薄暗い廊下の微かな中で、仄白い二つの丸い物体が上下に揺れていた。
――永遠亭。
見渡す限り襖、襖、襖……廊下、廊下、廊下……。
てゐは裸足で床をぺたぺたと鳴らしながら、ときどき立ち止まり、辺りを見回す。
「また居ないわ」
腕を組み、眉をハの字に曲げて『うーん』と一つ唸った。
歩くのも見回すのもやめて、そのまま思案に耽る。
時間はまだ午前六時……部屋には居なかった。
(お師匠様、どこ行ってるんだろ……)
始めの頃は何とも思わなかったが、流石にこれは不自然だ。
永琳が何時に起床しているのかはわからないが、てゐが日課の体操と散歩を済ませ、朝風呂を浴びて……それでおおよそ午前六時。
大体その頃には永琳は部屋で何か考え事をしながら茶を啜っていることが多かった。
(もうちょっとで一ヶ月になるけど……)
永琳の外出が慢性化してから、およそ三週間。
(外に男でも作ったのかなぁ?)
発想がいきなりえげつなかった。
しかし考え始めるとそれもまた不自然である。
何歳だか不明だが相当長生きなのは確実、今更色恋にうつつを抜かすこともなかろう。
(無いわね)
その気になれば惚れ薬でもなんでも作ってしまうだろうから、ありえない。
永琳はいつもクールでドライだった、男に特別興味があるとも思えない。やはりこの線は無いだろう。
それに、まったく見かけないが帰ってはきているようなのだ。
夜中に自分で服を洗濯して干しているようだ、これは動かぬ証拠であろう。
干しっぱなしというわけでもないらしい、鈴仙が取り込んでやってるようだし。
試しにてゐも取り込んでみたら、翌日、夜のうちに洗ったと思われる洗濯物が新しく干されていたし。
――何してるのかな?
少し前に永琳がウサ耳フェチだとか『えーりんはてゐに恋してる☆』などと気色悪い噂が濃厚に漂い始めたので、全力で抵抗した。
その一件があるだけ余計に、男に興味が無いように感じてしまうのかもしれない。
てゐは複雑な表情を浮かべながら、もこもことした自分の耳を撫でてみた。
そういえば、以前から永琳はやたらてゐの頭を撫でる癖があったが……。
「お師匠様ー……」
変な噂があるため、居たら居たで我が身が心配なのだが……。
居なければ居ないで、今度は永琳が少し心配だった。
「お師匠様ーっ……そろそろ薬の在庫が切れそうですよーっ!」
居ないのはわかっていつつも、声を張り上げてみた。
「水兵リーベ僕の船!! はい!!」
「水兵リーベ僕の船!!」
そんなてゐの気も知らず、永琳先生は紅魔館で一生懸命化学の授業を行っている。
寺子屋でもそうだったが……永琳は授業の進め方が上手だったので、生徒達が大人しくなったことで、その手腕は遺憾なく発揮されていた。
「『すい』は何の略かしら?」
「水素ー」
「よろしい、では紙に書き出してみて?」
「え、えと……」
「ふふ、わからない? こう書くのよ」
「あ、そうだ」
現在九日目。
まだまだ不完全な者は多いが、生徒達は文字の読み書きもそこそこできるようになっていた。
漢字は流石に難しいようだが、平仮名、数字、アルファベットならばある程度書けるようになった。
ならばと永琳は、化学を教えつつ語学も教える手段を取ったのだ。
「意外と飲み込みが早いわね」
本棚の裏から覗く藍は、驚いたように目を丸めている。
「空っぽの脳みそに詰め込むのなんてそんなに難しくもないんでしょ」
「そういうものかなあ?」
横に居るパチュリーは少々否定的だが、生徒達の授業態度がまともになったことには素直な喜びを感じていた。
厳しいことは言いつつも、その表情には明るさがある。
「だがやはり、一週間丸々無駄にしたのは痛いな」
慧音は腰に手を当てて、難しそうな表情を浮かべている。
何せ、元々二週間かけて教えるべき予定を急遽変更して、一週間を語学に当てた……にも関わらず授業にならなかったのだ。
語学中心に教えれば良いパチュリーに選択の余地は無いだろうが、ある程度の語学知識が最低条件として揃っていなければ、
他の科目を教えるのは容易ではない。
残り五日……最終日は試験なので、その五回の授業の中で、語学にどの程度比重を割くかは死活問題だった。
やりすぎれば、ただパチュリーに塩……もとい、敵に塩を送るだけ。
かといって、おろそかにしすぎれば自分の科目が破綻する。
「あと三日ぐらい語学をやらなければ、話にならないんじゃないか? 歴史は……ハハッ」
藍がそう言い、皮肉いっぱいに笑った。
藍の教える数学、数字さえわかればそこまで問題はないのだ。
もっと高度になると別だが、今教えるべき数字の構成は、一般的な語学に比較して単純明快で理解しやすい。
紫が、試験問題を全て文章題で出す、ということは考えられなくもないが……。
『チクらないで! 藍!』
別に揺するわけではないけれど、紫が藍を強気に攻められない理由もある。
数問、文章題を出す可能性はあるだろうが、あからさまに不自然な問題構成にはしないだろう。
というよりそもそも、自分の式神にまで嫌がらせをするなと言いたい。
こうして見ると藍、パチュリーにはこの状況がいくらか有利に働く。
対する慧音と永琳は若干不利。慧音は経験、永琳は機転を利かせていかなければ厳しいだろう。
「語学はもう教えないのか、八雲先生」
「カリキュラム内の数学を教えるのに十分なレベルには達してるよ。もう私から教える必要は無いわ」
「パチュリー先生はともかく、八意先生と私もまだ語学を教えているんだぞ?」
「元々一週間という約束だったじゃない。まぁ、私は少しおかしくなっていたけど」
「状況が状況だ、仕方がないだろう。随分と酷なことを言うんだな」
抜け駆けしようとする藍を慧音が鋭くにらみつけた。
しかし藍は両手をそれぞれ袖に突っ込み、微塵の恐れも無く慧音を見下ろす。
「日和ってるように見せてるんだかなんだか知らないが、その手には乗らないよ」
「な……っ」
澄んだ金色の瞳は、まるで慧音の心の中を見透かしているようだった。
「ここは一つ正論を唱えてやろうか」
藍は胸を張り、萎縮する慧音を睨みつけて続ける。
「そんなに真面目に教えたいなら、この決闘が終わったあともここに通って教えてやれば良い事だ。
……今は私闘でしかないんだよ上白沢先生。私達は生徒を巻き込んで勝手に争っているんだ。
上手い具合に生徒を手懐けてそれを許してもらおうなどと、そんなものは我々の側のエゴにすぎないのさ」
「く……流石数学教師、理屈っぽいな」
「冷たいようだが決闘は決闘。残りの五日間は冷酷に、計算高くいかせてもらう。
生徒達が可愛くなれば、咲夜にでも頼んでまたここに教えに来てやる、橙も連れてね」
「……」
「私のターゲットはお前だ上白沢先生。私の爪牙はいつだって、その白い喉笛を狙っているということを忘れるなよ」
「ふん……わかってる」
悔しいが藍の言うことは正しい。
上手に乗せて、語学の授業を手伝わせようと目論んでいたのも事実だ。
「生徒達は騙せても、私達はそう簡単に行くと思わないことね」
「パチュリー先生……」
「ま、性格的に本気でやってる部分もあるんでしょうけど……そういう貴女の真面目な部分こそが毒だわ。
なまじ真面目で優しい所があるから、本気なんだか騙そうとしてるんだか、わからなくなるのよ」
「……く……」
「ならば一切信用しない、鉄壁の守りで貴女を迎え撃つ。悪く思わないでね」
パチュリーはそっと髪の毛をかきあげ、トドメの一言を呟く。
「……これは勝負だから」
藍とパチュリーの凄まじい威圧感を前に、慧音はそれ以上追求することができなくなってしまった。
本気で生徒を教えたいと思う気持ちが半分、決闘なんだから勝ちたいと思う気持ちが半分……。
パチュリーは、慧音の策略に引っ掛けられて三つ編みを切り落とした永琳を目の当たりにしている。
自分自身のターゲットであるところの永琳もそうだが、慧音に対しても一切の油断は禁物なのだ。
本当に教えたいのなら決闘などという括りも、期限も外すべき……確かに、返す言葉も無い。
今までは生徒に翻弄され、間抜けな部分ばかりが露呈していた教師達だが……。
なるほど皆頭が良い、そう簡単に引っかかってはくれない。
追い詰められて立ち尽くす慧音を横目で見……教室の永琳先生もにやりとほくそ笑んだ。
時刻は二時間目と三時間目の間の昼休み……。
「お腹空いたぁ……」
「今日は給食なしかぁ……」
生徒達がうなだれ、机の上にベロンと倒れこんでいる。
妖精は食事を必要としないから、正確には空腹の錯覚に苦しめられているだけだろう。
少し経てば忘れてケロッとしてしまうに違いない。
一応今までも給食の制度があった、しかし作るのは全部咲夜だ。
よって咲夜の機嫌が悪いと飯抜きになる。
表面上は涼しい顔をしている咲夜だったが、レミリア……はまぁ良いとして、
紫のわがままでこんなことに紅魔館を使われて、鬱陶しいと思う気持ちはけして小さくはなかったのだろう。
働きもしない奴をなんで養ってやらなければならないのだ、と思い、不満だった。
「なんだ、咲夜の作る食事は美味いんだがな」
慧音も腕組みをし、残念そうにため息を吐いた。
しかしその横で永琳がにやけている。
「ふふふ、そろそろ給食のおばちゃんの機嫌が悪くなる頃だと思っていたのよ」
給食のおばちゃんとは酷い言われようだった。そりゃ咲夜がへそを曲げるのも無理はない。
そんな咲夜の気まぐれを予測していた永琳は、大きな風呂敷を担いできて教卓に置いた。
「おにぎりを作ってきたのよ、さぁ、食べましょう皆。先生達も……フフフ」
「わーい!」
「チッ!!」
「小細工を……!!」
抜け目無い永琳の行動が教師達の神経を逆撫でする。
慧音と藍が額に青筋を浮かせる中、パチュリーだけは少時考え込み、それから急いで口を開いた。
「腋で握ったおにぎりなんか食べたくないわ……!!」
藪から棒に飛び出したパチュリーの言いがかり。生徒達の手が止まった。
永琳は何が起こったのかわからず、何度も目をしばたたいている。
「わ、腋!? 何を根拠にそんなことを言うの!?」
「月人は腋でおにぎりを作るって、本に書いてあったわ!」
永琳の行動阻止には多少無理のあるパチュリーの言いがかりだったが、バカな生徒達には深刻な問題だった。
皆手を止め、刺激臭を嗅ぐときの動作で永琳の作ってきたおにぎりの匂いを確かめている。
不思議なもので、ちゃんと手で握ったのだから異臭など漂うはずもないのだが、生徒達は皆表情を歪めていた。
思い込みの力とは凄まじいものである。
「デマよ!! そんな……そんな、霊夢みたいなことはしないわ!!」
霊夢もそんなことはしない。
もちろん萃香もしない。
しかし慧音は、腋で作ったおにぎりを魔理沙に食べさせる霊夢を想像して「ウッ!」と呻き、口元を押さえた。
想像の中の、すごく嬉しそうな魔理沙の顔が哀しかった。
「ふ、ふふ……危ないところだったわ」
パチュリーが冷や汗を拭い、ほくそ笑む……危なく生徒達の人気を掻っ攫われるところだった。
多少強引だし、美少女にあるまじき危険なネタではあったが……とにかく、永琳の作戦は阻止した。
「多分、変な薬も入っているぞ!!」
「言いがかりよ!! う、うぅ……」
すかさず藍の追い討ちが入る、生徒達は嫌そうな顔で永琳をちらちらと見やりながら、席に戻っていった。
「な、なんでよ……なんでこんな見え見えの嘘に騙されるのよ……一生懸命作ったのに……」
――こんな抜け駆け許さない――
慧音の策略然り、永琳の策略もまた、新米教師二名のラフプレーによってご破産となった。
寺子屋のようには行かぬ……優秀な二人の教師はここにきて壁にぶち当たった。
「うっ、うっ……おいひい……うぅ」
「……わにぎり……」
「自分で作ったわにぎり食ってる……」
「食べてよぉ……うぅ」
永琳のおにぎりは通称『わきにぎり』……略称『わにぎり』という酷い名前を授かった。子供は残酷だ。
永琳は「危なくないからお食べ」という意味でわにぎりを食べているのだが、あまり効果は無い。
「第一、腋で握るなんて、手で握るよりも非効率じゃないの……そんな意味の無いことしないわよ……ぐすっ」
効率的ならやっても良いのかと言われると首を傾げるが、永琳は意外と冷静だった。
泣いてるかと思わせつつ、たまに目の下に思いっきりタイガーバームを塗っていた。嘘泣きだった。
しかし、嘘泣きだと気付いているのかどうかは不明だが、やはり生徒達はわにぎりを食べようとはしない。
だがここで完全に失敗してしまうのは大きな痛手……永琳は泣き落としの手を緩めようとはしなかった。
大粒の涙を絶やさぬよう、目の下に絶え間なくタイガーバームをすり込む。
「永琳先生」
「……?」
「皆、私は食べるよ」
「え? ほ、本当?」
突如歩み出た一人の生徒がわにぎりを手に取り、無言で見つめた。
