季節の変わり目というのは、気分の変わり目でもあるらしい。
紅魔館は常時メイドを募集しているが、まとまった数のメイド希望者がやってくる時期というのはやはり限られている。
主たるメイドの供給源は、妖精だ。彼女らは大自然の力の一部であり、また性格的に集団行動を好むところから、その挙動は季節単位かつグループ単位のものになりやすい。個々の振る舞いは気まぐれながら、総体としては大きな流れに従っているのが妖精という存在だった。
そんなわけで、メイド志望の妖精は多くの場合、群れをなして現れる。
慢性的な労働力不足に悩む紅魔館にしてみれば、多くの働き手を確保できるのは結構な事だが、それも質が伴っての話だ。彼女らはなにしろ妖精であり、その大半は心身共にまるっきり子供であり、人間の素人よりもはるかに使えない人材なのだ。量で質を補うにも限度がある。
故に。
我が紅魔館の新人メイド教育は、苛酷なものとなる。
もちろん妖精にとってではなく、監督者である私にとっての話だ。
―◇―◇― ◇◇◇― ―◇◇◇―
わぁー。
ひろーい。
あかーい。
真紅の館に、黄色い喧騒が響く。
ここは紅魔館の玄関ホール。本日メイドに志願して集まってきた三十人ほどの妖精が、物珍しそうな視線をそこら中に投げ掛けながらわらわらと扉をくぐってきたところだ。
これが人間であれば、まず彼等はこの屋敷の異様に圧倒されて恐る恐る足を踏み入れるところなのだが、妖精にその手の奥ゆかしさはない。むしろ興味のおもむくままにあちこち飛んでいこうとするので、その都度こちらが抑えに回り、群れに戻さなければならない。まるっきり牧羊犬の気分だった。
「――さて、」
どうにか全員をここまで連れてきた、それだけの事に軽い疲労を覚えながら、私は妖精の一団を見回す。
「紅魔館へようこそ。私があなた達の指導にあたる、メイド長の十六夜咲夜です」
はーい。
「まずは数日間、あなた達にはメイド見習いとして訓練を受けてもらいます。正式に雇われてメイド服に袖を通すのは、その後の話になるわ」
えぇー。
はやく着てみたーい。
ごはんはー?
「……希望者にはその間の食事も支給します。とにかく、遊びじゃないんだから訓練はきちんと受けること。いいわね?」
はーい。
「――よろしい」
では、何か質問は?
などと訊くのは禁物だ。そんなものあるに決まっている。およそ話の収拾がつかなくなるほどに。
「それじゃ、最初に全員をいくつかの組に分けるわ。これは管理上の便宜のためで、どの組になってもやる事は一緒だから気にしないように」
はーい。
一糸乱れぬ、その返事だけは立派なものだった。
私は妖精達の間を歩きながら、彼女らを適当なグループに切り分けてゆく。空間を操れば一瞬で事足りる作業だが、迂闊にそういう事をするとこいつらはまた面白がって話が進まなくなる。
「よし……と、大体こんなものね。各自、自分の組はちゃんと覚えておきなさい。あなた達は霧組、あなた達は雪組でそっちは月――」
ふぇーん。
グループの一角から、幼子のぐずついた声が上がる。
そらきたか――と思いながら声の主に話を聞いてみると、仲良しの友達と別々の組になってしまったのが悲しいのだという。……だから気にするなって言ったでしょうが。
彼女の希望を聞くのは容易いが、そうなれば他の妖精からもあれこれと注文が殺到するのは明白だった。ここは安易に妥協するわけにはいかない。
「そんなに大袈裟に考えないの。組が違うからって、なにも今生の別れってわけじゃないんだから……」
根性?
「違う」
根性ーッ!
「叫ぶな」
頭が痛くなってきた。
もちろん私としてはこんな手合い、じっくり可愛がって泣いたり笑ったりできなくしてやっても一向に構わないのだが、それをやると妖精は逃げる。もともと生活のために働こうという連中ではないから、出処進退も気の向くままというわけだ。
志願者がまとめて現れるのと同様、メイド妖精の方も辞めるときはごっそり辞める。こんな烏合の衆でもどうにかして使えるようにしないことには紅魔館の運営システムに大穴が開いてしまうわけで、落伍者を出さないためにもここは心を鬼にして甘い顔をしなければならないのだった。
「ほらほら、わがままばかり言ってると瀟洒なメイドになれ――」
むきーっ。
そうこうしているうちにまた別の妖精達が、こいつと一緒の組はいやだのお前が余所に行けだのと言い争いを始め、ほどなく掴み合いのキャットファイトにまで発展する始末。
やーめーろーよー。
やーめーろーよー。
……お前ら、止める気ないだろ。
まずい。早くも忍耐の限界が見えてきた。
「あんたら、いいかげんに……」
思わず腰のナイフに手が伸びて、
「はーいはいはい妖精さんたちこんにちは―! 喧嘩は駄目ですよぉー」
――乱入してきた張りのある声に、その手が止まる。
見れば、声の主は自然な動きで騒ぎの渦中にするりと入り込み、にこやかに二言三言を交わしながら妖精達の頭を撫でてゆく。
そうしてそれが妖精の群れを渡って私の前に辿り着くころには、混乱は嘘のように鎮まっていた。
「ごめんなさい咲夜さん。ちょっと門番の引き継ぎに手間取ってしまって」
さっそく一仕事を終えた彼女――美鈴が、ちょっと申し訳なさそうな笑顔を私に向ける。
「いえ……助かったわ。美鈴」
見慣れぬその姿に一瞬の戸惑いを覚えながら、私は応える。
さっそうと現れた紅魔館の門番は、今、私と揃いのメイド服に身を包んでいた。
―◇―◇― ◇◇◇― ―◇◇◇―
「知ってる子もいるでしょうけど、紹介するわね。紅美鈴」
「あらためまして皆さん、こんにちはー」
フリルのついた純白のエプロンと、後ろで三つ編みにされた長い髪。
いつもとは見違えた格好の美鈴が、いつもと変わらぬ明るい表情で妖精達に笑いかける。
こんにちはー。
めーりんだー。
メイドふくだー。
かわいー。
「美鈴は普段、門番をしているけれど、訓練の間は私の助手を務めます。私がいない時は彼女の指示に従うように」
はーい。
新入りの教育にあたって美鈴が私を手伝うのは、今や恒例となっていた。
毎回毎回、大量の妖精を私一人でさばくにはやはり無理がある。本来ならば現場のベテランが後輩の面倒を見るのが自然な形だろうが、妖精に妖精の指導を任せるなど恐ろしくてとてもできない。
