輝夜は一歩も動かない。
目の前に突如現れた『何か』に対して揺るぎない自身があってこその不動である事は妹紅も十分理解している。
だが、動かないのならこれほど攻撃を当てやすい標的もない。今の妹紅は、悩む前にまず攻撃なのだ。
「何考えてるんだか知らないけど・・・・・・それならそのまま燃え尽きろッ!」
火の鳥はますます勢いを増して輝夜にまっすぐ向かう。それでも輝夜は動かない。
そして最早回避も防御も不可能であろうという所まで炎は迫り・・・・・・・・
「・・・やった!?」
「・・・・・・うふふ♪」
「な・・・・・・!?」
炎の向こう側からは確かに笑い声が聞こえてきた。
火の鳥の直撃を受けたわけではないらしい。もしそうなら火の鳥は火球となって輝夜を包み込んでいるだろうし、息を吸う事すら難儀するはずなのだ。しかし火の鳥はその形を維持し、輝夜の声も妹紅の元までよく届く。完全に想定外の状況に妹紅は戸惑っていた。
(何あれ・・・・・紙一重の所で避けた?・・・いやそれなら火の鳥は飛び去ってるはず・・・・・・受け止めた?・・・いやアイツは身動き一つしてない・・・・・結界・・・それでも火の鳥が触れれば炎が弾けるはずッ・・・・・!?)
「・・・昔、何かの本で見た事があるわ」
「ッ!?」
「こういう手合いは口に手を突っ込んで思い切り引き裂く・・・・・だったかしら」
自ら呟いた言葉の通りに輝夜が動く。目の前で立ち往生している火の鳥の口に徐に両手を突っ込んだのだ。
熱を全く感じないのだろうか、それとも何らかの手段で両手をガードしているのか、輝夜の表情に陰りはない。むしろ嬉々とした表情で、肘までを炎の中に差し入れてしまった。
「たかが燃焼している気体ではあるけれど、なかなかどうして細かい作りをしてるのね・・・・・・でも さ よ な ら 」
パンッ・・・・・
火薬が弾けたような甲高い破裂音は断末魔か、火の鳥はまさにその身を引き裂かれ花火のように弾けて消えた。無造作に薙いだ輝夜の腕には傷一つなく、着物の袖にも焦げ目一つ付いていない。
揺らめく陽炎の向こう側で得体の知れない笑みを浮かべる輝夜の姿が、自身が異質な存在である妹紅からしてみても一種異様なモノとして映っていた。
「あははは。見た目も派手なら散り方も派手なのねぇ」
「な・・・・・・何をした、輝夜ッ!?」
「今見た通り。あなたのお気に入りを掻っ捌いてやったんじゃない」
「・・・そっ、その前!どうして私の炎がアンタに・・・・・・!」
「ああ、そっち?・・・・一度で分からなければ何度でも試したらいいわ。全て無駄な努力で終わるでしょうけど」
「ちッ・・・・!」
自らの代名詞にして切り札でもある火の鳥を破られた以上、どんな手を使っているのかは知らないが普通に弾幕を放っていては埒が明かない事を妹紅は即座に理解した。
だが、ここで輝夜の挑発に乗ってみる価値は十分にある。輝夜が施している防御の死角か法則か、せめて防御の瞬間に何が起こっているかが分かるだけでもいい。とりあえず、妹紅の目すら眩ませてしまう火の鳥はこの場では駄目なのだ。
「・・・・・・どうしたの?私はこの場から一歩も動かないから、どうぞご自由に♪」
「フン。アンタに言われなくっても・・・・・・試してやる・・さッ!」
