Coolier - 新生・東方創想話

式の弄り事

2007/07/14 12:09:17
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 節気が次に移ろうが季節が巡ろうが、此処ではさほど意味が無い。月はただ月であり白くて黄色かった。ただあまり長時間見ないようには心がけた。主曰く外の世界には人を長時間惹きつけて頭と眼をおかしくする道具があるらしい。実物を知らぬ藍は多分月のようなものだろうと思っていた。
 外には出たくないし当面は出られない。膝の上には腹痛を訴える橙が丸まっていたから。何でも若いふきのとうを好奇心から齧ったそうな、せめて湯掻けば良かったものを。教えなかった自分が悪い。
 獣の身に寒さは辛い。橙はしきりに寒い冷たいその尻尾を頬に当ててくれ煎じ薬が苦くて嫌だと愚痴を吐き、今さっきやっと大人しくなった。
「今日はここに泊まってついててやるから」
「ほんとに? じゃあ枕投げしよ」
 マヨヒガには生活用品とどうでもいいものが入り混じっていた。誰の首が載っていたかわからない枕もあった。人の頭の臭いのついたものは好かない。第一お前は病人だろうと諭す。
「じゃあ、何かお話して。つまんない」
 両手が伸びて藍の頬に触れた。まだ冷たい。握って懐に入れてやる。こういう時は橙の純粋さが有難い。主は何かある度に他意があるだろうと妄想する。概ねその妄想は正しくかつ本人すら知りえない内面に切り込んでいて、聞く者を冷や冷やさせた。
「おーはーなーしー。つまんないのはやだ」
「わかったから目を閉じろ。黙って聞け」
 そんな我らが主の話。冬が死んで春が芽吹くころの話。

「昔々あるところに、大変豪華なお屋敷がありました」
 かつて藍はこの話を紫本人の口から聞いた。偉大な主は若いわらびを齧ってわざと腹痛になっていた。やはり藍は膝枕の役だった。
「お屋敷には虹の化けた蝶々と蝶々の化けた桜、そして桜の化けた可愛いお姫様がいました」
「あたしみたいな!」
 大いに違う。イメージする色は橙ではなく桜の薄ぼけた紅。いや紅では紅花になってしまう、赤みを表す色は植物ばかりで扱いに困る。
「目を閉じて。お姫様は数多のと言うほど多くはないけれど、有能な家臣にかしずかれ歌と夢の日々を送っていました」
「おやつもあるかな」
「多分。ただお姫様には困ったことがありました。親しいお友達がぱったんぱったんとまるで機織りのように次々倒れてしまったのです」
 主は面白そうに話していた。機織りに手を出したことでもあるのだろうか。あの御方なら一目も違わずに月まで届く絹織物を作ってみせるに違いない。橙は真逆だと思う。布目も眠りも粗い。
「お友達だけではありません。虫も小鳥もぱったんぱったん。いつしかお姫様は人から避けられるようになってしまいました」
 藍はお姫様のモデルを知っている。おそらくそうだという確信がある。だが主には疑問を投げかけなかった。地獄の耳と天界の目を持つ主のこと、式の疑問符くらい感じ取っているはずだ。それでも肯定も否定も与えない。うんともすんとも言わず彼女は歌うように語り続けた。
「お姫様は人の減った屋敷に篭もりました。秋が過ぎて冬が過ぎて、お姫様の周りには鼠と虫がうず高く積みあがっていました。黒い輪になって」
――うふふ、不気味でしょう? でもちっちゃいと始末が楽よね。それで、
「それでもお姫様にはただ一人、お友達がいました」
「おともだち……」
――そう、お友達。いいでしょ。
「気まぐれにやってきてはお姫様と遊ぶ、優しいお友達。お姫様はお友達の来てくれるのを心待ちにしていました。けれども一方では怖くもありました。彼女にも機織りの音が迫りやしないかと」
「ぱったん」
――機織より木魚に喩えるべきだったかしら。ぽっくり。
「何故自分はこうなのかと、お姫様は彷徨いました。神に祈り仏を憎み数多の祓いを受けても、何も変わりませんでした」
――で、ある日のこと。
「丁度今頃。春の始まりに、お姫様は小刀を持って特別大きな桜の下にいました。喉笛に刃先を突きつけ、」
――誰にも言わずに果ててしまいました。お姫様の部屋にはお友達に宛てたお手紙がありました。「色々考えたけれどこれが一番良いことだと思ったの。私をあの桜の根元に埋めて頂戴。私の体は桜になって、その花と実で虫や獣を養う。死なせるしかできなかった私が、何かを生み出す側になるの。素晴らしいわ」 お友達はお姫様の気持ちを知って、残念がりました。でも、確かに素晴らしいことだとも思いました。お友達はお姫様の言うとおりにし、桜をお姫様だと思って慈しみました。今日でもその桜は幻想郷のどこかにあるそうです。めでたしめでたし。
 主はそうして話を終えた。藍の心にはわだかまりが残った。そんなに大事な友人ならば何故止めてやれなかったのか。こんな中途半端でめでたしめでたしもあるまい、主らしからぬ物語だ。そう思ったが反発する前に主は藍の膝で眠りこけていた。
 橙はどうだろうか。覗き込むとまだ起きていた。
「ねえ、刃先を突きつけてどうしたの」
 黒い尻尾が畳で跳ねる。
「続きを話して。死んじゃったの?」
 聞いたままを伝えようとする気持ちと、変えてしまいたい気持ちとがある。勝手に変えたら主は過去を弄ったことを怒るかもしれない。日傘で何遍も頭を叩かれる。でも、
「そんなのつまんない。ずるい」
 そう、ずるい。事実だったとしても受け入れ難い。お姫様と友人のちょっとした自己満足なだけ。
「藍様続き」
 橙が裾を引っ張る。いいだろう、やってしまえ。偉大な主の偉大な式として幾らでも言い訳をこしらえてやる。
「お姫様は、そう、死のうとしました。けれども死ねませんでした。お友達が腕をがっしりと掴んでいたからです。お友達はお姫様を抱き締めて言いました。ええと」
 言葉を引き出していると橙が叫んだ。
「好きだー! だよね? こないだ神社から聞こえたよ」
 なんて激しい。式の情操教育に宜しくない、今後付き合いを考えるべきか。まあいい、
「そうだ、好きだと。お前は自分のことを、生き物を死なせるだけだと思っているかもしれないがそれは大きな間違いだ。私はお前を愛している、少なからずお前に生かされている」
 現実の主は、こんなに直接的にはものを言うまい。もっと捻って複雑怪奇な言葉を巧みに操る。それでも今はいい。
「詭弁だと思うのならそれでもいい、私と共に生きよう。花を育て鳥を集めよう。死んだのならもう一度、何度でも。私は絶対に死なない。――こうして二人は一緒になりました。桜に囲まれた広いお屋敷で、二人仲良く暮らしました。次の次の春に、お姫様は亡くなりました。自尽ではなく、流行り病で。その顔はとても幸せそうでした。お友達はお姫様を、特別大きな桜の下に埋めました。お姫様はやがて大きな桜になり、人と獣を集めることでしょう」
 これが私の望んだ結末である。主の選ばなかった道。我が主はきっと、姫君の意思を尊重したのだ。語ってみてそう思った。姫君の選んだ振る舞いを、自分の勝手で止めるわけには行かぬと。でも、もしも止めていたら? そこには今と違う光景があったかもしれない。
 どうだった? との問いには橙は答えなかった。寝息が返ってきた。先程まで元気だったのに。一体どこまで話を聞いてくれたのか。