なにか妙案はないかとパチュリー様に相談してみたところ、彼女は「手っ取り早く戦力にするならこれよ」と妖精を怪しげな装置にかけ、猫や毛玉や小悪魔と合体させたのだが、なんか緑色の不定形生物が大量発生して困るだけだったのでハクタクに頼んで無かった事にしてもらった。不定形の小悪魔がものすごい勢いでパチュリー様の服の下を這い回っていたのも無かった事になった。
……そんなこんなで消去法の結果として助っ人に抜擢された美鈴だが、これが実に大当たりの人事だったのである。
彼女は門番という仕事がら、湖の妖精達と顔を合わせる機会が多いのだが、どういうわけかその妖精達に異様に好かれていた。また彼女自身、子供一般を懐柔する術に長けており、先程のように火のついた妖精でも一瞬でなだめる手並みは見事なものだった。
そんな能力を買われて以来、いざとなれば美鈴は紅い髪のメイドに変身し、代理の門番を立てて私の助けに駆けつけてくれるのである。
「それにしても、今日は一段と賑やかですね」
「ええ。近年まれに見る量と……質だわ」
二人で、うごめく妖精絨毯を見下ろす。
今日集まった妖精のほとんどは十歳足らずの人間の子供程度の体格で、あとは手のひらサイズが一人だけ。ごく稀に私や美鈴と同じくらいに成熟した姿の妖精もいて、その多くは外見相応の能力と分別を持っているため非常に重宝するのだが、残念ながら今日はそういう「当たり」は無いようだ。
いつになく苦労させられそうな予感を胸に、私は妖精に檄を飛ばす。
「はい注目ー。今日はこれから掃除のやり方を練習してもらいます。移動するから、雪・花・月組は私に、霧組と酒組は美鈴の後について来て」
はーい。
「メイドさんの仕事の基本ですから、頑張って覚えてくださいね。ちゃんとできたらその後はお茶の時間ですよー」
はーい☆
「……」
「咲夜さん? どうかしましたか?」
「なんでもない。行きましょ」
一抹の悔しさを覚えながら、再び牧羊犬モードになって歩き始める。
……が、いくらも進まないうちに後ろから袖を引っ張られた。
せんせー。
「メイド長」
メイドちょー。
「なに?」
おしっこ。
「――おし、」
振り向けば、一人の少女が神妙な顔で両脚をすり合わせていた。
だから一番最初にトイレ行きたい人は行っときなさいと。あれほど。あんたら。
そんな心の叫びも虚しく、あちこちで連鎖反応の火の手が上がる。
あ、わたしもトイレー。
わたしもー。
もれちゃうー。
らめぇー。
うんこー。
「………………美鈴。悪いけど」
「了解です」
頭を押さえて声を絞り出す私に、苦笑いしながら美鈴は頷き、
「じゃあトイレ行きたい人ー、案内しますから来てくださーい」
声をかけるが早いか、言い出しっぺの妖精が美鈴の右手に飛びついた。次いで二人目が左手に。それから腕に。すかさず肩に。頭に脚に尻に。
最近気付いたのだが、どうも妖精というのは気に入った相手によってたかってしがみつく習性があるようだ。
妖精ダンゴと化した美鈴はそのままのしのしと廊下を歩いていき、私とともに残った妖精達はそれをうらやましげに眺めていた。
めーりんすごーい。
ちからもちー。
いいなー。
いいな。
―◇―◇― ◇◇◇― ―◇◇◇―
ちなみに、門の前は。
「……暇だぜ」
「門番が暇なのはいいことでしょ」
「考えてみれば、私自身がこうして門番をしている以上、大した侵入者なんて来るわけないんだよな」
「一応、自分が侵入者の筆頭だっていう自覚はあったのね……」
「あるとも。というわけでアリス、図書館行かないか?」
「だ、駄目よ。せっかく魔理沙と二人きりゲフンゲフン引き受けた仕事を投げ出すなんて」
「ええい止めてくれるな。ここは泥棒の本分に立ち返ってだな、」
「ダメー! 絶対ダメー!」
平和であった。
―◇―◇― ◇◇◇― ―◇◇◇―
嵐のような一日にも、夜は降りてくる。
どうにか、掃除をする前よりも散らかることはなくなった――というところで今日の訓練は終わった。
訓練以上に賑やかな夕食と入浴を済ませ、妖精達を寝室へ案内するのは美鈴に任せて、いま私は自分の部屋で一日のまとめのデスクワークに取り掛かっている。
「さて、と」
一つ伸びをしてから、ポケットから一枚の紙を取り出す。
先程、別れ際に妖精の一人から受け取ったものだった。
妖精は弱小な存在であるが、中には特異な力を持つ者もいる。多くは他愛のない能力とはいえ、運用次第でなにかの役に立つ可能性もあるわけで、新しい妖精を受け入れるときには一応の調査をすることにしている。
今日も、なにか特技があれば申告するようにと言い置き、読み書きのできる妖精が一人いたので取りまとめておいてもらったのである。
どれ。
紙を広げる。妖精の名前と能力が箇条書きにされている。
なんだかやけに沢山書いてあるわね――そう思いながら、つたない丸字を上から順に読んでみた。
『静電気を操る程度の能力』
はた迷惑なイメージしか湧かないのは偏見だろうか。
非生産的な悪戯に向いているという点で、まさに妖精のためにあるような能力だ。
ともあれ、メイドの仕事には役立ちそうもない。次。
『乾と湿を操る程度の能力』
あ、これは使えるかもしれない。
窓の少ない紅魔館において湿気対策は大事だ。
明日にでも詳しく聞いてみよう。
『ゴキブリを素手で殺せる程度の能力』
……ある意味尊敬に値する能力ではあるが、メイドがやっていい所業ではないと思う。次。
『火を操る程度の能力』
これは、同じ能力のメイドがすでにいたはずだ。
妖精の使える火などたかが知れているし、二人もいたところでありがたくはない。次。
『ハンバーグが好きな程度の能力』
いや、それ能力じゃないから。
『百合乃屋のよもぎパフェが好きな程度の能力』
『カツカレーなら人間の一人前でもいける』
『文ちゃんのクッキーが好きです』
『この前初めて八目鰻を食べたけど、結構おいしかった』
どうやら好物トークが始まった模様。
次からは絶対に妖精任せはやめようと心に誓いながら、それでも一応流し読みを続け、
――ふと、異質な単語が目に付いた。
『めーりんが好き』
――――……。
二人もいたところでねぇ。
「咲夜さーん」
「――はゎっ?」
空想の中の人物にいきなり呼び掛けられ、思わず変な声を上げてしまった。
どうやらノックの音を聞き逃していたらしい。
……今の声、聞かれてないわよね。
「あー、美鈴? 入っていいわよ」
「失礼しまーす」