生徒と永琳は息を飲んでその動向を見守っている。
「いただきまーす」
「ありがとう……私を信じてくれるのね」
「……?」
「どうしたの?」
わにぎりを頬張った生徒は難しそうな顔をし、虚空に視線を泳がせている。
なんだか納得の行かないような表情だった。
「あ、あの……おいしくないのかしら?」
永琳はとても丁寧に作ってきたつもりだ。
まぁ、そもそもおにぎりなんてそれほど手の込んだ料理の部類には入らないだろう。
そこまで大喜びして食べるようなものではないのかもしれないが、だからといってこの不愉快そうな表情はなんだろう。
「……つき」
「へ?」
「うそつき!」
生徒が激昂し、永琳を睨み付ける。
手にしたわにぎりは握りつぶされて型崩れし、床にぼろぼろとこぼれ落ちた。
「ほ、本当に腋でなんて握ってないわよ!?」
「違うわ!!」
「!?」
「腋で握ったのが良かったのに!!」
「……」
なるほど、変態だったか。
月の頭脳はすぐに状況を飲み込んだ。
「腋の味なんて微塵もしない! 私の舌はごまかせないんだから!!」
「い、いやそんなことを自慢されても……」
そんな、わけのわからない生徒と永琳のやり取りを見ていた他の生徒達が、ぞろぞろと歩み出る。
「紅魔館一の腋フェチのあいつが言うなら、あれは本当にわにぎりではないようね」
「流石、紅魔館一の腋ソムリエよね」
なんだそれ。
「いただきまーす、永琳先生」
「永琳先生ありがとー!」
「……」
永琳の心中は複雑だった。食べてもらえたし、信用も取り戻せて万々歳のはずなのだが。
ふと慧音の方へ視線をやると、慧音はどこか達観したような表情をしていた。
寺子屋の変態生徒を思い出しているのかもしれない。
「う、うっ……永琳先生のバカ、嘘つき……永琳先生の腋!!」
「わ、腋!? ……で、でもそういうのは博麗の巫女に言った方が良いわ。もしくは鬼の伊吹萃香」
体育座りをして泣きじゃくる腋ソムリエにかける言葉が無かった。
相手したくもなかった。少しはその歪んだ性癖を恥じろと思った。
このようなくだらない騒動はたびたびあるものの、授業は概ね平常に進んで行った。
やはり慧音とチルノの決闘は強烈だったのだろう。
慧音はあの後ほくそ笑んでいた、本当に髪が短くなったことを悲しんでいるのかどうかは不明だ。
三時間目に自分の授業を終えたパチュリーは、四時間目の慧音の授業を見つめている。
手には咲夜から受け取ったコーヒー……だがその香ばしささえも、パチュリーの意識の中に入り込めない。
そのぐらい深く考え込むパチュリー、表情も硬い。
――また寝ているわ、あいつ――
サングラスをかけたまま、不自然な体勢になっているルーミアを睨む。
チルノは時折知恵熱を出してぶっ倒れたりしながらも、一生懸命授業を受けるようになった。
橙は藍に言われてからというもの、特に目立つこともせず、大人しい。
しかしルーミアだけが未解決……相変わらず何事にも縛られず、のらりくらりと授業を受けていた。
パチュリーはコーヒーを二口ほど飲み、小さな息を吐く。
チルノのように騒ぎ立てるわけでもない、刺客として送り込まれたにしてはさほど問題が無いように見える。
ほとんどの授業で寝ているから試験の結果を想像すると恐ろしいが、それも全科目低得点ならばあまり痛手にはならない。
「……そうね」
そっと一人ごちる。
ルーミアは手付かず……語学だけ高得点を取らせれば、他に差をつけることができるのではないか。
しかしあの天然モノ相手にどのような手段で攻めれば良いかは難しい問題である。
それが難しいからこそ、ルーミアが最後まで手付かずで残っているといっても過言ではなかろう。
困ったことに、数学の授業だけはそれなりに受けている。
ルーミアの計算範囲は藍の努力もあって、4ビットから5ビットへと進化した、これは大きい。
相変わらず二進数で記述することが藍の悩みの種ではあったが……ここを克服されたらまずい。
(先手で動かなければいけないわ)
パチュリーはここまで良い所がほとんど無かった。
慧音や永琳は経験を生かして生徒達から注目を得ているが……。
コーヒーを片手に、歩き慣れた図書館を巡る。
何か手がかりになるような本があるかもしれない。
十日目。
その日パチュリーの異変に気付いたのは永琳だった。
他の教師の授業中、今まで以上に熱心に観察している……その視線の先にはルーミア。
たまにぼつぼつと何かを呟いては、顎に手を添えて考え込み始める。
そして、首を小さく横に振り、ため息を吐く。
(へぇ……)
ルーミアを狙っている。天才、八意永琳はすぐにそのことに気が付いた。
パチュリーには「わにぎり」の借りがある。
思い起こせば、喘息の特効薬やら、特製湿布やら、あれこれと援護してやった。
「恩を仇で返す」とはまさにあのことだったろうと永琳は思う。
(そういえばあの本のことも恨まれているわね)
事が済めば用もないし「デキる教師のバイブル」はそっと返しておくつもりだった。
無断で借りたのは確かに良くなかっただろうが、ここまで目の仇にされるのも少々落ち着かない。
(いっそ徹底的にやり込めてやろうかしら、うふふふ)
慧音だけを狙いたいのに、外野が鬱陶しい。
藍は尻尾が気持ち良いので今は大目に見てやろう。
だが、あの喘息魔女は打倒慧音の上での一つの障害に過ぎない……。
そして十日目の午後、永琳の授業中。絶好のタイミングでルーミアに異変が現れ始めた。
「あ、あぁー……苦しいよー……」
魔法図書館がそもそも薄暗いし、サングラスをかけていて気付かなかった。
ルーミアはここ最近「なんかしんどいなぁ」と思っていたが、目以外が微かな光にやられたらしい。
「どうしたの?」
「肌がひりひりするの……」
「どれ? 見せてみなさい」
永琳はここぞとばかりにルーミアに駆け寄り、診断を始めた。
「枝毛もすごいわね」
「う、うぅ……日焼けが……」
普段日光に当たらないせいか、ものすごく敏感肌だった。
ルーミアもパチュリーに負けず、随分デリケートなのかもしれない。
「私に任せなさい」
「え、永琳先生はなんだか頼りないから、いい……」
ルーミアは失礼だった。
ここ最近の永琳の失態を目の当たりにしていれば無理もないが……。
しかし、永琳はそれについてまったく怒る様子も無く、自分の腕をルーミアの前に突き出す。
「ふふ……見なさい、私の肌を」
「び、美肌が眩しい!?」
「コラーゲンたっぷりよ!」
「こ、コラーゲン……!?」
外野でパチュリーが「しまった……!!」と呟き、恨めしそうに永琳を睨んだ。
そしてそろそろ気付く頃だろうと思っていた永琳は、そんなパチュリーに視線を送り、ニヒルにほくそ笑む。
永琳が懐から小さな容器を取り出し、ルーミアの机の上にそっと置いた。
そしてルーミアの顎を掴んで、その視線を奪う。
「……これを使いなさい『八意美肌クリーム』よ」
「本当に大丈夫なのー……?」
「大丈夫よ、わにぎりだってデマだったじゃないの」
未だに踏ん切りのつかないルーミアの腕を、半ば無理矢理に引き寄せる。
ルーミアが「あっ……」と小さな声を上げたときには、既に八意美肌クリームがその腕に塗り込まれていた。
「こ、これは……!!」
「どう?」
「は、肌が喜んでるのがわかるよ!!」
「そうでしょう、ふふふ……あははは」
「すごいー!」
ルーミアが感動のあまりに永琳に飛びつく。
永琳は少し姿勢を崩しながらもルーミアを受け止め、その場でくるくると回った。
変な光景だった。
「く、くっ……!!」
――人を呪わば穴二つ。
九日目に永琳の行動を阻止したパチュリーはこうしてしっかりと復讐された。
しかもその後永琳は「ひいきはいけないわよね」と言い、全員に八意美肌クリームを贈る事を約束。
他の生徒も皆お肌の荒れを気にする乙女である。昨日わにぎりで下がってしまった永琳先生の株は、今度は急上昇した。
物で釣るとは卑怯な気もするが、ルールを司っているはずの紫は特に何も言わなかった。
変にしゃしゃり出て恨みを買うと、慧音の足を掴んだことがばれた時に危険だからである。
まさに結界を張るかのごとく息を潜めて身を固め、嵐が過ぎ去るのを待っているのだった。
へたれだった。
レミリアは寝てた。
こうして転校生の問題も片付いたことになる。
慧音にはチルノ、藍には橙、永琳にはルーミア、というカップリングが完成された。
別に人気投票があるわけでもないし、パチュリーがそこまで不利かと言うとそうとも言い切れない。
しかし心情的には複雑である、散々行ったアグレッシブな教育で他の生徒も未だにパチュリーだけは警戒しているし。
(ここは紅魔館……私のホームグラウンドなのよ)
それでもパチュリーは挫けない。
紫の目をかいくぐれば咲夜、レミリアをうまく使う事だって可能だ。
そう考えれば、もともと持っていたハンディが埋まっただけとも言えるのかもしれない。
語学はどの科目にも影響を与える科目……。
前半で顕著だったが、未だ生徒達の言語能力が不十分な中、担当のパチュリーが潰れるのは問題がある。
語学を教えられるかどうかではなく、語学だけを教えていい時間は既にパチュリーしか持っていない。
(もう一度作戦を見直す必要があるわ……)
隙あらば、教師と転校生のカップリングを崩すのもありだ。
他の三人もまだ安心はできない。
授業終了後、藍は一人きりの八雲邸で湯船に浸かりながら考え事をしていた。
紫は紅魔館にお泊り、橙は学生寮にお泊り……寂しいような気はするが、開放感もある。
(私の持つカードは……)
式神の橙、そして紫の弱み。この二点が現時点での藍の切り札である。
授業としては今のところスムーズ、数学は良い感じに進んでいる。
加算減算まで教えた。ペースが早いようにも思うが、ある程度は仕方ないだろう。
藍の見解では、時間が無いのは他の教師も同じだし、その中でも自分が一番進んでいると思う。過信ではない。
強いて挙げれば二番目は永琳だろう。パチュリーはよくわからない。慧音は上手く行っていないようだ。
(ルーミアが十進数を覚えれば、たちどころに有利になるんだが……)
なんとルーミアは二進数を扱わせている限り100%の正解率を誇る。
本当にあの頭の中はどうなっているんだろう、と不思議に思う藍だった。
そしてもう一つ思うのは、ここに来て対立関係が明確になってきたこと。
元々いがみ合いによって発生した決闘ではあったが、それぞれの照準が絞られてきたように感じる。
パチュリーは藍に目もくれないし、永琳も同様……。
一度、わにぎり騒動の際に藍が永琳の妨害に混ざったが、それに対する復讐は無かった。
『藍、しっぽ!』
なんとなくそう言われたような記憶があるのだが、はっきりと思い出せない。
もしかすると尻尾のおかげで永琳の攻撃を免れているのだろうか、まぁ、それほど重要なことではないが。
藍としても、よほど変なことをされない限り永琳は眼中に無い。
――さて、慧音をどう料理してやるかな?――
授業の進行があまりスムーズでないようだから、わざわざ妨害工作をする必要も無いかもしれない。
放っておいても自滅する可能性さえあるわけだ。そのための布石として語学の援護も断った。
(生徒達が少し哀れな気もするけど)
慧音の気持ちがわからないわけではない。
しかし藍の考えは慧音にしっかりと伝えた。教えてやりたければ、決闘ではなく個人的に紅魔館へ赴けば良いのだ。
藍は立ち上がり、お湯を吸った尻尾を一つずつ絞る。
明日も授業だ、そろそろ休まなければ。
一方、藍の対抗馬である永琳は深夜になるまで時間を潰してから永遠亭に帰る。
あまり早く帰るとウサギ達による攻撃を受ける可能性があるためだ。
なんで自分の家、そして自分達のペットにびびらなければいけないのだ、と疑問には思うが……。
(優勝すれば、全てリセットできるのよ……)
優勝までする必要も本来は無いのかもしれない。
最低でも慧音より上の順位になることができれば……あの真面目な慧音のことだ、敗北を認めて永琳の歴史を元に戻すだろう。
それ以外にも、マイナスイメージになる歴史を少しいじらせれば良い。
音を立てないように廊下を歩き、音を立てないように自分の部屋の戸を開ける。
八意美肌クリームの用意もしておかなければいけない、在庫はどれぐらいあっただろうか。
あの生徒達の気質を考えると、嘘つきには相当厳しいだろう、約束は守らなければ……。
(まぁ、とりあえずお風呂入ろうかしら……)
永琳はタンスから着替えを出すついでに、洗っておいた服をしまおうと思った。
いつもなら鈴仙が取り込んで永琳の机の上に置いておいてくれる。
今日もそのつもりで居たのだが、机の上に服は無かった。
「あら?」
忘れられたのか、それとも……鈴仙に見限られたのか?
