これは『プチ東方創想話』の『ミニ作品集その14』にある『主と式と式の式』の続編的扱いになります。
お手数ですが、そちらをお読みになってから読まれることをお願いします。
では、どうぞ。
守りたいと、心から願った。
守ろうと、強く思った。
守ると、固く決意した。
だから――私は強くなる。
強いとは、即ち主人の事を指していた。
主人の強さが絶対であり、主人の言葉が絶対であり、主人の存在が絶対だった。
数百の妖怪が在ろうとも、主人が手を振るっただけでそれらは消えうせる。数百の年月を生きた化物であっても、主人と相対して一寸も存在した者は居ない。
現実に在る物でも、主人が「無い」と口にすればそれは現(うつつ)から消えうせる。境界を操る主人にとって、『在る』事と『無い』事は同義だった。
例え世界が消えようとも、主人だけは在り続ける。それ故、主人という存在は絶対だった。
強くなるという事は、即ち主人の模倣を意味していた。
主人が森羅万象の頂点に座しているのならば、私はそれを追い続けていればいいのだと、主人の言葉を守り続けていれば、いつかはそこに辿り着けるのだと、信じていた。それが世界の真理であると、一寸の迷いもなく、確信していた。
――その気持ちが変化したのは、主人が血まみれで倒れてから。
それまで私の中で築かれていた確固たるものが瓦礫と化した瞬間だった。絶対という安堵に身を浸し、盲目と化した己の瞳を疑う事もせず、主人の温もりに埋もれ続けた自分を呪った瞬間だった。
考えた事もなかった。主人は最強であると、絶対であると妄信していたからこそ。また主人に従順である事こそが有能な式であると、誇りに思っていたからこそ――考えるという一切合切を放棄していた。
それらの信念が、あの瞬間に全て崩れ落ちた。
それからの私は変わった。ただ主人の模倣をするだけでなく、自分で考え、実験し、次々と技【スペル】を開発していった。
生来の素質からか、強力な主をもったからか、私という存在は急激な速度で成長する事ができた。より高みに上る為にどうすればいいかを思考し、それによって得た結論を即座に実行する。その過程に於いて、試行錯誤というものは一切存在しなかった。しようと思い、いざ実行に移してみればそれは呼吸をするかの如くあっさりと形にできた。その事自体に感慨を覚えはしなかった。ただ、自分がどれだけ驚異的な事をしているかは理解していた。
例えるならそれは、まだ四肢を着いて歩かなければいけない赤子が、より早く移動するにはどうすればいいかを考え、歩くという結論に至り、そして次の瞬間には二足で歩行しているのと同じ事だった。
しかし、どれだけ自分が驚異的な成長を遂げようとも、私は一度も満足というものを覚えはしなかった。私がどれだけ驚異的な存在であろうとも、主はそれ以上の化物だったから。その主を守ろうとしているのだ。私にとって、自身の成長は蟻が一歩進んだ程度にしか感じられなかった。
それでも、やはり若かったのだろう。日に日に強くなっていく自分を、私は主に披露していった。強くなった自分を褒めてもらいたくて、己の式が強くなった事を喜んでもらいたくて、主を大空に引っ張って、開発した技を余すところ無く見せ付けた。
だけれども、返ってきたのは褒め言葉でも喜びの表情でもなく、困ったような微笑。次に頭を撫でてくれた手のひらからのぬくもり。それは決して褒められたわけではない。
「私は弱いですか」と訊いた。「私ではまだ紫さまをお守りする事はできませんか?」
返ってきたのはやはり、優しさと困惑のこもった微笑だった。
それから一ヶ月の間、私は寝食を惜しんで修練を積んだ。幾度となく紫さまに咎められたが、その一切に私は聞く耳を持たなかった。
褒めてもらえなかった事が寂しかった?
――もちろんそれもある。
喜んでもらえなかった事が辛かった?
