Coolier - 新生・東方創想話

白百合畑でつかまえて(前編)

2007/08/26 05:51:40
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 決して帰らぬ人の帰りをずっと待ちつづけて
 愛されている以上に何かを愛して
 そうして最後には愛するものを滅ぼしたくなる
 滅ぼしてしまえばもう傷つかなくてすむから

                       レイ・ブラドベリ





『虹から落とされた人形使いが堕ちたのは、白い百合の咲いている丘でした』


 辺りを見渡すと季節外れに満開の白百合畑が広がっていた。
 郷中雪で埋もれているというのに、この場所だけは土が顔を出しているのだ。
 咲いている花達にはかすかな魔力が漂っている。
 きっと魔法の森の瘴気が影響しているのだろう。
 この一帯だけ暖かくて冬の寒気を感じないのも、そのせいかもしれない。

「いたたた…」
 私はところどころ青あざのできた体を擦る。
 魔理沙との弾幕勝負に敗れた私は、魔法の森にほど近い丘の上に不時着していた。

「あいつめ、失礼しちゃうわ……ああ蓬莱、ごめんね…服がびりびり。上海も……倫敦…」
 自分の可愛い人形たちを確認してつぶやく。
 激しい攻撃にさらされていた人形たちは、私と同様にぼろぼろだった。
 衣服は所々破れているし、髪の毛も顔も煤だらけだ。
 幸いに、修復の仕様がないほど壊れているものは一体もなかったけど。

 ……少しは手加減してくれたのかしら?

「本当に私のこと忘れていたのかしら……それとも……。どっち?」


 空を見上げた。
 深い夜の奥には幾つもの星々が輝いていた。
 だけどそこには既に、箒に乗った魔女の姿はなかった。
 私を落としたあいつは、もうどこか遠くへ行ってしまった後だ。
 久しぶりの再会だと言うのに、皮肉と弾幕を投げ合っただけで、彼女は私の名前すら呼んでくれなかった。
 挨拶代りに魔法で奇襲してしまったのがいけなかったのかもしれない。

 しばらく立ちつくして、夜空を見上げていると、流れ星がいくつか横切って行った。
 私は無意識に、その星にどんな願いを託したらよいのかを考えた。

『彼女に出会ったその時から、私の運命はもう決まっていたのかもしれない』

 星がひとしきり降り終わった後、私は何をするでもなく視線を落とした。

「あ……」

 そうして周りの光景に気づき、驚かされた。

「きれい……」

 その時辺りには。

 魔法の力で撒き散らされた百合の花びらが、ひらひらと羽毛のように舞っていた。
 魔力を帯びた花びらは、淡い燐光を放っていて、蛍の灯のように白百合の畑を照らしていた。
 まるで澄み切った白い雪のように、黒い闇の中をゆっくりと舞い落ちていったのだ。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


~ 白百合畑でつかまえて ~

 * C a t c h e r  I n  T h e  L i l i y  W h i t e *






                            g i r l  m e e t s  g i r l



       
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




 誰かのものになりたかった。いつかそんな日が来ると信じていた。
 たった一人、一人だけでいい。
 運命で結ばれた相手が側にいてくれたら。
 それだけでずっと生きていけるのに。
 そんな少女みたいな気持ちになるのは、いつ以来だろう。
 私はぼうっと無数の星がまたたく冬の夜空を見つめ続けていた。
 その星空を見つめていれば、去っていった彼女の姿がまた見つけられるような気がして。

 ……
 ……
 ……



 ……。

 あれ? 星のいくつかが動いている……また流れ星かしら。だんだん大きくなって……
 大きく?

 近い!?

「ぎゃあああああ!!」

 そのあと、廃棄された星弾が私の頭上に降り注いだ。








 *


「それじゃあ、いくつか質問するわよ」
「はい、先生」
「実際に意識し始めたのはいつ?」
 
 清潔な診察室の中。
 丸椅子に腰掛けた永琳が私にそう話しかける。
 屋敷の中でも離れた一角にあるために、部屋の中は静かだ。

「たぶん、最初に出会ったときからです」
 
 私は思い出した。
 暗く歪んだ、魔力に満ちた空間で初めて彼女に会った時のこと。
 その時の私は今よりずいぶんと小さかった。

 私は彼女を一目見ただけで、胸を締め付けられるような感覚を覚えた。
 両腕に抱えた魔道書を強く握りしめて、その胸の痛みを抑えようとした。
 最初は子供心の好奇心から弾幕ごっこを始めてみたのだが、本当のところは、私は彼女と親しくなりたかったのだ。
 気に入った子にいたずらしてしまういじめっ子のような気持ちがあったのかもしれない。
 七色の魔法書を手に入れた自分だったら、簡単にねじふせられると思っていた。
 ちょっと痛めつけて私の力を見せつけてやろうと思った。
 そうすれば私の強さに恐れ入って、私に憧れるようになるかもしれない。
 同じ魔法使い同士だし、何なら子分にしてやってもいいかも。
 そんなふうに考えていたが、結果は全く違っていた。
 私の放つ魔法はことごとく破られて、私は彼女に完全に敗北した。
 悔しくて泣いた。
 それ以来、彼女のことが忘れられなくなった。
 その時は彼女のことがこんなにも気になるのは、勝負に負けた悔しさから来ている感情だと思っていた。
 いつかこの復讐をしてやる。目に物見せてやる。今度会う時は、私の前で膝をつかせてやるんだ。
 そういう気持ちで、彼女に再会したいのだと思っていた。
 だけどそれは違っていたのだ。


