「ねぇ」
其の声は、薄闇の中に虚しく谺するばかりで在った。弱々しい咳が繰り返し響き、聞く方こそ辛く成りそうな息の音が後を追う。
其の薄闇の中には、見渡す限り、淡い燐光が整然たる列を成して居る。或る物は青白く、或る物は薄紅。或る物は朽ちた様な緑、或る物は寧ろ闇。其れ等は、此の広漠整然静謐たる室の標で在る。室の主従のみが其の真に表す処を識り、主のみが其の秘め秘したる深奥を識る。
中に一トつだけ、一ト際明るい燐光が在る。其れこそは此のヴワル魔法図書館の主、パチュリーの、書斎机だ。
重厚なマホガニィの机の周りには、三次元に広がって散らかされた本、本、本。何れも無数の栞を突き刺され、書き込みだらけの満身創痍。宙に浮かび、主に向けて忠実に頁を広げて居る。
しかし、パチュリーの咳一つ毎に、本は一冊づつ墜ちてゆく。開かれて居た頁は判ら無く成り、栞も抜け墜ちて仕舞う。
体を折る程の咳に見舞われて漸く、パチュリーは魔力を全部打ち切った。ばさばさと全ての本が墜ちる。
這う様にして吸い飲みを掴み、自身で調えた薬を苦労して一ト口、二タ口。息が落ち着いたのを見計らい、椅子の背に凭れて目を閉じる。
嗚呼、鬱陶しい。
此の体と付き合い始めてから本当に長いけれど、此んな時は本気で絞め殺したく成る。丁度、面白い処だったのに。
彼女の星の巡りを漸く特定出来たのが九日前。其れを此の館の星の巡りと組み合わせて、計算を繰り返した。幾つか重要な占星図が書けた。其れ等の共通項を括り出して法則化出来れば……
嗚呼、机のラムプが明滅して居る。此の前気紛れにいじった術式のせいか知ら。
……いじり過ぎては、駄目なのか知ら。
* *
「───いへんです! たいへん! たいへんなんですったら!」
「煩いわね。へんたいへんたい」
「変態じゃあ在りませんったら! 大変なんですっ!!」
従たるの小悪魔が騒いで居る。片目を薄く開けると、毎度お馴染みのおたついた間抜け面。今回は演技では無い。
「何? 私の大事な本を四冊も踏み付けにするに見合うだけの大事なの?」
「さささささくさくさくさく」
「さくさくさんかくぽ○んきー」
「……CMネタは直ぐ風化しますよ?」
「(枠外)ほら風化した」
「…………コア過ぎませんか」
「こぁは貴女でしょう」
「いや其うですけども」
「ですとろい・ざ・こぁ」
「ゲームが違います」
「冷静にツッコんで無いで用件を言い為さい」
「ぅぁ其うだった! 大変なんです! 咲夜さんが!!」
「美鈴に下克上でもされた?」
「其んなんじゃ無くて!」
何やらふわもこした物が、机の上に置かれた気配。
「わん!」
咲夜が犬の鳴き真似? 確かにレミリアの犬コロと呼んで相違無いけれど。
漸う漸う体を起こしてきちんと目を開けると。
「……言って置くけど最近変身する様な呪物も呪具も作って無いし配って無いわよ」
「知ってますっ! だから大変だと!」
「其うね」
其うだ。犬コロとは言え十六夜咲夜。誰ぞに容易く下される様なタマでは無い。今此処、此の目の前、書き掛けの占星図に座り込んで居る仔犬が咲夜で在るとしたら、事態は平静とは言えまい。竹林の藪医者か誰かの毒牙に掛かって負けたか嵌められたとしか考えられぬ。パチュリー自身が弄んだので無い以上。
後に控えて居るで在ろう面倒を思い遣り、パチュリーは遠慮なく顔をしかめる。
「わん!」
仔犬は其んな気を知る風も無く、パチュリーを凝っと見上げてぽたり、と一トつ尾を打った。馬鹿の一ツ覚えのメイド服は、哀れな畜生に縮んだ今でも良く馴染んで居る。蒼のエプロンドレスに赤い……
待った。赤いポシェットは常の持ち物で無い。
仔犬は其のポシェットから紙切れを一枚、器用な仕種で取り出すと、主従の前にきりりと差し出した。
回」「回 回」「回 回」「回 回」「回 回」「回 回」「回 回」「回
★初次見面☆ わたしは さくやわん です!
あたらしく紅魔館のなかまになりました。
これからよろしくおねがいします!
