本作品は作品集その42
十六夜咲夜の門番考察 前 後
Very very sweet Cookie
の流れを組んだお話、
腐れ爛れた夢現の狭間で の後編となります。
人によっては不快に感じる描写があるかもしれません。ご注意ください。それでも宜しければ是非ともご一読くださ
いませ。
※べりーべりーすうぃーとくっきーず
諦めが人生を殺害するなれば、今すぐ諦めよう。諦めが悪夢を消し去ってくれるなれば今すぐ諦めよう。けれどやっ
ぱり諦めても無駄。幾ら諦めても地獄はあるし悪夢はやってくる。だからと言って逆に頑張れるか、と問われればそれ
は難しい。
今の私は雲と同じで、生きる事も死ぬ事も無く悪夢を悪夢へと輪廻転生させ続ける単なる概念。
フランは元気にしているだろうか。咲夜は老衰していないかしら。霊夢はまだ巫女をやっているのか。パチェは相変
わらず図書館に篭っているんだろうか。
……私はどうなってしまうんだろう。ココは時間の概念が希薄だ。場面は飛び回り終わる事のない責め苦が繰り返さ
れている。突然速まったかと思えば遅くなり、進んだかと思えば戻る。今が一体何年分目の罰なのか、あまり定かでは
ない。最初は一気に百年進んだ。この頃はどの程度の罰を受けているか知覚出来る重さだったけれど、今は朝昼晩と目
まぐるしく場面が移り変わり戻り進み繰り返されているから感覚や勘で目安をつけるしかない。
今は……生前を思い返せば、多分紅魔館の当主として君臨し始めた頃の初期か中期か。当然憶測だけれど、罰の辛さ
は罪に依存するから、丁度人間を脅かし始めた頃のものの分だと……思う。
……フラン、ごめんなさい、フラン。
貴女はこんなにも重たい罰を受けて尚狂うだけで済んでいたと言うのに、私ときたら……。貴女は本当にすごいのね。
本当に、強い子ね……。もし意識を保てていたなら、喉が潰れるまで貴女に謝りたかった。貴女が許すまで頭を下げた
かった。私が拘り続けて来たプライドなんて投げ捨てて、謝りたかった。
――ごめんなさい、弱い姉で、ごめんなさいね、フラン……。
嗚呼、今日もまた咲夜が来る。この世界の咲夜が来る。現実と同じ姿をした、吸血鬼以上の悪魔が来る。
解ったわよ……起きるわよ……畜生。回想くらいさせなさいよ……畜生……。
ココは本当に腐って爛れた掃き溜めね……まぁ……私の罰なのだから、私が溜め込んだ、汚いものなのだけれど……。
3 腐りかけた林檎を齧る感覚
この世には叶う願いと叶わない願いがある。私の経験した人生なんて、彼是数週間だけれど、それを身に染みる程感
じさせられた。元より選択肢の少ない事柄なのだと思う。どれだけ捻ろうと、お姉様の目を開かせるだけの答えが出な
い。選択肢が少なかろうと努力はしようと思った。パチェが言うように、可能性は薄い。けれどそれでも、考えて、他
力本願と言われようとも力のある人に頭を下げて、想いを形にすれば、きっとお姉様は目を開ける。
想いの力は強いのだと……飽きるほど読んだ本に、書いてあったから。
「……つまり、どの境界を弄ればいいのかしら。睡眠と覚醒? 苦痛と快楽? 目を閉じるのと開く境界? 正直に
いってしまえば、さっぱり解らないわ。それに無理して弄って壊れても、責任が取れないし」
「でも、でも貴女は幻想郷で一番力を持った妖怪なんでしょう? ありとあらゆる境界を操る、禁忌の妖怪……」
「肯定するわ。確かに私は全ての境界を操れる。何もかもの境界をあやふやに出来る。けれどね、弄った結果、そこ
に生じる如何なる不都合にも、責任は持てないの。好都合と不都合の境界だって操れるかもしれないわ。でも、それも
結局強行突破でしかない。その後どんな反動があるか解らない。この小娘を無理やり叩き起こす事に変わりは無いの」
「でも……でも……でも……」
「何をそんなに急ぐ事があるのかしら。百年だろうと二百年だろうと、時間が立てば目を覚ますのよね? 吸血鬼に
寿命なんてあるのかしら」
「それは……その、だから……」
「私は別に、この小娘が憎くて言っているんじゃないわ。この子に関わるありとあらゆる妖怪や人間の精神的安定を
考えれば、目を開けさせるべきだと思うもの。幻想郷の者が不安定だと、問題を起すし。けれど弄った結果この子が壊
れてしまっては、悪化しかねないわ。吸血鬼の死もそうだけれど、何処か間違って暴走されたら困るもの」
それは今から数時間前の事。
境界を操る妖怪……八雲紫は、そういってまた、来た時みたいに消えていった。
正論なのだと思う。全くもって否定出来ないし、反論も出来ない。物臭で有名な八雲紫がわざわざ足を運んだのだか
ら、適当な気持ちでやって来た訳ではないと、私でも解る。
けれど、それで納得してくれと言われても、困る。
お姉様に目を開けて貰いたいのは、私の望みでもあるし、何より、咲夜を思うと尚更だ。目を真っ赤に腫らして泣き
崩れる咲夜は、私の心の底にずしりと重いものを落としていった。この重みに堪えきれるかといえば、堪えれるのかも
しれないけれど、辛い。客観的な私から見てそう受け取れるのだから、当の本人は死んでしまうほど苦しいに違いない。
美鈴やほかのメイド達はまだしも……そうなるとパチェ辺りはどのように思っているのだろう、と考える。
食堂では「私たちは良いけれど」なんて言い方をしていたけれど、それは本心だったのかしらね。
「パチェ、いるかしら」
大図書館の大きな扉を押し開いて、出来た隙間から顔を覗かせてみる。パチェが居るのは図書館の中心であるから当
然ここから声をかけても聞こえないだろうけれど。
突然倒れてきたら私でもただでは済みそうに無い、ぎっしりとモノがつまった本棚の列。ここには歴史、科学、魔法、
呪術、思想からクッキーの作り方まで、ありとあらゆる知識が詰まってる。人間だけでは無く、悪魔やら神様に近いよ
うな存在が手がけた本もある。まだ私が閉じ篭っている頃、良く本を借りに来た。
ひょんな事で本棚を粉砕してしまうからあまり好まれてはいなかっただろうし、読んでも大抵の事が右から左へと抜
けていったから、同じ本を何回も読んだかもしれない。
紅魔館の中では、もしかしたら一番馴染みが深い場所。それに、パチェは私のお目付け役だったし。
「パチェ?」
「え、レミィ……!?」
「違うわ」
古めかしくて大きな机に伏していたパチェが勢い良く飛び跳ねて振り返る。なんだか、その反応一つで全部解ってし
まったような気がする。目は咲夜みたいに真っ赤だし、机に乗ったティーカップにはなみなみと紅茶が残っていて、一
口もつけていない事が解る。
八雲紫が最後の手段だと、パチェも覚悟していたのかな。
「ごめんなさい、私ったら」
顔を拭って、いつも通りのアンニュイな表情に戻す。無理しなくても良いって言いたいのは山々だけれど、私にはそ
んな事を言う資格が無い。この紅魔館でお姉様と一番付き合いが長いのは、私ではなくて実質的にパチェだもの。
今の状態をパチェが好む筈が無いし、「私たちは良い」なんて筈も無い。
「……。上白沢慧音は全く。八意永琳も無理、八雲紫には止めた方が良いって忠告された。あの妖怪は底が知れない
けれど、言う事が間違っているとは思えない。幻想郷の支配者に言われたのじゃあ、否定出来ないわ」
「そうね。元から望みが薄かったのだし、仕方が無いわ。境界を弄っても無理なら、きっと何をしても無理ね」
私は椅子を引っ張ってきてパチェの隣に腰掛ける。確かお姉様もこんな風にしていたっけか。仲良いのね。
「でも、八雲紫は何故駄目だと言い切ったのかしら。それだけの力を持っているのに」
「……モノには流れがあるの。流れを無視する事を原因として齎される結果は、いつも不都合よ。例えばこぁが入れ
たこの紅茶。入れ方の手順を飛ばしたりすると、香りが減って美味しさが半減してしまう。クッキーだって作り方を省
いたら、美味しくはないでしょう。例え、気持ちが篭っていたとしてもね」
「パチェの説明は解り易いわ。でも、その結果すら弄れるんじゃあないの?」
「その結果を弄ると、また手順を省く事になる。そして更に弄ってまた省く。結局残るのは不都合ばかりで、堂堂巡
りになってしまうのよ。私自身が扱える訳ではないから断言も出来ないけれど、あの能力は結構曖昧なのよ」
「じゃあ逆にはっきりしている能力って何かしら」
「私のように精霊魔法を使う、なんて限定するものや……ごほっ……白黒はっきりつけるなんていうのも、死を操る
なんていうのも決まっているわ。それを引き合いに出すと、そうね、ありとあらゆるものを破壊する程度の能力や、時
間を操る程度の能力なんかは……ん、んん……たぶん最悪に不確かね」
「そうかしら?」
私は自分の手を見つめて、握ったり開いたり。苦痛は知っているけれど、苦労を知らない手にはマメもない。
「……とはいえ、勿論破壊出来るのは物質だけでしょうけれど。概念まで破壊出来たならば凄いわね」
パチェが溜息を吐く。何となく考えている事が解った。
「概念や事象を破壊できたら、ね。でもそれじゃあ八雲紫とあまり変わらないわ」
「……貴女、本当に察しが良くなったのね。驚いたわ」
パチェが言いたかったのは、お姉様が目を開けないと言う事実が破壊出来たら、と言う事だ。でもそんな事をしたら、
やっぱり不都合が出ちゃう。境界を弄るのも、概念を破壊するのも、結局はショートカットだもの。お姉様が罰を受け
ていると言う事実に対しての究極的な否定方法だから、やっぱり出来たとしても、恐いか。
「……はぁ」
「フラン、ごめんなさい……げほっ………げほっ!」
「今日は調子が悪いみたいね。ほら、何も謝る事なんかないから、ゆっくり呼吸して……」
私はパチェの背中を摩る。けれど彼女は何を思ったのか、冷え切った紅茶に手をかけて一気に飲み干して、まずい、
と一言だけ言い放つと……瞳に涙を溜めて、私に縋りついた。私は訳も解らず困惑するけれど、パチェはお構いなしに
顔を押し付けてくる。
これではまるで私が悪いみたいだわ。
「げほっ……私は、私はね、私は間違っていなかったと、思うの……。レミィが普段……んっ、ごほっ……見せない
顔で何度も相談に来るから、それに答えてあげなくちゃって思って……助言したわ。貴女は姉なんだから、ん、はぁ、
妹の事を受け止めてあげなさいって。何故フラン、貴女が閉じ、げほっ……げほっ……込められているか、何故能力を
扱いきれないか、私は知っていたから。根本的原因を取り除けば、かならずフランは普通に生活出来るようになるって。
解っていたけれど、それまでは何にも言えなかった。姉がその気じゃないのなら、ふぅ……ん、う、げほっ……意味が
無いから。妹を助けたいと思っていなければ、この姉妹には幸せなんてこないと思ったから……だから、レミィが私に
相談に来た時は嬉しかったわ……げほっ……んっ」
先ほどから、パチェの様子が可笑しい。何度も咳払いをして苦しそうにする。
「パチェ、無理しないで……」
「げほっ……言わせて、言わせて欲しいの……ん、んんっ……だから、解りやすい様に助け舟を出した。でも、結果
はこの通りだったわ……げほっ……私は、私はフランを、舐めていたのよ……妹が堪えれる罰を、姉が堪えられない筈
がないって……わたし……ぜぇ……んっ……」
「パチェってば、休みましょう。無理しちゃ駄目よ」
「いいから……げほっげほっげほッ!!」
「咲夜!!!!!」
「ここに」
呼吸が乱れて、完全に私に寄りかかるようになる。見ていられなくなり、思わず咲夜を呼んだ。咲夜は呼ばれると同
時に現れて、彼女を背負ってすぐさま姿を消す。パチェの自室だと思った私はそちらへ飛んで行く。
「喋ってはいけませんわ」
「ぜぇ……ごほっ……でも……」
図書館の内部にあるパチェの部屋は、図書館とあまり代わり映えが無いほど本に埋め尽くされていた。その中の一角
にベッドが備え付けてあって、本人もうに横になり、咲夜に背中を摩られていた。
「パチェ……」
「フラン……私は……私は間違っていたかしら……? 結果がこれでも……貴女だけが罰を受け続けるのは……不当
だと……げほっげほっ!!」
「パチュリー様……ですから」
「言わせて、苦しいだけで、死んだりしないから……フラン……不当だと思ったから……説いたの……フラン、私は
……間違っていたかしら……」
喉をヒューヒュー言わせ、痰が絡んだような呼吸のまま、胸を押さえつけるように話すパチェが痛ましい。その問い
……と言うよりは懺悔にも近いコトノハに、私はなんと答えるべきなのだろう。
パチェが助言しなければ、お姉様は変わる事なく普段通り、私もまた薄暗い部屋に閉じ篭ったままだった。パチェが
助言したからこそ、私はこうして外へ出る事も出来る。けれどお姉様は目を開けない。
パチェが悪い……?
「パチェ……私は……」
まさか。
「これは、私達姉妹が悪いのよ。パチェが気を病む必要なんて何もないわ。もうゆっくり休んで、ね?」
これは、結局スカーレット家の問題。原因が何処にあるにしろ、もう居ない人物は責める事も出来ないし、新しい可
能性を見出してくれたパチェを責めるなんて出来る筈も無い。結果どうあれ……悪いのは私たち自身……私の、所為な
のかもしれない。
「まだ……一つだけ。咲夜……? げほっ……んっ、んんっ」
「……はい」
呼びかけられ、咲夜は摩る手を一端止める。
「ちょっと落ち着いたわ……げほっ……貴女達には解決法は無い、と言ったけれど……ない事も、ないわ」
私と咲夜の目が合う。八雲紫の可能性さえ否定していたのに、まだ策はあると言う。パチェは大きく息を吸い込んで、
ゆっくり吐き出し、私と咲夜の手を取る。
「これは……レミィの事を考えて……それと、私が怖かったから言わなかったのだけれど……ふぅ……んっ……咲夜、
貴女は、時間を止めるだけでなく、進められるでしょう……? げほっ!! んっ、ごほっ……」
「パチュリー様。もういいです、もういいですから……」
「げほっげほっ……ごめんなさい……私もレミィは可愛いの……不確定な未来が怖いの……でも、咲夜や、霊夢や魔
理沙は妖怪ではないから……気長に待っていたら死んでしまう……フランだって折角普通に……生活出来るようになっ
たのに、お姉様が居ないんじゃあ、今までより……ひど、げほッ……」
「仕方、ありませんわ。パチュリー様、もう――」
「えぇ……えぇ……」
パチェが目を閉じる。ゆっくり呼吸して、私と咲夜の手を強く握っている。
パチェなりに色々考えがあったんだ。でもそれを口にする事は憚られた。お姉様本人がどうなってしまうか解らない。
未来が見えないから。八雲紫が否定した事実をその通りだと言ったのは、それが理由なんだと思う。
「……咲夜、後でお姉様の部屋に来て」
「はい」
「パチェ。貴女は何も、何も悪くない。貴女は、一番私達姉妹の事を考えてくれる……一番の親友よ」
「フラン……ほんとうに、見違えるほど……立派になったわね」
「うん……」
私は、漸く収まってきたパチェの手にキスをして、その場を立ち去った。
考えるべき事が……ある。
※べりーべりーすうぃーとくっきーず
これほどまでに軟弱だったとは、我ながら形だけのカリスマだわ。少し気が緩むと、思考がネガティブに疾走し始め
て戻るのに時間がかかってしまう。当然体感的な時間だけれど、一日くらいかかるのかもしれない。
私は罰を受けると決めた。妹に預けていた罰を引き取った。そこにあった感情は、紛れも無く本物であったはず。生
半可な気持ちで妹を解き放とうなどとは、考えていなかった。パチェの予言めいた助言は的を射ていたし、私もその言
葉を疑う事なく、罰を受けた。
パチェは何も悪くない。私達姉妹を案じてくれていたのだから。何が親が悪いだ。そんなもの最初から蹴飛ばして、
さっさとフランを解放しなかった私が全部悪いに決まっている。思考停止して妹の事を考えてやらなかった私は、これ
くらいの罰を受けるのも至極当然だ。
いいわよ、来なさいよ。形の無いあんた等思念の統合体如きの恐怖、必ず受けきって見せるわ。ったく、吸血鬼なん
かに震えて脅えるあんた等が軟弱なのよ。物理的に吸血鬼を排除出来ない代わりに厄災を齎すなんて、一体どんなロジ
ックが組んであるのかしら。因果応報を形にしているのかしらね。厄介ね、まったく厄介。
「……痛いわね」
「おはよう御座います、お嬢様」
今日も思念の権化が目覚めに現れる。調子くれちゃってまぁ、行き成りナイフで串刺しとは、頭に来るわね。
私は腹部に突き刺さったナイフを引き抜いて投げ捨て、深く溜息を吐いてから咲夜に笑いかける。
「おはよう、今日も最悪に素敵ね、夢の従者」
「はい。この”夢”も大分深くなって参りましたわ」
私は一瞬耳を疑う。どのくらいかは知らないけれど、長い間罰を受けてきて……向うから状況を説明するなんて事は
一度もなかった。
「どういうことかしら」
「こういう事ですわ」
意思疎通が皆無であった咲夜と、話が繋がる。夢が深くなってきたとは、より夢の住人と繋がりが深くなったと取る
べき意味合いなのだろうか。
咲夜は……おもむろにナイフを取り出して、己の眉間に突き立てた。
「……アンタ、なにしてんのさ」
「……痛い……痛い……レミリア……痛いわ……」
ドン引きした。思わず生唾を飲み込む。咲夜は眉間を貫いたナイフを、まるで鍋でも混ぜるかのようにかき回す。動
かす度に血が噴出して零れ、尚も押し開いて行く。淡々と、淡々とナイフで脳みそを掻き混ぜ、その度にエプロンが赤
く染まり、カーペットが紅味を増す。
「痛い……ぎっ……ひぐ……痛い……」
「止めなさいよ」
「痛い……痛い痛い痛い痛い……」
「止めなさいって言ってんでしょうが!!!!」
「けひ」
こいつ……笑いやがった!! そうか、そうね。畜生。私の肉体的苦痛から……今度は精神的な苦痛に切り替えた訳
か。イヤラシイったらあったもんじゃないわ。
ああ……止めろって言ってんのに……私の、私の咲夜に、貴様……何して……ッ!!
