さらさらと風が流れている。
柔らかな日の光が、包み込むように辺りを照らしている。
暑くも無く、寒くも無く、どこかに出掛けるには絶好の日和だろう。
そんな陽気の中、一人の娘が小高い丘に立っていた。
年の頃は15~16才程だろうか。
薄い紅ともピンク色とも見えるワンピースを着て、大きな日傘を差してる。
服の端から伸びたスラリとした足、細く弱弱しい印象を与える腕に、その年頃の娘特有の僅かに脹らんだ胸。
そして、白磁器を思わせる程白く透き通った肌。
幼さを残しながらも、可憐さと優雅さを含んだ整った顔立ち。僅かな風に揺られている青の銀髪。
まるで人形の様・・・・・・そう嘆息する者も居るだろう。
華奢で・・・・・・抱きしめたら壊れてしまいそうで・・・・・・見る者に溜息を吐かせるほどの儚さ。
二つの点を除けば、誰しもがそんな感想を抱く。
だが、そのたった二つの点だけで上記の感想は全て覆される。
先ず、背中から生えている漆黒の羽。
蝙蝠の様なその黒羽は、無限の禍々しさと恐怖を撒き散らしているようだ。
そして、血のように紅く、毒々しいまでの輝きを放つその双眸。
透き通るまでの白い肌もあってか、その紅はどこまでも深く、赤黒い。
彼女を見た者は、おそらくこう言うだろう―――――――悪魔と・・・・・・
彼女の名はレミリア・スカーレット。
夜の王、スカーレットデビルなどの異名を持つ吸血鬼・・・・・・
数多の妖怪、怪物、魑魅魍魎が蠢く幻想郷においても、最強の部類に属する真の化け物。
そんな娘が、小高い丘の上に立っている。
目の前には小さな墓が一つ。
その墓へ、微笑みながら彼女は語りかけた。
「ようやく、会いに来れたわ・・・・・・咲夜」
【紅魔館メイド長 十六夜 咲夜 ここに眠る】
墓には、そう刻まれていた。
十六夜 咲夜―――紅魔館のメイド長にして、瀟洒な従者。
人間でありながら時を操り、人間でありながら吸血鬼の従者となった、悪魔の狗。
完全、冷徹、瀟洒―――だけど、どこまでも優しく、どこまでも自他に厳しい・・・
そんな、どこか人間らしく、そして、どこか人間らしくない女性。
そんな彼女の墓を見つめながら、レミリアはゆっくりと言葉を紡いでいく。
「あなたが居なくなって300年・・・・・・ようやく、気持ちの整理がついたわ。
まさか、自分がここまで女々しいとは思わなかった・・・
あなたもそう思わない?」
くすくすと笑いながら、語りかけるレミリア。
長年連れ添った友のように・・・・・・長年連れ添った夫婦のように・・・・・・
「あなたが居なくなってから50年位経った後かしらね、霊夢が死んだのは
その時も泣いた・・・けどね、不思議なのよ。
あなたが居なくなった時の方が何倍も悲しかった・・・何倍も苦しかった。
あれだけ大好きだった霊夢なのに、不思議よね。
あなたが居なくなって、霊夢が居なくなって、皆変わったわ・・・
一番変わったのはフラン・・・力の使い方を覚えて、狂気も消え去って、もうちゃんとした子になった。
あの子ったら、こう言うの『咲夜も霊夢も死んじゃった・・・だから私が咲夜と霊夢の代わりに頑張る!!』てね。
今はパチェのところで勉強してるわ・・・飲み込みがすごく早い、ってパチェも驚いてる。
他には魔理沙ね、儀式を行って本当の魔女になった・・・相変わらず、図書館の本を強奪していってるみたいだけどね」
再び、くすりと笑う。
そして、またゆっくりと話始める。
「あと変わったのは、あのワーハクタクよ。
あの子、本格的にハクタクの血に目覚めたみたいね、年を取らなくなったわ・・・力も強くなった。
まあ、変わらずに人間達を守ってるみたいだけど。
・・・・・・そういえば、私も大分変わったわね。
魔力も増えて、流水の上も渡れるようになって、日の光もある程度なら平気になって・・・
・・・・・・体も、成長したわ。
あなたが居なくなって、暫らくしたら成長を始めた。
パチェが言うには、精神と魔力が成長したから、それにつれて肉体が成長したらしいわ。
そんなこと言われても自分じゃ分からないのよ、精神的に成長しただなんて・・・」
そこで、レミリアは言葉を止める。
しばしの無言。
何かを考えているかのように、思い出すかのように黙っている。
しばらく経って、ようやく、その口が開かれた。
「・・・・・・不思議ね、あれだけ変わった変わったって思っていたのに、そんなに変わってない・・・
美鈴は相変わらず寝ながら門番やってるし、パチェも、フランの教師をやってはいるけど、変わらずに本の虫
魔理沙は本を盗んでいくし、永遠亭の連中も相変わらず・・・そういえば、ウドンゲとかいうのが、魔改造されたー!って騒いでたわ
アリスは変わらず魔理沙とつるんでるようね・・・
そうそうアリスとは紅茶仲間になったのよ!
