ウドンゲの足を縄が絡め取り、そのまま吊し上げる。
甲高い悲鳴をあげながら、ウドンゲはスカートを押さえた。足が上にくるのだから、こうしないと下着が全開になってしまうのだ。
「御覧あれ、姫様。見事な兎でございます」
「まあ素敵。煮て食べようかしら、焼いて食べようかしら」
「その前に服だけ剥ぎましょう。時に姫様は上だけ残す派? 下だけ残す派? ちなみに私はソックスだけ残す派」
「全裸」
「さすが姫様、男らしい」
なんてやり取りをしながら、輝夜とてゐが底意地の悪い笑顔を向けてくる。
ウドンゲの懇願は聞き入れて貰えず、その日は泣きながら永遠亭に戻った。
目覚めはいつも気持ち良い。
因幡てゐは布団から跳ね起き、肩をほぐしながら洗面所に向かった。
自室の扉を開け、くるぶしの位置に張ってあった縄に引っかかり、何故か置いてあった墨汁満載のバケツに顔面ダイブする。
玄兎の誕生であった。
「苦っ! そして不味っ! 姫の手料理よりかはマシだけど。てか、何事だ!」
トラップ大好きで知られるてゐだが、さすがに自分の部屋に仕掛ける趣味はない。勿論、この引っかかったトラップもてゐによるものではなかった。
誰か別の奴の仕業である。とすれば、真っ先に思いつくのは永遠亭の主人の顔。
ウドンゲを苛め隊の隊長にして、同士。蓬莱山輝夜だった。
「まさか突然の裏切り? 饅頭を盗み食いしたのを姫様の仕業にしたことがばれたのか?」
てゐも酷いが、似たようなことを輝夜もしてくるので同罪のようなものだ。
同士と呼んでおきながら、どっちも互いに腹黒い。
裏切られたとて、違和感は全くなかった。むしろ、どうして今まで裏切られなかったのか不思議なくらいである。
「イナバ!」
悩むてゐの元へ、当の輝夜がやってきた。廊下を踏み抜くんじゃないかというくらい、強い足音を響かせながら。
その顔は墨汁で真っ黒だった。
「偶然というわけでもあるまいし。誰かが故意に仕掛けた罠よね、これは」
偶然で縄が張られたり、顔がある位置にバケツを置かれては怖くて日常生活などやってられない。
「イナバ、何かこういうことをされる心当たりはある?」
「ありませんよ。私は日々を清廉潔白に生きていますから。姫様は?」
「勿論無いわ。古今東西、私ほど純粋な人間はいやしないもの」
自信満々で言い放つ輝夜。てゐは半ば冗談としても、輝夜の場合は本気で言っているのかもしれない。だとしたら、世間知らずにもほどがある。
「ウチの兎がこういう事をするわけないし、最有力容疑者の顔は墨まみれだし」
「私にとっての最有力容疑者の顔も真っ黒よ。それに永琳も違うわね。やるならもっと大胆で密かに進めていくもの。気が付いたら永遠亭の兎が全部ゴリラに変わってたって不思議はないわ」
「充分、不思議ですよ。何ですか、その地獄絵図」
兎に代わり永遠亭を跋扈するゴリラの群。ニンジン畑は潰され、バナナの木が植えられることだろう。
「妹紅はこんな回りくどいことしないし、慧音はこんなことしないし」
「永遠亭の中に自由に入れて、私たちに恨みがある奴なんて後は……」
意図したように、二人の頭に同じ兎の姿が浮かぶ。
そして同時に納得するのであった。そうか、鈴仙なら。
「考えてみれば、永遠亭にいるんだから腹黒くて当然よね」
「しかも、私たちの悪戯を肌を感じてるから技術もついてるし。門前の小僧、なんとやらです。それになにより、永琳様の弟子ですから、これぐらいの事はできても不思議じゃない」
「よっぽど追いつめられてたのね」
「まあ、追いつめたのは私たちなんでしょうけど」
犯人はほぼ判明したようなものだ。となれば、後はどうするか。仕返しするにしても、ただするだけでは面白くない。
なにより、ウドンゲが反抗してくるなんて二人は考えてもみなかったのだ。せっかくの抵抗、少しぐらいは多めに見るのが寛容さというもの。
「朝一で顔を黒くされたのは腹立たしいけど、私たちがしてきた悪戯に比べれば可愛いものよ。しばらくは様子を見てましょう。そのうち良心が咎めて謝りにくるわよ」
「謝りにくるかは別として、確かにそれほど悪質なことができるとも思えませんしね」
永遠亭において、これぐらいの罠は悪質なうちに入らないらしい。一体、どれぐらいのことをすれば悪質と認定されるのか。