☆請多関照★
回」「回 回」「回 回」「回 回」「回 回」「回 回」「回 回」「回
「……此のセンスは美鈴さんですね」
「其うね。筆跡も其うだし間違い無いでしょう」
「えーと、積まり?」
「此れは本物では無いのでしょう。別犬」
「嗚呼!」
小悪魔、ぽんと一つ手を打つ。
「其う言えば、美鈴さんが犬を飼い始めたとk」(ガッ
脳天直撃。手近に在った中で最も分厚い本の背の角で在る。容赦無い。
「ですとろい・ざ・こぁ」
「ゆー・うぃる・りぐれっ・ざっちゅー・ですとろいど・みー……」
崩れ落ちる小悪魔には目も呉れず、パチュリーはさくやわんから名刺を受け取る。
「私はパチュリー・ノーレッジ。此処に住んで居るの。此処には幾つかルールが在るけれど、貴女は大丈夫そうね」
頭くらいは撫でて遣ろうかと思ったが、プリムが邪魔だった。
「でも、毛皮が生え変わる頃には来ないで頂戴ね」
「きゅん」
いささか残念そうで在る。
「一秒でも長く、此の館で生き残って居られる様祈るわ」
社交辞令で在る事を全く隠さ無い語調でパチュリーが言葉を締め括った其の瞬間。背後の本棚から一冊の本が抜け落ちて来た。
敢えてパチュリーは何もせず、しかしさくやわんは危なげ無く飛び退いた。
其んな仔犬を視界の片端に留めつつ、落ちた本「が」開いた頁に目を走らす。
『其の性、不潔にして貪欲成る事無比也。動き速く、又た飛び廻る事在り。物陰に潜みて人を驚かし、選ばず餌を漁り奪ひて瞬く間に逃げ去る也。人を恐れず侮る事甚だし。誠不快窮まる虫也』
「来たのね。占星図の有効性が立証出来たわ」
小悪魔を落としたのは、少々早まったやも知れぬ。
玄関。
「踏星符マスタースポック!!」
「ロ艾ロ牙ッ?! 其れ何て新符──────っっ!!」
威力を犠牲にしてでも準備時間のロスを省き脚を速めたレーザーを外側に撃って相手を囲い込んだ然る後、其処に充分な威力の極太レーザー二本。
沈黙。
「今日も良いやられっぷりだぜ」
「其りゃどーも」
魔理沙は弾け飛んで来た龍の帽子を、美鈴に抛って遣った。巧く頭にぽさりと乗っかる。
「大体光線に遅い速いが在るって如何な訳?」
「は。エーテル理論くらい押さえてて欲しいぜ」
言いつつ、スカートのポケットから別の符を取り出す。魔理沙が識って居る限りの紅魔館の地図を応用した物で、紙飛行機に折って在る。
「そぅら行って来い、恣意符トレーシングアンロック」
送り出された紙飛行機は、目的地に向かって飛びながら、鍵と扉を開いて往く。往き先は勿論、ヴワル魔法図書館。
「嗚ー呼……又た仕事が増えた……」
其れを見送りながら美鈴は溜息をつく。此んな事をされて仕舞っては、錠を総取り替えした上で魔法対策までせねば成ら無い。
「鼬ごっこの追う方って損だよなぁ。同情するぜ」
一寸も同情して居ない口調で、箒の舳を館の奥へ向ける。
「其う其う。エーテルだけじゃ無くてフロギストンも押さえとくと良いかもな?」
「其れは御親切に。貴女も今日は、咲夜さんに気を付けてね」
「へぇ?」
魔理沙は振り返って美鈴を眺めたが、美鈴は阿弥陀に被った帽子の下から、にやりと笑っただけだった。ふん、と鼻で笑って返す。
「御忠告どうも。じゃぁな」
「お気を付けて~」
軽く帽子を振って、ひるがえる箒とスカート、ドロワーズを見送る。そして、此の侭少し居眠りでもする事にした。
* *
図書館の入口内側、褪せた緋色の絨毯の上には、見慣れぬ黒いドアマットが敷かれて居た。魔法は掛かって居る様だが、詳細は不明。パチュリーの腕なら隠蔽など容易い。
上空を通り掛っただけで起動する可能性も在るのだし、少々のアドリブなど手間に引き合わぬ。其んな分けで、魔理沙は堂々と樫材の重々しいドアを潜り、ドアマットを踏み締めた。後ろでゆるゆると扉が閉まってゆく。
そして重苦しい音が響き渡り、図書館に薄闇が戻る。閉じた片目を開いて速やかに眼を闇に慣らせば、書架毎に燈された燐光が浮かび上がった。