まさかそんなことはあるまいと、目に付くところを見て回ったが、やはり無い。
(ウドンゲ……)
ああ見えて結構冷酷なところもある。それほど不思議ではないが……。
(やはり絶対に勝たなければ、これは永遠亭崩壊の危機よ……)
一応輝夜居るのに。
永琳は輝夜のことはすっかり忘れていた、酷い話だった。
輝夜は輝夜で永琳のことを忘れて寝てばかりいた。
最近は妹紅も来ないので自由だった。酷い話だった。
一回、側転の練習をして肩を脱臼したのだが、永琳が居なくても自力ではめることができて嬉しかった。
輝夜が永遠の時の中で自分の成長を実感した瞬間だった。
永琳は、そんな永遠亭の状況も全然知らない。
それについて少し罪悪感も無いではないが、ここは耐え忍ばなければなるまい。
こうして改めて自分の勝利を誓ったとき、背後から聞き慣れた声が響いた。
「探し物はこれですか? お師匠様」
「……てゐ?」
暗闇の中で赤く光る瞳は鈴仙ではなく、てゐだった。
両手で永琳の服を抱え、無表情で見つめている。
どこかに豆ランチャーを隠してるんじゃないかとビクビクしながらも、永琳は極力冷静に振舞った。
「貴女が取り込んでくれたの?」
「鈴仙が取り込もうとしてたんですけど、今日は私にやらせてくれって頼んだんです」
そしててゐは不気味に微笑んだ、口元は笑っているが目が笑っていない。
「こうでもしないと、お師匠様に会えないかな……って」
「そそそ、そう……で、どどど、どうしたのかしら?」
冷静に振舞ってるつもりなのだが、思いっきり声が震えていた。
永琳は無意識のうちに尻を手で押さえていた、どこから部下のウサギに狙撃されるかわかったものではない。
「何してらっしゃるんですか? 最近」
「え、え?」
「私達に言えないようなことしてるんですか?」
「……何故そんなことを訊くの?」
永琳は、てゐが自分に対してそこまでの関心を示しているのが不思議だった。
これまでだってほったらかしだったし、てゐもそんな永琳の態度に特に何も言わなかったし。
「師匠」などと呼ばれているから誤解されがちだが、鈴仙だって常に永琳と共にいるわけでもない。
それなりに従順なので呼べばすぐに来るが、一人で何かをしていることも多かった。
「節分のときは悲惨でしたね」
「そうね……」
やはり文句を言いに来たのか?
永琳に避けられ続けていることで、てゐにフラストレーションが溜まっているのかもしれない。
永琳は尻を守る手に力を込めた。なんか情けない。
「ふっ……」
「な、なによ……撃つなら撃ちなさい、私は不死身よ……!!」
「今更かっこつけたって……」
辺りにきな臭さが漂い始め、永琳が開き直ったとき……突如、てゐが服を投げて寄こした。
永琳は驚きつつそれを受け止め、てゐを睨み付ける。
しかしてゐはそれにはひるまず、話を続けた。
「あんな泥臭い戦いしといて、威厳も何もないですよ」
「……知ってたのね」
「部下のウサギを使いましてね……場所はすぐ割れました」
てゐは踵を返して部屋の入り口まで歩き……その背で呟いた。
「今度は負けないでくださいね」
「……」
そう言って振り向いたてゐの顔には、何故か優しい笑顔。
「かっこいいところ、見せてください」
永琳はそのまま、廊下の闇に溶けていくてゐの背中を黙って見送っていた。
(……なに、この展開……?)
なんかてゐが一人で盛り上がっている。ほんと不思議だった。
しばらく呆然としていた永琳だったが、何故てゐが服を持ってきたのかを不思議に思った。
丁寧にたたまれていた服、投げられたときに崩れてしまったが……。
(ウッ!?)
両胸のところにウサギ型のワッペンが張られ、それぞれに一文字ずつ「必」「勝」と縫いこまれていた。
「だ、ダサッ!!」
さらに残念なことに、北斗七星とカシオペア座はほどかれていた。何してくれるんだあのウサギ。
(気持ちは嬉しいけどこれは着られないわ……!!)
大笑いして発作を起こすパチュリーと、高笑いする慧音が容易に想像できた。
この服は無かったことにして、他の服を出そうとタンスを開けてみたが……。
――き、着替えが全部隠されてる!?――
やはり嫌がらせだった。
その夜、永琳はそっと枕を塗らした。
今度はタイガーバームじゃなかった。
「う、うぅっ……白い悪魔……」
てゐの嫌がらせは、やはりあの生徒達とは比較にならない。
十一日目。
授業日数は残り二日……。
メイド長の朝は早い。咲夜は正門の前に立ち、空を見上げていた
東から降り注ぐ朝焼けは湖上の霧に遮られながらも強く、肌が焼け付くような感覚を覚えた。
咲夜はむき出しの腕をさすりながら、ぼんやりと太陽を眺めている。
お嬢様は楽しんでらっしゃるようだが、咲夜にしてみれば良い迷惑である。
豆のときはレミリアだけが悪かったとは言えないし、紅魔館が標的になっていたから、愚痴を言う余裕もなかった。
永琳が絡んでいるんだし、永遠亭でやってくれと思うのだが……そういえばパチュリーも一枚噛んでいる、ダメか。
(この乱痴気騒ぎもあと三日か……)
ただでさえ役に立たないメイドは減るし、その上さらに仕事は増えるし……。
働くのが嫌と言うわけでもないが、こうも理不尽に忙しくなるのは少々納得がいかない。
紫が絡んでいるのがまた腹立たしい、紫さえ居なければもう少し心中穏やかだったのだが。
そういえば試験問題の作成も紫と一緒にやるんだったか……咲夜は忌々しげに眉をひそめた。
「ね、ねぇねぇ、ちょっといいかしら……」
「……誰かと思えば……何よ?」
何故か永琳が胸元を隠して、恥ずかしそうに咲夜のスカートを引っ張っていた。
いつの間に接近したのだ、と咲夜は少し身構えたが、永琳はおどおどと、上目遣いで咲夜を見上げている。
豆の騒動のときに一番鬱陶しかった永琳だが、なんだか最近随分と情けなくなったな、と咲夜は思った。
そして少しイラつきながら、そんな永琳を問い詰める。
「何だっていう……ッ?」
「こ、これ……」
「ブフッ!! ださっ!!」
「ださいって言わないで! 私だって本当は着たくないわよ!!」
永琳が胸元を覆っていた腕をどけたことで「必勝」のイナバワッペンがむき出しになった。
それを目にした咲夜は、涙を流して大笑いし始める。
「笑わないでよ!!」
また、悔しそうに地団太を踏む永琳の様子が情けなくて笑いを誘う。
「必勝!? ひーっ! ひーっ! ブッ!!」
「もおおおおおお!!」
「で!? で!? 私に何を言いに来たの!?」
「な、なんか代わりの服を貸して欲しいのよ! 永遠亭で私に合うサイズの服は全て隠されたから……!!」
「良いじゃないのそれで! 似合ってるわよ! あははははは!!」
「……貴女になんか頼むんじゃなかったわ……!!」
突然永琳がしゃがんで黙り込んだので、咲夜は少々不審に思った。
しかし、時既に遅し……咲夜が時を止めるのも間に合わなかった。
「ハッ!!」
「うぐっ!?」
永琳による神速のサマーソルトキックが咲夜の顎を捉えた。
これは、使い魔型防犯カメラ人形をバラバラにした永琳の新必殺技……なのかどうか。
とにかく、咲夜は頭の周りに星をチラつかせ、そのまま仰向けに倒れた。
「笑うからいけないのよ……私は何も悪くない」
「……」
「まぁ、これが直撃したら普通は即死、良くても昏倒は免れないわ」
咲夜の細い首では永琳のサマーソルトキックの衝撃を吸収することはできなかった。
それにしても『即死』とは穏やかでない。とはいえ咲夜はああ見えても丈夫だ、気絶程度で済むだろう。
「ごめんなさいね私の教え子達……今日も給食はないわ。時間が無かったからおにぎりも作ってきていないし」
その場には、イナバワッペン付きの永琳服を着せられた咲夜だけが残った。
笑われるのが確実なイナバワッペンを身に付けて行くぐらいなら、やたらスカートの短い咲夜のパンチラメイド服の方が良い。
月の頭脳がはじき出した答えはそれだった。
「まったく、挑発的なスカートの丈よね。恥ずかしくないのかしら」
それはレミリアによる強制のせいだったが、そんなこと永琳には知る由も無い。
永琳は襟元を正し、紅魔館の正門をくぐる。
夕べてゐが言っていた台詞がどこまで本当かはわからないが、確かに勝たなければ何も始まらないのだ。
残り二日、改めて気合を入れ直して臨む。
だが咲夜の胸元に張り付いている「必勝」は、なんだかへろへろしていて頼りなかった。
胸囲が合っていなかった。
「メイドちょ……ヒッ!?」
「ち、違う人よ!!」
永琳は胸を張り、堂々と紅魔館の廊下を突き進んでいった。学び舎、魔法図書館へ向かって。
そういえば、豆のときに咲夜と決着をつけたのも地下だったことを思い出す。
「この数ヶ月間、なんどと無く思い出したわ……」
――十六夜咲夜との戦い。
単純な力勝負では勝った。
咲夜のコンディションの問題もあったとはいえ、そうでなくても圧倒したであろう確信がある。
今さっきもあっさりとのしてやった。もっとも、咲夜が油断しきっていたのも大きいだろうが。
カツンカツン、というよりは、ガツンガツンと、かかとで床を踏み鳴らし……。
かつて蹂躙せしめんとした紅魔館の廊下を突き進む。
「ここの、バカなメイド達に敗れたのよ……!!」
数ヶ月に渡って耐えてきた。
ウサギによる嫌がらせ、そして、慧音によって植えつけられた偽りの歴史。
「それもあと二日で終わる……いや、終わりにするのよ!!」
永琳のすさまじい剣幕に、メイド達は言葉を発することもできずに道を空ける。
そして永琳は地下への階段に踏み込んだ。
知識と歴史の半獣、上白沢慧音。
数字の魔術師、八雲藍。
動かない大図書館、パチュリー・ノーレッジ。
(貴女達を倒し、永遠亭での威厳を取り戻して……完全な復活を遂げるのよ!!)