ドアが開いて、美鈴が姿を見せる。
妖精と一緒に早めのお風呂を済ませたから、今はもうタンクトップとスパッツだけのラフな格好だった。
「ご苦労さま。あの子達はちゃんと寝た?」
「ええ、まあ。眠った――というか、とにかく布団には納まりましたよ」
「ま、そんなところでしょうね」
二人で苦笑する。
どうせ今夜、ピクニック気分の抜けない彼女らが宵っ張りのお喋りを続けることは目に見えていたから。
私は机の上のティーポットを取り、二つ目のカップにカミツレ茶を注いで差し出す。美鈴は会釈してそれを受け取ると、一瞬だけ迷ってから私のベッドに腰掛けた。
一日の終わりの、ささやかなティータイム。
「それにしても、あなたは子供によく好かれるわよね。人柄かしら?」
「あはは……なんででしょうね。さっき寝室でも、妖精さんたちが一緒に寝ようって皆で抱きついてきて、振り切るのが大変だったんですよ。服なんか半分脱げそうになっちゃって」
……奴らめ。
「――あ、そうだ咲夜さん。それで思い出したんですけど」
「なに?」
「寝室を出るとき、最後にもう一度頭数を確認したら、一人足りなかったんですよ」
「……足りない? 誰か消えたってこと?」
「はい。あの、一番小さい子が見当たらないんです」
「一番小さい……ああ……」
あの「能力」の持ち主か。
「手乗りのあの子ね。最後に見たのはいつ?」
「それが変で、寝室に来たときまでは確かにいたんですよ。なのに急に消えちゃって……」
「小さいから見落としたんじゃないの?」
「うーん、そうかなぁ」
釈然としない様子で、美鈴は首を傾げる。
「あるいは、本当に気が変わって出ていったのかもね。なんにしても、初日に一人や二人が消えるのは珍しい事じゃないわよ」
「帰っちゃったんですかねぇ。掃除も張り切ってやってたし、一番私に懐いてくれてたと思うんですけど……」
とにかく、見つからないものは仕方がない。
その件についてはひとまず置かれ、茶飲み話の議題は明日の予定へと移る。
「明日は、一日中こっちで動けるのよね?」
「はい。朝からお手伝いに行きますよ」
「よかった。仕事の技術面を教えるだけならともかく、どうも保母さんの真似事は苦手でね……」
「あはは。可愛い子達じゃないですか」
「……そりゃまあ、可愛くないよりはいいけど」
そんな諸々を話し込んでいるうちに、やがてポットのお茶もなくなってしまった。
ごちそうさまでした、と美鈴が立ち上がる。
「明日もよろしくね」
「はい。それじゃ失礼します」
美鈴はドアに。私は机に。
互いに背を向け、一歩二歩と遠くなる彼女の足音。
「……っ」
唾を飲み込み、振り向いてその背中に、言った。
「美鈴」
「――はい?」
美鈴はくるりと振り返り、私もくるりと視線を外して机に向きなおる。
「なんですか? 咲夜さん」
「えっと……ね、美鈴」
「はい」
手元でペンをくるくる回しながら、次の一言を、
「ど」
――時よ止まれ。
だめだめ。ちょっと声が震えてる。
すーはー。すーはー。
落ち着けー。瀟洒ー。落ち着けー。
あー、うん。
よし。
そして時は動き出す――
「うせ明日は一緒に出勤するんだし、あなたもここで寝たら?」
「えっ」
書き物を続けながら、さらりと提案。あくまでさらりと。
それでも美鈴は不意をつかれた様子で、ベッドと私を交互に見る。
「ここで……って、ここで?」
「ええ。朝はあなたの服のアイロンがけとかもあるし、部屋を行き来するのも面倒でしょ」
「それは、まあ。でも悪くないですか?」
もう。そんなに遠慮しなくたって。
事務的な口調を崩さぬよう努めながら、私は言葉を返す。
「別に。その方が効率的だし、あなたも余計に休めるでしょ。ただでさえ貴重な助っ人が寝坊なんかしないように、保険の意味も込めて、ね」
「うっ」
思い当たるふしがあるらしい。
美鈴は狼狽した様子でひとしきり頭をさすってから、それじゃあ、と顔を上げた。
「えっと……お言葉に甘えて、ここで休ませてもらいます」
「ん」
空いた手で近くのクッションを掴み、背後のベッドに放る。ぽふん。
多分、私の枕の近くに落ちたと思う。
「もう少しだけ仕事があるから明かりは点けとくけど、いいわよね。気にしないで先に寝てて」
「はい。ではお先に、おやすみなさい……ふあぁ……」
先細りの挨拶を残して、美鈴はもそもそとベッドに潜り込む。
才能があるとはいえ、慣れない仕事でやはり疲れたのだろう。すぐに安らかな寝息が聞こえてきた。
「――――……」
ずっと動かしていたペンを止めて、手元を見る。
新種のミミズの一筆描きが出来上がっていた。
―◇―◇― ◇◇◇― ―◇◇◇―
本日のお仕事、これにて完了。
明かりを消し、椅子を立って振り向く。
ベッドのシーツと、美鈴の肌が、差し込む月光にゆらりと白く浮かんでいた。
「……美鈴、寝た?」
――――……。
寝てる。
今日はよく働いてくれたし、カミツレ茶も効いているのかもしれない。あれは安眠効果があるから。
もっとも理由なんかなくたって、いつでもよく眠るしよく食べる美鈴なのだけど。
そんなことを考えながら私も寝る格好になり、半分以上が空いているベッドにそっと体を差し入れる。
ふわ――と、布団の隙間から美鈴の匂いが漏れた。
「……寝てる……よ、ね」
横になり、眠る美鈴と向かい合ってもう一度声をかける。
すぅすぅと規則正しい寝息だけが聞こえる。
「――――……」
きっと朝まで熟睡。
ちょっとやそっとの事じゃ起きない。
そう確信して、
私は手を伸ばし、
ちょっと迷ってから、
――目の前に投げ出された彼女の手に、そっと重ねた。
「…………ん……」
かすかに、美鈴が握り返す。
とくん――と静かに一拍、胸が高鳴った。
……いいじゃない。これくらい。
自分自身と幻想郷に向かって、そんな事を呟いてみる。
美鈴が気付いたら、どうなるかな。
まあ、このまま眠ったとしても、明日の朝まで手を繋ぎっぱなしということはあるまい。
それに多分、私の方が先に目を覚ますだろうし。
でも、もし――。
朝までずっとこのままで、
先に起きたのが美鈴で、
この手のことを訊かれたら。
――――……。
だってあなた、あんまり遠慮して端っこに寝るんだもの。落ちそうだから繋いでいてあげたのよ。
……とか。
――――……。
それとも、いっそ……。
――――……。
シピー
――――……。
シピー
……?
