それは、昔々の話。
真っ暗闇の、星しかない空の下、私は玩具のマイクを手にお腹から声を出す。
――あー、あー! マイクテス! マイクテス!
――こちら地球、こちら地球。宇宙人の皆さん、聞こえていますか。
空に星とは違う何かが煌いて、私は走り出す。
我武者羅に、ただただ純粋に、無垢すぎる心のままで。
UFOが反応した、そう思って走り出したのだろう、幼すぎたあの頃の私は。
やがて走り疲れた私は息を荒くして、草原に大の字に寝そべる。
空が眩しかった。夜景に照らされていた。人工的な光に。
子供心に私は憎む。夜景を。あんな眩い光のせいで、宇宙人はきっと驚いて逃げてしまったんだって。
今になってわかる。理解する。空で煌いた光はUFOなんかじゃなく、飛行機か何かだったって事が。
夢のない話だ。……大人になるって、ちょっと嫌だ。
*
「メリー、メリー。今日の夜は、暇かしら?」
「バイトもないし暇だけれど……どうしたの?」
いつも通り、時間が合ったのでメリーと蓮子は一緒に帰路に着いていた。
近所に出来たアイスクリーム屋さんの話が終わり、さて次は何があったかな、とメリーが話のネタを探し始めたところで、蓮子が先に話しかけてきた。
夕刻が近くなり、太陽が疲れを見せるかのように山吹色に染まり始めた頃。
昼なんてものはとうに通り過ぎ、しかしまだ夜までには少し遠い。そんな時刻である。
「ちょっとお出かけしましょうよ。山のちょっと高いところまで、ね」
蓮子は3歩ほどメリーの前に出て、振り返ると、そのまま後ろ向きで歩く。
メリーがそれを咎める事をしない。蓮子がこうやって話すとき、前方確認はメリーの仕事だ。
危機察知能力に関しては蓮子も相当なもののようで、今まで誰かにぶつかったりだとかそう言う事は一度も無かった。
結構しっかりしたコンビネーションなのである。
「なに、また怪しい建物か土地か境界でも見つけた?」
「ぶぶー。残念外れ、またあしたー」
「肝試しでもするの?」
「そんな詰まらない事じゃないわ。もっと、もっと面白い事よ」
メリーとしては、もったいぶらずにすぐに言って欲しいところだ。
ためが長ければ期待は高まるものの、結果を導き出すために必要のない過程は時間の無駄でしかないのだから。
ここらあたり、出会ってからこのかたなかなか蓮子とは気が合わなかった。
蓮子は結論をもったいぶって過程を盛り上げるし、逆にメリーは割かしすぱっと結論を言ってしまう。
ただまぁこのあたり、歯車みたいに上手く噛み合って意外に相性は良いのかも知れなかった。
ふいに、少し角度がおかしいカーブミラーが見えた。そこは丁字路。
カーブミラーはメリーが大学へ通うためにここらに移り住んでこのかたずっと気になっているのだが、未だに直る気配はない。
そしてここは、それ故に蓮子と一緒に帰る際の非常に分かりやすい目印になっていた。
「ねぇ、蓮子。そろそろ分かれ道よ。蓮子は右で、私は左」
「あら、本当。メールじゃ意思疎通が上手くいかないし、電話じゃ周りの音が気になるかも知れないわ」
「そうそう、だから何をするために山へ登るのか早めに言って貰えると助かるのだけど。夕飯の買い物もあるし」
具体的にはタイムセールスの時間が迫っているのだが。
目の前の蓮子が可愛らしく笑ってから背を向け、空を見上げる。
それに倣ってメリーが空を見上げると、まだ夜は遠いのに気の早い月が顔を出し始めているのがわかった。
背を向けたまま、弾けそうな声で蓮子が夜のお出かけの目的を発表する。
「光り輝く街の夜景と、その光で薄明るくなった夜空を見に行きましょう、メリー」
「えー」
普通に詰まらない事だった。
けど、普通に考えると詰まらないからこそ、秘封倶楽部にとっては面白いのかも知れない。
そんな風に思ったメリーは、6秒くらい考えてからちょっとだけ曖昧な笑顔で了承した。
*
薄闇に支配された山道。
人が通る事を想定してはいるようだったが、舗装まではされておらず土くれであり、さらに周囲の木々が閉塞感を抱かせ、お世辞にも歩き易いとは言えない道である。
そんな山道をふたつの光が踊り歩いていた。
ひとつは真っ直ぐに、先導するかのように。
ひとつはゆらゆらと揺れ、真っ直ぐな光にアピールするかのように。
「でも、少し意外だったわね」
「何が?」
そしてその光を操るのは、年頃の女の子ふたり。
