Coolier - 新生・東方創想話

東方臥宵夜 後編

2007/09/18 23:23:22
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*注意*
この作品は作品集44「東方臥宵夜 前編」からの続きであり、オリジナル主人公モノです。
そちらから先にお読みになると、意味が通じると思います。
また、オリジナル主人公が苦手な方は、寛容な心とショックを乗り越える強い意思を持ってお読みくださると作者が喜びます。
ダメ、ゼッタイ。な方は、非常に残念ですが、戻るボタンをクリックしてください。非常に残念ですが。

では、お楽しみください。






















「人間カ。女子供ガヨカッタガ、贅沢ハ言エヌ」
「……これは。そうか、そういうことか」
「妖怪ハ、腹ガ減レバ人間ヲ食ウ。例エソレガ儀式的ナモノダロウト」
「さすがに驚いたな。本当にあるとは思わなかった」
「……何ノ話ヲシテイル、人間」
「アンタこそ何の話をしているんだ、身勝手で無粋な妖怪」
「何ノ、話ヲシテイルノダ!」
「今宵ばかりは運命に感謝をって話さ。そして妖怪、食う覚悟があるのなら、当然喰われる覚悟は出来ているんだろうね?」




そして。





「欠損の再生、魂魄の生成?まるで不死ね。 ……違う。不死なんて曖昧なものじゃない。死ぬという運命を弄り、世の理をも……?
 ……外来人は私の知らない間にここまで歪んだのか? いや、あるいは歪んでいたから、あちらの世界からも放逐された?
 撓む事を知らない鋼、か。強さ故におもねる事も出来ずに歪んでしまった、強い心。何よ、最高の皮肉じゃない。
 まぁいいわ。どちらにせよ、今宵の運命は私を変える蜘蛛の糸。やはり月夜の晩は外に出るものね」


















「こちらでございます」
涼やかなその声に、ふと己を取り戻す。あー、ちと悪い傾向だな。気をつけないと。

咲夜さんの誘導に従い歩くこと数分、俺は立派すぎる食堂に出た。
だって部屋の広さが俺の家と同じくらいなんだぜ。もし純白のテーブルクロスのかかった長テーブルや、綺麗に並べられたナイフとフォークが無ければ、貴賓室と言われても納得できる。
これは後でわかったことだが、この屋敷はどこもこんな感じらしい。確かにこの食堂は客を主人が迎えるためのものであったらしいのだが。
ちくしょう、理不尽だぜ……。

咲夜さんが準備のために引っ込んでしまうと、俺はすかさず椅子から立ち上がった。
普段、まかり間違ってもこんな豪邸に足を踏み入れることは無いので、色々と物珍しいのだ。
例えば、あそこにかかった鹿(のようなもの)の剥製とか、暖炉の上に飾られた象牙(のような大腿骨のようなもの)とか。
そう、これは社会見学なのだ。社会見学。うん、決して物色しているわけではないぞ。
そんな中、うろついていた俺の足を止めたのは、一枚のタペストリーだった。
紅い月夜、ぐったりとした女性を抱えるマント姿の男。背を見せ、顔だけをこちらへ向けている。
にやついたその男の背景にはたくさんの串が描かれ、その先には団子のようなものが突き刺さっていた。
紅の月がかかるのは古びた古城。ん?古びた古城ってなんかおかしいな。
どことなく、この屋敷に近いものを感じた絵を眺めていると、奥のほうのドアが開いた。

そのまま視線をずらす事で、入ってきた相手への観察とする。
……あれ?誰もいない。と思ったら、それは相手が小さかっただけで。俺はその少女を見た瞬間、雷に打たれたかのように硬直した。
見た目は10に届くかどうかという幼い女の子。青みがかった、咲夜さんとは違う種の銀髪。肩口で切り揃えられたそれは、主人の微かな動きに優しく揺れる。
最上級の陶磁器すら足元に及ばないような、滑らかな白い肌。それらを包む桃色のツーピースと揃いの帽子に、リボンの赤がよく映えた。
顔の造形一つ取ってもこれまた完璧であり、これは言葉で表現すること自体が冒涜になるだろう。
間違いない。この少女が、館の主人だ。


