*オリキャラの設定を使っております。
あと物語の都合上、オリキャラと既存のキャラとの絡みが多分に含まれます。
そういったものが受け付けない方はお戻りを。
私は吸血鬼。名前はセキ。生まれながらに闇の眷属として、夜の支配者の一員として生を受けた者。
もう幾百年もの時間を過ごしてきた。だが、見た目は街を行く十代の少女達と何ら変わらない。
わかりやすい違いは大きな蝙蝠の翼と、大きく鋭い犬歯。そして太陽の光を浴び、木の杭を打ち込まれれば灰になるということ。
私の目的はこの世界から自分を含めて、吸血鬼を全て消滅させてしまうこと。
吸血鬼である私を受け入れてくれた、異性の愛人を吸血鬼に殺されてしまったから。
その人だけでない。吸血鬼を受け入れようという考えの人々まで、わざわざ殺しにいった同属が恨めしいから。
大切な人々を殺していった吸血鬼という存在が憎い。この世の吸血鬼を全滅させて、自分も灰になってやる。
そうすれば、もう吸血鬼に悲しむ人はいなくなる。だから私は同族を殺して回った。
次の目標は吸血鬼の中でも悪名高い、レミリア・スカーレット。
聞くところによれば、自分を殺しにきた吸血鬼殺しの人間を従わせているという。
なんと我侭か。その人間がかわいそうで仕方が無い。
レミリアは吸血鬼として身体能力が高いだけでなく、周りの者を数奇な運命に導く能力があるという噂。
しかし意外なことに、レミリアは吸血行為による同属作りが苦手という情報を得た。人間の従者も、まだ吸血鬼にされていない可能性がある。
できるだけ急いでレミリア・スカーレットを滅してしまい、その人間を救いたい。
私はレミリアがいる場所をつきとめた。日本の幻想郷という所で、紅い館に住んでいるという。
それから、私は日本へ飛んだ。今なお神話や信仰の建築物が多く残る京都へ。
幻想郷へは博麗神社が管理する大結界で、現世と切り離されていると人から聞いた。
ならば、それらしい寺や神社を訪問して歩いていけばいつか博麗神社に辿りつき、境界を越えられるのではないか。
大雑把であるが、そう考えた私は町中を歩きまわった。
太陽が顔を出している下でも動けるよう、日傘を差して。
吸血鬼がいると騒がれるのは面倒なので、自分の翼が見えないように魔法をかけておいて。
幾つかの宗教的な意味のある建物を巡っていくうち、とある山奥にある小さな神社を目指して歩くことに。
山に入り、景色は木々の生い茂る林へ。さらに深くなり、森へ。
人間が歩きやすいように用意された木組の階段は徐々に崩れはじめ、道は険しくなっていく。
柵などというものは最早なく、道の先には獣が通った跡さえ無くなって来た。
霧が出始め、引き返す道さえわからなくなった。迷ったのだろうか。
辺りに違和感がする。人がいる気配ではなく、妖精や妖怪の類が放つ気配。
もしやと期待する。寺院を周ってきたが、こんな空気を感じたことがない。
やはりと確信した。この先には、妖かしの者がいる。はたまた、結界を越えて幻想郷に繋がっているに違いないと。
森を抜けると、そこには大きな湖が広がっていた。
湖の近くに見えるは、紅く窓の少ない大きな館。吸血鬼一匹とその従者だけが住んでいるとは思えないほど大きな建物。
この館こそ、あのレミリア・スカーレットの居城に違いない。
私は真っ直ぐ、館の入り口を目指した。
わざわざ夜を待つよりも、眠っているであろう今を狙うほうがいいと思って。
吸血鬼は夜にエネルギーを使う生き物だから、昼間は動きが鈍いはずであるから、殺しやすい。
私は一錠の薬を飲み込んだ。これは家畜の血を凝縮したもの。
この薬を飲むことでわざわざ人間を殺し、生き血を吸う必要がなくなるのだ。血を欲するこの体を誤魔化すことができるものなのである。
入り口には一人の門番がいた。気配からして人ではなく、妖怪であるとわかった。
さてどうしたものか。邪魔者がいるなら全て倒してしまう気持ちできたが、日傘で片手が塞がっている状態。
目眩ましで簡単に誤魔化せる程度の妖怪であればいいが、そんな簡単な術が通用するようには思えない。
ここは挨拶の一つでもしてみて、様子を伺おう。
「失礼。道に迷ったのですが、ここはどこなんでしょう?」
中華風のお洒落で身を包んだ妖怪が、明るい笑顔で挨拶を返す。
「あら、珍しい。むしろこんなところへ迷えるのが凄いわね。ここは紅魔館と言って、吸血鬼お嬢様のお家よ」
門番をしているであろうと思ってどんな態度で接せられるのかと思っていたが、案外人当たり良い妖怪のようである。
「ふうん。これだけ立派な、お城みたいな家に住んでおられるのだから、とてもお綺麗で、立派な方なのね」
「おまけにすごく強いわよ。私なんかぶっ飛ばされちゃうかも、なんてね」
軽い冗談を飛ばした門番。とても人をとって食う妖怪とは思えない。むしろ、外道な人間よりよっぽど人間に近いと感じた。
「そのお嬢様に、是非とも会ってみたいわ」
笑い声を飛ばす門番が、口を閉じた。目線は鋭くなり、体からにじみ出る妖気が爆発的に膨らむ。
人らしい妖怪から、妖怪らしい妖怪に変化したようにも見えた。
「残念だけど、それはできない。ここを通りたければ、私を倒してみせなさい」
足を踏みしめ、大地を震わせた。とある拳法の構えを取り、私を睨む。
門番はあくまで門番。主と対峙すべき力があるかどうか試される相手と言えよう。
この理論が正しければ、この妖怪はそんなに強くはないかもしれない。かといって、油断はできない。
拳法とは人が人と闘うための手法であるから、おそらく相手は人外の私にどれだけ通用するかわからないはず。
故に基礎的な体力、筋力、反射神経等は妖怪の類に張り合えるほど鍛えてるに違いない。
今すぐこの門番と戦うべきか、門番が寝静まるであろう夜を狙うべきか。
先ほどから幻惑の術をかけているが、全く変化がない。何かしら、耐性があるらしい。
どちらにせよ、この門番との戦闘は回避できないのかもしれない。
ならばいい。準備運動代わりに、この妖怪を消してしまおう。
「美鈴、その方を通して上げなさい」
門の奥から女性の声がした。奥から出てきたのは、銀髪の小間使い。
美鈴と呼ばれた門番は驚く。彼女から殺気が消えうせた。
「どういうことですか、咲夜さん。どうみても目の前の奴、怪しいじゃないですか」
「この方はお嬢様のご客人だそうよ」
「お嬢様の友達? そんなの聞いたことないわ」
私もそんなこと知らない。レミリアという同族となんか、一度も会ったことがない。
「いいから、お通ししなさい。失礼しました、この門番めの無礼をお許しください」
小間使いが頭を下げる。門番もつられて頭を下げた。
「私は十六夜咲夜。ここ紅魔館の主、レミリア様にお仕えしている者です。今日はお嬢様からご客人が訪ねてくると聞いております」
「……セキよ」
「セキ様ですね。では、館内へご案内させていただきます。どうぞ中へ。傘をお持ちしましょう」
門番は私を見て「本当?」と疑いの眼差しを飛ばしてくる。首を左右に振りたいところだが、ここは中にいれていただこう。
だから、何も言わず小間使いの言うとおりに従った。
すっかり気力の萎えた門番をかわして、いざ紅魔館の中へ。
館内ではたくさんの妖精がメイドの格好をして、そこら中を飛び回っていた。
床には赤いカーペットが敷かれており、よく掃除されていてとても綺麗である。
廊下には芸術品、珍品が飾られていた。いずれも、小間使いの咲夜が集めたものらしい。少し前に、そう聞いたから。
小間使いと私、沈黙して紅魔館を歩く。
階段を昇り、突き当たりの部屋を目指して。
それにしてもこの小間使い、ただの人間ではなさそうだ。息使い、体運びは間違いなく訓練されたものとしか思えない。
何より、この小間使いが先ほど門の奥から出てきたときのこと。気配を全く感じさせること無く、あの門番の後ろに立っていた。
相当な腕前を持っているに違いない。
レミリアのことを主と呼んでいたから、この小間使いこそ従わされている人間なのだろう。
嫌々この仕事をしているようには見えないが、もしかすれば命令に従うよう術をかけられているのかもしれない。
もしくは、従っている振りをしてレミリアを殺す機会を窺っているのか。
突き当たりに到着した。咲夜がノックし、扉が開け放たれた。
そこには、椅子に座る吸血鬼がいた。
ただひたすらに、私が来ることを待ち望んでいるかのように。
私が訪ねてくることなど最初から見透かしているように。紅い悪魔、レミリア・スカーレットは佇んでいた。
手入れの行き届いた綺麗な髪。端正な顔つき。趣味のいいお洒落。立派な翼。ガラス細工のように繊細で、鋼より強そうな四肢。
そのどれもが、力ある吸血鬼に相応しい品格を持っていた。
「はるばる幻想郷の外からようこそ。わたしはここ、紅魔館の主、レミリア・スカーレットよ。あなたの名前を聞かせてちょうだい」
レミリアの口から聞く、記念すべき第一声。透き通るようなソプラノに、鳥肌が立った。
薔薇の香りがする。彼女の香水のせいなのだろうか。全身に浴びた鉄の臭いを誤魔化すための。
「セキよ。はじめまして、レミリア・スカーレット」
「そう、セキって言うのね、あなたのお名前は。わたしのことはレミリアと呼んで結構よ」
私の反応を聞いて、レミリアが卑屈に笑った。物の怪らしい、狂気を内包したような目つき。
生き血を吸うために殺めた人の数は百や二百じゃ済まないだろう。直感的に、そう思った。
私を見つめるレミリア。そのレミリアを見つめ返す私。
想像した。この、お嬢様と親しまれる吸血鬼がどんな戦い方をするのか。
さぞかし優雅に、美しく立ち回るのだろう。動きはすばやく、その攻撃は並の生物を簡単に死滅させるほどのものなのだろう。
相手も同じようなことを考えているのだろうか。
楽しそうだ。いや、この吸血鬼と闘えばきっと楽しいに違いない。
殺す、という目的を忘れてしまうほどに闘ってみたい。お互いの体をぶつけ合い、爪を交わし、相手の血でこの場のカーペットを染めてみたい。
気がつけば、私も笑っていた。レミリアのように不吉で不気味な笑み。わかっていても、笑いが止まらない。
「ねぇ、セキ。何がそんなにおかしいの?」
「いえ、なに──あなたがあんまり綺麗だから、羨ましいと思っただけ」
「お世辞はやめて欲しいわ。あなたの方が、よっぽど綺麗だと思っているのに」
翼にかけていた魔法を解かした。動かすことができずにいた翼を、羽ばたかせた。
「立派な羽をお持ちで」
後ろで控えていた咲夜が口を挟んだ。
つい睨んでしまったが、彼女は怯むことなく笑顔で返した。
「嬉しいわね。これを褒められたことなんて、一度もなかった」
「それは光栄ですわ。さてと、お嬢様、セキ様、お茶とお菓子をお持ちします。少々お待ちを」
「お菓子? 私は甘いものが嫌いなの。お菓子はけっこう」
「セキ、どうか味わって欲しいわ。きっと、あなたも気に入るから」
「……そう。あなたがそう言うなら、持ってきて頂戴」
「かしこまりました」
咲夜は頭を下げ、部屋を出ていった。レミリアが椅子から降りて、こちらへ近づいた。
ああ、近くで見るのもいい。その姿を。
「こんなところで同族と出会うなんて、奇遇だわ」
「私はあなたに会ってみたくて、ここまで来たの」
「ねえセキ、色んな話を聞かせてちょうだい。あなたと一杯おしゃべりしたいわ」
「勿論よ。レミリアの話も聞かせてね」
「どうぞ座って。時間は、たくさんあるんだから」
ここに来たのはレミリアを殺すため。灰に返し、塵にしてやること。
レミリアにまだそれは気付かれていないと思う。今下手に動くことは厄介だろう。もう少し様子を見よう。
それに私自身、レミリアとおしゃべりがしたくて仕方がなかった。
咲夜はすぐに来た。大きなトレイを持って。
テーブルにカップと白いクリームでデコレーションされたケーキが乗った皿が並べられる。
「紅茶と生クリームのケーキでございます。少しお待ちを」
カップにお茶が注がれる。おそらく高価な茶葉なのだろう。安物など、このレミリアに似合わないから。
咲夜は砂糖が入っているであろう小瓶をテーブルへ用意した。小瓶を開けると紅茶に一滴、ケーキに数滴赤い液体を振りかけた。
「どうぞ、お召し上がりください」
咲夜の言葉を聞いたレミリアがお茶を口に含んだ。私もスプーンでかき混ぜ、それに習う。
口にした瞬間、感じた。鼻にくる嗅ぎ慣れた鉄錆の匂い。舌で感じ取れる、ヘモグロビンの味わい。
あの小瓶に入っていたのは砂糖などではない。人間の血であった。
長らく飲んでいなかった。何百年も味わっていない、人の血。紅茶自身を味わう余裕が消える。
体中が火照り始めた。もっと欲しい。血が。もっと、もっと飲まなければ。こんな少しの血では、余計に渇きを誘う。
犬歯が痛い。人間の首につき立てて、生き血を吸いだしたい。
ずっと家畜の血で押さえていた血飲の衝動が、襲ってきたのだ。
「いかが、セキ?」
「ふふ、ふふふ……美味しいわ、すごく美味しい」
素直な感想だった。いかに人間を殺さずに生きてきた自分であっても、その血液はどの菓子よりも甘い。
今まで回避してきたところで、体が求めるものは変えれない。故に、吸血鬼なのだから。
「気に入って良かったわ。やはり、咲夜の入れるお茶は一番ね」
「恐れ入ります」
体が血を求めて暴れだすことだけは避ける。必死に押さえるしかない。が、近くにいる咲夜を見て犬歯がうずく。
ケーキにかけられたソースも、苺のシロップに見えるが人の血である。
この衝動を抑えるためにも、ここはあえてお茶に呼ばれる以外に方法は無かった。理性を押さえるより、ある程度従ったほうがマシであると思って。
「さすがあなたの小間使いね。心使いが行き届いているわ」
「ただの小間使いじゃないのよ、咲夜は」
ケーキをつまむ。スポンジの生地と、クリームの甘さなんて気にならなかった。血の方が甘いから。
「あら、特技でもおありで?」
紅茶で口の中を流して、訊いた。
「そうね。ナイフがお上手よ」
聞いて、吸血鬼退治に銀が用いられることが頭に浮かんだ。
そして思い出す。レミリアを退治しようとした人間が、銀のナイフを使っていたことを。
「それは是非見てみたいわ」
「そうですか。しかし、セキ様に手を出すのは気が引けます」
「咲夜、セキはお望みなのよ。持て成して差し上げなさい」
「では、その通りに」
レミリアの近くで控えていた咲夜が頭を下げて一礼。
どこからナイフが飛んでくるのか楽しみにしていると、次の瞬間には三本のナイフが目前にまで迫っていた。
咲夜がナイフを投げる仕草など見えなかった。飛ぶナイフが風を切る音も聞こえなかった。何より、咲夜から気配を全く感じなかった。刃物を飛ばそうという気配を。
すぐさま爪を伸ばし、ナイフを弾いてみせた。さすがに当たれば、火傷をするであろうから。
ベクトルの狂ったナイフが音を立てて床に落ちる。かと思うと、ナイフは床に吸い込まれたかのように消えていった。
このメイドが扱うナイフは消えるとでも言うのであろうか?
