器を勉強する?」
「まだ決めてない……けど、絶対に上手くなる。それでもう一度、ルナサ達と会うの」

 レイラが叶えられなかった最初の願い。
 結局自分も楽器に触ることすら出来なくて、適わず終いになっていること。
 きっといつかそれを叶えてみせる。やり遂げてみせる。
 
 あの時、どうして自分はレイラの部屋に導かれたのか。
 あの時、どうして自分はあの写真と手記に目を奪われたのか。

 もしかすると、レイラも誤解を解きたかったのかもしれない。
 レイラはあの部屋に、いつか騒霊達が自分を救ってくれるよう、力の残滓でも残しておいたのか。
 もう今となっては確認しようもないし、確認する必要もない。

 その願いはきっと彼女たちにも伝わっているはずだから。
 それに自分も、いつかきっと――


  ☆


 さてライブもいよいよ大詰めクライマックス。
 会場のボルテージも最高潮に達し、次がラストのエンディングだ。

「さてだいぶ盛り上がってきましたが、そろそろ宴もたけなわ。お別れの時間が近づいてきてしまいました。次の曲が最後となります」

 ルナサの口上で、会場の熱気はエンディングに向けてさらに上がる。
 その盛り上がりように、メルランもかなりやる気満々だ。
 リリカもいつ演奏を始めてもいいように、すでに準備は万端で待っている。

「次は私達三人で、四つの楽器を演奏するという、新しい試みの元に作った新曲を披露します」


 私達はどうして存在しているのだろうと、改めて考えた。


「どうやって演奏しているかは、企業秘密ということで」


 私達を生み出した貴方はもう居ないけど。


「ラストに相応しく、来世まで届くぐらい盛り上げていくから、みんなも一緒に盛り上がってねーっ!」


 だけど貴方の名前が冠する輝きはこの胸にずっと在るの。


「それでは聞いてください」


 きっとその輝きを絶やさない為に、私達は此処に居るんだと。


「曲目は――――」


 これは貴方の、そして私達の為の曲。

 貴方の光と、私達の光――その光を音に換えて奏でよう。





















 そして“私達”は今日も奏で続ける。


《終幕》
今回は初めてプリズムリバー姉妹を中心に書いてみた雨虎です。(半分はオリキャラの気もしますが)
前半から後半まで読んでいただき、ありがとうございます。それとお疲れ様でした。

前回が短く捻りが付けられなかった分、この作品はよりいっそうの気合いを入れて書きました。
ただ展開自体にはそれほど捻りがないと感じられるかもしれません。
それを王道と見るかありきたりと見るかは読んでいただいた皆様次第です。
それでも別の要素を捻り、自分の中では納得のいく作品ができたと思っています。
ちなみに澪とレイラの関係ですが作中で明言はしていませんし、皆さんのご想像にお任せします。

ご意見・ご感想等ありましたらよろしくどうぞ。
※……申し訳ないです。投稿ミス訂正しました
雨虎
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.420簡易評価
1.無評価名前が無い程度の能力削除
後編が二回繰り返されているのですが…
6.70壺氏削除
確かに王道ですね。
こういうオリキャラは好きです。
12.無評価雨虎削除
>名前が無い程度の能力さん
ご指摘ありがとうございます。
二重窓で前編後編を同時に処理しようとした為の投稿ミスでした。

>壺氏さん
オリキャラが受け入れてもらえて何よりです。