構えては居たが、矢張り足元が行き成り燃え上がると、吃驚はする。其の毒々しい緑の炎はドアマットの上に流麗優雅なる筆跡を顕した。
! NEVER (厳禁)
- take out books (図書持出)
- eat and drink and drunk (飲食泥酔)
- be loudly (騒ぐ)
- violate (暴れる)
- MARISA (魔理沙)
「良いね」
魔理沙は脱帽し、漆黒のとんがり帽を胸に当て、薄闇の奥へ目礼した。
「此うで無きゃ」
帽子をぐっと被り直し、箒に跨り浮かび上がらば、遥か彼方に一ト際大きな燐光の見ゆる。推進の力とわくわくを限界まで高める。
「箒(つばさ)よあれが、」
厳かに、高らかに宣言する。
「パチュの燈だ!!」
魔理沙、発進。
周りを取り囲む本棚から、次から次へと本が零れ落ち、飛翔して往く。時に本を脱ぐようにして妖精が現れ、パチュリーに一礼して飛び去って往く。さすがに気を呑まれたか、さくやわんは本が飛び出す度にきょろきょろと向き直って居た。
パチュリーは占星図三枚を引き比べながら、時間を掛けて作ったノォトの頁を選んで破り、足り無い図と式を書き殴って補う。
しかし、突如其の手が止り、無言でノォトを床に叩き付けた。
計算が、役に立た無く成ったのだ。小悪魔を堕として仕舞ったから。計算に組み込んであった変数が一つ、居なくなって仕舞ったから。
悔やんで居る暇は無いのだが、探究心が自制心よりも一瞬早く活動する。其うなのだ。今日分の詳しい占星図に現れて居た不安要素は、小悪魔を焦点としていた。理由まで追い切れなかった為敢えて除外したのだが、其れが此んな風に現れた。
計算の誤りか? 前提の誤りか? 何が足りなかった?
其うだ、仔犬だ。
全身全霊を込めて睨み付けた相手はしかし、在らぬ方を向いてしきりに鼻をひく付かせ、あっと言う間に駆け出して居た。引き止めようにも、飛び往く本の中に紛れて仕舞った。
「運の良い事」
辛うじて自制心が勝ち、準備に戻る。鍵の掛かった引き出しから秘薬を。
小壜を呷り、アロマオイルを耳の後ろと胸元に。ハーブの束は高熱の魔力で一気に気化させて辺りに散らす。
ほとんどは、途中で斃れぬための予防だ。相手との斗いでは無い。自分との斗い。
「終わった時、お前は如何成って居るのか知ら」
其う、口を突いて漏れた。弾幕の交錯する光芒、閃光が近づいて来る。
* *
「今日はやけに切れが良いじゃないか。変なもんでも喰ったか」
後ろ手の魔理沙がスペルの切れ目に声を張り上げた。手数を誤魔化して居る積もりなのだろうけれど、半分を越えたと知らせて仕舞って居る。何時気が付くだろう。
「違うわ。お腹が減って居るの。減って減って仕方が無いの」
識りたい。識りたい。何故? 如何して? 如何して計算が違うの? 如何して私は未だ此処に居るの? 私は何故此処に居るの?
……何故、貴女が居るの?
* *
来た。懐に飛び込んで来た。もう帰さない。でも、カードを切るのは魔理沙が一瞬早かった。しかし。
「踏星符! マスタース……っ」
スペルの仕上げの瞬間に、箒の後ろに戦慄する様な気配が立った。美鈴の言葉が唐突に頭を過ぎり、動揺の余り詠唱を中断するという、此処何年ぶりかの大失敗をした。
後から冷静に考えれば、確かにおかしかったのだ。奴がいくらプロポーションを整えて居た処で、仔犬と同じ重さの筈は無いのだから。
しかし其の瞬間には、此処まで接近を許して仕舞った恐れに負けて、振り向いて仕舞ったのだ。箒の穂先に立って今将に、ナイフを刺さんとする十六夜咲夜を探して。
「わん!」
居たのは、名刺を差し出す仔犬だった。
隙を逃す手は無い。パチュリーは容赦なく、スペルを放った。
「金&水符……マーキュリポイズン(重)っ!」
「(重)って何んだ?!」
元素を普段の純エネルギの形態から、幾らか物理的実体に近づけて居る故(重)で在る。即ち、質量が有って触る事が出来る。
