Coolier - 新生・東方創想話

白百合畑でつかまえて(後編)

2007/08/26 05:55:10
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 暗く静かな図書館の中で、その魔女は私に言う。
「馬鹿みたい。何のための魔法よ」
「どういうこと?」
「人間なんて、あなたの魔法で傀儡にしてしまえばいいじゃない。人形師なんでしょう? あなた」
「そんなの……不自然よ」
「可愛いわね、アリス。まだ人間らしさを残しているのね」
「恋愛には…お互いの意思が…大事。相手の意思を殺してしまって自分の思い通りにしようなんて」
「いまさら何を。神の定めた摂理にそむき、思いのままに自然を操り、万物を使役する。それが魔法使いの生き方でしょうに」
「人の心は違うわ」
「同じことよ。人間だって魂だって、物質にすぎないのだから」
「帰るわ……」

 彼女に反論できなくなったから、私は席を立ったのではなかった。
 私は彼女に心の中を見透かされたような気がしていた。
 自分の本当の望みを暴露されたような気がして、それでこの場にいづらくなったのだ。
 私は本当は、想い人を自分の望むようにしたかったのだ。

「馬鹿みたい。気持も伝えてみないで、一人でうじうじと悩んで。まあ、あなたらしいと言えばあなたらしいわね。そうやって一生悩んでいるつもりかしら?」

 鼻で笑ったような仕草をつけて、彼女は私の背中に皮肉を投げかける。
 彼女はわざと意地悪にしてくれているのだ。私のことを思って。
 私が勇気を出して行動に移るように、けしかけているのかもしれない。

 図書館の魔女に悩みを相談した時の話。
 大分前の話だ。


 *


 全てが幻想の縁に沈んでしまう以前のこと、彼女の手伝いを得て裏庭の畑を一緒に手入れした時のことを覚えている。
 日が暮れるまで作業はかかり、泣きたくなるくらいに綺麗な夕焼けが西日として差し込んだ。
 淡い夕暮れの光が、彼女の金髪と土の工場のでこぼことした造作を照らしていた。

 二人の魔女の影ぼうしが真っすぐに東の果ての方角へとのびていく。
 赤い黄色い夕澄みのカーテンと、それに溶け込む彼女の姿に見入ったまま、私は立ちつくしていた。
 手を止めてその場に棒立ちになっている私を、彼女が不思議そうに見つめる。
 随分と情けない顔をしていたのだろうと思う。

 打ち明けることのできない思いは、深く澱のように私の心に降り積もり、その重量が胸を圧迫していた。
 額の汗をぬぐいながら、私は手にした鎌を盛り上がった土の塚の上に突きたてた。
 そうして私は彼女の方に背を向けながらつぶやく。
「都会育ちの私にはこんな土臭い仕事は似合わないわ」
 本当はこんなことを言いたいわけじゃなかった。
 一緒に手伝ってくれている彼女に感謝の言葉を投げかけてあげたかったのに。
 私はすぐに皮肉っぽいことを言ってしまう、正直になれない自分が嫌いだった。

「そいつは七色の魔術師とは思えないお言葉だね」
 彼女は口元にわずかな笑みを浮かべてそう言った。
「土は全ての源なんだぜ。精霊魔術だって四大要素として大地の力を信仰しているだろうに」
 そう言って、彼女は刈り取った野菜を鼻先に運び、目をつぶりながらその匂いを嗅ぎ取る。
「こうしていると、命の臭いを感じるんだ」
「摘み取られていく命、でしょ」
 私がそう言うと、彼女はくすっと笑った。
 太陽がもたらす陰影が、彼女の表情を彩っていた。

 普段はせわしなくて自分勝手で強引だけど、その時の彼女はとても落ち着いていた。
 自然に祈りと感謝を捧る人間の魔女。
 心がときめいた。美しくてはかない金髪の少女の一瞬の姿。
 そんな姿をずっと見つめ続けていたかった。
 土と共にあるその彼女の姿を見つめながら、私は深い恋に落ちていく自分の心を実感していた。
 ふいに彼女の体を抱きしめたい気分に襲われもした。


