「やっぱりおかしいわ」
「みすちーの頭が?」
差し出されたお冷を受け取りつつ、リグルは屋台の主人に問うた。
いまいちターゲット層というものがよくわからない夜雀の経営する屋台は、やはり儲かっているのかいないのかよくわらない繁盛ぶりで、今宵の客はリグルとルーミアしかいない。
そんなさもしい客たちに愛想を振り撒くわけでもなく、ミスティアは串を持ったままの拳を振り上げた。
「私の頭はただスースーなだけ! スポンジのようによく吸収し、綺麗さっぱり抜け落ちる!」
「航空学的に飛ぶ代償って大きいよね」
「そう、私たちは常識派! なのに奴は存在そのものが非常識!」
「またユニバーストマックな亡霊に食べられかけたの?」
「違う違うそうじゃない! あいつも非常識だけど、私が言ってるのはバカ妖精よ!」
「あいつが唯一人間に有り難がられる季節になってきたね、そう言えば」
でっかい入道雲が蒼穹を覆う季節。飛蝗や蝉、そして蛍などの昆虫たちがもっとも活発になる、生命がもっとも命を燃やす期間。空の青、地上の碧(あお)が清々しいまでに目覚める日々。
リグルにとっては過ごしやすく、快適な夏である。
ただ、人間だけにも及ばず一部の妖怪においても暑さに弱い連中はいるわけで、そういう者たちにしてみれば、チルノが気まぐれに放出する冷気も唯一許せる季節なのかもしれない。
ミスティアが許せない一派だとは知らなかったが。
「ちっっっっとも有り難くなんかないわ! この前、ほら、アレだったでしょ? なんだったっけ。土星の海?」
「なんか詩的」
「そういえば月は海だらけらしいけど、さっぱり白いだけよね。月の水って白いのかしら」
「全部お酒だったりして。なんか、さかずきっぽい名前の海もあるんだって。月には」
「あー、だから月の人ってみんな酔っ払ってるみたいに変なんだー」
「そーだったのかー」
「口にもの入れたまま喋るな!」
黙々と鰻を頬張っていたルーミアがせっかく相槌を返してくれたというのに、ミスティアは激を飛ばす。どうやら、相当腹の虫が据えかねるらしい。
お腹の虫はさすがに専門外だしなぁ。
と、ミスティアは手を叩いた。
「思い出した! 土用の丑!」
「ああ、なんかよくわかんないけど、鰻を食べる日」
「そう、正確には何日かさっぱりわかんないけど、鰻を食べる日」
「うーなーぎおーいしーかーのーかーわー」
「そうそう、それでね、こりゃ掻き入れ時だって思って、いつもより張り切って鰻を獲ろうと思って張り切って川に行ったわけよ、私は」
「ルーミアは山へ人狩りに、みすちーは川へ鰻獲りに出かけました」
「聖者は十字架に磔られました」
「人類は十進法を……やめて! 話逸らさないでお願い! 何話してたか忘れるから!」
イライラしてることなら、忘れてしまった方が楽な気もするのだが。
横のルーミアを見ていると、とみにリグルはそう思う。
頭を抱えて、必死にスポンジ頭を振り絞ったミスティアは、三十秒くらいかけてようやく何を話したかったか、思い出したようだった。
「そう、そこであの氷精が来たの」
「どんぶらこっこどんぶらこっことチルノがやってきました」
「で、お婆さんは?」
「無視して鰻獲りを続けていたら、チルノが遊べって言ってきて、それでも無視したら」
「桃をスルーすることは出来ない、と」
「できないー」
「出来ないようにされたの! 川凍らせられたら鰻獲るもへったくれもないじゃないのぉ」
「ついでに収穫もない」
「なんにもないー」
「商売丸潰れよぉ」
とは言っても妖怪という生き物は人間のように商売を営んでいても、生計を立てているというわけでもないことが往々にしてあるので、あまり悲壮感というものはない。
そもそもミスティアの場合、一曲歌わせたらもう忘れているのだから、どうでもいい。
「あんまりにも悔しいから、凍った鰻掘り出してアイスクリームにしてみたわ」
「おー」
屋台の裏から、氷を敷き詰めたトレイをミスティアは引っ張り出して、リグルたちに差し出した。
ガラスの器にその氷菓を盛り付けられ、試食を頼まれる。
リグルはスプーンを取った。
「あ、これおいしーよ」
「おいしー」
「でしょ。ふふん、自信作」
「これ売り出しちゃいなよ。蒲焼とか串焼きとかありきたりなもの出すよりウケるって」
「よし、それじゃああのバカ妖精に氷をたくさん作らせて――って、本末転倒!」
いやもういいじゃない、なんでわざわざイライラしたがるのかと思えてくるのだが、リグルは口に出さなかった。
だって、このまま放っておいた方が面白そうだし。
そのリグルの期待を外すことなく、ミスティアは拳を握って語り出した。
「大体、おかしいわよ! あいつなんでこの面子によく紛れ込んでいるの? しかもリーダーシップ取りたがるし! 妖怪がなんで妖精如きの下につかなきゃならん!」
「そうだねー」
「そーだなー」
「しかも私ら基本的に夜行性で、お子様なあいつと活動時間が合わないから、眠たいのに付き合わされる!」
「ルーミアはいつのまにか寝てるし起きててもあまり変わりないけどね」
「すぴー」
「ここは一度、あのバカ妖精チルノに、一つ身の程ってもんを教えてやらないとと思うわけよ! 井の中の蛙に、サメとかクジラとかの恐ろしさを教えてやる! 私もよく知らんけど!」
「でもチルノ、私たちと同レベルに強いよ」
あたいったら最強ねは伊達じゃない。寒さや冷気に弱いリグルに至っては、夏以外ではケンカを売られたくない相手である。幸い、今は夏なので互角以上の勝負が出来ると思うが。それでも寒いの嫌なので積極的にケンカはしたくない。
そして妖怪の性分として、自分より強い相手に誰かをいじめてもらうことを依頼するのは、気が引けるのである。そんな下らなくて恥知らずなことが出来るのは人間くらいだ。
実力が同じ程度である以上、きちんとそれを認めて同等に接してやるのも妖怪の余裕、とリグルは思う。チルノとの相性が悪いので、自分への言い訳として常に言い聞かせている身分のリグルは、ミスティアが抱いた感情はとうの昔に体験済みなのである。
別にミスティアに言い聞かせるつもりもないが。妖怪それぞれだし、何よりリグルとしてもチルノにぎゃふんと言わせられるのならそれはそれで面白い。
「そこを知恵と工夫でカバーするのが頭の良い妖怪ってもんよ」
「なんか自分で言うのも悲しいけど、この面子にそれを求めるのはつらいんじゃないかな」
「何言ってるのよ。三人寄ればブンジュの知恵って人間たちは言うらしいわよ」
「どういう意味?」
「みーっつのここーろがーひとつになれーばー♪ ひーとつーのせいーぎはー百万パゥワー♪ って、意味らしいわ」
「正義ってなんだろう」
「力」
まあ所詮この世は弱肉強食と誰かが言ってたし、間違ってないような気もする。
「それじゃあ決まりね! これからチルノ撲滅会議を開くわよ!」
「商売しろよ」
※※※※※※※※※※
ミッションナンバーそのいち
オモチャを取り上げられて退屈で野垂れ死ぬがいいわ作戦
真夏の蒼穹を照り返す湖面は、どこまでも青い。
そんな真っ青な世界の狭間で、チルノは桜色に頬を染めた上に膨らませて饅頭のようにしていた。
「おっかしいわね! なんでカエルがいないのよ!」
湯気を頭から出すかわりに、氷柱をそこらへんに撒き散らすのは正直迷惑だし物騒だからやめてほしい。
そんなチルノの様子を、使い魔の虫を通じて森の中に潜んだまま観察していたリグルは、手中の鈴虫に囁いた。
「こちらナイト2。ターゲットがそろそろ痺れを切らした様子。どうぞ」
『こちらナイト1。引き続きターゲットの動向をほ……なんだったっけ』
「捕捉」
『それで』
「了解」
鈴虫が震わせていた羽を止めたとたん、ミスティアの声が途切れた。
音というのはつまるところ振動なわけで、感覚が鋭敏な虫たちは妖怪の声を拾いやすいし影響も受けやすい。
その点を利用し、鈴虫同士に音の共鳴をさせ、通信装置として利用するのである。リグルにとっては朝飯前の小技だが、これがあるのとないのとでは大違いだ。
「さて」
目を複眼状態にし、改めてチルノの様子を観察し続ける。
たかが虫、されど虫である。虫ほど多彩な能力を持ち、数が多い生き物もそうはいない。そんな虫を統べるリグルは、天狗や河童といったメジャーで強い妖怪一族に比べ物にならないほど弱いものの、能力の汎用性の高さにおいては負けないと自負している。
まあ、器用貧乏とも言えるが。