「おもしろいわね、レミリアの小間使いは」
「気に入っていただけたようね」
「ええ。手品でも使ったのかしら?」
「いいえ、種も仕掛けもございません。今のは私が投げたナイフです」
「……」
だとすればこの人間、やはりできるのもしれない。
油断していれば、あっさり貫かれていた。レミリアを追い詰めたと聞くほどの、実力を持ち合わせているのだろう。
「では、私は仕事がありますので失礼します。何かありましたらお呼びくださいませ」
咲夜はそう言うと頭を下げて、消えるように部屋を出て行った。
「驚かせてしまったかしら」
「驚いていないといえば嘘になるわ。あの小間使い、ただの人間じゃないのね」
「そうよ。咲夜をただの人間だと甘く見ると、痛い目見るわ」
「……何か秘密があるのね? 例えばそう、空間に裂け目を作る、とか」
「はずれ。それは別の誰かさんのだわ。でも、おしい」
「幻想郷には愉快なのがいるのね」
「一杯いるわ。生きてる奴から、死んでる奴まで」
「それにしても、わからない。武器を作ることができるのかしら、あなたの小間使いは」
「もっとはずれ。空間に関係あることよ」
「……だめ、わからない」
「正解は時間を操る能力よ、咲夜が使っていたのは」
それはつまり、時間を止めて自分だけが動き回れるということ。
おそらく、さっきのは時間を止めてナイフを飛ばし、私の目前で能力を解除したのだろう。
弾いたナイフが消えたのは、時間を止めて回収したに違いない。
何とも厄介な能力だ。ただの人間が有する能力で考えると、非常に悪質だ。
ケーキの残りを頂き、少し冷めてしまったお茶を飲んで少しでも血を満たす。
レミリアは私が食べ終わるのを待ってくれているのか、話しかけてこなかった。
最後の一口を特殊なスパイスが効いた紅茶で流し込む。絶対的な血飲量は少ないが、疼きだけでも止まればけっこう。
「ご馳走様。こんなお菓子なら喜んで毎日食べたいわ」
「お粗末様。そういえばあなた、泊まるところはあるの?」
「え……」
どうしよう。寝る場所まで考えていなかった。
ここは幻想郷。野宿するにはいろいろと危なっかしい輩が多い。
「ないなら、泊まっていくといい。部屋はたくさん余っているから」
それは好都合だと思った。簡単に寝首を掻くことができるから。逆にこのことを悟られた場合、私自身が襲われるリスクも伴うが。
それでも構わないかと思った。もう少しこの吸血鬼と一緒にいたい自分がいたから。
「では、お言葉に甘えて」
「是非そうして欲しいわ」
しかし、このあまりに美しすぎる吸血鬼を傷つけることに抵抗があった。
自分にそこまでの資格などないと思わせるほどの、オーラを漂わせているから。
身長は十代の人間にも満たないほどであるが、その瞳の奥に秘める輝きは何百年も磨かれ続けた宝石の様。
そんなレミリアに手を出すなんて恐れ多くて出来ないと思い始めた。
ああどうしよう。ここまできて、殺すことを躊躇ってしまうなんて。
食器を片付けに来た咲夜に、部屋へ案内してもらうことにした。レミリアとはまた後に。
「先ほどの、突然の無礼に重ねてお詫び申し上げます」
「あら、いいのよ。もうそんなこと」
「そうですか。セキ様がいい反射神経をお持ちなので、思わず嬉しくなってしまいました」
「今度はもっとたくさんのナイフを飛ばしてくれるかしら」
「お望みとあらば」
この人間もどれほどの者なのか、いまいちわからない。
能力の話は先ほどレミリアに聞いたが、身体能力もおそらく並のものでは違いない。幻想郷で生き抜いているんだから。
何より、この十六夜咲夜という人間が本当にレミリアに打ちのめされ、契約のもと従者となっていることに疑いを持ってしまう。
主人が何も言わずとも従者はどんな奉仕をすべきかわかっているような。そんな関係に見える。
主従関係と言うよりも、長年戦ってきた者同士がその末にくっついたような。そんな関係に見える。
もしかすれば、咲夜は契約されたとはいえ嫌がってというわけではないのだろうか。
体に傷をつけられているわけではない。衣服も与えられている。レミリアの待遇はとても素晴らしいようにも思えた。
話に聞いて、同族嫌悪している私の思い込みのせいであって、レミリアと咲夜の関係は非常に特別なものかもしれない。
「十六夜は」
「咲夜と呼んでいただいて、構いません」
「そう。咲夜はレミリアをどう思っているの?」
「それはどういった意味でしょう?」
「例えば、怖いだとか」
「憎い、とお答えすることを期待されているのでしょうか?」
「……どこかで聞いたことがあるの。吸血鬼を襲った人間が返り討ちに遭い、その人間が吸血鬼の僕になったと」
「……」
咲夜の表情は暗い。触れられて欲しくないのか、うんざりしているのか。そんな顔。
「話したくなかったら、それでいい。私が首を突っ込むことじゃないでしょうから」
「確かに私は愚かにもお嬢様に挑み、生死をさ迷いました。しかしそれは過去のことでございます。私は命を助けられ、今の名前を頂きました。
私は十六夜咲夜です。あなた風に表現すれば、お嬢様の小間使いです。それ以上でも、それ以下でもございません」
そう言った咲夜の目には、温かみのある感情がこもっていた。自信を持って言い放った証拠。
「……ごめんなさい。出すぎたことを訊いたわね」
「わかっていただければ構いません。それにしても変なことを仰いますね、セキ様は」
「うん?」
「ご自身が吸血鬼であるのに、人間の私を心配なさるなんて」
「……」
「あら、いけない。私は出すぎたことをお尋ねしてしまったのかしら」
「そ、そうよ! あなたは今、出しゃばったことを訊いたのよ!」
「それはそれは、失礼しました」
「客に対する心使いを、きちんとして欲しいものだわ」
難癖をつけて誤魔化した。こんな人間に、私の過去を理解してもらうつもりなんてさらさら無い。
ある一室の扉を開けた咲夜。勧められるまま、部屋へ。
その部屋にも綺麗に掃除されたカーペットが敷き詰められ、数々の芸術品が飾られていた。
大きな天井付きのベッドが一つ。丸い、四脚のテーブルと椅子が一つずつ。クローゼットと思わしき家具に化粧台が一つと、セットの三面鏡。
部屋に窓はなかった。いい配慮だ。
「なかなか良いお部屋じゃない。気に入ったわ」
「それは何よりです。もう少しでお夕食の時間ですから、その時はお呼びします」
「そう、わかった。ありがとう」
「ええと、重要なことを忘れていましたわ」
「何?」
「ここ幻想郷では、吸血鬼は勝手に人間を襲うことを許されていないのでございます」
「それは何、法律?」
「契約でございます」
「それには逆らえないわね。覚えておくわ」
「セキ様に相応しいお食事をご用意いたしますのでご安心を。それでは、何かございましたらいつでもお呼びくださいませ。失礼します」
深く頭を下げて、咲夜が部屋を出て行った。
咲夜には人を襲えないことに残念がった風に言ったが、襲う気なんて毛頭ない。
プライベートな時間が出来た。背伸びをする。欠伸が出た。随分、疲れてしまっているようだ。首を回すと骨が音を立てた。
少し時間がある。休もう。薬を飲んで吸血行為の衝動を和らげた。
ともかく、レミリアと目を合わすと魅了されてしまい、殺気が失せる。なんとかしないと。
頭が痛くなってきた。どうするすきか整理しよう。
ベッドに飛び込み、目を瞑った。眠っている最中に襲えるものなら、襲ってみろ。
そう呟く。意識は落ちた。
周りで喋る声が聞こえて、目が覚めた。
小さな、メイドの制服に身を包んだ妖精達が部屋の掃除をしている最中だった。
頭がすっきりしてる。いつレミリアを襲うか、方法は、あの小間使いが邪魔にならないようにするには、他に使い魔がいた場合、どうするか。
考え始めて、レミリアの表情が思い浮かんだ。
吸血鬼らしく、鋭い刃物のような怖い笑顔。その裏にある、人間らしい暖かい笑顔。
あの綺麗な目で私をもっと見て欲しい。
レミリアの声を反芻した。
時に相手を奮い立たせるような、狂気を含んだり。またあるときは、声を聞くものを癒す慈しみが含まれていたり。
ああ、もう一度私の名前を呼んで欲しい。
結局、私にあの吸血鬼を殺せる自信はどんどん消えていった。
私の大切な人をおもしろ半分に殺していった、自分と同族なのだ。人を捕食することに何の抵抗も感じない、自分と同じ種類の生物なのだ。
そう思い返しても、あのレミリアだけは格別であると、信頼を寄せる自分がいる。
レミリアがどれだけの人から血を吸って生きてきたとしても、許せる自分がいる。
たとえ私の目の前で人の命を奪い、返り血で赤く染まった服を見せ付けられたとしても、目を瞑ってやりたいと寛容な態度の自分がいる。
どう足掻いたとろで、私はあのレミリアを殺す動機を失ってしまったようだ。
妖精メイドが私の顔を覗いていた。私は今浮かない顔をしているのか、花瓶にあった花を差し出して、元気付けようとしてくれている。
妖精の奉仕を遠慮して、もう一度横になった。今は、妖精の優しさがうざとかった。
ここまで来て何もしていない自分に腹が立つ。
いままで数々の吸血鬼を狙ってきた私だが、こんな葛藤を覚えるなんて初めての出来事だ。
自分の指先にある、爪を見た。肉体を守る鎧すら切り裂けるよう、鍛えた自慢の爪。結界さえも破れるよう、様々な魔術を施した私の爪。
この爪で吸血鬼の動きを封じて、懐に忍ばせた木の杭を打ち込めば、吸血鬼は灰になる。いままで、そうして吸血鬼を倒してきた。
それをレミリアに当てはめてみるが、どうもイメージしきれない。途中で自分が諦めるか、逆に屈服させられる姿しか想像できないでいた。
「失礼します」
ノックの音に続いて、咲夜の声がした。急いで杭を隠してから、入室を許可した。
「お食事の用意が出来ましたが、いかがされますか?」
「あ、あらそう。すぐに行くわ」
妖精メイド達を尻目に、部屋を後にした。
「セキ様、悪い夢でも見たのですか? お顔が優れないようですが」
「そんなところにしておいて頂戴」
「……」
広間に誘われて、テーブルに着く。妖精メイドが料理を並べていた。
私の他にテーブルに着いている者がいて、門番と一人の知らない少女、その少女お付の使い魔がいた。レミリアはまだいない。
門番が手を上げて挨拶。呼ばれるがまま、私もテーブルへ。
「昼間のお客さんですね。あの時は悪かったわ、お嬢様のお客さんが来るなんて知らなかったから」
「もういいわよ、そんなこと。それより、あなたは何ていうの?」
「紅美鈴。あなたはセキさんで良かったかしら?」
「ええ、美鈴ね。それでそちらの、隣の人はだあれ?」
美鈴の隣の少女に意識を飛ばした。さっきから本と睨み合うことに忙しいのか、私のことなど全く気にしない。
本読み少女からは魔力の気配を感じる。魔法使いなのだろうか。
美鈴がその少女の肩を叩いて呼んだところで、やっとこちらに気付いた。
「……?」
「はじめまして、本読みで忙しい方。私はセキ、あなたは?」
「……パチュリー。パチュリー・ノーレッジよ」
「そう、少しお邪魔することになったの。よろしくね」
「ニンニク」
「なっ……!」
パチュリーの発した言葉に、思わず体が震える。その名前を聞いた衝動で、思わず席を立った。
全身の毛を逆撫でされた気分になり、吐き気がする。
「が嫌いなのね」
「変なこと言わないで頂戴! 私が吸血鬼だとわかっていて言うなんて、もっと酷いわ!」
「まあまあ、セキさん。落ち着いて」
「……」
パチュリーは読書を再開した。私のことなど、どうでもいい様である。
それにしても、なぜパチュリーは吸血鬼が嫌いなものを知っているのか。
吸血鬼ほど有名になると、誰もが苦手なものぐらい知っているからか。
「いかがされましたか、セキ様」
お皿を並べる咲夜が尋ねた。
「……別に、どうもしないわ。少しからかわれただけよ」
「そうですか。もうすぐお嬢様をお呼びしますので」
「そう」
どうしてそんなことをわざわざ言ってくれるのか。私が心待ちにしていることを、わかっているような言い回し。
それにしても、レミリアはなぜ私が訪れることをわかっていたのか。
本人に直接訊いてみるのが一番だが、どうにも、それだけはしたくない気持ち。
こちらから訊けば、疑いを持たれてしまうかもしれないから。向こうから吐いてくれれば、自然な感じでいいと思うのだが。
「セキさん、ちょっといいですかー?」
美鈴に呼ばれた。レミリアはまだ来ない。パチュリーは相変わらずである。
「何かしら?」
「お嬢様とはどこで知り合ったんですかー?」
返事に困った。レミリアは皆に客人ということにしているのだから、こんな疑問を持つのは普通だろう。
しかし実際は彼女がそういうことにして私を招いただけであって、今日までお互い面識はなかったのだから。
「あなた達と知り合う前の話よ」
声を聞いて、思わず思考が固まった。あんまり声が綺麗だから。
レミリアが来たのだ。後ろには咲夜が控えている。
「……ええ、そうよ。ずっと昔の話」
適当に話を合わせると、美鈴は頷いて納得した。
「待たせたみたいね。セキ、よく休めた?」
「え──ええ、昼間無理に動きすぎたものだから、まだ疲れが残ってるけど」
レミリアはなぜ私が寝ていたと知っているのだろう。
もしかして、寝ている間に部屋へ来た?
「夜に来てくれればいいのに、わざわざ昼間に尋ねてくれたのだから。疲れてるのは当然でしょう?」
「さすが同じ者同士、わかってくれるのね」
そうでもないみたいであった。
もし私の持ち物を探られていたら、木の杭を見つけられていたら、吸血鬼を殺しに来たことぐらいすぐに察しをつけられてしまうのだから。
そうなってしまったら、疑いを持たれてしまう。
テーブルに料理が揃ったのか、料理を運んでいた咲夜も席に着く。パチュリーは使い魔に本を渡すと食器を手にする。
「それでは皆さん、どうぞ召し上がってください」
咲夜の一声で皆目の前の料理を皿に取り始めた。どうやら、伴食になっているらしい。
普通咲夜のような小間使いは、主人が取ったあとに取るというのに。ここでは、ある程度のマナーはどうでもいいのかもしれない。
献立は一見普通の人間が食べるものと大差ないように思えたが、どこかしらに人間の部位が使われているように見える。
妖怪、魔法使い、それから吸血鬼。これらが食べるには相応しい食事であった。
この食事を用意するために命を失った人間にお詫びをこめて、久しい血をたくさん味わった。
純粋な人の血はやはり美味しかった。この体に最も合う食事だ。力が沸いてくる。
食後のワインにも、やはりそれは含まれていた。
パチュリーはレミリアの事をレミィと呼び、レミリアはパチュリーのことをパチェと親しみを込めて呼び返していた。
彼女達は仲がいいんだろう。時折会話が途切れても、お互い沈黙を楽しんでいるような感じだから。
少し、パチュリーを羨ましく思った。
私は先に食事を上がらせていただき、廊下の窓から外へ出た。
夜の空は良く晴れて、月が見える。今晩は満月のようだ。少し体を動かそうと思い、紅魔館の上を飛んでみた。
冷たい空気が気持ちいい。自由に動けることに、快感を覚える。文字通り羽を伸ばせるのだから。
レミリアのことを考えて、ため息が漏れた。
いっそレミリアを殺すことは諦めて、他の吸血鬼を探しに行こうかとも思う。
自分がまるでレミリアに恋をしているみたいだから。同姓、同族の彼女に愛を注ぎたいと思う自分がいるから。
もしかすれば、私はレミリアの能力によって彼女に恋心を抱くという、数奇な運命に導かれてしまったのではないか。
レミリアを殺すことができないという未来に誘われてしまっているのでないか。
そうであるなら、ここまで殺意が失せるのも目に見えない効果のせいだと言えないだろうか。
とにかく、こんな状態でレミリアに立ち向かおうなんて無理な話かもしれない。
視界の端に誰かが見えた。噂をすれば何とやら。レミリアが私を追って飛んできたのだ。
「賑やかなのは嫌いだったかしら?」
「そんなのじゃないわ。ただ、体を動かしたかっただけなの」
「パチェに遊ばれていたのね」
「……思い出したくない」
「悪気はないんだから、許してあげて」
「ええ、もう過ぎたことだし……」
「それより、遊びましょうよ。似たもの同士でさ」
「いいわよ、追いかけっこでもする? すごく激しい鬼ごっことか」
「吸血鬼らしく鬼を演じればいいのね。賛成よ」
「じゃあ私が鬼の役でいいわ」
レミリアが距離を置いた。いつでもどうぞと言いたげに、にっこり笑う。
合図だと受け取り、空を蹴った。私から逃げるように、レミリアも飛ぶ。
上下左右だけでなく、立体的に動き回るレミリア。
同じ翼を持つものだけあって、飛び方も殆ど変わらない。
「さすがね。ちょっとやそっとじゃ逃がしてくれなさそうじゃない」
「レミリア、あなた速すぎ。全然追いつかせてくれないじゃない!」
小さく旋回して、素早く相手を回りこむように追いかけても、同じように飛ばれて一定の距離を保たれる。
速度もお互い、殆ど差がない。レミリアが思っていたほど速く飛ばないから。
とはいえ、私は最大に近いスピードを出しているのに対して、向こうは表情に余裕がある。相手の底はまだまだあるのだろう。
レミリアが紅魔館の屋上を背にする形で追い込めば、勝機はあるかもしれない。
相手を屋上へ押し込む形に誘導。屋上が近づいてきたところで、レミリアに向かって急接近。
しかしレミリアのトップスピードを以ってされれば、小手先の策略などに意味はなかった。
悩み果てて止まっていると、向こうも止まった。お互い、数メートルの距離を置いたまま。
気持ち良さそうに肩で呼吸するレミリアが言い放つ。
「このままだと決着が着きそうにないわね」
「同感。鬼を変えてみる?」
「ううん、やめておくわ。あなたが思ってたより速くてびっくりしちゃった」
「それは嬉しい限りだわ」
「それじゃあ、あなたは何が自慢かしら?」
レミリアにそう訊かれて、自分の利き手を見せ付けた。力を込めて、爪を伸ばす。いずれも長さは短剣ほど。
「私には、これしか能がないの」
「弾幕を放つのは苦手なようね」
「飛び道具は持ち合わせてないわ」
「そう。じゃああなたの土俵で遊んであげる」
レミリアも爪をちらつかせる。私のそれと比べると、あまり立派には見えない。
それでも彼女自身から感じる、底知れぬ魔力に恐怖する。おそらく彼女は肉弾戦以外もこなせるのだろう。
そして思う。今の気持ちなら闘える。その美貌に目を奪われることなく、戦闘に集中できそうだ。
「見てよレミリア、今宵はこんなにも月が丸いわ。吸血鬼同士の、永い永い夜を楽しめるわね」
「ええ、素晴らしいわ。ちょっとやそっとじゃ壊れてくれないんだから、無理をさせてもらうわよ」
レミリアが高笑いを響かせた。それに驚いた、眠る野鳥達が遠くで飛び立っていく。
その甲高い笑い声を聞いて、体が震えだした。こんなにも強そうで、美しい同族と命を奪い合えることが嬉しいと。
口がにやけてしまう。レミリアと初めて顔を合わせてから望んでいたことが実現するなんて。
「セキはいつまでわたしの踊りと付き合ってくれるかしら?」
「オープニングからエンディングまで。アンコールも付き合ってあげる」
レミリアを睨んだ。レミリアも私を睨み返した。双方、肉薄して凶器を交わす。
レミリアの獲物は思った以上に鋭く、私の肉体をいともたやすく傷つけた。しかし私もただでは済まない。
鍛えぬいたこの爪の威力は、簡単に彼女の脇腹を貫く。引き抜いて、距離を取った。
「へぇ……おもしろいじゃない」
私の爪の味さえ楽しむレミリアが微笑む。初めて会ったときのように。
今は満月。吸血鬼に最も力があるとき。傷つけられたところはたちまち回復し、風穴のあいた彼女の脇腹は瞬時に塞る。
「でも、こんなのじゃあなたは怯みもしない。そうでしょ、レミリア」
「ええ。何より、こんなに楽しいんだから。音を上げるなんてセキに失礼じゃない」
やはりこの相手では、今宵の状態なら、生半可な攻撃ではお互い倒れない。
レミリアが相手なら、体の奥底から湧き出る魔力を注ぎ込んでも、おそらく倒れてくれない。
レミリアがどれだけの攻撃を当ててきても、私はきっと起き上がれる。
音楽が欲しいと思った。チェンバロの様に悲壮な感じが漂う、幻想的な音色の音楽で。
演奏者の指が壊れるほどの、楽器を痛めるほど狂ったように激しく、速い弾き方で。
どちらが先に動いたか。再び肉の削ぎ合いが始まった。
夜は永いといえど、限りがある。日が昇ってしまえば、お互い吸血鬼。日陰に入らないと蒸発してしまう。
爪が折れれば生やして斬りつける。腕が落とされたりでもしたら、拾い、くっつけてまた闘う。その繰り返しの内に、朝焼けの時間が迫ってきた。
夜の力が弱まり、怪我の治りも遅くなってきた。息が上がってくる。そろそろ、決着を着けないと。