この前、淹れ方を教えてもらったわ・・・・・・けど駄目ね、咲夜はおろかアリスが淹れたものにも敵わないんだもん。
ちなみに、あのスキマ妖怪も変わってないわ
何時の間にか現われて、色々掻き回していって、何時の間にか消えて・・・本当に厄介極まりない
他の妖精や妖怪も相変わらず、騒いでばかり」
やれやれといった感じで溜息をつく。
そんな騒がしい妖怪、妖精達も、霊夢が死んだ時には、涙を流したり、盗った物返せ!と血涙しながら訴えていたりした。
彼らなりの手向けの言葉であろう。
そう、レミリアは解釈していた。
事実、本気で悲しんでいる者も少なくなかったから・・・
ちなみに、その霊夢といえば、未だに転生もせず、地獄にも行かず、白玉楼で自堕落な生活を送って、庭師を悩ましている。
結局、昔から変わったことなんて無い。
好き勝手生きてきた魔女達は、変わらずに好き勝手生きてる。
殺りあっていた蓬莱人達は変わらずに殺りあってる。
騒がしかった連中は変わらずに騒がしい。
一度は居なくなった霊夢も、何だかんだで冥界に居座っているから、行こうと思えば会いに行ける。
結局は、何も変わっていないのだ―――――たった一人が、居なくなったことを除いて・・・
そんなことを考えながら、再び墓に目を向けるレミリア。
それから、様々なことが話していった。
彼女が新しく知り合った者達ついてや、咲夜が居なくなった後に起こった様々な出来事。
今の紅魔館のことや、メイド達の様子についても・・・
「咲夜が居なくなった初めは大変だった。役に立つのがほとんど居ないんだもの。
でも、その内、段々と統制が取れてきて・・・皆で咲夜さんの代わりになるんだー!って言い出して。
今ではもう、咲夜が居なくてもサボるのは居ないのよ。
あなたが居た時よりも皆、良く働いてる・・・・・・
そうそう、今のメイド長だけど、ミリスにやらせてるわ。あなたが色々と面倒を見ていた子よ
ただ、あの泣き癖が直らなくってね、ちょっとしたミスですぐ涙ぐむのよ。
あれが無ければ良いメイド長になれるのに・・・・・・まあ、そこが可愛いから許すのだけどね」
くすくすとまた笑った。
そしてまた、300年の間に起こった出来事を事細かく、楽しそうに話していく。
新しい博麗の巫女がやって来たとか、フランにバストで負けたとか、レティがふとましくなったとか・・・
楽しそうに話をしているその様子は、年頃の可愛らしい娘とどこも変わらない。
* * * *
どのくらいの時間、この場所に居たのだろう。
私は、語りたいことを全て語り終えてしまって、さっきから口を閉ざして黙っていた。
此処に来た時には真上にあった太陽も、今はもう大分傾いてきている。
沈黙
沈黙
沈黙・・・
もう、帰ろうか・・・
幾度かそう思った。
しかし、300年もの間、会いに来なかったのだ。
もう少し、ここで咲夜に話をしてあげたい・・・
でも、そろそろ帰らないと皆が心配する。
もう少し、咲夜と一緒にいたい・・・
でも、これ以上館を留守にはできない。
「黙って抜け出してきたのは不味かったわね」
一人、ぼやく。
その時、背後からガサガサと音がした。
枝葉を揺らす音・・・誰かが来たのだろうか。
こんな辺鄙な場所にいったい誰が?
音のした方向に顔を向ける。
「あれぇ!?お嬢様!!」
耳に飛び込んだのは素っ頓狂な声。
目に入ってきたのは、緑の帽子と紅い髪。
そこに居たのは紅魔館門番 紅美鈴。
「どうしてこんな所に?ていうか、館では大騒ぎですよ!
