注意:キャラクターの設定に独自のものを追加しまくってます。嫌いな人は戻るべきです。
ぼやけ、散り散りになっていた意識が収束して行く感覚。集まった意識は曖昧な認識しか持たない、何とも頼りないものだったが、時間が経つにつれて鮮明さを増して行き、ついに「意識」と呼べる状態になった。深いまどろみから覚めた意識は、起床に向けて意思と気力を動き出させ、その作業も間を置かずに完了する。
寝起きの後の心地良い余韻をきっかり五分三十秒満喫し、彼女はベッドから半身を起こした後、小さく欠伸を漏らしつつ「のび」をした。同時に、正しく狂った目覚まし時計がけたたましくベルを鳴らし、僅かに残った眠気と意識にかかった靄を綺麗に消し飛ばす。
すべてがいつも通り。寸分の狂いも無く、十六夜 咲夜は目覚めた。
慣れた手付きで目覚まし時計を止め、ベッドから這い出してもう一度「のび」をすると、薄いピンクの夜着を形の良い胸が押し上げ、白く美しい肌と臍をちらりと覗かせる。
「ふぅ……よく寝た、と。体調、問題無し。気力もOK、時間は……と」
部屋の隅に掛かった大きな仕掛け時計は、きっかり六時を指して止まっている。
「時間、良し。すべてパーフェクトね」
常の状態である事を確認し、問題が無い事に満足すると、咲夜は浴室へと歩を進めた。
脱衣所で、身に着けていた夜着と下着を手早く脱ぎ、夜着は備え付けの籠に畳んで入れ、下着は洗濯用の籠に放り込むと、眩しいほどに健康的で美しい裸体が外気に晒される。
無駄な贅肉が一切無いにも関わらず、衣類を身に着けている時には想像も出来ないほど肉感的で、それでいて上品な肢体。柔らかでありながら、締まるべき所は締まっているその身体は、白磁の様ななめらかさと艶やかさを完璧なバランスで備えた芸術的な肌で包まれている。しなやかな全身のラインは野性的な美しさ、艶めかしさを放ち、本能、理性、双方に逆らい難い魅力を焼き付け、刻む。形の良い尻はきゅっと引き締まり、たるみは一切無い。そして、大き過ぎず、だが決して小さくも無い双丘は、豊満さと形状を、やはり完璧なバランスで兼ね備え、理想的と言う言葉すら生温い、見事な形だった。まさに神、もとい悪魔の造形美と言えるだろう。
「……肌の色も異常無し。健康そのものね。まあ体調管理を含め、メイドとして当然なんだけど。今日の仕事に影響は無し、実に喜ばしい事ですわ」
浴室に備え付けられた、美しく磨き上げられた大きな鏡に自分の裸体を写し、咲夜は最後の身体チェックを行うと、やや派手な位に装飾された造りの蛇口を捻り、頭から熱いシャワーを浴び始めた。
濡れた銀の髪が細いうなじにまとわりつき、湯に濡れた肢体は一層の美しさと艶めかしさを醸し出す。
寝汗をさっぱりと洗い落として浴室から出ると、魔法のタオルと温風を吐く魔法の筒を備え付けの棚から取り出し、濡れた身体を拭き、髪を乾かしていく。
タオルは吸水性を高めたもので、魔法の筒は髪を傷めずに素早く乾かす事が出来る代物である。ちなみに設計、製作は紅魔館の魔女、パチュリー・ノーレッジだ。
身体にタオルを巻き付けた後、髪に櫛を入れながら乾かしていき、整えていく。前髪の一部をみつあみにし、箪笥からリボンを取り出して編んだ髪を纏めると、咲夜は浴室を出て寝室へと向かった。
寝室の中にある、広いウォーキングクローゼットの中からエプロンドレスとフリルの付いたヘッドドレスを取り出し、やはりクローゼット内にある箪笥からショーツとブラジャーを選び、手早く身に付けて行く。襟元のリボンをキリっと締めると、泣く子も泣き出す紅魔館を仕切るメイド長、完全で瀟洒な従者、十六夜 咲夜が完成する。
「さて、と。今日も一日頑張りましょうか。……そして時は動き出す」
愛用の銀のナイフと懐中時計を身に付け、停止させていた時間を解除する。壁に掛けられていた時計は思い出したかのように時を刻み始め、窓の外からは小鳥の囀りが聞こえ始めた。文字通り、時間が動き出したのである。
咲夜が停めていた時間を動かした事で、紅魔館の一日は始まる。
通常、紅魔館の主であるレミリア・スカーレットとその妹のフランドール・スカーレットは、陽が昇る朝には眠っているのだが、最近では二日に一回の割合で朝でも起きている。
普段ならば自分と、レミリアの友人である魔女、パチュリーとその従者の小悪魔、夜勤明けで眠っていなければ門番の紅 美鈴の分だけ朝食を作るだけなので特に苦は無いのだが、レミリアとフランドールが起きている場合は話が別だ。フランドールはそうでもないが、レミリアは何をするにしても豪華主義、贅沢主義なのである。
「私は夜の王とも呼ばれるんだ、何に関したって他から嘗められないようにしないとね。分相応は何も低格の連中にだけ当て嵌まる言葉じゃない。強い奴、偉い奴はそれなりの生活、態度を取らねばならんのさ」
これがレミリアの言い分なのだが、実は単に我侭し放題なだけである。
咲夜やパチュリーはそれを理解していたが、言い分に間違いも無いので特に指摘する事はしない。言ったところで筋金入りの我侭お嬢様に通じる筈が無いと諦めているからだ。
「おはよう咲夜。時間通りね」
「おはようございますパチュリー様。小悪魔も」
朝食の支度を終え、咲夜が食堂へ入ると、そこにはパチュリーと小悪魔が卓に座っていた。
今朝の食卓にはパチュリーと小悪魔、そして咲夜の三人だけだ。ちなみに、今日はレミリアもフランドールも眠っている。美鈴も夜勤明けで今は夢の世界だろう。
「咲夜さん、ご飯は何ですか?」
空腹だと言わんばかりの表情で小悪魔が咲夜に朝食の献立を尋ねてくる。
「和食よ。いい干物が手に入ったの。鯵だったかしら。それと里芋の煮転がしに、豆腐とわかめの味噌汁ね。漬物は白菜と茄子の浅漬け。後はきんぴらごぼうね。卵焼きもあるわ」
「うーん、それは食欲がそそられますね!ささ、早速いただきましょう」
「朝から貴女は元気ね……。咲夜、お茶を貰えるかしら」
「はい、ただいま。緑茶でよろしいですか?」
「和食だもの」
「和食ですわ」
慣れた手付きで三人分の湯飲みに茶を淹れて、用意してあった料理を卓に手早く並べて行く。五分もしない間に、食卓は鮮やかな色彩で埋め尽くされた。
量も種類も豊富過ぎるボリュームだったが、これが紅魔館の食卓で、一番質素なレベルだった。レミリアが起きている場合は、この彩が倍以上になる。咲夜は料理が得意で、料理する事が好きな為に苦にならないようだが、常人では嫌になるくらいの作業量を強いられる。
もっとも、この紅魔館に常人が出入りする訳が無いので、その問題が起こる心配は無い。まともな人間が悪魔の住む館で暮らせる筈が無いのだ。
「うーん、美味しい。流石は咲夜さん。いい仕事してますねぇ」
「貴女は毎食そうやって私を煽てるわね。褒めてもいいことは無いわよ」
山と盛った白米を一口三十六回、高速で咀嚼し、あっと言う間に平らげて、小悪魔は咲夜の料理に舌鼓を打っていた。パクパクとよく食べ、彼女の箸は自分の前に用意された品々の間を目まぐるしく飛び回っている。
「貴女はよく食べるわね。そんなに食べて太らないの?」
毎食の事ながら、自分の三倍以上は食べて満足そうな表情をしている従者の顔を見ながら、向かいの席に座ったパチュリーは、半ば呆れ気味の表情でそう言った。小悪魔とは対照的に、彼女の食事量は非常に少ない。雀の涙と言う表現がピッタリな位だ。
「はっはっは、私は食べても太らない体質なんですよ!栄養は全部、胸に行きますし」
ふふん、と自慢げに小悪魔が胸を張る。彼女は乱暴な言い方をすれば、巨乳の部類に入る。紅魔館内では、美鈴に続く豊満なバストの持ち主だった。
「胸が大きな女はバカなのよ」
胸を張る小悪魔に冷ややか視線を送り、パチュリーは早くも食事を終えて残りの茶を飲み干した。
「どんだけ古いんですかパチュリー様。と言うか、その法則だと美鈴さんは当然として、パチュリー様も咲夜さんもおばかって話に……んがんぐ!」
「誰がバカよ」
「……パチュリー様、吐かせないでくださいませ。掃除が大変ですので」
「……!……!!」
見えない魔力の縄で首を絞められ、じたばたともがく小悪魔を、とろんとした目付きで眺めながら咲夜は言った。
「この娘にやらせればいいのよ」
茶のお代わりを咲夜に要求しながら、パチュリーは小悪魔を締め上げる。そんな二人の様子に、どこか微笑ましさを感じ、咲夜は気付かれない様にクスリと笑うのだった。
朝食を終え、その片付けも終わると、次は館内の掃除兼見回りが咲夜の仕事になる。
紅魔館内部は見た目よりおよそ十倍近い広大さで、咲夜の、一日の仕事の大部分が、この掃除兼見回りになる。
「夜の王たる悪魔の館に、汚れや掃除が行き届いていない箇所は存在してはならない。王の居城がみすぼらしいのは犯罪だ」
レミリアの言い付けである。
確かに、貴族の屋敷が汚れ、みすぼらしいのは、それは貴族の屋敷と呼べない。咲夜もそう思うので、こと掃除と館内の管理は徹底しようと常日頃から思っていた。
ただ、それを忠実に実行するには館内が広過ぎた。
咲夜が自身の能力で空間を操作し、唯でさえ広い館内を更に広くしているので、空間操作を止めればいいのだが、それを行うと館内各所に設けられた施設が納まり切らなくなるのでそれは出来ない。
魔法図書館にフランドールの遊び場、レミリアの趣味による館内施設(美術品、芸術品を納めた美術館に、未だかつて満室になった事の無い、無駄に豪華な宿泊施設など)があるからだ。
そのいずれもが紅魔館には必要不可欠な存在の為、空間操作を止めるわけにはいかないのである。
更に、レミリアをはじめ紅魔館の住人の気紛れで館内の施設は増える可能性があり、それが益々咲夜の仕事量を増やす。
それでも、何事に対しても完璧主義な咲夜は、仕事が増えようともそれらすべてをこなすと硬く決めていたので、今日も黙々と一人で膨大な量の仕事に挑むのだった。
「……今日は先ず、お嬢様の御部屋周りから始めましょうか」
掃除用具一式を抱えて、レミリアの寝室がある棟の入り口にやって来ると、咲夜は瞳を閉じて意識を集中させる。
「……『パーフェクトスクウェア」」
咲夜が呟いた瞬間、彼女の周囲の空間が軋んだ。
彼女が立っている入り口の近くに、小さな窓があるが、そこから見える外の景色に異常が起こる。
空を飛んでいた小鳥が、突然その動きを凍りつかせ、空中で停止したのだ。
咲夜が時間を停めた為である。
彼女がいる空間の時間を停めた為に、その効力が及ぶ範囲にいた鳥も停まってしまったのだ。
広大な紅魔館のすべてを掃除して回るとすれば丸三日は掛かる。更に各施設の点検なども含めれば一週間は掛かるだろう。
その作業を二十四時間以内で終わらせる為には時間を停めて作業をするしかない。
「では、始めましょうか……」
使い込まれたモップを手にし、咲夜は呟いた後、掃除用具の中から古びた砂時計を取り出し、次いで壁に掛かった、「停まった」時計を見て時間を確認する。
時刻は八時を過ぎたところだった。
時間を確認した咲夜は無言で頷くと、取り出した砂時計をひっくり返して静かに廊下へと置いた。
砂時計には意図的に時間が停まらない様にしてある為、停止中の時間の中でも時を刻んでくれる。
「目標タイムは現実時間の9時かしらね。さあチャッチャと終わらせましょう」
時間を「停めていられる時間」は無限ではない。
自分自身やその周辺ならばそれも可能だが、広域に渡る時間操作の効力は長くない。それは流石の咲夜とは言え、人の身には荷が勝ち過ぎている芸当だった。
停めていられる時間には限りがある為、停めた時間の中でもそこそこ急いで動かねばならない。
更に、停める範囲を大きくすると力の密度が薄くなり、完全停止ではなく、時間の流れを酷く遅いものにする程度にまで効力が落ちる。
時間を停めているとは言え、あまりゆっくりとは出来ないのだ。
しかし、咲夜の仕事の速度は普通よりも速い。長いメイド生活によって身に付いた技術が優れた速さを生み出す。
加えて、停めている時間の中で、咲夜は自分の時間だけ速度を速めているので一層速く仕事を終わらせる事が出来る。
素早く、効率良くこなさなければ、仕事を一日で終える事は出来ない。咲夜はそれを熟知しているので、素早く、そして効率良く働く為の方法として今行っている時間操作の方法を編み出したのだ。
この技術と知恵があるからこそ、咲夜が一人で紅魔館の仕事、雑務をこなせているのだ。
そのことに、咲夜は少なからず誇りを持っていた。複数人でやっても終わるかどうかと言う作業内容を一人で、キチンと一日の内に終わらせられる自分。
まさに完全な従者、メイドの鏡じゃないか、と。
だが。
「……でも、あと一人くらい、まともに使えるメイドが欲しいなぁ」