「ねえセキ。次の攻撃で白黒着けましょうよ」
「いいわ!」
レミリアもお望みのようである。私は残りうる魔力を利き手に集め、爪を鍛えなおした。
羽をはためかせ、レミリアに近づく。これでこの吸血鬼が動けなくなれば、私の勝ちだ。
直後、レミリアが囁く。神槍、スピア・ザ・グングニルと。
彼女の手に、似つかわしくないスケールの、巨大な真紅の槍が発生。
どこかで聞いたことのある名前だった。本で読んだことのある名前だった。
それは神が愛したという槍の名前。
接近する私へそんな攻撃は届かないと、言わんばかりに放たれる。
獲物で対抗するも弾かれ、神槍が私の胸を貫いた。威力を抑えきれず、槍の飛ぶベクトルへ飛ばされる。
飛ぶ力さえ失った私は抗えることなく墜落していき、紅魔館の屋上へ叩きつけられた。
「ううっ、げほっ! ごほっ!」
膨大な熱量を伴うその槍は刺し傷だけでなく、私に火傷をももたらした。
もう飛び回る体力はない。体を治すほどの力も殆ど無かった。
殆ど無傷のレミリアが私を見下ろす。
やはり、私では彼女に勝つことなど不可能だったのだ。愚かだったのだ。
まして神の愛した槍を有するなんて。私の爪と比べれば立派すぎて、彼女の武器と比べる事が失礼に値する程。
私は全力で闘った。レミリアも、最大の術を以って相手をしてくれた。
ここで灰になってしまっても、悔いはなかった。
冷徹な、悪魔のような笑顔のレミリア。私は彼女を畏れて、跪いた。
レミリア・スカーレットという高貴な存在。それは吸血鬼の私でも憧れるほどの、カリスマ性と強さを誇っているから。
「セキ、顔を上げてよ。あなたがわたしに頭を垂れる必要はないんじゃなくって?」
「……ううん、私にはあなたと、レミリア様と肩を並べる資格なんてない」
「どうして様付けなの? 同じ吸血鬼同士じゃない」
「私に、あなたと対等といえるほどの力はない。だから私はあなたを呼び捨てにするなんてできない」
「セキ、お願い。顔を上げてちょうだい」
そこまで言われて、恐る恐る顔を上げた。彼女は笑っていた。悪魔的なものではなく、優しく、温かみのある人間的な笑顔。
「楽しかったわ、また一緒に遊びましょうよ。だから、そんなこと言わないで」
「……レミリア」
彼女が手を差し出す。私はその手を取り、抱き起こしていただいた。
館の中へ。そのまま、部屋まで運んでいただいた。妖精メイド達はまだ寝ているのか、姿は見えなかった。
部屋に入ると、私は薬を飲んだ。少しは、力が回復してくれるだろう。
ベッドに腰掛け、レミリアに椅子を勧めた。いまだに塞がりきらない胸の傷が痛む。
「今飲んだものは何?」
「家畜の血を集めたものよ。こういうときのために持ち歩いてるの」
「どうして家畜? 人間の血を飲めばいいじゃない」
「……」
「ふーん、随分変ってるのね。ここに住んでいる者達と同じぐらい変わってる。……咲夜が言っていた。あなたは、吸血鬼でありながら吸血鬼を否定してると」
「そうよ……。私は、自分を含む吸血鬼が憎い」
「どうして?」
「私の、愛人の命を奪っていったから。それだけでなく、吸血鬼を受け入れようとする人々まで殺していったから。この世から吸血鬼がいなくなれば、吸血鬼に悲しむ人はいなくなる。そう、思っているの」
「それで、わたしを狙ってわざわざ結界を越えて、幻想郷へやってきたのね」
「ええ……」
「なんていうか、ご苦労様ね」
「……でも、私にあなたは倒せない。殺せない。できなかった」
「そうかしら。さっき、あなたの爪を受けていれば、わたしも無事ではなかったと思うわ」
「……」
「びっくりしたもの。スパスパ斬られちゃうものだから」
「そっちこそ、あんなに速く動き回って。おまけにあんな武器を持っているなんて……」
お互い、相手を褒め称えた。私の爪は思っていたよりは、利いていたようであった。
「でもね。わたしが負けた相手がここ、幻想郷にいるの」
「あなたを負かせた相手? なんだか許せないわ」
「博麗、霊夢。あなたが乗り越えた結界を管理している、幻想郷の巫女よ」
「……人間?」
「そう。術を使うけど、れっきとした人間よ」
「なんだか信じられない。吸血鬼が負けるなんて……」
「そう思うでしょ? でも甘く見るとあっさり負けてしまうほど、強いわ」
「……」
博麗霊夢。博麗神社に務める巫女のこと。しかし、あんな簡単に結界を通り抜けできて良かったのだろうか? そんな風に思った。いい加減な人間なのだろうか。
少し沈黙になる。折角なので、私は訊いてみようと思った。この際妙なプライドは捨てて。
「ねえレミリア、教えて欲しいことがあるの」
「なあに、セキ」
「あなたはどうして私を招き入れたの? 私が来ることを知っていたの?」
「……どうかしらね。少なくともあなたが幻想郷入りしてから、吸血鬼が近づいていることはすぐにわかったわ」
「あのとき門番や小間使いを使って私を追い払うことはできた。でも、そうはしなかった」
「あなたと会ってみたくなったから。外から来た同族なのよ? とってもおもしろい話を聞かせてくれるんじゃないかしら、て思ったのよ」
「……本当にそれだけ?」
「そうよ。他に理由が欲しい?」
「ううん……。十分ありだわ。一緒にお茶を飲んで、おしゃべりして、楽しかった」
「セキはこれからどうするの? ここを出てしまうの?」
「考えさせて欲しい……」
「そう。じゃあもう暫くここにいてくれるのね?」
「いいの?」
「勿論よ。もっとお話ししましょうよ」
「……レミリア、ありがとう」
「どういたしまして、と言っておくわ」
レミリアが席を立つ。近づき、私の顔を覗き込んだ。顔が近いことに、驚いて恥ずかしくなった。
「次は、わたしを倒してみせてよ」
その呟きを聞いて、嬉しくなった。この吸血鬼に、自分が認められたような気がして。
「この爪の切れ味、もっと見せてあげるわ」
彼女は微笑み、私を抱きしめた。
「血で、服が汚れてしまうわ」
「構わない」
レミリアが望むならと、自分も応じた。レミリアの身長は思っていたより小さく、私と比べて大差なかった。
私は恐る恐る、彼女の髪に触れさせてもらった。レミリアも私と同じように、触れてくれた。
いい機会なので、もう一つ確かめたいことを質問しよう。それは、レミリアが咲夜のことを本当にどう思っているのか。
「ねえレミリア。一つ訊いていい?」
「何でも訊いて」
「あなたはあなたを殺そうとした人間を、小間使いとして受け入れた。それはなぜ?」
「咲夜はとっても厄介な能力を持ってるでしょう? それを殺してしまうなんて勿体無いじゃない」
「そう……。変なことを訊いてごめんなさい」
「いいのよ、別に。あなたとわたしの仲じゃない」
やはりそうだ。彼女は咲夜のことをあくまで小間使いとして見ているとしか言わない。これは含みを持たせた言い方にすぎないのだろう。
レミリアは咲夜を愛しているのだろう。咲夜もレミリアを愛しているに違いない。故にお互い他人に対しては、単なる主従関係でしかないと、あえて主張しているのでは?
もし、レミリアを滅ぼしたとしたら、咲夜は全身全霊を以ってして私を排除しようとするかもしれない。同様に、いざというときはレミリアも咲夜を守るかもしれない。
それが愛し合う者同士であると思うから。
私にだって愛した者がいたから、何となくわかる。守って守られて、愛して愛されての関係。
彼が亡くなってどれだけの年月が経っただろうか。それでも、彼が私を呼ぶ声だけは良く覚えている。
力が及ばずに、とある吸血鬼に敗れたあの夜。目の前で最愛の人が殺されたあの晩。
どれだけ悲しんだか。どれだけ悔しかったか。それからというもの、私が愛し、私を呼ぶ者はいなかった。
そして今日、レミリアは私の名前を呼んでくれた。彼女がセキという文字までも愛でるように、私を名前で呼んだ。愛したい人が、現れたのだ。
別の思い出が目に浮かんできた。それは、私が彼と知り合ってからの日々。平和な日常で、彼が私を呼んだときの景色。
考え事をしている私を呼ぶ声がした。それはレミリアの声。それが、彼の声と重なった。
「あなた、そろそろ休んだほうがいいわ」
「そうね。そうさせてもらう」
「セキの愛人の人の話、また今度聞かせてね」
「ええ。たくさん、たくさん聞かせてあげる」
レミリアの温もりが離れていった。
頷いて会釈。レミリアは翼を折りたたんで、部屋を出て行った。
ベッドに横になる。目を瞑っても、レミリアの姿が思い浮かんだ。
羨ましいと思った。レミリアと咲夜が。愛するもの同士、居られることに。
溜息が漏れる。もう休もう。胸の傷は塞がりつつあった。
悲しいことを思い出したが、今日は嬉しいことが多すぎた。
久しぶりに、良く眠れそうな気がした。
目が覚めた。部屋には誰も居ない。扉越しに廊下から妖精のおしゃべりが聞こえる。
どれだけ眠っていたのか。疲れは綺麗に取れている。時計はお昼過ぎを指していた。
胸に触れる。傷は塞がっていた。しかし困ったことに、着替えの服がない。
ノックの音がしたので入室の許可を出すと、いつもの接客笑顔の咲夜が音を立てずに入ってきた。
「おはようございます。そちらのお怪我はもう大丈夫な様ですね」
私の胸を見てそう言った。夜の戦闘を咲夜は見ていたんだろうか。
「おはよう。私が何者か知っているでしょう? 怪我なんて問題ないわ」
「セキ様、これはお嬢様の言いつけです。クローゼットの中の服を自由に着ていただいて結構に、とのことです。」
「服をいただけるの? それはありがたいわ」
クローゼットの中を開けると、白や黒を基調としたドレス、ネグリジェが揃っていた。引き出しの中にはリボンや髪留め等のアクセサリーまである。
私は黒一色のドレスに上着のセットのものを選んだ。それだけでは味気ないと思い、胸に薔薇の花びらを形取ったリボンを巻くことにした。
「お手伝いします」
「ありがとう、お願いするわ」
「ところでセキ様」
「うん?」
「昨晩はお楽しみいただけましたか?」
「やっぱり、見てたのね」
「あれだけ騒がれては、誰だって気になります」
「……楽しめたわ。ものすごく、ね。あなたのお嬢様は思っていた以上に強かった」
「当然でございます。お嬢様と同じ吸血鬼が相手でも、そう簡単に負けたりはしません」
勝ち誇った言い方。正直、悔しい。
「今度はあなたが相手してくれてもいいわよ?」
「喜んで。あなたが私に勝てるなら」
「何だか、頭にくる言い方ね。でも嫌いじゃないわ、余裕があるって」
「恐れ入ります」
咲夜に着替えを手伝ってもらった。汚れた顔を昨夜に手拭で拭いてもらい、鏡を見ながら髪を整えておめかし。
「……ところで咲夜。レミリアは?」
「今頃、地下の大図書館でパチュリー様とお茶の最中かと思われます。ご案内しましょうか?」
「お願いするわ」
部屋を後にして、地下の図書館というところへ連れて行ってもらうことにしてもらう。
目的地までの階段は長く、深かった。それほど、蔵書量の多い図書館なのだろう。
図書館は確かに広かった。大と付くに相応しいほど。
天井は遥か高くにあり、一番上の棚から本を取るには梯子を使うより飛んだほうが早そうなほどである。
本棚によっては酷く荒れて陳列されている部分もあり、妖精メイドが適度に片付けていた。
並ぶ本からは様々な種類の魔力が込められている物もある様で、おそらくは魔術書か、その類なのだろう。
図書館の奥行きは遠く、先が暗がりになっていて良く見えない。館の外観からは想像できないほどの、地下階の空間があったようである。
咲夜に着いていくまま歩いていると、一体の使い魔が見えた。昨日食事の時に居た、パチュリーの使い魔であった。
「おはようございます、セキ様。お目覚めはいかがですか?」
「おはよう。まあ、上々ね」
使い魔は挨拶を交わすと、図書館の奥へ消えていった。ここの管理でもしているのだろうか。
咲夜に案内された先に、ようやくレミリアとパチュリーを見つけた。
「あらセキ、おはよう。随分お寝坊さんね。よく眠れたかしら?」
「おはよう。久しぶりに良く眠れて、いい気分だわ」
「おはよう……」
本に向かったままのパチュリーからの挨拶。話すときぐらいは本を閉じるべきだろうと思う。
「咲夜、お茶を頂きたいわ。うんと、濃いの。スパイスがいらないぐらいの」
「かしこまりました。すぐにお持ちします」
咲夜がこの場を後にする。レミリアが椅子を勧めるので、素直に従った。
「その服、気に入っていただけたかしら?」
「ええ。こんな綺麗な服を頂けて、嬉しい。サイズもぴったりだし、最高よ」
「それは良かったわ」
パタン、とパチュリーが本を閉じてお茶を啜る。見つめていると、彼女と目が合った。
「……顔に何かついてる?」
「いえ、あなたはどんなことが出来るのかって、思っただけよ」
「魔法が使える。ありとあらゆる属性の魔法を、ほとんど使えるわ」
「すごい、すごい! パチュリー、あなたすごいのね!」
魔法使いという存在は知ってるが、複数の属性魔法を扱える者なんて机上の理論だけだと思っていたから。
レミリアはすごいが、このレミリアの友達もすごい。幼稚な表現だが、そう思った。
聞くと、百年ほど魔女をしているらしい。歳を取らない魔法のせいで、そうは見えなかった。
しかしパチュリーは喘息を患っているために、あまり動き回るのは苦手なようである。
「あなたは……本当に外からやってきたの?」
「そうよパチュリー。来れたのは偶然、だと思うけど」
「ふうん」
相槌を返したパチュリーはまた本に集中する。よっぽど、本が好きらしい。
気付けば、後ろに咲夜が控えていた。ちょうど、私のお茶を持ってきてくれたところらしい。
相変わらず音もなく近づかれるものだから、少し怖かった。
紅茶に人間の血を混ぜるなんて生易しいものじゃなく、人間の血そのものをカップに注いだだけのもの。
人肌程度に暖められたそれを、一気飲みした。
「下品でごめんなさいね」
「そんなにお腹が空いてたのね」
「ええ」
咲夜からお替りを勧められたので、是非にと注いでもらう。
まだお腹は満たされていないが、またすぐに飲んでしまうのはさすがに恥ずかしい。少しずつ飲むことにしよう。
「……じゃああなたは何が出来るの? 血を吸ったり、飛んだりする以外に」
「そうね、引っ掻くのが得意よ」
「そう……。まるで猫みたい」
「あんな畜生と一緒にされるなんて心外だわ」
「そうかしら? 血を吸わない吸血鬼なんて……」
「なっ! ちょっとパチュリー、どうしてそれを知ってるの!」
知られてないはずであろう自分の過去が暴かれたみたいで、頭にきた。
私はテーブルを叩きつけてしまったのか、カップの中に波紋が出来ていた。
「……」
何も返さない。レミリアが話したのか。そう思って彼女に目線で問うても、何も言ってないとばかりに首を左右に振った。
「何となく言っただけなんだけど、セキってそんなのだったのね」
「……」
パチュリーは冗談のつもりだったらしい。それでも、自分が侮辱されている気分になった。
確かに血を吸おうとしない吸血鬼は、吸血鬼にあらずと言われてもおかしくはない。
それでも、私の食事は何であれ血でしか栄養を取れないのだから吸血鬼じゃないか。
「パチェ。別に人間を襲おうとしない吸血鬼がいても、おもしろそうだからいいじゃない、ねえ」
「ええ……。それに、わたしも悪気があって言ったわけじゃないの」
「……そう」
口では納得したようにしたが、腹の虫は治らなない。文字通り真っ赤な紅茶を飲んでも、苛立ちは誤魔化せなかった。
認めさせてやりたい。この魔法使いに私の実力を。
でも遊びましょうよと誘ったところで、読書への熱情には敵わない気がした。
この魔法使いと居ると、いつも自分だけが騒ぎ立てて、一人で苛立っているような気がする。
なんて大人気ないんだろう。途端に自分が馬鹿らしくなった。
「セキは……」
「なあに?」
本を閉じ、ぼそぼそと小声で喋るパチュリー。おまけに早口気味なので、非常に聞き取りづらかった。
「……飛び道具は苦手なの?」
「え?」
「パチェがあなたに、弾幕は放てないの? だって」
聞き取れなかったところを、レミリアに通訳してもらった。
「ええ、そうよ。この幻想郷じゃあ、飛び道具の撃ち合いが主流なの?」
「そうね。ここでは、スペルカードというものがしきたりみたいだから」
「ふうん。それだと私、レミリアとじゃなきゃ、遊べないじゃない」
「わたしとしか遊べないのは、不満?」
「ぜ、全然。そんなことないわ。あなたとなら、いつまでも遊びたい」
微笑みを返したレミリア。その笑顔は私が跪いたときに見せた、優しい笑顔。
パチュリーはこの光景を見て、また本に意識を戻した。
私とレミリアが一緒にいるのを、他人が見ればどう思うのだろう。何となく、そう思った。
パチュリーにとっては、割りとどうでもよさそうに見えるが。
レミリア、パチュリーと勝手にお茶を一緒してどれだけ時間が過ぎたのか。
時計はとうに日が沈む、夕食の時間を示していた。
そろそろお暇しようかと思ったとき、咲夜が珍しく音を立てて近づいてきた。
「お嬢様、大変かどうかわかりませんが大変です。太陽が、沈みません」
「なんですって!」
レミリアとパチュリーが驚いている。でもレミリアはそんなに気にしていないのか、余裕の表情である。
パチュリーも、読書を再開していた。驚いて、大きな声を上げのは自分だった様だ。
「幻想郷に住んでいる者はすごいのね。ここまで冷静に状況を楽しめるほど、優雅で」
「どちらかといえば、どうでもいいだけよ」
パチュリーが呟いた。そうでもないようである。
「咲夜、付いてらっしゃい。これは異変だわ。おもしろそうな奴がいそうだから、解決しに行くしかない」
「仰せのままに」
彼女は今起こっていることより、事を起こした者の方が気になる様子であった。
「レミリア、大丈夫なの? 私達吸血鬼なのよ、日の光を浴びたら死んじゃうわ」
「わたしを誰だと思ってるのよ、セキ」
「……そうね」
「あなたはパチェとお茶でも飲んで待ってなさい。そうね、帰ったらわたしの妹を紹介してあげる」
「それでは、失礼」
レミリアと咲夜がこの場を後にした。パチュリーは相変わらずである。
ここにいてパチュリーとお茶でもと言われたが、彼女の邪魔をしている気になってきた。私は部屋に戻ることにしよう。
「レミィなら心配ないわ。あなたより、ずっと強いから」
「納得できるけど……その言い方、やめて欲しいわ」
すっかり冷めてしまったお茶を飲み干して、部屋に戻った。
部屋に戻ると、三匹の妖精メイドが掃除の最中であった。
私は一人になりたかったので、メイド達に部屋から出て行ってもらった。リボンをはずし、ベッドで横になる。
レミリアは私をどう思っているんだろう。たぶん、深夜の時に言っていたことは本当なのだろう。外から来た吸血鬼が、どんなものなのか気になるということ
私を抱きしめてくれたことに、きっと深い意味はない。
それでも、レミリアが私を好いているところがあるんじゃないか、と期待する自分がいる。
同族だから興味があるとかじゃなく。結界を越えてやって来た外来の者だからとかじゃなく。
一人の女性として、私をどう思っているのか。
私はレミリアという吸血鬼、いや女性を愛したくて堪らない。同時に、愛されたくもある。
なんて我侭なんだろうと、自分でも思った。あくまで私の妄想といえ。
また、彼女が私を呼ぶ声が聞きたい。私の心をいいように弄ぶような音色で、名前を呼んで欲しい。
遠くで膨大な魔力の気配を感じた。この量は間違いなく、レミリア。
おそらくスペルカードというものを使ったのだろう。
しかし様子がおかしかった。その魔力は徐々に弱まっていく。
まさか。吸血鬼が負けるはずがない。レミリア・スカーレットが負けるはずがない。
そして魔力の気配は、消えていく。蝋燭が燃え尽きるように少しずつ。
いやそんな。こんなことありえない。こんなの嘘だ。いや、今のはレミリア以外の気配に違いない。きっとそうだ。
居てもたっても居られなくなり、部屋を飛び出す。廊下の窓から差し込む日光は、真夏の昼間より眩しく感じた。脇目に見ても、目が焼けそうだ。
妖精メイド達は普段どおりに仕事をこなす。こなさずに、遊んでいる者もいるが。
そんな彼らを無視して、私は地下大図書館を目指した。パチュリーなら、今何が起こったかわかるはずだと思って。
階段を下りた先で、門番の大きな声がする。行ってみると、咲夜が美鈴に手伝ってもらわないと立てないほどの傷を負っていた。
出かけた咲夜が帰ってきたのだ。そこに、レミリアの姿はなかった。
「咲夜、レミリアがいないじゃない。……何があったの」
小鳥のさえずり程の言葉が聞こえた。お嬢様が、消滅してしまったと。
嘘だ。こんな言葉遊びなどに、ひっかからない。そうなのだろう?