啖呵を切り終わらないうちに妹紅の右腕が空を薙いだ。薙いだ腕から生まれるは、まるで砂粒のように小さな無数の弾、弾、弾、紅い霊気の弾幕。輝夜が自負するように、今の彼女に一切の攻撃が効かないというのなら力の入った一撃を放ってやる必要はない。この程度の弾幕なら直撃した所で傷一つ付けられないだろう。
だが、広範に拡散しながら飛ぶ弾幕は『むしろ』と言うべきか『まさに』と言うべきか、とにかく輝夜の能力を探るのにうってつけなのだ。
「ふふっ、炎だろうが霊弾だろうが・・・・・何もかも無駄無駄」
しかし輝夜は揺るがない。この状況においてあまりにも場違な笑みを浮かべたまま、しかし宣言通り一歩も動かず弾幕の前に立ちはだかる・・・・・・
そして妹紅は見た。輝夜の能力の一端を、あまりにも不可解な現象を。
輝夜は確かに一歩も動いていなかったし、弾は受け止められる事も弾かれる事も避けられる事もなく輝夜目がけて飛んでいく・・・・・むしろ、輝夜に向かって飛び続けていた。均衡の力の中で宙空を漂うのではなく、あくまでも『飛び続けていた』のだ。
しかしその光景は、その光景こそが、異様だった。まるで輝夜を終着点として、そこに向かう弾全てがゆっくり減速していき、終いには停止しているのではないかという程にまで速度を落としていく。よくよく目をこらせてみれば、輝夜の直前まで迫った弾はまさに輝夜を狙う所まで来ておきながらあと一歩届いていないのだ。
「それは・・・・・・それがアンタの能力かッ!?」
「ええ、そう。『永遠と須臾』の能力のほんの一端」
「時間の流れを・・弄ってる・・・・・?」
「『決して的に届かない矢』の話はご存知・・・・・じゃなくてもいいわ。とにかく今の私の前ではあなたは完全に無力・・・うふふ、さあどうする?」
「ち・・・・・!」
ほとんど止まっているように見える目の前の弾に触れ、チクリとした感触を味わいつつ輝夜が笑う。
輝夜の詳細な説明がなくとも、目の前で起こった現象を妹紅は何となく理解していた。細かい理屈はともかく、輝夜は通常ありえない矛盾を具現化させてのけたのだ。
『弾幕が直撃しても一切効かない』『どれだけ狙っても避けられてしまう』というのならまだ悪あがきのし甲斐があるというものだが、『避けるまでもなく決して当たらない』のをまざまざと見せ付けられてしまってはどうしようもない。
これではきっと正面からの攻略は不可能・・・しかし、そもそも殺し合いで真っ当に正面からぶつかってやる必要はない。正々堂々と裏をかく事も王道の一つ、誰も咎めはしない。
一途で一本気で愚直なほど真っ直ぐな妹紅ではあるが、この時ばかりは頭の切り替えをせざるをえなかった。
「『どうするか』?・・・・・こうする!っらぁぁッ!」
「・・・・・・むっ」
一度だけ薙いだ腕を今度は三度、四度、五度・・・と目茶苦茶に払う。あっという間に弾幕の密度を超えた『弾幕の霧』が辺りに立ちこめ、輝夜を目指し収束し始めた。
弾と弾が押し合い、圧し合い、弾の隙間はだんだん小さくなり、遂には壁となって輝夜に迫る・・・・・が、近づくだけで一発たりとも当たらない。壁の向こうの輝夜はきっと不敵な笑みを浮かべている事だろう。
だがそれで、それでこそよかった。輝夜が余裕を見せているか弾幕に視界を塞がれている隙に、妹紅は堂々と不意討ちを仕掛けるつもりだったのだ。正面が駄目なら上か、下か。左か、右か。それとも真後ろか。どこでもいい、突破口がある事を信じて探さなければならない。
(・・・今だっ!)