 私は永遠亭の薬師、八意永琳にある相談を持ちかけていた。
 内容は、私のとある性質について。
 ……こんなことを相談できるのは幻想郷の中でも彼女と……あともう一人ぐらいしかいない。
 永琳は薬師としての技術だけでなく、医学や精神的な面でのカウンセリングの知識も持っているという。
 医者には守秘義務があるから、患者のプライバシーは絶対に漏らさない。
 彼女は良くそう言っていたし、私はそれを信じた。
 医者という職業への信頼もあったし、何よりも長い年月を経て培ったと思われる、それらしさが私を安心させた。
 ……まあ以前私が胡蝶夢丸を購入した時は、なぜか郷中の噂になっていた気がするけれど。

 永琳は私の体をひとしきり、彼女の方法で調べた後、私にいくつか質問をしてきた。
 その中には、ちょっと乙女が口にはできないような内容も含まれていた。

 それが終わったあと、私は結果を待つように言われた。
 待ち合い室として案内された和室に、私は一人で座る。
 診察の結果が気になってそわそわした。

 しばらくして再度診察室の中に通された。

 清潔で整理された部屋の中、私と永琳の二人だけが座っている。
 永琳は私に顔を向けないで机の上のカルテをにらんだままだ。
 私はすぐに我慢できなくなって、目の前の椅子に座った永琳に思わず話しかける。
「あの…診察の結果は…」
 そう聞くと永琳はしばらく黙っていたが、やがてカルテを置き、私の方に向き直ってこう言った。
「結論から言うわ。あなたの性的嗜好は後天的なものではない。生まれつきのものよ」
 永琳は真剣な面持ちで私にそう伝えた。
「性的に男性と女性のどちらを理想像として抱くかは、母親の中にいる時…胎児期にほぼ決まってしまうものなの。
 あなたは本々女性に魅力を感じるように生まれてきた。
 精神的なものではないから、カウンセリングやセラピーではどうしようも無いわ」

 そう聞かされた直後は、しばらく言葉が出なかった。
 ショックだった。
 自分の性的な趣味が生まれる前に決まっていた。そう告げられたこともショックだったけれど。
 
「私はやっぱりレズビアンなんですか? その、科学的に」

 しばらく沈黙があった。
 永琳は、無言でうなずいただけだった。

 彼女が言うのだから、確かなのだろう。
 今まで行った診察の結果、科学的に私が同性愛者であるということが証明されたのだ。

 私が『彼女』に抱いている感情は友情以上のもの――

「でも治す方法がないわけではない」

 ……治す?

 そう、治す…私の感情は正常ではないのだから……。
 治療が必要。
 私から持ちかけたのだ。普通に、異性に惹かれるようになりたいと。
 胸の奥にわだかまっている、この熱い奈落のような気持ちを消してしまいたいと。

「これを見て」
 永琳がそう言って両手を顔の高さに掲げると、ぱっと中空に映像が浮かんだ。
 何らかの術を使ってやったのだろうが、見たこともない技だ。
 どうやってやったのか、さっぱりわからなかった。水晶玉も使っていないし、魔力の動きも感じなかった。
 いまさら驚きもしないが、この人は色々と私たち魔法使いには思いも及ばないような術を使うのだ。

 どこから映写されているのかもわからないが、とにかく診察室の真ん中にボール状の綺麗な画像が映った。
「蓬莱の薬のシステムを応用した新種の体質改善薬。そのモデリング画像よ。あなたのために調合する予定」
 映し出されている映像、これは血管の内部?
 その中を無数の微小な物体が駆け巡っていく。
 おそらくは体内に吸収された薬の成分の動きをあらわしているのだろう。
 永琳は指示棒を持って画像の一点を指し示した。説明をしてくれるつもりなのだろう。
「大脳新皮質に到達したナノディバイスは、似非コルチゾール結質ステロイド分解酵素を分泌しシナプス結線のうちの決定的な……」
「????」
「ああ、ごめんなさい。細かい説明をはぶくと、要するにあなたの性的嗜好をつかさどる脳内の部位を組み替えるの。
 ちゃんと男性に惹かれるように。飲んでから一週間もすれば、あなたは正常になるわ。性的な意味においては……」
 語尾を濁した。
 何か懸念があるのだろうか?
 永琳は画像を置いて、また再び私の正面に向き直る。
「でもね、アリス」
 私の目をじっと見つめてきた。しばしの間が入る。
「正常と言うのはどういうことかしら?」
 永琳はそう尋ねるように聞いてきた。
 質問の真意がつかめなかったので、私は聞き返した。
「……どういうことですか?」
「それは一つの尺度でしかないってことよ」
 どういうことだろうか。

「この薬を飲んだら、魔理沙を好きなアリスはいなくなるのよ」

 先生が告げた、彼女の名前。
 私にとっては、特別な名前。
 聞いただけで胸がきゅっと締め付けられる響き。
「もう一度よく考えてみて。異性に惹かれるようになったら、あなたはあなたでなくなる。
 それは一つの人格の死なのよ?」
「そんな……」
 そんなこと、言われたって。私だって、私だって。
「だって、すごくつらいんですよ? つらくて、つらくて、でも打ち明けることなんてできなくて……」
 あの子が好きで好きでたまらないのだ。
 必死で、必死でこみ上げてくる感情を抑えている。
 一緒にいたら……抱きしめたくて…自分のものにしてしまいたくてたまらないのに。
 この気持ちを伝えることができたら、どんなに楽になるか。
 でもそうしたら、そうしたら……きっと…私たちの関係は壊れてしまう。
 打ち明けたら、魔理沙はきっと私のことが嫌いになる。
 だって、女の子が女の子のことを好きになるなんて、おかしいもの。

