長いかもしれません。少しでも楽しんでいただければ幸いかと思います。
「フランをもう少し、人に接させてあげようと思うの」
紅魔館の主、レミリアスカーレットがそのように明言したのはつい三日ほど前だ。メイド長たる十六夜咲夜は難色を示
したが、結局主がそのように強く思うのならば、と承諾した。
レミリアの心の底にどのような思惑があったか紅魔館全体で様々な憶測が流れたが、どれも妹君の事を考えてであると
いう答えに至る。
それを言うのも、紅霧異変以来紅魔館には人間や魔法使いの出入りが増え、フランドールスカーレット自身も人間や外
の情報に接する機会が増えた事が理由である。幾度かフラン自身が外に出る事を熱望した為、咲夜や美鈴などのお守り
をつけて外に出してはみたものの、はしゃぎ過ぎたのか門番詰め所を大破させ、門ごと粉砕し、周辺の湖の底には大き
なクレーターを作ってしまった。
幾ら精神が幼いフランとて、門番詰め所を犬小屋にまで貶めてしまった事には罪悪感を感じたのか、以前よりも外へ出
る事を希望しなくなった。レミリアとしても、出来るならば血を分けた妹を外に出してやりたい。気が遠くなるほど前
からの悩みであったが、人間が大量に住む世界でそれは出来なかった。
―――しかし時代は移り変わり、場所は移り変わり幾星霜。
ここは幻想郷。フランすらも許容しうる幻想で編まれている世界であるとレミリアは信じたかったのだ。
だが安易に外に出せば、先の詰め所の如く紅魔館を粉砕されかねない。フランを取り巻く不安要素がありすぎる上、自
分自身の杞憂にすぎない思い込みも相俟って即座に外へ出す訳にもいかなくなった。
なれば、と。姉レミリアスカーレットは妹フランドールスカーレットに対する処置を検討し、答えを出した。
「霊夢や魔理沙を客人として向かえる、のですか」
「彼女等なら、そう簡単には壊れないでしょう。フランも以前より外へ出る事を希望しなくなったけれど、あれは間違
いなく欲求不満よ。欲求とはアレばこそ、知っているからこそ欲する心。フランはリンゴを齧ったわ」
「ともなると、ヘビはあの二人となりますが」
「いえ、悪人は私。紅魔館内が楽園ではない事ぐらいフランも知っているもの。もう少し、妹の事を考えてあげれば良
かった。五百年近くも閉じ込められていれば、そりゃ、発狂もするわ」
「出来る限りの努力はいたしますけれど、かなり難しいのではないかと」
「とはいえ、よ。私達姉妹は人間ではないの。自己を形成する知識や概念は、人間が有するものより希薄で塗り替えや
すい。命が長い分変化も多様なの。環境さえ変えれれば、あの子も自己制御出来るようになると思うし、知識も上塗り
出来る。その逆も意志によって然り……筈」
「……そんなに簡単に行くものでしょうかね。紅茶、おかわりは」
「頂くわ」
満月が遠のく夜の空をテラスから見つめて、レミリアは思う。これはチャンスなのだと。
己の存在が罪ならば、妹は罰だったのだ。自分達は存在が罪と罰であるが、罪は常にレミリアが被り、互いに与えられ
る筈の罰はフランが受ける。
けれど罪と罰は表裏一体で、罪がなければ罰はなく、罰があるなら当然罪がある。スカーレット姉妹は、そのバランス
を互いに分割し依存していた。依存しすぎていた。紅魔館の永遠に幼き紅い月と恐れられるのはレミリア。誰にも知ら
れる事なく、ただその恐れを与え罪を作る姉への罰を受けるのがフラン。
吸血鬼という業の深い種族であるが故、当たり前になってしまっていたその所業の罪と罰の深さに気がつくのが、少し
ばかり遅かったのかもしれない。
姉は妹を閉じ込める事を当然と思い、妹は姉に閉じ込められる事を当然と受け止める。それはやはり、吸血鬼とて異常
であった。罪は互いに被り、罰は互いに受けなければならない。
レミリアもまた、博麗霊夢や霧雨魔理沙が現れてから気がつかされた事実である。環境はヒトを変える。
狂っていようと、妹だけに罰を与えるのはフェアではない。そう、考えるようになった。
「……だからこそ、私も多少は苦労して、罰を受けようかと思うわ。吸血鬼が罰を好きで受けるなんて、滑稽だけれど」
「はぁ。良くは解りませんが、特殊なプレイがお好みなんですか?」
「ふふ、察しの悪いメイドね」
小難しい事を考えたが、レミリアも半分くらいしか理解していない。ただ兎に角、妹に対する感情が難解で、自分でも
今一はっきりしない例えになってしまっていた。レミリアはもう少し勉強しようと決意する。
「お嬢様、脳内の思考なんて私にはわかりません。日本語でお願いしますわ」
「紅魔館超絶美少女レミリア☆スカーレットお嬢様の細腕奮闘記~湯煙美人は死のセプテット旅情行きずり人妻の酔い
どれ刑事革命的レミサク派~」
「長いですわ。短縮を求めます」
「れみ りあ う~☆」
「まぁ素敵。はいお空に向かってもう一回」
「れみ りあ う~☆」
う~☆ う~☆ う~☆
星の瞬く夜空に超絶美少女レミリア☆スカーレットお嬢様の声が木霊した。木霊した木霊も恥ずかしかったが、犬小屋
の美鈴もなんだか知らないけれど、犬耳と犬シッポを震わせながら凄く恥ずかしかった。不幸があった所為でなったこ
の格好も更に恥ずかしかった。
「でも、本当に頑張れます? お言葉ですけれどその、お嬢様は努力はお嫌いでしょう」
「(え? 伝わったの?)な、何言っているの。罪と罰は表裏一体。そして主と従者は一心同体よ」
「お嬢様、大変うれしゅう御座います。紅茶とビンタは如何です?」
「まぁ咲夜ったら瀟洒ね。たまにはそういうプレイもいいかしら」
「完璧で瀟洒ですもの。なんでも御座れですわ」
紅魔館は今日も(咲夜のレミリアへの迫害で)楽しそうだった。
1 はじめてのおちゃかい
翌日の昼。悪魔の妹はそれはそれは嬉しそうに、悪魔に似つかわしくない程のひまわりのような笑顔を湛えていた。昨
晩の間に咲夜がレミリアのワガママをハイハイと聞き、博麗霊夢と霧雨魔理沙をお茶会に招くと通達。二人はなんで私
達が、と味噌汁を啜りながら否定したが、咲夜は米びつに黒かびを混ぜると瀟洒に脅してかかり、二人は快く招待を受
けたのだ。
普段一日妖精メイド程度しか同じ時間を過ごした事がないフランからすると、姉の意外な提案は心躍るものがあった。
「アイツも面白い事考えるのね。でも……ねぇ咲夜、お茶会ってつまり、みんなで御茶を飲みながらだらだらと他愛も
無く意味も無くくっだらない話を垂れ流す、不毛極まりないものだってパチュリーから訊いたのだけれど?」
「姉君をアイツ呼ばわりしてはいけませんわ。パチュリー様は魔理沙を取られてご立腹なんですの。実際のお茶会とは
つまり高貴な人々の嗜み。実はヨーロッパ辺りで結構最近流行ったなんて話は那由多の彼方にすっとばし、兎も角談笑
に花を咲かせながら優雅に紅茶の味を楽しむ、他人の腹を探るには丁度良い催しです」
「素敵ね。さり気無くそこはかとなく人のお腹を探っても良いのね?」
「リアルに探ると、魔理沙辺りがリアルに爆発して表現に窮する事態になりかねませんのでご容赦くださいね」
「楽しみ、楽しみねぇ。魔理沙と霊夢、早く来ないかしら♪」
モブキャップを乗せた薄く黄色い髪をゆらゆら揺らし、フランは落ち着き無く椅子の上で飛んだり跳ねたりしている。
レミリアやパチュリーともたまにお茶を飲むが、来客とお茶をするのは初めてだ。
レミリアはせめて客間でさせたいと咲夜に”命令”したが、咲夜はそれを笑いながら却下。薄暗い地下室でのじめじめ
したお茶会とあいなる。レミリアの気持ちも解らなくは無いが、咲夜としてはやはり心配があった。
「る~る~おちゃ~かい~♪」
しかしフランはそんな事はどうでも良いのか、笑顔も崩さない。この端は暗くて視界が届かず、様々な形容し難い物体
がゴロツク部屋こそがフランの部屋なのだ。本人からすれば客間よりしっくり来る接客室だ。
「私の部屋でお茶会よ咲夜」
「えぇ、嬉しそうですねフランお嬢様」
「そりゃあもう♪ あ、」
その瞬間、部屋の入り口付近にある石像らしき何かの頭が弾けとんだ。咲夜はそれを笑って流したが、心中はヒヤヒヤ
である。
幾ら咲夜に時を止めるだけの人外の力があろうと、相手のアクションが見えねば対処出来ない。攻撃に転じる、感情を
此方に向けるなどの兆しが無い攻撃は、咲夜の天敵だ。本来フランが危険とされるのは、その有り余る力の受け皿が小
さい為に漏れ出した感情の余波とでも言うべき突発的な破壊活動が原因だ。フランは、その力の捌け口として物を壊し
ている。悪意はなく、自然体で、何時でも発揮される力である為に咲夜が理解しようとも不可避だろう。
間違いなく幻想郷指折りの能力だ。
それを考えれば、ある意味レミリアより勝機が薄い。正味の話、このぶっこわれた少女とたびたび弾幕を張り合う二人
はバケモノであると咲夜は思っている。
「フランお嬢様……」
「ちょっとはしゃいだだけよ」
丁度タイミング悪く、石像の首が入り口前に落下。
「はは、は、めめめ、メイドちょ、おお、おふたりががががががが」
入り口の妖精メイドは足元をガクガク震わせて半笑いになっていた。
「はいはい。美鈴には攻撃しないよう伝えてあるわ。通して……」
「咲夜、それは私が言うの。メイド、二人を通しなさい?」
「かか、かしここまままままりりりますた」
どうやらバケモノ二人が到着したらしい。遠くからカツカツと石段を降りる足音が聞こえる。
フランが暴れても大丈夫なように設計してあるこの地下は咲夜の能力もあり面白いほど広い為、まるで地下ダンジョン
に迷い込んだような感覚がある。
フランは笑顔で、咲夜はあんまり瀟洒じゃない表情を浮かべてそれを待つ。
「くらっ!! ひろっ!! 私の声うるさっ!!」
「あー、魔理沙五月蝿いわよ。初めてじゃないでしょうに」
重たい扉を妖精メイドが開く。とうとう二人は悪魔の城の最深部に到達した。とはいえ勿論緊張などしていない。して
いるといえば、咲夜くらいだろう。魔理沙は紅魔館をトレジャーハンティングする癖が染み付いているので今更である
し、博麗の巫女は元より恐いものなど一つもない。
「いらっしゃい二人とも。さ、こっちいらっしゃいな?」
「おお、貴族っぽいなフラン。でもここは地下牢だぜ」
「なんでもいいわよ。咲夜、甘いもの」
「人の家にきてなんて卑しさ。だから謂れの無い噂を立てられるのよ、貧乏だって」
「さーくやぁ。優雅じゃない」
「失礼あそばしちゃいましたわ、おほほほ」
丸いテーブルに真っ白なテーブルクロス。豪華な燭台の上で蝋燭がゆらゆら揺れる。広い部屋の中心の一角だけが、茶
会の会場特設ステージとなっていた。霊夢がアンティークポットを高そうねと言い触ろうとしたが咲夜がこれを阻止。
魔理沙がこのアンティークカップ綺麗だなと懐に仕舞おうとするのを阻止。咲夜早速大活躍だ。
そんな咲夜を観て、フランは不思議そうに声をかける。
「咲夜、貴女は混ざらないの?」
「わたくしは奉仕者ですわ。どうぞ、お三方ごゆるりと」
「流石メイド、超便利だぜ」
「それはいいけど、フランとお茶会だったのね。てっきりレミリアかと思ってたわ」
そこへ紅白が一言。ご尤もな話である。二人はお茶会、としか咲夜から聞いていない。メイドに案内されてつれてこら
れたのは地下であった為不自然に思ったのだろう。咲夜の理論から行くとそんな事はどうでもいいのだ。お茶会なんだ
からお茶会である。当然、巫女も意外にどうでもよかったが、念のためだ。
「霊夢はレミリアがお気に入りなんだぜ」
「ち、違うわよ馬鹿」
「お姉様は良く貴女の神社に行くって聞いていたけれど、まさか二人で」
「ちーがーうーったら。そんな事よりほら、このクッキー美味しい。いいわね、こういう嗜好品が作れる環境があって。
ほら、フランも食べなさいよ」
墓穴を掘ったらしいので無理やり話を変える。巫女は陽気で幸運だが、言葉の突っ込みには弱いらしい。魔理沙はしめ
しめと手にメモ書きする振りをしたが、ドたまに御符をぶち込まれて数秒気を失った。
「―――あら本当。これは誰が?」
言葉をそのまま受け取ったらしいフランがカゴの上に綺麗に盛り付けられたクッキーを手に取って、一口小さな口へと
運ぶ。普段から食べてはいるが、言われてみると違う気がしたので咲夜へと問う。
「……聞くも涙、語るも涙のお話ですわ、フランお嬢様」
「お話のネタにはなりそうね、聞かせて?」
「―――はっ。えぇと、このクッキーに逸話か。逸話ってよりはなんか寓話とか漫談とか混ざってそうだぜ」
早速お茶会と言うよりはただの雑談のようになってきた「優雅なお茶会」だが、当然ここの三人は気になどしない。
それはそれは、とても悲しい話であった。それはつい数時間前。
「咲夜、私、お菓子を作るわ」
「紅魔館に第一級非常事態宣言を発令。繰り返す、第一級非常事態宣言を発令。調理場付近を体感距離にして半径五十
メートルを立ち入り禁止区域とする。全メイドに通達せよ」
「あいあいさー」
これで察していただけると思う次第である。現在調理場は散々たる有様で、修復には半日かかるかもしれない。
「うう……妹の為に命を投げ出されたお姉様に黙祷ね……ポリポリ」
「泣けるぜ、なぁ霊夢? ポリポリ」
「やっぱり料理は出来ないわよね。根っからのお嬢様だもの。人間じゃないし。ポリポリ」
「結局私が作り直しました……がっ! がしかし! このクッキーにお嬢様の、レミリアお嬢様の熱意と失敗作のひと
かけらが篭っているという事だけは、評価して頂きたいっ!!」
咲夜は叫んだ。浴槽から溢れ出たお湯の如く涙を流しながら。
「まぁいいわよ、咲夜。御茶」
「はいはい」
それでも即座に切り替える辺りが咲夜である。メイド長はカッコイイのだ。
結局それから、他愛も無くくだらなく不毛な会話が続けられる。昨日はパチュリーの秘蔵本を手に入れたんだが、妙に
薄くて24Pしかなくて、でもフルカラーである意味笑えたなんて話、お姉様は昼頃突然起きだして咲夜の布団に潜り
こみ、夜にはあられもない姿で、自室で簀巻きにされていたなんて話、昨日賽銭箱を開けたら子供銀行円が入っていて
それに激怒して一騒動起そうとしたらスキマに落とされたなんて話。
大概色々ツッコミどころがあって咲夜も制止したいのは山々だったが、あまりにもフランが面白そうにしているので、
止めるに止めれなかった。
それに、笑っている間は要所要所で爆発やらがあったが、何時もより大人しく控えめであるようにも感じられた。問題
が起こりそうにもなく、それだけは咲夜を安心させてくれる。
「でっさぁ。咲夜がパッドなんだろって門番に聞いたら、あれは本物です! ってキレたんだよ。どうやって確認した
のかって問い詰めたらアンタ、ふひひひひひひ」
「やぁだ。触ったのかしら。なんだかイカガワシイわね。咲夜、御茶」
「霊夢、アンタは幻想郷の水を飲み干すつもりかしら」
「違うわよ魔理沙も霊夢も。きっとパッドかって聞かれたら本物ですって答えるように調教してあるのよっ」
「あひひひっ、はははっ!! さくやメイドちょがパッド……パッド長!! はひひひひっ」
「何、なにそ、は、はふ、あははっ!! なにそれぇ」
「魔理沙、あっは……さいてー……ぷっ、あっはははははははははははッ!!」
「(ビキビキィ)」
少女憤慨中。
でも咲夜は完璧なのでブチギレたりしない。お前等こそ誇るほど無いだろう、と思っても口にはしない。メイド長は素
敵なのだ。キレたりはしないが、魔理沙の帽子にナイフを二、三本突き立て、霊夢の腋の産毛をそり落としたりはした。
(まったく……)
女三人よれば姦しいとは言うが、典型である。意外にも三人の相性は良いのか、口も止めずに喋くり垂らしている。内
容はひどいが。とても美しくないが。
額に眉間に寄る皺を強制的に引き伸ばしながら、咲夜はこの地獄の談笑を堪える。
「はぁ……咲夜、紅茶おかわり頂戴……ふふ、霊夢ってホント……えぇ? そうなの? 外ってそんなに?」
「はい」
一方フランはといえば、兎も角、面白かった。何が面白いかといえば話の内容は半分程度で、顔見知りと御茶を飲みな
がら一緒にいるのが単純に嬉しかったのだ。相槌を打ちながら、自分の知っている微々たる知識と記憶を言葉にして、
目の前の二人と会話を交す。先ほどから自分の能力のお陰でドカンドカンと部屋のあちこちが爆発しているが、この二
人は意に介さない。
……決して、意図して壊したいなどとは思っていないが、楽しすぎて思わず目の前の二人を破壊してしまいそうなのだ。
それを、ずらす。ずらして破壊する。可笑しそうに腹を抱えて笑う二人を破壊せぬよう、気が引かれてターゲッティン
グしてしまう二人から意識をずらし『目』を握って潰す。
最初は意識的にやっていたが、会話がヒートアップするにつれて慣れてきたらしく、半分無意識でも握る『目』の対象
をずらせるようになっていた。
(少なくとも、ここならフランお嬢様もこの二人相手に話くらいは出来る……みたいね)
狂っていると評される事が多いが、かなり偏見が多い。姉ですら多少偏った見方をしている。それは咲夜や美鈴にも適
応される思い込みだ。
見た目は姉と変わらぬ年頃の少女に見えるが、如何せん姉よりかなり精神年齢が幼い。言葉の節々はしっかりしている
し、幼いと言う割にはしっかりしているようだが、それはそのような印象を受けるだけの話であって、中身はやはり幼
女と相違ない。
こういった頃合の子供に必要なのは、親の教育と『友達』とのコミュニケーションだ。レミリアも察していたのかもし
れない。子供は好き勝手遊ぶ。家にあるものに落書きし、モノを壊す。そして近所の子供達との遊びや、幼稚園や小学
校などといった小さなコミュニティーに属する事により、何をしてはいけないか、何をしたら嫌がられるかを学ぶ。
そう考えれば、フランの力は過剰だが、通常の外を知らない子供と何の変わりがあろうか。
姉のレミリアスカーレットは、ある意味で今まで過保護すぎた。
勿論、幻想郷にいるからこそ出来るようなものであるが。
「はぁ……ふぅ……は、初めてこんなに喋ったかも」
「お前、なかなかノリいいじゃないか。何で表に出れないのか不思議だぜ」
そこで魔理沙の空気が読めない魔法が発動する。しかし、ここは完璧メイドのフィールドだ。魔理沙の真空発言を踏み
台にして話を繋げる。
「今回二人に来てもらったのは、その事についてよ。フランお嬢様は外の世界もまだお知りにならない。突如外に出て
しまうのは、不安でしょう? だから貴女達には協力してもらいたいのよ」
「はぁ。やっぱりそう云うこと。あちら此方ぶっとんで壊れてるけれど、私達には被害ないわね」
「……」
フランの表情が一瞬曇る。しかしここで魔理沙の空気を読む魔法が発動した。奇跡である。
「フラン、そんな顔するなよ。人間だって妖怪だって、初めての事行き成り出来たりはしないんだ」
「あら、私は初めてで何でも出来たけれど……」
「天才は引っ込むといいぜ霊夢。フラン、コイツは特殊だから信じちゃダメだ。一応お前がどんな風に会話するのかは
観察してたんだぜ? お前、壊す対象ずらしてたな」
「えっ、あ、うん……」
「壊すのが止められないならまず抑える事よりお前の今の努力が懸命だと思うぜ。その後で抑える事をならして、抑え
られるようになったら、外に出ればいい」
魔理沙にしては良く出来た発言に、霊夢と咲夜は少し驚く。フランはその言葉を受けて一瞬顔を上げたが、また直ぐに
シュンと俯いてしまった。
「そうですわフランお嬢様。ムカツキますけれど魔理沙の言う通りです。微力ながら、協力いたしますから」
「あの……その……それは嬉しくて、それはそれでいいのだけれど………」
「なんだ?」
フランは……再び顔を上げて三人を流し見てから、顔を伏せる。それを何度か繰り返す。何か言いたげだが、どう言っ
て良いか迷っているように見えた。
心中を察するに―――
フランは人間など本当に最近初めて見た。十六夜咲夜はメイドという種族だと思い込んでいた。自分と同じような形を
したものとここまでの会話を交すなど、これもまた初めて。
家からは殆ど出ない。遊び相手はひしゃげた人形だけ。パチュリーの魔法のお陰で、許可がなければそうそう動き回る
事など出来ない。一応文字は書けるし、言葉も喋れる。しかし暇潰しにと読む本は、あまりに現実味が無くて理解不能
のものが多かった。
その中でも気になった単語がある。それは、親しい者同士が定期的になれあう事を示すものだ。
「こ、これで。その。あのね?」
「なんだなんだ大人しくなっちまって。キモチワルイゼ」
「と……」
「と?」
三人が首を傾げる。そして出てきた単語は一つ。
「友達って……これで私達、友達かしら?」
三人は、何の脈絡もないその発言が妙に可愛らしかったらしく、耐え切れずに爆笑した。
※※※
二人が帰って直ぐ。フランドールは寝そべり、豪華に彩られたベッドの天井をじっと眺めていた。ふと視線を移し、遠
くにある石像の頭の『目』を握りつぶす。石らしい音も立てずに、コナゴナになり粉塵として空中へと舞った。
別に意味はない。何となくである。あの三人の面白可笑しそうな顔を思い出したら、壊したくなったのだ。これは嫌悪
や憎悪から来るものではなく、喜びから来るものであると、その幼い精神が理解する。
四人で喋っていた今日のお茶会と言ったら、楽しくて仕方が無かった。三人を思い出すと感情が高ぶる。
あんなに楽しかった事が今まであっただろうか。真っ当に取り合ってくれた者など今まで居ただろうか。姉すらも忌避
する自分と、ああまで親しくしてくれる者が居た事が、快感で仕方が無かった。
くすくすと笑いながらシーツを掴み、異形の羽をパタつかせながら、悶える。嬉しい。どうしようもないくらいに。
「あははははははははははははははははははははははははははははッッッ!!!!」
思わず笑ってしまう。その声でメイド数人が気絶した事は言うまでも在るまい。これが、狂っていると言われる所以の
一端を担っているのだが、当然当人に自覚はない。
感情を押し殺す事無く嬌声を上げ、感情を爆発させるのは子供には良く有ることだ。そこを、今一紅魔館の人々は理解
していない。
フランの孤立は、この無理解から来る。
こんなにも可愛らしい少女が、相応の扱いを受けていない事に誰かは悔しがった。そして泣いた。
兎も角として、これで第一歩である。自我とは己を自覚する事が初歩であり、それを踏み外すと行ってはならない方向
に性格が歪んだりする。フランの第一歩は大分出遅れたが、過去を悔やんでも未来など来ない。今は今を見るべきこそ
が妥当である。
その出遅れた第一歩は、順調な滑り出しを見せていた。
フランの成長は、今咲夜の双肩にかかっていると言えよう。フラン本人を含め、これに関わった者全員が一筋縄にいか
ない事は覚悟している。フランはずっとこのもどかしい能力と生きてきたのだし、咲夜は何度も物や者が破壊される現
場を見ている。魔理沙と霊夢とて、フランがどれだけの力を有しているか、身をもって知っている。
これから自分自身を、これから自分に関わるヒトや妖怪がどれだけ受け止めてくれるかは不安だ。
けれど今は、少なくとも今この時点では、フランは最高に機嫌が良かった。
「あー……ふふ、明日は来てくれるかしら。来るわよね、咲夜の話では二人とも暇らしいし」
そんな事をぼやく。一生暇だと思われた自分の人生で、これまた初めて「明日が楽しみ」などと思考する脳があった。
意味も無く跳ね起き、また倒れる。また跳ね起き、スプリングをギシギシ歪ませながら、ベッドで飛び上がる。そこに
あるのは、少女にしてはあまりにも魅力的過ぎる、人をとろかすような美しい笑顔である。
「貴女達も意外と気を使うのね。話題、フランお嬢様にも解るようなものばかりだったし」
「お茶会に呼ばれたんだ。主役をコケにするような真似をするほど愚かじゃないんだぜ」
「あらそうだったの? 私は普通に話してたつもりだけれど」
「お前は普通に歩いていてもワープしたりするからな。天然なんだきっと」
「私は真っ直ぐ歩いてるわっ」
フランが狂喜乱舞している頃、夕暮れの門の前に佇む三人の姿があった。本日の総括、と言ったところだろう。一応事
前に配慮はしてくれと二人に頼んだ咲夜だったが、こうまで上手くやってくれとは思ってもみなかった。調度品数点を
壊したのみで実質的実害は無し。フランも順調であると受け取れる。
霊夢の心持ちは何も変わらず普段通り、脅されて屈したと言うよりは、紅魔館のお菓子が食べれると言う理由が強かっ
たので来て見た、というだけ。魔理沙の心持ちは幾分か違い、博麗家の米びつをカビに侵食されるとおまんまが食い挙
げになってしまうという心境からと、レミリア何某が呼びつけるとはどんな事なのか、という好奇心があった。
霊夢は常に何も考えずとも空気は読めるので普段通りだったが、魔理沙は違う。いざ訪れてみればフランとのお茶会だ
と言うから驚きだった。
これは育ちが違うからといった側面が強く、元より霊夢は何物にも縛られない。
霧雨魔理沙は勘当された身だ。自分から飛び出したとはいえ、疎外感を感じなかった訳ではない。
フランとは人生の差異さえあれど、それなりの同情は出来る立場にいる。
「しかし、レミリアも異な事を考えるもんだ。いや、正解かもしれないけど」
「正直、驚きだわ。私も最初は反対したのよ。だって、本当の事を言ってしまえば、危ないんですもの」
「それはそうね。私は別に大した事なかったけれど、やっぱりほかの奴より弾幕も凶悪だし」
霊夢は素っ気無く言い、髪を弄りながら適当にする。魔理沙は少しだけそれが憎たらしかったが、溜息一つ吐いて話を
戻す。
「それで、わざわざ門まで見送りってのは可笑しいと思ったけれど、あれか。明日も来いと?」
「察しが良いのね」
「私はちょっと。今日はお掃除サボってしまったし、明日はやらないと」
「常にサボってるくせに」
「五月蝿いわね。マイペースでも一応ペースなの。ペースは守るのよ」
「ご立派な持論だ。私はいいぜ、咲夜」
「魔理沙にしては聞き分けが良いのね。まぁ、私と貴女でも大丈夫でしょ。社会教育係にしては大雑把だけれど」
「アイツの存在が大雑把なんだ。こっちだって大雑把でも構わないさ」
「そう。じゃあお願いね」
「あぁ。レミリアも努力しろって伝えてくれ」
「話したでしょう。お嬢様も努力はしているの。実らないだけで」
魔理沙がじゃあ、と手を挙げる。咲夜もそれに答え、二人は紅い夕焼けを背にして飛び立った。
咲夜はほっと胸を撫で下ろす。霊夢はいつも通りだが、魔理沙はノリ気でいる事に安心感を覚えた。何せ長時間フラン
と一緒にいると言う事自体、咲夜もあまり経験がない。二日目で早速誰もこなくなってしまったらどうするべきかと悩
む所であった。