「今日解凍に成功すれば、新記録の九回連続成功なのに!」
いい迷惑だな、カエル。
なんとなく同情する。もうこのまま巣に帰さない方が、カエルたちのためではなかろうか。
「どこいったのよ!」
両手を振り下ろすチルノ。八つ当たりで湖面に氷柱を作らないように。
チルノの疑問に心中で答えてやるとすると、カエルたちを移動させたリグル本人にすらよくわからない。
ただ、配下の虫たちはカエルの大好物なため、彼らをちらつかせて昨夜から少しずつカエルを移動させ続けた結果が、チルノのご立腹というわけである。
地道な努力の成果なのだ。配下に至っては命がけだ。リグルにとってはとても嫌な役回りだったので、この作戦は決行したくなかったのだが。
「……あたいが怖くなって逃げ出したのかしら」
しかも微妙に作戦効いてないし。
なんだかもう嫌になってきた。というか、リグル自身飽きてきたのだ。
これではあっちより先にこっちが退屈で死ぬ。
「――ん?」
チルノが首を曲げた。
こっちを向いた。
目が合った。
「げ!?」
もちろん、チルノはリグルを見ているわけではない。
ただ、リグルが仲介として使用している使い魔の蜻蛉を、チルノは眺めただけだ。
問題は、その純真な目が世にも嬉しそうに、細められたこと。
生物としての生存本能が、脊髄を駆け上り悪寒として背筋を疾走。脳から発進された危険信号が身体中の全神経を駆け抜ける。
「今日はこいつで我慢しーよっと♪」
「うわああああああああああああ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げ――」
視界がブラックアウトした。
ご臨終です。
「あああああああああ六百五十八代目羽々根丸ぅぅぅぅぅぅっっ!!」
戦死した部下の名を叫ぶ。彼はヤゴの時代から何かと不器用なヤツだった。古くは本多忠勝に討ち取られた蜻蛉の大妖怪の子孫とも言われる彼は、由緒ある羽々根丸の名を自分は継げずに、大空を飛ぶこともなく死ぬるのだろうと、リグルに愚痴ったものである。しかし幼き頃は水中に生きる者同士として、六百五十七代目までの羽々根丸を世話した者として、リグルは彼を励まし、育み、使い魔として労ってやった。いい部下だった。くそっ、いいヤツから死んで行く。死んだヤツはみんないいヤツだ。くそうっ。
『ナイト2? リグル、応答しなさい! まずいわ、アンタがあげた大声のせいでチルノのバカが気づいた! そっちに向かってる! 逃げるのよ! 速く!』
「……逃げる?」
リグルはゆらりと立ち上がった。
服の袖でごしごしと目元をこすり、上空に現れた青い悪魔を睨みつける。
「私が逃げてどうなる? たった一つの命を捨てて、殉じて死んだ羽々根丸。青い悪魔を叩いて砕く、私がやらねば誰がやる!」
「ちょうどいいところにいたわ。今日は虫を片っ端から凍らせてみることにしたの。まずはアンタから氷漬けよ!」
「望むところ! 飛んで虫に入る夏の氷精よ! 無限に湧き上がる命の炎、アンタに消せるかしら!」
桜と、虫と、弾幕は、咲いて散るから美しい。
※※※※※※※※※※
ミッションナンバーそのに
難題:脳みそ沸騰させて溶け死ぬがいいわ作戦
「疲れたー。夏になるとなんでか帰る時疲れるわね」
――日没が遅くて帰りも遅くなるからだよバカ。
相変わらずチルノのストーキングミッションを押し付けられているリグルは、心の中だけで答えておいてあげた。
結局、弾幕ごっこは痛み分け、ほとんど引き分けのような状態でリグルが辛勝。一緒に羽々根丸のお墓を作らせ、線香も上げさせ、別れてから現在に至る。
弾幕ごっこでまがりなりにも勝ったのだし、これ以上愛する配下たちを犬死させるのは気がすすまない。リグルはもうチルノから手を引きたいのだが、ミスティアはまだ諦めていないらしく、様子を見るだけでいいからという約束付きで、チルノを見張っている。
チルノへのトラップはミスティアとルーミアだけで用意したそうだ。ならば、ゆっくりとチルノが泣き喚く様を安全な所から観察させてもらうとしよう。個人的には手を引きたいが、チルノが痛い目を見るのはそれはそれで楽しいので。
「あの子は弾幕打ち上げて♪ バーカが来たのを祝ってる♪」
「わ、何!? 暗い!? 怖い!」
ミスティアの歌声の中に、チルノの半泣きになった声が混じった。
たぶん、鳥目にされたのだろう。今までのるんるん調子な足取りとは打って変わり、チルノは恐る恐る前に進み出す。
「こ、これはミスティアの仕業ね! なーんにも見えなくなったって怖くないんだから!」
「ちーがうー♪ きーっとちーがうー♪」
「こんなバカな歌大声で歌うのミスティア以外にいるもんか!」
「し、しっつれいね! 私は、そう、謎めく謎をなぞ明かすなぞなぞ星人よ!」
バカだ。バカが二匹で全力でバカしている。
「宇宙人!? 地上最強を極めきったあたいに、宇宙最強の称号を与えに来たのね!」
「そうよ。わたしのなぞなぞに答えることができたなら、宇宙最強の称号と一緒に鳥目も治してあげるわ」
「しっちゃかうるさい奴ね! なぞなぞだかなんだか知らないけど、スペルカードならちゃっちゃと宣言しなさいよ!」
「では問題でーす。下は大火事、上は洪水、これなーんだ」
「上の水を全部凍らして消火!!」
お風呂に入れない。
「ぶー不正解。はい、ボッシュートー♪ ちゃらっちゃちゃちゃーん♪」
「不正解じゃないわよ! ちゃんと消せるわよ!」
「けーせなーい♪ ふせーかいはー痛むけどー♪ 次の問題でーす」
「納得いかなーい!」
「揚げパンが空を飛びました。なんででしょー」
「凍らせて全力投擲!!」
冷凍ピロシキ空を飛ぶ。The frying bread flies.
「ぶぶー不正解~♪ またもやボッシュート♪」
「なんでよー!!」
地団駄を踏むチルノを、ミスティアは世にも嬉しそうな表情で見下している。本気で同レベルだ。いい加減妖怪の沽券に関わってくる気がするので、自重してもらいたい。
「次の問題でーす。パンはパンでも食べられないパンはなーんだ」
「さっきからもうわけわかんないことばっか言ってんじゃないわよ! 凍符! パーフェクトフリーズ!」
『パ』しか合ってねぇ。
そんなメチャな解答というか怪答でも、不意討ち気味の冷凍弾であることに変わりはない。いい気になっていたミスティアが反応しきれるわけもなく、したたかに鼻頭で弾を喰らったのであった。
飛ぶ鳥落としたチルノは勝利宣言の拳を突き上げる。
「目が治った! やっぱあたいったら最強ね!」
確かにバカ決定戦の軍配が誰に上がったかは、明白である。
※※※※※※※※※※
ミッションナンバーそのさん
未定
「ナイト3! っていうかルーミアはどこよ!?」
「寝てる」
目玉を描けば「このロリコンどもめ!」とでも言い出しそうな球体に包まれ、顔は見えないがまあ幸せそうに寝ていることだけは一発でわかる。
鼻に絆創膏を貼り付けたミスティアは暗黒球体に手を突っ込んでルーミアを引きずり出した。
宵闇の妖怪は鼻ちょうちんをこさえたまま、未だ幸せな夢の世界にぶっ飛んでいた。
「こいつなんもしてない!」
「そもそも協力するとか言ってないし」
「でも順番的にルーミアの出番でしょう?」
「ルーミアがやれそうなのは、闇の中にずーっと一緒にいさせてなんでもかんでも『そーなのかー』って答えて相手の精神崩壊させるくらいだと思う」
冷静に考えたら相当怖い気もするが、闇の中に入り込んだところで閉じ込められる恐れなどないわけで。
大体今までのチルノの挙動を見る限り、そんな常套手段で精神崩壊起こすような高等な脳みそは持ち合わせていないと考えられる。
ミスティアもルーミアが使えない奴だと認識したのか、道端に放り捨てた。それでもなお寝ている。確かに昼間起きっぱなしだったから、リグルもつらい。
「最強かどうかはさておき、思ったより手強い……っ」
「やっぱり私たちの脳みそじゃあ、思いつける策もたかが知れてるもの」
リグルは虫頭なので要素と要素を組み合わせて、新しい考えを生み出すということが苦手だ。
ミスティアは鳥頭なので記憶力に不安があり、その場のテンションにノってどこまでも暴走する。
ルーミアはそもそも何も考えてない。
こんな面子で頭脳戦をしようという時点で間違っている。
「なら、誰かに知恵を拝借させてもらうっていうのはどうかしら」