「先生に私の気持ちがわかるんですか?」
 私は感情を露にして永琳に叫んだ。
 そういうのは私らしくない。それはわかっているけど。
「わからないわ」
 永琳はそう言って申し訳なさそうな顔を作った。
 正直な態度を見せてもらったせいか、私は幾分か落ち着いた。
 だけど、そういう表情は私の感情が世間一般からずれているということを、余計に再認識させた。
 彼女にはわからない。
 私にしかわからない。
 それが普通なのだ。
 彼女が普通で、私が異常。

「ウ……」
 まただ。
 あいつが襲ってきた。
 痛い。
 痛い。
 両手で頭の両端を押さえる。
 痛い痛い。ぎりぎりとした痛み。
 体が、心が、どうにかなってしまいそう。
 彼女のことを考えて、自分の感情がかなわない恋だと自覚すると、いつも頭が割れそうに痛くなる。


 そんな私の周りにゆっくりと両腕が添えられる。
「ア…」
 永琳が私を優しく抱きしめてくれた。
 彼女の胸に抱かれて、暖かい鼓動が聞こえる。
 豊かな胸はとっても居心地が良くて、気分が落ち着いてくる。

 私は彼女に抱かれたまま、永琳の顔を見上げた。
「先生はどうして私に優しくしてくれるんですか?」
 そう聞くと、永琳は優しい笑みを浮かべた。
「かなわない恋の昔話を聞いてみたい?」

 そんな風に言うから、私は首を振った。
 彼女にも触れられたくない過去があったのだろう。
 私はただ、彼女の優しさに抱かれているだけで安らいだ気持ちになれた。
 それは暖かい笑顔だったのだ。暖かい胸だった。
 ゆっくりと目をつぶって包まれていれば、昔の、何も心配せずにいられた子どもの頃を思い出すようで。
 まるでお母さんに抱かれているみたいだった。


 ひとしきり落ち着いたので、帰宅することにした。
 永琳が見送ってくれる。
 薬は数日でできるという。
 その間に、実際に使うかどうかも考えろと言った。

 私はどうしたいのだろうか。
 私は魔理沙に嫌われたくない。
 でも……
 仮に想いを伝えたとしても、魔理沙にはまず間違いなく拒絶されてしまうだろう。
 そうしたら私は、自分がいったいどうなってしまうのかがわからない。
 自分でも感情の歯止めが利かないのだ。
 どうするのが一番いいのだろうか。
 やっぱり、誰にも知られないうちにこの感情を消してしまった方が良いような気がするのだ。


 *


 アリスを見送った後、診察室のドアを開ける永琳。
 中には輝夜が待っていた。

「姫様……」
「聞いていたわ。それにしても、難儀な子ね」
「ええ」
「どうも彼女は、ある種の感情を抱いている気がするのだけど? なんというか……罪悪感?」
「私たちが外界で暮らしていた頃……そう平安時代は、性的にはだいぶ寛容でしたけど。
 ここ以外の国ではそうでもないんでしょう。
 彼女が抱いている感情は、彼女の由来に関係するのではないでしょうか。
 たしかキリスト教では、同性愛は禁忌とされているそうですし」
「それもおかしな話じゃない。確か魔女というのは……神様にそむいた存在なのではなかったかしら?
 魔女裁判なんてのもあったっていうしね。宗教的なタブーを今更気にするなんて」
「だからこそではないでしょうか」
「……つまりあなたが言いたいのは、魔女は信仰にそむいているからこそなおさら、さらに信仰を破ること、
 新しい罪を重ねることを恐れるということ? これ以上、神様に嫌われたくないと」
「そんなところかと。よくお解りで」
「堕天したのに、まだ神様への愛情を引きずっている堕天使みたいなものね。
 確かダンテの『神曲』だったかしら。天使の長ルシファーは神様にそむいたことを最初後悔して、
 許しを請おうかと思ったけれど、仲間の手前意固地になって主張を変えなかった。
 結局、悪魔なんてものは、父親である神様に注目してもらいたくて駄々をこねている子供と同じ」
「よくお知りですね」
「あなたがあんまり長い間私を閉じ込めておくものだから、この世の古典はほとんど読んじゃったわよ。
 しかしあの子、見ていて歯がゆいわねえ。全部ぶちまけてしまえばいいのに」
「簡単に言いますけどねえ」
「ここは幻想郷なんだから。『幻想郷は全てを受け入れる』でしょ?」
「まあ、私だったら同性から告白されても、考えないこともないかもしれませんがねえ」
「あら、あなたそっちの趣味があったっけ? そのわりには長年一緒に居るのに、私には言い寄ってこないけど」
「……。姫様がお求めとあれば、私はいつでもお仕えいたしますが……」
「……本気で言っているの?」
「……冗談です」
「そう。あまり、出来が良くないのね」
「申し訳ありません」
「…………それにしてもアリス、彼女は不憫な子ね」
「ええ。何とかしてあげたいのだけど」
「薬で治るんでしょ?」
「確かに治せます。治すと言っていいのかわかりませんが。ただ、果たしてそれがあの子の本当の望みなのでしょうか」
「本当の望みって。恋愛なんだから、お互いの気持ちあってでしょう? 相手の趣味はどうにもできないじゃない」
「……ええ、そうですね」

 輝夜はそれだけ言うと、会話に飽きたのか手を振って去って行った。
 永琳はその後ろ姿を見つめながら、そっと呟く。

「本当に……そうでしたね」


 *


 こんなに落ち込んだ気分になっているのは、なぜなのだろう。
 私は空をよたよたと飛んで帰宅する。
 ずっと考え事をしていたので、どうやって帰ったのかあまり覚えていなかった。
 私は自分の汚らしい感情を思い返していたのだ。
 私は彼女に対して淫らで邪まな気持ちになった自分を責めた。
 そうやって自分を責め続けるのは、きっと神様から呪われた魔女の罪なのかもしれない。