今日は一時間目から永琳の授業だ。
わずかに残った誇りも捨てて、たった一つの勝利に全てを賭ける。
そういえば、輝夜と共に月を裏切ったときも、こんな気持ちだったような気がする。
昔のこと過ぎてはっきりは思い出せなかったが、とにかくそれぐらい気分が高揚していた。
「私が天才・八意永琳よ!!」
「うわ朝からテンション高っ!?」
「ウワァーッ!?」
なんなんだいきなり。教室に入るなり……。
しかもメイド服、咲夜専用のものを着て飛び出してきた永琳に生徒達は声をあげて驚いた。
「今日もいくわよ! 水兵リー……」
ブッツーン。
「ひぃっ!? 胸ボタンが!!」
永琳が力んで大きく息を吸った瞬間に、咲夜のメイド服が悲鳴をあげた。
胸囲が合っていなかった。
「た、谷間……」
「た、たわわ……」
生徒達が永琳を眺めて声を漏らす。
構造上、ボタンがはじけとんだところで胸元がむき出しになるわけではない。
せいぜい、谷間が少し覗ける程度。
「ふ、ふふふ……」
ボタンが飛んだ瞬間こそ驚いていた永琳だったが、胸元を隠そうともせず不気味に笑っている。
観察していた他の三人も、いつもと少し違う永琳の様子に戸惑っていた。
「……授業を続けるわよ!!」
「な……!?」
「先生!?」
「こんなことを気にしている時間など無いの……!! 皆、お願い……!!」
「先生……」
「化学を勉強しましょう!!」
鬼気迫る永琳の表情に圧され、生徒達はそのまま動くことができなくなった。
驚いているのはむしろ教師達の方……あの永琳が、こんなラフなやり方をするとは思ってもいなかった。
「うっ!?」
「え、永琳……」
「やってくれるじゃない……」
他の教師を鋭く睨み付ける永琳の目からは「もう小細工など使わない」という強い意志が伝わってきた。
もともと地力のある永琳、小細工など使われるより、この方が厄介かもしれない。
三人も息を飲み、その場に立ち尽くした。
だが生徒は、自分達から永琳の視線がそれたので、間隙を縫ってその胸元をガン見していた。
真面目になっても本性はバカだった。
その後、十二日、十三日、と……不気味なほど平穏だった。
変化と言えば、永琳が十日目の夜に洗った服にも「必勝」をやられたので、引き続きメイド服を着ていることぐらい。
応援なのか、嫌がらせなのか、てゐの真意も明確でない。
ちなみに咲夜は替えがちゃんとあるので、イナバワッペンはすぐに脱ぎ去った。
恨みいっぱいの咲夜は永琳にだけ痺れ薬入りの給食を持っていくなどの反撃を試みたが、永琳には毒も薬も効かないので無意味だった。
美味しそうに給食を平らげる永琳が本当に不愉快だったので、今度は大豆を入れたら卒倒した。
咲夜はそれでスッキリしたので、それ以上の追求はしなかった。
そして試験日前の最後の夜。自宅に戻った慧音は一人、手酌酒。
「明日は下弦の月か」
そっと後頭部を撫でると慣れない手触りがそこにある。
最悪、永琳の育毛剤やら、歴史をいじるなどして元に戻すことは可能なのだが……。
(教師と言うより、女としての誇りかな、これは)
チルノを大人しくさせるために、わざと大げさに悲しんでやった……つもりだった。
なのに、自然に元に戻るのを気長に待っている自分がなんだか愛らしくて、口の端が歪んだ。
(明日、ついに決着か)
なんとなく感慨深いものがある。
意地汚いやり取りも散見できたが、教師としての自分を見つめなおす機会になったのは確かだった。
私怨はさておいて、皆それぞれ個性的な工夫を凝らして授業を行っていた。そこから学ぶべきものは多かった。
(あんなに必死な八意永琳、そう見られるものじゃないしな)
お猪口の酒をぐいっと流し込んだ。喉が焼け付くような感覚が心地良い。
(ふふ、しかし……私はぼろぼろだよ、八意先生)
一生懸命やったのに、全然うまくやれなかった。
断髪した辺りまでは好調だったろう、しかしその後は伸び悩んだ。
パチュリー、藍による包囲網もあったし、それにどう対処すべきかもわからなかった。
――元々、器用な方ではないのでな――
今回それを痛感した。
藍は日頃から橙を相手しているだけあって、学力の低い者に勉強を教えるのが上手だった。
パチュリーは、本から得た知識を次々に経験へと変えて授業を行っていた。少々意外だったが、やはり頭が良い。
情けない所ばかり目立った永琳……しかしなんだかんだと言って、生徒達の化学の知識は確実に増えていた。
「気持ちだけではどうにもならないものだなぁ……」
蹴落とし合いにおいてはそれなりに頑張れていたのが恥ずかしかった。
慧音は仰向けに寝転がり、両手で顔を覆った。みっともなくてついつい顔が赤くなる。
不思議と悔しさはなかった。
永琳に負けるのは少し癪だが……良い勉強になった、という気持ちの方が強い。
幻想郷に勉強好きな者はあまりいない。
それゆえか、学校と言う施設も無いに等しい。それこそ慧音の寺子屋ぐらいだろう。
親が子に、その子が親になったとき、さらにその子に。
そうやって伝えていく知識、技術はあるだろうが……。
そんな『教育』を勝負事にしてしまったことに多少の罪悪感がある。
生徒を巻き込み、永琳を巻き込み、紅魔館を巻き込み……。
だが、自分が大切に思っていたこと。
『教育』について、誰かとここまでぶつかり合えたのは初めてだった。
それがなんだか楽しくて……永琳の人気に嫉妬したのも、紅魔館のワースト達を相手に教えたことも……。
転校生に手を焼いたり、他の三人に邪魔されたり……。
「楽しかったな、ふふっ」
一人で呟き、屈託なく笑う。
長い人生……そんなもので良いのかも知れないと、ろくな根拠もなくそう思った。
(さてあいつら、何点取ってくれるかな?)
――0点を取った奴には頭突きをくれてやろう――
慧音は寝返りを打って、そのまま寝息を立て始めた。
そしてついに十四日目。
……試験日。
教師達の優劣が、生徒達の平均得点によって決められる日。
教師達は朝早くから紅魔館、魔法図書館に集結し、そわそわと落ち着かなかった。
ああすれば良かった、こうすれば良かった、と……誰しもが後悔し、不安に陥っている。
「おはよう、皆」
「お、おはよう……」
永琳は一体何日連続でメイド服着るんだ、と皆が思った。
別に異臭を放ったりするわけではないので構わないのだが……そんなところだけ瀟洒だった。
油断すればメイド服にも必勝をやられそうなものだが、それだけは阻止しているらしい。
だが胸のボタンはそのままだった、色仕掛けか?
「お待たせ、先生達」
「いい加減それ脱いでよね……なんなら適当なドレスを見繕ってあげるから……」
皆が永琳の胸元に気をとられている間に、紫と咲夜が試験問題を作成し、魔法図書館へとやってきた。
生徒達は既に皆教室で待機し、試験前のわずかな時間も、往生際悪く勉強している。
思い思いの教科……慧音を好いていた者は歴史、永琳を好いていた者は化学、藍なら数学、パチュリーなら語学、と。
こういう展開になるのだったならば、やはり生徒達からの人気は、あって邪魔になるものではなかっただろう。
「一応、先生達の分もあるわよ……今更ケチをつけられても直さないけど、一応目を通しておきなさい」
藍にチクる気配が無いと見るや、紫は再び強気に戻った。現金なものだ。
しかし、そうでなくても教師達からは良い目で見られていない、四つの視線が容赦なく紫に突き刺さる。
「ふっ、あんたが作ったと言う事実だけで不満よ」
「言うわね、八意永琳……貴女の育てた生徒達に、この私の難題が解けるかしら?」
「そういう台詞はうちの姫の専売特許、うすら笑ってられるのも今のうちよ」
「そうだな、同感だ……八雲紫、今回は少々おいたが過ぎたな」
「紫様、私達は真剣なのです……」
「冬眠明けから活発ね……今度何かあったら、あんたがターゲットになるように操作してやるわ」
四人は当初の目的などすでに忘れかけていた。
慧音は勝利を諦め始めていたし、永琳は復讐よりも永遠亭への復帰に燃えている。
藍やパチュリーは、純粋に勝利の栄光を掴むことに重きを置いている。
だがやはり紫だけは憎たらしいので、なんとかならないものか、と思っていた。
「ハイハイ、そういうのは後ね。さっさと目を通してもらえるかしら? 一教科目まであと十五分ぐらいしか無いのよ」
火花を散らし始めた五人を咲夜がいさめ、四人に試験問題を配っていく。
紫のことだから変な問題構成にしてくるかと思ったが、意外とまともだった。咲夜が暗躍したのかもしれない。
「なんだか私の受け持った化学だけやけに難しい気がするわ」
「そんなことないだろう。むしろ歴史の方が……」
「なんだ、自信がないのか? 私の教えたことが理解されていれば、数学のこの程度の問題なら……解けるかしら……?」
「漢字書けるかしら、あいつら……散々書き取りさせたけど……」
四人それぞれの口から、不安があふれ出す。
納得のいく教育ができた者など誰一人としていない。
前半一週間を語学に取られてしまったのもそうだし、後半になっても語学がまともでなかった。
いつまでも見苦しく蹴落としあい……その分の体力を授業に使っていれば、もう少しちゃんと教えられなかっただろうか?
「まぁ、勝負事だから」と割り切っているつもりだが、何故こうも胸の中にわだかまるのか。
――できれば……こんな形で出会いたくはなかった――
誰かそう呟いたような気がしたが、今となってはそれも詮無き事。
四人は顔を引き締め、生徒達の元へと向かう。
後悔ばかりしていられない、生徒達がどれだけ自分についてきてくれたのか……。
絶対的な基準にはなり得ないが、点数がそれを明示してくれる。
「寺子屋なんて開いておいて、ここでドベを取ったら話にならないしな……」
「めげることないわ上白沢先生。相手が悪かった、って言えるメンツじゃないの」
「上白沢先生……私が勝ったあかつきにはそのモミアゲも切り落とす!!」
「それは嫌だな……せっかく無事だったのに」
あと、モミアゲと呼ぶのは正確でないんじゃないか、と慧音は思った。
「しかし……教師としてその胸元はどうかと思うんだがな、八意先生?」
「女子学校だから良いのよ。それに、文句は十六夜咲夜に言ってもらえるかしら。もしくはうちのウサギ」
「すごい、バカっぽいわよね。その胸元とスカートの丈」
「胸元はともかく、スカートの丈は紅魔館側の話でしょう? いじってないわよ、私」
「……まぁ、それは良いとして、あんたが負けたら本を返してもらうわ、あと……いや、これ以上は秘密ね」
「取らぬ狸の皮算用は惨めよ、パチュリー先生」
「勝手に言ってなさい……」
一応、罰ゲームは皆それぞれ考えてあるらしい。
果たしてどうなるのか。
生徒達は生徒達で、教材とにらめっこして最後の抵抗をしている。
「ね、ねえねえイザベラ!! 三代目博麗ってどれだったかしら!?」
「腋毛が生えてない奴だったはずよ……これと、これは違うわね」
「は、博麗って腋毛生えないのかしら……」
「そんなことは良いのよジェシカ!! 問題は、どれが三代目博麗か、よ!!」
「こ、これかな?」
「それは咲夜さんが来る前のメイド長よ!! お嬢様と妹様の下着をダブルで漁ってクビになった奴!!」
「で、でも腋毛生えてないよ……?」
「腋毛は大浴場で剃ってたわ!! 騙されちゃだめ!!」
「その頃私まだ居なかったもん……」
「大丈夫なの? ジェシカ……」
久々のこいつらも一生懸命だった。
あと、慧音が教えてた歴史の内容が結構気になる。
それにしても、イザベラがメイドとして咲夜より古株だったのが結構衝撃的だった。
別にどうでもいいが。
全教科0点のグランドスラムは起こるのか。
転校生三人の成績は如何なるものなのか。
一体どれほどの平均点となるのか……ついに決着がつく。
「さぁ一時間目は歴史だ。皆、机の上の物を片付けろ」
静かな教室に時計台の鐘が鳴り響く。
――試験開始。
~続く~
――永遠亭。
見渡す限り襖、襖、襖……廊下、廊下、廊下……。
てゐは裸足で床をぺたぺたと鳴らしながら、ときどき立ち止まり、辺りを見回す。
「また居ないわ」
腕を組み、眉をハの字に曲げて『うーん』と一つ唸った。
歩くのも見回すのもやめて、そのまま思案に耽る。
時間はまだ午前六時……部屋には居なかった。
(お師匠様、どこ行ってるんだろ……)
始めの頃は何とも思わなかったが、流石にこれは不自然だ。
永琳が何時に起床しているのかはわからないが、てゐが日課の体操と散歩を済ませ、朝風呂を浴びて……それでおおよそ午前六時。
大体その頃には永琳は部屋で何か考え事をしながら茶を啜っていることが多かった。
(もうちょっとで一ヶ月になるけど……)
永琳の外出が慢性化してから、およそ三週間。
(外に男でも作ったのかなぁ?)