左右から比較的ゆっくり、大きめの弾が近づいて来る。
「ぅゎ! ちょ! こっちにゃ部外者が! 迷子が!」
「残念ね。其れは既に関係者なの」
「何!?」
マーキュリポイズン(重)の真価は、回転方向の異なる弾が、微妙に高さを変えた平面を廻って居る所に在る。
ごん。
魔理沙の頭に右手方向から来た弾が激突。押されて箒を軸に裏返る。
ごん。
回転運動のベクトルが死に切らぬ内に、逆から来た弾が魔理沙を元の姿勢に跳ね上げる。
「馬鹿にしてんのかこ」ごん。「らーっっっ!!」ごん。
離脱しように(ごん)も周囲はマーキュ(ごん)リポイズン(重)の弾で(ごん)一杯。おまけに、良(ごん)い様に廻さ(ごん)れ方向感(ごん)覚が滅茶苦茶(ごん)。
そしてさくやわんは野性の成せる技か、玉乗り宜しく駆け足で、器用に立ち続けて居るので在った。
名刺を受け取って貰えず、悲しげにしながら。
* *
「ぅぉぉぉぉ……吐く……」
「良いけど、吐いた分はちゃんと回収して貰うわよ。胃に」
「悪魔……」
「まぁ、レミリアに対して失礼だわ。私如きを悪魔だなんて」
一段落。魔理沙を交えてお茶の時間で在る。積んだ本を椅子代わりに書斎机に突っ伏す魔理沙の隣には、積んだ本に攀じ登って漸く顎を上に出し、尚も諦めず名刺を差し出すさくやわんの姿が在った。
「ほら、受け取ってあげ為さいな」
「あー……?」
「わん!」
熱心に差し出される紙切れを、魔理沙はとりあえず握った。勿論、目を廻して居る最中に文字を読む気力など沸く筈は無い。
「嗚呼、其うだ」
「んー……?」
「一寸貸し為さい。計算ミスの元凶に御仕置きして遣るんだから」
紙切れが引っ張られるので、魔理沙は手を離した。全く、受け取れだの貸せだの忙しい……
未だ少しぐるぐるして居る頭に、声が響いて来る。嗚呼、もう、今少し静かにして居て呉れぬものか。
「小悪魔。起き為さい。気が付いて居るんでしょう?」
「う、うーん(棒読み)」
「全く。美鈴の真似なんかする様に成って……」
「あ、やっぱバレてます?」
「良いから、此れを写すのよ」
「…………」
「写し為さい。複写の魔法でね。全部によ」
「……………………」
「良い娘ね」
「……今度こそ一巻の終わりだわ。嗚呼、如何かせめて、せめて苦しまずに一ト思いで逝けます様に……」
「可笑しな娘。悪魔がお祈りするの?」
「だって! 其れ以外に何が出来ると!?」
「大丈夫よ。幻想郷の実力者連中は、頭に血が昇ると脊髄で動くから。判る筈無いわ」
「……其うなんですか?」
「じゃ無かったら、もっと陰湿か、退屈に成って居るわよ」
* *
其れから数刻。
美鈴が仕事を上がり、私室で着替えて居ると。
「っ!!」
とん、と扉にナイフの立つ音がした。今まで経験した事の無い、氷点下を、否、絶対零度を遥かに下回る殺気と伴に。
何かやらかした覚えは無い。断じて無い。さくやわんに持たせた名刺とて、事前に咲夜当人に確認して貰った。後はいつも通りの仕事と、さくやわんに気功体操を教えて居るくらいだ。
よりによって、ナイフは扉の内側に突き立って居る。向うはマスターキィを持って居て、尚且つ時間を止められる。此んな事が朝飯前なのは百も承知。問題は、何故、此んな事をして居るか、なのだ。
ナイフは、さくやわんの名刺を縫い止めて居た。
美鈴は、今見えて居る物以外が視界に入らぬ様、慎重に近づき、名刺を抜き取った。表は如何という事は無い。徹夜して何枚も、自分で書いた内容だ。
裏返す。
わたしは おかあさんを たよってきました。
いままでずっと みなしご でした。
おねがいです。 どなたか わたしの
おとうさんを しらないでしょうか。
ひとめ あいたいのです。
「知りません!! 誤解です!! わたしは此んな文章書いてませんっ!! た、確かに筆跡如何見てもわたしですけど……っ!! でも違います!! 天地神明に誓っt」
美鈴の悲痛な抗議は唐突に途切れ、紅魔館を静寂が包んだので在った。
どっとはらい。