輝夜の姿が完全に見えなくなった。そこから刹那ほどの遅れもなく妹紅が反応する。
まず目指すは輝夜の背後、静かに弾幕を潜り抜けて完全に不意を突いてやる・・・・・・強い決意の元に右の拳には炎と霊気を携え、空を蹴って勢いよく飛び出した。
「・・・っ・・・・・な・・・・!?」
妹紅は前に飛び出したはずだった。
本当なら既に輝夜の背後に回りこんでいたはずだ。隙を突き、あわよくば怒りの一撃を叩き込んでいるはずだった。
「そんな・・・・何が・・・どうなってッ・・・・・・・!」
ところが実際はどうだ。輝夜との距離は少しも縮まっていなかった。
未知なる能力に物怖じして動けなかったわけでも、風を感じない事からすると自分と同じ速さで輝夜が後退りしているとかそういうわけでもない。前方に展開している弾幕と同じように、妹紅も極めてスローにしか動けなかったのだ。まるで全身に隈なく重りを背負わされたようで、指一本動かすのにも難儀する。これも輝夜の仕業ではないか、と妹紅の中で当たり前のように予想が立つ。
「・・・弾幕で目眩ましをするのは予想の範疇」
「ぐっ!?」
「あなた、私の能力を理解できてないみたいねぇ・・・ッ!」
弾幕の霧、いや壁に一筋の亀裂が入った。
亀裂はギチギチと嫌な音を立てながらやがて裂け目となり、そこから努めて静かな声と共に白い手が二つ覗く。ちょうど引き戸を開くように、または先ほど火の鳥に対してやったように・・・・・輝夜が壁を力ずくで引き裂いたのだった。
普段の輝夜ならこんな力任せの行動を取ったりはしない。弾幕に囲まれれば道を探して抜けるか適度に自らの弾幕で相殺して逃げるか、
とにかく自身に被害が及ばない最良の方法を選択してそれを的確に実行するのだ。
一旦退いて間合いを取る程度の事までなら妹紅も予想していた。だがある程度のダメージを覚悟の上での輝夜の行動は、まるで妹紅の力も思考すらも真っ向から否定しているように見えた。
「・・・『時間の流れを弄る』、確かにそれは正しいわ。ただ、能力の及ぶ範囲は『私の周囲』ではなく『私に近づく物全て』・・・・・そして『決して的に届かない矢』があるのなら『決して飛び立たない矢』もあるの・・・・・・・・・・お分かり?」
「か、輝夜ぁッ・・・・・・!」
「これで理解していただけたわよね♪」
引き裂かれた壁は密度を失い弾幕に戻り、文字通り霧散して辺りに紅色をばら撒く。そして紅に染まった満月を背に、ゆっくりと輝夜が近づいてきた。
腕の一本でも動いてくれれば、妹紅は迷わずその拳を輝夜に叩きつけていただろう。動くのが脚だったとしても、その時は鋭い蹴りを喰らわせていただろう。だが、今は指一本満足に動かせないこの体がもどかしくて仕方ない。
「・・・・・余裕のつもり?自分の能力・・・ペラペラ喋っちゃってさ」
「知ったところであなたに打つ手なんてないでしょう?」
「・・・・・くっ」
「ふふ・・・・・」
「いッ!?・・・・な、なな・・・何やってんのよ!?」
歯を食いしばり輝夜を睨む妹紅の顔が一気に真っ赤になった。輝夜が腕を伸ばし、その掌が妹紅の胸に触れたのだ。服越しだが掌の温もりはしっかり伝わり、輝夜を睨みつけていた顔が図らずも緩んでしまう。
しかしこんな事で照れている場合ではなく、腕に思い切り力を込めて輝夜を振り払おうとしても相変わらずスローにしか動けない。
「ぺったんこ・・・・・うふふ、うふふふふ」
「ちょっ・・・やめろ、このバカぁっ・・・・!」
密かに気にしている事を馬鹿にされ、恥ずかしさと怒りで妹紅の顔がますます赤くなる。
掌はただ触れているだけ、撫でているわけでも揉んでいるわけでもないのにその感触は不快以外の何者でもない。
「・・・まあ、別にこんな事がしたいわけじゃないんだけど」
「じゃあするなっ・・・・・ったく、何・・・考えてるのよっ・・・・!」
「何考えてるか?それはもう、あなたが嫌がりそうな事よ・・・あなたこそ何を考えてたのかしらね」
「う・・・・・・・・・・・・」
言われて妹紅は改めて納得させられた。
そういえばそうなのだ。殺し合うとか言いながら今までの輝夜はどこか人を喰ったような言動で、自分のみならず慧音をも翻弄して・・・そんな奴の頭のどこを覗いても愛撫なんて言葉はきっとあるわけがない。
今度は一方的な思い込みで顔を赤らめた自分が恥ずかしく、そして情けなくなり、落ち着きかけていた顔が再びほんの少しだけ赤くなった。
「いや、実はね。あなたにいい物をあげようかと思って」
「あ?・・・別にアンタから貰う物なんて何もないわよ」
「いやいや、きっと気に入っていただけるわ」
「 要 ら な い って言ってるのよ。あと、 今 す ぐ こ の 手 を ど け ろ とも言っとこうか」
「いやいやいや、あなたに密着してるこの手がいいんじゃない」
「・・・・・わけ分かんない」
動けない体でそれでも輝夜に刺すような視線をぶつけ、しかし頬を赤く染めながらも、妹紅の言葉は確かに落ち着きつつあった。輝夜のせいで急に緩んできたこの場の空気に流されたせいもあるし、直接危害を受けていない事による安堵もある。
ともあれパニック状態に陥っていない自分を内心で見つめつつ、まだ反撃の糸口はどこかにあるはずと己を励まし、妹紅は胸を覆うくすぐったい感覚をポーカーフェイスで堪えていた。
「今すぐ分かるわ・・・・『あれ』、近くで弾けたら痛そうよねぇ?」
「あ・・・・あー?」
「痛いというより熱いのかしら?それとも熱くて痛い?痛くて熱い?」
「何をわけ分かんない事を・・・・・!」
ボッ
輝夜の掌から光球が生まれ出るのが見えた。
見えたからといっても動けない体では何かできるというわけではないのだが、妹紅にはその光球にどこか心当たりがあり、そしてそれが非常に危険な物である事を本能的に予感していた。
―――これは『アレ』によく似ている。
―――これが見た目だけを真似た模倣品だとしても。
―――もし、威力も『アレ』に準じる物だとしたら。
―――そして私が動けないままだとしたら。
―――この距離で使われるのは・・・・・・!