 家に入る。
 工房の机の上には、作りかけの人形の素体が散乱している。
 私の研究目的。自律人形を作るという研究は頓挫している。
 最近は特に研究に集中できていなかった。
 前はあんなに熱中していた魔法の人形作りも、今では手に付かない。

 そのまま工房を素通りし、二階に上がる。
 自分の寝室に入りベッドに倒れこむ。
 仰向けになり、白い天井を見つめてため息をついた。

 いつごろからだろう。
 こんなに思い悩むようになったのは。
 前はもっと普通に彼女と接することができたはずだ。
 そう、ごく普通に同じ年頃の女友達として。

 いつかの晩のことを思い出す。
 ああ、あの時は月が大きくて。
 妖しく輝いていた。
 目をつぶって記憶を探れば、夜を切る音が耳に聞こえてくる。
 風が後方へと追いやられていく。

 永夜の異変。
 明けない夜の物語。

 あの時、私は魔理沙と共に、あの子を誘って異変解決へと向かったのだ。

 光を放つ竹林の中で、私は彼女に話しかけた。
「どうしよう? 霊夢が追ってくる。意外に速いわ」
 きらきらと輝く三つ編みの金髪をたなびかせながら、白黒の魔女は箒の上から私に答える。
「アリスは頼りになるようで頼りにならないな」
 こんなことを言われるなんて。
 とは言っても、私が遅くて彼女の速さについていけていないのだ。
 彼女はさっきから私の速さに合わせてくれていた。
 私も自分の箒を持ってくればよかったと後悔した。
 私の愛用の箒は、最新型のマクスウェルの魔石式箒だ。
 あれならば、彼女の八卦推進器にもひけをとらない速度が出たはずだ。
 かさばると思って家に置いてきてしまったのが失敗だった。
「じゃあ、後ろに乗りなよ。その方が速いだろ?」
「え?」
 意外な申し出に、私はきょとんとした。
「どうした? 早くしな」
 彼女はそう言って、飛ぶ速度を落とし、私が乗り込みやすいようにしてくれた。
「う、うん……」
 おそるおそる、箒にまたがり、彼女の腰に手を回す。
 彼女の体に触れるのが怖かったけど、勇気を出して手を延ばす。
 たったその程度のことなにのに、心臓の鼓動が速くなった。
 つかんでみると、彼女の体はずいぶんと華奢だった。
 私よりも細見なんじゃないだろうか。
 同じ体だというのに。
 私は……なんというか、その……。

 ちょっとその欲情? してしまっているみたいだ。
 そんな気分をさとられないように、私は努めて彼女の前で平静を装おうとする。

「でも、二人乗りじゃスピードが出ないんじゃないかしら」
「二人で魔力を注ぎ合えば、速さも増すだろ?」
「う、うん」
 そう言われて、つい頭に”二人でやる共同作業”というフレーズが浮かんできてしまった。
 馬鹿じゃないだろうか、私。
 顔が赤くなったりしていないだろうか。
 彼女の側に寄り添えて、嬉しいけれど、とても緊張した。
「よし、じゃあ飛ばすぜ!」
 魔理沙がそう声をかける。
 魔法の箒はぐんと加速して、大量の風が前からやってくる。

 私達は竹林をかき分けて、星の海を暴走した。

 飛んでいる間、ゆっくりと彼女の背中に体重をあずけていく。
 とくん、とくんと自分の心臓が波打つ音が聞こえる。
 加速に応じて腰に回す腕の力が強くなる。
「なんか前より速くなってない?」
「おー、図書館で手に入れた魔術書で改良したのさ。
 セラエノより出でし知識の奔流に恋の雫をそえて。どうだい? 我ながらロマンチックだろ?」
「……ばか。意味わからないわよ。ちゃんと前見なさい」

 箒は光る柱の群れの中を真っすぐに進んでいく。
 私はうっとりとした気分で、行き交う光の残影に目を寄せる。 
 このまま二人で。
 このまま二人で光る竹の一つになってしまえたらいいのに。
 私はそう思った。
 竹林が闇を流れていく。
 風が二人の魔女を包み込む。
 やがて……大きな月が目の前に現れて……。
 ……
 ……





 ズシン。

 ?

 目を開ける。
 妙な音を聞いた気がしたので、夢から覚めた。
 体を起こし、ベッドの上で中腰になって部屋の中を見渡す。

 ズシン。

「ズシン?」

 な、なにこの音?
 ちょっと揺れたけど、地震じゃないわよね……。
 地震はもっと、ゆらゆらと続いて揺れるし。
 継続的に部屋が振動で揺れているのがわかるのだが、間が開いている。

「あーりーーーすーーー!!」

 この声は魔理沙!?
 窓の外からだ。
 現金なものだ。彼女の声が聞こえるなり胸が躍った。

 私は窓を開ける。
 魔法の箒で庭に降り立った魔理沙の姿が見えた。
 魔理沙は私を見上げると、箒を右手に両腕を上げて挨拶をする。
 そしてちょっとはにかんだ後、あっちあっちと魔法の森の一角を指さした。
 その方角を見てみる。
 森の木立が規則的に揺れている。
 そのたびに、ズン、ズンと鈍い音が響く。
 音はだんだんと近くなり、葉の揺れも大きくなる。
 なんだろう? 何か大きなものが近づいて来ているみたいだ。
 そっちの方角から、魔力がうごめいているのに気づく。
 妖怪にしてはちょっと変わった雰囲気がする。
 いったい何だろうか……強力な力を持った存在であることはわかるのだけれど。

 ズシン。
 また音が響いた。もうずいぶんと近い。
 そう思っていたら、森の一角、木が何本かめりめりとなぎ倒されて、私の家の敷地内に倒れる。
 木々を切り開いてやってきたもの。
 それは5、6メートルはあろうかという、金属の巨人だった。