なにやら異質な音に、眠りかけた意識がずるりと浮上する。
シピー
それは小さな、小さな音だった。
耳を澄ませると、それは呼吸のようなリズムを持っていた。
……美鈴の寝息ではない。むろん私のでも。
シピー
ゆっくりと目を開き、月の薄明かりの中で音の出どころを探る。
他に聞こえるものはなにもない夜だったから、意識を集中させると音源は意外にクリアに感じられた。
……美鈴の胸のあたりに。
最近のおっぱいは勝手にいびきをかくのか?
眠い頭でとろとろと考えながら、その場所に顔を近づけてさらに目を凝らす。
薄手のタンクトップに包まれ、というか締めつけられた見事な二つのふくらみが、はち切れんばかりの両側からさらに腕で寄せられふくよかな張りのある平静ではいられないくっきりと存在感を主張するその谷間に顔があった。
「……はぁっ?」
一気に覚醒。
夢じゃない。
もはや平時以上に冴えた目で見たそれは、間違いない、消えたはずの手乗り妖精の寝顔だった。
見たところ、いや、どう見ても彼女は美鈴の胸に挟まれた状態で、そこから顔だけを出しているのである。
――。
私の奇声に反応したか、妖精はぴくりと震えて目を開けた。
首から上だけできょろきょろと辺りを見回し、幸せそうに緩みきった欠伸を一つ。
それからまた目を閉じると、ずぶずぶと美鈴の肉ベッドの中に――
「沈むなあああああああぁっ!!」
怒号とともにスキマに手を突っ込み、妖精をむんずと掴んだ。
「ふ……ぇ……? わひゃあぁぁぁっ!?」
そら起きるっちゅうねん。
ここにきてようやく眠りから覚めた健康優良児が、胸元を見るや動転の叫びを上げる。
「さ、さささ咲夜さんっ!? な、ななな何を……!」
「すぐ済むからおとなしくしてて!」
「ちょ、済むってあの、私まだ心の準備が――きゃ、きゃああああんっ!?」
すぽぷるーん。
問答無用。
美鈴の胸から、一気にそれを引き抜いた。
「……え?」
生まれたての妖精の首根っこを摘み、美鈴の目の前に突きつける。
――――……。
美鈴は無言で、妖精と自分の胸の間で視線を上下させること数回。
さらに思案の数秒を経て、ぽんと手を打つ音が響いた。
「そっか! さっき皆が抱きついてきたときに――」
「そっかじゃねぇ―――っ!!」
「ひっ!?」
美鈴がびくりと縮こまる。
私自身驚くほどの怒声が、勝手に口から飛び出していた。
「気付きなさいよ! この親不孝者ッ!!」
「お、親? あ、いやその、ごめんなさいっ! よくわからないけどっ!」
なおも謎の怒りに突き動かされる私と、これまたなぜか平身低頭の美鈴。
元凶たる妖精はというと、私の手の中でむー、と寝起きの呻き声を上げている。
その不機嫌そうな顔を、真っ向から睨みつけてやった。
「あんたもっ! 勝手にわた、美鈴の胸をベッドにするんじゃないの!」
「ま、まあまあ咲夜さん。私は別に気にしてませんから、そのくらいで……」
お願いだから気にしてください。
「まったく……次にやったら命はないわよ? ほら、自分のベッドに戻りなさい」
なんだか気が抜けてしまい、ため息とともに手を放してやる。
自由になった妖精はひらりと舞い上がり、美鈴の胸に、
「だからそこはあんたのベッドじゃないって言ってるでしょうがぁ―――ッ!!」
「さっ咲夜さん落ち着いて! 平に! 平にぃー!」
枕の下のナイフを抜き放つ私を、必死になって止める美鈴。
しばらく揉み合いを続けるうちにいろんな意味で疲れてきたので、とりあえず止めることにした。
ナイフを枕に戻し、他人事のように悶着を見守っていた妖精をふたたび鷲掴みにする。
「あーもうっ、そんなに人の胸で寝たいならこっちで寝なさい。こっちで」
ともかく、美鈴の乳ジャックなど言語道断。
半ば自棄になって自分のワイシャツの襟口を引っ張り、中にぽいっと妖精を放り込ん
すとーん。
……コンマ五秒で裾から顔を出しやがりました。
「――――……」
「……あの、咲夜……さん?」
「…………うっ……」
うわーん。めーりーん。
「ちょっ、妖精さんみたいなしゃべり方しないでくださいよってひにゃあぁっ!? いやあの、ふぁっ、咲夜さんはちょっとそこでは寝られな――アッ――!!」
寝た。
妖精になって、どこかの谷で暮らしている夢を見た。
―◇―◇― ◇◇◇― ―◇◇◇―
数日後。
妖精達はめでたく全員が見習いを卒業し、メイドとして採用された。
……つまるところ、あの手乗り妖精もだ。
他の妖精に比べればむしろ熱心に働く方だし、小さい妖精にこそ向いている仕事というのもあるから、実際役には立っているのだ。メイドとしては。
ただ、問題は――。
「こらっ。またあんたは暇さえあれば美鈴にベタベタベタベタ……門番の仕事の邪魔になるでしょうが」
「まあまあ咲夜さん、いいじゃないですか。今は休憩時間だっていうし」
「そ、それはそうだけど。わざわざ館を出て門を訪ねる余裕があったらね……」
「ところで、咲夜さんは何の御用でここに?」
「えっ……私? えーとその……そう、この子を探しに来たのよ。頼みたい仕事があって」
「あー、そうなんですか」
「そういうわけだから――ほら、休憩は終わり! 行くわよっ!」
「行ってらっしゃーい」
不満顔の妖精をエプロンのポケットに突っ込み、手を振る美鈴を背に私は歩く。
差し入れそこねたクッキーの残骸と満足顔の妖精がポケットから出てきたのは、その五分後の事であった。
――本当の戦いは、これからだ。
〜完〜
紅魔館は常時メイドを募集しているが、まとまった数のメイド希望者がやってくる時期というのはやはり限られている。
主たるメイドの供給源は、妖精だ。彼女らは大自然の力の一部であり、また性格的に集団行動を好むところから、その挙動は季節単位かつグループ単位のものになりやすい。個々の振る舞いは気まぐれながら、総体としては大きな流れに従っているのが妖精という存在だった。
そんなわけで、メイド志望の妖精は多くの場合、群れをなして現れる。
慢性的な労働力不足に悩む紅魔館にしてみれば、多くの働き手を確保できるのは結構な事だが、それも質が伴っての話だ。彼女らはなにしろ妖精であり、その大半は心身共にまるっきり子供であり、人間の素人よりもはるかに使えない人材なのだ。量で質を補うにも限度がある。
故に。
我が紅魔館の新人メイド教育は、苛酷なものとなる。
もちろん妖精にとってではなく、監督者である私にとっての話だ。
―◇―◇― ◇◇◇― ―◇◇◇―
わぁー。
ひろーい。
あかーい。
真紅の館に、黄色い喧騒が響く。
ここは紅魔館の玄関ホール。本日メイドに志願して集まってきた三十人ほどの妖精が、物珍しそうな視線をそこら中に投げ掛けながらわらわらと扉をくぐってきたところだ。
これが人間であれば、まず彼等はこの屋敷の異様に圧倒されて恐る恐る足を踏み入れるところなのだが、妖精にその手の奥ゆかしさはない。むしろ興味のおもむくままにあちこち飛んでいこうとするので、その都度こちらが抑えに回り、群れに戻さなければならない。まるっきり牧羊犬の気分だった。
「――さて、」
どうにか全員をここまで連れてきた、それだけの事に軽い疲労を覚えながら、私は妖精の一団を見回す。
「紅魔館へようこそ。私があなた達の指導にあたる、メイド長の十六夜咲夜です」
はーい。
「まずは数日間、あなた達にはメイド見習いとして訓練を受けてもらいます。正式に雇われてメイド服に袖を通すのは、その後の話になるわ」
えぇー。
はやく着てみたーい。
ごはんはー?