――やっぱりそれもあるだろう。
だけれども、何より私を打ちのめしたのが、現実の己の弱さだった。主からの評価ではない。自分で、自分を、“弱い”と感じてしまった。認めてしまった。自惚れているつもりなど微塵ほどもなかった。ただ強くなっていると正しく認識していた、つもりだった。
――その現実が、あまりにも情けなかった。
我武者羅という言葉はこの時の私を指していたのだろう。最早鍛えるというよりは傷つけるだけの行為と化した修練は留まる事を知らず、私は一日中大空の中で力を爆発させていた。
そして、遂にその日を迎えた。
引き裂かんばかりの暴風がびょうびょうと鳴き声を上げてその身を踊らす。見る者を暗澹たる心地にさせる暗黒色の雲から豪雨が滝の如く落下し、暴風と混じって更に凶暴な姿へと変貌させていく。数分毎に雲の合間を切り裂くような雷鳴が轟き、暗黒色の雲に影を写す。人々は竜の怒りと恐れ戦き、決して家々から姿を見せようとはしない。
そんな嵐の中、私は森の中を一人歩いていた。
一歩進むたびに足が泥の大地に埋もれていく。臓腑を踏み潰しているような感触を足の裏に感じながら、何の思いも抱かぬままに、私は黙々と足を進めていく。
雨水が服や尻尾に染み込んで鉛と化している。いっそ服を全て脱ぎ捨ててやろうと思うほど。尻尾はどうにもならないだろうが、少しは軽くなるだろう。
周囲は木々が暴風に踊らされる音と、豪雨が葉を打つ音が入り混じっている。森といっても空が見えないほどに木々が茂っているわけではない。上を向けば禍々しいほどの雲が見えるし、そこから急降下してくる雨は体を叩き続けている。もう少し繁茂していてくれれば、私もこんなに濡れることはなかったのに。勝手な思いを抱くけれど、この嵐ではどの道びしゃ濡れになることは避けられなかったな、と考えを改める。
そう、全てはこんな天候の中、紫さまに一言の断りも入れることなく外に出ている私が悪いのだ。けれど、こんな天候だからこそ、今しかないと思った。嵐だろうと何だろうと私を止める事なんてできない。そんな言葉は少し前に忘れてしまったから。今の私にあるのは、ただ強くなるという目的だけ。
頭から頬を伝い胸部や背中を通っていく雨水はもう冷たいと感じられない。最初のうちは伝う間に体温を奪っていく雨水は生ぬるく、何ともいえないくすぐったさを覚えていた。そんな感覚も、もう麻痺してしまった。絶え間なく降り続ける豪雨が体温を奪って地中に逃げてしまった。ひょっとしたら体が重く感じるのは、服や尻尾が水を含んでいるからだけではないのかもしれない。けれども、この足を止めることは、できなかった。
私は、強くならなければならない。強くなって、誰よりも何よりも強くなって、あの人を守らなければならないのだから。
どうすれば強くなれるだろうか。ひたすらに力を得るだけでは駄目だ。私程度の存在がどれだけの修練を積もうとも、紫さまの様になるには幾星霜を経ればいいのか検討も付かない。
そんなとき、ふと目に入った光景が私に答えを教えてくれた。妖怪数匹が、森に紛れ込んだ人間を貪り食っている。奴らは己の栄養を得るが為に人間を食っている。そのこと事態に何の思いも抱かないし、人間の一人や二人居なくなろうとも関係ない。
私が注視したのは、妖怪が人間を『食べている』事だった。
「……」
また、雷が鳴った。遠く遠く、どこまでも響くような雷鳴が空を駆け巡る。連続して雷が鳴る。私は家を出て初めて歩みを止め、顔を上げた。
濡れて垂れ下がった前髪の向こうに、暗い影が見える。遠くにありながらも厳然たる気配を感じさせるそれはただの影ではなく、巨大な木であることを私は知っている。今はこの天候の所為でその姿が見えなくなっているだけだ。
目的のモノを目にして、私は走り出した。
目に映る景色が高速で後ろへと流れていく。木々は道を譲るかのように横へ後ろへと消えていく。
そうして、その場所へと着いた。深呼吸を数回して、心を落ち着ける。走って呼吸が乱れたわけではない。ただ、心が震えていた。
顔を上げると同時に、雷が光る。
雷を後光にして姿を見せたのは、樹齢数千年以上の樹木だった。人間たちからは神木だと崇め奉られていて、事実莫大な力をその身に宿している、木の化生だ。
「こんばんは」と木に向かって声をかける。「初めまして」
「……子狐が、わしに何の用か」
声が響く。辺りには誰も居ない。返事を返したのは紛れも無く、目の前の巨木だ。
「お願いがあってやってきました」
「……あやつの式がわしに、一体何を願いに来た」
あやつとは紫さまのことだろう。名乗ってもいないのに私のことを知っているところを見るに、余程八雲紫という名前は知れ渡っているらしい。確かに、数千年も時を過ごしていてあの方を知らないほうがおかしいといえばおかしい。
一度俯いて、深呼吸をする。心はまだ震えていた。しかし何時までもそのままでいるわけにはいかない。