「主たるもの、堂々としていなくちゃ」
えっへんと胸を張る輝夜。そういう動作さえ無ければ、多少は威厳があるというのに。
そう思ったが、てゐは何も言わなかった。
「あ、姫様にてゐ様」
廊下を通りかかった兎が声をかけてくる。二人はその兎の方へ振り返った。
「噂で聞いたんですけど、毎日豊胸体操してるって本当ですか?」
二人は顔を見合わせた。そして、にっこりと微笑みながら答えを返す。
「嘘に決まってるじゃない」
「そうそう、そんなこと全然気にしてないから。する意味ないし」
「ああ、やっぱりそうなんだ。いやあ、鈴仙様が言いふらしてたから、もしかしたら本当かなって思って。ごめんなさい、変なこと聞いちゃって」
そう言って、兎は廊下の向こうへ消えていった。
二人は屈伸や肩を回すことで筋肉を解しながら、思い切り空気を吸い込んで叫んだ。
「あんのぉ、クソ兎がぁっ!!!!」
遠く離れた竹藪にまでその声は届いたと、後に藤原妹紅は語る。
全速力で廊下を駆け抜け、てゐは鈴仙の部屋へと辿り着いた。輝夜は逃走の可能性を考え、永琳の部屋へと向かっている。
勢いよく襖を開けるが、案の定ウドンゲはいなかった。
代わりに、敷いたままの布団を見つける。掛け布団がわずかに乱れていた。
となれば、やることは一つ。
てゐは布団の上に手を置いた。
「むっ、温かい。まだ近くにいるぞ……っ痛ぇっ!」
ちょうど手を置いたところには、ねずみ取りが仕掛けられていたのだ。見事に引っかかったてゐの手は、真っ赤に腫れ上がっている。
恐るべきウドンゲ。てゐがこれをすると予想した上で仕掛けたのか。
怒りで我を忘れたてゐは、力任せにねずみ取りを外し、畳に叩きつけた。
そして大股で部屋を飛び出し、仕掛けられていた縄に引っかかり、置いてあった墨汁たっぷりのバケツに頭からダイブした。
デジャブ。擬音ではない。
「またこれか!」
本日二度目の玄兎誕生の瞬間である。
しかし、これでウドンゲが近くにいることはわかった。なにせ、ここへ入った時はこんな罠など仕掛けてなかったのだ。
てゐがネズミ取りと激しいバトルを繰り広げている最中に、こっそりと仕掛けに違いない。なんと陰湿な。自分のことを棚にあげ、てゐは毒づく。
辺りを見渡し、人影を発見した。走り出すてゐ。
しかし、よく見ればそれは慧音であった。だがせっかくだからと、てゐはウドンゲの居場所を聞いておくことにした。
「ねえねえ、この辺で鈴仙を見なかった?」
「いや、見てないぞ」
「あんがと」
手がかりは得られなかった。慧音は肩をすくめ、スカートをひらひらと舞わせながら去っていった。お馴染みの重要文化財のような帽子の端から、ぴょこんと兎耳が顔を覗かせている。
「…………………え?」
慌てて振り返る。
いやいや、慧音に兎の耳があるはずがない。ならば、あれは何だと言うのだ。
答えは単純。
「しまった、帽子だけで判断してたから騙された!」
てゐは急ぎ足で引き返すも、偽慧音の姿は見えない。
ちくしょう。人は帽子で判断しちゃいけませんよという、ウドンゲからの忠告を聞いておけばよかった。
後悔したところで、もう遅い。
全速力で走り、曲がり角を曲がったところで誰かとぶつかる。
「なんだ、そんなに慌てて。誰か捜しているのか?」
慧音だった。
「はん、二度も同じ手を喰らう私じゃない!」
そう言って、ラグビー選手顔負けのタックルをかます。慧音は身体ごと後ろへ押され、後頭部を壁にぶつけた。かなり鈍い音がする。
「……ほお、これは熱烈な歓迎だ。ならば、私もそれなりのお礼をしないとな」
後頭部をさすりながら、もう片方の手がてゐの頭部を掴んで離さない。
そして、慧音の頭がてゐの額にクリティカルヒット。
慧音の寺子屋名物の頭突きである。最近では里の人間がお土産として利用しているらしい。名物、慧音先生の頭突き煎餅。全部割れていることで有名だとか。
「っありがとうございます!」
頭突きをされたときは、必ずこう言わなくてはならない。無言や反抗は、即座に二発目へと繋がるのだ。
慧音はやることはやったと満足して、どこかへと歩いていった。
てゐは額を真っ赤にして、泣きながらウドンゲの追跡を再開する。
姫様はちゃんとウドンゲを捕まえられたのだろうか。
そんなことを心配しながら。
