※注意 身体欠損、同性愛的な描写などが含まれています。作者の痛々しい愛が篭っておりますので、苦手な方は退
避願います。
――例え自由を殺そうと、私は貴女さえいてくれれば、幸せだわ。魔理沙。
この世には様々な人生を背負って生きる人々がいて、誰一人として同じヒトは存在しない。あえて幾つかの括りを作
ってしまうのならば、幸福な者の人生とは一様にして似通った性質を持っているだろう。
幸せ。殊、幸福度に関しては言うまでも無く皆それぞれではあるが、社会一般的に幸せな人間とは、お金があり、家
族があり、生きて行く事に困らず、明日があり、希望が見える人間を言うだろう。
霧雨魔理沙はその観点からは外れるものの、個人的には幸せであった。生活には困らないし、家族は無くとも友人は
おり、生きて行く事に不平不満はあれど、明日があり、夢があった。このような人種は外の世界にも沢山おり、自己の
幸せこそ至上とする輩となんら変わりはない。社会的に観れば歯車が噛み合っていない為、あまり推奨出来る行き方と
は言えないが、幻想郷はそのようなコミュニティーに加わる事なく生きて行ける環境がある。つまり、霧雨魔理沙は根
っからの自由人であった。
そんな自由人からすると、その自由を破壊する者、阻害する事象こそが最大の敵である事は間違いない。どこの世界
においても、ナニモノからも解き放たれた生き様とは、簡単に実現しえるモノではないのだ。
人間とはミスをする。大きなミスから小さなミス。ハインリッヒの法則では無いが、何か大きな事件があれば、その
後ろに無数の損害が生じる事も少なくない。霧雨魔理沙が恐れるモノは、この大きな事件と無数の不確定要素の取りこ
ぼし。収拾しきれなくなる、もしくは自分の手に負えなくなるような事象に発展するような物事。
それを避ける為に、大胆不敵、神出鬼没、蒐集癖を存分に発揮して強盗まで働く秩序破壊者霧雨魔理沙も、一応は考
えて行動している。
何度か試して、問題がなさそうならば続行。必ず歪が来ると思えば断念。
例えば大図書館などはそれだ。紅魔館には紅魔館の秩序があり、これに正面から立ち向かう事で法則を作り上げてい
る。正門からの突撃、美鈴と殴り合い、運が良ければそのまま図書館へ、駄目なら咲夜と交戦。たどり着いた図書館で
本を漁る。たまに機嫌が悪かったり、体調が良かったりするパチュリーが反撃に講じる事もあるだろうが、これも一応
霧雨魔理沙の法則内の出来事なので問題ではないし、紅魔館内の事は全て紅魔館内で処理されるので、大事にはなりえ
ない。
例えば香霖堂。店主は知人であり、兄と言っても差し支えの無い人物である。なんだかんだと愚痴は漏らすが、霧雨
魔理沙を悪くは思っていないし、半ば諦めても居るので何かしら大それたものに発展する事はない。博麗霊夢辺りが仲
良くしているのを観ると、むず痒くなる気持ちはあるが、ここで踏み外すと博麗霊夢と交戦フラグが立つ為触らない。
ライバルとして弾幕合戦をやっても構わないのだが、それ以外を賭して戦うと泥沼が見える。幻想郷にしては人間率の
高い場所の一つであるし、人里に近づきたくない分大事な場所なので、ここは魔理沙自ら自重している。
例えば博麗神社。ここは奪うものもなければ、問題を起して好転するような場所ではないので、素直にお茶を啜る為
の休憩所のような所だ。博麗霊夢は旧知の間柄であるし、ライバルではあるが、嫌われたくは無い。珍しく人間の友人
であるし、幻想郷の異変を真っ先に知るには、ここが一番適している。博麗霊夢自身は危機感に欠けているが、他の者
が頼って現れたり、妖怪が持ちかけたりするので、自分が安請け合いさえしておけば博麗霊夢が勝手に動く。大異変と
もなれば、自分に厄災が降り注がないとも限らないが、自己責任にされる事もまず無い。あわよくば博麗霊夢の収益に
もありつけるので、ここほど都合が良い場所も無いのだ。
そして――例えばアリス邸。同じ蒐集家として、魔法使いとしてのライバルであるアリスマーガトロイドだが、ネチ
ネチと嫌味は言うものの、客として訪れればちゃんと出迎えもするし、一戦交える事もない。不思議な誤解でイガミあ
ったりはするものの、想定の範囲内であるし、アリスマーガトロイドが本気を出さない事も熟知している。意外と付き
合い易い部類の人種であるので、霧雨魔理沙も嫌ではなかった。それに、自分では見た事もないような蒐集品がたまに
あったりするので、利益は大きい。時折視線が熱っぽいのを気のせいとさえしておけば、何ら問題ない場所だ。
霧雨魔理沙の行動原理は実に簡単で、多少リスクはあれど、自分が好きにやれるような環境が手に入りさえすれば良
い、と云うものだ。ここで発生させてはならないのは、自己責任。確実に自分が問題を問われる事件だけには、絶対に
関わらない。強盗などやっているのだから矛盾しているのではないか、とは思われるが、上記の如く法則に則ってさえ
いれば問題ないのだ。(殊紅魔館は、侵入者であるが同時に客であるし)そもそも完璧な自由などこの世に存在はしな
いし、それだけ自由にしたかったら原始人にでもなるしかない。幻想郷を全体的に展望して、自分が生きて行けるスキ
マを探して、縫うように「自己の自由」を手に入れるのが、霧雨魔理沙である。
自由を手に入れるには、問題を起してはならない。トラブルメーカーと称される事多々あるが、彼女が関わった事で
他人丸ごと巻き込んだ出来事など……無いとは言えないが、まず起こっていない。
――そう、起す気は無かったし、今後も起こらないよう、気をつけて自由を謳歌する筈であったのだ。
「畜生……なんでこんな事に」
ある程度の法則に則ってさえいれば、大きな問題など、起こる筈もなかったのに。残念ながら、人間はミスをするの
だ。どれだけ慎重になろうと、厄災は勝手にやってきて、勝手に人の人生を荒らして行く。幸福な人間から幸福を奪い、
自由な人間から自由を奪う。
どれだけ善行を積んで来た賢者とて、免れざる神の悪戯はあるのだ。それに、霧雨魔理沙の場合、善行など元から無
いし、ある意味因果応報だったのかも知れない。
だが――と、魔理沙は思う。
だが、些かこれは、酷すぎる。いつも通りの流れで、いつも通り接して、口喧嘩になって、驚かせてやろうと、少し
力んだだけだったのに。
「アリス……おい、アリス……?」
アリスはぐったりとしたまま、ぴくりとも動かない。床に倒れたその様は、糸の切れた人形そのものだった。肩をつ
かみ、揺さぶってみるも、反応は無かった。気が動転して、どうすれば良いのか正しい判断を下せない。心臓がバクバ
クと脈打ち、冷や汗が流れ出る。それを腕で拭って、頬を引っ叩いてから改めてアリスを見る。
まず呼吸。かすかだが、息はあった。妖怪だ、そう簡単に死ぬ筈はない……が、不死ではない。種族魔法使いとて、
大きな衝撃を受ければコロンと逝く事もある。息があるならまだ大丈夫として、魔理沙は次の現実に目を向ける。
「……くそ」
右腕が無い。肩口から丸ごと吹き飛んで、腕自体は数メートル離れた硝子棚の前に落ちている。生唾を飲み込み、ま
たどうすべきか考える。純粋な妖怪ならば、これくらい三日でどうにかなるものだろう。だが体があまり強くは出来て
いないのが魔女だ。故に魔法で補うのだが……これは、再生可能な範囲なのだろうかと、魔理沙は焦る。
布団のシーツを引き千切ってアリスに巻きつけ、素人医学を駆使して止血に走るが、血は止め処なく漏れ出し、真っ
白なシーツを赤く染めて行く。こんな事になってしまった場合、頼れる者はと頭を巡らせて、すぐさま思いついたのが、
八意永琳だ。
あまり親しい間柄ではないし、魔理沙の基本法則から大分外れる行ないになるが……今は非常時だ。魔理沙は半分炭
化している腕を拾い上げ鞄に仕舞うと、アリスを背負って箒に飛び乗る。普段から天才天才と触れ回っているのだから、
腕ぐらいくっつけてくれる筈……そんな虚しい一縷の希望を従えて、魔理沙は夜空へと舞い上がる。
どう考えても無理だろう。何せ腕は炭化しているのだ。いや、それでも何とかなるさ。何せ不老不死の人間を生み出
す力さえあるんだから、出来なきゃ詐欺だ。
そんな自問自答を繰り返し、自分を納得させる。背中では息絶え絶えのアリスが、小さな呼吸で自分に圧し掛かって
いた。こんな、こんな事ってあるものか。自分はちょっとからかおうとしただけなのに、友人の好で、友好を表す意味
も込めて、ジャレただけなのに。何故かアリスは死にかけていた。そうそう簡単に受け止められるものではない。殺す
と明確な殺意を抱いた行為だったならば納得もするだろうが、自分は遊んだだけだったのに。
しかし現実は魔理沙の甘い考えなどお構いなし。自分の背中に、生暖かい液体が染みてくる。
もしこれが、他の誰かがやったとしたら、魔理沙はソレを許さないだろう。不慮の事故にしては非道すぎる。行き過
ぎた行いだ。犯人が居るなら、この手で同じ目にあわせてやるのだが、残念ながら犯人は自分だ。人形師の腕をもぎ取
ってしまったとはつまり――もしアリスが生きられたとしても、人生を殺害したのと同等だろう。
人形師なのであるから、義手も出来よう。神経回路と魔術回路を編み込んだ、人の腕に近い、高等な義手が出来るに
違いないだろうが……やはり、生身の腕を越える事はまずない。生物の作りしモノは、生物を越えたりはしないのだか
ら。一極的に生物を越えていようと、それは融通が聞かず、必ず不自由が出る。殊人間と云う生物を超えようと思った
ら、人間を遥かに越えた者がソレを作らねばならない。
でも、なんとか、なんとか腕さえつけば……。元から自分の物であるそれは、試練を乗り越えてまた必ず自分の思う
通りに動く筈だ。
「ああもう、永遠亭はどこだよ……何で見つからないんだっ!!!」
アリス邸を出てから十数分。竹林にたどり着いたは良いものの、なかなか目的地が見当たらない。この際、見渡しを
良くする為マスタースパークで竹を全て薙ぎ払ってしまおうかとも考えるが、思い止まる。そんな事をして、更に事態
を悪化させては、魔理沙の戻るべき場所がなくなってしまう。ただ、それほど切羽詰っていた。
「あ、あった!!!」
竹林の隙間から望む、ほの明るい蝋燭の明かり。捉えた瞬間超加速で竹林を突っ切ろうとするが、兎の迎撃部隊に捕
捉されてしまう。小癪な弾幕を、霊夢戦でも見せないような捌き方で突破し、永遠亭を目の前に捉えるが……通信系統
がしっかりしているらしい永遠亭正面には、既に鈴仙優曇華院イナバが控えていた。
「待ちなさい魔女っ!! 永遠亭に何の用なの!?」
「大馬鹿女郎!! 邪魔だから、どけ!!」
八卦炉を構え、思い切り力む。それに応じて鈴仙も防御姿勢に入ったが……そこから何も放たれる事はなかった。
「くっ……観て解らないか、頼むっ」
「……む」
鈴仙の正面で停止し、後ろに背負うアリスを見せつけると、鈴仙はより一層警戒を強めた。しかし、それは魔理沙に
対してではなく、アリスの状況を見て、その後ろで何が起こっているのか、という疑念からだった。
「解った、師匠は一番奥、急いで」
「ああ、あと大丈夫だ、何もない、ただの事故……だから、そう警戒するなっ」
「……そう」
かつて戦場で腕の無い仲間や足の無い敵など飽きるほど見てきたが、やはりそういった記憶が呼び覚まされるのだろ
う。鈴仙は溜息を吐いて、二人を見送る。
薄暗い永遠亭を歩くでもなく宙を飛び、鈴仙に言われた通りの場所を目指す。兎達は何事かと目を丸くしていたが、
魔理沙はそんなものを構っていられない。
長い廊下の突き当たり。魔理沙は、そこ目掛けて加速し、目標に到達後襖を蹴散らして中へと侵入した。
「……騒々しいわね」
「永琳!! あ、アリスがっ」
「見たら解るわよ。腕は」
「こ、これだけど」
丁度一服していたらしい永琳は、お茶を一啜りしてから応対する。魔理沙に寄越された腕を見て眉を顰め、どうする
べきかと数秒悩んだかと思うと、部屋の衝立の奥へと誘導された。
「とりあえず経緯なんかは後で聞くわ。イナバ、鈴仙とてゐを呼んで来て。人手が足らない」
「だ、大丈夫なのか? どうにかなるのか? なぁ、永琳っ」
「外科は専門外だけど……まぁ、そこらの医者より腕はいいわ。この腕がどうにか出来るかは、解らないけれど、少
なくとも命の保障はする。だから、貴女は少し冷静になって、大人しくしていて頂戴。イナバ、お茶も出してあげて」
「あ、あぁ――」
永琳はアリスと腕を見比べてから苦い顔を浮かべ、イナバ達にテキパキと指示を飛ばす。まだ口もきけそうにないイ
ナバに手を引かれた魔理沙は、項垂れたままそれに従った。
一度だけ振り返り、治療台に横たわるアリスの顔を望む。その表情は無機質で、まるで彼女自身が人形になってしま
ったかのように思えた。きっと、まだ人形なら良かっただろう。縫合すれば直ぐ腕はくっつくのだから。それが駄目な
らパーツを取り替えれば良い。しかし、生物の腕はそうそう替えがきくものでもない。
指定された部屋にポツンと取り残された魔理沙は、己の愚かさに涙する。友人として、ただ戯れただけなのに。何時
もはあれだけ弾幕を張ってじゃれあって、ボロボロになっても次の日はピンピンしていた癖に……今日に限って、何て
事になってしまったのか――。
募る罪悪感が霧雨魔理沙を支配する。心に薄暗い影を落とし、まるで別人のようだった。漏れ出てくる涙を払いもせ
ず、元気の良い霧雨魔理沙をかなぐり捨てて、泣きはらす。
「なんてこったい……私は……なんて、馬鹿な……」
後悔は先に立たないが、後悔しないよう努めるのが自分であった筈だ。大事にならない様、物事を加減して生きる事
こそ自分の本懐であったのに、今はどうかといえば、もはやその面影もない。後悔が白いキャンバスを真っ黒に塗り潰
して、その先に光も見えない。
「私は、どうすればいいんだ……どう償えばいいんだ……」
他人の事などどうでも良い。その態度が上辺だけである事を、今魔理沙は如実に露呈していた。家を捨て、家族から
離れて生きる事を決意したのも、自分には仲間が出来ると信じていたからこそ。人間、一人でなど到底生きられるもの
ではない。自分は博麗霊夢ほど強くはないのだと、実感させられる。
あれは強い。何があろうと恐れもしないし、寂しがるなんてもっての他。人でありながら人に属さない部類と言って
も差し支えない存在だろう。だが、霧雨魔理沙は違う。彼女は人だ。どうあっても人のカテゴリーから抜け出せない、
職業魔法使いだ。そして心も、強くはない。だからこそ、仲間が出来るなんて希望を頼りにして外へ飛び出した。
その大切な友人の一人が、今、自分の所為で思わぬ被害を被ってしまった。いがみ合っていても、心地の良い奴だっ
た。深い干渉はしないし、家に行けば本と珍品とお茶がある。他愛無い話から、魔道の話、趣味のコアな部分まで会話
には出していたが、彼女は弁えていたし、難しい関わり方は避けていた。
それだけの友人は、見つけようと思って見つけられるものではない。その友人関係は、築こうと思って築けるもので
はない。そんな大事な存在を、自ら破壊するなど――
「ぐっ……ううっ……うあっ……」
一体、自分はあの時、何を間違えたのか。どうしてこうなってしまったのか。何故自分が、アリスが、こんな厄災に
巻き込まれなければならなかったのか――
まさか。全部自分の責任だ。
思わず逃避したくなる。今まで、あんなに幸せだったのに。アリスとの口喧嘩も趣味の内であったのに。
今後、アリスが助かったとしたら、自分はどんな目で見られるのだろうか。これが知れたら、周りからどんな言葉を
かけられるのか。どんな視線を刺されるのか。考えただけでもゾッとする。
……これだけを、避けたかった。霧雨魔理沙が一番避けたかったものが、顕現したのだ。
※※※
「アリス、慣れないだろ。んって背伸びしてくれ、んって」
「んっ」
「良し、脱げた。ブラも外すぜ」
「うん」
「おっけ」
「……ごめん」
「あ、謝らないでくれよ。私が悪いんだ。な、アリス」
「……」
服を脱がせ、アリスを生まれたままの姿にして、その白い肌を丁寧に拭って行く。白磁か何かの如く艶やかな色合い
は、魔理沙も羨ましくなるほどに綺麗だった。加えて手入れのされた金髪が良く栄えていて、目に麗しいが、ただ一点
が酷く悲しみを残りしている。
結局、あれから二週間が経ったが、腕はもう駄目だった。永琳は元の腕を媒体として何かしら手を打つとは言ってい
たが、それから音沙汰はない。腕を無くしてからのアリスと言えば……必要最低限の言葉を紡ぐだけで、それ以上語ろ
うとはしない。
生きていれば良い事もある、なんて楽天的な助言がしてやれないのが悔やまれた。何せ、やったのは自分自身である
のだから。
