午前6時
いつもどおりの時間に私は目を覚ます。
横では、これまた、いつもどおり橙がまだ寝ている。
私は橙を起こさないよう、静かに部屋を出る。
朝、目を覚ましたらまずは朝食の用意だ。
今朝は何にしようか……
橙は魚が好物だが、毎回魚というのも考え物だ。
紫様の好物は………
ダメだ。
あの方は好物がコロコロ変わるから解らない。
前に嫌いだと言っていた物が、突然好物に変わっていたりもする。
もしかしたら、単に気分が乗らなくて食べる気のしない物を、適当に「嫌い」だと言っていたのかも知れない。
本当に好物が変わったのかもしれない。
まぁ、あの方を完全に理解するなど不可能な事だ。
変わったなら変わったなりに順応していけば良いだけの事だ。
む?そうこう考えている内に米が炊けた様だ。
この、紫様が持ってこられた「炊飯ジャー」なる物は本当に便利だ。
前なら、もっと早く起きて米を磨いで、それから漸く炊き始めていた。
だが、この炊飯ジャーは、「タイマー」なる物が付いていて、お陰で私が目を覚ます時間に炊き上がる様に設定できる。
米も前日の夜に磨いでおけば良いので、朝が長めに寝れる様になった。
ふぅむ……まぁ、今朝の朝食は目玉焼きに野菜炒め、それに漬物で良いか。
良し、献立も決まった事だし、朝食の準備に取り掛かるとしよう。
午前7時
「藍様、おはようございます~」
寝ぼけ眼の橙が起きてきた様だ。
「ああ、お早う、橙。顔を洗って目を覚ましてきなさい」
「は~い」
橙は返事をすると、目を擦りながら洗面台へと向かっていった。
そして、ややしてから
「ふああぁぁぁぁ………」
紫様が珍しく一人で起きて来られた。
「おはようございます、紫様。珍しいですね」
「ん~……なんか目が覚めたわ………朝ごはん、何?」
ボーッとして目をしながら私に尋ねてくる。
「今日は目玉焼きに野菜炒め。それから漬物です」
「ん~………」
紫様は献立を聞いて、気だるそうにしていた。
私は紫様が何を考えているのかを察した。
「藍、私…」
「ダメです」
紫様が言葉を続ける前に釘をさす。
「…まだ何も言ってないじゃない」
言って無くても何を言おうとしたかは察してますよ。
「どうせ朝食要らない。とか言うんじゃないんですか?」
「……解った?」
「どれだけの付き合いだと思ってるんですか」
「うぅぅ………」
「嫌いだろうが気が向かなかろうが食べていただきますよ」
朝食ばかりはこじつけの理由は却下する。
「朝食は一日の大切な活動源です。しっかり食べていただきますからね」
「はぁ………貴女、本当に人間の母親みたいね…………」
「誰の所為でそうなったと思ってるんですか」
「………橙ね。まったく、あの子ったら…………」
「それも否定しませんが、大半は紫様です」
「解ったわよ、もう………顔洗ってくるわね」
「あ、今は橙が使ってますので少し待っていただけますか?」
「んもぅ、タイミング悪いわね……居間に居るわ」
「はい。ですが、くれぐれもちゃぶ台に突っ伏して寝る等と言うお行儀の悪い真似をされませんよう」
「本当、貴女口うるさくなったわね」
「橙が真似したら困りますから」
「はぁ………貴女、本当良い母親になるわよ」
「ありがとうございます」
紫様の皮肉を受け流して再び朝食の準備を続ける。
それから30分ほどして朝食が出来上がり、食卓へと持っていく。
居間には既にちゃんと目を覚ました橙と
「紫様!!さっき注意したばかりじゃないですか!!!」
ちゃぶ台に突っ伏して寝ている紫様が居た。
「あ~………ご飯?」
顔だけ起こして紫様が尋ねてくる。
「何でさっき注意したばかりの事をするんですか!!」
「………ごめんなさいね、多分、その時私まだ寝てたんだわ」
「見え透いた嘘は良いですから、顔を洗って目を覚ましてきてください!!」
「はいはい……」
「「はい」は一度で構いません!!」
「解ったわよ、もう………」
面倒くさそうに立ち上がり、紫様は洗面台へと向かった。
「橙、紫様のああいう所は真似してはいけないよ」
「あ、はい」
橙があんな風になったら私はきっと泣くだろうな……