だが。


俺が固まったのは美貌に見惚れたとか、そんな単純なことではない。
その少女の瞳。なんだ、これは。今まで見たこの屋敷のどの紅よりも紅く赤く朱く、静かに、揺れることも無く俺を見返す。
俺は今まで、これほどに深い瞳を見たことは無い。例えるなら深淵、例えるならブラックホール。
――失態。大きすぎる失態だ。忘れていた。慣れは俺に、最も大切な事を忘れさせていた。
飲み込まれる……! 俺の、意識が、俺が、消え

――気をつけなさい。あなたが深淵を覗き込む時。深淵もまた、あなたを――

「どうかしたかしら、お客さま?」

舌足らずな、風鈴のような声に開放される。
っ、はぁ……!
思わず口元に掌を当てる。
俺は何だ。天原臥待。
俺は何だ。俺は人間。
俺は何だ。俺は観測者。
俺は何だ。二枚目気取りの三枚目。
……俺が感じた感情は何だ? 恐怖ではない。これは、むしろ……。

……よし。なんとか平静を取り戻した。俺は無意識に『閉じていた』瞳を少女へと再び向ける。
心配そうにこちらを見据える少女に無事を伝えると、俺は足早に席に着く。
少女も、そう、ならいいわと納得し、俺の対面へと。長いテープルを挟んでなのだが、微かに彼女の纏う香水の香りがした。
テーブルに両肘を載せ、それで顎を支える体制の彼女は、こちらを興味深そうに見ている。
普通なら決して上品にならない仕草も、彼女がするとそう見えるから不思議だ。これも、その身の纏うオーラの成せる業なのだろうか。
さてどうするか……。今ので俺のことはもう大分読まれちまっただろうなぁ。今のまま突っ込まれたらマズイ。色々と。
少し言葉遊びで時間を潰すかな、でもあっさりとボロが出そうだぜ。


そんな事を考えていると、彼女が入ってきた扉とは別の、俺の背後にあった扉が開いた。
主人が席に着くのを見計らったんだろう。すぐさま料理が運ばれてくる。おお、さすがプロ。間の取り方は完璧だ。咲夜さんはエレガントな微笑みを浮かべながら配膳をしている。
運ばれてきた料理は……イタリア、いやハンガリーのものか? それも少し違うな。ルーマニア地方の特徴が若干見られる。
その旨を少女に伝えると、目をまあるく見開いた。そして、当てたのは今のところあなただけよと、風鈴の声色で笑ってくれた。クスクス。
ふっふーん、驚いたか。俺は料理には詳しいのだ。なんてったって、雑誌に載っている料理をおかずに塩ご飯で過ごしていたからなっ!食べられる野草にも詳しいぜ。
……くっ。
こほん。あんまり関係ないが、やっぱり食事中は喋らないんだな。それが礼儀作法なら、ここは合わせておくべきだろう。なんてったって俺は招かれた身なのだ。勝手な振る舞いで主人をわざわざ怒らせることもない。ま、個人的には食事は人数と口数が多いほど楽しいと思うがね。


それにしても、美味いな。
このママリガを見ろ。絶妙な柔らかさと、添えられたクリームの絶妙なハーモニー。前記の通り書物で知っていただけで、今の今まで食ったことはなかったが。
ママリガというのは……まぁ、日本で言えば味噌汁のようなもの。形態が、ではなく概念が、であるが。
すげえよ咲夜さん。あんた最高だ。最高のお嫁さんになれるよ……!
バラエティーが少ないはずのルーマニアの料理をここまで飽きさせないものにするとは。
感涙に咽びつつ、俺は下品にならない程度に食を急いだ。うめえ、うめえよと、呪文のように繰り返しながら。
雰囲気的には、ガッガッムシャムシャゴクン。キュピーン! 熟成された味だった! 体力が上がった! スタミナが上がった! フシマチのネコレベルが3になった! みたいな。