魔理沙はずっと、今に至っても考えていた。この罪をどう濯ぐべきか。永琳が当てになるとも思えず、本人も無気力。
義手があれば少しは生活が楽になるだろうとも考えたが、人形師本人がそれを行わないのではどうにもならない。人体
の構成を把握したアリスだからこそ、人形師でありながらそういった特異なモノまで作れるのだが……。
少なくとも、アリス以上の技師など、幻想郷にはいないだろう。
魔理沙は考える。この状況をどう打破するか――とは、思うのだが――やはり、責任は全て自らに存在する。なれば
やはり、自分がアリスの右腕となるしか、他にないのではないかという結論にしか行き着かない。
「アリス、痒いところとかは」
「ないわ」
「……」
「うっ」
「あ、わ、わるい……」
丁度右腕が……あった場所。包帯を外して肩口を拭いていると、アリスがうめき声をあげる。その悲痛な声を聞くた
びに、魔理沙は憂鬱になった。だが、これも己の所為とすれば、仕方が無いし、自分にはそれしかしてやる事が出来な
い。
「……私、人形師なのよ……人形遣いなの……」
「そう……だな」
「すごく、器用なのよ」
「そう、だな」
「人形を作って使役して、更に至上の目的を達成する事だけが夢だったわ」
「――」
「なのに……これじゃあ……」
「ごめん……」
「あ、う……魔理沙、魔理沙、ごめんなさい……魔理沙、私、そんなつもりじゃ……」
「い、いいんだ。私はお前に愚痴られる理由がある、勤めがある。幾らでも、私に文句を言ってくれて良い」
「でもあの時、私があんな事、言わなければ」
「やっちまったものは、仕方が無いから。時間は戻せないし。ほら、風邪引くから、パジャマ着て」
「――うん」
陰鬱な空気が流れる。元よりあまり活気のないアリス邸ではあるが、ここまでテンションが落ち込んだ事もないだろ
う。
あの時あんな事を言わなければ――
その慰めはあまり意味がない。魔理沙とて、そんなものはどうとも思っていなかったのだから。ただ戯れに、一番小
さい金平糖みたいな魔力結晶を投げてやった。一体どこで配合を間違えたのか……それは魔理沙が思っていた以上の爆
発力で……アリスの腕を吹き飛ばした。
事故、なのだろう。本来ならクラッカー程度の爆発であるのに。魔力抽出した物体がいけなかったのかも知れない。
それを作った当初、新しい物質から抽出した結晶を持っていたからだ。
同じモノを試してみたが、どれもクラッカー程度の爆発ではあったが。その一つだけが余計魔力が篭っていたのだろ
う。ただ、運が悪い方悪い方へと、流れた結果だ。
「今日は、何食べるかな。あんまり重たいのは止めるとして……オートミールかな」
「私、あれ苦手だわ」
「じゃ、おじや」
「うん」
どうやらアリスは部分的に身体を失った所為か(人外らしい極度な自然回復力の所為か)新陳代謝が激しく大分汗を
かく。日に何回か体を拭いてあげないと、汗疹が出来てしまうので、手間を惜しまず魔理沙がやっている。
人外の力とも言うべきなのか、驚く程回復はしているのだが、失った部分は生えてこない。
「……」
傷に効く薬草なども見繕って作られたおじやは、少しばかり緑ががかっていて見た目には美味しそうには見えないが、
アリスは文句の一つも言わず食べる。不慣れな左手でスプーンを使いながらだが、その辺りはやはり器用なアリスなの
だろう、あまり不慣れには見えない。
当然、喜ばしい事でもなんでもないが。
「アリス、おいしいか」
「えぇ」
「その……アリス」
「――なに?」
もう二週間もこうしている。今更、口にする事でもないのかも知れない。だが、これは自分としてのケジメだ。魔理
沙はレンゲをテーブルに置いて、アリスを正面に見据え改まる。
「何もかも、私の所為だ。お前の夢を奪ったのも、お前を不自由にしてしまったのも、全部。命はあげられないけれ
ど、せめて、お前の右腕になるくらいには、なってやりたいと思う。許してくれなんて言わない。幾らでも罵声を浴び
せられても構わない。これは私の責任だから。だから、せめて――」
命はあげられないとは言うが――霧雨魔理沙にとって、自由の死とは己の死だ。ナニモノにも縛られぬよう、上手く
すり抜けてきた自分勝手な人生を何もかもかなぐり捨てる事を意味する。
だが、これはもう仕方が無かった。ここに法はない。法は自分の責任を肩代わりしてくれたりはしないし、アリスを
護ってはくれない。まして相手は種族魔法使いだ。外の世界の一般常識など、ここにはない。
「魔理沙――それは、貴女がここにずっと居るって事? ずっと私の面倒を見るって事? 私は右腕がないだけで、
ある程度回復すれば、きっと人形だって動かせるようになるわ。永琳だって頑張ってくれるかも知れないし、それは、
早計で不用意な決意なのじゃないかしら」
「それじゃあ、私の罪悪感が拭えない。結局自分の事しか、考えていないんだ、私は」
「でも――嬉しくない訳じゃないわ。貴女は一応、私を考えてくれていたって事でも、あるのよね」
「そ、そりゃあ、そりゃあそうだ!! それだけは、間違いない、絶対に」
魔理沙が慌てて弁解する。当然、それが前提なのだ。
「……有難う、魔理沙」
「……」
……その言葉に、魔理沙をどう答えて良いか解らなかった。悲しくなるのだ。しかし、悲しくなるから止めろなどと
とても言えない。だからといって『ああ』と曖昧に答える訳にもいかない。
「……すまない」
結局、出て来た言葉はこれだけだった。それに、もう覚悟は決めた。
霧雨魔理沙は、今日よりアリスマーガトロイドを幸せにする為に、生きて行く。
人間 霧雨魔理沙の幸せ
詰る所、霧雨魔理沙とアリスマーガトロイドとは、元はどのような関係になったか。当然、ライバルとするのが一番
しっくりとは来るものの、更に友人としての関係を築くには、それだけでは些か要素が足りない。互いを認め合ってい
て、尚且つ話し合える仲とはつまりそれを、人は親友と言う。
言いたい事は遠慮なく言う。間違っていると思えば指摘するし、互いの持論の衝突に発展して、結局は弾幕で結果を
捻じ曲げようとはするけれど、互いに頑固で譲らす、平行線は辿るものの、次の日はケロっとして一緒にお茶を飲む仲
の二人。
魔理沙はアリスを馬鹿にしたように言い、アリスも魔理沙を馬鹿にして引かない。互いに馬鹿だと解って尚その関係
を無駄だと言い切らないこの二人は、ある意味奇跡に近かった。
何より、アリスは人間ではないし、位置付け的には魔理沙を一ランク下扱いしていても不思議ではないのだが、同等
と自覚し、プライドも保っている。それは魔理沙がただの人間ではない事も理由だった。
周りが霧雨魔理沙と云う人類を認めているからこそ、でもある。博麗霊夢に引けを取らない力を持った人間。それは
誰も否定出来ない事実だった。
自由人で強盗だが、憎めない。
パチュリーにチョッカイを出し、霊夢をからかい、小問題を残しては何処かへと飛んで行く渡り鳥のような魔理沙。
必要以上に外には出ず、人形を真っ向から見据えて己の研究に没頭するアリス。
表面的な接点のなかなか見当たらない二人だったが、実は根本はかなり、類似していた。
負けず嫌いであるし、蒐集癖はあるし、素直でもない。
そして何より、互いに一人ぼっちだった。
友達といえば聞こえは良いかもしれないが、それは大半が上辺だけであったり、単なる顔見知りであったり。心から
何か本音を言い合って弾で言葉で殴りあう相手はそうそう居ない。特に魔理沙は、親はいても近づこうとはしない。己
に頼って生きてきたのだ。
魔理沙は縛られる事を嫌い、アリスはモノを縛る事を生きがいとしていた。どこまでも似ていて似ていない、歪な二
人がこのような関係に発展したのは、本当に類稀であると言える。同族嫌悪以上に、互いを認める意識が強い関係など
―――
「魔理沙、魔理沙?」
「え、あ、な、なんだ?」
本に顔を向け、ただ読むでもなくそんな事を考えていた魔理沙は、突如の呼びかけに驚いて目をパチクリさせる。
「どうしたの。呆っとしてたわよ」
「な、なんでもない。何となく、色々考えていただけだぜ」
「――そっか。そういえば、霊夢達にもしばらくあってないっけ」
「う? あ、そ、そうだな。でも、逢いに行くのも、もう少し落ち着いてからの方がいいんじゃないか?」
「あら、でも、魔理沙を独占したら、幼馴染に悪いわ」
「女同士で何言ってんだ。それに、霊夢は一人でも寂しいなんて思わない奴だから」
「そうかしら。あの子、大分貴女の事、気にしていたと思うけれど」
「変なところみてるな」
「え、あ。いいえ、何となくそう考えただけ。兎も角、顔ぐらい出して来なさいよ。心配されるわよ」
「うーん……まぁ、もう三週間近く顔出してないしな……ちょっと行ってくるけど、大丈夫か?」
「上海を動かせる程度には回復したし、大丈夫よ、魔理沙」
「解った。何かあったら、直ぐ上海に伝言載せて飛ばせよ」
そこまでやり取りして、魔理沙は身支度を整えると外へと出た。春の陽射しが温かく、久しぶりの陽気に気持ちも軽
くなる。ココ最近春雨にあてられていて、ジメジメしていたのだが、今日はその面影も無くさっぱりとしている。
それに、買い物に行く以外では、久しぶりの外出だった。不定期の往診で永琳に逢う以外他人とも殆ど接していなか
ったのもある。責任感からの解放、といえば多少不謹慎ではあったが、魔理沙は生身の人間である。介護もし続ければ
ガタは来るし、逆に介護する人間が介護される側に回る事も昨今ではありえるものだ。
事件以来沈みがちだった魔理沙への配慮もあったのだろう。アリスは快く、その左腕を振って送り出してくれた。本
当は、当然辛いのはアリスの方だろう。一度腕でも折った者はそれなりに理解出来るであろうが、利き腕が利かない程
不便なものは、なかなか無い。何せ人生の重要な部分の殆どを請け負って来た部位だ。モノを書くにも、食べるにも、
洗うにも、拭くにも、掴むにも握るにも叩くにも数えるにも、痒い場所をかくにも、一般生活で使う殆どを補っている
のであるから、その違和感は尋常ではない。
まして、アリスは人形遣いだ。器用さが売りであるのに、腕を失う事はまさに人生の喪失と言っても過言ではない。
そんな中でも……人を気遣おうと思える者がどれだけ居るだろうか。
魔理沙は少しだけ目尻に涙を溜めて、空へと飛び立った。
「さて、久しぶりだし……何かお土産でも持っていくか」
博麗神社へ向かう手前の人里に降り立ち、和菓子を見繕って行く。甘いものに目が無いのは、どこの女の子も共通で
あると、なんとなく魔理沙は思った。かくいう自分も好きで、甘いものを食べられない事即ち人生の損だとまで考えて
いる。魔理沙にそのような事を断言されても、悲しむ者は少ないだろうが。
「霊夢」
「――あ、魔理沙……?」
「久しぶり」
「アンタ、随分顔みせてなかったわね、何してたのよ」
「お菓子持って来たんだ。話は、それでも突付きながらどうだろ」
「……珍しい。いいわ、あがって頂戴」
霊夢は少し驚いた表情で魔理沙を見てから、上がる様促す。
「はい、お茶」
「サンキュ。ああこれ、水羊羹」
「愚痴でも文句でも何でも言ってよ。大体聞くわ」
どうやらお気に召したらしく、現金な霊夢がぷるぷる云う物体を突付きながら笑う。魔理沙は、そんな彼女を見て、
何も変わらぬ事に安堵した。霊夢は霊夢。高々三週間顔を合わせていないからといって、人はそうそう変わる筈などな
いのだが、魔理沙は少しばかり心配していた。
もう、噂を耳にして、自分を蔑んでいるのではないか――そんな想いがあったからだ。
とはいえ、今から告白するのであるから、意味はないのかも知れないが。
「実はな」
「アリスの腕吹っ飛ばしたんですって? 阿呆な事したわねぇ」
――霊夢はその上を行っていた。
「お前、さっき何してたのよって」
「だから、その間何してたのよって事」
「そ、それ知ってるのは、お前だけか?」
「ここに来る奴大抵知ってるんじゃないかしら。犯人はどうしたって話はしたけど、堂々と顔出したからには、さほ
ど問題にはなってなさそうね。少し、安心したわ」
「む……霊夢は、私をどうおもうんだ?」
「貴女が故意にアリスを傷つけるとも、今一思えないし、事故か何かなんじゃないかって思ってたわ。弾幕ごっこの
規定にあるでしょ、不慮の事故は覚悟しておくことって」
「……弾幕ごっこじゃあないんだ。ついうっかり、威力の強い魔力結晶を使ってしまって」
「成る程。戯れで。事故ね。それで、貴女はどうしたの」
「ずっとアリスの看病してた。これからも、するつもり」
「ふぅん……」
ずずずっと、茶の啜る音が居間に響く。他にする音といえば、春風に踊る木のざわめき程度。そんな環境影響もあっ
てか、ここは時間が大分ゆっくり流れていた。
「これからって、どれくらい」
「一生」
「……はぁ? え、永久就職しちゃったわけ? 冗談でしょ?」
「本気。私は、アリスの命を奪ったも同然なんだ。ライバルだなんて張り合っていた時期も、自分で終らせちまった
し……人の夢を奪ったら、やっぱり自分も死ぬしかない」
「どんな比喩よ」
「お前が私をどこまで知っているか知らないけど……一応、自由に生きる事がポリシーだっただろう」
「貴女らしくもない……自分に縛りをつけた、と。それで責任を取った、と」
「……あぁ」
魔理沙はテンションこそ低いものの、嫌な顔はしなかった。自分にはそんな顔をする資格だってないのだ。諦めで少
しでも、自我に抑えが効くなら、それで良いと思った。
だが――霊夢は、それが引っかかるらしい。あからさまに嫌そうな顔をして、魔理沙から目線を外している。
「甘やかすわね」
「ちょ、ちょっと待てよ。悪いのは私なんだ」
「なんだかんだと、あの子だって妖怪よ。腕が一本ないくらいで、不自由になるものなのかしら」
「た、確かに一般人よか不自由じゃないかもしれんが、人形遣いには致命的だぜ」
「そうかしらね。本気で、あの子とずっと一緒に居ようと考えてるの?」
「そりゃあそうだ」
「それは責任感だけ? いいかしら。私みたいな小娘が言って良いかどうか知らないけれど、愛の無い他人と同居す
る程苦痛な事なんてないわよ」
「アリスは、有難うと言った」
「アイツの事じゃないわよ。貴女よ」
「む……う……」
「確かに、傍から見てても、仲良くしているように思えるけど、一緒に暮らしていくなんて無理があるわ。それにね、
あの子は魔女、貴女は人間。短い人生、何故魔女に一生を捧げなきゃいけないの?」
霊夢は呆れたと呟き、肩を上下させる。普段は使わない”魔女”という言葉に、妙な敵意があった。
「捨食の術さえ、手に入れられれば、そんな事は……」
「傍らで魔女の世話しながら? そんな簡単に手に入る術だったかしら」
「――ああもう、なんなんだ、霊夢。お前、一体何が言いたいんだよ」
「友人として、巫女として言ってるのよ。魔性は魔性だと。アンタ、ほんとに責任感だけなんでしょうね? 魅了の
魔法なんてかけられてないわよね?」
「私は、何もかけられていないし、途中で放棄なんて出来ない。私はアイツを殺したんだ」
「なんてわからずやなの……表でなさいよ。無理にでも止めるから」
「ああいいさっ!!!」
収まりつかない議論が、結局弾幕勝負にまで発展した。良く有る事、といえば良く有る事なのだが、今回はお互い大
分殺気立っている。幻想郷の一番人外に近い人間、しかも大異変解決までするような人間が本気で弾幕などやり始めた
日には、周囲のモノが消し炭にもなりかねない。
炎上するボルテージを抑えるつもりもないらしく、二人の周りには妖怪も裸足で逃げ出すような霊気と妖気が舞い上
がっていた。
「開幕から撃沈してやる、覚悟しろ霊夢っ」
「どーでも良いわよそんなの!! 私が勝ったらさっさと取り消して来なさい!!」
「私が勝ったら二度と関わるなよ、この無神経巫女がっ!! スターダスト、、、、、」
取り巻く空気がぐっと引き締まり、緊張感を生み出す。その様子を感じ取った霊夢が、飛んで来るであろう無数の星
をかわす為に構えるが――――――
「……くそっ」
それは、結局放たれる事はなかった。
「何してるのよ」
「う、五月蝿いな、今、スペルカード全開で……」
スペルカード宣言、直後星の濁流、の筈であったのだが……魔理沙は撃てない。
どうしても、どうしても撃てないのだ。自分よりも強い霊夢を目の前にしているとはいえ……どうしても、アリスの
腕が吹き飛ぶ映像がフラッシュバックする。
晴天の下で、魔理沙は頭を抱えた。弾が撃てない。弾幕が張れない。慌てるようにして八卦炉を取り出すも、マスタ
ースパークのマの字も出ない。
「まさか、魔力まで戒められているんじゃないでしょうね」
「ち、違うっ」