「まあ手を貸してもらうよりかはマシだけど。誰がいいかな。頭が良くて、ちゃんと考えてくれそうなヤツじゃないとダメだよ」
竹林に住んでいるというウサギはそれは狡賢いという噂ではあるが、出会う奴分け隔てなく片っ端から騙して喜ぶような奴だという話である。チルノをハメるくらい朝飯前だろうが、リグルたちすらハメられる可能性が高い。
人里に住む半人半獣の教師は、とても頭が良いという話ではあるがどういうわけか人間好きで、妖怪たちに対し敵対的とは言わないまでも、無条件で友達になってくれるような奴でもないだろう。大体、やたら真面目で堅物な性格だそうで、取り付く島がないと考えられる。
他に賢いと言えばちんどん屋三姉妹の末娘であるが、ミスティアとは音楽性の違いというヤツで仲があまりよろしくないとのことである。
これ以上になってくると、頭も良いが単純に強くてリグルたちのような木っ端妖怪では近付くことすら怖い連中になるので、協力など要請したくない。
「……そういえば魔法の森に、魔法使いがいたわね」
「あの黒白」
「じゃなくて、七色の方」
「やかましいのじゃなくて、陰険な方」
「そう」
去年の秋先、やたら永く続いた夜、リグルとミスティアは立て続けにあの魔法使いコンビに襲われて撃墜されたという過去を持つ。
まあ好戦的だったのは一方的に人間の方だけだった気もするが。
「魔法使いっていうくらいだから頭良いでしょうよ。陰湿そうだし」
「でも協力してくれるかな」
「それはわかんないけど、話した後、痛い目みそうな他の連中よりマシでしょう」
「好き好んで弱いものいじめをしたがりそうなキャラクターには見えないものね」
ならば、一応決まったということでよいだろう。
寝たままのルーミアはその場に放置し、二人揃って人形遣いな魔法使いの下に急ぐ。
そうして辿り着いたマーガトロイド邸をノックすると、出迎えてくれたのはふよふよ浮いた人形だった。
ビビるリグルとミスティアをよそに、人形は小首を傾げると、くるりと空中で旋回する。
再び人形の顔がリグルたちに向けられた時、そのガラス球で作られた瞳に、光が宿っていた。
「いつかの夜雀に蛍じゃない。なんか用」
「うわっ!」
「喋った!」
「腹話術みたいなもんよ。私は今忙しいの。上海に応対は任せるわ」
「――ふ、ふん。私だって虫を使えば同じようなことできるもの」
リグルは胸を張ってみた。そう、人形が喋ったりするからちょっとビビっただけだ。よくよく考えればこんなこと、妖怪なら誰だって出来そうな術だ。
人形は冷たい目でミスティアを睨む。
「忙しいの。用があるなら早く」
「無視された!?」
「虫が五月蠅い」
「何よこんな人形! あんまり生意気言うと人の形わからなくなるくらいばらっばらにしてやるわよ!」
「へぇ」
興味ゼロ、温度ゼロの声が人形の口から漏れたとたん、暗闇に沈む玄関から、数百にも及びそうな無数の微光が灯った。
それこそ蛍の群れのような、しかし生命の暖かみが全くない仄かな光たちは、月明かりを照り返す無数のガラス球だった。
やがて、光が全て人形の瞳だと理解したとたん、リグルとミスティアは慌てて二、三歩マーガトロイド邸から距離を取った。
「おもてなしの準備は出来てるわよ」
「……ところで、用件の方だけど」
額の脂汗をさりげなく服の袖で拭きながら、ミスティアが話し出す。
人形は人形らしく無反応に話を聞き終えると、肩をすくめるような動作をした。芸が細かい。
「アンタらも同じくらいバカね」
「妖精と同レベルにするな!」
「そんな小さいことにこだわってるからつけ上がるのよ。たかが妖精なんでしょ。無視したらいいじゃない」
「してるわよ、大概」
「徹底なさい。妖精なんて存在してようがしてなかろうが、本当にどうでもいいもんなんだから。何か言っていても風が囀っているのと同じ。攻撃されても雨が降ったようなもんよ。そもそも自然だし、連中」
「けどそんなんじゃ、ぎゃふんと言わせられないじゃないのよ!」
人形は、ミスティアの言葉を嘲笑で返した。
「言わせる必要すらないのよ」
「ええー、でもー」
「ま、一度やってみなさいな。コストも手間も何もいらないもの。試してみて、損はしない」
それだけ言うと、別れの言葉も告げず、人形はドアを閉めた。
※※※※※※※※※※
ミッションナンバーそのさん
うさぎと妖精は寂しいと死んじゃうのよ作戦
「リグルぅーっ! みて見て! セミの成虫も凍らせたら抜け殻と同じみたいにぱっきぱきに砕けるのよ!」
「そう」
内心の怒りに殺虫剤を振り撒けるが如く殺しきったリグルは、無感動な声を出すことに成功した。
チルノはその反応にむーと膨れ、見せようとしていたらしい凍ったセミを、リグルに投げつける。
「何よそんな澄ましちゃって! なんかもっと面白いことでもあるの?」
「別に。でも、仕事があるから。今度は紅魔のメイドさんの時間、と」
そう言って、虫を飛ばす。
チルノがやきもきとした表情でリグルを見下ろすが、そのまま無視し続け、えーっと次は誰だったけなぁと呟きながら、メモ帖を引っ張り出す。
ばきぃんっ、と岩でも割れるような凄い音がした。
振り向きそうになったが、横目で見るだけに留める。
「そんなに忙しいんなら、他の奴のとこ行くわよ!」
チルノが飛び去って行った夏の空を、リグルは見上げた。
飛び上がった時の衝撃で出来たらしい逆さ氷柱は、夏の暑さで緩やかに溶けて行く。
リグルは頭を掻くと、手中の鈴虫に語りかけた。
「みすちー。たぶん今度はそっちに行くと思う」
『おっけーよ。一寸の虫のように無視しきってみせてあげる』
「鳥頭なんだから、忘れずに」
忠告してから、使い魔の虫で変わらずチルノのストーキングを開始。
案の定、チルノは屋台の準備を始めているミスティアの下に降り立つと、無い胸を張るのだった。
「鳥目には鰻なんかよりかき氷たくさん食べてキィンッてさせた方が効くよ!」
「ふーん」
「なんなら試してみてもいいわよ」
「そう」
串を洗い、タレの仕込をミスティアは続ける。
チルノはまたもや膨れると、今度は鰻を入れている桶に冷気を飛ばした。
元気良く泳ぎ回っていた鰻たちは目を開けたまま氷漬けにされ、時間が停止したかのように生命活動を止めていた。
ついでに、ミスティアの澄まし顔も凍る。
「この――」
『みすちー』
「――こほんっ、こほん!」
怒りに我を失いかけたミスティアを、リグルは虫を使って忠告し、止めた。
そうして咳でごまかしたミスティアの様子を、チルノは目を細めて見下ろしている。
ミスティアは無言で仕込みを続けている。
「わかったわよ邪魔なんでしょ!」
屋台を蹴っ飛ばすと、チルノは再びどこかへと飛んでしまった。
すっかり見えなくなったのを悟ってから、ミスティアは桶の前でがっくりうな垂れる。
「またアイスクリームになる……」
『美味しいからいいじゃない』
さて、後はルーミアの所だが、彼女には既に手を打っている。
向こうに関しては、映像までいらない。音声だけで何が起こっているか、充分把握できるだろう。
「遊びに来たよ!」
「そーなのかー」
「何して遊ぶ?」
「そーなのかー」
「ちょっとルーミア?」
「そーなのかー」
「おい返事しろ!」
「そーなのかー」
「そーじゃなくて、そーじゃない返事しろってんのよ!」
「そーなのかー」
「そーじゃなくてどーなんだ!」
「そーなのかー」
「ああもうバカ!」
「そーなのかー」
……自分でやれって言っておいてなんだけど、暗闇の中、縛られて、たった二人きりにされてやられ続けたら、三日で気が狂うと思う。
それから数分もしないうちに、チルノの声はしなくなった。
ルーミア、だからもうそーなのかーはやめていいよ。正直怖いから。だーれもいない闇の中でにっこにこ笑いながら一人でそーなのかー言ってる図はどう考えてもおかしいから。子供見たら泣くから。
「――とりあえず、今日のとこは成功かな」
『気長ねぇ』
「妖怪の余裕を見せつけてやるんでしょ。妖精みたいに短気なこと言わない」
ここまで言っておけば、いくらミスティアとて少なくとも今日一日くらいは覚えているだろう。
リグルはそうしてから通信を切り、メモ帖を改めて見たのだが、顧客は目が回るほどいないので当分は暇である。
草っぱらに手足を投げ出し、バカみたいに青い空を眺めて、呟いた。
「仕事ってたいくつだなー……」
それから三日後。