「ぐっ」
くぐもったうめき声と共に……咲夜は沈黙して、その場に崩れ落ちた。これがどうでも良い他人なら何て事はないの
かもしれないというか、多分どうでも良いのだけれど……一番近い人間が自らの脳髄を掻き回す様を見せ付けられて、
まっとうで居られる奴も少ないと思う。私も、正直例に漏れず……かなり厳しい。
咲夜……違う。これは咲夜を模した、私の記憶を漁って勝手に罰が作り上げた幻影。だからこれは咲夜じゃあなくて
咲夜の形をした罰。だから私はなんともない。なんともない、なんともない、なんともない。
言い聞かせる、言い聞かせる。嗚呼糞、自分の肉体に罰を受ける数倍厳しい。何よこれ、畜生。
「……咲夜、今日の予定はどうしたのかしら。言ってみなさいよ」
「――――――」
はいはい、死んだのね、死んだわ。罰が死んだ。死んだのは咲夜じゃあなく罰。気にする事じゃない。
私はベッドから起き上がって腹部を探る。……もう刺された後もなければ、服にすら傷もない。出鱈目ね。リアリテ
ィを出したいのなら、それは保存しておくべきだったのに。罰は設定が甘いわ。
くたばった咲夜型の罰を放置して、部屋の外に出る。今日もだだっ広い廊下がなんともうざったい。本物の紅魔館よ
り幾分か広くなっていて、先が真っ暗だ。少し目を凝らしてみても、見えない。闇の帝王吸血鬼が、闇の中も見えない
なんて、夢にも程があるわ。
そう、リアリティなんてない。これは、夢。罰の作る夢幻の檻。だから何も怖くない。
「おはよう御座いますお嬢様」
「あら美鈴。門番はどうしたのかしら」
「あははは」
「美鈴?」
「あははははは」
「ちょっと、何とか言いなさい。笑ってたって解らないわ」
「あはははははははは」
美鈴が此方に、笑いながら歩いて来る。私の目の前に現れると、身長に合わせて頭を下げて、顔を突き出す。
「あははははは」
イラつく。口では心底楽しそうに笑っているけれど、目が全く笑っていない。なまじいい顔をしているだけに、キモ
チが悪いったらありゃしない。
「美鈴、ぶっ飛ばすわよ」
「あははははははははは」
……くっ。
「お願い美鈴、離れて頂戴」
「あははははははははははははははは」
まったく顔も退けようとせず、面と向かって笑う。何がそんなに可笑しい……私がそんなに滑稽か? 滑稽なのはお
前だろうが……。
流石に堪えかねた私は、美鈴を退けるように、手で軽く押す。
「ぶぁ」
美鈴に触れた瞬間、目の前で美鈴は弾け飛んだ。決して遠くに飛んでいった訳でなく、内部に爆弾でも仕掛けられて
いたかのように、四散した。思わず目が泳いでしまう……。
「あ、悪趣味……くそっ」
身体が美鈴の血液で塗れる。奥歯をギリギリと噛み締めて……潰れそうになる胸を手で押さえつける。悪趣味過ぎる。
最悪だ。こんな事を実行しようという罰は、頭が狂っているとしか思えない。思念なんだから頭なんか無いだろうけれ
ど……兎に角、貶さずには居られなかった。
「ヒュー……ヒュー……」
「……」
今度は何だ。
後ろから、何やら空気の漏れる音が聞こえる。本当は振り向きたくない。それに、大体予想が付く。
「ヒュー……あら……ヒュー……れみぃ……美鈴を……ヒュー……殺したの?」
「投げるとバラける玩具みたいに勝手に壊れたのよ。私悪くないわ」
振り向きたくない。明らかに……どこからか、空気が漏れている……。声は掠れて聞き難いし……後ろに居るパチェ
がどんな状況かなんて、確認したくもない。是非とも無視したい。どうせ悪趣味な事になっているんだから……。
「ヒュー……レミィ……どうして……ヒュー……振り向いてくれないのかしら……ヒュー……」
「訳ありなのよ。足が動かないの」
「……ヒュー……私の助言がいけなかったのかしら……ヒュー……ギュ……ヒュー……」
「何がよ」
「ごめんなさい……ヒュー……許してれみぃ……レミィ……」
「貴女は何も悪くないわよ」
「こっちを向いて……謝るから……レミィ……ヒュー……」
私は、思い切り歯を食いしばり……すぐ後ろに立っているパチェへ……振り返る。
「ごめんなさい……レミィ……レミィ……」
「うっぐ……えげつない……」
「わたしは、あ、あ、」
振り返った先にいたパチェの喉元には、風穴が開いていた。胸を苦しそうに何度も掻き毟った後があり、そこはもう
色々、形容しがたく捲りあがっていて、元の面影がない。だから振り向きたくなかったのよ。
「もういいわ、寝ていなさいよ」
「そうね……ヒュー……そうするわ……ヒュー……」
……罰の割には聞き分けがいい。パチェ型の罰は……闇に消えて行く。
夢が深くなっている。つまり、私が一番恐れられていた時期に差し掛かったって事か。これが幻影で、全てが嘘っぱ
ちだと解っていてもかなりエゲツナクテきっついわ。ほら、私が意識したせいで、今度は血が取れていないし。今更な
のよ。やるんなら最初っから演出なさいよ、バカ思念。
ここでくじけてなるもんか。さっきもちゃんと決意した。面と向かって罰食らってあげるわ。だけど飲まれたりはし
ない。私はこの罰をクリアして、現実に戻らなきゃならないんだから。
咲夜や霊夢や魔理沙が老衰する前に。これ以上紅魔館の皆を悲しませない為に……。あらでも……フランやパチェは
死なないし……人間達だって……そこまで……気にしているかしら……。私の思い上がり?
「うわ、やば」
――最悪。今私……『本当に心配しているのかしら』なんて……思っちゃったじゃない。
先ほどの通り、今度の罰は起こって欲しくないと思う事が起こる。それはちょっとまずかったかしら……嗚呼駄目、
考えるのは止め。これ以上深く考えると具現化する。
「お姉様。パチュリーがね」
来やがった。
今度は私の正面から、何かを引き摺って近づいて来る。予想通りなら……たぶん、いや、予想なんてしたくもないし
すればきっと具現化するって……ああああもおおっ!!! 考えるな私!!!
「パチュリーがね、ヒューヒュー五月蝿いから、ほら」
「そう、フランは元気ね」
「殺っちゃった。パチュリーったら精霊に近い癖に弱いし、喘息持ちだし、ナンナノカシラ?」
お前がナンナノカシラだ。貴様のような奴はフランじゃあない。確かに狂っている節はあったかもしれないけれど、
そんな楽しげにモノは壊さなかったでしょう。弾幕は楽しそうだったわね。でも貴女は壊れたモノに対して興味はなか
った。だから残骸を猫でも捕まえたみたいに引っ張り上げて満面の笑みを浮かべるなんて、そんなのは嘘。
「良かったわね。ちゃんと片付けて置きなさい」
「はぁい。ねえお姉様。咲夜はどこ?」
「トチ狂って自殺したわ」
「美鈴は?」
「自爆テロしたわ」
「パチュリーは?」
「貴女が持ってるわ」
「小悪魔なんかは?」
「知らないわよ」
「他のメイドは何処?」
「さぁね」
「じゃあ今ここには、私とお姉様だけ?」
「解らないわ。私は見かけていない。貴女も見かけていないのなら、きっと誰もいないのよ」
「そっかぁ。今ここにはお姉様と二人っきりなのね」
「姉妹水入らずね」
「ねぇお姉様」
「何よ」
「本当は違うんじゃないかしら。何で皆死んでしまったか解らない? みんなお姉様の夢に付き合うのに飽き飽きし
てきたんじゃなあい? 皆本当はお姉様の事なんてなんとも思って無くって、関わるのも煩わしく思っていたりして。
霊夢も魔理沙もいないわ。どこへいったのかしら?」
フランの口を借りて喋る喋る。支離滅裂だし。こうも思った通り具現化されると、興醒めね。
「そうかもしれないわね。それと霊夢と魔理沙は紅魔館に住んではいないわ」
「あ、そうだ。さっき見つけたから、殺したんだ」
「そう、本当に腐れてるわね」
フランが、窓の一つを指差す。なんとも言い難いほの暗い外の庭がうかがえて、そこには真っ赤な華が二つ咲いてい
た。色取り取りの花が咲き誇る花壇の一角は、そこだけ真っ赤。当然ね。人間二人も解体したら、凄い量だもの。
……はぁ……なんなの、ワンパターンで……畜生……私は、私は夢の中ですら手出ししなかったのに。手を出すまい
と、堪えて来たのに。今度はみんなポンポンとゴミみたいに死にやがって……もう。そう、無駄な努力はするなって事
かしら。でもいいわよ。私は出来るだけ殺さないもの。どれだけ目の前の人物をウザッたく思っても、手出しなんかし
てやらないわ。
「……お姉様。皆簡単に壊れてしまって、寂しいわ。お姉様」
「そうね、じゃあついでに私も壊してくれると有り難いわ。こんな夢さっさと消化して次に行きたい」
「お姉様を壊す事なんて出来ないわ……私はお姉様を愛しているもの」
ついこの前まで嬉々として私を木端微塵にしていた奴の口が何を語るか。
「それは喜ばしいわね」
「お姉様、今日は一緒のお布団で寝ましょう?」
「フランは寂しがり屋ね」
「誰もいないのは辛いわ。それでは私の部屋と変わりないもの」
「……いいわ」
私の発言と同時に、日は一気に明るくなる。というか今まで明け方だったのに、一声で半日過ぎたのかしら。気持ち
悪い上にご都合主義と。救い難いバカね、罰の見せる夢って言うのは。
……仕方なく、私はその流れに従ってフランをつれて自室へと戻る。咲夜は折れた薔薇のように、そのままの姿勢で
いたらしい。物質に成り果てた咲夜の顔を見たくなかった私は、ベッドからシーツを引き剥がしてソレに被せてから、
血まみれの服を着替えもせず布団に潜り込む。
「こうして一緒に寝るのは、初めてね、お姉様」
「そうだったかしら」
……なれない。今まで一日の最後に必ず殺害されていたから、自らベッドに入るなんて事は無かった。希望的観測か
らすれば、意外と楽な部類の罰なのかもしれない。罰が幾ら死のうと、慣れてしまえばただ物体がへしゃげるだけのも
のだし。自ら受ける罰は痛いけれど、これは慣れだ。
今までは一日の終わりに殺害されて、目が覚める頃に妹がクッキーを持って走ってくる。そしてそれは夢だときがつ
かされて、また最悪の一日が始まる。そのループだったのに対して、これは大きな変化だ。
咲夜の発言は脅しだったのかもしれない。より恐怖を与える為に台本通りの発言。
「お姉様、私にはお姉様しかいないわ」
「そう。仕方ないわね」
「愛してる、お姉様」
――フランが、私をヒシと抱きしめる。夢の癖に、罰の癖に……ちゃんと温かくて、幼い少女の香りがする。悔しい。
こんな、こんな、嘘っぱちの虚像の優しい温もりにすら反応してしまうほど爛れきった私の心が、恥ずかしい。
「お姉様……泣いているの?」
「そんな……事無いわ……」
「泣いちゃ駄目よ。私が舐めとってあげる」
目蓋の上を、艶かしい舌が徘徊する。それは頬を伝い、私の顔を蹂躙して行く。偽物の癖に……偽物の癖に……。
「お姉様の涙は塩辛いのね」
「フラン……会いたい……貴女にごめんなさいを言いたい……皆に、皆に会いたいの……目を覚ましたいの……フラ
ン……嗚呼……くっ……ううぅぅ……」
これは……やっぱり考えているより辛いのかもしれない。今度こそ私を狂わせようと、本気になっているのかもしれ
ない。現実を思うと、胸が締め付けられる。嗚咽が口から漏れて、声が出せなくなる。
最後の最後は、必ず貴女が、夢の中でも優しくしてくれるものね。
例え貴女が偽物でも……このフランは……今ココに居る、現在のフランだけは……私が作り出した幻想の、安住の人
であって欲しい……。
私は、抱きしめてくれる”このフラン”を自分から抱きしめ返す。
はずであった。
「あ……れ?」
「どうしたのお姉様」
「貴女を、貴女を抱きしめられないのよ……あ、ら……? 貴女、いつ私から離れて……」
目の前には、ちゃんとフランが居る。居るんだから、当然抱きしめられる筈だ。
私は、恐る恐る、フランの顔から目を外して、胴体部分へ目をやる。
「どうしたのお姉様。フランは、ここよ」
「いっ―――――――――!!!!!!」
胴体なんて、なかった。
※
因果応報を形にした種族。吸血鬼。事実上霊長の最上級に位置する人間を凌ぐ力を有した、ヒトガタのバケモノ。
それは一人で数千の兵隊に匹敵し、瞬きする間に野山を駆け抜け、鬼神の如き怪力で巨木をなぎ倒す。まず死ぬ事は
無く、また成長は遅いが鋭い第六感と知性を兼ね備えていて、仲間を増やしながらどんどん自分の領土を広げて行く。
曰く、吸血鬼は日光に弱い。
曰く、吸血鬼は流水に弱い。
曰く、吸血鬼は神聖なものに弱い。
曰く、吸血鬼はニンニクに弱い。
断言するけれど、これらは全て『苦手』なだけであって、こんなものにそうそう簡単には敗退したりはしない。吸血
鬼が最も怖れている弱点を覆い隠す為に流された、吸血鬼によるデマだ。
確かに日光は痛いし、流水は怖いし、ニンニクは嫌い。でもだからってそれが致死に達する程の弱点かといえばあり
えない。それも当然で、『苦手なものを弱点としてばらまいた』のだもの。嘘には真実を混ぜると言うけれど、まさに
その通りの嘘だ。
吸血鬼最大の弱点。
それは人間の恐怖心そのものだ。一般的な吸血鬼は屋敷や城を構えて、領地内の人間達を掌握して貢がせたり、時に
兵隊として使役したり、必要とあれば襲ったりする。吸血鬼として生れ落ちたならば当然の権利だ。けれど当然好き勝
手出来ないように、計り知れない場所で取り決めがされている。
人間が唯一吸血鬼に対抗する手段。そう、英雄だ。
斯くも恐ろしいもので、普通の人間では吸血鬼に太刀打ち出来ないものの、その恐怖心が想念となって勇者を生む。
神に恩恵を授かった子であったり。流れ者の退魔師であったり。稀代のエクスキューショナーであったり。
吸血鬼はこれを退けられるか退けられないかで、格が決まるし、増減する。
殊お姉様の話にすると、これは無敵であったと言えると思う。
勿論……敵がいなかったから無敵だ。
人を脅かす事は罪。人の想念は吸血鬼への罰。この基本的ロジックを無視するのが、私。お姉様が受けるはずの人間
達の恨み言は全て私が引き受けて、幽閉という罰を持ってこれを封印していた。お姉様に罰が与えられる筈もない。
けれどそれは因果応報を無視するものだから、被る罪は大きく、加えられる罰は更に肥大化する。物事の『流れ』を
無視すると、生まれるものは不都合ばかりだから。
「覚悟を、してもらいたいのよ、咲夜」
静まり返ったお姉様の部屋には、私と咲夜。そして目を開けないお姉様の三人。この時間が停止した部屋で動きがあ
るものといえば、紅茶の湯気くらいだ。
咲夜を呼び出したのは他でもない。調べて、教えられて、考えた結果を伝える為。
「覚悟、とは」
「文字通りの意味。お姉様を、貴女、いえ、貴女達が生きている間に目覚めさせる方法が解ったから。咲夜だって薄
々気が付いてたのでしょう。能力の所有者だもの、当然よね」
「……」
「責めるつもりなんてないの……。パチェだって隠していたわ。それは怖かったから。八雲紫が言う通り、自然な流
れを無理に弄って断ち切る行為は、危険が付き纏う。私達姉妹も、ある意味流れを無視して存在した故に、こんな事に
なっているのだと思う。だからどんな不測の事態に陥るか解らない。私も怖いの」
私はお姉様を横目に見る。今はゆっくりとした呼吸で、月明かりを受けている。その様子はただ寝ているだけのよう
に感じられて、余計悲しい。
「……」
確かに、無理やりお姉様に手を加えれば不測の事態に陥る可能性が高い。過程を省くと言う事は、それ自体不完全に
成ってしまう事を示している。過程を無視して入れた紅茶は美味しく無いし、材料を抜いたクッキーは食べられない。
では咲夜の能力ならどうだろう?