弱音を吐くつもりは無いが、やはり人手が欲しいとも思う。妖精メイドは肝心な事では頼りにならないので、尚更だった。
万一、自分が倒れたら紅魔館は機能不全に陥ってしまうだろう。
(その内、誰か使えそうな奴をスカウトしようかしらね)
作業中に考える、気を紛らわせる為の思考。何度目になるか解らないその考えは、作業に没頭する内に次第に薄れていった。
正午が近く、気の早い妖精メイドが自前の昼食を焦がしたりする匂いが漂いだした紅魔館。
全体の八割強を超人的な速度と精度で掃除し終えた咲夜が、パチュリー、小悪魔、美鈴の三人に作る昼食の献立を考えながら中庭を歩いていると、正面ロビーの方向から聞き慣れた爆発音が聞こえて来た。
「……また、あいつね」
一週間に一度は顔を付き合わせる少女の顔が脳裏に浮かび、咲夜は溜め息を漏らした。
「どーせ来るならこっそり来なさいよ。散らかるんだから」
もしくは普通に入って来ればいいのだ。別に進入禁止という訳ではないのだから、普通にやって来れば茶の一つも出して、もてなしも出来る。
だが、強行突破で無理矢理に押し入って来れば話が変わる。無許可で進入して来る相手は、例え顔見知りであっても許されない。
親しき間にも礼儀あり。不法侵入者は撃退されても文句は言えない。
「余計な仕事増やしてくれちゃって!……美鈴が突破される前に黙らせますかね」
もう一度溜め息をつくと、咲夜はロビーに向けて走り出した。
咲夜が現場へ辿り着くと、門番である美鈴と、侵入者である霧雨 魔理沙が熾烈な弾幕戦を繰り広げていた。
「ったく、何であんたはいつもいつも!」
「そこに本があるからだぜ」
「盗むのは止めろ!私がパチュリー様に締められるんだからね!今月のお給金もピンチなのよぅ」
魔理沙の繰り出すレーザーの檻を掻い潜りつつ、美鈴は七色の光弾を放って応戦する。
隙を窺って近距離戦に持ち込み、得意の拳法で一気に仕留めようと言うのが美鈴の狙いだったが、それを理解している魔理沙はひたすら距離を取って牽制のレーザーと星型弾を美鈴に向けて撃ちまくっていた。
「めんどくせーなぁ……そろそろ通してくれませんかね、門番さん」
「強盗を通す門番がどこの世界にいるのよ!とっとと帰れ!」
美鈴が吼え、光の弾を連続で魔理沙へと撃ち放つ。
それと同時に彼女は魔理沙へ向けて空を駆けて突撃した。
弾幕を盾とカムフラージュに使い、一気に距離を詰める作戦だ。
「甘いぜ、門番!」
しかし魔理沙には読まれていた。
魔理沙は八卦路を取り出し、迫り来る弾幕へ向けて八卦路を両手で構えると、声高らかに叫んだ。
「マスタースパーク!!」
単純な破壊力ならば幻想郷最大クラスの火力を誇る、魔理沙の必殺の魔砲だ。
直撃すれば、美鈴の敗北は必定である。
「やっぱり、駄目ね」
黙って成り行きを見守っていた咲夜は、ナイフを取り出して呟いた。次は自分が魔理沙の相手をしなければならない。
だが、ナイフを構えようとした瞬間、意外な人物の、意外な声に咲夜は動きを止めた。
「彩符、極彩颱風!!」
「なっ……!上だと!?」
マスタースパークを放つ魔理沙の頭上に跳躍した美鈴が、してやったりと言った表情でスペルカードを発動させる。
(やるじゃない)
構えたナイフを戻し、咲夜はもう少しだけ様子を窺う事に決めた。
今出て行けば、美鈴のプライドに傷が付く。そう思ったからだ。
「ぬぅおおお!」
八卦路からマスタースパークを放出しながら、魔理沙は頭上から襲い来る弾幕の雨を急速に後退することでかわそうとしていた。
「逃がすかっ」
美鈴が肉薄する。魔理沙は─―――避け切れない。
「覚悟しろっ!」
「わわわっ!た、タンマ……」
「待った無し!って言うか止まらないわ」
頭の高さまで持ち上げられた美鈴の踵が、魔理沙の脳天に直撃する。
「グハッ」
強烈な衝撃が魔理沙の全身を貫く。
ぐらりと魔理沙の身体が揺らぎ、そのまま仰向けに倒れてしまう。そのままピクリとも動かない。
魔理沙が倒れるのと同時に着地した美鈴が、咲夜に向かってガッツポーズを取った。
「どうです?今日は勝ちましたよ!」
「いつから気付いていたのかしら」
「咲夜さんがそこに来た時からですよ。気配で解りました」
「ふぅん……まあそれくらいでないと門番は務まらないものね」
美鈴が自分の到着に気付いていた事に感心しながら、咲夜は倒れた魔理沙に歩み寄った。
「これ、死んだ?」
「まさか。やんわりと手加減しましたよ」
妖怪である美鈴の脚力は人間のそれを遥かに超える。その上、彼女は気と身体の鍛錬を積んだ武人(?)だ。その肉体から繰り出される攻撃の威力は人智を越える。
「やんわりと」手加減をしなければ、今頃魔理沙の頭は潰れたトマトの様になっていたことだろう。
「こんなでもうちの御主人様達のお気に入りですからね。殺しでもしたら私が死ぬより酷い目に合わされそうですよ」
「私は、そんな危ない橋を迷いもせずに渡る貴女の神経を疑うけれど?」
「鍛えてますから。自分の筋力と気の制御くらいは朝飯前です」
自信たっぷりに胸を張る美鈴と談笑しながら、咲夜はいつの間にか取り出した縄で魔理沙の手足を縛っていく。
時間を停めて調達して来た様だった。
「さて、毎度の事ながら派手にぶっ壊してくれたわねぇ……」
縛った魔理沙に活を入れて、咲夜は目覚めたばかりの魔理沙に嫌味たっぷりの笑みを浴びせた。
「はっはっは……。こりゃ不可抗力と言う奴でな。そこの門番が私の邪魔をするからで……」
「強盗を邪魔しない門番がどこの世界にいるんだよ。ったく……」
気絶から覚めたばかりだと言うのに元気一杯の魔理沙に、美鈴は内心、もっとキツく喰らわせてやれば良かった、と思った。
「門番は門から来る奴に対して動くものだろ。今日、私は門じゃなくて空から入ったんだぜ」
縛られたまま魔理沙はふてぶてしくそう言い放った。まさに居直り強盗そのままだ。
「どっちにしろ館内侵入じゃないの。むしろ領空侵犯だわ。撃ち落とされても文句は言えないわよ」
咲夜がピシャリと突っ込みを入れると、美鈴も音頭を合わせて魔理沙に文句を言い放つ。
「空から侵入するのは領空侵犯。海じゃないけど湖から来れば領海侵犯。門番の私が迎撃して当然よ。不審者と侵入者は警告の後攻撃して、場合によっては撃墜もOKなんだから」
「……お前にだけは言われたくないぜ、門番」
「?……どう言う意味よ」
常々門に突っ込んで来ては突破したり、撃退出来ても壊れた建築物や乱れた庭園の修復に追われるのは美鈴である。
日頃の鬱憤が爆発したのか、美鈴は魔理沙の頬を引っ張りながらガミガミと説教を始めた。
対する魔理沙だったが、こちらは馬耳東風と言った様子で、怒鳴り散らす美鈴をのらりくらりとかわしていた。
「まったく……あれじゃ、またあいつは来るわね」
声がどんどん大きくなり、地団駄を踏んで怒鳴る美鈴を見ながら、咲夜は溜め息を漏らした。
懲りてくれればいいのだが、あの様子では無理な望みだろう。殺しても治るまいと、咲夜は思う。
「ええい、ここまで言っても改心しないのかー!この、この、この!」
「ひへへ、ひゃめれー!ろびるろびる!」
「若いんだから平気よ!ホレホレ、ごめんなさいと言いなさい!閻魔様に突き出すわよ」
「うへー!あいつは勘弁してくれよー」
「じゃあ、もうしませんって誓いなさい」
「……見つかることをもうしないぜ」
「…………ぬぉおおおお!!」
舌戦では魔理沙の勝ちのようだ。だが、負かしたことで、切れてしまった美鈴に何をされるのか解らない事に魔理沙は気付いたようだった。
しかし、もう遅い。慌てて謝罪の言葉を口にするが、既に美鈴は怒り心頭、聞く耳を持っていない。
「あの娘の好きな中華料理にでもしてあげましょうか」
何やら怪しげな拳法の構えを取って魔理沙ににじり寄る美鈴と、悲鳴を上げて芋虫の様に這って逃げ出す魔理沙の様子を見ながら、咲夜は昼食の献立を考える事に専念するのだった。
どこか気だるい心地にさせる、昼下がり。
昼食を済ませた咲夜は、人間の里に買出しへやって来ていた。
毎夜、派手に飲み食い、贅沢の限りを尽くす紅魔館は食料の消費が激しい。
短い周期で、定期的に買出しに行かないと、蓄えはすぐ底を尽いてしまうのだ。
里にやって来ると、咲夜は早速行き付けの商店街へと足を向けた。
買出しと言っても、実際に商品を買って持って帰るのは無理なので、紅魔館お抱えの店に、必要な品々を注文して回る。
「おお、これはこれはメイド長。本日は何をお求めで?」
「何と言われましても。こちらは八百屋さんでしょう?茄子にトマトにレタスにキャベツ。人参と、あればごぼうも頂きたいわね」
最初に訪れたのは八百屋だった。
「へいへい、ソイツらはいつもの量で?」
「ええ、その通りよ」
「そうですなぁ……しめてコレくらいかと」
そう言うと八百屋の主人は、前掛けのポケットから取り出した紙に咲夜が要求した野菜の料金を綴る。
それを確認した咲夜は、感心した様な声を上げた。
「あら、前より少し安くない?」
「今年は豊作でしてね、それはもう大量に。松茸なんかも多いですよ?ただ、コッチはそれなりに需要があるんで、あまりお安く出来ませんが。値段が張る分、美味しいですよ」
八百屋の主人の話では今年に入ってから特に野菜が多く取れるようになったのだそうだ。
その豊作が今でも続いており、在庫の処理が追い付かないほどらしい。
在庫処理も狙いに入っているのだろう、店主は咲夜に、しきりに商品の売込みを行った。
「嘘みたいに採れてびっくりですぜ。何があったのか解らねーですがね。異変みたいで怖いぐらいでさぁ」
「その話なら、前に天狗が何か言っていましたわね……。何でも、外の野菜が食べられずに捨てられたり、客に不人気で、売れ残って捨てられたりしてるとか。その影響ではないか?と」
「ほほぅ、そいつはもったいない話だな」
近年、幻想郷で採れる野菜はその量を増加させているが、今年の量は特に多いようだ。
野菜だけではなく、魚屋が仕入れる魚も大漁の様である。
その反対に、幻想郷の外では野菜も魚も食べれる量が減って来ているらしいと天狗が言った事を、咲夜は店の主人に聞かせた。
「食べると身体に悪い、不良品らしいですよ。空気も水も土も最悪な環境なのだとか」
「んー、それは駄目だなぁ。ま、うちの野菜はそんなことないんで安心して下さいな!味も値段も自信たっぷり、命賭けますよ」
胸を張って答える店の主人に、咲夜はにっこりと微笑む。
「当然です。不味かったら買いませんし、身体に悪かったなら代わりに血を頂きますから」
笑顔のまま、咲夜はサラリと言った。瞬間、店主の表情が凍り付く。
一瞬の空白。
「も、もちろんですよ!店にも意地がありますんで、不味い不良品は出しませんって。紅魔館さんはうちの一番のお客さんだし、絶対に悪いものは出しません」
第三者が居れば不自然に感じたであろう、一瞬の間を埋める様に、店主は慌てて口を開いた。
その声に、表情に畏怖の感情を混ざらせて。
そんな店主の態度を気にしないかの様に、咲夜は笑顔のまま言葉を続ける。
「ええ、信頼していますわ。……そうだ、松茸も下さらないかしら。美味しいのですわよね?」
「特別にお安くさせて頂きます!いつも御愛顧頂いておりますので、特別に……」
「あら、ありがとうございますわ。お嬢様に代わって深く感謝致します」
減らせる支出は減らし、得られるものは得るべき時に得るべし。
咲夜の信条だ。
莫大な出費をしている筈の紅魔館の財政が破綻しないのは、咲夜の力による所が大きい。
咲夜は紅魔館の持つイメージと力を効果的に活用し、浮かせられる経費を徹底的に浮かせていた。
巫女に退治されて大人しくなったとは言え、未だに紅魔館は人間や妖怪達にとって、抗い難い畏怖の対象なのだ。
妖怪は人を殺さないと言うのは割と本当の話であるが、悪魔に関しては僅かに間違いがある。
悪魔は約束や契約を絶対に守るが、気紛れでもある。加えて、自分を侮り貶す存在を絶対に許さない。
悪魔の機嫌を損なう事は、イコールで「悪魔を嘗めている」と取られてしまうかも知れない。悪魔の考え。そこに人間の常識は通用しない。
人間にとって理不尽な考えを、悪魔は気紛れと我侭で当然の如く行うのだ。そして、悪魔は例外無く狡猾で頭が良い。
「人間を殺さない」と言う約束を守っても、その裏を突いた行動を取り、殺すよりも酷い目に遭わせて来るかも知れないのだ。
“ 逆らい、侮れば、朝日は拝めない。 ”
これは悪魔に対する警戒の意を込めた言葉だった。
咲夜はこれを声に出さずに、店主に意識させたのだ。
事が起きれば必ず報復する、手段は選ばずに、と。
実際に咲夜がその意を込めた訳ではないのだが、店主の心にはそう伝わった。
不良品を売ればどんな目に遭わされるか!