お嬢様が消えたーって
ミリスさんが半泣きでしたよ?」
相変わらずの元気な声、能天気な口調。
「あなたは変わらないわね・・・」
「へ?」
「何でもない。それより悪かったわね、行き先も告げないで出掛けちゃって」
「いえ、それよりもいつ出られたのですか?門はきちんと警備してたのに・・・・・・」
「私がいつも門から出ると思ったら大間違いよ。霧にも蝙蝠にも成れるのだから」
美鈴の不思議そうな顔に、意地の悪い笑みで返す。
「それより美鈴、どうしてこんな所へ?私を探しに来たわけでもないでしょう?」
「ええと、まあ、そうです。お墓参りですよ。お嬢様もそうなんですよね?」
「どうかしらね・・・」
「素直じゃないですねぇ、最近のお嬢様、咲夜さんに似てきましたよ」
グングニル投げつけてやろうかしら・・・・・・
そんなことを考えていると、美鈴が隣にやって来て、墓に手を合わせている。
そんな様子を眺めながら、ふと思ったことを聞いてみた。
「いつも此処に来てるの?」
「いえ、週に一~二回です。毎日は流石に無理ですし・・・
それに、毎日来ると咲夜さん怒りそうですから
毎日来る暇があるなら働け!って」
「確かに、もう少し働いて欲しいわね・・・給料減らせば頑張ってくれるかしら?」
「そんなあ!咲夜さんみたいなこと言わないで下さいよぉ!」
「あら、私は咲夜に似てるんだもの、仕方ないわね」
「あうぅ・・・」
おろおろとする門番を眺めながら、もう一度、咲夜の墓を見つめる。
そこそこ忙しい美鈴でさえ、足しげく通っている・・・
他のメイド達も何だかんだで来ているらしい。
パチェやフランも何度か此処には来ている。
・・・・・・私だけ、か
「ねえ、美鈴・・・」
隣でおろつく門番に声を掛け、尋ねる。
「私は・・・薄情者かしら?」
「・・・・・・」
「あなたも、他のメイドも、パチェやフランでさえ何度も咲夜に会いに来てるわ
それに比べて、私は今日が始めて・・・・・・会いに来る暇なんて、幾らでもあったのにね」
「それは、お嬢様が心の整理ができなかったからで・・・」
そうやって、自分を誤魔化してた
「そう思ってたわ
だけどね、とっくの昔に整理なんかついてたのよ
ああ、もう咲夜は居ないんだ・・・これからは咲夜が居なくてもやっていかなきゃいけないんだって・・・・・・
それなのに、今まで私は会いに来なかった」
そういえば、その時から体が成長し始めたんだっけ
「でも、今日来たじゃないですか」
300年も間を空けたのに
「ええ、でもね、もっと早く来ることも出来たわ」
なんでもっと早く来ようしなかったんだろう?
「薄情かどうかに、早さなんて関係ないです
ついでに、お墓参りの回数も重要じゃないと思います」
「そうかしら?」
「はいっ!」
やけに自信のある返事・・・
「それじゃあ、いったい何が重要なのかしら?」
一拍、呼吸をおいて、美鈴が言った。
「忘れないことですよ」
その言葉は、どこまでも響くようで、どこまでも駆けてゆくようで・・・
「忘れないこと?」
「そうです!死んだ人を、居なくなった人を忘れないことが一番大切なんです!
・・・・・・お嬢様は、咲夜さんを忘れてしまいましたか?」
「そんな事、出来るわけないじゃない・・・・・・
咲夜の顔も、声も、仕草の一つとっても忘れることなんて出来るわけない。
咲夜が淹れてくれた紅茶も、咲夜が綺麗にした部屋も、咲夜の笑った顔も・・・・・・いつまで経っても忘れるはずがない!」
力強く、己に言い聞かせるように言い放つ。
泣き出しそうになるのを、堪えるように・・・
ああ、だけど・・・止まらない、止められない――――咲夜の事が、咲夜と過ごしたことが、どんどん、どんどん溢れてくる。
初めて会った時のこと。料理を運んできてくれたこと。起こしに来て、服を着せてくれたこと。二人で色々な所を見て回ったこと・・・・・・
頬を涙が伝う感触。
いつの間にか、目から涙が溢れ出している。
止まらない、止められない・・・・・・咲夜との思い出と同じように。
ぼろぼろと涙を零す私を見て、美鈴は諭す様に言った。
「ほら、忘れてないじゃないですか。
この世で、一番悲しいのは忘れ去られることです、誰にも知られなくなることです。
お墓参りは、死んだ人を忘れないようにするための儀式みたいなものなんですよ。
私は、忘れっぽい性質なんで、頻繁に来ないと繋ぎ止めておけれないんです。咲夜さんの仕草や、声を・・・・・・
勿論、咲夜さんを忘れるなんてことはありませんよ?