「私の願いは」拳を握り、顔を上げる。「貴方の全てを頂くことです」
口にした瞬間、その場の音が消えた。風雨は止み、景色が闇に包まれた。雲が空を覆う暗さではない。全てを飲み込む、混沌の闇が辺りに広がっている。
「……それは」と目の前の樹は言った。「あやつの命か?」
「いいえ」と私は即座に返す。「私が、私の意志で、貴方を頂きにきたのです」
そうか……木はそう言って、沈黙した。周囲には恐ろしい程の気が張り詰めている。瞬く間に張られた結界内を見渡して、何も見えない闇に感嘆の息を漏らした。流石というしかない。何の術式も、動作もなく、空間を切り取るほどの結界を張る。伊達に神木と呼ばれてはいない。
「では」
しばしの後、木が声を発した。
「ぬしがどうなろうと、あやつとは関係がないよのぉ」
言い終わる前に、私はその場から飛んだ。
「囲み潰すは微々たる飛礫」
力を具現し弾を形作る。横十数メートル、縦数メートル、幾つもの弾が畳状に連なった弾幕を幾枚も巨木を囲むように展開していく。
巨木の体を見据えたまま両手を上げ、裂帛の気合を込めて叩きつけるように振り下ろした。展開させた弾幕が一斉に巨木の身へと突撃していく。だがそれだけでは終わらない。
「雷鳴は此方より彼方へ」
即座に蹴鞠程度の光球を数個生み出し、宙に浮かせる。先ほどと同じように、木の周囲を囲むよう移動させると、念を込めてそれらを発動させる。光球から高速で弾幕が飛び出し、木の幹へと連続して突き進んでいく。その姿は雷が大地に突き刺さる様に似ている。
私が編み出した基本的な弾幕の一つ。広範囲にわたる弾幕で相手の移動範囲を限定しつつ囲んでいき、高速の雷弾幕で相手を撃墜する。もっとも、動くことのない目の前の相手に対しては本来の使い方など意味を成さないのだが。
展開した弾幕全てが巨木に叩きつけられる様を見つめる。何もない空間の中に、弾幕が移動し巨木に当たる音が響き渡る。
しかし、音はすぐに消えた。
次の瞬間、木を中心に微細な振動音が爆発し広がる。間もなくして、私が展開した弾幕が跳ね返ってきた。
瞠目しつつも、急いでその場から飛びずさる。動きを止めることなく空間内を走りながら、次の弾幕を頭に浮かべていく。今ので生半可な弾幕では意味がないどころか、自分を不利にするだけという事が分かった。一気に決着をつける事ができる、威力重視の攻撃を仕掛けるしかない。だが、あれほど巨大な木を一撃でしとめる、あるいはそれに近い痛手を与える術を、果たして私は持っていただろうか。
――思い出せ、自分は今まで何をしていた。数百の技【スペル】を編み出し数千の型【パターン】を想定し、数万の弾幕を放ってきたではないか。今、その経験を無駄にするのは余りにも愚かではないか。思い出せ、思い出せ。自分に言い聞かせる。しかしどれだけ頭の中を検索しても、目の前の化物を屠り去る攻撃が出てこない。
「ん……?」
木の周囲で依然として攻撃を続けていた光球が突然弾を放つのを止めた。おかしい、と目を眇めて間もなく、光球は攻撃を再開した。
――その方向をこちらに向けて。
乗っ取られた。光球に仕込んだ性質を読まれ、その上で中身を改竄された。
事態を即座に理解した私は、走る速度を速めた。自分で作っただけあって、アレの速さは誰よりも知っている。自動索敵と高速発射の性質を与えられたあの光球は、その力が薄れるか、作った者が中身をばらしてやるしかない。しかしアレの中身は既に木によって改竄されている。力が薄れる事も、恐らくあと数時間はないだろう。私は木を破壊するつもりでアレを作ったのだ。込めた力はそれなりの量がある。ではだからといって攻撃を避けつつ、もう一度あの光球の中身をこちらの制御下に置くのは至難の業だろう。一瞬でも動きが止まってしまうと即座にやられてしまう。
どうするか。先ほどから脳内で同じ検索を何度も繰り返しているが、既に結果は出ている。
あの巨木を倒す術はない、と。
しかし、そんなのはここに来る前から予測できた事だ。だから、私はできる事だけを、ただ忠実に実行する。木を睨み付け、その姿を目に焼きつけ、
「――」
敵の情報を入力思考し連想する。仮想の中に情報で作られた敵を浮かび上がらせ、更に思考と連想を繰り返す。相手の型を想定し、その威力を認識し即座に記憶。その上で対抗策を練り上げる――不可【エラー】。現在の八雲藍の身を持ってあの存在を倒す事は不可能。
ふざけるなと自分の情けなさを罵倒しつつ、再度工程を繰り返す。
敵の情報を入力思考し連想、仮想の中の敵を浮上、更に思考と連想想定、威力を認識し記憶、対抗策――不可【エラー】。
苛立ちを表情に表しながら、三度目の工程を繰り返す。
敵の情報を入力思考連想、仮想の中の敵に思考と連想を想定威力を認識、記憶対抗さ――不可【エラー】。
「――」
なんて――なんて、惨め。下唇が痛くなるほどにかみ締めながら、私は溢れる涙をこらえる事ができなかった。走る足は止めていないので涙は頬を伝うことなく目じりから宙へと投げ出されていく。