そして、その考えが生んだ恐怖心に咲夜は付け込み、値段の高い松茸を強引に安くさせたのだ。
要は恐喝を交えた値切り交渉なのだが、相手には恐喝どころの騒ぎではない。
咲夜はそれを熟知して、事を実行しているのである。
紅魔館、もとい悪魔のイメージと話術を併用した値切り交渉。咲夜はこの方法で安く買い物をして紅魔館の財政を助けているのである。彼女はとても「やりくり上手」なのだ。
他の店に対しても、何気ない世間話から言葉巧みに品物を安く売らせ、出費を大幅に減らしていく。
中には彼女のファンや、大量に品物を購入してくれる得意先である為に下心無しで安く売ってくれる店もあるが、咲夜の話術と紅魔館のイメージによる所がやはり大きい。
咲夜自身はこの方法を、虎の威を借る何とやらだと好いてはいなかったが、そこは仕事と割り切って、買い物を進めて行くのだった。
不足分の買い付けを終えた咲夜は、里の隅にある茶店の暖簾を潜った。
「おや、いらっしゃいメイドさん」
狭い店の奥から、白い割烹着に身を包んだ女将が、咲夜に声を掛けてきた。
咲夜が席に着くと、女将は「いつものヤツかい?」と聞いてきた。咲夜はこの店の常連であり、注文するメニューも大抵がお気に入りの玄米茶と大福餅なので、咲夜は今日もその組み合わせを女将に注文した。
注文を受けると、女将はにやっと笑って奥へと引っ込んで行く。
「ふう……」
口頭で商品を告げるだけの作業だが、交渉は交渉だ。それなりに神経を使う。特に、値切りについては自身の好みから外れる手段を用いるだけあり、疲労も増える。
戦闘など、独特の緊張感とはまた一味違う精神疲労は、咲夜をしても休息が欲しくなる力があった。
だが。
「予定より、一時間は早く終えた訳だけど……」
店の中にある時計で時間を確認し、咲夜は溜め息をつく。
紅魔館に戻るのもいいが、待っているのは仕事だけだ。時間を停めれば作れなくも無いが、能力を使わずに得られた一時間の休息時間は、咲夜には貴重に思えた。
買い出しが終わった後のこの時間について、咲夜は毎回どう過ごそうかと悩んでしまう。
普段が忙しく、殆どの瞬間が仕事しか無い為、不意に空いてしまう時間を持て余してしまうのだ。
かと言って、折角空いた時間を無駄にするのも許容出来ない。
許せないけれど、持て余してしまう時間。
退屈。
違う。
退屈とは違う、別の何かだ。
メイドになる前の時間と、メイドになってからの時間は、内容の差こそあれど退屈する瞬間などない。
日々の時間を、紅魔館の職務とレミリアの我侭を叶える為に奔走する、メイドとしての自分に退屈している暇は無い。
では、これは何なのだろうか。
その答えを、咲夜は知っている。「メイドとしての時間外」、つまり今感じているこの感覚。
それは、要するに。
「……仕事が無いと暇になっちゃうのね」
そう、答えは解っている。解っているが、何度も自問したくなるのだ。
「それだけ暇になる、か。嫌だわ、これじゃあ、仕事がすべてみたいじゃない」
その自問についての答えも、咲夜は既に出している。
自分は、仕事がすべてではない。休日には自らの趣味を愉しんだり、気ままにくつろいだりと、好きに過ごしている。
仕事のみに日々を、時間を費やしている人間では決して無い。
そんな自分が今、不意に空いた時間について退屈を感じること。
その退屈、空いてしまった時間を持て余してしまう原因。
恐らくそれは、この時間が「不正な手段で作った時間」ではないが、ルール上存在していない「抜け道」の様な時間だからだと、咲夜は考えている。
違反ではない抜け道なのだから、大抵の人間は喜びそうなものである。誠実では無いかも知れないが、それを咎められる謂れも無いからだ。
だが咲夜は、例え不正でなくても、不誠実に当たるのであれば、それを許す事が出来なかった。
「不誠」は、悪魔が嫌う事の一つだ。物事の抜け道を使う時も、常に事に対しては誠実である事を美徳とし、絶対とする。
それが誇りであり、誇りとは悪魔のすべてである。これを捨てる事は、悪魔にとって自身の存在否定に等しいのだ。誇りを失った悪魔は格を堕とし、屑妖怪と成り果てて、朽ちるのみだ。
(そう、私はこの時間が許せない。好きになれないのは、これが不誠実に作った時間だから)
悪魔のメイドである咲夜も、いつの間にか悪魔と同じ考えを持つようになっていた。
故に、今の状況が受け入れ難いのだ。
そう、咲夜は思っていた。
ただ、咲夜は自分が勘違いしている事に気が付いていない。
今のこの時間は、ルールの裏を突いた抜け道的なものであり、それを咲夜は認識していたが、それが「不誠実」だと思っている事が、咲夜の勘違いだった。
悪魔にしてみれば、これが「不誠実」には当たらない。仕事全体を契約とするならば、この時間は契約の中で行われている、契約の禁則事項に触れない些細な出来事だ。悪魔が触れないのだから、それは不正でも不誠でもない。
咲夜がこれを嫌っているのは、単に彼女の性格によるものだった。
彼女は自身が無意味に暇になる事が許せないのだ。無意味に時を過ごす事が咲夜は何より大嫌いだった。その好みの問題が、彼女自身が気付かぬ内に出て来ていて、気付いていないから、自分が悪魔的な考えになってきているな、と考えているのである。
ただ、咲夜の考え方自体は、悪魔の考えに近くなっている。咲夜は誇り高く、自分自身の中にある決まりを絶対に曲げない。己の美徳、美学を何よりも大事にしている。それを冒すものの存在を決して許さない。
メイドとは仕える存在で、犬と同じだと言う意見がある。そして犬には誇りも尊厳も無いと言い、同じとされるメイドにはそれらも無いと言う意見があるが、それは違う。
仕える者には、「仕えている」と言う意地と誇りがあるのだ。自分が仕えていなければ、仕える先、つまり主君は困り、不自由して、困る。そうさせない為に自分達が存在すると。
これを知らない者はそれこそ犬畜生以下の奴隷となるが、知っていれば犬となる。
咲夜はメイドとしての誇りを持っているので、彼女は犬だ。悪魔の犬である。
加えてメイドではない自分の誇りも当然持っているので、咲夜は二重の意味で誇り高い。
二人の自分の誇りを絶対としているのだから、咲夜はある意味で、悪魔よりも悪魔なメイドだと言えた。
(私はこの時間があまり好きではない)
勘違いをしている咲夜は、それが悪魔的な考えから来るものだと思う。事実は彼女の好みの問題だったが、彼女は気付かない。気付かないから勘違いだ。
勘違いした上での考えでいて、それでもこうして休むのは、この時間が貴重な、自身の能力以外で存在する時間である事と、常に最良の状態で職務を全うする為に必要な休息だからと考えているからだ。
無意味な時間に意味を持たせて我慢する。そうしなければやっていられなかった。
「ふぅ」
溜め息を漏らし、咲夜は瞳を閉じた。
「毎回こんなこと考えて過ごしてるわね、私」
運ばれて来た玄米茶を啜り、一人呟く。
退屈で無意味な時間に意味を持たせて我慢している、この状況が鬱陶しい。
ここに来る度に、そう考えた。
そして、今自分が呟いた台詞。
これも、毎回呟いている独り言だ。
「……」
ただ、今日は少し違った。
いつもなら、自己嫌悪に近い鬱憤を押さえ込んで心身の疲労を僅かながらも回復させる事に努めるこの時間に、今日は変化を感じた。
その変化とは、自分が毎回、この様に自己嫌悪に近い鬱憤を押さえ込んで休息していると言う事と、それについて毎回、嫌だと思っている事に、気が付いた事だった。
「毎回……確かに、毎回考えてるわね。気付きもしなかったわ」
一度気が付くと、それはまるで、未知の知識を知ったかの様な感覚を咲夜に与えた。
次々と湧き上がる疑問と新発見。それは、毎回同じ事をしていると言う事だ。
変化が、無い。
変わらない日常、毎回同じ時間、その中での自分の行動。
変化の無い自分、行動、思考。
私は毎回、同じ事を繰り返している?
そんな考えが脳裏を過ぎり、その考えすらも、この店で茶を飲む時に毎度変わらず巡らせているものだと気が付いた。
そう言えば、自分はいつも同じ席に座っているじゃないかと気が付き、その発見も毎度の事だと更に気が付く。
何故、気が付かなかったのか?いや、忘れていたのだろうか。
だが、今は気が付いている。ならばそれでいいと咲夜は判断する。
「ホント、何も変わってないのね。いや……」
変わっている事はある。
店に居る客は毎回違う顔だし、自分がここを訪れる時間も毎回違う筈だ。女将の服装だって変わっているし、どう言う訳か、店の壁にある飾り棚に腰掛けている人形の髪だって伸びたり縮んだりして、髪型も変わっている。きっと女将が手入れしているに違いない。
「これも、前に思い浮かべた「違い」って奴かな?」
恐らくその筈だ。ならば、やはり変化など無く、同じ時間を過ごしているのだろうか。
「馬鹿馬鹿しい。似たような時間が続いているだけ……ループなどある訳が無いわ。私の力でも出来るかどうか」
そこまで考えて、咲夜はある妖怪の事を唐突に思い出した。
その発想は閃きに近い。咲夜は、その閃きが、退屈で変わり栄えのしない時間から脱却する為に自らが導き出した解法だと思った。
閃きとは天から降るものでも、ましてや地から湧くものでもない。
その者の培って来た知識、経験、知恵、状況が総合された結果、「答え」に成り得ると判断された極めて強力な一つの結論が、閃きとして現れるのだ。
咲夜は自身の知識と経験則から、ある妖怪の顔とその性格、過去の動向を思い出し、閃きの裏付けを行い、確信した。
「実は、あのすきま妖怪が私にチョッカイを出しているとか。意味無さそうだけど、だからこそ説明がつきそうだわ。何かの境界を操作して、私に時間の似非ループを体験させて遊んでいるのかも」
我ながら冴えている。確かにあの胡散臭いすきま妖怪ならば、自分には意味が解らないような、妙な悪戯を仕掛けていても不思議は無い。
八雲 紫の、悪戯っぽくて尚且つ、心が読めない、あの胡散臭い笑顔が思い出される。
紫の笑い声が聞こえた気がして、咲夜は彼女に対して「どうしてくれようか」と言う思いを抱いた。
そして、その思いを抱いた瞬間、咲夜は更なる閃きをしてしまった。
(そう……。この飛躍し過ぎで、当たってる訳が無さそうな、この発想がハズレでも……)
考えが当たっていればすきま妖怪を退治すると言う、変化という名の楽しみが生まれるし、外れていても、あれこれ考え、想像を巡らせて、退屈を紛らわす事が出来るだろう。
要は咲夜にとって、気晴らしになりさえすればいいのだ。
「ワープな想像でループな気分を吹っ飛ばすのも悪くないわね」
確かに咲夜は冴えていた。
当たっていようが外れていようが、そんな事は重要ではない。突飛な発想で、想像で、退屈を払拭出来さえすればいいのだ。
(もしも当たっていれば、事に気が付いた私に何かしら手を出して来る筈。それを楽しみに暫く過ごすのも悪くないじゃない)
そう考えると、退屈なこの「何も無い時間」も楽しく過ごせそうだ。
毎回毎回、鬱憤を押さえ込むだけの、退屈で、嫌なこの時間が、変わる。
それは咲夜にとって、とても魅力的な事だった。
だが。
「時間ね……残念だわ」
それは次回のこの時間まで、お預けになってしまいそうだった。
店の壁に掛けられた時計の針が、そろそろ紅魔館へ戻らなければいけない時間を指している。
「お勘定、お願い致しますわ」
残念だが仕方あるまい。職務の方が大事だ。
財布から、提示された額ピッタリの小銭を取り出しながら、咲夜は今しがた思い付いたばかりの、退屈凌ぎの想像を忘れないようにしようと心に決めるのだった。
咲夜が紅魔館へ戻ると、門の前に立っていた美鈴が笑顔で咲夜を出迎えた。
「あ、お帰りなさい咲夜さん」
「ただいま美鈴。修復、早いわね」
魔理沙が強行突破をかけようとして美鈴と交戦した際に壊された壁、石畳、抉れた地面等がすべて元通りになっている。
現在の時刻は十五時で、襲撃は正午近くだったから、約三時間程で仕上げた事になる。
「そこに転がってる白黒を使って直しました」
美鈴が指差す方向に目を向けると、汗と埃と泥塗れの魔理沙の姿があった。
疲れ切ったのか、魔理沙は人目をはばからず、ぐっすりと眠っていた。
妖怪の美鈴は見ていたが。
「三時間休み無しで働かせました。私も作業しつつ、チェック入れといたんで出来はバッチリかと」
美鈴が胸を張って報告する。
咲夜は補修された箇所に素早く目を走らせた。
紅魔館全体を管理する咲夜は、建物自体、土地自体も管理、把握している。
「いいんじゃないかしら。いつも通り、いい仕事してるわね」
記憶の中にある、壊れる前の外壁、庭園の情景と現在の情景を重ね合わせ、咲夜は補修作業の成果に、問題無しと判断を下した。
「はっはっは、何度も直してる内にすっかり上達してしまいました」
「ここをクビになっても、大工としてやっていけるんじゃない?」
「咲夜さん、冗談キツいですよぅ」
修理ばかりしている事を得意にするなと釘を刺しながら、咲夜は寝ている魔理沙を見下ろした。
「目を覚ましたら風呂を使わせてあげなさいな。このままで帰すのは、お嬢様の品格を落としかねないからね」
魔理沙は現在、紅魔館の捕虜である。捕虜の扱いをぞんざいにする事は、捕らえた側もぞんざいな品格の持ち主とされてしまうと、咲夜は考えていた。
明言している訳ではないが、レミリアもきっとそう言うだろうと、確信に近い思いもあった。
「強盗相手に優し過ぎません?」
魔理沙を一瞥しながら、美鈴がやや不服そうに口を尖らせる。
美鈴としては、魔理沙にきつく灸を据えたいところなのだ。
門をはじめ、魔理沙襲撃の際に壊れた箇所はすべて自分が修復しなければならないし、撃退に失敗して進入を許せば、パチュリーに叱責を受けて、魔法による仕置きが待っている。
「今日は未遂だからいいのよ。それにコレの狙いはパチュリー様の蔵書でしょう。もしも盗んだ場合の裁断はパチュリー様がするだろうし。……お嬢様や妹様に危害を加えるならば、即座に始末するけどね」