「ちょっ!? なによ、そいつ!?」
「すごいだろー、秘封迷宮の門番、オリハルコンのゴーレムだ!」

 秘封迷宮? あの森の中心にあるダンジョンのことか。
 最深部にはレアアイテムがいっぱい埋もれていて、私も何度か探索に行ったことがあるのだが……

「すごいとかじゃないわよ! なんでこんなところまで連れてくるのよ!」
「ほら、いつかお前んちの裏庭に結界張ったじゃんか。あれで動きを封じようと思って」
 そういや魔理沙が勝手に私の家から魔法の触媒を持ちだして、作っていた結界があったっけ……
 強力な妖怪をやっつけるときのための、いざと言う時のための秘密兵器だ、とか言ってたけど。
 じゃあ自分の家に作れと何度も言ったが、けっきょくそのまま強引に私の家に作ってしまった。
 要するに、新種の術の実験をしたかっただけなのだろうが。
「んなこと言ったって」

 庭に突っ立っていた魔理沙を目がけて、ゴーレムの右腕が振り下ろされた。
「おっと」
 ドゴン。
 何て破壊力! 魔理沙はひらりとかわしたが、轟音と共に庭に大穴があいた。
 ああ、私が一生懸命ガーデニングした庭になんてことするの!?
 魔理沙がこっちの方に逃げてくる。
 ちょっ、私の家の方に逃げて来るな!

「ちぃっ!」
 側まで呼んでいた人形たちに合図する。

「もうしょうがない! いくわよっ! 上海、蓬莱、倫敦、西蔵、阿蘭陀、露西亜、ルーマニア!」
 このままでは、庭の景観が損なわれてしまう。
 魔理沙にまかせておいたら、被害が拡大するだけのような気がするわ。
 人形達を従え、二階の窓から飛び降り、颯爽と庭に降り立つ私。
 着地、決まった。
 我ながら今のは決まっていたわ。
「アリス、危ない!」
「え?」
 あれ? 目の前に影? 何か大きなものが……
「ふぎゃああああ!」
 土煙が舞い上がる。
 あぶねーーー、すんでのところで避けたられたが、当たっていたら大けがしていただろう。
 このー、もう許さないわよ!

 千人隊、戦陣パターンB!
 私は配下の人形たちを展開し、腕をひるがえして命令を下す。
 私を中心に、人形たちが円形の布陣を形作る。
 いつもどおりの動き、問題ない!

「弾幕展開! シューティングブリッツ!」

 懐からスペルカードを取り出す。

「グランギニョル座の怪人!」

 カードに込めた魔法の力を開放しながら、私は言い放つ。
 人形たちの陣形から一斉に苛烈な弾幕が放たれる。
 私は射線をゴーレムに集中するように、人形達に指示する。
 爆炎が連続して舞い上がり、それが晴れるころにはゴーレムは跡形もなく…って
「あれ?」
 煙が晴れてきたが、そこにあったのは……。

「って…はあ!? 無傷!?」
 傷一つ付いていない、石人形の姿。むしろ弾幕で磨かれたのか、さっきよりぴかぴかになっている。
 次の瞬間、間合いを詰めてきた石人形の一撃が私のすぐ側を通った!
「きゃっ!?」
 不意を突かれて、回避の動作が遅れた。
 私は目をつぶった……。


 どうなったのか。
「いつつ?」
 魔理沙が私の襟をつかんで引っ張ったらしい。
「大丈夫か? あいつは妙な術が施されていて魔法が効きにくいんだ」
「先に言いなさいよ!」
「ええー、だって言う暇なかったし」
 ぷくーと魔理沙はほっぺたを河豚のようにふくらませて私を見る。
 う……ふくれっつらも可愛い……。
 と、魔理沙に萌えてる場合じゃないわ。あいつを何とかしないと。

「なんか、とっても強力そうなんだけど? あんな奴、どうやって結界まで誘導するのよ?」
 ちょっとこいつは、大人しく結界まで追い込まれてくれるようなやわな奴じゃなさそう。
 良く観察したら、石人形の周りに幾重にも魔法の結界が張り巡らされているのがわかった。
 どうりで弾幕が通じにくいわけだ。
「まあ、ここはこの恋のマスター魔法使いさんにまかせときな!」
 っていうか、あんたが連れてきたんだから、あんたが相手をするのが当然でしょうが。
 私の目線の抗議を無視して、魔理沙はごそごそと懐を探り始めた。
「きのこのこのこ…」
 彼女が懐から取り出したブツ。それは……。
「じゃん!」
 まあ、いつもどおりの八卦炉だけど。
 でもこれなら、あの重厚な結界も破れるはず。
「……って、結局パワーでぶっ飛ばすつもりなんじゃない。結界トラップで動きを封じるとかなんとか言っといて」
「ちょっと考えが甘かったかもな。そうも言ってられなくなってきた。この際、動きを止めることを最優先で行こう」
 魔理沙は帽子を目深にかぶり直した。気合を入れたんだろうか。
 ゴーレムは地響きを上げながら私たちの方へ近づいてくる。
 動きはとろいんだけど、防御力と破壊力が尋常じゃないわ。
「それじゃアリス」
 呼びかけられたので、魔理沙の方を向く。
「久しぶりに、チームでやってみるかい?」
 人差指でつばをちょいっと上げながら、魔理沙がそう言う。
 はにかんだ笑顔が私にはまぶしく見えた。
「もう。ちゃんとやってよ?」
「おっけー、いくぜ! テイクオフ!」