やはり私は弱かった。弱いからこそ、あの巨木を取り込んで強くなろうとした。だというのに、更に自分の弱さを認識させられる。どうしてこんなにも弱いのか。それとも私が弱いのではなくて、弱いからこそ私なのだろうか。埒もない思考がぐるぐると意識を支配していく。
「あやつの式とはいえ、やはりまだまだ小童であったか……」
弾幕を支配してから何も手を出してこなかった木が突然声を発した。
「とはいえ、いつまでも動き回られるのも難儀なこと」
木の根元から、幹を上回る太さの根が飛び出してきた。ミミズのようにのたくりながら、しかし鋼よりも頑丈そうな根が。
「わしをやることはできんが、代わりにぬしを食ろうてやろう」
根が一斉に襲い掛かってくる。巨大な身でありながら、現在の私の速度よりも遥かに速い。これではいけない、と私は限界まで足を速めた。しかし根は更に速く、間もなくして私の周囲は根によって囲まれる。舌打ちをしながら、根の飛び出してくるタイミングと軌道を頭に入力し演算、蟻の逃げ道かと怒鳴りたくなる隙間を、弾幕で壊し広げながらかわしていく。
視界が豪速でうねる根で埋まる。私の体も、あと少しで埋まってしまう。
「ちくしょう」と呟く。「ちくしょう、ちくしょう」
何度も、何度も、かわしきれず削れる腕や足に痛みを覚えつつ、呟き続ける。呟きは段々と大きくなり、遂には罵声と化した。まるで馬鹿のよう――いや、実際に馬鹿だ。勝てないと理解して、それでも足掻いて、でも勝てないから喚くことしかできない。私はこれ以上ないってほどの大馬鹿だ。
「――っ!」
かわした根の幹が突然うねり、私の腹を打った。痛いとすら感じれない衝撃。弾き飛ばされて背後の根の壁にぶつかったときも、何も感じる事はなかった。
か、は……口から息の漏れる音が聞こえる。それは既に私の意思によって行われているものではない。痛覚すら感じなくなった私には、体を支配する権利など、もっていない。
「では、な」
木が言うと、根が触手のようにうねり始めた。水面で揺れる葉のように、私の体が根にもてあそばれる。上下左右を覆う根の壁がうねりながら段々とその幅を狭めてくる。
終わる、と思った。結局私は弱いままだった。一体何がいけなかったんだろう。根という終焉が近づいてくるのを他人事のように見つめながら、ぼんやりと考える。――私は、どこで間違ったんだろう?
ここでこの化生を食らおうと心に決めたときだろうか。
紫さまに咎められても修練を止めなかったときだろうか。
紫さまが誰かに倒されて、血に塗れていたときだろうか。
「は、は……」
擦れた笑いが漏れた。恐らくは、どれも違う。きっと、私は生まれた瞬間から、間違っていた。今までの全てが、間違いだらけだった。正しいことをできない、弱くしか在れない、そんな私は生まれることすら罪だった。
「はは、は……」
悲しくもないのに涙が次々と流れ出す。はぁと息を吐いた。不思議な気分に包まれる。全てがどうでもいいような、でもどこか寂しいような感覚。どうしようもないと達観している自分がいる。
根が、すぐそこまで近づいてきている。ちらとそれを確認して、目を閉じる。
はぁ、と息を吐く。
――脳裏に、あの人の笑顔。
「――」
目を開ける。私は一体何をしているんだろうか。目だけを動かして上下左右を確認すると同時に、体の機能を調べる。負傷はしているがまだ動けないことはない。内臓が形を保ってないけれども、動くことに支障はない。
指が言う事を聞かないので、意識で術式を作る。目の前にじわじわと寄ってくる根を見つめ、そこに直接術式を書き込む。
根の表面に描かれた術式が作り出す結果は――爆破。
光と爆音を目と耳を閉じて耐える。爆風に体を殴りつけられてから、目を開けるとそこには穴が開いた根の姿。考えるよりも早く穴から飛び出す。首を振って木の姿を探す。一寸もかからず見つける。
「ふむ」
心底飽きれた様に、木が呟く。
「足掻くか、子狐」
――知るか、と思った。そして思いとは別に、やつの情報を入力し四度目の思考回路を作動させる。
思考回路展開。敵の情報を入力。内に秘める力、経験、知識、全てがこちらより上。それらを想定した上で戦闘型を予測、連想。出た結果、勝ち目無し。逃げることも不可能。
「はっ」
笑う。
「は、ははっ」
血を撒き散らしながら、笑う笑う。
思考回路再展開。条件入力。弾幕並びに物理攻撃、加えて“八雲藍の体を使用”しての反撃を許可。再計算。
「はは、は、はははっ」
「狂いおったか」
――違う、心の中で断言する。狂ってない。おかしくてしょうがないのだ。気づいたのだ。私は、私の事を考える必要は無い。だって、この体は、八雲紫の式だから。八雲紫の式にできることなんて、それこそ考えるまでも無い。
式は道具。式は弾。ならば、することは唯一つ。
「最終、工程、開始」