風でざわざわと騒ぐ木々はともすれば恐怖の対象となるものだが、そのふたり――メリーと蓮子――は実に平然としていた。
「蓮子が天体望遠鏡を担いでこなかった事よ」
しれっと言ったメリーに対し、蓮子は目を細め「むっ」と音を漏らした。
蓮子の手の動きが止まるのに合わせ、揺れていた光が静止する。
なんで私がそんなもんを担いで来なきゃいけないのか、とでも言いたげである。
「あのねぇ、メリー。私は別に天体観測をしようー、って言ったわけじゃないのよ? あんなもの重いし何より高くて買えない」
懐中電灯の端から伸びているストラップを指に絡め、ぷらぷらと揺らしながら蓮子はやはりどこか不機嫌そうに返した。
光がまた、踊り出す。
実のところ実家にはあるのだが、それは蓮子の持ち物ではないし、そもそも使った事も無かった。
星の光を見て時間が、月を見て今居る場所が分かるからと言って別に天体が好きなわけではないのだ。
「だって、夜景と夜空を見るためにわざわざ山に登るんでしょう? それくらいの準備は欲しいところだわ」
「そうまで言うのならメリーが持って来てくれれば良かったじゃない」
「嫌よ。重いし何より買ったところで置く場所がないもの。実家の倉庫なら置いておけるかもしれないけれど」
もし購入してそうしたところで、隅っこで埃を被るのがオチなのだろうが。
そんなこんなで、メリーも蓮子もいつもの格好、いつもの軽装備である。
山登りだけに飲料水や汗を拭くためのハンドタオル、携帯電話の乾電池式充電器などを持ち歩いてはいるが、さほど大きくはない鞄に余裕を持って収まるくらいのものでしかない。
ただの山登り、そして夜景&夜空見物。
歩きにくかろうが道はあるし、外灯の光や光年以上遥か彼方にある恒星が攻撃を仕掛けてくるわけもない。
今日のこのお出かけは、割かし常に危険と隣り合わせである結界暴きやら何やらに比べれば安全なことこの上ないのである。
「ところで、何でいきなり山の上から夜景と夜空を眺めようなんて思ったの?」
理由も聞かないで了承した私も私だけど、と自嘲気味に呟く事も忘れない。
それは今更な質問。
ただ単に、懐中電灯の明かりしかない空間で会話を途切れさせたくないがために持ち出した話題だった。
蓮子が隣を見れば質問者であるところのメリーは携帯電話を弄っていて、蓮子の方を見ていない。
しかし蓮子はそれを咎めはせず、軽く深呼吸をしてからメリーに向けて笑いかけると、実に簡潔に言う。
「ロマンよ」
「はぃ?」
「だから、ロマンよメリー」
「…………」
「ちょっと先日、懐かしい物を見てね。夢を追いかけてみようと思ったの」
その夢が何の事なのかメリーにはわからなかったが、後で蓮子から説明されるだろうから、わざわざこれ以上聞こうとはしなかった。
眠る時に見る夢なのかどうかも含めて、である。
別に分からなくとも、今はそれはそれで構わないのだ。
「ま、これも活動の内と言う事で。空にどかーん、と結界の境目が見えるかも知れないわよ?」
「ないとは言い切れないけれど……」
実際、空にそのような物があるのを見た経験がないわけではない。現実は厳しい。
しかしメリーの生活圏内でははっきりとした境目を見た事がないのもまた現実だ。
或いは魔の三角海域の上空あたりならとんでもない境界が鎮座しているのかも知れないが、そこまで行くための旅費がなければ気力も暇もなかった。
「まぁ、期待薄ではあるわねぇ……」
空に向けて呟く。
街が近いためか、闇に染まり切りはせず薄明るい。
その空を気ままに漂う雲は太り気味の三日月の一部を覆い隠し、周りには付き従うかのように星が散らばっている。
……何にせよ、どんなに目を凝らしても境目は全く見えなかった。
「今まで期待が濃かった事なんてあったっけ?」
「…………」
蓮子の何気ない問いが数秒の沈黙を生み出す。
メリーとしてはそれを言われると、割と弱かった。
秘封倶楽部の活動はその大部分が結界なんて曖昧な物を探す事だから、だいたいが偶然行き当たりばったりで見つけるか、あやふやな情報や直感を頼りにしてきたのだ。
だから期待なんて薄い事がほとんどだったし、期待が濃くても裏切られる、なんて事もあった。例えば月面ツアーの高価格っぷりとか。
「……あったんじゃない? 少しくらい」
メリーは色んな事を思い出して溜め息を吐きたい気分になったが堪え、何とかかんとか沈黙を引き裂く。
そこそこに強気な口調ではあった。