「けれど、貴女の能力は、無理に手を加えるにしても、少し違う。境界を弄ったり、概念を破壊したりするモノとは
違って、流れは無視しない。ただ『流れを早くする』のだから。違う?」
「その通りですわ。私は、一部の空間を限定して時間を操れます」
お姉様は人間ではないから、もし咲夜が能力を使ってお姉様の時間を早めても、老衰する事はない。これは能力を強
制介入させる事に変わりないけれど……過程は無視しないんだ。
「……けれど、その、フランお嬢様。生物といえば、植物程度にしか用いた事がありませんわ。自分の時間を多少早
める為に使ったりはしますけれど、どのくらい時間を進めればいいかも解らないお嬢様には」
「それが、パチェが言わなかった理由なのだと思うわ。過程は無視しないけれど、時間を早めた結果今より悪い事態
を招きかねない」
「……」
「……」
私と咲夜は、そこまで言って沈黙する。
――私と、お姉様に関わる人達、そしてお姉様本人にとっての、究極的選択。
この世には叶う願いと叶わぬ願いがある。そして、これは……叶うか叶わぬかの狭間にあり、選択肢も極少のもの。
……思考が停止しそうになる。
仕方なく、黙って紅茶を啜る。
美味しい。
「咲夜の入れた紅茶は、美味しいわね」
「紅茶は、あまり茶葉を入れすぎますと濃すぎますし、少ないと薄すぎる。100度より少し低い温度のお湯でしっ
かりと味と香りを引き出して、直ぐにはカップに注ぎません。少し時間を置いて、それから注ぎますわ。一杯目はスト
レートで。二杯目以降はミルクなど入れて、お楽しみください」
「でも、出てくる紅茶はいつも早いわ」
「……時間、進めていますから」
「―――そう」
私達は、勝手なのかしら。これはお姉様の決意をふいにする行為なんじゃないかって、後ろめたい気持ちになる。お
姉様は自分の覚悟で罰を引き受けたし、それを正面から受け止めるつもりだったに違いない。それを外から此方の勝手
で弄繰り回す行為は、とんでもないエゴなのかも、しれない。
私が全部返すような真似をしなければよかったのだと思う。当然、制御出来たかといえば、違うけれど。この迷いは、
私が未熟だから沸きあがってくるなのかしら。
形振り構わず、可能性に賭けてみては、いけないんだろうか。
――このままお姉様を放置しても、いずれ精神死するかもしれない。
――手を出してヘタをすれば、精神死を早めるかもしれない。
――成功すれば、幸せになれるかもしれない。
――成功すれば、お姉様も今の紅魔館で心地よい生活を送れるかもしれない。
――私も覚悟しなきゃ、ね。
「だから咲夜、決めて欲しいの。お姉様はこのまま放置してもいずれは精神死するかもしれないわ。当然能力を使っ
たら死期を早める事にもなりかねない。けれど、お姉様は強い人だから……貴女の能力で、貴女が、貴女達がまだ生き
ている間に目を覚ますかもしれない。ごめんなさいね、全て仮定の話で」
「……フランお嬢様。けれど、お嬢様は直ぐに目を開けるかもしれませんわ。私が手を加えて、それが逆に不都合を
招いてしまったら……」
「直ぐに目を開ける事は……なさそうね。現実は非情よ。ああもう、知恵がついたお陰で、余計な事ばかり考えるわ」
諦めが、侵食してくる。じわじわと心を蝕んで行く。今死ぬのと後死ぬのどちらがいいか。普通だったら当然後が良
いに決まっているけれど、お姉様の場合そこには人生が存在していない。言ってしまえば、今この時点でも死んでいる
のだろう。死が確定している訳じゃない。けれどこの直感から漏れ出す死の臭いは、嫌でも嗅がされる。
吸血鬼じゃなければよかった。お姉様ではなく、これが自分ならば良かった。
自分がもっと強ければよかった。強ければ、お姉様は……。
「ぜーんぶ……私の所為ね」
「違いますわ。それに、レミリアスカーレットは不滅です。あの、あのお嬢様が罰程度に負けるものですか」
「レミリアは、愛されているわね」
「えぇ、そうですとも。私はお嬢様を愛していますわ。失礼を承知で言ってしまえば、私の人生において主人はただ
一人、レミリアスカーレットのみ、です」
「じゃあ咲夜……貴女はその力を、今からお姉様に使えるかしら」
「そ、それは」
「ごめんなさい。自分じゃ何も出来ない癖にね。姉妹して、貴女に頼りっぱなし」
「メイド、ですから」
「決定権は、常に貴女にあるわ。じゃあまず、私なりに答えを出しましょう。このまま咲夜が死ぬまでお姉様が目を
開けず、しかも死んでしまうくらいならば、貴女は能力を使うべき。一縷の望みに、賭けてみるべき」
「……お嬢様方は、傲慢ですわ」
「そうね。さ、一度きりの選択にしましょう。後に引き摺って、毎日悩んでも仕方が無いわ」
互いに、気持ちは解っていると思う。お姉様を信じているからこそ賭けるべきだし、愛しているからこそ無茶はした
くない。
「さぁ、決めて、咲夜。これは貴女しか肯定出来ないし、貴女にしか否定出来ない」
「―――わかり、ましたわ」
瀟洒なメイドは無駄の無い動きでお姉様が横たわるベッドまでたどり着くと、お姉様の頬を撫でつけた。
その瞬間だった。
「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァッッッッッ!!!!!!」
お姉様が絶叫する。何時かもそうだった。狂ったように叫び暴れだす。私はその度押さえつけていた。
最近は減ったと思っていたのに……。
「咲夜!!! お姉様を抑えて!!」
「はい!!!」
「アアアァァァッ!! フラン、フランフランフランフランフランフランフランフランがアァァァッ!!!!」
「お姉様、お姉様、フランはここよ、フランはここにいるわっ」
「くっ……なんて力……人が足りませんわっ」
「こうなれば……禁忌『フォースオブアカインド』!!!」
咄嗟の判断で『私』を増やす。私一人に比べれば力は劣るけれど、誰も居ないより遥かにマシだ。咲夜は人間だし、
抑えるにも限界がある。
「お姉様、私はここ……ほら、ほら、触れてみて、フランはここよ」
「フラン……ああぁっ……フラン……抱きしめて……辛いの、辛いの……」
「えぇ、えぇ、ほら、貴女の妹はここに……ね? ね? 居るでしょう?」
「嗚呼……嗚呼……フラン……フランね……そう……またなの……またクッキーを焼いたの……」
紅い目が虚ろに揺れて、視点が定まっていない。起きているかといえば違う。寝ているかといえば違う。こうなのだ。
いつも、絶叫した後は、こうだ。お姉様、私はクッキーなんて焼いた事ないわ。
「甘い……また甘いわ……貴女のクッキー……フラン……えぇ……私も、愛してる……」
「お、おねぇ……さま……」
伝わらない伝えられない。このやりきれない気持ち。一体どんな夢を観ているの。どんな責め苦を受けているの。夢
の私は一体どんな非道を行って、どうしてクッキーなんて焼くのよ……。
絶望が涙に転換されて零れる。堪え切れないと胸が悲鳴をあげる。頭の中が沸騰して、暫く忘れていた破壊衝動を思
い出す。
私は夜の静寂が支配するテラスへと踊りだし、目に映った巨木に力を向け―――
「ああもう!!! ちくしょぉぉおぉぉぉっぉお―――――――――――――――!!!!!」
―――大絶叫と共に『目』を移動させ、指が軋む程に加減もせず握り潰す。
木が倒れる音はギシギシやミシミシなんかじゃない。私にかかると『パン』だ。樹齢何十年とも何百年とも知れない
樹木は、一瞬で粉々になって消えた。
「はぁ……はぁ……はぁ……うっく……おねえさま……」
確かに、私やパチェは寿命でそう簡単には死なないから、気長に待てるなんて、誤魔化しに言えるかもしれない。け
れど、実際問題として、これはお姉様の精神的な戦いでもある。途中でリタイアしてしまったら、長く待っている意味
もなくなってしまう。誰かの能力で無理やりお姉様を目覚めさせるのも、気長に待つのも、危険は同じなんだ。
結局同じなんじゃない……。しかも私には救えない。救いようが無い。こんな、壊す力ばかり持っていても……お姉
様を癒せない……助けられない……。
「落ち着かれましたわ」
「……うん」
掌には、自分の血。無茶に握り締めた所為で肉に爪が食い込んだのだろう。
「手を、怪我なされたんですか」
「うん―――咲夜?」
「……」
咲夜が、私の前に跪いて手を取ると真っ白なハンカチでそれを拭き取り、覆う。直ぐに治ってしまうのだから、あま
り意味は無いのだけれど……咲夜は、咲夜は、涙を一杯に溜めて私の手を愛しそうに撫でていた。
「咲夜」
「自らの行為でも、傷など付けてはいけませんわ。傷ついた”お嬢様”は、一人にしてくださいまし。自暴自棄にな
られて、フランお嬢様にまで可笑しくなられたら……咲夜は、私はどうすればいいんです」
「大丈夫、咲夜。大丈夫。私はもう狂わないわ。ホントの事言ってしまえば、狂っていたのとは違うと思うけれど、
その、大丈夫だから」
跪く咲夜を、私は強く抱きしめた。私に出来る事なんてない。私は施される側だから。そう、互いに傷を舐めあうの
もいいかもしれない。けれど私は、今は紅魔館の主だから。咲夜が主はただ一人、レミリアスカーレットのみであると
宣言しても、この事実ばかりは変わらないから。
せめて素敵な従者に、主なりの威厳を見せつけるぐらいが、関の山。
そして、判断を下し、実行させるのも、主の使命なのだと思う。
――そうよね、レミリア。
「紅魔館の主、フランドールスカーレットは命ずる。咲夜、力を使いなさい」
「でも、それでは……私は……私は怖い……怖いですわ……お嬢様の死期を早めるなんて……」
「お姉様は強い人よ。それに、咲夜の紅茶を飲みたがっているに決まっているわ。他の誰でもない、咲夜の紅茶。ち
ょっとずるして作っているけれど、とっても美味しい紅茶よ」
「うっ……フラン、お嬢様……」
「三度目は言わないわ。咲夜、主の命よ。能力を、使いなさい」
「―――――――――私は、親しい人の為にならば、全力を尽くします」
吸血鬼とは、因果応報の権化。今まで『流れ』を無視し続けて来た、吸血鬼の中でも尚外道を行く姉妹。ここに来て、
私は姉に重ねて更に罪を作ろうとしている。
……人間は、咲夜は脅えている。ごめんなさい、咲夜。けれどこれは貴女にしか出来ないし、貴女が決断出来ないと
言うならば、主が代わって決断するしかない。
勝手を許して、レミリア。私、咲夜に情が移ってしまったみたいなの。これ以上痛ましい咲夜を観たくない。レミリ
アだって、咲夜の居ない紅魔館は、嫌でしょう? そうよね、今の幻想郷は、とても面白いものね。
ごめんね、レミリア。
この罪に対する罰は、必ず受けるから……。
※ もうクッキーはいらない
束の間の休息に思い描くのは、あの懐かしき日々。そして、新たに芽生えた可能性を発展させたパラレルワールド。
フランが普通の吸血鬼で、咲夜は完璧で、パチェはいつも通りで、美鈴は惚けてて、小悪魔はパチェの周りをくるくる
回る。メイド達が忙しなく動き回り、突撃してくる魔理沙を迎え撃つ。
――フランの声が聞こえる。
霊夢が珍しく現れて、お茶菓子を美味い美味いとパクつくんだ。それ、私が作ったクッキーよ、なんていったら、眉
を顰めて嫌そうな顔をする。でも結局食べた挙句にお土産に持って行くのよね、貴女は。
――咲夜の声が聞こえる。
咲夜はそんな私達を見ながら淡々と紅茶を入れては仕事をし、嫌な顔一つせず私に給仕する。けれど突然、お嬢様な
んて声をかけて、少しだけムスッとするんだ。霊夢と話している間、わざと無視したものだからヘソを曲げて。
そんなさり気無い咲夜が可愛くてならない。
――フランの声が聞こえる。
幸せに幸せに、何事も無く恙無く、平穏に過ぎて行く日々。
嗚呼、夢想するだけで、なんて面白そうなのかしら。考えるだけで、なんてワクワクするのかしら。
――咲夜の声が聞こえる。
フラン、フラン、こっちにいらっしゃい。ずっとずっとほったらかしにしていたのだもの、もっとこっちに寄って、
一緒に居ましょう。もう貴女に辛い想いなんてさせないわ。これから私達は平等。同等の姉妹なの。
一緒にお茶をしましょう。一緒に遊びましょう。一緒に戯れましょう。一緒にお風呂に入りましょう。一緒に同じベ
ッドで寝ましょう。明日はどんな事をしましょうか、今日はどんな夢を観るのかしら。明後日は、明々後日っては何が
起こるのかしらね。
ねぇフラン。お姉様にお休みのキスは無いのかしら。
……フラン……もう、もう突き放したりなんかしないわ。独りぼっちになんてしないわ。お姉様と一緒に、幸せに、
平和に、楽しい人達と、この紅魔館で、暮らしましょう。
嗚呼、咲夜もいらっしゃい。私の素敵な従者。貴女も一緒に、ねぇ?
「……堪えたわ。長い間」
この妄想を終えた頃に、また悲痛の日々が始まる。この悪夢の終焉を夢見て、責め苦に堪えて、フランに出会い、ま
た終焉を夢見て。フラン……咲夜……パチェ……早く会いたい。新しい風のある紅魔館で暮らしたい。
それに、少しだけ希望はあるの。
今まで聞こえなかったフランの声が聞こえる、咲夜の声が聞こえる。どこか遠い気がするけれど、これは私の作り出
す理想の幻なんかじゃあない。間違いなく、いえ、絶対に貴女の、本物の貴女達の声。今までこんな事なかったもの。
現実に近づいてきたのよね。きっと。
だから私は堪える。歯を食いしばって、身を焼かれる苦しみに、親しい人を殺される悲しみに――。
「――良く堪えるものですわね。流石は、吸血鬼姉妹の姉」
「フランが堪えたの。私が堪えれない筈がないわ。私はあの子を、これから守らなきゃいけないの。幸せにしてあげ
る権利があるの。あの子の望みを叶えてあげねば成らない、使命があるのよ」
「――想いの力は、強いって? 面白い考えを持っているのね、吸血鬼のクセに」
「喧しい。そんな罵倒なにも痛くない。ヘタレ罰。腑抜け罰。へなちょこの腐れ想念」
「――強いのね。いえ、強かったわ。これだけ執拗な仕打ちを受けた吸血鬼だって、そうそう居ないでしょう。まぁ、
私の知っているそれに堪え続けた吸血鬼って言うのは、フランドールスカーレットだけれど」
咲夜の顔が、歪む。顔の部分だけが、砂嵐のように、幾度も幾度も消えては映り、消えては映り。
「―――貴女は、結局誰なのかしらね。人間の想念にしては、何かが可笑しい。何処かが可笑しい。私が嫌がる事を
常に、ピンポイントで延々続けてきたわ。もうこれで何度目かもサッパリ解らないけれど。貴女本当に、ただの想念な
のかしら」
咲夜の顔は、そこでピタリと静止した。同時に私の部屋は崩れ去り、真っ黒な空間だけが支配し始める。常闇が広が
る亞空間。感覚だけれど、直感だけれど、多分。ここは、『何か』の最深部。
「私はフランドールスカーレット。貴女が妹に廃棄し続けて来た罰の想念。そしてフランドールスカーレットの、恨
み辛み妬み嫉みの、集合体」
「なっ―――?」
バカな。この『咲夜』は、何を言っている……? 鵜呑みになど出来ない。出来る筈もない。フラン自身が私への罰
だったって言いたいのかしら、この大馬鹿者は。
いえ、違う。そんな筈―――。
「違うかもしれないし、本当かもしれない。何せ五百年、私という想念はフランドールスカーレットに住み続けてい
たのだから。もしその名前が気に入らないのならば、苗字だけでも良いわ。私は、スカーレット」
「誰が!! 誰がその名前で呼ぶものか!!」
「肯定も否定も貴女が決めれるわ。答えがどうあれね。でも五百年。五百年よ? 五百年も同じ体に居たら、同化し
てしまっていても、不思議ではないと思わない?」
「五月蝿い!! お前が……お前みたいな鬼畜が、フランな訳があるかっ!!」
闇に絶叫が吸い込まれて行く。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッッッッ!!!!!!!!!!」
『咲夜』が解ける。それは解けて、闇に混ざり、形を形成して行く。当然、勿論、当たり前だけれど……そう、フラ
ンドールスカーレットの姿を模し始めた。
思わず歯軋りする。
こいつは違う。何もかもがフランそっくりだけれど、違う。
「――行くわよお姉様!!! 全部、全部受け止めてねっ!!!」
もしこれが最後の罰だとしても、そうで無いにしても。
フランの姿で戦闘を挑まれたのならば、仕方無い、フランではないけれど、仕方が無い、仕様が無い。私はフランド
ールスカーレットを全て受け入れると宣言した。宣言して、ここに居る。ここまで堪えて来た。
だから私は、例えこれが偽物でも――フランの姿を模しているのならば、全力で受け止めなきゃいけない。
「ビビッて小便チビるんじゃないわよ、この小娘ェェェェェッッ!!!」
「だぁぁぁぁぁれが!!! この馬鹿姉ぇぇぇッッ!!!」
暗黒に、紅の弾群が二つ浮かび上がる。遠目で観れば、まるで星雲のような密度の弾幕と弾幕が、正面で激突する。
右翼にて二千五百の弾が相殺しあい、左翼にて一千七百の弾が爆砕した。
「粉微塵にしてやるッッッ!!! レミリアスカーレット!!!」
「やっかましぃ!!」
弾幕を突っ切り、二人で衝突する。私の腕はギチギチと蠢き、超速度でフランの頭部を消し飛ばしにかかるが、完全
に読まれていたのか大空振り。体勢が崩れた所に、フランの細い脚が光のように飛んでくる。
こんなものが直撃したら、幾ら私といえど文字通り粉砕されかねない。
ツバサをはためかせて三次元的に無理やり避けきる。私は振りぬいた脚をひっ捕まえて、闇に放り投げた。
「シャアアアッ!!!」
「くっ、出鱈目だわ」
視界の外で放たれたらしき大弾を主力とした流弾が上部から襲い掛かってくるのを、数十分の一秒で見切ってかわす。
熱量を多大に含んだ弾は私の服を焦がし、常闇に吸い込まれていった。即座に切り返しにかかった私は、降り注ぐ赤い
直線弾を往なしながら左翼に囮弾を配置、間髪入れずぶっ放ち、下部より本弾を超高速で混ぜて放つ。
フランの弾幕と私の囮弾が相殺し、その真中を超高速弾が抜け―――
「くらえっ!!!」
フランの腹を貫く。
「ぐっ!!」
「はい、イッキおちたー」
「五月蝿い!! 五月蝿い五月蝿い!!」
フランのどてっぱらに風穴が開いた。私は逆上させる為わざとらしく指を刺して笑う。その策にまんまとハマッたフ
ランは、早くも発狂し始める。そんな下手くそな弾、当たるわきゃないでしょ、ばぁか。
「ほら、ほらほら? どぉこを狙っているのかしら? フランちゃんは弾幕ごっこがヘタでちゅねー」
「むかっ……ムカツク……レミリア……レミリアァァァァッッ!!」
「!?」
なんて反則。発狂弾に混じらせて……目の前湧きの追尾弾!?