――思考する連想する敵の情報を入力更に思考連想仮想の上で相手の型を想定認識記憶情報を現実に反映し直ちに殲滅を開始――演算終了【コンプリート】。
体の周囲を覆うように術式を展開させる。紅色に淡く光る魔術様式じみた文様が私の周囲を囲む。この術式は私を本物の式として作動させるための鍵だ。身も心もただ命令されるだけの存在。今回は命令してくれる人がいないので、自分で自分に命令を下す。
目標、木の中枢。座標固定【ロック】。膝を抱えて体を丸くする。下した命令に従って、私の体が回転しだす。一秒に五回転、十回転、百回転、と加速度的に速さを増していく。それに合わせて、体の周囲を覆っていた文様が光度を増していく。
「無駄な事を」
無駄かどうかは、その身でしかと確かめろ。八雲藍という弾を、その身に受けて、後悔しろ。八雲紫の、世界でたった一匹の式の全力を、その身で。
八雲藍というたった一粒の、それでいて最強の弾幕が放たれた。
それは正に幻想の光景であった。天まで届かんばかりに聳え立つ巨木の周囲には、その幹よりも遥かに太く頑強な根がおぞましく揺らめいている。混沌の黒に染まった世界にあるその姿のなんたる威厳に満ち溢れている事か。閉ざされたこの世界の主は、紛れも無く巨木であろう。この世界において、その木に抗えるものなどありはしないのだ。
しかしその巨木に相対するものがあった。巨木と比べれば豆粒と見紛うほどに、それは小さな光だった。光はある一点に留まったまま動こうとはしない。彼我の差がありすぎる巨木を前にして動けないのであろうか。
否、光は力を溜めているのだ。己が身を豪速で回転させる事により、より威力を高めているのだ。小さなままではあったが、その光は見るものに底知れない力強さを与えた。
そして、何の合図も無く、その光は唐突に動き出した。爆発とともに動き出した光は紅の軌跡を残しながら巨木目掛けて飛んでいく。それを待ち受けるは世界の主たる巨木を守りし根の軍団。だが光は速度を落とすどころか更に疾く疾くと突き進んでいく。
二つの距離が近まり、触れる。光はそこに何も存在せぬとばかりに、根の中へと飛び込んでいく。
暗黒が支配する世界を、巨木の破壊される音が乗っ取った。木の根の軍団を、八雲藍が貫いていく。ある根は乾いた甲高い音をたててへし折られた。ある根は耳をふさぎたくなるような音をたててその身をねじ切られた。ある根は爆発音とともに跡形も無く粉々にされた。
それらはまるで人々の阿鼻叫喚の音の様であった。腕や足の骨を折られ、ねじ切られ、最後には巨大なすり鉢で肉の塊にされてしまう愚かな人間たちのわめき声。地獄で人々を絶望させるのが鬼ならば、今この場で木の根を啼かせているのは八雲藍であった。
勢いは止まらない。八雲藍という弾は固定した座標までその軌道を走り続ける。
その時、根の動きが変わった。今までは広い面積を覆っていたのが、一箇所に、そして細長く固まる。八雲藍がまっすぐにしか来ない事を、巨木が把握したのだろう。軌道上に次々と根は密集し、互いに圧力をかけて密度を増していく。
されど八雲藍は止まらない。先ほど以上の破砕音を響かせながら、愚直なまでにただ突き進む。根の中を移動しているのに八雲藍の位置ははっきりと分かる。八雲藍が迸らせる光が、根の中からあふれ出ているからだ。
八雲藍の位置から巨木の幹までの距離はおよそ二百メートル。その内軌道に根が存在しているのがあと五十メートルほど。残りの百五十メートルはただ空間が存在しているだけだ。八雲藍が巨木の元へとたどり着くのに、そう時間は無い。
――そして、八雲藍は遂にその障害を全て貫いた。
幾星霜のときを越え、神として崇め奉られる巨木。その力は龍の神には遠く及ばぬものではあるが、幻想郷において決して蔑ろにできるものではない。その根は数千里を越え幹は天を貫かんばかりに遥か高みへと成長を続けている。根の張った大地は全てが巨木の空間と化し、その怒りに触れたならばたちまちに滅せられてしまう。
その防壁を、八雲藍は打ち抜いた。もはや神を貫く弾と化した八雲藍を妨げるものはない。向かう向かう、風を切り残り僅かな距離を疾く疾くと。
だが――突然、その光が弱まり、八雲藍の体は失速を始め曲線を描いて地へと落ち始めた。巨木の城壁を全て貫いた閃光は見る見る弱くなっていき、かろうじて巨木の幹にたどり着いたときにはもはや見る影もなくなっていた。崖から転げていく小石のように、八雲藍の体は幹の表面を転げ落ちていく。巨木の幹は消して滑らかとは言えず、全体が隆起している。八雲藍は時折幹にできたでっぱりに強くはじかれ宙を舞い、そしてまた幹の上を転がっていく。
長い長い道のりを、何の抵抗も回避もすることなく、回り落ちる。
地に体が落ちた。
そのまま、八雲藍は微動だにしない。
己の根元に横たわる小さな体を見下ろし、巨木は誰ともなしに呟く。
「……子狐とはいえ、やはり彼奴(きゃつ)の式、末を見るまでもなく恐ろしいモノよ」