「……希望者にはその間の食事も支給します。とにかく、遊びじゃないんだから訓練はきちんと受けること。いいわね?」
はーい。
「――よろしい」
では、何か質問は?
などと訊くのは禁物だ。そんなものあるに決まっている。およそ話の収拾がつかなくなるほどに。
「それじゃ、最初に全員をいくつかの組に分けるわ。これは管理上の便宜のためで、どの組になってもやる事は一緒だから気にしないように」
はーい。
一糸乱れぬ、その返事だけは立派なものだった。
私は妖精達の間を歩きながら、彼女らを適当なグループに切り分けてゆく。空間を操れば一瞬で事足りる作業だが、迂闊にそういう事をするとこいつらはまた面白がって話が進まなくなる。
「よし……と、大体こんなものね。各自、自分の組はちゃんと覚えておきなさい。あなた達は霧組、あなた達は雪組でそっちは月――」
ふぇーん。
グループの一角から、幼子のぐずついた声が上がる。
そらきたか――と思いながら声の主に話を聞いてみると、仲良しの友達と別々の組になってしまったのが悲しいのだという。……だから気にするなって言ったでしょうが。
彼女の希望を聞くのは容易いが、そうなれば他の妖精からもあれこれと注文が殺到するのは明白だった。ここは安易に妥協するわけにはいかない。
「そんなに大袈裟に考えないの。組が違うからって、なにも今生の別れってわけじゃないんだから……」
根性?
「違う」
根性ーッ!
「叫ぶな」
頭が痛くなってきた。
もちろん私としてはこんな手合い、じっくり可愛がって泣いたり笑ったりできなくしてやっても一向に構わないのだが、それをやると妖精は逃げる。もともと生活のために働こうという連中ではないから、出処進退も気の向くままというわけだ。
志願者がまとめて現れるのと同様、メイド妖精の方も辞めるときはごっそり辞める。こんな烏合の衆でもどうにかして使えるようにしないことには紅魔館の運営システムに大穴が開いてしまうわけで、落伍者を出さないためにもここは心を鬼にして甘い顔をしなければならないのだった。
「ほらほら、わがままばかり言ってると瀟洒なメイドになれ――」
むきーっ。
そうこうしているうちにまた別の妖精達が、こいつと一緒の組はいやだのお前が余所に行けだのと言い争いを始め、ほどなく掴み合いのキャットファイトにまで発展する始末。
やーめーろーよー。
やーめーろーよー。
……お前ら、止める気ないだろ。
まずい。早くも忍耐の限界が見えてきた。
「あんたら、いいかげんに……」
思わず腰のナイフに手が伸びて、
「はーいはいはい妖精さんたちこんにちは―! 喧嘩は駄目ですよぉー」
――乱入してきた張りのある声に、その手が止まる。
見れば、声の主は自然な動きで騒ぎの渦中にするりと入り込み、にこやかに二言三言を交わしながら妖精達の頭を撫でてゆく。
そうしてそれが妖精の群れを渡って私の前に辿り着くころには、混乱は嘘のように鎮まっていた。
「ごめんなさい咲夜さん。ちょっと門番の引き継ぎに手間取ってしまって」
さっそく一仕事を終えた彼女――美鈴が、ちょっと申し訳なさそうな笑顔を私に向ける。
「いえ……助かったわ。美鈴」
見慣れぬその姿に一瞬の戸惑いを覚えながら、私は応える。
さっそうと現れた紅魔館の門番は、今、私と揃いのメイド服に身を包んでいた。
―◇―◇― ◇◇◇― ―◇◇◇―
「知ってる子もいるでしょうけど、紹介するわね。紅美鈴」
「あらためまして皆さん、こんにちはー」
フリルのついた純白のエプロンと、後ろで三つ編みにされた長い髪。
いつもとは見違えた格好の美鈴が、いつもと変わらぬ明るい表情で妖精達に笑いかける。
こんにちはー。
めーりんだー。
メイドふくだー。
かわいー。
「美鈴は普段、門番をしているけれど、訓練の間は私の助手を務めます。私がいない時は彼女の指示に従うように」
はーい。
新入りの教育にあたって美鈴が私を手伝うのは、今や恒例となっていた。
毎回毎回、大量の妖精を私一人でさばくにはやはり無理がある。本来ならば現場のベテランが後輩の面倒を見るのが自然な形だろうが、妖精に妖精の指導を任せるなど恐ろしくてとてもできない。
なにか妙案はないかとパチュリー様に相談してみたところ、彼女は「手っ取り早く戦力にするならこれよ」と妖精を怪しげな装置にかけ、猫や毛玉や小悪魔と合体させたのだが、なんか緑色の不定形生物が大量発生して困るだけだったのでハクタクに頼んで無かった事にしてもらった。不定形の小悪魔がものすごい勢いでパチュリー様の服の下を這い回っていたのも無かった事になった。
……そんなこんなで消去法の結果として助っ人に抜擢された美鈴だが、これが実に大当たりの人事だったのである。
彼女は門番という仕事がら、湖の妖精達と顔を合わせる機会が多いのだが、どういうわけかその妖精達に異様に好かれていた。また彼女自身、子供一般を懐柔する術に長けており、先程のように火のついた妖精でも一瞬でなだめる手並みは見事なものだった。
そんな能力を買われて以来、いざとなれば美鈴は紅い髪のメイドに変身し、代理の門番を立てて私の助けに駆けつけてくれるのである。
「それにしても、今日は一段と賑やかですね」
「ええ。近年まれに見る量と……質だわ」
二人で、うごめく妖精絨毯を見下ろす。
今日集まった妖精のほとんどは十歳足らずの人間の子供程度の体格で、あとは手のひらサイズが一人だけ。ごく稀に私や美鈴と同じくらいに成熟した姿の妖精もいて、その多くは外見相応の能力と分別を持っているため非常に重宝するのだが、残念ながら今日はそういう「当たり」は無いようだ。
いつになく苦労させられそうな予感を胸に、私は妖精に檄を飛ばす。
「はい注目ー。今日はこれから掃除のやり方を練習してもらいます。移動するから、雪・花・月組は私に、霧組と酒組は美鈴の後について来て」