魔理沙は来ると言ったが、しかし少しばかり心もとない。今から後々の為に策を練らねば、と顎に手を当て考える。
夕日がカマボコに見え始めるほどの時間程度思考を錯綜させた所で、一つ思いつく。
「明日は明日の風が吹くわ」
思いつき以下であった。
「とはいえ明日魔理沙だけってのもあれよね。美鈴、美鈴?」
返事はない。門に居るならば当然門番が居ても可笑しくない筈だが、霊夢と魔理沙が出て来た辺りから姿形が見当たら
ない。咲夜は目を瞑り精神を統一する。数呼吸置いてから、狙いをつけた部分に思い切りナイフを投げつけた。
「はひっ」
「隠れるとはいい度胸ね美鈴」
非常に見え難い、紅魔館を囲う壁と壁の隙間に紛れていた美鈴に突如放たれたナイフが帽子に刺さり、犬耳をぴくぴく
させる。妖怪なので刺さっても死なないが、痛いのは矢張り嫌だ。
「そんな……気は完全に消していたのに」
「修行が足らないわ。何せ私は完璧メイドですもの」
「どんな理論なんでしょうか」
「イニシャルS探知最速理論」
「今度はおっぱい理論の時みたいに破綻しませんかね」
「さぁ。今考えたし。それで犬美鈴。何故隠れていたの」
「本当にそれを聞いているなら、咲夜さんは鬼です。悪魔です」
トボトボと咲夜の前に現れた美鈴は犬であった。華人小犬紅美鈴。咲夜の顔が思わずにやける。
どうしてこんな事になったかなどという問はあまり意味をなさない。何となくである。なんとなく、パチュリーの魔法
が失敗したり、そんな感じで犬耳なのである。咲夜は犬が好きだ。
「明日、フランお嬢様のお茶会に付き合いなさい。あまり貴女も顔は合わせないでしょう?」
「この前外出して以来ですけれど……えぇ? そんな、恐れ多いです、恐れが多いので辞退したい次第です」
「ダメよ。犬。躾がなってないわね。ご主人様の命令は絶対よ」
「いつからごしゅじ……わんわん」
否定しようとしたところで首元にナイフが来る。とんだご主人様もいたものだ。
「うう。パチュリー様が魔法さえ失敗……いや、咲夜さんが交しさえしなければ……」
「何よ、私が悪いって?」
「ちがいますわん。ゴシュジンサマダイスキ」
「くくく、シッポまでふっちゃって。なんてイヤシイ子なのかしら……」
異常なまでに嗜虐心をそそる美鈴に、咲夜は色々と感極まってしまっている。話が進まないので、進めたくないが美鈴
から切り出す事にした。
「それで、なんでまた私なのでしょう。霊夢や魔理沙に許可は取れなかったんですか?」
「語尾はわん、よ」
「取れなかったわん?」
「魔理沙しか取れなかったわ。だから埋め合わせ。フランお嬢様は明日も朝ご起床になるから、貴女も合わせなさい」
「わかりまし……解ったわん……」
「ゾクゾクゥ」
美鈴は泣いた。理不尽な扱いに。なんかもう紅魔館の警備とかどうでも良くなる位悲しかったが、咲夜の見下す目線を
受けると、なんだか従わなきゃいけない気がしてならなかった。美鈴は変なものに目覚めてしまったのかもしれない。
殊美鈴に置いてのカリスマを感じる度合いは、レミリアより咲夜の方が現段階で強いらしい。
「素直ね。いいわ、犬は従順でなくっちゃ」
「くぅ~ん、くぅ~ん」
「泣くんじゃないわよこの雌犬」
「きゃわんっ」
方向性を見失いかけた辺りでもう日はさようならを告げていた。咲夜はハッと気がつき、取り敢えず己の愚かさを恥じ
たが、美鈴を観るたびに、意外と愚かじゃないんじゃなかろうか、などと思ってしまう。
「ま、まぁ。明日のタイムテーブルはもう書き換えたから、休暇だと思って楽に付き合いなさい」
「しかしその、どのように接すればいいものでしょうか」
「紅魔館内であった事を話のネタになさい。それ以外は私や魔理沙が適当にするから」
「はぁ。趣向は解りましたが、何故?」
「そのちっさな妖怪犬脳で考えなさいよ」
「……?」
「じゃ、宜しく」
そこまで言って、咲夜は館内に戻る。不安は山ほどあるが、不安を他人に悟られるほど垢抜けないメイドではない。
考えるべきは幾つかある。
フランの能力こそが一番の問題だが、門番詰め所をぶち壊して以来反省からか、外に出るとは言わなくなっている。レ
ミリアにしこたま叱られた所為であろう。
それと、このお茶会を継続的に行わなければならない。すると人員がマンネリ化しかねないのだ。今のところ候補とし
て上がっているのは、気心の知れていそうなパチュリー、それとおまけの小悪魔、紅魔館をたびたび訪れるアリス辺り
もそうだろう。
外が如何に良い場所かを会話の中で伝えるのではなく、外に出るとこんな事があるかもしれない、あんな面白い出来事
が待っているかもしれない、といった期待を抱かせる事が重要だ。
ただ外の魅力を教えても全く意味が無い。外に出る為にはどのような努力が必要かを知らせねば本末転倒なのだ。
今日のお茶会だけで、フランは能力の『いなし方』について少しは考え始めている。この行動を生かして行けば、恐ら
くではあるが、今までより数段危険ではないフランドールスカーレットが育つ可能性がある。
難題ではあるが、無理ではないはずだ。何せレミリアの妹なのだから。どれだけ強い力を持っていても過信せず、それ
に操られる事なく生きて行く術を、フランは手に入れられる。
「どうしましょう……美鈴、犬耳似合いすぎだわ……ふ、ふふ」
瀟洒で完璧な十六夜咲夜は、鼻血をダラダラと垂らしながらフラン教育プランを設計をしていた。
2 お嬢様、釜に直接まるまる人を詰めてはいけませんわ
超ハイクオリティハイスペックな才色兼備容姿端麗究極お嬢様ことレミリアスカーレットは、始祖ツェペシュに誓い、
巫山戯ている訳ではないのだ。血縁関係なんかないじゃんとかそんな事はどうでも良くて、兎に角何かに思わず誓って
しまう位、巫山戯ているのではない。
何がいけないのか、顔が小さい分小さな頭で考えるも、答えは出ない。ただ一心に、妹の事を考え、努力はすれど結果
は出ない。早速肩書きが破綻しているが、美少女なので気にはしない。レミリアお嬢様は可愛いのだ。
「お、お嬢様……ですから」
「えーと、塩をひとつかみ」
レミリアは溶けたバターの中にジャパニーズスモウレスラーの如く塩をぶち込んだ。
「あの……ですからね」
「これを泡立て器でほぐす」
恐らく全自動泡立て機もコンセントを抜いて逃げ出す程の速度で混ぜる。そこでボールの中身は弾けと飛び、飛び散っ
た中身が壁に衝突すると同時に四散した。壁が。
「……」
「咲夜、上手くいかないわ」
咲夜は頬にうっすらと血を滲ませ、半笑い。幾ら従者でもその笑顔は主にとってちょっと恐かった。
「な、何よ反抗的ね。これだから若いものは」
「れみりゃ自重」
「うー☆」
紅魔館は今日も素敵である。
本来なれば咲夜に習えばいいのだが、こればかりは苦労して作りたい、という申し出から咲夜も手出しはしなかった。
しかしそのお陰で調理場は地獄絵図と化している。辺りに飛び散ったバターや調味料。明らかに人では食せないであろ
う色をしたクッキーと思しき地球外”生命体”調理器具は泡立て機とヘラだけで三桁消費していた。
咲夜は思うのだ。クッキーを作る材料から生命を生み出すレミリアはある意味天才であるのだろうと。だがそれではク
ッキーは作れない。レミリアは今も懸命にパチュリーが書いた料理本を片手にお菓子作りに勤しんでいる。
「パチェの本がいけないのかしら」
「パチュリー様にしては、ごほん。真っ当に書かれていると思いますわ」
「じゃあ何故かしらね」
「わ、解りません? 本当に?」
「理解不能よ」
咲夜は次の就職先を何処にすべきか一瞬悩んだが、顔中クリーム塗れのレミリアお嬢様がそれを掬って舐める仕草を見
て、必ずこの紅魔館を手中に収めると決意を新たにする。
「ほんとーに、ほんとーに手助けは要りませんか?」
「い、要らないわ。私は努力すると決めたの。さっきの話は本当でしょう?」
先ほどの話。つまり昨日のフランの経緯全てだ。多少咲夜の見解が混じっているが、大方その通り伝えてある。
フランは普段とは違う事柄に触れて新しい道を導き出そうとしている。能力に振り回される事がどれだけ不便かを、身
をもって知り始めている。それを今後どう手助けして行くべきか、どのように努力させるべきか。
それを聞いたレミリアは、やはり驚いたらしい。
「だから尚更なの。あの子はあの子で皆の助けを借りながら成長して行けばいい。私は私で、妹の為に努力もしてこな
かったのだから、一つの事柄に対して真剣に取り組んで努力してみようと思うのよ」
「なら、フランお嬢様に直接通じる事で努力なさったほうが」
「それではダメなのよ。今更、どんな面下げて妹の教育に力を注げって言うの」
姉なりのメンツもあるらしい。
「でも何もしない訳にはいかないわ。だからこうして、間接的に……謝罪と努力を伝えたい」
「受けるのは罰では?」
「誠意よ、誠意。誠意が無ければ罰なんて幾ら受けても変わらないの。それを見せてから、罰は受ける」
「……お嬢様のお考えは深遠ですわ」
「伊達に長くは生きていないわ。咲夜、地下から人肉取ってきて」
「お嬢様、クッキーに肉は使いませんわ」
「え、でもこのページに」
「お嬢様、それは人肉のミートローフのページですわ」
「れみりゃ、うっかり☆」
「……」
咲夜は打ち震えた。ご主人様の馬鹿さ加減に。だがそれがいいと超肯定する。否定するものに瀟洒な死をくれてやる覚
悟はもう出来ている。
しかし……と思う。この調子ではまともに食べられるクッキーが出来る確率は宇宙で人間の住める星を探すに等しいも
のがありそうだ。では時間を止めて作っている間にすりかえるのはどうだろうか。
「咲夜、すりかえないで」
気がついているらしい。でもそれなら何か間違っていると気がつきそうなものだが、お嬢様はそこまで考えが至らない。
別にレミリアが本物の⑨である筈はないのだが、殊料理となると勝手が違うのか、絶望的にセンスがない。
何故料理本通りに作れないのか、改めてパチュリーの書いた本を確かめる。
「お嬢様、お嬢様」
「何かしら」
「これ、どうやら時間が経つ毎にページの内容が入れ替わるみたいです。これ、ほら。九〇㌘が何時の間にか二㌔に」
「まぁ本当。パチェも変な本を書くのね……」
(それ以前に内容を真に受けるのもどうなのよ)
所詮パチュリーの本である。これを信用しようと言うのが全ての間違いだったか。
「えーっと、砂糖を70㌘二回に分けて混ぜ……」
調理場に散弾銃を撒き散らした如く、バターが兆弾した。本ではない。
やはりレミリアこそが原因である。
「まじ、ほんと、もう少し加減して」
「やだわ、咲夜。私のお料理テクニックは108式まであるのよ」
「いらんいらんいらん」
レミリアお嬢様のクッキー作りは、このままでは熾烈を極めるだろう。こうなってしまったレミリアを止める術を咲夜
は持っていない。プライドが高い上にメンツは絶対。メイドに出来る事はだいたい、限られる。
「お嬢様、少しお茶にいたしましょう。物事継続させる事は大事ですが、休憩なくして成長はありませんわ」
「……そう、ね。調理場はこのままでいいわ。どうせ後でまたするし。片付けまでして、料理よ」
「ご立派ですわ、お嬢様」
それは基本的にスポーツの理論だが、レミリアはメイドに強く言われると結構素直なので承諾する。ここ二日、時間に
空きさえあれば調理場にいたのであるからして、疲れている所為もあるだろう。
咲夜はお嬢様の至る所に飛び散った黄色がかった白いあれを丁寧に拭き取ってから、レミリアの自室に導いた。
「不器用なのかしら、私」
咲夜に着替えを手伝わせながら、レミリアがぼやく。
「ナイフやフォークは普通に扱われているじゃありませんか」
「あれ、実は一番弱く触ってるのよ。それ以上力を入れると折れるから」
なんとなくゾッとする話だ。レミリアスカーレット及びフランドールスカーレットはその種族としての畏怖と、溢れ出
る超越的存在感、そして能力から恐れられる事が多いが、実質的にもっと恐ろしいのは、異常なまでの身体能力だ。
人間などとは比べ物にはならず、その他妖怪の中でも群を抜く馬鹿力。
特にレミリアの場合はまさに怪力と称するにふさわしい力を持っている。大には大に、小には小にで大幅に大まかに調
整は出来るが、ハンパになるとムズカシイという。
「慣れで御座いましょうね。お嬢様にもフランお嬢様にも、時間は沢山ありますし、そう焦る事でもありませんわ」
「とは言うものの、ね。フランの成長が早いのなら、私もそれにあわせなきゃならないわ。先ほどの説明通りに」
「しっかりと誠意を込めて、ですか」
「儀式みたいなものよ。勝手に進行してしまう儀式に、此方が段取りを合わせるの。フランが何時の間にか外に出れる
ようになっていても、私がクッキー一つ作れないんじゃお話にならないわ」
そういって溜息を吐く。レミリアなりに悩みであるらしい。椅子に寄りかかった頃には、もう既にお茶の用意がされて
ある。便利なものね、と再度溜息。
「いいわね咲夜は、何でも出来て」
「高貴なお方は何もしない事こそ美徳。仕える者は何でも出来る事が美徳ですわ」
「お嬢様をたてるのが上手ね」
「これも一重に愛です」
主たるもの何もする事無かれ。その威厳を維持する努力さえしていればいいのだ。何も気に止める事はない、と咲夜は
言いたいらしい。レミリアも主として長いのであるから当然弁えている事実だが、いざ何かしなければならなくなった
時に何も出来ないのは、流石にもどかしかった。
力の強い吸血鬼として胸を張り、人々を恐怖に陥れる悪魔としての罪を被るのが仕事。
それを考えると、幻想郷においてあまり機能しない威厳である。紅魔館秩序形成のトップを司って行くには今後がやは
り不安だ。姉も妹も、変化の時期に来ているのだなとレミリアは痛感する。
「……難しいわね」
「慣れで御座いますわ」
「変われるかしら?」
「貴女は私達の主。私達からすれば、神よりも仏よりも、偉いし凄いんです。当然出来ますわ」
「―――そうね」
腕掛けを指でトントンと叩きながら暫く物思いに耽っていると、咲夜が時間を気にしだした。吸血鬼からすると最近は
夜昼逆転の生活をしている為時間感覚が今一しっかりしていなかったが、考えればどうという事もない。先ほどから何
の為にクッキーを焼いていたかといえば、この時間に合わせて焼いていたのだ。
「魔理沙が来るのね」
「二日目です。霊夢も欲しかった所ですけれど、彼女なりに色々あるのでしょう」
「霊夢はむしろ私とお茶会すべきだと思うのよ」
「まぁ……この十六夜咲夜というモノがありながら……」
「えっ……?」
「えっ……?」
「と、兎も角行ってらっしゃい。私は適当に続けておくから」
「畏まりました。調理場にあります流水とニンニクにはご注意くださいね」
「えぇ。水は貯めてあれば大丈夫だけれど……でもなんでこの紅魔館にニンニクなんて」
「あ、魔理沙が来たみたいですわ。それでは失礼おば」
言いかけた所で咲夜は消え失せた。どうやら自分の知らない所で紅魔館は大分動いているらしい。主として労働者革命
を危惧しつつ、残りの紅茶をぐいりと煽ってから部屋を出た。
「それにしても、フランが順調なのは良い事よね。不安だらけだけれど」
自分に纏わる苦労は別に置いて、最近の思いつきが意外な成果を齎している事については素直に喜ぶべきだろう。こう
なれば紅魔館の防衛機能についても再検討しなければならない。これは紅魔館の外患ではなく、内患についての防衛機
能。フランが起す問題を解決する役割を担った者に相談すべきが吉だ。
防衛機能繋がりで思い出した外患用の装置を確かめようと、窓の外に目を向ける。丁度魔理沙と門番とメイドが三人何
かしら話し合いをしている最中であった。
門番に魔理沙の一撃。犬耳の華人小娘は豪快に吹っ飛んでいる。見直す必要がありそうだ。
それは良し、としてレミリアはまず調理場へ赴く。貯蔵庫を開け放ち―――
「ぶちまけろぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!」
何時の間にか大量に貯蔵されていたニンニクの袋目掛けてグングニルをぶち込む。さいっこうに嫌な臭いがしたが、気
分はすっきりした。これで暫くは武装蜂起される心配もあるまい。
「はン、所詮根菜ね」
ニンニクを見下し、次へと向かう。すれ違うメイドに対してカリスマを駄々漏れにさせながら廊下を進み、大図書館ま
で赴いた。
言わずと知れた知識の魔窟。大きな扉を開け放つと多少饐えた臭いがした。眼下に広がるのは幾層にもなる本の城壁。
階段を上り下りするのも面倒なので、飛び上がってパチュリーの居る場所まで行く。
「パチェ、居るかしら?」
「だ、ダメよこぁ、誰か来たらどうするつもり……?」
「大丈夫です、誰もきやしませんよこんな所……」
「あ、アリスや魔理沙辺りなら来るでしょ……やっ、やめて頂戴……」
「うわ、ここを開いたらこんなに……パチュリー様ったら……」
「嗚呼……ダメだって言ったのに……ほんとイタズラ好きね貴女は……」
「ふふ……解って使役しているクセに……」
「あんた等ホントそんな役割よね、パチェ」
「はひっ」
「あわわ」
パチュリーが常日頃から作業する机の下に二人は蹲っていた。何をしているのかといえば、机の隠し引出しをこぁが無
理やり開けているのだった。その中には妙に薄いカラフルな表紙の本が沢山あり、二人の周りにも広げられている。
ちなみに当然、印刷しているのは天狗である。文ちゃんにも大人気。
「ああああ、れれレミィ。何時からそこに。これは違うの、違うのよ。とてつもなく危険なグリモワールなものだから、
管理しやすいここにこう、隠すようにそこはかとなく大量にね、ねレミィ」
「別に……貴女の趣味に文句をつけるつもりはないけれど……ん?」
「そ、それはだめぇぇっ」
レミリアは足元に落ちていた物体を拾い上げる。それは魔理沙に似ていた。具体的に表現すれば、魔理沙に似たそれが
魔女服をはためかせ箒に跨る、という躍動感溢れた一品。酷く精巧に作られており、メイドインジャパンだと一目で解
る代物である。日本の技術は色々な意味で世界一であった。
「ううっこぁがいけないのよ……開けちゃダメって言ったのに……」
「嘘です。恥ずかしがっていたけれど喜んでいたくせに……」
「ああ、紅魔館大丈夫かしら……」
泣き崩れるパチュリーを哀れに思いながら、レミリアはそっと彼女を抱き起こす。そして耳ウチするのだ。
どこに売っているのかと。メイドと巫女はないのかと。
その瞬間、パチュリーは病弱っ娘とは思えない程の血色の良い表情になり、EXパチュリーも吃驚な速度で薀蓄を語り
始めた。これだけ喋れればロイヤルフレアの百発や二百発楽勝だろう。
―――レミリアは思う。きっとこれでいいのだろうと。
「……はぁ……はぁ……喘息治りそう」
「それは良かったわ。小悪魔、貴女はちょっと席を外して頂戴」
「は、はい。畏まりました」
散々たっぷり五分ほど無呼吸で喋り続けたパチュリーを宥め透かし、あいた椅子に腰掛ける。
大分脱線したが本題はこんな事ではない。
「ふぅ……さて、図書館にどんな用かしら、レミィ」
「貴女も咲夜も切り替え早いわねぇ」
「只者じゃ生き残れない、それが紅魔館よ」
「いやまぁ、主は私なんだけれど……あーっと、実はフランの事なのよ」
「妹様? ああ、たしかメイド達の間で色々うわさになっていたわね」
「えぇ」
大体の事情は把握しているらしいパチュリーに、取り敢えず咲夜から聞いた経過を報告する。野暮ったくて量の多い髪
を手櫛で解きながらパチュリーはそれをウンウンと聞く。
フランドールスカーレットを抑止する仕事を担っている彼女からすれば、当然レミリアの話は興味深い。
たった一日だけでも大分変化がある。この分で行けば、近いうちにフランは外に出れるかもしれない。レミリアは不安
と期待を入り混じらせながら話し、その都度パチュリーがああであるこうであると返す。
「つまり、妹様がその急激な変化に戸惑わないか、という事ね」
「そう。精神は子供よ。けれどね、やはり私と五歳程度しか違わないの。彼女は成長しなかったと言うより、成長を止
めていたと言うのが正しいわ。知恵もある。恥もある。けれど、新たに生まれた変化にどこまでついていけるかは心配
ね。五歳しか違わないにしても、やはり精神は子供なの」
「存在自体が矛盾のような精神構造だものね、妹様は。うーん。少なくとも、人に危害を加える事に関してはそこまで
懸念する必要があるとは思えないわ」
「あら、どうしてかしら?」
「貴女達吸血鬼っていう種族は、生まれながらの、純粋な吸血鬼。超越した力と能力を行使する悪の権化よ。そして悪
魔たるもの契約は絶対。この幻想郷において、吸血鬼は勝手に人を襲ってはいけないという契約がある。それは妹様に
も適用されるわ。万が一にでも人に危害を加える事はないでしょうし、妖怪を襲ったところで、幻想郷の妖怪がそんな
ヤワであるとも思えないのよ。ほら、例え美鈴だってバラバラになっても三日で直るわ」
「んー。けれどそれだと矛盾しないかしら? フランは霊夢と魔理沙に攻撃しないよう苦労したらしいけれど」
「霊夢と魔理沙が人間? あっは、私達より強い人間はそれは人間ではないわレミィ。確かに種族人間かもしれないけ
れど、あれは例外よ。人間は吸血鬼より弱い、という事を基調とした契約なのだから、吸血鬼より強い者には適用され
ないわ。貴女だって二人と、ルールありとはいえ弾幕ごっこできたでしょう?」
「まぁ、契約って随分ザルなのね」
「えぇ。杞憂よレミィ。手を出せる人間なんて限られるし、妖怪はそう簡単に死なない。それより危惧すべきは、単純
な破壊行動ね」
「そ、そうね。そう。パチェは頭が良くて助かるわ。私ったらあまり気が回らなくて」
レミリアは肩を上下させて溜息を吐く。流石パチュリー、知識に関しては自分よりも数段上だ。気がつかないところに
良く気がついてくれる。長い付き合いになるが、やはり良い友人を持ったものだと今更ながら嬉しく思う。
良く問題も起す友人だが、自分以上にフランや自分の事を考えてくれている。
「そうね、急激な変化への戸惑いはあるでしょう。それに伴う破壊活動も、少なからずある。けれどやはり子供って、
好き勝手やったり、肉親に疑問を持ったり、痛い目を見たり、失敗したり、叱られたりして、そして成長するんじゃな
いかしら。深層に溜め込んだストレスを受け取ってあげるのもまた、親、いえ、姉の役割じゃないかと思うのよ」
「なるほど……」
「でも妹様の場合、もっと深くに溜め込んでいるものがあるでしょうけれど」
パチュリーが、そこだけ意味ありげに一言加える。
「深くに? 普段から感じているストレス以外のものって事かしら?」
「解らない? ま、今は順調のようだけれど、何が切欠で爆発するとも解らないわ。子供は爆弾、ふふ、妹様の場合核
弾頭ね」
「受けきれるかしら、そんな訳の解らない爆弾」
「受けきれるわよ」
「根拠は?」
「貴女が姉だから。レミィ、さっきからその本当に不安そうな顔どうにかならない? ちょっと可愛らしいわよ」
「うっ……」
パチュリーに指摘されて気がつく。きっと咲夜にも見せない程の酷い表情をしていたのだろうと思うと、顔が赤くなる。
少し可笑しな奴だが、やはり良い友人だ。
「こんなにも心配する姉が居るのだもの、妹だってきっと解ってくれるわ」
「そう……かしらね」
「自信を持って頂戴。血を分けた姉妹じゃない。悪魔の血の繋がりとは人間の血の繋がりより数段濃いわ。心配なら直
接妹様に聞いてみてもいいんじゃないかしら。勿論、遠回しに、レミィが心配してるなんて感じさせない程度に」
「そ、そうね……有難う、また来るわ」
「えぇ、いつでも。レミィ、がんばよ」
「―――えぇ」
その言葉を受けて、心の中に蟠った良く解らない感情が少しばかり晴れた気がした。見た目は陰鬱だが、なかなかに陽
気な図書館だと、レミリアは認識を新たにする。
いい友人に、いい従者、面白い住人たちに、全てを許容する幻想郷。
その素晴らしさを、あの妹にも伝えてやりたい。
「さて、またクッキーでも作るか……加減できないのよねぇ」
それにはまず、誠意が必要だ。改めて妹に”姉”として接する為に、踏み台が必要だと、レミリアは思う。
パチュリーの提案は受け入れるかどうか迷ったが、妹の現状を直接聞く程度なんでもないだろうと考える。成長過程を
観察するのも、姉としては必要だ。
それでどう転んでも……きっと悪くはならないだろう、とレミリアは自分に言い聞かせる。
※※※
「今日はどうだったの、咲夜」
日も沈み、午後の部のメイド達が強制労働に草臥れ始める頃。テーブルの上座に一人だけ腰掛け、食後のお茶を啜りな
がら咲夜へと問い掛ける。発言に些か棘があるのは、クッキー作りが今だ上手くいかないのが原因だろう。
咲夜が夕食を作る為に調理場に入った頃には一応掃除はしてあったが、今までの比ではないくらい破損は目立った。現
在妖精メイド達が修復中であるが、おそらく明日にはもっと壊れているのだろう。
「はい。だいぶ機嫌が宜しいようでした。魔理沙とも仲が良いですし、美鈴を面白そうに弄っていましたし。耳とか」
咲夜は率直な感想だけ述べる。フランは昨日にも増して能力の扱いが上手くいっているらしく上機嫌。魔理沙の話を聞
きながらケタケタと笑い、美鈴を弄っていた。
「それと、これは私も驚いたのですけれど」
「何?」
「フランお嬢様は、美鈴に謝りましたわ。犬小屋にしてしまってごめんなさい、と」
「……あの子が? まぁ。門番に頭を下げたの?」
レミリアは思わず目を見開いて驚く。自分が思っている以上に、フランの成長具合が著しい。紅魔館の吸血鬼としては
どうなのか、と問われれば問題だが、悪い事を悪いと認めるだけの認識が出来る事を示している。
……意外、と言うよりは異常。鬱積としていたモノを解放するだけでここまで伸びるか。
「も、元より悪いと思えるだけの頭はあったのよね」
「えぇ。ですからあまり外に出たくなくなった。けれど、謝るのは進歩です。基本的にモノを壊す事に対しての罪悪感
は、薄いだろうと思っていましたが」
「弁えているわけね。誰から習うのかしら」
「……元から知っていたのでしょう。ただ、発揮する場がなかっただけで」
「……成る程」
いや、と考え直す。異常なのは自分なのだ。フランは何も凄くなどない。知識はもっているのだから。ただそれを実行
する舞台がなかった。部屋に閉じ込めていれば当然だ。
レミリアは後ろめたい気持ちもある。しかし、それよりも大きな気持ちが湧き上がるのだ。
期待。希望。長らく忘れていた妹への想い。考え。
それがレミリアの中で頭を出す。顔を覗かせる。外の世界を渇望する妹をワガママだと切り捨てた過去の自分が恥ずか
しい。
「咲夜……私は、間違っていたのよね」
「いいえ、お嬢様。お嬢様のご決断は、全て正解です」