「・・・・・・フジヤマ♪」
「がっ・・・・・・・・・・!!」
楽しそうな輝夜の呟きを耳に収め、光が爆発するように膨れ上がるのを一瞬だけ視界に収め――
直後、さっきまで全く意味不明だった輝夜の言葉の意味を漸く妹紅は理解した。
痛い。熱い。
熱くて痛い。
痛くて熱い。
なるほど、確かに。
胸に受けた衝撃はかなりのもので、肺の空気を全て圧し出され一瞬頭の中が真っ白になったがすぐに一呼吸を得て意識を取り戻す。かろうじて視線を下にやると、服の胸元は完全に焼失し腋から腹の部分にかけてわずかな焦げ目が残っているのが見えた。
『フジヤマヴォルケイノ』――自らそう名づけた弾幕を、輝夜が模倣して使ったのだ。
使い魔ではなく恐らくは妖力の塊を直接解放させている事、衝撃を受けた感じでは力の解放が一段階に留まっている事、など自分が使うオリジナルとは違う点もあるがその威力だけはオリジナルに全く引けを取らない。
輝夜との距離が大きく動いたのを妹紅が感じたのは、輝夜の言葉を理解して我に返った瞬間・・・・・地に叩きつけられるのとほぼ同時だった。
「・・・ぁぐっ!・・・・・く・・・・・」
眼下が荒野と化していたのが幸いだったかも知れない。
地上が焼き払われていなかったら、今頃は生い茂る竹に串刺しにされて『焼き鳥ー』などと冗談すら言えないような状態になっていたかも知れないのだ。踵につきそうなほど長く伸ばした髪は土に塗れて真っ黒、おまけに乱れ放題。だが焼き鳥になるよりは幾分マシと割り切り、上体を起こしたその瞬間。彼女は同時にある事に気付いていた。
輝夜との距離が離れた――吹っ飛ばされたとはいえ、自分の体が動いた事に。
輝夜が余裕を見せてわざと能力を解いたのかも知れないし、或いは地面に叩きつける為だったかも知れない。
だが輝夜の真意などはこの際どうでもよい・・・というよりそんな事を気にかけている余裕はなかった。空を見上げれば、満月を背に米粒のような影が少しずつ、少しずつ、大きく。やがてその形をはっきり認識し、急速に距離が縮まってきているのがよく分かる・・・・・まるで獲物を狙う猛禽のように輝夜が向かってきたのだ。
自由落下の速さに自らの推力も加え、落下しながら妹紅を目がけるその姿はさながら殺意のみを持った猛禽。あるいは狂気を帯びて動く巨大な弾丸である。
「!・・・・ッ、こ、このぉぉっ!!」
妹紅も反応せずにはいられない。
無意識のうちに立ち上がって脚を踏ん張り、腕を伸ばし・・・・・・今度は、自分の意志でも体を動かす事ができた。
理由はどうあれ動けるのならもう迷いはない。掌に力を溜め、収束させ二度三度と放つ。咄嗟の反応だったゆえ狙いは正確ではなかったかも知れないが、それでも砲火は輝夜の方向に真っ直ぐ撃ち上がってくれた。
「あはっ!あははははっ!!」
「え・・・・・・!?」
霊弾は紙一重で輝夜の頬を横切り、あるいは服の裾を裂き、一瞬の交錯の後には闇に呑まれ消えて行く・・・・・・高速で迫る弾に対し彼女は迂回をせず、相殺もせず、最小限の回避で一直線に落ちてくる。
その光景に妹紅は呆然とした。輝夜が真っ直ぐ突っ込んでくる事ではない、彼女が『決して届かない矢』と称した能力すら解いていた事に、だ。あらゆる攻撃を無効化するありがたい能力ならば、わざわざ解除する必要などはない。能力発動中は自分からも攻撃できないというのなら話は別だが、彼女は間違いなく妹紅に触れて攻撃をしたのだ。かといって挑発や余裕で片付けるには、この行為はあまりにもリスクを抱えすぎているように見える。
そして疑問と驚きはある種の惧れとなり、妹紅に更なる攻撃を決意させる。
「く、くそっ・・・堕ちろ!堕ちろ堕ちろ堕ちろぉぉっ!!」