其の声は、薄闇の中に虚しく谺するばかりで在った。弱々しい咳が繰り返し響き、聞く方こそ辛く成りそうな息の音が後を追う。
其の薄闇の中には、見渡す限り、淡い燐光が整然たる列を成して居る。或る物は青白く、或る物は薄紅。或る物は朽ちた様な緑、或る物は寧ろ闇。其れ等は、此の広漠整然静謐たる室の標で在る。室の主従のみが其の真に表す処を識り、主のみが其の秘め秘したる深奥を識る。
中に一トつだけ、一ト際明るい燐光が在る。其れこそは此のヴワル魔法図書館の主、パチュリーの、書斎机だ。
重厚なマホガニィの机の周りには、三次元に広がって散らかされた本、本、本。何れも無数の栞を突き刺され、書き込みだらけの満身創痍。宙に浮かび、主に向けて忠実に頁を広げて居る。
しかし、パチュリーの咳一つ毎に、本は一冊づつ墜ちてゆく。開かれて居た頁は判ら無く成り、栞も抜け墜ちて仕舞う。
体を折る程の咳に見舞われて漸く、パチュリーは魔力を全部打ち切った。ばさばさと全ての本が墜ちる。
這う様にして吸い飲みを掴み、自身で調えた薬を苦労して一ト口、二タ口。息が落ち着いたのを見計らい、椅子の背に凭れて目を閉じる。
嗚呼、鬱陶しい。
此の体と付き合い始めてから本当に長いけれど、此んな時は本気で絞め殺したく成る。丁度、面白い処だったのに。
彼女の星の巡りを漸く特定出来たのが九日前。其れを此の館の星の巡りと組み合わせて、計算を繰り返した。幾つか重要な占星図が書けた。其れ等の共通項を括り出して法則化出来れば……
嗚呼、机のラムプが明滅して居る。此の前気紛れにいじった術式のせいか知ら。
……いじり過ぎては、駄目なのか知ら。
* *
「───いへんです! たいへん! たいへんなんですったら!」
「煩いわね。へんたいへんたい」
「変態じゃあ在りませんったら! 大変なんですっ!!」
従たるの小悪魔が騒いで居る。片目を薄く開けると、毎度お馴染みのおたついた間抜け面。今回は演技では無い。
「何? 私の大事な本を四冊も踏み付けにするに見合うだけの大事なの?」
「さささささくさくさくさく」
「さくさくさんかくぽ○んきー」
「……CMネタは直ぐ風化しますよ?」
「(枠外)ほら風化した」
「…………コア過ぎませんか」
「こぁは貴女でしょう」
「いや其うですけども」
「ですとろい・ざ・こぁ」
「ゲームが違います」
「冷静にツッコんで無いで用件を言い為さい」
「ぅぁ其うだった! 大変なんです! 咲夜さんが!!」
「美鈴に下克上でもされた?」
「其んなんじゃ無くて!」
何やらふわもこした物が、机の上に置かれた気配。
「わん!」
咲夜が犬の鳴き真似? 確かにレミリアの犬コロと呼んで相違無いけれど。
漸う漸う体を起こしてきちんと目を開けると。
「……言って置くけど最近変身する様な呪物も呪具も作って無いし配って無いわよ」
「知ってますっ! だから大変だと!」
「其うね」
其うだ。犬コロとは言え十六夜咲夜。誰ぞに容易く下される様なタマでは無い。今此処、此の目の前、書き掛けの占星図に座り込んで居る仔犬が咲夜で在るとしたら、事態は平静とは言えまい。竹林の藪医者か誰かの毒牙に掛かって負けたか嵌められたとしか考えられぬ。パチュリー自身が弄んだので無い以上。
後に控えて居るで在ろう面倒を思い遣り、パチュリーは遠慮なく顔をしかめる。
「わん!」
仔犬は其んな気を知る風も無く、パチュリーを凝っと見上げてぽたり、と一トつ尾を打った。馬鹿の一ツ覚えのメイド服は、哀れな畜生に縮んだ今でも良く馴染んで居る。蒼のエプロンドレスに赤い……
待った。赤いポシェットは常の持ち物で無い。
仔犬は其のポシェットから紙切れを一枚、器用な仕種で取り出すと、主従の前にきりりと差し出した。
回」「回 回」「回 回」「回 回」「回 回」「回 回」「回 回」「回
★初次見面☆ わたしは さくやわん です!
あたらしく紅魔館のなかまになりました。
これからよろしくおねがいします!
