※作品集第41{その紫陽花の色は? 上}を先にお読みください。
永遠亭で働いて既に4日。ここでの暮らしは美鈴にとって決して悪いものではなかった。
レミリアから雇用条件で『殺害は禁止』となっているのが功を奏しているためか
どのイナバも一線を越えるような真似はしていない。
無論、一線を越えようとした者も数名いたが、もしそんなことをしてしまえばすぐさま永琳たちの目に留まり、
厳しい処罰を受けるのはまず間違いない。彼女たちもそれは理解しているため、
美鈴に対する嫌がらせはあくまでも彼女たちには分からない裏で行われていた。
例えば、靴の中に画鋲を仕込まれたり、至る所にトラップを仕掛けそこに美鈴をはめたり。
そのため美鈴は持ち前の自己修復能力をもってしても生傷が絶えなかった。
とはいえ、美鈴はこれに文句を一言も言わず、永琳たちもこのくらいなら…と黙認しているのだ。
幸いなのかどうかは知らないが、おそらく美鈴にとっては幸運なのだろうことがあった。
それはこの行為がまだ『いじめ』的な形で済んでいること。
そのためエスカレートすることもなく、ただそういった嫌がらせを美鈴は受けていた。
逆に少しずついじめの人数は減っていっていた。イナバたちも少しずつ美鈴を許し始めていたのだ。
美鈴の謝罪しようという精神が、その行動が彼女たちの心に響いたのだろう。
そのため、最初の頃に比べれば大分人数は減り、今ではてゐを含む頑固な者たちだけとなっていた。
ただ、ココで話すのはそんないじめの話ではない。そんなことを好きで聞く人は居ないだろうから。
この日…美鈴は今までとは違い、永琳に直接呼び出されていた。
内容は何でも、美鈴が操る『気』の能力を調べるためだという。
美鈴にはその理由がすぐに分かった。『気』は人を傷つけると同時に人を癒すことが出来る特別な力なのだ。
薬師…つまり人の命を助けることを仕事としている永琳にとって、彼女の持つ能力は非常に興味を引かれる
ものなのだ。正直なにやら危険な薬を盛られるのでは…と心配したが、それもないだろうとすぐに理解した。
何故ならレミリアの雇用条件に美鈴を『破壊』しないことという条件が組み込まれている。
この『破壊』には精神崩壊を助長する行動も含まれており、薬剤などで美鈴が精神崩壊を起こしたら
この条件に反してしまうからだ。永琳も馬鹿ではない。紅魔館と戦争をおっぱじめればそれこそ
洒落にならないことになる。だから彼女は下手な実験は行わず、本当に調べるだけで済ませるはずだ。
「…………」
朝、その命令を聞いた美鈴は何の文句も言わず、それに従った。
今の美鈴には…いや、それ以前に使用人として働いている彼女にとって目上の存在、つまり上司からの命令には
絶対服従する義務がある。それが不可能なものでも、彼女はそれを実行するよう心がけている。
矛盾している点もあるが、それが使用人のあり方だと彼女は彼女なりに理解していた。
美鈴が永琳の調査に使用されるため、自然と鈴仙の助手は小町ただひとりとなった。
小町も面倒くさがりやな性格を除けば、立派なボディガードになる存在である。
そのため、周りからは何の抗議行動も起こらなかった。
むしろ、美鈴がガードするよりも安全だという声が上がったほどだ。
「……ふむふむ」
で、話を現在に戻すが、今美鈴は中庭の中心で一人『気』を練っている。両手を胸の前で合わせる何時もの行動だ。
それを永琳は縁側に座り、クリップボードを片手に眺めている。
そして何か分かるたびに彼女はしきりにクリップボードに挟んだ紙に何かを書き込んでいた。
「……あの」
「何かしら?」
「何時まで『気』を練り続ければいいんです?」
ジーッと美鈴を観察する永琳に対し、美鈴は集中力を切らさないよう目をつぶったまま、
但し少し呆れたような口調で聞く。無理もない、何しろ朝食を食べてから既に数時間この体勢を維持しているのだから。
「後もう少しよ。もうすぐ纏められるから」
永琳はクリップボードから目を離さずに言う。それに美鈴はため息をつく。
このやり取りは既に何度か行っている。美鈴が聞くたびに永琳は全く同じ言葉を返してきた。
つまるところ、黙って言うことを聞け…ということなのだろう。
結局その調査が一段落したのはそれから更に三十分たった頃。
2人はイナバが淹れた茶を縁側でのほほんとした雰囲気の中飲んでいた。
そんな中、永琳が唐突に話を切り出す。
「あなた、過去に血を吸った経験は?」
「は?」
「ちょっと聞きたくてね。どうなの?」
「そうですね…血のみを吸ったことは……無いですね。どちらかというと人肉もろとも食べてましたから」
ココでの吸血行為は主に外の世界でのことをさす。また、フランドールの血を飲んでいることも除外している。
「それって吸血鬼と呼べるの?」
「さあ。私は異端ですから。『白昼の吸血鬼』は本当に異端な事ばかり。
限りなく妖怪に近いようで、その実吸血鬼。弱点はあくまでも心臓に木の杭を打たれることだけ。
それ以外は、太陽も、渇きも……ありません。いや、『渇き』はありますか。とはいえあれも異例の物ですが。
もし私が正真正銘、身も心も『白昼の吸血鬼』と化せば渇きすらもなくなります」
「確かに……以前の事件の『渇き』は本当に時々にしか起こらないわね」
「はい。あれを吸血鬼がもつ『渇き』に該当できるのかというと……微妙ですね。
あれは元人間である紅美鈴の弱点であって『白昼の吸血鬼』紅美鈴の弱点にはなり得ません」
「ふうん……」
あくまでも先日の事件のキーとなった『渇き』は異例のことだ。
第一あれは、美鈴の異変が『渇き』という形になって現れただけのことであり、
あれを一般吸血鬼がもつそれに分類していいのかというと、微妙なのである。
「ねえ…人肉を食らうという事は、血も飲むんでしょう? やっぱりそれと血だけを飲むのって違うのかしら」
「そうですね…結局食されるのは同じなんですからなんともいえませんが……。
まぁ、恐怖の与え方は違うでしょうね。…しかし、何でそんなことを聞くんです?」
すると永琳は湯飲みを置き、懐から一冊の本を取りだした。
「ここに一冊の本がある……あなたのことが書かれてるわ」
「?」
分厚い本だ。動物の皮で作られているのか、表紙は非常に硬く、また紙も古い代物なのだろう…
端が破れてしまっている部分もある。永琳はそれを大事にめくりながら、一つのページを指差した。
「かつて外の世界ではオリジナルを再編集し、複製本を何冊か作ったの。
その一つが紅魔館の図書館に貯蔵された。おそらく、何かしらのルートでスカーレット家に渡ったんでしょうね。
以前図書館を訪れた際に借りたの」
「はぁ…」
「これには外の世界で特に有名になった魑魅魍魎たちが載っているの。いわば人外事典ね。
そして……勿論、あなたのことも載ってる。でも、おかしいわね。
あなた……どうして世界中に『吸血鬼』ということが知られてるのかしら」
「?」
何が言いたいのか分からない。もう少し分かるように説明してほしいと思った。
永琳はそのまま続ける。
「わからない? あなたは封印されるまで一度も自分を吸血鬼だと公表はしなかった。
それに、血も吸わなかったという……では、何故世間には吸血鬼だと知れ渡っているのかしら?」
「あ……」
なるほど、美鈴にも理解できた。確かに……言いたいことは分かる。
美鈴は『白昼の吸血鬼』になってから封印されるまで、一度も人間たちに対し自分を吸血鬼だと語った覚えが無い。
かつて藍と戦った際、彼女は匂いで分かったといっていたが、人間には勿論そんな力は無い。
つまり……人間たちに自分が『吸血鬼』だと知ることが出来る術はまず無いのだ。
もし唯一あるとすれば……それこそ、人間と妖怪が共存しなければ知ることは……。
「心当たり……ある?」
「そうですね……いくつかありますが。まぁ、実際に見てもらったほうがいいでしょう」
何しろ自分は興味本位で人を襲い、気まぐれで逃がしていたりもしていた。
が、そいつらに血を吸うところを見られたことは無い。何しろすったことが無いのだから。
せいぜい人肉を食らっているところを見られたことがあるくらいだ。
つまり何か別の要因があるようだ。美鈴は湯飲みを置いて立ち上がると
庭のつきあたりまで歩く。そこには一本の立派な竹が生えており、その周りには雑草などの草が生い茂っている。
まるで一つの小さな原っぱだ。その中に美鈴は歩いていき、竹の前で止まった。
「立派な竹ですね……」
「そうね、結構長いこと立ってるわ」
「そうですか……では先に謝罪しておきましょう」
「?」
「私が吸血鬼と呼ばれる要因を見せるわけですから…犠牲になってもらいます」
そう言うなり右手を竹に添え、撫でるように触る。そして……。
バキン
突然、竹の枝が一本折れた。美鈴の手が届かない、はるか頭上にある枝だ。
落ちてきた枝は……かれているのかささくれていた。
「これは……」
「おそらくこれですね。これが原因……」
変化は更に続く。枝や葉が次々と抜け落ち…先ほどまで健康疎な緑の色を放っていた竹は既に見る影も無い、
茶色く変色していた。そして、己の質量を保てなくなったのか、丁度美鈴の手元からバキバキッと折れてしまった。
まだとまらない。今度は彼女の足元の草花がどんどん枯れていくではないか。
侵食はどんどん続き、美鈴を中心にし、あっという間に周囲の草花を全て枯れさせてしまった。
「……以上です」
「…………」
永琳は黙ったまま、美鈴は気にせず、彼女の元まで戻り、隣に腰掛けると
先ほどと同じように茶を飲み始めた。
「今のは?」
「『気』ですよ。辺りの『気』を吸収しただけです」
『気』を吸収した? いや、辺りには『気』を発散させるものなど居なかったはずだ。
「正確に言ってしまえば『生気』……ですね。一ついいことを教えておきましょう。
私が扱う『気』……本来これはすべての生物が平等に持っているものなんです。
私はただそれを扱える程度の能力を持っているだけに過ぎません」
「……なる、ほど。つまり、竹の『生気』と草花の生気を操ったわけ?」
「はい。但し……操ったのではなく、吸い取ったのですが」
吸い取った? その言葉に永琳は首をかしげる。美鈴はそのまま続けた。
すべての生物には必ず『生気』が宿っている。『気』という単語が使われている辺り、
やはりこれも美鈴にとっては操れる対象らしい。そもそも『気』の治療とはこの『生気』をより活性化させ
傷を治すという方法を主流にしているらしく、戦闘に関していっても『生気』は重要なものなのだという。
そしてそれを失うということはそれすなわち死を意味する。文字通りの意味だ。
『気』を操る彼女にとってそれを操ることは容易なことだ。増幅させることが出来れば、逆に減らすことも出来る。
今回の場合、彼女は竹と草花の『生気』を吸い取ることにより、これらの生命力を断ち切ったのだ。
元来草花が枯れるというのはその見に宿す『生気』が減少することにより起きることなのだと美鈴は言う。
花の場合、花を咲かせる頃が『生気』を宿すピーク時で、その後は一気に衰退するのだ。
そのため、美鈴が行った『生気』の吸収は、その枯れると言う動作を助長させることになったのだ。
故に……今のように美鈴が手を触れ能力を使っただけで、かれてしまったのだ。