その後、紫様が戻ってきてから私達は朝食を食べた。
午前8時
朝食も終わり、私は食器を洗っている。
何だかんだと言って、紫様もちゃんと朝食は食べた。
紫様は食後はお茶を飲んでゆっくりとしている。
一方、橙は朝食を終えると、大抵外に遊びに行く。
今日は人の里の寺小屋も休みの日だから、里の方に行くだろう。
「藍様~」
そう考えていると、橙がやって来た。
「今日は里の方に行ってきますね~」
「解った。気を付けて行ってくるんだよ」
橙には毎回、出掛ける時は行き先を言うようにさせている。
私の式である時は、そこらの妖怪顔負けの力を持っていると言っても、不安はある。
力があってもそれを使いこなせるだけの知恵と経験がまだ橙には圧倒的に足らない。
その不安要素の所為で、地力で勝るはずの相手に負ける事も有り得る。
スペルカードルールで戦うならいざ知らず、妖怪同士の闘争はそのまま殺し合いになる事も珍しくない。
万一の事が起きた時に、直ぐに救援に迎えるよう、そして危険地域の注意を促せるよう、行き先を言うようにさせているのだ。
まぁ、尤も
橙に本格的な危機が迫った時は、私よりも紫様が先行されるのだろうが。
紫様もあれで橙の事を可愛がっておられるからな。
とは言え、紫様は私の主で、橙は私の式だ。
私の式の事で私の主の手を煩わせるのは、式として問題ありだ。
故に、私も紫様の手を煩わせる事の無い様、出来うる限りの対処をしておかなければならない。
さて、そうこう考えている間に食器洗いが終了した。
次は洗濯だな。
正午
洗濯、掃除と一通り家事を終えると今度は昼食の時間になる。
紫様も何時の間にか姿を消されていた。
まぁ、隙間を使って何処かに行かれたのだろう。
いつもの事だ。
さてと、そろそろ橙も帰ってくる頃だろうし、三人分の昼食を用意しないとな。
「橙の分は要らないわよ」
突然、後ろから声がかかった。
誰かなどは考えるまでも無い。
「紫様、どうしてですか?」
振り向くと、案の定、そこに居たのは隙間から上半身だけを出している紫様だった。
「あの子、人間の家にお昼を招待されてたから、許可しておいてあげたわ」
「なるほど、そうでしたか。態々ありがとうございます」
紫様の事だ、橙が誘われて迷っている所に出て行って上手く取り持ってくれたのだろう。
「別に礼を言われるような事をした覚えは無いわ。それより、早くお昼にして頂戴」
「はい、ただいま」
それでは、今日の昼食は紫様の好物にしようか。
午後1時
昼食及び食器洗いも終了した。
紫様はと言うと、食器洗いの最中にまたしても消えていた。
が、やはりいつもの事だ。
さて、先ほど冷蔵庫を覗いた時に大分食材が減ってたな。
一息吐いたら買出しに行くとしよう。
午後2時
人の里に降りて買い物を済ませた。
これだけあれば暫くは平気だろう。
勿論、油揚げの購入は忘れていない。
あれは私の数少ない楽しみの一つなのだ。
「あれ?」
ふと、誰かに声を掛けられた。
聞き覚えのあるこの声は………
「やぁ、妖夢」
そこに居たのは西行寺家の庭師、魂魄妖夢だった。
「こんにちわ、藍さん」
「妖夢も買い出しか」
見ると、妖夢も私同様、買い物袋を提げていた。
「ええ、食料が少なくなってしまいまして………」
「ははは、お互い苦労するな」
「ええ、本当に…………でも、これなら三日は持ちますから」
………今、妖夢はなんと言った?
三日は持つ?
妖夢と私の荷物、即ち食料の量は殆ど同じだ。
私の買った量なら、八雲家では一月は持つ。
冷凍庫がある為、生物でも長持ちさせられるからだ。
「三日?………一応聞くが、それらは妖夢と幽々子様の分だろう?」
妖夢の住んでいる白玉楼は基本的に幽霊しか居ない。
幽霊は肉体が無いのだから、当然食料は必要ない。
が、白玉楼の主である西行寺幽々子様は違う。
なぜか、亡霊なのに物を食べるのだ。
それも信じられないくらい。
それにしたって、我が家の一月の食料を三日だと?
「ええ……正確には、殆どが幽々子様の、ですが………」
うぅむ………亡霊の姫君、恐るべし、だな。
と言うか、亡霊なら別に食べなくても問題ないのではなかろうか?