「操られている人間は、皆同じ事を言うわ。魔理沙、貴女はここで大人しくしてなさいよ。私、アリスを打つから」
「何で解らないんだ、なんで私の言葉を信じてくれない、霊夢っ!!」
「貴女、そのヤツレタ顔、鏡で見たこと、あるかしら」
「――えっ」
霊夢は、そう吐き捨てるようにして言うと、魔法の森目指して飛んで行く。一瞬自己を見失いそうに成る程の言霊だ
ったが、魔理沙はそんなものは妄言だとして、すぐさま追いかける。
やつれてなど居ない。自分は何も、疲れることなどしていないのだから。ただ、アリスと一緒に居るだけで疲れるの
であれば、きっと誰と一緒でもそうなる体質なのだと言い聞かせる。
だが……魔理沙は、ここ最近鏡を見た記憶がない事だけは、確かだった。
※※※
『ねぇ魔理沙……前々から思っていたのだけれど……貴女って、何か不思議よね』
『何言ってるんだ? 私は普通の魔法使いだぜ』
『そういう、外面とか、職業とか、繕っているものじゃあなくて、もっと観念的というか、感覚的というか』
『まぁ、アリスも十分不思議だとは思うけどな。人形しか友達いないし』
『あ、あのねぇ。貴女って、私の友達じゃあないの?』
『ライバルだぜ。お茶のみライバル』
『――ねぇ、魔理沙。なんだか、貴女って他人みたいな気がしなくって。私達って、似てるわよね?』
『類友って奴か? まぁまぁ、そうなのかな。私も誇るほど、友人は居ないし』
『そういうの、大切だと思うの。貴女の言動なんか、ちょっと頭に来る事もあるけど』
『そりゃお互い様だぜ。あ、そろそろ霊夢と待ち合わせがあるから』
『む……今日は暇なんじゃなかったの?』
『急に予定だって変わるだろ。妖怪と宴会なんて、ホント巫女は変人だぜ』
『仲良いのね。はいはい。いってらっしゃい――』
「……」
ベッドに横たわったまま、天井を見上げる。思い返せば、アリスを随分と邪険に扱ってきたなと、そんな大分前の記
憶を回想しながら、昨日霊夢に言い放った言葉を思い出して、酷い自己嫌悪に陥った。
『もう関わるな、人でなし!!!』
我ながら最悪だと、自分に苛立つ。もっと言葉はあっただろうに。魔理沙はまだ回復しきらないアリスの前に出て、
霊夢に立ちはだかり、そう言い放ったのだ。あの時の霊夢の目は、絶望と失望と倦怠感の入り混じったような、何とも
表現に窮するものであった。
慎重を心がけていた自分など、もうここには存在していないのかも知れない。言葉を選ぶ苦労すら、投げている。あ
れ程の友人を切り捨てたのだ。あれ程長い間付き合いのある人間を切り捨てたのだ。例え博麗霊夢が悪かろうと、魔理
沙が心労を背負い込むのも仕方が無かった。
「んぅ……」
隣で寝るアリスが魔理沙にまで寄る。意識はまだないらしい。しかし、その手はまるで自分を求めているように思え
て仕方が無かった。いや、求めてくれなければ困る。それで無ければ、何故自分があそこまでしたのか、その理由が無
くなってしまうから。
片腕を無くした人形遣い。生きながらにして命を失った魔法使い。そうしたのは、自分なのだ。
護らなければいけない。新しい誇りを手に入れなければいけない。かなぐり捨てたポリシーの穴埋めとしてしまわな
ければ、霧雨魔理沙は生きて行けない。例えそれがアリスに失礼であったとしても、相互依存は避けられない関係に、
今後なってしまう可能性も含めて考えれば、それも仕方が無い。
……それに何より実際の所、魔理沙はアリスが嫌いではないし、親友であると思っている。同性での恋愛感情なんて
ものは持ち合わせていないが、友人として愛しく思っていると言えば、それは本当だ。
兎に角考えるべきは、今後の関係と、そしてアリスのやる気を如何に起すかだ。
アリス程の技術と永琳の知識が有れば、人間顔負けの義手が完成しても可笑しくは無い。アリスはまだ自分の腕が恋
しいのか、その話を持ち出してはこない。ここは悩みどころだった。
「アリス、朝だぜ」
またまだ眠気があるのか、体温の高く柔らかい左手が魔理沙をぐっと掴む。
「アリスー、アリスお嬢様、朝ですわ」
「それだわ、魔理沙」
「うわ……何だよ急に」
そんな単語を聞いたアリスが、両の眼をがっしりと開けて覚醒する。両手がある事を錯覚した為だろうか、起き上が
ろうとしてバランスを崩すが、倒れかかった所を魔理沙がしっかりと抱える。酷く顔が近くになってしまって、冗談で
大きな声を出して笑かそうとした本人が、大赤面してしまった。
「おお、おんなどうしでも、かか、顔が近いと恥ずかしいわね」
「いや、全く。でも男同士だとどうなんだろう」
「そういえば、男同士で戯れにハグしたりはしないわよね」
「同性愛率って、男の方が高い筈なんだけどな」
「極端なのかしら」
「かもしれない」
意外と真面目な思考を巡らせていた魔理沙だったが、アリスの所為で全て吹っ飛んだ。何となく、それが頭に来たの
で、ここはもう少し巫山戯てみようと、更にアリスに顔を近づける。
「……」
「……巫山戯てやった自分で恥ずかしい」
「ならもう少し巫山戯てみようかしら」
「い、いや、それ以上は、私の範疇外。幾ら、なんでも、無理」
「ば、ばかねぇ。ほら、起きましょう」
自分より背の高いアリスに頭をくしゃくしゃとされて、魔理沙は余計恥ずかしかった。何となく、昔大図書館で戯れ
に読んだ同性愛小説のワンシーンを思い出して、もう筆舌にし難く後悔。思い切りベッドに自分を投げ打って悶絶した。
(くそ、パチュリーめ、なんであんな本持ってるんだ……もってきちゃったけど)
「今日は、私が作ってみようかしら。朝食。リハビリも兼ねて」
「なんだか昨日と打って変ってテンションが高いな。あ、おい。無理するな。私がやるから、お前は上海でリハビリ
してろ」
「今日は調子良いのよ。ホットケーキくらいなら自分でも作れるわ」
「無理は、するなよ」
「魔理沙は何時からそんなに心配性になったのかしら」
「むぅ……」
お前の所為だ、と云う言葉は飲み込んだ。不謹慎すぎる。しかしそれを言ったら、アリスもアリスであった。前より
も棘が無く、丸い印象がある。どもりながら否定するあの定型句もしばらく聞いていない。
とはいえ、丸いアリスもこれはこれで悪いものでもなかった。あからさまに否定されるのも好きな人間はいないだろ
うし、魔理沙も素直ならそれで良いと感じる。
何より、これから一緒に過ごして行くのだから、互いに素直な方が付き合い易い。
「……どう?」
「腕疲れただろ」
「そうでもないわ。ヤッパリ私、器用ね」
「なら良いんだ。美味しいし」
出来上がってきたものは、予想より上出来であったと言うか、魔理沙より上手かった。これだけ出来れば自分の必要
性が……などと多少疑問にも思ってしまったが、まだまだ出来ない事は沢山ある。
「あっ」
そう考えている傍からこれだった。自分の分のホットケーキを細かく切るのを忘れたのだろう。左手で一生懸命フォ
ークを使い、小さくしている様が少しばかり悲しげだ。
「よっと」
対面からアリスの横に移り、ホットケーキを細かくしてやる。アリスは目をパチクリさせてその光景を見ていたが、
どうやら調子に乗ったらしく、切らせるばかりでは飽き足りず、餌付けしてくれと言わんばかりに口を開けて待ってい
る。これも復讐の一環か、と魔理沙は多少顔を赤くしながら、それに付き合う。
「えい」
「もぐ」
「えい」
「もご」
「えい」
「もぐぉ……」
「えい……」
しかし、やられてばかりなのも、一応魔理沙にもあるプライドが許さなかったので、これ見よがしにアリスの口にパ
サつくホットケーキを捻じ込む。些かやりすぎたか、と思った所で止めては見たものの、アリスはさほどイラ付いた様
子も見せない。魔理沙は完全に敗北した。
「魔理沙、おちゃ、おちゃ」
「はいはい」
「……じゃ、次魔理沙ね」
「い、いらないのぜ」
まさかの反撃に口調が可笑しくなってしまう。口にホットケーキを詰められるのが嫌というよりは、恥ずかしすぎる
思いが強い。それではまるで姉に弄られる妹のようだ。
「い、いい。いらないぜ」
「駄目よ。お礼お礼。はい、アーンして」
「うう……なんなんだ……あ、あー……」
「ごめんするわよ。あら二人とも元気そうね。肩並べてアーンだなんて恥ずかしいったらないわね」
魔理沙は、即座に口を閉じて椅子から宙返りして下りると、そのまま机の下に隠れてしまった。アリスは目の前で起
きた珍アクションに呆然としていたが、侵入者の顔を見てすぐさま手に持っているフォークを下げて苦笑いした。
「酷く落ち込んでいるんじゃないかと見舞いに来たのだけれど、とんだ無駄足だったかしら」
「ぱ、パチュリー……わざわざこんな所まで、こんな朝早くこなくても……」
「見られた……見られた……あんな恥ずかしい所見られた……しかも女同士であんな、ああぁぁ……」
「魔女は背徳の権化よ。同性愛なんて何のその。それよりもっと如何わしいもの期待して来たのだけれど」
「パチュリーこわい、パチュリーこわい」
魔理沙は多少ショックで恐慌状態に陥っているらしい。アリスはそんな魔理沙を片腕で猫のように摘み上げて、食卓
に並べてやる。パチュリーは口元を歪めて苦笑いし、同じテーブルに腰掛けた。
「で、お見舞いは良いけれど、早過ぎない?」
「あんまり遅いと、ベッドで仲良くならんでおねんねしている貴女達が見れないじゃない。でも、もう少し早く来る
べきだったわ。魔理沙、お茶」
「……う、うい」
予想外の来客に理不尽さを覚えながらも、魔理沙は致し方なく給仕する。何より、二人ともまだパジャマであるし、
あまりヒトに見られて良い状態とも思えない。ここ最近、無粋な自分がもっと無粋になって、自分に興味がなくなって
来た感があるので、いざとなると尚更だ。
これは、昨日霊夢から言われて気が付いた事である。昨日、霊夢が引き返してから鏡を見て、驚いた。元から肉付き
は良い方ではないが、それにしても少し酷い。あまり髪も梳かしていないし、風呂には入っていても乙女らしさの欠片
が足りなすぎた。頬の骨がうっすら浮いていて、自分でも怖い。
それをアリスに話したところ、泣かれてしまったので今後は気をつけようと思っていた矢先の来客だ。魔女はすべか
らく空気を読む能力が欠如しているらしい。タイミングも空気の内だろう。
「あら、魔理沙もお茶は煎れられるのね」
「お前な、私をナンダト思ってる。何年一人暮らししてると思う」
「今は同棲よね」
「あのなぁ」
「まぁまぁ落ち着いて。ちょっと良い話を持って来たのよ」
「なんだ?」
「レミィから粗方聞いてるわ。又聞きでしょうけど。薬師が頑張っているらしいけれど、どこまで本気か少し解らな
いし、なんなら交流の深い私が出て行ってみようと思い立った訳よ」
「今一話が見えんな。どういう意味だ?」
「私達魔女よ? なんで魔法に頼らないのかしら。ほらみて、これ」
パチュリーは手提げから一冊の本を取り出してテーブルに置く。二人はなんだなんだとその表紙を覗いてから、数秒
の間を置いてパチュリーの頭を叩いた。
「いたっ。何するのよ」
「あのな、これキメラの合成に関する書物じゃないか。アリスをキメラにする気か」
「ちょっといただけないわ。パチュリー」
「そう、いいアイディアだと思ったのだけれど」
「そもそもパチュリー、お前。合成とか調合とか錬金の類苦手だろう」
「お、補い合ってこそ友情だと思うわっ」
パチュリーは立ち上がって吼えた。だが、二人はもう少し冷静であったので、パチュリーはコホン、と一つ咳払いを
して改めて席につく。
「……まだ、永琳がどこまでやってくれるか解らないし……駄目なら、仕方ないかしら」
「あ、アリス。そう悲観的になるな。な、ほら、ホットケーキあーんしてやるから……」
「……蚊帳の外ね私」
もしかしたら邪険に扱われるんじゃないか、なんて予想をしていたパチュリーだったが、まさかこれほどあからさま
だとは思いもしなかった。一応、本心としても真面目なつもりだったのだが、二人とは思考回路がずれているのかもし
れない。魔女成り立てと人間魔女と百年魔女では、大分温度差があるらしい。
「とりあえず、お礼だけはしておくわ、パチュリー」
「え、えぇ、いいのよ。あ、ああそうだ。生活便利グッズなんてのも持って来たのだけれど」
「どこ製なんだ?」
「パチェ製よ」
「いらないぜ……」
「酷い……も、貰うだけ貰ってくれても良いじゃない」
「あるだけで怪奇現象が起こりそうだしなぁ」
「これなんてどうかしら。背中かき妖精の小瓶ー」
「うわぁ……」
パチュリーは、必死だった。
「背中をかくだけの妖精が居た事に驚きだし、それ閉じ込める奴の気が知れないし、怪しい」
「便利なのに……背中をかく程度の能力……」
「ぱ、パチュリー、もういいから、もういいから……」
アリスの制止に、パチュリーはなくなく自称便利グッズを手提げに仕舞う。
二人は、一体何しに来たのか、と云う言葉を飲み込んで接する事にも、そろそろ限界を感じ始める。双方、当然パチ
ュリーがカラカイに来たとは思っては居ないが、空気が合っていない。
「……ごめんなさい。あのその、なんて言って良いか解らなくてね? だって、人形師が腕を無くすなんて、どんな
顔をしてお見舞いしたら良いか、解らないじゃない……」
……ここでやっと、来客の本心が見えた。
「それだったら、ちょっと茶化すくらいのノリで赴いた方が良いかなって思ったのよ。ホットケーキ突付きあってた
し、そのノリで突っ切っても良いかなって思ったけれど、やっぱり深刻よね。本当に、ごめんなさい。帰るわ」
「あ、ちょっと待てよ。来て何分も経ってないだろ。お前だって半分病人みたいなもんなんだから、少し休んでいけ
ばいいだろう?」
「魔理沙……」
「ああもう、そんな涙ぐむなよ、幾つだよ……」
「百歳児……」
「魔理沙、お話は着替えた後にしましょ。パチュリーも、ゆっくりしていって」
「えぇ……ごめんなさい」
パチュリーを落ち着かせ、二人はまず着替えてから改める。図書館に出入りしているから三人集まる事は珍しくもな
いが、最近はアリスの問題もあって揃って顔を合わせる事も無かった。魔理沙としてはその内話に行こうとも考えてい
たので、これはこれで手間が省けたといって良い。
しかし、魔理沙が思っていた以上に話が広がっているらしい事は、意外であった。その内ブン屋も飛んでくるのだろ
うと思うと、憂鬱で仕方が無い。
パチュリーの話では、噂に尾鰭背鰭がついて、愛憎劇のなれの果ての殺し合いだ、と云う所まで話が構築されている
との事。一体、皆どういった思考回路を有しているのか魔理沙は非常に気になったが、永夜以来仲が良い悪いとハッキ
リしていなかった世論は、これで確定してしまったのだろう。
ちなみに、謝罪の意味も込めて同居している、と云うのは正解であった。
「そっか……まぁ、仕方ないかもしれない」
「真実を聞かされた上で第三者から言わせて貰えば不幸な事故よ。アリスには悪いかもしれないけれど」
「いえ、パチュリー。私だってそう思うわ。魔理沙は馬鹿だけれど、進んでそんな事するような鬼畜じゃないもの」
「……」
「それにね、嬉しかったわ。これからどうなるかなんて、解らないけれど、魔理沙が自分から私の面倒みてくれるな
んて言ってくれて。ちょっと戸惑ったけれど、素直に、嬉しい」
「魔理沙は、そうね。私が分析する限りでは、傍若無人とはまた異質だもの。一本スジが通っていると言うか、妙に
悪人になりきれていない悪人なのだけれど、ちゃんとした法則があるみたいな」
「そこまで分析されてると思うと、なんだか恥ずかしいぜ」
「魔女だもの。敵を知るには情報と分析よ」
「敵ね。敵。パチュリー、他意は無いのかしら」
「ななななな、ないわよ。だって泥棒だもの」
「パチュリー……最近、魔理沙がこなくてどう思った?」
「べべ、別に何とも思わないわよ。本が減らずに助かるわ」
「ちょっとも寂しくなかった? 私が分析するに、大分楽しんでいたようだけれど」
「や、やめて頂戴よ。ああもう、魔理沙の目の前で追求する事なのかしら、アリス」
「変な友人が多くて困るぜ……あいや、別に嫌いって訳じゃないんだが、その。あれだ、うん」
どれよ、とアリスに突っ込まれた所で、魔理沙は席を立って逃げ出した。どうにもこうにも、人外二人も揃われると、
流石の魔理沙も敵わない。普段なら適当に流して適当に自分の話をするのだが、そういった気分でもないし、反論して
何かしら利益があるものとも感じれないので、選択肢を逃避とした。
外に出て、深く息を吸い込み、吐く。こんな酷い有様ではあるけれど、三人で会話するのは久しぶりだし、アリスに
至っては怪我以来初めての友人だろう。大分話し込んでいるし、笑顔も絶えない。辛い境遇にありながらも笑顔で居ら
れる素晴らしさは、人型生物の特権なのかもしれない。