☆請多関照★
回」「回 回」「回 回」「回 回」「回 回」「回 回」「回 回」「回
「……此のセンスは美鈴さんですね」
「其うね。筆跡も其うだし間違い無いでしょう」
「えーと、積まり?」
「此れは本物では無いのでしょう。別犬」
「嗚呼!」
小悪魔、ぽんと一つ手を打つ。
「其う言えば、美鈴さんが犬を飼い始めたとk」(ガッ
脳天直撃。手近に在った中で最も分厚い本の背の角で在る。容赦無い。
「ですとろい・ざ・こぁ」
「ゆー・うぃる・りぐれっ・ざっちゅー・ですとろいど・みー……」
崩れ落ちる小悪魔には目も呉れず、パチュリーはさくやわんから名刺を受け取る。
「私はパチュリー・ノーレッジ。此処に住んで居るの。此処には幾つかルールが在るけれど、貴女は大丈夫そうね」
頭くらいは撫でて遣ろうかと思ったが、プリムが邪魔だった。
「でも、毛皮が生え変わる頃には来ないで頂戴ね」
「きゅん」
いささか残念そうで在る。
「一秒でも長く、此の館で生き残って居られる様祈るわ」
社交辞令で在る事を全く隠さ無い語調でパチュリーが言葉を締め括った其の瞬間。背後の本棚から一冊の本が抜け落ちて来た。
敢えてパチュリーは何もせず、しかしさくやわんは危なげ無く飛び退いた。
其んな仔犬を視界の片端に留めつつ、落ちた本「が」開いた頁に目を走らす。
『其の性、不潔にして貪欲成る事無比也。動き速く、又た飛び廻る事在り。物陰に潜みて人を驚かし、選ばず餌を漁り奪ひて瞬く間に逃げ去る也。人を恐れず侮る事甚だし。誠不快窮まる虫也』
「来たのね。占星図の有効性が立証出来たわ」
小悪魔を落としたのは、少々早まったやも知れぬ。
玄関。
「踏星符マスタースポック!!」
「ロ艾ロ牙ッ?! 其れ何て新符──────っっ!!」
威力を犠牲にしてでも準備時間のロスを省き脚を速めたレーザーを外側に撃って相手を囲い込んだ然る後、其処に充分な威力の極太レーザー二本。
沈黙。
「今日も良いやられっぷりだぜ」
「其りゃどーも」
魔理沙は弾け飛んで来た龍の帽子を、美鈴に抛って遣った。巧く頭にぽさりと乗っかる。
「大体光線に遅い速いが在るって如何な訳?」
「は。エーテル理論くらい押さえてて欲しいぜ」
言いつつ、スカートのポケットから別の符を取り出す。魔理沙が識って居る限りの紅魔館の地図を応用した物で、紙飛行機に折って在る。
「そぅら行って来い、恣意符トレーシングアンロック」
送り出された紙飛行機は、目的地に向かって飛びながら、鍵と扉を開いて往く。往き先は勿論、ヴワル魔法図書館。
「嗚ー呼……又た仕事が増えた……」
其れを見送りながら美鈴は溜息をつく。此んな事をされて仕舞っては、錠を総取り替えした上で魔法対策までせねば成ら無い。
「鼬ごっこの追う方って損だよなぁ。同情するぜ」
一寸も同情して居ない口調で、箒の舳を館の奥へ向ける。
「其う其う。エーテルだけじゃ無くてフロギストンも押さえとくと良いかもな?」
「其れは御親切に。貴女も今日は、咲夜さんに気を付けてね」
「へぇ?」
魔理沙は振り返って美鈴を眺めたが、美鈴は阿弥陀に被った帽子の下から、にやりと笑っただけだった。ふん、と鼻で笑って返す。
「御忠告どうも。じゃぁな」
「お気を付けて~」
軽く帽子を振って、ひるがえる箒とスカート、ドロワーズを見送る。そして、此の侭少し居眠りでもする事にした。
* *
図書館の入口内側、褪せた緋色の絨毯の上には、見慣れぬ黒いドアマットが敷かれて居た。魔法は掛かって居る様だが、詳細は不明。パチュリーの腕なら隠蔽など容易い。
上空を通り掛っただけで起動する可能性も在るのだし、少々のアドリブなど手間に引き合わぬ。其んな分けで、魔理沙は堂々と樫材の重々しいドアを潜り、ドアマットを踏み締めた。後ろでゆるゆると扉が閉まってゆく。
そして重苦しい音が響き渡り、図書館に薄闇が戻る。閉じた片目を開いて速やかに眼を闇に慣らせば、書架毎に燈された燐光が浮かび上がった。
構えては居たが、矢張り足元が行き成り燃え上がると、吃驚はする。其の毒々しい緑の炎はドアマットの上に流麗優雅なる筆跡を顕した。
! NEVER (厳禁)
- take out books (図書持出)
- eat and drink and drunk (飲食泥酔)
- be loudly (騒ぐ)
- violate (暴れる)
- MARISA (魔理沙)
「良いね」
魔理沙は脱帽し、漆黒のとんがり帽を胸に当て、薄闇の奥へ目礼した。
「此うで無きゃ」
帽子をぐっと被り直し、箒に跨り浮かび上がらば、遥か彼方に一ト際大きな燐光の見ゆる。推進の力とわくわくを限界まで高める。
「箒(つばさ)よあれが、」
厳かに、高らかに宣言する。
「パチュの燈だ!!」
魔理沙、発進。
周りを取り囲む本棚から、次から次へと本が零れ落ち、飛翔して往く。時に本を脱ぐようにして妖精が現れ、パチュリーに一礼して飛び去って往く。さすがに気を呑まれたか、さくやわんは本が飛び出す度にきょろきょろと向き直って居た。
パチュリーは占星図三枚を引き比べながら、時間を掛けて作ったノォトの頁を選んで破り、足り無い図と式を書き殴って補う。
しかし、突如其の手が止り、無言でノォトを床に叩き付けた。
計算が、役に立た無く成ったのだ。小悪魔を堕として仕舞ったから。計算に組み込んであった変数が一つ、居なくなって仕舞ったから。
悔やんで居る暇は無いのだが、探究心が自制心よりも一瞬早く活動する。其うなのだ。今日分の詳しい占星図に現れて居た不安要素は、小悪魔を焦点としていた。理由まで追い切れなかった為敢えて除外したのだが、其れが此んな風に現れた。
計算の誤りか? 前提の誤りか? 何が足りなかった?