まぁ、幽々子様に断食などさせたら何をするか解った物ではないが………
いや、まぁ、解ってはいるさ。
考えるまでも無い。
厳密に言えば、幽々子様は何もしないだろう。
紫様が八雲家に招待するのだ。
そして、当然料理を作るのは私。
「…………はぁ」
「…………はぁ」
計らずとも、私と妖夢は同時に溜息を吐いた。
「お互い苦労するな」
「ええ」
同類相憐れむとはこの事か………
「そうだ、妖夢。ここで会ったのも何かの縁だ。そこの茶店で少し話をしないか?」
「え?あ、ですが、今持ち合わせが………」
「ははは、構わないさ。幽々子様相手じゃないんだ。ここは私が奢ろう」
幽々子様相手に奢るなどと言った日には、家計が火の車どころか大炎上して焼失してしまう。
「悪いですよ」
「構わないさ。それに少し話したい事もあるのでな」
「そうですか?それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
「ああ」
そうして、私達は近くの茶店に入った。
「店主、みたらし団子と餡団子を一皿ずつくれ」
「はい、毎度」
私は店に入ると店主に団子を頼んだ。
暫くして、団子の前にまずお茶が運ばれてきた。
私と妖夢は取りあえずお茶を啜る。
「ふぅ……」
「ふぅ………それで、藍さん。話したい事とは?」
妖夢が一息吐いてから尋ねて来る。
「ん?ああ、話したい事と言うか、聞きたい事があってな」
「聞きたい事、ですか?」
「ああ」
「妖夢は幽々子様の事をどう思っている?」
「え?」
唐突に尋ねられて、妖夢は一瞬戸惑う。
「どう…と申されましても………」
「付いて行けないと思った事は無いか?」
「え!?」
「毎度毎度無理難題を押し付けて、自身はお気楽な日々。理不尽だと思った事は無いか?」
「な、何を言うんですか、突然…………」
「幽々子様は日々何をしている?何かお前に利のある事をしてくれているか?周りに利のある事をしてくれているか?」
「それは………」
「私がお前ならとっくに愛想を尽かして出て行ってるだろうな」
「わ、私は魂魄家の者です!幽々子様を置いて出て行くなど………!!」
「魂魄家の者でなければ、出て行っている、と言う事か?それは」
「ち、違います!!わ、私は……!!」
否定はしたが、妖夢はその先の言葉が続かなかった。
否定する要因が見当たらないのだろう。
ふと気づくと、店主が団子を持ってきていた。
「ああ、そこに置いておいてくれ。」
「へ、へぇ」
「安心してくれ。揉め事は起こさんよ」
私達の剣呑になりつつある雰囲気を見て、心配そうにしている店主にそう告げる。
「お、お願いしますね」
そう言って店主は下がった。
「ら、藍さんはどうなんですか!?紫様だって何を考えているか解らないじゃないですか!!」
まったく持ってその通りだ。
反論する気は毛頭ない。
「私は紫様を信頼しているからな。無論、紫様の事を理解した上で、だがな」
反論する必要も無いからだ。
「う………」
私があっさりと返答したので、妖夢は黙ってしまった。
「論点を摩り替えたな?妖夢。それはつまり、お前は先程の私の言葉に反論出来ないと言う事だ」
「そ、そんな事は………!!!」
「無いなら、何故反論しなかった?」
「…………っ!!!」
妖夢は歯を食いしばって黙ってしまった。
「私も……」
「え?」
「私もな、昔は紫様の事を全然信用していなかったんだ」
まぁ、あんな性格だからな。
「藍さんが……ですか?」
「意外か?」
「え、ええ……だって、今は全然そんな風に見えませんから………」
「それはそうだろう。今は全幅の信頼を寄せてるからな」
「…なんで、信用出来るようになったんですか?」
「何時の頃からか、は忘れてしまったが、あの方は毎度毎度無茶な事を言うんだ」
そう、それはもう破天荒な事から、意味不明な事まで色々と。
「だがな、それらは必ず後になって実を結んでいるんだ」
妖夢は静かに聞いていた。
「それを何度も目の辺りにしている内に、何時の間にか無理難題を言われても、「これも深いお考えあっての事だろう」と考えるようになったのさ」
そして、殆どは後に結果を結んでいた。