まぁ、事実ではある。期待が濃かった事もそれが裏切られなかった事も全くの皆無と言うわけではないのだ。
ただほんの少し……もとい、かなり数が少ないだけで。
「あったねぇ、少しくらいは」
からかうように笑いながら頷くと、蓮子は深呼吸をした。
そして傍らで今度はしっかりと溜め息を吐いたメリーの肩を軽く叩いてから、
「GO!」
「ちょっと、蓮子!?」
突然駆け出した。
メリーは急に走り出した相棒の背中を追いかける。
蓮子の走る先にあるのはそこそこに広く、街を一望出来る草原だった。どうやら両端を木々に囲まれたジグザグの道はここで終わりらしい。
がさがさと少し喧しい音を立てながら蓮子が、そしてメリーもその草原を駆けて行く。
人の手がつかず伸び放題、と言うほどに酷くはなかったが、脛あたりまで伸びた草は長いスカートである事も相俟って走るのに少し邪魔だった。
普通なら衣服が汚れる事も気になるのだろうが、そんなものはメリーも蓮子ももう慣れっこである。
取れないようなしつこい汚れが付かなければ特に問題はなかった。
うら若き乙女にしては少し隙はあるかも知れないが、無頓着と言うほどには開き直れていない。
「おー、いい風だー」
立ち止まり、帽子を飛ばされないよう右手で押さえながら、蓮子が実に楽しそうに言った。
「ん」
蓮子の言葉にメリーは短く同意してから、帽子を鞄へ入れた。
2人とも、今度はゆっくりと歩き出す。
風が駆け抜け、靴が土を擦る音と風音が混ざる。
風に誘われるように奏でられる草の擦れ合う音が、混ざり合う音を不思議と際立たせていた。
「あー……」
蓮子が先ほどまでとは打って変わって、気の抜けた表情で空を仰いだ。
宇宙なのか、或いは先ほど言っていた夢なのか、それはメリーにはわからなかったが。
それは空ではなく、その向こうにある遠い何かを見ているようで。その事だけはわかる気がして。
「もしかして感傷に浸ってたり?」
気づけば何となく、茶化すような口調でそんな事を聞いていた。
蓮子もこれでいて結構ナイーブだったりするし、メリーは勿論そんな事は知っている。
メリーより繊細な所もあったりするのだ。メリーより大雑把な部分の方が多くはあるが。
「そんな感じかしら……ねぇ、メリー」
「なぁに?」
「綺麗ね、夜景」
「……まぁ、綺麗は綺麗よね。あれが自然を破壊してる一因だと思うとちょっと気が滅入るけど」
煌びやかな風景。光景。人間によって作られた……と言うよりは、築き上げられた美。
どこか、ある種の芸術とも呼べるほどの華麗さを秘めてさえいる。
けれども何もかもが合成で作られる世界の礎のひとつになったのは、間違いないのだろう。
結果としてその事が良かったのか悪かったのかは別にして。
「もう、メリーは現実的過ぎるわ」
「こんな事で夢見たってしょうがないじゃない」
それもそっか、そう呟き苦笑する蓮子の横顔は、夜の光に照らされどこか憂いを帯びていた。
その瞳は決して虚ろではなく、いつも通り活気に満ちていたが……どこか色が薄い。
今の蓮子はやはり、夜景の向こうに何かを見ている。何を見ているのだろう。……或いは、蓮子は何を見ようとしているのか、何を見たいと思っているのか。
メリーは今、それを知りたかった。何となく、などと言ういい加減な理由ではなく。
親友であり、相棒であるからだ。そんな彼女が見ようとしている全てを、知りたいと思ったのだ。
「……雲が流れてるわねー」
けれど積極的に問う事は出来ず、取り繕うみたいにメリーはそんな言葉を紡いだ。
また風が吹きつけ、草葉が揺れ、雲が流れる。メリーと蓮子の髪にも衣服にもその風は吹きつける。
雲の流れがはっきりと見えるほどに照らされた空。しかし、そこにも星は見える。
綺麗、などとは言えなくても力強く輝いている事はわかった。そうであって欲しいとも願った。
その星に、今の風が届く事はない。遠く遠く、大気も銀河も越えた彼方には何をしても届かないのかも知れない。
「悪くはないでしょ? 晴れの日の夜景も、薄明るい空も」
「この空は普段から見てるものだしねぇ。こんな風にじっくり眺めるのも、悪くはないと思うけど」
大学で話し込んだ時や倶楽部活動で遅くなった帰り。
カーテンを閉める時にふと視界に入ったり、コンビニに夜食を買いに行く時。
いつもは、今眼下にある光の集合体の端の方、住宅街のあたりに居てこの夜空を見ているのだ。
メリーも蓮子も、そしてあの光の中で生活を営むたくさんの人々も。