「それは、従者として?」
「今良くなっているではありませんか。過去は振り返って学ぶ為にあります。後悔する為にあるのではありませんわ」
「長く生きているような事を言うわね貴女は」
「失礼しました」
「……そうね。いいのよ咲夜、貴女は良い子だわ。素敵な従者よ」
咲夜に視線を向ける。僅かだが、咲夜の表情に微笑みが見て取れた。
「フランの部屋に行くわ」
「お供します」
「いいの、一人で行く。聞きたいこともあるし、姉妹でたまには話したいわ」
「……あら、その包みはもしかして……」
「不恰好で、分量も間違えてしまったけれど、一応形にはなったから」
「お茶だけ、お持ちします」
「そうして頂戴」
手元にあるのは一包みのクッキー。何度か焼いて、食べれそうなものだけを幾つか見繕ってきた。ちゃんと出来るまで
は自分が作ったとは明かさない。姉は完璧でなければいけないのだ。
ただ、これを食べてどんな反応を見せるかは気になる。味見した限り、食べられないほどではないとは、自負している。
力の加減を思い切り弱めて作った為に、材料が混ざりきらず味がまばらで、膨らんでいなかったりするが―――。
「あら、お姉様?」
「フラン、ご機嫌いかがかしら」
「珍しい。ほら、こっちに」
光など一切差し込まない箱庭に、レミリアが足を運ぶ。フランは唐突な訪問に驚くが、機嫌は良いのでぞんざいには扱
わず迎え入れた。二人がベッドに腰掛けると、突如現れた咲夜がお茶だけを入れてすぐさま消え去る。ホント面白いメ
イドね、というフランの発言に、レミリアはただ頷いた。
「それで、どうされたのお姉様。こんな薄暗く気持ちの悪い場所に」
「そうかしら。吸血鬼にはお似合いで羨ましい限りよ」
皮肉を皮肉で返してしまった、と多少後悔するがこれも何時もの事。レミリアは些かばかり気を使いすぎて、普段なら
何でもない事も今は失言のように思えてしまう。
「そう考えると、それはそうかも……」
「な、何言ってるの。幾ら吸血鬼でももうちょっと明るくたっていいわ。今時の吸血鬼は日中外に出るのがトレンドよ」
「そっか。お姉様は霊夢に会う為昼間外に出るものね。苦しくないの?」
「日傘があれば。それに、私達ほど高等な吸血鬼なれば、日光なんてちょっとムカツクぐらいなものよ」
「痛くないのかしら」
「ちょっとよ、ちょっと。貴女もそのうち解るわ」
「……外は、その、羨ましいとは思うけれど」
出だしは悪かったが、上手く話には乗ってくれたらしい。フランもこの話題については興味がある。
憧れの外の世界。夜に紅魔館の庭へ出る程度ならば幾度でもあったが、紅魔館の外となると殆ど無い。昼の景色も、紅
魔館の窓から見える光景のみだけを知っている。
フランからすると、昼間の外など窓枠を額縁にした絵画に他ならない。それは確かに現実ではあるのだが、実体験がな
いのではやはり幻想と相違ない。
今日美鈴に謝ったのも、ほかならぬ自分の為でもあった。反省する態度は、誠意さえ見せられれば下心など誰も気にし
ない。昼の外へ出てみたい。夜の大空を舞ってみたい。
まさにフランは箱庭だけが生活圏、という隔離された生活を送っている。常に変化は乏しく、誰かが訪れる事も少ない。
「……霊夢も魔理沙も、ちょっと可笑しいけれど面白いでしょう」
「あれが人間。私、咲夜をメイドっていう種族だと思っていたわ」
「メイドとしか言わなかったから当然ね。そう、羽はないけれど、私達と同じような姿をした、モノを考える哺乳類。
始めてあった時は、どう思ったのかしら」
紅霧異変後。レミリアが雨のお陰で帰宅出来なくなった日の事。
良く喋るパチュリーの先にいたのは、自分という名の引きこもり。今でも脳裏に焼き付いている、自分を凌ぐほどの力
を持った人間二人。
自分が良く飲む、紅い血液を詰め込んだ袋……。
その二人は人間で、常日頃から食べているものの原型で、しかも面白いものだった。
「嬉しかった、と思う」
「そうよね、変なのにね。そんな面白い人間が、まだ外には居るかもしれない。面白い妖怪が外には居るかもしれない」
「えぇ……うん」
「ここ最近はどうかしら。私の計らいだけれど、楽しんでもらえているかしら?」
「それは、すごく! すごくよお姉様!」
問いに対して強調した答えを出す。今は凄く面白い、どうあっても否定出来ない面白さがある。自分を自分としてみて
くれる人間がいて、おかしな門番がいて。みんな友達だ。一緒にお茶を飲んでお話をするだけで友達になれる。
信じ難いほどの喜びがフランの胸中に去来するのだ。
ほぼ幽閉状態にされている事実に対しての反感は大いにあるが、例え姉の気まぐれでもこういった計らいは嬉しい。そ
れだけ代わり映えの無い生活をしていたのだ。毎日淡々と何も無い事柄を何も無い感情のまま向き合い、五百年近い年
月を過ごしてきた。
そしてある時来客。紅魔館の変化に、姉の心変わり。そして自分への待遇の変革。
フランは、一生分の娯楽の中に身を投げ出したような、浮かれた気持ちでいる。
「霊夢も魔理沙もメイドも美鈴も、今は友達よ。友達って素敵ね、お姉様」
「霊夢魔理沙は友達でもいいけれど、後者二人は召使よ」
「ふふ、なんだっていいわ。あの二人だって私とあまり話す機会なんてなかったもの。小事でも大事でもそれを面白可
笑しく話して盛り上がれるなら、友達よ」
妹はこんなに饒舌であっただろうか。心底楽しそうに話すフランがまるで他人にしか見えない。影で自分の事をアイツ
呼ばわりし、姉への反感を募らせ、鬱憤が溜まると物を壊す印象しかなかったのだからして、これは驚きだ。
「あら、お姉様、その包みは?」
そんな考えをめぐらせていると、手元に抱えた包みへのつっこみが入る。
「あ、ああ。妖精メイドが作ったの。お嬢様方にって。お馬鹿で役立たずだけれど、妖精はそこが良いのかしらね」
「疑問に思っていたの。なんで役立たずを大量に雇うのかって。お姉様の趣味だったのね?」
「ペットと同列よ。馬鹿ほど可愛いわ。これ、味の保障は出来ないけれど、つまむ?」
「うんうん」
包みを開いて、フランに差し出す。自分の作ったものを人に食べさせるのは、長い間生きてきて初めての経験だ。年甲
斐もなく緊張してしまう。それは考えれば考えるほど情けない話であったが、咲夜に言えばまた同じ答えが帰って来る
のだと思った。
お嬢様はお嬢様。主は料理など出来なくとも主なのだ。
「んー……なんか、しょっぱい」
「そそ、そうね、そうよね。私もそう思ったのだけれど、一応口をつけたほうが格好がつくでしょう」
「要努力よね、お姉様。妖精の気まぐれなんだろうから、努力なんて言葉が通じるかは知らないけれどっと」
一齧りしたクッキーが包みに戻る。
押し寄せる絶望感。嗚呼これが人に認められないという衝撃。カリスマの権化レミリアスカーレットが初めて味わった
完全敗北の味。勝手に作って勝手に持ってきて、勝手に評価を聞いたのだ。当然怒る気も起きない。
生まれた時から、何よりも優れていた。何よりも強く、気高く、高貴な存在であった。存在そのものが人に認められ恐
れられる吸血鬼の主。
完璧を維持する為とはいえ、クッキーの出所を偽った事は恥ずかしいし、一齧りしかされない無残なクッキーが哀れで
あった。
羞恥心が湧き上がる。怒る気はないが、恥ずかしく、悔しく、なんだかやる気が失せてしまう。
天才の挫折、とでも言うべき代物の感情だ。
「……お姉様?」
「え?」
「どうされたの、ぼーっとして。顔が真っ赤だし……」
横に座り呆然とする姉の頬に、妹が手を伸ばす。レミリアは、思わずその手を振り払ってしまった。
「あたっ」
「あ、ふ、フラン」
「お姉様の馬鹿力……痛いじゃない」
爪をかけてしまったのか、フランの腕から一筋の血が滴っていた。そんなことをするつもりではなかったのだが……と
罪悪感を感じる。レミリアは思わず立ち上がり、背を向けて部屋を出て行ってしまった。
残されたのは、口のつけられていない紅茶のカップと、ベッドに散らばったクッキー。
そのシュールさがフランの目を引く。
「お姉様ってあんなに弱弱しかったかしら……」
何時も強気で居丈高な姉とはとても思えない。今日は気分が良い分、自分も優しく接してみようと思っていた矢先に、
いつもと違う姉が現れては調子が狂ってしまう。
「何よ、もう」
ぐっと持ち上がる破壊衝動の鎌首を、フランは押さえつける事もなく発揮。対象となった紅茶のカップは粉々に砕け散
った。あんなにも良い気分であったのに、姉に害された。非常にイラツキを覚え、自分の持っているカップも遠くへ放
り投げる。ガシャン、という乾いた音と共に原型は失われ、何の役にも立たない物質と成り果てた。
不思議なもので……今までならなんとも思わない行動だったが、いざやり終えてみると胸が苦しい。
モノを壊す、とはつまり物体としての存在意義を奪い去る行ないだ。ありとあらゆるものを破壊する程度の能力を有す
る故に、考えもしなかった事柄。
だが今は、この壊れたモノを”例え”にして表現する事が出来る。
簡単に壊してしまったが、もしこれが霊夢や魔理沙だったら。咲夜や美鈴、果ては姉であったら。
想像するだけで、身の毛がよだつ。壊れれば、モノは存在意義を失いただの物質となってしまう。何でもかんでも簡単
に壊していいものなど、何一つ無いように思えてくる。
「……お姉様」
腕から滴る血を、舌を這わせるように舐め取る。生きているからこそ流れる血。割れたカップから漏れ出た赤い紅茶が
血液であるように幻視してしまう。
とはいえ、だ。自分は吸血鬼である。血は飲まねばいけない。同じ格好をした哺乳類から血液を啜り生きる化け物だ。
これは偽善の尤もたるモノだろう、という自覚はある。
……なればこそ、せめて大切なモノくらいは傷つけずにいたい。偽善の上塗りだが、吸血鬼の倫理観からすれば、大分
高尚なものだろう。やはり狂っていると謳われようと、強大な力を有した吸血鬼レミリアスカーレットの妹だ。
「そういえば……お姉様、クッキー作ってるんだっけ」
ベッドに散らばる、歪でしょっぱいクッキーを一つずつ拾って包みに戻す。姉ながらへたくそな嘘だと思いながらも、
もう少し発言を配慮出来なかったか、とも考える。
フランドールスカーレットの胸を締め上げるこの感情は、まだまだ本人が完全に理解しえるものではないが、確実に、
着実に成長へと前へ前へ進んでいる。過去は振り返らず、新しい道を探して未来を見る。
「やっぱりしょっぱいわ、お姉様」
再び齧ったクッキーは、涙のようなしょっぱさを湛える味であった。
3 形無きものの壊れやすさよ
『最近の経過は』
『順調ですわ。ただ、やはりマンネリ化というか、このプログラムの限界を感じます』
『でも……やはり違うでしょう。今は』
『暴発の回数が激減。この分なら近々……とは、思っています』
『もう……一週間。大丈夫だといえる確証は欲しい所ね』
『……』
フランの社会進出、もといお外へおでかけ出来るように教育する咲夜のプログラムは順調に進んでいた。二日目辺りか
ら不自然に物思いに耽る仕草を見せるフランを不安にも思っていたが、霊夢や魔理沙、パチュリーやアリスがお茶会に
来る都度成長が伺える。
教育係としては満足の行く成長振りだ。会話を交える事で相手に配慮し、自分の力をいなし抑える術を段々と学び、今
日で既に一週間を迎えようとしている。
その中で一際役にたっている雑談役……教育係といえば、魔理沙であった。
普段からあまり人に配慮する人間ではなく、好きな事を言い好きな事をして自由に生きるタイプの迷惑な輩だけに、咲
夜も意外であった。
「それでな、アリスの家の隠し金庫をこじ開けて中を見たら……ふふ、何があったと思う?」
「ちょ、おま、何言ってるのよバカッ!!」
「アリスって根暗っぽいし、むしろそれ以上何を隠すのよって感じもするわ」
「……友達好感度リストなるものを発見したんだ」
「うわあぁぁぁぁん……いいじゃないっ! いいじゃない知り合いの好感度調査くらいしたって!!」
「アリス……なんだか同じ臭いがすると思ってたらやっぱり……」
「ぐすっ……いいじゃないいいじゃない……そうよそうよ、友達なんて人形くらいよ……」
「フランとアリスの違いといえば、フランは外に出なかっただけであって、アリスの場合は素だもんな」
「ふん……どうせ人形劇する位が関の山のヘタレ魔法使いですよ……」
「なら私と友達。だから大丈夫よ」
「聞いた魔理沙!! 私友達が出来たのっ!」
「そ、そうかい」
咲夜はそんな不毛な会話(特にアリスの)を聞きながら、淡々とお茶を注ぐ。
確かに、フランの変革には多大なる影響を与えたこの企画だったが、そろそろ限界があるように思えた。あれから一週
間、フランは目覚しい成長を遂げたが、そろそろステップアップするべきだと、咲夜は考える。
思うには思うのだが、外に出すにはまだ、恐い。紅魔館周辺を歩かせる程度なら何時でも出来るが、紅魔館の外、夜の
外を目の当たりにしたフランが、その感情を抑えきれるか疑問なのだ。
思わず魔理沙に頼ってしまいそうになるが……魔理沙はやはり好きな事しかしていない。
「フラン、壊す回数も減ったし、抑える努力はしてるんだな?」
「え、うん。これなら変な事さえなければ、感情的に壊したりは、しないと、その、思う」
「確証はない、と。当然だなぁ。まだ外には出られないのかな」
「私は大丈夫だと思うけれど、まぁ人様の家に口出しはしないわ」
その通りだ。フランも自分を把握しているらしい。確証など何処にも無い。
フランは髪の毛を弄りながら、憂鬱そうにする。外に興味を抱いたあの日から、外の話を聞いてきた。暗い部屋とは違
う、更に大きな箱庭の世界。幻想郷という魅力的な世界が目の前にある。
だが出れない。出てみたいのは山々だが、また詰め所を破壊したような事をする可能性が否定出来ない。そうなればま
た姉に叱られる。
「壊したら、またお姉様に怒られるわ」
「んー。でも、そんな事があったからレミリアだって私達を集めるような企画を立てたんだろう?」
「そう、なのだけれど……やっぱり、怒られたくないわ。私、お姉様は好きだもの。迷惑かけたくない」
少女らしい思想だった。気にかけてくれるのは嬉しい。けれどそれが裏目に出て同じような事を繰り返すようでは堂堂
巡りになってしまうのではないか。破壊を繰り返すたびに姉に嫌われるのではないか。
外には出たい。しかし愛すべき姉に嫌われるのは、当然一番避けたい事態なのだ。
「うーん、なぁ咲夜、フランが破壊に走る最もな原因って、ナンダト思う?」
「……そう云うことは流石に」
「いいの、咲夜。私も客観的なお話を聞きたいわ。自分でも何となく解るのだけれど、語彙も理解も足りないの」
「……そう、ですか。一メイドの目から見て、何故フランお嬢様が破壊に走るのか……というのは、そうですね。ただ
単に、情緒不安定なのだと思いますのと、知らず知らずに溜め込んでいる不満なのだと思いますわ」
「あら、ストレスって事? フラン、貴女何か溜め込んでる?」
「自覚はないわ。だからこそ知らず知らずなのでしょうけれど、何が溜まっているのかしらね」
「なんだ、ただのストレスか。私はその解消法、知ってるぜ?」
咲夜は思う。言うべきじゃなかったなぁ、と。
完璧メイドも、フランを思うあまりの失言である。そう、魔理沙は基本的には自分のことしか考えていない。そして魔
理沙が今考えているのは、自分がフランを可哀想に思うからこその、自分勝手な考えだ。
フランの事を考えてはいるようだが、発想は唯我独尊である。
「身体を動かせばいいんだ」
この発言にて、とうとうお茶会は終焉を迎え、最悪っぽい形で次のステップに踏み込んだ。魔理沙的健康法は実に単純
で、子供でも理解出来る範囲の運動という一種の労働である。
閉じ篭っていた、ならば動いて発散すべきだ、といった方程式から成るものらしい。
フランはそれに賛同。アリスと咲夜は否定権を発動させたが、魔理沙の強引さとフランのお嬢様権限により却下。一同
は紅魔館本館内の廊下に集められたのである。
「でも、モノを壊さないかしら?」
「弾幕張る訳じゃなし、咲夜がこれだけ紅魔館を広くしてるんだから、鬼ごっこくらいどうって事ないだろ」
フランとしては……正直モノを壊さないか心配でならない。が、それより初めて行う「鬼ごっこ」なるものに、非常に
興味をそそられた。子供の好奇心は無限大である。逆にいえば、モノを壊さず鬼ごっこという運動を出来るかどうか、
という試練であるし、スリルがある。
完璧メイドも頭痛がしてきた。フランを伺う限りでは不安もあるようだが、それよりも遊びたいという欲求が、目から
溢れ出ている。もう凄い、燦々と輝いている。一方のアリスは、また変なものに巻き込まれてしまったと盛大に後悔し
ているらしく、大分項垂れていた。さっきから家に帰って人形と遊ぶとブツブツ呟いている。
「紅魔館は隠れる場所も沢山あるし、こりゃ隠れ鬼ごっこだな。なんかワクワクするぜぇ」
「ルールは? 弾幕なくても遊べるって事は、誰でも出来るんでしょう?」
「子供ならみんなやってるぜ。つまり、誰か一人を追いかける役にして、後はみんな逃げるんだ。捕まったやつは逃げ
る側から追いかける側になる。単純だろ?」
「元から追いかける側だった人は、捕まえた後も追いかける側?」
「それはゾンビ鬼とか病原体とか言われる奴だ。追いかける側は鬼という。これは鬼一人なんだぜ。鬼の目印はー、こ
れにしよう」
魔理沙が帽子を脱いで、フランに被せる。ぶかぶかの帽子を深く被らされたフランは、もたもたしてそれを手にとり、
不思議そうに眺めている。
「鬼だからな、最初はフラン。ルールはさっきの通り、鬼は一人。場所は本館内のみ、モノを壊したりしたらペナルテ
ィーだぜ」
「なんかワクワク……ふふ」
「はいはい、じゃ、フラン。百数えるんだぜっ!!」
「はーい♪」
そして、恐怖のリアル鬼ごっこはついにスタートした。
「いーち、にー、さーん」
誰も居ない廊下に、フランの声が響き渡る。普段ならメイドの一人や二人通りそうなものだが、咲夜はもう既にメイド
達へ避難勧告を出していた。現在この紅魔館本館にいるのは、フラン、魔理沙、アリス、咲夜、そして何も知らないレ
ミリア、パチュリー、小悪魔程度。
見た目より絶対的に広いこの豪奢な建物の内部は、死角だらけだ。思わぬところに空間のスキマやら、レミリアすらも
把握していないような抜け道があったりする。子供の遊び場として、そりゃあもう狂喜乱舞するほど立派な施設だ。
「ろくじゅーく、なーなじゅ、ななじゅいーち」
この時間を数えている時間がもどかしい。思わず口元が緩む。こんな子供のする遊びをしたのは初めて。しかもこれか
ら、友達を追い掛け回す。なんだか吸血鬼としての本能が刺激される遊びであった。鬼ごっこと言う名の通り、狩猟者
が考案した残虐な娯楽が元なのかもしれない、とネガティブでステキな考えが過ぎる。
「ふ、ふふ、ふふふ。きゅーじゅきゅ、ひゃぁぁく」
とうとう笑いが口から漏れた。知らず知らず高揚する気持ちが、フランのモチベーションを高める。我は狩猟者なり。
弱者に死を与えし命の狩人なり。そんな不思議な歌い文句が勝手に湧き上がってくる辺り、やはり吸血鬼だ。
「さて、どこから探したものか」
紅魔館は地上三階、地下一階からなりたっている。全体的に広げてある為、くまなく探すには時間がかかりすぎる。
地下は階段を下りると大図書館があり、その他貯蔵庫、武器庫、屠殺場、○○室、清掃用具室、自分の部屋など、暗い
上に死角も多いが、ここは自分から逃げるには不利である。地下はフランの庭だ。
一階にはロビー、客間、調理場、幹部用温泉浴場、食堂、館内警備室、人の目に触れる多くの部屋がある。
二階は多目的ホール、遊技場、二階小図書館(資料室)、カフェテラス、小休憩室、奥には咲夜の自室。
三階といえばレミリアの自室やレミリア用の○×室、レミリア用の書斎等、お姉様関連がぎっしりだ。
そして時計台のある屋上。
メイド達の宿舎は本館内にはないのでこれは除外する。
正直な所、破壊するとただでは済みそうにない三階へ足を運ぶ事は憚られるが、狡猾な魔理沙がそこへ行かないとも限
らない。むしろ自分の事をある意味で考えているのであれば、試練のハードルをあげているかも知れない。
「それは後でも構わないわね。まずは手始めに……」
地下一階から捜索すると定める。自分が地下を把握しているから、と言う事を逆手に取った者がいるかもしれない。
そして陰気だからこそ地下にいるかもしれないもの。
―――ターゲットは、アリスマーガトロイドだ。
地下の階段を、わざと靴の音が響くように降りる。地下へ下るには、この階段しかない。石作りの湿った螺旋階段がま
さに曰くありげだ。当然曰くとは自分であるが。
カツンカツンと鳴り響く靴の音。地下帝國はフランの庭。迷い込んだならば、主の許可と取らねばなるまい。そう、地
下の主、フランドールスカーレットに。
「かーごめかごめ」
「かーごのなーかのとーりーはー」
古い日本の童謡を呟きながら、ゆっくりと歩く。歌は知っているが、これが遊びであるとは知らない。どんな神経でそ
んな薄ら寒い歌を歌っているのかは、本人も知るところではなかったが、恐怖を煽るには持って来いである。
童謡を歌う吸血鬼、迫り来る足音。
(こここここここ、恐すぎるわ……)
アリスには効果絶大であった。
「くんくん。あら、美味しそうな香り。アリスって……魔女なのに人間っぽいわよね。 お い し そ う 」
(ひぃぃぃぃ、いやぁぁこわぁぁぁ……)
フランの足音は迫る。もう数メートル地点まで距離が縮まったところで、ピタリ、と止んだ。狭い場所に身を隠すアリ
スは、余計身を縮こませる。視線を動かし、至る所に注意を払う。突如襲撃などされたら、心臓が止まりそうだ。
「後ろの正面、だぁれ」
ガタン!! と思い切り扉を開く音。アリスは思わず声を上げそうになる口を無理やり押さえつける。
「……え、誰?」
「うわ、とうとう見つかったわ……」
「いやだから……だれ?」
「私レティ、冬の妖怪よ」
フランは貯蔵庫の扉を再び思い切り閉めた。
(えー……)
アリスは色々と複雑な気分だった。
「ここには居ないのかしら。さっきの香りってあれ? 後で齧ってみようかしら……」
レティ危うし。しかし不法侵入なので制裁は仕方在るまい、と納得していただこう。
フランは地下を諦め、一階へと戻る。
一階、と言ってもやはり探すべき場所が多い。死角は地下よりも少ないが、なかなかに部屋数がある。歩いていても時
間がかかるので、フランは運動らしく走る事にした。
客間
「いない」
食堂
「いない」
館内警備室
「いない」
魔理沙もアリスも咲夜も、妖精メイドすら見当たらない。隠れられそうな場所……といえば、調理場だろうかと思い、
その扉を開けて中にひょっこりと頭を出す。ぶかぶかの帽子を手で抑えて辺りを見回すが、何の変哲も無い。
至る所に特○厨師が調理でもしたのか、と突っ込みたくなるような破損が見られるのだが、フランは調理場の様子など
普段から気にしていない。
隠れられる場所……食材を保管している木箱などはどうだろうか、とフランはそれに手を掛ける。
「あたい」
みなかったことにした。
しかし紅魔館の食材が良く長持ちする理由は、しっかりと把握した。
フランは一階を諦め二階へと足を進める。
階段を上り、多目的ホールを探し終えて廊下を出たところで、それに遭遇した。
「あら、フランお嬢様」
「さくやみーーーっけたっ」
「捕まえてみてくださいまし、おほほほほ」
だがしかし、一瞬で消え失せる。どこへ行ったのかと視線を振ると、何時の間にか後ろを走っていた。
「さ、咲夜!! 貴女遊びで時間止めないでよ!!」
「紅魔館に住まう者、奢るなかれ。只者では生きていけませんわフランお嬢様」
「くっこのっ、まてっ」
「おほほほほ」
思い切り紅い絨毯の敷かれる廊下を疾走する。咲夜に手を伸ばし、届くと思った瞬間には二メートル先にいる。咲夜は
外道であった。あろう事か主の妹様すらコケにするこの態度のデカさ。
「んあぁぁ、咲夜ばかぁぁぁっ!!」
「遊びとは真剣に、やると決めたら全精力全能力を駆使して遊ぶものですわ、一つ賢くなりましたわね、ほほほほ」
「ば、バカにしてぇぇ!!」
遠ざかる咲夜に、半ばイラッと来たフランは、逃げる先に見えるシャンデリアを凝視する。『目』を掌に移し―――
握り潰そうとしたところで、抑える。
「ああもう、咲夜ったらイジワルね」
抑えた。そう、簡単にモノを壊してはならない。
「あでゅー、フランお嬢様」
「くぅぅ、ばーかばーかっ」
甲高い笑いと共に咲夜は消え失せた。フランは思うのだ。ある意味全然、咲夜の方がバケモノなんじゃないかと。紅魔
館全てのスケジュールを把握し、言う事の聞かない妖精メイドを束ね、炊事洗濯お掃除を的確にこなし、ワガママな姉
と図書館の引きこもりと地下牢の引きこもりの世話をしながら、自分の休憩も取る。
「お姉様も敵わないんじゃないかしら……」
フランの答えは正解に近かった。
咲夜の異常性は兎も角として、あれはとても奇襲でなければ捕まらない類。となると捕まえる対象はアリスか魔理沙と
なる。二階では見当たらなかった為、やはり三階へと足を踏み入れねばならなくなった。
「まったく、咲夜も魔理沙もイジワルよ」
ブツブツ不満を洩らすが、これで諦めていては狩人失格。折角だから捕まえた暁に耳たぶの一つでも噛み付いてやろう
かと考える。なんだかそんな妄想をしたら、不思議と元気が湧いた。理由は解らない。
「ふ、ふふ。そう、狩りよ狩り。待ってなさいよぉ……」
幼い顔を邪悪に歪めて、フランは三階へと上がる。
レミリアの部屋の前まで来て、足を止める。今日の姉のスケジュールが解らない。もしかすると自室で睡眠を取ってい
るかもしれないので、あまり騒ぎ立てたりは出来ない。迷惑はかけたくないし、怒られたくも無い。
ぬきあしさしあしでその場を通りすぎようとした時……視界の端に動く黒白があった。
「みぃいぃぃっけたぁぁぁ……」
大声を立てないようにする。視認の限りでは通路の角を曲がっていった。フランはゆっくりと角まで赴き、壁に背をあ
てて通路の先を覗き込む。その視界に写ったのは二人。魔理沙とアリスだ。なにやらヒソヒソ話をしているらしく、こ
ちらには気がついていない。
フランの顔が満面の笑みになった。二人が話す場所、レミリア専用書斎前までの距離は十メートル程度。思い切って奇
襲をかければ、二人のどちらかは必ず捕まえられる。
一端顔を外し、大きく深呼吸。フランはこの緊張感が堪らなかった。鹿を襲うライオンというよりは、鳥を狙うネコの
様相である。
―――フランは物音も立てず、半分空を飛んで飛び掛った。
「まりさぁっ!」
