記:本作には風神録がキャラクタの登場致し候。御注意召され給えかし。
二十六夜の月の頃、さる山の端に天狗二人。秋の夜の更けて更け、真白く儚き弓の出づるを待ち居たり。
ぷにぷにぷに ぷにぷにぷに ぷにぷにぷにぷに ぷぅにぷに
大なる包みを膝に寄せ、弓手に構うる黒漆、銀蒔の薄そよぐ盃。一の天狗は濡羽玉の、翼背負うた鴉天狗。音に聞こゆる其の名は文。
ぷにぷにぷに ぷにぷにぷにに ぷぷにぷにぷに ぷぷにぷにぷに
其の傍らに控えるは、竹筒捧げる白狼天狗、名をば椛。月白の毛並こそ、実(げ)に実に月の光を留めるが如く。しかし、月待ちの興、如何でか乗らぬと見えて、耳は萎垂れ尾は巻かれ。
ぷにぷにぷに ぷにぷにぷに ぷにぷにぷにぷに ぷにぷぷに
「矢っ張り真ン中が良いね」
「御願いで御座居ます。もうお許しを」
「今少しさせてお呉れよ。そら、主も呑み給えな」
「両の手が塞がって居りまする」
「下手の言い草。盃、置いて注げば良いじゃ無い」
ぷにぷにぷに ぷにぷにぷにに ぷにぷにぷにぷぷ ぷににぷに
諦めた椛、せめてもの異議とて巻いた尻尾を哀れげに揺らしつつ、朱塗りに金蒔の紅葉散らしたる盃を地べたに置き、手酌で酒を注いだ。くんと薫るは野趣に長けたる馬酔木の猿酒。
ぷにぷにぷに ぷにぷにぷに ぷににんぷににん ぷににんにん
「妾(わたし)にも」
「は」
流石、潤んだ涙目をば伏せつつ、微かに震える手で酌をされては気が咎めたか、文は漸く、椛のにくきうをぷにぷにとぷにる手を離した。
あからさま、ほぅと肩で溜息ついて耳に元気が戻ったのが気に喰わぬ。別の手立てで苛め直してやろうかと思うたが、待ちに待ったる月が出た。
文には珍しく、今日の酒盛りは地べたで在る。常ならば見晴らしの良い枝を奪ってでも選ぶところ。しかし、椛の話を聞いて気まぐれを起こした。
曰く、「紅葉越しの月も宜しい物ですよ」とぞ。
成る程、捨てた物では無い。二十六夜のかそけき光、艶やかなる韓紅の御簾を透かし、早や強まりたる秋風に、風花の如く散り舞えり。
ざわり、と秋の錦は震え、一トひら二タひらと紅葉々(もみじば)は風に乗り。白光に蒼褪めたる紅の、其の玉響(たまゆら)の凄みよ。
そして、其の向うに鬼が一匹。
其れこそは、峻峰の頂を今、将(まさ)に昇り行く月で在る。天狗の月待ちをば、幻想郷の対の側から見下ろする其の峰に架かって、怜悧と研ぎ澄まされて居る。
もっぱら見下ろす事ばかり文は、見下ろされて思わず背筋を振るった。恐れが湧く。怒りが湧く。しかし刃と化した月光は瞬く間に其れを刻し、切なく焦がれる想いに磨き上げてしまう。
「出居ったか、鬼めが」
悔しさ半分に罵って我を保った積もりに成り、隣の椛を眼差しで頼る。
椛は自らの盃に月を招き、陶然と呑み干して居た。其れは常に見上げて居る者の、哀しき性(さが)か、分をわきまえたる謙虚の徳か。
「文様、始めませんか」
其の声に、今度こそ我を取り戻した。
「……」
応え損ねて無言で首肯、古びた縮緬の包みをほどく。現われたるは、黒紫の唐琵琶。天狗の爪なら義甲は要らぬ。ちりちりと掻き鳴らし、音を合わする。
其処に、椛の笛が一声。二人の音が合うた。
文はさらりと一ト撫でし、椛に委ねた。受けた椛の奏でたるは、さながら紅葉の一枝。華やかに、艶やかに、寒気の中に燃え立つ様に。
文の琵琶が、風と成って優しく揺すれば、揺すらるるままに風を撫でる。そうして其の内、ちらりちらりと散り初むる。
笛が或る高みに達したと見るや、琵琶の音が一気に雪崩を打った。掻き鳴らし、掻き鳴らす中で笛の旋律を追う。笛は其れに絡め取られ、かと思わば絡み返し、秋の野分と吹き荒れる琵琶を巧みに騎りこなす。