俺の名誉のために予め言っておくが。
流した涙は決して今までの自分の食生活を鑑みたからではなく、対面の少女から向けられる視線に含まれるのは、呆れを通り越して、ふふ、たーんとお食べ、みたいな親の微笑になっていたりはしない。
しないったら。


食事が済み、食後に運ばれてくるのはワインが二瓶。咲夜さんは俺たちのグラスにそれを注ぐと、少女の後ろで静かに待機した。
俺は白を、少女は赤を。グラスを持ち上げ、少女へ向かって控えめに揺らした。
それを受けて、少女も微笑みながらグラスを揺らす。金の蜀台に立つ蝋燭の灯火が揺れ、その向こうに俺は紅の天使を幻視した。こうして見ると、紅も悪くないかもしれないな。他の色とのグラディエーションが素敵だ。
金の灯火に照らされ、くいっと一口グラスを傾けた彼女の唇に僅かに残る紅が艶かしい。こちらへ流される、年相応では決して無い妖艶な視線と微笑みに、俺は紳士的な笑みを返す。
内心に浮かんだ、寒気にも似た歓喜を隠しながら。

っと、そうだ。思い出した。ぼーっと、蝋燭の灯火と一緒に揺れていた思考を切り替える。
そう、家訓だ家訓。何せ相手は超絶悶絶きりもみ大旋風、あなたのハートにグングニル♪レヴェルの美少女。こりゃあ、口説かないわけにはいかないだろう。
どうやって始めようか、なんて考えているうちに、なんと少女のほうから会話を切り出してきた。おお、好都合。

「どうだったかしら、咲夜の料理は。……なんて、聞く必要もなさそうだけれど」
「ええ、非常に美味しゅうございました。こんな身分も知れぬ旅の者にここまでしてくださり、感謝の言葉もありません。自身の語彙の無さを悔やむばかりです」
「由緒正しき貴族として当然のことですわ。それで、お客様?」
「これは失礼を。臥待。天原臥待です」
「そう、おかしな名ね。私はレミリア・スカーレット」
「そうですか、名実相応なお名前ですね」
「ふふっ。あなたはどこから来たの?」
「蒼い青い、海の果てから。スカーレット卿はどこから?」
「紅い赤い、月夜の淵から」
「このお屋敷とご同様なのは、故郷が恋しいからでしょうか」
「故郷は遠くにありて想うもの、でしょう?」
「違いありません。しかし、これほど熱烈に想われれば故郷も本望でしょう」
「そうよ、私はファンなのよ。串刺しマニア」
「それはまた、瀟洒なことでございますな」
「そういうあなたはどうなのかしら?」
「そのままの意味で外食マニアでしょうか。知識さえあれば、野外も居心地の良いものです」
「それはまた、豪奢なことでございますわ」

ふぅむ、やっぱりあの絵はレミリアの故郷か。どうりで。
ま、前哨戦はこんなものだろう。主人は口元に手をやりクスクス笑っているし、俺も……まぁ、気分は悪くない。
あ、咲夜さんが目を丸くしている。ふふん、恐れ入ったか。俺は必要とあらば謙虚にもなれるのだ。
気合を強制的に入れ直されたからな。もうボロは出さないぞ。