突き破られた己の根を、感覚を通して確かめる。どれもこれも破壊尽くされ、生は失われてしまっていた。もはやそれらの根は切り捨て、新しく根が地中に張りめぐるのを待つしかない。それを成しえるのに、一体どれ程の時を過ごせばよいのかは予想だにつかないが。
今一度、根元に横たわる八雲藍であったモノを見る。もはや動く事はないだろう。しかしその姿を見て、巨木はふと既視感を覚えた。
見るだけで怖気を誘い、刹那に世界から消し去りたいと思わせるものの、決して触れてはならぬと己の何かが止めてしまう。忌々しくありながら、また同時に畏敬を抱かせるそれを、何故この子狐から感じるのであろうか。
どちらにせよ、もうこれが動く事は無い。巨木は使っていなかった無事な根を一本地中から出した。失われた栄養分を補うためと、先ほどの既視感が一刻も早く目の前のモノを消してしまえと急かす。己の内に湧き上がるソレの正体に僅かな疑問を抱きながら、根を八雲藍へと近づける。
根が八雲藍に触れる直前、根は何かに行く手を阻まれ動きを止めた。八雲藍の周りには何も存在していない。だが、確然とした何かがそこにある。いや、あるのではなく、――ない。根と、八雲藍との間にはあるはずの空間がないのだ。そう、それはまるで彼我の間に境界を引いたかのように。
「……ぬしか」
巨木が問う。けれども答える声はない。その代わりに、八雲藍の姿が突然地面に割れた隙間へと引きずり込まれ、八雲藍を捕らえようとしていた根が生気を失い萎んでいき、最後には枯れ果てた。
唐突に、暗黒に染まっていた空間が割れた。巨木が球状に張った結界が、強引に引きちぎられていく。結界は左右に開かれていき、そして跡形もなく消えていった。結界が消えて間もなく、世界がその在り方を思い出し辺りは激しい風雨に包まれた。無残な姿を晒す木の根は絶え間ない雨に打たれる。
地上から数十メートル、巨木の幹から数メートル離れたところに、雨も風もが立ち入れぬ空間があった。そこだけが荒れる景色から切り取られ、異常な姿を晒している。切り取られた空間の中、地面へと消えた八雲藍と、その主、八雲紫の姿があった。
八雲紫は結界の中で、弧を描いて空間を切り開いた隙間の上に座っている。両足をすらりと揃え、左手に薄桃色の傘を、右手に魂魄の描かれた扇子を持っている。西洋の人形達が着る、少女的な服を身に纏い、扇子で口元を隠し、八雲紫は静かに巨木を見据えていた。目元はうっすらと笑みの形をとっている。だが、そこに秘められた、見る者を底冷えさせる何かが、巨木の身を刺す。
――そうか、これであったか。
巨木はここに至り、先ほど八雲藍に感じた既視感の正体を得た。
「それはぬしに返そう……」
厳然たる態度で八雲藍に対していた巨木が、しかし八雲紫にはその厳しさ(いかめしさ)を発する事はなかった。できなかったと表したほうが正しい。八雲紫とは、触れてはならぬ者の名代であるから。
無論巨木とて、八雲紫が相手だからとそう易々にやられるとは思っていない。確かに根はその大半を八雲藍に破壊されてしまったが、巨木の武器はそれだけではない。弾幕でも、不可視の力も、空間を操る事すらできる。
共に幻想郷の賢者と呼ばれる存在であるが故に、互いが争うなどといったことはこれまでなかった。だがそういった理由を考慮しなかったとしても、一度たりとて目の前の女に勝てると思えたことはなかった。もはや触れることすら阻まれた。この女は、それほどまでに異質な存在なのだ。
巨木が八雲藍を攻撃したのは、それが八雲藍の独断行動であり、その場に八雲紫がいなかったからだ。式とは使役される立場であり、それができない式は通常不出来と認識される。言う事を聞かぬ式では、その力を存分に発揮する事ができないのが一番の理由だ。八雲藍が巨木に勝てなかったのは当然だったのだ。幼いから、力が弱いから、そんな事は関係ない。ただ、八雲紫の言う事を聞いていなかったから、八雲藍は巨木に勝つ事ができなかったのだ。最後の攻撃だけは、式としてのあり方を一寸取り戻したからこその威力。それも、八雲紫が望んでいない行動で在ることに変わりはなく、もしもあれが八雲紫の命令通りの攻撃であったならば、果たして今、巨木はこうして無事な身を晒しているかどうかは分からない。
言う事を聞かぬ式は愚物である。それは式に言う事を聞かせられぬ主人の責任とも取れる。故に、巨木はこの場で八雲藍を取り込んでも問題ないと結論付けたのだ。
だが今、この場には八雲紫が居り、その手には八雲藍の身がある。その状況に、巨木の考えは変えさせられた。これは私の式である、と八雲紫は無言で語っている。もしもこの場で、巨木が八雲紫に「その式の愚行は主人であるお主の責任である」と指摘したとしよう。果たして、その後に何が起きるかなどは考えるまでもないだろう。
八雲紫は巨木の言葉を無視して、じぃと巨木を見据え続ける。しばらくそうして、八雲紫は最後まで何を言う事もなく、八雲藍の身と共に隙間の中へと消えていった。
その瞳の冷たさを残して。