強い魔力が消えたことを思い出して、頭の中で咲夜の囁きを繰り返して、やっと認識した。
吸血鬼レミリア・スカーレットは死滅した、と。瞬間、何も聞こえなくなった。
全身から力が抜けるような感覚。口が開いて、震える。いや、自分がそんな反応をしたのか認識する余裕は無かった。
絶対にいなくなるはずがないと確信していたのに。信じていたのに。
私が愛したい者が、また死んでいった。彼女には私以上に、彼女を愛している咲夜が付いていたというのに。
反射的に、咲夜を引っ叩いた。小間使いが床に倒れこむ。可愛そうなことをしたと自覚するも、反省する気は無かった。
美鈴が私を取り押さえる。強い力であるが、レミリアほどではなかった。
「何てことをするんですか!」
「当然のことでしょう。……主人を守るべき小間使いが、主人を見殺しにして、のうのうと生きて帰ってくるなんて」
咲夜は何も言い返さない。いや、返す体力もないのかもしれない。
美鈴だって、このことを何も思っていないわけではないようである。妖怪なのに、泣いていたから。
「咲夜さんだって、何もしてないはずがないじゃないですかっ! それを、攻めるなんて……!」
「うるさい!」
全身に力を込めて、美鈴を強引に振りほどく。壁に叩きつけられた彼女なぞどうでもいいと思った。
咲夜に近づき、胸倉を掴んで持ち上げる。よほどのショックなのか。目は虚ろとして、顔に表情はなかった。
「どんな手を使ってでも、主人を、彼女を、レミリアを守るべきでしょう! それなのに、それなのに……!」
「……ごめん、なさい」
「今、何て言ったのかしら? 聞こえなかったわ」
「ごめん……なさい。申し訳、ありません……」
「謝って許されるはずがないでしょう!」
胸倉を掴んだまま、咲夜を壁に押し付けた。喘ぎ声を漏らすほどの元気も無いようだった。
「おやめなさい!」
パチュリーの叫び声。直後、光の爆発。
光に敏感な私にとってそれは何よりの脅威。目がチカチカして、視界を奪われてしまう。
怯んで、咲夜から手を離した。
「そんな馬鹿な真似をしている場合じゃ、ないでしょうに!」
珍しく、彼女が大きな声を出した。直後、パチュリーは咳き込む。酷く鼻をすすっていることから、彼女も悲しんでいることがわかった。
「うう……何をするのよ。私は正論を言ったまでじゃない……」
「お黙りなさい。そんなことをしても、レミィは帰ってこない」
「……」
彼女の方が正論であった。
視界が戻るまでそんなに時間はかからなかったが、頭の中は少し冷静になれた。
美鈴とパチュリーの使い魔が、咲夜を手当てしている。
「れい、む……」
咲夜が再び呟いた。その言葉は、レミリアの口から聞いたことのある人間の名前。
「そいつがレミリアを殺めた奴なのね……。咲夜、案内しなさい」
「今咲夜さんを動かすなんて、危険です! セキさんあんまりです!」
「何を言うの美鈴。あの人間、殺してやるんだから。ほら咲夜、立ちなさい」
咲夜を立たせようとしたところで、パチュリーがまた呪文を呟く。が、咲夜は手で詠唱を制した。
「いいんです、パチュリー様、美鈴、小悪魔。大丈夫……私が、案内致します」
直立すら苦しそうな咲夜だが、けじめをつけようと動いてくれるようである。
「セキ、この天気じゃ、あなたじゃ無理だわ」
「そんなに太陽が気になる? これでどうかしら」
パチュリーの疑問に答える。念じて、空に真っ赤な霧を発生させた。
薄い霧から濃霧へ。それを全方位に広げ、幻想郷の地面に太陽の光が届かないようにした。
自分自身の魔力を大きく消費する術であるが、動き回れないよりはましである。
「咲夜、さっさと案内しなさい。霊夢という、人間の居場所へ」
「はい……仰せのままに」
外へ出ようとしたところで、またパチュリーが前に立ちはだかった。
「もう一度言うわ。そんなことをしても、レミィは帰ってこない。わたしが復活の魔法を探すから、おとなしくしていなさい」
「……通して、パチュリー。これは仇討ちよ。それに、吸血鬼が人間に負けるなんてあってはならないことだわ」
「その無駄に大きいプライド、いい加減に捨てたら?」
「どきなさいって言ってるのよ! 彼女の友達でも、容赦しないわよ!」
自慢の爪を生やし、見せ付けたところでパチュリーは観念したのか、通してくれた。
まだ何か言いたげな目線を飛ばしてくるが、無視する。
今私は初めて心の奥底から、人間を殺したいと思っている。
たんぱく質で出来た筋肉を引き裂いて。カルシウムで出来た骨という骨を砕いてやって。頭蓋骨に穴を開けて脳漿を啜ってやる。
待っていろ、調子に乗った人間が。その首を跳ね飛ばし、レミリアに捧げてくれる。
その道中、妖精や妖怪の邪魔が入ったが全て切り裂いてやった。
自称最強の氷の妖精など、煩いハエに等しかった。
空を漂うことに精一杯な咲夜の案内で、博麗神社という所へ連れて行ってもらう。
境内は酷く荒れており、一戦交えた直後という感じ。
この場に、微かな魔力を感じた。間違いない。レミリアと人間が争ったあとだ。
辿り着いたところで、その人間はすぐに姿を現した。
「ちょっと! お日様が沈まないと思えば、今度は消えちゃったじゃない! お日様を出して、元に戻しなさい!」
白と赤の巫女装束を身に纏った少女が目の前に。この人間こそが、博麗霊夢。レミリアを灰に帰した、張本人。
腹が立つ。憎い。彼女の命を奪っていった。そう、彼女は死んだ。死んでしまった。もう会うことはできない。
色んな感情が胸の中でぐちゃぐちゃに混ざって、涙が溢れてきた。
ぐっと押さえて、目の前の人間を睨む。
「うるさい。お前がレミリアを、殺したんだ……。咲夜、手出しは無用よ。そこで黙って見てなさい」
「……仰せのままに」
咲夜を後ろに下がらせた。目の前の人間はえらく不機嫌であった。こちらの気も知らずに。
「いい加減なこと言わないで。吸血鬼のくせに、太陽の下に出てくるほうがおかしいのよ。自業自得なのよ」
「黙れ、人間風情が! お前が彼女を殺したことに変わりはない! だから、お前を殺してやる!」
巫女はこれが戦闘開始の合図だと受け取ったのか。自分の周囲に白と黒の玉を漂わせた。
「大体、昨日から嫌な予感がしてたのよ。変な奴が紛れ込んだんじゃないか、ってね。それがあんたでしょう!」
数々の札が私目掛けて飛んでくる。おそらく、妖怪の類を懲らしめる道具なのだろう。
その程度だと思って、全て跳ね除けるように真っ向から受けた。痛い。体が焼けるように。
でも死には至らない。だから受けつつも強引に近づいた。
右手、左手に魔力を込める。眼前の紅白を八つ裂きにするために自慢の獲物を生成。
巫女の軽い砲撃は止まらない。次に飛んできたのは、小さな針の山だった。
本能的に、危ないと思って避ける。が、避けきれない分が、私の足に食らいついた。
札とは比べ物にならないダメージであった。札以上の退魔の能力を備えているのか、人間でない私には効果てき面。
足の神経が麻痺し、痛みに叫び声を上げた。
「どう、この針の威力は! 霧を晴らさないと、もっと痛い目に遭わせるわよ!」
「だ、黙りなさい! この程度で、こんな人間何かに……!」
吸血鬼が負けることなど、あってはならない。私が愛した者を消し去った人間なんかに。
動けど動けど札が付いて回っては、針で狙い撃ちにされる。飛び道具を持たない私が不利なのは、一目瞭然だった。
肉体的なダメージの蓄積はどうでも良かった。自然治癒力でまかなえるから。
むしろ深刻なのは精神に関わるもの。不思議と、札に当たる度に自身の魔力を削られているような感覚がする。
お陰で。最大速度で空を飛び回るのにも一苦労。避けきれずに被弾すればダメージを回復するのに力を使うため、攻撃に使う魔力まで抑えてしまっている状態である。
このままでは埒が明かない。私が逃げ続けるだけの、一方的な闘いになってしまう。
「つまんないわねえ、逃げるしかできないの?」
「に、人間風情が! 調子に乗って!」
レミリアから頂いた一張羅はボロボロで、折角のお洒落は台無し。
巫女に迫るも、逃げ足が早く追いつけない。その間も、射出される札に追い回される始末。
飛び道具と、素手のみの勝負。この差を生めることの出来ない自分の実力に、落胆した。彼女に申し訳がつかない。
あのレミリアを負かしたほどの巫女の実力。人間の技。数百年生きた私と、二十年も生きていないであろう人間との実力差を作った何か。
少しずつ、追い詰められるように負けていく。このままでは私が倒れるのも時間の問題だった。
翼と手に残った魔力を集める。搾り出せる最大の速度で巫女に迫り、繰り出せる最高の威力で切り裂く。もう、これしかなかった。
なかなか倒れない私に巫女が苛立ち始めたのか。白と黒の玉を放射し、さらに激しい弾幕を放った。
少々のダメージは我慢する。札の大波を耐え忍び、退魔の針を掻い潜り、白黒の玉に掠った。敵は目前。
腕を振ろうとして、堪える。巫女が逃げようと飛んだ先に、見舞ってやるのだ。
さらに肉薄した。巫女は私の目を見つめ、逃げようとしない。
逃げようなどとせずに、私の攻撃を見切るつもりか。おもしろい。見切れるつもりなら、この爪から逃げてみろ。
右手を振り下ろす。左手で薙ぎ払う。手応えがない。目の前から巫女の姿が、消えていた。
「あんた弱すぎ。あの吸血鬼とじゃ、比べ物になんない」
後ろから声がした。振り向いたときにはもう遅い。
白黒の玉の大質量が私を押し潰し、幾つもの針が突き刺さり、たくさんの札が私に張り付いて自由を奪っていった。
「そんな……。こんなに強いなんて……。吸血鬼が、人間に負けるなんて……」
空に霧を撒いた術が解ける。赤い霧は薄れていき、夜であるのに少しずつ日の光が見えてくる。
巫女の姿が空へ消えて行った。
遠くで咲夜が見つめる。無表情に見えるが、誇りを掲げて闘った私を嘲笑うかのような、そんな感情を瞳の奥から感じた。
徐々に日の光が私に近づく。自分の手を見つめた。あれだけ必死に鍛えた爪が、いまはせいぜい体を引きずるぐらいにしか使えなかった。
「咲夜! 十六夜、咲夜!」
咲夜を呼ぶ。近くに来たところで、彼女が薄ら笑いを浮かべていることに気がついた。
「お嬢様を慕い、仇討ち。で、その結果がこれですか。随分滑稽ですこと。外から来た者なら或いは、と思いましたけど結局博麗の巫女には敵わないのね」
咲夜は私に毒を吐いた。私は、彼女の不利益となるようなことでもしたのだろうか。
まるで人が変わったかのように接し方が豹変している。
「いくらでも笑うがいいわ、主人を守れなかったくせに。……力が及ばなかったのよ。彼女を、レミリアを想う気持ちが」
「それで、わたしに何の用でございますか、セキ様。とどめを刺すのでしたら、喜んで引き受けますわ」
「なんだか、すごく冷たいのね……」
「この際だから正直に言うわ。お嬢様とわたしの間にあなたが入ってきて、邪魔だったの。余所者が好き勝手するのは嫌いなの」
「……そうだったの。それはすごく悪いことをしたわね」
「ええ。だから、消えて欲しいの」
「じゃあ、お願い。最後の頼みを聞いて頂戴」
「あらあら、傲慢なあなたらしく人に強請るのね」
「お願い。もし、もしもよ──レミリアが復活するというのなら、この服を彼女に返して欲しいの」
「……そうね。その頼みなら聞いてあげるわ」
「ありがとう、咲夜。いいえ、レミリアの小間使い」
「どういたしまして、吸血鬼嫌いの吸血鬼」
「わかっているとは思うけど、勘違いしないで頂戴。同じ吸血鬼といえど、レミリア・スカーレットだけは特別だと」
「重々承知ですわ。なんたって、紅魔館のお嬢様ですから。私の、お嬢様ですから」
差し込む太陽の光が私を気化させていく。不思議と、痛みは感じなかった。
ごめんなさい、レミリア。紅魔館で待てと言われた約束を破って飛び出したことを。もしも彼岸で会うことができれば、謝るから。
死んでしまう前に、あと少しでいいから時間が欲しいと思った。
ゆっくりと、レミリアの死を悲しむ時間が欲しいと思った。
頭の中で、彼女が私の名前を呼ぶ声がする。いや、これは自分を呼んでくれた思い出。
もう一度、私の名前を呼んで欲しい。
もう一度、私を抱きしめて欲しい。
もう一度、私の髪の毛に触れて欲しい。
もう一度、会いたい。
もう一度、一緒に遊びたい。
私、吸血鬼セキはここで意識を失った。目覚めることは、もうない。
あと物語の都合上、オリキャラと既存のキャラとの絡みが多分に含まれます。
そういったものが受け付けない方はお戻りを。
私は吸血鬼。名前はセキ。生まれながらに闇の眷属として、夜の支配者の一員として生を受けた者。
もう幾百年もの時間を過ごしてきた。だが、見た目は街を行く十代の少女達と何ら変わらない。
わかりやすい違いは大きな蝙蝠の翼と、大きく鋭い犬歯。そして太陽の光を浴び、木の杭を打ち込まれれば灰になるということ。
私の目的はこの世界から自分を含めて、吸血鬼を全て消滅させてしまうこと。
吸血鬼である私を受け入れてくれた、異性の愛人を吸血鬼に殺されてしまったから。
その人だけでない。吸血鬼を受け入れようという考えの人々まで、わざわざ殺しにいった同属が恨めしいから。
大切な人々を殺していった吸血鬼という存在が憎い。この世の吸血鬼を全滅させて、自分も灰になってやる。
そうすれば、もう吸血鬼に悲しむ人はいなくなる。だから私は同族を殺して回った。
次の目標は吸血鬼の中でも悪名高い、レミリア・スカーレット。
聞くところによれば、自分を殺しにきた吸血鬼殺しの人間を従わせているという。
なんと我侭か。その人間がかわいそうで仕方が無い。