「ところで臥待。構わないから普通に喋りなさいな。それと、私のことはレミリアと呼ぶように」

……ぎゃふん。いきなり見抜かれた。どうりで。
あ、咲夜さんが哂っている。うぐぐ。
くっそぅ、この館の女人(にょにん)は曲者ぞろいか。

「いやまあ。あっちも素といえばそうなんだけども」
「詭弁はいいわよ。私が、普通のあなたを見たいだけだもの」
「おっそろしく我侭なお嬢様だ」
「あら、由緒正しき貴族として当然ですわ」
「さいでございまするか」
「するかって何よ」
「貴族語さ」
「日本語って素敵だわ」
「ときにレミリア。ああいう俺は楽しめなかったかね」
「そうでもないけれど、今のあなたのほうが面白そうだもの」
「……そりゃどーも」
「臥待はそれが口癖?」
「あー? 意識したことはなかったが」
「口癖ってね、二の句が告げなくなった時に反射的に出てしまうものなの。色んなものを誤魔化すために使われる場合も多いわ。あなたの場合は、そう……照れ隠しかしら? 可愛いわね」
「そりゃど……ああいや」
「可愛いわ」
「ぐぅ」

ボロ以前に、フルボッコだった。ぐぅの音は出たが。
さすがはお貴族様。鳴く子と地頭には勝てないというが、彼女の場合はその両方を兼ね備えている。
あれ。え、ちょっ、ちょっと待て。俺、勝てる要素ないのか?
くっそぅ、理不尽だ。

「さて、そろそろ本題に入りましょうか」
「食事のあとは心のメインディッシュ? まったく、人を食った話だ」
「この場合、妖怪を食ったのほうがいいのかしらね?」
「悪食で大喰らいなんでねぇ」
「あまり見境無く食べるとお腹壊されるわよ?」
「壊すじゃないのか?」
「直接的な意味で」
「そりゃあ怖い、善処しよう。で、本題ってのは俺の腹具合の事なわけないよな」

本題ね。つまるところ宣戦布告か。あなたの心臓いただきます、ってね。
この手の遊びは嫌いじゃない。
レミリアの視線が、すっと温度を下げる。俺もそれに呼応するように、臨戦態勢へと。
無論、悟られるようなヘマはしない。威圧を受け流す表面はいつもの通り。陽気で少し気の抜けた三枚目。
完全に出来たかどうかはわからないが構うものか。遊びといえば、即ち全身全霊の真剣勝負なのだ。
俺も、負けるつもりは更々無い。

「そ。いくつか質問に答えて頂戴」
「あー、内容次第だな」
「手堅いわ、臥待。では質問その一。この館はどう?」
「赤ばっかりで目に優しくないね」
「食事は美味しかった?」
「二度目ー」
「森でのことは覚えている?」
「……」
「あなたは人間?」
「両親共に」
「ご両親はどんな人?」
「……」
「ここの料理はどうだった?」
「三度目ー」
「自分の能力に気付けている?」
「……」
「咲夜をどう思った?」
「美人さんだよ」
「私は?」
「欲を言えば、10年後に会いたかったね」
「料理、掃除、世話、戦闘。得意なのはどれ?」
「どれもそれなりに。まぁ、強いて言えば世話かね。人と話すのは面白い」
「森でのことは覚えている?」
「……」
「住む場所は?」
「大地を枕に、空を布団に、さ」
「ご両親はどんな人?」
「……」
「森でのことを覚えている?」
「……」
「自分の力に気付けているのかしら?」
「……」
「―――。ふふ。私のこと、どう思った?」
「……っ、未来の美人さんだねぇ」

……ち。見切られたな。
無様、観測者が観測されるとは。

「あら……?」

ん……?
妙だ。勝敗は明らかだというのに、レミリアは軽く目を見開いた。
例えるなら、必殺の一撃を回避された狩人のように。
現に。最後に浮かべたのは勝利を確信した微笑ではなかったのか。

「ふふ。やっぱりあなた、面白いわね」
「そりゃど……そうかい。いくつかどころか数えるのも億劫なくらいに質問されたら、そりゃあ面白くもなるだろうよ」
「可愛いわね。面白くて可愛い。可愛い可愛い」
「連呼すんなっ!」
「いいじゃない、普段は言われる側なのよ」