「あたって、たまるかっ!!」
ギチリ、と首の骨が軋む。かわし切れなかった数発が私の腕と足を貫いた。まるで空間に交わるように、サラサラと
解けて消えて行く……。これは、ちょっと経験した事がないわ。
今まで通りなら……意識すれば例えこれが夢でも元来の能力の通り、リジェネートするはずなのに……。
「アハハハハハハッッ!! こっちだって、本気なのよっ」
「くぅぅ……ッ」
中に浮くように存在しているから、あまり行動に支障は無いにしても、肉弾戦に持ち込まれると厳しい。向こうもそ
れを理解しているのか、二、三枚の弾幕の壁を張って突撃してくる。
「逃がしはしない!! お前は永遠に悪夢を彷徨うのだからっ!!」
レーヴァンティンを振りかざしたフランが、閃光の如く瞬時に間合いを詰めた。右から左からと迫り来る囮弾をかわ
し、迫るフランに対して大弾を張り続ける。次第に難易度が増し、正直私は焦り始めた。
「絶対に!! 絶対に目を開けさせはしない!! 永久の罰に沈め、レミリアっ!!」
「チッ……小うるさい妹ねっ」
常軌を逸脱した軌道を描き現れるフラン。私は……グングニルを抜いた。魔具が衝突し周辺に衝撃波が発生し、それ
と共に辺りにばら撒いてた弾が消え失せた。
向こうは両手、こちらは片手……分が悪すぎる。鬼の形相で私を駆逐しようと襲いくるコイツは、一体なんだったか。
今の今まで、何百何千と繰り返してきた悪夢の中で、一度でも戦闘を行った事があったか。
いいや、ない。必ず一方的に私が責められるだけであった。私が悪夢を退けないのを良い事に、自ら死んで私へ精神
的なダメージを与えようとしていた時期もあったが、こんな事は一度も無い。
――もしや、私がフランを殺せない事を知っていて、フランの姿を模している?
――そりゃそうよね、あれだけ夢の中で愛してると、叫んだのだもの。わざと模すわよね。
「お前が目覚める事など、誰も望んじゃいないっ!! 誰もお前を心配なぞしていないっ!! さぁ、さぁ殺してみろっ
私を、私を殺して見せろレミリアァァァッ!!」
「なる、ほど」
これが最後の責め苦、か。
思い切り力を込める。筋肉がぶちぶちと千切れたが気にしない。レーヴァンティンを弾き飛ばして、思い切り距離を
取る。
「もう目覚めが近いのね」
「さぁ、どうかしら? これも罰の気まぐれかもしれない。フランの気まぐれかもしれない」
「――いいえ、違うわ。誰かが望んでいるの。とてもとても遠い声だけれど、これが何時の声だかも解らないけれど、
私の愛しい人達の声が聞こえる。私に、目を開けてもらいたいと、願う声が」
「!?」
言葉の端から、相手がどのような事を考えているか推理する。答えは一つ。
もう罰は終るのだ。
今まで描けなかった私の運命の、先のビジョンがありありと思い浮かべられる。
「焦っているのね。罰がもう直ぐ終るから」
「終らないわ。終らないわよ。貴女はここで、妹と永遠に弾幕ごっこするの。けれど貴女は妹を殺せない。だから、
必ず負ける、負け続ける」
「ははっ」
「な、何よ。何が可笑しいのよ!!」
ふつふつと、ふつふつと私の中に希望が湧きあがる。今までに無い速度で、現世の生への固執が思い出される。フラ
ン、咲夜、パチェ、小悪魔、霊夢、魔理沙、美鈴。一人一人の顔が思い出される。
「アンタっていうのは、始めっからずっと思っていたけれど、本当に馬鹿ね。なんか、期待しちゃうわ」
「そうなの? ふふ、だったらどうするのかしら?」
「人間も吸血鬼もね」
「えぇ」
「期待すると、力が湧いてくるもんなのよっ!!」
私は期待してしまう。コイツを殺せば、悪夢から抜け出せるんじゃあないかって。これが悪夢の最終試練なんじゃな
いかって。
「貴女は、喋りすぎたわ。想念の化身」
先も見えない天に向かい、私はしっかりと腕を突き上げる。だったらさっさと終らせてやる。
終らせて、終らせて、終らせて、終らせて!!
――――――終らせて、目を覚ます!!!
「神槍!! スピア・ザ・グングニル!!!! 避けるんじゃないわよぉぉぉぉぉぉッッッ!!!!!」
私は満面の笑みを湛えて、かつての自分を取り戻すかのように大宣言する。
くたばれ妄念。
くたばれ想念。
くたばれ、
くたばって、
……消えて失せろ。
力が湧きあがる。気持ちが高ぶる。忘れていた闘争本能が活性化する。目的を粉砕せよと脳髄が熱くなり、全身に命
令を下す。血が回り、筋力の限界を超えるような衝動に、身体が唸る。
「お、お姉様……こ、怖いわ……そんなの食らったら……私……痛い、痛いわ」
フランの顔から……
「お嬢様……お嬢様……やめてくださいまし……」
咲夜の顔になる。
はン。今更、そんなのウザッたいだけよ。
それにもう遅い。
紅き力が集束し、悪魔が顕現した。
私を取り巻くのは数百の槍。その一本一本は、山を砕き海を干上がらせ森を焦土として街を爆砕するだけの力がある。
「――あ、そう」
私は、端的に本心を伝える。語るに及ばず。アンタは、貴様は、フランドールスカーレットなんかじゃあない。貴様
は、私の可愛い可愛い、妹なんかじゃあないのだから。
「いや、何よその大発狂……うそ、やだ、かわせな、ああぁっ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」
フランドールスカーレットを模した罰に、紅い紅い豪雨が降り注いだ。
一撃、二撃、三撃。闇に放り出された体が、魔槍に踊る。
そう、フランが良く玩具にしていた人形そっくり。やがてそれは四肢を失い、バラけて散った。
「チェックメイト。ああ、何となく言ってみただけ。私チェス弱いから」
いざ殺ってみると、あっけないものだ。もしかしたら、もっと早く殺っておけば、もっと早く目を開けられたのかも
しれないわね。後悔するには遅いのだろうけれど。
「……もし本当に、私がフランドールスカーレットの深層の具現だったら、どうする気だったの?」
首だけになった『罰』を拾い上げると、それはブツブツと呟き始める。
「否定出来ない可能性だったでしょう。罰は、フランドールスカーレットと共存していた。ならば、同化していたか
もしれない。同化して、深層に食いついていたかもしれない。その罰は共存して、乗っ取って、貴女に罰を与える復讐
のフランドールになっていたかもしれない」
「私、憶測でモノを考えるのが苦手なの」
「――嘘おっしゃいな」
「……貴女は、フランなんかじゃあない。貴女は醜悪な私。私が放置してきた、私の罪悪感と想念が混ざって成った、
私を縛る罰の具現。どう?」
「ご明察通り……。口惜しい。少しでも疑っていたならば、更なる責め苦を与えたというのに」
「もういらないわよ。左様なら、私。また罰を受ける時に出会いましょう」
空中に放り上げられた首は、私のグングニルで、一撃消滅した。
さぁ、次だ。次が待っている。言わなきゃいけない事が残っている。
……。
目を閉じて落ちて行く先はいつもそこ。行き着く先は必ず、ベッドの上。もう飽きる事に飽きる程繰り返してきた。
その度にクッキーを食べさせられた。何時になっても分量があわせられず、常に甘い甘いクッキーだった。
「お姉様!! お姉様!!」
このフランは……いつも最後に現れるこのフランだけは、私に悪さをしなかった。
「なぁに、フラン」
「私、クッキーを焼いたの……分量を間違ってしまったけれど……」
「そう」
きっとこのフランだけは、私が最後の精神の砦として用意した……純粋な私の妄想なんだと思う。
「お姉様、食べて、食べてくれるかしら? 私――がんばったの」
「良かったわね」
「え……食べて、くれないの……?」
「うん。だってね―――」
さぁ、言わなきゃ。これで、悪夢の輪廻を終らせなきゃ。もう、貴女に頼る事はないの。
私は、目を覚ますのだから。
もう、甘いクッキーは食べ飽きたわ。
ささやかなる終章 腐れ爛れた夢現の向こう側
新しい生活を受け入れようと思う。
幻想郷は暖かで、辛い事も少ないし、皆面白くて可笑しくて、馬鹿らしくて、それが楽しい。
新しく開けた世界を甘受しようと思う。幾億幾兆ある瞬間瞬間の選択肢を迷わず決断して、まだまだ見えない未来を
目指していこう。
それはきっと楽しい。幸せだろうし、気持ちが良いだろう。
ここは楽園。
幻想を幻想として包容する、懐の深い理想郷。私達吸血鬼だって受け入れてくれる。お姉様は妖怪の本分をまっとう
するより、紅魔館でお茶を飲んでいた方が楽しい、なんて言ったらしい。
だからこそ、この幻想郷に越して来たのだと思う。
……それは私にとって、お姉様にとって劇的な変化を齎す事になったけれど――きっとそれで、良かったんだ。
ここでは、罪を作る事がない。ここでは、重い罰を受ける事もない。
皆で楽しく、お茶を飲んでいればいい。そういう所だから。
ここは楽園。
私達は、新たな世界での可能性を望む。
「吸血鬼、また神社に何の用事よ」
「いいじゃない。ここは居心地が良いのだから。ねぇ、お姉様?」
「……」
「え……あ、貴女……」
「紹介するわ。私の愛しいお姉様。レミリアよ」
「……ごきげんよう、博麗の巫女」
「また、神社が賑やかになっちゃうわ。参拝客が減っちゃうわよ」
「フラン。フラン」
「なあに、お姉様?」
「――――――この子、本当に霊夢に良く似ているわ」
ある晴れた日の事。
お姉様は久しぶりに外へ出た。目を閉じてしまってから……もう何年経ったのやら。博麗の巫女は、今霊夢の曾孫
の代。口惜しい事に、霊夢は去年、この世を去っている。
最後の言葉は何だったかしら。ただ、レミリアお姉様に会いたがっていた事だけは覚えてる。若い頃の思い出だもの
ね、老婆になっても、記憶はハッキリしていたし。
人間って美しいわね。子孫を残して、脈々と血を繋いで行く。儚くて、脆くて、矮小だけれど、桜にも似たその虚し
さは、本当に美しいと思える。
「うお……マジかよ……レミリア、レミリアか!?」
それに比べてこいつと来たら、どこまで行っても霧雨魔理沙。我道に障害なし。
「久しぶりね、魔理沙」
「あはははっ!! そうかそうか、目が覚めたのか!! 今日は宴会だぜ、紅白、宴会の用意!!!」
「自分の友人でしょう? 貴女曾お婆ちゃんの頃からそんなだったの?」
「魔理沙はずっとこうだったわ」
「まぁまぁ、こーしちゃいられない!! みんなかき集めてくるぜッ!!」
歳を取る毎に余計に元気が出たのか。あの頃から少しだけ成長した姿の魔理沙は、若い頃より張り切っている。一時
期霊夢が他界して大分落ち込んでいたけれど。でもこんな根暗じゃあない魔法使いって言うのも、なんだか嫌ね。
ま、可愛らしいからいいのだけれど。
「私達は行く場所があるから一端失礼するわ。これから、お姉様と仲良くしてあげてね」
「はぁ……えぇえぇ、いいわよいいわよ。適当にやりなさい」
「今代の巫女も、やっぱり話が噛み合わないのね」
「みんな自分勝手だから」
罰は長いものだった。明日はまだか、明後日は目を開けないのかと悩む事すら忘れてしまうほどに、長い月日だった。
いつ終るともしれない罰の波紋を受け続けたお姉様は、酷く丸くなっていたけれど……目を開けてくれたあの日、私が
どれだけ嬉しかった事か、紅魔館がどれだけ活気付いた事か。
何度も何度も、二人でごめんなさいをした。私と、お姉様と、パチェと、小悪魔と、美鈴で、その晩ずっと泣き明か
した。涙が枯れて体が萎れてしまうんじゃないかって位泣いたところで……お姉様は、酷く悲しそうな顔をした。
『咲夜は……?』
その言葉は……時を忘れていたお姉様にとって、もっとも重要な言霊だったと想う。
「幻想郷は変わらないわね」
「うん。ここはずっと平和」
……もう慣れ親しんだ幻想郷の空を飛ぶ。初めて飛んだ日も、たしかこんなに晴れ渡っていた。
お姉様の顔を伺う。
お姉様は、複雑な表情をしていた。もうこの幻想郷に知っている『人間』はいない。
博麗霊夢に敗れて以来、虎視眈々と復讐の機会を狙っていたのに、無念で仕方が無いのかもしれない。それに、強い
妖怪は強い者を好む。好ましく思っていた人間が天寿をまっとうしてしまっていたら、それは落ち込むだろうし、肝心
な人が居ないものね。
「フラン」
「えぇ」
「人は、儚いのね」
「そうね。でもあまり感傷的になると、吸血鬼としての威厳を疑われるわ」
「……大人になったのね、フラン」
「沢山の事を学んだ。沢山の経験をした。悲しい想いも嬉しい想いも、沢山受け入れた。でも大丈夫、私は、過去も
未来も、ずっとお姉様の妹」
「……えぇ、そうね。貴女は私の妹……ね」
人里上空で停止して、そのまま降り立つ。昼は人々で賑わいを見せていて活気がある。あれから多少人口が増えたら
しく、昔の幻想郷より人間を見かける回数が多くなった。
数人が私達の様子を見て、すれ違い様に頭を下げる。決して怖れられている訳じゃなくて、紅魔館が人里の守護と経
済の一部を担っているから。地主様みたいなものね。
「それにしても、人里で何をするのかしら」
「えっと、たしかここを曲がって、長屋の並びの……右手の、北から四番目……」
「フラン?」
時は過ぎ、時代は移り変わり、世代も交代して何度目か。
レミリアお姉様の希望が打ち砕かれて、どれだけの年月が経ったのか。
――十六夜咲夜の失意は、どれほどのものだったか計り知れない。
けれどそれも今日で終わりだ。
もう悩む事はない。
本当に本当に、心から――――――間に合ってよかったと、安心する。
「入るわ」
「フランお嬢様。わざわざこんな所になんでまた」
長屋の一部屋。そこには、大分歳を召していても瀟洒な空気を失わない一人の老婆が住んでいる。
「たまには様子を見にこなきゃいけないでしょう。孤独死されたら、私お姉様に顔が立たないし」
「……そちらの……方は……まさか……うそ……うそ……」
「嗚呼……こんなに、しわくちゃになって……」
数十年の邂逅。
咲夜の震える手がお姉様に触れる。年老いて、若かりし頃の面影が消えて久しい、疲れた手がお姉様に触れる。
「咲夜……咲夜……咲夜……嗚呼、嗚呼……私の……私の愛しい従者……さくや……」
「お嬢様……お嬢さま……おじょうさま……」
……私が咲夜に能力の使用を迫った日。咲夜は……それを拒んだ。
『私は親しい人の為にならば全力を尽くします。けれど、これが最善だとは、とても思えない。ごめんなさい、フ
ランお嬢様。やはり主人は、生涯一人、レミリアスカーレットお嬢様のみ、ですわ』
そういって、咲夜は紅魔館を去っていった。何度も何度も戻るよう要請したけれど、咲夜は頑なだった。
自分の手で、主を危険に晒す訳にはいかない。精神死が確定していようと、肉体が生きてるならば、いつか目を覚ま
してくれるはず。余計な手を加えて『儀式』を邪魔する訳にはいかない。失敗してお姉様に死なれたら、それこそ生き
ていけない。
親しんでいたからこそ、もう傍にはいられなかったのかもしれない。メイドとしてのプライドもあったのだろう。主
人が居なければ、従者の意味が無いから。
「……お嬢様……こんなになってしまいましたけれど……おまち、お待ち申し上げていましたわ……」
「えぇ、えぇ、貴女は素敵で完璧で瀟洒なメイドだもの……貴女は、素晴らしいメイドだもの……ありがとう……あ
りがとうね……咲夜……待っていてくれて、ありがとう……」
「あ……ああっ……うっ……おじょう、さま……」
年老いて変わってしまった咲夜と、あの頃から何一つ変わらないお姉様が抱き合い、泣き崩れる。
二人を見ながら、私は想う。
嗚呼人間とは、本当に強いものなのだと。最愛の主人が眠り姫と化して尚生き続け、主人が目覚める事を信じて来た
その想いは、なんて絶佳なのだろうと。
「さくばあちゃん? 誰か居るの?」
戸口に一人の女性が現れる。若い頃の咲夜と見間違うほどの、明らかに血を受け継いだ子。
想いは輪廻し、人は輪廻し、血は受け継がれ後世へ脈々と伝って行く。流れなど無視するものじゃない。不自然に永
遠を望むものじゃない。全てはあるままに。
何も悲しむ事なんてない。
何も絶望する必要なんてない。
幻想郷は楽園。
そして新しい世界は美しい。
私達姉妹は、この幸せな世界を肯定して生きて行く。
「咲夜、皆でお茶にしましょう。久しぶりに、貴女のいれた紅茶が飲みたいわ」
「――はい、はい……、レミリアお嬢様……」
私への想いなど何時でもいい。私達は永遠だから。
今はただ、咲夜の為だけに、時間を使って欲しかった。
愛しているわ、お姉様。私の愛しい、愛しいレミリア。
この私の想いは無限かもしれないけれど、咲夜の想いには限界があるから。
これからは、流れに背かず、皆で、想いに力があると信じて、幸せに暮らして行きましょうね―――。
end
十六夜咲夜の門番考察 前 後
Very very sweet Cookie
の流れを組んだお話、
腐れ爛れた夢現の狭間で の後編となります。
人によっては不快に感じる描写があるかもしれません。ご注意ください。それでも宜しければ是非ともご一読くださ
いませ。
※べりーべりーすうぃーとくっきーず
諦めが人生を殺害するなれば、今すぐ諦めよう。諦めが悪夢を消し去ってくれるなれば今すぐ諦めよう。けれどやっ
ぱり諦めても無駄。幾ら諦めても地獄はあるし悪夢はやってくる。だからと言って逆に頑張れるか、と問われればそれ