レミリアは吸血鬼として身体能力が高いだけでなく、周りの者を数奇な運命に導く能力があるという噂。
しかし意外なことに、レミリアは吸血行為による同属作りが苦手という情報を得た。人間の従者も、まだ吸血鬼にされていない可能性がある。
できるだけ急いでレミリア・スカーレットを滅してしまい、その人間を救いたい。
私はレミリアがいる場所をつきとめた。日本の幻想郷という所で、紅い館に住んでいるという。
それから、私は日本へ飛んだ。今なお神話や信仰の建築物が多く残る京都へ。
幻想郷へは博麗神社が管理する大結界で、現世と切り離されていると人から聞いた。
ならば、それらしい寺や神社を訪問して歩いていけばいつか博麗神社に辿りつき、境界を越えられるのではないか。
大雑把であるが、そう考えた私は町中を歩きまわった。
太陽が顔を出している下でも動けるよう、日傘を差して。
吸血鬼がいると騒がれるのは面倒なので、自分の翼が見えないように魔法をかけておいて。
幾つかの宗教的な意味のある建物を巡っていくうち、とある山奥にある小さな神社を目指して歩くことに。
山に入り、景色は木々の生い茂る林へ。さらに深くなり、森へ。
人間が歩きやすいように用意された木組の階段は徐々に崩れはじめ、道は険しくなっていく。
柵などというものは最早なく、道の先には獣が通った跡さえ無くなって来た。
霧が出始め、引き返す道さえわからなくなった。迷ったのだろうか。
辺りに違和感がする。人がいる気配ではなく、妖精や妖怪の類が放つ気配。
もしやと期待する。寺院を周ってきたが、こんな空気を感じたことがない。
やはりと確信した。この先には、妖かしの者がいる。はたまた、結界を越えて幻想郷に繋がっているに違いないと。
森を抜けると、そこには大きな湖が広がっていた。
湖の近くに見えるは、紅く窓の少ない大きな館。吸血鬼一匹とその従者だけが住んでいるとは思えないほど大きな建物。
この館こそ、あのレミリア・スカーレットの居城に違いない。
私は真っ直ぐ、館の入り口を目指した。
わざわざ夜を待つよりも、眠っているであろう今を狙うほうがいいと思って。
吸血鬼は夜にエネルギーを使う生き物だから、昼間は動きが鈍いはずであるから、殺しやすい。
私は一錠の薬を飲み込んだ。これは家畜の血を凝縮したもの。
この薬を飲むことでわざわざ人間を殺し、生き血を吸う必要がなくなるのだ。血を欲するこの体を誤魔化すことができるものなのである。
入り口には一人の門番がいた。気配からして人ではなく、妖怪であるとわかった。
さてどうしたものか。邪魔者がいるなら全て倒してしまう気持ちできたが、日傘で片手が塞がっている状態。
目眩ましで簡単に誤魔化せる程度の妖怪であればいいが、そんな簡単な術が通用するようには思えない。
ここは挨拶の一つでもしてみて、様子を伺おう。
「失礼。道に迷ったのですが、ここはどこなんでしょう?」
中華風のお洒落で身を包んだ妖怪が、明るい笑顔で挨拶を返す。
「あら、珍しい。むしろこんなところへ迷えるのが凄いわね。ここは紅魔館と言って、吸血鬼お嬢様のお家よ」
門番をしているであろうと思ってどんな態度で接せられるのかと思っていたが、案外人当たり良い妖怪のようである。
「ふうん。これだけ立派な、お城みたいな家に住んでおられるのだから、とてもお綺麗で、立派な方なのね」
「おまけにすごく強いわよ。私なんかぶっ飛ばされちゃうかも、なんてね」
軽い冗談を飛ばした門番。とても人をとって食う妖怪とは思えない。むしろ、外道な人間よりよっぽど人間に近いと感じた。
「そのお嬢様に、是非とも会ってみたいわ」
笑い声を飛ばす門番が、口を閉じた。目線は鋭くなり、体からにじみ出る妖気が爆発的に膨らむ。
人らしい妖怪から、妖怪らしい妖怪に変化したようにも見えた。
「残念だけど、それはできない。ここを通りたければ、私を倒してみせなさい」
足を踏みしめ、大地を震わせた。とある拳法の構えを取り、私を睨む。
門番はあくまで門番。主と対峙すべき力があるかどうか試される相手と言えよう。
この理論が正しければ、この妖怪はそんなに強くはないかもしれない。かといって、油断はできない。
拳法とは人が人と闘うための手法であるから、おそらく相手は人外の私にどれだけ通用するかわからないはず。
故に基礎的な体力、筋力、反射神経等は妖怪の類に張り合えるほど鍛えてるに違いない。
今すぐこの門番と戦うべきか、門番が寝静まるであろう夜を狙うべきか。
先ほどから幻惑の術をかけているが、全く変化がない。何かしら、耐性があるらしい。
どちらにせよ、この門番との戦闘は回避できないのかもしれない。
ならばいい。準備運動代わりに、この妖怪を消してしまおう。
「美鈴、その方を通して上げなさい」
門の奥から女性の声がした。奥から出てきたのは、銀髪の小間使い。
美鈴と呼ばれた門番は驚く。彼女から殺気が消えうせた。
「どういうことですか、咲夜さん。どうみても目の前の奴、怪しいじゃないですか」
「この方はお嬢様のご客人だそうよ」
「お嬢様の友達? そんなの聞いたことないわ」
私もそんなこと知らない。レミリアという同族となんか、一度も会ったことがない。
「いいから、お通ししなさい。失礼しました、この門番めの無礼をお許しください」
小間使いが頭を下げる。門番もつられて頭を下げた。
「私は十六夜咲夜。ここ紅魔館の主、レミリア様にお仕えしている者です。今日はお嬢様からご客人が訪ねてくると聞いております」
「……セキよ」
「セキ様ですね。では、館内へご案内させていただきます。どうぞ中へ。傘をお持ちしましょう」
門番は私を見て「本当?」と疑いの眼差しを飛ばしてくる。首を左右に振りたいところだが、ここは中にいれていただこう。
だから、何も言わず小間使いの言うとおりに従った。
すっかり気力の萎えた門番をかわして、いざ紅魔館の中へ。
館内ではたくさんの妖精がメイドの格好をして、そこら中を飛び回っていた。
床には赤いカーペットが敷かれており、よく掃除されていてとても綺麗である。
廊下には芸術品、珍品が飾られていた。いずれも、小間使いの咲夜が集めたものらしい。少し前に、そう聞いたから。
小間使いと私、沈黙して紅魔館を歩く。
階段を昇り、突き当たりの部屋を目指して。
それにしてもこの小間使い、ただの人間ではなさそうだ。息使い、体運びは間違いなく訓練されたものとしか思えない。
何より、この小間使いが先ほど門の奥から出てきたときのこと。気配を全く感じさせること無く、あの門番の後ろに立っていた。
相当な腕前を持っているに違いない。
レミリアのことを主と呼んでいたから、この小間使いこそ従わされている人間なのだろう。
嫌々この仕事をしているようには見えないが、もしかすれば命令に従うよう術をかけられているのかもしれない。
もしくは、従っている振りをしてレミリアを殺す機会を窺っているのか。
突き当たりに到着した。咲夜がノックし、扉が開け放たれた。
そこには、椅子に座る吸血鬼がいた。
ただひたすらに、私が来ることを待ち望んでいるかのように。
私が訪ねてくることなど最初から見透かしているように。紅い悪魔、レミリア・スカーレットは佇んでいた。
手入れの行き届いた綺麗な髪。端正な顔つき。趣味のいいお洒落。立派な翼。ガラス細工のように繊細で、鋼より強そうな四肢。
そのどれもが、力ある吸血鬼に相応しい品格を持っていた。
「はるばる幻想郷の外からようこそ。わたしはここ、紅魔館の主、レミリア・スカーレットよ。あなたの名前を聞かせてちょうだい」
レミリアの口から聞く、記念すべき第一声。透き通るようなソプラノに、鳥肌が立った。
薔薇の香りがする。彼女の香水のせいなのだろうか。全身に浴びた鉄の臭いを誤魔化すための。
「セキよ。はじめまして、レミリア・スカーレット」
「そう、セキって言うのね、あなたのお名前は。わたしのことはレミリアと呼んで結構よ」
私の反応を聞いて、レミリアが卑屈に笑った。物の怪らしい、狂気を内包したような目つき。
生き血を吸うために殺めた人の数は百や二百じゃ済まないだろう。直感的に、そう思った。
私を見つめるレミリア。そのレミリアを見つめ返す私。
想像した。この、お嬢様と親しまれる吸血鬼がどんな戦い方をするのか。
さぞかし優雅に、美しく立ち回るのだろう。動きはすばやく、その攻撃は並の生物を簡単に死滅させるほどのものなのだろう。
相手も同じようなことを考えているのだろうか。
楽しそうだ。いや、この吸血鬼と闘えばきっと楽しいに違いない。
殺す、という目的を忘れてしまうほどに闘ってみたい。お互いの体をぶつけ合い、爪を交わし、相手の血でこの場のカーペットを染めてみたい。
気がつけば、私も笑っていた。レミリアのように不吉で不気味な笑み。わかっていても、笑いが止まらない。
「ねぇ、セキ。何がそんなにおかしいの?」
「いえ、なに──あなたがあんまり綺麗だから、羨ましいと思っただけ」
「お世辞はやめて欲しいわ。あなたの方が、よっぽど綺麗だと思っているのに」
翼にかけていた魔法を解かした。動かすことができずにいた翼を、羽ばたかせた。
「立派な羽をお持ちで」
後ろで控えていた咲夜が口を挟んだ。
つい睨んでしまったが、彼女は怯むことなく笑顔で返した。
「嬉しいわね。これを褒められたことなんて、一度もなかった」
「それは光栄ですわ。さてと、お嬢様、セキ様、お茶とお菓子をお持ちします。少々お待ちを」
「お菓子? 私は甘いものが嫌いなの。お菓子はけっこう」
「セキ、どうか味わって欲しいわ。きっと、あなたも気に入るから」
「……そう。あなたがそう言うなら、持ってきて頂戴」
「かしこまりました」
咲夜は頭を下げ、部屋を出ていった。レミリアが椅子から降りて、こちらへ近づいた。
ああ、近くで見るのもいい。その姿を。
「こんなところで同族と出会うなんて、奇遇だわ」
「私はあなたに会ってみたくて、ここまで来たの」
「ねえセキ、色んな話を聞かせてちょうだい。あなたと一杯おしゃべりしたいわ」
「勿論よ。レミリアの話も聞かせてね」
「どうぞ座って。時間は、たくさんあるんだから」
ここに来たのはレミリアを殺すため。灰に返し、塵にしてやること。
レミリアにまだそれは気付かれていないと思う。今下手に動くことは厄介だろう。もう少し様子を見よう。
それに私自身、レミリアとおしゃべりがしたくて仕方がなかった。
咲夜はすぐに来た。大きなトレイを持って。
テーブルにカップと白いクリームでデコレーションされたケーキが乗った皿が並べられる。
「紅茶と生クリームのケーキでございます。少しお待ちを」
カップにお茶が注がれる。おそらく高価な茶葉なのだろう。安物など、このレミリアに似合わないから。
咲夜は砂糖が入っているであろう小瓶をテーブルへ用意した。小瓶を開けると紅茶に一滴、ケーキに数滴赤い液体を振りかけた。
「どうぞ、お召し上がりください」
咲夜の言葉を聞いたレミリアがお茶を口に含んだ。私もスプーンでかき混ぜ、それに習う。
口にした瞬間、感じた。鼻にくる嗅ぎ慣れた鉄錆の匂い。舌で感じ取れる、ヘモグロビンの味わい。
あの小瓶に入っていたのは砂糖などではない。人間の血であった。
長らく飲んでいなかった。何百年も味わっていない、人の血。紅茶自身を味わう余裕が消える。
体中が火照り始めた。もっと欲しい。血が。もっと、もっと飲まなければ。こんな少しの血では、余計に渇きを誘う。
犬歯が痛い。人間の首につき立てて、生き血を吸いだしたい。
ずっと家畜の血で押さえていた血飲の衝動が、襲ってきたのだ。
「いかが、セキ?」
「ふふ、ふふふ……美味しいわ、すごく美味しい」
素直な感想だった。いかに人間を殺さずに生きてきた自分であっても、その血液はどの菓子よりも甘い。
今まで回避してきたところで、体が求めるものは変えれない。故に、吸血鬼なのだから。
「気に入って良かったわ。やはり、咲夜の入れるお茶は一番ね」
「恐れ入ります」
体が血を求めて暴れだすことだけは避ける。必死に押さえるしかない。が、近くにいる咲夜を見て犬歯がうずく。
ケーキにかけられたソースも、苺のシロップに見えるが人の血である。
この衝動を抑えるためにも、ここはあえてお茶に呼ばれる以外に方法は無かった。理性を押さえるより、ある程度従ったほうがマシであると思って。
「さすがあなたの小間使いね。心使いが行き届いているわ」
「ただの小間使いじゃないのよ、咲夜は」
ケーキをつまむ。スポンジの生地と、クリームの甘さなんて気にならなかった。血の方が甘いから。
「あら、特技でもおありで?」
紅茶で口の中を流して、訊いた。
「そうね。ナイフがお上手よ」
聞いて、吸血鬼退治に銀が用いられることが頭に浮かんだ。
そして思い出す。レミリアを退治しようとした人間が、銀のナイフを使っていたことを。
「それは是非見てみたいわ」
「そうですか。しかし、セキ様に手を出すのは気が引けます」
「咲夜、セキはお望みなのよ。持て成して差し上げなさい」
「では、その通りに」
レミリアの近くで控えていた咲夜が頭を下げて一礼。
どこからナイフが飛んでくるのか楽しみにしていると、次の瞬間には三本のナイフが目前にまで迫っていた。
咲夜がナイフを投げる仕草など見えなかった。飛ぶナイフが風を切る音も聞こえなかった。何より、咲夜から気配を全く感じなかった。刃物を飛ばそうという気配を。
すぐさま爪を伸ばし、ナイフを弾いてみせた。さすがに当たれば、火傷をするであろうから。
ベクトルの狂ったナイフが音を立てて床に落ちる。かと思うと、ナイフは床に吸い込まれたかのように消えていった。
このメイドが扱うナイフは消えるとでも言うのであろうか?