知性のある者は、現実から目を背ける事が出来る。知性がない動物も逃避するが、人間の逃避は深い。
抑圧逃避退行置き換え昇華反動形成補償取り入れ同一化投射合理化打消し隔離。自我を保つ為に人間が持つ理性の防
御策は様々あるが、アリスのモノは軽い。一時はショックから同一化をはかられたり、徹底的な退行をされたりしたら
どうしよう、とまで魔理沙は考えたが、思っていた以上に、アリスは強い女性だった。
笑顔でいられる。例えそれが、一時的な逃げだったとしても、これほど幸せな事はない。
「魔理沙」
青い青い空を見上げながらそんな事を考えていると、背中から声をかけられる。小声の早口。パチュリーだ。
「パチュリー。日に当たると髪が痛むぜ」
「いいのよそんなの適当で。それより少しお話があるのだけれど」
「アリスは?」
「喋り疲れたそうよ。ベッドで横になっているわ」
「そっか。大分話したものな。なら、いいか」
「うん……」
紫色の髪を弄りながら、何かしら話そうとはしているが、切り出せないで居る。まるで十代の少女が深刻な悩みを告
白するかのような間に、魔理沙はむず痒くなるが、それに対して突っ込みは入れない。
「……ねぇ魔理沙。貴女がアリスに投げつけたっていう魔力結晶を見せてくれない?」
「あ、ああ。構わないけど。宴会用に作ったんだ。大した威力じゃなかった筈なのだけれどな」
帽子の中をごそごそと漁り、金平糖のような結晶をパチュリーに手渡す。
「起動式は」
「Explosion. 本当に、簡易なものだから呪文もワンフレーズだ」
「Explosion」
幾つかの金平糖を、無数に生い茂る木に向かって投げつける。破裂は当然、ごく少量。まさに宴会用クラッカー程度
のものだ。
「私達は魔女よ。魔法に意思力を込める事によって小さい力も多少は大きく出来る。貴女はこれをアリスに投げつけ
る時何か願ったかしら。死んでしまえとか吹き飛んでしまえとか」
「馬鹿言わないでくれ。込めたのは『驚け』だよ」
「それは間違いない? 一言一句間違えてない? 本当にそれだけ?」
「くどいな。それだけだぜ」
「そう――」
パチュリーは一つ小さな溜息を吐いて、その場に座り込んだ。魔理沙は何事かと駆け寄ろうとしたが、片手で制止を
促された為に、その場で留まった。
どう見ても……パチュリーは膝に顔を埋めて、泣いていた。勿論、魔理沙にはこの涙が一体何を意味するのかさっぱ
り見当が付かなかったが、その意味合いの深さだけは、何となく悟れた。
気になりはする。だが、それを聞くほどの勇気が、今の魔理沙にはない。
「ねぇ、魔理沙。貴女は今幸せかしら」
「言っている意味が解らないぜ」
「そのままよ。貴女はアリスと居て幸せ?」
「……」
そしてまた。魔理沙はこの質問に対する答えも持ち得ない。どうなのだろう、どう思っているのだろう。アリスに縛
られる事が当然、自分への戒めなのだから、幸せであっては問題だ。だが、長く付き合っていかなければならないと思
えば思うほどに、成るべくなら幸せで在りたいと願う心もまたある。
霧雨魔理沙は人間である。年端も行かぬ少女である。その人生を魔女一人に捧げなければならないと云う使命感は、
果して正しいのか、間違っているのか。
――それもまた当然、魔理沙は答えを有してはいない。
「久しぶりに話せて楽しかったわ。今度は二人で来て頂戴。美味しいお菓子を用意して待ってるから」
「帰るのか」
「えぇ。結局落ち込んではいるようだけれどアリス自身は元気そうだし……あとこれ」
ポケットから出て来たのは、一つの小瓶。
「これはね、気持ちを占うマジックアイテム。本心を一瞬だけエーテルで具現化してくれるお茶目なやつよ」
「呪いとか篭ってないだろうな」
「さぁ、どうかしら」
パチュリーは、魔理沙の手を覆い隠すようにして、それを手渡す。まじまじと目を見つめられて、羞恥心が湧き上が
るが、それはないないと否定してみる。
彼女の目は本気だった。否定を許さないような、魔女の目。風にたゆたうように飛ぶ彼女とは思えないような、真摯
な視線。
「体にだけは気をつけてね。貴女はそもそも人の世話をするなんて事慣れていないでしょうから」
「ありがと。パチュリーはお母さんみたいだぜ」
「九十近く年上なのよ? 魔理沙ちゃん」
「ちょっと気味が悪いな」
「ふふ……またね。アリスにも宜しく」
言い終えて満足したのか、パチュリーはふわりと中に浮き上がる。ゆったりとした動きが、何故か今まで以上に薄幸
の少女の様に取れたのは、きっと気のせいなのだろうと、魔理沙は自分を納得させた。喘息なのに魔女。魔女で喘息。
半病人の魔女は、上空から手を振って、彼方へと消えていった。
※※※
さてどうしたものか、と博麗霊夢は思案する。別に魔理沙が誰とくっつこうが、それが常識から外れていようが、あ
まり問題ではないのだが、問題は魔理沙が明らかな魔性に囚われている事であった。
あのこけた頬に疲れた表情。例え不慣れな介護とて、一ヶ月程度でそうなるなど考え難い。しかも、魔理沙の様子を
窺った限りでは、自覚症状は無いと見える。
一応、あれでも友人だ。物事平等に接しているが、目の届く範囲の者を贔屓する感覚ぐらいは持ち合わせているし、
霊夢はそれほど完璧を求めている訳ではない。故に、心配であった。
アリスがどのような経緯で腕を失ったのか明確には聞いていないものの、最早それこそが既に怪しい。幻術の類か、
スリコミの類か、判断はしかねたが、アリスがどうにかなってしまっているなど、今一信じ難いのだ。
何より、何かしらの実験に使うであろう札を買いに来た永琳から聞いた話であるし、その時点で真実が歪められてい
るとも限らない。
兎も角、霊夢からすると、アリスは疑わしいし、魔理沙は不自然でならなかった。
何かある。霧雨魔理沙を束縛する、何かがあって然るべき。……これすらも、本当はただの思い込みなのかも知れな
いが、勘繰るべき点が多すぎる事実は否定出来ない。
ではどうするか。どうこの疑念を払拭するか。
霊夢は……あまり選びたくはなかったが、仕方なく永遠亭を目指す事とした。八意永琳がどこまで喋るか解らないが、
あの二人から離れていて、一番事情を知っていそうなのは彼女だ。
そこでも把握しきれないなら、仕方が無い。直接乗り込んで見るのも、選択肢の一つである。そうなれば魔理沙との
交戦も避けられないだろうが……その一戦で目を醒ましてくれるならば御の字だ。
霊夢はそこまで考えつくと、身支度を始める。持てるだけの武装をして、一筆書きおきをした。
少なくとも霊夢から見て正気ではない魔理沙が、どんな行動を起すか見当もつかないからだ。
「霊夢、どこ行くんだ?」
「萃香。一日経って戻ってこなかったら、紫にでも知らせて頂戴」
「……は、はい?」
「いってくるわ」
萃香にそう言い残して、霊夢は神社を後にする。
移動距離はかなりのものであるが、日照時間を考えればあまり悠長にもしていられないので飛行速度は緩めない。も
し本当に霧雨魔理沙がアリスマーガトロイドの、何かしらの術中に嵌っているなれば、妖よりとなっていても可笑しく
はない。あの魔理沙が、夜で、しかも妖よりとなってしまっていた場合、博麗霊夢が如何に強いからとて、無傷では済
まされないからだ。
……神社を出て数十分。現時刻は十一時半。勘を頼りに竹林に入って、およそ十分で目的地を発見した。
相変わらず室内は薄暗く、蝋燭の明かりがなければ中の様子が窺い知れない程だったが、丁度玄関で月兎がぼけっと
していたので、それを引っ叩いて家の案内をさせたのが功を奏している。強すぎる外道過ぎると喚く鈴仙の耳を引っ張
り、廊下を歩く事数分、やっと永琳の診療室が見えた。
「はいありがと」
「いたた……お願いだから暴れないでよ。私、師匠に殺されちゃう」
「だから話を聞くだけだってば。元から客として迎え入れてくれればこんな目にあわずとも済むのよ、馬鹿ね」
「馬鹿に馬鹿とはいわれなくないわよ……」
襖を開けた先には、どうも機嫌が宜しくなさそうな薬師が一人。原因は恐らく、その手元で震える洋菓子だろう。ス
プーンを口に運びながら、思い切り霊夢を睨みつけていた。
「お邪魔だったかしらね」
「邪魔じゃないと思う? こちとら寝ずに連日再生作業に追われていて、たった今解放されたから、そりゃあもう楽
しみにしていたプリンをね、今食べているところなのよ? 解る? 少女甘露中なの」
「あら、なら混ぜなさいよ。ただとは言わないから」
「……その手のモノは」
「水羊羹」
「なら、いいわ」
魔理沙からの貰い物だと云う事は伏せて、甘露を欲する永琳に手渡す。不機嫌な顔が一転して笑顔になったのは予想
外だったが、何事も備えあれば憂いなしなのだなと、霊夢は先人に感謝した。
「後で楽しみましょうかね。それで、何のようかしら。一見見た限りでは、結構深刻そうだけれど」
「難しい話じゃないわ。ちょっと個人情報を漏洩してくれるだけで良いの」
「あら、ならお安い御用ね。何せ水羊羹も貰ったし。私、賄賂嫌いじゃないのよ」
「そう。じゃあまず一つ。アリスマーガトロイドは、本当に腕を失ったのね」
「本人を見ていないの? 本当よ。ほら、そこの培養液の中で浮いているのが、その腕」
永琳が指差した先にあるのは、霊夢の見慣れない形をした機械を土台に聳え立つ硝子の大きな筒。得体の知れない液
体の中に、真っ白な腕が浮いていた。
周りには何層かの注連縄が張り巡らされており、硝子の筒には霊夢が売った札が貼られている。
「蚶貝神符に蛤貝神符。貴女から購入したとなると、効果は疑われたけれど……なかなか霊験あらたかね」
「科学に呪術の組み合わせなんて、なんだかグロテスクね。というか、なんとなく貴女の出生が覗えるわ」
「詮索はやめてちょーだい。それで、他には」
「そうね。ここに来た時の、魔理沙の様子はどうだったかしら」
「普通よ。普通と言っても、慌てた人間の普通。そりゃあ恋人の腕吹っ飛ばしたのだもの、驚くわよね」
「恋人って……あの二人女よ」
「あら、ここの土地ったら不思議なのね。月が先進的すぎたのかしら。意外と普通よ、普通。でも、日本人は性に大
分寛容だった覚えがあるのよね。半端に隔離されるとそうなるのかしら。この辺りは上白沢のお嬢さんに郷土史でも聞
けばいいのかしら」
「……」
永琳の噛み合わない話に、噛み合わない価値観に頭を悩ませながら、話を噛み砕く。噛んでばかりで顎が痛くなりそ
うだったが、今は仕方が無い。
詰る所、魔理沙が何かしら術中に嵌っている可能性は少ない、と云う答えだけが導き出されたのだ。では怪我をさせ
た後はどうか……と考えると、それこそ可能性が薄かった。幾らアリスが人外であるとはいえ、不完全な体のまま、し
かも応急手当後直ぐ魔術行使などしないであろうし、更に言えば魔理沙はそこまで阿呆ではない。
「……そう」
「もしかして、そう。盗られちゃったの。可哀想に。ならうちの月兎なんてどうかしら。強力な霊力を持つ貴女と狂
気の月兎のあいのこ、どんなバケモノが出来るか気にならない?」
「意味がわからな……でも、貴女なら出来そうね」
「基本的な遺伝子情報は女性が全て内包しているんですもの。出来て当然よ」
あまりに吹っ飛んだ話に、流石の霊夢も疲れてきた。
「解った。押しかけて悪かったわね。お暇するわ」
「あら、プリンつつかないの? 美味しいわよ?」
「プリンも水羊羹も貴女が食べて頂戴」
「情報と割が合わないわ。ああ、ならどう? 天才と天才の子を……」
「嗚呼、なんかもう、意味わかんないこの人……」
霊夢はそれの一体どこの割なのか、と云う考えを完全に放棄し、永琳に背を向ける。
「そうだ。明日にはこの腕も安定する筈なの。調子を見に行くから、そう伝えてあげて」
「はいはい。それじゃあね、変態薬師」
「酷い暴言ねぇ。まぁいいわ。休憩中以外は何時でもいらっしゃい」
部屋を出た所で、なにやら聞き耳を立てていたらしい鈴仙を発見。霊夢の顔をみて思い切り赤面し始めるが、なんだ
かそれが妙に頭に来たので、憂さ晴らしも兼ねてしわしわの耳を引っ張って伸ばしてやってから、霊夢は永遠亭を後に
した。
「なら……魔理沙は本気なのかしら」
霊夢は竹林を飛びながら、改めて考える。
一体魔理沙の、どの責任感が、どの使命感がそうさせているのか。長い付き合いなれど、基本的にどうみても適当と
しか思えない。何かしら配慮した行動など、目の前で起された事はないのだ。
魔理沙の顔を思い浮かべる。別に、一生逢えなくなる訳でもないのだが、胸の中には言い知れぬ蟠りがあった。
それに、アリスの事もある。わざわざ永琳が模造品など用意するはずもないだろうから、間違いなくあの腕はアリス
のモノなのだろう。本当に不自由をしているとしたら、それはそれは、可哀想な話だった。
「……」
何故二人は自分に相談してくれないのか。自分は、二人の友人ではなかったのか。お茶飲みながら、お酒呑みながら、
ああでもないこうでもないと、本心から語れる仲ではなかっただろうか。
では何故二人は閉じ篭っているのか……といえば、そう。ある意味自分の責任でもあった。魔理沙の話を一方的に否
定して聞きもせず、アリスの家に突撃したのは自分だ。
――では、では何故。
何故自分はあの時、あそこまで腹がたったのか。
魔理沙は元から人の世話など得意な部類の人間じゃあない。それに、責任感でも使命感でも良いが、それに伴ってア
リスと云う縛りを作った魔理沙は……それは、自分を殺したと同等だと……魔理沙も告白していたはずだ。だったらそ
れに応じた心労も少なくは無いだろうし、顔に疲れが表れても、可笑しくは無い。
「そう、か」
思考の行き着いた先は、実に単純だった。
「悔しかったんだ」
自分と云う人間は。博麗霊夢と云う人間は。無二の親友をアリスマーガトロイドに盗られてしまったと、ヒステリー
を起したのだ。少なくとも三日に一回は顔を見せる魔理沙であったのに、三週間も顔を出さなかった。
もしかしたらアリスの家に居るのではと思い、何度も様子を窺いに行こうと思い立って、止めていたではないか。
「馬鹿らしい……」
こんなもの、引き摺っても仕方が無い。霊夢は方向を転換して、魔法の森へと行き先を定める。
「謝ろう」
友人をとられて怒るなんて、どうかしてる。そもそも、とられる、なんて単語が浮かぶ時点で、自分はどこか可笑し
いに違いない。きっと勘が良すぎるから。それが半周ほどして、思いもよらない思考に陥ったに違いない。
元通りにすれば良い。魔理沙一人で辛そうなら、どうせする事も少ない自分だ、何かしら手伝ってやれば良いだけの
話。これで円満。これで解決。何の憂いも無い。
「霊夢だけれど」
魔法の森の奥。こじんまりとした洋風の家の扉を、数回ノックして名乗る。
……答えはない。
戸締りの魔法がかかっていない所を見ると、中にいる筈なのだが……そう思い、霊夢はドアノブを捻る。
「……誰も居ない」
二人の気配はなかった。薄暗い部屋は、窓から差し込む日の光だけが光源となっていて、人の住まう家にしては少し
不気味に感じられる。失礼かとも思ったが……今のあの二人を考えると、ここで引く訳にはいかなかった。
ある意味、病的に思えたから。もしかしたら、何かを悲観して禁呪を用いて、心中……なども、否定出来ない。
「魔理沙、アリス?」
返事はない。
部屋の中に入り、辺りを見回す。相変わらず人形だらけで、まるで視線を浴びて監視されているような緊張感が湧き
上がるが、吸血鬼から宇宙人までいる幻想郷、今更怖いものでもない。
「……ん?」
奥の机。恐らくアリスが物書き用に使っているであろう場所に、ポツンと一つの分厚い本があるのが解った。「何故
それが気になったか」は、あえて考えない事とする。
近寄って手に取ると、それはDIARY とある。
日記帳。つまり、乙女の、日々の生活が誇張などされて書き込まれている、あまり触れてはいけないものだ。
「……」
酷く、気になった。鍵をかける場所もついているのだが、今は外れている。ぴらりと捲れば、そこにはアリスマーガ
トロイドが日々考えている事が、書かれているに違いない。
辺りを見回し、警戒する。謝罪に来て罪を重ねてどうするのかと霊夢は考えたが……それ以上に、今、アリスマーガ
トロイドが何を考え、何を思い、何を感じて生きているのかが、気になったのだ。
先ほど振り払ったはずの疑念がフツフツと甦る。
霊夢は、その日記を開いて――――――唖然とした。
つづく
避願います。
――例え自由を殺そうと、私は貴女さえいてくれれば、幸せだわ。魔理沙。
この世には様々な人生を背負って生きる人々がいて、誰一人として同じヒトは存在しない。あえて幾つかの括りを作
ってしまうのならば、幸福な者の人生とは一様にして似通った性質を持っているだろう。