はーい。
「メイドさんの仕事の基本ですから、頑張って覚えてくださいね。ちゃんとできたらその後はお茶の時間ですよー」
はーい☆
「……」
「咲夜さん? どうかしましたか?」
「なんでもない。行きましょ」
一抹の悔しさを覚えながら、再び牧羊犬モードになって歩き始める。
……が、いくらも進まないうちに後ろから袖を引っ張られた。
せんせー。
「メイド長」
メイドちょー。
「なに?」
おしっこ。
「――おし、」
振り向けば、一人の少女が神妙な顔で両脚をすり合わせていた。
だから一番最初にトイレ行きたい人は行っときなさいと。あれほど。あんたら。
そんな心の叫びも虚しく、あちこちで連鎖反応の火の手が上がる。
あ、わたしもトイレー。
わたしもー。
もれちゃうー。
らめぇー。
うんこー。
「………………美鈴。悪いけど」
「了解です」
頭を押さえて声を絞り出す私に、苦笑いしながら美鈴は頷き、
「じゃあトイレ行きたい人ー、案内しますから来てくださーい」
声をかけるが早いか、言い出しっぺの妖精が美鈴の右手に飛びついた。次いで二人目が左手に。それから腕に。すかさず肩に。頭に脚に尻に。
最近気付いたのだが、どうも妖精というのは気に入った相手によってたかってしがみつく習性があるようだ。
妖精ダンゴと化した美鈴はそのままのしのしと廊下を歩いていき、私とともに残った妖精達はそれをうらやましげに眺めていた。
めーりんすごーい。
ちからもちー。
いいなー。
いいな。
―◇―◇― ◇◇◇― ―◇◇◇―
ちなみに、門の前は。
「……暇だぜ」
「門番が暇なのはいいことでしょ」
「考えてみれば、私自身がこうして門番をしている以上、大した侵入者なんて来るわけないんだよな」
「一応、自分が侵入者の筆頭だっていう自覚はあったのね……」
「あるとも。というわけでアリス、図書館行かないか?」
「だ、駄目よ。せっかく魔理沙と二人きりゲフンゲフン引き受けた仕事を投げ出すなんて」
「ええい止めてくれるな。ここは泥棒の本分に立ち返ってだな、」
「ダメー! 絶対ダメー!」
平和であった。
―◇―◇― ◇◇◇― ―◇◇◇―
嵐のような一日にも、夜は降りてくる。
どうにか、掃除をする前よりも散らかることはなくなった――というところで今日の訓練は終わった。
訓練以上に賑やかな夕食と入浴を済ませ、妖精達を寝室へ案内するのは美鈴に任せて、いま私は自分の部屋で一日のまとめのデスクワークに取り掛かっている。
「さて、と」
一つ伸びをしてから、ポケットから一枚の紙を取り出す。
先程、別れ際に妖精の一人から受け取ったものだった。
妖精は弱小な存在であるが、中には特異な力を持つ者もいる。多くは他愛のない能力とはいえ、運用次第でなにかの役に立つ可能性もあるわけで、新しい妖精を受け入れるときには一応の調査をすることにしている。
今日も、なにか特技があれば申告するようにと言い置き、読み書きのできる妖精が一人いたので取りまとめておいてもらったのである。
どれ。
紙を広げる。妖精の名前と能力が箇条書きにされている。
なんだかやけに沢山書いてあるわね――そう思いながら、つたない丸字を上から順に読んでみた。
『静電気を操る程度の能力』
はた迷惑なイメージしか湧かないのは偏見だろうか。
非生産的な悪戯に向いているという点で、まさに妖精のためにあるような能力だ。
ともあれ、メイドの仕事には役立ちそうもない。次。
『乾と湿を操る程度の能力』
あ、これは使えるかもしれない。
窓の少ない紅魔館において湿気対策は大事だ。
明日にでも詳しく聞いてみよう。
『ゴキブリを素手で殺せる程度の能力』
……ある意味尊敬に値する能力ではあるが、メイドがやっていい所業ではないと思う。次。
『火を操る程度の能力』
これは、同じ能力のメイドがすでにいたはずだ。
妖精の使える火などたかが知れているし、二人もいたところでありがたくはない。次。
『ハンバーグが好きな程度の能力』
いや、それ能力じゃないから。
『百合乃屋のよもぎパフェが好きな程度の能力』
『カツカレーなら人間の一人前でもいける』
『文ちゃんのクッキーが好きです』
『この前初めて八目鰻を食べたけど、結構おいしかった』
どうやら好物トークが始まった模様。
次からは絶対に妖精任せはやめようと心に誓いながら、それでも一応流し読みを続け、
――ふと、異質な単語が目に付いた。
『めーりんが好き』
――――……。
二人もいたところでねぇ。
「咲夜さーん」
「――はゎっ?」
空想の中の人物にいきなり呼び掛けられ、思わず変な声を上げてしまった。
どうやらノックの音を聞き逃していたらしい。
……今の声、聞かれてないわよね。
「あー、美鈴? 入っていいわよ」
「失礼しまーす」
ドアが開いて、美鈴が姿を見せる。
妖精と一緒に早めのお風呂を済ませたから、今はもうタンクトップとスパッツだけのラフな格好だった。
「ご苦労さま。あの子達はちゃんと寝た?」
「ええ、まあ。眠った――というか、とにかく布団には納まりましたよ」
「ま、そんなところでしょうね」
二人で苦笑する。
どうせ今夜、ピクニック気分の抜けない彼女らが宵っ張りのお喋りを続けることは目に見えていたから。
私は机の上のティーポットを取り、二つ目のカップにカミツレ茶を注いで差し出す。美鈴は会釈してそれを受け取ると、一瞬だけ迷ってから私のベッドに腰掛けた。
一日の終わりの、ささやかなティータイム。
「それにしても、あなたは子供によく好かれるわよね。人柄かしら?」
「あはは……なんででしょうね。さっき寝室でも、妖精さんたちが一緒に寝ようって皆で抱きついてきて、振り切るのが大変だったんですよ。服なんか半分脱げそうになっちゃって」
……奴らめ。
「――あ、そうだ咲夜さん。それで思い出したんですけど」
