九つの金色の尾が、彼女の主を包んで機嫌良さげに揺れている。
彼女は少し恥かしそうに、だけど嬉しそうに目を細めて、微笑んでいる。
彼女の主は一つの尾を枕にして、一つの尾を抱き枕にして、一つの尾を布団代わりにと、贅沢の限りを尽くしてご満悦。
そしてそれを見つめているのは、黒い二又の尻尾を持つ、小さな黒猫の妖怪。
猫は足音を立てないから、二人は久しぶりに甘えて甘えられてとても満たされているから、小さな彼女に気づかない。
彼女の大好きな二人は、それぐらい幸せだから彼女に気づけない。
だから、
黒い猫が、少しだけ眼を細めて、その瞳を暗く濁らせた事に気づく事は絶対にない。
足跡なんて立てもせずに、黒猫の妖怪、橙は歩いていく。
空は欠けた月が、まるで笑っている様に浮かび上がっている。星は不規則に舞い散り、綺麗でうっとおしかった。
今は家に帰るわけにもいかないから、橙は友達の所を目指して少しだけ早足で森を抜けていた。
友達は、今は森の小さな泉にいると、今日の昼に彼女から聞いていたから。
その小さな泉を目指して、橙は胸元まで伸びた草さえ音を立てないように、自然な動作で歩く。
そして、ぽうっと光る彼女を見つけた。
闇色のマントを翻して、彼女は飛び交う蛍の真ん中で、静かに水をすくって飲んでいた。
「あ…」
そこだけが闇から浮き出て、変に綺麗だったから橙はぽかんと見惚れてしまう。
綺麗な水が彼女の唯一の食料だとは、前に聞いていた。その時は青い妖精と一緒に可哀想だと思ったものだけど、こうして見ると、そこまで悪い事でもないんじゃないかと、そんな風に思えてしまう。
だって、その光景は幻想と言ってもいい、何処か儚い蛍の光みたいな淡い風景だったから。
「……うん?」
流石にじっとこちらを見つめる視線に気づいたのか、ぺろり、と手の平の水をすこし行儀悪く小さな舌で舐めとりながら、彼女は橙を見た。
「?」
こんな夜更けにこんな所にいる彼女に、とりあえずは首を傾げてみせて、彼女、蟲の王はふわりと宙に舞う。
「こんばんは、橙」
「…うん。こんばんはリグル」
ざわざわと葉と葉が擦れ合う音と、リンリンと鳴く虫の鳴き声のオーケストラが、少しだけささくれていた橙の心をじわじわと溶かしていくのを感じて、どうかしたのかと心配してくれるリグルに、いつもみたいに笑って挨拶が出来た。
「あのね、リグル」
「うん」
「今ね、家で藍様と紫様が愛し合ってるの」
ごっす
リグルは近くの大木の枝に頭をぶつけてしまう。
橙は気づいていないが、それは直球で突然すぎだった。
頭突きの影響ではらはらと舞い散る葉を何となく目で追って、リグルは涙目で頭を抑える。
「だから帰れないんだ……」
「~~~~~~っ」
それは、お気の毒さまって言う場面なんだろうか?
リグルは結構真剣に考える。いや、いやいや、待つんだ落ち着け。
彼女はこれでもあの四人の中では一番年上で常識もある妖怪である。なんたって王様だ。
だから彼女は、そこで不用意な事は言わずに橙の言葉を待つことを選択した。ほどなくして、橙はまた口を開く。
「……藍様ね。紫様に愛されるのは嬉しいよって、私に言ったの」
普段はぴこぴこと揺れる尻尾をぐんにゃりと地面に垂らして、橙は空を見上げる。
ここは、深い森の中だけど、木々が丁度良く切り離されているから、月と星が眩しいくらいに良く見える。
「ねえ、リグル」
「……なに?」
「藍様を私のとりこにするのって、どうすればいいのかな?」
「…………」
それ、
この綺麗な夜空を見上げながら、私に向かって縋る様な目で言うことかな?
