――呼ばれているような気がするの。
「……誰に?」
いつもの喫茶店、一番奥の席。壁際に灯されたランタンの照り返しが、正面の席に座るメリーの顔を照らし出していた。生まれた影は、夜よりも濃い。どこか、ホラーじみた光景だった。喫茶店の中だというのに、百物語をやっている気分。
「誰かに、よ」
つぅ、とワイングラスの縁を撫でながら、メリーが答えた。指先で奏でられたワイングラスの音色が、私の耳に心地良く響く。いいワイングラスを使ってるんだな、と妙なところで感心してしまう。
「メリー、メリー! いくら私でも、そんな曖昧な言葉じゃ分からないわよ!」
ま、秘封倶楽部の片割としては、曖昧なメリーの言葉になんて慣れている。
我が親友、マエリベリー・ハーンは、いつだって曖昧だ。言葉も、動作も、立ち位置も。
見ている世界が――曖昧なんだから仕方ない。
「呼ばれてるって、ポン引きにでもあったの?」
「蓮子、お下品」
「じゃあマグロの一本釣り」
「蓮子……私のこと、一体なんだと思ってるのかしら?」
ふむ、と少し考え込む。それは中々に難しい命題だ。
とりあえず、思いつく限りに答えてみる。
「まず変人でしょ。それから――やっぱり変人じゃないかしら。境界を見ることができて、ちょっと間が抜けてて、時々鋭い、秘封倶楽部のメンバー。そんなところ?」
「一つ抜けてるわよ」
「え?」
メリーはぴっと人差し指を立てて、口の端に笑みを浮かべながら、
「――宇佐見蓮子の、お友達」
† † †
「『早く起きてください』って、夢の中で呼ばれてるの。それとも夢の中から呼ばれてる?」
とん、とん、とん、とリズムにのってメリーが階段を降りる。かつん、かつん、かつんと、石段に靴が触れるたびに音が鳴る。
夜の町は静かだ。歪に歪む朧月だけが、暗い街を照らしてる。人気はまったくなくて、絵本の中の町に入り込んでしまったように錯覚してしまう。
私の前にはメリーがいて。
メリーの後ろに私がいて。
二人で、無人の街を、歩いていく。
「早寝早起きを心がけないからよ」
「たっぷり眠るのが健康にいいのよ?」
くるりと振り返り、後ろ向きのままにとんとんとんと、器用にメリーは階段を降りていく。危なっかしいことこの上ないけれど、不思議とメリーの足取りは安定している。月に照らされた影絵の街を、メリーは踊るように降りていく。
「夢の中は夢?」
「夢は夢よ。メリー、貴方が見るのが夢なら、貴方を見ているのも夢ね」
「なら、夢の外も夢?」
「どっちが中で、どっちが外かなんて、誰にも分からないわよ」
くるり、
くるり、
くるくると。
月光の下、メリーは楽しそうに跳ね踊る。私はその後を、ため息を吐きながらついていく。こういうメリーは見ていて中々楽しいものがある。そんなメリーについていく私を、私は実のところ気に入っている。
いつも通りの、秘封倶楽部の活動。
振り返って、メリーは言う。
「ここは夢?」
メリーの手をとって、私は答える。
「『ここ』って、『どこ』?」
私の答えに、メリーは満足げに笑った。
† † †
影しかない夜の街を、月を追って歩きつづける。かつん、かつん、かつん。響くのは私とメリーの足音だけだ。手をつないで、目的地も目的もなく歩いていく。
目的地なんてない。
目的なんてない。
何気ない時間が、かけがえのない、秘封倶楽部の活動時間。
不思議と隣り合わせの散歩。
夜の街は別の世界だ。境界の向こう側と、くるりと入れ替わってしまったかのように。どんな不思議が起きても、それこそ不思議ではない。
「それで、貴方はどうするのよ?」
隣を行くメリーに問いかける。メリーは「え?」と首を傾げ、そのせいでよろよろと転びかけた。「わ、わわ」と体勢を立て直すメリーにため息を一つ送って、
「危ないわよ」
倒れないように、繋いだ手を引いてあげる。さっきよりずっと近くに、メリーの顔があった。
「ありがとう」
素直にメリーはお礼を言って微笑んだ。こういう素直なところは、ちょっとだけ羨ましい。
再び横を歩き出したメリーに、私はもう一度、分かりやすく問うことにする。
「呼ばれて、貴方はどうするの?」
訊ねるのには、ちょっとだけ勇気が必要だった。
呼ばれている、とメリーは言う。
それは――ここからいなくなるということに他ならない。
呼ばれて、遠いどこかへ行ってしまう。
境界を見ることのできるメリーは、きっと境界を越えてしまう。
――そのとき、私はどうするんだろう?
考えたこともなかった。考えても、分かりそうになかった。
「そうね」
そんな私の思考を余所に、メリーはあっけらかんと、明るい声で応えた。
「蓮子はどうするの?」
「え? 私? 私は――」
私は、どうするんだろう。
答えに詰まる私の顔を横から覗き見て、メリーは微笑みと共に言った。
「蓮子が一緒なら、行ってもいいかなって思うけど」
「――――え」
予想外の言葉に、私の思考が、一瞬だけ止まる。
その、一瞬に滑り込むように。
「だって――」
メリーは満面の笑みを携えて、とどめのような一言を放った。
「私と蓮子、二人で――秘封倶楽部じゃない」
言葉に嘘はない。メリーの笑みに、嘘はない。
マエリベリー・ハーンは、心の底から正直に、嬉しそうにそう言った。
「…………」
あんまりといえば、あんまりな意見に。
私の口にも――笑みが浮かんでしまう。
「まったく、ホントメリーはメリーね」
「……今馬鹿にされたのかしら?」
「褒めてあげたのよ、マエリベリー・ハーンお嬢さん!」
「有難う、宇佐見 蓮子サン」
あはは、と私は笑い、メリーも笑う。
夜の街には誰もいない。影だけがどこまでも伸びている。空を見上げれば朧月。
けれど私は、空を見上げない。
月も星も必要ない。今が何時かなんて、此処がどこかなんて、そんなことは些細なことだ。
隣にメリーがいて、ここに私がいる。
秘封倶楽部としては――それだけで十分というものだろう。
「さ、行きましょメリー」
「どこへ?」
「どこかへ、よ!」
私達は笑いあいながら、夜の街を何処までも駆けてゆく――
(了)
雰囲気で魅せる小説
雰囲気に魅入る小説
非常に面白かったです
気分はほろ酔い気分
反面、ストーリー性が薄く、または在り来たりなため、読了感も非常に淡いような気がします。
考えようによっては、散文詩、掌編のどちらとも取れる作風ですが、中途半端な感は否めません。
幾つかアクセントとなる鮮やかな場面を挿入し、幻想的な雰囲気を際だたせてみては如何でしょうか。
こういうの、大好きです
いい話でした
このSSに出会えたことに感謝を