 *


 頭が痛い。
 のどが痛い。
 体中がだるい。
「風邪を引いた。……雨に打たれたせいか」
 昨日は落ち込んだ気分を抱えてそのまま眠ってしまった。
 ずぶ濡れになった体をちゃんとふかなかったのが良くなかったのだろう。
 妖怪になってから、風邪なんて引いたことがなかったから油断していた。
 そう言えば永琳が、私の体はまだ半分人間なのだと言っていた。
 とすれば、風邪を引いても別におかしくないのか。

 だるい体をひきずって、洗面所へ行き顔を洗った。
 しばらくして体自体が起き始めたのか、風邪の諸症状がいっしょくたに襲ってきた。 つまり、熱が出て咳が出て鼻水が出た。

 私の寝室は崩れ落ちたままなので、もといた通り居間のソファで横になることにした。
 ふと枕もとに置いてあったお気に入りの上海人形と蓬莱人形に気づく。
 いつものように糸をたぐりよせて操ろうとするのだが、うんともすんとも言ってくれない。

「動かなくなっちゃった……私の魔力が弱っているせいか」

 嫌な感じの風邪だ。
 人形が動かせなくなるほど魔力が弱まっていると言うのは、相当なものだ。
 私の体を維持している捨食の魔法は、継続的に掛け続けないと効果が切れてしまう。
 だが、私は今魔力が弱まっているので魔法の掛け直しができない。
 つまり今の私は年を取らない以外はほとんど生身の人間と一緒なわけだ。
 食欲がなかったけれど、とにかく何か食べないと体が回復しない。
 面倒なものだ。
 昼過ぎまで寝て、やっとのことで起き上がり台所まで行く。
 卵にトマトを入れて、リゾット風味にして食べた。
 塩と胡椒をいっぱい入れたのに、味がしない。味覚もやられているみたいだ。
 舌に苦味が走るが、我慢して飲み込む。
 本格的に風邪だわ……
 夏風邪って本当に厄介…鼻水も出てきて呼吸がしづらいし、余計に食べにくい。
 
 そんな味気のない食事をしていると、あの時のことを思い出した。
 いつか、魔理沙と霊夢を誘って三人でお茶会をした時がある。
 イギリス風に、サンドイッチやスコーンやショートケーキをテーブルに並べて。
 楽しかった。みんなで並んで座って、二人に特製の紅茶をふるまって。私がカップに注いであげた。
 今思い出すと、ああいう何でもない出来事が一番楽しい。
 魔理沙も霊夢も、機嫌が良さそうだった。
 二人とも私の料理や紅茶を美味しいって言ってくれた。
「まあ、当然ね」
 私はそんな強がりを言ったけど、本当はとても嬉しかった。
 素直に感情を表に出せば、可愛いと思ってもらえるのに。
 私にはいつもそういう天の邪鬼なところがあって、自分でもそれは欠点なのだと自覚していた。
 
 もともと子供の頃から、私は他人と接するのがあまり得意な性格ではなかった。
 人に合えばいつも心の中を見透かされまいとして、不必要に身構えて本心を隠していた。
 魔道を志したのも、それならば家で一人でやれると思ったからだ。
 誰ともかかわらずに、一人で生きていける。
 そうすれば別に人付き合いに気を使わなくてもすむ。
 そう考えていた。
 ところが彼女たちとの偶然の出会いが、私を変えてしまった。
 自由で、奔放で、可能性に満ちあふれている少女達。人妖問わずに気軽に付き合う懐の深さ。
 彼女達の世界は、どうしようもなく私を魅きつけた。
 特に私にとって魔理沙の屈託のない笑顔はまぶしかった。
 彼女に近づきたいと思うようになった。
 縁あって同じ森に住むようになってからは、ますます彼女のことを意識するようになった。
 魔理沙や霊夢を通じて、他の人妖とも交流の機会があったが、やっぱり魔理沙に向ける感情は私の中でどこか特別だった。
 やがて自分の感情が友情ではなく、恋なのだと気づいたときに私は泣いた。
 私は決して手の届かないものに恋してしまっていたのだ。