は難しい。
今の私は雲と同じで、生きる事も死ぬ事も無く悪夢を悪夢へと輪廻転生させ続ける単なる概念。
フランは元気にしているだろうか。咲夜は老衰していないかしら。霊夢はまだ巫女をやっているのか。パチェは相変
わらず図書館に篭っているんだろうか。
……私はどうなってしまうんだろう。ココは時間の概念が希薄だ。場面は飛び回り終わる事のない責め苦が繰り返さ
れている。突然速まったかと思えば遅くなり、進んだかと思えば戻る。今が一体何年分目の罰なのか、あまり定かでは
ない。最初は一気に百年進んだ。この頃はどの程度の罰を受けているか知覚出来る重さだったけれど、今は朝昼晩と目
まぐるしく場面が移り変わり戻り進み繰り返されているから感覚や勘で目安をつけるしかない。
今は……生前を思い返せば、多分紅魔館の当主として君臨し始めた頃の初期か中期か。当然憶測だけれど、罰の辛さ
は罪に依存するから、丁度人間を脅かし始めた頃のものの分だと……思う。
……フラン、ごめんなさい、フラン。
貴女はこんなにも重たい罰を受けて尚狂うだけで済んでいたと言うのに、私ときたら……。貴女は本当にすごいのね。
本当に、強い子ね……。もし意識を保てていたなら、喉が潰れるまで貴女に謝りたかった。貴女が許すまで頭を下げた
かった。私が拘り続けて来たプライドなんて投げ捨てて、謝りたかった。
――ごめんなさい、弱い姉で、ごめんなさいね、フラン……。
嗚呼、今日もまた咲夜が来る。この世界の咲夜が来る。現実と同じ姿をした、吸血鬼以上の悪魔が来る。
解ったわよ……起きるわよ……畜生。回想くらいさせなさいよ……畜生……。
ココは本当に腐って爛れた掃き溜めね……まぁ……私の罰なのだから、私が溜め込んだ、汚いものなのだけれど……。
3 腐りかけた林檎を齧る感覚
この世には叶う願いと叶わない願いがある。私の経験した人生なんて、彼是数週間だけれど、それを身に染みる程感
じさせられた。元より選択肢の少ない事柄なのだと思う。どれだけ捻ろうと、お姉様の目を開かせるだけの答えが出な
い。選択肢が少なかろうと努力はしようと思った。パチェが言うように、可能性は薄い。けれどそれでも、考えて、他
力本願と言われようとも力のある人に頭を下げて、想いを形にすれば、きっとお姉様は目を開ける。
想いの力は強いのだと……飽きるほど読んだ本に、書いてあったから。
「……つまり、どの境界を弄ればいいのかしら。睡眠と覚醒? 苦痛と快楽? 目を閉じるのと開く境界? 正直に
いってしまえば、さっぱり解らないわ。それに無理して弄って壊れても、責任が取れないし」
「でも、でも貴女は幻想郷で一番力を持った妖怪なんでしょう? ありとあらゆる境界を操る、禁忌の妖怪……」
「肯定するわ。確かに私は全ての境界を操れる。何もかもの境界をあやふやに出来る。けれどね、弄った結果、そこ
に生じる如何なる不都合にも、責任は持てないの。好都合と不都合の境界だって操れるかもしれないわ。でも、それも
結局強行突破でしかない。その後どんな反動があるか解らない。この小娘を無理やり叩き起こす事に変わりは無いの」
「でも……でも……でも……」
「何をそんなに急ぐ事があるのかしら。百年だろうと二百年だろうと、時間が立てば目を覚ますのよね? 吸血鬼に
寿命なんてあるのかしら」
「それは……その、だから……」
「私は別に、この小娘が憎くて言っているんじゃないわ。この子に関わるありとあらゆる妖怪や人間の精神的安定を
考えれば、目を開けさせるべきだと思うもの。幻想郷の者が不安定だと、問題を起すし。けれど弄った結果この子が壊
れてしまっては、悪化しかねないわ。吸血鬼の死もそうだけれど、何処か間違って暴走されたら困るもの」
それは今から数時間前の事。
境界を操る妖怪……八雲紫は、そういってまた、来た時みたいに消えていった。
正論なのだと思う。全くもって否定出来ないし、反論も出来ない。物臭で有名な八雲紫がわざわざ足を運んだのだか
ら、適当な気持ちでやって来た訳ではないと、私でも解る。
けれど、それで納得してくれと言われても、困る。
お姉様に目を開けて貰いたいのは、私の望みでもあるし、何より、咲夜を思うと尚更だ。目を真っ赤に腫らして泣き
崩れる咲夜は、私の心の底にずしりと重いものを落としていった。この重みに堪えきれるかといえば、堪えれるのかも
しれないけれど、辛い。客観的な私から見てそう受け取れるのだから、当の本人は死んでしまうほど苦しいに違いない。
美鈴やほかのメイド達はまだしも……そうなるとパチェ辺りはどのように思っているのだろう、と考える。
食堂では「私たちは良いけれど」なんて言い方をしていたけれど、それは本心だったのかしらね。
「パチェ、いるかしら」
大図書館の大きな扉を押し開いて、出来た隙間から顔を覗かせてみる。パチェが居るのは図書館の中心であるから当
然ここから声をかけても聞こえないだろうけれど。
突然倒れてきたら私でもただでは済みそうに無い、ぎっしりとモノがつまった本棚の列。ここには歴史、科学、魔法、
呪術、思想からクッキーの作り方まで、ありとあらゆる知識が詰まってる。人間だけでは無く、悪魔やら神様に近いよ
うな存在が手がけた本もある。まだ私が閉じ篭っている頃、良く本を借りに来た。
ひょんな事で本棚を粉砕してしまうからあまり好まれてはいなかっただろうし、読んでも大抵の事が右から左へと抜
けていったから、同じ本を何回も読んだかもしれない。
紅魔館の中では、もしかしたら一番馴染みが深い場所。それに、パチェは私のお目付け役だったし。
「パチェ?」
「え、レミィ……!?」
「違うわ」
古めかしくて大きな机に伏していたパチェが勢い良く飛び跳ねて振り返る。なんだか、その反応一つで全部解ってし
まったような気がする。目は咲夜みたいに真っ赤だし、机に乗ったティーカップにはなみなみと紅茶が残っていて、一
口もつけていない事が解る。
八雲紫が最後の手段だと、パチェも覚悟していたのかな。
「ごめんなさい、私ったら」
顔を拭って、いつも通りのアンニュイな表情に戻す。無理しなくても良いって言いたいのは山々だけれど、私にはそ
んな事を言う資格が無い。この紅魔館でお姉様と一番付き合いが長いのは、私ではなくて実質的にパチェだもの。
今の状態をパチェが好む筈が無いし、「私たちは良い」なんて筈も無い。
「……。上白沢慧音は全く。八意永琳も無理、八雲紫には止めた方が良いって忠告された。あの妖怪は底が知れない
けれど、言う事が間違っているとは思えない。幻想郷の支配者に言われたのじゃあ、否定出来ないわ」
「そうね。元から望みが薄かったのだし、仕方が無いわ。境界を弄っても無理なら、きっと何をしても無理ね」
私は椅子を引っ張ってきてパチェの隣に腰掛ける。確かお姉様もこんな風にしていたっけか。仲良いのね。
「でも、八雲紫は何故駄目だと言い切ったのかしら。それだけの力を持っているのに」
「……モノには流れがあるの。流れを無視する事を原因として齎される結果は、いつも不都合よ。例えばこぁが入れ
たこの紅茶。入れ方の手順を飛ばしたりすると、香りが減って美味しさが半減してしまう。クッキーだって作り方を省
いたら、美味しくはないでしょう。例え、気持ちが篭っていたとしてもね」
「パチェの説明は解り易いわ。でも、その結果すら弄れるんじゃあないの?」
「その結果を弄ると、また手順を省く事になる。そして更に弄ってまた省く。結局残るのは不都合ばかりで、堂堂巡
りになってしまうのよ。私自身が扱える訳ではないから断言も出来ないけれど、あの能力は結構曖昧なのよ」
「じゃあ逆にはっきりしている能力って何かしら」
「私のように精霊魔法を使う、なんて限定するものや……ごほっ……白黒はっきりつけるなんていうのも、死を操る
なんていうのも決まっているわ。それを引き合いに出すと、そうね、ありとあらゆるものを破壊する程度の能力や、時
間を操る程度の能力なんかは……ん、んん……たぶん最悪に不確かね」
「そうかしら?」
私は自分の手を見つめて、握ったり開いたり。苦痛は知っているけれど、苦労を知らない手にはマメもない。
「……とはいえ、勿論破壊出来るのは物質だけでしょうけれど。概念まで破壊出来たならば凄いわね」
パチェが溜息を吐く。何となく考えている事が解った。
「概念や事象を破壊できたら、ね。でもそれじゃあ八雲紫とあまり変わらないわ」
「……貴女、本当に察しが良くなったのね。驚いたわ」
パチェが言いたかったのは、お姉様が目を開けないと言う事実が破壊出来たら、と言う事だ。でもそんな事をしたら、
やっぱり不都合が出ちゃう。境界を弄るのも、概念を破壊するのも、結局はショートカットだもの。お姉様が罰を受け
ていると言う事実に対しての究極的な否定方法だから、やっぱり出来たとしても、恐いか。
「……はぁ」
「フラン、ごめんなさい……げほっ………げほっ!」
「今日は調子が悪いみたいね。ほら、何も謝る事なんかないから、ゆっくり呼吸して……」
私はパチェの背中を摩る。けれど彼女は何を思ったのか、冷え切った紅茶に手をかけて一気に飲み干して、まずい、
と一言だけ言い放つと……瞳に涙を溜めて、私に縋りついた。私は訳も解らず困惑するけれど、パチェはお構いなしに
顔を押し付けてくる。
これではまるで私が悪いみたいだわ。
「げほっ……私は、私はね、私は間違っていなかったと、思うの……。レミィが普段……んっ、ごほっ……見せない
顔で何度も相談に来るから、それに答えてあげなくちゃって思って……助言したわ。貴女は姉なんだから、ん、はぁ、
妹の事を受け止めてあげなさいって。何故フラン、貴女が閉じ、げほっ……げほっ……込められているか、何故能力を
扱いきれないか、私は知っていたから。根本的原因を取り除けば、かならずフランは普通に生活出来るようになるって。
解っていたけれど、それまでは何にも言えなかった。姉がその気じゃないのなら、ふぅ……ん、う、げほっ……意味が
無いから。妹を助けたいと思っていなければ、この姉妹には幸せなんてこないと思ったから……だから、レミィが私に
相談に来た時は嬉しかったわ……げほっ……んっ」
先ほどから、パチェの様子が可笑しい。何度も咳払いをして苦しそうにする。
「パチェ、無理しないで……」
「げほっ……言わせて、言わせて欲しいの……ん、んんっ……だから、解りやすい様に助け舟を出した。でも、結果
はこの通りだったわ……げほっ……私は、私はフランを、舐めていたのよ……妹が堪えれる罰を、姉が堪えられない筈
がないって……わたし……ぜぇ……んっ……」
「パチェってば、休みましょう。無理しちゃ駄目よ」
「いいから……げほっげほっげほッ!!」
「咲夜!!!!!」
「ここに」
呼吸が乱れて、完全に私に寄りかかるようになる。見ていられなくなり、思わず咲夜を呼んだ。咲夜は呼ばれると同
時に現れて、彼女を背負ってすぐさま姿を消す。パチェの自室だと思った私はそちらへ飛んで行く。
「喋ってはいけませんわ」
「ぜぇ……ごほっ……でも……」
図書館の内部にあるパチェの部屋は、図書館とあまり代わり映えが無いほど本に埋め尽くされていた。その中の一角
にベッドが備え付けてあって、本人もうに横になり、咲夜に背中を摩られていた。
「パチェ……」
「フラン……私は……私は間違っていたかしら……? 結果がこれでも……貴女だけが罰を受け続けるのは……不当
だと……げほっげほっ!!」
「パチュリー様……ですから」
「言わせて、苦しいだけで、死んだりしないから……フラン……不当だと思ったから……説いたの……フラン、私は
……間違っていたかしら……」
喉をヒューヒュー言わせ、痰が絡んだような呼吸のまま、胸を押さえつけるように話すパチェが痛ましい。その問い
……と言うよりは懺悔にも近いコトノハに、私はなんと答えるべきなのだろう。
パチェが助言しなければ、お姉様は変わる事なく普段通り、私もまた薄暗い部屋に閉じ篭ったままだった。パチェが
助言したからこそ、私はこうして外へ出る事も出来る。けれどお姉様は目を開けない。
パチェが悪い……?
「パチェ……私は……」
まさか。
「これは、私達姉妹が悪いのよ。パチェが気を病む必要なんて何もないわ。もうゆっくり休んで、ね?」
これは、結局スカーレット家の問題。原因が何処にあるにしろ、もう居ない人物は責める事も出来ないし、新しい可
能性を見出してくれたパチェを責めるなんて出来る筈も無い。結果どうあれ……悪いのは私たち自身……私の、所為な
のかもしれない。
「まだ……一つだけ。咲夜……? げほっ……んっ、んんっ」
「……はい」
呼びかけられ、咲夜は摩る手を一端止める。
「ちょっと落ち着いたわ……げほっ……貴女達には解決法は無い、と言ったけれど……ない事も、ないわ」
私と咲夜の目が合う。八雲紫の可能性さえ否定していたのに、まだ策はあると言う。パチェは大きく息を吸い込んで、
ゆっくり吐き出し、私と咲夜の手を取る。
「これは……レミィの事を考えて……それと、私が怖かったから言わなかったのだけれど……ふぅ……んっ……咲夜、
貴女は、時間を止めるだけでなく、進められるでしょう……? げほっ!! んっ、ごほっ……」
「パチュリー様。もういいです、もういいですから……」
「げほっげほっ……ごめんなさい……私もレミィは可愛いの……不確定な未来が怖いの……でも、咲夜や、霊夢や魔
理沙は妖怪ではないから……気長に待っていたら死んでしまう……フランだって折角普通に……生活出来るようになっ
たのに、お姉様が居ないんじゃあ、今までより……ひど、げほッ……」
「仕方、ありませんわ。パチュリー様、もう――」
「えぇ……えぇ……」
パチェが目を閉じる。ゆっくり呼吸して、私と咲夜の手を強く握っている。
パチェなりに色々考えがあったんだ。でもそれを口にする事は憚られた。お姉様本人がどうなってしまうか解らない。
未来が見えないから。八雲紫が否定した事実をその通りだと言ったのは、それが理由なんだと思う。
「……咲夜、後でお姉様の部屋に来て」
「はい」
「パチェ。貴女は何も、何も悪くない。貴女は、一番私達姉妹の事を考えてくれる……一番の親友よ」
「フラン……ほんとうに、見違えるほど……立派になったわね」
「うん……」
私は、漸く収まってきたパチェの手にキスをして、その場を立ち去った。
考えるべき事が……ある。
※べりーべりーすうぃーとくっきーず
これほどまでに軟弱だったとは、我ながら形だけのカリスマだわ。少し気が緩むと、思考がネガティブに疾走し始め
て戻るのに時間がかかってしまう。当然体感的な時間だけれど、一日くらいかかるのかもしれない。
私は罰を受けると決めた。妹に預けていた罰を引き取った。そこにあった感情は、紛れも無く本物であったはず。生
半可な気持ちで妹を解き放とうなどとは、考えていなかった。パチェの予言めいた助言は的を射ていたし、私もその言
葉を疑う事なく、罰を受けた。
パチェは何も悪くない。私達姉妹を案じてくれていたのだから。何が親が悪いだ。そんなもの最初から蹴飛ばして、
さっさとフランを解放しなかった私が全部悪いに決まっている。思考停止して妹の事を考えてやらなかった私は、これ
くらいの罰を受けるのも至極当然だ。
いいわよ、来なさいよ。形の無いあんた等思念の統合体如きの恐怖、必ず受けきって見せるわ。ったく、吸血鬼なん
かに震えて脅えるあんた等が軟弱なのよ。物理的に吸血鬼を排除出来ない代わりに厄災を齎すなんて、一体どんなロジ
ックが組んであるのかしら。因果応報を形にしているのかしらね。厄介ね、まったく厄介。
「……痛いわね」
「おはよう御座います、お嬢様」
今日も思念の権化が目覚めに現れる。調子くれちゃってまぁ、行き成りナイフで串刺しとは、頭に来るわね。
私は腹部に突き刺さったナイフを引き抜いて投げ捨て、深く溜息を吐いてから咲夜に笑いかける。
「おはよう、今日も最悪に素敵ね、夢の従者」
「はい。この”夢”も大分深くなって参りましたわ」
私は一瞬耳を疑う。どのくらいかは知らないけれど、長い間罰を受けてきて……向うから状況を説明するなんて事は
一度もなかった。
「どういうことかしら」
「こういう事ですわ」
意思疎通が皆無であった咲夜と、話が繋がる。夢が深くなってきたとは、より夢の住人と繋がりが深くなったと取る
べき意味合いなのだろうか。
咲夜は……おもむろにナイフを取り出して、己の眉間に突き立てた。
「……アンタ、なにしてんのさ」
「……痛い……痛い……レミリア……痛いわ……」
ドン引きした。思わず生唾を飲み込む。咲夜は眉間を貫いたナイフを、まるで鍋でも混ぜるかのようにかき回す。動
かす度に血が噴出して零れ、尚も押し開いて行く。淡々と、淡々とナイフで脳みそを掻き混ぜ、その度にエプロンが赤
く染まり、カーペットが紅味を増す。
「痛い……ぎっ……ひぐ……痛い……」
「止めなさいよ」
「痛い……痛い痛い痛い痛い……」
「止めなさいって言ってんでしょうが!!!!」
「けひ」
こいつ……笑いやがった!! そうか、そうね。畜生。私の肉体的苦痛から……今度は精神的な苦痛に切り替えた訳
か。イヤラシイったらあったもんじゃないわ。
ああ……止めろって言ってんのに……私の、私の咲夜に、貴様……何して……ッ!!
