Coolier - 新生・東方創想話

飴と温泉

2007/07/30 10:38:46
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 本を閉じた。
 いつのまにか熟読していたらしい。思ったよりも目に疲労感がある。
 目頭を揉みほぐしながら、レミリアは溜息をついた。
 窓の外にはすっかりと夜が広がっている。普段は自室から出て散策なりする所だが、今日は趣向を変えて読書をしてみたのだが。
「考えてみれば、働かせたことはあっても、休ませたことは無かったわね」
 過去を思い出すように、しみじみと語る。
 手に持った本のタイトルは『部下と上手く付き合う秘訣』と書かれていた。著者は四季映姫。部下を甘やかしてはいけないという内容が主だったが、レミリアが目を止めたページだけは少し趣が違う。
『だからといって、厳しいだけではいけません。時には飴も必要なのです。鞭だけでは、どんなに優秀な部下もいずれは愛想を尽かしてしまいます。上司たるもの、稀に寛大な心を見せることは必須事項なのです。だというのに、どうしてウチの小町はそれを理解してくれないのか。そう、ついこないだも二時間も掛けて並んだ永遠亭限定販売のキャロットケーキを一口で食べるし、あの時も……』
 そこから先は延々と小町に対する愚痴が続いているので、生憎とレミリアは目を通していなかった。というよりも、本の半分が愚痴で出来ていた。随分と怨念の籠もった本である。
 それはさておき。上司と部下というわけではないにしても、これまで咲夜に飴を与えてこなかったのもまた事実。主と従者という立場は絶対なのだと思っていたが、ひょっとするとそれは硝子の階段よりも脆いものなのかもしれない。
 今は何とか保っているものの、ちょっとした拍子に簡単に崩れる。そんな想像がレミリアの脳裏をよぎった。
「優秀な従者を手放したくはないし、そもそも咲夜は……」
 テーブルの上に本を置き、窓辺に足を運ぶ。
 咲夜は優秀という言葉だけでは評価しきれない従者だが、レミリアにとってはそれ以上に大切な人間である。いや、ひょっとすれば人間という種族の中では唯一、必要としている存在かもしれない。
 パチュリーもフランドールも大切だが、咲夜とて同じぐらい大切だ。順列を付けるわけにはいかないが、付けるとしても高位にいるのは間違いない。
「しかし飴ね……どうしたものかしら。本当に飴を上げてもしょうがないわよね。咲夜だって子供じゃないんだし」
 窓を開き、夜空に浮かぶ月を見上げる。満月には程遠いが、それなりにレミリアの気分を高揚させてくれた。
「あら、お困りのようね。私に何か出来るのなら、力になってあげようかしら」
「…………やっぱり、お前の仕業か」
 誰もいるのはずのない頭上。まるで三日月の中から顔を出しているように、八雲紫が空間の切れ目から顔を覗かせていた。
「部屋に来てみれば、見覚えの無い本が置いてあるからおかしいとは思っていた。パチェあたりが置いていったのかとも思ったが、題名を見て確信はしていたよ。こんな悪趣味な真似をするのは、幻想郷の中でもお前ぐらいしかいない」
「それじゃ、まるで私が大悪党みたいじゃない。まあ、本を置いていったのは私なんだけど」
 悪びれもせず口を開く紫。いきなり部下と上手く付き合う秘訣だなんて、暗にレミリアが上手く咲夜と付き合えていない事を示唆するかのようであった。
「どうせ、あなたのこと。本を読んでみたはいいけど、どうやって飴を与えればいいか悩んでいたのでしょう」
「……覗いてたのかしら?」
「あら、名推理。でも、ちょっと考えればわかることよ。だからこそ、こうして私がやってきたわけ。お困りなんでしょ?」
 優雅な仕草で、紫はレミリアを見下ろした。優雅さにかけてはレミリアとて負ける気はしないが、今はそんなことで競っている場合ではない。
「猫の手ならいつでも貸すわよ」
「手だけ貰ってもな仕方がない。まだ文殊の知恵の方がマシ」
「残念ね。それにはあと一人足りないわ」
「あと二人の間違いでしょ。妖怪の数え方は匹なんだから」
「自虐的ね」
「あんたのことだ」
 それでも紫に堪えたような様子はない。打たれ強いのか、はたまた鈍感なだけか。
 いい加減、帰って貰いたいレミリアだったが隙間から身を乗り出すような妖怪を追い返す方法など知らなかった。
「まあ本当は猫の手なんか貸せないんだけど、これならあげることができるわよ」