「果たして」八雲紫が消えてから数分して、巨木は呟いた。「真に恐ろしきはやつか、式か」
問いに答えるものは居らず、ただ激しい風雨が巨木を打つのみ。
歌が聞こえてくる。透き通るような澄んだ声で、包み込むような歌が、優しく響いてくる。一体誰が歌っているのだろうか、とぼんやり考えながら、八雲藍はゆっくりと瞼を開いていく。しかし力が入らず瞼は半分程しか開かない。半分だけの視界の所為か、風景がはっきりと浮かんでこない。霞み歪む風景には、天井と、誰かの顔の下半分だけが見えた。口が動いているところを見るに、歌はこの人が歌っているらしい。
と、歌が突然止まった。
「お……た?」
その人はどうやら私に向かって何かを言っている様だった。しかし、その声はどうにも聞き取りずらい。騒音に消えていく言の葉のように、欠片だけが理解できる。恐らくこの場合、騒音は私の意識そのものだろう。頭にかかる霞みが、私に言葉を理解させないのだ。
「ま……もの…………さい」
続けて何かを言うと、その人はそっと私の瞼を下ろし、そのまま頭を撫でてくれた。私は不思議と安心できるその手の感触に身を委ねる。全てをその手に任せてしまって、どこまでも沈んでいきそうになる。けれども、その前に、一言言わなければいけないことがある。
「――」
私はその人の名前を口にした。誰かも分からないのに、口からは自然とその名が出てきた。そして、たくさんの迷惑と、きっと、少しの心配をかけてしまった事に対して、
「――ごめんなさい」
私の意識は落ちた。
「また負けたー!」
縁側でのんびり緑茶を飲んでいると、垣根の向こうから橙が泣きながら飛び込んできた。服の所々が破けているところ、どうやら今日もまた負けてきたらしい。
少し前に私と紫さまが負けて以来、橙は機会を見ては神社へと足を運んで勝負を挑んでいる。橙もマヨヒガで私を相手に修行をしているから、以前に比べればそこそこ腕は上げたのだが、やはりあの巫女に勝つにはあと数百年は修行しなければならないようだ。
「お疲れ」
足元で「ちくしょー!」とわめきながらべそを掻いている橙の顔を上げさせる。あまり怪我はしていない。服の損傷に比べて、今日はかすり傷で済んだようだ。顔だけ後ろを振り返って、触れる事なく襖を開ける。箪笥の上においてある、包帯などが入った箱を、これまた触れる事なく浮かばせて、すぐ脇まで移動させる。
「わ、わ、わ、やーですっ」
私が消毒液を取り出すと、途端に橙が逃げ出そうとした。まったく、この娘はまだ消毒するときに沁みるのが慣れていないらしい。最初に治療してあげたときに私が思いっきり痛くしたのが余程記憶に残っているのだろう。だが治療は受けてもらわなければならない。
「駄目だ、ほら、動かない」
「や、やーですぅっ!」
あまりにジタバタするので、仕方なく念力を使って動きを封じる。「藍さまの鬼ー! 悪魔ー!」とか言ってくるけれど聞かなかった事にする。全く失礼な、私が鬼で悪魔なら紫さまは一体何と形容すればいいのか分からないではないか。
「らーん、今何か失礼な事を思わなかった?」
「いいえ、そんな事は欠片もございません」
私の尻尾を布団代わりに寝ていた紫さまが突然突っ込みを入れてきた。口には出していなかったはずなのに、心でも読まれてしまったのだろうか。流石隙間妖怪、油断も隙もない。いや隙はあるか、隙間だし。
「らーん?」
「なにも」
「いつから貴女はそんなに嘘を吐く子になっちゃったのかしらね、悲しいわ」
「ご心配なく、私はいつも紫さまに真実しか口にしていません」
そう言ってから、消毒を終えたので今度は包帯を巻く。お腹のところに強い打ち身痕と、腕と頬に若干の擦過傷が見られる。元気があって向上心があるのは一向に構わないのだが、もう少し怪我を少なくはできないものか。
ため息を吐きながら、橙の腕に包帯を巻いていく。
「橙」
「はい」
消毒が終わったので逃げる理由がなくなったのか、大人しくなって顔を手の甲でこすっていた橙が顔を上げた。
「あまり無茶をするんじゃないぞ。強くなる事と無謀を重ねる事は同義じゃないんだから」
そう言って、ぎゅっ、と強く包帯を結ぶ。
「ふに゛ゃっ!」
「よし、終わり」
「藍さまの鬼ー!」
余程痛かったのか、帰ってきたときと同じように泣きながら橙は垣根の向こうに消えていった。鬼と言われた事はどうでもいいが、果たして橙に私の言葉は伝わったのだろうか。
「橙にも困ったものです。何度言っても無茶をするし、一体誰に似たのか」
ため息を吐いてから緑茶を飲む。
「昔はもうちょっと素直だった気がするんですがね」
「あらぁ、橙は立派に成長してるわよ。主人に似て」
「私はもっと紫さまに従順で素直で慎重な式でした」
「藍、貴女本当に嘘を吐く子になったわねぇ、これは少しお仕置きが必要かしら」
「私にするよりも橙にお願いします」
「貴女を躾けて、橙を躾けさせれば問題ないわけね」
「全力で遠慮させていただきます」