 薬は結局のところ、まだ飲んでいなかった。
 決心がつかない。
 彼女のことを考えると、胸が痛くなる。
 あきらめきれないのだ。
 薬を飲めばもう苦しまなくてよくなることは分かっているけど。
 私はやっぱり、魔理沙への想いが、彼女を見つめるときに湧いてくるときめきが、どこかかけがえのないものであると思っていた。
 そう思いたかったのだ。

 動かない上海人形を抱え、重い体を引きずってソファに帰る。
 毛布を被り、仰向けになって顔の上に上海を掲げてみる。
 人形か。
 私、何で人形師になりたかったんだっけ?
 何で自律人形なんて作ろうと思ったんだろう。
 風邪で頭がもうろうとしているせいか、そんな大切なことまで忘れてしまった。

 きっと、自分の思い通りになるものが欲しかったのね。
 理想的に綺麗な人形達が、自由に世界を生きる。
 そんな光景を見たかった。造り出したかった。
 神様もきっと同じね。
 自分の思い通りになる世界が欲しかった。
 でも作ってみたら気に入らなくて、もっと良いものが欲しくなって。
 言うことをきかない子供たちが嫌になるの。
 我がままなものね。
 神様だって、手に入らないものを欲しがっているのに、どうして私のようなちっぽけな魔女が……自分の欲しいものを手に入れられるというの?

 ああ。
 魔理沙に会いたい。
 恋人としてじゃなくてもいい。
 普通に会って話がしたい。
 この間は言いすぎたって謝りたい。
 もういいじゃない。
 薬を飲んで、普通の女の子になって、普通に友達として付き合っていけばいいじゃない。
 でもそうやって諦めようとすればするほど、涙があふれてくる。
 熱にうなされながら、私の中で何度も何度も感情がめぐる。
 諦めようとして、諦めきれなくて。捨てようとして捨てきれなくて。
 彼女のことが恋しくて恋しくて、目の奥が滲んでくる。

「アリス―? いないのかー?」

 魔理沙!?
 玄関の方から声がした。聞き間違えないわ、確かに魔理沙の声。
「大工道具持ってきたぜー。家壊して悪かった。直すの一緒に手伝うぜ」

 私はカーディガンを羽織って玄関の方へ向かう。
 体が重い。めまいがした。でも、玄関のドアの向こうに魔理沙がいる。
 知らず知らず、私の胸が高鳴る。
 嬉しい。
 この間はひどいことを言ってしまったのに、彼女の方から来てくれた。
 やっぱり、魔理沙は私のことを気にかけてくれてたんだ。

 待って、でも……。

 今会ったら、私……。
 私は体が弱くなっているから、気持ちも弱くなっているのだ。
 彼女に会ったらきっと甘えるだろう。
 そして、言わなくてもよいことまで言ってしまうかもしれない。
「アリスー?」
 魔理沙がドアをノックする。
 魔理沙、あなたは何をノックしているかに気づいていないの…

 それは私の心も叩く。
 早く出てきて自分の感情にケリをつけろと。
「……いるわ」
「何だ、いるんじゃないか。早く開けてくれよー」
「ありがとう、でもちょっと今日は都合が悪いの」

 少しの間、沈黙があった。
 あまり良い言い方ではなかったかもしれない。
 気を悪くしたかも。

「……具合でも悪いのか? 声が変だぜ?」
 心配そうな声。
 そう、彼女は優しい時は本当に優しい。
 そういうところも好きになったのだ。
 でも、入ってこないで。
 あなたの顔を間近で見れば。
 私の中の、少女の部分が痛む。
 抑えきれない想いがあふれてくる。

 かちゃりと音がしてドアノブが回る。
 ?
 しまった! 鍵を掛けていなかった!
「お、開いてるじゃないか」
「ああ、魔理沙…だめよ、入ってこないで……」
 私は急いでドアを押さえつける。
「お、おい? 何で締め出そうとするんだよ?」
 入り込もうとしていた魔理沙の右足が挟まれた形になった。