 そういって、紫は一枚の紙切れを投げる。木の葉のように空を舞ながら、それはレミリアの手の中に見事に収まった。
『八雲旅館特別無料ご招待券 一枚につき一名様のみ』
 レミリアは顔をあげる。紫は既にいなかった。
 だが、何をさせたいのかは理解できた。
 仕方ない。今回だけは思惑に乗ってやろう。
 咲夜が温泉旅行に行くことになった、前日の話である。










 レミリアから貰ったチケットには、何故か待ち合わせ場所と時間が指定されていた。ご招待券なのだから、特に待ち合わせをする必要などないはずなのに。
 そもそも、旅館に行くのだって咲夜一人なのだ。レミリアはゆっくりしてきなさいと言っていたし、パチュリーは図書館から出たがらないし、小悪魔とて同じこと。フランドールは付いていきたいと騒いでいたが、庭に温泉を作ってあげるからとパチュリーに言われて不満は解消されたらしい。
 唯一、美鈴だけは最後までごねていた。自腹を払ってでも付いていくと駄々をこねるので、仕方なく門柱に縛り付けておいた。門番としては役立たずになるが、元から大して働いてもいないんだし問題なかろう。
「それにしても、どういうつもりなのかしら八雲紫は」
 レミリアから、このチケットが八雲紫からの贈り物であることは聞き及んでいた。だからこそ、この理不尽な待ち合わせも我慢することができる。
 紫なのだから。大抵の理不尽は、この一言で緩和されるのだ。
「むっ、十六夜咲夜。ここで何をしているんですか?」
 いきなり声をかけられ、不意に後を振り返る。見覚えのある半妖が見覚えのない格好をして立っていた。
 いつもの服装の代わりに、身に纏うのは淡い緑色の衣装。肩の部分が紐になっており、両肩に緑色の蝶々が止まっているように見える。
 スカートはピンク色。手には刀の代わりに、綺麗に編まれたバスケットが握りしめられている。
 そして頭には、向日葵が似合いそうな麦わら帽子。
 庭師というより、避暑地に観光にきた少女という方がしっくりくる。
「そういうあなたこそ、何をしに来たのかしら。そんなに衣替えをして」
「あなただって、随分と印象が違うじゃないですか」
 かくいう咲夜も、今日ばかりはメイド服を着てはいられなかった。温泉旅行にメイド服というのも、些か無粋だと思ったからだ。
 ノースリーブの白いシャツと対照的な黒いスカート。脇の下は博霊の巫女なみにぱっくりと割れており、そこからスカートと同じ色のブラジャーが顔を覗かせていた。
 全体的に涼しさを重視した衣装ではある。爽やかさでは妖夢に劣っているが。
「私はお嬢様の計らいでちょっと温泉に行くところよ。八雲紫がやってるらしい旅館へね」
「え? 私も幽々子さまからこのチケットを渡されて、温泉に行って来なさいと言われたんだけど」
 バスケットから取り出したチケットは、咲夜の物とうり二つであった。どうやら、妖夢も招待されたらしい。なるほど、これで待ち合わせの時間と場所を指定した理由はわかった。
 どうして妖夢も招待したのかは謎だが。
「何か企んでいるのではないかと思っていたが、まさかこういう展開になろうとは……」
「まあいいじゃない、別にこれで害があるわけでもなし。あなただって戦いにきたわけじゃないんでしょう」
「それはそうですけど……」
 ちょっと大きめの麦わら帽子で顔を隠しながら、僅かに覗かせた唇を尖らす妖夢。咲夜との身長差のせいか、見下ろした少女はまるで拗ねた子供のように見えた。
 不覚にも目眩がするほど可愛かった。お嬢様一筋の咲夜だが、思わず妖夢を抱き締めたくなる。寸前で思いとどまったが。
「ところで、そろそろ待ち合わせの時間なんじゃないですか?」
 懐中時計を取り出した。時刻は確かに、待ち合わせ時間ピッタリを指し示している。
 待ち合わせの相手は妖夢だけだったらしい。
 などと思っていたところへ。
「ちょっと、待ったぁっ!」
 何事かと思えば、必至な形相のウドンゲがこっちに向かってきているではないか。頭の上に付いた兎の耳も、台風に晒されたように激しく左右へ揺れている。音に反応して動く向日葵の玩具を連想させた。
 ウドンゲは猛スピードで飛んできて、地面を抉るように着地した。息は絶え絶え。余程急いでいたのだろう。
「どうやら、招待されたのはこの三人みたいね」
 ウドンゲもまた、いつもの制服姿ではなかった。
 ネクタイは付けておらず、石榴の色をしたTシャツには『Help me, ERINNNNNN!!』という白文字がデカデカと躍っている。