「勿論この原理は人間にも利用できます。但し…人間の場合生命力を失うということは老けると言う事ではなく、
そのまま一気に死に絶えますから、傍目から見たら手を触れただけで殺したように見えるでしょう。
私はかつて、己の身に宿している『気』が戦闘で極度に使用し消耗した際に、
こうして周りから集めて回復をしていました。木々や草花、動物は勿論使用しましたが、
特ににんげんのもつ『生気』は目を見張るものがあり、より多く回復することが出来たのです」
「なるほど……言いたい事は分かったわ」
ココまで来ると永琳にも理解できた。つまり、昔の人々は美鈴がこうして『生気』を吸収して居たところを
目撃し、その話が世界中に回ったのだろう。が、当然その間に色々とそれに尾ひれがついたはずだ。
で、おそらく西洋で色々と騒がれていた吸血鬼と彼女を重ねたのだろう。
何しろ吸血鬼は血を吸って己の『生気』を養い生き残り、美鈴は直接『生気』を吸って自身を養う。
過程は違えど、人肉を食らわない点で言ってしまえば同じことだ。
第一、尾ひれが着いた噂と言うのは長い時間の中でそれくらいの改変は出来るのである。
それ以上のことは流石に美鈴でも分からない。封印されるまで己が吸血鬼だということは伏せていたのだから。
無論封印されるまでに何度か自分のことを吸血鬼だの呼ぶ輩がいたが、それらもただ『勘がいい奴』程度にしか
思わなかった。何故なら、自分の正体を知っていようが居まいが、戦闘に支障をきたすことは無いからだ。
人間たちは勿論様々な対策(吸血鬼が持っているという弱点)を講じたが美鈴には関係ない。
あくまでも美鈴の弱点は白木の杭だけなのだから。そしてそれを実行するだけの力を人は持っていない。
まぁ……纏めてしまえば偶然としか言えない。噂が偶々吸血鬼に結びついただけなのだ。
第一それは事実なわけだし、美鈴が逐一反論する必要も無い。結果……彼女が吸血鬼だという事実は定着したのだ。
が、美鈴は知らない。吸血鬼である彼女のそのありえない異端さに未だにそういった業界では様々な
論争が起こっている。…まぁどちらにせよ、その上で作られた彼女の詳細には色々と恐ろしいことが書いてありそうだが。
「『生気』を吸うと血を吸うという行為を同じ生きるための行為だと考えれば合点はいきますが」
「ちなみに聞くけど、今の吸収であなたはどの程度の力を蓄えることが出来たの?」
「そうですね……破山砲の10分の一程度でしょうか」
「あれだけ吸ってそれだけなの?」
「まぁ…あの竹もピークを過ぎてましたから、吸い取れる量も少なかったですし。
第一『生気』の量というのはそういうものです。パワーはありますが、なにぶん一体一体にある量が少ないんです」
「じゃあ…前の事件であんなにバカスカ打ってたのってやっぱりまずかったの?」
「実は……。まぁ、私は少し特殊でして。本来消費した分は戻らないのですが、時間が経つと回復するんです。
ですから、あれだけ大量消費しても、暫くすればすぐに元に戻ります」
「はぁ……そこの理由も気になるわね」
「内緒ということで。あまり自分のことを話すのは好きではありません」
きっぱりといわれてしまった。…まぁ、あくまでも今は興味本位の調査だからそこまで知る必要は無い。
第一知りたかったことは確証は無くとも原因は分かったからよいだろう…と永琳は思った。
「まぁいいわ。じゃあ、紅さん、次のお仕事よ」
「今度は何です?」
「安心しなさい。薬の調合を手伝ってもらうだけだから。鈴仙はもう少ししたら出かけるから。
ああ…大丈夫、私の言うとおりにすれば何も問題は起きないわよ」
「わかりました」
言うと永琳は湯飲みを置いて立ち上がり、歩き出した。
美鈴に断る権利は無いためおとなしくそれに従った。
◆ ◆
さて、時間は過ぎ、3時を過ぎた頃。小町は鈴仙の用事ということで香霖堂まで彼女の護衛をしていた。
「で、今日は一体何を買うんだい?」
「買うんじゃないよ、受け取るだけ」
「受け取り?」
「そ、頼んだ品物をね」
店の前に来て改めて聞く小町に鈴仙は軽く答え、さっさと中に入っていってしまった。
はぁ…とため息をつくと彼女も後に続く。
香霖堂の中には相変わらず客の姿が見えない。よく営業できているものだと思う。
小町も休暇がてら何度かこの店に来たことがあるが、どの場合も他の客に出会ったことが無かった。
「霖之助さん」
「いらっしゃい……ああ、君か」
店の置く、カウンターで何時ものごとく、この店の店主霖之助は本を読んでいた。
しかし…あの本、一体何処で手に入れているのだろうか……。
小町は不意に思ったが、別に聞く必要も無いので心の中にしまっておいた。
どうやら鈴仙は何度過去の店に来ているためか店主とは顔見知りらしい。
いや…客が少ないからその分、顔を覚えてしまうのだろうか。
「頼んでいたもの……どうです?」
「何とかなったよ。紫のおかげでね。ただ…相当な対価を強いられたけどね」
「報酬はその対価の大きさ分支払いますよ」
「頼むよ」
霖之助は店の奥に入っていってしまった。鈴仙はカウンター近くのいすに座り彼が戻るのを待つことにした。
そうなると小町は暇になる。する事が無いため辺りを見回す。
「しかし、相変わらずこの店はいろんな物が置いてあるね」
関心半分呆れ半分のため息をつきながら、小町は店の中を物色する。
盗まなければいいのだ。物を見定めようが何をしようが自分の勝手である。
「ん?」
そんな時、丁度彼女の目線の高さにある棚の段に置かれている一つの品に目が留まった。
「これは……」
直方体の物体…銀色に輝いている。手にとってみるとそこそこに重い。
「ハーモニカ……だねぇ」
うん、間違いない。ハーモニカ…小型の吹奏楽器だ。
きちんと手入れされているためかさびているところも無く、指紋もきれいにふき取られているためか、
小町のものしか着いていない。
「ふうん……大事に使われているようじゃあないか」
見た目とは裏腹に相当な年月使い込まれている。目を凝らせば傷がたくさんついているからだ。
「いるかい?」
突然の声にビクン! と震える。振り返ると霖之助が一つの木箱を抱えて戻ってきた。
B4版の紙の大きさで、それなりに厚みもある木箱だ。蓋には{DANGER}と焼印が押してある。
また、釘が念入りに打ち付けられており、よりいっそうこの中身が危険だということを示していた。
そんな異様な雰囲気をかもし出すこの箱に、思わず小町は数歩後退してしまう。
「あ…いや。ただ目に付いただけさ」
「目に付く…と言う事は心のどこかでそれを欲しているということさ。もしくは、運命が君にそのハーモニカを
与えようとしているのかもね」
「またえらい事を言い出すね、お前さんは」
「事実だよ。人が物を選ぶように、物も人を選ぶのさ。僕は物が一体どういうものなのか見分けられる力を持っている。
だから、自然とそういう原理も分かるようになってるのさ」
「ふうん……しかし、何でだい? あいにくあたいはハーモニカなんて吹いたことは無いよ?」
「吹ける吹けないが問題ではないさ。必要なのは、物が君を欲しているということ」
「はあ…新手の売り文句にしては凄いじゃないか」
「さてね……」
霖之助は苦笑すると、手に持っていた木箱をカウンターの上に乗せる。
「買うにしてもだ。言っておくけど今のあたいにはこれを払える物が無いよ」
「見れば分かるよ」
「それにあたいはこれを扱うことは出来ないよ」
「さあ…どうかな? 練習すれば吹けるようになるかもよ?
もう一度いうけどね。必要なのは物が君を選び、君がそれを受け入れたということだよ。
君が本当にそれを必要としていないのなら、目に留まっても手には取らないからね」
……どうやら霖之助は売り言葉としてその概念を話しているわけではないようだ。
目でわかる、どうやら本気らしい。
「……分かったよ。けどさっきも言ったけどさ、あたいには払えるお金が無い」
「そうだね……ツケにしておこう」
「おいおい、いいのかい? 博麗の巫女に散々ツケにされて困ってるんじゃないのかい?」
「今更ツケが一つ二つ増えても構わないさ。それに、久しぶりに『物が人を選んだ』ところを見れたんだ。
今の僕にはそれだけで満足さ」
「……そうかい、じゃあありがたくその心遣いに乗っておくとしようかね」
小町も苦笑すると、そのハーモニカを懐に突っ込んだ。毎日少しずつ練習しようか……と心の中で思いながら。
ちなみに…そのハーモニカ。プリズムリバー三姉妹の内の一人が道具と引き換えに渡したものだったりする。
「で…だ。一体その木箱はなんだい? 見たところ、相当やばい代物らしいね」
話を元に戻し、小町が問う。すると霖之助はしゃがみこみ、カウンターの引き出しからくぎ抜きを取り出した。
「鈴仙君が頼んだものだよ。君の言うとおり、やばい代物さ」
蓋と木箱の間にくぎ抜きを押し込み、てこの原理でこじ開けた。
中にはシュレッダーで細かく切られた縦長の紙がたくさんつめられたクッションと、
一つの無骨な形をした真っ黒な物。
「……これは…銃、だよね」
死神という仕事をしていると、こういった武器を装備した幽霊が来ることもある。
飛び道具で、弓などといった昔の道具に比べてはるかに殺傷能力が高い武器であることを小町は理解している。
彼女はこの武器を、あまり好んでいない。人の命を簡単に奪えるからだ。
「ああ、技術と材料は紫さ。僕はそれを元に設計しただけ」
どうやら外にある銃をそのままもってきたのではなく、オリジナルとして作ったらしい。
見れば、確かにかなり無骨な代物になっている。
「『おーとまてぃっく』…とか言うほうじゃなくって『りぼるばー』…っていう方に作ってある。
紫いわく、これなら簡単には壊れないってさ」
「ええ、そのほうがいいですね」
鈴仙は木箱からリボルバーを取り出すと、感触を味わうかのように握る。
「大きい……図書館で資料だけは見たことがあるけれど」
「それは仕方ないよ。何せ君仕様だからね」
すると霖之助はそのリボルバーについて話を始める。
鈴仙から寄せられた注文は簡単なようでひどく難しいものだった。
1.頑丈な飛び道具 2.近接戦闘にも耐えられる道具
たったこれだけ……が、これが非常に難しい。飛び道具は元来中遠距離道具だ。
近距離で扱うとなると、小型な武器が必要となる。そこで考案されたのが銃だ。
よく外の世界に行く紫によると、戦争の基本武器は銃になっているのだという。
故に銃の知識を持ってきたのだ。
「装弾数は5発だ」
「5発……6発じゃなくて?」
「我慢してくれ。君が扱う力を考えると、そうしないと脆弱になって簡単に壊れてしまうんだ」
「……分かりました」
リボルバーの弾を込める弾倉部は確かに5つしか穴が開いていない。
と、ここで小町が口を挟んだ。
「ちょっと待ちな。この武器……あたいも知ってるよ。この武器の危険性は知ってるのかい?」
「ああ、勿論さ」
「なら率直に言わせて貰うよ。この武器…幻想郷のバランスを揺るがしかねないね。どうする気だい?」
小町が言いたいことは鈴仙にも分かった。
銃は取り扱いが簡単な分、恐るべき威力を発揮する。事実、外の世界の戦争方式が変わったほどだ。
それを幻想郷内に持ち込んだらどうする? 今まで保たれてきたバランスが崩れるのは必須だ。
「勿論僕にも、そして紫にも分かってる。だからこその『鈴仙君』仕様なんだよ」
「……どういうことだい?」