「まぁ、偶に意味もなくからかっているだけの時もあるから注意だが……存外、それすらも私の知らない所で何かに影響を与えていたかもしれないな」
妖夢は私の話を黙って聞いている。
「解るか?妖夢」
「え?」
「紫様然り、幽々子様然り。あの方々は基本的に意味の無い事はしないし、させないよ」
「意味の無い…事………」
「それに、紫様は色々言われているが、とても優しいお方なんだよ」
「……ちょっと想像できませんね………」
だろうな。
悪いが、まだ紫様と付き合いがそれほど長くない妖夢に解る訳が無い。
「私が式なのは知っているだろう?」
「ええ」
「本来、式と言うのは主にとって道具のような物だ。だから、私の様に半ば野放しのようにされるのは有り得ないのさ」
「そうなんですか?」
「それはそうさ。妖夢だってその刀が勝手にフラフラしたら迷惑だろう?」
「え、ええ」
「だが、紫様はそれを許してくださっている。確かに、私には紫様の代わりに結界の調査をするという役目はある」
本来は紫様の仕事だが、面倒なので私に押し付けているのだ。
「しかし、それ以外で私は基本的に制約をされていない」
「え?」
「だから、こうして妖夢と話をしていられる訳だしな」
本当にただの道具扱いをされていれば、こんな事は許されないだろう。
「確かに、私は式神で、与えられた使命もある。が、それ以外は基本的に「生物」としての活動を許していただいているのさ」
「そうなんですか………ところで、基本的に、と言うのは?」
「ああ、戦闘関連については勝手に戦うと紫様に怒られるな。前にもやってしまった事があったが……」
あの時は傘で頭をバンバン叩かれ、あまつさえ、あの鴉天狗の新聞にも載ってしまってたな………
あれは失態だった…まぁ、紫様の命に背いた私が悪いのだが………
「式は主の命に従わないと…という奴ですか?」
「ああ、そうしないと力が極端に下がるからな。だから紫様は怒ったのだろう」
後は、主従関係の再認識についてもだろうが。
私も偶に調子に乗ってしまう事があるからな………あの時の紫様の行動は式の主として正しかったのだ。
「紫様は「式神」の私に「生物」として存在する事を許可してくださっている。それはとても感謝しているよ」
だからこそ、橙に出会えたし、式とする事も許可してくださった。
「藍さんは紫様の事を本当に信頼なさってるんですね………」
「ああ」
「私は……自分が情けないです」
「幽々子様を信頼し切れていない事か?」
「………はい」
今度は素直に肯定した。
「ははははは、まぁ、それは当然だろう」
「当然……ですか?」
妖夢が不思議そうな顔で聞いてくる。
「妖夢、お前は誕生してからどれくらいたっている?」
「え?え~っと……」
「少なくとも、幽々子様の50分の1も生きていないだろう?」
「あ、はい」
「そんな若さで幽々子様の何が解る?」
「う………」
「私だって紫様を理解するのに百年近くは掛かった。いや、未だに完全には理解できていないが」
まぁ、この先、完全に理解できる事はなさそうだが………
「お前の若さで千年以上も存在している幽々子様を理解しようと言うのが、土台、無理な話だ」
「そ、それは……」
「結果を急ぐな、妖夢」
「え?」
「急ぎ過ぎたって碌な結果にならないぞ」
「急ぐ……?」
「お前は、今、自分の中にある、これまでの幽々子様の姿で答えを出そうとしていただろう?」
「……はい」
「それじゃあダメだ。何せ、相手は千年以上存在している方だ。お前の若さでその「姿」を正確に捉える事なんて出来やしない」
そう、あの方々を理解するのに数年、十数年じゃとても足りない。
「今は色々疑問になる所があるだろうが、それらは一旦胸に閉まっておいて、そのままお傍に居続けるんだ。そうすればいずれ見えてくるさ。幽々子様の本当の「姿」が」
「幽々子様の本当の「姿」………」
「私が思うに、あの方もとても「深い」お方だと思うよ。色々と」
思慮も愛情も、な。
「………あの、もしかして、気づいてました?」
当然、気づいていたさ。
似たような主を持つ者同士、悩みも似たような物を持つだろうからな。
「ふふふ……私の主もあのような方だからな」