 箒で垂直に飛び立つ魔理沙。
 それと同時に、ゴーレムの鉄拳が私達の立っていた位置を直撃した。
 私は軽く飛びあがってそれを避けた後、魔理沙の隣に飛んで背中合わせになる。

「何で迷宮なんて探ってたのよ?」
「まあ、毎年恒例のレアアイテム探索強化月間?」
「なら最初から誘いなさいよ!」
「まあまあ、ところでゴーレムの倒し方、知ってるか?」
「……額に書かれたEMETHの文字。その先頭の一文字、”E”を取り除けば、”METH”、
 つまり古代エジプト語で”死んだ”の意味になるわ……そうすればゴーレムは魔力が途絶えて動けなくなる」
「ご名答!」
「それぐらい魔術の基礎よ! でも、これほど強力な奴だったら自己修復機能が備えてあるかも」

 確かにこのゴーレムの額にはEMETHの五文字が書いてあった。
 その辺は普通の傀儡人形と大差ないのだろう。
 だけど強力な術者が作ったゴーレムの中には、額の文字を削って動きを止めても、
しばらくすると文字が復活してまた動き出すものがいるのだ。
 そういう奴は動けなくなるまで体を破壊するしか止める方法がない。

 !
 地上にいるゴーレムが魔法弾をはいてきた!
 こいつ、生意気に魔法まで使うのか……。
 私は弾幕を避けながら、作戦を考えることにした。

「魔理沙、隙を作ってくれたら、私が額の文字を削るわ。そのあと、あんたの”死んじゃえスパーク”でとどめをさして!」
「人のお気に入りのスペルを、そんな呼び方はないと思うんだ……」

 魔理沙は足を箒に回して、逆さにぶら下がり、腕を頭の上で組ながらぶつくさ言っていた。
 なんとなくやる気のなさそうなポーズだ。
 が、そのうち箒にちゃんとまたがりなおした後、空中からゴーレムに肉薄する。
「しょうがない、やってやるぜ!」
 そう言ってスプレッドスターを連続でばらまく。
 きらきらした爆風のきらめきがゴーレムの至近で何度も炸裂する。
 ちょっとした対地爆撃だ。
 それにしても……
 ほら、その直線的で荒削りな動き!
 私には魔理沙がどう動くかが手に取るように分かった。
 回避の動作が適当なのだ。速度にまかせているだけで、まっすぐにしか進まないから動きが読みやすい。
 案の定、ゴーレムの魔法弾の砲口が彼女の背を捉えようとする。
 私は彼女をフォローするために、ゴーレムが攻撃を開始する前に弾幕を放って牽制する。
 攻撃の予備動作に入っていたゴーレムに、私の弾幕が直撃する。
 結構いいダメージを与えたみたいだ。顔に罅が入った。

「へへっ、さすがだな」
「何がよ!?」
「私の動きをちゃんと見ていてくれて、ありがとねってさ!」
「……ば、ばか! は、はやくしなさいよっ!」

 もしかして……。
 今のは私がフォローを入れるとわかっていて、わざと隙を作っていたのかしら?
 結果として敵の油断を誘って、いいコンビネーションになっていたし……
 まさかね…。


「よーし、行くぜ! たたみかけるぜアースライトレイ! スターダストレヴァリエもだ!」

 つづけざまにスペルカード二連発。
 星弾と、熱線の群れが石人形の周りを焦がす。

「マスターイナヅマキック!!」
 スターダストレヴァリエの効果の切れ目、最後に魔理沙が入れた蹴りによってゴーレムが完全に態勢を崩す。
 今だ!
 私は先ほどから仕掛けていた糸のトラップを発動させた。
 森の樫の木を支柱として、ゴーレムの四肢を縛りつけて動きを止める。
 敵はそれを振りほどこうともがくが、こちらの力の方が強いので、間もなく完全に身動きが取れなくなった。
「簡単には切れないわよ。人形を操るための魔力がこもった鋼線だから」
 そして額がガラ空きになった。

「でやっ!」

 飛びあがった私の、魔法のナイフの一閃。
 私はゴーレムの額の文字を一文字だけ削り取った。
 一撃で”EMETH(真理)”が”METH(死)”に変わる。
 我ながら美しく決まったわね。

「よし、とどめだ! いっくぜえ! マスタアアア、スパアアーク!!」
 黒白の魔女の中心に魔力が練り込まれていく。
 膨大な量の光が、収束していき一点を焦がす。
 ゴーレムの体の中心に命中し、その巨体が圧力によって宙を舞う。
 え? ゴーレムが…ってそっちは私の家!

「あああああ!!」
「あり?」

 とてつもない轟音が響いて大地が揺れたかと思ったら、後の祭り。
 吹っ飛ばされた石人形の巨体が、私の家を直撃した。

「わ、わたしの家がーーー!」

 マスタースパークの余波と巨体の衝撃によって瓦礫が舞い散っている。
 
 後に残ったのは、罅が入り大穴が開いた私の家の半分と、ばらばらになったゴーレムの破片。
 私が縛りつけた二本の樫の木が、ひっぱられて根本から引っこ抜け、遅れて半壊した家の屋根に突き刺ささりとどめを指す。
 その一撃で弱った家の壊れた部分は完全に崩れ落ちた。
 つい今まで住んでいた家の無残な姿。
 私はお目目をぱちくりさせて、開いた口がひよこのようにふさがらない。