「この銃は特別でね。鈴仙君以外には扱えないのさ」
「……悪い、分かるように説明してくれ」
「そうだね……この銃、形は銃の形をしているが本来は銃の役割はしないのさ。あえて言うならただの砲台」
「砲台?」
「そう。鈴仙君、ちょっとやって見せてくれ」
「え、あ…はい」
両手で握っていた銃から片手を離し、目をつぶって意識を手に集中させる。
するとその手に力がたまっていき、一発の座薬状の弾を形成した。
「これが弾さ」
「これが……? この座薬が?」
「座薬じゃないわよ!!」
もうっ、と鈴仙は膨れると、その弾を持ち慎重に弾倉の穴にはめた。
「もういいよ鈴仙君」
「あ、はい」
ふう……と大きく彼女は息を吐く。どうやら相当気を詰めていたらしく額に汗がたまっている。
「どうだい?」
「あ……本当です、霧散しません」
「どうやら成功のようだね」
などと、銃に収められた弾を見ながら2人は勝手に納得してしまった。
話が全く見えない小町にとってこれ以上面白くないことはない。
その不機嫌さはすぐに霖之助にも伝わったらしく、彼はコホンと咳をつくと説明を再開した。
「この銃には頑丈さをあげることにくわえ、弾倉内に収束して詰められた座薬状…もとい、鈴仙君の弾が
霧散しないようにするための特殊な結界が張られてあるのさ」
「結界?」
「そう。鈴仙君の弾幕はね、はっきり言って威力が弱いんだ。理由は弾の多さにより、
力が無駄に霧散してしまうから。逆に言ってしまえば、それを一発に収縮してしまえば恐ろしい威力になる。
それこそ、敵一体を軽く打ちぬけるほどにね」
「……なるほど。だからそこまで汗をかいているってわけか。相当な集中力で作り出した弾は
気を抜いただけで普通なら霧散する。が、それを抑えるために結界が込められている…というわけか」
「そういうわけさ。だから見て分かるように、この銃には撃鉄がない。つまり、銃としての役割は果たせない」
「だから、他のものには扱えない?」
「そういうこと」
つまり……こういうことだ。もし外の銃をそのまま流用してしまえば、
万が一その銃が世間に渡り技術が流出してしまえば、あっという間に広がりバランスは崩れてしまう。
それを防ぐために、当人以外には決して扱えない複雑なつくりをした銃を作る。
周りから見ればそれはただの鉄くずにしかならないわけだから、万が一鈴仙が死んだとしても
誰もその銃を扱うことは出来なくなる。
「紫は幻想郷の秩序を守る者、霊夢とはまた違った立ち位置でね。
だから彼女は彼女なりに考えてるんだよ。ここを守るための方法をね」
「……やれやれ」
どうやら死神をやっていても、まだまだ甘いようだ、自分は…と小町は一人ため息をつく。
「じゃあ、最後に尤もらしい質問を。鈴仙、お前さんどうして突然武器に頼るような真似をしたんだい?」
そう、これが一番気になった。
何故突然彼女は武器に頼るような真似をしたのだろうか。生憎理由は思い浮かばない。
「……先の事件で気づいたことがあってね」
銃を持ち、鈴仙はその質問に静かに答えた。
「今の私には、どうしても限界がある。先の事件、私は美鈴さんに対し全身全霊で戦った。
でも……負けた。私のほうが傷ついていた…言い訳は出来るけど、負けたことには変わりはない。
私はありとあらゆる方法で彼女に歯向かったけど、尽くつぶされたわ。
もし今後、彼女以上の力の持ち主が現れでもしたら……そう、考えたの」
「つまり、更なる力に頼ったってわけか」
「ええ」
浅はかだ……と小町は思った。確かに、武器を持てばその分人は強くなる。
だが、逆に失うものもある。そのため結果的に強化に失敗した者はいくらでもいるのだ。
「弘法は筆を選ばず……知ってる?」
「勿論、私もわかってるわ。武器を持っていても美鈴さんには勝てなかったかもしれない。
でも、少なくとも長い時間を戦えるようにはなった。そこが重要なの」
「…………」
「私はもう逃げない。戦略上撤退ならばまだしも、後ろに守るべき人がいる、守らなければならない人がいる…
そんなときに一人おめおめと彼女たちを見捨てて逃げるような真似はもうしたくない」
「だからお前さんはあの時美鈴と戦ったのか」
「はい。私は弱い、それは分かってる。でも、逃げたくはない。だから私は力を求めてるのよ」
鈴仙の決意は固い。小町の言葉の一つや二つで変わらない位に。
「…………分かったよ。ただ、『覚悟』をしておきな。武器には決して飲み込まれるな。
飲み込まれたら最後、お前さんはその武器で身を破滅する。逆に武器を飲み込め。制御し、支配しな」
「ええ」
鎌を武器として扱い生きてきた小町の言葉はひどく心に刺さるものだった。
鈴仙は銃を見つめながら、小町の言葉を心に刻み込んだ。
さて、その後色々と霖之助からレクチャーし終わり、代金を払い、店から出た帰り道にて。
「しかし…なんで銃なんだい? 飛び道具なら他にもまだあるだろうに」
「小町さん、弟子は師匠を超えるもの…それはなんだか知ってる?」
「ああ、もちろん」
「私の師匠が使っている飛び道具…なんだか分かる?」
「弓矢だね」
「そういうこと。弟子としていずれは師匠を超えられる程度の力が必要になるわ。
だから、私はあえて銃を選んだのよ」
「ふうん……なるほどね」
ただ威力が強いから銃を選んだ…というわけではないらしい。
「ところで、その銃。名前くらい付けておいたら?」
「へ?」
「武器ってのはね、名前があるかないかで大分変わるんだよ。意味合いとか、色々とね」
「そういうものなの?」
「そうさ。言霊ってあるだろ? あれと同じだよ。武器をただ武器と読んでいては何時までたっても
武器も、持ち主も一体化しない。武器を扱う上で一番必要なのは武器と一体化することさ。
武器を理解し、その特性を最大限に引き出せるようになる。
簡単に言ってしまえば武器に名前という言霊を込めれば、その分、お前さんの心構えがより強固になり、
強くなるってことだよ」
「へえ……じゃあ、小町さんの武器にも名前が?」
「ああ……一応は。…但し、あたいの場合、武器は上司から送られるからね。
名前という言霊をつけても余り意味は無いのさ。だからあたいは鎌と呼んでいる」
「ふうん……」
ようは己の武器に対し名前をつけて、自身がその名前で呼んであげるかどうかは個人の自由というわけだ。
「で、この銃はお前さんのこれからの相棒になるんだろう? なら名前くらい付けてやんなよ」
「…はぁ、そうね…それなら」
店を出る際霖之助から貰った専用のホルスターから銃を抜き、見つめながら、彼女は言う。
「ルーザー」
どういう意味? と小町は首を傾げる。鈴仙は続ける。
「以前紅魔館の図書館に行ったときに読んだ外の世界の言語辞典に載っていた言葉、
月から逃げてきた時点で私は運命の敗北者…いわば負け犬になったわ。それは決して許されないもの。
だから、これから先もその『罪』と『罰』を忘れないために、私はこの銃を持つとき何時も心に誓うの」
ルーザー…英語に直してloser つまり…敗北者、負け犬という意味だ。
全てを捨てて逃げ出した彼女はまさに負け犬。だから、彼女は忘れない、忘れてはならない。
仲間を捨てて逃げ出したおろかな自分に対する『罪』と『罰』を。
そして永遠に心に刻み込む。もう二度と『逃げない』と。
「なる…ほどね。ネガティブな考えはあまりよくは無いんだけどね、気に入っているのならいいんじゃない?」
クルクルとルーザーを回し、ホルスターにしまうと鈴仙はニコリと笑う。
「さて、戻ろうか。永遠亭の皆も心配するだろうしね」
「ええ」
こうして2人は帰路に着く。永遠亭で起こっている事件に気づかないまま。
◆ ◆
その事件は静かに起こっていた。鈴仙たちがいない永遠亭で急にイナバがドタバタしだしたのだ。
「なにかあったの?」
永琳は近くにいたイナバの一匹を捕まえ質問する。そのイナバは慌てた様子で話し出した。
何でも今朝早くに花を摘みに行ったイナバが帰ってこないらしい。
帰ってこないということは妖怪に食べられた…というのが定説だが、
そこは永遠亭のイナバたち。仲間意識が強いのか、捜索班をすぐさま送ろうという話になった。
今はその捜索班がようやく編成し終わり、出かけよう……というところなのだという。
「今から?」
外はもうすぐ暗くなり始める頃合だ。…獰猛な妖怪が闊歩する時間帯だ。
てゐや鈴仙と違い、一般のイナバたちにはそれらと立ち向かえるほどの力はない。
これでは行方不明者が逆に増えるだけだ。
……そう思った永琳はその捜索班が集合しているという玄関口へ向かった。
どうやら捜索班の隊長はてゐのようだ。……まぁ無難な編成だ。
彼女なら、妖怪どもにも立ち向かえるはずだ。
が、永琳の心には嫌な感覚がよぎっていた。このままでは、きっとよくないことが起こると直感した。
「待ちなさい」
だから今にも出発するところだった捜索班を呼び止めた。
「何です?」
「頭首代行として、捜索班の編成、および出発は認めません」
辺りからどよめきが走る。まさか…彼女からこのようなことが出るとは思わなかったからだ。
「……理由を聞かせていただけますか?」
流石に上司相手に切れるわけにも行かないため、てゐは静かに、しかし怒りをかみ殺して聞く。
永琳はイナバを見殺しにする気なのだろうか。家族ともいえるべき永遠亭のイナバの一匹を……。
「別に探しに行ってはいけない、と言ってるわけではないの。
ただ、捜索に行く者はこちらで出すわ」
「……どういうことですか? 妖怪相手なら、私が戦えば大丈夫なはず」
「じゃあ、もしその妖怪以上のものが出てきたら?」
「…………」
「だからうってつけの存在を出そうと思ってね」
「……まさか」
「そのまさかよ」
永琳が後ろに目を向けると、コツコツと廊下の板を踏み歩く音が聞こえ……美鈴が現れた。
「現状…分かってるわね?」
「はい」
今の話をどこからか聞いていたのか、頷いてみせる。
「ちょ…! お師匠様! 何でこいつに!」
「救出される側と救出する側……双方のことを考えると最も生存確率が高いのは彼女を向かわせることなのよ」
「そ、それでも! そいつは……」
キッと美鈴を睨みつけるてゐ。美鈴はその睨みをさらりとかわしてみせた。
「他にもあるわ。今永遠亭にはウドンゲがいないの。つまりあなたまで出て行くとここのイナバを統括する
トップが両方抜けることになるわ。それでは逆に混乱してしまう。
だからといって、ウドンゲが帰るまで待つのは更に危険よ。イナバの生存確率を更に下げることになる」
「でも……だからといって……」
永琳の述べていることは正論だ。てゐはそこは認める。だが、手段に納得がいかなかった。
何故、美鈴なのだ…と。美鈴は先の事件のこともあり、信用できなかった。
ましてやイナバではない、赤の他人である。もしかしたら自分も死に掛けるかもしれないこの仕事を
真面目に遂行するとはとても思えなかった。
「……私は信用できない。美鈴…お前は前の事件で自分の主がいる紅魔館を裏切った。
彼女たちの信用を裏切った。ココで私がお前を信用して助けに向かわせたとして……。
お前が裏切り、逃げ出さないという可能性は否定できない。だから、私はお前を信用しない」
「…………」
「てゐ」
「答えなさい、紅美鈴。あなたは私たちを裏切らないで、必ず私の部下を助けると約束できる?