じっくりと眺める事なんてのは、滅多にありはしないが。
「……もし満月だったら、もうちょっと風情があったかも知れないわね」
「……メリーは……あの月に人間や兎、それによって作られた都はあると思う?」
「以前にした話よね、それ」
「んー、確認かなぁ」
「居るわよ。絶対に」
そして、蓮子の言っていた通り私なら見つけられる、そんな風にも。
自信過剰ではあったが、不可能な事でもないのだ。
メリーの目を以ってすれば、『やってやれない事はない』くらいなのである。月に行けさえすれば。
「じゃあさ」
蓮子の持つ懐中電灯の電源が切られ、メリーも倣う。
街の光が一望出来るこの場所は、そんな光が不要なくらいには明るい。歩くには心許無いが、突っ立ってお喋りをする分には十分だ。
……こんな現代社会においても夜が深まれば恐怖を抱くくらいには暗くなるが、闇に染まる時間にはまだ早い。
蓮子もメリーも直視する。街の光を。人類の発展の証のひとつであり通過点のひとつである光を。
す、と蓮子がしなやかに右腕を上げ、細く白い指で空を指差す。
その先には、鈍く輝く三日月がある。そして、さらにその向こうには……。
――ああ、なるほど。
メリーは理解する。蓮子が見ていたものを。見たいと思っているものを。
「月よりもっと遠くに。太陽系を超えた、もっともっと先に。……地球よりも月よりも凄い技術を持った人たちが暮らす星は、あると思う?」
「いわゆる宇宙人ってやつかしら?」
「そうね。UFOとかミステリーサークルとかモアイとかそのあたりの話になるわ」
月の人たちだって居たら宇宙人なんだけどね、そう言って蓮子は微笑む。
月への旅行がより現実味を帯びてきた今でも、その手の番組ではよく特集を組んだりしている。
地球の外の、宇宙の彼方の、或いは次元までもを超えた向こうの知的生命体の存在。いつの時代も誰かが望んできた。
その思いや考えは限りなく空想に近くあり、しかし広すぎてなお広がり続ける宇宙に知的生命体のいる惑星が地球だけとも考えにくいから、限りなく現実にも近くある。
でも、まだ。宇宙に進出して半世紀以上を経て、昔の物を失って昔よりも多くの物を手にし始めた人類でもまだまだ届かない。足りない。
空想と現実のどちらにも近いと言うのに、空想と現実のどちらなのか、未だに区別のつかない話。
「暮らしてる星はあるんだろうけど、大した技術はないのかもねぇ」
どこか切なそうなメリーの返答は、言の葉は。肯定であり否定でもあった。
居るけども、届かない。こちらの手もあちらの手も。それがメリーの答え。
人類は、……人類ですらも、月への旅行を実現しているのだ。
蓮子が以前に言っていた通り、有人火星探査とまでなると不可能なのかも知れない。
が、無人の探査機なら飛ばしている。火星のみならず、あらゆる惑星に。
いやはや、そんなもんじゃない。外から調査するだけの目的なら、もう太陽系の外へだって進出してしまいそうなのだ。
人類にとっては事実上終焉を迎えた観測物理学。もしそれを超越した技術があるのなら、そろそろ宇宙人の方から地球に来てくれてもおかしくないはずだ、とメリーは思う。
来たところで、友好目的になるのか侵略目的になるのかはメリーには、そして蓮子にも想像すら出来ないのだけれども。
「夢がないようで、あるのか。夢があるようで、ないのか」
蓮子の呟き。
現実を見て、その先に夢を。夢を見て、その先に現実を。はてさて。
「どちらも正解なのよ、蓮子。そのふたつがあって、私の答えは成り立つの」
自信満々、とばかりに――本当はそうでもないのだが――メリーが不敵に笑う。
2人とも、同じ夢を見ている。月にも、月よりも遥か彼方にも、宇宙人が居ると信じている。
見方が違うだけで、同じ宇宙に似たような思いを馳せている。
蓮子も納得したのか溜め息混じりに笑い、メリーを見る。
目が合い、2人は小さく笑い合う。意味もなく、わけもなく、ただ何かがおかしくて嬉しくて。
少しらしくない、可愛らしく慎ましやかな笑い声が、都会の夜の静寂を引き裂いて空へと響いて行く。
蓮子は願う。この声がどこまでも届くようにと。メリーは祈る。この声が消えませんようにと。
でも、そんな願いも祈りも叶うはずはない。2人ともわかっている。……なら、どこまで届いて、そしてどこで消えて行くのだろう。
そんな疑問も、ただただロマンでしかないのだろうか。
「でも、蓮子」