「げぇっ、フラン!!」
「え? あ、魔理沙? なんで私を盾にってきゃあぁぁっ!!」
あろう事か、魔理沙は咄嗟にアリスを盾にする。まさに外道であった。折角恐ろしい地下から這い出てきたと言うのに、
扱いがこれではあんまりだ。
「あむぅ」
「え、なんで噛むの!? あ、だめ、そこは、はふぅぅぅっ」
「嗚呼! アリスが骨抜きに……恐るべし吸血鬼、耳たぶ噛むだけで操り人形ってか!!」
魔理沙の吸血鬼知識は非常にひん曲がっていた。
「ま、魔理沙……に、にげてぇ……って、私が鬼じゃない……」
「へへ、言われなくてもスタコラサッサだぜ」
しかも全く配慮せずに置いていく。フランは甘噛みに十分満足したのか、頭から帽子を取ってアリスに被せる。
「じゃ、アリスがんばってねーー♪」
さぁ、これからは逃げる番だ―――と、意気揚揚と走り出したところで、何かに捕まった。
「ありゃ?」
「ありゃ……じゃないでしょう、フラン。何しているのよ」
……レミリアはネコを摘むようにしてフランを捕まえている。まずいと思っても逃げられない。
「うわ、レミリア」
「黒白、何してたの?」
「鬼ごっこだぜ。混ざるか?」
「混ざらないわよ……はぁ。あのね、館内は走っちゃダメ。飛んでもダメ。調度品を壊したら困るでしょう?」
「私は何時も壊してるけどな」
「それは誇る事? ま、いいわ」
「にゃん!?」
ぼすん、と音を立ててフランが地面に尻餅を付く。その顔からうかがえるのは、まさに”やっちまったぁ”という子供
の気まずそうな顔だ。だが、レミリアの反応を伺う限りでは怒っているようにも見えない。
「咲夜」
「ここに」
レミリアの呼びかけに一秒もかけずメイド長が出現する。
フランは……複雑そうな顔で、しょぼくれていた。こうなるのではないかと解っていて自制出来なかったのが、些かば
かり恥ずかしいのだろう。どう弁解するべきかと思考を巡らせていると、先にレミリアが口を開いた。
「咲夜、フランはモノを壊した?」
「いいえお嬢様。壊したといえば魔理沙が壷を二つ割った事くらいでしょうか」
「照れるぜ」
「照れんな。あら、そうなの……フラン、本当ね?」
「え、あ、はい。うん。一瞬シャンデリアをぶっこわそー……なんて思ったけれど」
「自制……出来るのね」
「それについては申し訳ありません。テストのつもりだったんですが、フランお嬢様は何にも手はかけませんでした」
「成る程。最近は能力の扱い方が上手くなっているから、実技に移ったと」
「はい。魔理沙がまた阿呆な提案をしましたので、仕方なくこれで」
「誰が阿呆だ。バカメイド」
「兎も角、フランは、壊していないと。鬼ごっこなんて全く……まぁいいわ。フラン、もう少しおしとやかになさいね」
「ごめんなさい……」
「そ、そんなに申し訳なさそうな顔をさせるほど、怒ってないわ。でも、良かったわ」
「えっ……?」
「これなら、外に出ても大丈夫そうだし、普通に生活も送れそうね」
フランは……その言葉が今一理解出来なかった。
今姉はなんと言ったか。”外に出ても大丈夫、普通に生活が送れる”そう言ったか。
「え? お姉様、私、外へ?」
思わず確認する。レミリアに二言は無いのか、ただその質問を肯定した。
それを見て……沈んでいた顔が、綻ぶ。胸が熱くなり、言葉では表現出来ないような喜びが泡のように浮いては飛ぶ。
「わたし、そっか……そっか!」
「おお、オネエサマのお墨付きか。よかったなフラン」
「ん? 何? どうしたの? なんだか解らないけれどおめでとうなのかしら?」
異形の羽がパタパタと可愛らしく動き、自身を立ち上がらせる。このまま天にも上る気持ちであった。
憧れの外に出られる。自分の能力さえ気をつければ、幻想郷を飛び回る事が出来る。夢にまでみた、姉や魔理沙と並ん
で外を飛ぶ映像が、具現化出来るのだ。
誰と一緒に飛ぼうか。レミリアは当然、魔理沙や霊夢や咲夜や美鈴。外に出て、これから出来る友人とも空を飛べる。
あの星空の元を、自由に行き来出来る。
「あは、あはははははっ!! お姉さま、お姉さまっ!!」
「はいはい。解ったからはしゃがないの……」
フランがレミリアにしがみ付く。自分はとうとう、普通の吸血鬼として扱ってもらえる。外に出るだけでなく、紅魔館
の一住人としての生活サイクルに組み込んでもらえるのだ。
もう薄暗い部屋に何時までも軟禁されるような事はない。長年閉じ込められていた為に、出ようとも思わなかった時代
が嘘のようだった。
自由を手に入れた。
まず最初に何をすべきだろうかと、様々な欲求が頭を巡る。
夜起きてお姉様と食事を共にしたり、一緒に紅茶を楽しんだり、怠惰な時間をゆっくり過ごしたり、暇になったら幻想
郷を散策して、新しい友人を探し、神社に行き、魔理沙の家に行き、門番にチョッカイをかけて、咲夜に手間をかけさ
せて、パチュリーの仕事の邪魔をしたり、姉と一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たり、遊んだり。
……悲しくなるほど当たり前の欲求だったが、フランからすれば、それはもう何もかも、全ての願いを叶えるに等しい。
「私、普通に過ごしていいのね? もう閉じ込めたり、されないのね?」
「私の隣りの部屋を改装しましょう。咲夜」
「畏まりましたわ」
有頂天の絶頂期。感情は最上階までたどり着き、まるで外へ溢れ出るようになる。
もう少しで夢が叶う。明日から素晴らしい生活が待っている。期待も希望も全てが詰め込まれた未来が―――見える筈
だったのだ。
「あははっあは……あ、」
しかしながら自制とは、斯くも難しいものである。ましてまだまだ精神の成長期であるフランが、その多大なる力を短
期間で押さえ込める訳が……なかった。
「お嬢様、伏せてくださいまし。二人も、来ます」
瞬時の事に、フランも力のいなし場所を間違えた。視線を振った先は壁。しかし、そこの『目』を握る以外、他の対象
を選んでいる暇は無い。漏れ出した感情は余波となって、分厚い石の壁を粉々に吹き飛ばす。
「どぅわぁっ!!」
「きゃっ!!」
ドンッという衝撃音。ガラガラと音を立てて崩れる壁。その音はまさに、フランの希望を全て打ち砕く音であった。
『今は順調のようだけれど、何が切欠で爆発するとも解らないわ。子供は爆弾、ふふ、妹様の場合核弾頭ね』
レミリアの頭の中で、パチュリーの言葉が反響した。
4 罰の波紋
安直であった……。そう、三人は後悔した。レミリアは自分の、期待を持たせ過ぎた発言を後悔し、咲夜はもっと早く
別の形でのステップを踏ませるべきであったと後悔し、魔理沙は相変わらずな自分の所業に後悔する。
勿論三人は誰一人責めるような事はしない。三人は三人なりに反省している。
未曾有の大爆発をフランが引き起こしてから丸三日が経っていた。
恐るべき事に、咲夜が拡張した空間まで吹き飛ばしたらしく、危なくパチュリーが本に押しつぶされる所だったが、瞬
時の判断でそれを阻止した。だが、その衝撃で館内の至る所で家具が潰れ、現在全面改装中となっている。
「酷い姉ね、とことん」
「私も油断しましたわ。あれだけ出来れば、もう大丈夫だと思ったんですが」
あれ以来、フランが地下から出てくる事はなくなった。まるで昔に逆戻りしたように大人しく、怒る事も喜ぶ事もない。
感情を押し殺して、これ以上の破壊をしないという決意か、もっと心の深部から来る自制なのか。姉にも咲夜にも解ら
なかった。
引き金は常に感情。そして―――自制しよう自制しようと心がけたお陰で生まれた、ストレスだ。
紅魔館に誰も来ず、フランに霊夢や魔理沙が出会わなければこのような事にはならなかっただろう。
当時のフランといえば、外に興味はなく、ただ閉じ込められる事こそが当然であると考えていた。その究極的なまでの
諦めは、感情を殺害する故に酷い暴発はしないが……物体やその他に対しての価値観を貶める諸刃であった。
しかし外を知り、人間や様々な存在に興味を持ち始めたフランは、また別の悩みを抱える結果となった。
では閉じ込めたままでいいのか、といえば違う。
では外に勝手に出してしまっていいか、といえば違う。
二律背反の矛盾精神。
扱いはやはり、難しい。
「とはいえ、さ。お前達にしては、考えた方だし頑張った方だと思うぜ、私は。阿呆は本当に私だな」
三人は、メイド用の宿舎の一室を拡張して作った部屋にいた。パチュリーは現在も本の整理が忙しいらしく、表に出て
くるとは言わなかった。こうなると知恵は一つでも多ければ多い方が頼もしいのだが……。
レミリアも、流石に友人に頼りきるのも、恥ずかしい。
そもそもが妹の問題なのだ。家族といえばパチュリーも家族かもしれないが、血を分けた者は一人しかいない。
故に、頭を抱えざるを得ない状態だ。
着実に成長していたのは確実だ。もう少し慎重になれば、もっと上手い成長をした筈だ。自分は焦りすぎた、咲夜は慎
重すぎた、魔理沙は無謀すぎた。
物事とは、なかなかに上手くいかないものだと痛感させられる。何せ相手はただの子供ではないのだ。
「根底で間違ってたんだ。喋ろうと動こうと、結局能力を使う事を抑えるんだからそりゃストレス溜まるな」
「けれど、抑える事に慣れなければお話にならないわ」
「起爆剤は感情……精神的な強さも必要となる……ですか。前途多難ですわ」
「しかも……だ。また完全に引きこもっちまった。これ、どうやって引きずり出せばいいんだ?」
以前より問題が山積したように思える。だがフランなりの努力の結果である事実も否定出来ないので、責めれない。
レミリアは考える。肉親の、血を分けた妹をどうするべきか。このままでは、折角ここまで来たものが水泡に帰してし
まう。しかも以前にも増して外へ出る事を拒む姿を見せられれば、尚不安が募ってしまう。
もう二度と外へ出る事を望まないのではないか。また更に五百年引きこもる気なのか。
さらに、もう受ける必要のない罰を……受け続けるのか。
―――不憫でならなかった。全ては自分の失敗の果てにある、妹。いざ姉である自分がやっと目を覚ましたのに、この
ままでは進展しない。幻想郷では、吸血鬼は罪を被る必要がないのだ。だったら当然、妹が罰を受ける必要はない。
なるべく早く何とかしたい。
「何が足らなかったのか。何が……」
レミリア自身に、足らなかったものは、なんだっただろうか。必死に自分の脳にある情報を引き出す。
自分は紅い悪魔、強力無比な力を誇る吸血鬼。
自分は紅魔館の主。
自分はありとあらゆるものを破壊する程度の能力を保有する、バケモノの姉。
自分は―――妹の保護者。
自分は、そう―――姉なのだ。
『けれどやはり子供って、好き勝手やったり、肉親に疑問を持ったり、痛い目を見たり、失敗したり、叱られたりして、
そして成長するんじゃないかしら。深層に溜め込んだストレスを受け取ってあげるのもまた、親、いえ、姉の役割じゃ
ないかと思うのよ』
『―――妹様の場合、もっと深くに溜め込んでいるものがあるでしょうけれど』
そうだ。パチュリーは全て見越していたではないか。図書館から出てこないのも頷ける。
最初から全て、答えは受け取っていたのだ。
「全てを受け止めなきゃ……いけないわよね、やっぱり」
「レミリア?」
「お嬢様?」
レミリアは、手順など一つも間違えていない。誠意を持って接するべきという覚悟も努力も、無駄などではない。子供
は、妹は、肉親は、やはり家族の誠意にこそ一番感銘を受けるのだ。
間違っていたのは、フランに対する思い込み。
何故そこまで力をコントロール出来ないのか。感情を斬り捨ててまで抑圧せねばならないのか。
力を押さえ込む為に感じたストレスもあるだろう。
抑えきれない感情が引き金になったりするのだろう。
―――だが、根本的なものをすっかりごっそり忘れきっていた。
「答えが出たの。魔理沙、貴女は引き上げて構わないわ」
「ちょっと待ってくれよ。ここまで関わったんだ、最後まで携わらせてくれよ」
「魔理沙、貴女はいい子ね。でも、まずは人の事より自分ではなくって?」
「うっ……」
魔理沙は痛い所を突かれる。
元よりどうしてフランに肩入れするのか、その原因はただ一つ。
「まったく……あんまり人の事調べちゃヤダぜ」
「家族への疎外感に同情しているのでしょう。貴女の場合は、原因が貴女なのだから」
「いやその、そうかも知れないけれど……ああもう、ここでも説教か、やだやだ」
「そう、ここは悪魔の館よ。嫌な事も沢山あるわ。飛んでお帰り」
「後は家族の問題だってか。解った、解ったよ」
レミリアとて、ただ同情だけであのフランに付き合っていたとも考えてはいない。けれどこの問題の根は深いのだ。
ここまでフランと同じ時間を過ごしてくれた事には、感謝している。
「有難う魔理沙。フランは、貴女と一緒で楽しそうだったわ」
「ま、どうせまた来るんだ。今日は引き上げるぜ」
「えぇ」
魔理沙は肩を揺らして大きく溜息を吐く。家族問題に片足を突っ込んでいたのだから、去り際くらい綺麗にしたいので
あろう、素直に応じて、窓から飛び去った。
「お嬢様。結局、答えとは?」
「咲夜も、大丈夫よ。これからは、二人で向き合わなくちゃいけない事だから」
「しかし、やはり不安ですわ」
「貴女がいい子なのは知ってるわよ。だからこそ。もし私に忠誠心があるのならば、引いて頂戴」
「……そこまで言われるのならば」
「えぇ、貴女は本当に、愛すべき従者だわ咲夜」
「恐悦至極。では、何かありましたら、何時でもお呼びつけくださいましね。門番の耳でも弄ってますから」
「そうして。あと、もし私に忠誠心があるのならば……」
「はい?」
「貴女も犬耳なんてどうかしら。シッポも。語尾はわん」
「却下ですわ。ニンニク丸ごと消し飛ばすお嬢様になんて忠誠心のひとかけらも御座いません」
「ぐすぐす……」
「それでは、しっつれいおばいたしますわ」
完璧で瀟洒な従者も、レミリアの前から姿を消す。
レミリアは良し、と自分を奮い立たせ、メイド宿舎を後にした。
※※※
おいしいクッキーの作り方。
30枚分。
材料は多くても少なくてもダメ、お菓子作りに必要なのは細やかな計量です。
砂糖 70g
卵黄 2個分
薄力粉 110g
塩 少々(一つまみ程度)
無塩バター 90g
バターは常温で柔らかくし、薄力粉はダマにならないよう振るって細かくしておきます。
「慎重にやればこれくらいは……」
ボールに移したバターを潰し、そこへ塩を一つまみ加え泡立て器などでクリームのようにします。
「えぇ、なんとかしてみせるわよ……」
砂糖は一回には混ぜず、二回に分けて、しっかりと偏らないよう混ぜましょう。
「一回で全部入れたら、混ざり難いわよね……うわ、ちょっと飛んだ……」
黄身も同じく一つずつ加え、全てに行き渡るようしっかり混ぜます。
「黄身うふふ」
薄力粉を加え、ヘラを使って混ぜます。混ぜる場合ヘラで切るように混ぜてゆきます。混ぜすぎますとグルテンが出て、
焼き上がりが非常に硬くなってしまいます。
「グルテン? 何よそれ。混ぜすぎるなって? む、無茶よ。あああああ」
出来れば涼しい所でしばらく寝かせましょう。設備がない場合は、水分が逃げぬよう工夫して寝かせます。
「確か、あいつを常備していたような」
「あたい……」
「ああ、ごめんなさいね。報酬はちゃんと払うわ、氷精」
「報酬って美味しい?」
「凄い情報を教えるわ。実は……」
「レティ……ここにいたんだ」
その工程を終えれば後は焼くだけ。適量を掬ってバターを塗った鉄板に敷くもよし、型にはめるもよし。
「型、星とかハートとか。ハート型って割れると嫌よね。星にしましょ。魔理沙好きみたいだし」
あまり形がバラバラだと、焼きむらが出るので注意しましょう。
混ぜ物がない場合、焼き時間は180度で13分程度が好ましいでしょう。
これならちゃんとできるわよね、レミィ。頑張って。
パチュリーノーレッジ。
本当にいい友人の温かい心遣いに、レミリアは感謝した。
※※※
努力は間違っていない。
解釈は間違っていない。
勘違いしていたのだ。それも遠くの昔から。
まだ二人が幼い頃の昔。あの時に全てを誤っていた。そして最近気がつきかけて……結局理解半分、それ以上は思考停
止していた。
悲しきかな、生まれた当初から既に、無理解があったのだ。
「ぜーんぶ、私の所為だわ……私が受けるべき罰を抱えているからこそ……」
たった一度、そのありとあらゆるものを破壊する能力を、使ったが故の勘違い。異形の家系とは言うものの、これほど
常識外れの能力を有した吸血鬼などいなかった。
皆に理解があり、恐れを抱かないだけの頭があったのなら、歳の差も関係なく、フランがこの紅魔館の主であっただろ
う。それだけの力だ。よっぽどの罪を被れるだろう。レミリアより多くの罪を被り、多くの罰を受ける吸血鬼。
もし立場が逆であったのならと考えるとぞっとする。
自分はもっと良く考えるべきだった。ただの慣習として、親にならって妹を閉じ込めてきた。妹は危険だから、危ない
から。哀れに思った事も、千や万ではきかない。
姉妹として生れ落ち、血族が二人になってからも変わらず、心の底では何時か解放してやりたいと、思っていたのだ。
だが、思っただけでは何も変わらない。閉じ込めるが当たり前、閉じ込められるが当たり前になってしまった後に思っ
ても、結局流されるだけなのだ。
自分は逃げてきた。ある意味で妹を恐怖の対象としていた。自分は罪だけを被り、罰は受けない。代わりに罰を受ける
のは常に妹。幽閉こそが永遠の罰。
妹は……。
あんなにも可愛らしく愛おしい妹が、一体何をしたと言うのか。どんな罪があって、罰を受け続けなければならないの
か。もっともっと、外の世界に紅魔館があった当初から悩んで、悩んで、狂うほど悩んで、手を差し伸べれば良かった。
フランドールスカーレットは、能力を制御出来る精神が無いのではない。子供だから―――それも詭弁。
”どのように制御しようと、約五百年分の姉の分の罰を背負い込んでいるからこそ、溢れてしまうのだ”
罪など、放置すれば流れて消える。それが吸血鬼ならば尚更。しかし罰は、罪を被った本人が受けきらなければ意味を
なさないものだ。
幽閉という罰は蓄積し、フランを押しつぶす。押しつぶしても尚、罪はやってくる。己の有する精神に空白を作ってで
も、姉の罰を許容しようとするフランの強いこと……。
レミリアがそれを自覚した時、あまりの業の深さに心が潰されるような衝撃を受けた。
フランが背負っている、抱え込んでいる自分の分の罰を、返してもらわねばならない―――。
「フラン、入るわよ」
蝋燭の火も灯らない、漆黒の地下。あれ以来ずっとこの調子で、引きこもっている。レミリアや咲夜の声にも耳を傾け
ず、ベッドに寝そべり天井を見上げるだけの生活。
以前の一週間からすれば、まさに地獄への転落といえよう。
あの生活は決して無駄などではなかった。いっぱいいっぱいの中でも、それすらも抑えるほどの抑止力を発揮するまで
になったのであるから、その才能は計り知れない。
フランドールスカーレットは、間違いなく、吸血鬼でしかも天才なのだ。
怪力で運命が見える程度の自分とは訳が違う。
「……隣に座るわね」
ベッドに腰掛け、感情も少なく呆ける妹の隣。もうきっとこの状態で何時間もいるのだろう。
壊れては……いない。自分から暴発の切欠となる感情を表に出さない。
「ここで天井を見上げるのは、どんな気持ちかしら、フラン」
「……」
「貴女はこの天井を五百年近くも見上げてきたのよね」
「……」
「哀れね、バカね、阿呆ね」
「……くっ」
「……冗談よ。本気にした?」
「……何が言いたいのよ」
「別に。何故そこまで落ち込む必要があるのかって思っただけよ」
「……」
「館の一つや二つ、ぶっ壊してどうだっていうの」
「……」
「舐めてもらっちゃ困るわ。うちはスカーレット家よ?」
「……」
「あるお屋敷に、それはそれは下々が喜んで傅きたくなるほどビューティフルな姉妹がおりました」
「……」
「姉は高慢ちきで居丈高で、けれど才能溢るる素晴らしい当主。妹はアブナイ能力を持って居たため、幽閉されてい
ましたとさ……」
「……続きは」
「無いわよ。一体それ以上何があるのよ」
「……はぁ」
「嘘よ」
姉は妹を恐れていましたが、やはり血を分けた妹として、愛していました。けれど、妹は生まれてからずっと幽閉され
ていたので、本当は何が恐いか、なんて、実際の所姉は理解していませんでした。
ある時姉は気まぐれで、霧を出したら太陽が届かなくなって昼間も外に出られるんじゃないかしらオホホなどとつまら
ない事を考え実行しました。けれど新しく引越しした場所は吸血鬼もビックリするような馬鹿げた力をもった巫女が管
理する場所だったので、姉の陰謀は早くも打ち砕かれてしまいます。
でもそんな強い巫女を気に入った姉は、巫女の住む神社に幾度となく通うようになりました。そしてある日、神社にい
た姉は、大雨の所為で館へ帰れなくなります。
可笑しいと思った巫女と友達の魔女が、原因究明の為再び館へと赴きました。
そして、そこでとうとう妹を二人は目撃しました。
妹は生まれてこの方ずっと引きこもりで、人間など食べ物の形でしか見たことが無い非常識吸血鬼でした。
それ以来というもの、妹は外の世界へ興味を持ち始めました。本当は姉が巫女たちと戦う場面も見ていたのかもしれま
せん。兎に角、外には様々なものがあって、様々な人がいて、面白そうだったので外に出たいと姉にせがみました。
妹を哀れに思っていた姉はそれを許可しましたが、妹は大失敗をやらかして、姉にしこたま叱られてしまいます。
姉は……。
「姉は、やっぱり妹を愛していました。どんな事をしても、ただ一人の肉親には変わりません」
「……」
「姉は妙案を思いつき、それを実行します。そしてその妙案はなかなかに好調であったらしく、姉も妹の認識を改め、
妹が努力するなら姉も努力してみよう、と考えます」
「……」
「結果は散々たるもの。妹もまた、大失敗をやらかして引きこもりに戻ってしまいました」
「……」
「けれど」
「……?」
「けれど、姉は諦めませんでした。その内、何故妹が大失敗をやらかしてしまったのかも、やっと気がつきました。気
がついて、盛大に後悔して、ちゃんと、それと向き合おうと思いました。そーして、めっちゃ努力しました。もうクッ
キーなんて見たくないと思うほど頑張りました」
「気がついたって……お姉様……もしかして……」
「……前置きが長くなったけれど、これ」
この前と同じ包み。丁寧に開かれた中には、少しこげて、硬そうな食べ物。
「食べなさい。これが私の誠意」
「……」
一つ手に取り、恐る恐る齧る。
「うっ……うくっ……」
―――それは酷く分量を間違えた、とてもとても甘いクッキー。
「今度は甘いわ……お姉様……」
「私も、そうだと思ったの。でも、今の私にはこれが限界。ごめんね、折角すべての罰を受けてもらっていたのに、完
璧ですらいれない姉で」
「そんな事……そんな事ないわお姉様……」
「フラン……愛しているわ、フラン……今更許してなんて言わないわ。だから……」
「お姉様……?」
「だから、全てを返してもらうの、フラン」
その瞬間、レミリアの瞳には燃え盛る紅が宿る。常識を凌駕する速度でフランから離れたレミリアは、翼を広げて広い
部屋に舞い上がった。その姿たるや、まさに悪魔と称するのが相応しかろう。
「お姉様、何をっ!?」
「フラン!! レーヴァンティンを取りなさい!!」
「だから……何故、何故!? いいのよ、お姉様! 私は、私は……!!」
「貴女の抱え込んだ私の罰も、貴女が幽閉されていて感じた鬱憤も何もかも……」
―――その五百年分の波紋―――きっかり全部受け止めてあげるわ!! フランドールスカーレット!!!!
我ながら、最高の不器用さであったと思う。ここまでやっておいて、結局弾幕か、と思う。
けれど、そう、結局なのだ。
結局、自分もフランも、こんなことしか知らない、大馬鹿者なのだ。
「お姉様……」
「ええ、何かしらフラン」
「愛してますわ、お姉様。一番、大事に思っているの」
「そうね、私もそうよフラン」
「でも……一度、一度解放してしまったら……本当に、全てを出し切るまで、止まらないわ……?」
「構わないわ」
「だってね、お姉様の罰は、罪に比例してとても重いのだもの。それが五百年分よ?」
「光栄ね。吸血鬼は恐れられてグラム幾らよ」
「ならお姉様……本当にそこまでの覚悟と自覚があるならば……」
「ええ、ええ」
「―――全部、受け止めてね、堪え切ってね、愛しのレミリア……」
光を通さぬ黒い箱庭に、おぞましく紅い弾幕が展開される。紅の悪魔とは、今この状態に置いてはフランが似つかわし
いだろう。
部屋のスキマというスキマから弾が湧き上がり競り上がり燃え上がり、罪人を断罪せんと襲い来る。
これが罰。レミリアスカーレットがフランドールスカーレットに全て任せてきた、五百年の波紋。
「ハハ……死ぬかも」
麗しき吸血鬼の姫も、流石にこれは笑えなかった。
※ べりーべりーすうぃーとくっきーず
おはよう御座います、お嬢様。
おはよう咲夜。
本日は如何なさいますか。
そうね、死にたいわ。
かしこまりました。
ごきげんようお姉様。
ごきげんようフラン。
今日は何をして遊びましょうか。
そうね、殺しあいましょうか。
えぇ、素敵ね。
あら、どうかしたのレミィ。
罰を探しにきたの。
そう、なら沢山あるわ。レミィに読みきれるかしら。
読んで聞かせて頂戴パチェ。きっとおぞましい夢が見れるわ。
ふふ、読んでいる私が死んでしまいそうな量よ?
なら死ねばいいわ。きっと私も死ぬのだから。
お嬢様、門にどのような御用時で?
貴女は何か罰を受けたことがあるかしら。
はい。酷い仕打ちを受けて生きてきました。
羨ましいわ。
哀れに思います、お嬢様。
……。
罰は罪を被ったものが受けるものです。絶対に逃げてはいけません。そして逃げ切れません。被った罪に比例した罰を、
死のうが死ぬまいが、受けるが相応です。罰は与えられるもの、そんなものは嘘です。罪を犯せば対として産声をあげ
るのが罰。与えられなどしません。業の深いものなれば、その罰に堪え切れる精神を有さねばなりません。
お嬢様がフランお嬢様より優れているのであれば、きっと堪え切る事が出来ましょう。
美鈴はいい子ね。
はい、お嬢様。
こんばんわ霊夢。
何しに来たの。
殺しにきたわ。
貴女では私は殺せないのよ。
だからよ。
いいわ、なら貴女が受けるべき罰、私が執行してあげる。
そんな貴女も愛しく想えるわ霊夢。
ごきげんようお姉様。
ごきげんようお姉様。
ごきげんようお姉様。
ごきげんようお姉様。
―――咲夜、死にたいわ。フランっていう子は、こんなおぞましい幻影の中に身を埋めていたの?