それこそ、命に誓って」
てゐの顔は真剣だ。それくらい、この質問には意義がある。
彼女が見たいのはただYesかNoかの答えではない。美鈴の『覚悟』だ。
静かに美鈴は答える。
「私たち使用人は本来、自我をもって行動してはなりません。兵士と同じです。
兵士は己の欲望に沿って行動すれば、間違いなく破滅を呼び込みます。それと同じ。
使用人はただ、与えられた仕事をこなさなければならない。それは絶対な事です」
使用人にとって必要なのは、能力でもなく、ましてや心意気でもない……真に必要なのは仕事をこなせるかどうかだ。
特に仕事に対する忠誠心は絶対だ。それは最終的に主人に対する忠誠心に繋がる。
与えられた仕事、命令は絶対だ。それに反することはすなわち使用人失格を意味する。
そこに自我があってはならない。自我を交えては、必ずその仕事は失敗する。
「私はココに雇われる条件として、あなた方の命令に絶対服従を強いられて、私はそれを受け入れています。
例え、あなた方に忠誠心は無くとも、与えられた命令は必ず遂行します」
「……その言葉に嘘は?」
「ありません。過去、外の世界にいた際に何度か我が主、ランド・スカーレット様を裏切ったことがあります。
しかし、あくまでもその頃私に課せられていた任務は『門を守れ』および『館を守れ』でしたから
それに反しない内容で裏切ったまでです。そして、彼はそのことを理解しているため私に対し不問にしています」
「では……前の事件はどう説明する気?」
あの事件…美鈴は紅魔館の面々を欺き、フランドールをはじめとする面々を傷つけた。
使用人ならば……処刑ものだ。
「あなたの求める回答は、私個人の考えですか? それとも、使用人としてですか?」
「個人としての話は知ってる。使用人として聞きたいわね」
個人として…それはフランドールを成長させたいため。美鈴は彼女を自分と似ていると評した。
故に、自分と同じ狂気の道に歩ませたくなかった。そのため紫の力を借りて事件を起こしたのである。
成長を見届けることは、美鈴の数少ない趣味だった…長く生きた者にとってそれはかなり重要なものだ。
更にあの事件にはフランドールのほかにも様々な面々の成長を見届ける…という目的もあったりする。
が、それはあくまでも個人としてである。門番、使用人としてではない。
そして、てゐが求めているのはその使用人としての美鈴のことである。
「簡単なことです。私の主人はあくまでもランド・スカーレット様です。
彼から課せられた任務は『紅魔館門番の任務を遂行せよ』と、漠然とした内容のみ」
「……待って、じゃあ…あなたにとってレミリア・スカーレットは?」
「こんなことを言うとお嬢様は傷つくでしょうが、この際言っておきましょう。
私が仕えているのはあくまでもランド・スカーレット様でありお嬢様ではありません。
私が彼女の命令を聞いているのは、ランド様から私の行使権の半分以上をお嬢様が受け継いでいるためということと、
彼の娘だから……ただそれだけです」
「それって……冷たくない?」
「なんと言われ様が結構。それが使用人としての私の在り方です。必要なのは与えられた任務を忠実に遂行することのみ。
ああ……ただ、前の事件はお節介といえる程度まで干渉してしまいましたがね」
そう、『紅魔館門番異変』の際彼女がフランドールに対して行った行動の数々は
本来ならばお節介ともいえるものだった。2人の間にどのようなやり取りが過去にあったとしても
総合的に見ればそんなもの、関係ないのである。門番という仕事をこなしている使用人という観念から見れば
明らかに介入をしすぎていた。
「では、なぜ介入を?」
「この問題を放っておけば、未来、紅魔館およびスカーレット家は大変な損失を抱えるからです。
もし妹様を放っておけば、狂気に飲み込まれた彼女は暴走し、最悪の場合、紅魔館は歴史上から消え去ることになります」
「まぁ、間違いないね」
「それはつまり、館を守る私の任務に反します。たとえ、まだ起こっていないとしても災いの芽は断ち切らねばなりません
「そうなると矛盾が生じるわ。お前はあの事件を自分の意思で行ったといった。
事実、お前のした行動は全て、フランドール及びその他の成長を願っての行動だったわね。
そしてその行動を遂行するために門番としての、使用人としての責務を放棄している。
あの事件はお前個人の考えによるものだから」
美鈴を指差し、てゐは告げる。
「それってつまり、その門番の任務に反してるじゃない。使用人として失格な行為よ?
お前がさっき言っていた使用人の定義に従うとさ」
「ええ。だからお節介と評したのです。ですが、どちらにせよ私は後悔しません。
それらも含めて、全てのことを『覚悟』して行ったのですから」
「…………」
後悔はしていない、と彼女は言う。今までの行動も、全ては任務に…仕事に沿って行ってきた。
仕事、任務を与えられている以上、彼女はそれに反する私情を排除している。
私情を挟むのであれば、それはあくまでもその仕事、任務に反しない範囲内でのこと。
あの事件こそが例外だったのだ。美鈴の、使用人としての…今までの行き方の一つを放棄する、
そんな『覚悟』は生半可なものではないはずだ。たとえ、今まで何度裏切った人生を持っていようが……。
『紅魔館門番異変』の裏切り行為は本当に異例のこと。余程の事がない限り、彼女は
任務に反することはない。それこそ、世界レベルの問題が立ちふさがれば、彼女は任務を反するだろう。
…つまり、今永琳が告げようとしている命令はそれに反する程度ではない。
てゐは納得する。そして、美鈴が今日までスカーレット本家から何のお咎めもない理由にも薄々気づいた。
彼女は全て計算ずくなのだ。それこそ『策士』…そして、それが美鈴の偽りの姿の本質!
「……分かった」
てゐは理解する。美鈴には今、鈴仙のボディガードをしろという命令のほかに、
自分や永琳たちの命令には絶対服従という『枷』という名の命令が与えられている。
今の彼女の言動を見る限り、美鈴は命令には絶対に逆らわない。少なくとも、今の彼女ならば。
今の彼女に『イナバを救出せよ』と命令すれば、美鈴は決して裏切らずにそれに従うだろう。
てゐには命令権がある。そして、美鈴はそれに逆らわないと心に決めている。そう『覚悟』している。
「部下をお願い。正直生きているかどうかも微妙だけど……」
「てゐ……」
「鈴仙が戻ってき次第、何とか対策は整える。だから、危険な目にあっていたら助けてあげて。
もし、助けられなくても…出来れば、遺体はもって返ってきて頂戴」
「…了解しました。……永琳さん」
「治療の準備は整えておくわ。気にせずに遂行しなさい。これは私からの命令でもあるわ」
「わかりました」
戟を背中に背負い、靴を履く。
「では、行って参ります」
「よろしく」
永琳の言葉に頷き、チラッとてゐを見ると、美鈴は颯爽と飛び出していった。
◆ ◆
外に出た美鈴が最初に行ったのは気配を探すことだった。
その気配は失踪したイナバのものと、以前から感じていた誰のかわからない不審な気配。
昨日今日と立て続けに感じていた、まるで観察するようなその気配も今日にパッタリやんでいた。
そこに彼女は目をつけたのだ。
(あの気配のカタチには覚えがある)
空を飛びながら、その気配を探る。無論、その気配は見当たらない。
(けれど、その気配が立ち去った方向と、イナバさんが向かったという花畑の方向は一緒。
つまり、遭遇したと考えれば……)
しかし…そうなると解せない点が浮かぶ。その不穏な気配は一体何故そのイナバに接触したのか?
浮かぶ推測は永遠亭に対する復讐があがるが、それは間違いだ。
それが目的だったのなら、とっくに行動しているはずだ。それを今の今までしなかったということは
永遠亭に対する恨みはその者は抱いていないということになる。
となると、考えられるのは客人として迎えられている自分と小町。
が、小町は除外できる。彼女はこの気配に気づいていない。そして、自分はこの気配について記憶がある。
(私目当てですか……)
となると復讐が有力だろうか? 何しろ、弾幕ごっこが制定されるまでは
相当数の妖怪を門番として排除してきたわけだから、恨まれていても仕方ない。
(それに、もしこの気配がアタリだとすると……まずいですね)
美鈴が思い浮かべたのはただ一人。かつて…まだ弾幕ごっこが制定されていなかった頃、
咲夜もまだ紅魔館にいなかった頃、自身が休暇を使い散歩に出ていたある日、妖怪に襲われた。
無論、全て撃退したが……最後に出てきた妖怪は……違った。
倒しはしたが、どこかに何か隠している…読めない妖怪。そして、一見他の妖怪たちと群れているようで
その実、決して群れていなかった妖怪……そいつだ、その女性と気配が同じなのだ。
(ともかく、もうすぐ着くわ。それですぐわかる)
花の香りがしてくる。どうやら、相当大きな花畑のようだ。
こうして美鈴は花畑に降り立った。イナバが花を摘みに来たという花畑である。
紫陽花を筆頭に様々なこの季節特有の花が咲いている。香りもかなり強い。
「…………」
乙女な少女ならばこの花畑に心をときめかせるだろうが、今の美鈴にそのような暇はない。
まず…この香りの生で嗅覚がやられそうだ。…それくらい強いのだ。
そして……気配は1つ。東南の方向に弱いのが一つ。
「出てきなさい」
下手に動くとまずい。花は腰の高さまである。かがめば、隠れられるだろう。
念のため…と思い、なぜかその気配とは正反対の方向に向かっていってみる。
勿論、出てくる気配はない。何せ気配がないのだから。だが美鈴は続ける。
「出てこないというのならば……無理やり出てきてもらいます」
右足を上げ……先日鈴仙に見せたように……勢いよく振り下ろす!