「風邪でも引いたんだったら、見舞ってやってもいいぜ?」
「平気よ……それに、うつるかもしれないし…うぅごほっ、ごほっ」
「ほら、咳しているじゃないか。ちょうど良かった、私風邪に良く効く薬を知っているんだぜ? 森で採れたきのこを使って」
「会いたくないの!」


 風邪の熱でいらいらしていたこともあり、思わず叫んでしまった。

「アリス……?」
 ドアの隙間からのぞく魔理沙の顔が曇る。
 そんな、そんな顔。
 違うの、私はあなたを困らせたいわけじゃなくて、ただ、その、ただ。

 嬉しかった。とても嬉しかった。魔理沙が訪ねてきてくれたことが。
 でも私の口からは気持ちとは正反対の言葉ばかり出てくる。
 大好きな彼女のために何かしてあげたかった。
 彼女に笑って欲しかった。
 でも私のしていることと言えば。

 気がつかないうちに私の体から力が抜けていく。
 ドアが開いてしまった。

「ア…」

「アリス?」

 私は駆け出した。
 彼女と肩がぶつかる。
 逃げてどうなるというものでもないのに。
 一体私は何をやっているのだろう。
 とにかく、彼女の顔を見たら気持ちがどっと湧いてきて。
 いてもたってもいられなくなって。

 森の景色が流れていく。
 素足に石がめり込む。
 風邪の熱で意識がもうろうとするけれど、必死に走る。
 何から逃げているのかもわからずに、どこをどう歩いているのかもわからずに。

「アリス!」

 魔理沙が追いかけてきている。
 あいつったら空も飛ばずに、走って追いかけてくる。

「アリス! どこへ行くんだ!」

 私は逃げる。
 彼女の声から逃げる。
 なんで私は逃げてるの?
 ……だって想いは伝えたら壊れちゃうじゃない。
 今彼女と向かいあったら、抑えきれない想いが溢れてきて。
 きっと私は伝えてしまうわ。
 だから私は逃げる。
 この心の痛みから、向き合うことを恐れて。



 そうして私が逃げ込んだ場所は、
 ああ、どうしてここに来てしまうの?

 家から意外に近かったのだろうか。
 敷き詰められた花びらを踏みつけて歩いていく。
 あの日、彼女と再会した後、一人で彼女のことを想って泣いた場所。
 白百合の花びらがスカートの裾にひっかかって宙を舞う。
 巻き上げられた百合の花びらは風に吸い上げられて、またあの日のように。
 緩やかに空を下っていく。

「アリス!」

 花畑の入口に彼女が立っている。
 私を呼ぶ。

「アリス、ふらついてるじゃないか。いったい、どうしたんだ?」

 彼女が近づいてくる。
 すぐ私の後ろまで来ている。
 優しい心遣いの言葉の爪が食い込み、心がきしむ。

 振り返って、彼女の顔を見つめた。
 丘の上で二人だけになる。
 ゆっくりと彼女がこちらの方へ歩いてくる。

「病気なんだろ? 家に帰って休まないとダメだ」

 病気? そう。
 私は病気なの。

 目の前の黒帽子の少女を私は見つめる。
 黒いチョッキにスカート。
 清潔なシャツに可愛らしいエプロンスカート。
 透き通るような白い肌に、琥珀を溶かしこんだような瞳。
 きらきら輝く金髪をリボンで結んで。
 小さい手足で動く格好は、まるでお人形さんみたい。
 出会ったころとあまり変わらないけれど、それでも少し背が伸びたし、より綺麗に女の子らしくなった。

