玄関先に白黒の彗星(まりさ)が墜ちてきたので、私は人形を手入れする人形の研究を中断して、彼女にお茶を振る舞うことにした。
確か、お茶を淹れる人形は……。
指先から魔力の糸を伸ばして、棚に収められた一体の人形に接続。ついっと指で命じて台所に向かわせたところで、ばたん、と玄関扉が開いた。
魔理沙の華やかな金髪が、淡い陽光を受けてきらめいた。
「よう、元気に引きこもってるか?」
「私は引きこもりじゃなくてインドア派なだけよ、このノラ魔法使い」
「ふうん、ま、元気には変わりなさそうだぜ」
屈託なく笑う彼女に、私もつられて笑みを零しながら、テーブルの椅子を勧める。
いつもと一緒で簡単な、軽口の応酬。
「お茶は飲む?」
「ああ、頂くぜ。……よっと」
白黒の帽子はコート掛けのてっぺんに、箒は戸口に立てかけて。
魔理沙はテーブルに着くと、ふわり、笑った。けれど、落ち着きのない視線をくるりと巡らせると、少しだけその表情が曇る。
「しかしまあ、いつきても人形だらけだぜ。……視線、気にならないのか?」
部屋に溢れた色とりどりの人形。そのガラスの視線は、いつも宙をさまよっている。――けれど、それらは決して、私たちに向いているわけではない。
「別に気にならないわよ。だってその子たち、生きてるわけじゃないもの。ただの人の形に怯えるなんて、無駄もいいところよ」
お盆の上にティーカップを二つ載せて戻ってきた人形に礼を云いながら応えると、魔理沙はううむ、とうなる。
「解らないな、その理屈」
「解らないわ、その神経」
そう切り返してカップを勧めると、魔理沙は渋い表情のままでそれを傾けたけれど、ふんわり穏やかな香りのせいか、彼女の表情はたちまち緩んでしまった。
「うまいな、これ」
「当然よ。とっておきだもの」
「なるほど、まさに私を饗するためのものだな」
「……たまたま余ってただけよ」
一瞬ためらった後にそう応えると、予想通りと云うべきか、魔理沙は大きな疑問符を浮かべてこちらを見つめている。
どきり、と胸が弾んだ。
「そ、そう云えば、なにか用があったんじゃないの?」
「ん?」
日本茶でも飲むみたいにカップの中身をすする魔理沙に訊ねると、彼女は豪快に笑う。
「ははっ、こんなところに用がある方が珍しいぜ」
「……は?」
思わぬ返答に、気の抜けた返事をしてしまった。――何秒か後にとんだ失礼を云われたと気づいて、私はぎろりと彼女を睨みつけた。
「ちょっと、じゃあ用事がないってことじゃない」
「おお、さすがはアリス話が解る。そうさ、私は用がないのにここへきたんだ」
誇らしげに、足りない胸(人のことは云えないけれど)を張る魔理沙。それを見ていると、胸に宿ったほのかな疼きもあっと云う間に消えてしまって。
不意に、誰かが脳裏で私にささやく。
――吹キ飛バシテシマエ。
人形を操ろうと指先から伸びる魔力の糸を押しとどめて、私はできるだけ穏やかな声で訊いた。
「じゃなくて、用がないんだったら、どうしてウチにくるのよ」
何気ない風を装ってみたけれど、気持ちはきっと表情に出てしまっているのだろう。胸にとげが刺さったような顔で、魔理沙は云った。
「……どうしてそんなに機嫌悪くするんだよ」
「だって……」
お前の家に用はないと誇らしげに云われたら、誰でも機嫌を損ねると思う。
ぶつぶつと言葉の断片を零す。なによ、あなたがこないんだったら、もう少し研究を進められたし、大事なセイロンだって二人分飲めたのに……。
かちゃり、と云う陶器の音。
私が顔を上げると、そこには魔理沙の傷ついたような表情。
「……悪いかよ」
「なにがよ」
うつむき加減の視線、引き結ばれた口元――私が彼女の表情の意味も解さずにそう問うと。
「お前に逢いに来るのに、用なんて要るのかよっ」
ふわり、風が吹いたような気がした。
一瞬、何を云われたのか解らなかった。けれど、それは次第に私の中に染みいって、明確な像を結んで、やがて鮮やかな感情となる。
――用もないのに、私に会いに来てくれる。