あなたも楽しかったでしょう? 年相応の無邪気な視線でそう聞いてくるレミリアに、いやまあ。と断固たる姿勢で臨む。曖昧じゃないのかって? いやいや。
曖昧であることを徹底すれば、それは一つの境界線となる。何事もそうだ。高次の精神を持つ者もその例に漏れず、常に曖昧ならば、それが受け入れられ、やがて確固たる自分へと成り立っていく。そして、確固たる曖昧を特殊な能力として得た者はどうなるか。そう、境界を操る神のような存在になるのだ。
もし仮に、あらゆる境界線を司る者がいるとするならば、そいつは神だ。境界線が無ければ世の中は全て、原始のカオスへと戻ってしまう。
成り立ちからして、きっとソイツはとても曖昧な存在になるだろう。性格も、能力も、在り方さえも曖昧に。
そこまで考えて出た感想は、うっさんくせえなぁという、非常にわかりやすいものだった。
曖昧として断固とした、確固で蒙昧な己。ま、つまるところ。神ならぬ我が身には理解の及ばぬ境界線ってことなんだろう。
だよなあ。理解できちまったら俺が神様になっちまうもん。そりゃ絶対勘弁なので、これは幸せなことだ。うん、今日も俺は元気です、ってか。

……にしても疲れたな。妄想に似た空想で気疲れを癒そうとも効果なし。
延々と続いた質問攻めに、さすがの俺も疲労困憊。誰でもそうなる。俺もそうなる。
普通に話す程度ならいいんだが、これはレミリアと俺の真剣勝負。仕掛けたのもレミリアならば、勝ったのも彼女だった。
というか、そうせざるを得ない状況を作った。そう、元々俺の勝ち目は薄かった。それこそ、全と零の境界線のように薄黎だ。
必殺の攻撃(口撃、か?)がそのまま布石になるとは、やはりこの館の住人は曲者揃いのようだ。

「決めたわ」

俺が空想に耽っていた間、ずっと黙考していたレミリアだったが、やがて微笑を浮かべて口を開く。
楽しくて仕様が無いという感情を込めて、いや溢れさせながら、レミリアは口を開く。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。俺はもうぐったりんこですぜお嬢さま。なので、どっちもご勘弁願いたい。

「あなた、しばらくこの屋敷で働きなさい」
「は?」

なんと。想定外の答えが出た。例えるなら蝙蝠か。
ああ、蝙蝠も曖昧だよなあ。鳥なのか動物なのか。いやいや、そんなことじゃないだろ、問題は。
ぐったりんこなんですぜ、俺は。

「あー、えっと?」
「部屋は東館の一階でいいかしら。咲夜、壁紙と調度品を取り替えて頂戴。白と蒼がいいわ」
「心得ましたわ」
「仕事は私の身の回りの世話ね。主に公務のほうに回ってもらうことになると思うわ。本当の身の回りの世話は、咲夜がいるもの」
「待て待て」
「それと、しばらくは咲夜について仕事を覚えなさい。そうね、執事ということにしようかしら。悪魔の執事、完全で豪奢な執事。なかなかいいわね」
「おーい」
「あとは……そうね、衣食住はこちらで面倒を見るわ。申請があれば有休も認めてもいい。まぁ、基本的にはゼロだけれど」
「ゼロなのはどっちだ。休みか、俸給か?」
「両方よ」
「そりゃ無給っていうんだぜ」
「むきゅー? あら、パチェの口癖だわ」
「誰だよ」

無給か。うーむ、まぁ食に困ることはないようだし、風雨も凌げるのはありがたいが。
問題の給金のことで話し合っても、これ以上の譲歩はないだろう。いや、そもそも金をもらっても使い道がない。
紅さえ目を瞑れば(二つの意味でな)、ここはあながち悪い環境じゃない。さすがに部下や同僚を襲うような阿呆はいないだろう。
……はて、無給って働いてることになるのか?