「なに?」
「寝室を出るとき、最後にもう一度頭数を確認したら、一人足りなかったんですよ」
「……足りない? 誰か消えたってこと?」
「はい。あの、一番小さい子が見当たらないんです」
「一番小さい……ああ……」
あの「能力」の持ち主か。
「手乗りのあの子ね。最後に見たのはいつ?」
「それが変で、寝室に来たときまでは確かにいたんですよ。なのに急に消えちゃって……」
「小さいから見落としたんじゃないの?」
「うーん、そうかなぁ」
釈然としない様子で、美鈴は首を傾げる。
「あるいは、本当に気が変わって出ていったのかもね。なんにしても、初日に一人や二人が消えるのは珍しい事じゃないわよ」
「帰っちゃったんですかねぇ。掃除も張り切ってやってたし、一番私に懐いてくれてたと思うんですけど……」
とにかく、見つからないものは仕方がない。
その件についてはひとまず置かれ、茶飲み話の議題は明日の予定へと移る。
「明日は、一日中こっちで動けるのよね?」
「はい。朝からお手伝いに行きますよ」
「よかった。仕事の技術面を教えるだけならともかく、どうも保母さんの真似事は苦手でね……」
「あはは。可愛い子達じゃないですか」
「……そりゃまあ、可愛くないよりはいいけど」
そんな諸々を話し込んでいるうちに、やがてポットのお茶もなくなってしまった。
ごちそうさまでした、と美鈴が立ち上がる。
「明日もよろしくね」
「はい。それじゃ失礼します」
美鈴はドアに。私は机に。
互いに背を向け、一歩二歩と遠くなる彼女の足音。
「……っ」
唾を飲み込み、振り向いてその背中に、言った。
「美鈴」
「――はい?」
美鈴はくるりと振り返り、私もくるりと視線を外して机に向きなおる。
「なんですか? 咲夜さん」
「えっと……ね、美鈴」
「はい」
手元でペンをくるくる回しながら、次の一言を、
「ど」
――時よ止まれ。
だめだめ。ちょっと声が震えてる。
すーはー。すーはー。
落ち着けー。瀟洒ー。落ち着けー。
あー、うん。
よし。
そして時は動き出す――
「うせ明日は一緒に出勤するんだし、あなたもここで寝たら?」
「えっ」
書き物を続けながら、さらりと提案。あくまでさらりと。
それでも美鈴は不意をつかれた様子で、ベッドと私を交互に見る。
「ここで……って、ここで?」
「ええ。朝はあなたの服のアイロンがけとかもあるし、部屋を行き来するのも面倒でしょ」
「それは、まあ。でも悪くないですか?」
もう。そんなに遠慮しなくたって。
事務的な口調を崩さぬよう努めながら、私は言葉を返す。
「別に。その方が効率的だし、あなたも余計に休めるでしょ。ただでさえ貴重な助っ人が寝坊なんかしないように、保険の意味も込めて、ね」
「うっ」
思い当たるふしがあるらしい。
美鈴は狼狽した様子でひとしきり頭をさすってから、それじゃあ、と顔を上げた。
「えっと……お言葉に甘えて、ここで休ませてもらいます」
「ん」
空いた手で近くのクッションを掴み、背後のベッドに放る。ぽふん。
多分、私の枕の近くに落ちたと思う。
「もう少しだけ仕事があるから明かりは点けとくけど、いいわよね。気にしないで先に寝てて」
「はい。ではお先に、おやすみなさい……ふあぁ……」
先細りの挨拶を残して、美鈴はもそもそとベッドに潜り込む。
才能があるとはいえ、慣れない仕事でやはり疲れたのだろう。すぐに安らかな寝息が聞こえてきた。
「――――……」
ずっと動かしていたペンを止めて、手元を見る。
新種のミミズの一筆描きが出来上がっていた。
―◇―◇― ◇◇◇― ―◇◇◇―
本日のお仕事、これにて完了。
明かりを消し、椅子を立って振り向く。
ベッドのシーツと、美鈴の肌が、差し込む月光にゆらりと白く浮かんでいた。
「……美鈴、寝た?」
――――……。
寝てる。
今日はよく働いてくれたし、カミツレ茶も効いているのかもしれない。あれは安眠効果があるから。
もっとも理由なんかなくたって、いつでもよく眠るしよく食べる美鈴なのだけど。
そんなことを考えながら私も寝る格好になり、半分以上が空いているベッドにそっと体を差し入れる。
ふわ――と、布団の隙間から美鈴の匂いが漏れた。
「……寝てる……よ、ね」
横になり、眠る美鈴と向かい合ってもう一度声をかける。
すぅすぅと規則正しい寝息だけが聞こえる。
「――――……」
きっと朝まで熟睡。
ちょっとやそっとの事じゃ起きない。
そう確信して、
私は手を伸ばし、
ちょっと迷ってから、
――目の前に投げ出された彼女の手に、そっと重ねた。
「…………ん……」
かすかに、美鈴が握り返す。
とくん――と静かに一拍、胸が高鳴った。
……いいじゃない。これくらい。
自分自身と幻想郷に向かって、そんな事を呟いてみる。
美鈴が気付いたら、どうなるかな。
まあ、このまま眠ったとしても、明日の朝まで手を繋ぎっぱなしということはあるまい。
それに多分、私の方が先に目を覚ますだろうし。
でも、もし――。
朝までずっとこのままで、
先に起きたのが美鈴で、
この手のことを訊かれたら。
――――……。
だってあなた、あんまり遠慮して端っこに寝るんだもの。落ちそうだから繋いでいてあげたのよ。
……とか。
――――……。
それとも、いっそ……。
――――……。
シピー
――――……。
シピー
……?
なにやら異質な音に、眠りかけた意識がずるりと浮上する。
シピー
それは小さな、小さな音だった。
耳を澄ませると、それは呼吸のようなリズムを持っていた。
……美鈴の寝息ではない。むろん私のでも。
シピー
ゆっくりと目を開き、月の薄明かりの中で音の出どころを探る。
他に聞こえるものはなにもない夜だったから、意識を集中させると音源は意外にクリアに感じられた。
……美鈴の胸のあたりに。
最近のおっぱいは勝手にいびきをかくのか?