顔が熱い。ほっぺたを押さえながら魔理沙に視線を向けると、彼女もまた、ほんのりと紅く染まった頬を無視するように、凜とした視線を向けてくる。
短くて、長い沈黙。
「……帰る。ここの家は用もないのに入れないらしいからな」
引き留めようとして伸ばした手は、けれど彼女の視線に阻まれて。
「ええ、さっさと帰りなさいよ。……けど」
踵(きびす)を返した魔理沙に、私は震える手をカップに押しつけたまま、言葉を投じた。
「よ、用さえあれば……どんなんだって、歓迎するんだから」
ふっと、彼女が振り返る。声を震わせずに云えただろうかなんてどうでもいいことを考えながら、私は魔理沙の視線には応えず、冷めた紅茶に口をつける。不味い。
魔理沙はそんな私を見つめながら、しばらくの間振り返ったままでいたけれど、やがてぷいっとまた背を向けてしまった。
「……邪魔したぜ」
捨て台詞を残して、箒を引っつかんで。
彼女は扉をくぐると、どこかへ飛んでいってしまった。――そうして、私はまた独り。
「…………」
解らない。
魔理沙のことも、私のことさえも――なにもかもが解らない。どうして魔理沙はあんな風に行動するのか、どうして私はそれにいちいち動揺するのか。
人形を相手にしている時には決して味わえない、歯がゆさ。
すっかり冷めてしまった紅茶をくるくるスプーンでかき混ぜながら、脳裏で思考を紡ぐ。
私は魔法使いで、魔理沙と違って妖怪だけれど、まだ人間だった頃の記憶を持っている。だから、魔理沙がなにを考えて、なにを意図しているのかは解る。――ただ、それは妖怪としての私にとってはまるっきり理解不能なこと。
――恋愛感情は人間と云う種の連なりの生殖に関わる本能であって、単体の集合である魔法使い(わたしたち)には必要ないわ。
多分、パチュリーなんかはそう云うのだろう。けれど、そんなことなんて関係なしに、私の胸は勝手に、魔理沙の仕草全てに翻弄されてしまうのだ。
人間だった頃の記憶。
なんて、不合理なのだろう。
――イッソ、人形ニシテシマエバ。
そう、彼女たちのように。
熱を失った二つのカップを片付けさせながら、私は甘やかなささやきに耳を傾ける。
――人形ニシテシマエバ、私(アナタ)ノ思イ通リ。
指先から伸びる、細い細い、銀のきらめきを紡いだような魔力の糸。見えないけれどそこにあるはずのそれを見つめながら、そして動かしながら、私は考える。
――コノ糸ヲ、魔理沙ニ繋イデ。
そうすれば、解らないなんてこともなくなる。全てが私の思い通り、こんな歯がゆさを感じることは二度とない――私の中に居る人形遣いが、小さな小さな声でそっとささやく。けれど、それは間違いなく単なる戯れ言で。
「……引っ込んでなさい、人形遣い」
誰にともなく、私は吐息混じりの声音でそう云った。
魔理沙を人形にしても意味がないのは解っているし、そもそも考えることだって馬鹿馬鹿しい。そんなこと、誰でもない、人形遣いである私も承知している。
だけど、たまに思ってしまう。
もし、魔理沙と私の心が通じ合えたら。
「……とんだ乙女心もあったものだわ」
ほんの少し、自己嫌悪。
今の私は人形遣いでもなければ、一人の女の子でもない。両方の間を行ったり来たり、恋に踊らされる半端者。
深くため息をついて、私は目を閉じる。――淡い期待を胸にひそめて、指先をしなやかに振る。魔力の糸はたゆたうように、私の想いを伝えていく。
――新シイ、オ茶の用意ヲ。
それも二人分――そう、人形に伝えたところで。
帽子を取りに白黒の彗星(まりさ)が墜ちてきたので、私は他愛もない思索を中断して、彼女に仲直りのお茶を振る舞うことにした。
〈了〉
確か、お茶を淹れる人形は……。
指先から魔力の糸を伸ばして、棚に収められた一体の人形に接続。ついっと指で命じて台所に向かわせたところで、ばたん、と玄関扉が開いた。
魔理沙の華やかな金髪が、淡い陽光を受けてきらめいた。
「よう、元気に引きこもってるか?」
「私は引きこもりじゃなくてインドア派なだけよ、このノラ魔法使い」