 腰には銀のバックル。ズボンは色あせた紺のジーンズ。肩からはちょっと大きめのサイドバックが担がれていた。
 全体的にラフな服装だが、余所行きという感じがするのは何故だろうか。
「……むぅ、ウドンゲまで。一体私達に何の共通点が?」
「さあ? あるとすれば、そうね従者ってところかしら。もっとも、この兎は従者じゃなくて弟子だけど」
 当の弟子は膝に手をつき、乱れた呼吸を治そうと必至に努力している最中だった。
「どうしてまた、そんなに急ぐ羽目になったのよ。待ち合わせ時間はそれほど早いわけでもないし、忘れてたのかしら?」
「いや……出ようとしたら、てゐの罠に軒並み引っかかって……それでいざ出発しようとしたら、姫に関節技を喰らって……多分、私だけ温泉に行くのが不満だったんだろうね」
 咲夜にしろ妖夢にしろ、苦労してこなかったわけではない。しかし、ウドンゲの話を聞く限りでは、この中で一番苦労をしているのは彼女ではなかろうかと思えてしまう。まあ、部下に恵まれないのは咲夜とて同じ事だが。などと思考。
「久しぶりに本気で飛んできたから疲れたけど、もう大丈夫。大方、お前達も招待された口なんだろ。事情はわかった。さっ、行こう」
 この辺の思考回路の速さは師匠譲りなのか。それとも月の兎は皆こうなのか。判断しかねるが、この際どうでもよかった。
「……どこへよ」
 今にしてようやく気づいたのだが、チケットには待ち合わせ場所しか書かれていなかった。肝心の温泉旅館とやらへの道は誰一人として知らないのである。
「まさか、担がれたんでしょうか。相手は八雲紫。幽々子さまの友人とはいえ……いやだからこそ油断ならない」
「えー、せっかく師匠にお休み貰ってきたのに。いま帰ろうものなら、姫とてゐに馬鹿される……うぅ……」
 すっかり意気消沈する二人だったが、咲夜だけは変わらぬ態度で佇むばかり。何処へ行くのかはわからないが、これからどうすればいいのかは分かっている。
 古今東西、迷った旅人は不思議な生き物に導かれると相場で決まっているのだ。
「いい加減、何処へ行ったらいいのかぐらい教えてくれたらどうなの。それとも、あなたも迷子なのかしら?」
 鬱蒼と茂る暗い森。その脇に寂しく佇む人程度の大きさの石の上に、咲夜は顔を向けた。
 妖夢とウドンゲも咲夜の見る方を向き、表情を驚きに変える。先程まで誰もいなかったはずのそこに、今は確かに人がいた。いや、妖狐がいた。
「よくわかったな。待つのが退屈だったから、少しからかってやろうと思ったのに」
「お生憎様。捜し物は得意なの」
「じゃあ、紫様の式に対する愛情を探してきてくれないか。それさえあれば、こうして私を使いに出すこともないはず」
「嫌よ。そうしたら、私達はいよいよ何処へ行けばいいのやら」
 肩をすくめる咲夜。もっともだと、八雲藍は苦笑した。
「格好を見る限りでは仲居さんにしか見えないんだけど、やっぱり私達を案内してくれるんでしょうね」
 紫の和服を藍は纏っている。腰には帯があり、その姿はまさしく仲居と呼ぶに相応しい。
 かなり凝った衣装だが、おそらく本人の発案ではないのだろう。大方、「やっぱり旅館なんだからそれらしい格好ぐらいしないとねえ」とか主が言ったに違いない。藍もまた、結構な苦労人である。
「無論だ。せっかくの招待客、ここで逃がしたとあっては八雲一家の名が廃る」
「その台詞だけ聞くと、別の職業を連想するんだけど……」
「同感」
 ウドンゲと妖夢の意見は無視して、藍はそそくさと先頭をきって歩き出した。どうやら、言った本人も同じ事を思っていたらしい。
 慌てて藍の後を追う三人。
 温泉旅館に着いたのは、それから十分後の事であった。










 すわマヨイガへと続く道かと思うほど曲がりくねった山道を抜けると、広大な敷地に広がる純和風の屋敷へとたどり着いた。
 門の端には『八雲旅館』と書かれた看板。てっきり寂れた民宿程度のものだろうと誰もが思っていただけに、このギャップには驚かされる。八雲紫、どこにこんな物を建てる金があったのか。
「いらっしゃいませー!」
 藍に案内されて玄関を潜ると、元気のいい挨拶で出迎えられる。どうやら従業員は八雲一家で構成されているらしい。
 橙は猫の耳をひくひくとさせながら、些か下げすぎではないかと思うぐらい頭を下げた。お辞儀のつもりなのかもしれないが、ここまで頭を下げられると対応に困る。
 喜色満面なのは親馬鹿ならぬ主馬鹿くらいのものであった。
「よくできました。ちゃんと練習してたんだな」