 橙を布団に潜らせる。膝枕は地味に堪える。腿を軽く叩いていると良く知った香の香りがした。足音ひとつ影ひとつ立てずにほっそりと降り立つ。
「お疲れ様、お伽のお狐さま」
 我が主、紫様。日傘を刀の如く携えて降臨。今は日傘が折檻道具に見える。さて何を突付かれる、著作権侵害か名誉毀損か偽証罪か。
「どの辺りから聞いていましたか」
「「藍様お腹痛い」の辺りから。ううん、「藍様、何で紫様あんなにお香きついの」の辺りから」
 そのきつい、否芳しいお香をわざわざ扇で振りまいてたおやかに微笑む。
「紫様、私は悪気があってあんなことを話したわけではないのです。ご理解ください」
「何について理解せよと? 貴方の式の数々の失言についてなら許すわ。良く調教なさいな、初心者には縄より鎖をお勧めするわ。縄は食い込んで痛いのよ」
 紙扇を音を立てて閉じる。扇の先につけた鈴が鳴った。もしやお咎め無しかと思った矢先
「そうそう。貴方のお伽話だけれど」
 来た。
「随分と弄ってくれたわねぇ、貴方ああいうのが好きなの」
 傘で殴打では済まない気がする。頭に覆面を被せてべしんべしんと往復ビンタ、はたまた跪いて足を舐めよとでも言う御積もりか。
「常々考えていたことを言ってみただけです。あの結末を変える力が紫様にはあったはず、我が主の力を最大限に引き出した新たな物語を紡いでみました」
「言うわね」
 口元が上に下に歪んでいて怖い。こういう時の紫様は何をしてもおかしくないし、何かするのが大好きだ。呼吸を一回、
「まあいいわ、そういう物語があったとしても。それは別の境、物語の境」
 何か来るかと思ったが、日傘を畳んで欠伸をしただけだった。
「許してくださるのですか」
「許さないで欲しいの? そっちの気性に目覚めてくれたのならとりあえず蝋」
「いえ許してくださって何よりです。眠たいのでしたら毛布を用意します」
 月はかなり西へ傾いていた。紫様の時間もじきに終わる。マヨヒガの毛布に包まると、紫様はそうだ、と呟いた。
「貴方の素晴らしいお話、今度博霊の巫女とその周辺に話しておくわね。いいわよねぇ、今時珍しい愛のある話で。あの新聞記者様にも伝えましょ、式神が式神に愛を語ってたって」
 私の顔が蒼ざめたのを無視して紫様は寝入った。折檻の方が平和だったかもしれない。

 何も知らない橙は幸せそうに寝言を言った。「よかったね紫様」。
 こういう結末は選べたのかなぁとふと思い、形に起こしてみました。
 幸せな紫一家が好きです。
深山咲
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コメント



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7.無評価椒良徳削除
いいですね。なんだかしんみりしてしまいました。
確かに、そういう結末もあったのかも知れませんね。
8.70椒良徳削除
ごめんなさい、点数を入れ忘れて居ました。
本当にすみません。
13.80名前が無い程度の能力削除
これはいい、胡散臭いゆかりんだ
14.80名前が無い程度の能力削除
あまり言葉がみつかりませんが、しみじみとした良いお話でした。
15.80削除
あまり事件が起こらず、淡々となめらかに流れていくこの雰囲気が好きです。


22.100名前が無い程度の能力削除
かっこいい
25.100名前が無い程度の能力削除
いいなぁ…