はい、現実逃避終わり。
ゴガッ。食堂に振動を伴う音が響き渡る。
デーブルに打ち付けた額を赤くしながらレミリアを見ると、さすがに驚いたのだろう。目をまあるくして、口を噤んだ。

「ど、どうしたの?」
「どうしたもこうしたも。俺さぁ、全然状況がわからないんだけれど」
「詭弁はいいわと、言わなかったかしら?」
「いやまあ。それにしたって唐突だろうよ。第一、どうして俺なんだ」
「あなたに興味がある。それだけよ。私も、咲夜もね」
「お嬢様……」

僅かに、困ったように眉を寄せる咲夜さん。
表面をいくら繕っても、その仄かに紅くなった頬が全てを裏切っている。
かっわいー。ギャップのある女性って素敵だよな。クール&デレデレ。……そういう事にしておけば波風は立たない。
悪いね、咲夜さん。その頬の赤が殺人衝動に駆られた結果だとか、視線に込められた確かな排除の意思とかには気付かないよ。

「光栄だ。で、その話断るとどうなるんだ?」
「私はどうもしないわ」
「神に誓って?」
「いえ、私に誓って」
「なるほど、それなら信じられる」
「まぁ、あなたはここから出て行くでしょうね。あなたならどこでも上手くやれそうではあるけれど、絶対的な力には敵わない。あなたなら心は最後まで足掻くでしょうけど、その脆弱な人間の肉体まではそうはいかない。あなたならその力で生き延びられるかもしれないけれど、所詮歪みは自然に正されるわ」
「随分と買い被ってくれる。その調子で、逃げるくらいは出来るだろう、程度にはならないかね」
「ふふ、どうかしら? 世界の修正力は強いわよ。……ともかく、この郷では人間は妖怪に食べられるものなのよ。今のあなたでは、それらの脅威から逃げることも、ましてや退治することなんて出来ないわ。そう、あの森の二の舞になるだけよ。いえ、あるいは……人間側からも追われるかもね。人でありながら、妖怪を『喰った』あなたはこの郷の歪み。特異点なのよ」
「初耳だね」
「それに……気付いているんでしょう? あなたは私のお願いに逆らえない。その心が、命の恩人に逆らうことを許さない。ふふ、強すぎて折れる事を知らない心というのも、時として不便なものね」
「……」
「異論はあるかしら? なければこのままチェックよ」

やれやれ。この調子では考えさせてくれ、というのも無理か。
第一、強い心というならレミリアもそうだろう。強引だし。
聞いてみたら、私は人におもねる必要も無いもの。なぜなら、強いのは心だけではなく全てだわ、なんて答えが返ってきた。
なんという。
ま、敗者は勝者の言うことを素直に聞くべきだな。


「王手飛車取り、打つ手なし。やれやれ、やっぱり俺の負けか。一つだけ条件があるのだけれど、いいかな?」


その一言の後は早かった。いや、速かった、か。
レミリアは俺の条件を飲んだ後、お得意の我侭を発揮。咲夜さんに部屋までの案内その他諸々の準備を整えさせる。
そしておやすみなさい、なんて一声かけてどこかへ行ってしまった。多分自室に戻ったんだろう。
そして残された咲夜さんはお部屋へお連れしますとだけ言い、俺の肩にそっと手を……訂正。俺の肩を思いっきり掴んだ。

イタイイタイ。鎖骨が、鎖骨が!外れ、いや折れる! 鎖骨は折れると治りにくいんだぞ! ああでも、何この感覚……っ!