「おもしろいわね、レミリアの小間使いは」
「気に入っていただけたようね」
「ええ。手品でも使ったのかしら?」
「いいえ、種も仕掛けもございません。今のは私が投げたナイフです」
「……」
だとすればこの人間、やはりできるのもしれない。
油断していれば、あっさり貫かれていた。レミリアを追い詰めたと聞くほどの、実力を持ち合わせているのだろう。
「では、私は仕事がありますので失礼します。何かありましたらお呼びくださいませ」
咲夜はそう言うと頭を下げて、消えるように部屋を出て行った。
「驚かせてしまったかしら」
「驚いていないといえば嘘になるわ。あの小間使い、ただの人間じゃないのね」
「そうよ。咲夜をただの人間だと甘く見ると、痛い目見るわ」
「……何か秘密があるのね? 例えばそう、空間に裂け目を作る、とか」
「はずれ。それは別の誰かさんのだわ。でも、おしい」
「幻想郷には愉快なのがいるのね」
「一杯いるわ。生きてる奴から、死んでる奴まで」
「それにしても、わからない。武器を作ることができるのかしら、あなたの小間使いは」
「もっとはずれ。空間に関係あることよ」
「……だめ、わからない」
「正解は時間を操る能力よ、咲夜が使っていたのは」
それはつまり、時間を止めて自分だけが動き回れるということ。
おそらく、さっきのは時間を止めてナイフを飛ばし、私の目前で能力を解除したのだろう。
弾いたナイフが消えたのは、時間を止めて回収したに違いない。
何とも厄介な能力だ。ただの人間が有する能力で考えると、非常に悪質だ。
ケーキの残りを頂き、少し冷めてしまったお茶を飲んで少しでも血を満たす。
レミリアは私が食べ終わるのを待ってくれているのか、話しかけてこなかった。
最後の一口を特殊なスパイスが効いた紅茶で流し込む。絶対的な血飲量は少ないが、疼きだけでも止まればけっこう。
「ご馳走様。こんなお菓子なら喜んで毎日食べたいわ」
「お粗末様。そういえばあなた、泊まるところはあるの?」
「え……」
どうしよう。寝る場所まで考えていなかった。
ここは幻想郷。野宿するにはいろいろと危なっかしい輩が多い。
「ないなら、泊まっていくといい。部屋はたくさん余っているから」
それは好都合だと思った。簡単に寝首を掻くことができるから。逆にこのことを悟られた場合、私自身が襲われるリスクも伴うが。
それでも構わないかと思った。もう少しこの吸血鬼と一緒にいたい自分がいたから。
「では、お言葉に甘えて」
「是非そうして欲しいわ」
しかし、このあまりに美しすぎる吸血鬼を傷つけることに抵抗があった。
自分にそこまでの資格などないと思わせるほどの、オーラを漂わせているから。
身長は十代の人間にも満たないほどであるが、その瞳の奥に秘める輝きは何百年も磨かれ続けた宝石の様。
そんなレミリアに手を出すなんて恐れ多くて出来ないと思い始めた。
ああどうしよう。ここまできて、殺すことを躊躇ってしまうなんて。
食器を片付けに来た咲夜に、部屋へ案内してもらうことにした。レミリアとはまた後に。
「先ほどの、突然の無礼に重ねてお詫び申し上げます」
「あら、いいのよ。もうそんなこと」
「そうですか。セキ様がいい反射神経をお持ちなので、思わず嬉しくなってしまいました」
「今度はもっとたくさんのナイフを飛ばしてくれるかしら」
「お望みとあらば」
この人間もどれほどの者なのか、いまいちわからない。
能力の話は先ほどレミリアに聞いたが、身体能力もおそらく並のものでは違いない。幻想郷で生き抜いているんだから。
何より、この十六夜咲夜という人間が本当にレミリアに打ちのめされ、契約のもと従者となっていることに疑いを持ってしまう。
主人が何も言わずとも従者はどんな奉仕をすべきかわかっているような。そんな関係に見える。
主従関係と言うよりも、長年戦ってきた者同士がその末にくっついたような。そんな関係に見える。
もしかすれば、咲夜は契約されたとはいえ嫌がってというわけではないのだろうか。
体に傷をつけられているわけではない。衣服も与えられている。レミリアの待遇はとても素晴らしいようにも思えた。
話に聞いて、同族嫌悪している私の思い込みのせいであって、レミリアと咲夜の関係は非常に特別なものかもしれない。
「十六夜は」
「咲夜と呼んでいただいて、構いません」
「そう。咲夜はレミリアをどう思っているの?」
「それはどういった意味でしょう?」
「例えば、怖いだとか」
「憎い、とお答えすることを期待されているのでしょうか?」
「……どこかで聞いたことがあるの。吸血鬼を襲った人間が返り討ちに遭い、その人間が吸血鬼の僕になったと」
「……」
咲夜の表情は暗い。触れられて欲しくないのか、うんざりしているのか。そんな顔。
「話したくなかったら、それでいい。私が首を突っ込むことじゃないでしょうから」
「確かに私は愚かにもお嬢様に挑み、生死をさ迷いました。しかしそれは過去のことでございます。私は命を助けられ、今の名前を頂きました。
私は十六夜咲夜です。あなた風に表現すれば、お嬢様の小間使いです。それ以上でも、それ以下でもございません」
そう言った咲夜の目には、温かみのある感情がこもっていた。自信を持って言い放った証拠。
「……ごめんなさい。出すぎたことを訊いたわね」
「わかっていただければ構いません。それにしても変なことを仰いますね、セキ様は」
「うん?」
「ご自身が吸血鬼であるのに、人間の私を心配なさるなんて」
「……」
「あら、いけない。私は出すぎたことをお尋ねしてしまったのかしら」
「そ、そうよ! あなたは今、出しゃばったことを訊いたのよ!」
「それはそれは、失礼しました」
「客に対する心使いを、きちんとして欲しいものだわ」
難癖をつけて誤魔化した。こんな人間に、私の過去を理解してもらうつもりなんてさらさら無い。
ある一室の扉を開けた咲夜。勧められるまま、部屋へ。
その部屋にも綺麗に掃除されたカーペットが敷き詰められ、数々の芸術品が飾られていた。
大きな天井付きのベッドが一つ。丸い、四脚のテーブルと椅子が一つずつ。クローゼットと思わしき家具に化粧台が一つと、セットの三面鏡。
部屋に窓はなかった。いい配慮だ。
「なかなか良いお部屋じゃない。気に入ったわ」
「それは何よりです。もう少しでお夕食の時間ですから、その時はお呼びします」
「そう、わかった。ありがとう」
「ええと、重要なことを忘れていましたわ」
「何?」
「ここ幻想郷では、吸血鬼は勝手に人間を襲うことを許されていないのでございます」
「それは何、法律?」
「契約でございます」
「それには逆らえないわね。覚えておくわ」
「セキ様に相応しいお食事をご用意いたしますのでご安心を。それでは、何かございましたらいつでもお呼びくださいませ。失礼します」
深く頭を下げて、咲夜が部屋を出て行った。
咲夜には人を襲えないことに残念がった風に言ったが、襲う気なんて毛頭ない。
プライベートな時間が出来た。背伸びをする。欠伸が出た。随分、疲れてしまっているようだ。首を回すと骨が音を立てた。
少し時間がある。休もう。薬を飲んで吸血行為の衝動を和らげた。
ともかく、レミリアと目を合わすと魅了されてしまい、殺気が失せる。なんとかしないと。
頭が痛くなってきた。どうするすきか整理しよう。
ベッドに飛び込み、目を瞑った。眠っている最中に襲えるものなら、襲ってみろ。
そう呟く。意識は落ちた。
周りで喋る声が聞こえて、目が覚めた。
小さな、メイドの制服に身を包んだ妖精達が部屋の掃除をしている最中だった。
頭がすっきりしてる。いつレミリアを襲うか、方法は、あの小間使いが邪魔にならないようにするには、他に使い魔がいた場合、どうするか。
考え始めて、レミリアの表情が思い浮かんだ。
吸血鬼らしく、鋭い刃物のような怖い笑顔。その裏にある、人間らしい暖かい笑顔。
あの綺麗な目で私をもっと見て欲しい。
レミリアの声を反芻した。
時に相手を奮い立たせるような、狂気を含んだり。またあるときは、声を聞くものを癒す慈しみが含まれていたり。
ああ、もう一度私の名前を呼んで欲しい。
結局、私にあの吸血鬼を殺せる自信はどんどん消えていった。
私の大切な人をおもしろ半分に殺していった、自分と同族なのだ。人を捕食することに何の抵抗も感じない、自分と同じ種類の生物なのだ。
そう思い返しても、あのレミリアだけは格別であると、信頼を寄せる自分がいる。
レミリアがどれだけの人から血を吸って生きてきたとしても、許せる自分がいる。
たとえ私の目の前で人の命を奪い、返り血で赤く染まった服を見せ付けられたとしても、目を瞑ってやりたいと寛容な態度の自分がいる。
どう足掻いたとろで、私はあのレミリアを殺す動機を失ってしまったようだ。
妖精メイドが私の顔を覗いていた。私は今浮かない顔をしているのか、花瓶にあった花を差し出して、元気付けようとしてくれている。
妖精の奉仕を遠慮して、もう一度横になった。今は、妖精の優しさがうざとかった。
ここまで来て何もしていない自分に腹が立つ。
いままで数々の吸血鬼を狙ってきた私だが、こんな葛藤を覚えるなんて初めての出来事だ。
自分の指先にある、爪を見た。肉体を守る鎧すら切り裂けるよう、鍛えた自慢の爪。結界さえも破れるよう、様々な魔術を施した私の爪。
この爪で吸血鬼の動きを封じて、懐に忍ばせた木の杭を打ち込めば、吸血鬼は灰になる。いままで、そうして吸血鬼を倒してきた。
それをレミリアに当てはめてみるが、どうもイメージしきれない。途中で自分が諦めるか、逆に屈服させられる姿しか想像できないでいた。
「失礼します」
ノックの音に続いて、咲夜の声がした。急いで杭を隠してから、入室を許可した。
「お食事の用意が出来ましたが、いかがされますか?」
「あ、あらそう。すぐに行くわ」
妖精メイド達を尻目に、部屋を後にした。
「セキ様、悪い夢でも見たのですか? お顔が優れないようですが」
「そんなところにしておいて頂戴」
「……」
広間に誘われて、テーブルに着く。妖精メイドが料理を並べていた。
私の他にテーブルに着いている者がいて、門番と一人の知らない少女、その少女お付の使い魔がいた。レミリアはまだいない。
門番が手を上げて挨拶。呼ばれるがまま、私もテーブルへ。
「昼間のお客さんですね。あの時は悪かったわ、お嬢様のお客さんが来るなんて知らなかったから」
「もういいわよ、そんなこと。それより、あなたは何ていうの?」
「紅美鈴。あなたはセキさんで良かったかしら?」
「ええ、美鈴ね。それでそちらの、隣の人はだあれ?」
美鈴の隣の少女に意識を飛ばした。さっきから本と睨み合うことに忙しいのか、私のことなど全く気にしない。
本読み少女からは魔力の気配を感じる。魔法使いなのだろうか。
美鈴がその少女の肩を叩いて呼んだところで、やっとこちらに気付いた。
「……?」
「はじめまして、本読みで忙しい方。私はセキ、あなたは?」
「……パチュリー。パチュリー・ノーレッジよ」
「そう、少しお邪魔することになったの。よろしくね」
「ニンニク」
「なっ……!」
パチュリーの発した言葉に、思わず体が震える。その名前を聞いた衝動で、思わず席を立った。
全身の毛を逆撫でされた気分になり、吐き気がする。
「が嫌いなのね」
「変なこと言わないで頂戴! 私が吸血鬼だとわかっていて言うなんて、もっと酷いわ!」
「まあまあ、セキさん。落ち着いて」
「……」
パチュリーは読書を再開した。私のことなど、どうでもいい様である。
それにしても、なぜパチュリーは吸血鬼が嫌いなものを知っているのか。
吸血鬼ほど有名になると、誰もが苦手なものぐらい知っているからか。
「いかがされましたか、セキ様」
お皿を並べる咲夜が尋ねた。
「……別に、どうもしないわ。少しからかわれただけよ」
「そうですか。もうすぐお嬢様をお呼びしますので」
「そう」
どうしてそんなことをわざわざ言ってくれるのか。私が心待ちにしていることを、わかっているような言い回し。
それにしても、レミリアはなぜ私が訪れることをわかっていたのか。
本人に直接訊いてみるのが一番だが、どうにも、それだけはしたくない気持ち。
こちらから訊けば、疑いを持たれてしまうかもしれないから。向こうから吐いてくれれば、自然な感じでいいと思うのだが。
「セキさん、ちょっといいですかー?」
美鈴に呼ばれた。レミリアはまだ来ない。パチュリーは相変わらずである。
「何かしら?」
「お嬢様とはどこで知り合ったんですかー?」
返事に困った。レミリアは皆に客人ということにしているのだから、こんな疑問を持つのは普通だろう。
しかし実際は彼女がそういうことにして私を招いただけであって、今日までお互い面識はなかったのだから。
「あなた達と知り合う前の話よ」
声を聞いて、思わず思考が固まった。あんまり声が綺麗だから。
レミリアが来たのだ。後ろには咲夜が控えている。
「……ええ、そうよ。ずっと昔の話」
適当に話を合わせると、美鈴は頷いて納得した。
「待たせたみたいね。セキ、よく休めた?」
「え──ええ、昼間無理に動きすぎたものだから、まだ疲れが残ってるけど」
レミリアはなぜ私が寝ていたと知っているのだろう。
もしかして、寝ている間に部屋へ来た?
「夜に来てくれればいいのに、わざわざ昼間に尋ねてくれたのだから。疲れてるのは当然でしょう?」
「さすが同じ者同士、わかってくれるのね」
そうでもないみたいであった。
もし私の持ち物を探られていたら、木の杭を見つけられていたら、吸血鬼を殺しに来たことぐらいすぐに察しをつけられてしまうのだから。
そうなってしまったら、疑いを持たれてしまう。
テーブルに料理が揃ったのか、料理を運んでいた咲夜も席に着く。パチュリーは使い魔に本を渡すと食器を手にする。
「それでは皆さん、どうぞ召し上がってください」
咲夜の一声で皆目の前の料理を皿に取り始めた。どうやら、伴食になっているらしい。
普通咲夜のような小間使いは、主人が取ったあとに取るというのに。ここでは、ある程度のマナーはどうでもいいのかもしれない。
献立は一見普通の人間が食べるものと大差ないように思えたが、どこかしらに人間の部位が使われているように見える。
妖怪、魔法使い、それから吸血鬼。これらが食べるには相応しい食事であった。
この食事を用意するために命を失った人間にお詫びをこめて、久しい血をたくさん味わった。
純粋な人の血はやはり美味しかった。この体に最も合う食事だ。力が沸いてくる。
食後のワインにも、やはりそれは含まれていた。
パチュリーはレミリアの事をレミィと呼び、レミリアはパチュリーのことをパチェと親しみを込めて呼び返していた。
彼女達は仲がいいんだろう。時折会話が途切れても、お互い沈黙を楽しんでいるような感じだから。
少し、パチュリーを羨ましく思った。
私は先に食事を上がらせていただき、廊下の窓から外へ出た。
夜の空は良く晴れて、月が見える。今晩は満月のようだ。少し体を動かそうと思い、紅魔館の上を飛んでみた。
冷たい空気が気持ちいい。自由に動けることに、快感を覚える。文字通り羽を伸ばせるのだから。
レミリアのことを考えて、ため息が漏れた。
いっそレミリアを殺すことは諦めて、他の吸血鬼を探しに行こうかとも思う。
自分がまるでレミリアに恋をしているみたいだから。同姓、同族の彼女に愛を注ぎたいと思う自分がいるから。
もしかすれば、私はレミリアの能力によって彼女に恋心を抱くという、数奇な運命に導かれてしまったのではないか。
レミリアを殺すことができないという未来に誘われてしまっているのでないか。
そうであるなら、ここまで殺意が失せるのも目に見えない効果のせいだと言えないだろうか。
とにかく、こんな状態でレミリアに立ち向かおうなんて無理な話かもしれない。
視界の端に誰かが見えた。噂をすれば何とやら。レミリアが私を追って飛んできたのだ。
「賑やかなのは嫌いだったかしら?」
「そんなのじゃないわ。ただ、体を動かしたかっただけなの」
「パチェに遊ばれていたのね」
「……思い出したくない」
「悪気はないんだから、許してあげて」
「ええ、もう過ぎたことだし……」
「それより、遊びましょうよ。似たもの同士でさ」
「いいわよ、追いかけっこでもする? すごく激しい鬼ごっことか」
「吸血鬼らしく鬼を演じればいいのね。賛成よ」
「じゃあ私が鬼の役でいいわ」
レミリアが距離を置いた。いつでもどうぞと言いたげに、にっこり笑う。
合図だと受け取り、空を蹴った。私から逃げるように、レミリアも飛ぶ。
上下左右だけでなく、立体的に動き回るレミリア。
同じ翼を持つものだけあって、飛び方も殆ど変わらない。
「さすがね。ちょっとやそっとじゃ逃がしてくれなさそうじゃない」
「レミリア、あなた速すぎ。全然追いつかせてくれないじゃない!」
小さく旋回して、素早く相手を回りこむように追いかけても、同じように飛ばれて一定の距離を保たれる。
速度もお互い、殆ど差がない。レミリアが思っていたほど速く飛ばないから。
とはいえ、私は最大に近いスピードを出しているのに対して、向こうは表情に余裕がある。相手の底はまだまだあるのだろう。
レミリアが紅魔館の屋上を背にする形で追い込めば、勝機はあるかもしれない。
相手を屋上へ押し込む形に誘導。屋上が近づいてきたところで、レミリアに向かって急接近。
しかしレミリアのトップスピードを以ってされれば、小手先の策略などに意味はなかった。
悩み果てて止まっていると、向こうも止まった。お互い、数メートルの距離を置いたまま。
気持ち良さそうに肩で呼吸するレミリアが言い放つ。
「このままだと決着が着きそうにないわね」
「同感。鬼を変えてみる?」
「ううん、やめておくわ。あなたが思ってたより速くてびっくりしちゃった」
「それは嬉しい限りだわ」
「それじゃあ、あなたは何が自慢かしら?」
レミリアにそう訊かれて、自分の利き手を見せ付けた。力を込めて、爪を伸ばす。いずれも長さは短剣ほど。
「私には、これしか能がないの」
「弾幕を放つのは苦手なようね」
「飛び道具は持ち合わせてないわ」
「そう。じゃああなたの土俵で遊んであげる」
レミリアも爪をちらつかせる。私のそれと比べると、あまり立派には見えない。
それでも彼女自身から感じる、底知れぬ魔力に恐怖する。おそらく彼女は肉弾戦以外もこなせるのだろう。
そして思う。今の気持ちなら闘える。その美貌に目を奪われることなく、戦闘に集中できそうだ。
「見てよレミリア、今宵はこんなにも月が丸いわ。吸血鬼同士の、永い永い夜を楽しめるわね」
「ええ、素晴らしいわ。ちょっとやそっとじゃ壊れてくれないんだから、無理をさせてもらうわよ」
レミリアが高笑いを響かせた。それに驚いた、眠る野鳥達が遠くで飛び立っていく。
その甲高い笑い声を聞いて、体が震えだした。こんなにも強そうで、美しい同族と命を奪い合えることが嬉しいと。
口がにやけてしまう。レミリアと初めて顔を合わせてから望んでいたことが実現するなんて。
「セキはいつまでわたしの踊りと付き合ってくれるかしら?」
「オープニングからエンディングまで。アンコールも付き合ってあげる」
レミリアを睨んだ。レミリアも私を睨み返した。双方、肉薄して凶器を交わす。
レミリアの獲物は思った以上に鋭く、私の肉体をいともたやすく傷つけた。しかし私もただでは済まない。
鍛えぬいたこの爪の威力は、簡単に彼女の脇腹を貫く。引き抜いて、距離を取った。
「へぇ……おもしろいじゃない」
私の爪の味さえ楽しむレミリアが微笑む。初めて会ったときのように。
今は満月。吸血鬼に最も力があるとき。傷つけられたところはたちまち回復し、風穴のあいた彼女の脇腹は瞬時に塞る。
「でも、こんなのじゃあなたは怯みもしない。そうでしょ、レミリア」
「ええ。何より、こんなに楽しいんだから。音を上げるなんてセキに失礼じゃない」
やはりこの相手では、今宵の状態なら、生半可な攻撃ではお互い倒れない。
レミリアが相手なら、体の奥底から湧き出る魔力を注ぎ込んでも、おそらく倒れてくれない。
レミリアがどれだけの攻撃を当ててきても、私はきっと起き上がれる。
音楽が欲しいと思った。チェンバロの様に悲壮な感じが漂う、幻想的な音色の音楽で。
演奏者の指が壊れるほどの、楽器を痛めるほど狂ったように激しく、速い弾き方で。
どちらが先に動いたか。再び肉の削ぎ合いが始まった。
夜は永いといえど、限りがある。日が昇ってしまえば、お互い吸血鬼。日陰に入らないと蒸発してしまう。
爪が折れれば生やして斬りつける。腕が落とされたりでもしたら、拾い、くっつけてまた闘う。その繰り返しの内に、朝焼けの時間が迫ってきた。
夜の力が弱まり、怪我の治りも遅くなってきた。息が上がってくる。そろそろ、決着を着けないと。