でも、ふとした時の仕草だとか、こんな時にどんな声だったかとか、そういうところまではどうしても憶えていられないんですよね。
・・・・・・だから、薄情なのは私の方です。幾つか、忘れてしまったこともありますし」
普段通りの、明るく朗らかな声。
だけど、悲しさと儚さを含んだ声。
美鈴は言葉を続ける。
「でも、お嬢様は、咲夜さんのことを一番良く憶えてらっしゃるはずです。
紅魔館・・・・・・いえ、幻想郷の中で一番憶えていらっしゃいます。そして、想っていらっしゃいます。
300年たった今でも、咲夜さんを強く、強く想い続けています。
そんな方が薄情なわけないじゃないですか」
笑っている。
昔から、紅魔館の門番になった時から変わらない笑顔。
苦しみ、悲しみ、悩み・・・・・・そんなものを包み込んでくれるような、母親みたいな笑顔。
私は 泣いていた
美鈴の前で、従者の前で・・・・・・
紅魔館の主でもなく、夜の王としてでもなく、ただのレミリア・スカーレットとして泣いていた。
紅魔館の主は泣いたりしない、夜の王は泣きはしない。
甘えない 嘆かない 悲しまない
それが私のあるべき姿・・・・・・
最強の吸血鬼、レミリア・スカーレットのあるべき姿
だけど、ここに居るのは、ただ泣いてるだけの小さな小さな女の子
咲夜を、従者を、部下を、仲間を・・・・・・大切な友達を亡くした、ただの女の子
私は、その場で泣き続けた。
風が、私の傍を駆けていった。
* * * *
しばらく泣いた後、ようやく落ち着いたところで私達は帰ることにした。
もう、太陽は沈みかけている。
赤い光が、辺りを照らしていた。
と、美鈴の頭に、何かがくっ付いているのに気付く。
「美鈴、頭に何か付いてるわよ」
「へ?あ、え?」
美鈴が手に取ると、それは銀色に輝いていた。
へぇ~、と間の抜けた声がする。
「珍しいですねえ、銀色の葉っぱですよ」
斜陽が差しているにもかかわらず、その葉は鈍い光を放っている。
ナイフのように・・・・・・咲夜の銀髪のように
「あ、お嬢様の胸にも付いてますね、少々失礼します」
美鈴が手を伸ばし取り除く。
彼女の手の中で、二枚の葉は輝いていた。
「ナイフみたいね」
何となしに私が言った。
美鈴が、なるほどといった面立ちで葉を眺める。
「確かに。細長いし、銀色だし、鋭いし・・・・・・ナイフみたいですね」
「ひょっとしたら、咲夜が投げたのかもね、美鈴しっかり働きなさい!って
ほら、いつもナイフが刺さってたところに付いてたじゃない」
「そんなぁ!止めて下さいよぉ~!咲夜さんのアレ、いまだに思い出すだけで体が震えるんですからぁ!」
情けない声でワーワー言う美鈴。
まったく、微笑ましいというかなんというか。
そんな頼りない門番を眺めながら、ふと思う。
それじゃあ、私に付いてたあの葉はどういう意味?
「・・・・・・ずっと私がついております、かしら?