「ん? どったの?」
「遠い宇宙について語るのなら、丸一日暇な日に少しでも都会から離れた方がよかったんじゃないかしら?」
「なんで、そう思うの?」
和やかな空気のまま、けれども笑みを消して、蓮子はメリーに問いかける。
真剣な表情。反発するような気持ちもある。
ただそれ以上に、片割れも同然の友が頭の中に思い描いている事を知りたいと言う、欲望にも近い感情があった。
「だって、私なら……もしも大した技術があってUFOが来たとしても。こんなにも多くて広範囲に散らばる強い光を見たら、驚いて帰ってしまうかも、って考えちゃうんだもん」
もしかしたら宇宙人が来ないのは技術よりも地球の光のせいなのかも、独り確認するみたいに小さく呟くと、メリーは顎に手を当て、うーんと声を出しながら空を睨む。
可愛くはあったが、故にその仕草はいまいち似合わない。
そのまま唸り続けるメリーの考察の懐かしさに、蓮子は思わず軽く笑いを漏した。
が、メリーは随分と真剣に考えているらしく気付かれる事はなかった。
「ぷっ……あはは、あははは! もう、メリーったら! メリーったら!」
しかしついには堪え切れなくなり、蓮子は大きな声で笑ってしまう。
流石に気付かれた。
今にも怒り出しそうな気配を漂わせながら、メリーは蓮子を見つめる。
「なによ、私、何かおかしい事でも言ったかしら?」
「ううん、ただ、なんだか……私たちって、ホントに相性がいいんだと思って」
目尻に浮かんだ雫を指で拭いながら、蓮子はなおも笑う。
「私もね」
喜びを孕んだ声は思い出を呼び起こすためのもの。
目を閉じた。夜空がある。描かれる。こことは違う土地ではあったが、ほとんど同じ空に煌いた光を追った事がある。
幼い頃の記憶。疲れ切って息を荒くする自らの視線の先にあった街の夜景。
蓮子には、瞼の裏に驚くほど鮮明にその時の景色が浮かんで見えた。
ひとしきり過去を振り返ると、目を開き、現在の夜空を見る。
「昔、全く同じ事を思ったのよ」
「え?」
「観測物理学が事実上終焉を迎えているだとか、だから火星には多分行けないんだとか、月と地球の距離……それどころか京都と東京の距離すら知らなかった頃にね。
玩具みたいなちんけな双眼鏡と中身にラムネ菓子が入ったままの玩具でしかないプラスチックのマイク、あとは半分だけ残ったオレンジジュースのペットボトルを持って、UFOと宇宙人を探すために家を飛び出た事があるの。
その時に見た街の夜景が目を閉じたくなるほどに眩しくて、私が宇宙人を見つけられなかったのあれのせいだー、って憎みまでしたわ」
「子供ね……」
「子供だったんだもん」
夜遅くに勝手に家を飛び出て家族を心配させちゃった事も含めてね、と蓮子は楽しそうに続けた。
恐らく、反省はしているのだろう。したのだろう。でも、蓮子は笑う。
そんな事も含めて、笑い飛ばせるようなくだらなくて楽しくて夢にばかり溢れた思い出だから。
「ついで言うと、馬鹿って付きそうだけど」
「あはは……否定はしない」
苦笑し、蓮子は恥ずかしそうに頬をかいた。
頬を撫ぜる風はいつの間にか、ささやかなものになっている。
「けれど」
「うん?」
「蓮子は子供の頃から、素敵な人だったのね」
嫌味など欠片も混ざっていない微笑みと言葉。
素直にそう感じたから、そう思ったから、メリーは素直に口にした。
思考停止。蓮子はしばらく目を丸くして沈黙した後で、思考を再開。途端に赤くなった。
「め、めりー、その、なんかこう、今更って気もするけど……面と向かって言われると、照れちゃうじゃない」
「照れて貰わなきゃ困るわよ。私だって、すっごく恥ずかしかったんだから」
言う割には、蓮子と違いメリーの頬に赤みはなく、先ほどまでと全く変わらない微笑みを浮かべている。
内心、と言う事なのだろう。
照れを隠せるなんてメリーも成長したなぁ、と何故かしみじみしながら蓮子は思う。
出会った頃はちょっとした事ですぐに赤くなったと言うのに。
「ところで。色んな事を知って、昔よりは現実を知った今……蓮子の考えや思いは、どう変わったのかしら」
「いい質問ね、期待通りだわ。さすがメリー」
赤みがかった頬のまま……しかし今度は照れなどではなく興奮に近いものを纏い、蓮子はくるくると舞い回りながら、メリーの隣から眼前へと移動する。
「いい? 宇宙人が地球まで来るような技術を持っているんだったら、あの程度の光で驚くわけがないのよ」