「うん。だって藍様や紫様に迷惑かけたくなかったから」
「うぅ……なんて良い子だ。ほら、何をボサッとしている。チップぐらいあげろ」
「なんでよ」
 建物は豪華なくせに、従業員に金を脅迫されるとはこれいかに。
 しかし、このままでは部屋まで案内してくれそうにないし、何よりチップというシステムを知っているのか、橙の瞳は爛々と輝いている。凝視すれば、がま口だって美鈴のスリットぐらい開く。
「とはいえ、余分なお金なんて持ってきてないのよねえ」
「私もです」
「多少はあるけど、これは師匠達へのお土産代だから……」
 いくら開いたところで、中が空っぽなら意味がないわけで。咲夜は仕方なく空間を弄って、朝の糖分補給用の飴を三個ほど取り出した。
「というわけで、今日はこれで我慢なさい」
「何味? 何味?」
「苺とメロンと杏仁豆腐味」
「……随分と珍しい味が混ざってるんですね」
「そういうのが好きな妖怪がいるのよ、一匹」
 咲夜は橙の手のひらに三個の飴を置いた。ぎゅっとそれを握りしめ、橙は目を細めたくなるような笑顔でお礼を言う。
「ありがとっ!」
 なるほど、藍が可愛がるのも無理はない。確かにこれはこれで可愛かった。
 ふと何の前触れもなく、咲夜は妖夢の麦わら帽子のつばを掴み、顔を隠すように引っ張った。突然の事に戸惑いながらも、妖夢は麦わら帽子を脱ぎ捨てて口を尖らせる。
 やはり、これもこれでアリだ。
「あらあら、いつまでもお客様を玄関で待たせてたら駄目じゃない。ちゃんとお部屋に案内しないと」
 長い廊下の向こうから、抹茶色の着物を纏った八雲紫がやってくる。頭の飾りはいつものままだったが、それはそれで何故か似合っていた。
 ただ、旅館の女将というよりかは組長の女という表現の方がしっくりくる。
「それもそうですね。それじゃあ、バイト!」
「バイト?」
 藍の言葉に首を傾げる紫。
「ええ。人手不足は予想できたことなんで、予めバイトを雇っておいたんです。日給カエル一匹で」
 手際の良い式である。どう考えても、こちらの方が大女将の器であった。
「なに? あたいに何か用?」
「だ、駄目だよチルノちゃん。女将にそんな口きいちゃ」
 前言撤回。やはり本人の能力は優秀かもしれないが、下の者を見る目は皆無なようだ。
 薄紅色の着物を着た二人の妖精。片方はどこにでもいる妖精だが、もう片方はどこにでもいるようでいない妖精だ。
 藍は何とも思っていないようだが、紫の口元はじゃっかんひくついている。橙だけでも教育が大変だというのに、この上で更に苦労させるつもりかこの馬鹿は。そう思っているような顔だった。
「あっ、お荷物お持ちします」
 大妖精は丁寧な物腰でウドンゲからバックを預かり、こちらですと案内を始めた。
「なんだ、荷物を持てばいいのね。ほら、貸しなさいよ」
 やたらと横柄な態度なチルノは妖夢からバスケットを奪いとり、あっちらしいよと大妖精の後を付いていった。
「……とりあえず、行きましょう」
 若干一匹に問題があるものの、案内されたからにはついていくしかない。チルノ達に続く咲夜の後では、紫の怒声と藍が殴られる音と橙の逃げ出す音が聞こえてくるのであった。
「あれ、これカエルじゃなかった」
「って、それ私のバスケットじゃないですか!」
 あと、妖夢の悲鳴のとか。










 大妖精から部屋と施設の案内を受け、チルノを叩き出した咲夜達ご一行。
 案内された部屋はいたってシンプルな和室で、少々三人で寝るには広いぐらいの大きさだった。それにしても、これだけ大きな屋敷なのに三人一部屋というのは。部屋数が無かったのか、単に一纏めにしておいた方が管理しやすいと判断したのか。
 後者のような気がするが、まあこの際放っておくことにした。
 それよりも。
「温泉旅行なわけだから、やっぱり温泉に入らないと始まらないわよね。私は一足先に行かせてもらうけど、あなた達はどうするの?」
「あ、私も行くからちょっと待って」
 ウドンゲはバックを開いて、中から洗面用具をとりだしている。幸いにもタオルや浴衣は旅館側で用意してくれていたので、着替えなどを持っていく必要はない。いるとすれば下着ぐらいか。
「妖夢は?」
「……とりあえずバスケットを解凍してから考えます。あ、でも旅館の中を探検とかするかもしれません。なんか、こういう所にくると探検とかしたくなりません?」
 子供か。咲夜とウドンゲは同じ事を思った。
「失礼ひみゃす」