眠い頭でとろとろと考えながら、その場所に顔を近づけてさらに目を凝らす。
薄手のタンクトップに包まれ、というか締めつけられた見事な二つのふくらみが、はち切れんばかりの両側からさらに腕で寄せられふくよかな張りのある平静ではいられないくっきりと存在感を主張するその谷間に顔があった。
「……はぁっ?」
一気に覚醒。
夢じゃない。
もはや平時以上に冴えた目で見たそれは、間違いない、消えたはずの手乗り妖精の寝顔だった。
見たところ、いや、どう見ても彼女は美鈴の胸に挟まれた状態で、そこから顔だけを出しているのである。
――。
私の奇声に反応したか、妖精はぴくりと震えて目を開けた。
首から上だけできょろきょろと辺りを見回し、幸せそうに緩みきった欠伸を一つ。
それからまた目を閉じると、ずぶずぶと美鈴の肉ベッドの中に――
「沈むなあああああああぁっ!!」
怒号とともにスキマに手を突っ込み、妖精をむんずと掴んだ。
「ふ……ぇ……? わひゃあぁぁぁっ!?」
そら起きるっちゅうねん。
ここにきてようやく眠りから覚めた健康優良児が、胸元を見るや動転の叫びを上げる。
「さ、さささ咲夜さんっ!? な、ななな何を……!」
「すぐ済むからおとなしくしてて!」
「ちょ、済むってあの、私まだ心の準備が――きゃ、きゃああああんっ!?」
すぽぷるーん。
問答無用。
美鈴の胸から、一気にそれを引き抜いた。
「……え?」
生まれたての妖精の首根っこを摘み、美鈴の目の前に突きつける。
――――……。
美鈴は無言で、妖精と自分の胸の間で視線を上下させること数回。
さらに思案の数秒を経て、ぽんと手を打つ音が響いた。
「そっか! さっき皆が抱きついてきたときに――」
「そっかじゃねぇ―――っ!!」
「ひっ!?」
美鈴がびくりと縮こまる。
私自身驚くほどの怒声が、勝手に口から飛び出していた。
「気付きなさいよ! この親不孝者ッ!!」
「お、親? あ、いやその、ごめんなさいっ! よくわからないけどっ!」
なおも謎の怒りに突き動かされる私と、これまたなぜか平身低頭の美鈴。
元凶たる妖精はというと、私の手の中でむー、と寝起きの呻き声を上げている。
その不機嫌そうな顔を、真っ向から睨みつけてやった。
「あんたもっ! 勝手にわた、美鈴の胸をベッドにするんじゃないの!」
「ま、まあまあ咲夜さん。私は別に気にしてませんから、そのくらいで……」
お願いだから気にしてください。
「まったく……次にやったら命はないわよ? ほら、自分のベッドに戻りなさい」
なんだか気が抜けてしまい、ため息とともに手を放してやる。
自由になった妖精はひらりと舞い上がり、美鈴の胸に、
「だからそこはあんたのベッドじゃないって言ってるでしょうがぁ―――ッ!!」
「さっ咲夜さん落ち着いて! 平に! 平にぃー!」
枕の下のナイフを抜き放つ私を、必死になって止める美鈴。
しばらく揉み合いを続けるうちにいろんな意味で疲れてきたので、とりあえず止めることにした。
ナイフを枕に戻し、他人事のように悶着を見守っていた妖精をふたたび鷲掴みにする。
「あーもうっ、そんなに人の胸で寝たいならこっちで寝なさい。こっちで」
ともかく、美鈴の乳ジャックなど言語道断。
半ば自棄になって自分のワイシャツの襟口を引っ張り、中にぽいっと妖精を放り込ん
すとーん。
……コンマ五秒で裾から顔を出しやがりました。
「――――……」
「……あの、咲夜……さん?」
「…………うっ……」
うわーん。めーりーん。
「ちょっ、妖精さんみたいなしゃべり方しないでくださいよってひにゃあぁっ!? いやあの、ふぁっ、咲夜さんはちょっとそこでは寝られな――アッ――!!」
寝た。
妖精になって、どこかの谷で暮らしている夢を見た。
―◇―◇― ◇◇◇― ―◇◇◇―
数日後。
妖精達はめでたく全員が見習いを卒業し、メイドとして採用された。
……つまるところ、あの手乗り妖精もだ。
他の妖精に比べればむしろ熱心に働く方だし、小さい妖精にこそ向いている仕事というのもあるから、実際役には立っているのだ。メイドとしては。
ただ、問題は――。
「こらっ。またあんたは暇さえあれば美鈴にベタベタベタベタ……門番の仕事の邪魔になるでしょうが」
「まあまあ咲夜さん、いいじゃないですか。今は休憩時間だっていうし」
「そ、それはそうだけど。わざわざ館を出て門を訪ねる余裕があったらね……」
「ところで、咲夜さんは何の御用でここに?」
「えっ……私? えーとその……そう、この子を探しに来たのよ。頼みたい仕事があって」
「あー、そうなんですか」
「そういうわけだから――ほら、休憩は終わり! 行くわよっ!」
「行ってらっしゃーい」
不満顔の妖精をエプロンのポケットに突っ込み、手を振る美鈴を背に私は歩く。
差し入れそこねたクッキーの残骸と満足顔の妖精がポケットから出てきたのは、その五分後の事であった。
――本当の戦いは、これからだ。
〜完〜
妖精達の、そこらの子供っぽいリアルな可愛さに魅せられました
次も楽しみにして待ってます
すばらしい作品をありがとうございます
何処の世界でも新人教育は大変なんですね。
ちょっとウォーターベッド買ってきます。
しかし本当にパチュリーは紅魔館のトラブルメーカーだなw
って納得してしまうぐらい上手い描写。
ツイン……確かに(何
妖精たちいいなぁ。正式採用後も苦労しそうな咲夜さんに つ?
そりゃーめーりんと比べたらいくら完全で瀟洒な…まぁ、そういうことで。
超同意。
私も力及ばずながら今日協力いたします。
しっかしこらぁ、毎度毎度大変なんだなぁ。苦労してるんだ、咲夜さん&美鈴。
『ナイトメアによろしく』に登場してた妖精が紛れ込んでいやがる
面白いSSを見逃していたとは・・・
余談
門番代理の2人の会話
ツボに入りました。
一年前のコメントにレスってのもどうかと思ったけど、
区切りはモールス信号なんだぜ
面白かったです。めーりんめーりん!
どれもニヤニヤフヒヒが止まらんですハイ
>>90
さらに一年以上前だが
「さくめ、までじゃわかりにくいから『い』か『−』つけようぜ」って意味な希ガス
レスにレススマソ、どうしても気になったので
メイド長の苦労がしのばれるお話でした・・
妖精メイド可愛い