「ぐっ」
くぐもったうめき声と共に……咲夜は沈黙して、その場に崩れ落ちた。これがどうでも良い他人なら何て事はないの
かもしれないというか、多分どうでも良いのだけれど……一番近い人間が自らの脳髄を掻き回す様を見せ付けられて、
まっとうで居られる奴も少ないと思う。私も、正直例に漏れず……かなり厳しい。
咲夜……違う。これは咲夜を模した、私の記憶を漁って勝手に罰が作り上げた幻影。だからこれは咲夜じゃあなくて
咲夜の形をした罰。だから私はなんともない。なんともない、なんともない、なんともない。
言い聞かせる、言い聞かせる。嗚呼糞、自分の肉体に罰を受ける数倍厳しい。何よこれ、畜生。
「……咲夜、今日の予定はどうしたのかしら。言ってみなさいよ」
「――――――」
はいはい、死んだのね、死んだわ。罰が死んだ。死んだのは咲夜じゃあなく罰。気にする事じゃない。
私はベッドから起き上がって腹部を探る。……もう刺された後もなければ、服にすら傷もない。出鱈目ね。リアリテ
ィを出したいのなら、それは保存しておくべきだったのに。罰は設定が甘いわ。
くたばった咲夜型の罰を放置して、部屋の外に出る。今日もだだっ広い廊下がなんともうざったい。本物の紅魔館よ
り幾分か広くなっていて、先が真っ暗だ。少し目を凝らしてみても、見えない。闇の帝王吸血鬼が、闇の中も見えない
なんて、夢にも程があるわ。
そう、リアリティなんてない。これは、夢。罰の作る夢幻の檻。だから何も怖くない。
「おはよう御座いますお嬢様」
「あら美鈴。門番はどうしたのかしら」
「あははは」
「美鈴?」
「あははははは」
「ちょっと、何とか言いなさい。笑ってたって解らないわ」
「あはははははははは」
美鈴が此方に、笑いながら歩いて来る。私の目の前に現れると、身長に合わせて頭を下げて、顔を突き出す。
「あははははは」
イラつく。口では心底楽しそうに笑っているけれど、目が全く笑っていない。なまじいい顔をしているだけに、キモ
チが悪いったらありゃしない。
「美鈴、ぶっ飛ばすわよ」
「あははははははははは」
……くっ。
「お願い美鈴、離れて頂戴」
「あははははははははははははははは」
まったく顔も退けようとせず、面と向かって笑う。何がそんなに可笑しい……私がそんなに滑稽か? 滑稽なのはお
前だろうが……。
流石に堪えかねた私は、美鈴を退けるように、手で軽く押す。
「ぶぁ」
美鈴に触れた瞬間、目の前で美鈴は弾け飛んだ。決して遠くに飛んでいった訳でなく、内部に爆弾でも仕掛けられて
いたかのように、四散した。思わず目が泳いでしまう……。
「あ、悪趣味……くそっ」
身体が美鈴の血液で塗れる。奥歯をギリギリと噛み締めて……潰れそうになる胸を手で押さえつける。悪趣味過ぎる。
最悪だ。こんな事を実行しようという罰は、頭が狂っているとしか思えない。思念なんだから頭なんか無いだろうけれ
ど……兎に角、貶さずには居られなかった。
「ヒュー……ヒュー……」
「……」
今度は何だ。
後ろから、何やら空気の漏れる音が聞こえる。本当は振り向きたくない。それに、大体予想が付く。
「ヒュー……あら……ヒュー……れみぃ……美鈴を……ヒュー……殺したの?」
「投げるとバラける玩具みたいに勝手に壊れたのよ。私悪くないわ」
振り向きたくない。明らかに……どこからか、空気が漏れている……。声は掠れて聞き難いし……後ろに居るパチェ
がどんな状況かなんて、確認したくもない。是非とも無視したい。どうせ悪趣味な事になっているんだから……。
「ヒュー……レミィ……どうして……ヒュー……振り向いてくれないのかしら……ヒュー……」
「訳ありなのよ。足が動かないの」
「……ヒュー……私の助言がいけなかったのかしら……ヒュー……ギュ……ヒュー……」
「何がよ」
「ごめんなさい……ヒュー……許してれみぃ……レミィ……」
「貴女は何も悪くないわよ」
「こっちを向いて……謝るから……レミィ……ヒュー……」
私は、思い切り歯を食いしばり……すぐ後ろに立っているパチェへ……振り返る。
「ごめんなさい……レミィ……レミィ……」
「うっぐ……えげつない……」
「わたしは、あ、あ、」
振り返った先にいたパチェの喉元には、風穴が開いていた。胸を苦しそうに何度も掻き毟った後があり、そこはもう
色々、形容しがたく捲りあがっていて、元の面影がない。だから振り向きたくなかったのよ。
「もういいわ、寝ていなさいよ」
「そうね……ヒュー……そうするわ……ヒュー……」
……罰の割には聞き分けがいい。パチェ型の罰は……闇に消えて行く。
夢が深くなっている。つまり、私が一番恐れられていた時期に差し掛かったって事か。これが幻影で、全てが嘘っぱ
ちだと解っていてもかなりエゲツナクテきっついわ。ほら、私が意識したせいで、今度は血が取れていないし。今更な
のよ。やるんなら最初っから演出なさいよ、バカ思念。
ここでくじけてなるもんか。さっきもちゃんと決意した。面と向かって罰食らってあげるわ。だけど飲まれたりはし
ない。私はこの罰をクリアして、現実に戻らなきゃならないんだから。
咲夜や霊夢や魔理沙が老衰する前に。これ以上紅魔館の皆を悲しませない為に……。あらでも……フランやパチェは
死なないし……人間達だって……そこまで……気にしているかしら……。私の思い上がり?
「うわ、やば」
――最悪。今私……『本当に心配しているのかしら』なんて……思っちゃったじゃない。
先ほどの通り、今度の罰は起こって欲しくないと思う事が起こる。それはちょっとまずかったかしら……嗚呼駄目、
考えるのは止め。これ以上深く考えると具現化する。
「お姉様。パチュリーがね」
来やがった。
今度は私の正面から、何かを引き摺って近づいて来る。予想通りなら……たぶん、いや、予想なんてしたくもないし
すればきっと具現化するって……ああああもおおっ!!! 考えるな私!!!
「パチュリーがね、ヒューヒュー五月蝿いから、ほら」
「そう、フランは元気ね」
「殺っちゃった。パチュリーったら精霊に近い癖に弱いし、喘息持ちだし、ナンナノカシラ?」
お前がナンナノカシラだ。貴様のような奴はフランじゃあない。確かに狂っている節はあったかもしれないけれど、
そんな楽しげにモノは壊さなかったでしょう。弾幕は楽しそうだったわね。でも貴女は壊れたモノに対して興味はなか
った。だから残骸を猫でも捕まえたみたいに引っ張り上げて満面の笑みを浮かべるなんて、そんなのは嘘。
「良かったわね。ちゃんと片付けて置きなさい」
「はぁい。ねえお姉様。咲夜はどこ?」
「トチ狂って自殺したわ」
「美鈴は?」
「自爆テロしたわ」
「パチュリーは?」
「貴女が持ってるわ」
「小悪魔なんかは?」
「知らないわよ」
「他のメイドは何処?」
「さぁね」
「じゃあ今ここには、私とお姉様だけ?」
「解らないわ。私は見かけていない。貴女も見かけていないのなら、きっと誰もいないのよ」
「そっかぁ。今ここにはお姉様と二人っきりなのね」
「姉妹水入らずね」
「ねぇお姉様」
「何よ」
「本当は違うんじゃないかしら。何で皆死んでしまったか解らない? みんなお姉様の夢に付き合うのに飽き飽きし
てきたんじゃなあい? 皆本当はお姉様の事なんてなんとも思って無くって、関わるのも煩わしく思っていたりして。
霊夢も魔理沙もいないわ。どこへいったのかしら?」
フランの口を借りて喋る喋る。支離滅裂だし。こうも思った通り具現化されると、興醒めね。
「そうかもしれないわね。それと霊夢と魔理沙は紅魔館に住んではいないわ」
「あ、そうだ。さっき見つけたから、殺したんだ」
「そう、本当に腐れてるわね」
フランが、窓の一つを指差す。なんとも言い難いほの暗い外の庭がうかがえて、そこには真っ赤な華が二つ咲いてい
た。色取り取りの花が咲き誇る花壇の一角は、そこだけ真っ赤。当然ね。人間二人も解体したら、凄い量だもの。
……はぁ……なんなの、ワンパターンで……畜生……私は、私は夢の中ですら手出ししなかったのに。手を出すまい
と、堪えて来たのに。今度はみんなポンポンとゴミみたいに死にやがって……もう。そう、無駄な努力はするなって事
かしら。でもいいわよ。私は出来るだけ殺さないもの。どれだけ目の前の人物をウザッたく思っても、手出しなんかし
てやらないわ。
「……お姉様。皆簡単に壊れてしまって、寂しいわ。お姉様」
「そうね、じゃあついでに私も壊してくれると有り難いわ。こんな夢さっさと消化して次に行きたい」
「お姉様を壊す事なんて出来ないわ……私はお姉様を愛しているもの」
ついこの前まで嬉々として私を木端微塵にしていた奴の口が何を語るか。
「それは喜ばしいわね」
「お姉様、今日は一緒のお布団で寝ましょう?」
「フランは寂しがり屋ね」
「誰もいないのは辛いわ。それでは私の部屋と変わりないもの」
「……いいわ」
私の発言と同時に、日は一気に明るくなる。というか今まで明け方だったのに、一声で半日過ぎたのかしら。気持ち
悪い上にご都合主義と。救い難いバカね、罰の見せる夢って言うのは。
……仕方なく、私はその流れに従ってフランをつれて自室へと戻る。咲夜は折れた薔薇のように、そのままの姿勢で
いたらしい。物質に成り果てた咲夜の顔を見たくなかった私は、ベッドからシーツを引き剥がしてソレに被せてから、
血まみれの服を着替えもせず布団に潜り込む。
「こうして一緒に寝るのは、初めてね、お姉様」
「そうだったかしら」
……なれない。今まで一日の最後に必ず殺害されていたから、自らベッドに入るなんて事は無かった。希望的観測か
らすれば、意外と楽な部類の罰なのかもしれない。罰が幾ら死のうと、慣れてしまえばただ物体がへしゃげるだけのも
のだし。自ら受ける罰は痛いけれど、これは慣れだ。
今までは一日の終わりに殺害されて、目が覚める頃に妹がクッキーを持って走ってくる。そしてそれは夢だときがつ
かされて、また最悪の一日が始まる。そのループだったのに対して、これは大きな変化だ。
咲夜の発言は脅しだったのかもしれない。より恐怖を与える為に台本通りの発言。
「お姉様、私にはお姉様しかいないわ」
「そう。仕方ないわね」
「愛してる、お姉様」
――フランが、私をヒシと抱きしめる。夢の癖に、罰の癖に……ちゃんと温かくて、幼い少女の香りがする。悔しい。
こんな、こんな、嘘っぱちの虚像の優しい温もりにすら反応してしまうほど爛れきった私の心が、恥ずかしい。
「お姉様……泣いているの?」
「そんな……事無いわ……」
「泣いちゃ駄目よ。私が舐めとってあげる」
目蓋の上を、艶かしい舌が徘徊する。それは頬を伝い、私の顔を蹂躙して行く。偽物の癖に……偽物の癖に……。
「お姉様の涙は塩辛いのね」
「フラン……会いたい……貴女にごめんなさいを言いたい……皆に、皆に会いたいの……目を覚ましたいの……フラ
ン……嗚呼……くっ……ううぅぅ……」
これは……やっぱり考えているより辛いのかもしれない。今度こそ私を狂わせようと、本気になっているのかもしれ
ない。現実を思うと、胸が締め付けられる。嗚咽が口から漏れて、声が出せなくなる。
最後の最後は、必ず貴女が、夢の中でも優しくしてくれるものね。
例え貴女が偽物でも……このフランは……今ココに居る、現在のフランだけは……私が作り出した幻想の、安住の人
であって欲しい……。
私は、抱きしめてくれる”このフラン”を自分から抱きしめ返す。
はずであった。
「あ……れ?」
「どうしたのお姉様」
「貴女を、貴女を抱きしめられないのよ……あ、ら……? 貴女、いつ私から離れて……」
目の前には、ちゃんとフランが居る。居るんだから、当然抱きしめられる筈だ。
私は、恐る恐る、フランの顔から目を外して、胴体部分へ目をやる。
「どうしたのお姉様。フランは、ここよ」
「いっ―――――――――!!!!!!」
胴体なんて、なかった。
※
因果応報を形にした種族。吸血鬼。事実上霊長の最上級に位置する人間を凌ぐ力を有した、ヒトガタのバケモノ。
それは一人で数千の兵隊に匹敵し、瞬きする間に野山を駆け抜け、鬼神の如き怪力で巨木をなぎ倒す。まず死ぬ事は
無く、また成長は遅いが鋭い第六感と知性を兼ね備えていて、仲間を増やしながらどんどん自分の領土を広げて行く。
曰く、吸血鬼は日光に弱い。
曰く、吸血鬼は流水に弱い。
曰く、吸血鬼は神聖なものに弱い。
曰く、吸血鬼はニンニクに弱い。
断言するけれど、これらは全て『苦手』なだけであって、こんなものにそうそう簡単には敗退したりはしない。吸血
鬼が最も怖れている弱点を覆い隠す為に流された、吸血鬼によるデマだ。
確かに日光は痛いし、流水は怖いし、ニンニクは嫌い。でもだからってそれが致死に達する程の弱点かといえばあり
えない。それも当然で、『苦手なものを弱点としてばらまいた』のだもの。嘘には真実を混ぜると言うけれど、まさに
その通りの嘘だ。
吸血鬼最大の弱点。
それは人間の恐怖心そのものだ。一般的な吸血鬼は屋敷や城を構えて、領地内の人間達を掌握して貢がせたり、時に
兵隊として使役したり、必要とあれば襲ったりする。吸血鬼として生れ落ちたならば当然の権利だ。けれど当然好き勝
手出来ないように、計り知れない場所で取り決めがされている。
人間が唯一吸血鬼に対抗する手段。そう、英雄だ。
斯くも恐ろしいもので、普通の人間では吸血鬼に太刀打ち出来ないものの、その恐怖心が想念となって勇者を生む。
神に恩恵を授かった子であったり。流れ者の退魔師であったり。稀代のエクスキューショナーであったり。
吸血鬼はこれを退けられるか退けられないかで、格が決まるし、増減する。
殊お姉様の話にすると、これは無敵であったと言えると思う。
勿論……敵がいなかったから無敵だ。
人を脅かす事は罪。人の想念は吸血鬼への罰。この基本的ロジックを無視するのが、私。お姉様が受けるはずの人間
達の恨み言は全て私が引き受けて、幽閉という罰を持ってこれを封印していた。お姉様に罰が与えられる筈もない。
けれどそれは因果応報を無視するものだから、被る罪は大きく、加えられる罰は更に肥大化する。物事の『流れ』を
無視すると、生まれるものは不都合ばかりだから。
「覚悟を、してもらいたいのよ、咲夜」
静まり返ったお姉様の部屋には、私と咲夜。そして目を開けないお姉様の三人。この時間が停止した部屋で動きがあ
るものといえば、紅茶の湯気くらいだ。
咲夜を呼び出したのは他でもない。調べて、教えられて、考えた結果を伝える為。
「覚悟、とは」
「文字通りの意味。お姉様を、貴女、いえ、貴女達が生きている間に目覚めさせる方法が解ったから。咲夜だって薄
々気が付いてたのでしょう。能力の所有者だもの、当然よね」
「……」
「責めるつもりなんてないの……。パチェだって隠していたわ。それは怖かったから。八雲紫が言う通り、自然な流
れを無理に弄って断ち切る行為は、危険が付き纏う。私達姉妹も、ある意味流れを無視して存在した故に、こんな事に
なっているのだと思う。だからどんな不測の事態に陥るか解らない。私も怖いの」
私はお姉様を横目に見る。今はゆっくりとした呼吸で、月明かりを受けている。その様子はただ寝ているだけのよう
に感じられて、余計悲しい。
「……」
確かに、無理やりお姉様に手を加えれば不測の事態に陥る可能性が高い。過程を省くと言う事は、それ自体不完全に
成ってしまう事を示している。過程を無視して入れた紅茶は美味しく無いし、材料を抜いたクッキーは食べられない。
では咲夜の能力ならどうだろう?