 奇妙な挨拶と共に、廊下と部屋を仕切る襖が開かれた。板張りの床の上に正座する藍だったが、どうしたことか口元が腫れている。誰かに殴られたようなというか、まず間違いなく紫の仕業なのだろう。
 見ていて少し痛々しい。
「ゆひゃり様からの伝言で、当りょきゃんにひゃ通常の温へんいひゃいにも……」
「悪いけど、何言ってるのか全然わからないわ」
「仕ひゃたないだろ! わひゃひだって好きでやっへるわけひゃない!」
 怒られたところで、相変わらず何を言ってるのかわからない。
「歯の生えてない子供じゃないんだから、もっとちゃんと説明しなさい。ほら、ここは私に任せて、藍は他の準備をしに行きなさいな」
 見かねて、紫が補足をしにやってきた。窓の外から。
 空間を操ってのことなのだろうが、窓の外から話す女将というは良いのだろうか。ホラーとして名物にはなりそうだが。
「藍はね、こう言いたかったのよ。私からの伝言なんだけど、当旅館には普通の温泉以外にも特別な温泉があるから探して入ってみなさいな、と。まあ最初から私が直接言えば済む話なんだけど」
 三人は顔を見合わせた。紫が特別というからには、さぞや妖しい効能があるのだろう。
 性別が変わるとか、種族が変わるとか、そういった事態も予想される。
「そんな不気味な温泉なんて探すつもりもないわよ。私はゆっくりと普通の温泉につかることするわ」
「私も。妖しいのは師匠の薬だけで充分」
「私はちょっと探してみたいです。ほら、特別という言葉に惹かれるものがありませんか?」
 妖夢だけは目に星を瞬かせていたが、まあ旅館の中を探検するような子なのだから、こういった物に夢中になってもおかしくない。
 咲夜やウドンゲとしては、異常事態など日常で事足りている。与えられた休暇中に、わざわざ飛び込んでいくほど馬鹿ではなかった。
 もっとも、そんな考えは紫の言葉一つであっさりと崩れ去るわけだが。
「あらそう。百年に一度だけ、最初に入浴した者の身体を思うがままに変えられる特別な温泉なんだけど。昨日で百年経ったから、今日入ればどんな身体にでも変化できるのだけどねえ。興味が無いというのなら、私が入ろうかしら」
 なんという胡散臭さ。しかし、三人の動きは見事に止まった。
(どんな身体にも……ということは、美鈴が泣いて地団駄を踏むようなダイナマイトボディとか、お嬢様が生唾を飲むような我儘な身体へ変わることも可能?)
(その温泉につかれば、祖父を超えることだってできる……いや、しかし剣の道は一日に非ず。長年の修行と毎日の鍛錬で習得するものであり、そんな楽な方法で手に入れても……でも、幽々子様を守ることはできるわけだし……)
(せめて師匠より身長があればな……よくってよ永琳とかお姉さまプレイができるんだけど。その温泉に入ったら、私の背も伸びるのかなぁ)
 思惑渦巻く部屋の中。紫は満足げに口元を歪めると、火種だけ残して消えていった。この旅館はサービスでトラブルの種を蒔いてくれるらしい。有り難くもない迷惑な話だ。
 そして紫がいなくなると、急にそわそわしだす三人。咲夜は窓際の椅子に座りながら、備え付けのコップに口をつけている。勿論中身は空だ。
 妖夢はちらちらと咲夜やウドンゲの様子を探りながら、解凍し始めたバスケットの中身を弄っている。中身を確かめているようにも見えるが、視線はバスケットの方を向いていない。
 ウドンゲは壁に掛けられた掛け軸を見ながら、しきりに廊下へと続く襖の方を横目で見ていた。『素裸天狐』と流暢な字で書かれている掛け軸にツッコミを入れる余裕すらない。
 互いを牽制しながらも、どういうタイミングで温泉を探そうかと三人とも悩んでいた。切り返すタイミングがわからず、徐々に画面端に追い込まれていくような空気が流れる。
 それを最初に打破したのは十六夜咲夜であった。
「しまった!」
 二人が気づいた時には、既に咲夜の姿はなかった。窓際には空っぽのコップだけが置かれている。
 舌打ちをするウドンゲ。咲夜は時間を操れるのだから、その気になればいつでも部屋を出て行くことができたのだ。
 そうとわかればウドンゲとて躊躇いはしてられない。兎の力をフルに活用して跳躍し、壊れるんじゃないかという勢いで襖を開け放つ。後は全力疾走。この手の運動は輝夜とてゐから逃げる際によく使っているので馴れていた。
 ちなみに、ウドンゲが廊下へ飛び出すのと同時に、妖夢は窓を突き破って外へと飛び出していっていた。彼女もまた、躊躇わない時は思い切るタイプの人間である。