「ふうん、ま、元気には変わりなさそうだぜ」
屈託なく笑う彼女に、私もつられて笑みを零しながら、テーブルの椅子を勧める。
いつもと一緒で簡単な、軽口の応酬。
「お茶は飲む?」
「ああ、頂くぜ。……よっと」
白黒の帽子はコート掛けのてっぺんに、箒は戸口に立てかけて。
魔理沙はテーブルに着くと、ふわり、笑った。けれど、落ち着きのない視線をくるりと巡らせると、少しだけその表情が曇る。
「しかしまあ、いつきても人形だらけだぜ。……視線、気にならないのか?」
部屋に溢れた色とりどりの人形。そのガラスの視線は、いつも宙をさまよっている。――けれど、それらは決して、私たちに向いているわけではない。
「別に気にならないわよ。だってその子たち、生きてるわけじゃないもの。ただの人の形に怯えるなんて、無駄もいいところよ」
お盆の上にティーカップを二つ載せて戻ってきた人形に礼を云いながら応えると、魔理沙はううむ、とうなる。
「解らないな、その理屈」
「解らないわ、その神経」
そう切り返してカップを勧めると、魔理沙は渋い表情のままでそれを傾けたけれど、ふんわり穏やかな香りのせいか、彼女の表情はたちまち緩んでしまった。
「うまいな、これ」
「当然よ。とっておきだもの」
「なるほど、まさに私を饗するためのものだな」
「……たまたま余ってただけよ」
一瞬ためらった後にそう応えると、予想通りと云うべきか、魔理沙は大きな疑問符を浮かべてこちらを見つめている。
どきり、と胸が弾んだ。
「そ、そう云えば、なにか用があったんじゃないの?」
「ん?」
日本茶でも飲むみたいにカップの中身をすする魔理沙に訊ねると、彼女は豪快に笑う。
「ははっ、こんなところに用がある方が珍しいぜ」
「……は?」
思わぬ返答に、気の抜けた返事をしてしまった。――何秒か後にとんだ失礼を云われたと気づいて、私はぎろりと彼女を睨みつけた。
「ちょっと、じゃあ用事がないってことじゃない」
「おお、さすがはアリス話が解る。そうさ、私は用がないのにここへきたんだ」
誇らしげに、足りない胸(人のことは云えないけれど)を張る魔理沙。それを見ていると、胸に宿ったほのかな疼きもあっと云う間に消えてしまって。
不意に、誰かが脳裏で私にささやく。
――吹キ飛バシテシマエ。
人形を操ろうと指先から伸びる魔力の糸を押しとどめて、私はできるだけ穏やかな声で訊いた。
「じゃなくて、用がないんだったら、どうしてウチにくるのよ」
何気ない風を装ってみたけれど、気持ちはきっと表情に出てしまっているのだろう。胸にとげが刺さったような顔で、魔理沙は云った。
「……どうしてそんなに機嫌悪くするんだよ」
「だって……」
お前の家に用はないと誇らしげに云われたら、誰でも機嫌を損ねると思う。
ぶつぶつと言葉の断片を零す。なによ、あなたがこないんだったら、もう少し研究を進められたし、大事なセイロンだって二人分飲めたのに……。
かちゃり、と云う陶器の音。
私が顔を上げると、そこには魔理沙の傷ついたような表情。
「……悪いかよ」
「なにがよ」
うつむき加減の視線、引き結ばれた口元――私が彼女の表情の意味も解さずにそう問うと。
「お前に逢いに来るのに、用なんて要るのかよっ」
ふわり、風が吹いたような気がした。
一瞬、何を云われたのか解らなかった。けれど、それは次第に私の中に染みいって、明確な像を結んで、やがて鮮やかな感情となる。
――用もないのに、私に会いに来てくれる。
顔が熱い。ほっぺたを押さえながら魔理沙に視線を向けると、彼女もまた、ほんのりと紅く染まった頬を無視するように、凜とした視線を向けてくる。
短くて、長い沈黙。
「……帰る。ここの家は用もないのに入れないらしいからな」
引き留めようとして伸ばした手は、けれど彼女の視線に阻まれて。
「ええ、さっさと帰りなさいよ。……けど」
踵(きびす)を返した魔理沙に、私は震える手をカップに押しつけたまま、言葉を投じた。