あしらわれてばかりは居るまじと、風は激しく責め立てる。紅葉は後から後から降る様に散り、風を紅に染め上げる。
遂に枝も折れなん、とした時、不意に琵琶が止む。笛の一つ音が秋の夜の静寂(しじま)に深閑と染み渡り、返って静寂を深くする。
琵琶は次の手を伺い、笛は琵琶を待ち焦がれ。そして。
「応々! 粋(すい)な事、奏(や)ってンじゃァねぃか!」
本当に、鬼を呼んだ。
力の籠もった鬼の声に、椛の笛は儚く揺らいだ。構えた文の手は慄いた。
「水入らずに水差すなァ重々承知、したが辛抱堪ンねェ。手土産出すから混ぜとくれな!」
どんと出でたる大瓢(おおふくべ)、中は勿論鬼の酒。
お邪魔虫な鬼、と書いたら邪鬼。悍馬名馬が蹴たぐったところで、逆に喰ってしまうに相違在るまい。俄か邪鬼の萃香、小兵の何処に入るやら、自ら一トくさりぐびりぐびりと呷ると、舌なめずりして顎を拭った。紅葉透かして月の降る中、仁王立ちてはばらりばらりと両の手に、打ち開きたる襤褸扇。
「無礼講にて御願候(おんねがいそろ)! いざいざ、続け給(た)めかし!」
文と椛は受けて立った。笛が紅葉の中にあってすら一ト際鮮やかな紅を刷き、二十六夜の月光をたらふく吸ったる琵琶が煌きを散りばめる。
其処に、反閇(へんばい)。
感極まったる鬼の一ト踏み、日本一の宮太鼓も天狗御自慢の天狗倒しも、裸足で逃げ出しかねぬ勢い。山鳴りとなって幻想郷に響(とよ)めき渡る。笛の音も琵琶の音も、月まで届けとばかりに天高く放り上げる。何処かで鳥の群れが騒いだ。
舞が始まる。風を軽々と踏み、降りしきる紅葉を乗り継いでゆく。ひるがえる扇こそは、二匹の秋の立羽蝶。此の世を一炊の夢と歎じる。
吹き荒ぶ風は然りと応え、容赦無く蝶を連れ去る。其処に迷い込む様にしてやって来た紅葉一ト葉が、故にこそ、と健気に寄り添い、供連れとなる。
笛声朗々、糸声嫋々。俄か舞台を踏む声は、響み響みて二十六夜の月の頃。当の月は疾うに峰を離れ、中天へと漕ぎ出づる。静々と、静々と。
* *
「やい、文やい……なんか言い辛いなぁ」
「大変余計なお世話様。何?」
「あやややややややや」
「やかましいわッ!!」
「もう明るいよ。何んか一声啼いて見せてよ。啼かなきゃ鬼は帰れない。お日様に当たって溶けちゃうよぅ」
「鶏扱いだぁ? 謹んで巫山気ンなと申し上げますぅー」
「うぅっ、酷ぃ……椛さァん、何ンとか言ってやってよぉ」
「無理です。駄目です。お日様が、黄色くて、とても……」
文、マグロから鴉に化け戻りがばりと起き直る。
「……あーっ! もう!! 今日は集まりが在るのにっ! 取材の予定もっ!」
鬼マグロは余裕の寝返り。
「平気平気、鬼に襲われたーって言っときゃ良いよ。偶には骨休めしないと」
「はァ? 主みた様な遊び人が言うなっつの」
「……萃香さんと御一緒では骨休めに成るとは……」
むっくり起き上がる狼マグロの一言に、鬼は無言で二度寝した。しくりしくりと嘘泣きの声。
「椛、良くぞ言った!」
「文様……!」
「貴女も宿酔で辛いだろうけど、如何しても頼みたい事が後一つ在るの。重大な使命」
「はい、文様。文様の御為と在らば、此の命賭してでも……!」
「あの糞瓢箪割っちめェ」
「御意」
「やーめーてーぇぇぇ」
山は紅葉。冬の息遣いが、風の芯にひそみ初む頃合。いささか香り芳しき、霞の楚々とかかりたるこそ、いとをかしけれ。
どっとはらい。
二十六夜の月の頃、さる山の端に天狗二人。秋の夜の更けて更け、真白く儚き弓の出づるを待ち居たり。
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大なる包みを膝に寄せ、弓手に構うる黒漆、銀蒔の薄そよぐ盃。一の天狗は濡羽玉の、翼背負うた鴉天狗。音に聞こゆる其の名は文。