焦りと惧れに任せ、両掌から先ほどの数倍の密度で弾を撃つ。これで漸く弾幕と呼べる程度の攻撃となり、輝夜とその周辺を目標として光が撃ち上がる。だが、それでも輝夜の動きに変化は起こらなかった。
細かい回避が増えただけで妹紅に向かって真っ直ぐ突っ込んでくる事に変わりはなく、傍から見れば妹紅が輝夜を抱きしめんと腕を差し伸べているようにも見えてくる。
「・・・くそっ・・・・・」
すかさず次の手を講じる。脚を今まで以上に力強く踏ん張り、全身を包み込むような炎はやがて右掌に収束していく。
多数の小さな弾で隙間の空いた弾幕を張るよりも、敵が急速に近づいてきたこの状況で有効なのはむしろたった一発の弾。空間を丸ごと支配する、たった一発の巨大な弾で事足りてしまうと妹紅は考えたのだ。
「・・・食らえッ!鳳・・・・・・」
「 遅 い 」
「え・・・・・わッ!?」
突如、輝夜が妹紅の前に立ちふさがった。
妹紅にぶつかるつもりで輝夜が飛んできたとしても、彼女が火の鳥を撃ち出す程度の余裕はあったはずなのだ。だが彼女は、まるで時間を飛び越えたか消し去ったかのように『いきなり』妹紅の前に現れた。
超スピードなどというチャチな言葉では到底説明できない程の刹那にも満たない刻で。
そして、ご丁寧にも火の鳥を撃ち出す右掌に己の右掌を重ね合わせて。
「な・・・・ど、どうして・・・!」
「馬鹿な子ね・・・・・そんな大仰な物、もはや隙を作るだけでしかないのに」
「くそっ・・・・・でもこの距離なら、アンタだって逃げようがないッ!」
「かも知れないわね・・・でも、逃げる為にわざわざ近づく馬鹿はいないでしょう?」
「!?・・・・アンタまさかっ・・・・・・・」
「今度は二人分、よ♪」
「かぐ―――」
輝夜の掌が今一度輝いたのを妹紅は確かに見た。
同時に輝夜の心底楽しそうな呟きを聞き、そして今にも撃ち出さんとしていた火の鳥が輝夜の弾幕を受けて己の制御を破ろうとしているのに気付き・・・・・・・・・
「・・・・く、くっそ・・・・・・・」
地面には埋まらずに済んだみたい、などと地に大の字を描きつつ妹紅はぼんやり考えていた。
痛くて熱くて、でもそれだけで、強いて言うなら脳震盪か何なのか分からないが視界が妙に白く霞んでいて。そしてその先にかすかに見えるのは、すぐ傍にしゃがみ込み自分を見下ろす輝夜の姿。
「いかが?自分の自慢の炎と、模倣された弾幕の味は」
「・・・はっ・・・・真似ぇ・・・してんじゃ・・・・・・ないわよっ」
「私だって炎に属する神宝を持っているんですもの、その気になればあなたの弾幕の真似ならできなくもないのよ」
「んな事・・・聞いてないッ・・・・!」
「・・・・・・まだ元気いいみたいね」
「う・・・!」
服が焼け焦げ露になった胸に、再び輝夜の掌が添えられた。
輝夜の顔には変わらず冷たい笑みが張り付いているが、その目は微塵ほども笑っていない。まるで興味のない玩具のように、見るというよりもそれは『目がそちらを向いている』と表現した方が妥当だろう。そして視線だけでなく声も全く熱を帯びていないものになっていた・・・少なくとも妹紅にはそう感じられた。
「そろそろ飽きた・・・・・妹紅、負けを認める気はある?」
「は・・・はァ!?」
「もう勝負は着いたも同然だけど、自ら負けを認めた惨めなあなたをたっぷり嬲ってやろうっていうのよ。そうでもしないと気が済まないわ・・・どう?負けを認める?」
「ッ・・・・・」
「どうするの?イエスか、ノーか?」
輝夜の顔がほんの少し近づいた。
妹紅にとっては到底首を縦に振れるような話ではない。拒めば次の瞬間どうなるかは容易に想像がつくがそれでも屈するわけにはいかないし、そもそも彼女がどんな状況であれ輝夜を相手に屈するわけがないのだ。