発想がいきなりえげつなかった。
しかし考え始めるとそれもまた不自然である。
何歳だか不明だが相当長生きなのは確実、今更色恋にうつつを抜かすこともなかろう。
(無いわね)
その気になれば惚れ薬でもなんでも作ってしまうだろうから、ありえない。
永琳はいつもクールでドライだった、男に特別興味があるとも思えない。やはりこの線は無いだろう。
それに、まったく見かけないが帰ってはきているようなのだ。
夜中に自分で服を洗濯して干しているようだ、これは動かぬ証拠であろう。
干しっぱなしというわけでもないらしい、鈴仙が取り込んでやってるようだし。
試しにてゐも取り込んでみたら、翌日、夜のうちに洗ったと思われる洗濯物が新しく干されていたし。
――何してるのかな?
少し前に永琳がウサ耳フェチだとか『えーりんはてゐに恋してる☆』などと気色悪い噂が濃厚に漂い始めたので、全力で抵抗した。
その一件があるだけ余計に、男に興味が無いように感じてしまうのかもしれない。
てゐは複雑な表情を浮かべながら、もこもことした自分の耳を撫でてみた。
そういえば、以前から永琳はやたらてゐの頭を撫でる癖があったが……。
「お師匠様ー……」
変な噂があるため、居たら居たで我が身が心配なのだが……。
居なければ居ないで、今度は永琳が少し心配だった。
「お師匠様ーっ……そろそろ薬の在庫が切れそうですよーっ!」
居ないのはわかっていつつも、声を張り上げてみた。
「水兵リーベ僕の船!! はい!!」
「水兵リーベ僕の船!!」
そんなてゐの気も知らず、永琳先生は紅魔館で一生懸命化学の授業を行っている。
寺子屋でもそうだったが……永琳は授業の進め方が上手だったので、生徒達が大人しくなったことで、その手腕は遺憾なく発揮されていた。
「『すい』は何の略かしら?」
「水素ー」
「よろしい、では紙に書き出してみて?」
「え、えと……」
「ふふ、わからない? こう書くのよ」
「あ、そうだ」
現在九日目。
まだまだ不完全な者は多いが、生徒達は文字の読み書きもそこそこできるようになっていた。
漢字は流石に難しいようだが、平仮名、数字、アルファベットならばある程度書けるようになった。
ならばと永琳は、化学を教えつつ語学も教える手段を取ったのだ。
「意外と飲み込みが早いわね」
本棚の裏から覗く藍は、驚いたように目を丸めている。
「空っぽの脳みそに詰め込むのなんてそんなに難しくもないんでしょ」
「そういうものかなあ?」
横に居るパチュリーは少々否定的だが、生徒達の授業態度がまともになったことには素直な喜びを感じていた。
厳しいことは言いつつも、その表情には明るさがある。
「だがやはり、一週間丸々無駄にしたのは痛いな」
慧音は腰に手を当てて、難しそうな表情を浮かべている。
何せ、元々二週間かけて教えるべき予定を急遽変更して、一週間を語学に当てた……にも関わらず授業にならなかったのだ。
語学中心に教えれば良いパチュリーに選択の余地は無いだろうが、ある程度の語学知識が最低条件として揃っていなければ、
他の科目を教えるのは容易ではない。
残り五日……最終日は試験なので、その五回の授業の中で、語学にどの程度比重を割くかは死活問題だった。
やりすぎれば、ただパチュリーに塩……もとい、敵に塩を送るだけ。
かといって、おろそかにしすぎれば自分の科目が破綻する。
「あと三日ぐらい語学をやらなければ、話にならないんじゃないか? 歴史は……ハハッ」
藍がそう言い、皮肉いっぱいに笑った。
藍の教える数学、数字さえわかればそこまで問題はないのだ。
もっと高度になると別だが、今教えるべき数字の構成は、一般的な語学に比較して単純明快で理解しやすい。
紫が、試験問題を全て文章題で出す、ということは考えられなくもないが……。
『チクらないで! 藍!』
別に揺するわけではないけれど、紫が藍を強気に攻められない理由もある。
数問、文章題を出す可能性はあるだろうが、あからさまに不自然な問題構成にはしないだろう。
というよりそもそも、自分の式神にまで嫌がらせをするなと言いたい。
こうして見ると藍、パチュリーにはこの状況がいくらか有利に働く。
対する慧音と永琳は若干不利。慧音は経験、永琳は機転を利かせていかなければ厳しいだろう。
「語学はもう教えないのか、八雲先生」
「カリキュラム内の数学を教えるのに十分なレベルには達してるよ。もう私から教える必要は無いわ」
「パチュリー先生はともかく、八意先生と私もまだ語学を教えているんだぞ?」
「元々一週間という約束だったじゃない。まぁ、私は少しおかしくなっていたけど」
「状況が状況だ、仕方がないだろう。随分と酷なことを言うんだな」
抜け駆けしようとする藍を慧音が鋭くにらみつけた。
しかし藍は両手をそれぞれ袖に突っ込み、微塵の恐れも無く慧音を見下ろす。
「日和ってるように見せてるんだかなんだか知らないが、その手には乗らないよ」
「な……っ」
澄んだ金色の瞳は、まるで慧音の心の中を見透かしているようだった。
「ここは一つ正論を唱えてやろうか」
藍は胸を張り、萎縮する慧音を睨みつけて続ける。
「そんなに真面目に教えたいなら、この決闘が終わったあともここに通って教えてやれば良い事だ。
……今は私闘でしかないんだよ上白沢先生。私達は生徒を巻き込んで勝手に争っているんだ。
上手い具合に生徒を手懐けてそれを許してもらおうなどと、そんなものは我々の側のエゴにすぎないのさ」
「く……流石数学教師、理屈っぽいな」
「冷たいようだが決闘は決闘。残りの五日間は冷酷に、計算高くいかせてもらう。
生徒達が可愛くなれば、咲夜にでも頼んでまたここに教えに来てやる、橙も連れてね」
「……」
「私のターゲットはお前だ上白沢先生。私の爪牙はいつだって、その白い喉笛を狙っているということを忘れるなよ」
「ふん……わかってる」
悔しいが藍の言うことは正しい。
上手に乗せて、語学の授業を手伝わせようと目論んでいたのも事実だ。
「生徒達は騙せても、私達はそう簡単に行くと思わないことね」
「パチュリー先生……」
「ま、性格的に本気でやってる部分もあるんでしょうけど……そういう貴女の真面目な部分こそが毒だわ。
なまじ真面目で優しい所があるから、本気なんだか騙そうとしてるんだか、わからなくなるのよ」
「……く……」
「ならば一切信用しない、鉄壁の守りで貴女を迎え撃つ。悪く思わないでね」
パチュリーはそっと髪の毛をかきあげ、トドメの一言を呟く。
「……これは勝負だから」
藍とパチュリーの凄まじい威圧感を前に、慧音はそれ以上追求することができなくなってしまった。
本気で生徒を教えたいと思う気持ちが半分、決闘なんだから勝ちたいと思う気持ちが半分……。
パチュリーは、慧音の策略に引っ掛けられて三つ編みを切り落とした永琳を目の当たりにしている。
自分自身のターゲットであるところの永琳もそうだが、慧音に対しても一切の油断は禁物なのだ。
本当に教えたいのなら決闘などという括りも、期限も外すべき……確かに、返す言葉も無い。
今までは生徒に翻弄され、間抜けな部分ばかりが露呈していた教師達だが……。
なるほど皆頭が良い、そう簡単に引っかかってはくれない。
追い詰められて立ち尽くす慧音を横目で見……教室の永琳先生もにやりとほくそ笑んだ。
時刻は二時間目と三時間目の間の昼休み……。
「お腹空いたぁ……」
「今日は給食なしかぁ……」
生徒達がうなだれ、机の上にベロンと倒れこんでいる。
妖精は食事を必要としないから、正確には空腹の錯覚に苦しめられているだけだろう。
少し経てば忘れてケロッとしてしまうに違いない。
一応今までも給食の制度があった、しかし作るのは全部咲夜だ。
よって咲夜の機嫌が悪いと飯抜きになる。
表面上は涼しい顔をしている咲夜だったが、レミリア……はまぁ良いとして、
紫のわがままでこんなことに紅魔館を使われて、鬱陶しいと思う気持ちはけして小さくはなかったのだろう。
働きもしない奴をなんで養ってやらなければならないのだ、と思い、不満だった。
「なんだ、咲夜の作る食事は美味いんだがな」
慧音も腕組みをし、残念そうにため息を吐いた。
しかしその横で永琳がにやけている。
「ふふふ、そろそろ給食のおばちゃんの機嫌が悪くなる頃だと思っていたのよ」
給食のおばちゃんとは酷い言われようだった。そりゃ咲夜がへそを曲げるのも無理はない。
そんな咲夜の気まぐれを予測していた永琳は、大きな風呂敷を担いできて教卓に置いた。
「おにぎりを作ってきたのよ、さぁ、食べましょう皆。先生達も……フフフ」
「わーい!」
「チッ!!」
「小細工を……!!」
抜け目無い永琳の行動が教師達の神経を逆撫でする。
慧音と藍が額に青筋を浮かせる中、パチュリーだけは少時考え込み、それから急いで口を開いた。
「腋で握ったおにぎりなんか食べたくないわ……!!」
藪から棒に飛び出したパチュリーの言いがかり。生徒達の手が止まった。
永琳は何が起こったのかわからず、何度も目をしばたたいている。
「わ、腋!? 何を根拠にそんなことを言うの!?」
「月人は腋でおにぎりを作るって、本に書いてあったわ!」
永琳の行動阻止には多少無理のあるパチュリーの言いがかりだったが、バカな生徒達には深刻な問題だった。
皆手を止め、刺激臭を嗅ぐときの動作で永琳の作ってきたおにぎりの匂いを確かめている。
不思議なもので、ちゃんと手で握ったのだから異臭など漂うはずもないのだが、生徒達は皆表情を歪めていた。
思い込みの力とは凄まじいものである。
「デマよ!! そんな……そんな、霊夢みたいなことはしないわ!!」
霊夢もそんなことはしない。
もちろん萃香もしない。
しかし慧音は、腋で作ったおにぎりを魔理沙に食べさせる霊夢を想像して「ウッ!」と呻き、口元を押さえた。
想像の中の、すごく嬉しそうな魔理沙の顔が哀しかった。
「ふ、ふふ……危ないところだったわ」
パチュリーが冷や汗を拭い、ほくそ笑む……危なく生徒達の人気を掻っ攫われるところだった。
多少強引だし、美少女にあるまじき危険なネタではあったが……とにかく、永琳の作戦は阻止した。
「多分、変な薬も入っているぞ!!」
「言いがかりよ!! う、うぅ……」
すかさず藍の追い討ちが入る、生徒達は嫌そうな顔で永琳をちらちらと見やりながら、席に戻っていった。
「な、なんでよ……なんでこんな見え見えの嘘に騙されるのよ……一生懸命作ったのに……」
――こんな抜け駆け許さない――
慧音の策略然り、永琳の策略もまた、新米教師二名のラフプレーによってご破産となった。
寺子屋のようには行かぬ……優秀な二人の教師はここにきて壁にぶち当たった。
「うっ、うっ……おいひい……うぅ」
「……わにぎり……」
「自分で作ったわにぎり食ってる……」
「食べてよぉ……うぅ」
永琳のおにぎりは通称『わきにぎり』……略称『わにぎり』という酷い名前を授かった。子供は残酷だ。
永琳は「危なくないからお食べ」という意味でわにぎりを食べているのだが、あまり効果は無い。
「第一、腋で握るなんて、手で握るよりも非効率じゃないの……そんな意味の無いことしないわよ……ぐすっ」
効率的ならやっても良いのかと言われると首を傾げるが、永琳は意外と冷静だった。
泣いてるかと思わせつつ、たまに目の下に思いっきりタイガーバームを塗っていた。嘘泣きだった。
しかし、嘘泣きだと気付いているのかどうかは不明だが、やはり生徒達はわにぎりを食べようとはしない。
だがここで完全に失敗してしまうのは大きな痛手……永琳は泣き落としの手を緩めようとはしなかった。
大粒の涙を絶やさぬよう、目の下に絶え間なくタイガーバームをすり込む。
「永琳先生」
「……?」
「皆、私は食べるよ」
「え? ほ、本当?」
突如歩み出た一人の生徒がわにぎりを手に取り、無言で見つめた。
生徒と永琳は息を飲んでその動向を見守っている。
「いただきまーす」
「ありがとう……私を信じてくれるのね」
「……?」
「どうしたの?」
わにぎりを頬張った生徒は難しそうな顔をし、虚空に視線を泳がせている。
なんだか納得の行かないような表情だった。
「あ、あの……おいしくないのかしら?」
永琳はとても丁寧に作ってきたつもりだ。