ふわり、と紫さまが浮かび上がり、私も緑茶の茶のみを置いて、立ち上がった。空を仰いだまま、数歩歩く。ああ、今日もいい天気だ、なんて思いながら一度目を瞑り、振り返る。
「そもそも躾けられなければいけないのは紫さまのほうでしょう」
「あらあら言うようになったわね」
「いつまでも子供のままではいられませんから」
袖に入れていた手を取り出す。両手の指先には札が数枚づつ。
「そもそも、無理無茶無謀は藍、貴女の専売特許でしょう? なんだったら昔の貴女を橙に見せてあげてもよくてよ?」
「はははは、紫さま、お戯れを」
「ほほほほ、藍、私は本気よ?」
「――」
「――」
――マヨヒガで、八雲紫と八雲藍の弾幕勝負が始まった。
彼方の空で色とりどりの弾幕が花を咲かせている。遠く離れたこの場所からでも空を覆っているのが見えるほどに展開されたそれらは、持ち主の強さをそのまま表している。恐らく、今あの地域一帯に近寄る妖怪は一匹もいないだろう。たちまちに滅されたいと自殺願望のあるものならば話は別であるが。
「ん?」
唐突に始まった弾幕に、橙は振り返った。
「あ、藍さまと紫さま、またやってる」
遠くの空に目を凝らしてみれば、己の主人とその主人が笑いながら弾幕勝負を行っている。台風が襲い掛かるよりも酷い天災と化したあの二人の弾幕勝負だというのに、帰ったとき家に傷一つないのは本当にすごいと思う。
「いいなぁー、私も早くあんな風になりたい」
そう言って、橙は尻をついた。背中を持たれかけて、背中に居る存在に声をかける。
「ねぇ、あとどれくらい頑張れば藍さまみたいになれるかな」
「それは、お主の修練次第であろう」
橙の背中に居る存在、樹齢数千年の巨大な木は穏やかな声で言った。橙は巨木の根元に腰を下ろし、その幹に背を預けているのだ。
橙はマヨヒガで藍と修行を積む傍ら、たまにこの巨木にも手合わせをしてもらっている。その事を紫はともかく、藍は知りはしない。そもそもこの二人が出会ったのは、橙が初めて神社へと向かったときの事であった。あっさりと返り討ちにあった橙が半べそをかきながら飛んでいると、突然巨木に声をかけられたのだった。その時から、橙は霊夢に負けるたびここに来るようになった。雑談相手として丁度いいから、という理由もあったのかもしれない。
「うーん、これでも頑張ってるんだけどな」
「まだまだ足らんという事であろうな」
「むぅ~……」
巨木の言葉に、うなる橙。
「そう言えば」と木は言った。「八雲藍は達者にしておるか?」
珍しい事だった。いつもは橙が何かしらの話題を出し、巨木はそれを聞いて返す、というのが常である。その巨木が自分から橙に問いかけてくる、というのは初めての事だった。その事に橙は若干の疑問を抱きながらも、笑顔で返した。
「うん、藍さまはいつも元気ですよ。……あれ、でも藍さまの事知ってたっけ?」
橙は知らない。遥か昔に、己の主人である八雲藍と、目の前に居る巨木が死闘を繰り広げた事を。八雲藍がどれだけ無茶な事をする式であったか。目の前の巨木がどれだけの力を持った存在かも、知らない。
「知っておるとも。八雲紫と八雲藍の名を知らぬものを探す方が難儀じゃろうて」
「へぇ~、やっぱり凄いんだぁ」
「しかしあの様子を見るに」と、今も続いている弾幕の嵐に意識を向けて言う。「どうやらあの二人はあまり仲がよくはないのかの?」
「ううん」と、疑問の声をあげる巨木に橙は言う。「藍さまも紫さまもすっごく仲いいよ」
「ほう?」
「だって、あんなに凄い勝負をしてても、二人ともきちんと手加減してるし。藍さま、一度だって紫さまのお世話を面倒くさがった事もないですし。紫さま……はよく分からないけど。でも二人が本気で喧嘩してるところ、見たことない」
「ほう」
少し強い風が、木の葉を揺らした。立派な根が張られた巨木の周辺には鬱蒼とした森が広がり、草原には美しい花々が咲いている。あの時破壊された巨木の根はすっかり元に戻り、周辺の自然を守り、調整する役目を果たしている。
あの時の八雲藍の姿を思い浮かべる。そうして、己の根元で座る橙の姿を見て、この猫娘もまた、あの二人のように末恐ろしい存在になるのだろうかと巨木は思う。現在の姿からはあの時の八雲藍のような感覚は微塵も感じられない。けれども、最近の橙の話を聞いているうちに、もしかしたら、と考えるようになった。初めて神社に行ったときは瞬く間に倒されていたと言うが、最近では少しずつ博麗の巫女相手に弾幕勝負になってきているという。まだまだ被弾させるに至るにはほど遠いだろう。しかし、この短期間での成長振りを省みると、やはりこの娘も八雲の眷属なのだ、と思わされる。
「やはり」
巨木は言う。幻想郷の賢者の一人は、穏やかな声で、風に言の葉を乗せる。
「八雲とは何とも恐ろしきモノ達よの」
色々無理があるなー、それ
後、この巨木西行妖かと思った
やっぱ東方の家族モノといったら八雲一家なのかなあ