「あらー……」
「な、な、何考えてんのよ!? なんでわざわざ私の家の方角に向けて撃つのよ!」
「いやー、夢中だったからさ」
 能天気な声!
 いくら魔理沙と言えど、むかむかして、怒りがあふれてくる。
 こっちは、あんたのことであんなにも心を痛めていたって言うのに。
「ばか、ばか! なにすんのよ、もう!」
「いやー、わざとじゃないし……」
「とんま! 黒白! 甲斐性なし! きのこ狂い! 破壊魔! 厄病神!」
「そ、そこまで言うことないだろ! 私はお…」
「お、何よ!?」
 思いつく限りの罵詈雑言を並べてしまったが、私もだいぶ腹が立っていたのだ。
 魔理沙が壊した部分は、ちょうど私の寝室と一階の貯蔵庫の部分で、そこには大事なマジックアイテムが山ほど保管してあったのだ。

「いや、その、さー…」
「…信じられない! 今日からどこで寝ろっていうのよ!」
「大丈夫、大丈夫、全部壊れたわけじゃないから……」
「!!!」
「あら……地雷踏んだ?」
「帰れ!!」

 人形を一体ひっつかんで、魔理沙に投げつけた。
 もう頭の中がぐちゃぐちゃだ。
 壊れた家を見て、落ち込んで思わず涙ぐんでしまった。
 こんなの……ちょっとやそっとじゃ直せないわよ……。
 魔理沙は何か言いたそうにしていたが、私が怒ってそっぽを向いていたので、しばらくして箒で飛び立った。

 私は崩れた部分に歩いて行って、瓦礫を整理する。
 まだ壊れていないものを探すのだが、ほとんど絶望的だ。
 作りかけの人形の素体もばらばらだった。
 研究は大幅に遅れたどころか、数年前の時点に巻き戻しだ。
 私は脱力してその場にへたりこむ。
 しばらく一人でうなだれていたが、やがてちょっと思いついたことがあった。

「それにしても何であんな化け物をここまでおびき寄せてきたのかしら?」

 私はしぶしぶ、ゴーレムの破片を片付ける。
 破片に書いてある魔法の呪文に目がとまる。
「ソロモン王時代の術式か…ずいぶん古い」
 読み解いてみて、私はとあることに気づいた。
「この術式…自律して動くための……まさか……私の研究に役立てようと?」

 それは古代の呪法だった。まだ魔法が普通に日常に根ざしていた時代の。
 ああいうガーディアンというのは魔力の供給源が迷宮の中に設置されているから、通常守るべき迷宮を離れると長い間は活動できない。
 忘れていたが、あのゴーレムは守るべき場所を大分離れていてもちゃんと動いていた。
 つまり、あの人形は完全に自律して動いていたのだ。

 *


 魔理沙はあれから尋ねてこない。
 といっても、まだ三日しか経っていないが。
 気が気じゃなかった。
 ちょっと言いすぎたかもしれない。彼女は私のために、あのゴーレムを見つけて連れてきてくれたのに。
 実際のところ、研究の役に立つかどうかは微妙だったけれど、気持ちはとても嬉しかった。
 彼女も私のことを考えていてくれたんだ。
 私は自分のことだけしか考えていなかったのに。自分のことだけで精一杯だったのに。
 彼女に対する恋心をどうしようか、それだけで頭が一杯で。
 どうしてあげたら彼女が喜ぶか、そんなことを考えたことは一度もなかった。
 わがままで身勝手な自分が恥ずかしくなった。

 でもそれだけに、つらかった。
 彼女の気持ちは、彼女の優しさは友情。私の気持ちとは違う……

 そうだ、今日は永琳のところに薬を受取りに行く日だった。
 思い出した私は、昼過ぎに永遠亭へと向かった。
「待っていたわよ」
「あの、薬は……」
「できてるわよ。ちょっと説明があるから、診察室に来て」

 診察室に入ると、永琳は棚から木の箱を一つ取り出して机の上に置いた。
 中には瓶が二本入っていた。これが例の薬。

「これは一回使うと後戻りができないの」
「えっ!?」
「これは脳の中身を組み替えるのだけれど……アリス、あなたは体はまだ半分は人間なの」
 意外な言葉。
 確かに私はまだ魔法使いとして必要な術を全て会得したわけではないけれど。
「完全に妖怪か…もしくは私たちみたいな蓬莱人だったらよかったんだけど。
 この薬はあなたの脳にかなりの負担をかけるわ。たぶん、耐えられるのは一回限り。
 それ以上だと、廃人になってしまうかもしれない」
「というと、一回飲んだらそれで固定されてしまうんですか……」
「そういうことね。この薬は性的嗜好を反転させるの。
 男性を理想とする人は女性に、女性を理想とする人は男性に惹かれるようになるわ。
 つまりあなたの場合、一回飲んだら男性を理想像に抱くようになって、あとはもう元に戻せないわ。
 だから、使うかどうかは良く考えて」
 飲めば私は男性に惹かれるようになり、魔理沙への熱情は消えてなくなるだろう。
 だけど、そうなってしまえば、アリスはかつてのアリスではなくなる。
 魔理沙に恋い焦がれている私が、今の私なのだ。

 薬の入った箱を受け取った。
 二本入っているのはどういうことだろうか。一度しか使わないはずなのに。
「もう一本は予備よ」
 私が聞くと、永琳はそう答えた。
「それから、これは限定品なの。残念だけど、必要な材料がなくなってしまったのでもう一度作ることはできないからね。
 全部あなたに渡しておくわ」
 今回の機会を逃したら、後はもうどうにもできないと言うわけか。



 *

 帰りしなに、魔理沙の家を訪ねてみた。
 ドアをノックしてみるが、返事が無い。
 窓から中を覗いて見る。
 部屋の中には物が密集していて良く見えないが、灯りみたいなものは付いていない。
 人気が無い。留守みたいだ。
 魔理沙はどこにいるんだろう。
 彼女の行きそうな所と言えば……博麗神社あたりかしら。
 魔理沙はよく霊夢のところに遊びに行くから、もしかしたら神社にいるのかもしれない。