 旅館内をくまなく探す咲夜だったが、さすがは百年に一度の秘湯。そう易々と見つかる代物ではなかった。発見したのはどれも普通の温泉だったし、それ以外の場所には湯がある形跡しかない。
 時間を止めての捜索にも限界が来ていたし、ここは手法を変える必要があった。
 咲夜は息をひそめ、ウドンゲの背後に移動し尾行を始める。胸を隠していたタオルがずれた。いつでも温泉に入れるようにと、咲夜は既に臨戦態勢で臨んでいたのだ。こんな姿、他人に見つければ変態メイド長と罵られてもおかしくない。
「うーむ、せめて暗号でも何でもヒントぐらいあれば捜しやすいんだけど。あの妖怪はどうせ訊いても答えてくれそうにないし、やっぱり自分で探すしかないのかな」
 ウドンゲもまた秘湯の場所に悩んでいるようだった。とはいえ、咲夜は確信をしていた。三人の中で秘湯を見つける者がいるとすれば、それは間違いなくウドンゲだと。
 自分も捜し物は得意だが、やはりある程度は範囲を限定されてなければ難しい。部屋のどこかにある小龍包なら見つけられるが、幻想郷のどこかとなれば見つけることなど不可能だ。ここはウドンゲにある程度の範囲を絞って貰って、後は美味しいとこだけ持っていく作戦に切り替えたのだ。
「やっぱり秘湯ってくらいだから、人目の付かないところと見せかけて案外旅館の入り口にあるんじゃないかな」
 そうとも知らず、ウドンゲは大きな独り言をぶつくさと漏らしながら旅館の周りをうろうろと回っている。
 そこで玄関に行くのかと思いきや、不意にウドンゲは脇の小径に入っていった。尾行に気づいたのか。咲夜は慌ててその後を追い、仕掛けられていた落とし穴にまんまとはまった。
「残念でした。その程度の尾行じゃあ、永遠亭では生きてけませーん」
 穴の上に、意地の悪い笑顔を浮かべたウドンゲの姿が見える。どんな地獄だ、永遠亭。
 それにしても、いつの間にトラップなど仕掛けたのか。少なくとも尾行を始める前であることは間違いない。咲夜がこうすることをわかって用意していたのだとすれば、恐るべしウドンゲと言わざるを得ない。
 やはりこいつも永遠亭の一員なんだなと、咲夜は再確認をするのであった。










 五分ほど全力疾走したところで、妖夢はようやく自分が目的の秘湯の場所を知らない事に気が付いた。
 こういうそそっかしい所を治しなさいと、常日頃から幽々子は言っている。しかし、いかんせん煎餅を頬張りながらの発言なので、威厳や説得力は微塵もない。
 足を止め、辺りを見渡す。遙かに背の高い木々が立ち並ぶ山道。湯気などどこにも見あたらない。頭を押さえる。麦わら帽子はそこになく、どうやら部屋に置いてきてしまったらしい。
 まあ、あっても何ちゃらの法則で妖夢の速さについてこられなかっただろうが。
「そもそも、つられて飛び出してしまったけど、こんな方法で技や力を手に入れていいものだろうか。幽々子様だって、きっといい顔はされないはず。……いや、あんまり気にしないか」
 今更だが、考え始めるとなかなか思考の迷路から抜け出せない。踏ん切りがつくまでは、大抵こうして悩み続ける。
 と、そこへ。
「困った時は人に効く!」
 何か間違った発言をしつつも、草むらから橙が飛び出してきた。頭や服には葉っぱが大量についている。山道すら通らなかったらしい。
「宝探しなら私も手伝うよ!」
「まあ確かに宝と言えば宝だが、それがどこにあるのかわからない。そうだ、狐の式神なんだから秘湯の居場所ぐらい知らないのか?」
 突然の質問にも関わらず、橙はあっさりと答えてくれた。
「紫様が隠している秘密の温泉なら知ってるよ。あのね、あなた達が泊まっている部屋の押し入れにある隠し通路から地下道を通って行くんだよ。結構長いけど、涼しいから暑い日はよくそこで……あれ?」
 言葉の途中から既に妖夢は走り出していた。
 灯台もと暗し。
 さすがは八雲紫と言ったところか。その性格の曲がり具合は、幽々子の額の渦巻きに匹敵するものがある。
「くっ、せめて他の二人が気づいてなければいいんだけど」










「私達の頭で考えると駄目。こういう時は八雲紫の思考で考えなくちゃ。あの妖怪は人が一生懸命に走って疲れたところで、場所を種明かしして私達を悔しがらせようと思ってるはず。だから秘湯への道は険しく困難な道というより、見つけにくく意外なところ」
「なるほど、だから……」
「そう、道はきっと私がいた部屋の近く」