悶える俺。嗜虐的な笑みを浮かべる咲夜さん。うふふ、わーい。そんな不敵で素敵な微笑み、初めて見ましたよ。可愛いねっ!
感動で眩暈を覚えずにいられない。意識が遠のく。ぅぐあ。
で。危うくおかしな世界に目覚めそうになった俺が気がつくと、風景は一変していた。金と灯火の食堂から、紅一色の廊下へ。
危ねえ。智恵を持った生物としての矜持とか、俺が20年かけて積み上げた常識とか、俺のチャームポイントとかが砕けそうだった。

「鎖骨は人生で最も大切なんだぞ! あれほど手荒に扱うなと言ったのに!」
「……」
「なんでやねーん。もっといっぱいあるだろ、大切なもの」

冷たい視線で俺を睨み付ける咲夜さん。
ツッコミが欲しかったので自分で入れてみた。生きてるってなんなんだろうね。
……オーケー、受け入れよう。もう逸らせない。
咲夜さんは、視線に嫌悪と憎悪と、ほんの僅かの畏怖を覗かせながら、俺を睨みつけていた。その視線は、血の通わない鋼鉄のナイフに似る。
相手を殺す。それだけの目的の為に磨ぎ上げられた、鋭利なナイフに。
一変したのは景色だけではなく、彼女の態度も。おそらく、これが素なんだろう。主人と客人の手前押さえつけられていた感情は、俺が客人というカテゴリーから外れる事でその本性を現した。


「化け物。私はあなたを認めないわ」







―――。






それだけ言うと、彼女は姿を消した。
なるほど、色々と唐突なのもこの能力故か。空間制御、便利なことだね。
……心の中で皮肉るのが、精一杯だった。

疲れきった体を引きずって、ベッドへとダイヴする。覚醒と睡眠の狭間で揺れながら、俺は今日の出来事を反芻した。
いつか旅に出るまでの羽休めとしてなら、という俺の条件。俺は旅人だ。一つの箇所に長く留まることなんて出来やしない。
だが。だが、荒野を行く渡り鳥でさえ、草木を求めて乾いた大陸を移動する動物でさえ、楽園を求める人間でさえ。
時には羽を休めることが必要になる。俺は、それにここを選んだ。そう、この俺にしてみれば、非常に珍しいことに。
レミリアも、それをわかっていたからこの話を持ち出したんだろう。見抜かれている、か。まぁ、頭を垂れる相手としては悪くない。俺も完敗だったし。

にしても……はぁ、疲れた。たった数時間の会話でこのザマだ。
これからここで働くなら、あの口撃にも慣れないとな。
レミリアは言うまでもないが、これはまだいい。俺も楽しめる。最後に痛い目を見るにしても、それまでの過程が楽しめればいいのだ。
だが、咲夜さん。俺の上司になるであろうその人は違う。触れることも許さぬ、言葉のナイフ。全てを断ち切らんと、ギラギラ輝く銀のナイフだ。
ああ、まったく。主従揃ってやってくれる。特にトドメの一撃がキツかった。

化け物、か。
否定は、
出来ないか。

暗くなる思考を切り替えることも出来ずに、俺の意識は泥沼のように沈んでいく。

(明日からは、いつもより楽しくなりそうだな)

そんな期待と不安を感じながら、極上の羽毛布団に抱かれて意識を手放した。








この羽休めが、以後何年にも渡って続くことになるとは、この時の俺には予想もできなかった。
だが、それを語るのは今の俺には許されない。だから、別の機会の別の人に任せておくとしよう。
まぁ、この屋敷には百年物の知識人や、五百年物の吸血鬼(×2)もいるんだ。その手の語り手には事欠かない。
きっと、俺たちの昔語りは続いていくから。




















こうして、紅魔館に新しい住人が出来た。
私はこの時のことをよく覚えている。たった十年共に過ごした相手を覚えているのは、五百年を生きる私にしてみれば珍しいことだ。
おそらく、それだけ印象的だったということだろう。私の中で、十六夜咲夜やパチュリー・ノーレッジとの出会いと同じ順位にあるということだ。
私の運命操作を跳ね除けた人間のことを、どうして私が忘れるというのだろう。
死すべき運命すらも狂わせた、蒼い海から来た天敵のことを、どうして。