それとも、もっとしっかりなさって下さい、ってとこ?」
どちらも、咲夜が言いそうな言葉だ。
瀟洒で、完璧で、主である私にも率直に意見してくる理想の従者――――何者にも代え難い友人。
「死んでもまだ、世話したりないのかしら?」
「?―――どうかなさいました?」
私の科白に美鈴が不思議そうな顔をしていた。
「何でもないわ・・・美鈴、帰るわよ」
「あ、はい!」
美鈴の声が辺りに響いた。
手にある葉が輝いている
ナイフのように、咲夜の髪のように・・・
銀色の光を発しながら・・・
咲夜の墓に背を向け、歩き出す。
いってらっしゃいませ
風が、私の傍を駆けていった。
咲夜の声が、聞こえたような気がした。
柔らかな日の光が、包み込むように辺りを照らしている。
暑くも無く、寒くも無く、どこかに出掛けるには絶好の日和だろう。
そんな陽気の中、一人の娘が小高い丘に立っていた。
年の頃は15~16才程だろうか。
薄い紅ともピンク色とも見えるワンピースを着て、大きな日傘を差してる。
服の端から伸びたスラリとした足、細く弱弱しい印象を与える腕に、その年頃の娘特有の僅かに脹らんだ胸。
そして、白磁器を思わせる程白く透き通った肌。
幼さを残しながらも、可憐さと優雅さを含んだ整った顔立ち。僅かな風に揺られている青の銀髪。
まるで人形の様・・・・・・そう嘆息する者も居るだろう。
華奢で・・・・・・抱きしめたら壊れてしまいそうで・・・・・・見る者に溜息を吐かせるほどの儚さ。
二つの点を除けば、誰しもがそんな感想を抱く。
だが、そのたった二つの点だけで上記の感想は全て覆される。
先ず、背中から生えている漆黒の羽。
蝙蝠の様なその黒羽は、無限の禍々しさと恐怖を撒き散らしているようだ。
そして、血のように紅く、毒々しいまでの輝きを放つその双眸。
透き通るまでの白い肌もあってか、その紅はどこまでも深く、赤黒い。
彼女を見た者は、おそらくこう言うだろう―――――――悪魔と・・・・・・
彼女の名はレミリア・スカーレット。
夜の王、スカーレットデビルなどの異名を持つ吸血鬼・・・・・・
数多の妖怪、怪物、魑魅魍魎が蠢く幻想郷においても、最強の部類に属する真の化け物。
そんな娘が、小高い丘の上に立っている。
目の前には小さな墓が一つ。
その墓へ、微笑みながら彼女は語りかけた。
「ようやく、会いに来れたわ・・・・・・咲夜」
【紅魔館メイド長 十六夜 咲夜 ここに眠る】
墓には、そう刻まれていた。
十六夜 咲夜―――紅魔館のメイド長にして、瀟洒な従者。
人間でありながら時を操り、人間でありながら吸血鬼の従者となった、悪魔の狗。
完全、冷徹、瀟洒―――だけど、どこまでも優しく、どこまでも自他に厳しい・・・
そんな、どこか人間らしく、そして、どこか人間らしくない女性。
そんな彼女の墓を見つめながら、レミリアはゆっくりと言葉を紡いでいく。
「あなたが居なくなって300年・・・・・・ようやく、気持ちの整理がついたわ。
まさか、自分がここまで女々しいとは思わなかった・・・
あなたもそう思わない?」
くすくすと笑いながら、語りかけるレミリア。
長年連れ添った友のように・・・・・・長年連れ添った夫婦のように・・・・・・
「あなたが居なくなってから50年位経った後かしらね、霊夢が死んだのは
その時も泣いた・・・けどね、不思議なのよ。
あなたが居なくなった時の方が何倍も悲しかった・・・何倍も苦しかった。
あれだけ大好きだった霊夢なのに、不思議よね。
あなたが居なくなって、霊夢が居なくなって、皆変わったわ・・・
一番変わったのはフラン・・・力の使い方を覚えて、狂気も消え去って、もうちゃんとした子になった。
あの子ったら、こう言うの『咲夜も霊夢も死んじゃった・・・だから私が咲夜と霊夢の代わりに頑張る!!』てね。
今はパチェのところで勉強してるわ・・・飲み込みがすごく早い、ってパチェも驚いてる。
他には魔理沙ね、儀式を行って本当の魔女になった・・・相変わらず、図書館の本を強奪していってるみたいだけどね」
再び、くすりと笑う。
そして、またゆっくりと話始める。
「あと変わったのは、あのワーハクタクよ。
あの子、本格的にハクタクの血に目覚めたみたいね、年を取らなくなったわ・・・力も強くなった。
まあ、変わらずに人間達を守ってるみたいだけど。
・・・・・・そういえば、私も大分変わったわね。
魔力も増えて、流水の上も渡れるようになって、日の光もある程度なら平気になって・・・
・・・・・・体も、成長したわ。
あなたが居なくなって、暫らくしたら成長を始めた。
パチェが言うには、精神と魔力が成長したから、それにつれて肉体が成長したらしいわ。
そんなこと言われても自分じゃ分からないのよ、精神的に成長しただなんて・・・」
そこで、レミリアは言葉を止める。
しばしの無言。
何かを考えているかのように、思い出すかのように黙っている。
しばらく経って、ようやく、その口が開かれた。
「・・・・・・不思議ね、あれだけ変わった変わったって思っていたのに、そんなに変わってない・・・
美鈴は相変わらず寝ながら門番やってるし、パチェも、フランの教師をやってはいるけど、変わらずに本の虫
魔理沙は本を盗んでいくし、永遠亭の連中も相変わらず・・・そういえば、ウドンゲとかいうのが、魔改造されたー!って騒いでたわ
アリスは変わらず魔理沙とつるんでるようね・・・
そうそうアリスとは紅茶仲間になったのよ!