「永琳、ここにウドンゲがこなかった?」
「来てませんよ」
永琳の部屋へとやってきた輝夜。しかし、成果はゼロだった。
自室にいるとは思えなかったので、あえてここに来てみたのだが。どうやらアテが外れたらしい。
ひょっとすると、今頃はてゐによって捕らえられているかもしれない。そう思い、輝夜は部屋から出ようとする。
「姫様、ところで一つ聞きたいことがあるのですが」
「なに? 忙しいから出来れば後にして欲しいんだけど」
輝夜の言葉など聞こえない風にしながら、永琳は棚から一本の書簡を取り出す。紐を解き、中が見えるように広げていった。
「私の大切な書簡に落書きをした犯人が、姫だという噂を耳にしたのですが。真相を教えていただければと」
「なっ!?」
明らかに動揺する輝夜。それもそのはず。その噂こそが真相なのだから。
「いや、あれよ、永琳。ちょっと凄いこと思いついちゃって。でも、私ってば長生きじゃない。だから、すぐ忘れちゃうのよ。それで、覚え書きというか、手近にあったものに書いちゃったのよね、こうさらさらっと」
「これが、姫のおっしゃる凄いこと?」
書簡には『必殺! 六つ目の難題』と書かれていた。
「紅魔館のメイド長のパッド。なんですか、これ」
確かに難題である。他の五つと比べて種類と難易度が桁違いだが。
「そろそろ私もお年頃じゃない? お茶目がしたい年頃なの」
「いつの話ですか。姫の適齢期はとっくの昔に過ぎてるでしょう」
「でも、ひょっとすれば言い寄ってくる男がいるかもしれないじゃない」
「幻想郷で姫に言い寄る男なんていません。杞憂です。無駄です。というか、私の書簡をどうしてくれるんですか」
怒鳴りはしないが、静かに輝夜を追いつめていく永琳。ここまでくると、もはや言い逃れはできそうにない。
いっそ謝るか。しかし、それは矜持が許さないし、謝ったところで永琳が許してくれるとは思えない。冷酷な時はとことん冷酷なのだ。
「黙りなさい永琳。主のしたことに文句をつけるつもりなの?」
精一杯の威厳を総動員して、主人の権限を振るう。永琳は無言で書簡を巻き戻し、冷たく言い放った。
「一週間おやつ抜き」
「本当にすいませんでした! 心の底から反省しております!」
ジャンプから土下座への見事な移行。通称ジャンピング土下座。これ以上ないというくらいの謝罪である。
威厳は一瞬にして旅に出てしまったらしい。捜さないでくださいという書き置きを残して。
だが、矜持や威厳に拘っている場合ではない。永遠亭における三時のおやつは、宇宙における空気に等しい。
しかも、今週はニンジンが豊作で、キャロットケーキが毎日のように振る舞われる予定だった。それを食べ逃すわけにはいかない。
「姫、そんなことをしなくてもいいんですよ」
「……えーりん」
優しい口調で、永琳は輝夜の頭をあげさせた。
思いは通じるのだ。心の中で輝夜は勝利の雄叫びをあげた。
「どんなに謝ったところで、おやつ抜きの処罰がくつがえることがないんですから」
雄叫びのしすぎで雪崩が起こった。巻き込まれる心の中の輝夜。
永琳はやっぱり永琳だったらしい。
さよなら、キャロットケーキ。
しばらくして、ようやく二人は合流した。
片や顔を真っ黒にしたてゐに、片や生気を抜かれたような輝夜。
「どうしたんですか、姫様」
これには、さすがのてゐも事情を聞かざるしかなかった。
輝夜は目尻に涙を溜めながら答える。
「永琳がね、私だけ一週間おやつ抜きだって言うのよ」
「あれ、姫様ってキャロットケーキ好きでしたっけ?」
「それほどは。ただ、あなた達が幸せそうに食べてるのを私だけ指をくわえて見てるのは我慢ならないのよ!」
恐ろしく我が儘な意見だった。さすが姫。
「半分寄越しなさいよね」
「嫌ですよ。別に私は永琳様に怒られてないですもん」
「永遠亭の主からの命令よ」
「キャロットケーキを食べられない姫様の命令なんて、全然怖くありません」
「私、キャロットケーキ以下!?」
などと、半ば喧嘩に近いやり取りを繰り広げたところで、ようやく当初の目的を思い出した。
そうだ、ウドンゲを捜さないと。
「最初は放っておいても、それほど害は無いと判断してたけど、とんでもない兎ね。たった一時間で私の心と威厳はボロボロよ」