「ん、まぁ、一理あるわね」
「だから、あの光は宇宙人を驚かせてしまうものでも、ましてや驚かせるためのものでもない」
ふぅ、と蓮子は息をひとつ吐く。
そして風を受け止めるかのように両腕を広げ、ジッとメリーの目を見据えた。
「あの光はね、この地球という惑星を、いつかは恒星のように自ら輝く星にするための光なのよ!!」
満面の笑み。今日一番の笑顔だった。
夜景をバックにしていて逆光で蓮子の顔がよく見えないというのに、メリーにはその笑顔が何よりも輝いているように見えた。
外灯よりも、ネオンよりも、恒星よりも気高く美しく。
様々な事を知っても、輝きを失わなかったのか。否、より輝きを増したのだ。恐らく。
「…………」
「きっといつか、空を照らす光は大気を突き抜け宇宙を駆け抜けて万も億も越えた光年先へと行き着く。宇宙人にだって容易に確認出来るほどの光量を以ってね」
「それはまた……大変な事を言うわね、蓮子は。そんなもの、果てしなく夢物語に近いもの」
広い宇宙、都市の光がどこまで届くと言うのか。
蓮子にしては夢物語に過ぎるとメリーは思った。輝いて見えるからこそ、余計に。
確かにこれは、蓮子が現実に変えると豪語した夢の世界とは違う。
睡眠中に普通に見る夢でもメリーが見た不思議な世界の夢でも無く、いつか実現させたい事柄だとか、妄想や想像と言った類のものだ。
夢と現は同じだとか別だとか、そんな事は全く関係が無く、ただただ叶える事が難しい願いや渇望でしかない、哀れとも呼べる『夢』なのだ。
「いいのよ、夢物語で。私は別に現実至上主義者なんかじゃなくて、夢に夢見る乙女なのよ?
夢は現実にかわるもの! 夢を現実に変えるためには、まずは夢を見なきゃ! そうじゃないと、なにも始まらないんだからさ!!」
「望む夢と夢の世界のどちらも現実に変えたいなんて、見境がなさ過ぎるわよ、蓮子」
「ん、そうかも知れないわね。……でも、私だって昔からここまで欲張りだったわけじゃない。
……むしろ、人と違う私の目は現実しか見る事が出来ないんだと理解して、物理学を志して宇宙を知って、折角こんなに素敵な目を持てたのに結局は人と変わらない人生を過ごすんだって半ば不貞腐れてもいたわ」
小石を手にし、投げる。
蓮子のその行為に特に意味は無く、ただ間を置きたかっただけ。
少し恥ずかしそうな顔は、まるで告白直前の少女のよう。
「メリーに出会うまでは、ね」
「…………」
「不思議よ。あなたと出会ってあなたと過ごしてあなたの事を知って、望む夢も眠る時に見る夢も全部現実に出来そうな気がしたんだから」
旅客機が上空を通り過ぎ星の光を遮る。空にまで人工的な光が舞い、雲の向こうへと消えて行く。
かつてはあの空を飛ぶ事も夢物語でしかなかった。宇宙に出る事も同様だ。
理論上可能であってもなしえなかった夢物語を、人類は現実にした。し続けてきた。
けれど今、理論の上ではまだしも観測物理学は事実上の終焉を迎えてしまい、技術も恐らく行き詰まりかけている。現実に変える事が難しくなっている。
この終焉と行き詰まりはきっと、人類が行き着いた夢の最果てなのだろう。
でも、まだまだ、
「絶対に現実に変えられないはずの夢物語は、いつの間にか努力すれば現実に変えられるかも知れない夢物語になっていたの」
蓮子にとっての夢の最果ては遥か遠くにある。メリーと出会えたから。
今はまだ、目に見えるはずなんてないちっぽけな可能性。けれども、零に比べれば途方も無く大きな可能性。
どんなに高い壁が聳えていようと、常識の鎖が邪魔をしようと、決して不可能ではないと自信を持てる望み。
信じる。不思議な世界を映し、理論も現実も無視する目を持つメリーと一緒に歩むなら、いつかは夢の最果てまでをも現実の過程に変えてしまえると。
「現実にあるのに、興味を持っただけで手を出せなかった結界を踏み越えた、不思議な世界を見た、ツアー以外の方法で本気で月に行ける気になった。
そして昨日の夜、昔の夢を見て宇宙人に会いたいと思っていた自分を思い出して、起きた時にはきっと月よりももっともっと遠くを目指せると確信すらした」
「過大評価されているような気がしてきたわ……私って、そんなに凄かったのかしら」
メリーが前髪をかき上げ苦笑する。
きっと間違ってはいないのだろう。もし他に蓮子並の好奇心を持った人間が居たとしたら、同じように思うのだろう。