幸せ。殊、幸福度に関しては言うまでも無く皆それぞれではあるが、社会一般的に幸せな人間とは、お金があり、家
族があり、生きて行く事に困らず、明日があり、希望が見える人間を言うだろう。
霧雨魔理沙はその観点からは外れるものの、個人的には幸せであった。生活には困らないし、家族は無くとも友人は
おり、生きて行く事に不平不満はあれど、明日があり、夢があった。このような人種は外の世界にも沢山おり、自己の
幸せこそ至上とする輩となんら変わりはない。社会的に観れば歯車が噛み合っていない為、あまり推奨出来る行き方と
は言えないが、幻想郷はそのようなコミュニティーに加わる事なく生きて行ける環境がある。つまり、霧雨魔理沙は根
っからの自由人であった。
そんな自由人からすると、その自由を破壊する者、阻害する事象こそが最大の敵である事は間違いない。どこの世界
においても、ナニモノからも解き放たれた生き様とは、簡単に実現しえるモノではないのだ。
人間とはミスをする。大きなミスから小さなミス。ハインリッヒの法則では無いが、何か大きな事件があれば、その
後ろに無数の損害が生じる事も少なくない。霧雨魔理沙が恐れるモノは、この大きな事件と無数の不確定要素の取りこ
ぼし。収拾しきれなくなる、もしくは自分の手に負えなくなるような事象に発展するような物事。
それを避ける為に、大胆不敵、神出鬼没、蒐集癖を存分に発揮して強盗まで働く秩序破壊者霧雨魔理沙も、一応は考
えて行動している。
何度か試して、問題がなさそうならば続行。必ず歪が来ると思えば断念。
例えば大図書館などはそれだ。紅魔館には紅魔館の秩序があり、これに正面から立ち向かう事で法則を作り上げてい
る。正門からの突撃、美鈴と殴り合い、運が良ければそのまま図書館へ、駄目なら咲夜と交戦。たどり着いた図書館で
本を漁る。たまに機嫌が悪かったり、体調が良かったりするパチュリーが反撃に講じる事もあるだろうが、これも一応
霧雨魔理沙の法則内の出来事なので問題ではないし、紅魔館内の事は全て紅魔館内で処理されるので、大事にはなりえ
ない。
例えば香霖堂。店主は知人であり、兄と言っても差し支えの無い人物である。なんだかんだと愚痴は漏らすが、霧雨
魔理沙を悪くは思っていないし、半ば諦めても居るので何かしら大それたものに発展する事はない。博麗霊夢辺りが仲
良くしているのを観ると、むず痒くなる気持ちはあるが、ここで踏み外すと博麗霊夢と交戦フラグが立つ為触らない。
ライバルとして弾幕合戦をやっても構わないのだが、それ以外を賭して戦うと泥沼が見える。幻想郷にしては人間率の
高い場所の一つであるし、人里に近づきたくない分大事な場所なので、ここは魔理沙自ら自重している。
例えば博麗神社。ここは奪うものもなければ、問題を起して好転するような場所ではないので、素直にお茶を啜る為
の休憩所のような所だ。博麗霊夢は旧知の間柄であるし、ライバルではあるが、嫌われたくは無い。珍しく人間の友人
であるし、幻想郷の異変を真っ先に知るには、ここが一番適している。博麗霊夢自身は危機感に欠けているが、他の者
が頼って現れたり、妖怪が持ちかけたりするので、自分が安請け合いさえしておけば博麗霊夢が勝手に動く。大異変と
もなれば、自分に厄災が降り注がないとも限らないが、自己責任にされる事もまず無い。あわよくば博麗霊夢の収益に
もありつけるので、ここほど都合が良い場所も無いのだ。
そして――例えばアリス邸。同じ蒐集家として、魔法使いとしてのライバルであるアリスマーガトロイドだが、ネチ
ネチと嫌味は言うものの、客として訪れればちゃんと出迎えもするし、一戦交える事もない。不思議な誤解でイガミあ
ったりはするものの、想定の範囲内であるし、アリスマーガトロイドが本気を出さない事も熟知している。意外と付き
合い易い部類の人種であるので、霧雨魔理沙も嫌ではなかった。それに、自分では見た事もないような蒐集品がたまに
あったりするので、利益は大きい。時折視線が熱っぽいのを気のせいとさえしておけば、何ら問題ない場所だ。
霧雨魔理沙の行動原理は実に簡単で、多少リスクはあれど、自分が好きにやれるような環境が手に入りさえすれば良
い、と云うものだ。ここで発生させてはならないのは、自己責任。確実に自分が問題を問われる事件だけには、絶対に
関わらない。強盗などやっているのだから矛盾しているのではないか、とは思われるが、上記の如く法則に則ってさえ
いれば問題ないのだ。(殊紅魔館は、侵入者であるが同時に客であるし)そもそも完璧な自由などこの世に存在はしな
いし、それだけ自由にしたかったら原始人にでもなるしかない。幻想郷を全体的に展望して、自分が生きて行けるスキ
マを探して、縫うように「自己の自由」を手に入れるのが、霧雨魔理沙である。
自由を手に入れるには、問題を起してはならない。トラブルメーカーと称される事多々あるが、彼女が関わった事で
他人丸ごと巻き込んだ出来事など……無いとは言えないが、まず起こっていない。
――そう、起す気は無かったし、今後も起こらないよう、気をつけて自由を謳歌する筈であったのだ。
「畜生……なんでこんな事に」
ある程度の法則に則ってさえいれば、大きな問題など、起こる筈もなかったのに。残念ながら、人間はミスをするの
だ。どれだけ慎重になろうと、厄災は勝手にやってきて、勝手に人の人生を荒らして行く。幸福な人間から幸福を奪い、
自由な人間から自由を奪う。
どれだけ善行を積んで来た賢者とて、免れざる神の悪戯はあるのだ。それに、霧雨魔理沙の場合、善行など元から無
いし、ある意味因果応報だったのかも知れない。
だが――と、魔理沙は思う。
だが、些かこれは、酷すぎる。いつも通りの流れで、いつも通り接して、口喧嘩になって、驚かせてやろうと、少し
力んだだけだったのに。
「アリス……おい、アリス……?」
アリスはぐったりとしたまま、ぴくりとも動かない。床に倒れたその様は、糸の切れた人形そのものだった。肩をつ
かみ、揺さぶってみるも、反応は無かった。気が動転して、どうすれば良いのか正しい判断を下せない。心臓がバクバ
クと脈打ち、冷や汗が流れ出る。それを腕で拭って、頬を引っ叩いてから改めてアリスを見る。
まず呼吸。かすかだが、息はあった。妖怪だ、そう簡単に死ぬ筈はない……が、不死ではない。種族魔法使いとて、
大きな衝撃を受ければコロンと逝く事もある。息があるならまだ大丈夫として、魔理沙は次の現実に目を向ける。
「……くそ」
右腕が無い。肩口から丸ごと吹き飛んで、腕自体は数メートル離れた硝子棚の前に落ちている。生唾を飲み込み、ま
たどうすべきか考える。純粋な妖怪ならば、これくらい三日でどうにかなるものだろう。だが体があまり強くは出来て
いないのが魔女だ。故に魔法で補うのだが……これは、再生可能な範囲なのだろうかと、魔理沙は焦る。
布団のシーツを引き千切ってアリスに巻きつけ、素人医学を駆使して止血に走るが、血は止め処なく漏れ出し、真っ
白なシーツを赤く染めて行く。こんな事になってしまった場合、頼れる者はと頭を巡らせて、すぐさま思いついたのが、
八意永琳だ。
あまり親しい間柄ではないし、魔理沙の基本法則から大分外れる行ないになるが……今は非常時だ。魔理沙は半分炭
化している腕を拾い上げ鞄に仕舞うと、アリスを背負って箒に飛び乗る。普段から天才天才と触れ回っているのだから、
腕ぐらいくっつけてくれる筈……そんな虚しい一縷の希望を従えて、魔理沙は夜空へと舞い上がる。
どう考えても無理だろう。何せ腕は炭化しているのだ。いや、それでも何とかなるさ。何せ不老不死の人間を生み出
す力さえあるんだから、出来なきゃ詐欺だ。
そんな自問自答を繰り返し、自分を納得させる。背中では息絶え絶えのアリスが、小さな呼吸で自分に圧し掛かって
いた。こんな、こんな事ってあるものか。自分はちょっとからかおうとしただけなのに、友人の好で、友好を表す意味
も込めて、ジャレただけなのに。何故かアリスは死にかけていた。そうそう簡単に受け止められるものではない。殺す
と明確な殺意を抱いた行為だったならば納得もするだろうが、自分は遊んだだけだったのに。
しかし現実は魔理沙の甘い考えなどお構いなし。自分の背中に、生暖かい液体が染みてくる。
もしこれが、他の誰かがやったとしたら、魔理沙はソレを許さないだろう。不慮の事故にしては非道すぎる。行き過
ぎた行いだ。犯人が居るなら、この手で同じ目にあわせてやるのだが、残念ながら犯人は自分だ。人形師の腕をもぎ取
ってしまったとはつまり――もしアリスが生きられたとしても、人生を殺害したのと同等だろう。
人形師なのであるから、義手も出来よう。神経回路と魔術回路を編み込んだ、人の腕に近い、高等な義手が出来るに
違いないだろうが……やはり、生身の腕を越える事はまずない。生物の作りしモノは、生物を越えたりはしないのだか
ら。一極的に生物を越えていようと、それは融通が聞かず、必ず不自由が出る。殊人間と云う生物を超えようと思った
ら、人間を遥かに越えた者がソレを作らねばならない。
でも、なんとか、なんとか腕さえつけば……。元から自分の物であるそれは、試練を乗り越えてまた必ず自分の思う
通りに動く筈だ。
「ああもう、永遠亭はどこだよ……何で見つからないんだっ!!!」
アリス邸を出てから十数分。竹林にたどり着いたは良いものの、なかなか目的地が見当たらない。この際、見渡しを
良くする為マスタースパークで竹を全て薙ぎ払ってしまおうかとも考えるが、思い止まる。そんな事をして、更に事態
を悪化させては、魔理沙の戻るべき場所がなくなってしまう。ただ、それほど切羽詰っていた。
「あ、あった!!!」
竹林の隙間から望む、ほの明るい蝋燭の明かり。捉えた瞬間超加速で竹林を突っ切ろうとするが、兎の迎撃部隊に捕
捉されてしまう。小癪な弾幕を、霊夢戦でも見せないような捌き方で突破し、永遠亭を目の前に捉えるが……通信系統
がしっかりしているらしい永遠亭正面には、既に鈴仙優曇華院イナバが控えていた。
「待ちなさい魔女っ!! 永遠亭に何の用なの!?」
「大馬鹿女郎!! 邪魔だから、どけ!!」
八卦炉を構え、思い切り力む。それに応じて鈴仙も防御姿勢に入ったが……そこから何も放たれる事はなかった。
「くっ……観て解らないか、頼むっ」
「……む」
鈴仙の正面で停止し、後ろに背負うアリスを見せつけると、鈴仙はより一層警戒を強めた。しかし、それは魔理沙に
対してではなく、アリスの状況を見て、その後ろで何が起こっているのか、という疑念からだった。
「解った、師匠は一番奥、急いで」
「ああ、あと大丈夫だ、何もない、ただの事故……だから、そう警戒するなっ」
「……そう」
かつて戦場で腕の無い仲間や足の無い敵など飽きるほど見てきたが、やはりそういった記憶が呼び覚まされるのだろ
う。鈴仙は溜息を吐いて、二人を見送る。
薄暗い永遠亭を歩くでもなく宙を飛び、鈴仙に言われた通りの場所を目指す。兎達は何事かと目を丸くしていたが、
魔理沙はそんなものを構っていられない。
長い廊下の突き当たり。魔理沙は、そこ目掛けて加速し、目標に到達後襖を蹴散らして中へと侵入した。
「……騒々しいわね」
「永琳!! あ、アリスがっ」
「見たら解るわよ。腕は」
「こ、これだけど」
丁度一服していたらしい永琳は、お茶を一啜りしてから応対する。魔理沙に寄越された腕を見て眉を顰め、どうする
べきかと数秒悩んだかと思うと、部屋の衝立の奥へと誘導された。
「とりあえず経緯なんかは後で聞くわ。イナバ、鈴仙とてゐを呼んで来て。人手が足らない」
「だ、大丈夫なのか? どうにかなるのか? なぁ、永琳っ」
「外科は専門外だけど……まぁ、そこらの医者より腕はいいわ。この腕がどうにか出来るかは、解らないけれど、少
なくとも命の保障はする。だから、貴女は少し冷静になって、大人しくしていて頂戴。イナバ、お茶も出してあげて」
「あ、あぁ――」
永琳はアリスと腕を見比べてから苦い顔を浮かべ、イナバ達にテキパキと指示を飛ばす。まだ口もきけそうにないイ
ナバに手を引かれた魔理沙は、項垂れたままそれに従った。
一度だけ振り返り、治療台に横たわるアリスの顔を望む。その表情は無機質で、まるで彼女自身が人形になってしま
ったかのように思えた。きっと、まだ人形なら良かっただろう。縫合すれば直ぐ腕はくっつくのだから。それが駄目な
らパーツを取り替えれば良い。しかし、生物の腕はそうそう替えがきくものでもない。
指定された部屋にポツンと取り残された魔理沙は、己の愚かさに涙する。友人として、ただ戯れただけなのに。何時
もはあれだけ弾幕を張ってじゃれあって、ボロボロになっても次の日はピンピンしていた癖に……今日に限って、何て
事になってしまったのか――。
募る罪悪感が霧雨魔理沙を支配する。心に薄暗い影を落とし、まるで別人のようだった。漏れ出てくる涙を払いもせ
ず、元気の良い霧雨魔理沙をかなぐり捨てて、泣きはらす。
「なんてこったい……私は……なんて、馬鹿な……」
後悔は先に立たないが、後悔しないよう努めるのが自分であった筈だ。大事にならない様、物事を加減して生きる事
こそ自分の本懐であったのに、今はどうかといえば、もはやその面影もない。後悔が白いキャンバスを真っ黒に塗り潰
して、その先に光も見えない。
「私は、どうすればいいんだ……どう償えばいいんだ……」
他人の事などどうでも良い。その態度が上辺だけである事を、今魔理沙は如実に露呈していた。家を捨て、家族から
離れて生きる事を決意したのも、自分には仲間が出来ると信じていたからこそ。人間、一人でなど到底生きられるもの
ではない。自分は博麗霊夢ほど強くはないのだと、実感させられる。
あれは強い。何があろうと恐れもしないし、寂しがるなんてもっての他。人でありながら人に属さない部類と言って
も差し支えない存在だろう。だが、霧雨魔理沙は違う。彼女は人だ。どうあっても人のカテゴリーから抜け出せない、
職業魔法使いだ。そして心も、強くはない。だからこそ、仲間が出来るなんて希望を頼りにして外へ飛び出した。
その大切な友人の一人が、今、自分の所為で思わぬ被害を被ってしまった。いがみ合っていても、心地の良い奴だっ
た。深い干渉はしないし、家に行けば本と珍品とお茶がある。他愛無い話から、魔道の話、趣味のコアな部分まで会話
には出していたが、彼女は弁えていたし、難しい関わり方は避けていた。
それだけの友人は、見つけようと思って見つけられるものではない。その友人関係は、築こうと思って築けるもので
はない。そんな大事な存在を、自ら破壊するなど――
「ぐっ……ううっ……うあっ……」
一体、自分はあの時、何を間違えたのか。どうしてこうなってしまったのか。何故自分が、アリスが、こんな厄災に
巻き込まれなければならなかったのか――
まさか。全部自分の責任だ。
思わず逃避したくなる。今まで、あんなに幸せだったのに。アリスとの口喧嘩も趣味の内であったのに。
今後、アリスが助かったとしたら、自分はどんな目で見られるのだろうか。これが知れたら、周りからどんな言葉を
かけられるのか。どんな視線を刺されるのか。考えただけでもゾッとする。
……これだけを、避けたかった。霧雨魔理沙が一番避けたかったものが、顕現したのだ。
※※※
「アリス、慣れないだろ。んって背伸びしてくれ、んって」
「んっ」
「良し、脱げた。ブラも外すぜ」
「うん」
「おっけ」
「……ごめん」
「あ、謝らないでくれよ。私が悪いんだ。な、アリス」
「……」
服を脱がせ、アリスを生まれたままの姿にして、その白い肌を丁寧に拭って行く。白磁か何かの如く艶やかな色合い
は、魔理沙も羨ましくなるほどに綺麗だった。加えて手入れのされた金髪が良く栄えていて、目に麗しいが、ただ一点
が酷く悲しみを残りしている。
結局、あれから二週間が経ったが、腕はもう駄目だった。永琳は元の腕を媒体として何かしら手を打つとは言ってい
たが、それから音沙汰はない。腕を無くしてからのアリスと言えば……必要最低限の言葉を紡ぐだけで、それ以上語ろ
うとはしない。
生きていれば良い事もある、なんて楽天的な助言がしてやれないのが悔やまれた。何せ、やったのは自分自身である
のだから。
魔理沙はずっと、今に至っても考えていた。この罪をどう濯ぐべきか。永琳が当てになるとも思えず、本人も無気力。
義手があれば少しは生活が楽になるだろうとも考えたが、人形師本人がそれを行わないのではどうにもならない。人体
の構成を把握したアリスだからこそ、人形師でありながらそういった特異なモノまで作れるのだが……。
少なくとも、アリス以上の技師など、幻想郷にはいないだろう。