「ははは………」
「私だって一時期、「こんな奴に付いて行けるか!!」って思ってた時期があったさ」
式を解除して逃げてやろうかとも、な。
「けどまぁ、前言どおりだ。何時の間にかあの方の「深さ」に心服して今に至るという訳だ」
「私も、そうなれるでしょうか?」
「なれるさ。お前が幽々子様を信じ続けていれば、な」
まぁ、妖夢の事だ。
あと十年もしない内にその「深さ」に気づくだろう。
「おっと、茶が冷めてしまったな。店主、代わりを頼む」
話も一段落付いた所で私は店主にそう呼びかける。
「さて、団子を食おうか。妖夢はどっちが良い?」
「え?あ、じゃあ私は餡子の方を」
「なら私はみたらしを頂くとしよう」
午後4時
あの後、妖夢と別れた私は、帰路に付いた。
家に帰り、干して置いた洗濯物を取り込む。
そして、畳んでから箪笥にしまう。
そうこうしている間に一時間ほど経ち、日が暮れてきた。
「ただいま~っと」
いつもどおり、紫様が隙間からご帰宅なされた。
「お帰りなさいませ、紫様」
「あら?買出しに行ってたの?」
紫様が、まだ居間に置きっぱなしだった買い物袋を見て尋ねる。
「ええ、少なくなってましたので買い足しに」
「そう………偶には私が晩御飯作ろうかしら?」
「紫様が?」
これは珍しい。
普段、面倒くさがって全然作ろうとしないのだが………
「あら、悪い?」
「いえ、珍しいなと思ったので」
「まぁ、確かにかなり久しぶりだものね」
前の料理対決の時以来か………
あの後、紫様が作ってくださったカツ丼は私の物を上回る出来映えだった。
やはり、まだまだ及ばないと思い知らされたものだ。
「と言うわけで、私が作るから貴女は橙でも迎えに行ってなさい」
「橙を?」
「そろそろあの子も帰宅時間でしょうからね。また変なのに追いかけられても鬱陶しいでしょう?」
確かに、妙なのに絡まれるのは心中穏やかではいられない。
それに、前に迎えに行くと約束した事があったな。
「解りました。では、私は橙を迎えに行ってまいります」
「はいは~い。そこを通ればあっという間よ」
そう言って、紫様は隙間を開けた。
「ありがとうございます」
私は素直に感謝し、その隙間を抜けて橙を迎えに行った。
隙間を抜けるとそこは里の入り口で、直ぐに橙が遊んでいる所に付いた。
私が到着すると、丁度他の子供たちも親が迎えに来ていた。
橙はその様子を寂しそうに見ていた。
「橙」
私はそんな橙に声を掛けた。
「え?あ、藍様!!」
橙は私を見つけると、パァッと顔を輝かせて走ってきた。
そして、そのまま抱きついてきた。
「っと…こらこら。危ないぞ、橙」
「えへへへへ……」
注意したものの、橙は嬉しそうな笑顔を私に向けるだけだった。
参ったな、そんな顔をされるとこちらまで顔が緩みそうだ。
「約束どおり迎えに来たよ。さ、帰ろう」
「はい!」
橙は満面の笑みで返事をする。
私と橙は手を繋ぎながら帰路に付いた。
「あ、藍様。晩御飯の準備は大丈夫なんですか?」
帰り道の途中、橙が尋ねてきた。
「ああ、今日は紫様が作って下さるそうだ」
「紫様が?珍しいですね」
「まったくだな。まぁ、恐らくは気を使って下さったんだろう」
「気を?」
「ああ。私が橙の迎えに行けるように、な」
「じゃあ、帰ったらお礼言わないと」
「その必要は無いさ」
「え?」
「紫様は別段、感謝されたくてやって下さった訳じゃないよ」
「じゃあ、どうして?」
ご自身の為。
恐らくは、橙の嬉しそうな顔を見たい為だろう。
「ふふふ……橙ももう少し大きくなったら解るさ」
けどまぁ、橙には言わないでおこう。
それが紫様の為でもある。
「え~!?」
橙が不満そうに顔を膨らませる。
この子も、何時か妖夢や私の様に紫様の事で頭を悩ませる日が来るのだろうか?
恐らく、来るだろう。
その時、私はしっかりと教えてあげる事が出来るだろうか?
「耐える」と言う事を、そして紫様の「深さ」を。
午後6時
家に着くと、良い匂いが漂ってきた。
「うわ、良い匂いですね」
橙もその匂いに反応する。
「ああ。だが………」
その良い匂いがやけに沢山匂って来る。
久々と言う事で腕を振るって下さったのだろうか?