現実しか見られない人間にとって、メリーの目は気持ち悪くもあり、余りにも魅力的なのだ。蓮子に限らずそう感じ、羨むはずだ。
ならば、メリーにとって何よりも幸運だったのは、幾多の偶然が重なった末に隣に立っているのが、蓮子であった事に違いあるまい。
「それはどうかわからないわ。けれど、メリーのおかげで私はまた夢を見た。現実と別である夢は、現実に変えるものなんだって分かった。これだけは確か」
「私が現実と夢は同じものだと思っている事、知っているでしょう? 蓮子の言う事は理解出来るけれど、納得はしていないのよ」
「十分よ、私も同じだもの。……ついでにね、メリー。私はさっき、この地球の光が、いつかは宇宙の遥か彼方まで届く、って言ったけど」
「何となく言いたい事はわかるわよ……蓮子の事だし、『私は宇宙人が地球を見つけてくれるのを待っているつもりはない』とでも言うんでしょう?」
溜め息混じりに言ったメリーを、蓮子はきょとんとした表情で見つめる。
「驚いた……大正解よ。やっぱり、さすがはメリーね」
そして喜び半分、悔しさ半分と言った声色で、そう返した。
自らを理解してくれている事に喜び、しかし簡単に当てられてしまった事がどこか悔しいと言う、贅沢とも言える感情だ。
「うん、光が届くのを待っていたって、何十年何百年何千年先になるかわからないし、不老不死の薬でも飲まないと無理な話なんだもの。
……メリー。私たちは今、月に行こうとしているわ。放課後や休日、秘封倶楽部の活動の片手間にするものであろうと。……だからどうせなら、一緒に月のもっと先を目指してみない?」
「…………まるでプロポーズみたいよ? それ」
「いや、私、そういう特殊な趣味ないし。メリーの事は好きだけれど」
「ふふ、偶然ね。私もそういう特殊な趣味は持ち合わせていないわ。蓮子の事は好きだけれど」
メリーは嬉しく思う。人並みの運しか持ち合わせていなかった自らに降り注いでいる強運に感謝する。
例えばもし、他の誰かがメリーの能力に惹かれ、理解し、受け入れたとして。
……蓮子と一緒に何かをする時ほど、心躍る気分になれる事はなかっただろうから。
夢を現実にしてみてもいいかも知れないと思える事など絶対になかっただろうから。
メリーは何かを思案するみたいに目を閉じてから笑みを作り、
「……いいわよ、付き合ってあげるわ。いつか、遠い宇宙へ行って、異星人を見つけて首根っこ引っ掴んで地球に連れ込んでやりましょう。
その夢物語、蓮子の意志と思いと私の目で、現実に変えてやろうじゃないの」
まるで課題の手伝いをしてやる、とばかりの軽い、けれども本気を感じさせる口調で言ってのける。
ゆっくりと目を開く。
その後で蓮子の隣に立ち、真っ直ぐと、今までより強く確かにその目を見た。それこそ射抜くかのように。
しかし蓮子が怯むわけなど勿論無く、返って来るのは何よりも強い意志と信頼。
「く、あはは」
「ふふっ」
パァン、と天高く音がはじける。
ざわざわと風で騒ぐ草原を黙らせてしまう、そんな意志の籠ったハイタッチ。
「もう、メリーったら無茶苦茶を言うんだから!」
「発案も私をその気にさせたのも蓮子じゃない。責任はとってよね。あと出来れば、その時までにUTC(協定世界時)くらいは見られるようになって頂戴」
「わかった、頑張る。メリーの目ばかりが活躍するんじゃ、私の立つ瀬もないものね」
山に篭って修行でもしようか? そんな冗談を言いながら、蓮子がスカートのポケットから細長いプラスチック製の何かを取り出す。
淡い緑色と、振られるたびにカチャカチャと鳴る音。ラムネ菓子の入った、偽物のマイクだけれども、子供の頃の夢の詰まったマイク。
大人の領域へと立ち入った夢は、こうして子供の頃の夢と混ざり合う。
かつては何の反応も見せなかったそれらが、メリーが居るだけで抑え切れない何かを生み出しているようで。
懐中電灯の電源を点け直し、左手で持ってその小さな頼りない光を空へ向ける。右手にはマイクを。
「……蓮子? なにを」
しようとしているの、そう問おうとして、しかし止めた。
「あー、あー! マイクテス! マイクテス!」
夜空を震わせる。草葉がざわめく。深い夜が迫るたび、街の光が減って行く。
まるで全てが蓮子に呼応するかのようにこの世界に在る。
太り気味の三日月が蓮子とメリーを見下ろしている。
蓮子は続ける。月に向かって。さらにその先にも向かって。