この前、淹れ方を教えてもらったわ・・・・・・けど駄目ね、咲夜はおろかアリスが淹れたものにも敵わないんだもん。
ちなみに、あのスキマ妖怪も変わってないわ
何時の間にか現われて、色々掻き回していって、何時の間にか消えて・・・本当に厄介極まりない
他の妖精や妖怪も相変わらず、騒いでばかり」
やれやれといった感じで溜息をつく。
そんな騒がしい妖怪、妖精達も、霊夢が死んだ時には、涙を流したり、盗った物返せ!と血涙しながら訴えていたりした。
彼らなりの手向けの言葉であろう。
そう、レミリアは解釈していた。
事実、本気で悲しんでいる者も少なくなかったから・・・
ちなみに、その霊夢といえば、未だに転生もせず、地獄にも行かず、白玉楼で自堕落な生活を送って、庭師を悩ましている。
結局、昔から変わったことなんて無い。
好き勝手生きてきた魔女達は、変わらずに好き勝手生きてる。
殺りあっていた蓬莱人達は変わらずに殺りあってる。
騒がしかった連中は変わらずに騒がしい。
一度は居なくなった霊夢も、何だかんだで冥界に居座っているから、行こうと思えば会いに行ける。
結局は、何も変わっていないのだ―――――たった一人が、居なくなったことを除いて・・・
そんなことを考えながら、再び墓に目を向けるレミリア。
それから、様々なことが話していった。
彼女が新しく知り合った者達ついてや、咲夜が居なくなった後に起こった様々な出来事。
今の紅魔館のことや、メイド達の様子についても・・・
「咲夜が居なくなった初めは大変だった。役に立つのがほとんど居ないんだもの。
でも、その内、段々と統制が取れてきて・・・皆で咲夜さんの代わりになるんだー!って言い出して。
今ではもう、咲夜が居なくてもサボるのは居ないのよ。
あなたが居た時よりも皆、良く働いてる・・・・・・
そうそう、今のメイド長だけど、ミリスにやらせてるわ。あなたが色々と面倒を見ていた子よ
ただ、あの泣き癖が直らなくってね、ちょっとしたミスですぐ涙ぐむのよ。
あれが無ければ良いメイド長になれるのに・・・・・・まあ、そこが可愛いから許すのだけどね」
くすくすとまた笑った。
そしてまた、300年の間に起こった出来事を事細かく、楽しそうに話していく。
新しい博麗の巫女がやって来たとか、フランにバストで負けたとか、レティがふとましくなったとか・・・
楽しそうに話をしているその様子は、年頃の可愛らしい娘とどこも変わらない。
* * * *
どのくらいの時間、この場所に居たのだろう。
私は、語りたいことを全て語り終えてしまって、さっきから口を閉ざして黙っていた。
此処に来た時には真上にあった太陽も、今はもう大分傾いてきている。
沈黙
沈黙
沈黙・・・
もう、帰ろうか・・・
幾度かそう思った。
しかし、300年もの間、会いに来なかったのだ。
もう少し、ここで咲夜に話をしてあげたい・・・
でも、そろそろ帰らないと皆が心配する。
もう少し、咲夜と一緒にいたい・・・
でも、これ以上館を留守にはできない。
「黙って抜け出してきたのは不味かったわね」
一人、ぼやく。
その時、背後からガサガサと音がした。
枝葉を揺らす音・・・誰かが来たのだろうか。
こんな辺鄙な場所にいったい誰が?
音のした方向に顔を向ける。
「あれぇ!?お嬢様!!」
耳に飛び込んだのは素っ頓狂な声。
目に入ってきたのは、緑の帽子と紅い髪。
そこに居たのは紅魔館門番 紅美鈴。
「どうしてこんな所に?ていうか、館では大騒ぎですよ!