健全な夜行性妖怪として夕刻に起床し、日が沈みかける頃に一日の準備を終えたリグルは、手始めにミスティアの所へ往き、作戦の動向を皆で見守ることにした。
「今ごろ退屈か寂しさで死んでるかしら」
「妖精を殺せたらそれはそれで天狗の新聞に載ったりするかもね」
「しんぶんしー」
鰻を頬張りながら各々勝手なことを言いつつ、蛍の光によって投影される、チルノの実況中継を眺める。
氷精は湖のほとりで冷凍したカエルを水に漬けて、その生還を確認したところだった。
三分の一に一生を得たカエルはものすごい勢いで水を蹴り、氷の死神から逃げ出して行く。
チルノはそんなカエルを無言で見送り、立ち上がった。
『帰ろっと』
歩き出す。
住処へと移動するまでの間、ずっと無言だ。
「……見ててもつまんない」
鰻を焼きながらの片手間であるミスティアですら、思うのだ。リグルだってぜんぜん面白くない。
そもそもなんでこんな退屈なことをしてるんだかすら忘れてしまいそうになるが、そこらへんは鳥頭ではなく虫頭である誇りにかけて、忘れていない。
「あ、なんか今鈴虫が違う声拾った。チルノも気づいた見たいだし、そっち見てみるね」
こうなればちょっとした変化でも大事である。リグルの指示に使い魔が応え、チルノの視線の先を映した。
そこには一匹の悪魔と人間が、仲良く湖のほとりを歩く姿があった。
会話が聞こえる。
『夜の散歩に咲夜はいらないってあれほど言ってるのに』
『夜に咲く人間ですもの。花は可憐な少女の傍にあるものです』
『ずいぶんと金属質で冷たい花もあったものだわ』
『永遠に枯れませんよ。ついでに腐食しないんで手入れもいらないです』
『ちゃっかり休んでいる奴が何言ってるんだか』
貴族である。
この一人と一匹に関しては、去年恐ろしい目に遭わされたことがあるので、リグルはどうにもコメントが出来ない。
話によればミスティアも同じ身分のはずなのだが、すっかり忘れているらしい。顔色が全く変わっていない。
「つまりメイド人間って食べても硬いのかしら。でも香りは芳醇」
「そーなのかー」
ルーミア、舌なめずりすんな。喰えないから。
少し目的が変わりつつあったので、セレブな連中からチルノに映像を切り替える。
彼女は貴族たちが歩み去った方向を、じっと見つめていた。
と、突然地面を蹴り、飛行状態に入る。
向かうは当然、優雅で瀟洒な貴族と従者。
「ちょっとそこのアンタら――」
正気かこいつ。妖精だけに手加減いらないから、原型とどめないほど消し炭にされるぞ。
さすがに友が一方的にやられる図を見たくないので、リグルは映像を消そうとした。
だが、その必要もなく、悪魔の方がチルノに気づくと、メイドの方に語りかけたのだった。
『咲夜、小蠅がうるさいわ。あっちへやって』
『はいはい』
面倒くさそうにメイドが指を振る。
チルノの周囲の時間が止まった。
凍らせられないものなどないと豪語する氷精チルノではあるが、さしもの彼女も時空間ごと凍らせられてはどうしようもない。自らの身に何が起こっているかも把握できず、放っておかれるのみである。
そうして、貴族たちがすっかり湖から離れた頃、ようやくチルノを縛る時空の鎖は切れたのだった。
瞬間移動された気分を味わっているチルノは、周囲を見渡し、悪魔の名を呼び、小石の下まで引っくり返して探してみるが、当然いるはずもない。
すっかり暗くなってからそれに気づいたらしい彼女は、呆然と立ち尽くした。
『……やっぱり無視された』
その声すら、闇夜に溶けて消える。
『なんでよ。なんで最強のあたいがこんな無視されてるのよ!』
地団駄を踏み、周りに霜柱を立たせる。
『あたいは最強なのに――!』
苛立ちで振り下ろした腕から発射された冷気が湖の一角を季節外れな冬の様にし、木々からは氷柱が幾本も垂れ下がる。
『あたいを……仲間外れにして』
へたりこんだ。
服が汚れるのも構わずに尻餅をつき、背中を震わせ始める。
しゃっくりと、鼻を啜る音が混じり始めた。
『うっ、うぅっ、ううぅぅ~……』
そして、幼い氷精は恥も外聞もなく泣き始めた。
涙すらすぐに氷つき、頬から伝い落ちた雫は全て彼女の膝元で結晶となって溜まる。
「――大将、串二本。お冷一つ」
「え? あ、うん」
リグルの隣に、客が一人腰掛けた。
すっかり見入ってしまっていたので忘れていたが、この屋台は営業中である。そりゃあ部外者な客もやってこよう。
そいつはいやぁ今日も疲れましたぁなどと呟き、ごとりとカメラを地面に降ろす。
「やっぱり屋台は鰻に限りますね」
「あー……そうね、うん。さすが天狗、話が合うわ」
「ですよねぇ。おや、虫さん、覗き見ですか。いい能力持ってますね。羨ましいですよ。でも一応、私は自分の足と翼で得たネタをウリにしてますからね。使えないのが残念ですよ」
文はそう調子良く言いながらお冷を受け取り、リグルの使い魔が映し出す映像を見下ろしている。
なんとなく嫌な気分になって、リグルは使い魔を退かせた。チルノの泣き声が途切れる。
「ああ、やっぱり酒の席にあの手の声は合いませんね。すみません、お気遣いさせて。けど切ってもらったところで悪いんですが、あの氷精がああなるとは珍しいですね。一体全体何があったのか、お教えしてもらえませんか」
「記事にすんの?」
「いやいや、さすがにお子様一人泣いていたくらいじゃ記事にはなりませんよ。これは私個人の好奇心です」
「天狗だから猫みたいに殺されないとは思うけど、悪趣味だよね」
言ってみるが、泣かせた張本人もリグルたちなら、それを離れた所から見て酒の肴にしていたのもリグルたちである。かなり悪趣味だ。陰険だ。陰湿である。
――酒が不味い。
「みすちー、お勘定」
「もう帰んの?」
「そうする。ルーミアももう行こ――っていない!?」
リグルの隣に座っていたはずのルーミアは、いつのまにやら勘定払わずどっかに行ってしまっていた。
そういえばよく考えれば文がリグルの隣に座っているのであれば、ルーミアをどっかに除けなければならない。つまり文が来た瞬間には既にいなかったということである。
「食い逃げ! まだそれほど遠くへは行ってないはずよ! リグル、使い魔飛ばして探して!」
「わかった」
使い魔に指示を飛ばす。
と、卓上に映像が再び映し出された。そういえばこっちの映像は切っただけで、使い魔そのものは引かせていないのだから、当然だ。
しかしなんとなしに目をやったとたん、目的のヤツが見つかった。
「ルーミアチルノんとこに行ってる!」
「あああああいつ約束無視して!」
一匹と一羽で蛍が映し出す映像を食い入るように見つめた。
宵闇の妖怪はうずくまった氷精の下に降り立った。
『ないてるー』
『っく……っ……』
『なんで泣いてるの?』
『…………っ』
チルノはもじもじと身体をよじるが、答えない。
顔も上げない。
ルーミアも膝を折り、チルノと顔を近づけて、首を傾げた。
『どうしてなんにもゆわないの?』
『……だって……』
『?』
『みんな……どうせ……あたいなんか……』
『むしするの?』
こくり。
ルーミアはそれを聞くと立ち上がり、両腕を広げてくるくると回った。
『そーなのかー』
チルノは顔を上げた。
涙を目尻に溜め、立ち上がると、ルーミアに向かって拳を振り下ろす。
仰向けに転んだルーミアに、チルノは馬乗りになると罵声を浴びせ始めた。
『そーなのかそーなのかって、何がそうなのよ! どうせあたいなんかどうでもいいんでしょ!』
『そーなの?』
『そ、そーなのって……どーなのよ!』
『んー。どーなんだろー』
ばきっ。
あ、チルノ。拳はいいとして氷塊で殴るのはさすがにどうかと思うんだ。
『おちょくってんのかアンタは!』
『いーたーいー』
『痛かったわよ! あたいだってね! さっきまでね! 胸が苦しくってね! 息が詰まりそうで――』
映像と音声を、リグルは切った。
ため息をつく。
「みすちー。私、ちょっと行ってくるよ。みすちーもすぐ店片付けて来てね」
「……わかった。そういうわけだから、しばらくあんた一人で呑んでいて」
「わかりましたー。御武運をー」
ノリの軽い天狗に見送られながら、ミスティアとリグルは夜空を往く。
二人で顔を見合わせて、苦笑いを交わした。
「どうせ退屈だったしね」
「鰻のアイスクリームでも持ってきゃ、機嫌も治るでしょーよ」
「みすちーの頭が?」
差し出されたお冷を受け取りつつ、リグルは屋台の主人に問うた。