ドォン
岩が砕け散るような爆音が響き渡る。が……周りの花には全く影響がない。
地面も、足を踏み下ろしたところのみ跡がついているくらいだ。
ただの見せ掛けか? いや…ならばこのような音とその破壊力の小ささの説明がつかない。
「……チッ」
が、効果はあったようだ。突然花畑の一角で、様々な花が突如成長をはじめた。
背丈がどんどん高くなり、ついには美鈴を超える長さにまでなる。
成長が止まると、その頂上に大きな花がつぼみをつけ、そして咲いた。
……言っておくが、このような滅茶苦茶な成長をする花は存在しない。
そして、咲いた花の中には一人の女性が座っていた。緑色の髪で傘を持っている……風見幽香だ。
見れば彼女の右腕には血が伝っている。…何処かで負傷したのだろうか。
「さすがは…数千年生き、最強と謳われる八雲紫とタメをはれる実力を持つといわれている門番ね。
今の震脚……広範囲破壊攻撃と見せかけて、狙ったものだけを破壊するなんて…やられたわ」
「……かなりの使い手になれば、己の気配を消すことは造作もないことですから。
ただし、私はそういう方面に対しては超一流だと自負していますので、分かるんですよ」
「ふん……嫌な女ねぇ」
美鈴はボキボキと指の骨を鳴らし、幽香はクククと笑ってみせる。
「ただし…誘い込むために数日前から気配をわざと私に察知させていたのは…あなたらしいですね、幽香さん」
「覚えていてくれて嬉しいわ。忘れられてたらどうしようかと思ったもの」
「あなたほど特殊な妖怪も少ないですよ……しかし、よく避けれましたね」
「よくいうわ。いぶりだすためだけの震脚の癖して」
「聞きたいことがあったので、殺したら意味がありません」
「ふふふ、戦ったのはたった一度だけど……見抜くのは得意なのよ?」
「言う割には食らってますけど?」
「違いないわ。まだまだ修行不足ね」
ハハハ、と2人は笑う。が、すぐに美鈴は真面目な表情になり問う。
「幽香さん、イナバを知りません? ほら、頭にウサ耳をつけた」
「知ってるわよ」
「何処に? ……って、聞くまでもありませんか」
「ええ。だって…ほら」
パチン、と幽香は指を鳴らすと彼女の隣に同じくらいの高さまで花の束があがってきて、
先ほどと同じように大きな花が咲く。そして…その花の中にイナバはいた。
胸は動いていることから、生きていると分かる。…どうやら寝ているだけらしい。
「安心しなさい、まだ何の手も付けちゃいないわ」
「……一応聞きますが、何故そのような真似を?」
「理由はもう分かっているんじゃなくって?」
幽香は嫌な笑みを浮かべる。予想は当たりのようだ、どうやら彼女は美鈴を誘い出すために誘拐を行ったらしい。
「恨みですか?」
「あら…私がそんなつまらない事にこだわる性格だと思う?」
「じゃあ…一体」
すると幽香はゆっくりと地面に降りてきた。それと同時に今まで座っていた花も地面に戻っていく。
「あなた、生物が行動する際にもっとも必要なものは何だと思う?」
「……?」
「『欲望』よ。生物は何事にも必ず『欲望』を持って行動する。
食事のときは、何かを食べたいと欲するように、人を殺すときは殺したいと欲するように。
それが偶然の出来事や過失であったとしても、必ず『欲望』がついて回る」
「この私にそういう話をしますか」
「一番分かっているあなただからしているのよ。わかる?
私は常に、己の『欲望』に従って行動している。かつてあなたと戦ったときもそう。そして、このときも……」
そう、それが風見幽香。己の持つ『欲望』に忠実に従い行動する妖怪。
美鈴のように『欲望』を一種の面で徹底的に排除している者たちとは対の存在。
だが、それが相容れないというわけではない。いや、むしろ彼女はなぜか何処となく美鈴と似ている部分がある。
それが何なのか……われわれはまだわからない。
「それに前回の戦い、負けた身で弁明をする気はないけどね、あれは互いに本気じゃなかったもの。
そして先の事件……私は当事者じゃなかったけど、色々と感じたことがあるわ。私とあなたは似ている…ってね」
「私と…幽香さんが? 冗談言わないでください。何処も似ていません」
「いいえ、似てるわ。特に……『孤独』なところが」
「? そうですかね…私はそうかもしれませんが、あなたは違うと思いますが?」
「……それこそどういうこと?」
幽香は怪訝な顔つきになり質問するが美鈴は答えず代わりに戟を手に持った。
「どうしても知りたいなら後ほどに。まずはあなたが持っているものを返してもらいます」
「……上等よ。いいわ、その質問も含め、今回この『欲望』を満たしてやる」
「どうぞご勝手に……但し、条件があります」
「分かってるわ」
ちらりとイナバを乗せている花に目をやると、花は丁寧にイナバごとつぼみに戻り、
地面にもぐっていった。
「安心なさい、あの子は眠り薬で寝ているだけ。そして、この戦いに邪魔にならないようにどけておいたわ。
私たちが何をしようが…あの子には何の被害もない。戦いが終われば、彼女は解放される」
「いいでしょう」
美鈴は戟を構え、幽香は手に脇に置いていた日傘を手に取る。
どうやら幽香はこの武器で戦うようだ。……だが、何故?
日傘と戟では明らかに差が出ている。何故彼女はそれを使うのだろうか?
だが美鈴は何も言わず、ジッと相手の出方を伺っている。
「そうそう…美鈴、どうせだから教えてあげる。あなたに今回仕掛けた『欲望』のこと」
「?」
「あなた、紫陽花って知ってるかしら?」
「……何を突然」
「紫陽花はね、周りの環境で色が変わるのよ」
「知ってます」
「特にね、人外の血や肉が肥料になると、それはそれは綺麗で普段は目にかかれないとても良い色を咲かせるの。
あなたは一体どんな紫陽花を咲かせてくれるのかしら。吸血鬼の血で咲いた紫陽花…さぞや綺麗な色なんでしょうね」
「…………」
「気になるわぁ、あなたの血は一体どんな色を咲かせるのか……見極めてあげるわ」
幽香が先に仕掛けてくる! 美鈴にはすぐに分かった。目で見極められるよう、体が反応できるように
息を呑み出方を待つ。
次の瞬間
「!?」
無様に横に転がるように美鈴は避けた。
ブォン
そして、今まで自分のいたところに、いつの間にか幽香が出現していた。
左手に日傘。右手にはその日傘の持ち手。奇妙なのは…この2つは本来繋がっているはずなのに
持ち手が放れていたこと。そして、その持ち手の先端に刃がついていたこと。
そう…この日傘は……仕込み刀だ。刃の部分が紫銀色にまがまがしく光っている。
ブシュゥ
瞬間、美鈴の頬から鮮血が流れる。
「なっ……」
完全に避けたと思った今の抜刀術……だが避け切れていなかった。
いや、美鈴には今の攻撃が見えていた。確実に避けられたはずだ。だというのに……。
「生憎私は、あなたや魂魄の女の子、ましてや魔理沙のように足は早くないの。
たぶん、全キャラ通して一番遅いほうじゃあないかしら?」
「…………」
「そんな私がこんな刀を使うんだもの。そりゃあ勿論、対策は練ってるのは当然よねぇ」
「何……」
「見た所……どうやら効果ありのようで」
幽香がなめるように美鈴の体を観察する。
美鈴はというと……体が思うように動かない。いや、重いのだ。普段よりも…幾分重い。
幽香はしてやったりといった表情で見つめている。美鈴が睨みつけると、
彼女は鞘代わりになっていた日傘を地面に投げ捨て、仕込み刀を肩にポンポンと乗せて言った。
「忘れたのかしら? ココは一体何処なのか?」
ココは……間違いなく花畑だ。それ以外に変なところはない。
いや…まて、『花畑』であることが既に異変なのでは!?
「なるほど……毒ですか」
「そう、感覚神経を鈍らせる毒。特別製でね、人外もかかるのを調合したのよ。
私の能力は花を操ること。なら、花を操ってそういった毒を誘発する
香りをかがせればいいわ。それで、既にあなたは術中にはまる」
「じゃあ…イナバは?」
「言ったでしょう? 手は出していないって。あの子にはあらゆる毒を中和する薬を事前に打ってあるのよ」
「そうですか」
血を拭うと、戟に手を掛ける。
「なら、その鈍った体に感覚を合わせればいいだけのこと。生憎ハンデを背負うのは慣れてますので」
「ふぅん……そう」
お互いにリズムを取り、出方を伺う。
今度は、美鈴が仕掛ける。
「ヤァッ!!」
感覚が鈍っているとは思えないほど、流れるような動きから放たれる突き。
幽香はそれを仕込み刀で軽くそらすと、反撃に移る。
ガキン ガァン
花畑の中央で2人の人外の死闘が演じられる。双方共に隙はない。
だが、一発失敗すればそれだけで首が飛ぶそんな危険な戦闘の中、幽香は笑っていた。
美鈴は牽制を込めて、戟を横なぎに振るい、後ろに後退して距離をとる。
「させると思って?」
が、横なぎを避けた幽香はそれよりも早く動くと、仕込み刀を横に振った。
美鈴は驚きで目を見開き、戟でガードするが、間に合わない。
今度は後ろ向きに横転し、立ち上がる。
「ハアッ、ハアッ…つっ!」
珍しい…美鈴があの程度の攻防で既に息を乱している。更に、今の攻撃で彼女の胸に
横一線の切り傷が出来ていた。もう少し避けるのが間に合わなければ、間違いなく真っ二つになっていただろう。
ココで一つ、どうしても疑問に思わなければならないことがある。
それは、幽香の仕込み刀だ。元来仕込み刀はその隠密性に優れさせるために耐久力が非常に低い。
ましてや傘の中にしまってあったということは相当耐久力は落ちているはずだ。
だというのに幽香の刀は折れるどころか刃こぼれ一つしていない。
いやそればかりか禍々しい妖気を放っている。いうなれば……妖刀。
「相変わらず……容赦ないですね、その刀は。また改良したんですか?」
「まあね」
ブンブンと振ってみせる。その動きは軽やかだ。
「私が自分の肉と血、そして花たちの毒を織り交ぜて鍛え上げた仕込刀……名づけて『妖月花(ようげっか)』。
そこらの刀と同じにしてもらっては困るわ」
「……しかも、ただの刀ではない…変わってませんね、以前と」
「そうでもないわよ? あれからまた様々な花の毒を練りこんだから…バリエーションは増えてる。
それよりも気づいた? さっきよりも更に体が動きづらくなってるのに」
「…………」
そう、今度は体が少ししびれている。だがそれを悟らせないように美鈴は憮然と立ち上がる。
「新たな特殊能力として……この刀には切りつけた者に毒の属性を付加させる能力をつけたのよ。
忘れた? 最初の抜刀であなた、既に切られていたのよ?」
美鈴はゆっくりと頬に手をやる既に止血も済み、傷もふさがっているが……
毒まで浄化できたわけではない。ましてや幽香は吸血鬼用の毒を使用しているのだ。
体内で浄化は出来ず、侵食していっている。
「更に、あなたが呼吸するごとに、この花畑から放たれる毒の瘴気も吸い込んでいる。
わかる? 既にココで戦うことであなたは2つのハンデを背負うことになる。
たった2つ…でも、私たちのような力ある者達にとっては致命的よ」
「…………」
「あなた、動体視力など、感覚に優れているようね……普段はその感覚に肉体が同調するようだけど…でもどう?
肉体よりも感覚のみが選考する感じは。なかなか味わえないでしょう?