「ねえセキ。次の攻撃で白黒着けましょうよ」
「いいわ!」
レミリアもお望みのようである。私は残りうる魔力を利き手に集め、爪を鍛えなおした。
羽をはためかせ、レミリアに近づく。これでこの吸血鬼が動けなくなれば、私の勝ちだ。
直後、レミリアが囁く。神槍、スピア・ザ・グングニルと。
彼女の手に、似つかわしくないスケールの、巨大な真紅の槍が発生。
どこかで聞いたことのある名前だった。本で読んだことのある名前だった。
それは神が愛したという槍の名前。
接近する私へそんな攻撃は届かないと、言わんばかりに放たれる。
獲物で対抗するも弾かれ、神槍が私の胸を貫いた。威力を抑えきれず、槍の飛ぶベクトルへ飛ばされる。
飛ぶ力さえ失った私は抗えることなく墜落していき、紅魔館の屋上へ叩きつけられた。
「ううっ、げほっ! ごほっ!」
膨大な熱量を伴うその槍は刺し傷だけでなく、私に火傷をももたらした。
もう飛び回る体力はない。体を治すほどの力も殆ど無かった。
殆ど無傷のレミリアが私を見下ろす。
やはり、私では彼女に勝つことなど不可能だったのだ。愚かだったのだ。
まして神の愛した槍を有するなんて。私の爪と比べれば立派すぎて、彼女の武器と比べる事が失礼に値する程。
私は全力で闘った。レミリアも、最大の術を以って相手をしてくれた。
ここで灰になってしまっても、悔いはなかった。
冷徹な、悪魔のような笑顔のレミリア。私は彼女を畏れて、跪いた。
レミリア・スカーレットという高貴な存在。それは吸血鬼の私でも憧れるほどの、カリスマ性と強さを誇っているから。
「セキ、顔を上げてよ。あなたがわたしに頭を垂れる必要はないんじゃなくって?」
「……ううん、私にはあなたと、レミリア様と肩を並べる資格なんてない」
「どうして様付けなの? 同じ吸血鬼同士じゃない」
「私に、あなたと対等といえるほどの力はない。だから私はあなたを呼び捨てにするなんてできない」
「セキ、お願い。顔を上げてちょうだい」
そこまで言われて、恐る恐る顔を上げた。彼女は笑っていた。悪魔的なものではなく、優しく、温かみのある人間的な笑顔。
「楽しかったわ、また一緒に遊びましょうよ。だから、そんなこと言わないで」
「……レミリア」
彼女が手を差し出す。私はその手を取り、抱き起こしていただいた。
館の中へ。そのまま、部屋まで運んでいただいた。妖精メイド達はまだ寝ているのか、姿は見えなかった。
部屋に入ると、私は薬を飲んだ。少しは、力が回復してくれるだろう。
ベッドに腰掛け、レミリアに椅子を勧めた。いまだに塞がりきらない胸の傷が痛む。
「今飲んだものは何?」
「家畜の血を集めたものよ。こういうときのために持ち歩いてるの」
「どうして家畜? 人間の血を飲めばいいじゃない」
「……」
「ふーん、随分変ってるのね。ここに住んでいる者達と同じぐらい変わってる。……咲夜が言っていた。あなたは、吸血鬼でありながら吸血鬼を否定してると」
「そうよ……。私は、自分を含む吸血鬼が憎い」
「どうして?」
「私の、愛人の命を奪っていったから。それだけでなく、吸血鬼を受け入れようとする人々まで殺していったから。この世から吸血鬼がいなくなれば、吸血鬼に悲しむ人はいなくなる。そう、思っているの」
「それで、わたしを狙ってわざわざ結界を越えて、幻想郷へやってきたのね」
「ええ……」
「なんていうか、ご苦労様ね」
「……でも、私にあなたは倒せない。殺せない。できなかった」
「そうかしら。さっき、あなたの爪を受けていれば、わたしも無事ではなかったと思うわ」
「……」
「びっくりしたもの。スパスパ斬られちゃうものだから」
「そっちこそ、あんなに速く動き回って。おまけにあんな武器を持っているなんて……」
お互い、相手を褒め称えた。私の爪は思っていたよりは、利いていたようであった。
「でもね。わたしが負けた相手がここ、幻想郷にいるの」
「あなたを負かせた相手? なんだか許せないわ」
「博麗、霊夢。あなたが乗り越えた結界を管理している、幻想郷の巫女よ」
「……人間?」
「そう。術を使うけど、れっきとした人間よ」
「なんだか信じられない。吸血鬼が負けるなんて……」
「そう思うでしょ? でも甘く見るとあっさり負けてしまうほど、強いわ」
「……」
博麗霊夢。博麗神社に務める巫女のこと。しかし、あんな簡単に結界を通り抜けできて良かったのだろうか? そんな風に思った。いい加減な人間なのだろうか。
少し沈黙になる。折角なので、私は訊いてみようと思った。この際妙なプライドは捨てて。
「ねえレミリア、教えて欲しいことがあるの」
「なあに、セキ」
「あなたはどうして私を招き入れたの? 私が来ることを知っていたの?」
「……どうかしらね。少なくともあなたが幻想郷入りしてから、吸血鬼が近づいていることはすぐにわかったわ」
「あのとき門番や小間使いを使って私を追い払うことはできた。でも、そうはしなかった」
「あなたと会ってみたくなったから。外から来た同族なのよ? とってもおもしろい話を聞かせてくれるんじゃないかしら、て思ったのよ」
「……本当にそれだけ?」
「そうよ。他に理由が欲しい?」
「ううん……。十分ありだわ。一緒にお茶を飲んで、おしゃべりして、楽しかった」
「セキはこれからどうするの? ここを出てしまうの?」
「考えさせて欲しい……」
「そう。じゃあもう暫くここにいてくれるのね?」
「いいの?」
「勿論よ。もっとお話ししましょうよ」
「……レミリア、ありがとう」
「どういたしまして、と言っておくわ」
レミリアが席を立つ。近づき、私の顔を覗き込んだ。顔が近いことに、驚いて恥ずかしくなった。
「次は、わたしを倒してみせてよ」
その呟きを聞いて、嬉しくなった。この吸血鬼に、自分が認められたような気がして。
「この爪の切れ味、もっと見せてあげるわ」
彼女は微笑み、私を抱きしめた。
「血で、服が汚れてしまうわ」
「構わない」
レミリアが望むならと、自分も応じた。レミリアの身長は思っていたより小さく、私と比べて大差なかった。
私は恐る恐る、彼女の髪に触れさせてもらった。レミリアも私と同じように、触れてくれた。
いい機会なので、もう一つ確かめたいことを質問しよう。それは、レミリアが咲夜のことを本当にどう思っているのか。
「ねえレミリア。一つ訊いていい?」
「何でも訊いて」
「あなたはあなたを殺そうとした人間を、小間使いとして受け入れた。それはなぜ?」
「咲夜はとっても厄介な能力を持ってるでしょう? それを殺してしまうなんて勿体無いじゃない」
「そう……。変なことを訊いてごめんなさい」
「いいのよ、別に。あなたとわたしの仲じゃない」
やはりそうだ。彼女は咲夜のことをあくまで小間使いとして見ているとしか言わない。これは含みを持たせた言い方にすぎないのだろう。
レミリアは咲夜を愛しているのだろう。咲夜もレミリアを愛しているに違いない。故にお互い他人に対しては、単なる主従関係でしかないと、あえて主張しているのでは?
もし、レミリアを滅ぼしたとしたら、咲夜は全身全霊を以ってして私を排除しようとするかもしれない。同様に、いざというときはレミリアも咲夜を守るかもしれない。
それが愛し合う者同士であると思うから。
私にだって愛した者がいたから、何となくわかる。守って守られて、愛して愛されての関係。
彼が亡くなってどれだけの年月が経っただろうか。それでも、彼が私を呼ぶ声だけは良く覚えている。
力が及ばずに、とある吸血鬼に敗れたあの夜。目の前で最愛の人が殺されたあの晩。
どれだけ悲しんだか。どれだけ悔しかったか。それからというもの、私が愛し、私を呼ぶ者はいなかった。
そして今日、レミリアは私の名前を呼んでくれた。彼女がセキという文字までも愛でるように、私を名前で呼んだ。愛したい人が、現れたのだ。
別の思い出が目に浮かんできた。それは、私が彼と知り合ってからの日々。平和な日常で、彼が私を呼んだときの景色。
考え事をしている私を呼ぶ声がした。それはレミリアの声。それが、彼の声と重なった。
「あなた、そろそろ休んだほうがいいわ」
「そうね。そうさせてもらう」
「セキの愛人の人の話、また今度聞かせてね」
「ええ。たくさん、たくさん聞かせてあげる」
レミリアの温もりが離れていった。
頷いて会釈。レミリアは翼を折りたたんで、部屋を出て行った。
ベッドに横になる。目を瞑っても、レミリアの姿が思い浮かんだ。
羨ましいと思った。レミリアと咲夜が。愛するもの同士、居られることに。
溜息が漏れる。もう休もう。胸の傷は塞がりつつあった。
悲しいことを思い出したが、今日は嬉しいことが多すぎた。
久しぶりに、良く眠れそうな気がした。
目が覚めた。部屋には誰も居ない。扉越しに廊下から妖精のおしゃべりが聞こえる。
どれだけ眠っていたのか。疲れは綺麗に取れている。時計はお昼過ぎを指していた。
胸に触れる。傷は塞がっていた。しかし困ったことに、着替えの服がない。
ノックの音がしたので入室の許可を出すと、いつもの接客笑顔の咲夜が音を立てずに入ってきた。
「おはようございます。そちらのお怪我はもう大丈夫な様ですね」
私の胸を見てそう言った。夜の戦闘を咲夜は見ていたんだろうか。
「おはよう。私が何者か知っているでしょう? 怪我なんて問題ないわ」
「セキ様、これはお嬢様の言いつけです。クローゼットの中の服を自由に着ていただいて結構に、とのことです。」
「服をいただけるの? それはありがたいわ」
クローゼットの中を開けると、白や黒を基調としたドレス、ネグリジェが揃っていた。引き出しの中にはリボンや髪留め等のアクセサリーまである。
私は黒一色のドレスに上着のセットのものを選んだ。それだけでは味気ないと思い、胸に薔薇の花びらを形取ったリボンを巻くことにした。
「お手伝いします」
「ありがとう、お願いするわ」
「ところでセキ様」
「うん?」
「昨晩はお楽しみいただけましたか?」
「やっぱり、見てたのね」
「あれだけ騒がれては、誰だって気になります」
「……楽しめたわ。ものすごく、ね。あなたのお嬢様は思っていた以上に強かった」
「当然でございます。お嬢様と同じ吸血鬼が相手でも、そう簡単に負けたりはしません」
勝ち誇った言い方。正直、悔しい。
「今度はあなたが相手してくれてもいいわよ?」
「喜んで。あなたが私に勝てるなら」
「何だか、頭にくる言い方ね。でも嫌いじゃないわ、余裕があるって」
「恐れ入ります」
咲夜に着替えを手伝ってもらった。汚れた顔を昨夜に手拭で拭いてもらい、鏡を見ながら髪を整えておめかし。
「……ところで咲夜。レミリアは?」
「今頃、地下の大図書館でパチュリー様とお茶の最中かと思われます。ご案内しましょうか?」
「お願いするわ」
部屋を後にして、地下の図書館というところへ連れて行ってもらうことにしてもらう。
目的地までの階段は長く、深かった。それほど、蔵書量の多い図書館なのだろう。
図書館は確かに広かった。大と付くに相応しいほど。
天井は遥か高くにあり、一番上の棚から本を取るには梯子を使うより飛んだほうが早そうなほどである。
本棚によっては酷く荒れて陳列されている部分もあり、妖精メイドが適度に片付けていた。
並ぶ本からは様々な種類の魔力が込められている物もある様で、おそらくは魔術書か、その類なのだろう。
図書館の奥行きは遠く、先が暗がりになっていて良く見えない。館の外観からは想像できないほどの、地下階の空間があったようである。
咲夜に着いていくまま歩いていると、一体の使い魔が見えた。昨日食事の時に居た、パチュリーの使い魔であった。
「おはようございます、セキ様。お目覚めはいかがですか?」
「おはよう。まあ、上々ね」
使い魔は挨拶を交わすと、図書館の奥へ消えていった。ここの管理でもしているのだろうか。
咲夜に案内された先に、ようやくレミリアとパチュリーを見つけた。
「あらセキ、おはよう。随分お寝坊さんね。よく眠れたかしら?」
「おはよう。久しぶりに良く眠れて、いい気分だわ」
「おはよう……」
本に向かったままのパチュリーからの挨拶。話すときぐらいは本を閉じるべきだろうと思う。
「咲夜、お茶を頂きたいわ。うんと、濃いの。スパイスがいらないぐらいの」
「かしこまりました。すぐにお持ちします」
咲夜がこの場を後にする。レミリアが椅子を勧めるので、素直に従った。
「その服、気に入っていただけたかしら?」
「ええ。こんな綺麗な服を頂けて、嬉しい。サイズもぴったりだし、最高よ」
「それは良かったわ」
パタン、とパチュリーが本を閉じてお茶を啜る。見つめていると、彼女と目が合った。
「……顔に何かついてる?」
「いえ、あなたはどんなことが出来るのかって、思っただけよ」
「魔法が使える。ありとあらゆる属性の魔法を、ほとんど使えるわ」
「すごい、すごい! パチュリー、あなたすごいのね!」
魔法使いという存在は知ってるが、複数の属性魔法を扱える者なんて机上の理論だけだと思っていたから。
レミリアはすごいが、このレミリアの友達もすごい。幼稚な表現だが、そう思った。
聞くと、百年ほど魔女をしているらしい。歳を取らない魔法のせいで、そうは見えなかった。
しかしパチュリーは喘息を患っているために、あまり動き回るのは苦手なようである。
「あなたは……本当に外からやってきたの?」
「そうよパチュリー。来れたのは偶然、だと思うけど」
「ふうん」
相槌を返したパチュリーはまた本に集中する。よっぽど、本が好きらしい。
気付けば、後ろに咲夜が控えていた。ちょうど、私のお茶を持ってきてくれたところらしい。
相変わらず音もなく近づかれるものだから、少し怖かった。
紅茶に人間の血を混ぜるなんて生易しいものじゃなく、人間の血そのものをカップに注いだだけのもの。
人肌程度に暖められたそれを、一気飲みした。
「下品でごめんなさいね」
「そんなにお腹が空いてたのね」
「ええ」
咲夜からお替りを勧められたので、是非にと注いでもらう。
まだお腹は満たされていないが、またすぐに飲んでしまうのはさすがに恥ずかしい。少しずつ飲むことにしよう。
「……じゃああなたは何が出来るの? 血を吸ったり、飛んだりする以外に」
「そうね、引っ掻くのが得意よ」
「そう……。まるで猫みたい」
「あんな畜生と一緒にされるなんて心外だわ」
「そうかしら? 血を吸わない吸血鬼なんて……」
「なっ! ちょっとパチュリー、どうしてそれを知ってるの!」
知られてないはずであろう自分の過去が暴かれたみたいで、頭にきた。
私はテーブルを叩きつけてしまったのか、カップの中に波紋が出来ていた。
「……」
何も返さない。レミリアが話したのか。そう思って彼女に目線で問うても、何も言ってないとばかりに首を左右に振った。
「何となく言っただけなんだけど、セキってそんなのだったのね」
「……」
パチュリーは冗談のつもりだったらしい。それでも、自分が侮辱されている気分になった。
確かに血を吸おうとしない吸血鬼は、吸血鬼にあらずと言われてもおかしくはない。
それでも、私の食事は何であれ血でしか栄養を取れないのだから吸血鬼じゃないか。
「パチェ。別に人間を襲おうとしない吸血鬼がいても、おもしろそうだからいいじゃない、ねえ」
「ええ……。それに、わたしも悪気があって言ったわけじゃないの」
「……そう」
口では納得したようにしたが、腹の虫は治らなない。文字通り真っ赤な紅茶を飲んでも、苛立ちは誤魔化せなかった。
認めさせてやりたい。この魔法使いに私の実力を。
でも遊びましょうよと誘ったところで、読書への熱情には敵わない気がした。
この魔法使いと居ると、いつも自分だけが騒ぎ立てて、一人で苛立っているような気がする。
なんて大人気ないんだろう。途端に自分が馬鹿らしくなった。
「セキは……」
「なあに?」
本を閉じ、ぼそぼそと小声で喋るパチュリー。おまけに早口気味なので、非常に聞き取りづらかった。
「……飛び道具は苦手なの?」
「え?」
「パチェがあなたに、弾幕は放てないの? だって」
聞き取れなかったところを、レミリアに通訳してもらった。
「ええ、そうよ。この幻想郷じゃあ、飛び道具の撃ち合いが主流なの?」
「そうね。ここでは、スペルカードというものがしきたりみたいだから」
「ふうん。それだと私、レミリアとじゃなきゃ、遊べないじゃない」
「わたしとしか遊べないのは、不満?」
「ぜ、全然。そんなことないわ。あなたとなら、いつまでも遊びたい」
微笑みを返したレミリア。その笑顔は私が跪いたときに見せた、優しい笑顔。
パチュリーはこの光景を見て、また本に意識を戻した。
私とレミリアが一緒にいるのを、他人が見ればどう思うのだろう。何となく、そう思った。
パチュリーにとっては、割りとどうでもよさそうに見えるが。
レミリア、パチュリーと勝手にお茶を一緒してどれだけ時間が過ぎたのか。
時計はとうに日が沈む、夕食の時間を示していた。
そろそろお暇しようかと思ったとき、咲夜が珍しく音を立てて近づいてきた。
「お嬢様、大変かどうかわかりませんが大変です。太陽が、沈みません」
「なんですって!」
レミリアとパチュリーが驚いている。でもレミリアはそんなに気にしていないのか、余裕の表情である。
パチュリーも、読書を再開していた。驚いて、大きな声を上げのは自分だった様だ。
「幻想郷に住んでいる者はすごいのね。ここまで冷静に状況を楽しめるほど、優雅で」
「どちらかといえば、どうでもいいだけよ」
パチュリーが呟いた。そうでもないようである。
「咲夜、付いてらっしゃい。これは異変だわ。おもしろそうな奴がいそうだから、解決しに行くしかない」
「仰せのままに」
彼女は今起こっていることより、事を起こした者の方が気になる様子であった。
「レミリア、大丈夫なの? 私達吸血鬼なのよ、日の光を浴びたら死んじゃうわ」
「わたしを誰だと思ってるのよ、セキ」
「……そうね」
「あなたはパチェとお茶でも飲んで待ってなさい。そうね、帰ったらわたしの妹を紹介してあげる」
「それでは、失礼」
レミリアと咲夜がこの場を後にした。パチュリーは相変わらずである。
ここにいてパチュリーとお茶でもと言われたが、彼女の邪魔をしている気になってきた。私は部屋に戻ることにしよう。
「レミィなら心配ないわ。あなたより、ずっと強いから」
「納得できるけど……その言い方、やめて欲しいわ」
すっかり冷めてしまったお茶を飲み干して、部屋に戻った。
部屋に戻ると、三匹の妖精メイドが掃除の最中であった。
私は一人になりたかったので、メイド達に部屋から出て行ってもらった。リボンをはずし、ベッドで横になる。
レミリアは私をどう思っているんだろう。たぶん、深夜の時に言っていたことは本当なのだろう。外から来た吸血鬼が、どんなものなのか気になるということ
私を抱きしめてくれたことに、きっと深い意味はない。
それでも、レミリアが私を好いているところがあるんじゃないか、と期待する自分がいる。
同族だから興味があるとかじゃなく。結界を越えてやって来た外来の者だからとかじゃなく。
一人の女性として、私をどう思っているのか。
私はレミリアという吸血鬼、いや女性を愛したくて堪らない。同時に、愛されたくもある。
なんて我侭なんだろうと、自分でも思った。あくまで私の妄想といえ。
また、彼女が私を呼ぶ声が聞きたい。私の心をいいように弄ぶような音色で、名前を呼んで欲しい。
遠くで膨大な魔力の気配を感じた。この量は間違いなく、レミリア。
おそらくスペルカードというものを使ったのだろう。
しかし様子がおかしかった。その魔力は徐々に弱まっていく。
まさか。吸血鬼が負けるはずがない。レミリア・スカーレットが負けるはずがない。
そして魔力の気配は、消えていく。蝋燭が燃え尽きるように少しずつ。
いやそんな。こんなことありえない。こんなの嘘だ。いや、今のはレミリア以外の気配に違いない。きっとそうだ。
居てもたっても居られなくなり、部屋を飛び出す。廊下の窓から差し込む日光は、真夏の昼間より眩しく感じた。脇目に見ても、目が焼けそうだ。
妖精メイド達は普段どおりに仕事をこなす。こなさずに、遊んでいる者もいるが。
そんな彼らを無視して、私は地下大図書館を目指した。パチュリーなら、今何が起こったかわかるはずだと思って。
階段を下りた先で、門番の大きな声がする。行ってみると、咲夜が美鈴に手伝ってもらわないと立てないほどの傷を負っていた。
出かけた咲夜が帰ってきたのだ。そこに、レミリアの姿はなかった。
「咲夜、レミリアがいないじゃない。……何があったの」
小鳥のさえずり程の言葉が聞こえた。お嬢様が、消滅してしまったと。
嘘だ。こんな言葉遊びなどに、ひっかからない。そうなのだろう?