―――咲夜、殺して頂戴。私如きでは、とてもこの罰は受けきれないの。
―――フラン、ごめんなさい。泣き言だったわ。もっともっと、あと四百年分は、受けなきゃダメよね。
「……お姉様、お姉様……お姉様!!」
……。
レミリアが目を覚ましたのは、普段通りの、ベッドの上だった。
事態が把握しきれず、顔をくしゃくしゃにして泣き叫ぶ妹と、辺りを見回して、呆然とする。
だが……あれほどまでにおぞましい夢を観ていたというのにも関わらず、気持ちは晴れやかで居る。この矛盾を誰かに
問いたくて、しがみ付く妹の頭を撫でた。
「フラン……フランね? 夢の中のフランでなく、現実の」
「それは夢だったかしら。罰は、現実ではなくて?」
……何時終るのか。
……何時、何時この終わり無き罰が執行し終わるのか。
「お姉様、あと四百年よ。お姉様は強いから、大丈夫だから、絶対絶対、堪え切れるから、乗り越えられるから」
その言葉だけが、救いであったと、思う。
※※※
「どうかしら、永琳」
「なんともいえないわ。覚醒状態にはあるの。でも、目を開けない。生きている事には変わらないのだけれど、死んで
いるとも言える」
薬師が聴診器を外し、沈み込む咲夜に振り返る。レミリアの自室には、霊夢、魔理沙、美鈴、パチュリー、アリスなど、
今回の出来事に関わった人間が揃っていた。文々。新聞にて知らされたレミリアの病状に、普段異変が起ころうとも驚
かない輩までも、心配で駆けつけたらしい。
「……目を覚ますには時間がかかるかもしれないし、かからないかもしれない。レミィは、それだけのものを妹に押し
付けていたの。死にはしないと思うわ。でも、目が覚めるのは数分後か、数百年後か。たぶん、レミィの精神に依存す
る」
「……そうね、これは医学の範疇ではないわ。ただ身体の維持の為、定期的に検診には来るわね」
「助かるわ」
「それで、咲夜。フランはどうしたんだ?」
「それが……」
皆は、姉を信頼していない。姉は、誰よりも強いのだ。たった五百年如きの罰で死ぬなど、とても考えられない。
姉は、強靭にして強固な精神を有し、類稀なる能力と怪力を備えた、完璧無比の吸血鬼だ。
愛すべき姉が、その程度で、死ぬものか。
「……目を覚ました時には、自分がその……お嬢様と同じくらい美味しいクッキーを作って食べさせるんだって」
姉は死なない。レミリアスカーレットは不滅である。
この世でもっとも強いと、美しいと信じてきた存在が、罰に敗れるはずなどない。
「そりゃ、一体どういう了見なんだ……」
「……姉は今頑張っているから……妹も頑張らなきゃいけないって……」
姉は頑張っているから。溜め込んでいた罰を、ちょちょいっと片付けている最中だから。そんな姉の居ない間は、妹が
頑張らなきゃならない。
本当は受ける必要などなかったのに。罰は全て自分が溜め込んで、幽閉されていれば良かったのだから。
だけど、自分がワガママだったばかりに……。
「でで、できた……!」
出来上がったクッキーを綺麗にラッピングして、フランは廊下を駆け出す。
とんでもない回数を失敗して、調理器具を破壊して、壁に穴をあけて、それでも、歪だけれど出来た。
分量は間違えたかもしれない。でも、今までに見ないくらい上出来だ。形はハートを選んだ。姉は星を選んだが、自分
はやっぱりハート型が好きだった。
「溜め込んだ罰か……吸血鬼ってのは、不遇なイキモノだな」
「霊長類を凌駕する知恵と力を持った、別系統の超生命体。吸血鬼は常に人間の畏怖の対象だった。人を畏怖させると
いう事は、罪を被るということ。罪を被るということは、罰を受けねばならないという事。強欲で猛威を振るうような
人間の王は最後に断罪されるけれど、吸血鬼は死ねない。永遠に罰が付き纏うから、どこかで痛い目を見なきゃいけな
い。魔理沙にもその内解るわ」
「解りたくないぜ……ん?」
宿業を背負いし美しき吸血鬼の姉妹に幸あれ。
「フラン……フラン……」
「お、おい……レミリア?」
「ふふ。ほらみんな、引き上げるわよ。薬師も、咲夜も、美鈴も、霊夢も魔理沙もアリスも。台風が来るわ」
「フラン……私……」
お姉様―――クッキーが焼けたの。
「私……勝ったわ。受けきったの、フラン……」
分量を間違えてしまったけれど―――
「とてもとても甘いクッキーが焼けたの、お姉様」
「フラン……愛してるわ」
「私も……一番一番、この世でいっちばん、愛していますわ、お姉様!!」
未来永劫、罪と罰を繰り返す悲しき種族に幸あれ。
end
「フランをもう少し、人に接させてあげようと思うの」
紅魔館の主、レミリアスカーレットがそのように明言したのはつい三日ほど前だ。メイド長たる十六夜咲夜は難色を示
したが、結局主がそのように強く思うのならば、と承諾した。
レミリアの心の底にどのような思惑があったか紅魔館全体で様々な憶測が流れたが、どれも妹君の事を考えてであると
いう答えに至る。
それを言うのも、紅霧異変以来紅魔館には人間や魔法使いの出入りが増え、フランドールスカーレット自身も人間や外
の情報に接する機会が増えた事が理由である。幾度かフラン自身が外に出る事を熱望した為、咲夜や美鈴などのお守り
をつけて外に出してはみたものの、はしゃぎ過ぎたのか門番詰め所を大破させ、門ごと粉砕し、周辺の湖の底には大き
なクレーターを作ってしまった。
幾ら精神が幼いフランとて、門番詰め所を犬小屋にまで貶めてしまった事には罪悪感を感じたのか、以前よりも外へ出
る事を希望しなくなった。レミリアとしても、出来るならば血を分けた妹を外に出してやりたい。気が遠くなるほど前
からの悩みであったが、人間が大量に住む世界でそれは出来なかった。
―――しかし時代は移り変わり、場所は移り変わり幾星霜。
ここは幻想郷。フランすらも許容しうる幻想で編まれている世界であるとレミリアは信じたかったのだ。
だが安易に外に出せば、先の詰め所の如く紅魔館を粉砕されかねない。フランを取り巻く不安要素がありすぎる上、自
分自身の杞憂にすぎない思い込みも相俟って即座に外へ出す訳にもいかなくなった。
なれば、と。姉レミリアスカーレットは妹フランドールスカーレットに対する処置を検討し、答えを出した。
「霊夢や魔理沙を客人として向かえる、のですか」
「彼女等なら、そう簡単には壊れないでしょう。フランも以前より外へ出る事を希望しなくなったけれど、あれは間違
いなく欲求不満よ。欲求とはアレばこそ、知っているからこそ欲する心。フランはリンゴを齧ったわ」
「ともなると、ヘビはあの二人となりますが」
「いえ、悪人は私。紅魔館内が楽園ではない事ぐらいフランも知っているもの。もう少し、妹の事を考えてあげれば良
かった。五百年近くも閉じ込められていれば、そりゃ、発狂もするわ」
「出来る限りの努力はいたしますけれど、かなり難しいのではないかと」
「とはいえ、よ。私達姉妹は人間ではないの。自己を形成する知識や概念は、人間が有するものより希薄で塗り替えや
すい。命が長い分変化も多様なの。環境さえ変えれれば、あの子も自己制御出来るようになると思うし、知識も上塗り
出来る。その逆も意志によって然り……筈」
「……そんなに簡単に行くものでしょうかね。紅茶、おかわりは」
「頂くわ」
満月が遠のく夜の空をテラスから見つめて、レミリアは思う。これはチャンスなのだと。
己の存在が罪ならば、妹は罰だったのだ。自分達は存在が罪と罰であるが、罪は常にレミリアが被り、互いに与えられ
る筈の罰はフランが受ける。
けれど罪と罰は表裏一体で、罪がなければ罰はなく、罰があるなら当然罪がある。スカーレット姉妹は、そのバランス
を互いに分割し依存していた。依存しすぎていた。紅魔館の永遠に幼き紅い月と恐れられるのはレミリア。誰にも知ら
れる事なく、ただその恐れを与え罪を作る姉への罰を受けるのがフラン。
吸血鬼という業の深い種族であるが故、当たり前になってしまっていたその所業の罪と罰の深さに気がつくのが、少し
ばかり遅かったのかもしれない。
姉は妹を閉じ込める事を当然と思い、妹は姉に閉じ込められる事を当然と受け止める。それはやはり、吸血鬼とて異常
であった。罪は互いに被り、罰は互いに受けなければならない。
レミリアもまた、博麗霊夢や霧雨魔理沙が現れてから気がつかされた事実である。環境はヒトを変える。
狂っていようと、妹だけに罰を与えるのはフェアではない。そう、考えるようになった。
「……だからこそ、私も多少は苦労して、罰を受けようかと思うわ。吸血鬼が罰を好きで受けるなんて、滑稽だけれど」
「はぁ。良くは解りませんが、特殊なプレイがお好みなんですか?」
「ふふ、察しの悪いメイドね」
小難しい事を考えたが、レミリアも半分くらいしか理解していない。ただ兎に角、妹に対する感情が難解で、自分でも
今一はっきりしない例えになってしまっていた。レミリアはもう少し勉強しようと決意する。
「お嬢様、脳内の思考なんて私にはわかりません。日本語でお願いしますわ」
「紅魔館超絶美少女レミリア☆スカーレットお嬢様の細腕奮闘記~湯煙美人は死のセプテット旅情行きずり人妻の酔い
どれ刑事革命的レミサク派~」
「長いですわ。短縮を求めます」
「れみ りあ う~☆」
「まぁ素敵。はいお空に向かってもう一回」
「れみ りあ う~☆」
う~☆ う~☆ う~☆
星の瞬く夜空に超絶美少女レミリア☆スカーレットお嬢様の声が木霊した。木霊した木霊も恥ずかしかったが、犬小屋
の美鈴もなんだか知らないけれど、犬耳と犬シッポを震わせながら凄く恥ずかしかった。不幸があった所為でなったこ
の格好も更に恥ずかしかった。
「でも、本当に頑張れます? お言葉ですけれどその、お嬢様は努力はお嫌いでしょう」
「(え? 伝わったの?)な、何言っているの。罪と罰は表裏一体。そして主と従者は一心同体よ」
「お嬢様、大変うれしゅう御座います。紅茶とビンタは如何です?」
「まぁ咲夜ったら瀟洒ね。たまにはそういうプレイもいいかしら」
「完璧で瀟洒ですもの。なんでも御座れですわ」
紅魔館は今日も(咲夜のレミリアへの迫害で)楽しそうだった。
1 はじめてのおちゃかい
翌日の昼。悪魔の妹はそれはそれは嬉しそうに、悪魔に似つかわしくない程のひまわりのような笑顔を湛えていた。昨
晩の間に咲夜がレミリアのワガママをハイハイと聞き、博麗霊夢と霧雨魔理沙をお茶会に招くと通達。二人はなんで私
達が、と味噌汁を啜りながら否定したが、咲夜は米びつに黒かびを混ぜると瀟洒に脅してかかり、二人は快く招待を受
けたのだ。
普段一日妖精メイド程度しか同じ時間を過ごした事がないフランからすると、姉の意外な提案は心躍るものがあった。
「アイツも面白い事考えるのね。でも……ねぇ咲夜、お茶会ってつまり、みんなで御茶を飲みながらだらだらと他愛も
無く意味も無くくっだらない話を垂れ流す、不毛極まりないものだってパチュリーから訊いたのだけれど?」
「姉君をアイツ呼ばわりしてはいけませんわ。パチュリー様は魔理沙を取られてご立腹なんですの。実際のお茶会とは
つまり高貴な人々の嗜み。実はヨーロッパ辺りで結構最近流行ったなんて話は那由多の彼方にすっとばし、兎も角談笑
に花を咲かせながら優雅に紅茶の味を楽しむ、他人の腹を探るには丁度良い催しです」
「素敵ね。さり気無くそこはかとなく人のお腹を探っても良いのね?」
「リアルに探ると、魔理沙辺りがリアルに爆発して表現に窮する事態になりかねませんのでご容赦くださいね」
「楽しみ、楽しみねぇ。魔理沙と霊夢、早く来ないかしら♪」
モブキャップを乗せた薄く黄色い髪をゆらゆら揺らし、フランは落ち着き無く椅子の上で飛んだり跳ねたりしている。
レミリアやパチュリーともたまにお茶を飲むが、来客とお茶をするのは初めてだ。
レミリアはせめて客間でさせたいと咲夜に”命令”したが、咲夜はそれを笑いながら却下。薄暗い地下室でのじめじめ
したお茶会とあいなる。レミリアの気持ちも解らなくは無いが、咲夜としてはやはり心配があった。
「る~る~おちゃ~かい~♪」
しかしフランはそんな事はどうでも良いのか、笑顔も崩さない。この端は暗くて視界が届かず、様々な形容し難い物体
がゴロツク部屋こそがフランの部屋なのだ。本人からすれば客間よりしっくり来る接客室だ。
「私の部屋でお茶会よ咲夜」
「えぇ、嬉しそうですねフランお嬢様」
「そりゃあもう♪ あ、」
その瞬間、部屋の入り口付近にある石像らしき何かの頭が弾けとんだ。咲夜はそれを笑って流したが、心中はヒヤヒヤ
である。
幾ら咲夜に時を止めるだけの人外の力があろうと、相手のアクションが見えねば対処出来ない。攻撃に転じる、感情を
此方に向けるなどの兆しが無い攻撃は、咲夜の天敵だ。本来フランが危険とされるのは、その有り余る力の受け皿が小
さい為に漏れ出した感情の余波とでも言うべき突発的な破壊活動が原因だ。フランは、その力の捌け口として物を壊し
ている。悪意はなく、自然体で、何時でも発揮される力である為に咲夜が理解しようとも不可避だろう。
間違いなく幻想郷指折りの能力だ。
それを考えれば、ある意味レミリアより勝機が薄い。正味の話、このぶっこわれた少女とたびたび弾幕を張り合う二人
はバケモノであると咲夜は思っている。
「フランお嬢様……」
「ちょっとはしゃいだだけよ」
丁度タイミング悪く、石像の首が入り口前に落下。
「はは、は、めめめ、メイドちょ、おお、おふたりががががががが」
入り口の妖精メイドは足元をガクガク震わせて半笑いになっていた。
「はいはい。美鈴には攻撃しないよう伝えてあるわ。通して……」
「咲夜、それは私が言うの。メイド、二人を通しなさい?」
「かか、かしここまままままりりりますた」
どうやらバケモノ二人が到着したらしい。遠くからカツカツと石段を降りる足音が聞こえる。
フランが暴れても大丈夫なように設計してあるこの地下は咲夜の能力もあり面白いほど広い為、まるで地下ダンジョン
に迷い込んだような感覚がある。
フランは笑顔で、咲夜はあんまり瀟洒じゃない表情を浮かべてそれを待つ。
「くらっ!! ひろっ!! 私の声うるさっ!!」
「あー、魔理沙五月蝿いわよ。初めてじゃないでしょうに」
重たい扉を妖精メイドが開く。とうとう二人は悪魔の城の最深部に到達した。とはいえ勿論緊張などしていない。して
いるといえば、咲夜くらいだろう。魔理沙は紅魔館をトレジャーハンティングする癖が染み付いているので今更である
し、博麗の巫女は元より恐いものなど一つもない。
「いらっしゃい二人とも。さ、こっちいらっしゃいな?」
「おお、貴族っぽいなフラン。でもここは地下牢だぜ」
「なんでもいいわよ。咲夜、甘いもの」
「人の家にきてなんて卑しさ。だから謂れの無い噂を立てられるのよ、貧乏だって」
「さーくやぁ。優雅じゃない」
「失礼あそばしちゃいましたわ、おほほほ」
丸いテーブルに真っ白なテーブルクロス。豪華な燭台の上で蝋燭がゆらゆら揺れる。広い部屋の中心の一角だけが、茶
会の会場特設ステージとなっていた。霊夢がアンティークポットを高そうねと言い触ろうとしたが咲夜がこれを阻止。
魔理沙がこのアンティークカップ綺麗だなと懐に仕舞おうとするのを阻止。咲夜早速大活躍だ。
そんな咲夜を観て、フランは不思議そうに声をかける。
「咲夜、貴女は混ざらないの?」
「わたくしは奉仕者ですわ。どうぞ、お三方ごゆるりと」
「流石メイド、超便利だぜ」
「それはいいけど、フランとお茶会だったのね。てっきりレミリアかと思ってたわ」
そこへ紅白が一言。ご尤もな話である。二人はお茶会、としか咲夜から聞いていない。メイドに案内されてつれてこら
れたのは地下であった為不自然に思ったのだろう。咲夜の理論から行くとそんな事はどうでもいいのだ。お茶会なんだ
からお茶会である。当然、巫女も意外にどうでもよかったが、念のためだ。
「霊夢はレミリアがお気に入りなんだぜ」
「ち、違うわよ馬鹿」
「お姉様は良く貴女の神社に行くって聞いていたけれど、まさか二人で」
「ちーがーうーったら。そんな事よりほら、このクッキー美味しい。いいわね、こういう嗜好品が作れる環境があって。
ほら、フランも食べなさいよ」
墓穴を掘ったらしいので無理やり話を変える。巫女は陽気で幸運だが、言葉の突っ込みには弱いらしい。魔理沙はしめ
しめと手にメモ書きする振りをしたが、ドたまに御符をぶち込まれて数秒気を失った。
「―――あら本当。これは誰が?」
言葉をそのまま受け取ったらしいフランがカゴの上に綺麗に盛り付けられたクッキーを手に取って、一口小さな口へと
運ぶ。普段から食べてはいるが、言われてみると違う気がしたので咲夜へと問う。
「……聞くも涙、語るも涙のお話ですわ、フランお嬢様」
「お話のネタにはなりそうね、聞かせて?」
「―――はっ。えぇと、このクッキーに逸話か。逸話ってよりはなんか寓話とか漫談とか混ざってそうだぜ」
早速お茶会と言うよりはただの雑談のようになってきた「優雅なお茶会」だが、当然ここの三人は気になどしない。
それはそれは、とても悲しい話であった。それはつい数時間前。
「咲夜、私、お菓子を作るわ」
「紅魔館に第一級非常事態宣言を発令。繰り返す、第一級非常事態宣言を発令。調理場付近を体感距離にして半径五十
メートルを立ち入り禁止区域とする。全メイドに通達せよ」
「あいあいさー」
これで察していただけると思う次第である。現在調理場は散々たる有様で、修復には半日かかるかもしれない。
「うう……妹の為に命を投げ出されたお姉様に黙祷ね……ポリポリ」
「泣けるぜ、なぁ霊夢? ポリポリ」
「やっぱり料理は出来ないわよね。根っからのお嬢様だもの。人間じゃないし。ポリポリ」
「結局私が作り直しました……がっ! がしかし! このクッキーにお嬢様の、レミリアお嬢様の熱意と失敗作のひと
かけらが篭っているという事だけは、評価して頂きたいっ!!」
咲夜は叫んだ。浴槽から溢れ出たお湯の如く涙を流しながら。
「まぁいいわよ、咲夜。御茶」
「はいはい」
それでも即座に切り替える辺りが咲夜である。メイド長はカッコイイのだ。
結局それから、他愛も無くくだらなく不毛な会話が続けられる。昨日はパチュリーの秘蔵本を手に入れたんだが、妙に
薄くて24Pしかなくて、でもフルカラーである意味笑えたなんて話、お姉様は昼頃突然起きだして咲夜の布団に潜り
こみ、夜にはあられもない姿で、自室で簀巻きにされていたなんて話、昨日賽銭箱を開けたら子供銀行円が入っていて
それに激怒して一騒動起そうとしたらスキマに落とされたなんて話。
大概色々ツッコミどころがあって咲夜も制止したいのは山々だったが、あまりにもフランが面白そうにしているので、
止めるに止めれなかった。
それに、笑っている間は要所要所で爆発やらがあったが、何時もより大人しく控えめであるようにも感じられた。問題
が起こりそうにもなく、それだけは咲夜を安心させてくれる。
「でっさぁ。咲夜がパッドなんだろって門番に聞いたら、あれは本物です! ってキレたんだよ。どうやって確認した
のかって問い詰めたらアンタ、ふひひひひひひ」
「やぁだ。触ったのかしら。なんだかイカガワシイわね。咲夜、御茶」
「霊夢、アンタは幻想郷の水を飲み干すつもりかしら」
「違うわよ魔理沙も霊夢も。きっとパッドかって聞かれたら本物ですって答えるように調教してあるのよっ」
「あひひひっ、はははっ!! さくやメイドちょがパッド……パッド長!! はひひひひっ」
「何、なにそ、は、はふ、あははっ!! なにそれぇ」
「魔理沙、あっは……さいてー……ぷっ、あっはははははははははははッ!!」
「(ビキビキィ)」
少女憤慨中。
でも咲夜は完璧なのでブチギレたりしない。お前等こそ誇るほど無いだろう、と思っても口にはしない。メイド長は素
敵なのだ。キレたりはしないが、魔理沙の帽子にナイフを二、三本突き立て、霊夢の腋の産毛をそり落としたりはした。
(まったく……)
女三人よれば姦しいとは言うが、典型である。意外にも三人の相性は良いのか、口も止めずに喋くり垂らしている。内
容はひどいが。とても美しくないが。
額に眉間に寄る皺を強制的に引き伸ばしながら、咲夜はこの地獄の談笑を堪える。
「はぁ……咲夜、紅茶おかわり頂戴……ふふ、霊夢ってホント……えぇ? そうなの? 外ってそんなに?」
「はい」
一方フランはといえば、兎も角、面白かった。何が面白いかといえば話の内容は半分程度で、顔見知りと御茶を飲みな
がら一緒にいるのが単純に嬉しかったのだ。相槌を打ちながら、自分の知っている微々たる知識と記憶を言葉にして、
目の前の二人と会話を交す。先ほどから自分の能力のお陰でドカンドカンと部屋のあちこちが爆発しているが、この二
人は意に介さない。
……決して、意図して壊したいなどとは思っていないが、楽しすぎて思わず目の前の二人を破壊してしまいそうなのだ。
それを、ずらす。ずらして破壊する。可笑しそうに腹を抱えて笑う二人を破壊せぬよう、気が引かれてターゲッティン
グしてしまう二人から意識をずらし『目』を握って潰す。
最初は意識的にやっていたが、会話がヒートアップするにつれて慣れてきたらしく、半分無意識でも握る『目』の対象
をずらせるようになっていた。
(少なくとも、ここならフランお嬢様もこの二人相手に話くらいは出来る……みたいね)
狂っていると評される事が多いが、かなり偏見が多い。姉ですら多少偏った見方をしている。それは咲夜や美鈴にも適
応される思い込みだ。
見た目は姉と変わらぬ年頃の少女に見えるが、如何せん姉よりかなり精神年齢が幼い。言葉の節々はしっかりしている
し、幼いと言う割にはしっかりしているようだが、それはそのような印象を受けるだけの話であって、中身はやはり幼
女と相違ない。
こういった頃合の子供に必要なのは、親の教育と『友達』とのコミュニケーションだ。レミリアも察していたのかもし
れない。子供は好き勝手遊ぶ。家にあるものに落書きし、モノを壊す。そして近所の子供達との遊びや、幼稚園や小学
校などといった小さなコミュニティーに属する事により、何をしてはいけないか、何をしたら嫌がられるかを学ぶ。
そう考えれば、フランの力は過剰だが、通常の外を知らない子供と何の変わりがあろうか。
姉のレミリアスカーレットは、ある意味で今まで過保護すぎた。
勿論、幻想郷にいるからこそ出来るようなものであるが。
「はぁ……ふぅ……は、初めてこんなに喋ったかも」
「お前、なかなかノリいいじゃないか。何で表に出れないのか不思議だぜ」
そこで魔理沙の空気が読めない魔法が発動する。しかし、ここは完璧メイドのフィールドだ。魔理沙の真空発言を踏み
台にして話を繋げる。
「今回二人に来てもらったのは、その事についてよ。フランお嬢様は外の世界もまだお知りにならない。突如外に出て
しまうのは、不安でしょう? だから貴女達には協力してもらいたいのよ」
「はぁ。やっぱりそう云うこと。あちら此方ぶっとんで壊れてるけれど、私達には被害ないわね」
「……」
フランの表情が一瞬曇る。しかしここで魔理沙の空気を読む魔法が発動した。奇跡である。
「フラン、そんな顔するなよ。人間だって妖怪だって、初めての事行き成り出来たりはしないんだ」
「あら、私は初めてで何でも出来たけれど……」
「天才は引っ込むといいぜ霊夢。フラン、コイツは特殊だから信じちゃダメだ。一応お前がどんな風に会話するのかは
観察してたんだぜ? お前、壊す対象ずらしてたな」
「えっ、あ、うん……」
「壊すのが止められないならまず抑える事よりお前の今の努力が懸命だと思うぜ。その後で抑える事をならして、抑え
られるようになったら、外に出ればいい」
魔理沙にしては良く出来た発言に、霊夢と咲夜は少し驚く。フランはその言葉を受けて一瞬顔を上げたが、また直ぐに
シュンと俯いてしまった。
「そうですわフランお嬢様。ムカツキますけれど魔理沙の言う通りです。微力ながら、協力いたしますから」
「あの……その……それは嬉しくて、それはそれでいいのだけれど………」
「なんだ?」
フランは……再び顔を上げて三人を流し見てから、顔を伏せる。それを何度か繰り返す。何か言いたげだが、どう言っ
て良いか迷っているように見えた。
心中を察するに―――
フランは人間など本当に最近初めて見た。十六夜咲夜はメイドという種族だと思い込んでいた。自分と同じような形を
したものとここまでの会話を交すなど、これもまた初めて。
家からは殆ど出ない。遊び相手はひしゃげた人形だけ。パチュリーの魔法のお陰で、許可がなければそうそう動き回る
事など出来ない。一応文字は書けるし、言葉も喋れる。しかし暇潰しにと読む本は、あまりに現実味が無くて理解不能
のものが多かった。
その中でも気になった単語がある。それは、親しい者同士が定期的になれあう事を示すものだ。
「こ、これで。その。あのね?」
「なんだなんだ大人しくなっちまって。キモチワルイゼ」
「と……」
「と?」
三人が首を傾げる。そして出てきた単語は一つ。
「友達って……これで私達、友達かしら?」
三人は、何の脈絡もないその発言が妙に可愛らしかったらしく、耐え切れずに爆笑した。
※※※
二人が帰って直ぐ。フランドールは寝そべり、豪華に彩られたベッドの天井をじっと眺めていた。ふと視線を移し、遠
くにある石像の頭の『目』を握りつぶす。石らしい音も立てずに、コナゴナになり粉塵として空中へと舞った。
別に意味はない。何となくである。あの三人の面白可笑しそうな顔を思い出したら、壊したくなったのだ。これは嫌悪
や憎悪から来るものではなく、喜びから来るものであると、その幼い精神が理解する。
四人で喋っていた今日のお茶会と言ったら、楽しくて仕方が無かった。三人を思い出すと感情が高ぶる。
あんなに楽しかった事が今まであっただろうか。真っ当に取り合ってくれた者など今まで居ただろうか。姉すらも忌避
する自分と、ああまで親しくしてくれる者が居た事が、快感で仕方が無かった。
くすくすと笑いながらシーツを掴み、異形の羽をパタつかせながら、悶える。嬉しい。どうしようもないくらいに。
「あははははははははははははははははははははははははははははッッッ!!!!」
思わず笑ってしまう。その声でメイド数人が気絶した事は言うまでも在るまい。これが、狂っていると言われる所以の
一端を担っているのだが、当然当人に自覚はない。
感情を押し殺す事無く嬌声を上げ、感情を爆発させるのは子供には良く有ることだ。そこを、今一紅魔館の人々は理解
していない。
フランの孤立は、この無理解から来る。
こんなにも可愛らしい少女が、相応の扱いを受けていない事に誰かは悔しがった。そして泣いた。
兎も角として、これで第一歩である。自我とは己を自覚する事が初歩であり、それを踏み外すと行ってはならない方向
に性格が歪んだりする。フランの第一歩は大分出遅れたが、過去を悔やんでも未来など来ない。今は今を見るべきこそ
が妥当である。
その出遅れた第一歩は、順調な滑り出しを見せていた。
フランの成長は、今咲夜の双肩にかかっていると言えよう。フラン本人を含め、これに関わった者全員が一筋縄にいか
ない事は覚悟している。フランはずっとこのもどかしい能力と生きてきたのだし、咲夜は何度も物や者が破壊される現
場を見ている。魔理沙と霊夢とて、フランがどれだけの力を有しているか、身をもって知っている。
これから自分自身を、これから自分に関わるヒトや妖怪がどれだけ受け止めてくれるかは不安だ。
けれど今は、少なくとも今この時点では、フランは最高に機嫌が良かった。
「あー……ふふ、明日は来てくれるかしら。来るわよね、咲夜の話では二人とも暇らしいし」
そんな事をぼやく。一生暇だと思われた自分の人生で、これまた初めて「明日が楽しみ」などと思考する脳があった。
意味も無く跳ね起き、また倒れる。また跳ね起き、スプリングをギシギシ歪ませながら、ベッドで飛び上がる。そこに
あるのは、少女にしてはあまりにも魅力的過ぎる、人をとろかすような美しい笑顔である。
「貴女達も意外と気を使うのね。話題、フランお嬢様にも解るようなものばかりだったし」
「お茶会に呼ばれたんだ。主役をコケにするような真似をするほど愚かじゃないんだぜ」
「あらそうだったの? 私は普通に話してたつもりだけれど」
「お前は普通に歩いていてもワープしたりするからな。天然なんだきっと」
「私は真っ直ぐ歩いてるわっ」
フランが狂喜乱舞している頃、夕暮れの門の前に佇む三人の姿があった。本日の総括、と言ったところだろう。一応事
前に配慮はしてくれと二人に頼んだ咲夜だったが、こうまで上手くやってくれとは思ってもみなかった。調度品数点を
壊したのみで実質的実害は無し。フランも順調であると受け取れる。
霊夢の心持ちは何も変わらず普段通り、脅されて屈したと言うよりは、紅魔館のお菓子が食べれると言う理由が強かっ
たので来て見た、というだけ。魔理沙の心持ちは幾分か違い、博麗家の米びつをカビに侵食されるとおまんまが食い挙
げになってしまうという心境からと、レミリア何某が呼びつけるとはどんな事なのか、という好奇心があった。
霊夢は常に何も考えずとも空気は読めるので普段通りだったが、魔理沙は違う。いざ訪れてみればフランとのお茶会だ
と言うから驚きだった。
これは育ちが違うからといった側面が強く、元より霊夢は何物にも縛られない。
霧雨魔理沙は勘当された身だ。自分から飛び出したとはいえ、疎外感を感じなかった訳ではない。
フランとは人生の差異さえあれど、それなりの同情は出来る立場にいる。
「しかし、レミリアも異な事を考えるもんだ。いや、正解かもしれないけど」
「正直、驚きだわ。私も最初は反対したのよ。だって、本当の事を言ってしまえば、危ないんですもの」
「それはそうね。私は別に大した事なかったけれど、やっぱりほかの奴より弾幕も凶悪だし」