いまいちターゲット層というものがよくわからない夜雀の経営する屋台は、やはり儲かっているのかいないのかよくわらない繁盛ぶりで、今宵の客はリグルとルーミアしかいない。
そんなさもしい客たちに愛想を振り撒くわけでもなく、ミスティアは串を持ったままの拳を振り上げた。
「私の頭はただスースーなだけ! スポンジのようによく吸収し、綺麗さっぱり抜け落ちる!」
「航空学的に飛ぶ代償って大きいよね」
「そう、私たちは常識派! なのに奴は存在そのものが非常識!」
「またユニバーストマックな亡霊に食べられかけたの?」
「違う違うそうじゃない! あいつも非常識だけど、私が言ってるのはバカ妖精よ!」
「あいつが唯一人間に有り難がられる季節になってきたね、そう言えば」
でっかい入道雲が蒼穹を覆う季節。飛蝗や蝉、そして蛍などの昆虫たちがもっとも活発になる、生命がもっとも命を燃やす期間。空の青、地上の碧(あお)が清々しいまでに目覚める日々。
リグルにとっては過ごしやすく、快適な夏である。
ただ、人間だけにも及ばず一部の妖怪においても暑さに弱い連中はいるわけで、そういう者たちにしてみれば、チルノが気まぐれに放出する冷気も唯一許せる季節なのかもしれない。
ミスティアが許せない一派だとは知らなかったが。
「ちっっっっとも有り難くなんかないわ! この前、ほら、アレだったでしょ? なんだったっけ。土星の海?」
「なんか詩的」
「そういえば月は海だらけらしいけど、さっぱり白いだけよね。月の水って白いのかしら」
「全部お酒だったりして。なんか、さかずきっぽい名前の海もあるんだって。月には」
「あー、だから月の人ってみんな酔っ払ってるみたいに変なんだー」
「そーだったのかー」
「口にもの入れたまま喋るな!」
黙々と鰻を頬張っていたルーミアがせっかく相槌を返してくれたというのに、ミスティアは激を飛ばす。どうやら、相当腹の虫が据えかねるらしい。
お腹の虫はさすがに専門外だしなぁ。
と、ミスティアは手を叩いた。
「思い出した! 土用の丑!」
「ああ、なんかよくわかんないけど、鰻を食べる日」
「そう、正確には何日かさっぱりわかんないけど、鰻を食べる日」
「うーなーぎおーいしーかーのーかーわー」
「そうそう、それでね、こりゃ掻き入れ時だって思って、いつもより張り切って鰻を獲ろうと思って張り切って川に行ったわけよ、私は」
「ルーミアは山へ人狩りに、みすちーは川へ鰻獲りに出かけました」
「聖者は十字架に磔られました」
「人類は十進法を……やめて! 話逸らさないでお願い! 何話してたか忘れるから!」
イライラしてることなら、忘れてしまった方が楽な気もするのだが。
横のルーミアを見ていると、とみにリグルはそう思う。
頭を抱えて、必死にスポンジ頭を振り絞ったミスティアは、三十秒くらいかけてようやく何を話したかったか、思い出したようだった。
「そう、そこであの氷精が来たの」
「どんぶらこっこどんぶらこっことチルノがやってきました」
「で、お婆さんは?」
「無視して鰻獲りを続けていたら、チルノが遊べって言ってきて、それでも無視したら」
「桃をスルーすることは出来ない、と」
「できないー」
「出来ないようにされたの! 川凍らせられたら鰻獲るもへったくれもないじゃないのぉ」
「ついでに収穫もない」
「なんにもないー」
「商売丸潰れよぉ」
とは言っても妖怪という生き物は人間のように商売を営んでいても、生計を立てているというわけでもないことが往々にしてあるので、あまり悲壮感というものはない。
そもそもミスティアの場合、一曲歌わせたらもう忘れているのだから、どうでもいい。
「あんまりにも悔しいから、凍った鰻掘り出してアイスクリームにしてみたわ」
「おー」
屋台の裏から、氷を敷き詰めたトレイをミスティアは引っ張り出して、リグルたちに差し出した。
ガラスの器にその氷菓を盛り付けられ、試食を頼まれる。
リグルはスプーンを取った。
「あ、これおいしーよ」
「おいしー」
「でしょ。ふふん、自信作」
「これ売り出しちゃいなよ。蒲焼とか串焼きとかありきたりなもの出すよりウケるって」
「よし、それじゃああのバカ妖精に氷をたくさん作らせて――って、本末転倒!」
いやもういいじゃない、なんでわざわざイライラしたがるのかと思えてくるのだが、リグルは口に出さなかった。
だって、このまま放っておいた方が面白そうだし。
そのリグルの期待を外すことなく、ミスティアは拳を握って語り出した。
「大体、おかしいわよ! あいつなんでこの面子によく紛れ込んでいるの? しかもリーダーシップ取りたがるし! 妖怪がなんで妖精如きの下につかなきゃならん!」
「そうだねー」
「そーだなー」
「しかも私ら基本的に夜行性で、お子様なあいつと活動時間が合わないから、眠たいのに付き合わされる!」
「ルーミアはいつのまにか寝てるし起きててもあまり変わりないけどね」
「すぴー」
「ここは一度、あのバカ妖精チルノに、一つ身の程ってもんを教えてやらないとと思うわけよ! 井の中の蛙に、サメとかクジラとかの恐ろしさを教えてやる! 私もよく知らんけど!」
「でもチルノ、私たちと同レベルに強いよ」
あたいったら最強ねは伊達じゃない。寒さや冷気に弱いリグルに至っては、夏以外ではケンカを売られたくない相手である。幸い、今は夏なので互角以上の勝負が出来ると思うが。それでも寒いの嫌なので積極的にケンカはしたくない。
そして妖怪の性分として、自分より強い相手に誰かをいじめてもらうことを依頼するのは、気が引けるのである。そんな下らなくて恥知らずなことが出来るのは人間くらいだ。
実力が同じ程度である以上、きちんとそれを認めて同等に接してやるのも妖怪の余裕、とリグルは思う。チルノとの相性が悪いので、自分への言い訳として常に言い聞かせている身分のリグルは、ミスティアが抱いた感情はとうの昔に体験済みなのである。
別にミスティアに言い聞かせるつもりもないが。妖怪それぞれだし、何よりリグルとしてもチルノにぎゃふんと言わせられるのならそれはそれで面白い。
「そこを知恵と工夫でカバーするのが頭の良い妖怪ってもんよ」
「なんか自分で言うのも悲しいけど、この面子にそれを求めるのはつらいんじゃないかな」
「何言ってるのよ。三人寄ればブンジュの知恵って人間たちは言うらしいわよ」
「どういう意味?」
「みーっつのここーろがーひとつになれーばー♪ ひーとつーのせいーぎはー百万パゥワー♪ って、意味らしいわ」
「正義ってなんだろう」
「力」
まあ所詮この世は弱肉強食と誰かが言ってたし、間違ってないような気もする。
「それじゃあ決まりね! これからチルノ撲滅会議を開くわよ!」
「商売しろよ」
ミッションナンバーそのいち
オモチャを取り上げられて退屈で野垂れ死ぬがいいわ作戦
真夏の蒼穹を照り返す湖面は、どこまでも青い。
そんな真っ青な世界の狭間で、チルノは桜色に頬を染めた上に膨らませて饅頭のようにしていた。
「おっかしいわね! なんでカエルがいないのよ!」
湯気を頭から出すかわりに、氷柱をそこらへんに撒き散らすのは正直迷惑だし物騒だからやめてほしい。
そんなチルノの様子を、使い魔の虫を通じて森の中に潜んだまま観察していたリグルは、手中の鈴虫に囁いた。
「こちらナイト2。ターゲットがそろそろ痺れを切らした様子。どうぞ」
『こちらナイト1。引き続きターゲットの動向をほ……なんだったっけ』
「捕捉」
『それで』
「了解」
鈴虫が震わせていた羽を止めたとたん、ミスティアの声が途切れた。
音というのはつまるところ振動なわけで、感覚が鋭敏な虫たちは妖怪の声を拾いやすいし影響も受けやすい。
その点を利用し、鈴虫同士に音の共鳴をさせ、通信装置として利用するのである。リグルにとっては朝飯前の小技だが、これがあるのとないのとでは大違いだ。
「さて」
目を複眼状態にし、改めてチルノの様子を観察し続ける。
たかが虫、されど虫である。虫ほど多彩な能力を持ち、数が多い生き物もそうはいない。そんな虫を統べるリグルは、天狗や河童といったメジャーで強い妖怪一族に比べ物にならないほど弱いものの、能力の汎用性の高さにおいては負けないと自負している。
まあ、器用貧乏とも言えるが。
「今日解凍に成功すれば、新記録の九回連続成功なのに!」
いい迷惑だな、カエル。
なんとなく同情する。もうこのまま巣に帰さない方が、カエルたちのためではなかろうか。