つまるところ、あなたは既に私の策にはまっていたって言うわけ」
この間にも美鈴の体内には毒が回っていく。少しずつ…感覚と肉体が切り離されていく。
「宣言するわ」
バッと手を左右に広げると、幽香は告げる。
「この花畑…このフィールドは私の物。あなたは私に勝つことは出来ない。肉弾戦はおろか、あなたお得意の策でもね」
ツゥゥ……っと美鈴の頬に一筋の汗が流れた。
◆ ◆
さて、花畑でそんな死闘が行われている頃。
永遠亭に戻った鈴仙と小町はその状況を聞いて一目散に花畑に向かって飛んでいた。
「……なんだい…この匂いは」
「……気をつけて。毒が含まれてるわ…」
どうやら相当強い匂いの様で、まだ大分花畑から離れているのに匂い始めていた。
「わかるのかい?」
「伊達に弟子はやってないから。匂いで判別出来る能力はついたわ」
「…それって相当すごいことじゃあ……」
「まぁ…色々とね。これ、一応飲んでおいて。師匠が以前、考えられるありとあらゆる毒に対する耐性を
一時的に体に植えつける抗体よ」
「大丈夫なのかい? なんか怖いんだけど」
「……まぁ…腕は確かだから」
渡された小瓶を開けると、中には透明な液体が入っていた。
あの永琳が作ったということでかなり怖い部分もあるが、思い切ってグイッと飲み干す。
別段変化はない。……が、じきに効果は出るのだろう。
今2人は森の上を飛んでいる。小町は鎌を背負い、鈴仙はまだ試射もしていないルーザーを持っている。
「! 鈴仙!」
「えっ?」
突然小町があせった声を上げ、鈴仙を抱えて横にとんだ。直後、そこに長いツタが地面から
物凄い速さで伸びてきた。
「何!?」
「あれは……」
小町は持ち前の目でそのツタが伸びてきた地面を注意深く眺める。
と……そこには
「なんだい…ありゃあ」
なんと形容すればいいのだろうか……ツタが人の形を形成しており、頭には横に開かれた真っ赤な
一つの花(分かりやすくいえばパ○クンフ○ワー)がいた。奇妙な光景だ。
そして今のツタはその花の手(?)と形容していいのか分からないが、とりあえずその手のような
部分が伸びて来たものだった。
「放っておくかい?」
「いえ……どうやらあちらが逃がしてはくれないみたい。どうする?」
「下手に放っておいて、後で後ろから襲われたら面倒だね……ココでしとめるよ」
「わかった」
そうしている間にもその花(?)はもう片方の腕を上空にいる2人に伸ばしてきた。
2人はそれを難なくかわすと一気に急降下する。
「ったく……あたいの鎌はこういうことに使うんじゃないんだけどねぇ…。ま、仕事だから許しな」
右手で背負っていた鎌を掴み、両手でぐるぐる回すと、落下速度とプラスして一気に縦切りする。
ベリッ
当たり前というべきか、その花(?)は簡単に縦2つに切り裂けた。
小町は着地すると、一度距離をとるべく10メートルほど下がる。
「すごい」
遅れて彼女の隣に着地した鈴仙は感嘆の声を上げる。美鈴に負けずとも劣らない流れるような動き。
こいつ……相当場慣れしている、と思った。
「っ!?」
が、そう思っていたのもつかの間、活動を停止したはずの花(?)の右腕が小町にむかって伸びる。
小町は鎌を操作し、上手くそれを防ぐが、鎌の柄の部分にツタが絡みついた。
「馬鹿な…あれで生きてるなんて」
鈴仙もそうだが、特に小町の驚きようはすごかった。どの生物でも、真っ二つに切り裂かれたら、
よほどのことがない限り生きていることは難しい。妖怪でも中の下までならば即死だ。
が、この化け物は何だ? 鎌を引く手はかなり強くなり、更には切られた2つの体から新たに
その亜種が生まれたではないか。
「…馬鹿みたいに高い自己再生能力に分裂能力……なんだいそれは!
特殊な妖怪でさえ持ってない能力だよ!」
思わず叫んでしまう。そうしている間にも引き裂かれた体の左半身から新たに生まれたそれは
右半身が押さえつけている間に小町に襲い掛かった。ガブッと左腕が噛まれる。
「しまった!」
「小町さん!」
慌てて弾幕を作った鈴仙の攻撃により、身の危険を感じた花(?)は小町を噛むのをやめ、放れる。
その一瞬後に弾が襲い掛かった。無論、その花(?)には外したが、同時に鎌を掴んでいたツタも引き裂く。
「大丈夫?」
「ああ……肉を食いちぎられただけさ」
見れば、左腕からはかなりの血が流れていた。だが小町は動じずに鎌を再度構える。
「小町さん…資料で読んだことがある。たぶん食人花だ」
「食人花? それってあの…」
「そう、文字通り人を食う花よ。但し、こいつ等はその中でも特に希少種な奴等」
「何でそんな奴がこんなところに?」
「さあ、流石にそこまでは……。とにかく気をつけて。こいつ等は核を壊さなければ永遠に再生を繰り返すわ」
「分裂はどう説明する?」
「彼等にとっても生命力を消耗する方法だから、もう行わないはずよ。
分裂といっても元は一つの生命体だもの。でも再生能力は地面という媒体があるから何度でも行うわ」
「……分かった、まずは核を見つけないとね」
頷くと鈴仙はルーザーをホルスターから抜く。
「待ちな、それはまだ使うな」
「何で?」
「まだ試射もしていない。暴発でもしたら困る。どうしてもという時に使うんだ」
「……分かった。なら後方から援護する」
「あいよ。それでいいさ」
こうして異色のタッグが組まれた。しかし、ある面で見るとかなり面白い組み合わせだ。
距離を自由に操る小町は、実を言うと近距離も遠距離も自由に操れる存在といえる。
そんな彼女を援護する鈴仙は完全な援護系統の戦い方をする。
「じゃあ、しっかりついてきなよ、鈴仙」
「大丈夫。足手まといにはならないから」
お互いに頷くと同時に食人花に向かって走り出した。
◆ ◆
ガァン ガァァン
花畑では美鈴防戦一方の戦いが繰り広げられていた。
「チッ」
「あらあら、また反応が鈍ってるわよ?」
先ほどから美鈴は危険なヒット&アウェイを繰り返していた。薄皮一枚での行動…見ているものをはらはらとさせる。
無理もない…既に美鈴の体は麻痺してきているのだ。
吸血鬼であろうがなんだろうが、この地球上に存在している生物は呼吸をする。
それはつまり大気を吸うということ。この花畑ならば、毒の匂いまでも吸うことになる。
美鈴は無呼吸での行動に心がけていたが、やはり、定期的に酸素を補給せねば動けない。
微量ながらの呼吸を繰り返していたが、当然その中に毒は盛り込まれている。
そして、それは次第に積み重なって行き……ついには大きな威力となって美鈴を襲うのだ。
塵も積もれば山となる……まさにその通り。少なくとも長時間戦は不利だ。
だからといって焦って倒せるほど幽香は弱くない。いや……むしろ強いのだ。
紫と同じく『最強』という2文字の称号を持っているのは間違いではない。
幽香は間違いなく強い。こと肉弾戦では自分や、紫と並ぶほどの逸材だ。
そんな彼女が自分がもっとも戦いやすいこの花畑で戦っているということは…それだけでステータスに上乗せされる。
正直に言おう……この場所で戦うには美鈴にとって余りにも危険だった。
だが思い出して貰いたい。何故美鈴が肉弾戦で強いのかを。
彼女は幽香と違って場所を選ばない。紫と同じく何処でも同じように戦うことが出来る。
そう、美鈴は本来幽香よりも上の立場の存在だ。しかしこの状況を見ているとそうは思えない。
思い出して貰いたい、戦士は力が強い、技術があるからといって強いわけではない。
真に強いものとは知力だって必要なのだ。こと、弾幕戦ではなく肉弾戦ではその能力は高く要求される。
思い出して貰いたい、美鈴は門番のほかになんと呼ばれていたか…を。
そう…彼女は『策士』だ。他の誰にも負けない知略に富んでいる。こと、こういった策略行為は得意なのだ。
普段ポケポケッとしているが、それすらも欺く行為。彼女は何時も人を欺いているのだ!
「…………」
そんな彼女がただ戦っているように見えるだろうか? 否、既に彼女は策を練り終わっている。
後は実行に移すのみ。そのためには必要な駒を集めなければならない。
まだ駒は十分に集まっていないのだ。
「あら……始まったようね」
一度距離をとった2人、突如幽香は森のほうを見て言った。
「……小町さんと、鈴仙ですね」
「ああ、あのウサギと死神……これは面白いわ」
クックックと邪悪に笑う幽香。
「何がです?」
「あそこにはね、食人花の生息地なのよ」
「食人花? ああ……あれですか」
「あら、知ってるの?」
「外の世界でよく襲われましたから。まぁ、ココに来てからは会ってませんからね…名前を聞くのも久しぶりですよ」
「まあね……ちなみに今あそこにいるのは分裂再生能力を持つ希少種よ」
「それもあなたの手下ですか?」
「いいえ……私に手下はいないわ。ただ、希少種を絶滅させるわけには行かないでしょ? だから住処を与えただけ」
「…………」
「安心なさいな。おそらく今その子達を襲っているのは一体だけよ」
「…………」
美鈴は難しい顔をして何かを考え込んでいる。
「あらあら、せっかくのきれいな顔が台無しよ。言っておくけど、あなたはココから逃がさない。
そしてあの子達の相手は食人花が行うの。つまり……あなたに増援は来ない」
幽香は断言する。彼女は知っているのだ…食人花の手ごわさと面倒さに。
例え鈴仙たちがそ何時を倒せたとしても、相当時間がかかるはずだ。
だから、ココに駆けつけてくるのは相当後ということになる。
「一つ聞いておきましょう。その食人花…彼女たちに倒せる相手ですか?」
「さあ…私はその子達と戦ったことないから分からないけど? まぁ…倒せない妖怪ではないわね」
「そうですか……」
すると、グルングルンと美鈴は戟を片手で回し、ポン、と肩に乗せた。
「策が完成しました。後は実行に移します。策を完遂するための駒はそろいました。後は彼女たちに任せます」
「?」
「そして思い知らせてあげます。あなたは…策はおろか、このフィールドでも私に勝てないということを」
「何ですって……」
突然美鈴の闘気が増す。彼女の体に青白い気がまとっていく。
「思い知りなさい。この私に策と肉弾戦という2つの観点で挑んできたということに」
「クッ……」
恐ろしいほどの殺気と気迫に思わず数歩後退してしまう。
美鈴は殺気を込めた目つきで彼女を睨み……ゆっくりと戟を構える。
そして、息を少し吐き……突進する。
「っ!」
戟による突きは簡単に防御できた。だが、その後の掌底は避けきれず、腹に食らい、
吹き飛びむせる。美鈴の攻撃は更に続き、今度は戟が紅く光ったかと思うと、
そこから気斬が発射される。が、それはあたらずに幽香は紙一重で避けた。
(動きが早くなった! 馬鹿な…毒は回っているはず。たとえ気で解毒していたとしても、
この戦闘中だ……完璧に出来るはずはない!)