 空を飛んで、神社を目指す。
 途中、頬に冷たいものが当たる。
 大変、雨が降って来ちゃった。
 神社で雨宿りさせてもらおうかしら。

 私は神社の境内にある、林の中に降り立つ。
 そこから神社の建物が見えた。
 縁側には魔理沙と霊夢が座っていた。
 私はとっさに木陰に隠れて、その様子を覗き見る。
 雨足がだんだんと強まってくる。
 雨垂れを前にして、魔理沙と霊夢は二人で並んで座ってお茶を飲んでいる。
 楽しそう。
 笑い声。魔理沙が何か言って、霊夢を笑わせたらしい。
 仲、良いのね……
 私の入る場所なんかないぐらい……
「当然よね…あんなひどいこと言ったんだもんね……私のことなんか忘れちゃいたいよね……」

 もう随分と天気が荒れていて、雨が木の梢を通りぬけて私の頭上から落ちてくる。
 顔を雫が流れていく。いろんなものを流していく。
 馬鹿みたい。
 魔理沙と霊夢は、ただ友達として仲良くしているだけなのに。
 私は二人に嫉妬している。
 魔理沙と仲良くしている霊夢に嫉妬している。
 きっと魔理沙は私よりも、霊夢のところをたくさん訪れているに違いない。
 魔理沙は私よりも、霊夢の事が好き。
 勝手にそんな想像をして胸を痛める。
 大粒の雨が服にまとわりつく。
 割れそうになるほどにきりきりと襲ってくる頭痛を抱えて、暗い空を飛んで、濡れながら家に帰る。

 馬鹿みたい。



  *


 透き間なく生い茂る竹林の中にある永遠亭。
 ここでは雨雲で空が隠れてしまうと、ほとんど陽の光が届かない。
 夜のように暗くなった渡り廊下を歩いてくる永琳を、輝夜が呼び止めた。

「アリスに薬を渡したのね」
「ええ」
「あなた、気づいているんでしょう? その薬、もう一つ別の使い道があることに」
「姫様はお気づきでしたか」
「……あの子はそれをするかしら?」
「どうでしょうか。どちらにしろ……決断するのはあの子ですわ。私には口を挟めません」
「私が聞きたいのは……あなたが、あの子にどうして欲しいと思っているかなんだけど」
「と言いますと?」
「あなたは、あの子に自分を重ねているんじゃないの?」
「……」
「私が地上に追放された経緯を忘れたわけじゃないわよね? あなた、月で私に言ったわよね。
『この薬を飲んで、私と共に永遠を生きてくれませんか?』」
「……ええ。確かに、そう言いましたよ。あなたが欲しかったから」
「業が深いのね、永琳。あなたは悪魔の弟子を作ろうとしているのかしら。罪作りな」
「彼女はやっと門の入口にたどり着いた程度ですわ。悪魔なら自分の望みにもっと率直になるべきです。
 それに、罪とおっしゃられましたか? 確か、あなたは前にこう言ってなかったかしら?
 『幻想郷は全てを受け入れる』
 愛する者ととこしえに共にいたいと願う気持ちの、どこが罪なのかしら」
「……それで私は一生籠の鳥?」
「かまいませんわよ。幻想郷の中にいらしてくれるのでしたら、ここを出て行っても。
 もう結婚の邪魔だってしません。
 妹紅でも里の男でも何でも、好きなものを愛でられるといい、籠の中のお姫様。
 ただ、あなたがどこにいようと誰を愛そうと、私はあなたを今までと同様に愛してあげるだけですから。
 私はあなたの全てを愛しているのです。永遠に変わらないあなたも、人に触れて変わっていくあなたも。
 例えあなたの心が私を向いていなくても、私の気持ちは変わらないのです」
「……」

 屋敷の外では、先ほどより荒れだした空から大粒の雨が降りしきっている。
 輝夜は去って行った永琳を見送って、ただ一人永遠亭の長廊下に立ちつくしていた。

「あなたはわかっていないわ、永琳。幻想郷は全てを受け入れる、確かにその通り。だけどそれは」

「……受け入れたもの全てに、平等に試練を与えるということなのよ。
 ――永遠に続く許容の中で、腐り落ちてしまわないでいられるかどうか」

 聞かせる相手もおらず、一人で輝夜はそう呟く。
「人間らしくいるとは、けっきょくそう言うことでしょう? アリスは……あの子はまだ蓬莱人ではないのだから」

 林で雷鳴が轟き、何本かの竹が焼けて折れる。
 稲光が暗い永遠亭の廊下を一瞬だけ照らし出した。
 闇の中で輝夜の眼は満月のように妖光を放っている。

 雨はすべてを洗い流すかの如く、延々と降り続いていた。










後編へ続きます。
タグを使って、文字サイズ・レイアウト等変えています。
これで見やすいでしょうか。御意見募集いたします。お願いします。


※二番目の名前が無い程度の能力様
そういえばそんなテキストをどこかで見たような気も、と思ったら三月精でしたか。
さしあたりこの話については「図書館」で問題無いので修正しておきました。
ご指摘ありがとうございました。
乳脂固形分
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コメント



0.1080簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
文字読みやすいです。最初はバグかと思ったけどw
アリスの悩む気持ちが真剣で、逃げないところに魅力を感じました。
6.100時空や空間を翔る程度の能力削除
続きに行って来ます。
9.無評価名前が無い程度の能力削除
よく間違える人が多いですが、パチュリーの図書館は「ヴワル図書館」じゃないですよ。

とりあえず続きにwktk
17.100名前が削除
輝夜いいなぁ。
24.100名前が無い程度の能力削除
アリス・・・幸せになって欲しいな
26.100名前が無い程度の能力削除
続きが気になるのでさっさと後半に行ってきます!