「どこいったのよ!」
両手を振り下ろすチルノ。八つ当たりで湖面に氷柱を作らないように。
チルノの疑問に心中で答えてやるとすると、カエルたちを移動させたリグル本人にすらよくわからない。
ただ、配下の虫たちはカエルの大好物なため、彼らをちらつかせて昨夜から少しずつカエルを移動させ続けた結果が、チルノのご立腹というわけである。
地道な努力の成果なのだ。配下に至っては命がけだ。リグルにとってはとても嫌な役回りだったので、この作戦は決行したくなかったのだが。
「……あたいが怖くなって逃げ出したのかしら」
しかも微妙に作戦効いてないし。
なんだかもう嫌になってきた。というか、リグル自身飽きてきたのだ。
これではあっちより先にこっちが退屈で死ぬ。
「――ん?」
チルノが首を曲げた。
こっちを向いた。
目が合った。
「げ!?」
もちろん、チルノはリグルを見ているわけではない。
ただ、リグルが仲介として使用している使い魔の蜻蛉を、チルノは眺めただけだ。
問題は、その純真な目が世にも嬉しそうに、細められたこと。
生物としての生存本能が、脊髄を駆け上り悪寒として背筋を疾走。脳から発進された危険信号が身体中の全神経を駆け抜ける。
「今日はこいつで我慢しーよっと♪」
「うわああああああああああああ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げ――」
視界がブラックアウトした。
ご臨終です。
「あああああああああ六百五十八代目羽々根丸ぅぅぅぅぅぅっっ!!」
戦死した部下の名を叫ぶ。彼はヤゴの時代から何かと不器用なヤツだった。古くは本多忠勝に討ち取られた蜻蛉の大妖怪の子孫とも言われる彼は、由緒ある羽々根丸の名を自分は継げずに、大空を飛ぶこともなく死ぬるのだろうと、リグルに愚痴ったものである。しかし幼き頃は水中に生きる者同士として、六百五十七代目までの羽々根丸を世話した者として、リグルは彼を励まし、育み、使い魔として労ってやった。いい部下だった。くそっ、いいヤツから死んで行く。死んだヤツはみんないいヤツだ。くそうっ。
『ナイト2? リグル、応答しなさい! まずいわ、アンタがあげた大声のせいでチルノのバカが気づいた! そっちに向かってる! 逃げるのよ! 速く!』
「……逃げる?」
リグルはゆらりと立ち上がった。
服の袖でごしごしと目元をこすり、上空に現れた青い悪魔を睨みつける。
「私が逃げてどうなる? たった一つの命を捨てて、殉じて死んだ羽々根丸。青い悪魔を叩いて砕く、私がやらねば誰がやる!」
「ちょうどいいところにいたわ。今日は虫を片っ端から凍らせてみることにしたの。まずはアンタから氷漬けよ!」
「望むところ! 飛んで虫に入る夏の氷精よ! 無限に湧き上がる命の炎、アンタに消せるかしら!」
桜と、虫と、弾幕は、咲いて散るから美しい。
ミッションナンバーそのに
難題:脳みそ沸騰させて溶け死ぬがいいわ作戦
「疲れたー。夏になるとなんでか帰る時疲れるわね」
――日没が遅くて帰りも遅くなるからだよバカ。
相変わらずチルノのストーキングミッションを押し付けられているリグルは、心の中だけで答えておいてあげた。
結局、弾幕ごっこは痛み分け、ほとんど引き分けのような状態でリグルが辛勝。一緒に羽々根丸のお墓を作らせ、線香も上げさせ、別れてから現在に至る。
弾幕ごっこでまがりなりにも勝ったのだし、これ以上愛する配下たちを犬死させるのは気がすすまない。リグルはもうチルノから手を引きたいのだが、ミスティアはまだ諦めていないらしく、様子を見るだけでいいからという約束付きで、チルノを見張っている。
チルノへのトラップはミスティアとルーミアだけで用意したそうだ。ならば、ゆっくりとチルノが泣き喚く様を安全な所から観察させてもらうとしよう。個人的には手を引きたいが、チルノが痛い目を見るのはそれはそれで楽しいので。
「あの子は弾幕打ち上げて♪ バーカが来たのを祝ってる♪」
「わ、何!? 暗い!? 怖い!」
ミスティアの歌声の中に、チルノの半泣きになった声が混じった。
たぶん、鳥目にされたのだろう。今までのるんるん調子な足取りとは打って変わり、チルノは恐る恐る前に進み出す。
「こ、これはミスティアの仕業ね! なーんにも見えなくなったって怖くないんだから!」
「ちーがうー♪ きーっとちーがうー♪」
「こんなバカな歌大声で歌うのミスティア以外にいるもんか!」
「し、しっつれいね! 私は、そう、謎めく謎をなぞ明かすなぞなぞ星人よ!」
バカだ。バカが二匹で全力でバカしている。
「宇宙人!? 地上最強を極めきったあたいに、宇宙最強の称号を与えに来たのね!」
「そうよ。わたしのなぞなぞに答えることができたなら、宇宙最強の称号と一緒に鳥目も治してあげるわ」
「しっちゃかうるさい奴ね! なぞなぞだかなんだか知らないけど、スペルカードならちゃっちゃと宣言しなさいよ!」
「では問題でーす。下は大火事、上は洪水、これなーんだ」
「上の水を全部凍らして消火!!」
お風呂に入れない。
「ぶー不正解。はい、ボッシュートー♪ ちゃらっちゃちゃちゃーん♪」
「不正解じゃないわよ! ちゃんと消せるわよ!」
「けーせなーい♪ ふせーかいはー痛むけどー♪ 次の問題でーす」
「納得いかなーい!」
「揚げパンが空を飛びました。なんででしょー」
「凍らせて全力投擲!!」
冷凍ピロシキ空を飛ぶ。The frying bread flies.
「ぶぶー不正解~♪ またもやボッシュート♪」
「なんでよー!!」
地団駄を踏むチルノを、ミスティアは世にも嬉しそうな表情で見下している。本気で同レベルだ。いい加減妖怪の沽券に関わってくる気がするので、自重してもらいたい。
「次の問題でーす。パンはパンでも食べられないパンはなーんだ」
「さっきからもうわけわかんないことばっか言ってんじゃないわよ! 凍符! パーフェクトフリーズ!」
『パ』しか合ってねぇ。
そんなメチャな解答というか怪答でも、不意討ち気味の冷凍弾であることに変わりはない。いい気になっていたミスティアが反応しきれるわけもなく、したたかに鼻頭で弾を喰らったのであった。
飛ぶ鳥落としたチルノは勝利宣言の拳を突き上げる。
「目が治った! やっぱあたいったら最強ね!」
確かにバカ決定戦の軍配が誰に上がったかは、明白である。
ミッションナンバーそのさん
未定
「ナイト3! っていうかルーミアはどこよ!?」
「寝てる」
目玉を描けば「このロリコンどもめ!」とでも言い出しそうな球体に包まれ、顔は見えないがまあ幸せそうに寝ていることだけは一発でわかる。
鼻に絆創膏を貼り付けたミスティアは暗黒球体に手を突っ込んでルーミアを引きずり出した。
宵闇の妖怪は鼻ちょうちんをこさえたまま、未だ幸せな夢の世界にぶっ飛んでいた。
「こいつなんもしてない!」
「そもそも協力するとか言ってないし」
「でも順番的にルーミアの出番でしょう?」
「ルーミアがやれそうなのは、闇の中にずーっと一緒にいさせてなんでもかんでも『そーなのかー』って答えて相手の精神崩壊させるくらいだと思う」
冷静に考えたら相当怖い気もするが、闇の中に入り込んだところで閉じ込められる恐れなどないわけで。
大体今までのチルノの挙動を見る限り、そんな常套手段で精神崩壊起こすような高等な脳みそは持ち合わせていないと考えられる。
ミスティアもルーミアが使えない奴だと認識したのか、道端に放り捨てた。それでもなお寝ている。確かに昼間起きっぱなしだったから、リグルもつらい。
「最強かどうかはさておき、思ったより手強い……っ」
「やっぱり私たちの脳みそじゃあ、思いつける策もたかが知れてるもの」
リグルは虫頭なので要素と要素を組み合わせて、新しい考えを生み出すということが苦手だ。
ミスティアは鳥頭なので記憶力に不安があり、その場のテンションにノってどこまでも暴走する。
ルーミアはそもそも何も考えてない。
こんな面子で頭脳戦をしようという時点で間違っている。
「なら、誰かに知恵を拝借させてもらうっていうのはどうかしら」
「まあ手を貸してもらうよりかはマシだけど。誰がいいかな。頭が良くて、ちゃんと考えてくれそうなヤツじゃないとダメだよ」