 うつむく。
 魔理沙が私の顔を覗きこもうとする。
「アリス?」


 また、また、また。
 彼女が近くに来て、心臓の鼓動が速くなって。
 その一瞬、いろいろなものが頭の中で巡って。


 ……。
 ……風邪の熱で頭がおかしくなっていたのだろうか。
 それとも元々狂っていたのだろうか……。
 私の中の、最後のドアが開く音がした。


 私は……
 ついに……





 彼女に伝えてしまった。

「私は魔理沙のことが好き。魔理沙を私だけのものにしたいの」


 ……。







 そう聞かされたら、最初はきょとんとして、次に。

 ほうら、驚いた顔。
 気持ち悪いって顔。

「あはは、ごめんね、迷惑掛けて……変なこと言っちゃって…」
 私は一人でしゃべる。
「気持ち悪いよね、こんなこと言われても。本当に私ってどうしようもない…」
 頭を手の平で押さえながら、髪をかきむしりながら。
 周りの世界がどうなっているかなんて、目が回ってわからなくて。
「本当に…本当に…私なんて…」
 くだらない自分に嫌気がさして。
 どうにでもなってしまえって気持ちになって。

「でも大丈夫だよ。私の病気を治してくれる薬をもらったの。これさえ飲めば、私の気持ち悪い感情もなくなるわ」

 私はとびっきりの笑顔を取りつくろって見せて、そう言う。
 ポケットから薬を取り出す。
 これさえ飲めば、私は魔理沙と友達のままでいられる。
 そう、ずっと友達で…友達……。

『気持ち悪い私は死んで、一度生まれ変わるのです』


 私は薬瓶のふたを開け、両手で持ち口に運んだ。
 液体が落ちてきて私の口に届こうとして……



 音だ。
 音があった。

 目の前を閃光が通り過ぎた。
 何が起こったのか一瞬わからなかった。
 気がつくと、私の手の中から薬瓶が消えていた。

 視線を横にやれば、白百合畑の中に落ちた薬瓶から中身がこぼれている。

 魔理沙が薬を飲もうとしていた私の右手を払ったのだ。
 

「そんな薬、飲むな」

「アリスは気持ち悪くなんかない」
 びっくりして彼女の顔を見つめる。
「私は、私は」
 魔理沙が何かを言おうとしている。何を?

「私はアリスが好きだ!」

 魔理沙が目をつぶりながら叫ぶ。
 ……。
 ……そう。

「嬉しいわ。でも、あなたの好きと私の」
「違う! お前と同じ意味で、その…好きなんだ!」
 ……。
 嘘……。
 だって、そんなことありえないわ。


 *



「私は、アリスのことが好きなんだ」
 そんなことがありえるのだろうか。

「ずっと、気になってたんだ……その……近くにいると胸がもやもやするし」

 好きな人が自分を好きだと言ってくれる確率は、どれくらいあるのだろう。
 世界の中で、どれくらい。
 私の場合はいったいどれくらい……
 お互いに、同じ悩みを抱えていたなんて、そんなことがありえるのだろうか。

「なあ、私を信じろよ!」

『ヨシュアがときの声をあげた時、不滅と言われていたイェリコの壁は瞬く間に崩れ去りました』
 魔理沙の声は確かに私の心の壁を砕いた。

「だって、だって魔理沙……」
 ぼろぼろと、泣き崩れる私の心。
 今まで抑え込んでいた思いが溢れ出してきて、私はぐちゃぐちゃになる。

「誰からも祝福してもらえないんだよ? 神様も許してくれないよ?」
「いい」
 強い言葉だった。
 彼女はいつも力強く美しく私の前に立っていた。
「魔理沙、魔理沙……! ……大好き……」

 私は両手を広げて飛び付いた。
 私は魔理沙を抱きしめる。
 彼女の心にしがみつく。
 体に触れて、体温が伝わってくる。

 花畑の中で抱き合いながら、ゆっくりとしゃがみこむ。
 彼女が私をなぐさめるように腰と肩に手を載せてきて。
 私はだんだんと泣きやんできて、彼女の顔を見つめる。
 お互いにお互いを見つめて、それでちょっとはにかんで恥ずかしくて視線をそらす。
 火照った頬が焼けるように熱い。