「けれど、貴女の能力は、無理に手を加えるにしても、少し違う。境界を弄ったり、概念を破壊したりするモノとは
違って、流れは無視しない。ただ『流れを早くする』のだから。違う?」
「その通りですわ。私は、一部の空間を限定して時間を操れます」
お姉様は人間ではないから、もし咲夜が能力を使ってお姉様の時間を早めても、老衰する事はない。これは能力を強
制介入させる事に変わりないけれど……過程は無視しないんだ。
「……けれど、その、フランお嬢様。生物といえば、植物程度にしか用いた事がありませんわ。自分の時間を多少早
める為に使ったりはしますけれど、どのくらい時間を進めればいいかも解らないお嬢様には」
「それが、パチェが言わなかった理由なのだと思うわ。過程は無視しないけれど、時間を早めた結果今より悪い事態
を招きかねない」
「……」
「……」
私と咲夜は、そこまで言って沈黙する。
――私と、お姉様に関わる人達、そしてお姉様本人にとっての、究極的選択。
この世には叶う願いと叶わぬ願いがある。そして、これは……叶うか叶わぬかの狭間にあり、選択肢も極少のもの。
……思考が停止しそうになる。
仕方なく、黙って紅茶を啜る。
美味しい。
「咲夜の入れた紅茶は、美味しいわね」
「紅茶は、あまり茶葉を入れすぎますと濃すぎますし、少ないと薄すぎる。100度より少し低い温度のお湯でしっ
かりと味と香りを引き出して、直ぐにはカップに注ぎません。少し時間を置いて、それから注ぎますわ。一杯目はスト
レートで。二杯目以降はミルクなど入れて、お楽しみください」
「でも、出てくる紅茶はいつも早いわ」
「……時間、進めていますから」
「―――そう」
私達は、勝手なのかしら。これはお姉様の決意をふいにする行為なんじゃないかって、後ろめたい気持ちになる。お
姉様は自分の覚悟で罰を引き受けたし、それを正面から受け止めるつもりだったに違いない。それを外から此方の勝手
で弄繰り回す行為は、とんでもないエゴなのかも、しれない。
私が全部返すような真似をしなければよかったのだと思う。当然、制御出来たかといえば、違うけれど。この迷いは、
私が未熟だから沸きあがってくるなのかしら。
形振り構わず、可能性に賭けてみては、いけないんだろうか。
――このままお姉様を放置しても、いずれ精神死するかもしれない。
――手を出してヘタをすれば、精神死を早めるかもしれない。
――成功すれば、幸せになれるかもしれない。
――成功すれば、お姉様も今の紅魔館で心地よい生活を送れるかもしれない。
――私も覚悟しなきゃ、ね。
「だから咲夜、決めて欲しいの。お姉様はこのまま放置してもいずれは精神死するかもしれないわ。当然能力を使っ
たら死期を早める事にもなりかねない。けれど、お姉様は強い人だから……貴女の能力で、貴女が、貴女達がまだ生き
ている間に目を覚ますかもしれない。ごめんなさいね、全て仮定の話で」
「……フランお嬢様。けれど、お嬢様は直ぐに目を開けるかもしれませんわ。私が手を加えて、それが逆に不都合を
招いてしまったら……」
「直ぐに目を開ける事は……なさそうね。現実は非情よ。ああもう、知恵がついたお陰で、余計な事ばかり考えるわ」
諦めが、侵食してくる。じわじわと心を蝕んで行く。今死ぬのと後死ぬのどちらがいいか。普通だったら当然後が良
いに決まっているけれど、お姉様の場合そこには人生が存在していない。言ってしまえば、今この時点でも死んでいる
のだろう。死が確定している訳じゃない。けれどこの直感から漏れ出す死の臭いは、嫌でも嗅がされる。
吸血鬼じゃなければよかった。お姉様ではなく、これが自分ならば良かった。
自分がもっと強ければよかった。強ければ、お姉様は……。
「ぜーんぶ……私の所為ね」
「違いますわ。それに、レミリアスカーレットは不滅です。あの、あのお嬢様が罰程度に負けるものですか」
「レミリアは、愛されているわね」
「えぇ、そうですとも。私はお嬢様を愛していますわ。失礼を承知で言ってしまえば、私の人生において主人はただ
一人、レミリアスカーレットのみ、です」
「じゃあ咲夜……貴女はその力を、今からお姉様に使えるかしら」
「そ、それは」
「ごめんなさい。自分じゃ何も出来ない癖にね。姉妹して、貴女に頼りっぱなし」
「メイド、ですから」
「決定権は、常に貴女にあるわ。じゃあまず、私なりに答えを出しましょう。このまま咲夜が死ぬまでお姉様が目を
開けず、しかも死んでしまうくらいならば、貴女は能力を使うべき。一縷の望みに、賭けてみるべき」
「……お嬢様方は、傲慢ですわ」
「そうね。さ、一度きりの選択にしましょう。後に引き摺って、毎日悩んでも仕方が無いわ」
互いに、気持ちは解っていると思う。お姉様を信じているからこそ賭けるべきだし、愛しているからこそ無茶はした
くない。
「さぁ、決めて、咲夜。これは貴女しか肯定出来ないし、貴女にしか否定出来ない」
「―――わかり、ましたわ」
瀟洒なメイドは無駄の無い動きでお姉様が横たわるベッドまでたどり着くと、お姉様の頬を撫でつけた。
その瞬間だった。
「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァッッッッッ!!!!!!」
お姉様が絶叫する。何時かもそうだった。狂ったように叫び暴れだす。私はその度押さえつけていた。
最近は減ったと思っていたのに……。
「咲夜!!! お姉様を抑えて!!」
「はい!!!」
「アアアァァァッ!! フラン、フランフランフランフランフランフランフランフランがアァァァッ!!!!」
「お姉様、お姉様、フランはここよ、フランはここにいるわっ」
「くっ……なんて力……人が足りませんわっ」
「こうなれば……禁忌『フォースオブアカインド』!!!」
咄嗟の判断で『私』を増やす。私一人に比べれば力は劣るけれど、誰も居ないより遥かにマシだ。咲夜は人間だし、
抑えるにも限界がある。
「お姉様、私はここ……ほら、ほら、触れてみて、フランはここよ」
「フラン……ああぁっ……フラン……抱きしめて……辛いの、辛いの……」
「えぇ、えぇ、ほら、貴女の妹はここに……ね? ね? 居るでしょう?」
「嗚呼……嗚呼……フラン……フランね……そう……またなの……またクッキーを焼いたの……」
紅い目が虚ろに揺れて、視点が定まっていない。起きているかといえば違う。寝ているかといえば違う。こうなのだ。
いつも、絶叫した後は、こうだ。お姉様、私はクッキーなんて焼いた事ないわ。
「甘い……また甘いわ……貴女のクッキー……フラン……えぇ……私も、愛してる……」
「お、おねぇ……さま……」
伝わらない伝えられない。このやりきれない気持ち。一体どんな夢を観ているの。どんな責め苦を受けているの。夢
の私は一体どんな非道を行って、どうしてクッキーなんて焼くのよ……。
絶望が涙に転換されて零れる。堪え切れないと胸が悲鳴をあげる。頭の中が沸騰して、暫く忘れていた破壊衝動を思
い出す。
私は夜の静寂が支配するテラスへと踊りだし、目に映った巨木に力を向け―――
「ああもう!!! ちくしょぉぉおぉぉぉっぉお―――――――――――――――!!!!!」
―――大絶叫と共に『目』を移動させ、指が軋む程に加減もせず握り潰す。
木が倒れる音はギシギシやミシミシなんかじゃない。私にかかると『パン』だ。樹齢何十年とも何百年とも知れない
樹木は、一瞬で粉々になって消えた。
「はぁ……はぁ……はぁ……うっく……おねえさま……」
確かに、私やパチェは寿命でそう簡単には死なないから、気長に待てるなんて、誤魔化しに言えるかもしれない。け
れど、実際問題として、これはお姉様の精神的な戦いでもある。途中でリタイアしてしまったら、長く待っている意味
もなくなってしまう。誰かの能力で無理やりお姉様を目覚めさせるのも、気長に待つのも、危険は同じなんだ。
結局同じなんじゃない……。しかも私には救えない。救いようが無い。こんな、壊す力ばかり持っていても……お姉
様を癒せない……助けられない……。
「落ち着かれましたわ」
「……うん」
掌には、自分の血。無茶に握り締めた所為で肉に爪が食い込んだのだろう。
「手を、怪我なされたんですか」
「うん―――咲夜?」
「……」
咲夜が、私の前に跪いて手を取ると真っ白なハンカチでそれを拭き取り、覆う。直ぐに治ってしまうのだから、あま
り意味は無いのだけれど……咲夜は、咲夜は、涙を一杯に溜めて私の手を愛しそうに撫でていた。
「咲夜」
「自らの行為でも、傷など付けてはいけませんわ。傷ついた”お嬢様”は、一人にしてくださいまし。自暴自棄にな
られて、フランお嬢様にまで可笑しくなられたら……咲夜は、私はどうすればいいんです」
「大丈夫、咲夜。大丈夫。私はもう狂わないわ。ホントの事言ってしまえば、狂っていたのとは違うと思うけれど、
その、大丈夫だから」
跪く咲夜を、私は強く抱きしめた。私に出来る事なんてない。私は施される側だから。そう、互いに傷を舐めあうの
もいいかもしれない。けれど私は、今は紅魔館の主だから。咲夜が主はただ一人、レミリアスカーレットのみであると
宣言しても、この事実ばかりは変わらないから。
せめて素敵な従者に、主なりの威厳を見せつけるぐらいが、関の山。
そして、判断を下し、実行させるのも、主の使命なのだと思う。
――そうよね、レミリア。
「紅魔館の主、フランドールスカーレットは命ずる。咲夜、力を使いなさい」
「でも、それでは……私は……私は怖い……怖いですわ……お嬢様の死期を早めるなんて……」
「お姉様は強い人よ。それに、咲夜の紅茶を飲みたがっているに決まっているわ。他の誰でもない、咲夜の紅茶。ち
ょっとずるして作っているけれど、とっても美味しい紅茶よ」
「うっ……フラン、お嬢様……」
「三度目は言わないわ。咲夜、主の命よ。能力を、使いなさい」
「―――――――――私は、親しい人の為にならば、全力を尽くします」
吸血鬼とは、因果応報の権化。今まで『流れ』を無視し続けて来た、吸血鬼の中でも尚外道を行く姉妹。ここに来て、
私は姉に重ねて更に罪を作ろうとしている。
……人間は、咲夜は脅えている。ごめんなさい、咲夜。けれどこれは貴女にしか出来ないし、貴女が決断出来ないと
言うならば、主が代わって決断するしかない。
勝手を許して、レミリア。私、咲夜に情が移ってしまったみたいなの。これ以上痛ましい咲夜を観たくない。レミリ
アだって、咲夜の居ない紅魔館は、嫌でしょう? そうよね、今の幻想郷は、とても面白いものね。
ごめんね、レミリア。
この罪に対する罰は、必ず受けるから……。
※ もうクッキーはいらない
束の間の休息に思い描くのは、あの懐かしき日々。そして、新たに芽生えた可能性を発展させたパラレルワールド。
フランが普通の吸血鬼で、咲夜は完璧で、パチェはいつも通りで、美鈴は惚けてて、小悪魔はパチェの周りをくるくる
回る。メイド達が忙しなく動き回り、突撃してくる魔理沙を迎え撃つ。
――フランの声が聞こえる。
霊夢が珍しく現れて、お茶菓子を美味い美味いとパクつくんだ。それ、私が作ったクッキーよ、なんていったら、眉
を顰めて嫌そうな顔をする。でも結局食べた挙句にお土産に持って行くのよね、貴女は。
――咲夜の声が聞こえる。
咲夜はそんな私達を見ながら淡々と紅茶を入れては仕事をし、嫌な顔一つせず私に給仕する。けれど突然、お嬢様な
んて声をかけて、少しだけムスッとするんだ。霊夢と話している間、わざと無視したものだからヘソを曲げて。
そんなさり気無い咲夜が可愛くてならない。
――フランの声が聞こえる。
幸せに幸せに、何事も無く恙無く、平穏に過ぎて行く日々。
嗚呼、夢想するだけで、なんて面白そうなのかしら。考えるだけで、なんてワクワクするのかしら。
――咲夜の声が聞こえる。
フラン、フラン、こっちにいらっしゃい。ずっとずっとほったらかしにしていたのだもの、もっとこっちに寄って、
一緒に居ましょう。もう貴女に辛い想いなんてさせないわ。これから私達は平等。同等の姉妹なの。
一緒にお茶をしましょう。一緒に遊びましょう。一緒に戯れましょう。一緒にお風呂に入りましょう。一緒に同じベ
ッドで寝ましょう。明日はどんな事をしましょうか、今日はどんな夢を観るのかしら。明後日は、明々後日っては何が
起こるのかしらね。
ねぇフラン。お姉様にお休みのキスは無いのかしら。
……フラン……もう、もう突き放したりなんかしないわ。独りぼっちになんてしないわ。お姉様と一緒に、幸せに、
平和に、楽しい人達と、この紅魔館で、暮らしましょう。
嗚呼、咲夜もいらっしゃい。私の素敵な従者。貴女も一緒に、ねぇ?
「……堪えたわ。長い間」
この妄想を終えた頃に、また悲痛の日々が始まる。この悪夢の終焉を夢見て、責め苦に堪えて、フランに出会い、ま
た終焉を夢見て。フラン……咲夜……パチェ……早く会いたい。新しい風のある紅魔館で暮らしたい。
それに、少しだけ希望はあるの。
今まで聞こえなかったフランの声が聞こえる、咲夜の声が聞こえる。どこか遠い気がするけれど、これは私の作り出
す理想の幻なんかじゃあない。間違いなく、いえ、絶対に貴女の、本物の貴女達の声。今までこんな事なかったもの。
現実に近づいてきたのよね。きっと。
だから私は堪える。歯を食いしばって、身を焼かれる苦しみに、親しい人を殺される悲しみに――。
「――良く堪えるものですわね。流石は、吸血鬼姉妹の姉」
「フランが堪えたの。私が堪えれない筈がないわ。私はあの子を、これから守らなきゃいけないの。幸せにしてあげ
る権利があるの。あの子の望みを叶えてあげねば成らない、使命があるのよ」
「――想いの力は、強いって? 面白い考えを持っているのね、吸血鬼のクセに」
「喧しい。そんな罵倒なにも痛くない。ヘタレ罰。腑抜け罰。へなちょこの腐れ想念」
「――強いのね。いえ、強かったわ。これだけ執拗な仕打ちを受けた吸血鬼だって、そうそう居ないでしょう。まぁ、
私の知っているそれに堪え続けた吸血鬼って言うのは、フランドールスカーレットだけれど」
咲夜の顔が、歪む。顔の部分だけが、砂嵐のように、幾度も幾度も消えては映り、消えては映り。
「―――貴女は、結局誰なのかしらね。人間の想念にしては、何かが可笑しい。何処かが可笑しい。私が嫌がる事を
常に、ピンポイントで延々続けてきたわ。もうこれで何度目かもサッパリ解らないけれど。貴女本当に、ただの想念な
のかしら」
咲夜の顔は、そこでピタリと静止した。同時に私の部屋は崩れ去り、真っ黒な空間だけが支配し始める。常闇が広が
る亞空間。感覚だけれど、直感だけれど、多分。ここは、『何か』の最深部。
「私はフランドールスカーレット。貴女が妹に廃棄し続けて来た罰の想念。そしてフランドールスカーレットの、恨
み辛み妬み嫉みの、集合体」
「なっ―――?」
バカな。この『咲夜』は、何を言っている……? 鵜呑みになど出来ない。出来る筈もない。フラン自身が私への罰
だったって言いたいのかしら、この大馬鹿者は。
いえ、違う。そんな筈―――。
「違うかもしれないし、本当かもしれない。何せ五百年、私という想念はフランドールスカーレットに住み続けてい
たのだから。もしその名前が気に入らないのならば、苗字だけでも良いわ。私は、スカーレット」
「誰が!! 誰がその名前で呼ぶものか!!」
「肯定も否定も貴女が決めれるわ。答えがどうあれね。でも五百年。五百年よ? 五百年も同じ体に居たら、同化し
てしまっていても、不思議ではないと思わない?」
「五月蝿い!! お前が……お前みたいな鬼畜が、フランな訳があるかっ!!」
闇に絶叫が吸い込まれて行く。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッッッッ!!!!!!!!!!」
『咲夜』が解ける。それは解けて、闇に混ざり、形を形成して行く。当然、勿論、当たり前だけれど……そう、フラ
ンドールスカーレットの姿を模し始めた。
思わず歯軋りする。
こいつは違う。何もかもがフランそっくりだけれど、違う。
「――行くわよお姉様!!! 全部、全部受け止めてねっ!!!」
もしこれが最後の罰だとしても、そうで無いにしても。
フランの姿で戦闘を挑まれたのならば、仕方無い、フランではないけれど、仕方が無い、仕様が無い。私はフランド
ールスカーレットを全て受け入れると宣言した。宣言して、ここに居る。ここまで堪えて来た。
だから私は、例えこれが偽物でも――フランの姿を模しているのならば、全力で受け止めなきゃいけない。
「ビビッて小便チビるんじゃないわよ、この小娘ェェェェェッッ!!!」
「だぁぁぁぁぁれが!!! この馬鹿姉ぇぇぇッッ!!!」
暗黒に、紅の弾群が二つ浮かび上がる。遠目で観れば、まるで星雲のような密度の弾幕と弾幕が、正面で激突する。
右翼にて二千五百の弾が相殺しあい、左翼にて一千七百の弾が爆砕した。
「粉微塵にしてやるッッッ!!! レミリアスカーレット!!!」
「やっかましぃ!!」
弾幕を突っ切り、二人で衝突する。私の腕はギチギチと蠢き、超速度でフランの頭部を消し飛ばしにかかるが、完全
に読まれていたのか大空振り。体勢が崩れた所に、フランの細い脚が光のように飛んでくる。
こんなものが直撃したら、幾ら私といえど文字通り粉砕されかねない。
ツバサをはためかせて三次元的に無理やり避けきる。私は振りぬいた脚をひっ捕まえて、闇に放り投げた。
「シャアアアッ!!!」
「くっ、出鱈目だわ」
視界の外で放たれたらしき大弾を主力とした流弾が上部から襲い掛かってくるのを、数十分の一秒で見切ってかわす。
熱量を多大に含んだ弾は私の服を焦がし、常闇に吸い込まれていった。即座に切り返しにかかった私は、降り注ぐ赤い
直線弾を往なしながら左翼に囮弾を配置、間髪入れずぶっ放ち、下部より本弾を超高速で混ぜて放つ。
フランの弾幕と私の囮弾が相殺し、その真中を超高速弾が抜け―――
「くらえっ!!!」
フランの腹を貫く。
「ぐっ!!」
「はい、イッキおちたー」
「五月蝿い!! 五月蝿い五月蝿い!!」
フランのどてっぱらに風穴が開いた。私は逆上させる為わざとらしく指を刺して笑う。その策にまんまとハマッたフ
ランは、早くも発狂し始める。そんな下手くそな弾、当たるわきゃないでしょ、ばぁか。
「ほら、ほらほら? どぉこを狙っているのかしら? フランちゃんは弾幕ごっこがヘタでちゅねー」
「むかっ……ムカツク……レミリア……レミリアァァァァッッ!!」
「!?」
なんて反則。発狂弾に混じらせて……目の前湧きの追尾弾!?