竹林に住んでいるというウサギはそれは狡賢いという噂ではあるが、出会う奴分け隔てなく片っ端から騙して喜ぶような奴だという話である。チルノをハメるくらい朝飯前だろうが、リグルたちすらハメられる可能性が高い。
人里に住む半人半獣の教師は、とても頭が良いという話ではあるがどういうわけか人間好きで、妖怪たちに対し敵対的とは言わないまでも、無条件で友達になってくれるような奴でもないだろう。大体、やたら真面目で堅物な性格だそうで、取り付く島がないと考えられる。
他に賢いと言えばちんどん屋三姉妹の末娘であるが、ミスティアとは音楽性の違いというヤツで仲があまりよろしくないとのことである。
これ以上になってくると、頭も良いが単純に強くてリグルたちのような木っ端妖怪では近付くことすら怖い連中になるので、協力など要請したくない。
「……そういえば魔法の森に、魔法使いがいたわね」
「あの黒白」
「じゃなくて、七色の方」
「やかましいのじゃなくて、陰険な方」
「そう」
去年の秋先、やたら永く続いた夜、リグルとミスティアは立て続けにあの魔法使いコンビに襲われて撃墜されたという過去を持つ。
まあ好戦的だったのは一方的に人間の方だけだった気もするが。
「魔法使いっていうくらいだから頭良いでしょうよ。陰湿そうだし」
「でも協力してくれるかな」
「それはわかんないけど、話した後、痛い目みそうな他の連中よりマシでしょう」
「好き好んで弱いものいじめをしたがりそうなキャラクターには見えないものね」
ならば、一応決まったということでよいだろう。
寝たままのルーミアはその場に放置し、二人揃って人形遣いな魔法使いの下に急ぐ。
そうして辿り着いたマーガトロイド邸をノックすると、出迎えてくれたのはふよふよ浮いた人形だった。
ビビるリグルとミスティアをよそに、人形は小首を傾げると、くるりと空中で旋回する。
再び人形の顔がリグルたちに向けられた時、そのガラス球で作られた瞳に、光が宿っていた。
「いつかの夜雀に蛍じゃない。なんか用」
「うわっ!」
「喋った!」
「腹話術みたいなもんよ。私は今忙しいの。上海に応対は任せるわ」
「――ふ、ふん。私だって虫を使えば同じようなことできるもの」
リグルは胸を張ってみた。そう、人形が喋ったりするからちょっとビビっただけだ。よくよく考えればこんなこと、妖怪なら誰だって出来そうな術だ。
人形は冷たい目でミスティアを睨む。
「忙しいの。用があるなら早く」
「無視された!?」
「虫が五月蠅い」
「何よこんな人形! あんまり生意気言うと人の形わからなくなるくらいばらっばらにしてやるわよ!」
「へぇ」
興味ゼロ、温度ゼロの声が人形の口から漏れたとたん、暗闇に沈む玄関から、数百にも及びそうな無数の微光が灯った。
それこそ蛍の群れのような、しかし生命の暖かみが全くない仄かな光たちは、月明かりを照り返す無数のガラス球だった。
やがて、光が全て人形の瞳だと理解したとたん、リグルとミスティアは慌てて二、三歩マーガトロイド邸から距離を取った。
「おもてなしの準備は出来てるわよ」
「……ところで、用件の方だけど」
額の脂汗をさりげなく服の袖で拭きながら、ミスティアが話し出す。
人形は人形らしく無反応に話を聞き終えると、肩をすくめるような動作をした。芸が細かい。
「アンタらも同じくらいバカね」
「妖精と同レベルにするな!」
「そんな小さいことにこだわってるからつけ上がるのよ。たかが妖精なんでしょ。無視したらいいじゃない」
「してるわよ、大概」
「徹底なさい。妖精なんて存在してようがしてなかろうが、本当にどうでもいいもんなんだから。何か言っていても風が囀っているのと同じ。攻撃されても雨が降ったようなもんよ。そもそも自然だし、連中」
「けどそんなんじゃ、ぎゃふんと言わせられないじゃないのよ!」
人形は、ミスティアの言葉を嘲笑で返した。
「言わせる必要すらないのよ」
「ええー、でもー」
「ま、一度やってみなさいな。コストも手間も何もいらないもの。試してみて、損はしない」
それだけ言うと、別れの言葉も告げず、人形はドアを閉めた。
ミッションナンバーそのさん
うさぎと妖精は寂しいと死んじゃうのよ作戦
「リグルぅーっ! みて見て! セミの成虫も凍らせたら抜け殻と同じみたいにぱっきぱきに砕けるのよ!」
「そう」
内心の怒りに殺虫剤を振り撒けるが如く殺しきったリグルは、無感動な声を出すことに成功した。
チルノはその反応にむーと膨れ、見せようとしていたらしい凍ったセミを、リグルに投げつける。
「何よそんな澄ましちゃって! なんかもっと面白いことでもあるの?」
「別に。でも、仕事があるから。今度は紅魔のメイドさんの時間、と」
そう言って、虫を飛ばす。
チルノがやきもきとした表情でリグルを見下ろすが、そのまま無視し続け、えーっと次は誰だったけなぁと呟きながら、メモ帖を引っ張り出す。
ばきぃんっ、と岩でも割れるような凄い音がした。
振り向きそうになったが、横目で見るだけに留める。
「そんなに忙しいんなら、他の奴のとこ行くわよ!」
チルノが飛び去って行った夏の空を、リグルは見上げた。
飛び上がった時の衝撃で出来たらしい逆さ氷柱は、夏の暑さで緩やかに溶けて行く。
リグルは頭を掻くと、手中の鈴虫に語りかけた。
「みすちー。たぶん今度はそっちに行くと思う」
『おっけーよ。一寸の虫のように無視しきってみせてあげる』
「鳥頭なんだから、忘れずに」
忠告してから、使い魔の虫で変わらずチルノのストーキングを開始。
案の定、チルノは屋台の準備を始めているミスティアの下に降り立つと、無い胸を張るのだった。
「鳥目には鰻なんかよりかき氷たくさん食べてキィンッてさせた方が効くよ!」
「ふーん」
「なんなら試してみてもいいわよ」
「そう」
串を洗い、タレの仕込をミスティアは続ける。
チルノはまたもや膨れると、今度は鰻を入れている桶に冷気を飛ばした。
元気良く泳ぎ回っていた鰻たちは目を開けたまま氷漬けにされ、時間が停止したかのように生命活動を止めていた。
ついでに、ミスティアの澄まし顔も凍る。
「この――」
『みすちー』
「――こほんっ、こほん!」
怒りに我を失いかけたミスティアを、リグルは虫を使って忠告し、止めた。
そうして咳でごまかしたミスティアの様子を、チルノは目を細めて見下ろしている。
ミスティアは無言で仕込みを続けている。
「わかったわよ邪魔なんでしょ!」
屋台を蹴っ飛ばすと、チルノは再びどこかへと飛んでしまった。
すっかり見えなくなったのを悟ってから、ミスティアは桶の前でがっくりうな垂れる。
「またアイスクリームになる……」
『美味しいからいいじゃない』
さて、後はルーミアの所だが、彼女には既に手を打っている。
向こうに関しては、映像までいらない。音声だけで何が起こっているか、充分把握できるだろう。
「遊びに来たよ!」
「そーなのかー」
「何して遊ぶ?」
「そーなのかー」
「ちょっとルーミア?」
「そーなのかー」
「おい返事しろ!」
「そーなのかー」
「そーじゃなくて、そーじゃない返事しろってんのよ!」
「そーなのかー」
「そーじゃなくてどーなんだ!」
「そーなのかー」
「ああもうバカ!」
「そーなのかー」
……自分でやれって言っておいてなんだけど、暗闇の中、縛られて、たった二人きりにされてやられ続けたら、三日で気が狂うと思う。
それから数分もしないうちに、チルノの声はしなくなった。
ルーミア、だからもうそーなのかーはやめていいよ。正直怖いから。だーれもいない闇の中でにっこにこ笑いながら一人でそーなのかー言ってる図はどう考えてもおかしいから。子供見たら泣くから。
「――とりあえず、今日のとこは成功かな」
『気長ねぇ』
「妖怪の余裕を見せつけてやるんでしょ。妖精みたいに短気なこと言わない」
ここまで言っておけば、いくらミスティアとて少なくとも今日一日くらいは覚えているだろう。
リグルはそうしてから通信を切り、メモ帖を改めて見たのだが、顧客は目が回るほどいないので当分は暇である。
草っぱらに手足を投げ出し、バカみたいに青い空を眺めて、呟いた。
「仕事ってたいくつだなー……」
それから三日後。
健全な夜行性妖怪として夕刻に起床し、日が沈みかける頃に一日の準備を終えたリグルは、手始めにミスティアの所へ往き、作戦の動向を皆で見守ることにした。
「今ごろ退屈か寂しさで死んでるかしら」
「妖精を殺せたらそれはそれで天狗の新聞に載ったりするかもね」