魔理沙は考える。この状況をどう打破するか――とは、思うのだが――やはり、責任は全て自らに存在する。なれば
やはり、自分がアリスの右腕となるしか、他にないのではないかという結論にしか行き着かない。
「アリス、痒いところとかは」
「ないわ」
「……」
「うっ」
「あ、わ、わるい……」
丁度右腕が……あった場所。包帯を外して肩口を拭いていると、アリスがうめき声をあげる。その悲痛な声を聞くた
びに、魔理沙は憂鬱になった。だが、これも己の所為とすれば、仕方が無いし、自分にはそれしかしてやる事が出来な
い。
「……私、人形師なのよ……人形遣いなの……」
「そう……だな」
「すごく、器用なのよ」
「そう、だな」
「人形を作って使役して、更に至上の目的を達成する事だけが夢だったわ」
「――」
「なのに……これじゃあ……」
「ごめん……」
「あ、う……魔理沙、魔理沙、ごめんなさい……魔理沙、私、そんなつもりじゃ……」
「い、いいんだ。私はお前に愚痴られる理由がある、勤めがある。幾らでも、私に文句を言ってくれて良い」
「でもあの時、私があんな事、言わなければ」
「やっちまったものは、仕方が無いから。時間は戻せないし。ほら、風邪引くから、パジャマ着て」
「――うん」
陰鬱な空気が流れる。元よりあまり活気のないアリス邸ではあるが、ここまでテンションが落ち込んだ事もないだろ
う。
あの時あんな事を言わなければ――
その慰めはあまり意味がない。魔理沙とて、そんなものはどうとも思っていなかったのだから。ただ戯れに、一番小
さい金平糖みたいな魔力結晶を投げてやった。一体どこで配合を間違えたのか……それは魔理沙が思っていた以上の爆
発力で……アリスの腕を吹き飛ばした。
事故、なのだろう。本来ならクラッカー程度の爆発であるのに。魔力抽出した物体がいけなかったのかも知れない。
それを作った当初、新しい物質から抽出した結晶を持っていたからだ。
同じモノを試してみたが、どれもクラッカー程度の爆発ではあったが。その一つだけが余計魔力が篭っていたのだろ
う。ただ、運が悪い方悪い方へと、流れた結果だ。
「今日は、何食べるかな。あんまり重たいのは止めるとして……オートミールかな」
「私、あれ苦手だわ」
「じゃ、おじや」
「うん」
どうやらアリスは部分的に身体を失った所為か(人外らしい極度な自然回復力の所為か)新陳代謝が激しく大分汗を
かく。日に何回か体を拭いてあげないと、汗疹が出来てしまうので、手間を惜しまず魔理沙がやっている。
人外の力とも言うべきなのか、驚く程回復はしているのだが、失った部分は生えてこない。
「……」
傷に効く薬草なども見繕って作られたおじやは、少しばかり緑ががかっていて見た目には美味しそうには見えないが、
アリスは文句の一つも言わず食べる。不慣れな左手でスプーンを使いながらだが、その辺りはやはり器用なアリスなの
だろう、あまり不慣れには見えない。
当然、喜ばしい事でもなんでもないが。
「アリス、おいしいか」
「えぇ」
「その……アリス」
「――なに?」
もう二週間もこうしている。今更、口にする事でもないのかも知れない。だが、これは自分としてのケジメだ。魔理
沙はレンゲをテーブルに置いて、アリスを正面に見据え改まる。
「何もかも、私の所為だ。お前の夢を奪ったのも、お前を不自由にしてしまったのも、全部。命はあげられないけれ
ど、せめて、お前の右腕になるくらいには、なってやりたいと思う。許してくれなんて言わない。幾らでも罵声を浴び
せられても構わない。これは私の責任だから。だから、せめて――」
命はあげられないとは言うが――霧雨魔理沙にとって、自由の死とは己の死だ。ナニモノにも縛られぬよう、上手く
すり抜けてきた自分勝手な人生を何もかもかなぐり捨てる事を意味する。
だが、これはもう仕方が無かった。ここに法はない。法は自分の責任を肩代わりしてくれたりはしないし、アリスを
護ってはくれない。まして相手は種族魔法使いだ。外の世界の一般常識など、ここにはない。
「魔理沙――それは、貴女がここにずっと居るって事? ずっと私の面倒を見るって事? 私は右腕がないだけで、
ある程度回復すれば、きっと人形だって動かせるようになるわ。永琳だって頑張ってくれるかも知れないし、それは、
早計で不用意な決意なのじゃないかしら」
「それじゃあ、私の罪悪感が拭えない。結局自分の事しか、考えていないんだ、私は」
「でも――嬉しくない訳じゃないわ。貴女は一応、私を考えてくれていたって事でも、あるのよね」
「そ、そりゃあ、そりゃあそうだ!! それだけは、間違いない、絶対に」
魔理沙が慌てて弁解する。当然、それが前提なのだ。
「……有難う、魔理沙」
「……」
……その言葉に、魔理沙をどう答えて良いか解らなかった。悲しくなるのだ。しかし、悲しくなるから止めろなどと
とても言えない。だからといって『ああ』と曖昧に答える訳にもいかない。
「……すまない」
結局、出て来た言葉はこれだけだった。それに、もう覚悟は決めた。
霧雨魔理沙は、今日よりアリスマーガトロイドを幸せにする為に、生きて行く。
人間 霧雨魔理沙の幸せ
詰る所、霧雨魔理沙とアリスマーガトロイドとは、元はどのような関係になったか。当然、ライバルとするのが一番
しっくりとは来るものの、更に友人としての関係を築くには、それだけでは些か要素が足りない。互いを認め合ってい
て、尚且つ話し合える仲とはつまりそれを、人は親友と言う。
言いたい事は遠慮なく言う。間違っていると思えば指摘するし、互いの持論の衝突に発展して、結局は弾幕で結果を
捻じ曲げようとはするけれど、互いに頑固で譲らす、平行線は辿るものの、次の日はケロっとして一緒にお茶を飲む仲
の二人。
魔理沙はアリスを馬鹿にしたように言い、アリスも魔理沙を馬鹿にして引かない。互いに馬鹿だと解って尚その関係
を無駄だと言い切らないこの二人は、ある意味奇跡に近かった。
何より、アリスは人間ではないし、位置付け的には魔理沙を一ランク下扱いしていても不思議ではないのだが、同等
と自覚し、プライドも保っている。それは魔理沙がただの人間ではない事も理由だった。
周りが霧雨魔理沙と云う人類を認めているからこそ、でもある。博麗霊夢に引けを取らない力を持った人間。それは
誰も否定出来ない事実だった。
自由人で強盗だが、憎めない。
パチュリーにチョッカイを出し、霊夢をからかい、小問題を残しては何処かへと飛んで行く渡り鳥のような魔理沙。
必要以上に外には出ず、人形を真っ向から見据えて己の研究に没頭するアリス。
表面的な接点のなかなか見当たらない二人だったが、実は根本はかなり、類似していた。
負けず嫌いであるし、蒐集癖はあるし、素直でもない。
そして何より、互いに一人ぼっちだった。
友達といえば聞こえは良いかもしれないが、それは大半が上辺だけであったり、単なる顔見知りであったり。心から
何か本音を言い合って弾で言葉で殴りあう相手はそうそう居ない。特に魔理沙は、親はいても近づこうとはしない。己
に頼って生きてきたのだ。
魔理沙は縛られる事を嫌い、アリスはモノを縛る事を生きがいとしていた。どこまでも似ていて似ていない、歪な二
人がこのような関係に発展したのは、本当に類稀であると言える。同族嫌悪以上に、互いを認める意識が強い関係など
―――
「魔理沙、魔理沙?」
「え、あ、な、なんだ?」
本に顔を向け、ただ読むでもなくそんな事を考えていた魔理沙は、突如の呼びかけに驚いて目をパチクリさせる。
「どうしたの。呆っとしてたわよ」
「な、なんでもない。何となく、色々考えていただけだぜ」
「――そっか。そういえば、霊夢達にもしばらくあってないっけ」
「う? あ、そ、そうだな。でも、逢いに行くのも、もう少し落ち着いてからの方がいいんじゃないか?」
「あら、でも、魔理沙を独占したら、幼馴染に悪いわ」
「女同士で何言ってんだ。それに、霊夢は一人でも寂しいなんて思わない奴だから」
「そうかしら。あの子、大分貴女の事、気にしていたと思うけれど」
「変なところみてるな」
「え、あ。いいえ、何となくそう考えただけ。兎も角、顔ぐらい出して来なさいよ。心配されるわよ」
「うーん……まぁ、もう三週間近く顔出してないしな……ちょっと行ってくるけど、大丈夫か?」
「上海を動かせる程度には回復したし、大丈夫よ、魔理沙」
「解った。何かあったら、直ぐ上海に伝言載せて飛ばせよ」
そこまでやり取りして、魔理沙は身支度を整えると外へと出た。春の陽射しが温かく、久しぶりの陽気に気持ちも軽
くなる。ココ最近春雨にあてられていて、ジメジメしていたのだが、今日はその面影も無くさっぱりとしている。
それに、買い物に行く以外では、久しぶりの外出だった。不定期の往診で永琳に逢う以外他人とも殆ど接していなか
ったのもある。責任感からの解放、といえば多少不謹慎ではあったが、魔理沙は生身の人間である。介護もし続ければ
ガタは来るし、逆に介護する人間が介護される側に回る事も昨今ではありえるものだ。
事件以来沈みがちだった魔理沙への配慮もあったのだろう。アリスは快く、その左腕を振って送り出してくれた。本
当は、当然辛いのはアリスの方だろう。一度腕でも折った者はそれなりに理解出来るであろうが、利き腕が利かない程
不便なものは、なかなか無い。何せ人生の重要な部分の殆どを請け負って来た部位だ。モノを書くにも、食べるにも、
洗うにも、拭くにも、掴むにも握るにも叩くにも数えるにも、痒い場所をかくにも、一般生活で使う殆どを補っている
のであるから、その違和感は尋常ではない。
まして、アリスは人形遣いだ。器用さが売りであるのに、腕を失う事はまさに人生の喪失と言っても過言ではない。
そんな中でも……人を気遣おうと思える者がどれだけ居るだろうか。
魔理沙は少しだけ目尻に涙を溜めて、空へと飛び立った。
「さて、久しぶりだし……何かお土産でも持っていくか」
博麗神社へ向かう手前の人里に降り立ち、和菓子を見繕って行く。甘いものに目が無いのは、どこの女の子も共通で
あると、なんとなく魔理沙は思った。かくいう自分も好きで、甘いものを食べられない事即ち人生の損だとまで考えて
いる。魔理沙にそのような事を断言されても、悲しむ者は少ないだろうが。
「霊夢」
「――あ、魔理沙……?」
「久しぶり」
「アンタ、随分顔みせてなかったわね、何してたのよ」
「お菓子持って来たんだ。話は、それでも突付きながらどうだろ」
「……珍しい。いいわ、あがって頂戴」
霊夢は少し驚いた表情で魔理沙を見てから、上がる様促す。
「はい、お茶」
「サンキュ。ああこれ、水羊羹」
「愚痴でも文句でも何でも言ってよ。大体聞くわ」
どうやらお気に召したらしく、現金な霊夢がぷるぷる云う物体を突付きながら笑う。魔理沙は、そんな彼女を見て、
何も変わらぬ事に安堵した。霊夢は霊夢。高々三週間顔を合わせていないからといって、人はそうそう変わる筈などな
いのだが、魔理沙は少しばかり心配していた。
もう、噂を耳にして、自分を蔑んでいるのではないか――そんな想いがあったからだ。
とはいえ、今から告白するのであるから、意味はないのかも知れないが。
「実はな」
「アリスの腕吹っ飛ばしたんですって? 阿呆な事したわねぇ」
――霊夢はその上を行っていた。
「お前、さっき何してたのよって」
「だから、その間何してたのよって事」
「そ、それ知ってるのは、お前だけか?」
「ここに来る奴大抵知ってるんじゃないかしら。犯人はどうしたって話はしたけど、堂々と顔出したからには、さほ
ど問題にはなってなさそうね。少し、安心したわ」
「む……霊夢は、私をどうおもうんだ?」
「貴女が故意にアリスを傷つけるとも、今一思えないし、事故か何かなんじゃないかって思ってたわ。弾幕ごっこの
規定にあるでしょ、不慮の事故は覚悟しておくことって」
「……弾幕ごっこじゃあないんだ。ついうっかり、威力の強い魔力結晶を使ってしまって」
「成る程。戯れで。事故ね。それで、貴女はどうしたの」
「ずっとアリスの看病してた。これからも、するつもり」
「ふぅん……」
ずずずっと、茶の啜る音が居間に響く。他にする音といえば、春風に踊る木のざわめき程度。そんな環境影響もあっ
てか、ここは時間が大分ゆっくり流れていた。
「これからって、どれくらい」
「一生」
「……はぁ? え、永久就職しちゃったわけ? 冗談でしょ?」
「本気。私は、アリスの命を奪ったも同然なんだ。ライバルだなんて張り合っていた時期も、自分で終らせちまった
し……人の夢を奪ったら、やっぱり自分も死ぬしかない」
「どんな比喩よ」
「お前が私をどこまで知っているか知らないけど……一応、自由に生きる事がポリシーだっただろう」
「貴女らしくもない……自分に縛りをつけた、と。それで責任を取った、と」
「……あぁ」
魔理沙はテンションこそ低いものの、嫌な顔はしなかった。自分にはそんな顔をする資格だってないのだ。諦めで少
しでも、自我に抑えが効くなら、それで良いと思った。
だが――霊夢は、それが引っかかるらしい。あからさまに嫌そうな顔をして、魔理沙から目線を外している。
「甘やかすわね」
「ちょ、ちょっと待てよ。悪いのは私なんだ」
「なんだかんだと、あの子だって妖怪よ。腕が一本ないくらいで、不自由になるものなのかしら」
「た、確かに一般人よか不自由じゃないかもしれんが、人形遣いには致命的だぜ」
「そうかしらね。本気で、あの子とずっと一緒に居ようと考えてるの?」
「そりゃあそうだ」
「それは責任感だけ? いいかしら。私みたいな小娘が言って良いかどうか知らないけれど、愛の無い他人と同居す
る程苦痛な事なんてないわよ」
「アリスは、有難うと言った」
「アイツの事じゃないわよ。貴女よ」
「む……う……」
「確かに、傍から見てても、仲良くしているように思えるけど、一緒に暮らしていくなんて無理があるわ。それにね、
あの子は魔女、貴女は人間。短い人生、何故魔女に一生を捧げなきゃいけないの?」
霊夢は呆れたと呟き、肩を上下させる。普段は使わない”魔女”という言葉に、妙な敵意があった。
「捨食の術さえ、手に入れられれば、そんな事は……」
「傍らで魔女の世話しながら? そんな簡単に手に入る術だったかしら」
「――ああもう、なんなんだ、霊夢。お前、一体何が言いたいんだよ」
「友人として、巫女として言ってるのよ。魔性は魔性だと。アンタ、ほんとに責任感だけなんでしょうね? 魅了の
魔法なんてかけられてないわよね?」
「私は、何もかけられていないし、途中で放棄なんて出来ない。私はアイツを殺したんだ」
「なんてわからずやなの……表でなさいよ。無理にでも止めるから」
「ああいいさっ!!!」
収まりつかない議論が、結局弾幕勝負にまで発展した。良く有る事、といえば良く有る事なのだが、今回はお互い大
分殺気立っている。幻想郷の一番人外に近い人間、しかも大異変解決までするような人間が本気で弾幕などやり始めた
日には、周囲のモノが消し炭にもなりかねない。
炎上するボルテージを抑えるつもりもないらしく、二人の周りには妖怪も裸足で逃げ出すような霊気と妖気が舞い上
がっていた。
「開幕から撃沈してやる、覚悟しろ霊夢っ」
「どーでも良いわよそんなの!! 私が勝ったらさっさと取り消して来なさい!!」
「私が勝ったら二度と関わるなよ、この無神経巫女がっ!! スターダスト、、、、、」
取り巻く空気がぐっと引き締まり、緊張感を生み出す。その様子を感じ取った霊夢が、飛んで来るであろう無数の星
をかわす為に構えるが――――――
「……くそっ」
それは、結局放たれる事はなかった。
「何してるのよ」
「う、五月蝿いな、今、スペルカード全開で……」
スペルカード宣言、直後星の濁流、の筈であったのだが……魔理沙は撃てない。
どうしても、どうしても撃てないのだ。自分よりも強い霊夢を目の前にしているとはいえ……どうしても、アリスの
腕が吹き飛ぶ映像がフラッシュバックする。
晴天の下で、魔理沙は頭を抱えた。弾が撃てない。弾幕が張れない。慌てるようにして八卦炉を取り出すも、マスタ
ースパークのマの字も出ない。
「まさか、魔力まで戒められているんじゃないでしょうね」
「ち、違うっ」
「操られている人間は、皆同じ事を言うわ。魔理沙、貴女はここで大人しくしてなさいよ。私、アリスを打つから」
「何で解らないんだ、なんで私の言葉を信じてくれない、霊夢っ!!」
「貴女、そのヤツレタ顔、鏡で見たこと、あるかしら」
「――えっ」
霊夢は、そう吐き捨てるようにして言うと、魔法の森目指して飛んで行く。一瞬自己を見失いそうに成る程の言霊だ
ったが、魔理沙はそんなものは妄言だとして、すぐさま追いかける。