霊夢は素っ気無く言い、髪を弄りながら適当にする。魔理沙は少しだけそれが憎たらしかったが、溜息一つ吐いて話を
戻す。
「それで、わざわざ門まで見送りってのは可笑しいと思ったけれど、あれか。明日も来いと?」
「察しが良いのね」
「私はちょっと。今日はお掃除サボってしまったし、明日はやらないと」
「常にサボってるくせに」
「五月蝿いわね。マイペースでも一応ペースなの。ペースは守るのよ」
「ご立派な持論だ。私はいいぜ、咲夜」
「魔理沙にしては聞き分けが良いのね。まぁ、私と貴女でも大丈夫でしょ。社会教育係にしては大雑把だけれど」
「アイツの存在が大雑把なんだ。こっちだって大雑把でも構わないさ」
「そう。じゃあお願いね」
「あぁ。レミリアも努力しろって伝えてくれ」
「話したでしょう。お嬢様も努力はしているの。実らないだけで」
魔理沙がじゃあ、と手を挙げる。咲夜もそれに答え、二人は紅い夕焼けを背にして飛び立った。
咲夜はほっと胸を撫で下ろす。霊夢はいつも通りだが、魔理沙はノリ気でいる事に安心感を覚えた。何せ長時間フラン
と一緒にいると言う事自体、咲夜もあまり経験がない。二日目で早速誰もこなくなってしまったらどうするべきかと悩
む所であった。
魔理沙は来ると言ったが、しかし少しばかり心もとない。今から後々の為に策を練らねば、と顎に手を当て考える。
夕日がカマボコに見え始めるほどの時間程度思考を錯綜させた所で、一つ思いつく。
「明日は明日の風が吹くわ」
思いつき以下であった。
「とはいえ明日魔理沙だけってのもあれよね。美鈴、美鈴?」
返事はない。門に居るならば当然門番が居ても可笑しくない筈だが、霊夢と魔理沙が出て来た辺りから姿形が見当たら
ない。咲夜は目を瞑り精神を統一する。数呼吸置いてから、狙いをつけた部分に思い切りナイフを投げつけた。
「はひっ」
「隠れるとはいい度胸ね美鈴」
非常に見え難い、紅魔館を囲う壁と壁の隙間に紛れていた美鈴に突如放たれたナイフが帽子に刺さり、犬耳をぴくぴく
させる。妖怪なので刺さっても死なないが、痛いのは矢張り嫌だ。
「そんな……気は完全に消していたのに」
「修行が足らないわ。何せ私は完璧メイドですもの」
「どんな理論なんでしょうか」
「イニシャルS探知最速理論」
「今度はおっぱい理論の時みたいに破綻しませんかね」
「さぁ。今考えたし。それで犬美鈴。何故隠れていたの」
「本当にそれを聞いているなら、咲夜さんは鬼です。悪魔です」
トボトボと咲夜の前に現れた美鈴は犬であった。華人小犬紅美鈴。咲夜の顔が思わずにやける。
どうしてこんな事になったかなどという問はあまり意味をなさない。何となくである。なんとなく、パチュリーの魔法
が失敗したり、そんな感じで犬耳なのである。咲夜は犬が好きだ。
「明日、フランお嬢様のお茶会に付き合いなさい。あまり貴女も顔は合わせないでしょう?」
「この前外出して以来ですけれど……えぇ? そんな、恐れ多いです、恐れが多いので辞退したい次第です」
「ダメよ。犬。躾がなってないわね。ご主人様の命令は絶対よ」
「いつからごしゅじ……わんわん」
否定しようとしたところで首元にナイフが来る。とんだご主人様もいたものだ。
「うう。パチュリー様が魔法さえ失敗……いや、咲夜さんが交しさえしなければ……」
「何よ、私が悪いって?」
「ちがいますわん。ゴシュジンサマダイスキ」
「くくく、シッポまでふっちゃって。なんてイヤシイ子なのかしら……」
異常なまでに嗜虐心をそそる美鈴に、咲夜は色々と感極まってしまっている。話が進まないので、進めたくないが美鈴
から切り出す事にした。
「それで、なんでまた私なのでしょう。霊夢や魔理沙に許可は取れなかったんですか?」
「語尾はわん、よ」
「取れなかったわん?」
「魔理沙しか取れなかったわ。だから埋め合わせ。フランお嬢様は明日も朝ご起床になるから、貴女も合わせなさい」
「わかりまし……解ったわん……」
「ゾクゾクゥ」
美鈴は泣いた。理不尽な扱いに。なんかもう紅魔館の警備とかどうでも良くなる位悲しかったが、咲夜の見下す目線を
受けると、なんだか従わなきゃいけない気がしてならなかった。美鈴は変なものに目覚めてしまったのかもしれない。
殊美鈴に置いてのカリスマを感じる度合いは、レミリアより咲夜の方が現段階で強いらしい。
「素直ね。いいわ、犬は従順でなくっちゃ」
「くぅ~ん、くぅ~ん」
「泣くんじゃないわよこの雌犬」
「きゃわんっ」
方向性を見失いかけた辺りでもう日はさようならを告げていた。咲夜はハッと気がつき、取り敢えず己の愚かさを恥じ
たが、美鈴を観るたびに、意外と愚かじゃないんじゃなかろうか、などと思ってしまう。
「ま、まぁ。明日のタイムテーブルはもう書き換えたから、休暇だと思って楽に付き合いなさい」
「しかしその、どのように接すればいいものでしょうか」
「紅魔館内であった事を話のネタになさい。それ以外は私や魔理沙が適当にするから」
「はぁ。趣向は解りましたが、何故?」
「そのちっさな妖怪犬脳で考えなさいよ」
「……?」
「じゃ、宜しく」
そこまで言って、咲夜は館内に戻る。不安は山ほどあるが、不安を他人に悟られるほど垢抜けないメイドではない。
考えるべきは幾つかある。
フランの能力こそが一番の問題だが、門番詰め所をぶち壊して以来反省からか、外に出るとは言わなくなっている。レ
ミリアにしこたま叱られた所為であろう。
それと、このお茶会を継続的に行わなければならない。すると人員がマンネリ化しかねないのだ。今のところ候補とし
て上がっているのは、気心の知れていそうなパチュリー、それとおまけの小悪魔、紅魔館をたびたび訪れるアリス辺り
もそうだろう。
外が如何に良い場所かを会話の中で伝えるのではなく、外に出るとこんな事があるかもしれない、あんな面白い出来事
が待っているかもしれない、といった期待を抱かせる事が重要だ。
ただ外の魅力を教えても全く意味が無い。外に出る為にはどのような努力が必要かを知らせねば本末転倒なのだ。
今日のお茶会だけで、フランは能力の『いなし方』について少しは考え始めている。この行動を生かして行けば、恐ら
くではあるが、今までより数段危険ではないフランドールスカーレットが育つ可能性がある。
難題ではあるが、無理ではないはずだ。何せレミリアの妹なのだから。どれだけ強い力を持っていても過信せず、それ
に操られる事なく生きて行く術を、フランは手に入れられる。
「どうしましょう……美鈴、犬耳似合いすぎだわ……ふ、ふふ」
瀟洒で完璧な十六夜咲夜は、鼻血をダラダラと垂らしながらフラン教育プランを設計をしていた。
2 お嬢様、釜に直接まるまる人を詰めてはいけませんわ
超ハイクオリティハイスペックな才色兼備容姿端麗究極お嬢様ことレミリアスカーレットは、始祖ツェペシュに誓い、
巫山戯ている訳ではないのだ。血縁関係なんかないじゃんとかそんな事はどうでも良くて、兎に角何かに思わず誓って
しまう位、巫山戯ているのではない。
何がいけないのか、顔が小さい分小さな頭で考えるも、答えは出ない。ただ一心に、妹の事を考え、努力はすれど結果
は出ない。早速肩書きが破綻しているが、美少女なので気にはしない。レミリアお嬢様は可愛いのだ。
「お、お嬢様……ですから」
「えーと、塩をひとつかみ」
レミリアは溶けたバターの中にジャパニーズスモウレスラーの如く塩をぶち込んだ。
「あの……ですからね」
「これを泡立て器でほぐす」
恐らく全自動泡立て機もコンセントを抜いて逃げ出す程の速度で混ぜる。そこでボールの中身は弾けと飛び、飛び散っ
た中身が壁に衝突すると同時に四散した。壁が。
「……」
「咲夜、上手くいかないわ」
咲夜は頬にうっすらと血を滲ませ、半笑い。幾ら従者でもその笑顔は主にとってちょっと恐かった。
「な、何よ反抗的ね。これだから若いものは」
「れみりゃ自重」
「うー☆」
紅魔館は今日も素敵である。
本来なれば咲夜に習えばいいのだが、こればかりは苦労して作りたい、という申し出から咲夜も手出しはしなかった。
しかしそのお陰で調理場は地獄絵図と化している。辺りに飛び散ったバターや調味料。明らかに人では食せないであろ
う色をしたクッキーと思しき地球外”生命体”調理器具は泡立て機とヘラだけで三桁消費していた。
咲夜は思うのだ。クッキーを作る材料から生命を生み出すレミリアはある意味天才であるのだろうと。だがそれではク
ッキーは作れない。レミリアは今も懸命にパチュリーが書いた料理本を片手にお菓子作りに勤しんでいる。
「パチェの本がいけないのかしら」
「パチュリー様にしては、ごほん。真っ当に書かれていると思いますわ」
「じゃあ何故かしらね」
「わ、解りません? 本当に?」
「理解不能よ」
咲夜は次の就職先を何処にすべきか一瞬悩んだが、顔中クリーム塗れのレミリアお嬢様がそれを掬って舐める仕草を見
て、必ずこの紅魔館を手中に収めると決意を新たにする。
「ほんとーに、ほんとーに手助けは要りませんか?」
「い、要らないわ。私は努力すると決めたの。さっきの話は本当でしょう?」
先ほどの話。つまり昨日のフランの経緯全てだ。多少咲夜の見解が混じっているが、大方その通り伝えてある。
フランは普段とは違う事柄に触れて新しい道を導き出そうとしている。能力に振り回される事がどれだけ不便かを、身
をもって知り始めている。それを今後どう手助けして行くべきか、どのように努力させるべきか。
それを聞いたレミリアは、やはり驚いたらしい。
「だから尚更なの。あの子はあの子で皆の助けを借りながら成長して行けばいい。私は私で、妹の為に努力もしてこな
かったのだから、一つの事柄に対して真剣に取り組んで努力してみようと思うのよ」
「なら、フランお嬢様に直接通じる事で努力なさったほうが」
「それではダメなのよ。今更、どんな面下げて妹の教育に力を注げって言うの」
姉なりのメンツもあるらしい。
「でも何もしない訳にはいかないわ。だからこうして、間接的に……謝罪と努力を伝えたい」
「受けるのは罰では?」
「誠意よ、誠意。誠意が無ければ罰なんて幾ら受けても変わらないの。それを見せてから、罰は受ける」
「……お嬢様のお考えは深遠ですわ」
「伊達に長くは生きていないわ。咲夜、地下から人肉取ってきて」
「お嬢様、クッキーに肉は使いませんわ」
「え、でもこのページに」
「お嬢様、それは人肉のミートローフのページですわ」
「れみりゃ、うっかり☆」
「……」
咲夜は打ち震えた。ご主人様の馬鹿さ加減に。だがそれがいいと超肯定する。否定するものに瀟洒な死をくれてやる覚
悟はもう出来ている。
しかし……と思う。この調子ではまともに食べられるクッキーが出来る確率は宇宙で人間の住める星を探すに等しいも
のがありそうだ。では時間を止めて作っている間にすりかえるのはどうだろうか。
「咲夜、すりかえないで」
気がついているらしい。でもそれなら何か間違っていると気がつきそうなものだが、お嬢様はそこまで考えが至らない。
別にレミリアが本物の⑨である筈はないのだが、殊料理となると勝手が違うのか、絶望的にセンスがない。
何故料理本通りに作れないのか、改めてパチュリーの書いた本を確かめる。
「お嬢様、お嬢様」
「何かしら」
「これ、どうやら時間が経つ毎にページの内容が入れ替わるみたいです。これ、ほら。九〇㌘が何時の間にか二㌔に」
「まぁ本当。パチェも変な本を書くのね……」
(それ以前に内容を真に受けるのもどうなのよ)
所詮パチュリーの本である。これを信用しようと言うのが全ての間違いだったか。
「えーっと、砂糖を70㌘二回に分けて混ぜ……」
調理場に散弾銃を撒き散らした如く、バターが兆弾した。本ではない。
やはりレミリアこそが原因である。
「まじ、ほんと、もう少し加減して」
「やだわ、咲夜。私のお料理テクニックは108式まであるのよ」
「いらんいらんいらん」
レミリアお嬢様のクッキー作りは、このままでは熾烈を極めるだろう。こうなってしまったレミリアを止める術を咲夜
は持っていない。プライドが高い上にメンツは絶対。メイドに出来る事はだいたい、限られる。
「お嬢様、少しお茶にいたしましょう。物事継続させる事は大事ですが、休憩なくして成長はありませんわ」
「……そう、ね。調理場はこのままでいいわ。どうせ後でまたするし。片付けまでして、料理よ」
「ご立派ですわ、お嬢様」
それは基本的にスポーツの理論だが、レミリアはメイドに強く言われると結構素直なので承諾する。ここ二日、時間に
空きさえあれば調理場にいたのであるからして、疲れている所為もあるだろう。
咲夜はお嬢様の至る所に飛び散った黄色がかった白いあれを丁寧に拭き取ってから、レミリアの自室に導いた。
「不器用なのかしら、私」
咲夜に着替えを手伝わせながら、レミリアがぼやく。
「ナイフやフォークは普通に扱われているじゃありませんか」
「あれ、実は一番弱く触ってるのよ。それ以上力を入れると折れるから」
なんとなくゾッとする話だ。レミリアスカーレット及びフランドールスカーレットはその種族としての畏怖と、溢れ出
る超越的存在感、そして能力から恐れられる事が多いが、実質的にもっと恐ろしいのは、異常なまでの身体能力だ。
人間などとは比べ物にはならず、その他妖怪の中でも群を抜く馬鹿力。
特にレミリアの場合はまさに怪力と称するにふさわしい力を持っている。大には大に、小には小にで大幅に大まかに調
整は出来るが、ハンパになるとムズカシイという。
「慣れで御座いましょうね。お嬢様にもフランお嬢様にも、時間は沢山ありますし、そう焦る事でもありませんわ」
「とは言うものの、ね。フランの成長が早いのなら、私もそれにあわせなきゃならないわ。先ほどの説明通りに」
「しっかりと誠意を込めて、ですか」
「儀式みたいなものよ。勝手に進行してしまう儀式に、此方が段取りを合わせるの。フランが何時の間にか外に出れる
ようになっていても、私がクッキー一つ作れないんじゃお話にならないわ」
そういって溜息を吐く。レミリアなりに悩みであるらしい。椅子に寄りかかった頃には、もう既にお茶の用意がされて
ある。便利なものね、と再度溜息。
「いいわね咲夜は、何でも出来て」
「高貴なお方は何もしない事こそ美徳。仕える者は何でも出来る事が美徳ですわ」
「お嬢様をたてるのが上手ね」
「これも一重に愛です」
主たるもの何もする事無かれ。その威厳を維持する努力さえしていればいいのだ。何も気に止める事はない、と咲夜は
言いたいらしい。レミリアも主として長いのであるから当然弁えている事実だが、いざ何かしなければならなくなった
時に何も出来ないのは、流石にもどかしかった。
力の強い吸血鬼として胸を張り、人々を恐怖に陥れる悪魔としての罪を被るのが仕事。
それを考えると、幻想郷においてあまり機能しない威厳である。紅魔館秩序形成のトップを司って行くには今後がやは
り不安だ。姉も妹も、変化の時期に来ているのだなとレミリアは痛感する。
「……難しいわね」
「慣れで御座いますわ」
「変われるかしら?」
「貴女は私達の主。私達からすれば、神よりも仏よりも、偉いし凄いんです。当然出来ますわ」
「―――そうね」
腕掛けを指でトントンと叩きながら暫く物思いに耽っていると、咲夜が時間を気にしだした。吸血鬼からすると最近は
夜昼逆転の生活をしている為時間感覚が今一しっかりしていなかったが、考えればどうという事もない。先ほどから何
の為にクッキーを焼いていたかといえば、この時間に合わせて焼いていたのだ。
「魔理沙が来るのね」
「二日目です。霊夢も欲しかった所ですけれど、彼女なりに色々あるのでしょう」
「霊夢はむしろ私とお茶会すべきだと思うのよ」
「まぁ……この十六夜咲夜というモノがありながら……」
「えっ……?」
「えっ……?」
「と、兎も角行ってらっしゃい。私は適当に続けておくから」
「畏まりました。調理場にあります流水とニンニクにはご注意くださいね」
「えぇ。水は貯めてあれば大丈夫だけれど……でもなんでこの紅魔館にニンニクなんて」
「あ、魔理沙が来たみたいですわ。それでは失礼おば」
言いかけた所で咲夜は消え失せた。どうやら自分の知らない所で紅魔館は大分動いているらしい。主として労働者革命
を危惧しつつ、残りの紅茶をぐいりと煽ってから部屋を出た。
「それにしても、フランが順調なのは良い事よね。不安だらけだけれど」
自分に纏わる苦労は別に置いて、最近の思いつきが意外な成果を齎している事については素直に喜ぶべきだろう。こう
なれば紅魔館の防衛機能についても再検討しなければならない。これは紅魔館の外患ではなく、内患についての防衛機
能。フランが起す問題を解決する役割を担った者に相談すべきが吉だ。
防衛機能繋がりで思い出した外患用の装置を確かめようと、窓の外に目を向ける。丁度魔理沙と門番とメイドが三人何
かしら話し合いをしている最中であった。
門番に魔理沙の一撃。犬耳の華人小娘は豪快に吹っ飛んでいる。見直す必要がありそうだ。
それは良し、としてレミリアはまず調理場へ赴く。貯蔵庫を開け放ち―――
「ぶちまけろぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!」
何時の間にか大量に貯蔵されていたニンニクの袋目掛けてグングニルをぶち込む。さいっこうに嫌な臭いがしたが、気
分はすっきりした。これで暫くは武装蜂起される心配もあるまい。
「はン、所詮根菜ね」
ニンニクを見下し、次へと向かう。すれ違うメイドに対してカリスマを駄々漏れにさせながら廊下を進み、大図書館ま
で赴いた。
言わずと知れた知識の魔窟。大きな扉を開け放つと多少饐えた臭いがした。眼下に広がるのは幾層にもなる本の城壁。
階段を上り下りするのも面倒なので、飛び上がってパチュリーの居る場所まで行く。
「パチェ、居るかしら?」
「だ、ダメよこぁ、誰か来たらどうするつもり……?」
「大丈夫です、誰もきやしませんよこんな所……」
「あ、アリスや魔理沙辺りなら来るでしょ……やっ、やめて頂戴……」
「うわ、ここを開いたらこんなに……パチュリー様ったら……」
「嗚呼……ダメだって言ったのに……ほんとイタズラ好きね貴女は……」
「ふふ……解って使役しているクセに……」
「あんた等ホントそんな役割よね、パチェ」
「はひっ」
「あわわ」
パチュリーが常日頃から作業する机の下に二人は蹲っていた。何をしているのかといえば、机の隠し引出しをこぁが無
理やり開けているのだった。その中には妙に薄いカラフルな表紙の本が沢山あり、二人の周りにも広げられている。
ちなみに当然、印刷しているのは天狗である。文ちゃんにも大人気。
「ああああ、れれレミィ。何時からそこに。これは違うの、違うのよ。とてつもなく危険なグリモワールなものだから、
管理しやすいここにこう、隠すようにそこはかとなく大量にね、ねレミィ」
「別に……貴女の趣味に文句をつけるつもりはないけれど……ん?」
「そ、それはだめぇぇっ」
レミリアは足元に落ちていた物体を拾い上げる。それは魔理沙に似ていた。具体的に表現すれば、魔理沙に似たそれが
魔女服をはためかせ箒に跨る、という躍動感溢れた一品。酷く精巧に作られており、メイドインジャパンだと一目で解
る代物である。日本の技術は色々な意味で世界一であった。
「ううっこぁがいけないのよ……開けちゃダメって言ったのに……」
「嘘です。恥ずかしがっていたけれど喜んでいたくせに……」
「ああ、紅魔館大丈夫かしら……」
泣き崩れるパチュリーを哀れに思いながら、レミリアはそっと彼女を抱き起こす。そして耳ウチするのだ。
どこに売っているのかと。メイドと巫女はないのかと。
その瞬間、パチュリーは病弱っ娘とは思えない程の血色の良い表情になり、EXパチュリーも吃驚な速度で薀蓄を語り
始めた。これだけ喋れればロイヤルフレアの百発や二百発楽勝だろう。
―――レミリアは思う。きっとこれでいいのだろうと。
「……はぁ……はぁ……喘息治りそう」
「それは良かったわ。小悪魔、貴女はちょっと席を外して頂戴」
「は、はい。畏まりました」
散々たっぷり五分ほど無呼吸で喋り続けたパチュリーを宥め透かし、あいた椅子に腰掛ける。
大分脱線したが本題はこんな事ではない。
「ふぅ……さて、図書館にどんな用かしら、レミィ」
「貴女も咲夜も切り替え早いわねぇ」
「只者じゃ生き残れない、それが紅魔館よ」
「いやまぁ、主は私なんだけれど……あーっと、実はフランの事なのよ」
「妹様? ああ、たしかメイド達の間で色々うわさになっていたわね」
「えぇ」
大体の事情は把握しているらしいパチュリーに、取り敢えず咲夜から聞いた経過を報告する。野暮ったくて量の多い髪
を手櫛で解きながらパチュリーはそれをウンウンと聞く。
フランドールスカーレットを抑止する仕事を担っている彼女からすれば、当然レミリアの話は興味深い。
たった一日だけでも大分変化がある。この分で行けば、近いうちにフランは外に出れるかもしれない。レミリアは不安
と期待を入り混じらせながら話し、その都度パチュリーがああであるこうであると返す。
「つまり、妹様がその急激な変化に戸惑わないか、という事ね」
「そう。精神は子供よ。けれどね、やはり私と五歳程度しか違わないの。彼女は成長しなかったと言うより、成長を止
めていたと言うのが正しいわ。知恵もある。恥もある。けれど、新たに生まれた変化にどこまでついていけるかは心配
ね。五歳しか違わないにしても、やはり精神は子供なの」
「存在自体が矛盾のような精神構造だものね、妹様は。うーん。少なくとも、人に危害を加える事に関してはそこまで
懸念する必要があるとは思えないわ」
「あら、どうしてかしら?」
「貴女達吸血鬼っていう種族は、生まれながらの、純粋な吸血鬼。超越した力と能力を行使する悪の権化よ。そして悪
魔たるもの契約は絶対。この幻想郷において、吸血鬼は勝手に人を襲ってはいけないという契約がある。それは妹様に
も適用されるわ。万が一にでも人に危害を加える事はないでしょうし、妖怪を襲ったところで、幻想郷の妖怪がそんな
ヤワであるとも思えないのよ。ほら、例え美鈴だってバラバラになっても三日で直るわ」
「んー。けれどそれだと矛盾しないかしら? フランは霊夢と魔理沙に攻撃しないよう苦労したらしいけれど」
「霊夢と魔理沙が人間? あっは、私達より強い人間はそれは人間ではないわレミィ。確かに種族人間かもしれないけ
れど、あれは例外よ。人間は吸血鬼より弱い、という事を基調とした契約なのだから、吸血鬼より強い者には適用され
ないわ。貴女だって二人と、ルールありとはいえ弾幕ごっこできたでしょう?」
「まぁ、契約って随分ザルなのね」
「えぇ。杞憂よレミィ。手を出せる人間なんて限られるし、妖怪はそう簡単に死なない。それより危惧すべきは、単純
な破壊行動ね」
「そ、そうね。そう。パチェは頭が良くて助かるわ。私ったらあまり気が回らなくて」
レミリアは肩を上下させて溜息を吐く。流石パチュリー、知識に関しては自分よりも数段上だ。気がつかないところに
良く気がついてくれる。長い付き合いになるが、やはり良い友人を持ったものだと今更ながら嬉しく思う。
良く問題も起す友人だが、自分以上にフランや自分の事を考えてくれている。
「そうね、急激な変化への戸惑いはあるでしょう。それに伴う破壊活動も、少なからずある。けれどやはり子供って、
好き勝手やったり、肉親に疑問を持ったり、痛い目を見たり、失敗したり、叱られたりして、そして成長するんじゃな
いかしら。深層に溜め込んだストレスを受け取ってあげるのもまた、親、いえ、姉の役割じゃないかと思うのよ」
「なるほど……」
「でも妹様の場合、もっと深くに溜め込んでいるものがあるでしょうけれど」
パチュリーが、そこだけ意味ありげに一言加える。
「深くに? 普段から感じているストレス以外のものって事かしら?」
「解らない? ま、今は順調のようだけれど、何が切欠で爆発するとも解らないわ。子供は爆弾、ふふ、妹様の場合核
弾頭ね」
「受けきれるかしら、そんな訳の解らない爆弾」
「受けきれるわよ」
「根拠は?」
「貴女が姉だから。レミィ、さっきからその本当に不安そうな顔どうにかならない? ちょっと可愛らしいわよ」
「うっ……」
パチュリーに指摘されて気がつく。きっと咲夜にも見せない程の酷い表情をしていたのだろうと思うと、顔が赤くなる。
少し可笑しな奴だが、やはり良い友人だ。
「こんなにも心配する姉が居るのだもの、妹だってきっと解ってくれるわ」
「そう……かしらね」
「自信を持って頂戴。血を分けた姉妹じゃない。悪魔の血の繋がりとは人間の血の繋がりより数段濃いわ。心配なら直
接妹様に聞いてみてもいいんじゃないかしら。勿論、遠回しに、レミィが心配してるなんて感じさせない程度に」
「そ、そうね……有難う、また来るわ」
「えぇ、いつでも。レミィ、がんばよ」
「―――えぇ」
その言葉を受けて、心の中に蟠った良く解らない感情が少しばかり晴れた気がした。見た目は陰鬱だが、なかなかに陽
気な図書館だと、レミリアは認識を新たにする。
いい友人に、いい従者、面白い住人たちに、全てを許容する幻想郷。
その素晴らしさを、あの妹にも伝えてやりたい。
「さて、またクッキーでも作るか……加減できないのよねぇ」
それにはまず、誠意が必要だ。改めて妹に”姉”として接する為に、踏み台が必要だと、レミリアは思う。
パチュリーの提案は受け入れるかどうか迷ったが、妹の現状を直接聞く程度なんでもないだろうと考える。成長過程を
観察するのも、姉としては必要だ。
それでどう転んでも……きっと悪くはならないだろう、とレミリアは自分に言い聞かせる。
※※※
「今日はどうだったの、咲夜」
日も沈み、午後の部のメイド達が強制労働に草臥れ始める頃。テーブルの上座に一人だけ腰掛け、食後のお茶を啜りな
がら咲夜へと問い掛ける。発言に些か棘があるのは、クッキー作りが今だ上手くいかないのが原因だろう。
咲夜が夕食を作る為に調理場に入った頃には一応掃除はしてあったが、今までの比ではないくらい破損は目立った。現
在妖精メイド達が修復中であるが、おそらく明日にはもっと壊れているのだろう。
「はい。だいぶ機嫌が宜しいようでした。魔理沙とも仲が良いですし、美鈴を面白そうに弄っていましたし。耳とか」
咲夜は率直な感想だけ述べる。フランは昨日にも増して能力の扱いが上手くいっているらしく上機嫌。魔理沙の話を聞
きながらケタケタと笑い、美鈴を弄っていた。
「それと、これは私も驚いたのですけれど」
「何?」
「フランお嬢様は、美鈴に謝りましたわ。犬小屋にしてしまってごめんなさい、と」
「……あの子が? まぁ。門番に頭を下げたの?」
レミリアは思わず目を見開いて驚く。自分が思っている以上に、フランの成長具合が著しい。紅魔館の吸血鬼としては
どうなのか、と問われれば問題だが、悪い事を悪いと認めるだけの認識が出来る事を示している。
……意外、と言うよりは異常。鬱積としていたモノを解放するだけでここまで伸びるか。
「も、元より悪いと思えるだけの頭はあったのよね」
「えぇ。ですからあまり外に出たくなくなった。けれど、謝るのは進歩です。基本的にモノを壊す事に対しての罪悪感
は、薄いだろうと思っていましたが」
「弁えているわけね。誰から習うのかしら」
「……元から知っていたのでしょう。ただ、発揮する場がなかっただけで」
「……成る程」
いや、と考え直す。異常なのは自分なのだ。フランは何も凄くなどない。知識はもっているのだから。ただそれを実行
する舞台がなかった。部屋に閉じ込めていれば当然だ。
レミリアは後ろめたい気持ちもある。しかし、それよりも大きな気持ちが湧き上がるのだ。
期待。希望。長らく忘れていた妹への想い。考え。
それがレミリアの中で頭を出す。顔を覗かせる。外の世界を渇望する妹をワガママだと切り捨てた過去の自分が恥ずか
しい。
「咲夜……私は、間違っていたのよね」
「いいえ、お嬢様。お嬢様のご決断は、全て正解です」
「それは、従者として?」
「今良くなっているではありませんか。過去は振り返って学ぶ為にあります。後悔する為にあるのではありませんわ」
「長く生きているような事を言うわね貴女は」
「失礼しました」
「……そうね。いいのよ咲夜、貴女は良い子だわ。素敵な従者よ」
咲夜に視線を向ける。僅かだが、咲夜の表情に微笑みが見て取れた。
「フランの部屋に行くわ」
「お供します」
「いいの、一人で行く。聞きたいこともあるし、姉妹でたまには話したいわ」
「……あら、その包みはもしかして……」
「不恰好で、分量も間違えてしまったけれど、一応形にはなったから」
「お茶だけ、お持ちします」
「そうして頂戴」
手元にあるのは一包みのクッキー。何度か焼いて、食べれそうなものだけを幾つか見繕ってきた。ちゃんと出来るまで
は自分が作ったとは明かさない。姉は完璧でなければいけないのだ。
ただ、これを食べてどんな反応を見せるかは気になる。味見した限り、食べられないほどではないとは、自負している。
力の加減を思い切り弱めて作った為に、材料が混ざりきらず味がまばらで、膨らんでいなかったりするが―――。
「あら、お姉様?」
「フラン、ご機嫌いかがかしら」
「珍しい。ほら、こっちに」
光など一切差し込まない箱庭に、レミリアが足を運ぶ。フランは唐突な訪問に驚くが、機嫌は良いのでぞんざいには扱
わず迎え入れた。二人がベッドに腰掛けると、突如現れた咲夜がお茶だけを入れてすぐさま消え去る。ホント面白いメ
イドね、というフランの発言に、レミリアはただ頷いた。
「それで、どうされたのお姉様。こんな薄暗く気持ちの悪い場所に」
「そうかしら。吸血鬼にはお似合いで羨ましい限りよ」