もしも魔理沙がレミリアの命を狙うヴァンパイアハンターだったならば、咲夜は直ちに魔理沙を抹殺し、彼女は今晩、紅魔館の食卓に並んでいる筈だ。
従う者には寛容に、仇成す者には歓迎を、敵には死を。
捕らえた者の咎によって対応、処遇を決めるのも、レミリアの名誉と威厳の為である。
「解りました。再犯するのが確定してる奴をそのままにするのは気が引けますけど、まあ確かに未遂ですし。それにお嬢様のお気に入りの人間ですしね、魔理沙は。私が彼女をどうにかしたら、私が殺されそうです……。仕方ないので水と、ついでに何か食べさせて帰しますよ」
門番をしている身としては、確実に犯行を繰り返す魔理沙をどうにかしたかったが、主人の怒りに触れてまでどうにかしたいとは思わない。
きつく灸を据えたい衝動を飲み込み、美鈴は咲夜の指示に従う事にした。
(まあ、今日はこれだけコキ使ってやった訳だし、久し振りに労働以外で身体動かせたし。勘弁してあげるよ)
眠っている魔理沙に心の中でそう言うと、美鈴は口笛を吹いた。
軽やかなメロディが空へと吸い込まれていく。
すると間を置かずに、館の中から数匹の妖精メイドが姿を現し、美鈴の前に整列した。
「あんた達はそこの白黒を公用浴場に連行。残りは私と白黒、二人分のお茶とお菓子を用意して。いいわね」
「わかりましたー」
「おまかせあれー」
それぞれがバラバラな返事で美鈴の指示を受けると、妖精メイド達は二組に分かれて作業を始めだした。一方は魔理沙をずるずると引き摺って館の奥へと運ぼうとし、残った組は方々に散って行く。自分達の分も含めて、菓子と茶を調達する為だ。
美鈴の指示を都合良く解釈して、自分達も休憩しようと言う算段だろう。浴場組は魔理沙と風呂に入るだろうし、菓子組は大量の菓子と、仲間を連れて戻って来る筈だ。
「じゃあ、魔理沙が戻って来たら休憩にします」
「ええ、解ったわ」
妖精メイド達の、したたかなのか、我侭なのか解らない、したい放題さに苦笑しつつ、咲夜と美鈴は別れた。
(我侭絶頂のお嬢様のメイドだもの、メイドも我侭放題なのかもね)
主人も我侭なら従者も我侭とは、洒落が効いていると咲夜は思った。
彼女が自分の考えに軽いユーモアを感じつつ館へと入ると、そのタイミングを見計らったかの様に、奥の方から涼やかなベルの音が聞こえて来た。
「あら、パチュリー様がお呼びだわ。……この時間だと、お茶ね」
咲夜に用事がある際に、パチュリーが用いるベルである。
恐らくは魔法の力で、自分が帰った事を知ったパチュリーが早速呼び出しを掛けた、と咲夜は思った。
「はい、ただいま。……これは少し急いだ方がいいわね。きっと私の帰りを待ち構えていたのでしょうから。……『パーフェクトスクウェア』」
咲夜の周囲の空間が軋み、時間がその流れを停める。
「さて、今日は確か、珈琲をお出しする日だったわね。お茶請けは……そうね、ケーキにしましょうか」
時間を停めている間にケーキを焼き上げ、豆から珈琲を淹れる。
手間こそ掛かるが、咲夜には、並の店のものよりも上等なものを作り上げる自信があった。
時間を停めているのだから、ケーキを焼き上げる程度の時間は確保出来るし、咲夜は料理が好きだから、掛かる労力も苦にならない。
咲夜は作るケーキをイチゴのショートに決め、鼻歌交じりに厨房へと駆け出した。
「呼んだ瞬間にすべて用意する。流石ね咲夜」
「御注文を御請けした時から用意していますから新鮮ですよ」
「出来立てね。新鮮だわ」
「新鮮ですわ」
図書館の奥にあるパチュリーの書斎にて、咲夜はパチュリー、そして小悪魔と共に珈琲を飲んでいた。
本来ならばメイドである彼女が同席する事は無いのだが、パチュリーが共に茶を飲むように言ったのだ。
これがもし、「一緒にお茶を飲まない?」といった様な誘いの言葉であったなら、咲夜は必ず丁重に辞退したことだろう。
パチュリーは、厳密には咲夜の主人ではないが、半ば主人と従者の関係である。
メイドにとって主人の言い付けは絶対だ。
普通に誘っただけでは絶対に同席しないと解っているので、パチュリーはこの「命令ならば従う」と言う主従のシステムと、咲夜の徹底したプロ意識を利用して強引に誘ったのである。
そうでもしなければ、例えレミリアであっても、彼女を同席させる事は不可能だった。
口には出さないが、パチュリーは咲夜とお茶を飲む事を密かに楽しみにしているので、時々この様に「命令」と称して同席させている。
「咲夜さん、ケーキ食べないんですか?」
「私は珈琲だけでいいわ」
ショートケーキを美味そうに平らげる小悪魔からの問い掛けに、咲夜は何でも無いかの様に答えた。
既に大福餅を食べている。これ以上は夕食に響くのだ。
「ねえ咲夜。あの泥棒猫は今日来ていないの?」
悩みの種である魔理沙の侵入について、パチュリーは咲夜に尋ねた。
紅霧異変以降、図書館の蔵書は減るばかりで、パチュリーは頭を痛めているのだ。
「領海侵犯の警告を無視したので、美鈴が撃沈したそうです」
咲夜は、美鈴が魔理沙の撃破に成功した事を、当時の状況から当人達の台詞まで、すべて報告した。
記憶力の良さが成せる技である。
「……二重の意味で風化ネタね」
「?」
咲夜の報告を聞いたパチュリーは「解らないならいいのよ」とだけ呟くと、珈琲を啜った。
「成る程、今日は美鈴さんの勝ちですか。咲夜さん咲夜さん、美鈴さんが白黒に止めを刺した決め技は何です?」
パチュリーが黙ると、小悪魔が楽しそうな表情で咲夜に質問をして来た。
同時に、空になったカップを差し出して、咲夜にお代わりを要求してくる。
「脳天に踵落とし。見事なまでにクリーンヒットよ」
差し出されたカップを受け取り、珈琲を注ぎながら咲夜は答える。
ちなみに、咲夜が出した珈琲はサイフォン式で抽出したものある。
味や香りが良いと、彼女は好んでサイフォン式を用いる。手間隙が掛かると言う欠点は、停止させた時間内で行う為に解消される。
「今日は打撃系ですか……!見たかったなぁ」
咲夜の話を聞き、小悪魔はそう言った。
「門番やれば生で見れるわよ。と言うより貴女自身が魔理沙に技を掛けれるわ」
冗談抜きで咲夜はそう言った。
美鈴以外にもう一人くらい門番が増えれば、魔理沙の襲撃成功率もそれなりに下がるだろうと思う。
美鈴も負担が減るから喜ぶ筈だ。
「い、嫌ですよー。技はいいですけど、門番は面倒ですもの。私はインドア派なんですよっ」
小悪魔は即座に否定の意を示した。曖昧な返事をすれば即座に門番職へと配置換えをされてしまうと思ったので、やや声が上擦っていた。
「肉体言語が大好きなインドアとか。狙い過ぎじゃないの?」
とろんとした目でパチュリーが口を挟む。
「何を狙うんですか、パチュリー様」
「ナイフの狙いには自信がありますけれど」
咲夜と小悪魔が揃ってパチュリーに質問を返すが、彼女は答える気が無い様だ。
「何でも無いわ。……私にもお代わりを頂戴」
「はい、ただいま」
パチュリーのカップに珈琲を注ぎ、二皿目を要求する小悪魔にケーキを切り分け、与える。
図書館の魔女とその従者の給仕をしながら、今夜の食事をどうするかで頭を悩ませ、咲夜の午後は過ぎて行った。
紅魔館の時計塔から、荘厳さを感じさせずにはいられないような、重々しい鐘の音が幻想郷の夜空に響き渡る。
夜の世界に入った幻想郷で、最初に鳴り響くこの鐘の音が意味するものは唯一つ。
紅い悪魔の目覚めである。
「お嬢様、お嬢様。さあ、お目覚めの時間ですわ」
紅魔館の奥にある、館の主人、レミリア・スカーレットの寝室。
夜中に活動を始める主人を起こし、明け方に彼女が眠るまでが、咲夜の仕事の中で最も重要な時間である。
「ん……もお、夜?」
「良い子は家で眠り、悪い子は外ではしゃぐ時間。まさしく夜でございます」
「……そりゃ、私は「悪」魔だけれど」
「さあ起きて下さいまし。御食事が冷めてしまいますわ」
寝惚け眼をこすり、大きな欠伸を漏らすレミリアが不機嫌そうな顔で咲夜を睨む。
「そんな顔をしても駄目です。料理は冷めてしまいますし、時間も待ってはくれません」
「うー……むぅ。意地悪ぅ」
「お嬢様の為に意地悪なのです。さあ、御顔を洗って髪を整えますよ」
顔を洗うと言っても、吸血鬼であるレミリアに流水で洗顔する行為は不可能だ。
その為、パチュリーが水の精霊を使役して作り出した特殊な水で、レミリアは顔を含めた全身を洗う。
パチュリーと知り合う前は自前の、かなり強引な方法で精霊を従わせた魔法を使っていた為に、良く生成に失敗して酷い目に遭っていたらしい。
「ふぁ……咲夜、服を頂戴」
「かしこまりました」
洗顔を済ませると、レミリアは夜着を脱ぎ捨て、咲夜から受け取った服を身に付けていく。
脱ぎ捨てられた夜着は床に触れる次の瞬間、咲夜の腕の中にあった。
時間を停めて回収したようだ。
「咲夜、髪」
「はい、お嬢様。……ん、お嬢様は寝相がよろしいので、寝癖が少なくて楽ですわ」
「ふふん、恐れ戦くといいわ」
「怖いですわ。さあ、終わりました」
生成した魔法の水は、髪を傷めずに寝癖を直し、櫛を通し易くする整髪料としても効果がある。
咲夜はそれを使って、レミリアが服を着終わる僅かな間に彼女の髪を整えてしまった。
「相変わらず速いね」
「恐れ入りますわ」
毎日同じ作業をこなしている為に培われた慣れと、手先の動きの時間を速める事が出来る、咲夜の能力とが合わさって成せる技であった。
「フランは?」
大きな紅いリボンの付いた帽子を被り、鏡の前――吸血鬼は鏡に映らないので、これはレミリアが特注でパチュリーに作らせた、吸血鬼が映る魔法の鏡である──で身嗜みを整えながら、レミリアは咲夜に尋ねた。
「妹様はお嬢様と違って早起きですので、既に食堂で待っていらっしゃいますわ」
フランドールは今頃、パチュリーと美鈴が、レミリアが卓に着くまで相手をしている筈だ。
相当、腹を空かせていた様子だった事を思い出し、咲夜はレミリアを急かす意味も込めて、レミリアより早起きだ、と言ったのだ。
咲夜が答えると、レミリアは、少しムッとした表情で、身嗜みの仕上げに鏡の前でポーズを決めた。
「アレは単に空腹に耐性が無いだけなの。だからすぐ起きるのさ」
自分は寝坊じゃない、と視線で咲夜に訴える。
「我が妹ながら情け無くなるよ。我慢を知らないのよ。いつか躾けてやらないと……」
「まあ……。お嬢様、御腹が空いているのを我慢していらっしゃるのですか?」
「……咲夜は少し、国語力が足りないな」
「日本語は難しいのですよ、お嬢様」
呆れた様な表情の主人に対し、咲夜はすました顔でそう言った。
その直後。
「遅い!遅い遅い遅いーっ!お腹減ったー!食―べーよーうーよー!」
レミリアの寝室から大分距離がある筈の食堂から、館全体を震撼させる金切り声が響いた。
「い、妹様?」
「あんのガキ……」
咲夜は驚きの、レミリアは呆れた表情で、フランドールの名前を口にした。
「貴族にあるまじき醜態だわ……!鏡、命令よ。食堂の様子を見せなさい」
レミリアが命じると、それまでレミリアの姿を映していた鏡が淡い光を放ち、その次の瞬間には紅魔館の一室の情景を映し出していた。
『あいた!フ、フラン様?もう少しだけお待ちしてさしあげましょうよ?ね?』
この時間は食事休憩である美鈴が、フランドールを必死に宥めている姿が咲夜とレミリアの視界に飛び込んでくる。
パチュリーと小悪魔も遠くから説得しているが、フランドールは聞く耳を持たない。
紫の魔女は引き攣った表情で、駄々を捏ねる悪魔を睨み付けている。
『五月蝿いよ美鈴。早く食べさせてよー!』
『痛い!痛いですよー!』
美鈴はフランドールが持つ杖でバシバシと頭を小突かれていた。
外見は幼い少女であるが、フランドールもレミリアと同じ吸血鬼である。
吸血鬼の力は、人間はおろか、力自慢の妖怪であっても軽く凌ぐ程に強大だ。
そんな力の持ち主に、本気で無いとは言え殴られれば、その痛みは測り知れない。
フランドールの癇癪に耐える美鈴の姿はとても痛ましかった。
「石頭か、あいつは」
「日頃の鍛錬の賜物かと。あの娘は私の知る限り、あの世の辻斬り侍と並ぶ幻想郷一の努力家ですから」
「そりゃ知ってるけどさ。しかし、あんなにボコボコ殴って、門番が馬鹿になったらどうしてくれるのさ、あのクソガキ」
鋭い犬歯を剥き出しにして怒るレミリアの事等露知らず、鏡の向こうのフランドールは美鈴の頭を小突き続けていた。
『も、もう少しだけ、もう少しだけ待ってあげましょう?お腹が空いている程ご飯が美味しくなるんですよ?』
『五月蝿い五月蝿い!私はお腹が減ってるの!待ってなくても咲夜のご飯は美味しいの!あぁーっ、もうアイツなんか待てないわ!いただきます!!』
ついに、フランドールは制止する美鈴を突き飛ばし、自分の席へと駆け出してしまう。
だが。
『小悪魔、美鈴!!』
パチュリーの声が食堂に響き渡る。
その瞳は怒りに燃えていた。
『合点、パチュリー様!美鈴さん?』
パチュリーの声を聞くや、フランドールから距離を置いていた小悪魔が床を蹴って勢い良く跳躍する。
同時に、突き飛ばされて倒れた美鈴が、バネの様な身のこなしで跳ね起き、一瞬にしてフランドールの背後へと回り込んだ。恐ろしい脚力である。
『お嬢様が不機嫌にならないように……フラン様、失礼致します!』
『ふぁ?』
美鈴が叫ぶ。と、次の瞬間。
『雪!こぁーっ!』
小悪魔が高速でフランド-ルに接近し、擦れ違い様にフランドールの延髄に手刀を打ち込んだ。
そして。
『月!むきゅー』
小悪魔が手刀を打ち込んだ瞬間、いつの間にかフランドールの頭上に移動していたパチュリーが、手にした厚み十五㎝の本の角でフランドールの脳天を殴打する。
『うごっ……』
立て続けに重い打撃を受けたフランドールの身体がグラリと揺れる。
魔女とその従者が放った打撃は、吸血鬼に対してかなりのダメージを与えたようだ。
そして、体勢を崩し、完全に無防備となったその背中に、美鈴が渾身の気合を込めた掌底を叩き込む。
『花!ふん!』