やつれてなど居ない。自分は何も、疲れることなどしていないのだから。ただ、アリスと一緒に居るだけで疲れるの
であれば、きっと誰と一緒でもそうなる体質なのだと言い聞かせる。
だが……魔理沙は、ここ最近鏡を見た記憶がない事だけは、確かだった。
※※※
『ねぇ魔理沙……前々から思っていたのだけれど……貴女って、何か不思議よね』
『何言ってるんだ? 私は普通の魔法使いだぜ』
『そういう、外面とか、職業とか、繕っているものじゃあなくて、もっと観念的というか、感覚的というか』
『まぁ、アリスも十分不思議だとは思うけどな。人形しか友達いないし』
『あ、あのねぇ。貴女って、私の友達じゃあないの?』
『ライバルだぜ。お茶のみライバル』
『――ねぇ、魔理沙。なんだか、貴女って他人みたいな気がしなくって。私達って、似てるわよね?』
『類友って奴か? まぁまぁ、そうなのかな。私も誇るほど、友人は居ないし』
『そういうの、大切だと思うの。貴女の言動なんか、ちょっと頭に来る事もあるけど』
『そりゃお互い様だぜ。あ、そろそろ霊夢と待ち合わせがあるから』
『む……今日は暇なんじゃなかったの?』
『急に予定だって変わるだろ。妖怪と宴会なんて、ホント巫女は変人だぜ』
『仲良いのね。はいはい。いってらっしゃい――』
「……」
ベッドに横たわったまま、天井を見上げる。思い返せば、アリスを随分と邪険に扱ってきたなと、そんな大分前の記
憶を回想しながら、昨日霊夢に言い放った言葉を思い出して、酷い自己嫌悪に陥った。
『もう関わるな、人でなし!!!』
我ながら最悪だと、自分に苛立つ。もっと言葉はあっただろうに。魔理沙はまだ回復しきらないアリスの前に出て、
霊夢に立ちはだかり、そう言い放ったのだ。あの時の霊夢の目は、絶望と失望と倦怠感の入り混じったような、何とも
表現に窮するものであった。
慎重を心がけていた自分など、もうここには存在していないのかも知れない。言葉を選ぶ苦労すら、投げている。あ
れ程の友人を切り捨てたのだ。あれ程長い間付き合いのある人間を切り捨てたのだ。例え博麗霊夢が悪かろうと、魔理
沙が心労を背負い込むのも仕方が無かった。
「んぅ……」
隣で寝るアリスが魔理沙にまで寄る。意識はまだないらしい。しかし、その手はまるで自分を求めているように思え
て仕方が無かった。いや、求めてくれなければ困る。それで無ければ、何故自分があそこまでしたのか、その理由が無
くなってしまうから。
片腕を無くした人形遣い。生きながらにして命を失った魔法使い。そうしたのは、自分なのだ。
護らなければいけない。新しい誇りを手に入れなければいけない。かなぐり捨てたポリシーの穴埋めとしてしまわな
ければ、霧雨魔理沙は生きて行けない。例えそれがアリスに失礼であったとしても、相互依存は避けられない関係に、
今後なってしまう可能性も含めて考えれば、それも仕方が無い。
……それに何より実際の所、魔理沙はアリスが嫌いではないし、親友であると思っている。同性での恋愛感情なんて
ものは持ち合わせていないが、友人として愛しく思っていると言えば、それは本当だ。
兎に角考えるべきは、今後の関係と、そしてアリスのやる気を如何に起すかだ。
アリス程の技術と永琳の知識が有れば、人間顔負けの義手が完成しても可笑しくは無い。アリスはまだ自分の腕が恋
しいのか、その話を持ち出してはこない。ここは悩みどころだった。
「アリス、朝だぜ」
またまだ眠気があるのか、体温の高く柔らかい左手が魔理沙をぐっと掴む。
「アリスー、アリスお嬢様、朝ですわ」
「それだわ、魔理沙」
「うわ……何だよ急に」
そんな単語を聞いたアリスが、両の眼をがっしりと開けて覚醒する。両手がある事を錯覚した為だろうか、起き上が
ろうとしてバランスを崩すが、倒れかかった所を魔理沙がしっかりと抱える。酷く顔が近くになってしまって、冗談で
大きな声を出して笑かそうとした本人が、大赤面してしまった。
「おお、おんなどうしでも、かか、顔が近いと恥ずかしいわね」
「いや、全く。でも男同士だとどうなんだろう」
「そういえば、男同士で戯れにハグしたりはしないわよね」
「同性愛率って、男の方が高い筈なんだけどな」
「極端なのかしら」
「かもしれない」
意外と真面目な思考を巡らせていた魔理沙だったが、アリスの所為で全て吹っ飛んだ。何となく、それが頭に来たの
で、ここはもう少し巫山戯てみようと、更にアリスに顔を近づける。
「……」
「……巫山戯てやった自分で恥ずかしい」
「ならもう少し巫山戯てみようかしら」
「い、いや、それ以上は、私の範疇外。幾ら、なんでも、無理」
「ば、ばかねぇ。ほら、起きましょう」
自分より背の高いアリスに頭をくしゃくしゃとされて、魔理沙は余計恥ずかしかった。何となく、昔大図書館で戯れ
に読んだ同性愛小説のワンシーンを思い出して、もう筆舌にし難く後悔。思い切りベッドに自分を投げ打って悶絶した。
(くそ、パチュリーめ、なんであんな本持ってるんだ……もってきちゃったけど)
「今日は、私が作ってみようかしら。朝食。リハビリも兼ねて」
「なんだか昨日と打って変ってテンションが高いな。あ、おい。無理するな。私がやるから、お前は上海でリハビリ
してろ」
「今日は調子良いのよ。ホットケーキくらいなら自分でも作れるわ」
「無理は、するなよ」
「魔理沙は何時からそんなに心配性になったのかしら」
「むぅ……」
お前の所為だ、と云う言葉は飲み込んだ。不謹慎すぎる。しかしそれを言ったら、アリスもアリスであった。前より
も棘が無く、丸い印象がある。どもりながら否定するあの定型句もしばらく聞いていない。
とはいえ、丸いアリスもこれはこれで悪いものでもなかった。あからさまに否定されるのも好きな人間はいないだろ
うし、魔理沙も素直ならそれで良いと感じる。
何より、これから一緒に過ごして行くのだから、互いに素直な方が付き合い易い。
「……どう?」
「腕疲れただろ」
「そうでもないわ。ヤッパリ私、器用ね」
「なら良いんだ。美味しいし」
出来上がってきたものは、予想より上出来であったと言うか、魔理沙より上手かった。これだけ出来れば自分の必要
性が……などと多少疑問にも思ってしまったが、まだまだ出来ない事は沢山ある。
「あっ」
そう考えている傍からこれだった。自分の分のホットケーキを細かく切るのを忘れたのだろう。左手で一生懸命フォ
ークを使い、小さくしている様が少しばかり悲しげだ。
「よっと」
対面からアリスの横に移り、ホットケーキを細かくしてやる。アリスは目をパチクリさせてその光景を見ていたが、
どうやら調子に乗ったらしく、切らせるばかりでは飽き足りず、餌付けしてくれと言わんばかりに口を開けて待ってい
る。これも復讐の一環か、と魔理沙は多少顔を赤くしながら、それに付き合う。
「えい」
「もぐ」
「えい」
「もご」
「えい」
「もぐぉ……」
「えい……」
しかし、やられてばかりなのも、一応魔理沙にもあるプライドが許さなかったので、これ見よがしにアリスの口にパ
サつくホットケーキを捻じ込む。些かやりすぎたか、と思った所で止めては見たものの、アリスはさほどイラ付いた様
子も見せない。魔理沙は完全に敗北した。
「魔理沙、おちゃ、おちゃ」
「はいはい」
「……じゃ、次魔理沙ね」
「い、いらないのぜ」
まさかの反撃に口調が可笑しくなってしまう。口にホットケーキを詰められるのが嫌というよりは、恥ずかしすぎる
思いが強い。それではまるで姉に弄られる妹のようだ。
「い、いい。いらないぜ」
「駄目よ。お礼お礼。はい、アーンして」
「うう……なんなんだ……あ、あー……」
「ごめんするわよ。あら二人とも元気そうね。肩並べてアーンだなんて恥ずかしいったらないわね」
魔理沙は、即座に口を閉じて椅子から宙返りして下りると、そのまま机の下に隠れてしまった。アリスは目の前で起
きた珍アクションに呆然としていたが、侵入者の顔を見てすぐさま手に持っているフォークを下げて苦笑いした。
「酷く落ち込んでいるんじゃないかと見舞いに来たのだけれど、とんだ無駄足だったかしら」
「ぱ、パチュリー……わざわざこんな所まで、こんな朝早くこなくても……」
「見られた……見られた……あんな恥ずかしい所見られた……しかも女同士であんな、ああぁぁ……」
「魔女は背徳の権化よ。同性愛なんて何のその。それよりもっと如何わしいもの期待して来たのだけれど」
「パチュリーこわい、パチュリーこわい」
魔理沙は多少ショックで恐慌状態に陥っているらしい。アリスはそんな魔理沙を片腕で猫のように摘み上げて、食卓
に並べてやる。パチュリーは口元を歪めて苦笑いし、同じテーブルに腰掛けた。
「で、お見舞いは良いけれど、早過ぎない?」
「あんまり遅いと、ベッドで仲良くならんでおねんねしている貴女達が見れないじゃない。でも、もう少し早く来る
べきだったわ。魔理沙、お茶」
「……う、うい」
予想外の来客に理不尽さを覚えながらも、魔理沙は致し方なく給仕する。何より、二人ともまだパジャマであるし、
あまりヒトに見られて良い状態とも思えない。ここ最近、無粋な自分がもっと無粋になって、自分に興味がなくなって
来た感があるので、いざとなると尚更だ。
これは、昨日霊夢から言われて気が付いた事である。昨日、霊夢が引き返してから鏡を見て、驚いた。元から肉付き
は良い方ではないが、それにしても少し酷い。あまり髪も梳かしていないし、風呂には入っていても乙女らしさの欠片
が足りなすぎた。頬の骨がうっすら浮いていて、自分でも怖い。
それをアリスに話したところ、泣かれてしまったので今後は気をつけようと思っていた矢先の来客だ。魔女はすべか
らく空気を読む能力が欠如しているらしい。タイミングも空気の内だろう。
「あら、魔理沙もお茶は煎れられるのね」
「お前な、私をナンダト思ってる。何年一人暮らししてると思う」
「今は同棲よね」
「あのなぁ」
「まぁまぁ落ち着いて。ちょっと良い話を持って来たのよ」
「なんだ?」
「レミィから粗方聞いてるわ。又聞きでしょうけど。薬師が頑張っているらしいけれど、どこまで本気か少し解らな
いし、なんなら交流の深い私が出て行ってみようと思い立った訳よ」
「今一話が見えんな。どういう意味だ?」
「私達魔女よ? なんで魔法に頼らないのかしら。ほらみて、これ」
パチュリーは手提げから一冊の本を取り出してテーブルに置く。二人はなんだなんだとその表紙を覗いてから、数秒
の間を置いてパチュリーの頭を叩いた。
「いたっ。何するのよ」
「あのな、これキメラの合成に関する書物じゃないか。アリスをキメラにする気か」
「ちょっといただけないわ。パチュリー」
「そう、いいアイディアだと思ったのだけれど」
「そもそもパチュリー、お前。合成とか調合とか錬金の類苦手だろう」
「お、補い合ってこそ友情だと思うわっ」
パチュリーは立ち上がって吼えた。だが、二人はもう少し冷静であったので、パチュリーはコホン、と一つ咳払いを
して改めて席につく。
「……まだ、永琳がどこまでやってくれるか解らないし……駄目なら、仕方ないかしら」
「あ、アリス。そう悲観的になるな。な、ほら、ホットケーキあーんしてやるから……」
「……蚊帳の外ね私」
もしかしたら邪険に扱われるんじゃないか、なんて予想をしていたパチュリーだったが、まさかこれほどあからさま
だとは思いもしなかった。一応、本心としても真面目なつもりだったのだが、二人とは思考回路がずれているのかもし
れない。魔女成り立てと人間魔女と百年魔女では、大分温度差があるらしい。
「とりあえず、お礼だけはしておくわ、パチュリー」
「え、えぇ、いいのよ。あ、ああそうだ。生活便利グッズなんてのも持って来たのだけれど」
「どこ製なんだ?」
「パチェ製よ」
「いらないぜ……」
「酷い……も、貰うだけ貰ってくれても良いじゃない」
「あるだけで怪奇現象が起こりそうだしなぁ」
「これなんてどうかしら。背中かき妖精の小瓶ー」
「うわぁ……」
パチュリーは、必死だった。
「背中をかくだけの妖精が居た事に驚きだし、それ閉じ込める奴の気が知れないし、怪しい」
「便利なのに……背中をかく程度の能力……」
「ぱ、パチュリー、もういいから、もういいから……」
アリスの制止に、パチュリーはなくなく自称便利グッズを手提げに仕舞う。
二人は、一体何しに来たのか、と云う言葉を飲み込んで接する事にも、そろそろ限界を感じ始める。双方、当然パチ
ュリーがカラカイに来たとは思っては居ないが、空気が合っていない。
「……ごめんなさい。あのその、なんて言って良いか解らなくてね? だって、人形師が腕を無くすなんて、どんな
顔をしてお見舞いしたら良いか、解らないじゃない……」
……ここでやっと、来客の本心が見えた。
「それだったら、ちょっと茶化すくらいのノリで赴いた方が良いかなって思ったのよ。ホットケーキ突付きあってた
し、そのノリで突っ切っても良いかなって思ったけれど、やっぱり深刻よね。本当に、ごめんなさい。帰るわ」
「あ、ちょっと待てよ。来て何分も経ってないだろ。お前だって半分病人みたいなもんなんだから、少し休んでいけ
ばいいだろう?」
「魔理沙……」
「ああもう、そんな涙ぐむなよ、幾つだよ……」
「百歳児……」
「魔理沙、お話は着替えた後にしましょ。パチュリーも、ゆっくりしていって」
「えぇ……ごめんなさい」
パチュリーを落ち着かせ、二人はまず着替えてから改める。図書館に出入りしているから三人集まる事は珍しくもな
いが、最近はアリスの問題もあって揃って顔を合わせる事も無かった。魔理沙としてはその内話に行こうとも考えてい
たので、これはこれで手間が省けたといって良い。
しかし、魔理沙が思っていた以上に話が広がっているらしい事は、意外であった。その内ブン屋も飛んでくるのだろ
うと思うと、憂鬱で仕方が無い。
パチュリーの話では、噂に尾鰭背鰭がついて、愛憎劇のなれの果ての殺し合いだ、と云う所まで話が構築されている
との事。一体、皆どういった思考回路を有しているのか魔理沙は非常に気になったが、永夜以来仲が良い悪いとハッキ
リしていなかった世論は、これで確定してしまったのだろう。
ちなみに、謝罪の意味も込めて同居している、と云うのは正解であった。
「そっか……まぁ、仕方ないかもしれない」
「真実を聞かされた上で第三者から言わせて貰えば不幸な事故よ。アリスには悪いかもしれないけれど」
「いえ、パチュリー。私だってそう思うわ。魔理沙は馬鹿だけれど、進んでそんな事するような鬼畜じゃないもの」
「……」
「それにね、嬉しかったわ。これからどうなるかなんて、解らないけれど、魔理沙が自分から私の面倒みてくれるな
んて言ってくれて。ちょっと戸惑ったけれど、素直に、嬉しい」
「魔理沙は、そうね。私が分析する限りでは、傍若無人とはまた異質だもの。一本スジが通っていると言うか、妙に
悪人になりきれていない悪人なのだけれど、ちゃんとした法則があるみたいな」
「そこまで分析されてると思うと、なんだか恥ずかしいぜ」
「魔女だもの。敵を知るには情報と分析よ」
「敵ね。敵。パチュリー、他意は無いのかしら」
「ななななな、ないわよ。だって泥棒だもの」
「パチュリー……最近、魔理沙がこなくてどう思った?」
「べべ、別に何とも思わないわよ。本が減らずに助かるわ」
「ちょっとも寂しくなかった? 私が分析するに、大分楽しんでいたようだけれど」
「や、やめて頂戴よ。ああもう、魔理沙の目の前で追求する事なのかしら、アリス」
「変な友人が多くて困るぜ……あいや、別に嫌いって訳じゃないんだが、その。あれだ、うん」
どれよ、とアリスに突っ込まれた所で、魔理沙は席を立って逃げ出した。どうにもこうにも、人外二人も揃われると、
流石の魔理沙も敵わない。普段なら適当に流して適当に自分の話をするのだが、そういった気分でもないし、反論して
何かしら利益があるものとも感じれないので、選択肢を逃避とした。
外に出て、深く息を吸い込み、吐く。こんな酷い有様ではあるけれど、三人で会話するのは久しぶりだし、アリスに
至っては怪我以来初めての友人だろう。大分話し込んでいるし、笑顔も絶えない。辛い境遇にありながらも笑顔で居ら
れる素晴らしさは、人型生物の特権なのかもしれない。
知性のある者は、現実から目を背ける事が出来る。知性がない動物も逃避するが、人間の逃避は深い。
抑圧逃避退行置き換え昇華反動形成補償取り入れ同一化投射合理化打消し隔離。自我を保つ為に人間が持つ理性の防
御策は様々あるが、アリスのモノは軽い。一時はショックから同一化をはかられたり、徹底的な退行をされたりしたら