「こちら地球、こちら地球。宇宙人の皆さん、聞こえていますか」
「……ほんと、そこまで行くと子供と変わらないねぇ」
まるで世話のかかる妹を見るみたいな目で、メリーが幸せそうに溜め息を吐く。
そして、メリー自身は蓮子より大人であるつもりだったが、どうも大差はなかったらしいと気付かされた。
だって、蓮子の次の台詞は、言いたい事は、何もかも分かったから。理解出来たから。素晴らしいと思ったから。
蓮子に倣って、視線を夜空へと投げつける。夜の光に照らされて薄ぼんやりと雲の見える、何となく情けなく、そしてあらゆる可能性を持つ夜空。
風のざわめきに合わせて大きく空気を吸い、言葉と共に吐き出す。
「「別に聞こえていても、聞こえていなくても、どちらでも構いません!!」」
願うのではない。強く命令するかのように。この声よ届け轟け、宇宙の果てへと。
「「そのまま、今居る場所に居てくれれば十分です!!」」
待っているだけじゃ、詰まらない。待っているだけじゃ、夢は現実に変わったりはしない。
だから、
「「私たちの方から、あなたたちを見つけに行きます! 声を聞きに行きます!!」」
示し合わせたかのように重なった声。同じ気持ち。
これで終わりだと、メリーは視線を蓮子の方へと戻す。
すると蓮子もメリーの方を見ていて。目が合うと、2人は静かに笑ってから何も言わずに、今なお輝き続ける光の集合体に背を向けて歩き出した。
あの光の中にある自宅へと帰るために。
「……とまぁ、あんな事を言っちゃったけどさ、メリー」
「わかってるわよ、蓮子。まずは月に行かなくちゃね」
「ままならないわー」
「いつだって、現実は非情なものなのよ」
まだそのくらいには現実を見られる。大人になった2人が見るのはもう、夢ばかりではない。
たった38万キロの距離にも届かないで、何万何億光年の距離から光を放つ星に、想いが届くわけがないのだ。
もう一度、2人は夜空を仰ぐ。
夢の世界から持ち帰った筍が夢の世界を現実に変えるための可能性であるなら、この夜景と夜空は望む夢を現実に変えるための可能性になる。
いまひとまず現実へと変える夢は、ツアー以外の方法での月面旅行。
2人が土を踏み締める音は明日へ続く音。夢を現実に変えるための二重奏。
さぁ、どこまでも奏でて行こうじゃないか。
*
私は少しだけ大人になった時に物理学の道を選んだ。様々な事を意欲的に学び、そして知った。
そこから導き出される結論は人類は宇宙においては既に変えられる限りの夢を現実に変えてしまい、夢の最果てに行き着いたという事。
火星への有人探査も恐らくは不可能だと言う、厳しすぎる現実。どれだけの努力を重ねても、何も変わらないのだと。
でも。でも! 運命の悪戯か必然か、それともただの強運か! メリーに出会ってから、そんなものに屈する必要性はなくなった。
夢と現実は違う。かけがえのない相棒が居て、私自身が夢を見続ける限り、私は夢を現実に変えるために努力出来る。
私の、宇佐見蓮子の夢の最果ては、宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンが決めるものなのだ!
他の誰かに決めさせたりしてたまるものか!
「昔みたいに私はひとりじゃない! メリーがいる! だから不可能じゃない! あんたたちなんか目じゃないんだコノヤロー!」
待ってろ月人。月兎。そしてそれよりも遥か彼方の、宇宙人ども。
味のある、とてもいいお話でした。個人的には、ブックレットで印象に残った箇所があちこちにあったり、秘封がとても『秘封らしかった』りしたのもまたよかったです。
夢そのものではなく、夢を見続けること、その想いがとても美しく見えます。
その淡い美しさに、どうしても嬉しく魅了されてしまいました。
ありがとうございました。
寝てみる夢も、起きて見る夢も。
だけど、なんとなく空見上げちゃうんでしょ?
完全夢想のBOYS&GIRLS 気持ち見抜かれちゃうから笑う
君の胸のミサイル 抱えてゆこう
+
あの流星が消える前に行こう。夢の向こうへ。
Sail Away.
最後のあぁゆうの、すっごい好き
あとなんか冒頭の蓮子が、某S○S団長を思い出させました
>バミューダトライアングル魔の三角海域
これは本文とルビを逆にした方がいいのでは?
>光量を以って
非常に微妙なところですが、持っての方が良いのでは?
すごく惹きつけられます。