「よ、用さえあれば……どんなんだって、歓迎するんだから」
ふっと、彼女が振り返る。声を震わせずに云えただろうかなんてどうでもいいことを考えながら、私は魔理沙の視線には応えず、冷めた紅茶に口をつける。不味い。
魔理沙はそんな私を見つめながら、しばらくの間振り返ったままでいたけれど、やがてぷいっとまた背を向けてしまった。
「……邪魔したぜ」
捨て台詞を残して、箒を引っつかんで。
彼女は扉をくぐると、どこかへ飛んでいってしまった。――そうして、私はまた独り。
「…………」
解らない。
魔理沙のことも、私のことさえも――なにもかもが解らない。どうして魔理沙はあんな風に行動するのか、どうして私はそれにいちいち動揺するのか。
人形を相手にしている時には決して味わえない、歯がゆさ。
すっかり冷めてしまった紅茶をくるくるスプーンでかき混ぜながら、脳裏で思考を紡ぐ。
私は魔法使いで、魔理沙と違って妖怪だけれど、まだ人間だった頃の記憶を持っている。だから、魔理沙がなにを考えて、なにを意図しているのかは解る。――ただ、それは妖怪としての私にとってはまるっきり理解不能なこと。
――恋愛感情は人間と云う種の連なりの生殖に関わる本能であって、単体の集合である魔法使い(わたしたち)には必要ないわ。
多分、パチュリーなんかはそう云うのだろう。けれど、そんなことなんて関係なしに、私の胸は勝手に、魔理沙の仕草全てに翻弄されてしまうのだ。
人間だった頃の記憶。
なんて、不合理なのだろう。
――イッソ、人形ニシテシマエバ。
そう、彼女たちのように。
熱を失った二つのカップを片付けさせながら、私は甘やかなささやきに耳を傾ける。
――人形ニシテシマエバ、私(アナタ)ノ思イ通リ。
指先から伸びる、細い細い、銀のきらめきを紡いだような魔力の糸。見えないけれどそこにあるはずのそれを見つめながら、そして動かしながら、私は考える。
――コノ糸ヲ、魔理沙ニ繋イデ。
そうすれば、解らないなんてこともなくなる。全てが私の思い通り、こんな歯がゆさを感じることは二度とない――私の中に居る人形遣いが、小さな小さな声でそっとささやく。けれど、それは間違いなく単なる戯れ言で。
「……引っ込んでなさい、人形遣い」
誰にともなく、私は吐息混じりの声音でそう云った。
魔理沙を人形にしても意味がないのは解っているし、そもそも考えることだって馬鹿馬鹿しい。そんなこと、誰でもない、人形遣いである私も承知している。
だけど、たまに思ってしまう。
もし、魔理沙と私の心が通じ合えたら。
「……とんだ乙女心もあったものだわ」
ほんの少し、自己嫌悪。
今の私は人形遣いでもなければ、一人の女の子でもない。両方の間を行ったり来たり、恋に踊らされる半端者。
深くため息をついて、私は目を閉じる。――淡い期待を胸にひそめて、指先をしなやかに振る。魔力の糸はたゆたうように、私の想いを伝えていく。
――新シイ、オ茶の用意ヲ。
それも二人分――そう、人形に伝えたところで。
帽子を取りに白黒の彗星(まりさ)が墜ちてきたので、私は他愛もない思索を中断して、彼女に仲直りのお茶を振る舞うことにした。
〈了〉
これだけだとちょっとありきたり過ぎるかな?
最後は仲直りのお茶のシーンまで欲しかったです。
生々しいエゴを、綺麗な薄皮で覆い隠しているのですよ。
ただまぁ、やっぱり唐突な感は否めず。
魔理沙とアリスの会話をもう少し溜めることで、後の不条理を引き立てるなど、時間的な間の取り方があれば良かったような。
文章力は高いので、その辺りをもっとこうネチネチと書いて欲しかったなーとか何とか。まぁ、それは単に自分の好みというだけですががが。
次作にも期待しております。
それとも続きがあるの?
続きor次回作、期待しています!
何も変わらずループしていくようにも読めるし、少し変わってゆくような気もします。
こういうマリアリの良作が眠っているから創想話にハマっちゃうんだよなぁ。
次回はもう少し長い話も読んでみたいです。