先ほどの勝ち誇った笑みから一転、幽香の頬にも一筋の汗が流れる。
続く美鈴の攻撃をバク転で避け、距離を置いた彼女は驚きで目を見開いた。
「何だ……その…戟は」
口をパクパクと開きながら……震える指でそれを指す。
その戟は……なんと、光っていた。戟を持つ柄から紅い線が伸び、それが電流のように刃の部分まで進み、
消失する。まるで…機械が動いているように見える。
先ほどの突き……美鈴は戟の上に更に『気』を纏わせ射程を更に長くして攻撃した。
が…その『気』の色が違ったのだ。今まで見たことの無い色なのだ。
戟には紅い線が走り、そしてその戟を真っ黒なオーラが覆っているのだ。
それは美鈴を覆っている青白い『気』のオーラとは全く違う…別物。
まるで、別の生物のように見えた。
「『無名』」
驚く幽香をよそに美鈴はつぶやく。
「名前が無いと書いて『無名』。我が祖国の読み方で『ウーミン』。私の人間の頃の名前は紅美鈴ではなく、紅。
でもその紅という名前も、代々党首が受け継ぐ名前…つまり、本当の名前ではない。
私が紅と呼ばれる前に、名づけられた名は『無名』。何故私がそのように呼ばれていたか……。
私の記憶の限りでは、やはり両親は男の子に継がせたかったようですね…しかし母の体は弱かったため、
私の妹を生んだ時点で、無理だと悟ったのでしょう。ですから、私は『無名』という名を捨て紅になった」
「…………」
「名前とは本来他人から与えられるもの。与えられた名には強制力があります。
生まれてきた存在はその名に永久に縛られ続けます。故に、父は私に名無しの意味を込めて『無名』と名づけました。
どうしてか……分かります?」
突然昔話を始めた美鈴。このときにも毒は彼女の体内を侵食している。
危険な行動だというのに…なぜか彼女は喋り続けていた。
そして、そんな彼女からの質問に答えられるはずも無い幽香は黙っている。
「名前が無いということは、すなわち、誰にも縛られることが無いということです。
どうやら、両親は私を頭首にしなかった場合、純粋な策士か暗殺者に仕立て上げたかったようですね」
「待ちなさい。既に矛盾が生じてるわよ。『無名』という名が与えられているだけで既にそれは
あなたの名前になってるじゃない」
「いいところに気づきましたね」
戟を地面に突き刺し美鈴は言う。
「全く持ってその通り。私は生まれたときから既に矛盾を背負って生きているんですよ。
『無名』から紅へ、そして紅美鈴へ変わったこの私は、生まれたときから矛盾しています」
「……何が言いたいの?」
「この戟はかつて私が封印される前に使用していた戟を参考にして(設計図は頭に残っていた)
新たに作り直したものです。それこそ、私の血肉、そして『気』を織り交ぜてね。
故に、これはもう一つの私自身……矛盾した私の一つのカタチ」
「…………」
「もし…私を倒したいというのならば、この紅美鈴…この私を包み込んでいる矛盾ごと叩ききらなければならない。
あなたにそれが出来ますか? この私の矛盾を正せるほどの力があなたにありますか?」
「クッ……」
美鈴の言葉には悲痛な思いが込められていた。彼女は以前輝夜に己を偽って生きているといわれた。
それはそうだ、と自分でも自覚している。何故なら自分は門番である以前に策士なのだから。
そしてこうも聞かれた…『本当のあなたは何処』と。
美鈴にも分からない。何しろ、生まれてきたときに付けられた名前から既に彼女は偽られていたのだ。
名前は重要だ。名前がその者のカタチを作るといっても過言ではない。
彼女の両親も罪作りなものである。妹の龍と違い、美鈴は『無名』。
名前と呼んでいいかどうかも分からない物を与えられていたのだから。
美鈴の本質、本当の彼女とは一体何者なのか? それは永琳でも輝夜でも咲夜たちでも誰でもない、
最も知りたがっているのは美鈴自身なのだ。
だから彼女は求める。己の本質に……だが、それは無理なのだ。
なぜならば、時間が経ちすぎてしまっている。そして、彼女は生まれたときから既に偽られていたのだから
既に、その偽りこそが本質に成り代わってしまっている可能性もあるのだ。
紅美鈴は謎といえる。それは間違いではない。彼女は偽りに偽りを重ねた存在なのだから。
幽香は口ごもる。どう返せばいいか分からなかったからだ。そして美鈴も答えを求めるのをあきらめたのだろう。
首を横に振ると、ズイ…と歩きはじめた。
「この『無名』……それほど特殊な能力はありません。
ただ、今までと違い私の攻撃のレベルが更に上がる程度だとお考えください」
程度だと…? 明らかに掛けてくるプレッシャーは違うではないか……幽香は叫びたくなった。
実際そうだ。美鈴がこれを使わなかったのには理由がある。
これを使うのには対価が必要で、それはこの戟自体に込めている『気』を消費してしまうのだ。
美鈴が体内に宿し常時練っている『気』と違い、戟に込められているものは自己回復しない。
回復させるためにはまた打ち直さねばならないのだ。…つまり一回使用するごとに手間がかかる。
では何故美鈴はそれを使用するのか? それは彼女なりに切羽詰っていたからだ。
先の事件の『渇き』による『気』の練辛さとは違い、今回は自身の体内に毒が回っているため、
そちらの浄化に半分以上の『気』を回しているため、攻撃するには別のものを利用するしかなかったのだ。
今彼女は不敵な笑みを浮かべているが、実際はかなりヤバイ状況にいるのである。
「この私を短時間で殺さなかった以上、あなたに勝ち目は無い。もう既にね」
パン、と両手を合わし、『気』を練る。
「思い知りなさい。この私……紅美鈴に戦いを挑んだことに」
ドン! と一気に練られた『気』が大気中に放出される。
「……! なめるな!」
幽香は仕込み刀を手に突進する。
少なくとも現時点で総ダメージ量は明らかに美鈴のほうが高い。
だから彼女は美鈴が強がりを言っていると思っていた。だが……内心では恐怖を抱いていた。
先ほどの言葉が……幽香にプレッシャーを与えていたのだ。
美鈴は動かない。麻痺で動けない…と幽香は思い、その首をはねようと刀で切りつけようとする。
が……異変は起こった。
ボオオオッ
切りつけようとした幽香の右手が突如燃え出したではないか!
「なぁっ!!」
慌てて後ろに飛びずさり、火をもみ消す。そして、美鈴をにらみつけた。
美鈴は微動だにしていない。彼女は……何の攻撃もしていない!
(何だ…今のは)
攻撃をしようとした瞬間、自分の手が独りでに燃えた。一体……これは。
「……摩擦!?」
そうとしか考えられない。美鈴は…火を操るわけではない。あくまでも『気』を操るのだ。
切りつけようとした手が摩擦により自然発火したと考えるしかない。
では、摩擦を与えるきっかけとなった要素は……。
「まさか…あなた、空気を操って」
「ご名答。私周辺の空気の密度をあなたが仕掛けてくる瞬間に極限まで高め、
発火するに足る抵抗力を持たせました」
つまり……今の方法を使っている間近接戦闘で仕掛けようとすれば、彼女にダメージを与えられるかもしれないが、
逆に自分にもダメージを食らってしまう……カウンター式の攻撃!
「私が何故、紫さんと引き分けられたか……分かります?」
「…………」
「私たちは防御法といった物は殆ど使いません。逆に相手の力を最大限に引き出しそのまま返す
カウンターが防御なんですよ。紫さんはスキマを使ったカウンター…そして、私は大気を使ったカウンター。
だから、私たちはドッコイドッコイの実力なんです」
そう…かつて2人が戦ったとき、この似た戦い方に双方共に困ったのだ。
やり難かった……と口をそろえて2人は後に言っている。
「……あなた、先ほど宣言してましたよね? この花畑…あなたのフィールドにいる限り、
私に勝ち目は無いと。ならば、こちらからも宣言しましょう」
まるで先ほどの幽香のように、手を左右に広げて言う。
「私にとって、『気』が存在すれば、その全てが私のフィールドとなる。
そもそもあなたとは違うんですよ、範囲が。あなたはココに誘い込んで私に不利な状況を作ったと思ってますね?
それは間違いです。世界に『気』がある限り、私にフィールド上、不利な場所はありえない」
つまり、幽香は既に間違っていたのだ。自分のフィールドに誘い込めば勝てると過信していたのだ。
美鈴にとって、『気』さえあればそれは自身のフィールドとなる。
ましてやこの花畑は……『生気』がたくさんあるのだ。むしろ最大限力を引き出せる場所だ。
「さて……まぁこんな大口叩いていても、私の中にはどんどん毒が回っているわけですから、
さっさと片付けさせてもらいます。後始末は彼女たちに任せましょう」
青かった『気』は今度は紫色に変わる。するとどうだろうか……前に永琳に見せたように
周りの草花がどんどん枯れていくではないか。
「いきますよ」
「…………」
美鈴の言葉に幽香は身構える。
彼女の持つ戟……『無名』はまるで獲物を早く切り裂きたいという思いがあるのか、
大気を『気』で焦がしながら低く唸る。
誰から見ても明らかだ。メンタル的に先ほどと打って変わり、今度は美鈴優勢の戦いとなった。
◆ ◆
さて、鈴仙組だが…こちらはこちらでかなり苦戦していた。
いくら切っても簡単に修復してしまうのだ。厄介なことこの上ない。
「チッ」
「早い!」
2人の服は所々がちぎれ、こと小町にいたっては全身に傷を負っている。
「全く面倒だねぇ」
焦っている鈴仙に対し、あくまでもマイペースに戦っている小町。
まるで何かを探るような戦い方をしている。
「小町さん!」
「まあ待ちなって。下手に攻撃しても、意味無いじゃん」
鈴仙が怒鳴るが、こんな切羽詰った状況でマイペースの小町はさらりとそれをかわしてしまう。
実は小町は既にこの食人花の倒し方を既に脳内でシュミレートし、実行に移せるだけの策を練っていた。
が、それには鈴仙の力が必要不可欠で、しかも、多大なリスクを背負うことになってしまうため、躊躇していた。
(ルーザー……あれを使わなければこいつ等は倒せない)
核は食人花の中にある…が、ひどく小さい。だからいくら細切れにしようがすぐに修復してしまう。
最も簡単な方法は、巨大な火力によって吹き飛ばすこと。魔理沙のマスタースパークほどの大火力があれば可能だ。
当然ながらココに魔理沙はいない。小町はそこまで大火力の攻撃はない。
となると鈴仙だ。彼女も攻撃力こそ低いが、大火力の攻撃を放つ術は持っている。
が……危険なのだ。禄に試射もしていないルーザーをいきなり実戦で使うのは。
今小町は鈴仙の用心棒をしている。今既に危険な目にあわせているが、これ以上は不味いのだ。
「小町さん…もしかして、もう既に攻略法見つけてるんじゃあ」
「…………」
「教えてください。……私の力が必要なのであれば、ぜひとも」
「……分かったよ」
食人花の攻撃を避けながら端的に説明をする。
「生憎あたいはこの作戦を勧めることは出来ない。お前さんが危険すぎる」
鈴仙は考え込んだ表情を浮かべるばかりで説明を聞いてから何も言わない。
その間にも食人花の攻撃は勢いを増している。流石に小町も2体を同時に相手するのは骨が折れるのだ。
「やりましょう」
小町の願いはむなしく、鈴仙は首を縦に振った。
「いいのかい? ……暴発して死ぬ確率もあるよ?」
「大丈夫です。死にません……それに、私に出来ることがあるのであれば、それは最大限に引き出すべきです。
それに、小町さんはさっき言ってましたよね? これを使うのはここぞの時にしろと。今がその時です」
ルーザーを右手で持ち、左手に力をため、新たにもう一発の弾丸を作り出す。
それを弾倉につめる。
「小町さん…何とかその2体を一直線上に誘導してください。私が合図しますからそしたら離脱を。一撃でしとめます」
「……分かったよ」
弾倉には2発の弾丸がセットされている。2発目は失敗した時用の保険だ。
正直この銃が生み出す破壊力は創造できない。だから2発目は打てないと仮定しておかなければならない。
皆はもう忘れているかもしれないが、鈴仙の右手はまだ麻痺したままなのだ。
まともに撃つことさえも出来ない可能性が高い。
だが、それをも『覚悟』して鈴仙はこの作戦に乗った。
何故なら、この作戦を拒否し別の道を歩むことは『逃げる』ことだと思ったからだ。
この作戦が現時点で最も状況を打破する作戦なのは目に見えていた。
他のプランなぞ無いのだ……鈴仙に全てかかっているといっていい。
だから彼女は選んだ。自分がする事によって現状を打破する…自分しか出来ない役目を放棄することは
『逃げる』ことに繋がるからだ。
鈴仙は一度飛び、一気に20メートルほど後ろに後退する。射撃をするならば……安全な場所まで下がる必要はある。
距離を開ければあけるほど、命中率と破壊力は落ちるだろう。だが……忘れてはならない存在がいる。
それは小町だ。彼女の能力は、『距離』を操る。だから、この長い距離も
発射と同時に彼女が能力を発動すれば、ひとたび無にする事が出来るのだ。
小町は食人花を誘い出すためワザと相手の攻撃が当たるような出方をする。
妖怪といえど、所詮は花だ……食人花は簡単にその誘いに乗ってしまい、彼女をしきりに攻撃する。
既に食人花は一直線上に並んでいるが、まだ鈴仙からの声はかかっていない。まだ持たせなくてはならない。
鈴仙は鈴仙で、しきりに何とか自分の力をコントロールしようとしていた。
射撃をするための最後の要素……それは集中力である。集中はしているが…問題は手だった。
右手は震えている…これでは十分な射撃無理だ。だから鈴仙は動きながら射撃することは出来ない。
大砲のように、銃の斜線上に相手が入ってこないと引き金は引けない。
そして、相手はまだそこに入っていなかった。
(もう少し……後もう少し……)
後数十センチだ。それで、予測される斜線上に敵は入る。
あと5センチ…3センチ……1センチ。
そして、鈴仙は叫ぶ!