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其の傍らに控えるは、竹筒捧げる白狼天狗、名をば椛。月白の毛並こそ、実(げ)に実に月の光を留めるが如く。しかし、月待ちの興、如何でか乗らぬと見えて、耳は萎垂れ尾は巻かれ。
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「矢っ張り真ン中が良いね」
「御願いで御座居ます。もうお許しを」
「今少しさせてお呉れよ。そら、主も呑み給えな」
「両の手が塞がって居りまする」
「下手の言い草。盃、置いて注げば良いじゃ無い」
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諦めた椛、せめてもの異議とて巻いた尻尾を哀れげに揺らしつつ、朱塗りに金蒔の紅葉散らしたる盃を地べたに置き、手酌で酒を注いだ。くんと薫るは野趣に長けたる馬酔木の猿酒。
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「妾(わたし)にも」
「は」
流石、潤んだ涙目をば伏せつつ、微かに震える手で酌をされては気が咎めたか、文は漸く、椛のにくきうをぷにぷにとぷにる手を離した。
あからさま、ほぅと肩で溜息ついて耳に元気が戻ったのが気に喰わぬ。別の手立てで苛め直してやろうかと思うたが、待ちに待ったる月が出た。
文には珍しく、今日の酒盛りは地べたで在る。常ならば見晴らしの良い枝を奪ってでも選ぶところ。しかし、椛の話を聞いて気まぐれを起こした。
曰く、「紅葉越しの月も宜しい物ですよ」とぞ。
成る程、捨てた物では無い。二十六夜のかそけき光、艶やかなる韓紅の御簾を透かし、早や強まりたる秋風に、風花の如く散り舞えり。
ざわり、と秋の錦は震え、一トひら二タひらと紅葉々(もみじば)は風に乗り。白光に蒼褪めたる紅の、其の玉響(たまゆら)の凄みよ。
そして、其の向うに鬼が一匹。
其れこそは、峻峰の頂を今、将(まさ)に昇り行く月で在る。天狗の月待ちをば、幻想郷の対の側から見下ろする其の峰に架かって、怜悧と研ぎ澄まされて居る。
もっぱら見下ろす事ばかり文は、見下ろされて思わず背筋を振るった。恐れが湧く。怒りが湧く。しかし刃と化した月光は瞬く間に其れを刻し、切なく焦がれる想いに磨き上げてしまう。
「出居ったか、鬼めが」
悔しさ半分に罵って我を保った積もりに成り、隣の椛を眼差しで頼る。
椛は自らの盃に月を招き、陶然と呑み干して居た。其れは常に見上げて居る者の、哀しき性(さが)か、分をわきまえたる謙虚の徳か。
「文様、始めませんか」
其の声に、今度こそ我を取り戻した。
「……」
応え損ねて無言で首肯、古びた縮緬の包みをほどく。現われたるは、黒紫の唐琵琶。天狗の爪なら義甲は要らぬ。ちりちりと掻き鳴らし、音を合わする。
其処に、椛の笛が一声。二人の音が合うた。
文はさらりと一ト撫でし、椛に委ねた。受けた椛の奏でたるは、さながら紅葉の一枝。華やかに、艶やかに、寒気の中に燃え立つ様に。
文の琵琶が、風と成って優しく揺すれば、揺すらるるままに風を撫でる。そうして其の内、ちらりちらりと散り初むる。
笛が或る高みに達したと見るや、琵琶の音が一気に雪崩を打った。掻き鳴らし、掻き鳴らす中で笛の旋律を追う。笛は其れに絡め取られ、かと思わば絡み返し、秋の野分と吹き荒れる琵琶を巧みに騎りこなす。
あしらわれてばかりは居るまじと、風は激しく責め立てる。紅葉は後から後から降る様に散り、風を紅に染め上げる。