其うだ、仔犬だ。
全身全霊を込めて睨み付けた相手はしかし、在らぬ方を向いてしきりに鼻をひく付かせ、あっと言う間に駆け出して居た。引き止めようにも、飛び往く本の中に紛れて仕舞った。
「運の良い事」
辛うじて自制心が勝ち、準備に戻る。鍵の掛かった引き出しから秘薬を。
小壜を呷り、アロマオイルを耳の後ろと胸元に。ハーブの束は高熱の魔力で一気に気化させて辺りに散らす。
ほとんどは、途中で斃れぬための予防だ。相手との斗いでは無い。自分との斗い。
「終わった時、お前は如何成って居るのか知ら」
其う、口を突いて漏れた。弾幕の交錯する光芒、閃光が近づいて来る。
* *
「今日はやけに切れが良いじゃないか。変なもんでも喰ったか」
後ろ手の魔理沙がスペルの切れ目に声を張り上げた。手数を誤魔化して居る積もりなのだろうけれど、半分を越えたと知らせて仕舞って居る。何時気が付くだろう。
「違うわ。お腹が減って居るの。減って減って仕方が無いの」
識りたい。識りたい。何故? 如何して? 如何して計算が違うの? 如何して私は未だ此処に居るの? 私は何故此処に居るの?
……何故、貴女が居るの?
* *
来た。懐に飛び込んで来た。もう帰さない。でも、カードを切るのは魔理沙が一瞬早かった。しかし。
「踏星符! マスタース……っ」
スペルの仕上げの瞬間に、箒の後ろに戦慄する様な気配が立った。美鈴の言葉が唐突に頭を過ぎり、動揺の余り詠唱を中断するという、此処何年ぶりかの大失敗をした。
後から冷静に考えれば、確かにおかしかったのだ。奴がいくらプロポーションを整えて居た処で、仔犬と同じ重さの筈は無いのだから。
しかし其の瞬間には、此処まで接近を許して仕舞った恐れに負けて、振り向いて仕舞ったのだ。箒の穂先に立って今将に、ナイフを刺さんとする十六夜咲夜を探して。
「わん!」
居たのは、名刺を差し出す仔犬だった。
隙を逃す手は無い。パチュリーは容赦なく、スペルを放った。
「金&水符……マーキュリポイズン(重)っ!」
「(重)って何んだ?!」
元素を普段の純エネルギの形態から、幾らか物理的実体に近づけて居る故(重)で在る。即ち、質量が有って触る事が出来る。
左右から比較的ゆっくり、大きめの弾が近づいて来る。
「ぅゎ! ちょ! こっちにゃ部外者が! 迷子が!」
「残念ね。其れは既に関係者なの」
「何!?」
マーキュリポイズン(重)の真価は、回転方向の異なる弾が、微妙に高さを変えた平面を廻って居る所に在る。
ごん。
魔理沙の頭に右手方向から来た弾が激突。押されて箒を軸に裏返る。
ごん。
回転運動のベクトルが死に切らぬ内に、逆から来た弾が魔理沙を元の姿勢に跳ね上げる。
「馬鹿にしてんのかこ」ごん。「らーっっっ!!」ごん。
離脱しように(ごん)も周囲はマーキュ(ごん)リポイズン(重)の弾で(ごん)一杯。おまけに、良(ごん)い様に廻さ(ごん)れ方向感(ごん)覚が滅茶苦茶(ごん)。
そしてさくやわんは野性の成せる技か、玉乗り宜しく駆け足で、器用に立ち続けて居るので在った。
名刺を受け取って貰えず、悲しげにしながら。
* *
「ぅぉぉぉぉ……吐く……」
「良いけど、吐いた分はちゃんと回収して貰うわよ。胃に」
「悪魔……」
「まぁ、レミリアに対して失礼だわ。私如きを悪魔だなんて」
一段落。魔理沙を交えてお茶の時間で在る。積んだ本を椅子代わりに書斎机に突っ伏す魔理沙の隣には、積んだ本に攀じ登って漸く顎を上に出し、尚も諦めず名刺を差し出すさくやわんの姿が在った。
「ほら、受け取ってあげ為さいな」
「あー……?」