「まあ、最後の一つは最初からボロボロでしたけど」
そう思ったが、てゐはあえて心の中だけで止めておくことにした。
「なんですって!」
まさかの心理漏洩。再び喧嘩が勃発する。
時には罵り、時には殴り合いながら、最後は夕日の河原でお互いの友情を確かめあった。嘘だけど。
「そうよ、私たちの目的は同じ。イナバの捕獲。だから、元々争う必要なんかなかったのよ。どっかの兎が馬鹿なこと言ったせいで」
「そうですよね。私も言わなくていい本当のことが、ついうっかり口から漏れて。誰だって図星を突かれれば怒りますもん」
棘だらけの会話をしながら、互いに舌打ちをして顔を逸らす。一瞬にして、友情という名のメッキが剥がれてきた。
「とにかく、今はイナバを捕まえるのが最優先よ。というわけで、あれを御覧なさいイナバ」
輝夜の示した先には、廊下にポツンと置かれたニンジンの姿が。
長い廊下に一本だけ落ちたニンジンは、はっきり言って少し不気味だ。
「なんですか、あれ」
「ニンジンよ。ただし、強力下剤が付着してるの。イナバだって所詮は兎。ニンジンの誘惑に耐えきれず、あのニンジンに齧り付いたところでゲームオーバー。私達が手をくだすまでもなく、仕返しは終了よ」
とうとう下剤まで持ち出したか。どこまでも、えげつない姫だ。てゐは少し呆れた。
しかし、今はこれぐらいしか方法がない。
二人は手頃な部屋に隠れ、こっそりと廊下に置かれたニンジンを観察する。本当にこれで上手くいくのか。てゐの心にはかなりの猜疑心で溢れていた。
「まあ見ていなさい。きっと上手くいくわよ」
「おっ、こんなところにニンジン発見。今日の夕食にしてやろう」
一瞬にしてニンジンは消え失せた。黒い魔法使いが去っていく姿が見える。
てゐは冷たい目で輝夜を見つめた。
「なんということ、期せずして泥棒を退治してしまうなんて。私の才能に嫉妬」
「素直に失敗したと言ってください」
それでも輝夜は失敗を認めはしない。さて、どうしたものか。
「てゐ、そんなに悩んでると毛が抜けるよ。もっと気楽に考えないと」
「そうは言っても、まさか鈴仙がここまで手強かったなんて」
「本当よ、もっと簡単に捕まえられると思ってたわ。以外としぶといのね、あの子」
「いやぁ、そんなに褒められると照れるんですけど」
二人の動きがピタリと止まった。ところで、いま私たちは誰と会話をしていたのか。
ゼンマイ仕掛けのように後ろ振り向くと、そこには探し求めていたウドンゲの姿があった。何食わぬ顔で苦笑している。
思わず二人は後ずさった。今日の出来事を振り返る限り、目の前の兎はただの狩猟対象ではない。虎視眈々と牙を研ぐ、凶暴な兎なのだ。
「そんなに怖がらなくてもいいのに。まあ、これに懲りたのなら、今度からはもう少し私に優しくしてくださいよ」
そう言われ、思わず二人は首を縦に振った。恐怖心がそうさせたのだろう。
満足したのか、ウドンゲはニッコリと微笑むと、二人の前から姿を消した。それを確認して、二人は胸を撫で下ろす。
「気を付けましょう。あまり怒らせない方がいい。今度から悪戯の頻度を一日一回から二日に一回にすることにしたわ」
「私も悪戯のクオリティを半分にします」
それが二人にとっての優しさだった。相対的な優しさではなかったが。
なんにしろ、良い教訓となったことに違いはない。
窮鼠猫を噛む。どうやら猫だけでなく、兎も追いつめられると怖いらしい。
輝夜とてゐは肩から力を抜き、ゆっくりとした足取りで部屋から出ていく。
「あっ、姫様とてゐ様。豊胸運動に失敗してお腹を背中がくっついたって本当ですか? さっきそこで鈴仙様が……」
二人は全速力で駆けだした。
ウドンゲとの戦いはまだ終わらない。
大変面白かったです。
>無言や反抗や、即座に~
これは 無言や反抗は では無いでしょうか?
修正いたしました。ご指摘ありがとうございます。
普段おとなしい人ほど怒らせると怖いということですね、続きが凄く読みたいです。
うどんげもいたずらを続行する辺り相当腹に据えかねていたんだろうなwwwwwwwww
いいぞうどんげもっとやれ、黒いあなたもキュートです。
どのキャラもらしくて良かったです。
永遠亭の日常は素敵ですね。
玄人ってかw
腹抱えて笑いました。ありがとうございます!