『あぁああああッ!?』
如何な力を叩き込まれたのか。
フランドールはその華奢な身体を風車の様に激しく回転させて吹っ飛び、食堂の扉をぶち破って、そのまま動かなくなってしまった。
完全に気絶している。
『乱れ!』
『雪月花!!』
『昇天!!!』
構えを解いた三人が、一斉にポーズを決めた。
そして、勝利の雄叫びをあげる。
「……!!」
「あらあら。うふふ」
その光景を見たレミリアは絶句し、咲夜は思わず笑ってしまった。
「……妹は馬鹿だが、あいつらはド阿呆だ!」
レミリアが拳を振り上げて怒鳴った。
その顔はほんのりと上気し、頬に僅かな朱が差している。
そんなレミリアの様子を見て、咲夜は彼女に耳打ちする様に言った。
「もしかして、混ざりたかったのですか」
「な?!そんなワケ無いでしょうが!……まったく、馬鹿の妹に阿呆な住人、そして認知障害のメイド!これの何処が悪魔の館だ!?」
レミリアは、顔を耳まで真っ赤にして咲夜の言葉を否定する。
図星だな、と咲夜は思った。
「私だけ扱いが酷いですが、それは信頼と愛情の裏返し、と言う事にしておきますわ」
「……私はこんな連中のボスなのか?何か、嫌になって来たよ」
深い溜め息を吐き、レミリアはとぼとぼと寝室を後にする。
貴族としてのプライドと、混ざれなかった悔しさと咲夜に図星を突かれた気恥ずかしさがごちゃごちゃになって彼女の心で渦を巻いているのだ。
(これは……。今夜は忙しくなりそうね。きっと大騒ぎで、派手に散らかして、仕事が増えまくって、大変で、忙しくて、楽しい夜になるでしょうね)
レミリアの後に続きながら、咲夜はそんな事を考えていた。
(またすぐに買出しへ出ないと駄目ね。お掃除も大変そう。……本当、もう一人まともなメイドが欲しいな)
けれどそんな咲夜の願いは叶う筈も無く。
「咲夜、特上のブランデーを用意して。……今夜は飲むわよ」
「かしこまりました、お嬢様」
叶わない願いはすぐに、新たに申し付けられ、増える仕事の波に消されてしまう。
ただ、咲夜はそれでいいのだと思っていた。
変わらない日常、変わらない住人。
大きな変化が無い時間は退屈だが、それは平和で、幸福である。
(平和で幸福な悪魔なんて聞いた事も無いけどね。……目の前には居るのだけれど)
「咲夜!何をしているの、さっさと食堂に向かいなさい!」
「はい、ただいま」
幸福感を噛み締めて、悪魔の犬は主人の命令を遂行する為に今夜も朝まで働く。
それはいつもの日常であり、幸せな世界だ。
「あの阿呆どもに、馬鹿を起こすように言っておくのよ。内、一人には扉の片付けを行わせる事。いいわね!?」
「お任せ下さい、お嬢様」
紅魔館の夜は更けていく。
了
ぼやけ、散り散りになっていた意識が収束して行く感覚。集まった意識は曖昧な認識しか持たない、何とも頼りないものだったが、時間が経つにつれて鮮明さを増して行き、ついに「意識」と呼べる状態になった。深いまどろみから覚めた意識は、起床に向けて意思と気力を動き出させ、その作業も間を置かずに完了する。
寝起きの後の心地良い余韻をきっかり五分三十秒満喫し、彼女はベッドから半身を起こした後、小さく欠伸を漏らしつつ「のび」をした。同時に、正しく狂った目覚まし時計がけたたましくベルを鳴らし、僅かに残った眠気と意識にかかった靄を綺麗に消し飛ばす。
すべてがいつも通り。寸分の狂いも無く、十六夜 咲夜は目覚めた。
慣れた手付きで目覚まし時計を止め、ベッドから這い出してもう一度「のび」をすると、薄いピンクの夜着を形の良い胸が押し上げ、白く美しい肌と臍をちらりと覗かせる。
「ふぅ……よく寝た、と。体調、問題無し。気力もOK、時間は……と」
部屋の隅に掛かった大きな仕掛け時計は、きっかり六時を指して止まっている。
「時間、良し。すべてパーフェクトね」
常の状態である事を確認し、問題が無い事に満足すると、咲夜は浴室へと歩を進めた。
脱衣所で、身に着けていた夜着と下着を手早く脱ぎ、夜着は備え付けの籠に畳んで入れ、下着は洗濯用の籠に放り込むと、眩しいほどに健康的で美しい裸体が外気に晒される。
無駄な贅肉が一切無いにも関わらず、衣類を身に着けている時には想像も出来ないほど肉感的で、それでいて上品な肢体。柔らかでありながら、締まるべき所は締まっているその身体は、白磁の様ななめらかさと艶やかさを完璧なバランスで備えた芸術的な肌で包まれている。しなやかな全身のラインは野性的な美しさ、艶めかしさを放ち、本能、理性、双方に逆らい難い魅力を焼き付け、刻む。形の良い尻はきゅっと引き締まり、たるみは一切無い。そして、大き過ぎず、だが決して小さくも無い双丘は、豊満さと形状を、やはり完璧なバランスで兼ね備え、理想的と言う言葉すら生温い、見事な形だった。まさに神、もとい悪魔の造形美と言えるだろう。
「……肌の色も異常無し。健康そのものね。まあ体調管理を含め、メイドとして当然なんだけど。今日の仕事に影響は無し、実に喜ばしい事ですわ」
浴室に備え付けられた、美しく磨き上げられた大きな鏡に自分の裸体を写し、咲夜は最後の身体チェックを行うと、やや派手な位に装飾された造りの蛇口を捻り、頭から熱いシャワーを浴び始めた。
濡れた銀の髪が細いうなじにまとわりつき、湯に濡れた肢体は一層の美しさと艶めかしさを醸し出す。
寝汗をさっぱりと洗い落として浴室から出ると、魔法のタオルと温風を吐く魔法の筒を備え付けの棚から取り出し、濡れた身体を拭き、髪を乾かしていく。
タオルは吸水性を高めたもので、魔法の筒は髪を傷めずに素早く乾かす事が出来る代物である。ちなみに設計、製作は紅魔館の魔女、パチュリー・ノーレッジだ。
身体にタオルを巻き付けた後、髪に櫛を入れながら乾かしていき、整えていく。前髪の一部をみつあみにし、箪笥からリボンを取り出して編んだ髪を纏めると、咲夜は浴室を出て寝室へと向かった。
寝室の中にある、広いウォーキングクローゼットの中からエプロンドレスとフリルの付いたヘッドドレスを取り出し、やはりクローゼット内にある箪笥からショーツとブラジャーを選び、手早く身に付けて行く。襟元のリボンをキリっと締めると、泣く子も泣き出す紅魔館を仕切るメイド長、完全で瀟洒な従者、十六夜 咲夜が完成する。
「さて、と。今日も一日頑張りましょうか。……そして時は動き出す」
愛用の銀のナイフと懐中時計を身に付け、停止させていた時間を解除する。壁に掛けられていた時計は思い出したかのように時を刻み始め、窓の外からは小鳥の囀りが聞こえ始めた。文字通り、時間が動き出したのである。
咲夜が停めていた時間を動かした事で、紅魔館の一日は始まる。
通常、紅魔館の主であるレミリア・スカーレットとその妹のフランドール・スカーレットは、陽が昇る朝には眠っているのだが、最近では二日に一回の割合で朝でも起きている。
普段ならば自分と、レミリアの友人である魔女、パチュリーとその従者の小悪魔、夜勤明けで眠っていなければ門番の紅 美鈴の分だけ朝食を作るだけなので特に苦は無いのだが、レミリアとフランドールが起きている場合は話が別だ。フランドールはそうでもないが、レミリアは何をするにしても豪華主義、贅沢主義なのである。
「私は夜の王とも呼ばれるんだ、何に関したって他から嘗められないようにしないとね。分相応は何も低格の連中にだけ当て嵌まる言葉じゃない。強い奴、偉い奴はそれなりの生活、態度を取らねばならんのさ」
これがレミリアの言い分なのだが、実は単に我侭し放題なだけである。
咲夜やパチュリーはそれを理解していたが、言い分に間違いも無いので特に指摘する事はしない。言ったところで筋金入りの我侭お嬢様に通じる筈が無いと諦めているからだ。
「おはよう咲夜。時間通りね」
「おはようございますパチュリー様。小悪魔も」
朝食の支度を終え、咲夜が食堂へ入ると、そこにはパチュリーと小悪魔が卓に座っていた。
今朝の食卓にはパチュリーと小悪魔、そして咲夜の三人だけだ。ちなみに、今日はレミリアもフランドールも眠っている。美鈴も夜勤明けで今は夢の世界だろう。
「咲夜さん、ご飯は何ですか?」
空腹だと言わんばかりの表情で小悪魔が咲夜に朝食の献立を尋ねてくる。
「和食よ。いい干物が手に入ったの。鯵だったかしら。それと里芋の煮転がしに、豆腐とわかめの味噌汁ね。漬物は白菜と茄子の浅漬け。後はきんぴらごぼうね。卵焼きもあるわ」
「うーん、それは食欲がそそられますね!ささ、早速いただきましょう」
「朝から貴女は元気ね……。咲夜、お茶を貰えるかしら」
「はい、ただいま。緑茶でよろしいですか?」
「和食だもの」
「和食ですわ」
慣れた手付きで三人分の湯飲みに茶を淹れて、用意してあった料理を卓に手早く並べて行く。五分もしない間に、食卓は鮮やかな色彩で埋め尽くされた。
量も種類も豊富過ぎるボリュームだったが、これが紅魔館の食卓で、一番質素なレベルだった。レミリアが起きている場合は、この彩が倍以上になる。咲夜は料理が得意で、料理する事が好きな為に苦にならないようだが、常人では嫌になるくらいの作業量を強いられる。
もっとも、この紅魔館に常人が出入りする訳が無いので、その問題が起こる心配は無い。まともな人間が悪魔の住む館で暮らせる筈が無いのだ。
「うーん、美味しい。流石は咲夜さん。いい仕事してますねぇ」
「貴女は毎食そうやって私を煽てるわね。褒めてもいいことは無いわよ」
山と盛った白米を一口三十六回、高速で咀嚼し、あっと言う間に平らげて、小悪魔は咲夜の料理に舌鼓を打っていた。パクパクとよく食べ、彼女の箸は自分の前に用意された品々の間を目まぐるしく飛び回っている。
「貴女はよく食べるわね。そんなに食べて太らないの?」
毎食の事ながら、自分の三倍以上は食べて満足そうな表情をしている従者の顔を見ながら、向かいの席に座ったパチュリーは、半ば呆れ気味の表情でそう言った。小悪魔とは対照的に、彼女の食事量は非常に少ない。雀の涙と言う表現がピッタリな位だ。
「はっはっは、私は食べても太らない体質なんですよ!栄養は全部、胸に行きますし」
ふふん、と自慢げに小悪魔が胸を張る。彼女は乱暴な言い方をすれば、巨乳の部類に入る。紅魔館内では、美鈴に続く豊満なバストの持ち主だった。
「胸が大きな女はバカなのよ」
胸を張る小悪魔に冷ややか視線を送り、パチュリーは早くも食事を終えて残りの茶を飲み干した。
「どんだけ古いんですかパチュリー様。と言うか、その法則だと美鈴さんは当然として、パチュリー様も咲夜さんもおばかって話に……んがんぐ!」
「誰がバカよ」
「……パチュリー様、吐かせないでくださいませ。掃除が大変ですので」
「……!……!!」
見えない魔力の縄で首を絞められ、じたばたともがく小悪魔を、とろんとした目付きで眺めながら咲夜は言った。
「この娘にやらせればいいのよ」
茶のお代わりを咲夜に要求しながら、パチュリーは小悪魔を締め上げる。そんな二人の様子に、どこか微笑ましさを感じ、咲夜は気付かれない様にクスリと笑うのだった。
朝食を終え、その片付けも終わると、次は館内の掃除兼見回りが咲夜の仕事になる。
紅魔館内部は見た目よりおよそ十倍近い広大さで、咲夜の、一日の仕事の大部分が、この掃除兼見回りになる。
「夜の王たる悪魔の館に、汚れや掃除が行き届いていない箇所は存在してはならない。王の居城がみすぼらしいのは犯罪だ」
レミリアの言い付けである。
確かに、貴族の屋敷が汚れ、みすぼらしいのは、それは貴族の屋敷と呼べない。咲夜もそう思うので、こと掃除と館内の管理は徹底しようと常日頃から思っていた。
ただ、それを忠実に実行するには館内が広過ぎた。
咲夜が自身の能力で空間を操作し、唯でさえ広い館内を更に広くしているので、空間操作を止めればいいのだが、それを行うと館内各所に設けられた施設が納まり切らなくなるのでそれは出来ない。
魔法図書館にフランドールの遊び場、レミリアの趣味による館内施設(美術品、芸術品を納めた美術館に、未だかつて満室になった事の無い、無駄に豪華な宿泊施設など)があるからだ。
そのいずれもが紅魔館には必要不可欠な存在の為、空間操作を止めるわけにはいかないのである。
更に、レミリアをはじめ紅魔館の住人の気紛れで館内の施設は増える可能性があり、それが益々咲夜の仕事量を増やす。
それでも、何事に対しても完璧主義な咲夜は、仕事が増えようともそれらすべてをこなすと硬く決めていたので、今日も黙々と一人で膨大な量の仕事に挑むのだった。
「……今日は先ず、お嬢様の御部屋周りから始めましょうか」
掃除用具一式を抱えて、レミリアの寝室がある棟の入り口にやって来ると、咲夜は瞳を閉じて意識を集中させる。
「……『パーフェクトスクウェア」」
咲夜が呟いた瞬間、彼女の周囲の空間が軋んだ。
彼女が立っている入り口の近くに、小さな窓があるが、そこから見える外の景色に異常が起こる。
空を飛んでいた小鳥が、突然その動きを凍りつかせ、空中で停止したのだ。
咲夜が時間を停めた為である。
彼女がいる空間の時間を停めた為に、その効力が及ぶ範囲にいた鳥も停まってしまったのだ。
広大な紅魔館のすべてを掃除して回るとすれば丸三日は掛かる。更に各施設の点検なども含めれば一週間は掛かるだろう。
その作業を二十四時間以内で終わらせる為には時間を停めて作業をするしかない。
「では、始めましょうか……」
使い込まれたモップを手にし、咲夜は呟いた後、掃除用具の中から古びた砂時計を取り出し、次いで壁に掛かった、「停まった」時計を見て時間を確認する。
時刻は八時を過ぎたところだった。
時間を確認した咲夜は無言で頷くと、取り出した砂時計をひっくり返して静かに廊下へと置いた。
砂時計には意図的に時間が停まらない様にしてある為、停止中の時間の中でも時を刻んでくれる。
「目標タイムは現実時間の9時かしらね。さあチャッチャと終わらせましょう」
時間を「停めていられる時間」は無限ではない。