「わん!」
熱心に差し出される紙切れを、魔理沙はとりあえず握った。勿論、目を廻して居る最中に文字を読む気力など沸く筈は無い。
「嗚呼、其うだ」
「んー……?」
「一寸貸し為さい。計算ミスの元凶に御仕置きして遣るんだから」
紙切れが引っ張られるので、魔理沙は手を離した。全く、受け取れだの貸せだの忙しい……
未だ少しぐるぐるして居る頭に、声が響いて来る。嗚呼、もう、今少し静かにして居て呉れぬものか。
「小悪魔。起き為さい。気が付いて居るんでしょう?」
「う、うーん(棒読み)」
「全く。美鈴の真似なんかする様に成って……」
「あ、やっぱバレてます?」
「良いから、此れを写すのよ」
「…………」
「写し為さい。複写の魔法でね。全部によ」
「……………………」
「良い娘ね」
「……今度こそ一巻の終わりだわ。嗚呼、如何かせめて、せめて苦しまずに一ト思いで逝けます様に……」
「可笑しな娘。悪魔がお祈りするの?」
「だって! 其れ以外に何が出来ると!?」
「大丈夫よ。幻想郷の実力者連中は、頭に血が昇ると脊髄で動くから。判る筈無いわ」
「……其うなんですか?」
「じゃ無かったら、もっと陰湿か、退屈に成って居るわよ」
* *
其れから数刻。
美鈴が仕事を上がり、私室で着替えて居ると。
「っ!!」
とん、と扉にナイフの立つ音がした。今まで経験した事の無い、氷点下を、否、絶対零度を遥かに下回る殺気と伴に。
何かやらかした覚えは無い。断じて無い。さくやわんに持たせた名刺とて、事前に咲夜当人に確認して貰った。後はいつも通りの仕事と、さくやわんに気功体操を教えて居るくらいだ。
よりによって、ナイフは扉の内側に突き立って居る。向うはマスターキィを持って居て、尚且つ時間を止められる。此んな事が朝飯前なのは百も承知。問題は、何故、此んな事をして居るか、なのだ。
ナイフは、さくやわんの名刺を縫い止めて居た。
美鈴は、今見えて居る物以外が視界に入らぬ様、慎重に近づき、名刺を抜き取った。表は如何という事は無い。徹夜して何枚も、自分で書いた内容だ。
裏返す。
わたしは おかあさんを たよってきました。
いままでずっと みなしご でした。
おねがいです。 どなたか わたしの
おとうさんを しらないでしょうか。
ひとめ あいたいのです。
「知りません!! 誤解です!! わたしは此んな文章書いてませんっ!! た、確かに筆跡如何見てもわたしですけど……っ!! でも違います!! 天地神明に誓っt」
美鈴の悲痛な抗議は唐突に途切れ、紅魔館を静寂が包んだので在った。
どっとはらい。
文字の羅列を読んでいるだけで心地よい。
こういうのがあるから読書ってのは止められねぇ(WEBですが)
内容というかキャラ付けも実に好み。
知性を十二分に感じさせながらも、好き勝手に生きている姿は正に東方。口調や設定を飛び越えて、原作の東方キャラの魂に近いものを感じさせるSSは実に稀有。何てことない日常を綴っているだけなのに、物凄い満足感がありました。オチも最高。予測したオチのパターンの斜め上を行ってくれましたw
いやもう本当に、読ませて下さってありがとうございますw
相変わらずの独特な文章ですが、それでもスラスラ読めてしまうのは
凄いです。
さくやわんほどのたくましさがあれば悪魔の館でも
生きていけますねw
あと一言も喋ってないのに凄まじいプレッシャーをもつメイド長はなんなんだw
さくやわん素敵だなw
パチェもこぁも魔理沙も咲夜さんも光ってるよ!
なんというオチwww
ってかパッチェさんひっでぇなww
そんな俺は猫派。