「しんぶんしー」
鰻を頬張りながら各々勝手なことを言いつつ、蛍の光によって投影される、チルノの実況中継を眺める。
氷精は湖のほとりで冷凍したカエルを水に漬けて、その生還を確認したところだった。
三分の一に一生を得たカエルはものすごい勢いで水を蹴り、氷の死神から逃げ出して行く。
チルノはそんなカエルを無言で見送り、立ち上がった。
『帰ろっと』
歩き出す。
住処へと移動するまでの間、ずっと無言だ。
「……見ててもつまんない」
鰻を焼きながらの片手間であるミスティアですら、思うのだ。リグルだってぜんぜん面白くない。
そもそもなんでこんな退屈なことをしてるんだかすら忘れてしまいそうになるが、そこらへんは鳥頭ではなく虫頭である誇りにかけて、忘れていない。
「あ、なんか今鈴虫が違う声拾った。チルノも気づいた見たいだし、そっち見てみるね」
こうなればちょっとした変化でも大事である。リグルの指示に使い魔が応え、チルノの視線の先を映した。
そこには一匹の悪魔と人間が、仲良く湖のほとりを歩く姿があった。
会話が聞こえる。
『夜の散歩に咲夜はいらないってあれほど言ってるのに』
『夜に咲く人間ですもの。花は可憐な少女の傍にあるものです』
『ずいぶんと金属質で冷たい花もあったものだわ』
『永遠に枯れませんよ。ついでに腐食しないんで手入れもいらないです』
『ちゃっかり休んでいる奴が何言ってるんだか』
貴族である。
この一人と一匹に関しては、去年恐ろしい目に遭わされたことがあるので、リグルはどうにもコメントが出来ない。
話によればミスティアも同じ身分のはずなのだが、すっかり忘れているらしい。顔色が全く変わっていない。
「つまりメイド人間って食べても硬いのかしら。でも香りは芳醇」
「そーなのかー」
ルーミア、舌なめずりすんな。喰えないから。
少し目的が変わりつつあったので、セレブな連中からチルノに映像を切り替える。
彼女は貴族たちが歩み去った方向を、じっと見つめていた。
と、突然地面を蹴り、飛行状態に入る。
向かうは当然、優雅で瀟洒な貴族と従者。
「ちょっとそこのアンタら――」
正気かこいつ。妖精だけに手加減いらないから、原型とどめないほど消し炭にされるぞ。
さすがに友が一方的にやられる図を見たくないので、リグルは映像を消そうとした。
だが、その必要もなく、悪魔の方がチルノに気づくと、メイドの方に語りかけたのだった。
『咲夜、小蠅がうるさいわ。あっちへやって』
『はいはい』
面倒くさそうにメイドが指を振る。
チルノの周囲の時間が止まった。
凍らせられないものなどないと豪語する氷精チルノではあるが、さしもの彼女も時空間ごと凍らせられてはどうしようもない。自らの身に何が起こっているかも把握できず、放っておかれるのみである。
そうして、貴族たちがすっかり湖から離れた頃、ようやくチルノを縛る時空の鎖は切れたのだった。
瞬間移動された気分を味わっているチルノは、周囲を見渡し、悪魔の名を呼び、小石の下まで引っくり返して探してみるが、当然いるはずもない。
すっかり暗くなってからそれに気づいたらしい彼女は、呆然と立ち尽くした。
『……やっぱり無視された』
その声すら、闇夜に溶けて消える。
『なんでよ。なんで最強のあたいがこんな無視されてるのよ!』
地団駄を踏み、周りに霜柱を立たせる。
『あたいは最強なのに――!』
苛立ちで振り下ろした腕から発射された冷気が湖の一角を季節外れな冬の様にし、木々からは氷柱が幾本も垂れ下がる。
『あたいを……仲間外れにして』
へたりこんだ。
服が汚れるのも構わずに尻餅をつき、背中を震わせ始める。
しゃっくりと、鼻を啜る音が混じり始めた。
『うっ、うぅっ、ううぅぅ~……』
そして、幼い氷精は恥も外聞もなく泣き始めた。
涙すらすぐに氷つき、頬から伝い落ちた雫は全て彼女の膝元で結晶となって溜まる。
「――大将、串二本。お冷一つ」
「え? あ、うん」
リグルの隣に、客が一人腰掛けた。
すっかり見入ってしまっていたので忘れていたが、この屋台は営業中である。そりゃあ部外者な客もやってこよう。
そいつはいやぁ今日も疲れましたぁなどと呟き、ごとりとカメラを地面に降ろす。
「やっぱり屋台は鰻に限りますね」
「あー……そうね、うん。さすが天狗、話が合うわ」
「ですよねぇ。おや、虫さん、覗き見ですか。いい能力持ってますね。羨ましいですよ。でも一応、私は自分の足と翼で得たネタをウリにしてますからね。使えないのが残念ですよ」
文はそう調子良く言いながらお冷を受け取り、リグルの使い魔が映し出す映像を見下ろしている。
なんとなく嫌な気分になって、リグルは使い魔を退かせた。チルノの泣き声が途切れる。
「ああ、やっぱり酒の席にあの手の声は合いませんね。すみません、お気遣いさせて。けど切ってもらったところで悪いんですが、あの氷精がああなるとは珍しいですね。一体全体何があったのか、お教えしてもらえませんか」
「記事にすんの?」
「いやいや、さすがにお子様一人泣いていたくらいじゃ記事にはなりませんよ。これは私個人の好奇心です」
「天狗だから猫みたいに殺されないとは思うけど、悪趣味だよね」
言ってみるが、泣かせた張本人もリグルたちなら、それを離れた所から見て酒の肴にしていたのもリグルたちである。かなり悪趣味だ。陰険だ。陰湿である。
――酒が不味い。
「みすちー、お勘定」
「もう帰んの?」
「そうする。ルーミアももう行こ――っていない!?」
リグルの隣に座っていたはずのルーミアは、いつのまにやら勘定払わずどっかに行ってしまっていた。
そういえばよく考えれば文がリグルの隣に座っているのであれば、ルーミアをどっかに除けなければならない。つまり文が来た瞬間には既にいなかったということである。
「食い逃げ! まだそれほど遠くへは行ってないはずよ! リグル、使い魔飛ばして探して!」
「わかった」
使い魔に指示を飛ばす。
と、卓上に映像が再び映し出された。そういえばこっちの映像は切っただけで、使い魔そのものは引かせていないのだから、当然だ。
しかしなんとなしに目をやったとたん、目的のヤツが見つかった。
「ルーミアチルノんとこに行ってる!」
「あああああいつ約束無視して!」
一匹と一羽で蛍が映し出す映像を食い入るように見つめた。
宵闇の妖怪はうずくまった氷精の下に降り立った。
『ないてるー』
『っく……っ……』
『なんで泣いてるの?』
『…………っ』
チルノはもじもじと身体をよじるが、答えない。
顔も上げない。
ルーミアも膝を折り、チルノと顔を近づけて、首を傾げた。
『どうしてなんにもゆわないの?』
『……だって……』
『?』
『みんな……どうせ……あたいなんか……』
『むしするの?』
こくり。
ルーミアはそれを聞くと立ち上がり、両腕を広げてくるくると回った。
『そーなのかー』
チルノは顔を上げた。
涙を目尻に溜め、立ち上がると、ルーミアに向かって拳を振り下ろす。
仰向けに転んだルーミアに、チルノは馬乗りになると罵声を浴びせ始めた。
『そーなのかそーなのかって、何がそうなのよ! どうせあたいなんかどうでもいいんでしょ!』
『そーなの?』
『そ、そーなのって……どーなのよ!』
『んー。どーなんだろー』
ばきっ。
あ、チルノ。拳はいいとして氷塊で殴るのはさすがにどうかと思うんだ。
『おちょくってんのかアンタは!』
『いーたーいー』
『痛かったわよ! あたいだってね! さっきまでね! 胸が苦しくってね! 息が詰まりそうで――』
映像と音声を、リグルは切った。
ため息をつく。
「みすちー。私、ちょっと行ってくるよ。みすちーもすぐ店片付けて来てね」
「……わかった。そういうわけだから、しばらくあんた一人で呑んでいて」
「わかりましたー。御武運をー」
ノリの軽い天狗に見送られながら、ミスティアとリグルは夜空を往く。
二人で顔を見合わせて、苦笑いを交わした。
「どうせ退屈だったしね」
「鰻のアイスクリームでも持ってきゃ、機嫌も治るでしょーよ」
特にリグルが。
ところどころのやりとりが面白いですねぇ
今までの拙作ではリグルきゅんいじめすぎでしたので。
>これはなかなか の人
しかし今回は二次創作設定を多く入れ過ぎたせいかZUN節が減ってしまったのが残念です。
>こういうの好きです。 の人
私も暑さのせいかバカどものせいか頭がすごい幸せになってきました。