 彼女が欲しくて欲しくてたまらなくなった。
 今なら、今なら……。
 もしかしたら。

「ねえ、魔理沙……」
「うん?」
「キス……してみる?」

 断られるだろうか。
 ……どっちだろうか。
 どきどきして、心臓が破裂しそう。


 下目づかいに、魔理沙の照れた頬が紅く染まる。

「……うん」

 あわてないで、ゆっくりと。
 こういうのは最初が肝心。
 あせっているように見られないように……
 私ったら何を考えているの? せっかく魔理沙が私を受け入れてくれたのに。
 自分を良く見せる必要なんて、ないじゃない。
 小刻みに震える、彼女の唇。
 彼女も怖いんだ。
 私も……怖い……。
 彼女の鳶色の瞳を見つめる。 彼女の瞳の中に、私の像が映る。
 おでことおでこがぶつからないように気をつけて。
 そうやって、私は彼女と口を重ねて…


 白百合の咲く丘で、神様から呪われた魔女が二人、お互いの罪と罪を重ねる。
 彼女の紅くて薄いくちびるが、私のくちびると重なって……。

 手を握る。
 最初は触れ合うことを恐れて。やがて……。
 紅い糸で結ばれているみたいに、硬く、硬く。

『これは私たちの言葉、
 私たちだけの合言葉。
 この言葉がなくなる時、
 一つの願いが確かに死ぬのです』


「どう……かな?」
「…んん……なんか変な感じだ…」

 彼女はそう言ってちょっと困ったような表情を浮かべた。
 その姿が可愛くて、私はきっとまた一層頬を赤らめたと思う。



 そうしてその後、私たちは二人で歩いた。
 白百合の咲き乱れる丘の帰り路。
 手と手を取り合って。
 二人手をつないで行けば、きっとどんな場所へだって行ける。
 魔理沙だけ側にいてくれれば、それだけでいい。
 そう思った。
 白百合の花たちが私たちを結びつけてくれた。


 帰ったら、彼女に紅茶をごちそうしよう。
 そう言えば、私風邪引いてたんだった……
 夢中だったので忘れていた。
 うう、ちょっと気持ち悪くなってきちゃった。
 寒い格好で走ったりしたからかな……風邪が悪化したかも。
 でも、このまま二人で家に帰ったら……。
 もしかしたら、看病してくれたり……
 ご飯を食べさせてくれたり……
 お、お風呂とか…体を洗ってくれたりとか…ううううう。
 そ、そのまま一緒に暮らしたりなんかしちゃうかも。
 ああ、頭がぐるぐるする。
 風邪の熱で火照っているのか、惚気なのか分からなくなってきた。

 気がかりなことはいくつかある。
 例えば、彼女との種族の違いなんかは気になるけれど。
 でもそれは、もう私のことを好きって言ってくれたんだから、きっと彼女も私に付き合ってくれるかも。
 私が方法を教えてあげたら、種族として魔法使いになってくれるかもしれない。
 そしたらずっと二人で。
 永遠に近い年月を、ずっと二人で一緒に暮らしていけるんだ。
 考えるだけで、顔が綻んで、嬉しくて目の周りが熱くなってくる。

 私は道の途中で彼女とキスしたことを思い出してみた。
 私と彼女を確かに結びつけたあの一瞬を。
 体の一部と一部が繋がり合って、心を溶かして。
 唾と唾が絡み合って、かすかに甘い香りがして。
 風邪に舞う白い百合の花びらたちが、祝福するように周りを飾ってくれた。
 素敵だった。幸せだった。細かいところまで思い出せる。
 そうしたら暖かい感情があふれてきて……







 ……思い出す?


 何?

 私の中の、何かが告げている。
 それは、思い出しては、いけないと
 なぜ?

 何があるというの?

 ……
 ……。

 ……
 ……
 ……ああ。
 ……ああ。


 そんな、そんな。

 そうだというの?