まぁ、そもそもおにぎりなんてそれほど手の込んだ料理の部類には入らないだろう。
そこまで大喜びして食べるようなものではないのかもしれないが、だからといってこの不愉快そうな表情はなんだろう。
「……つき」
「へ?」
「うそつき!」
生徒が激昂し、永琳を睨み付ける。
手にしたわにぎりは握りつぶされて型崩れし、床にぼろぼろとこぼれ落ちた。
「ほ、本当に腋でなんて握ってないわよ!?」
「違うわ!!」
「!?」
「腋で握ったのが良かったのに!!」
「……」
なるほど、変態だったか。
月の頭脳はすぐに状況を飲み込んだ。
「腋の味なんて微塵もしない! 私の舌はごまかせないんだから!!」
「い、いやそんなことを自慢されても……」
そんな、わけのわからない生徒と永琳のやり取りを見ていた他の生徒達が、ぞろぞろと歩み出る。
「紅魔館一の腋フェチのあいつが言うなら、あれは本当にわにぎりではないようね」
「流石、紅魔館一の腋ソムリエよね」
なんだそれ。
「いただきまーす、永琳先生」
「永琳先生ありがとー!」
「……」
永琳の心中は複雑だった。食べてもらえたし、信用も取り戻せて万々歳のはずなのだが。
ふと慧音の方へ視線をやると、慧音はどこか達観したような表情をしていた。
寺子屋の変態生徒を思い出しているのかもしれない。
「う、うっ……永琳先生のバカ、嘘つき……永琳先生の腋!!」
「わ、腋!? ……で、でもそういうのは博麗の巫女に言った方が良いわ。もしくは鬼の伊吹萃香」
体育座りをして泣きじゃくる腋ソムリエにかける言葉が無かった。
相手したくもなかった。少しはその歪んだ性癖を恥じろと思った。
このようなくだらない騒動はたびたびあるものの、授業は概ね平常に進んで行った。
やはり慧音とチルノの決闘は強烈だったのだろう。
慧音はあの後ほくそ笑んでいた、本当に髪が短くなったことを悲しんでいるのかどうかは不明だ。
三時間目に自分の授業を終えたパチュリーは、四時間目の慧音の授業を見つめている。
手には咲夜から受け取ったコーヒー……だがその香ばしささえも、パチュリーの意識の中に入り込めない。
そのぐらい深く考え込むパチュリー、表情も硬い。
――また寝ているわ、あいつ――
サングラスをかけたまま、不自然な体勢になっているルーミアを睨む。
チルノは時折知恵熱を出してぶっ倒れたりしながらも、一生懸命授業を受けるようになった。
橙は藍に言われてからというもの、特に目立つこともせず、大人しい。
しかしルーミアだけが未解決……相変わらず何事にも縛られず、のらりくらりと授業を受けていた。
パチュリーはコーヒーを二口ほど飲み、小さな息を吐く。
チルノのように騒ぎ立てるわけでもない、刺客として送り込まれたにしてはさほど問題が無いように見える。
ほとんどの授業で寝ているから試験の結果を想像すると恐ろしいが、それも全科目低得点ならばあまり痛手にはならない。
「……そうね」
そっと一人ごちる。
ルーミアは手付かず……語学だけ高得点を取らせれば、他に差をつけることができるのではないか。
しかしあの天然モノ相手にどのような手段で攻めれば良いかは難しい問題である。
それが難しいからこそ、ルーミアが最後まで手付かずで残っているといっても過言ではなかろう。
困ったことに、数学の授業だけはそれなりに受けている。
ルーミアの計算範囲は藍の努力もあって、4ビットから5ビットへと進化した、これは大きい。
相変わらず二進数で記述することが藍の悩みの種ではあったが……ここを克服されたらまずい。
(先手で動かなければいけないわ)
パチュリーはここまで良い所がほとんど無かった。
慧音や永琳は経験を生かして生徒達から注目を得ているが……。
コーヒーを片手に、歩き慣れた図書館を巡る。
何か手がかりになるような本があるかもしれない。
十日目。
その日パチュリーの異変に気付いたのは永琳だった。
他の教師の授業中、今まで以上に熱心に観察している……その視線の先にはルーミア。
たまにぼつぼつと何かを呟いては、顎に手を添えて考え込み始める。
そして、首を小さく横に振り、ため息を吐く。
(へぇ……)
ルーミアを狙っている。天才、八意永琳はすぐにそのことに気が付いた。
パチュリーには「わにぎり」の借りがある。
思い起こせば、喘息の特効薬やら、特製湿布やら、あれこれと援護してやった。
「恩を仇で返す」とはまさにあのことだったろうと永琳は思う。
(そういえばあの本のことも恨まれているわね)
事が済めば用もないし「デキる教師のバイブル」はそっと返しておくつもりだった。
無断で借りたのは確かに良くなかっただろうが、ここまで目の仇にされるのも少々落ち着かない。
(いっそ徹底的にやり込めてやろうかしら、うふふふ)
慧音だけを狙いたいのに、外野が鬱陶しい。
藍は尻尾が気持ち良いので今は大目に見てやろう。
だが、あの喘息魔女は打倒慧音の上での一つの障害に過ぎない……。
そして十日目の午後、永琳の授業中。絶好のタイミングでルーミアに異変が現れ始めた。
「あ、あぁー……苦しいよー……」
魔法図書館がそもそも薄暗いし、サングラスをかけていて気付かなかった。
ルーミアはここ最近「なんかしんどいなぁ」と思っていたが、目以外が微かな光にやられたらしい。
「どうしたの?」
「肌がひりひりするの……」
「どれ? 見せてみなさい」
永琳はここぞとばかりにルーミアに駆け寄り、診断を始めた。
「枝毛もすごいわね」
「う、うぅ……日焼けが……」
普段日光に当たらないせいか、ものすごく敏感肌だった。
ルーミアもパチュリーに負けず、随分デリケートなのかもしれない。
「私に任せなさい」
「え、永琳先生はなんだか頼りないから、いい……」
ルーミアは失礼だった。
ここ最近の永琳の失態を目の当たりにしていれば無理もないが……。
しかし、永琳はそれについてまったく怒る様子も無く、自分の腕をルーミアの前に突き出す。
「ふふ……見なさい、私の肌を」
「び、美肌が眩しい!?」
「コラーゲンたっぷりよ!」
「こ、コラーゲン……!?」
外野でパチュリーが「しまった……!!」と呟き、恨めしそうに永琳を睨んだ。
そしてそろそろ気付く頃だろうと思っていた永琳は、そんなパチュリーに視線を送り、ニヒルにほくそ笑む。
永琳が懐から小さな容器を取り出し、ルーミアの机の上にそっと置いた。
そしてルーミアの顎を掴んで、その視線を奪う。
「……これを使いなさい『八意美肌クリーム』よ」
「本当に大丈夫なのー……?」
「大丈夫よ、わにぎりだってデマだったじゃないの」
未だに踏ん切りのつかないルーミアの腕を、半ば無理矢理に引き寄せる。
ルーミアが「あっ……」と小さな声を上げたときには、既に八意美肌クリームがその腕に塗り込まれていた。
「こ、これは……!!」
「どう?」
「は、肌が喜んでるのがわかるよ!!」
「そうでしょう、ふふふ……あははは」
「すごいー!」
ルーミアが感動のあまりに永琳に飛びつく。
永琳は少し姿勢を崩しながらもルーミアを受け止め、その場でくるくると回った。
変な光景だった。
「く、くっ……!!」
――人を呪わば穴二つ。
九日目に永琳の行動を阻止したパチュリーはこうしてしっかりと復讐された。
しかもその後永琳は「ひいきはいけないわよね」と言い、全員に八意美肌クリームを贈る事を約束。
他の生徒も皆お肌の荒れを気にする乙女である。昨日わにぎりで下がってしまった永琳先生の株は、今度は急上昇した。
物で釣るとは卑怯な気もするが、ルールを司っているはずの紫は特に何も言わなかった。
変にしゃしゃり出て恨みを買うと、慧音の足を掴んだことがばれた時に危険だからである。
まさに結界を張るかのごとく息を潜めて身を固め、嵐が過ぎ去るのを待っているのだった。
へたれだった。
レミリアは寝てた。
こうして転校生の問題も片付いたことになる。
慧音にはチルノ、藍には橙、永琳にはルーミア、というカップリングが完成された。
別に人気投票があるわけでもないし、パチュリーがそこまで不利かと言うとそうとも言い切れない。
しかし心情的には複雑である、散々行ったアグレッシブな教育で他の生徒も未だにパチュリーだけは警戒しているし。
(ここは紅魔館……私のホームグラウンドなのよ)
それでもパチュリーは挫けない。
紫の目をかいくぐれば咲夜、レミリアをうまく使う事だって可能だ。
そう考えれば、もともと持っていたハンディが埋まっただけとも言えるのかもしれない。
語学はどの科目にも影響を与える科目……。
前半で顕著だったが、未だ生徒達の言語能力が不十分な中、担当のパチュリーが潰れるのは問題がある。
語学を教えられるかどうかではなく、語学だけを教えていい時間は既にパチュリーしか持っていない。
(もう一度作戦を見直す必要があるわ……)
隙あらば、教師と転校生のカップリングを崩すのもありだ。
他の三人もまだ安心はできない。
授業終了後、藍は一人きりの八雲邸で湯船に浸かりながら考え事をしていた。
紫は紅魔館にお泊り、橙は学生寮にお泊り……寂しいような気はするが、開放感もある。
(私の持つカードは……)
式神の橙、そして紫の弱み。この二点が現時点での藍の切り札である。
授業としては今のところスムーズ、数学は良い感じに進んでいる。
加算減算まで教えた。ペースが早いようにも思うが、ある程度は仕方ないだろう。
藍の見解では、時間が無いのは他の教師も同じだし、その中でも自分が一番進んでいると思う。過信ではない。
強いて挙げれば二番目は永琳だろう。パチュリーはよくわからない。慧音は上手く行っていないようだ。
(ルーミアが十進数を覚えれば、たちどころに有利になるんだが……)
なんとルーミアは二進数を扱わせている限り100%の正解率を誇る。
本当にあの頭の中はどうなっているんだろう、と不思議に思う藍だった。
そしてもう一つ思うのは、ここに来て対立関係が明確になってきたこと。
元々いがみ合いによって発生した決闘ではあったが、それぞれの照準が絞られてきたように感じる。
パチュリーは藍に目もくれないし、永琳も同様……。
一度、わにぎり騒動の際に藍が永琳の妨害に混ざったが、それに対する復讐は無かった。
『藍、しっぽ!』
なんとなくそう言われたような記憶があるのだが、はっきりと思い出せない。
もしかすると尻尾のおかげで永琳の攻撃を免れているのだろうか、まぁ、それほど重要なことではないが。
藍としても、よほど変なことをされない限り永琳は眼中に無い。
――さて、慧音をどう料理してやるかな?――
授業の進行があまりスムーズでないようだから、わざわざ妨害工作をする必要も無いかもしれない。
放っておいても自滅する可能性さえあるわけだ。そのための布石として語学の援護も断った。
(生徒達が少し哀れな気もするけど)
慧音の気持ちがわからないわけではない。
しかし藍の考えは慧音にしっかりと伝えた。教えてやりたければ、決闘ではなく個人的に紅魔館へ赴けば良いのだ。
藍は立ち上がり、お湯を吸った尻尾を一つずつ絞る。
明日も授業だ、そろそろ休まなければ。
一方、藍の対抗馬である永琳は深夜になるまで時間を潰してから永遠亭に帰る。
あまり早く帰るとウサギ達による攻撃を受ける可能性があるためだ。
なんで自分の家、そして自分達のペットにびびらなければいけないのだ、と疑問には思うが……。
(優勝すれば、全てリセットできるのよ……)
優勝までする必要も本来は無いのかもしれない。
最低でも慧音より上の順位になることができれば……あの真面目な慧音のことだ、敗北を認めて永琳の歴史を元に戻すだろう。
それ以外にも、マイナスイメージになる歴史を少しいじらせれば良い。
音を立てないように廊下を歩き、音を立てないように自分の部屋の戸を開ける。
八意美肌クリームの用意もしておかなければいけない、在庫はどれぐらいあっただろうか。
あの生徒達の気質を考えると、嘘つきには相当厳しいだろう、約束は守らなければ……。
(まぁ、とりあえずお風呂入ろうかしら……)
永琳はタンスから着替えを出すついでに、洗っておいた服をしまおうと思った。
いつもなら鈴仙が取り込んで永琳の机の上に置いておいてくれる。
今日もそのつもりで居たのだが、机の上に服は無かった。
「あら?」
忘れられたのか、それとも……鈴仙に見限られたのか?