「あたって、たまるかっ!!」
ギチリ、と首の骨が軋む。かわし切れなかった数発が私の腕と足を貫いた。まるで空間に交わるように、サラサラと
解けて消えて行く……。これは、ちょっと経験した事がないわ。
今まで通りなら……意識すれば例えこれが夢でも元来の能力の通り、リジェネートするはずなのに……。
「アハハハハハハッッ!! こっちだって、本気なのよっ」
「くぅぅ……ッ」
中に浮くように存在しているから、あまり行動に支障は無いにしても、肉弾戦に持ち込まれると厳しい。向こうもそ
れを理解しているのか、二、三枚の弾幕の壁を張って突撃してくる。
「逃がしはしない!! お前は永遠に悪夢を彷徨うのだからっ!!」
レーヴァンティンを振りかざしたフランが、閃光の如く瞬時に間合いを詰めた。右から左からと迫り来る囮弾をかわ
し、迫るフランに対して大弾を張り続ける。次第に難易度が増し、正直私は焦り始めた。
「絶対に!! 絶対に目を開けさせはしない!! 永久の罰に沈め、レミリアっ!!」
「チッ……小うるさい妹ねっ」
常軌を逸脱した軌道を描き現れるフラン。私は……グングニルを抜いた。魔具が衝突し周辺に衝撃波が発生し、それ
と共に辺りにばら撒いてた弾が消え失せた。
向こうは両手、こちらは片手……分が悪すぎる。鬼の形相で私を駆逐しようと襲いくるコイツは、一体なんだったか。
今の今まで、何百何千と繰り返してきた悪夢の中で、一度でも戦闘を行った事があったか。
いいや、ない。必ず一方的に私が責められるだけであった。私が悪夢を退けないのを良い事に、自ら死んで私へ精神
的なダメージを与えようとしていた時期もあったが、こんな事は一度も無い。
――もしや、私がフランを殺せない事を知っていて、フランの姿を模している?
――そりゃそうよね、あれだけ夢の中で愛してると、叫んだのだもの。わざと模すわよね。
「お前が目覚める事など、誰も望んじゃいないっ!! 誰もお前を心配なぞしていないっ!! さぁ、さぁ殺してみろっ
私を、私を殺して見せろレミリアァァァッ!!」
「なる、ほど」
これが最後の責め苦、か。
思い切り力を込める。筋肉がぶちぶちと千切れたが気にしない。レーヴァンティンを弾き飛ばして、思い切り距離を
取る。
「もう目覚めが近いのね」
「さぁ、どうかしら? これも罰の気まぐれかもしれない。フランの気まぐれかもしれない」
「――いいえ、違うわ。誰かが望んでいるの。とてもとても遠い声だけれど、これが何時の声だかも解らないけれど、
私の愛しい人達の声が聞こえる。私に、目を開けてもらいたいと、願う声が」
「!?」
言葉の端から、相手がどのような事を考えているか推理する。答えは一つ。
もう罰は終るのだ。
今まで描けなかった私の運命の、先のビジョンがありありと思い浮かべられる。
「焦っているのね。罰がもう直ぐ終るから」
「終らないわ。終らないわよ。貴女はここで、妹と永遠に弾幕ごっこするの。けれど貴女は妹を殺せない。だから、
必ず負ける、負け続ける」
「ははっ」
「な、何よ。何が可笑しいのよ!!」
ふつふつと、ふつふつと私の中に希望が湧きあがる。今までに無い速度で、現世の生への固執が思い出される。フラ
ン、咲夜、パチェ、小悪魔、霊夢、魔理沙、美鈴。一人一人の顔が思い出される。
「アンタっていうのは、始めっからずっと思っていたけれど、本当に馬鹿ね。なんか、期待しちゃうわ」
「そうなの? ふふ、だったらどうするのかしら?」
「人間も吸血鬼もね」
「えぇ」
「期待すると、力が湧いてくるもんなのよっ!!」
私は期待してしまう。コイツを殺せば、悪夢から抜け出せるんじゃあないかって。これが悪夢の最終試練なんじゃな
いかって。
「貴女は、喋りすぎたわ。想念の化身」
先も見えない天に向かい、私はしっかりと腕を突き上げる。だったらさっさと終らせてやる。
終らせて、終らせて、終らせて、終らせて!!
――――――終らせて、目を覚ます!!!
「神槍!! スピア・ザ・グングニル!!!! 避けるんじゃないわよぉぉぉぉぉぉッッッ!!!!!」
私は満面の笑みを湛えて、かつての自分を取り戻すかのように大宣言する。
くたばれ妄念。
くたばれ想念。
くたばれ、
くたばって、
……消えて失せろ。
力が湧きあがる。気持ちが高ぶる。忘れていた闘争本能が活性化する。目的を粉砕せよと脳髄が熱くなり、全身に命
令を下す。血が回り、筋力の限界を超えるような衝動に、身体が唸る。
「お、お姉様……こ、怖いわ……そんなの食らったら……私……痛い、痛いわ」
フランの顔から……
「お嬢様……お嬢様……やめてくださいまし……」
咲夜の顔になる。
はン。今更、そんなのウザッたいだけよ。
それにもう遅い。
紅き力が集束し、悪魔が顕現した。
私を取り巻くのは数百の槍。その一本一本は、山を砕き海を干上がらせ森を焦土として街を爆砕するだけの力がある。
「――あ、そう」
私は、端的に本心を伝える。語るに及ばず。アンタは、貴様は、フランドールスカーレットなんかじゃあない。貴様
は、私の可愛い可愛い、妹なんかじゃあないのだから。
「いや、何よその大発狂……うそ、やだ、かわせな、ああぁっ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」
フランドールスカーレットを模した罰に、紅い紅い豪雨が降り注いだ。
一撃、二撃、三撃。闇に放り出された体が、魔槍に踊る。
そう、フランが良く玩具にしていた人形そっくり。やがてそれは四肢を失い、バラけて散った。
「チェックメイト。ああ、何となく言ってみただけ。私チェス弱いから」
いざ殺ってみると、あっけないものだ。もしかしたら、もっと早く殺っておけば、もっと早く目を開けられたのかも
しれないわね。後悔するには遅いのだろうけれど。
「……もし本当に、私がフランドールスカーレットの深層の具現だったら、どうする気だったの?」
首だけになった『罰』を拾い上げると、それはブツブツと呟き始める。
「否定出来ない可能性だったでしょう。罰は、フランドールスカーレットと共存していた。ならば、同化していたか
もしれない。同化して、深層に食いついていたかもしれない。その罰は共存して、乗っ取って、貴女に罰を与える復讐
のフランドールになっていたかもしれない」
「私、憶測でモノを考えるのが苦手なの」
「――嘘おっしゃいな」
「……貴女は、フランなんかじゃあない。貴女は醜悪な私。私が放置してきた、私の罪悪感と想念が混ざって成った、
私を縛る罰の具現。どう?」
「ご明察通り……。口惜しい。少しでも疑っていたならば、更なる責め苦を与えたというのに」
「もういらないわよ。左様なら、私。また罰を受ける時に出会いましょう」
空中に放り上げられた首は、私のグングニルで、一撃消滅した。
さぁ、次だ。次が待っている。言わなきゃいけない事が残っている。
……。
目を閉じて落ちて行く先はいつもそこ。行き着く先は必ず、ベッドの上。もう飽きる事に飽きる程繰り返してきた。
その度にクッキーを食べさせられた。何時になっても分量があわせられず、常に甘い甘いクッキーだった。
「お姉様!! お姉様!!」
このフランは……いつも最後に現れるこのフランだけは、私に悪さをしなかった。
「なぁに、フラン」
「私、クッキーを焼いたの……分量を間違ってしまったけれど……」
「そう」
きっとこのフランだけは、私が最後の精神の砦として用意した……純粋な私の妄想なんだと思う。
「お姉様、食べて、食べてくれるかしら? 私――がんばったの」
「良かったわね」
「え……食べて、くれないの……?」
「うん。だってね―――」
さぁ、言わなきゃ。これで、悪夢の輪廻を終らせなきゃ。もう、貴女に頼る事はないの。
私は、目を覚ますのだから。
もう、甘いクッキーは食べ飽きたわ。
ささやかなる終章 腐れ爛れた夢現の向こう側
新しい生活を受け入れようと思う。
幻想郷は暖かで、辛い事も少ないし、皆面白くて可笑しくて、馬鹿らしくて、それが楽しい。
新しく開けた世界を甘受しようと思う。幾億幾兆ある瞬間瞬間の選択肢を迷わず決断して、まだまだ見えない未来を
目指していこう。
それはきっと楽しい。幸せだろうし、気持ちが良いだろう。
ここは楽園。
幻想を幻想として包容する、懐の深い理想郷。私達吸血鬼だって受け入れてくれる。お姉様は妖怪の本分をまっとう
するより、紅魔館でお茶を飲んでいた方が楽しい、なんて言ったらしい。
だからこそ、この幻想郷に越して来たのだと思う。
……それは私にとって、お姉様にとって劇的な変化を齎す事になったけれど――きっとそれで、良かったんだ。
ここでは、罪を作る事がない。ここでは、重い罰を受ける事もない。
皆で楽しく、お茶を飲んでいればいい。そういう所だから。
ここは楽園。
私達は、新たな世界での可能性を望む。
「吸血鬼、また神社に何の用事よ」
「いいじゃない。ここは居心地が良いのだから。ねぇ、お姉様?」
「……」
「え……あ、貴女……」
「紹介するわ。私の愛しいお姉様。レミリアよ」
「……ごきげんよう、博麗の巫女」
「また、神社が賑やかになっちゃうわ。参拝客が減っちゃうわよ」
「フラン。フラン」
「なあに、お姉様?」
「――――――この子、本当に霊夢に良く似ているわ」
ある晴れた日の事。
お姉様は久しぶりに外へ出た。目を閉じてしまってから……もう何年経ったのやら。博麗の巫女は、今霊夢の曾孫
の代。口惜しい事に、霊夢は去年、この世を去っている。
最後の言葉は何だったかしら。ただ、レミリアお姉様に会いたがっていた事だけは覚えてる。若い頃の思い出だもの
ね、老婆になっても、記憶はハッキリしていたし。
人間って美しいわね。子孫を残して、脈々と血を繋いで行く。儚くて、脆くて、矮小だけれど、桜にも似たその虚し
さは、本当に美しいと思える。
「うお……マジかよ……レミリア、レミリアか!?」
それに比べてこいつと来たら、どこまで行っても霧雨魔理沙。我道に障害なし。
「久しぶりね、魔理沙」
「あはははっ!! そうかそうか、目が覚めたのか!! 今日は宴会だぜ、紅白、宴会の用意!!!」
「自分の友人でしょう? 貴女曾お婆ちゃんの頃からそんなだったの?」
「魔理沙はずっとこうだったわ」
「まぁまぁ、こーしちゃいられない!! みんなかき集めてくるぜッ!!」
歳を取る毎に余計に元気が出たのか。あの頃から少しだけ成長した姿の魔理沙は、若い頃より張り切っている。一時
期霊夢が他界して大分落ち込んでいたけれど。でもこんな根暗じゃあない魔法使いって言うのも、なんだか嫌ね。
ま、可愛らしいからいいのだけれど。
「私達は行く場所があるから一端失礼するわ。これから、お姉様と仲良くしてあげてね」
「はぁ……えぇえぇ、いいわよいいわよ。適当にやりなさい」
「今代の巫女も、やっぱり話が噛み合わないのね」
「みんな自分勝手だから」
罰は長いものだった。明日はまだか、明後日は目を開けないのかと悩む事すら忘れてしまうほどに、長い月日だった。
いつ終るともしれない罰の波紋を受け続けたお姉様は、酷く丸くなっていたけれど……目を開けてくれたあの日、私が
どれだけ嬉しかった事か、紅魔館がどれだけ活気付いた事か。
何度も何度も、二人でごめんなさいをした。私と、お姉様と、パチェと、小悪魔と、美鈴で、その晩ずっと泣き明か
した。涙が枯れて体が萎れてしまうんじゃないかって位泣いたところで……お姉様は、酷く悲しそうな顔をした。
『咲夜は……?』
その言葉は……時を忘れていたお姉様にとって、もっとも重要な言霊だったと想う。
「幻想郷は変わらないわね」
「うん。ここはずっと平和」
……もう慣れ親しんだ幻想郷の空を飛ぶ。初めて飛んだ日も、たしかこんなに晴れ渡っていた。
お姉様の顔を伺う。
お姉様は、複雑な表情をしていた。もうこの幻想郷に知っている『人間』はいない。
博麗霊夢に敗れて以来、虎視眈々と復讐の機会を狙っていたのに、無念で仕方が無いのかもしれない。それに、強い
妖怪は強い者を好む。好ましく思っていた人間が天寿をまっとうしてしまっていたら、それは落ち込むだろうし、肝心
な人が居ないものね。
「フラン」
「えぇ」
「人は、儚いのね」
「そうね。でもあまり感傷的になると、吸血鬼としての威厳を疑われるわ」
「……大人になったのね、フラン」
「沢山の事を学んだ。沢山の経験をした。悲しい想いも嬉しい想いも、沢山受け入れた。でも大丈夫、私は、過去も
未来も、ずっとお姉様の妹」
「……えぇ、そうね。貴女は私の妹……ね」
人里上空で停止して、そのまま降り立つ。昼は人々で賑わいを見せていて活気がある。あれから多少人口が増えたら
しく、昔の幻想郷より人間を見かける回数が多くなった。
数人が私達の様子を見て、すれ違い様に頭を下げる。決して怖れられている訳じゃなくて、紅魔館が人里の守護と経
済の一部を担っているから。地主様みたいなものね。
「それにしても、人里で何をするのかしら」
「えっと、たしかここを曲がって、長屋の並びの……右手の、北から四番目……」
「フラン?」
時は過ぎ、時代は移り変わり、世代も交代して何度目か。
レミリアお姉様の希望が打ち砕かれて、どれだけの年月が経ったのか。
――十六夜咲夜の失意は、どれほどのものだったか計り知れない。
けれどそれも今日で終わりだ。
もう悩む事はない。
本当に本当に、心から――――――間に合ってよかったと、安心する。
「入るわ」
「フランお嬢様。わざわざこんな所になんでまた」
長屋の一部屋。そこには、大分歳を召していても瀟洒な空気を失わない一人の老婆が住んでいる。
「たまには様子を見にこなきゃいけないでしょう。孤独死されたら、私お姉様に顔が立たないし」
「……そちらの……方は……まさか……うそ……うそ……」
「嗚呼……こんなに、しわくちゃになって……」
数十年の邂逅。
咲夜の震える手がお姉様に触れる。年老いて、若かりし頃の面影が消えて久しい、疲れた手がお姉様に触れる。
「咲夜……咲夜……咲夜……嗚呼、嗚呼……私の……私の愛しい従者……さくや……」
「お嬢様……お嬢さま……おじょうさま……」
……私が咲夜に能力の使用を迫った日。咲夜は……それを拒んだ。
『私は親しい人の為にならば全力を尽くします。けれど、これが最善だとは、とても思えない。ごめんなさい、フ
ランお嬢様。やはり主人は、生涯一人、レミリアスカーレットお嬢様のみ、ですわ』
そういって、咲夜は紅魔館を去っていった。何度も何度も戻るよう要請したけれど、咲夜は頑なだった。
自分の手で、主を危険に晒す訳にはいかない。精神死が確定していようと、肉体が生きてるならば、いつか目を覚ま
してくれるはず。余計な手を加えて『儀式』を邪魔する訳にはいかない。失敗してお姉様に死なれたら、それこそ生き
ていけない。
親しんでいたからこそ、もう傍にはいられなかったのかもしれない。メイドとしてのプライドもあったのだろう。主
人が居なければ、従者の意味が無いから。
「……お嬢様……こんなになってしまいましたけれど……おまち、お待ち申し上げていましたわ……」
「えぇ、えぇ、貴女は素敵で完璧で瀟洒なメイドだもの……貴女は、素晴らしいメイドだもの……ありがとう……あ
りがとうね……咲夜……待っていてくれて、ありがとう……」
「あ……ああっ……うっ……おじょう、さま……」
年老いて変わってしまった咲夜と、あの頃から何一つ変わらないお姉様が抱き合い、泣き崩れる。
二人を見ながら、私は想う。
嗚呼人間とは、本当に強いものなのだと。最愛の主人が眠り姫と化して尚生き続け、主人が目覚める事を信じて来た
その想いは、なんて絶佳なのだろうと。
「さくばあちゃん? 誰か居るの?」
戸口に一人の女性が現れる。若い頃の咲夜と見間違うほどの、明らかに血を受け継いだ子。
想いは輪廻し、人は輪廻し、血は受け継がれ後世へ脈々と伝って行く。流れなど無視するものじゃない。不自然に永
遠を望むものじゃない。全てはあるままに。
何も悲しむ事なんてない。
何も絶望する必要なんてない。
幻想郷は楽園。
そして新しい世界は美しい。
私達姉妹は、この幸せな世界を肯定して生きて行く。
「咲夜、皆でお茶にしましょう。久しぶりに、貴女のいれた紅茶が飲みたいわ」
「――はい、はい……、レミリアお嬢様……」
私への想いなど何時でもいい。私達は永遠だから。
今はただ、咲夜の為だけに、時間を使って欲しかった。
愛しているわ、お姉様。私の愛しい、愛しいレミリア。
この私の想いは無限かもしれないけれど、咲夜の想いには限界があるから。
これからは、流れに背かず、皆で、想いに力があると信じて、幸せに暮らして行きましょうね―――。
end
だがGJ゚(゚´Д`゚)゚。
泣かせてもらった
超GJ!
レミィ、フラン姉妹にバンザイ!!
あと、それほど状況は緊迫してたと言えばそうだけど、一応。「囮弾幕を交わし」は「交わす」に「回避する」の意味がないから、これじゃ弾幕に当たっちゃう!!(ここにある漢字の辞書より)
最後に貴方の作品にはいつもバンザイ!!
霊夢といい咲夜といい、子供なんて生んじゃって・・・父親は誰だ?
素敵な作品でした!
感想ですが、言葉が次から次へと湧き出しては消えていきます…。この気持ちをなんと表現して良いやら…。
もう、なんか、書いてくれて、描いてくれて、本当にありがとう。
力を入れた作品をそのように評価していただけると、此方も涙が止まりません。(いえ決して普段の作品の手を抜いている訳ではありませんが)
皆様の涙を無駄にせぬよう、今後も頑張って参りたいと思います。
次はもっとウフフしたいです。ウフフ。
・意表を疲れた-突かれた
・「懸命ね」-賢明
後編
・感覚や堪で-勘
・不意にする行為-ふい
・暮らしたし-暮らしたい
もっと早くに読めなかったのが悔やまれます。
大したコメントも書けないので簡易評価派なのですが(点数はそちらで)
今更かと思いましたが、あまりに気に入ってしまい
完成度向上の一助になればとキーボードを叩かせていただきました。
意図的・洒落・私の知識不足・解釈間違いの時は笑ってください。
感動しました。
『人間』は居ないとの表記で咲夜も居なくなってし
まったかと思いましたが、最後に会えて涙が出てき
ました。レミリアの『従者』であり続けた咲夜が良
かったです。