 さすがは八意永琳の弟子といったところか。その推理に間違いはなかった。秘湯への道は確かに部屋の近くというか中にあったし、それを種明かしして悔しがらせようという紫の魂胆も見事に的を射ていた。
 唯一の誤算は、飛び出していった妖夢も何故か部屋に戻ってきていたことか。
「ちょ、ちょっと考えればわかることです」
 本人はそう言っていたが、おそらくどこかで誰かに訊いたのだろう。あれだけ猪突猛進に飛び出していった奴が、冷静に考え直して戻ってくる方がおかしい。
「何はともあれ、ご苦労様。ここまで把握できたのなら、後は温泉に浸かるのみ。悪いけど、あなた達が入る頃にはきっと効能が消えているはずだから。ゆっくりと普通の温泉に浸かってなさいな」
 妖夢はハッと気づく。そういえば、咲夜は時間を操れる程度の能力を持っているのだった。ここで時を止められたのなら、間違いなく最初に入るのは咲夜。
 しかし、ウドンゲはもうとっくにその事に気づいていた。
 気づいて十五分。それだけあれば、対策など十は思い付く。
「残念だけど、そうはいかないよ咲夜。ここでもしも抜け駆けするようなことがあれば、きっとあなたにとって不利な状況が訪れる」
「不利な状況? どういうことかしら?」
 怪訝そうな顔で問いかえす咲夜。ここで疑問を持ってしまったのなら、ウドンゲの勝利は目前にあった。
「はっきりいって、あなたが温泉に浸かってどういう身体になりたいかなんて、ちょっと考えれば誰にだってわかること。だからこそ、あえて訊く。夏まっさかりの西瓜おっぱいを手に入れたとして、果たしてあなたのお嬢様は振り向いてくれるのかしら?」
「振り向くに決まっているじゃない。胸にときめかない乙女がいるものか!」
「甘い! だとしたら、どうしてそのお嬢様は紅美鈴にときめかない!」
「そ、それは……」
「レミリアが気になるお相手は博霊の巫女。彼女に胸はあるのか。答えは否。そう、あなたの愛するお嬢様は決して胸になんて囚われてはいない! だから、例えあなたが我儘ボディになったとしても、お嬢様は振り向いたりなんかしてくれない!」
 ここぞとばかりに、ウドンゲはビシッと咲夜に指を突きつける。
 すっかり顔を青くした咲夜は口元を手で抑え、がっくりと畳に膝をついた。頭は敗北を認めずとも、身体は負けを悟ってしまったのだ。
「……どうしてかしら、反論したいのに言葉が思い浮かばない」
「誰だって完璧に言い負かされたらそうなるんだって。私も師匠にミニスカートをはかないウドンゲはウドンゲじゃないし、ましてや月の兎でもないってボロクソに言い負かされたことがあるし」
「あなたも大変なのね」
「わかってくれるなら有り難い。だったら、ここも私に譲ってくれるよね」
 優しい笑顔を浮かべるウドンゲ。しかし、咲夜はまるで何事も無かったかのように、あっさりと立ち上がる。
「残念ね。例えお嬢様が振り向いてくれなかったとしても、私が秘湯に入らないということにはならないわ。少なくとも、胸さえあれば美鈴に敗北感を覚えなくて済む! それとお嬢様の事は別! それはそれ! これはこれよ!」
「なんという怨念の籠もった理由。そんな人に、私の崇高な野望の邪魔はさせない! 私は背を伸ばして、師匠にお姉さまと呼ばせるんだぁっ!」
「それのどこが崇高な理由よ!」
 怒鳴り合う二人だったが、ふとそこで違和感に思い当たった。そういえば、さっきから会話に参加していない奴がいるではないか。
 部屋の中を見渡しても、どこにも姿は見あたらない。かわりに開いている押入の扉。その二つから導きだされる答えに至ったところで、二人は間髪入れずに押入の中に飛び込んだ。
「油断した! あの庭師め、いつのまに!」
「あなたがとっとと論破されてくれていれば、こんなことにはならなかったんです!」
「あなたが私を止めてなければ、今頃は温泉に浸かってたのよ!」
 動揺しているのか、咲夜は時を止めることをすっかり忘れているようだ。敢えて、ウドンゲはその事を言及しないのだが。
「見えた!」
 地下通路を潜った先には、広々とした空間が広がっている。ところどころに岩も見え、その岩がまるで防波堤のように湯気が煙る温泉を囲っていた。
 間違いない。ここが紫の言っていた温泉なのだろう。
 二人は温泉に向かって全速で走り出し、温泉の前で唖然としている妖夢を発見した。
「どうしたの、てっきり私はもう温泉に入ってしまったものだと思ってたんだけど?」
 咲夜の言葉に、妖夢はゆっくりとある方向を指さした。咲夜とウドンゲはその先に顔を向け、同じく唖然とすることになる。