遂に枝も折れなん、とした時、不意に琵琶が止む。笛の一つ音が秋の夜の静寂(しじま)に深閑と染み渡り、返って静寂を深くする。
琵琶は次の手を伺い、笛は琵琶を待ち焦がれ。そして。
「応々! 粋(すい)な事、奏(や)ってンじゃァねぃか!」
本当に、鬼を呼んだ。
力の籠もった鬼の声に、椛の笛は儚く揺らいだ。構えた文の手は慄いた。
「水入らずに水差すなァ重々承知、したが辛抱堪ンねェ。手土産出すから混ぜとくれな!」
どんと出でたる大瓢(おおふくべ)、中は勿論鬼の酒。
お邪魔虫な鬼、と書いたら邪鬼。悍馬名馬が蹴たぐったところで、逆に喰ってしまうに相違在るまい。俄か邪鬼の萃香、小兵の何処に入るやら、自ら一トくさりぐびりぐびりと呷ると、舌なめずりして顎を拭った。紅葉透かして月の降る中、仁王立ちてはばらりばらりと両の手に、打ち開きたる襤褸扇。
「無礼講にて御願候(おんねがいそろ)! いざいざ、続け給(た)めかし!」
文と椛は受けて立った。笛が紅葉の中にあってすら一ト際鮮やかな紅を刷き、二十六夜の月光をたらふく吸ったる琵琶が煌きを散りばめる。
其処に、反閇(へんばい)。
感極まったる鬼の一ト踏み、日本一の宮太鼓も天狗御自慢の天狗倒しも、裸足で逃げ出しかねぬ勢い。山鳴りとなって幻想郷に響(とよ)めき渡る。笛の音も琵琶の音も、月まで届けとばかりに天高く放り上げる。何処かで鳥の群れが騒いだ。
舞が始まる。風を軽々と踏み、降りしきる紅葉を乗り継いでゆく。ひるがえる扇こそは、二匹の秋の立羽蝶。此の世を一炊の夢と歎じる。
吹き荒ぶ風は然りと応え、容赦無く蝶を連れ去る。其処に迷い込む様にしてやって来た紅葉一ト葉が、故にこそ、と健気に寄り添い、供連れとなる。
笛声朗々、糸声嫋々。俄か舞台を踏む声は、響み響みて二十六夜の月の頃。当の月は疾うに峰を離れ、中天へと漕ぎ出づる。静々と、静々と。
* *
「やい、文やい……なんか言い辛いなぁ」
「大変余計なお世話様。何?」
「あやややややややや」
「やかましいわッ!!」
「もう明るいよ。何んか一声啼いて見せてよ。啼かなきゃ鬼は帰れない。お日様に当たって溶けちゃうよぅ」
「鶏扱いだぁ? 謹んで巫山気ンなと申し上げますぅー」
「うぅっ、酷ぃ……椛さァん、何ンとか言ってやってよぉ」
「無理です。駄目です。お日様が、黄色くて、とても……」
文、マグロから鴉に化け戻りがばりと起き直る。
「……あーっ! もう!! 今日は集まりが在るのにっ! 取材の予定もっ!」
鬼マグロは余裕の寝返り。
「平気平気、鬼に襲われたーって言っときゃ良いよ。偶には骨休めしないと」
「はァ? 主みた様な遊び人が言うなっつの」
「……萃香さんと御一緒では骨休めに成るとは……」
むっくり起き上がる狼マグロの一言に、鬼は無言で二度寝した。しくりしくりと嘘泣きの声。
「椛、良くぞ言った!」
「文様……!」
「貴女も宿酔で辛いだろうけど、如何しても頼みたい事が後一つ在るの。重大な使命」
「はい、文様。文様の御為と在らば、此の命賭してでも……!」
「あの糞瓢箪割っちめェ」
「御意」
「やーめーてーぇぇぇ」
山は紅葉。冬の息遣いが、風の芯にひそみ初む頃合。いささか香り芳しき、霞の楚々とかかりたるこそ、いとをかしけれ。
どっとはらい。
何だか歌舞伎みたいな感じがしました。
背景描写や会話が渋くてかっこよす
素直に羨ましいッス
空気というか雰囲気というか、もう一野干さんの書く東方世界にメロメロっす。
濃い口なのに後味良く、ぴりりと山椒も効いている。
うむ、実に良い。
風流な文体にコミカルな情景。
この折衷こそ、まさに東方らしいですね。
だがそれがいい。
そしてにくきう。