自分自身やその周辺ならばそれも可能だが、広域に渡る時間操作の効力は長くない。それは流石の咲夜とは言え、人の身には荷が勝ち過ぎている芸当だった。
停めていられる時間には限りがある為、停めた時間の中でもそこそこ急いで動かねばならない。
更に、停める範囲を大きくすると力の密度が薄くなり、完全停止ではなく、時間の流れを酷く遅いものにする程度にまで効力が落ちる。
時間を停めているとは言え、あまりゆっくりとは出来ないのだ。
しかし、咲夜の仕事の速度は普通よりも速い。長いメイド生活によって身に付いた技術が優れた速さを生み出す。
加えて、停めている時間の中で、咲夜は自分の時間だけ速度を速めているので一層速く仕事を終わらせる事が出来る。
素早く、効率良くこなさなければ、仕事を一日で終える事は出来ない。咲夜はそれを熟知しているので、素早く、そして効率良く働く為の方法として今行っている時間操作の方法を編み出したのだ。
この技術と知恵があるからこそ、咲夜が一人で紅魔館の仕事、雑務をこなせているのだ。
そのことに、咲夜は少なからず誇りを持っていた。複数人でやっても終わるかどうかと言う作業内容を一人で、キチンと一日の内に終わらせられる自分。
まさに完全な従者、メイドの鏡じゃないか、と。
だが。
「……でも、あと一人くらい、まともに使えるメイドが欲しいなぁ」
弱音を吐くつもりは無いが、やはり人手が欲しいとも思う。妖精メイドは肝心な事では頼りにならないので、尚更だった。
万一、自分が倒れたら紅魔館は機能不全に陥ってしまうだろう。
(その内、誰か使えそうな奴をスカウトしようかしらね)
作業中に考える、気を紛らわせる為の思考。何度目になるか解らないその考えは、作業に没頭する内に次第に薄れていった。
正午が近く、気の早い妖精メイドが自前の昼食を焦がしたりする匂いが漂いだした紅魔館。
全体の八割強を超人的な速度と精度で掃除し終えた咲夜が、パチュリー、小悪魔、美鈴の三人に作る昼食の献立を考えながら中庭を歩いていると、正面ロビーの方向から聞き慣れた爆発音が聞こえて来た。
「……また、あいつね」
一週間に一度は顔を付き合わせる少女の顔が脳裏に浮かび、咲夜は溜め息を漏らした。
「どーせ来るならこっそり来なさいよ。散らかるんだから」
もしくは普通に入って来ればいいのだ。別に進入禁止という訳ではないのだから、普通にやって来れば茶の一つも出して、もてなしも出来る。
だが、強行突破で無理矢理に押し入って来れば話が変わる。無許可で進入して来る相手は、例え顔見知りであっても許されない。
親しき間にも礼儀あり。不法侵入者は撃退されても文句は言えない。
「余計な仕事増やしてくれちゃって!……美鈴が突破される前に黙らせますかね」
もう一度溜め息をつくと、咲夜はロビーに向けて走り出した。
咲夜が現場へ辿り着くと、門番である美鈴と、侵入者である霧雨 魔理沙が熾烈な弾幕戦を繰り広げていた。
「ったく、何であんたはいつもいつも!」
「そこに本があるからだぜ」
「盗むのは止めろ!私がパチュリー様に締められるんだからね!今月のお給金もピンチなのよぅ」
魔理沙の繰り出すレーザーの檻を掻い潜りつつ、美鈴は七色の光弾を放って応戦する。
隙を窺って近距離戦に持ち込み、得意の拳法で一気に仕留めようと言うのが美鈴の狙いだったが、それを理解している魔理沙はひたすら距離を取って牽制のレーザーと星型弾を美鈴に向けて撃ちまくっていた。
「めんどくせーなぁ……そろそろ通してくれませんかね、門番さん」
「強盗を通す門番がどこの世界にいるのよ!とっとと帰れ!」
美鈴が吼え、光の弾を連続で魔理沙へと撃ち放つ。
それと同時に彼女は魔理沙へ向けて空を駆けて突撃した。
弾幕を盾とカムフラージュに使い、一気に距離を詰める作戦だ。
「甘いぜ、門番!」
しかし魔理沙には読まれていた。
魔理沙は八卦路を取り出し、迫り来る弾幕へ向けて八卦路を両手で構えると、声高らかに叫んだ。
「マスタースパーク!!」
単純な破壊力ならば幻想郷最大クラスの火力を誇る、魔理沙の必殺の魔砲だ。
直撃すれば、美鈴の敗北は必定である。
「やっぱり、駄目ね」
黙って成り行きを見守っていた咲夜は、ナイフを取り出して呟いた。次は自分が魔理沙の相手をしなければならない。
だが、ナイフを構えようとした瞬間、意外な人物の、意外な声に咲夜は動きを止めた。
「彩符、極彩颱風!!」
「なっ……!上だと!?」
マスタースパークを放つ魔理沙の頭上に跳躍した美鈴が、してやったりと言った表情でスペルカードを発動させる。
(やるじゃない)
構えたナイフを戻し、咲夜はもう少しだけ様子を窺う事に決めた。
今出て行けば、美鈴のプライドに傷が付く。そう思ったからだ。
「ぬぅおおお!」
八卦路からマスタースパークを放出しながら、魔理沙は頭上から襲い来る弾幕の雨を急速に後退することでかわそうとしていた。
「逃がすかっ」
美鈴が肉薄する。魔理沙は─―――避け切れない。
「覚悟しろっ!」
「わわわっ!た、タンマ……」
「待った無し!って言うか止まらないわ」
頭の高さまで持ち上げられた美鈴の踵が、魔理沙の脳天に直撃する。
「グハッ」
強烈な衝撃が魔理沙の全身を貫く。
ぐらりと魔理沙の身体が揺らぎ、そのまま仰向けに倒れてしまう。そのままピクリとも動かない。
魔理沙が倒れるのと同時に着地した美鈴が、咲夜に向かってガッツポーズを取った。
「どうです?今日は勝ちましたよ!」
「いつから気付いていたのかしら」
「咲夜さんがそこに来た時からですよ。気配で解りました」
「ふぅん……まあそれくらいでないと門番は務まらないものね」
美鈴が自分の到着に気付いていた事に感心しながら、咲夜は倒れた魔理沙に歩み寄った。
「これ、死んだ?」
「まさか。やんわりと手加減しましたよ」
妖怪である美鈴の脚力は人間のそれを遥かに超える。その上、彼女は気と身体の鍛錬を積んだ武人(?)だ。その肉体から繰り出される攻撃の威力は人智を越える。
「やんわりと」手加減をしなければ、今頃魔理沙の頭は潰れたトマトの様になっていたことだろう。
「こんなでもうちの御主人様達のお気に入りですからね。殺しでもしたら私が死ぬより酷い目に合わされそうですよ」
「私は、そんな危ない橋を迷いもせずに渡る貴女の神経を疑うけれど?」
「鍛えてますから。自分の筋力と気の制御くらいは朝飯前です」
自信たっぷりに胸を張る美鈴と談笑しながら、咲夜はいつの間にか取り出した縄で魔理沙の手足を縛っていく。
時間を停めて調達して来た様だった。
「さて、毎度の事ながら派手にぶっ壊してくれたわねぇ……」
縛った魔理沙に活を入れて、咲夜は目覚めたばかりの魔理沙に嫌味たっぷりの笑みを浴びせた。
「はっはっは……。こりゃ不可抗力と言う奴でな。そこの門番が私の邪魔をするからで……」
「強盗を邪魔しない門番がどこの世界にいるんだよ。ったく……」
気絶から覚めたばかりだと言うのに元気一杯の魔理沙に、美鈴は内心、もっとキツく喰らわせてやれば良かった、と思った。
「門番は門から来る奴に対して動くものだろ。今日、私は門じゃなくて空から入ったんだぜ」
縛られたまま魔理沙はふてぶてしくそう言い放った。まさに居直り強盗そのままだ。
「どっちにしろ館内侵入じゃないの。むしろ領空侵犯だわ。撃ち落とされても文句は言えないわよ」
咲夜がピシャリと突っ込みを入れると、美鈴も音頭を合わせて魔理沙に文句を言い放つ。
「空から侵入するのは領空侵犯。海じゃないけど湖から来れば領海侵犯。門番の私が迎撃して当然よ。不審者と侵入者は警告の後攻撃して、場合によっては撃墜もOKなんだから」
「……お前にだけは言われたくないぜ、門番」
「?……どう言う意味よ」
常々門に突っ込んで来ては突破したり、撃退出来ても壊れた建築物や乱れた庭園の修復に追われるのは美鈴である。
日頃の鬱憤が爆発したのか、美鈴は魔理沙の頬を引っ張りながらガミガミと説教を始めた。
対する魔理沙だったが、こちらは馬耳東風と言った様子で、怒鳴り散らす美鈴をのらりくらりとかわしていた。
「まったく……あれじゃ、またあいつは来るわね」
声がどんどん大きくなり、地団駄を踏んで怒鳴る美鈴を見ながら、咲夜は溜め息を漏らした。
懲りてくれればいいのだが、あの様子では無理な望みだろう。殺しても治るまいと、咲夜は思う。
「ええい、ここまで言っても改心しないのかー!この、この、この!」
「ひへへ、ひゃめれー!ろびるろびる!」
「若いんだから平気よ!ホレホレ、ごめんなさいと言いなさい!閻魔様に突き出すわよ」
「うへー!あいつは勘弁してくれよー」
「じゃあ、もうしませんって誓いなさい」
「……見つかることをもうしないぜ」
「…………ぬぉおおおお!!」
舌戦では魔理沙の勝ちのようだ。だが、負かしたことで、切れてしまった美鈴に何をされるのか解らない事に魔理沙は気付いたようだった。
しかし、もう遅い。慌てて謝罪の言葉を口にするが、既に美鈴は怒り心頭、聞く耳を持っていない。
「あの娘の好きな中華料理にでもしてあげましょうか」
何やら怪しげな拳法の構えを取って魔理沙ににじり寄る美鈴と、悲鳴を上げて芋虫の様に這って逃げ出す魔理沙の様子を見ながら、咲夜は昼食の献立を考える事に専念するのだった。
どこか気だるい心地にさせる、昼下がり。
昼食を済ませた咲夜は、人間の里に買出しへやって来ていた。
毎夜、派手に飲み食い、贅沢の限りを尽くす紅魔館は食料の消費が激しい。
短い周期で、定期的に買出しに行かないと、蓄えはすぐ底を尽いてしまうのだ。
里にやって来ると、咲夜は早速行き付けの商店街へと足を向けた。
買出しと言っても、実際に商品を買って持って帰るのは無理なので、紅魔館お抱えの店に、必要な品々を注文して回る。
「おお、これはこれはメイド長。本日は何をお求めで?」
「何と言われましても。こちらは八百屋さんでしょう?茄子にトマトにレタスにキャベツ。人参と、あればごぼうも頂きたいわね」
最初に訪れたのは八百屋だった。
「へいへい、ソイツらはいつもの量で?」
「ええ、その通りよ」
「そうですなぁ……しめてコレくらいかと」
そう言うと八百屋の主人は、前掛けのポケットから取り出した紙に咲夜が要求した野菜の料金を綴る。
それを確認した咲夜は、感心した様な声を上げた。
「あら、前より少し安くない?」
「今年は豊作でしてね、それはもう大量に。松茸なんかも多いですよ?ただ、コッチはそれなりに需要があるんで、あまりお安く出来ませんが。値段が張る分、美味しいですよ」
八百屋の主人の話では今年に入ってから特に野菜が多く取れるようになったのだそうだ。
その豊作が今でも続いており、在庫の処理が追い付かないほどらしい。
在庫処理も狙いに入っているのだろう、店主は咲夜に、しきりに商品の売込みを行った。
「嘘みたいに採れてびっくりですぜ。何があったのか解らねーですがね。異変みたいで怖いぐらいでさぁ」
「その話なら、前に天狗が何か言っていましたわね……。何でも、外の野菜が食べられずに捨てられたり、客に不人気で、売れ残って捨てられたりしてるとか。その影響ではないか?と」
「ほほぅ、そいつはもったいない話だな」
近年、幻想郷で採れる野菜はその量を増加させているが、今年の量は特に多いようだ。
野菜だけではなく、魚屋が仕入れる魚も大漁の様である。
その反対に、幻想郷の外では野菜も魚も食べれる量が減って来ているらしいと天狗が言った事を、咲夜は店の主人に聞かせた。
「食べると身体に悪い、不良品らしいですよ。空気も水も土も最悪な環境なのだとか」
「んー、それは駄目だなぁ。ま、うちの野菜はそんなことないんで安心して下さいな!味も値段も自信たっぷり、命賭けますよ」
胸を張って答える店の主人に、咲夜はにっこりと微笑む。
「当然です。不味かったら買いませんし、身体に悪かったなら代わりに血を頂きますから」
笑顔のまま、咲夜はサラリと言った。瞬間、店主の表情が凍り付く。
一瞬の空白。
「も、もちろんですよ!店にも意地がありますんで、不味い不良品は出しませんって。紅魔館さんはうちの一番のお客さんだし、絶対に悪いものは出しません」
第三者が居れば不自然に感じたであろう、一瞬の間を埋める様に、店主は慌てて口を開いた。
その声に、表情に畏怖の感情を混ざらせて。
そんな店主の態度を気にしないかの様に、咲夜は笑顔のまま言葉を続ける。
「ええ、信頼していますわ。……そうだ、松茸も下さらないかしら。美味しいのですわよね?」
「特別にお安くさせて頂きます!いつも御愛顧頂いておりますので、特別に……」
「あら、ありがとうございますわ。お嬢様に代わって深く感謝致します」
減らせる支出は減らし、得られるものは得るべき時に得るべし。
咲夜の信条だ。
莫大な出費をしている筈の紅魔館の財政が破綻しないのは、咲夜の力による所が大きい。
咲夜は紅魔館の持つイメージと力を効果的に活用し、浮かせられる経費を徹底的に浮かせていた。
巫女に退治されて大人しくなったとは言え、未だに紅魔館は人間や妖怪達にとって、抗い難い畏怖の対象なのだ。
妖怪は人を殺さないと言うのは割と本当の話であるが、悪魔に関しては僅かに間違いがある。
悪魔は約束や契約を絶対に守るが、気紛れでもある。加えて、自分を侮り貶す存在を絶対に許さない。
悪魔の機嫌を損なう事は、イコールで「悪魔を嘗めている」と取られてしまうかも知れない。悪魔の考え。そこに人間の常識は通用しない。
人間にとって理不尽な考えを、悪魔は気紛れと我侭で当然の如く行うのだ。そして、悪魔は例外無く狡猾で頭が良い。
「人間を殺さない」と言う約束を守っても、その裏を突いた行動を取り、殺すよりも酷い目に遭わせて来るかも知れないのだ。
“ 逆らい、侮れば、朝日は拝めない。 ”
これは悪魔に対する警戒の意を込めた言葉だった。
咲夜はこれを声に出さずに、店主に意識させたのだ。
事が起きれば必ず報復する、手段は選ばずに、と。
実際に咲夜がその意を込めた訳ではないのだが、店主の心にはそう伝わった。
不良品を売ればどんな目に遭わされるか!