「見てー見てー、ほら温泉に入っても全然溶けない! ああ、レティにも見せてあげたかったな、あたいのクロール!」
「多分レティさんは、ここに来たら溶けると思うよ。それにチルノちゃん、それクロールじゃなくてスクワット」
 濛々と湯気が立ちこめる温泉の中で、はしゃぐ氷の妖精。本来なら溶けてしまっていてもおかしくない。
 それが平気な顔をして温泉に浸かっているということは、つまりチルノの身体が変化したということ。
「あら、結局誰も温泉に浸かれなかったのね。残念、残念。それじゃあ、また百年後のおこしをお待ちしているわね」
 何の前触れもなく現れた紫。その顔には大満足の三文字が相応しいほどの表情が張りつけられていた。まるで、全てはこういった結果を見たいが為の事だと言っているような顔である。
 愉快そうな紫の声と、楽しそうに温泉で泳ぐ妖精達の声。
 三人ともしばらくそこで呆然としており、夜の宴会ではそれを忘れるように酒をあおったという。別人になるまで飲んだらしい。
 当然、次の日は激しい頭痛に襲われたわけで。










 翌日の紅魔館。
「咲夜、温泉旅行は満喫できたかしら?」
「……いえ、やっぱり私は仕事をしている方が合ってるようです。当分、休暇は必要ありません」
 疲れた顔で咲夜はそう言ったという。
 飴を与えるのも大変だ。
 レミリアは思わず溜息をついた。


 元ネタは、ふと整理していた東方系CG。見た瞬間にネタが沸きだしてきました。
 ただ誰の作品なのかわからなかったのですが、今年の作品を見てEKI氏だと気づきました。まずは素敵なネタをくださったEKI氏に感謝を。
 ちなみに、既にEKI氏の絵を元に私とは別の方がSSを書かれているようですが、レベルはあちらの方が遙かに上。それでも投稿する勇気。チャレンジャースピリッツというか、無謀というか。そこら辺はモニタの向こうで密かに処理しておいてください。

 イメージ的には、従者三人というか三人姉妹という感じで書いてみました。
 咲夜=しっかり者の長女
 妖夢=真っ直ぐなんだけどドジな次女
 ウドンゲ=一癖も二癖もあるちょっと腹黒な三女
 父親と母親が気になるところですが、何はともあれこんな家族がいればいいなと妄想してみたり。
八重結界
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コメント



0.1520簡易評価
2.-30名前が無い程度の能力削除
後半の微妙な会話ループ・・・あれはわざと?
とても読みにくく、あそこで状況がよく分からなくなりました。
文章はしっかりと推敲しましょう。
3.80名前が無い程度の能力削除
あれ?点数入れたら文章が直ってる・・・。
これならマイナス点を入れる必要がないじゃないかorz
前の点を考慮して80点入れておきますね。
申し訳なかったです。
8.無評価名前が無い程度の能力削除
× Hlep
○ Help
わざとだったらごめんなさい。
15.100名前が無い程度の能力削除
読んでて楽しかったです。
素裸天狐ww
19.70名前が無い程度の能力削除
中々よく出来た話しですたw
22.無評価八重結界削除
Hlep→Helpに修正いたしました。
ご報告いただき、ありがとうございます。
23.90名前が無い程度の能力削除
妖夢を抱きしめたくなった咲夜さんが後で何をしてくれるか楽しみにしていたのですが、そんな邪な期待など軽く吹き飛ばしてくれるようなドタバタぶりに笑いました。流石ゆかりん。

×どうせ、あなたこと。
○どうせ、あなたのこと。
×鈍痛なだけ
○鈍感なだけ
×格好ぐらいしなとねえ
○格好ぐらいしないとねえ
×とかいう主が言った
○とか主が言った
×建物は豪華くせに、
○建物は豪華なくせに、
×朝の当分補給用
○朝の糖分補給用
×そうとわければ
○そうとわかれば
×咲夜は改めて再確認した。
○咲夜は改めて確認した。
勘違いがあったらすみません。
24.無評価八重結界削除
誤字修正いたしました。
しかし、あまりにも誤字が多すぎるような。
次からは推敲にもう少し時間をかけることにします。
ご指摘ありがとうございました。
27.80読み解く程度の能力削除
従者'sの絡み方がとてもよく出来ていたと思います。一人一人の特徴もしっかりと出ていて、大変おもしろかったです。
もう少し欲を言えば、温泉騒動だけで終わるのではなく、食事風景や就寝などのイベントを増やしてもらいたかったです。