皮肉を皮肉で返してしまった、と多少後悔するがこれも何時もの事。レミリアは些かばかり気を使いすぎて、普段なら
何でもない事も今は失言のように思えてしまう。
「そう考えると、それはそうかも……」
「な、何言ってるの。幾ら吸血鬼でももうちょっと明るくたっていいわ。今時の吸血鬼は日中外に出るのがトレンドよ」
「そっか。お姉様は霊夢に会う為昼間外に出るものね。苦しくないの?」
「日傘があれば。それに、私達ほど高等な吸血鬼なれば、日光なんてちょっとムカツクぐらいなものよ」
「痛くないのかしら」
「ちょっとよ、ちょっと。貴女もそのうち解るわ」
「……外は、その、羨ましいとは思うけれど」
出だしは悪かったが、上手く話には乗ってくれたらしい。フランもこの話題については興味がある。
憧れの外の世界。夜に紅魔館の庭へ出る程度ならば幾度でもあったが、紅魔館の外となると殆ど無い。昼の景色も、紅
魔館の窓から見える光景のみだけを知っている。
フランからすると、昼間の外など窓枠を額縁にした絵画に他ならない。それは確かに現実ではあるのだが、実体験がな
いのではやはり幻想と相違ない。
今日美鈴に謝ったのも、ほかならぬ自分の為でもあった。反省する態度は、誠意さえ見せられれば下心など誰も気にし
ない。昼の外へ出てみたい。夜の大空を舞ってみたい。
まさにフランは箱庭だけが生活圏、という隔離された生活を送っている。常に変化は乏しく、誰かが訪れる事も少ない。
「……霊夢も魔理沙も、ちょっと可笑しいけれど面白いでしょう」
「あれが人間。私、咲夜をメイドっていう種族だと思っていたわ」
「メイドとしか言わなかったから当然ね。そう、羽はないけれど、私達と同じような姿をした、モノを考える哺乳類。
始めてあった時は、どう思ったのかしら」
紅霧異変後。レミリアが雨のお陰で帰宅出来なくなった日の事。
良く喋るパチュリーの先にいたのは、自分という名の引きこもり。今でも脳裏に焼き付いている、自分を凌ぐほどの力
を持った人間二人。
自分が良く飲む、紅い血液を詰め込んだ袋……。
その二人は人間で、常日頃から食べているものの原型で、しかも面白いものだった。
「嬉しかった、と思う」
「そうよね、変なのにね。そんな面白い人間が、まだ外には居るかもしれない。面白い妖怪が外には居るかもしれない」
「えぇ……うん」
「ここ最近はどうかしら。私の計らいだけれど、楽しんでもらえているかしら?」
「それは、すごく! すごくよお姉様!」
問いに対して強調した答えを出す。今は凄く面白い、どうあっても否定出来ない面白さがある。自分を自分としてみて
くれる人間がいて、おかしな門番がいて。みんな友達だ。一緒にお茶を飲んでお話をするだけで友達になれる。
信じ難いほどの喜びがフランの胸中に去来するのだ。
ほぼ幽閉状態にされている事実に対しての反感は大いにあるが、例え姉の気まぐれでもこういった計らいは嬉しい。そ
れだけ代わり映えの無い生活をしていたのだ。毎日淡々と何も無い事柄を何も無い感情のまま向き合い、五百年近い年
月を過ごしてきた。
そしてある時来客。紅魔館の変化に、姉の心変わり。そして自分への待遇の変革。
フランは、一生分の娯楽の中に身を投げ出したような、浮かれた気持ちでいる。
「霊夢も魔理沙もメイドも美鈴も、今は友達よ。友達って素敵ね、お姉様」
「霊夢魔理沙は友達でもいいけれど、後者二人は召使よ」
「ふふ、なんだっていいわ。あの二人だって私とあまり話す機会なんてなかったもの。小事でも大事でもそれを面白可
笑しく話して盛り上がれるなら、友達よ」
妹はこんなに饒舌であっただろうか。心底楽しそうに話すフランがまるで他人にしか見えない。影で自分の事をアイツ
呼ばわりし、姉への反感を募らせ、鬱憤が溜まると物を壊す印象しかなかったのだからして、これは驚きだ。
「あら、お姉様、その包みは?」
そんな考えをめぐらせていると、手元に抱えた包みへのつっこみが入る。
「あ、ああ。妖精メイドが作ったの。お嬢様方にって。お馬鹿で役立たずだけれど、妖精はそこが良いのかしらね」
「疑問に思っていたの。なんで役立たずを大量に雇うのかって。お姉様の趣味だったのね?」
「ペットと同列よ。馬鹿ほど可愛いわ。これ、味の保障は出来ないけれど、つまむ?」
「うんうん」
包みを開いて、フランに差し出す。自分の作ったものを人に食べさせるのは、長い間生きてきて初めての経験だ。年甲
斐もなく緊張してしまう。それは考えれば考えるほど情けない話であったが、咲夜に言えばまた同じ答えが帰って来る
のだと思った。
お嬢様はお嬢様。主は料理など出来なくとも主なのだ。
「んー……なんか、しょっぱい」
「そそ、そうね、そうよね。私もそう思ったのだけれど、一応口をつけたほうが格好がつくでしょう」
「要努力よね、お姉様。妖精の気まぐれなんだろうから、努力なんて言葉が通じるかは知らないけれどっと」
一齧りしたクッキーが包みに戻る。
押し寄せる絶望感。嗚呼これが人に認められないという衝撃。カリスマの権化レミリアスカーレットが初めて味わった
完全敗北の味。勝手に作って勝手に持ってきて、勝手に評価を聞いたのだ。当然怒る気も起きない。
生まれた時から、何よりも優れていた。何よりも強く、気高く、高貴な存在であった。存在そのものが人に認められ恐
れられる吸血鬼の主。
完璧を維持する為とはいえ、クッキーの出所を偽った事は恥ずかしいし、一齧りしかされない無残なクッキーが哀れで
あった。
羞恥心が湧き上がる。怒る気はないが、恥ずかしく、悔しく、なんだかやる気が失せてしまう。
天才の挫折、とでも言うべき代物の感情だ。
「……お姉様?」
「え?」
「どうされたの、ぼーっとして。顔が真っ赤だし……」
横に座り呆然とする姉の頬に、妹が手を伸ばす。レミリアは、思わずその手を振り払ってしまった。
「あたっ」
「あ、ふ、フラン」
「お姉様の馬鹿力……痛いじゃない」
爪をかけてしまったのか、フランの腕から一筋の血が滴っていた。そんなことをするつもりではなかったのだが……と
罪悪感を感じる。レミリアは思わず立ち上がり、背を向けて部屋を出て行ってしまった。
残されたのは、口のつけられていない紅茶のカップと、ベッドに散らばったクッキー。
そのシュールさがフランの目を引く。
「お姉様ってあんなに弱弱しかったかしら……」
何時も強気で居丈高な姉とはとても思えない。今日は気分が良い分、自分も優しく接してみようと思っていた矢先に、
いつもと違う姉が現れては調子が狂ってしまう。
「何よ、もう」
ぐっと持ち上がる破壊衝動の鎌首を、フランは押さえつける事もなく発揮。対象となった紅茶のカップは粉々に砕け散
った。あんなにも良い気分であったのに、姉に害された。非常にイラツキを覚え、自分の持っているカップも遠くへ放
り投げる。ガシャン、という乾いた音と共に原型は失われ、何の役にも立たない物質と成り果てた。
不思議なもので……今までならなんとも思わない行動だったが、いざやり終えてみると胸が苦しい。
モノを壊す、とはつまり物体としての存在意義を奪い去る行ないだ。ありとあらゆるものを破壊する程度の能力を有す
る故に、考えもしなかった事柄。
だが今は、この壊れたモノを”例え”にして表現する事が出来る。
簡単に壊してしまったが、もしこれが霊夢や魔理沙だったら。咲夜や美鈴、果ては姉であったら。
想像するだけで、身の毛がよだつ。壊れれば、モノは存在意義を失いただの物質となってしまう。何でもかんでも簡単
に壊していいものなど、何一つ無いように思えてくる。
「……お姉様」
腕から滴る血を、舌を這わせるように舐め取る。生きているからこそ流れる血。割れたカップから漏れ出た赤い紅茶が
血液であるように幻視してしまう。
とはいえ、だ。自分は吸血鬼である。血は飲まねばいけない。同じ格好をした哺乳類から血液を啜り生きる化け物だ。
これは偽善の尤もたるモノだろう、という自覚はある。
……なればこそ、せめて大切なモノくらいは傷つけずにいたい。偽善の上塗りだが、吸血鬼の倫理観からすれば、大分
高尚なものだろう。やはり狂っていると謳われようと、強大な力を有した吸血鬼レミリアスカーレットの妹だ。
「そういえば……お姉様、クッキー作ってるんだっけ」
ベッドに散らばる、歪でしょっぱいクッキーを一つずつ拾って包みに戻す。姉ながらへたくそな嘘だと思いながらも、
もう少し発言を配慮出来なかったか、とも考える。
フランドールスカーレットの胸を締め上げるこの感情は、まだまだ本人が完全に理解しえるものではないが、確実に、
着実に成長へと前へ前へ進んでいる。過去は振り返らず、新しい道を探して未来を見る。
「やっぱりしょっぱいわ、お姉様」
再び齧ったクッキーは、涙のようなしょっぱさを湛える味であった。
3 形無きものの壊れやすさよ
『最近の経過は』
『順調ですわ。ただ、やはりマンネリ化というか、このプログラムの限界を感じます』
『でも……やはり違うでしょう。今は』
『暴発の回数が激減。この分なら近々……とは、思っています』
『もう……一週間。大丈夫だといえる確証は欲しい所ね』
『……』
フランの社会進出、もといお外へおでかけ出来るように教育する咲夜のプログラムは順調に進んでいた。二日目辺りか
ら不自然に物思いに耽る仕草を見せるフランを不安にも思っていたが、霊夢や魔理沙、パチュリーやアリスがお茶会に
来る都度成長が伺える。
教育係としては満足の行く成長振りだ。会話を交える事で相手に配慮し、自分の力をいなし抑える術を段々と学び、今
日で既に一週間を迎えようとしている。
その中で一際役にたっている雑談役……教育係といえば、魔理沙であった。
普段からあまり人に配慮する人間ではなく、好きな事を言い好きな事をして自由に生きるタイプの迷惑な輩だけに、咲
夜も意外であった。
「それでな、アリスの家の隠し金庫をこじ開けて中を見たら……ふふ、何があったと思う?」
「ちょ、おま、何言ってるのよバカッ!!」
「アリスって根暗っぽいし、むしろそれ以上何を隠すのよって感じもするわ」
「……友達好感度リストなるものを発見したんだ」
「うわあぁぁぁぁん……いいじゃないっ! いいじゃない知り合いの好感度調査くらいしたって!!」
「アリス……なんだか同じ臭いがすると思ってたらやっぱり……」
「ぐすっ……いいじゃないいいじゃない……そうよそうよ、友達なんて人形くらいよ……」
「フランとアリスの違いといえば、フランは外に出なかっただけであって、アリスの場合は素だもんな」
「ふん……どうせ人形劇する位が関の山のヘタレ魔法使いですよ……」
「なら私と友達。だから大丈夫よ」
「聞いた魔理沙!! 私友達が出来たのっ!」
「そ、そうかい」
咲夜はそんな不毛な会話(特にアリスの)を聞きながら、淡々とお茶を注ぐ。
確かに、フランの変革には多大なる影響を与えたこの企画だったが、そろそろ限界があるように思えた。あれから一週
間、フランは目覚しい成長を遂げたが、そろそろステップアップするべきだと、咲夜は考える。
思うには思うのだが、外に出すにはまだ、恐い。紅魔館周辺を歩かせる程度なら何時でも出来るが、紅魔館の外、夜の
外を目の当たりにしたフランが、その感情を抑えきれるか疑問なのだ。
思わず魔理沙に頼ってしまいそうになるが……魔理沙はやはり好きな事しかしていない。
「フラン、壊す回数も減ったし、抑える努力はしてるんだな?」
「え、うん。これなら変な事さえなければ、感情的に壊したりは、しないと、その、思う」
「確証はない、と。当然だなぁ。まだ外には出られないのかな」
「私は大丈夫だと思うけれど、まぁ人様の家に口出しはしないわ」
その通りだ。フランも自分を把握しているらしい。確証など何処にも無い。
フランは髪の毛を弄りながら、憂鬱そうにする。外に興味を抱いたあの日から、外の話を聞いてきた。暗い部屋とは違
う、更に大きな箱庭の世界。幻想郷という魅力的な世界が目の前にある。
だが出れない。出てみたいのは山々だが、また詰め所を破壊したような事をする可能性が否定出来ない。そうなればま
た姉に叱られる。
「壊したら、またお姉様に怒られるわ」
「んー。でも、そんな事があったからレミリアだって私達を集めるような企画を立てたんだろう?」
「そう、なのだけれど……やっぱり、怒られたくないわ。私、お姉様は好きだもの。迷惑かけたくない」
少女らしい思想だった。気にかけてくれるのは嬉しい。けれどそれが裏目に出て同じような事を繰り返すようでは堂堂
巡りになってしまうのではないか。破壊を繰り返すたびに姉に嫌われるのではないか。
外には出たい。しかし愛すべき姉に嫌われるのは、当然一番避けたい事態なのだ。
「うーん、なぁ咲夜、フランが破壊に走る最もな原因って、ナンダト思う?」
「……そう云うことは流石に」
「いいの、咲夜。私も客観的なお話を聞きたいわ。自分でも何となく解るのだけれど、語彙も理解も足りないの」
「……そう、ですか。一メイドの目から見て、何故フランお嬢様が破壊に走るのか……というのは、そうですね。ただ
単に、情緒不安定なのだと思いますのと、知らず知らずに溜め込んでいる不満なのだと思いますわ」
「あら、ストレスって事? フラン、貴女何か溜め込んでる?」
「自覚はないわ。だからこそ知らず知らずなのでしょうけれど、何が溜まっているのかしらね」
「なんだ、ただのストレスか。私はその解消法、知ってるぜ?」
咲夜は思う。言うべきじゃなかったなぁ、と。
完璧メイドも、フランを思うあまりの失言である。そう、魔理沙は基本的には自分のことしか考えていない。そして魔
理沙が今考えているのは、自分がフランを可哀想に思うからこその、自分勝手な考えだ。
フランの事を考えてはいるようだが、発想は唯我独尊である。
「身体を動かせばいいんだ」
この発言にて、とうとうお茶会は終焉を迎え、最悪っぽい形で次のステップに踏み込んだ。魔理沙的健康法は実に単純
で、子供でも理解出来る範囲の運動という一種の労働である。
閉じ篭っていた、ならば動いて発散すべきだ、といった方程式から成るものらしい。
フランはそれに賛同。アリスと咲夜は否定権を発動させたが、魔理沙の強引さとフランのお嬢様権限により却下。一同
は紅魔館本館内の廊下に集められたのである。
「でも、モノを壊さないかしら?」
「弾幕張る訳じゃなし、咲夜がこれだけ紅魔館を広くしてるんだから、鬼ごっこくらいどうって事ないだろ」
フランとしては……正直モノを壊さないか心配でならない。が、それより初めて行う「鬼ごっこ」なるものに、非常に
興味をそそられた。子供の好奇心は無限大である。逆にいえば、モノを壊さず鬼ごっこという運動を出来るかどうか、
という試練であるし、スリルがある。
完璧メイドも頭痛がしてきた。フランを伺う限りでは不安もあるようだが、それよりも遊びたいという欲求が、目から
溢れ出ている。もう凄い、燦々と輝いている。一方のアリスは、また変なものに巻き込まれてしまったと盛大に後悔し
ているらしく、大分項垂れていた。さっきから家に帰って人形と遊ぶとブツブツ呟いている。
「紅魔館は隠れる場所も沢山あるし、こりゃ隠れ鬼ごっこだな。なんかワクワクするぜぇ」
「ルールは? 弾幕なくても遊べるって事は、誰でも出来るんでしょう?」
「子供ならみんなやってるぜ。つまり、誰か一人を追いかける役にして、後はみんな逃げるんだ。捕まったやつは逃げ
る側から追いかける側になる。単純だろ?」
「元から追いかける側だった人は、捕まえた後も追いかける側?」
「それはゾンビ鬼とか病原体とか言われる奴だ。追いかける側は鬼という。これは鬼一人なんだぜ。鬼の目印はー、こ
れにしよう」
魔理沙が帽子を脱いで、フランに被せる。ぶかぶかの帽子を深く被らされたフランは、もたもたしてそれを手にとり、
不思議そうに眺めている。
「鬼だからな、最初はフラン。ルールはさっきの通り、鬼は一人。場所は本館内のみ、モノを壊したりしたらペナルテ
ィーだぜ」
「なんかワクワク……ふふ」
「はいはい、じゃ、フラン。百数えるんだぜっ!!」
「はーい♪」
そして、恐怖のリアル鬼ごっこはついにスタートした。
「いーち、にー、さーん」
誰も居ない廊下に、フランの声が響き渡る。普段ならメイドの一人や二人通りそうなものだが、咲夜はもう既にメイド
達へ避難勧告を出していた。現在この紅魔館本館にいるのは、フラン、魔理沙、アリス、咲夜、そして何も知らないレ
ミリア、パチュリー、小悪魔程度。
見た目より絶対的に広いこの豪奢な建物の内部は、死角だらけだ。思わぬところに空間のスキマやら、レミリアすらも
把握していないような抜け道があったりする。子供の遊び場として、そりゃあもう狂喜乱舞するほど立派な施設だ。
「ろくじゅーく、なーなじゅ、ななじゅいーち」
この時間を数えている時間がもどかしい。思わず口元が緩む。こんな子供のする遊びをしたのは初めて。しかもこれか
ら、友達を追い掛け回す。なんだか吸血鬼としての本能が刺激される遊びであった。鬼ごっこと言う名の通り、狩猟者
が考案した残虐な娯楽が元なのかもしれない、とネガティブでステキな考えが過ぎる。
「ふ、ふふ、ふふふ。きゅーじゅきゅ、ひゃぁぁく」
とうとう笑いが口から漏れた。知らず知らず高揚する気持ちが、フランのモチベーションを高める。我は狩猟者なり。
弱者に死を与えし命の狩人なり。そんな不思議な歌い文句が勝手に湧き上がってくる辺り、やはり吸血鬼だ。
「さて、どこから探したものか」
紅魔館は地上三階、地下一階からなりたっている。全体的に広げてある為、くまなく探すには時間がかかりすぎる。
地下は階段を下りると大図書館があり、その他貯蔵庫、武器庫、屠殺場、○○室、清掃用具室、自分の部屋など、暗い
上に死角も多いが、ここは自分から逃げるには不利である。地下はフランの庭だ。
一階にはロビー、客間、調理場、幹部用温泉浴場、食堂、館内警備室、人の目に触れる多くの部屋がある。
二階は多目的ホール、遊技場、二階小図書館(資料室)、カフェテラス、小休憩室、奥には咲夜の自室。
三階といえばレミリアの自室やレミリア用の○×室、レミリア用の書斎等、お姉様関連がぎっしりだ。
そして時計台のある屋上。
メイド達の宿舎は本館内にはないのでこれは除外する。
正直な所、破壊するとただでは済みそうにない三階へ足を運ぶ事は憚られるが、狡猾な魔理沙がそこへ行かないとも限
らない。むしろ自分の事をある意味で考えているのであれば、試練のハードルをあげているかも知れない。
「それは後でも構わないわね。まずは手始めに……」
地下一階から捜索すると定める。自分が地下を把握しているから、と言う事を逆手に取った者がいるかもしれない。
そして陰気だからこそ地下にいるかもしれないもの。
―――ターゲットは、アリスマーガトロイドだ。
地下の階段を、わざと靴の音が響くように降りる。地下へ下るには、この階段しかない。石作りの湿った螺旋階段がま
さに曰くありげだ。当然曰くとは自分であるが。
カツンカツンと鳴り響く靴の音。地下帝國はフランの庭。迷い込んだならば、主の許可と取らねばなるまい。そう、地
下の主、フランドールスカーレットに。
「かーごめかごめ」
「かーごのなーかのとーりーはー」
古い日本の童謡を呟きながら、ゆっくりと歩く。歌は知っているが、これが遊びであるとは知らない。どんな神経でそ
んな薄ら寒い歌を歌っているのかは、本人も知るところではなかったが、恐怖を煽るには持って来いである。
童謡を歌う吸血鬼、迫り来る足音。
(こここここここ、恐すぎるわ……)
アリスには効果絶大であった。
「くんくん。あら、美味しそうな香り。アリスって……魔女なのに人間っぽいわよね。 お い し そ う 」
(ひぃぃぃぃ、いやぁぁこわぁぁぁ……)
フランの足音は迫る。もう数メートル地点まで距離が縮まったところで、ピタリ、と止んだ。狭い場所に身を隠すアリ
スは、余計身を縮こませる。視線を動かし、至る所に注意を払う。突如襲撃などされたら、心臓が止まりそうだ。
「後ろの正面、だぁれ」
ガタン!! と思い切り扉を開く音。アリスは思わず声を上げそうになる口を無理やり押さえつける。
「……え、誰?」
「うわ、とうとう見つかったわ……」
「いやだから……だれ?」
「私レティ、冬の妖怪よ」
フランは貯蔵庫の扉を再び思い切り閉めた。
(えー……)
アリスは色々と複雑な気分だった。
「ここには居ないのかしら。さっきの香りってあれ? 後で齧ってみようかしら……」
レティ危うし。しかし不法侵入なので制裁は仕方在るまい、と納得していただこう。
フランは地下を諦め、一階へと戻る。
一階、と言ってもやはり探すべき場所が多い。死角は地下よりも少ないが、なかなかに部屋数がある。歩いていても時
間がかかるので、フランは運動らしく走る事にした。
客間
「いない」
食堂
「いない」
館内警備室
「いない」
魔理沙もアリスも咲夜も、妖精メイドすら見当たらない。隠れられそうな場所……といえば、調理場だろうかと思い、
その扉を開けて中にひょっこりと頭を出す。ぶかぶかの帽子を手で抑えて辺りを見回すが、何の変哲も無い。
至る所に特○厨師が調理でもしたのか、と突っ込みたくなるような破損が見られるのだが、フランは調理場の様子など
普段から気にしていない。
隠れられる場所……食材を保管している木箱などはどうだろうか、とフランはそれに手を掛ける。
「あたい」
みなかったことにした。
しかし紅魔館の食材が良く長持ちする理由は、しっかりと把握した。
フランは一階を諦め二階へと足を進める。
階段を上り、多目的ホールを探し終えて廊下を出たところで、それに遭遇した。
「あら、フランお嬢様」
「さくやみーーーっけたっ」
「捕まえてみてくださいまし、おほほほほ」
だがしかし、一瞬で消え失せる。どこへ行ったのかと視線を振ると、何時の間にか後ろを走っていた。
「さ、咲夜!! 貴女遊びで時間止めないでよ!!」
「紅魔館に住まう者、奢るなかれ。只者では生きていけませんわフランお嬢様」
「くっこのっ、まてっ」
「おほほほほ」
思い切り紅い絨毯の敷かれる廊下を疾走する。咲夜に手を伸ばし、届くと思った瞬間には二メートル先にいる。咲夜は
外道であった。あろう事か主の妹様すらコケにするこの態度のデカさ。
「んあぁぁ、咲夜ばかぁぁぁっ!!」
「遊びとは真剣に、やると決めたら全精力全能力を駆使して遊ぶものですわ、一つ賢くなりましたわね、ほほほほ」
「ば、バカにしてぇぇ!!」
遠ざかる咲夜に、半ばイラッと来たフランは、逃げる先に見えるシャンデリアを凝視する。『目』を掌に移し―――
握り潰そうとしたところで、抑える。
「ああもう、咲夜ったらイジワルね」
抑えた。そう、簡単にモノを壊してはならない。
「あでゅー、フランお嬢様」
「くぅぅ、ばーかばーかっ」
甲高い笑いと共に咲夜は消え失せた。フランは思うのだ。ある意味全然、咲夜の方がバケモノなんじゃないかと。紅魔
館全てのスケジュールを把握し、言う事の聞かない妖精メイドを束ね、炊事洗濯お掃除を的確にこなし、ワガママな姉
と図書館の引きこもりと地下牢の引きこもりの世話をしながら、自分の休憩も取る。
「お姉様も敵わないんじゃないかしら……」
フランの答えは正解に近かった。
咲夜の異常性は兎も角として、あれはとても奇襲でなければ捕まらない類。となると捕まえる対象はアリスか魔理沙と
なる。二階では見当たらなかった為、やはり三階へと足を踏み入れねばならなくなった。
「まったく、咲夜も魔理沙もイジワルよ」
ブツブツ不満を洩らすが、これで諦めていては狩人失格。折角だから捕まえた暁に耳たぶの一つでも噛み付いてやろう
かと考える。なんだかそんな妄想をしたら、不思議と元気が湧いた。理由は解らない。
「ふ、ふふ。そう、狩りよ狩り。待ってなさいよぉ……」
幼い顔を邪悪に歪めて、フランは三階へと上がる。
レミリアの部屋の前まで来て、足を止める。今日の姉のスケジュールが解らない。もしかすると自室で睡眠を取ってい
るかもしれないので、あまり騒ぎ立てたりは出来ない。迷惑はかけたくないし、怒られたくも無い。
ぬきあしさしあしでその場を通りすぎようとした時……視界の端に動く黒白があった。
「みぃいぃぃっけたぁぁぁ……」
大声を立てないようにする。視認の限りでは通路の角を曲がっていった。フランはゆっくりと角まで赴き、壁に背をあ
てて通路の先を覗き込む。その視界に写ったのは二人。魔理沙とアリスだ。なにやらヒソヒソ話をしているらしく、こ
ちらには気がついていない。
フランの顔が満面の笑みになった。二人が話す場所、レミリア専用書斎前までの距離は十メートル程度。思い切って奇
襲をかければ、二人のどちらかは必ず捕まえられる。
一端顔を外し、大きく深呼吸。フランはこの緊張感が堪らなかった。鹿を襲うライオンというよりは、鳥を狙うネコの
様相である。
―――フランは物音も立てず、半分空を飛んで飛び掛った。
「まりさぁっ!」
「げぇっ、フラン!!」
「え? あ、魔理沙? なんで私を盾にってきゃあぁぁっ!!」
あろう事か、魔理沙は咄嗟にアリスを盾にする。まさに外道であった。折角恐ろしい地下から這い出てきたと言うのに、
扱いがこれではあんまりだ。
「あむぅ」
「え、なんで噛むの!? あ、だめ、そこは、はふぅぅぅっ」
「嗚呼! アリスが骨抜きに……恐るべし吸血鬼、耳たぶ噛むだけで操り人形ってか!!」
魔理沙の吸血鬼知識は非常にひん曲がっていた。
「ま、魔理沙……に、にげてぇ……って、私が鬼じゃない……」
「へへ、言われなくてもスタコラサッサだぜ」
しかも全く配慮せずに置いていく。フランは甘噛みに十分満足したのか、頭から帽子を取ってアリスに被せる。
「じゃ、アリスがんばってねーー♪」
さぁ、これからは逃げる番だ―――と、意気揚揚と走り出したところで、何かに捕まった。
「ありゃ?」
「ありゃ……じゃないでしょう、フラン。何しているのよ」
……レミリアはネコを摘むようにしてフランを捕まえている。まずいと思っても逃げられない。
「うわ、レミリア」
「黒白、何してたの?」
「鬼ごっこだぜ。混ざるか?」
「混ざらないわよ……はぁ。あのね、館内は走っちゃダメ。飛んでもダメ。調度品を壊したら困るでしょう?」
「私は何時も壊してるけどな」
「それは誇る事? ま、いいわ」
「にゃん!?」
ぼすん、と音を立ててフランが地面に尻餅を付く。その顔からうかがえるのは、まさに”やっちまったぁ”という子供
の気まずそうな顔だ。だが、レミリアの反応を伺う限りでは怒っているようにも見えない。
「咲夜」
「ここに」
レミリアの呼びかけに一秒もかけずメイド長が出現する。
フランは……複雑そうな顔で、しょぼくれていた。こうなるのではないかと解っていて自制出来なかったのが、些かば
かり恥ずかしいのだろう。どう弁解するべきかと思考を巡らせていると、先にレミリアが口を開いた。
「咲夜、フランはモノを壊した?」
「いいえお嬢様。壊したといえば魔理沙が壷を二つ割った事くらいでしょうか」
「照れるぜ」
「照れんな。あら、そうなの……フラン、本当ね?」
「え、あ、はい。うん。一瞬シャンデリアをぶっこわそー……なんて思ったけれど」
「自制……出来るのね」
「それについては申し訳ありません。テストのつもりだったんですが、フランお嬢様は何にも手はかけませんでした」
「成る程。最近は能力の扱い方が上手くなっているから、実技に移ったと」
「はい。魔理沙がまた阿呆な提案をしましたので、仕方なくこれで」
「誰が阿呆だ。バカメイド」
「兎も角、フランは、壊していないと。鬼ごっこなんて全く……まぁいいわ。フラン、もう少しおしとやかになさいね」
「ごめんなさい……」
「そ、そんなに申し訳なさそうな顔をさせるほど、怒ってないわ。でも、良かったわ」
「えっ……?」
「これなら、外に出ても大丈夫そうだし、普通に生活も送れそうね」
フランは……その言葉が今一理解出来なかった。
今姉はなんと言ったか。”外に出ても大丈夫、普通に生活が送れる”そう言ったか。
「え? お姉様、私、外へ?」
思わず確認する。レミリアに二言は無いのか、ただその質問を肯定した。
それを見て……沈んでいた顔が、綻ぶ。胸が熱くなり、言葉では表現出来ないような喜びが泡のように浮いては飛ぶ。
「わたし、そっか……そっか!」
「おお、オネエサマのお墨付きか。よかったなフラン」
「ん? 何? どうしたの? なんだか解らないけれどおめでとうなのかしら?」
異形の羽がパタパタと可愛らしく動き、自身を立ち上がらせる。このまま天にも上る気持ちであった。
憧れの外に出られる。自分の能力さえ気をつければ、幻想郷を飛び回る事が出来る。夢にまでみた、姉や魔理沙と並ん
で外を飛ぶ映像が、具現化出来るのだ。
誰と一緒に飛ぼうか。レミリアは当然、魔理沙や霊夢や咲夜や美鈴。外に出て、これから出来る友人とも空を飛べる。
あの星空の元を、自由に行き来出来る。
「あは、あはははははっ!! お姉さま、お姉さまっ!!」
「はいはい。解ったからはしゃがないの……」
フランがレミリアにしがみ付く。自分はとうとう、普通の吸血鬼として扱ってもらえる。外に出るだけでなく、紅魔館
の一住人としての生活サイクルに組み込んでもらえるのだ。
もう薄暗い部屋に何時までも軟禁されるような事はない。長年閉じ込められていた為に、出ようとも思わなかった時代
が嘘のようだった。
自由を手に入れた。
まず最初に何をすべきだろうかと、様々な欲求が頭を巡る。
夜起きてお姉様と食事を共にしたり、一緒に紅茶を楽しんだり、怠惰な時間をゆっくり過ごしたり、暇になったら幻想
郷を散策して、新しい友人を探し、神社に行き、魔理沙の家に行き、門番にチョッカイをかけて、咲夜に手間をかけさ