そして、その考えが生んだ恐怖心に咲夜は付け込み、値段の高い松茸を強引に安くさせたのだ。
要は恐喝を交えた値切り交渉なのだが、相手には恐喝どころの騒ぎではない。
咲夜はそれを熟知して、事を実行しているのである。
紅魔館、もとい悪魔のイメージと話術を併用した値切り交渉。咲夜はこの方法で安く買い物をして紅魔館の財政を助けているのである。彼女はとても「やりくり上手」なのだ。
他の店に対しても、何気ない世間話から言葉巧みに品物を安く売らせ、出費を大幅に減らしていく。
中には彼女のファンや、大量に品物を購入してくれる得意先である為に下心無しで安く売ってくれる店もあるが、咲夜の話術と紅魔館のイメージによる所がやはり大きい。
咲夜自身はこの方法を、虎の威を借る何とやらだと好いてはいなかったが、そこは仕事と割り切って、買い物を進めて行くのだった。
不足分の買い付けを終えた咲夜は、里の隅にある茶店の暖簾を潜った。
「おや、いらっしゃいメイドさん」
狭い店の奥から、白い割烹着に身を包んだ女将が、咲夜に声を掛けてきた。
咲夜が席に着くと、女将は「いつものヤツかい?」と聞いてきた。咲夜はこの店の常連であり、注文するメニューも大抵がお気に入りの玄米茶と大福餅なので、咲夜は今日もその組み合わせを女将に注文した。
注文を受けると、女将はにやっと笑って奥へと引っ込んで行く。
「ふう……」
口頭で商品を告げるだけの作業だが、交渉は交渉だ。それなりに神経を使う。特に、値切りについては自身の好みから外れる手段を用いるだけあり、疲労も増える。
戦闘など、独特の緊張感とはまた一味違う精神疲労は、咲夜をしても休息が欲しくなる力があった。
だが。
「予定より、一時間は早く終えた訳だけど……」
店の中にある時計で時間を確認し、咲夜は溜め息をつく。
紅魔館に戻るのもいいが、待っているのは仕事だけだ。時間を停めれば作れなくも無いが、能力を使わずに得られた一時間の休息時間は、咲夜には貴重に思えた。
買い出しが終わった後のこの時間について、咲夜は毎回どう過ごそうかと悩んでしまう。
普段が忙しく、殆どの瞬間が仕事しか無い為、不意に空いてしまう時間を持て余してしまうのだ。
かと言って、折角空いた時間を無駄にするのも許容出来ない。
許せないけれど、持て余してしまう時間。
退屈。
違う。
退屈とは違う、別の何かだ。
メイドになる前の時間と、メイドになってからの時間は、内容の差こそあれど退屈する瞬間などない。
日々の時間を、紅魔館の職務とレミリアの我侭を叶える為に奔走する、メイドとしての自分に退屈している暇は無い。
では、これは何なのだろうか。
その答えを、咲夜は知っている。「メイドとしての時間外」、つまり今感じているこの感覚。
それは、要するに。
「……仕事が無いと暇になっちゃうのね」
そう、答えは解っている。解っているが、何度も自問したくなるのだ。
「それだけ暇になる、か。嫌だわ、これじゃあ、仕事がすべてみたいじゃない」
その自問についての答えも、咲夜は既に出している。
自分は、仕事がすべてではない。休日には自らの趣味を愉しんだり、気ままにくつろいだりと、好きに過ごしている。
仕事のみに日々を、時間を費やしている人間では決して無い。
そんな自分が今、不意に空いた時間について退屈を感じること。
その退屈、空いてしまった時間を持て余してしまう原因。
恐らくそれは、この時間が「不正な手段で作った時間」ではないが、ルール上存在していない「抜け道」の様な時間だからだと、咲夜は考えている。
違反ではない抜け道なのだから、大抵の人間は喜びそうなものである。誠実では無いかも知れないが、それを咎められる謂れも無いからだ。
だが咲夜は、例え不正でなくても、不誠実に当たるのであれば、それを許す事が出来なかった。
「不誠」は、悪魔が嫌う事の一つだ。物事の抜け道を使う時も、常に事に対しては誠実である事を美徳とし、絶対とする。
それが誇りであり、誇りとは悪魔のすべてである。これを捨てる事は、悪魔にとって自身の存在否定に等しいのだ。誇りを失った悪魔は格を堕とし、屑妖怪と成り果てて、朽ちるのみだ。
(そう、私はこの時間が許せない。好きになれないのは、これが不誠実に作った時間だから)
悪魔のメイドである咲夜も、いつの間にか悪魔と同じ考えを持つようになっていた。
故に、今の状況が受け入れ難いのだ。
そう、咲夜は思っていた。
ただ、咲夜は自分が勘違いしている事に気が付いていない。
今のこの時間は、ルールの裏を突いた抜け道的なものであり、それを咲夜は認識していたが、それが「不誠実」だと思っている事が、咲夜の勘違いだった。
悪魔にしてみれば、これが「不誠実」には当たらない。仕事全体を契約とするならば、この時間は契約の中で行われている、契約の禁則事項に触れない些細な出来事だ。悪魔が触れないのだから、それは不正でも不誠でもない。
咲夜がこれを嫌っているのは、単に彼女の性格によるものだった。
彼女は自身が無意味に暇になる事が許せないのだ。無意味に時を過ごす事が咲夜は何より大嫌いだった。その好みの問題が、彼女自身が気付かぬ内に出て来ていて、気付いていないから、自分が悪魔的な考えになってきているな、と考えているのである。
ただ、咲夜の考え方自体は、悪魔の考えに近くなっている。咲夜は誇り高く、自分自身の中にある決まりを絶対に曲げない。己の美徳、美学を何よりも大事にしている。それを冒すものの存在を決して許さない。
メイドとは仕える存在で、犬と同じだと言う意見がある。そして犬には誇りも尊厳も無いと言い、同じとされるメイドにはそれらも無いと言う意見があるが、それは違う。
仕える者には、「仕えている」と言う意地と誇りがあるのだ。自分が仕えていなければ、仕える先、つまり主君は困り、不自由して、困る。そうさせない為に自分達が存在すると。
これを知らない者はそれこそ犬畜生以下の奴隷となるが、知っていれば犬となる。
咲夜はメイドとしての誇りを持っているので、彼女は犬だ。悪魔の犬である。
加えてメイドではない自分の誇りも当然持っているので、咲夜は二重の意味で誇り高い。
二人の自分の誇りを絶対としているのだから、咲夜はある意味で、悪魔よりも悪魔なメイドだと言えた。
(私はこの時間があまり好きではない)
勘違いをしている咲夜は、それが悪魔的な考えから来るものだと思う。事実は彼女の好みの問題だったが、彼女は気付かない。気付かないから勘違いだ。
勘違いした上での考えでいて、それでもこうして休むのは、この時間が貴重な、自身の能力以外で存在する時間である事と、常に最良の状態で職務を全うする為に必要な休息だからと考えているからだ。
無意味な時間に意味を持たせて我慢する。そうしなければやっていられなかった。
「ふぅ」
溜め息を漏らし、咲夜は瞳を閉じた。
「毎回こんなこと考えて過ごしてるわね、私」
運ばれて来た玄米茶を啜り、一人呟く。
退屈で無意味な時間に意味を持たせて我慢している、この状況が鬱陶しい。
ここに来る度に、そう考えた。
そして、今自分が呟いた台詞。
これも、毎回呟いている独り言だ。
「……」
ただ、今日は少し違った。
いつもなら、自己嫌悪に近い鬱憤を押さえ込んで心身の疲労を僅かながらも回復させる事に努めるこの時間に、今日は変化を感じた。
その変化とは、自分が毎回、この様に自己嫌悪に近い鬱憤を押さえ込んで休息していると言う事と、それについて毎回、嫌だと思っている事に、気が付いた事だった。
「毎回……確かに、毎回考えてるわね。気付きもしなかったわ」
一度気が付くと、それはまるで、未知の知識を知ったかの様な感覚を咲夜に与えた。
次々と湧き上がる疑問と新発見。それは、毎回同じ事をしていると言う事だ。
変化が、無い。
変わらない日常、毎回同じ時間、その中での自分の行動。
変化の無い自分、行動、思考。
私は毎回、同じ事を繰り返している?
そんな考えが脳裏を過ぎり、その考えすらも、この店で茶を飲む時に毎度変わらず巡らせているものだと気が付いた。
そう言えば、自分はいつも同じ席に座っているじゃないかと気が付き、その発見も毎度の事だと更に気が付く。
何故、気が付かなかったのか?いや、忘れていたのだろうか。
だが、今は気が付いている。ならばそれでいいと咲夜は判断する。
「ホント、何も変わってないのね。いや……」
変わっている事はある。
店に居る客は毎回違う顔だし、自分がここを訪れる時間も毎回違う筈だ。女将の服装だって変わっているし、どう言う訳か、店の壁にある飾り棚に腰掛けている人形の髪だって伸びたり縮んだりして、髪型も変わっている。きっと女将が手入れしているに違いない。
「これも、前に思い浮かべた「違い」って奴かな?」
恐らくその筈だ。ならば、やはり変化など無く、同じ時間を過ごしているのだろうか。
「馬鹿馬鹿しい。似たような時間が続いているだけ……ループなどある訳が無いわ。私の力でも出来るかどうか」
そこまで考えて、咲夜はある妖怪の事を唐突に思い出した。
その発想は閃きに近い。咲夜は、その閃きが、退屈で変わり栄えのしない時間から脱却する為に自らが導き出した解法だと思った。
閃きとは天から降るものでも、ましてや地から湧くものでもない。
その者の培って来た知識、経験、知恵、状況が総合された結果、「答え」に成り得ると判断された極めて強力な一つの結論が、閃きとして現れるのだ。
咲夜は自身の知識と経験則から、ある妖怪の顔とその性格、過去の動向を思い出し、閃きの裏付けを行い、確信した。
「実は、あのすきま妖怪が私にチョッカイを出しているとか。意味無さそうだけど、だからこそ説明がつきそうだわ。何かの境界を操作して、私に時間の似非ループを体験させて遊んでいるのかも」
我ながら冴えている。確かにあの胡散臭いすきま妖怪ならば、自分には意味が解らないような、妙な悪戯を仕掛けていても不思議は無い。
八雲 紫の、悪戯っぽくて尚且つ、心が読めない、あの胡散臭い笑顔が思い出される。
紫の笑い声が聞こえた気がして、咲夜は彼女に対して「どうしてくれようか」と言う思いを抱いた。
そして、その思いを抱いた瞬間、咲夜は更なる閃きをしてしまった。
(そう……。この飛躍し過ぎで、当たってる訳が無さそうな、この発想がハズレでも……)
考えが当たっていればすきま妖怪を退治すると言う、変化という名の楽しみが生まれるし、外れていても、あれこれ考え、想像を巡らせて、退屈を紛らわす事が出来るだろう。
要は咲夜にとって、気晴らしになりさえすればいいのだ。
「ワープな想像でループな気分を吹っ飛ばすのも悪くないわね」
確かに咲夜は冴えていた。
当たっていようが外れていようが、そんな事は重要ではない。突飛な発想で、想像で、退屈を払拭出来さえすればいいのだ。
(もしも当たっていれば、事に気が付いた私に何かしら手を出して来る筈。それを楽しみに暫く過ごすのも悪くないじゃない)
そう考えると、退屈なこの「何も無い時間」も楽しく過ごせそうだ。
毎回毎回、鬱憤を押さえ込むだけの、退屈で、嫌なこの時間が、変わる。
それは咲夜にとって、とても魅力的な事だった。
だが。
「時間ね……残念だわ」
それは次回のこの時間まで、お預けになってしまいそうだった。
店の壁に掛けられた時計の針が、そろそろ紅魔館へ戻らなければいけない時間を指している。
「お勘定、お願い致しますわ」
残念だが仕方あるまい。職務の方が大事だ。
財布から、提示された額ピッタリの小銭を取り出しながら、咲夜は今しがた思い付いたばかりの、退屈凌ぎの想像を忘れないようにしようと心に決めるのだった。
咲夜が紅魔館へ戻ると、門の前に立っていた美鈴が笑顔で咲夜を出迎えた。
「あ、お帰りなさい咲夜さん」
「ただいま美鈴。修復、早いわね」
魔理沙が強行突破をかけようとして美鈴と交戦した際に壊された壁、石畳、抉れた地面等がすべて元通りになっている。
現在の時刻は十五時で、襲撃は正午近くだったから、約三時間程で仕上げた事になる。
「そこに転がってる白黒を使って直しました」
美鈴が指差す方向に目を向けると、汗と埃と泥塗れの魔理沙の姿があった。
疲れ切ったのか、魔理沙は人目をはばからず、ぐっすりと眠っていた。
妖怪の美鈴は見ていたが。
「三時間休み無しで働かせました。私も作業しつつ、チェック入れといたんで出来はバッチリかと」
美鈴が胸を張って報告する。
咲夜は補修された箇所に素早く目を走らせた。
紅魔館全体を管理する咲夜は、建物自体、土地自体も管理、把握している。
「いいんじゃないかしら。いつも通り、いい仕事してるわね」
記憶の中にある、壊れる前の外壁、庭園の情景と現在の情景を重ね合わせ、咲夜は補修作業の成果に、問題無しと判断を下した。
「はっはっは、何度も直してる内にすっかり上達してしまいました」
「ここをクビになっても、大工としてやっていけるんじゃない?」
「咲夜さん、冗談キツいですよぅ」
修理ばかりしている事を得意にするなと釘を刺しながら、咲夜は寝ている魔理沙を見下ろした。
「目を覚ましたら風呂を使わせてあげなさいな。このままで帰すのは、お嬢様の品格を落としかねないからね」
魔理沙は現在、紅魔館の捕虜である。捕虜の扱いをぞんざいにする事は、捕らえた側もぞんざいな品格の持ち主とされてしまうと、咲夜は考えていた。
明言している訳ではないが、レミリアもきっとそう言うだろうと、確信に近い思いもあった。
「強盗相手に優し過ぎません?」
魔理沙を一瞥しながら、美鈴がやや不服そうに口を尖らせる。
美鈴としては、魔理沙にきつく灸を据えたいところなのだ。
門をはじめ、魔理沙襲撃の際に壊れた箇所はすべて自分が修復しなければならないし、撃退に失敗して進入を許せば、パチュリーに叱責を受けて、魔法による仕置きが待っている。
「今日は未遂だからいいのよ。それにコレの狙いはパチュリー様の蔵書でしょう。もしも盗んだ場合の裁断はパチュリー様がするだろうし。……お嬢様や妹様に危害を加えるならば、即座に始末するけどね」
もしも魔理沙がレミリアの命を狙うヴァンパイアハンターだったならば、咲夜は直ちに魔理沙を抹殺し、彼女は今晩、紅魔館の食卓に並んでいる筈だ。
従う者には寛容に、仇成す者には歓迎を、敵には死を。
捕らえた者の咎によって対応、処遇を決めるのも、レミリアの名誉と威厳の為である。
「解りました。再犯するのが確定してる奴をそのままにするのは気が引けますけど、まあ確かに未遂ですし。それにお嬢様のお気に入りの人間ですしね、魔理沙は。私が彼女をどうにかしたら、私が殺されそうです……。仕方ないので水と、ついでに何か食べさせて帰しますよ」
門番をしている身としては、確実に犯行を繰り返す魔理沙をどうにかしたかったが、主人の怒りに触れてまでどうにかしたいとは思わない。
きつく灸を据えたい衝動を飲み込み、美鈴は咲夜の指示に従う事にした。
(まあ、今日はこれだけコキ使ってやった訳だし、久し振りに労働以外で身体動かせたし。勘弁してあげるよ)
眠っている魔理沙に心の中でそう言うと、美鈴は口笛を吹いた。
軽やかなメロディが空へと吸い込まれていく。
すると間を置かずに、館の中から数匹の妖精メイドが姿を現し、美鈴の前に整列した。
「あんた達はそこの白黒を公用浴場に連行。残りは私と白黒、二人分のお茶とお菓子を用意して。いいわね」
「わかりましたー」
「おまかせあれー」
それぞれがバラバラな返事で美鈴の指示を受けると、妖精メイド達は二組に分かれて作業を始めだした。一方は魔理沙をずるずると引き摺って館の奥へと運ぼうとし、残った組は方々に散って行く。自分達の分も含めて、菓子と茶を調達する為だ。
美鈴の指示を都合良く解釈して、自分達も休憩しようと言う算段だろう。浴場組は魔理沙と風呂に入るだろうし、菓子組は大量の菓子と、仲間を連れて戻って来る筈だ。
「じゃあ、魔理沙が戻って来たら休憩にします」
「ええ、解ったわ」
妖精メイド達の、したたかなのか、我侭なのか解らない、したい放題さに苦笑しつつ、咲夜と美鈴は別れた。