 そんな……
 だとしたら……
 あまりにも……
 
 彼女の仕種。
 彼女のキス。
 彼女のやり方。
 目に映った、あの時の彼女の―
 それは、それは、あまりにも――






 私は手を離した。
 だらん、と手を下げる。

 私は……私は両手で顔を覆った。

「アリス?」

 彼女が不思議そうに私を見つめる。

『私の心が崩れます
 私の雫がこぼれます』

 どうして泣くんだ

 あなたの声が遠い。
 近くにいるのに遠くで響く。

 なあ泣かないでくれよ
 アリスには笑っていてほしいんだ

 あなたの声が近い。
 近くにいるのにその声は私に届かない。

 アリスが悲しそうにしていると、
 私も悲しくなるんだ

 あなたの心配そうな顔が、
 私を責めるのです
 あなたの優しさが、
 私を苛むのです
 
 どうして、どうして
 こんなにも嬉しいのに
 どうして、どうして
 こんなにも悲しいのですか
 涙があふれてくるのですか


 私は気づいてしまった、私は気づいてしまった。
 彼女と私の違いに。
 彼女の優しさに。
 自分の愚かさに。

 どうしてあなたは私じゃないの?
 どうして私はあなたじゃないの?

 ねえ、どうして――


 彼女は、彼女は、


 ―― 私に合わせてくれていただけだった。
 ―― 彼女はとても優しくて、誰よりも私を愛してくれていた。



 ―― 友達として。






 その時。

 私の頭に浮かぶ、一つの映像。
 もう一本の薬瓶。
 使わなかったもう一本の薬。
 恋の全てを変える悪魔の薬。
 蛇がイヴに食べさせた、心変わりの林檎。
 
 私の罪。私の罪は……
 それを……

 自分に使わなかったこと……









 ――私は立った。

「アリス……」
「ごめんなさい、何でもないの。ちょっと嬉しかったから。えへへ。嬉しすぎて、泣いちゃった」

 彼女の前で取り繕った笑顔をして見せる。
 舌を出して見せる。

「さあ、帰りましょう」
「アリス?」

 家に帰ったら。
 きっと私は彼女に熱い紅茶をふるまうだろう。
 いつかの楽しかったお茶会みたいに。
 差し出された紅茶を飲んで、彼女はこう言うかもしれない。

「変わった味だね」

 そうそれは。
 自らの望みのために自然をゆがめた魔女の犯した罪の味。
 だけど私はそれをするだろう。
 一度知ってしまった満ち足りた幸福の蜜の味。
 私はあの夢の魅力に抗うことができないだろう。
 幸せになるために、もう一度あの瞬間を取り戻すために。
 自分が幸せになるために、どれだけのものを犠牲にしてもいいのかと問われたなら。
 どれほどの努力をしてもいいのかと問われたなら。

『できる限り、世界の全てを注いででも』

 そう私は答えるはず。
 私が気付いたことは、私が魔女にしか過ぎないということだけだった。
 私の愛しい人。
 蓬莱の永遠と、幻想の魔力で編まれた薬が、あなたの心を変えるでしょう。
 

 人は運命という糸に縛られた人形でしかない。誰かがそんな風に言う。
 少なくとも、神様はそうしたかったのだ。
 自分たちの子供を、運命と言う名の揺り籠に繋ぎとめておきたかった。
 それならば、私は自分の運命を自分の思うように作り替えて欲しいと願った。
 愛しい人と結ばれるためなら、どんな罪に身を染めてもかまわないと思った。

 七色の糸で、私は私の愛する人を縛り付ける。
 コッペリアの柩が開いて、新しい自律人形がそこに加わる。

 その人形は彼女?
 それとも……私?
  










 Gin a body meet a body
 Comin thro' the liliy,
 Gin a body cheek a body,
 Need a body cry?

 Comin thro' the liliy, black hat,
 Comin thro' the liliy
 She draigl't a' her petticoatie,
 Comin thro' the liliy

 Catcher in the liliy



 白百合畑で出会ったなら
 きっとチークを交わすでしょう
 泣くことなんてないでしょう?