強い魔力が消えたことを思い出して、頭の中で咲夜の囁きを繰り返して、やっと認識した。
吸血鬼レミリア・スカーレットは死滅した、と。瞬間、何も聞こえなくなった。
全身から力が抜けるような感覚。口が開いて、震える。いや、自分がそんな反応をしたのか認識する余裕は無かった。
絶対にいなくなるはずがないと確信していたのに。信じていたのに。
私が愛したい者が、また死んでいった。彼女には私以上に、彼女を愛している咲夜が付いていたというのに。
反射的に、咲夜を引っ叩いた。小間使いが床に倒れこむ。可愛そうなことをしたと自覚するも、反省する気は無かった。
美鈴が私を取り押さえる。強い力であるが、レミリアほどではなかった。
「何てことをするんですか!」
「当然のことでしょう。……主人を守るべき小間使いが、主人を見殺しにして、のうのうと生きて帰ってくるなんて」
咲夜は何も言い返さない。いや、返す体力もないのかもしれない。
美鈴だって、このことを何も思っていないわけではないようである。妖怪なのに、泣いていたから。
「咲夜さんだって、何もしてないはずがないじゃないですかっ! それを、攻めるなんて……!」
「うるさい!」
全身に力を込めて、美鈴を強引に振りほどく。壁に叩きつけられた彼女なぞどうでもいいと思った。
咲夜に近づき、胸倉を掴んで持ち上げる。よほどのショックなのか。目は虚ろとして、顔に表情はなかった。
「どんな手を使ってでも、主人を、彼女を、レミリアを守るべきでしょう! それなのに、それなのに……!」
「……ごめん、なさい」
「今、何て言ったのかしら? 聞こえなかったわ」
「ごめん……なさい。申し訳、ありません……」
「謝って許されるはずがないでしょう!」
胸倉を掴んだまま、咲夜を壁に押し付けた。喘ぎ声を漏らすほどの元気も無いようだった。
「おやめなさい!」
パチュリーの叫び声。直後、光の爆発。
光に敏感な私にとってそれは何よりの脅威。目がチカチカして、視界を奪われてしまう。
怯んで、咲夜から手を離した。
「そんな馬鹿な真似をしている場合じゃ、ないでしょうに!」
珍しく、彼女が大きな声を出した。直後、パチュリーは咳き込む。酷く鼻をすすっていることから、彼女も悲しんでいることがわかった。
「うう……何をするのよ。私は正論を言ったまでじゃない……」
「お黙りなさい。そんなことをしても、レミィは帰ってこない」
「……」
彼女の方が正論であった。
視界が戻るまでそんなに時間はかからなかったが、頭の中は少し冷静になれた。
美鈴とパチュリーの使い魔が、咲夜を手当てしている。
「れい、む……」
咲夜が再び呟いた。その言葉は、レミリアの口から聞いたことのある人間の名前。
「そいつがレミリアを殺めた奴なのね……。咲夜、案内しなさい」
「今咲夜さんを動かすなんて、危険です! セキさんあんまりです!」
「何を言うの美鈴。あの人間、殺してやるんだから。ほら咲夜、立ちなさい」
咲夜を立たせようとしたところで、パチュリーがまた呪文を呟く。が、咲夜は手で詠唱を制した。
「いいんです、パチュリー様、美鈴、小悪魔。大丈夫……私が、案内致します」
直立すら苦しそうな咲夜だが、けじめをつけようと動いてくれるようである。
「セキ、この天気じゃ、あなたじゃ無理だわ」
「そんなに太陽が気になる? これでどうかしら」
パチュリーの疑問に答える。念じて、空に真っ赤な霧を発生させた。
薄い霧から濃霧へ。それを全方位に広げ、幻想郷の地面に太陽の光が届かないようにした。
自分自身の魔力を大きく消費する術であるが、動き回れないよりはましである。
「咲夜、さっさと案内しなさい。霊夢という、人間の居場所へ」
「はい……仰せのままに」
外へ出ようとしたところで、またパチュリーが前に立ちはだかった。
「もう一度言うわ。そんなことをしても、レミィは帰ってこない。わたしが復活の魔法を探すから、おとなしくしていなさい」
「……通して、パチュリー。これは仇討ちよ。それに、吸血鬼が人間に負けるなんてあってはならないことだわ」
「その無駄に大きいプライド、いい加減に捨てたら?」
「どきなさいって言ってるのよ! 彼女の友達でも、容赦しないわよ!」
自慢の爪を生やし、見せ付けたところでパチュリーは観念したのか、通してくれた。
まだ何か言いたげな目線を飛ばしてくるが、無視する。
今私は初めて心の奥底から、人間を殺したいと思っている。
たんぱく質で出来た筋肉を引き裂いて。カルシウムで出来た骨という骨を砕いてやって。頭蓋骨に穴を開けて脳漿を啜ってやる。
待っていろ、調子に乗った人間が。その首を跳ね飛ばし、レミリアに捧げてくれる。
その道中、妖精や妖怪の邪魔が入ったが全て切り裂いてやった。
自称最強の氷の妖精など、煩いハエに等しかった。
空を漂うことに精一杯な咲夜の案内で、博麗神社という所へ連れて行ってもらう。
境内は酷く荒れており、一戦交えた直後という感じ。
この場に、微かな魔力を感じた。間違いない。レミリアと人間が争ったあとだ。
辿り着いたところで、その人間はすぐに姿を現した。
「ちょっと! お日様が沈まないと思えば、今度は消えちゃったじゃない! お日様を出して、元に戻しなさい!」
白と赤の巫女装束を身に纏った少女が目の前に。この人間こそが、博麗霊夢。レミリアを灰に帰した、張本人。
腹が立つ。憎い。彼女の命を奪っていった。そう、彼女は死んだ。死んでしまった。もう会うことはできない。
色んな感情が胸の中でぐちゃぐちゃに混ざって、涙が溢れてきた。
ぐっと押さえて、目の前の人間を睨む。
「うるさい。お前がレミリアを、殺したんだ……。咲夜、手出しは無用よ。そこで黙って見てなさい」
「……仰せのままに」
咲夜を後ろに下がらせた。目の前の人間はえらく不機嫌であった。こちらの気も知らずに。
「いい加減なこと言わないで。吸血鬼のくせに、太陽の下に出てくるほうがおかしいのよ。自業自得なのよ」
「黙れ、人間風情が! お前が彼女を殺したことに変わりはない! だから、お前を殺してやる!」
巫女はこれが戦闘開始の合図だと受け取ったのか。自分の周囲に白と黒の玉を漂わせた。
「大体、昨日から嫌な予感がしてたのよ。変な奴が紛れ込んだんじゃないか、ってね。それがあんたでしょう!」
数々の札が私目掛けて飛んでくる。おそらく、妖怪の類を懲らしめる道具なのだろう。
その程度だと思って、全て跳ね除けるように真っ向から受けた。痛い。体が焼けるように。
でも死には至らない。だから受けつつも強引に近づいた。
右手、左手に魔力を込める。眼前の紅白を八つ裂きにするために自慢の獲物を生成。
巫女の軽い砲撃は止まらない。次に飛んできたのは、小さな針の山だった。
本能的に、危ないと思って避ける。が、避けきれない分が、私の足に食らいついた。
札とは比べ物にならないダメージであった。札以上の退魔の能力を備えているのか、人間でない私には効果てき面。
足の神経が麻痺し、痛みに叫び声を上げた。
「どう、この針の威力は! 霧を晴らさないと、もっと痛い目に遭わせるわよ!」
「だ、黙りなさい! この程度で、こんな人間何かに……!」
吸血鬼が負けることなど、あってはならない。私が愛した者を消し去った人間なんかに。
動けど動けど札が付いて回っては、針で狙い撃ちにされる。飛び道具を持たない私が不利なのは、一目瞭然だった。
肉体的なダメージの蓄積はどうでも良かった。自然治癒力でまかなえるから。
むしろ深刻なのは精神に関わるもの。不思議と、札に当たる度に自身の魔力を削られているような感覚がする。
お陰で。最大速度で空を飛び回るのにも一苦労。避けきれずに被弾すればダメージを回復するのに力を使うため、攻撃に使う魔力まで抑えてしまっている状態である。
このままでは埒が明かない。私が逃げ続けるだけの、一方的な闘いになってしまう。
「つまんないわねえ、逃げるしかできないの?」
「に、人間風情が! 調子に乗って!」
レミリアから頂いた一張羅はボロボロで、折角のお洒落は台無し。
巫女に迫るも、逃げ足が早く追いつけない。その間も、射出される札に追い回される始末。
飛び道具と、素手のみの勝負。この差を生めることの出来ない自分の実力に、落胆した。彼女に申し訳がつかない。
あのレミリアを負かしたほどの巫女の実力。人間の技。数百年生きた私と、二十年も生きていないであろう人間との実力差を作った何か。
少しずつ、追い詰められるように負けていく。このままでは私が倒れるのも時間の問題だった。
翼と手に残った魔力を集める。搾り出せる最大の速度で巫女に迫り、繰り出せる最高の威力で切り裂く。もう、これしかなかった。
なかなか倒れない私に巫女が苛立ち始めたのか。白と黒の玉を放射し、さらに激しい弾幕を放った。
少々のダメージは我慢する。札の大波を耐え忍び、退魔の針を掻い潜り、白黒の玉に掠った。敵は目前。
腕を振ろうとして、堪える。巫女が逃げようと飛んだ先に、見舞ってやるのだ。
さらに肉薄した。巫女は私の目を見つめ、逃げようとしない。
逃げようなどとせずに、私の攻撃を見切るつもりか。おもしろい。見切れるつもりなら、この爪から逃げてみろ。
右手を振り下ろす。左手で薙ぎ払う。手応えがない。目の前から巫女の姿が、消えていた。
「あんた弱すぎ。あの吸血鬼とじゃ、比べ物になんない」
後ろから声がした。振り向いたときにはもう遅い。
白黒の玉の大質量が私を押し潰し、幾つもの針が突き刺さり、たくさんの札が私に張り付いて自由を奪っていった。
「そんな……。こんなに強いなんて……。吸血鬼が、人間に負けるなんて……」
空に霧を撒いた術が解ける。赤い霧は薄れていき、夜であるのに少しずつ日の光が見えてくる。
巫女の姿が空へ消えて行った。
遠くで咲夜が見つめる。無表情に見えるが、誇りを掲げて闘った私を嘲笑うかのような、そんな感情を瞳の奥から感じた。
徐々に日の光が私に近づく。自分の手を見つめた。あれだけ必死に鍛えた爪が、いまはせいぜい体を引きずるぐらいにしか使えなかった。
「咲夜! 十六夜、咲夜!」
咲夜を呼ぶ。近くに来たところで、彼女が薄ら笑いを浮かべていることに気がついた。
「お嬢様を慕い、仇討ち。で、その結果がこれですか。随分滑稽ですこと。外から来た者なら或いは、と思いましたけど結局博麗の巫女には敵わないのね」
咲夜は私に毒を吐いた。私は、彼女の不利益となるようなことでもしたのだろうか。
まるで人が変わったかのように接し方が豹変している。
「いくらでも笑うがいいわ、主人を守れなかったくせに。……力が及ばなかったのよ。彼女を、レミリアを想う気持ちが」
「それで、わたしに何の用でございますか、セキ様。とどめを刺すのでしたら、喜んで引き受けますわ」
「なんだか、すごく冷たいのね……」
「この際だから正直に言うわ。お嬢様とわたしの間にあなたが入ってきて、邪魔だったの。余所者が好き勝手するのは嫌いなの」
「……そうだったの。それはすごく悪いことをしたわね」
「ええ。だから、消えて欲しいの」
「じゃあ、お願い。最後の頼みを聞いて頂戴」
「あらあら、傲慢なあなたらしく人に強請るのね」
「お願い。もし、もしもよ──レミリアが復活するというのなら、この服を彼女に返して欲しいの」
「……そうね。その頼みなら聞いてあげるわ」
「ありがとう、咲夜。いいえ、レミリアの小間使い」
「どういたしまして、吸血鬼嫌いの吸血鬼」
「わかっているとは思うけど、勘違いしないで頂戴。同じ吸血鬼といえど、レミリア・スカーレットだけは特別だと」
「重々承知ですわ。なんたって、紅魔館のお嬢様ですから。私の、お嬢様ですから」
差し込む太陽の光が私を気化させていく。不思議と、痛みは感じなかった。
ごめんなさい、レミリア。紅魔館で待てと言われた約束を破って飛び出したことを。もしも彼岸で会うことができれば、謝るから。
死んでしまう前に、あと少しでいいから時間が欲しいと思った。
ゆっくりと、レミリアの死を悲しむ時間が欲しいと思った。
頭の中で、彼女が私の名前を呼ぶ声がする。いや、これは自分を呼んでくれた思い出。
もう一度、私の名前を呼んで欲しい。
もう一度、私を抱きしめて欲しい。
もう一度、私の髪の毛に触れて欲しい。
もう一度、会いたい。
もう一度、一緒に遊びたい。
私、吸血鬼セキはここで意識を失った。目覚めることは、もうない。
最後の異変はいらないんじゃないかな?と思いました
夢の中をそのまま書くというのは、ちょっと
多少手を加えているとコメントの前文から感じますが
・咲夜の敬語の使い方のおかしな点
・一人称なのに、自らが知らぬ点を話してしまう
・セキの考え方があっというまにかわる。咲夜への接し方の異常なまでの変化
がちょっと…
多少の手直しはするべきと感じます
面白かったですけど、矛盾点ぐらいは補完してから投稿されたほうがよろしいかと。
栗紳士さんの仰る点とか。異変の犯人は誰かとか。レミリアは復活するのかしないのかとか。最後咲夜さんが異様に強気なのはなんでかとか。
>根を上げる
音を上げる?
>認めてやりたい
認めさせてやりたい?
少しだけ訂正しました。
さすがに小説の作品として成り立たせるために話として辻褄が合うよう弄るべきでした。
レミリアが霊夢に殺されなければいけないのは全く理由を考えていませんでした。
きちんと説明できないので、最後の異変のシーンは無くすか、全く別のものにすべきだと思っています。
そういう意味では、異変の犯人は決まっていません。
咲夜の敬語がおかしいのは私自身が敬語を理解していないからです。反省しています。
主人公視点で知らない部分を話しているところは少し弄り、仮定として話してるよう弄りました。
主人公の考え方の変わり様は恋愛感情に流されて、としか説明できないです。
最後、咲夜の接し方が変わるのは本編に少し説明を加えましたが、咲夜にとって主人公が邪魔であるからです。
レミリアが復活するかどうかは解釈をお任せしたいところです。是非とも復活して欲しいですが。
何はともあれ、おかしな点が多すぎると反省しています。
また、小説を書くときの参考にさせていただきます。
ご指摘してくださったことに、重ねてお礼を言わせていただきます。