まさかそんなことはあるまいと、目に付くところを見て回ったが、やはり無い。
(ウドンゲ……)
ああ見えて結構冷酷なところもある。それほど不思議ではないが……。
(やはり絶対に勝たなければ、これは永遠亭崩壊の危機よ……)
一応輝夜居るのに。
永琳は輝夜のことはすっかり忘れていた、酷い話だった。
輝夜は輝夜で永琳のことを忘れて寝てばかりいた。
最近は妹紅も来ないので自由だった。酷い話だった。
一回、側転の練習をして肩を脱臼したのだが、永琳が居なくても自力ではめることができて嬉しかった。
輝夜が永遠の時の中で自分の成長を実感した瞬間だった。
永琳は、そんな永遠亭の状況も全然知らない。
それについて少し罪悪感も無いではないが、ここは耐え忍ばなければなるまい。
こうして改めて自分の勝利を誓ったとき、背後から聞き慣れた声が響いた。
「探し物はこれですか? お師匠様」
「……てゐ?」
暗闇の中で赤く光る瞳は鈴仙ではなく、てゐだった。
両手で永琳の服を抱え、無表情で見つめている。
どこかに豆ランチャーを隠してるんじゃないかとビクビクしながらも、永琳は極力冷静に振舞った。
「貴女が取り込んでくれたの?」
「鈴仙が取り込もうとしてたんですけど、今日は私にやらせてくれって頼んだんです」
そしててゐは不気味に微笑んだ、口元は笑っているが目が笑っていない。
「こうでもしないと、お師匠様に会えないかな……って」
「そそそ、そう……で、どどど、どうしたのかしら?」
冷静に振舞ってるつもりなのだが、思いっきり声が震えていた。
永琳は無意識のうちに尻を手で押さえていた、どこから部下のウサギに狙撃されるかわかったものではない。
「何してらっしゃるんですか? 最近」
「え、え?」
「私達に言えないようなことしてるんですか?」
「……何故そんなことを訊くの?」
永琳は、てゐが自分に対してそこまでの関心を示しているのが不思議だった。
これまでだってほったらかしだったし、てゐもそんな永琳の態度に特に何も言わなかったし。
「師匠」などと呼ばれているから誤解されがちだが、鈴仙だって常に永琳と共にいるわけでもない。
それなりに従順なので呼べばすぐに来るが、一人で何かをしていることも多かった。
「節分のときは悲惨でしたね」
「そうね……」
やはり文句を言いに来たのか?
永琳に避けられ続けていることで、てゐにフラストレーションが溜まっているのかもしれない。
永琳は尻を守る手に力を込めた。なんか情けない。
「ふっ……」
「な、なによ……撃つなら撃ちなさい、私は不死身よ……!!」
「今更かっこつけたって……」
辺りにきな臭さが漂い始め、永琳が開き直ったとき……突如、てゐが服を投げて寄こした。
永琳は驚きつつそれを受け止め、てゐを睨み付ける。
しかしてゐはそれにはひるまず、話を続けた。
「あんな泥臭い戦いしといて、威厳も何もないですよ」
「……知ってたのね」
「部下のウサギを使いましてね……場所はすぐ割れました」
てゐは踵を返して部屋の入り口まで歩き……その背で呟いた。
「今度は負けないでくださいね」
「……」
そう言って振り向いたてゐの顔には、何故か優しい笑顔。
「かっこいいところ、見せてください」
永琳はそのまま、廊下の闇に溶けていくてゐの背中を黙って見送っていた。
(……なに、この展開……?)
なんかてゐが一人で盛り上がっている。ほんと不思議だった。
しばらく呆然としていた永琳だったが、何故てゐが服を持ってきたのかを不思議に思った。
丁寧にたたまれていた服、投げられたときに崩れてしまったが……。
(ウッ!?)
両胸のところにウサギ型のワッペンが張られ、それぞれに一文字ずつ「必」「勝」と縫いこまれていた。
「だ、ダサッ!!」
さらに残念なことに、北斗七星とカシオペア座はほどかれていた。何してくれるんだあのウサギ。
(気持ちは嬉しいけどこれは着られないわ……!!)
大笑いして発作を起こすパチュリーと、高笑いする慧音が容易に想像できた。
この服は無かったことにして、他の服を出そうとタンスを開けてみたが……。
――き、着替えが全部隠されてる!?――
やはり嫌がらせだった。
その夜、永琳はそっと枕を塗らした。
今度はタイガーバームじゃなかった。
「う、うぅっ……白い悪魔……」
てゐの嫌がらせは、やはりあの生徒達とは比較にならない。
十一日目。
授業日数は残り二日……。
メイド長の朝は早い。咲夜は正門の前に立ち、空を見上げていた
東から降り注ぐ朝焼けは湖上の霧に遮られながらも強く、肌が焼け付くような感覚を覚えた。
咲夜はむき出しの腕をさすりながら、ぼんやりと太陽を眺めている。
お嬢様は楽しんでらっしゃるようだが、咲夜にしてみれば良い迷惑である。
豆のときはレミリアだけが悪かったとは言えないし、紅魔館が標的になっていたから、愚痴を言う余裕もなかった。
永琳が絡んでいるんだし、永遠亭でやってくれと思うのだが……そういえばパチュリーも一枚噛んでいる、ダメか。
(この乱痴気騒ぎもあと三日か……)
ただでさえ役に立たないメイドは減るし、その上さらに仕事は増えるし……。
働くのが嫌と言うわけでもないが、こうも理不尽に忙しくなるのは少々納得がいかない。
紫が絡んでいるのがまた腹立たしい、紫さえ居なければもう少し心中穏やかだったのだが。
そういえば試験問題の作成も紫と一緒にやるんだったか……咲夜は忌々しげに眉をひそめた。
「ね、ねぇねぇ、ちょっといいかしら……」
「……誰かと思えば……何よ?」
何故か永琳が胸元を隠して、恥ずかしそうに咲夜のスカートを引っ張っていた。
いつの間に接近したのだ、と咲夜は少し身構えたが、永琳はおどおどと、上目遣いで咲夜を見上げている。
豆の騒動のときに一番鬱陶しかった永琳だが、なんだか最近随分と情けなくなったな、と咲夜は思った。
そして少しイラつきながら、そんな永琳を問い詰める。
「何だっていう……ッ?」
「こ、これ……」
「ブフッ!! ださっ!!」
「ださいって言わないで! 私だって本当は着たくないわよ!!」
永琳が胸元を覆っていた腕をどけたことで「必勝」のイナバワッペンがむき出しになった。
それを目にした咲夜は、涙を流して大笑いし始める。
「笑わないでよ!!」
また、悔しそうに地団太を踏む永琳の様子が情けなくて笑いを誘う。
「必勝!? ひーっ! ひーっ! ブッ!!」
「もおおおおおお!!」
「で!? で!? 私に何を言いに来たの!?」
「な、なんか代わりの服を貸して欲しいのよ! 永遠亭で私に合うサイズの服は全て隠されたから……!!」
「良いじゃないのそれで! 似合ってるわよ! あははははは!!」
「……貴女になんか頼むんじゃなかったわ……!!」
突然永琳がしゃがんで黙り込んだので、咲夜は少々不審に思った。
しかし、時既に遅し……咲夜が時を止めるのも間に合わなかった。
「ハッ!!」
「うぐっ!?」
永琳による神速のサマーソルトキックが咲夜の顎を捉えた。
これは、使い魔型防犯カメラ人形をバラバラにした永琳の新必殺技……なのかどうか。
とにかく、咲夜は頭の周りに星をチラつかせ、そのまま仰向けに倒れた。
「笑うからいけないのよ……私は何も悪くない」
「……」
「まぁ、これが直撃したら普通は即死、良くても昏倒は免れないわ」
咲夜の細い首では永琳のサマーソルトキックの衝撃を吸収することはできなかった。
それにしても『即死』とは穏やかでない。とはいえ咲夜はああ見えても丈夫だ、気絶程度で済むだろう。
「ごめんなさいね私の教え子達……今日も給食はないわ。時間が無かったからおにぎりも作ってきていないし」
その場には、イナバワッペン付きの永琳服を着せられた咲夜だけが残った。
笑われるのが確実なイナバワッペンを身に付けて行くぐらいなら、やたらスカートの短い咲夜のパンチラメイド服の方が良い。
月の頭脳がはじき出した答えはそれだった。
「まったく、挑発的なスカートの丈よね。恥ずかしくないのかしら」
それはレミリアによる強制のせいだったが、そんなこと永琳には知る由も無い。
永琳は襟元を正し、紅魔館の正門をくぐる。
夕べてゐが言っていた台詞がどこまで本当かはわからないが、確かに勝たなければ何も始まらないのだ。
残り二日、改めて気合を入れ直して臨む。
だが咲夜の胸元に張り付いている「必勝」は、なんだかへろへろしていて頼りなかった。
胸囲が合っていなかった。
「メイドちょ……ヒッ!?」
「ち、違う人よ!!」
永琳は胸を張り、堂々と紅魔館の廊下を突き進んでいった。学び舎、魔法図書館へ向かって。
そういえば、豆のときに咲夜と決着をつけたのも地下だったことを思い出す。
「この数ヶ月間、なんどと無く思い出したわ……」
――十六夜咲夜との戦い。
単純な力勝負では勝った。
咲夜のコンディションの問題もあったとはいえ、そうでなくても圧倒したであろう確信がある。
今さっきもあっさりとのしてやった。もっとも、咲夜が油断しきっていたのも大きいだろうが。
カツンカツン、というよりは、ガツンガツンと、かかとで床を踏み鳴らし……。
かつて蹂躙せしめんとした紅魔館の廊下を突き進む。
「ここの、バカなメイド達に敗れたのよ……!!」
数ヶ月に渡って耐えてきた。
ウサギによる嫌がらせ、そして、慧音によって植えつけられた偽りの歴史。
「それもあと二日で終わる……いや、終わりにするのよ!!」
永琳のすさまじい剣幕に、メイド達は言葉を発することもできずに道を空ける。
そして永琳は地下への階段に踏み込んだ。
知識と歴史の半獣、上白沢慧音。
数字の魔術師、八雲藍。
動かない大図書館、パチュリー・ノーレッジ。
(貴女達を倒し、永遠亭での威厳を取り戻して……完全な復活を遂げるのよ!!)