「・・・・・・・・・馬鹿か」
「・・・・そう、それが答えね」
ドンッ
「かはっ・・・・・!!」
妹紅が何の迷いもなく切り返したように、輝夜にも迷いはなかった。胸と掌の間で再び光が跳ね、炎が踊る。
胸に痛みと熱と衝撃を受け、地に倒れていては衝撃を受け流す事もできず全身で受け止めてしまう。霞がかっていた視界がさらに狭まったように見えるのは、決して気のせいではないと妹紅は感じていた。
「もう一度聞くわ・・・負けを認める?」
「・・・・・・ふ・・・ふんっ」
「そう・・・・本当に馬鹿というか頑固というか・・・」
そこから先は同じ事の繰り返しだった。
輝夜が問う。
妹紅が拒む。
輝夜が撃つ。
妹紅が悶える。
妹紅の体を貫く衝撃はついに地面をも捉え始め、二人を中心に少しずつ沈み込みクレータが形作られていく。
「・・・・・・・・・妹紅」
「・・・・・ぅ・・・・・・・・・・」
これで何度撃たれただろうか、お互いそれを知る術はない。
だが、輝夜の言葉に対し妹紅の口から明確な言葉は出てこない・・・・・・さんざん胸を撃たれ、焼かれ、大地に打ちつけられ、彼女の体はすっかり弱りきっていたのだ。
蓬莱の薬を飲んでからは不死であるのをいい事に無茶を続けてきた妹紅だったが、この状況では流石に考えが変わってくる。今まで何度も感じてきた『死に近い感覚』が、より濃密な物となっていよいよ彼女に迫りつつあった。
「永琳から聞いたわ・・・あなた、ちょっと前に風邪を引いたんですってね」
「・・・いまさら・・・・・何よ」
「『不老不死の私が風邪なんて』とか思ったでしょう・・・・・・そして大方、あなたは『私の体が弱るのならアイツだってきっと』とでも思ったんでしょう?」
「・・・・・・・・」
「普段ならこの程度の火傷、あっという間に癒えてしまうのにねえ」
「っ・・・!」
再び輝夜の手が胸元に伸びる。白い肌は炎に次ぐ炎でうっすらと焼け、赤い痕を残していた。
輝夜の言うとおり、本来の妹紅はちょっとした傷なら戦いながらでもあっという間に快復させてしまう。
それが今はどうだろう。立て続けに炎に焼かれたせいもあるが、輝夜が軽く触れただけでも痛みが伝わる程度に肌は傷ついており、詰まる所殆ど傷は癒えていないのだ。擦り付けるように指の腹で妹紅の肌を撫で、輝夜の顔に再び冷たい笑みが宿る。
「そして今の私の体は死ねてしまうほど弱ってしまっているのか、逆にあなたはどうなのか・・・・・・残念だったわね、確認できなくて」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「さて妹紅、そろそろ負けを認める気になってきた?」
「・・・・・・・くっ」
「それとも・・・・また大振りかまして火の鳥でも飛ばしてみるのかしら?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
余裕の笑みを湛える輝夜を見て、妹紅はふと思う。
ああ。
やっぱりそうだ。
間違っていたんだ。
なるほど、今までコイツを殺せなかったわけだ。
そしてコイツも私を殺せなかったわけだ。
これからなんだ。
コイツを死ぬほどひどい目に遭わせてやって。
コイツに死ぬほどひどい目に遭わされて。
やっとここまで来れたんだ。
本 当 の 殺 し 合 い は
こ れ か ら な ん だ
「ぅ・・・・・・」
「ん?」
弱々しく伸びた手が輝夜の手首を掴んだ。
振り払ってやってもよかったのだが、どうせ今の彼女には何もできないだろうと高を括り輝夜は動かない。何もできない筈の彼女は果して何を思い、何をしようとするのか・・・・・・その事に興味を抱いた輝夜は、自らの腕を妹紅に向けて差し出していた。