リグルは懸命に、余計なことは言わないように心がけて、マントがひゅるるると風に流されるのを感じる。ちょっと首が絞まって苦しかった。
「…えっと、橙?」
「リグルなら、分かるかなって思って」
嫌な汗をかいている自覚はある。真夜中の訪問者はどうやら自分の発言の微妙なきわどさに気づいていないらしい。
「リグルは、幽香さんをとりこにしたんでしょう?」
何故そこであの花の大妖怪の名前が出てくるのか……
突っ込みたいけど、あえて無言で頑張る。
「紫様が、すっごく楽しそうに教えてくれたんだ。やるわねあの蟲っ子って」
「………」
今度マヨイガに台所の黒い悪魔と忌み嫌われるアレを大量に発生させようかと、ちょっと本気で考える。
「私、紫様も大好きだけど、やっぱり藍様が一番好きなの」
「そう、なんだ」
あの人が知ったらそれはもう、激しく狂喜乱舞することだろう……
この猫を蜂蜜にしたいのかというぐらいに甘やかす、狐のあの人を思い浮かべてリグルは苦笑する。
ふわふわと漂う蛍が一匹、また一匹とリグルと橙の服に止まり、ぼうっと淡く光る。
「だからね。私は、藍様が紫様に愛されて、鳴かされるのはいやなんだ」
「…………」
またきわどい発言がきたね。
ちなみに、鳴かされるの意味は、紫が「ら~ん、お手」と言うと、昔の癖らしく反射的に「こんっ!」と鳴いてお手をしてしまう藍という、何とも和む微笑ましい光景のことである。
だが、勿論リグルにはわからない。
すでに頭の中でいろいろな想像が駆け巡ってしまい。少し疲れていた。
「紫様は好き。藍様も好き。だけど、二人が愛し合うのは、ここが気持ち悪くて凄く………」
「橙?」
瞳孔が、細く、細く、絞られて。
橙はぎりりと奥歯を噛み締める。
「……」
リグルはそんな彼女を見て、最初の頃の、無邪気に藍と紫にしがみ付いていた彼女を思い返して、藍と紫がもっと仲良くしたらいいのにと、小さな頬を膨らませていた彼女を、ゆっくりと大切そうに思い返して、少しだけ口元を緩ませた。
「そうなんだ」
「……うん」
蟲の王は、その黒猫の成長を素直に喜んだ。
いい事ばかりとは言えないけれど、橙は少しずつ大人になっている。
短い生を精一杯生きる蟲達の王は、そういう事ならと、マントをふわりと浮き上がらせて、橙の手を掴んで空へと舞い上がる。
「ふにゃ?」
「それじゃあ、藍さんを橙の虜にしちゃう方法を聞きに行こう」
「え?」
ぽかんと、目を丸くする橙。
リグルはそれを見て笑うと、心の中でそっと付け足す。
まぁ、とっくに虜にされてるのを、さらにがんじがらめにしても、あんまり意味ないかもだけど。
まずは、紅魔館の美鈴さんの所へ。
メイド長を虜にした秘訣を聞いた所。凄い勢いでナイフが降ってきたり、勘違いしたメイド長が美鈴さんの腕を自分のそれと絡めて拘束したり、いつの間にか惚気話ばかり聞かされたり、いろんな意味で子供に刺激の強い二人でした。
ここでの成果。橙が『逃がさない為には腕で拘束して耳たぶを噛む』という技を覚えた。
子供の前でやるなと本気で思った。というか、美鈴さんも恥かしげに嬉しそうに苦笑してないで止めるべきだと思う。
次は、とりあえず博麗神社の霊夢の所へ。
吸血鬼とか魔法使いとかを虜にする方法を聞いた所。
『知るか』
という素っ気無い一言を貰った。
その後。しつこく聞いてみるが効果はなかった。
その途中、あの騒がしい魔法使いがやってきて途端にうるさくなるが、霊夢は少し眉を潜めた後、当たり前の様にお茶を用意していた。
ここでの成果。橙が『魔理沙の真面目な告白を覚えて自分のモノにする』という技を覚えた。
……真剣な告白を出涸らしのお茶であっさりと流された魔理沙には流石に同情した。聞いてみたら、すでに告白は3ケタを超えていたらしい……。
次は、あんまり行きたくないけど白玉楼のお姫様の所へ。
庭師を虜にする方法を聞いた所。……なんというか、かなり怖い笑顔で
『あら~……それを聞いて私の妖夢をどうするつもり?』
と、洒落にならない冷気をぶつけられた。
橙など、普段から彼女と交流があるだけに震えて私の背中に隠れて出てこなくなった。そこできちんと理由を説明した所。今度はちゃんとした笑顔で
『あら、そうだったのぉ』
と楽しげに言って、橙に向かって虜にする方法を教えてくれた。
ここでの成果。橙が『上目遣いで、相手の裾を掴んだまま、そっと胸の谷間を見せる』という無理な技を覚えた。
……普段あの庭師となにしてんのあんた?