「ただいま戻りました」
「ただいま戻りました~」
玄関から家に入る。
そして、居間に入って驚愕する。
「あら、お帰りなさい二人とも」
紫様がエプロンに三角巾と言う姿で出迎えたが、正直それどこではない。
「ゆ、紫様!!何ですかこれは!?」
ちゃぶ台には所狭しと料理が並べられていた。
しかも、客人用の予備のちゃぶ台まで出して。
……………客人?
「ああ、これね。ちょっと今日はお客様も呼んだから多めに作ったのよ」
「お、お客様?だ、誰ですか?霊夢ですか?萃香様ですか?ああ、前に私の件で借りが出来た永遠亭の方々ですか?」
本能が最悪の客人を避ける。
「もう、お馬鹿ねぇ、藍は。私のお客って言ったら決まってるじゃない」
「あ、ああ………閻魔様ですね?それなら腕を振るうのも納得行きます」
「好い加減現実逃避は止めにしたら?」
嫌だ………
あの方だけは嫌だ………
事、食事に関してはあの方だけは来られて欲しくない………
だが、紫様は無慈悲にも指をパチンッと鳴らして隙間を開き、その客人を迎え入れる。
「お邪魔するわね~…わぁ、凄い料理。流石紫ねぇ」
あぁ………やはりこのお方だったか…………
食欲魔人、西行寺幽々子様………
「ふふ、良さそうな食材があったからついつい張り切っちゃったわ」
ええ、そうでしょうとも。
紫様に鍛えられた目利きで選んできた庶民レベルでの厳選素材ですから………
「それじゃあ、早速頂いて良いかしらぁ?」
「ええ、ジャンジャン食べて頂戴」
ジャンジャン食べられたら食材がぁぁぁぁぁぁぁ!!!
「それじゃあ遠慮なく頂くわね~」
遠慮して下さい。
いや、本当に………
ああ、食卓の料理が見る見る減っていく………
「何してるの?藍。空になったお皿をさっさと下げなさい」
「は、はい………」
「あ、橙は一緒に食べてて良いわよ」
「え、あの………」
橙は遠慮がちに私を見る。
「橙、食べれる内に食べておきなさい」
食材が消え失せてしまう前に………
「は、はい………」
うぅ……よもや、紫様がこのような事を画策していようとは………
「大丈夫よ、藍」
そんな私の心境を察したのか、紫様が声を掛けられた。
「私の事だから、ちゃんと深い意味があるわよ♪」
聞いてましたね?
私と妖夢の会話を盗み聞きしてましたね!?
ああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
これだから偶に信用出来なくなるんですよぉぉぉぉぉ!!!!
その後、ほぼ幽々子様一人に八雲家の食材は食い尽くされてしまった。
無論、私の晩御飯も…………
ひ、一月分の食料が…………
幽々子様は大変満足そうに白玉楼へと帰られた。
因みに、紫様は作りながら摘んでいたので、お腹は膨れているようだった。
午後11時
「さて、それじゃあ私はそろそろ寝るわね」
橙は既に眠りについており、紫様も今日は晩酌なしで寝るようだ。
「はい。私は明日の準備をしてから寝ますね」
「ああ、そうだ。幽々子に出し忘れた物が冷蔵庫に入ってるから、それ食べて良いわよ」
紫様はそうとだけ言うと、寝室へと向かわれた。
残り物か……だが、この空腹を少しは満たせるだろう。
はぁ…また、明日買出しに行かないとな………
私は溜息を吐きながら冷蔵庫を開ける。
…………何が出し忘れた物か。
初めからそのつもりだったのではないか。
本当に、あの方は…………
ふふ……それでは先に明日の準備を済ませてしまうか。
私は明日の準備を済ませてから眠りに就いた。
眠る少し前に「残り物」のお稲荷さんを食べてから。
おわり
藍の苦労が良く出ています。
これこそ八雲「一家」と言われる所以でしょうなぁ。
しかし1ヶ月分の食料を3日で食い尽くすのには、
何か深い意味があるのでしょうか幽々子様w
お腹ではなく、心が満たされましたよ^^
ゆゆ様の食欲は食費を震えあげる・・・・・
きっと食い溜めしてるんですよ!
……食料難になったら幽々子様どうなるんだろう……
因みに、幽々子が一月の食料を三日で食べるのには訳があります。
次の作品くらいにそれを説明する予定です。
まぁ、かなり強引っぽい理由ですが^^;
あんなに食べても無駄が付かないんだから羨ましいもんです。ゆゆ様。
八雲一家、いいですね。何の変哲もない日常こそ尊く素晴らしい。