(我侭絶頂のお嬢様のメイドだもの、メイドも我侭放題なのかもね)
主人も我侭なら従者も我侭とは、洒落が効いていると咲夜は思った。
彼女が自分の考えに軽いユーモアを感じつつ館へと入ると、そのタイミングを見計らったかの様に、奥の方から涼やかなベルの音が聞こえて来た。
「あら、パチュリー様がお呼びだわ。……この時間だと、お茶ね」
咲夜に用事がある際に、パチュリーが用いるベルである。
恐らくは魔法の力で、自分が帰った事を知ったパチュリーが早速呼び出しを掛けた、と咲夜は思った。
「はい、ただいま。……これは少し急いだ方がいいわね。きっと私の帰りを待ち構えていたのでしょうから。……『パーフェクトスクウェア』」
咲夜の周囲の空間が軋み、時間がその流れを停める。
「さて、今日は確か、珈琲をお出しする日だったわね。お茶請けは……そうね、ケーキにしましょうか」
時間を停めている間にケーキを焼き上げ、豆から珈琲を淹れる。
手間こそ掛かるが、咲夜には、並の店のものよりも上等なものを作り上げる自信があった。
時間を停めているのだから、ケーキを焼き上げる程度の時間は確保出来るし、咲夜は料理が好きだから、掛かる労力も苦にならない。
咲夜は作るケーキをイチゴのショートに決め、鼻歌交じりに厨房へと駆け出した。
「呼んだ瞬間にすべて用意する。流石ね咲夜」
「御注文を御請けした時から用意していますから新鮮ですよ」
「出来立てね。新鮮だわ」
「新鮮ですわ」
図書館の奥にあるパチュリーの書斎にて、咲夜はパチュリー、そして小悪魔と共に珈琲を飲んでいた。
本来ならばメイドである彼女が同席する事は無いのだが、パチュリーが共に茶を飲むように言ったのだ。
これがもし、「一緒にお茶を飲まない?」といった様な誘いの言葉であったなら、咲夜は必ず丁重に辞退したことだろう。
パチュリーは、厳密には咲夜の主人ではないが、半ば主人と従者の関係である。
メイドにとって主人の言い付けは絶対だ。
普通に誘っただけでは絶対に同席しないと解っているので、パチュリーはこの「命令ならば従う」と言う主従のシステムと、咲夜の徹底したプロ意識を利用して強引に誘ったのである。
そうでもしなければ、例えレミリアであっても、彼女を同席させる事は不可能だった。
口には出さないが、パチュリーは咲夜とお茶を飲む事を密かに楽しみにしているので、時々この様に「命令」と称して同席させている。
「咲夜さん、ケーキ食べないんですか?」
「私は珈琲だけでいいわ」
ショートケーキを美味そうに平らげる小悪魔からの問い掛けに、咲夜は何でも無いかの様に答えた。
既に大福餅を食べている。これ以上は夕食に響くのだ。
「ねえ咲夜。あの泥棒猫は今日来ていないの?」
悩みの種である魔理沙の侵入について、パチュリーは咲夜に尋ねた。
紅霧異変以降、図書館の蔵書は減るばかりで、パチュリーは頭を痛めているのだ。
「領海侵犯の警告を無視したので、美鈴が撃沈したそうです」
咲夜は、美鈴が魔理沙の撃破に成功した事を、当時の状況から当人達の台詞まで、すべて報告した。
記憶力の良さが成せる技である。
「……二重の意味で風化ネタね」
「?」
咲夜の報告を聞いたパチュリーは「解らないならいいのよ」とだけ呟くと、珈琲を啜った。
「成る程、今日は美鈴さんの勝ちですか。咲夜さん咲夜さん、美鈴さんが白黒に止めを刺した決め技は何です?」
パチュリーが黙ると、小悪魔が楽しそうな表情で咲夜に質問をして来た。
同時に、空になったカップを差し出して、咲夜にお代わりを要求してくる。
「脳天に踵落とし。見事なまでにクリーンヒットよ」
差し出されたカップを受け取り、珈琲を注ぎながら咲夜は答える。
ちなみに、咲夜が出した珈琲はサイフォン式で抽出したものある。
味や香りが良いと、彼女は好んでサイフォン式を用いる。手間隙が掛かると言う欠点は、停止させた時間内で行う為に解消される。
「今日は打撃系ですか……!見たかったなぁ」
咲夜の話を聞き、小悪魔はそう言った。
「門番やれば生で見れるわよ。と言うより貴女自身が魔理沙に技を掛けれるわ」
冗談抜きで咲夜はそう言った。
美鈴以外にもう一人くらい門番が増えれば、魔理沙の襲撃成功率もそれなりに下がるだろうと思う。
美鈴も負担が減るから喜ぶ筈だ。
「い、嫌ですよー。技はいいですけど、門番は面倒ですもの。私はインドア派なんですよっ」
小悪魔は即座に否定の意を示した。曖昧な返事をすれば即座に門番職へと配置換えをされてしまうと思ったので、やや声が上擦っていた。
「肉体言語が大好きなインドアとか。狙い過ぎじゃないの?」
とろんとした目でパチュリーが口を挟む。
「何を狙うんですか、パチュリー様」
「ナイフの狙いには自信がありますけれど」
咲夜と小悪魔が揃ってパチュリーに質問を返すが、彼女は答える気が無い様だ。
「何でも無いわ。……私にもお代わりを頂戴」
「はい、ただいま」
パチュリーのカップに珈琲を注ぎ、二皿目を要求する小悪魔にケーキを切り分け、与える。
図書館の魔女とその従者の給仕をしながら、今夜の食事をどうするかで頭を悩ませ、咲夜の午後は過ぎて行った。
紅魔館の時計塔から、荘厳さを感じさせずにはいられないような、重々しい鐘の音が幻想郷の夜空に響き渡る。
夜の世界に入った幻想郷で、最初に鳴り響くこの鐘の音が意味するものは唯一つ。
紅い悪魔の目覚めである。
「お嬢様、お嬢様。さあ、お目覚めの時間ですわ」
紅魔館の奥にある、館の主人、レミリア・スカーレットの寝室。
夜中に活動を始める主人を起こし、明け方に彼女が眠るまでが、咲夜の仕事の中で最も重要な時間である。
「ん……もお、夜?」
「良い子は家で眠り、悪い子は外ではしゃぐ時間。まさしく夜でございます」
「……そりゃ、私は「悪」魔だけれど」
「さあ起きて下さいまし。御食事が冷めてしまいますわ」
寝惚け眼をこすり、大きな欠伸を漏らすレミリアが不機嫌そうな顔で咲夜を睨む。
「そんな顔をしても駄目です。料理は冷めてしまいますし、時間も待ってはくれません」
「うー……むぅ。意地悪ぅ」
「お嬢様の為に意地悪なのです。さあ、御顔を洗って髪を整えますよ」
顔を洗うと言っても、吸血鬼であるレミリアに流水で洗顔する行為は不可能だ。
その為、パチュリーが水の精霊を使役して作り出した特殊な水で、レミリアは顔を含めた全身を洗う。
パチュリーと知り合う前は自前の、かなり強引な方法で精霊を従わせた魔法を使っていた為に、良く生成に失敗して酷い目に遭っていたらしい。
「ふぁ……咲夜、服を頂戴」
「かしこまりました」
洗顔を済ませると、レミリアは夜着を脱ぎ捨て、咲夜から受け取った服を身に付けていく。
脱ぎ捨てられた夜着は床に触れる次の瞬間、咲夜の腕の中にあった。
時間を停めて回収したようだ。
「咲夜、髪」
「はい、お嬢様。……ん、お嬢様は寝相がよろしいので、寝癖が少なくて楽ですわ」
「ふふん、恐れ戦くといいわ」
「怖いですわ。さあ、終わりました」
生成した魔法の水は、髪を傷めずに寝癖を直し、櫛を通し易くする整髪料としても効果がある。
咲夜はそれを使って、レミリアが服を着終わる僅かな間に彼女の髪を整えてしまった。
「相変わらず速いね」
「恐れ入りますわ」
毎日同じ作業をこなしている為に培われた慣れと、手先の動きの時間を速める事が出来る、咲夜の能力とが合わさって成せる技であった。
「フランは?」
大きな紅いリボンの付いた帽子を被り、鏡の前――吸血鬼は鏡に映らないので、これはレミリアが特注でパチュリーに作らせた、吸血鬼が映る魔法の鏡である──で身嗜みを整えながら、レミリアは咲夜に尋ねた。
「妹様はお嬢様と違って早起きですので、既に食堂で待っていらっしゃいますわ」
フランドールは今頃、パチュリーと美鈴が、レミリアが卓に着くまで相手をしている筈だ。
相当、腹を空かせていた様子だった事を思い出し、咲夜はレミリアを急かす意味も込めて、レミリアより早起きだ、と言ったのだ。
咲夜が答えると、レミリアは、少しムッとした表情で、身嗜みの仕上げに鏡の前でポーズを決めた。
「アレは単に空腹に耐性が無いだけなの。だからすぐ起きるのさ」
自分は寝坊じゃない、と視線で咲夜に訴える。
「我が妹ながら情け無くなるよ。我慢を知らないのよ。いつか躾けてやらないと……」
「まあ……。お嬢様、御腹が空いているのを我慢していらっしゃるのですか?」
「……咲夜は少し、国語力が足りないな」
「日本語は難しいのですよ、お嬢様」
呆れた様な表情の主人に対し、咲夜はすました顔でそう言った。
その直後。
「遅い!遅い遅い遅いーっ!お腹減ったー!食―べーよーうーよー!」
レミリアの寝室から大分距離がある筈の食堂から、館全体を震撼させる金切り声が響いた。
「い、妹様?」
「あんのガキ……」
咲夜は驚きの、レミリアは呆れた表情で、フランドールの名前を口にした。
「貴族にあるまじき醜態だわ……!鏡、命令よ。食堂の様子を見せなさい」
レミリアが命じると、それまでレミリアの姿を映していた鏡が淡い光を放ち、その次の瞬間には紅魔館の一室の情景を映し出していた。
『あいた!フ、フラン様?もう少しだけお待ちしてさしあげましょうよ?ね?』
この時間は食事休憩である美鈴が、フランドールを必死に宥めている姿が咲夜とレミリアの視界に飛び込んでくる。
パチュリーと小悪魔も遠くから説得しているが、フランドールは聞く耳を持たない。
紫の魔女は引き攣った表情で、駄々を捏ねる悪魔を睨み付けている。
『五月蝿いよ美鈴。早く食べさせてよー!』
『痛い!痛いですよー!』
美鈴はフランドールが持つ杖でバシバシと頭を小突かれていた。
外見は幼い少女であるが、フランドールもレミリアと同じ吸血鬼である。
吸血鬼の力は、人間はおろか、力自慢の妖怪であっても軽く凌ぐ程に強大だ。
そんな力の持ち主に、本気で無いとは言え殴られれば、その痛みは測り知れない。
フランドールの癇癪に耐える美鈴の姿はとても痛ましかった。
「石頭か、あいつは」
「日頃の鍛錬の賜物かと。あの娘は私の知る限り、あの世の辻斬り侍と並ぶ幻想郷一の努力家ですから」
「そりゃ知ってるけどさ。しかし、あんなにボコボコ殴って、門番が馬鹿になったらどうしてくれるのさ、あのクソガキ」
鋭い犬歯を剥き出しにして怒るレミリアの事等露知らず、鏡の向こうのフランドールは美鈴の頭を小突き続けていた。
『も、もう少しだけ、もう少しだけ待ってあげましょう?お腹が空いている程ご飯が美味しくなるんですよ?』
『五月蝿い五月蝿い!私はお腹が減ってるの!待ってなくても咲夜のご飯は美味しいの!あぁーっ、もうアイツなんか待てないわ!いただきます!!』
ついに、フランドールは制止する美鈴を突き飛ばし、自分の席へと駆け出してしまう。
だが。
『小悪魔、美鈴!!』
パチュリーの声が食堂に響き渡る。
その瞳は怒りに燃えていた。
『合点、パチュリー様!美鈴さん?』
パチュリーの声を聞くや、フランドールから距離を置いていた小悪魔が床を蹴って勢い良く跳躍する。
同時に、突き飛ばされて倒れた美鈴が、バネの様な身のこなしで跳ね起き、一瞬にしてフランドールの背後へと回り込んだ。恐ろしい脚力である。
『お嬢様が不機嫌にならないように……フラン様、失礼致します!』
『ふぁ?』
美鈴が叫ぶ。と、次の瞬間。
『雪!こぁーっ!』
小悪魔が高速でフランド-ルに接近し、擦れ違い様にフランドールの延髄に手刀を打ち込んだ。
そして。
『月!むきゅー』
小悪魔が手刀を打ち込んだ瞬間、いつの間にかフランドールの頭上に移動していたパチュリーが、手にした厚み十五㎝の本の角でフランドールの脳天を殴打する。
『うごっ……』
立て続けに重い打撃を受けたフランドールの身体がグラリと揺れる。
魔女とその従者が放った打撃は、吸血鬼に対してかなりのダメージを与えたようだ。
そして、体勢を崩し、完全に無防備となったその背中に、美鈴が渾身の気合を込めた掌底を叩き込む。
『花!ふん!』
『あぁああああッ!?』
如何な力を叩き込まれたのか。
フランドールはその華奢な身体を風車の様に激しく回転させて吹っ飛び、食堂の扉をぶち破って、そのまま動かなくなってしまった。
完全に気絶している。
『乱れ!』
『雪月花!!』
『昇天!!!』
構えを解いた三人が、一斉にポーズを決めた。
そして、勝利の雄叫びをあげる。
「……!!」
「あらあら。うふふ」
その光景を見たレミリアは絶句し、咲夜は思わず笑ってしまった。
「……妹は馬鹿だが、あいつらはド阿呆だ!」
レミリアが拳を振り上げて怒鳴った。
その顔はほんのりと上気し、頬に僅かな朱が差している。
そんなレミリアの様子を見て、咲夜は彼女に耳打ちする様に言った。
「もしかして、混ざりたかったのですか」
「な?!そんなワケ無いでしょうが!……まったく、馬鹿の妹に阿呆な住人、そして認知障害のメイド!これの何処が悪魔の館だ!?」
レミリアは、顔を耳まで真っ赤にして咲夜の言葉を否定する。
図星だな、と咲夜は思った。
「私だけ扱いが酷いですが、それは信頼と愛情の裏返し、と言う事にしておきますわ」
「……私はこんな連中のボスなのか?何か、嫌になって来たよ」
深い溜め息を吐き、レミリアはとぼとぼと寝室を後にする。
貴族としてのプライドと、混ざれなかった悔しさと咲夜に図星を突かれた気恥ずかしさがごちゃごちゃになって彼女の心で渦を巻いているのだ。
(これは……。今夜は忙しくなりそうね。きっと大騒ぎで、派手に散らかして、仕事が増えまくって、大変で、忙しくて、楽しい夜になるでしょうね)
レミリアの後に続きながら、咲夜はそんな事を考えていた。
(またすぐに買出しへ出ないと駄目ね。お掃除も大変そう。……本当、もう一人まともなメイドが欲しいな)
けれどそんな咲夜の願いは叶う筈も無く。
「咲夜、特上のブランデーを用意して。……今夜は飲むわよ」
「かしこまりました、お嬢様」
叶わない願いはすぐに、新たに申し付けられ、増える仕事の波に消されてしまう。
ただ、咲夜はそれでいいのだと思っていた。
変わらない日常、変わらない住人。
大きな変化が無い時間は退屈だが、それは平和で、幸福である。
(平和で幸福な悪魔なんて聞いた事も無いけどね。……目の前には居るのだけれど)
「咲夜!何をしているの、さっさと食堂に向かいなさい!」
「はい、ただいま」
幸福感を噛み締めて、悪魔の犬は主人の命令を遂行する為に今夜も朝まで働く。
それはいつもの日常であり、幸せな世界だ。
「あの阿呆どもに、馬鹿を起こすように言っておくのよ。内、一人には扉の片付けを行わせる事。いいわね!?」
「お任せ下さい、お嬢様」
紅魔館の夜は更けていく。
了
>『雪月花!!』
>『昇天!!!』
>構えを解いた三人が、一斉にポーズを決めた。
>そして、勝利の雄叫びをあげる。
なにやってんだ、こいつらwww
小悪魔、あんたほんまに悪魔か??
それにしても、健啖家だこと。しかも、作る方にとって嬉しい喰い方してくれちゃって
門番が馬鹿になったらどうしてくれるのさ、あのクソガキ
おおおっ!レ、レミリア様が、妹様よりも門番擁護のセリフを!!
誤字
小悪魔の締め上げる 小悪魔を締め上げる
『乱れ!」』 『乱れ!』
いいキャラ設定でした
食事や掃除の工夫なんかを細かく描写してあるのは実はかなり楽しかったり。
合体技・雪月花にも吹きましたし(雪月花って合体技だっけ……?)
ちょっといじけたレミリア様が可愛らしいw
自分の趣味から言うと地の文がちょっぴり説明文口調でくどい気がします。
もう少し柔らかく書けば日常生活の楽しさが増すのではと。
良かったです。
おお、ブラボー!
しかし、最後の部分のインパクトが強すぎて序盤から中盤にかけてが少し弱く感じました。
なにはともあれ、とても面白かったです!www
いかに咲夜さんが苦労しているかがわかります。
『雪月花!!』
『昇天!!!』
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本当に紅魔館は恐ろしいところです。