次は、お説教が怖いけど閻魔様のところに行ってみた。
死神さんを虜にした方法を聞いた所。少しだけ不愉快そうに目を細めながら
『小町を虜になどしていません』
とはっきりと言い、
『小町とは上司と部下の関係です。虜とか、そういったモノは一切合切全くありません』
と、サボって怒られていた死神を、無意識の言葉の暴力で叩きふせた。
落ち込む死神を発見して、閻魔様は慌てて色々慰めてたけど、無理だろうな……。というか気づけ閻魔。
ここでの成果。橙が『言葉攻め』という大人の技を覚えた。
……閻魔から教わったのが言葉攻めかよ……
次は、里に行ってみた。
慧音に、どうしたらいろんな人達の心をがっちりと虜にできるのと聞いた所。不思議そうな顔をしていた。どうやら分かっていないらしい。人間、蓬莱人と、いろんなのからたくさんの思いを寄せられているというのに……。
慧音は、それでも暫し考えた後。どこか困った様に笑って
『私は、誰も虜になど出来ないさ』
と答えた。そして付け加えるように、
『私は最初から、人間と言う種に虜にされているからな。すでに虜にされた半獣が、他の誰かを捕らえるなど出来ないさ』
だ、そうだ。
ここでの成果。橙が『謙虚な心とどこか物悲しい表情』という大事な技を覚えた。
……あれ、これが一番まともだ?
次は、竹林の中のお屋敷、永遠亭に行ってみた。
噂では、ここは片思いの巣窟らしいので、誰に聞いてもいい答えが返ってこなさそうだ
なので、一応はここの主であるお姫様に、虜にする方法を尋ねてみたら、案外すんなりと答えてくれた。
『殺されても許せる、殺しても愛せる。これが虜ということでしょう?なら簡単よ。殺せばいいわ』
……狂ってました。
ここでの成果。橙が『ちょっと怖いけど綺麗な微笑』という怖い技を覚えた。
……うっわ最悪だ。
とりあえず。他にも参考になりそうなのはいるけど、これ以上はやばいんじゃないかと今更気づいたので、ここで終了。
「リグルありがとう!」
全てというか、虜にする方法を聞きに回る旅は終わった。
「私ね、何かすっごく世界が広がった気がするの!」
そりゃあ広がっただろうね、とリグルは思う。口には出さない。
橙がそれはそれは嬉しそうな顔をしているのだ。ここで余計な口を挟むべきではない。
「うん。今なら藍様を私の虜に出来る気がする!」
むしろしない方がいいよ?
口には出さないけどね。
「今なら、紫様と藍様が愛し合ってても、大丈夫な気がする!」
「…そっか」
「うん!リグルのおかげだよ、本当にありがとうね!」
満面の笑顔で、八重歯を除かせながら橙は言うと、ふわりと空に浮く。
「それじゃあ、頑張るね!」
「うん、頑張ってね橙」
にっこり笑って、小さく手を振ると、橙は大きく振り返して、まっすぐに自分の家へと帰っていく。
それを見送って、蟲の王はゆっくりと、今の自分の心境とは不似合いな、青い空を見上げる
「ごめん。藍さん」
心の底から謝った。
次の日。
あの泉に紫が爆笑しながら現れて「あんた最高!」と親指を立てて褒め称えてくれた。
隙間の向こう側に、無い胸をちらりと見せて上目遣いの橙と、九つの金色の尾をぶわりと猫みたいに逆立てて橙に裾を握られながら、真っ赤な顔で鼻を抑えてぶるぶる震えている藍さんが見えた。
「……」
どうやら、この調子なら順調に藍さんを虜に出来るだろうと、少しだけ麻痺した頭のまま私は一つ頷いた。
私は『とことん見守る』という技を覚えた。
なんか読んでて笑ってしまたっす
最後の紫がちょっと好きです
でもグレイズ成分は控えめにね
色々と好きな表現が多々あったりして良かったんだけど、各々の話が短すぎて薄い感じがする。逆にそれが良いって人も居るかもしれないけどもう少し掘り下げてくれたらもっと良かったかなと思う。
だけど色々面白かったんで次の作品に期待、後過去ログ漁ってきますλ.......
なにがやばいって、全部だよ!
なんつー春満開な幻想郷ですかw みんなどうかしてるw
>永遠亭に言ってみた
行ってみたではないでしょうか
しかし、蟲の王女は別の意味でがんばりすぎてると思う。。w
いやあ、実に可愛い