今日は一時間目から永琳の授業だ。
わずかに残った誇りも捨てて、たった一つの勝利に全てを賭ける。
そういえば、輝夜と共に月を裏切ったときも、こんな気持ちだったような気がする。
昔のこと過ぎてはっきりは思い出せなかったが、とにかくそれぐらい気分が高揚していた。
「私が天才・八意永琳よ!!」
「うわ朝からテンション高っ!?」
「ウワァーッ!?」
なんなんだいきなり。教室に入るなり……。
しかもメイド服、咲夜専用のものを着て飛び出してきた永琳に生徒達は声をあげて驚いた。
「今日もいくわよ! 水兵リー……」
ブッツーン。
「ひぃっ!? 胸ボタンが!!」
永琳が力んで大きく息を吸った瞬間に、咲夜のメイド服が悲鳴をあげた。
胸囲が合っていなかった。
「た、谷間……」
「た、たわわ……」
生徒達が永琳を眺めて声を漏らす。
構造上、ボタンがはじけとんだところで胸元がむき出しになるわけではない。
せいぜい、谷間が少し覗ける程度。
「ふ、ふふふ……」
ボタンが飛んだ瞬間こそ驚いていた永琳だったが、胸元を隠そうともせず不気味に笑っている。
観察していた他の三人も、いつもと少し違う永琳の様子に戸惑っていた。
「……授業を続けるわよ!!」
「な……!?」
「先生!?」
「こんなことを気にしている時間など無いの……!! 皆、お願い……!!」
「先生……」
「化学を勉強しましょう!!」
鬼気迫る永琳の表情に圧され、生徒達はそのまま動くことができなくなった。
驚いているのはむしろ教師達の方……あの永琳が、こんなラフなやり方をするとは思ってもいなかった。
「うっ!?」
「え、永琳……」
「やってくれるじゃない……」
他の教師を鋭く睨み付ける永琳の目からは「もう小細工など使わない」という強い意志が伝わってきた。
もともと地力のある永琳、小細工など使われるより、この方が厄介かもしれない。
三人も息を飲み、その場に立ち尽くした。
だが生徒は、自分達から永琳の視線がそれたので、間隙を縫ってその胸元をガン見していた。
真面目になっても本性はバカだった。
その後、十二日、十三日、と……不気味なほど平穏だった。
変化と言えば、永琳が十日目の夜に洗った服にも「必勝」をやられたので、引き続きメイド服を着ていることぐらい。
応援なのか、嫌がらせなのか、てゐの真意も明確でない。
ちなみに咲夜は替えがちゃんとあるので、イナバワッペンはすぐに脱ぎ去った。
恨みいっぱいの咲夜は永琳にだけ痺れ薬入りの給食を持っていくなどの反撃を試みたが、永琳には毒も薬も効かないので無意味だった。
美味しそうに給食を平らげる永琳が本当に不愉快だったので、今度は大豆を入れたら卒倒した。
咲夜はそれでスッキリしたので、それ以上の追求はしなかった。
そして試験日前の最後の夜。自宅に戻った慧音は一人、手酌酒。
「明日は下弦の月か」
そっと後頭部を撫でると慣れない手触りがそこにある。
最悪、永琳の育毛剤やら、歴史をいじるなどして元に戻すことは可能なのだが……。
(教師と言うより、女としての誇りかな、これは)
チルノを大人しくさせるために、わざと大げさに悲しんでやった……つもりだった。
なのに、自然に元に戻るのを気長に待っている自分がなんだか愛らしくて、口の端が歪んだ。
(明日、ついに決着か)
なんとなく感慨深いものがある。
意地汚いやり取りも散見できたが、教師としての自分を見つめなおす機会になったのは確かだった。
私怨はさておいて、皆それぞれ個性的な工夫を凝らして授業を行っていた。そこから学ぶべきものは多かった。
(あんなに必死な八意永琳、そう見られるものじゃないしな)
お猪口の酒をぐいっと流し込んだ。喉が焼け付くような感覚が心地良い。
(ふふ、しかし……私はぼろぼろだよ、八意先生)
一生懸命やったのに、全然うまくやれなかった。
断髪した辺りまでは好調だったろう、しかしその後は伸び悩んだ。
パチュリー、藍による包囲網もあったし、それにどう対処すべきかもわからなかった。
――元々、器用な方ではないのでな――
今回それを痛感した。
藍は日頃から橙を相手しているだけあって、学力の低い者に勉強を教えるのが上手だった。
パチュリーは、本から得た知識を次々に経験へと変えて授業を行っていた。少々意外だったが、やはり頭が良い。
情けない所ばかり目立った永琳……しかしなんだかんだと言って、生徒達の化学の知識は確実に増えていた。
「気持ちだけではどうにもならないものだなぁ……」
蹴落とし合いにおいてはそれなりに頑張れていたのが恥ずかしかった。
慧音は仰向けに寝転がり、両手で顔を覆った。みっともなくてついつい顔が赤くなる。
不思議と悔しさはなかった。
永琳に負けるのは少し癪だが……良い勉強になった、という気持ちの方が強い。
幻想郷に勉強好きな者はあまりいない。
それゆえか、学校と言う施設も無いに等しい。それこそ慧音の寺子屋ぐらいだろう。
親が子に、その子が親になったとき、さらにその子に。
そうやって伝えていく知識、技術はあるだろうが……。
そんな『教育』を勝負事にしてしまったことに多少の罪悪感がある。
生徒を巻き込み、永琳を巻き込み、紅魔館を巻き込み……。
だが、自分が大切に思っていたこと。
『教育』について、誰かとここまでぶつかり合えたのは初めてだった。
それがなんだか楽しくて……永琳の人気に嫉妬したのも、紅魔館のワースト達を相手に教えたことも……。
転校生に手を焼いたり、他の三人に邪魔されたり……。
「楽しかったな、ふふっ」
一人で呟き、屈託なく笑う。
長い人生……そんなもので良いのかも知れないと、ろくな根拠もなくそう思った。
(さてあいつら、何点取ってくれるかな?)
――0点を取った奴には頭突きをくれてやろう――
慧音は寝返りを打って、そのまま寝息を立て始めた。
そしてついに十四日目。
……試験日。
教師達の優劣が、生徒達の平均得点によって決められる日。
教師達は朝早くから紅魔館、魔法図書館に集結し、そわそわと落ち着かなかった。
ああすれば良かった、こうすれば良かった、と……誰しもが後悔し、不安に陥っている。
「おはよう、皆」
「お、おはよう……」
永琳は一体何日連続でメイド服着るんだ、と皆が思った。
別に異臭を放ったりするわけではないので構わないのだが……そんなところだけ瀟洒だった。
油断すればメイド服にも必勝をやられそうなものだが、それだけは阻止しているらしい。
だが胸のボタンはそのままだった、色仕掛けか?
「お待たせ、先生達」
「いい加減それ脱いでよね……なんなら適当なドレスを見繕ってあげるから……」
皆が永琳の胸元に気をとられている間に、紫と咲夜が試験問題を作成し、魔法図書館へとやってきた。
生徒達は既に皆教室で待機し、試験前のわずかな時間も、往生際悪く勉強している。
思い思いの教科……慧音を好いていた者は歴史、永琳を好いていた者は化学、藍なら数学、パチュリーなら語学、と。
こういう展開になるのだったならば、やはり生徒達からの人気は、あって邪魔になるものではなかっただろう。
「一応、先生達の分もあるわよ……今更ケチをつけられても直さないけど、一応目を通しておきなさい」
藍にチクる気配が無いと見るや、紫は再び強気に戻った。現金なものだ。
しかし、そうでなくても教師達からは良い目で見られていない、四つの視線が容赦なく紫に突き刺さる。
「ふっ、あんたが作ったと言う事実だけで不満よ」
「言うわね、八意永琳……貴女の育てた生徒達に、この私の難題が解けるかしら?」
「そういう台詞はうちの姫の専売特許、うすら笑ってられるのも今のうちよ」
「そうだな、同感だ……八雲紫、今回は少々おいたが過ぎたな」
「紫様、私達は真剣なのです……」
「冬眠明けから活発ね……今度何かあったら、あんたがターゲットになるように操作してやるわ」
四人は当初の目的などすでに忘れかけていた。
慧音は勝利を諦め始めていたし、永琳は復讐よりも永遠亭への復帰に燃えている。
藍やパチュリーは、純粋に勝利の栄光を掴むことに重きを置いている。
だがやはり紫だけは憎たらしいので、なんとかならないものか、と思っていた。
「ハイハイ、そういうのは後ね。さっさと目を通してもらえるかしら? 一教科目まであと十五分ぐらいしか無いのよ」
火花を散らし始めた五人を咲夜がいさめ、四人に試験問題を配っていく。
紫のことだから変な問題構成にしてくるかと思ったが、意外とまともだった。咲夜が暗躍したのかもしれない。
「なんだか私の受け持った化学だけやけに難しい気がするわ」
「そんなことないだろう。むしろ歴史の方が……」
「なんだ、自信がないのか? 私の教えたことが理解されていれば、数学のこの程度の問題なら……解けるかしら……?」
「漢字書けるかしら、あいつら……散々書き取りさせたけど……」
四人それぞれの口から、不安があふれ出す。
納得のいく教育ができた者など誰一人としていない。
前半一週間を語学に取られてしまったのもそうだし、後半になっても語学がまともでなかった。
いつまでも見苦しく蹴落としあい……その分の体力を授業に使っていれば、もう少しちゃんと教えられなかっただろうか?
「まぁ、勝負事だから」と割り切っているつもりだが、何故こうも胸の中にわだかまるのか。
――できれば……こんな形で出会いたくはなかった――
誰かそう呟いたような気がしたが、今となってはそれも詮無き事。
四人は顔を引き締め、生徒達の元へと向かう。
後悔ばかりしていられない、生徒達がどれだけ自分についてきてくれたのか……。
絶対的な基準にはなり得ないが、点数がそれを明示してくれる。
「寺子屋なんて開いておいて、ここでドベを取ったら話にならないしな……」
「めげることないわ上白沢先生。相手が悪かった、って言えるメンツじゃないの」
「上白沢先生……私が勝ったあかつきにはそのモミアゲも切り落とす!!」
「それは嫌だな……せっかく無事だったのに」
あと、モミアゲと呼ぶのは正確でないんじゃないか、と慧音は思った。
「しかし……教師としてその胸元はどうかと思うんだがな、八意先生?」
「女子学校だから良いのよ。それに、文句は十六夜咲夜に言ってもらえるかしら。もしくはうちのウサギ」
「すごい、バカっぽいわよね。その胸元とスカートの丈」
「胸元はともかく、スカートの丈は紅魔館側の話でしょう? いじってないわよ、私」
「……まぁ、それは良いとして、あんたが負けたら本を返してもらうわ、あと……いや、これ以上は秘密ね」
「取らぬ狸の皮算用は惨めよ、パチュリー先生」
「勝手に言ってなさい……」
一応、罰ゲームは皆それぞれ考えてあるらしい。
果たしてどうなるのか。
生徒達は生徒達で、教材とにらめっこして最後の抵抗をしている。
「ね、ねえねえイザベラ!! 三代目博麗ってどれだったかしら!?」
「腋毛が生えてない奴だったはずよ……これと、これは違うわね」
「は、博麗って腋毛生えないのかしら……」
「そんなことは良いのよジェシカ!! 問題は、どれが三代目博麗か、よ!!」
「こ、これかな?」
「それは咲夜さんが来る前のメイド長よ!! お嬢様と妹様の下着をダブルで漁ってクビになった奴!!」
「で、でも腋毛生えてないよ……?」
「腋毛は大浴場で剃ってたわ!! 騙されちゃだめ!!」
「その頃私まだ居なかったもん……」
「大丈夫なの? ジェシカ……」
久々のこいつらも一生懸命だった。
あと、慧音が教えてた歴史の内容が結構気になる。
それにしても、イザベラがメイドとして咲夜より古株だったのが結構衝撃的だった。
別にどうでもいいが。
全教科0点のグランドスラムは起こるのか。
転校生三人の成績は如何なるものなのか。
一体どれほどの平均点となるのか……ついに決着がつく。
「さぁ一時間目は歴史だ。皆、机の上の物を片付けろ」
静かな教室に時計台の鐘が鳴り響く。
――試験開始。
~続く~
本編も最高だったッス!!
敢えてワシントン条約も無視するスパークする餃子バカと言ってみる。
わにぎりは一秒間に10個まで作れるんですね?
永琳お手製わにぎりに軽い興奮を覚えたのは自分だけではないと信じたい・・・
電子ブレインイカスw
後永琳のことを師匠と呼ぶのは確か鈴仙だけだったと記憶しておりますが・・・・・・・。
いよいよ試験開始。誰がいったいどういう結末を迎えるのか楽しみです。
>後永琳のことを師匠と呼ぶのは確か鈴仙だけだったと記憶しておりますが・・・・・・・。
直接確認したわけではないのですが、新しい方の「三月精」でてゐが「お師匠様」と呼んでいたと聞いたことがあります。
すこしずつ狭まっていくであろう紫包囲網にも期待。
慧音とチルノのカップリングって少し新鮮だ。
しかし、寺子屋にいってる代理って結局誰だろう?
しかし今回は腋への拘りが随所に感じられるw
巫女にはそんな米の備蓄がな(夢想天生
根本的にどうしようもねえw
だが、だがそれでこそ『メイド長』
なんという勇者・・・しかし何故授業中にタイガーバームを持っていたかg(裁かれました・・・
まさかあのネタを持ってくるとはw
しかし、長編なのにどの話も面白いと言うのが凄いですね。
ちゃんと構想を練ってらっしゃる証拠ですね。参考にさせていただきます。
では、最終話楽しみにしてます^^
>お師匠様
一応調べて書いたんですが……。
どうしても二次なので、この手のミスってやらかしたりしちゃうんですよね。
多少大目に見て欲しいとも思いますが、あんま酷ければ言っていただけると助かります。
基本的に調査してからやってるので、そこまで酷いのは無いと思いたいんですが。
>しかし何故授業中にタイガーバームを持っていたか
居眠りがあまりに酷いので、それに対処するために持っていった、という背景があります。
小学生の頃は毎日21時に寝る良い子だったので、居眠りは皆無でした。
今はもう諦めてます(ダメ社会人
何故か此処で大笑いをしてしまいました・・・最終話楽しみに待っています!