「腕の一本でも引きちぎってみる?一発逆転できるかも知れないわよ」
「・・・そんな必要・・・・ない」
「お・・・・・・ぉ?」
手首を掴んでいた片手はするすると蔦のように輝夜の腕に絡み、なすがままにされる内に両腕が絡みついてきていた。だがここまでされても輝夜は慌てず、逆に腕を動かしてみたりして妹紅の反応を確かめたりしている。
弱々しいながらもその手は離れず、その様はどこか釣り針に引っ掛かった魚を思わせる。
「輝夜・・・・・私、間違ってたわ」
「?」
「アンタを殺そうだなんて・・・間違いもいいところだった。やっと気づいたのよ」
「・・・・・・・・・・・・」
妹紅の口調が場違いなほど確かで落ち着いていた事に輝夜は驚きを隠せず、そしてその言葉を聞き疑念を抱かずにはいられなかった。この状況で予想外といえそうな言葉は数あれど、これは流石に予想外のさらに斜め上にしか聞こえなかったのだ。
「残念、命乞いは聞こえないわよ?」
「アンタの能力が使いようによっちゃ手のつけようがない程度に強いとか、私が馬鹿みたいに真正面から向かっていくとか・・・・そんな事じゃない。もっともっと根っこの部分が違ってたのよ・・・」
「・・・・・・?」
「だから私は千年間もアンタを殺しきれなかったし、アンタも私を――ま、アンタはどこまで本気だったか分かったもんじゃないけど――とにかく私を殺しきれなかった」
「・・・・何を下らない事を」
一言吐き捨てて妹紅の腕を振り払う。
絡みついているとはいえ、力なくただ巻きついているだけの細腕はあっけなく外れて落ちる・・・・・
その光景を輝夜は見るはずだった。
「・・・!・・・・ん!?」
「私は・・・・・今までずっとアンタ『だけ』を殺そうとしてたの・・・アンタもそうでしょ?絶対そうよ」
「な・・・・・・も、妹紅・・・!?」
振り払われるはずの腕は、逆に一層の力で輝夜に絡みついてきた。余裕のある笑みから一転、またしても予想外の事態に輝夜の顔にはわずかに焦りの色が浮かぶ。
「輪廻の輪から外れた者同士、相手を殺して自分だけが生き延びてていい筈ないのよ・・・その先にはきっと何もない」
「妹紅っ・・・・・・は、放しなさいッ!」
「私たちは不可説、不可説転の時を巡っても決してこの生から解放されない。今までは殺し合いという『生』を実感できていても、圧倒的な時間の流れが私たちの心を、記憶を、『生』でさえも・・・・・いつか、全て真っ平らにしてしまう」
「・・・・も、妹紅・・・・・・・・!?」
「・・・今まではずっとそう思ってた。だけど・・・・・・・・今ならそれを破れるかも知れないんじゃない」
腕に食い込まんばかりの力強さで妹紅の五指十指が輝夜の腕をしっかりと捉えた。
こうなってしまったらいくら腕を振っても離れない。輝夜の腕力では強引に妹紅を引っぺがす事もできず、弾幕を張るには距離が近すぎて妖弾を一発撃つ事もままならないであろう。
そして目に見えてうろたえ始めた輝夜を、妹紅は輝夜の前では決して見せた事がない――それこそ、慧音の前でしか見せた事のないような――穏やかな微笑で見つめていた。
「輝夜・・・・・せめて、逝く時は・・・・・・・一緒だよ・・・・・・」
「もこ・・・や、やめ・・・・・・・!」
妹紅の両腕はうろたえる輝夜をよそに腕から肩へ、肩から背中に伸びていく。両腕が輝夜の背中に回った時点で、ちょうど二人は抱き合うような格好になった。体と体が触れ合う所から、温もりとは全く異質の熱を感じる。それは触れ合う胸と胸から手と手、脚と脚へ・・・・・そして、熱は痛みに似た感覚すら生み出し二人を包みこんでいく。
―― possessed(憑いた)
―― possessed(憑かれた)!?