どうしよう、とまで魔理沙は考えたが、思っていた以上に、アリスは強い女性だった。
笑顔でいられる。例えそれが、一時的な逃げだったとしても、これほど幸せな事はない。
「魔理沙」
青い青い空を見上げながらそんな事を考えていると、背中から声をかけられる。小声の早口。パチュリーだ。
「パチュリー。日に当たると髪が痛むぜ」
「いいのよそんなの適当で。それより少しお話があるのだけれど」
「アリスは?」
「喋り疲れたそうよ。ベッドで横になっているわ」
「そっか。大分話したものな。なら、いいか」
「うん……」
紫色の髪を弄りながら、何かしら話そうとはしているが、切り出せないで居る。まるで十代の少女が深刻な悩みを告
白するかのような間に、魔理沙はむず痒くなるが、それに対して突っ込みは入れない。
「……ねぇ魔理沙。貴女がアリスに投げつけたっていう魔力結晶を見せてくれない?」
「あ、ああ。構わないけど。宴会用に作ったんだ。大した威力じゃなかった筈なのだけれどな」
帽子の中をごそごそと漁り、金平糖のような結晶をパチュリーに手渡す。
「起動式は」
「Explosion. 本当に、簡易なものだから呪文もワンフレーズだ」
「Explosion」
幾つかの金平糖を、無数に生い茂る木に向かって投げつける。破裂は当然、ごく少量。まさに宴会用クラッカー程度
のものだ。
「私達は魔女よ。魔法に意思力を込める事によって小さい力も多少は大きく出来る。貴女はこれをアリスに投げつけ
る時何か願ったかしら。死んでしまえとか吹き飛んでしまえとか」
「馬鹿言わないでくれ。込めたのは『驚け』だよ」
「それは間違いない? 一言一句間違えてない? 本当にそれだけ?」
「くどいな。それだけだぜ」
「そう――」
パチュリーは一つ小さな溜息を吐いて、その場に座り込んだ。魔理沙は何事かと駆け寄ろうとしたが、片手で制止を
促された為に、その場で留まった。
どう見ても……パチュリーは膝に顔を埋めて、泣いていた。勿論、魔理沙にはこの涙が一体何を意味するのかさっぱ
り見当が付かなかったが、その意味合いの深さだけは、何となく悟れた。
気になりはする。だが、それを聞くほどの勇気が、今の魔理沙にはない。
「ねぇ、魔理沙。貴女は今幸せかしら」
「言っている意味が解らないぜ」
「そのままよ。貴女はアリスと居て幸せ?」
「……」
そしてまた。魔理沙はこの質問に対する答えも持ち得ない。どうなのだろう、どう思っているのだろう。アリスに縛
られる事が当然、自分への戒めなのだから、幸せであっては問題だ。だが、長く付き合っていかなければならないと思
えば思うほどに、成るべくなら幸せで在りたいと願う心もまたある。
霧雨魔理沙は人間である。年端も行かぬ少女である。その人生を魔女一人に捧げなければならないと云う使命感は、
果して正しいのか、間違っているのか。
――それもまた当然、魔理沙は答えを有してはいない。
「久しぶりに話せて楽しかったわ。今度は二人で来て頂戴。美味しいお菓子を用意して待ってるから」
「帰るのか」
「えぇ。結局落ち込んではいるようだけれどアリス自身は元気そうだし……あとこれ」
ポケットから出て来たのは、一つの小瓶。
「これはね、気持ちを占うマジックアイテム。本心を一瞬だけエーテルで具現化してくれるお茶目なやつよ」
「呪いとか篭ってないだろうな」
「さぁ、どうかしら」
パチュリーは、魔理沙の手を覆い隠すようにして、それを手渡す。まじまじと目を見つめられて、羞恥心が湧き上が
るが、それはないないと否定してみる。
彼女の目は本気だった。否定を許さないような、魔女の目。風にたゆたうように飛ぶ彼女とは思えないような、真摯
な視線。
「体にだけは気をつけてね。貴女はそもそも人の世話をするなんて事慣れていないでしょうから」
「ありがと。パチュリーはお母さんみたいだぜ」
「九十近く年上なのよ? 魔理沙ちゃん」
「ちょっと気味が悪いな」
「ふふ……またね。アリスにも宜しく」
言い終えて満足したのか、パチュリーはふわりと中に浮き上がる。ゆったりとした動きが、何故か今まで以上に薄幸
の少女の様に取れたのは、きっと気のせいなのだろうと、魔理沙は自分を納得させた。喘息なのに魔女。魔女で喘息。
半病人の魔女は、上空から手を振って、彼方へと消えていった。
※※※
さてどうしたものか、と博麗霊夢は思案する。別に魔理沙が誰とくっつこうが、それが常識から外れていようが、あ
まり問題ではないのだが、問題は魔理沙が明らかな魔性に囚われている事であった。
あのこけた頬に疲れた表情。例え不慣れな介護とて、一ヶ月程度でそうなるなど考え難い。しかも、魔理沙の様子を
窺った限りでは、自覚症状は無いと見える。
一応、あれでも友人だ。物事平等に接しているが、目の届く範囲の者を贔屓する感覚ぐらいは持ち合わせているし、
霊夢はそれほど完璧を求めている訳ではない。故に、心配であった。
アリスがどのような経緯で腕を失ったのか明確には聞いていないものの、最早それこそが既に怪しい。幻術の類か、
スリコミの類か、判断はしかねたが、アリスがどうにかなってしまっているなど、今一信じ難いのだ。
何より、何かしらの実験に使うであろう札を買いに来た永琳から聞いた話であるし、その時点で真実が歪められてい
るとも限らない。
兎も角、霊夢からすると、アリスは疑わしいし、魔理沙は不自然でならなかった。
何かある。霧雨魔理沙を束縛する、何かがあって然るべき。……これすらも、本当はただの思い込みなのかも知れな
いが、勘繰るべき点が多すぎる事実は否定出来ない。
ではどうするか。どうこの疑念を払拭するか。
霊夢は……あまり選びたくはなかったが、仕方なく永遠亭を目指す事とした。八意永琳がどこまで喋るか解らないが、
あの二人から離れていて、一番事情を知っていそうなのは彼女だ。
そこでも把握しきれないなら、仕方が無い。直接乗り込んで見るのも、選択肢の一つである。そうなれば魔理沙との
交戦も避けられないだろうが……その一戦で目を醒ましてくれるならば御の字だ。
霊夢はそこまで考えつくと、身支度を始める。持てるだけの武装をして、一筆書きおきをした。
少なくとも霊夢から見て正気ではない魔理沙が、どんな行動を起すか見当もつかないからだ。
「霊夢、どこ行くんだ?」
「萃香。一日経って戻ってこなかったら、紫にでも知らせて頂戴」
「……は、はい?」
「いってくるわ」
萃香にそう言い残して、霊夢は神社を後にする。
移動距離はかなりのものであるが、日照時間を考えればあまり悠長にもしていられないので飛行速度は緩めない。も
し本当に霧雨魔理沙がアリスマーガトロイドの、何かしらの術中に嵌っているなれば、妖よりとなっていても可笑しく
はない。あの魔理沙が、夜で、しかも妖よりとなってしまっていた場合、博麗霊夢が如何に強いからとて、無傷では済
まされないからだ。
……神社を出て数十分。現時刻は十一時半。勘を頼りに竹林に入って、およそ十分で目的地を発見した。
相変わらず室内は薄暗く、蝋燭の明かりがなければ中の様子が窺い知れない程だったが、丁度玄関で月兎がぼけっと
していたので、それを引っ叩いて家の案内をさせたのが功を奏している。強すぎる外道過ぎると喚く鈴仙の耳を引っ張
り、廊下を歩く事数分、やっと永琳の診療室が見えた。
「はいありがと」
「いたた……お願いだから暴れないでよ。私、師匠に殺されちゃう」
「だから話を聞くだけだってば。元から客として迎え入れてくれればこんな目にあわずとも済むのよ、馬鹿ね」
「馬鹿に馬鹿とはいわれなくないわよ……」
襖を開けた先には、どうも機嫌が宜しくなさそうな薬師が一人。原因は恐らく、その手元で震える洋菓子だろう。ス
プーンを口に運びながら、思い切り霊夢を睨みつけていた。
「お邪魔だったかしらね」
「邪魔じゃないと思う? こちとら寝ずに連日再生作業に追われていて、たった今解放されたから、そりゃあもう楽
しみにしていたプリンをね、今食べているところなのよ? 解る? 少女甘露中なの」
「あら、なら混ぜなさいよ。ただとは言わないから」
「……その手のモノは」
「水羊羹」
「なら、いいわ」
魔理沙からの貰い物だと云う事は伏せて、甘露を欲する永琳に手渡す。不機嫌な顔が一転して笑顔になったのは予想
外だったが、何事も備えあれば憂いなしなのだなと、霊夢は先人に感謝した。
「後で楽しみましょうかね。それで、何のようかしら。一見見た限りでは、結構深刻そうだけれど」
「難しい話じゃないわ。ちょっと個人情報を漏洩してくれるだけで良いの」
「あら、ならお安い御用ね。何せ水羊羹も貰ったし。私、賄賂嫌いじゃないのよ」
「そう。じゃあまず一つ。アリスマーガトロイドは、本当に腕を失ったのね」
「本人を見ていないの? 本当よ。ほら、そこの培養液の中で浮いているのが、その腕」
永琳が指差した先にあるのは、霊夢の見慣れない形をした機械を土台に聳え立つ硝子の大きな筒。得体の知れない液
体の中に、真っ白な腕が浮いていた。
周りには何層かの注連縄が張り巡らされており、硝子の筒には霊夢が売った札が貼られている。
「蚶貝神符に蛤貝神符。貴女から購入したとなると、効果は疑われたけれど……なかなか霊験あらたかね」
「科学に呪術の組み合わせなんて、なんだかグロテスクね。というか、なんとなく貴女の出生が覗えるわ」
「詮索はやめてちょーだい。それで、他には」
「そうね。ここに来た時の、魔理沙の様子はどうだったかしら」
「普通よ。普通と言っても、慌てた人間の普通。そりゃあ恋人の腕吹っ飛ばしたのだもの、驚くわよね」
「恋人って……あの二人女よ」
「あら、ここの土地ったら不思議なのね。月が先進的すぎたのかしら。意外と普通よ、普通。でも、日本人は性に大
分寛容だった覚えがあるのよね。半端に隔離されるとそうなるのかしら。この辺りは上白沢のお嬢さんに郷土史でも聞
けばいいのかしら」
「……」
永琳の噛み合わない話に、噛み合わない価値観に頭を悩ませながら、話を噛み砕く。噛んでばかりで顎が痛くなりそ
うだったが、今は仕方が無い。
詰る所、魔理沙が何かしら術中に嵌っている可能性は少ない、と云う答えだけが導き出されたのだ。では怪我をさせ
た後はどうか……と考えると、それこそ可能性が薄かった。幾らアリスが人外であるとはいえ、不完全な体のまま、し
かも応急手当後直ぐ魔術行使などしないであろうし、更に言えば魔理沙はそこまで阿呆ではない。
「……そう」
「もしかして、そう。盗られちゃったの。可哀想に。ならうちの月兎なんてどうかしら。強力な霊力を持つ貴女と狂
気の月兎のあいのこ、どんなバケモノが出来るか気にならない?」
「意味がわからな……でも、貴女なら出来そうね」
「基本的な遺伝子情報は女性が全て内包しているんですもの。出来て当然よ」
あまりに吹っ飛んだ話に、流石の霊夢も疲れてきた。
「解った。押しかけて悪かったわね。お暇するわ」
「あら、プリンつつかないの? 美味しいわよ?」
「プリンも水羊羹も貴女が食べて頂戴」
「情報と割が合わないわ。ああ、ならどう? 天才と天才の子を……」
「嗚呼、なんかもう、意味わかんないこの人……」
霊夢はそれの一体どこの割なのか、と云う考えを完全に放棄し、永琳に背を向ける。
「そうだ。明日にはこの腕も安定する筈なの。調子を見に行くから、そう伝えてあげて」
「はいはい。それじゃあね、変態薬師」
「酷い暴言ねぇ。まぁいいわ。休憩中以外は何時でもいらっしゃい」
部屋を出た所で、なにやら聞き耳を立てていたらしい鈴仙を発見。霊夢の顔をみて思い切り赤面し始めるが、なんだ
かそれが妙に頭に来たので、憂さ晴らしも兼ねてしわしわの耳を引っ張って伸ばしてやってから、霊夢は永遠亭を後に
した。
「なら……魔理沙は本気なのかしら」
霊夢は竹林を飛びながら、改めて考える。
一体魔理沙の、どの責任感が、どの使命感がそうさせているのか。長い付き合いなれど、基本的にどうみても適当と
しか思えない。何かしら配慮した行動など、目の前で起された事はないのだ。
魔理沙の顔を思い浮かべる。別に、一生逢えなくなる訳でもないのだが、胸の中には言い知れぬ蟠りがあった。
それに、アリスの事もある。わざわざ永琳が模造品など用意するはずもないだろうから、間違いなくあの腕はアリス
のモノなのだろう。本当に不自由をしているとしたら、それはそれは、可哀想な話だった。
「……」
何故二人は自分に相談してくれないのか。自分は、二人の友人ではなかったのか。お茶飲みながら、お酒呑みながら、
ああでもないこうでもないと、本心から語れる仲ではなかっただろうか。
では何故二人は閉じ篭っているのか……といえば、そう。ある意味自分の責任でもあった。魔理沙の話を一方的に否
定して聞きもせず、アリスの家に突撃したのは自分だ。
――では、では何故。
何故自分はあの時、あそこまで腹がたったのか。
魔理沙は元から人の世話など得意な部類の人間じゃあない。それに、責任感でも使命感でも良いが、それに伴ってア
リスと云う縛りを作った魔理沙は……それは、自分を殺したと同等だと……魔理沙も告白していたはずだ。だったらそ
れに応じた心労も少なくは無いだろうし、顔に疲れが表れても、可笑しくは無い。
「そう、か」
思考の行き着いた先は、実に単純だった。
「悔しかったんだ」
自分と云う人間は。博麗霊夢と云う人間は。無二の親友をアリスマーガトロイドに盗られてしまったと、ヒステリー
を起したのだ。少なくとも三日に一回は顔を見せる魔理沙であったのに、三週間も顔を出さなかった。
もしかしたらアリスの家に居るのではと思い、何度も様子を窺いに行こうと思い立って、止めていたではないか。
「馬鹿らしい……」
こんなもの、引き摺っても仕方が無い。霊夢は方向を転換して、魔法の森へと行き先を定める。
「謝ろう」
友人をとられて怒るなんて、どうかしてる。そもそも、とられる、なんて単語が浮かぶ時点で、自分はどこか可笑し
いに違いない。きっと勘が良すぎるから。それが半周ほどして、思いもよらない思考に陥ったに違いない。
元通りにすれば良い。魔理沙一人で辛そうなら、どうせする事も少ない自分だ、何かしら手伝ってやれば良いだけの
話。これで円満。これで解決。何の憂いも無い。
「霊夢だけれど」
魔法の森の奥。こじんまりとした洋風の家の扉を、数回ノックして名乗る。
……答えはない。
戸締りの魔法がかかっていない所を見ると、中にいる筈なのだが……そう思い、霊夢はドアノブを捻る。
「……誰も居ない」
二人の気配はなかった。薄暗い部屋は、窓から差し込む日の光だけが光源となっていて、人の住まう家にしては少し
不気味に感じられる。失礼かとも思ったが……今のあの二人を考えると、ここで引く訳にはいかなかった。
ある意味、病的に思えたから。もしかしたら、何かを悲観して禁呪を用いて、心中……なども、否定出来ない。
「魔理沙、アリス?」
返事はない。
部屋の中に入り、辺りを見回す。相変わらず人形だらけで、まるで視線を浴びて監視されているような緊張感が湧き
上がるが、吸血鬼から宇宙人までいる幻想郷、今更怖いものでもない。
「……ん?」
奥の机。恐らくアリスが物書き用に使っているであろう場所に、ポツンと一つの分厚い本があるのが解った。「何故
それが気になったか」は、あえて考えない事とする。
近寄って手に取ると、それはDIARY とある。
日記帳。つまり、乙女の、日々の生活が誇張などされて書き込まれている、あまり触れてはいけないものだ。
「……」
酷く、気になった。鍵をかける場所もついているのだが、今は外れている。ぴらりと捲れば、そこにはアリスマーガ
トロイドが日々考えている事が、書かれているに違いない。
辺りを見回し、警戒する。謝罪に来て罪を重ねてどうするのかと霊夢は考えたが……それ以上に、今、アリスマーガ
トロイドが何を考え、何を思い、何を感じて生きているのかが、気になったのだ。
先ほど振り払ったはずの疑念がフツフツと甦る。
霊夢は、その日記を開いて――――――唖然とした。
つづく
一体どうなってしまうんだろう…?
登場人物の心情描写が上手いなぁ。
恐怖に触りそうで触れないこの緊張感がたまらない。
後編も読んでくる。
後半途中で読むのを放棄しかねないのでここで評点入れておきます。
知りたいような怖いような………
この切り方はタマラン
えもいわれぬ恐怖感が。
的確なキャラ描写とか、
埋もれさせたくない名作の予感。後篇次第ですがw
気になって仕方ありません・・・。
月の先進的な考えに感服せざるをえない。
でも読みたい。でも怖い。ああ。
賄賂は嫌いじゃない永琳
くそっ笑ってしまった
シリアスなのに…シリアスなのに…
そんな単語が浮かんだ…
後半見てきます
後編へ行って来ます。