お嬢様が消えたーって
ミリスさんが半泣きでしたよ?」
相変わらずの元気な声、能天気な口調。
「あなたは変わらないわね・・・」
「へ?」
「何でもない。それより悪かったわね、行き先も告げないで出掛けちゃって」
「いえ、それよりもいつ出られたのですか?門はきちんと警備してたのに・・・・・・」
「私がいつも門から出ると思ったら大間違いよ。霧にも蝙蝠にも成れるのだから」
美鈴の不思議そうな顔に、意地の悪い笑みで返す。
「それより美鈴、どうしてこんな所へ?私を探しに来たわけでもないでしょう?」
「ええと、まあ、そうです。お墓参りですよ。お嬢様もそうなんですよね?」
「どうかしらね・・・」
「素直じゃないですねぇ、最近のお嬢様、咲夜さんに似てきましたよ」
グングニル投げつけてやろうかしら・・・・・・
そんなことを考えていると、美鈴が隣にやって来て、墓に手を合わせている。
そんな様子を眺めながら、ふと思ったことを聞いてみた。
「いつも此処に来てるの?」
「いえ、週に一~二回です。毎日は流石に無理ですし・・・
それに、毎日来ると咲夜さん怒りそうですから
毎日来る暇があるなら働け!って」
「確かに、もう少し働いて欲しいわね・・・給料減らせば頑張ってくれるかしら?」
「そんなあ!咲夜さんみたいなこと言わないで下さいよぉ!」
「あら、私は咲夜に似てるんだもの、仕方ないわね」
「あうぅ・・・」
おろおろとする門番を眺めながら、もう一度、咲夜の墓を見つめる。
そこそこ忙しい美鈴でさえ、足しげく通っている・・・
他のメイド達も何だかんだで来ているらしい。
パチェやフランも何度か此処には来ている。
・・・・・・私だけ、か
「ねえ、美鈴・・・」
隣でおろつく門番に声を掛け、尋ねる。
「私は・・・薄情者かしら?」
「・・・・・・」
「あなたも、他のメイドも、パチェやフランでさえ何度も咲夜に会いに来てるわ
それに比べて、私は今日が始めて・・・・・・会いに来る暇なんて、幾らでもあったのにね」
「それは、お嬢様が心の整理ができなかったからで・・・」
そうやって、自分を誤魔化してた
「そう思ってたわ
だけどね、とっくの昔に整理なんかついてたのよ
ああ、もう咲夜は居ないんだ・・・これからは咲夜が居なくてもやっていかなきゃいけないんだって・・・・・・
それなのに、今まで私は会いに来なかった」
そういえば、その時から体が成長し始めたんだっけ
「でも、今日来たじゃないですか」
300年も間を空けたのに
「ええ、でもね、もっと早く来ることも出来たわ」
なんでもっと早く来ようしなかったんだろう?
「薄情かどうかに、早さなんて関係ないです
ついでに、お墓参りの回数も重要じゃないと思います」
「そうかしら?」
「はいっ!」
やけに自信のある返事・・・
「それじゃあ、いったい何が重要なのかしら?」
一拍、呼吸をおいて、美鈴が言った。
「忘れないことですよ」
その言葉は、どこまでも響くようで、どこまでも駆けてゆくようで・・・
「忘れないこと?」
「そうです!死んだ人を、居なくなった人を忘れないことが一番大切なんです!
・・・・・・お嬢様は、咲夜さんを忘れてしまいましたか?」
「そんな事、出来るわけないじゃない・・・・・・
咲夜の顔も、声も、仕草の一つとっても忘れることなんて出来るわけない。
咲夜が淹れてくれた紅茶も、咲夜が綺麗にした部屋も、咲夜の笑った顔も・・・・・・いつまで経っても忘れるはずがない!」
力強く、己に言い聞かせるように言い放つ。
泣き出しそうになるのを、堪えるように・・・
ああ、だけど・・・止まらない、止められない――――咲夜の事が、咲夜と過ごしたことが、どんどん、どんどん溢れてくる。
初めて会った時のこと。料理を運んできてくれたこと。起こしに来て、服を着せてくれたこと。二人で色々な所を見て回ったこと・・・・・・
頬を涙が伝う感触。
いつの間にか、目から涙が溢れ出している。
止まらない、止められない・・・・・・咲夜との思い出と同じように。
ぼろぼろと涙を零す私を見て、美鈴は諭す様に言った。
「ほら、忘れてないじゃないですか。
この世で、一番悲しいのは忘れ去られることです、誰にも知られなくなることです。
お墓参りは、死んだ人を忘れないようにするための儀式みたいなものなんですよ。
私は、忘れっぽい性質なんで、頻繁に来ないと繋ぎ止めておけれないんです。咲夜さんの仕草や、声を・・・・・・
勿論、咲夜さんを忘れるなんてことはありませんよ?