 白百合畑を通ってくる 黒帽子が見えたら
 きっとペティコートを引きずって
 白百合畑を通っていく

 白百合畑でつかまえて



■後書
 アリプロっていいですね。
 アリスは可愛いからこそ色々いじりたくなっちゃいます。

 URLはこのSSの挿絵です。
 自分の本業はいちおう文です。
 自分で挿絵描く物書きになりたいなっと、そんな胡蝶の夢。
乳脂固形分
http://www11.ocn.ne.jp/~liuxian/t001/Alice03.jpg
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コメント



0.1530簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
もう一つの使い道ってそういうことか…これはすごい、本当にすごい
2.100名前が無い程度の能力削除
あああぁぁ
マリアリ好きな私には刺激が強すぎるぞ!!

>コッペリアの柩が開いて、新しい自律人形がそこに加わる。
>アリプロっていいですね。
やっぱアリプロですか。コッペリアの柩でピンときました。
3.90名前が無い程度の能力削除
百合が苦手な私でも、これは楽しめた!
登場人物の感情が無理なく説明されているのがいい。
いつものあなた通り、爽やかで切ない部分も良かった。
5.100名前が無い程度の能力削除
二つ目の瓶の存在や、もう一つの使い方は大体察しがついていて、
途中まで「ああこのまま使わないで済むのかな」と思っていたのですが・・・
とても切ない、いい話でした。
アリプロはよくわからないのですが、
私は魔理沙は大変なものを~をイメージしました。
ギャグに使われることの多い歌ですが、アリスの秘めた思いが
なかなかに似てるんじゃないかと。

レイアウト等、非常に読みやすかったです。
7.90イスピン削除
甘く切ないいいお話でした。喩えるならば禁忌たる知識の果実の味なのでしょうか。

アリプロは私も好きです。最近では怪物王女のEDが気に入ってたり。
8.100名前が無い程度の能力削除
もう一つの使い道…。あまりにも切ないお話で、心が締め付けられるようでした。
12.100時空や空間を翔る程度の能力削除
神よ・・・・・・
罪深き2人の魔法使いに祝福の声を
与え給え・・・・・・・
14.100くぢら削除
読み終わった後にこんな切ない気持ちになるのは久方ぶりだ・・・

色々感想を綴りたい気持ちで一杯だが、言葉に出来ない。
代わりにこの点をこの作品に捧げる。
ただ最後に一言・・・・アリマリってやっぱ最高だね!!!
18.100名前が無い程度の能力削除
百合神様とお呼びしてよろしいでしょうか?
それは冗談ですが、百合というジャンルを超えた素晴しい作品でした。
23.100名前が無い程度の能力削除
まさか同姓愛に直に挑んだ作品が来るとは…。
悲恋だけど甘くて切なくて泣けてきて…ほんっとに感動しました!
26.90蝦蟇口咬平削除
二つ目についてうんうん考えてたけど、最後でこれってやっぱり・・・
くあー、アリプロのBGMききながらで最高です
27.100名前が無い程度の能力削除
これは…自分がアリスの立場で、禁忌の薬を手に入れていたらどうするか?なんて考えてしまいました。
魔法使いと人間は違うのだと思いたい。切なくて良いお話でした。
28.80deso削除
ん~百合百合です。ちょっと甘めちょっとビター。
アリスも切ないですが、魔理沙の優しさにも泣けます。
29.無評価名前が無い程度の能力削除
文章全体を通してとても読みやすかったです。

それにしてもなんという切ない話、泣ける(ノД`)・゚・
32.100Admiral削除
もう一つの使い道はかなり初めの方でわかっていましたが、使わずにすむのかなーと思っていました。
でもそれだと二つ薬を渡した伏線が弱くなるし…。
アリス( ´Д⊂

きれいだけど怖い、そんなお話しだと感じました。
45.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしかったです
46.100名前が無い程度の能力削除
うわ切ない……。
47.100名前が無い程度の能力削除
複線の張り方と、感情の描写が丁寧で、物語にぐんぐんと引き込まれました。
53.100絶望を司る程度の能力削除
これは……なんといえばいいんだろうか?
自らを歪めるのではなく相手を歪めて自分に惹かせる。非常に魔女らしい選択といえるでしょう。ただアリスがこの先、自責に駆られず幸せになれるかが気になります。歪んだハッピーエンドのように感じました。
面白かったです。