せて、パチュリーの仕事の邪魔をしたり、姉と一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たり、遊んだり。
……悲しくなるほど当たり前の欲求だったが、フランからすれば、それはもう何もかも、全ての願いを叶えるに等しい。
「私、普通に過ごしていいのね? もう閉じ込めたり、されないのね?」
「私の隣りの部屋を改装しましょう。咲夜」
「畏まりましたわ」
有頂天の絶頂期。感情は最上階までたどり着き、まるで外へ溢れ出るようになる。
もう少しで夢が叶う。明日から素晴らしい生活が待っている。期待も希望も全てが詰め込まれた未来が―――見える筈
だったのだ。
「あははっあは……あ、」
しかしながら自制とは、斯くも難しいものである。ましてまだまだ精神の成長期であるフランが、その多大なる力を短
期間で押さえ込める訳が……なかった。
「お嬢様、伏せてくださいまし。二人も、来ます」
瞬時の事に、フランも力のいなし場所を間違えた。視線を振った先は壁。しかし、そこの『目』を握る以外、他の対象
を選んでいる暇は無い。漏れ出した感情は余波となって、分厚い石の壁を粉々に吹き飛ばす。
「どぅわぁっ!!」
「きゃっ!!」
ドンッという衝撃音。ガラガラと音を立てて崩れる壁。その音はまさに、フランの希望を全て打ち砕く音であった。
『今は順調のようだけれど、何が切欠で爆発するとも解らないわ。子供は爆弾、ふふ、妹様の場合核弾頭ね』
レミリアの頭の中で、パチュリーの言葉が反響した。
4 罰の波紋
安直であった……。そう、三人は後悔した。レミリアは自分の、期待を持たせ過ぎた発言を後悔し、咲夜はもっと早く
別の形でのステップを踏ませるべきであったと後悔し、魔理沙は相変わらずな自分の所業に後悔する。
勿論三人は誰一人責めるような事はしない。三人は三人なりに反省している。
未曾有の大爆発をフランが引き起こしてから丸三日が経っていた。
恐るべき事に、咲夜が拡張した空間まで吹き飛ばしたらしく、危なくパチュリーが本に押しつぶされる所だったが、瞬
時の判断でそれを阻止した。だが、その衝撃で館内の至る所で家具が潰れ、現在全面改装中となっている。
「酷い姉ね、とことん」
「私も油断しましたわ。あれだけ出来れば、もう大丈夫だと思ったんですが」
あれ以来、フランが地下から出てくる事はなくなった。まるで昔に逆戻りしたように大人しく、怒る事も喜ぶ事もない。
感情を押し殺して、これ以上の破壊をしないという決意か、もっと心の深部から来る自制なのか。姉にも咲夜にも解ら
なかった。
引き金は常に感情。そして―――自制しよう自制しようと心がけたお陰で生まれた、ストレスだ。
紅魔館に誰も来ず、フランに霊夢や魔理沙が出会わなければこのような事にはならなかっただろう。
当時のフランといえば、外に興味はなく、ただ閉じ込められる事こそが当然であると考えていた。その究極的なまでの
諦めは、感情を殺害する故に酷い暴発はしないが……物体やその他に対しての価値観を貶める諸刃であった。
しかし外を知り、人間や様々な存在に興味を持ち始めたフランは、また別の悩みを抱える結果となった。
では閉じ込めたままでいいのか、といえば違う。
では外に勝手に出してしまっていいか、といえば違う。
二律背反の矛盾精神。
扱いはやはり、難しい。
「とはいえ、さ。お前達にしては、考えた方だし頑張った方だと思うぜ、私は。阿呆は本当に私だな」
三人は、メイド用の宿舎の一室を拡張して作った部屋にいた。パチュリーは現在も本の整理が忙しいらしく、表に出て
くるとは言わなかった。こうなると知恵は一つでも多ければ多い方が頼もしいのだが……。
レミリアも、流石に友人に頼りきるのも、恥ずかしい。
そもそもが妹の問題なのだ。家族といえばパチュリーも家族かもしれないが、血を分けた者は一人しかいない。
故に、頭を抱えざるを得ない状態だ。
着実に成長していたのは確実だ。もう少し慎重になれば、もっと上手い成長をした筈だ。自分は焦りすぎた、咲夜は慎
重すぎた、魔理沙は無謀すぎた。
物事とは、なかなかに上手くいかないものだと痛感させられる。何せ相手はただの子供ではないのだ。
「根底で間違ってたんだ。喋ろうと動こうと、結局能力を使う事を抑えるんだからそりゃストレス溜まるな」
「けれど、抑える事に慣れなければお話にならないわ」
「起爆剤は感情……精神的な強さも必要となる……ですか。前途多難ですわ」
「しかも……だ。また完全に引きこもっちまった。これ、どうやって引きずり出せばいいんだ?」
以前より問題が山積したように思える。だがフランなりの努力の結果である事実も否定出来ないので、責めれない。
レミリアは考える。肉親の、血を分けた妹をどうするべきか。このままでは、折角ここまで来たものが水泡に帰してし
まう。しかも以前にも増して外へ出る事を拒む姿を見せられれば、尚不安が募ってしまう。
もう二度と外へ出る事を望まないのではないか。また更に五百年引きこもる気なのか。
さらに、もう受ける必要のない罰を……受け続けるのか。
―――不憫でならなかった。全ては自分の失敗の果てにある、妹。いざ姉である自分がやっと目を覚ましたのに、この
ままでは進展しない。幻想郷では、吸血鬼は罪を被る必要がないのだ。だったら当然、妹が罰を受ける必要はない。
なるべく早く何とかしたい。
「何が足らなかったのか。何が……」
レミリア自身に、足らなかったものは、なんだっただろうか。必死に自分の脳にある情報を引き出す。
自分は紅い悪魔、強力無比な力を誇る吸血鬼。
自分は紅魔館の主。
自分はありとあらゆるものを破壊する程度の能力を保有する、バケモノの姉。
自分は―――妹の保護者。
自分は、そう―――姉なのだ。
『けれどやはり子供って、好き勝手やったり、肉親に疑問を持ったり、痛い目を見たり、失敗したり、叱られたりして、
そして成長するんじゃないかしら。深層に溜め込んだストレスを受け取ってあげるのもまた、親、いえ、姉の役割じゃ
ないかと思うのよ』
『―――妹様の場合、もっと深くに溜め込んでいるものがあるでしょうけれど』
そうだ。パチュリーは全て見越していたではないか。図書館から出てこないのも頷ける。
最初から全て、答えは受け取っていたのだ。
「全てを受け止めなきゃ……いけないわよね、やっぱり」
「レミリア?」
「お嬢様?」
レミリアは、手順など一つも間違えていない。誠意を持って接するべきという覚悟も努力も、無駄などではない。子供
は、妹は、肉親は、やはり家族の誠意にこそ一番感銘を受けるのだ。
間違っていたのは、フランに対する思い込み。
何故そこまで力をコントロール出来ないのか。感情を斬り捨ててまで抑圧せねばならないのか。
力を押さえ込む為に感じたストレスもあるだろう。
抑えきれない感情が引き金になったりするのだろう。
―――だが、根本的なものをすっかりごっそり忘れきっていた。
「答えが出たの。魔理沙、貴女は引き上げて構わないわ」
「ちょっと待ってくれよ。ここまで関わったんだ、最後まで携わらせてくれよ」
「魔理沙、貴女はいい子ね。でも、まずは人の事より自分ではなくって?」
「うっ……」
魔理沙は痛い所を突かれる。
元よりどうしてフランに肩入れするのか、その原因はただ一つ。
「まったく……あんまり人の事調べちゃヤダぜ」
「家族への疎外感に同情しているのでしょう。貴女の場合は、原因が貴女なのだから」
「いやその、そうかも知れないけれど……ああもう、ここでも説教か、やだやだ」
「そう、ここは悪魔の館よ。嫌な事も沢山あるわ。飛んでお帰り」
「後は家族の問題だってか。解った、解ったよ」
レミリアとて、ただ同情だけであのフランに付き合っていたとも考えてはいない。けれどこの問題の根は深いのだ。
ここまでフランと同じ時間を過ごしてくれた事には、感謝している。
「有難う魔理沙。フランは、貴女と一緒で楽しそうだったわ」
「ま、どうせまた来るんだ。今日は引き上げるぜ」
「えぇ」
魔理沙は肩を揺らして大きく溜息を吐く。家族問題に片足を突っ込んでいたのだから、去り際くらい綺麗にしたいので
あろう、素直に応じて、窓から飛び去った。
「お嬢様。結局、答えとは?」
「咲夜も、大丈夫よ。これからは、二人で向き合わなくちゃいけない事だから」
「しかし、やはり不安ですわ」
「貴女がいい子なのは知ってるわよ。だからこそ。もし私に忠誠心があるのならば、引いて頂戴」
「……そこまで言われるのならば」
「えぇ、貴女は本当に、愛すべき従者だわ咲夜」
「恐悦至極。では、何かありましたら、何時でもお呼びつけくださいましね。門番の耳でも弄ってますから」
「そうして。あと、もし私に忠誠心があるのならば……」
「はい?」
「貴女も犬耳なんてどうかしら。シッポも。語尾はわん」
「却下ですわ。ニンニク丸ごと消し飛ばすお嬢様になんて忠誠心のひとかけらも御座いません」
「ぐすぐす……」
「それでは、しっつれいおばいたしますわ」
完璧で瀟洒な従者も、レミリアの前から姿を消す。
レミリアは良し、と自分を奮い立たせ、メイド宿舎を後にした。
※※※
おいしいクッキーの作り方。
30枚分。
材料は多くても少なくてもダメ、お菓子作りに必要なのは細やかな計量です。
砂糖 70g
卵黄 2個分
薄力粉 110g
塩 少々(一つまみ程度)
無塩バター 90g
バターは常温で柔らかくし、薄力粉はダマにならないよう振るって細かくしておきます。
「慎重にやればこれくらいは……」
ボールに移したバターを潰し、そこへ塩を一つまみ加え泡立て器などでクリームのようにします。
「えぇ、なんとかしてみせるわよ……」
砂糖は一回には混ぜず、二回に分けて、しっかりと偏らないよう混ぜましょう。
「一回で全部入れたら、混ざり難いわよね……うわ、ちょっと飛んだ……」
黄身も同じく一つずつ加え、全てに行き渡るようしっかり混ぜます。
「黄身うふふ」
薄力粉を加え、ヘラを使って混ぜます。混ぜる場合ヘラで切るように混ぜてゆきます。混ぜすぎますとグルテンが出て、
焼き上がりが非常に硬くなってしまいます。
「グルテン? 何よそれ。混ぜすぎるなって? む、無茶よ。あああああ」
出来れば涼しい所でしばらく寝かせましょう。設備がない場合は、水分が逃げぬよう工夫して寝かせます。
「確か、あいつを常備していたような」
「あたい……」
「ああ、ごめんなさいね。報酬はちゃんと払うわ、氷精」
「報酬って美味しい?」
「凄い情報を教えるわ。実は……」
「レティ……ここにいたんだ」
その工程を終えれば後は焼くだけ。適量を掬ってバターを塗った鉄板に敷くもよし、型にはめるもよし。
「型、星とかハートとか。ハート型って割れると嫌よね。星にしましょ。魔理沙好きみたいだし」
あまり形がバラバラだと、焼きむらが出るので注意しましょう。
混ぜ物がない場合、焼き時間は180度で13分程度が好ましいでしょう。
これならちゃんとできるわよね、レミィ。頑張って。
パチュリーノーレッジ。
本当にいい友人の温かい心遣いに、レミリアは感謝した。
※※※
努力は間違っていない。
解釈は間違っていない。
勘違いしていたのだ。それも遠くの昔から。
まだ二人が幼い頃の昔。あの時に全てを誤っていた。そして最近気がつきかけて……結局理解半分、それ以上は思考停
止していた。
悲しきかな、生まれた当初から既に、無理解があったのだ。
「ぜーんぶ、私の所為だわ……私が受けるべき罰を抱えているからこそ……」
たった一度、そのありとあらゆるものを破壊する能力を、使ったが故の勘違い。異形の家系とは言うものの、これほど
常識外れの能力を有した吸血鬼などいなかった。
皆に理解があり、恐れを抱かないだけの頭があったのなら、歳の差も関係なく、フランがこの紅魔館の主であっただろ
う。それだけの力だ。よっぽどの罪を被れるだろう。レミリアより多くの罪を被り、多くの罰を受ける吸血鬼。
もし立場が逆であったのならと考えるとぞっとする。
自分はもっと良く考えるべきだった。ただの慣習として、親にならって妹を閉じ込めてきた。妹は危険だから、危ない
から。哀れに思った事も、千や万ではきかない。
姉妹として生れ落ち、血族が二人になってからも変わらず、心の底では何時か解放してやりたいと、思っていたのだ。
だが、思っただけでは何も変わらない。閉じ込めるが当たり前、閉じ込められるが当たり前になってしまった後に思っ
ても、結局流されるだけなのだ。
自分は逃げてきた。ある意味で妹を恐怖の対象としていた。自分は罪だけを被り、罰は受けない。代わりに罰を受ける
のは常に妹。幽閉こそが永遠の罰。
妹は……。
あんなにも可愛らしく愛おしい妹が、一体何をしたと言うのか。どんな罪があって、罰を受け続けなければならないの
か。もっともっと、外の世界に紅魔館があった当初から悩んで、悩んで、狂うほど悩んで、手を差し伸べれば良かった。
フランドールスカーレットは、能力を制御出来る精神が無いのではない。子供だから―――それも詭弁。
”どのように制御しようと、約五百年分の姉の分の罰を背負い込んでいるからこそ、溢れてしまうのだ”
罪など、放置すれば流れて消える。それが吸血鬼ならば尚更。しかし罰は、罪を被った本人が受けきらなければ意味を
なさないものだ。
幽閉という罰は蓄積し、フランを押しつぶす。押しつぶしても尚、罪はやってくる。己の有する精神に空白を作ってで
も、姉の罰を許容しようとするフランの強いこと……。
レミリアがそれを自覚した時、あまりの業の深さに心が潰されるような衝撃を受けた。
フランが背負っている、抱え込んでいる自分の分の罰を、返してもらわねばならない―――。
「フラン、入るわよ」
蝋燭の火も灯らない、漆黒の地下。あれ以来ずっとこの調子で、引きこもっている。レミリアや咲夜の声にも耳を傾け
ず、ベッドに寝そべり天井を見上げるだけの生活。
以前の一週間からすれば、まさに地獄への転落といえよう。
あの生活は決して無駄などではなかった。いっぱいいっぱいの中でも、それすらも抑えるほどの抑止力を発揮するまで
になったのであるから、その才能は計り知れない。
フランドールスカーレットは、間違いなく、吸血鬼でしかも天才なのだ。
怪力で運命が見える程度の自分とは訳が違う。
「……隣に座るわね」
ベッドに腰掛け、感情も少なく呆ける妹の隣。もうきっとこの状態で何時間もいるのだろう。
壊れては……いない。自分から暴発の切欠となる感情を表に出さない。
「ここで天井を見上げるのは、どんな気持ちかしら、フラン」
「……」
「貴女はこの天井を五百年近くも見上げてきたのよね」
「……」
「哀れね、バカね、阿呆ね」
「……くっ」
「……冗談よ。本気にした?」
「……何が言いたいのよ」
「別に。何故そこまで落ち込む必要があるのかって思っただけよ」
「……」
「館の一つや二つ、ぶっ壊してどうだっていうの」
「……」
「舐めてもらっちゃ困るわ。うちはスカーレット家よ?」
「……」
「あるお屋敷に、それはそれは下々が喜んで傅きたくなるほどビューティフルな姉妹がおりました」
「……」
「姉は高慢ちきで居丈高で、けれど才能溢るる素晴らしい当主。妹はアブナイ能力を持って居たため、幽閉されてい
ましたとさ……」
「……続きは」
「無いわよ。一体それ以上何があるのよ」
「……はぁ」
「嘘よ」
姉は妹を恐れていましたが、やはり血を分けた妹として、愛していました。けれど、妹は生まれてからずっと幽閉され
ていたので、本当は何が恐いか、なんて、実際の所姉は理解していませんでした。
ある時姉は気まぐれで、霧を出したら太陽が届かなくなって昼間も外に出られるんじゃないかしらオホホなどとつまら
ない事を考え実行しました。けれど新しく引越しした場所は吸血鬼もビックリするような馬鹿げた力をもった巫女が管
理する場所だったので、姉の陰謀は早くも打ち砕かれてしまいます。
でもそんな強い巫女を気に入った姉は、巫女の住む神社に幾度となく通うようになりました。そしてある日、神社にい
た姉は、大雨の所為で館へ帰れなくなります。
可笑しいと思った巫女と友達の魔女が、原因究明の為再び館へと赴きました。
そして、そこでとうとう妹を二人は目撃しました。
妹は生まれてこの方ずっと引きこもりで、人間など食べ物の形でしか見たことが無い非常識吸血鬼でした。
それ以来というもの、妹は外の世界へ興味を持ち始めました。本当は姉が巫女たちと戦う場面も見ていたのかもしれま
せん。兎に角、外には様々なものがあって、様々な人がいて、面白そうだったので外に出たいと姉にせがみました。
妹を哀れに思っていた姉はそれを許可しましたが、妹は大失敗をやらかして、姉にしこたま叱られてしまいます。
姉は……。
「姉は、やっぱり妹を愛していました。どんな事をしても、ただ一人の肉親には変わりません」
「……」
「姉は妙案を思いつき、それを実行します。そしてその妙案はなかなかに好調であったらしく、姉も妹の認識を改め、
妹が努力するなら姉も努力してみよう、と考えます」
「……」
「結果は散々たるもの。妹もまた、大失敗をやらかして引きこもりに戻ってしまいました」
「……」
「けれど」
「……?」
「けれど、姉は諦めませんでした。その内、何故妹が大失敗をやらかしてしまったのかも、やっと気がつきました。気
がついて、盛大に後悔して、ちゃんと、それと向き合おうと思いました。そーして、めっちゃ努力しました。もうクッ
キーなんて見たくないと思うほど頑張りました」
「気がついたって……お姉様……もしかして……」
「……前置きが長くなったけれど、これ」
この前と同じ包み。丁寧に開かれた中には、少しこげて、硬そうな食べ物。
「食べなさい。これが私の誠意」
「……」
一つ手に取り、恐る恐る齧る。
「うっ……うくっ……」
―――それは酷く分量を間違えた、とてもとても甘いクッキー。
「今度は甘いわ……お姉様……」
「私も、そうだと思ったの。でも、今の私にはこれが限界。ごめんね、折角すべての罰を受けてもらっていたのに、完
璧ですらいれない姉で」
「そんな事……そんな事ないわお姉様……」
「フラン……愛しているわ、フラン……今更許してなんて言わないわ。だから……」
「お姉様……?」
「だから、全てを返してもらうの、フラン」
その瞬間、レミリアの瞳には燃え盛る紅が宿る。常識を凌駕する速度でフランから離れたレミリアは、翼を広げて広い
部屋に舞い上がった。その姿たるや、まさに悪魔と称するのが相応しかろう。
「お姉様、何をっ!?」
「フラン!! レーヴァンティンを取りなさい!!」
「だから……何故、何故!? いいのよ、お姉様! 私は、私は……!!」
「貴女の抱え込んだ私の罰も、貴女が幽閉されていて感じた鬱憤も何もかも……」
―――その五百年分の波紋―――きっかり全部受け止めてあげるわ!! フランドールスカーレット!!!!
我ながら、最高の不器用さであったと思う。ここまでやっておいて、結局弾幕か、と思う。
けれど、そう、結局なのだ。
結局、自分もフランも、こんなことしか知らない、大馬鹿者なのだ。
「お姉様……」
「ええ、何かしらフラン」
「愛してますわ、お姉様。一番、大事に思っているの」
「そうね、私もそうよフラン」
「でも……一度、一度解放してしまったら……本当に、全てを出し切るまで、止まらないわ……?」
「構わないわ」
「だってね、お姉様の罰は、罪に比例してとても重いのだもの。それが五百年分よ?」
「光栄ね。吸血鬼は恐れられてグラム幾らよ」
「ならお姉様……本当にそこまでの覚悟と自覚があるならば……」
「ええ、ええ」
「―――全部、受け止めてね、堪え切ってね、愛しのレミリア……」
光を通さぬ黒い箱庭に、おぞましく紅い弾幕が展開される。紅の悪魔とは、今この状態に置いてはフランが似つかわし
いだろう。
部屋のスキマというスキマから弾が湧き上がり競り上がり燃え上がり、罪人を断罪せんと襲い来る。
これが罰。レミリアスカーレットがフランドールスカーレットに全て任せてきた、五百年の波紋。
「ハハ……死ぬかも」
麗しき吸血鬼の姫も、流石にこれは笑えなかった。
※ べりーべりーすうぃーとくっきーず
おはよう御座います、お嬢様。
おはよう咲夜。
本日は如何なさいますか。
そうね、死にたいわ。
かしこまりました。
ごきげんようお姉様。
ごきげんようフラン。
今日は何をして遊びましょうか。
そうね、殺しあいましょうか。
えぇ、素敵ね。
あら、どうかしたのレミィ。
罰を探しにきたの。
そう、なら沢山あるわ。レミィに読みきれるかしら。
読んで聞かせて頂戴パチェ。きっとおぞましい夢が見れるわ。
ふふ、読んでいる私が死んでしまいそうな量よ?
なら死ねばいいわ。きっと私も死ぬのだから。
お嬢様、門にどのような御用時で?
貴女は何か罰を受けたことがあるかしら。
はい。酷い仕打ちを受けて生きてきました。
羨ましいわ。
哀れに思います、お嬢様。
……。
罰は罪を被ったものが受けるものです。絶対に逃げてはいけません。そして逃げ切れません。被った罪に比例した罰を、
死のうが死ぬまいが、受けるが相応です。罰は与えられるもの、そんなものは嘘です。罪を犯せば対として産声をあげ
るのが罰。与えられなどしません。業の深いものなれば、その罰に堪え切れる精神を有さねばなりません。
お嬢様がフランお嬢様より優れているのであれば、きっと堪え切る事が出来ましょう。
美鈴はいい子ね。
はい、お嬢様。
こんばんわ霊夢。
何しに来たの。
殺しにきたわ。
貴女では私は殺せないのよ。
だからよ。
いいわ、なら貴女が受けるべき罰、私が執行してあげる。
そんな貴女も愛しく想えるわ霊夢。
ごきげんようお姉様。
ごきげんようお姉様。
ごきげんようお姉様。
ごきげんようお姉様。
―――咲夜、死にたいわ。フランっていう子は、こんなおぞましい幻影の中に身を埋めていたの?
―――咲夜、殺して頂戴。私如きでは、とてもこの罰は受けきれないの。
―――フラン、ごめんなさい。泣き言だったわ。もっともっと、あと四百年分は、受けなきゃダメよね。
「……お姉様、お姉様……お姉様!!」
……。
レミリアが目を覚ましたのは、普段通りの、ベッドの上だった。
事態が把握しきれず、顔をくしゃくしゃにして泣き叫ぶ妹と、辺りを見回して、呆然とする。
だが……あれほどまでにおぞましい夢を観ていたというのにも関わらず、気持ちは晴れやかで居る。この矛盾を誰かに
問いたくて、しがみ付く妹の頭を撫でた。
「フラン……フランね? 夢の中のフランでなく、現実の」
「それは夢だったかしら。罰は、現実ではなくて?」
……何時終るのか。
……何時、何時この終わり無き罰が執行し終わるのか。
「お姉様、あと四百年よ。お姉様は強いから、大丈夫だから、絶対絶対、堪え切れるから、乗り越えられるから」
その言葉だけが、救いであったと、思う。
※※※
「どうかしら、永琳」
「なんともいえないわ。覚醒状態にはあるの。でも、目を開けない。生きている事には変わらないのだけれど、死んで
いるとも言える」
薬師が聴診器を外し、沈み込む咲夜に振り返る。レミリアの自室には、霊夢、魔理沙、美鈴、パチュリー、アリスなど、
今回の出来事に関わった人間が揃っていた。文々。新聞にて知らされたレミリアの病状に、普段異変が起ころうとも驚
かない輩までも、心配で駆けつけたらしい。
「……目を覚ますには時間がかかるかもしれないし、かからないかもしれない。レミィは、それだけのものを妹に押し
付けていたの。死にはしないと思うわ。でも、目が覚めるのは数分後か、数百年後か。たぶん、レミィの精神に依存す
る」
「……そうね、これは医学の範疇ではないわ。ただ身体の維持の為、定期的に検診には来るわね」
「助かるわ」
「それで、咲夜。フランはどうしたんだ?」
「それが……」
皆は、姉を信頼していない。姉は、誰よりも強いのだ。たった五百年如きの罰で死ぬなど、とても考えられない。
姉は、強靭にして強固な精神を有し、類稀なる能力と怪力を備えた、完璧無比の吸血鬼だ。
愛すべき姉が、その程度で、死ぬものか。
「……目を覚ました時には、自分がその……お嬢様と同じくらい美味しいクッキーを作って食べさせるんだって」
姉は死なない。レミリアスカーレットは不滅である。
この世でもっとも強いと、美しいと信じてきた存在が、罰に敗れるはずなどない。
「そりゃ、一体どういう了見なんだ……」
「……姉は今頑張っているから……妹も頑張らなきゃいけないって……」
姉は頑張っているから。溜め込んでいた罰を、ちょちょいっと片付けている最中だから。そんな姉の居ない間は、妹が
頑張らなきゃならない。
本当は受ける必要などなかったのに。罰は全て自分が溜め込んで、幽閉されていれば良かったのだから。
だけど、自分がワガママだったばかりに……。
「でで、できた……!」
出来上がったクッキーを綺麗にラッピングして、フランは廊下を駆け出す。
とんでもない回数を失敗して、調理器具を破壊して、壁に穴をあけて、それでも、歪だけれど出来た。
分量は間違えたかもしれない。でも、今までに見ないくらい上出来だ。形はハートを選んだ。姉は星を選んだが、自分
はやっぱりハート型が好きだった。
「溜め込んだ罰か……吸血鬼ってのは、不遇なイキモノだな」
「霊長類を凌駕する知恵と力を持った、別系統の超生命体。吸血鬼は常に人間の畏怖の対象だった。人を畏怖させると
いう事は、罪を被るということ。罪を被るということは、罰を受けねばならないという事。強欲で猛威を振るうような
人間の王は最後に断罪されるけれど、吸血鬼は死ねない。永遠に罰が付き纏うから、どこかで痛い目を見なきゃいけな
い。魔理沙にもその内解るわ」
「解りたくないぜ……ん?」
宿業を背負いし美しき吸血鬼の姉妹に幸あれ。
「フラン……フラン……」
「お、おい……レミリア?」
「ふふ。ほらみんな、引き上げるわよ。薬師も、咲夜も、美鈴も、霊夢も魔理沙もアリスも。台風が来るわ」
「フラン……私……」
お姉様―――クッキーが焼けたの。
「私……勝ったわ。受けきったの、フラン……」
分量を間違えてしまったけれど―――
「とてもとても甘いクッキーが焼けたの、お姉様」
「フラン……愛してるわ」
「私も……一番一番、この世でいっちばん、愛していますわ、お姉様!!」
未来永劫、罪と罰を繰り返す悲しき種族に幸あれ。
end
最後がちょっと急ぎすぎな感も。
時々会話が成り立っていないように思えるところが東方っぽい。
実はあなたの作品は最初のころから良く読んでいます。これまでは匿名でコメントを入れていたのですが、やめてこれからは実名を使うことにしようと思います。勉強になりましたよ、社格制度とか。
まー、最後のところはみなさんおっしゃっている通り、もうちょい時間かけて練った方が良かったと思います。
一個だけ指摘。自分も教えられて始めて知ったのですが、Webでも小説では文頭を一文字下げる必要があるらしいです。
俄雨さんがしていないのは今日初めて気づいたのですが。もし不明瞭でしたら、下のサイトなどでご確認ください。
ttp://www.raitonoveru.jp/howto/c1.html
こう言う指摘、もしお節介や不快に感じられたら言ってください。今回限りにします。
あー、ていうか何か理由があるのだったら無視しください。
結構熱心に書いてらっしゃるし、文章を見る限り本格的にやろうと思っていらっしゃる方のようにお見受けしたので進言させていただきました。
たぶん全然タイプは違うけど、同じ時期にデビューした新人同士ということで実は勝手にライバル視しつつかなり期待していたりします。
「あんたは最高だ!」
有難う御座います、有難う御座います。
>ラスト急過ぎ、物足りない
いやはや、己の表現力不足を痛感させられます。自分ではこれで良いと思っても、
指摘していただいてみれば本当に足りない。数日見直すと、なんでこここんなにアッサリさせちゃったんだろー、と嘆くばかりで御座います。
しかしその日の全力が己の全力。精進して参ります。
>乳脂固形分氏
お恥ずかしい限りであります。わたくしも名無しながら読ませて頂いております。ご指摘有難う御座います。
文章の構成については、他所でも様々議論があるようですが、わたくしの場合縦書きなら通常通り書くんですけれど、横で縦書きに従うと、個人的に非常に読みにくいんです。今後もこの構成でお許しくださいまし。
今後も皆様に読んでいただけるよう努力してまいります。有難う御座いました。
有難う御座います、有難う御座います。
>わたくしの場合縦書きなら
とは言ったものの、よく考えると皆さんから見て読みやすいんでしょうかね……。
ご意見ご感想も含めて、もし何かありましたら以下までお寄せください。
mishiro-yu幽々子hotmail.co.jp
よろしくお願いします。あんあん。
アリスとか、出番少ないキャラでもキャラ立ってて良かったです。子供心や無邪気さの表現が非常に良くできていると思われ、しかも呼んでいて快感でした。最後のところも、言われてみればさっぱりだなぁとは思ったけどさほど気にならず、全体的にイイ感じになっていると思いました。
>笑顔を称えていた
>しょっぱさを称える
湛える、です。
>体感距離にして半径五十メートル
何故体感距離で指示するんですか咲夜さんwww
>事美鈴に置いての
>事料理となると
殊、です。
あと個人的には横書きでの文頭スペースはウザいです。
ところで一箇所、「レーヴァンテイン」ってなってるとこがありますよ
特に最後が駆け足だった気はしなかったんですけどねー。
スカーレット姉妹物では一番好きかもしれません。
東方らしさが溢れていて読んでいてとても楽しい。
美鈴も最後はカッコよかった!
ただ、レティとチルノの扱いをどうにかしてほしかった。