ここで、私の語りは一度幕を閉じる。
運命に操られるのもこれで終わり。なかなか興が乗ったけれど、これより先のそれは、まだ見えない。
彼が入れてくれた紅茶を飲む。ふと、白光が夜空を過ぎり、かすかな振動が騒音と一緒にやってくる。
どうやら、またあのモノクロ魔法使いが暴れているようだ。はて、パチェのところに泊まっていたと思ったのだけれど、何かあったのかしら。
まったく。そろそろお仕置きが必要かしらね。身の程を知らすいい機会があればいいのだけれど。

紅魔館も、賑やかになりましたね。ふと彼が呟いた声が聞こえて、私は思わず噴出してしまった。
ああ、そうね。まったく持ってその通りだわ。
彼の運命と私の運命。あの時の邂逅で狂ったのは果たしてどちらなのか。その答えを得た故に。



クスクスと微笑み続ける私を、臥待の笑顔と待宵の月が優しく照らしていた。

一応の完結となりますが、扱い的にはプロローグ終了です。
これから先の彼らの日常は、一話読みきりの短編的な扱いで書いていくと思います。
ですが、この話はこの話で独立して楽しめる形式にしてみました。どうでしょうか?

何度か方向転換した挙句、上記の形に固まりました。これからも機会がありましたら、よろしくお願いします。






*SYSTEM* ステータス情報が更新されました。

Name:レミリア・スカーレット
Age:465歳
Class:紅魔館の主人。吸血鬼。
Ability:運命を操る程度の能力
Character:幻想郷には来たばかりだが、その能力は強力の一言。紅魔館の維持のための人手探し(という名目の散歩)の最中で臥待と出会い、その特異な在り方と能力に興味を持つ。
彼を手元に置くことで他勢力からの脅威を二重の意味で削減した。そう、何も敵は滅ぼすだけの存在ではないのだ。掃除に洗濯、公務に戦闘と色々役に立つのなら、尚更殺してしまうなんて勿体無いことは出来ない。取り込んで味方にすることが一番の上策だ。
たとえその相手が、虚と真を見分け、運命を狂わせる程度の能力を持つ自分の天敵だったとしても。
IKUTOSE
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コメント



0.120簡易評価
2.-30名前が無い程度の能力削除
色々と設定がおかしくないですか…
せめてもうちょっと、テンプレから外れたオリキャラが見たいです
4.50名前が無い程度の能力削除
レミリアの年齢が465歳ということは、30年前の話ってことなのかな?
でもそれなら、咲夜がいるのはちょっとおかしいし…ううむ。
まだ色々謎がありそうですが、個人的に会話文が気に入った+続き物なのでこの点数で。続編、楽しみにしています
5.無評価IKUTOSE削除
こちらで返信を。

>三文字様
不遜であるかもしれませんが、なるべく性格的に原作にいてもおかしくないだろうなー的なキャラを意識してみました。自然と感じてくれたならよかった。

>名前がない程度の能力様
次に期待します、というあなたの点数、確かに受け取りました。

>名前がない程度の能力様
30年前の話だとか、なぜ咲夜が、とか そうやって考えてくれるのも、読む楽しさだと思うので、説明はわざと不明瞭にしてあります。
臥待は自分の力に気付けているのか、森で何があったのか、『喰った』とはどういう意味か。レミリアと咲夜の関係は?

次回以降にちょっとずつ明かされて行くと思います。お楽しみにっ!
7.60三文字削除
う~ん、色々引っかかるところはあるけど面白いかったです。
一番引っかかったのは咲夜さんの化物発言。
魑魅魍魎が跋扈する幻想郷、咲夜さん自身も普通の人間とは言い難い人物。
そんな中で化物というのは何か違うかなぁと思いました。
まあ、いきなり主に気にいられた臥待対する嫉妬も含まれているというのは分りますが、それでも何か違和感が・・・・・・

では、次回を楽しみにしています。