でも、ふとした時の仕草だとか、こんな時にどんな声だったかとか、そういうところまではどうしても憶えていられないんですよね。
・・・・・・だから、薄情なのは私の方です。幾つか、忘れてしまったこともありますし」
普段通りの、明るく朗らかな声。
だけど、悲しさと儚さを含んだ声。
美鈴は言葉を続ける。
「でも、お嬢様は、咲夜さんのことを一番良く憶えてらっしゃるはずです。
紅魔館・・・・・・いえ、幻想郷の中で一番憶えていらっしゃいます。そして、想っていらっしゃいます。
300年たった今でも、咲夜さんを強く、強く想い続けています。
そんな方が薄情なわけないじゃないですか」
笑っている。
昔から、紅魔館の門番になった時から変わらない笑顔。
苦しみ、悲しみ、悩み・・・・・・そんなものを包み込んでくれるような、母親みたいな笑顔。
私は 泣いていた
美鈴の前で、従者の前で・・・・・・
紅魔館の主でもなく、夜の王としてでもなく、ただのレミリア・スカーレットとして泣いていた。
紅魔館の主は泣いたりしない、夜の王は泣きはしない。
甘えない 嘆かない 悲しまない
それが私のあるべき姿・・・・・・
最強の吸血鬼、レミリア・スカーレットのあるべき姿
だけど、ここに居るのは、ただ泣いてるだけの小さな小さな女の子
咲夜を、従者を、部下を、仲間を・・・・・・大切な友達を亡くした、ただの女の子
私は、その場で泣き続けた。
風が、私の傍を駆けていった。
* * * *
しばらく泣いた後、ようやく落ち着いたところで私達は帰ることにした。
もう、太陽は沈みかけている。
赤い光が、辺りを照らしていた。
と、美鈴の頭に、何かがくっ付いているのに気付く。
「美鈴、頭に何か付いてるわよ」
「へ?あ、え?」
美鈴が手に取ると、それは銀色に輝いていた。
へぇ~、と間の抜けた声がする。
「珍しいですねえ、銀色の葉っぱですよ」
斜陽が差しているにもかかわらず、その葉は鈍い光を放っている。
ナイフのように・・・・・・咲夜の銀髪のように
「あ、お嬢様の胸にも付いてますね、少々失礼します」
美鈴が手を伸ばし取り除く。
彼女の手の中で、二枚の葉は輝いていた。
「ナイフみたいね」
何となしに私が言った。
美鈴が、なるほどといった面立ちで葉を眺める。
「確かに。細長いし、銀色だし、鋭いし・・・・・・ナイフみたいですね」
「ひょっとしたら、咲夜が投げたのかもね、美鈴しっかり働きなさい!って
ほら、いつもナイフが刺さってたところに付いてたじゃない」
「そんなぁ!止めて下さいよぉ~!咲夜さんのアレ、いまだに思い出すだけで体が震えるんですからぁ!」
情けない声でワーワー言う美鈴。
まったく、微笑ましいというかなんというか。
そんな頼りない門番を眺めながら、ふと思う。
それじゃあ、私に付いてたあの葉はどういう意味?
「・・・・・・ずっと私がついております、かしら?
それとも、もっとしっかりなさって下さい、ってとこ?」
どちらも、咲夜が言いそうな言葉だ。
瀟洒で、完璧で、主である私にも率直に意見してくる理想の従者――――何者にも代え難い友人。
「死んでもまだ、世話したりないのかしら?」
「?―――どうかなさいました?」
私の科白に美鈴が不思議そうな顔をしていた。
「何でもないわ・・・美鈴、帰るわよ」
「あ、はい!」
美鈴の声が辺りに響いた。
手にある葉が輝いている
ナイフのように、咲夜の髪のように・・・
銀色の光を発しながら・・・
咲夜の墓に背を向け、歩き出す。
いってらっしゃいませ
風が、私の傍を駆けていった。
咲夜の声が、聞こえたような気がした。
ご指摘のあった部分を修正しました。
特に霊夢。(笑)
咲夜死去SSはかなりの数を読んで来たのですが、その中でもレミリアの精神的葛藤が密に書かれていて、分かりやすく読みやすかったです。
改めて読み直してみると、まだまだ粗が目立つ作品ですが気に入って頂いた様で満足です。
ちなみに霊夢の設定ですが、あの腋巫女の事だからやることやって死んだら、ひたすらグダグダに過ごすんだろうなぁと思います。
うん、どこまでもフリーダム。
では、次回はより良い作品が出来るように、頑張ってまいりますので、生温い眼で見守ってくださいませ。