「小町さん!」
「!」
それと同時に小町は飛んで避ける。突然の行動に食人花たちは行動できない。そこに向けて、
鈴仙は迷わず引き金を引いたのと、小町が能力を使い、鈴仙と食人花の距離をゼロにしたのはほぼ同時だった。
ドォン
たまっていたエネルギーが爆発するように……大手言うならば艦砲射撃の音と同じくらいの
爆音が響き渡り、ルーザーから場違いな大きさの弾が食人花に襲い掛かる。
レーザーではない……そこまで残留攻撃ではない。あえて言うなら……巨大座薬?
「うわぁっ!」
発射の衝撃で鈴仙は後ろに吹き飛ぶ。数メートルほど吹き飛んだところで小町に助けられた。
「っつう……」
「ほ~……」
どうやら肩の関節が抜けたようだ。ガクン、と右肩が垂れ下がっている。
その痛みに鈴仙はうめく。対する小町は驚きの目で先ほど食人花がいた場所に目を向けた。
そこには何も無かった。そう、文字通り食人花はおろか、その後ろに生い茂っていた木々が消失していたのだ。
レーザーではないため、遠くを見ればまた木々は見えるが、そこまでは斜線上のみ焼け野原になっていた。
「すごい……」
「力をためて打てば、それほどの威力があるってことかい」
鈴仙は関節が抜けたことを忘れ、小町は呆れながら言う。
「さすがは巨大座薬砲」
「ちょっと!」
鈴仙を見てニヤリ、と言ってみると、彼女は怒って掴みかかろうとする。
が、関節が抜けてるためすぐにうめき声に変わり、地面に倒れる。
「こらこら、無理しなさんな。今はめてあげるから」
「ぐうっ……覚えておきなさい」
鈴仙の負け惜しみはなんのその、小町は外れた肩を持つと、ゴキン! とはめ込んだ。
その痛みで表情がゆがむ…が、何とか平静を保つ。既に汗で顔や服はびっしょりだ。
「あー……やっぱりここぞというときにしておいたほうがいいねぇ、その巨大座薬砲」
「だから……もう、いいわよ。そうね……もう少し力をつけたほうがいいかもしれない」
何しろ打つたびに肩が抜けるのだから、洒落にならない。
巨大座薬砲と命名されてしまった鈴仙はブーたれていたが、おとなしく従った。
「じゃあ、改めて行こうか…動けるかい?」
「大丈夫、いきましょう」
小町に手を引っ張ってもらって立ち上がると、2人は再度、花畑に向かって飛び始めた。
◆ ◆
巨大座薬砲(もはや公認)の爆発音は花畑にも聞こえていた。
双方共に血だらけの二人は思わず戦闘を中断してしまうほどに。
「何? 今の音は……」
「…………」
美鈴は無言だったが、直感で分かった。鈴仙と小町だということに。
何かしらの方法で食人花を撃退したのだ。だが……少し遅かった。
「まぁ…いいわ。それよりも、まだ立っていられるなんて……」
「……」
既に毒が体にかなりの量回ってきてしまっている。今では戟も手から放してしまい、徒手空拳で戦っていた。
これでは小町たちが増援に駆けつける前に美鈴が負けてしまう。それだけは避けなくてはならない。それはなぜか?
食人花と戦ったということは、あの2人も負傷しているはずだ。
その状態で小町はともかく鈴仙は幽香には勝てない。たとえ、幽香も同じく負傷していたとしても。
だから美鈴にとって残された役割は、幽香を戦闘不能、もしくは彼女たちにも負ける程度に弱めることだった。
そして、美鈴は勿論前者を選ぶ。…自分の戦いに他人を巻き込むわけには行かなかったからだ。
「時間がありません」
美鈴は手を合わせまた『気』を練る。既に体内に残されている『気』は少ないのか
外から吸収しているため、また花たちは枯れていき、ゆっくりと構える。
幽香もそれに乗るように、同じように仕込み刀を構えた。
幽香の傷もかなりひどい。打撃や斬撃などによる負傷もそうだが、特に火による火傷の跡が生々しく残っている。
自身に攻撃が帰ってくることも覚悟で戦い続けた証拠である。
「いいわよ。……そのカウンター、つぶす算段は出来た」
どうやら幽香もこの現状を打破する算段が出来たようだ。
ジリッ ジリッ
ゆっくりと2人は近寄る。既に夕日で辺りは赤くなっていた。
「ッ!」
仕掛けたのは幽香だった。仕込み刀を持った右手で一気に切りかかる。
美鈴は動かないで『気』を練って対応する。程なくして幽香の手は摩擦で燃え出した。
だが幽香は攻撃をとめず、そのまま振り切る。
右手は既にかなり燃えており、炎は胴体まで到達していた。
「そこっ!」
美鈴はチャンスと思い、炎で無防備となった幽香の心臓に一突き手刀を放った。
ドスッ
幽香は防御することも出来ず、もろにそれを食らってしまう。
誰もが美鈴の勝利だ……と確信した……が。
「嵌まったわね」
突然美鈴の後ろから声がした。瞬時に後ろを向くと
ザシュッ
今度は美鈴の腹に仕込み刀が刺さった。
「私の勝ちよ」
ありえない光景だった。体が燃え盛っているはずの幽香が、何故か全く燃えていない状態で
美鈴の後ろに回りこみ、そして彼女が振り向いた瞬間仕込み刀を突き刺したのだ。
「言ったでしょう? ココは私のフィールドだって」
先ほど美鈴が幽香だと思い燃やした体は灰となって崩れ落ちる。
だがそれは人の灰ではない。植物の燃えカスだった。
そう……彼女は攻撃する際に、自身の体に事前に大量の花びらを纏わせていたのだ。
いわば花びらの装甲である。美鈴には幻覚が見える匂いをかがせ、それを自分だと思い込ませ、
花びらで出来た分身が燃えたと同時に、その装甲を脱ぎ捨て、彼女の背後に回りこんだのだ。
この芸当は間違いなく、花を操る幽香にしか出来ない。
更に『妖月花』は切るよりも、突き刺した方が毒の回りは速い。
途端に美鈴の体が震えだす。
だというのに、
なぜか、美鈴は笑っていた。
「甘いですね、私の勝ちです」
ガシッと幽香の腕を掴み、放れないようにする。
「策を練るのであれば、相手の息の根を止めるまで決して安堵するな…ですよ。気づきませんか? 異変に」
「何ですって?」
何を言うのだこの女は……と幽香は思ったが…次第に言いたいことが分かった。
何か……変だ。どこか息苦しい。普通に呼吸をしているのに、どこか感覚がおかしい。
いやそれよりも、何なのだこれは……いや、それよりも何故だ? 何故自分の刀を腹に突き刺したまま、
この女はこうしてのうのうと立っていられるのだ!?
「あなた……まさか」
「毒は効いてますよ。実を言うと気を抜けば今にも意識が飛びそうです」
効いていないの? という問いに真っ向から否定する。
実際美鈴の額にも汗がびっしょりだった。このままでは本当に不味い。
白木の杭でしか死ねない身体の美鈴でも、大量の毒を食らえば長時間動けないのは間違いない。
「ですが、負けるわけにはいきません。私には任務があります」
「なに……?」
「幽香さんは先ほどから毒、毒といっていますね? では、勿論我々生物にとって最も身近な猛毒は知ってますよね?」
幽香は少し考えた後、先ほどの異変と重ね合わせて一つの事柄にたどり着く。
「まさか!」
「そう、そのまさかです」
美鈴の行った行動に幽香は思わず愕然となった。
生物にとって最も身近な毒とは、『大気』である。
例えば酸素、これは60%以上の密度の空間で長時間活動した場合、死にかかわる可能性が発生する。
が、この戦いはどちらかというと短時間のため酸素毒は除外される。
では、美鈴が行った『大気』の毒とは? 簡単な話だ。彼女は大気の濃度を調節したのだ。
『大気』…それは様々な気体が微妙なバランスで混合され構成されている。
そして、その中で人々は、生物は、そして妖怪たちも生きているのだ。
妖怪は呼吸などしない…と思う人もいるかもしれない。だが、それは間違いだ。
この世界に存在する生命ある物体は必ず呼吸をするのだ。
例え妹紅や輝夜のように何度でも生き返る存在でも、レミリアのような吸血鬼でも関係ない。
空気があるから生きているのだ。たとえ、死なないにしても少なくとも行動不能になってしまうだろう。
そして、年代が進めば当然、その時代によって大気の構成は変わり濃度も変わっていく。
そのゆっくりした大気の変化に生命はゆっくりと順応していく。
だが…もし、その構成濃度を短時間で急激に変化させたら?
例えば、今ある酸素の濃度と二酸化炭素の濃度を逆転させたらどうなる? 答えは簡単だ。
その中で生命は存在できない。つまり、死ぬのだ。
ようは順応性の問題だ。例えば人間が標高が高い山に上る際、
彼等はそれ相応の装備をして登山に向かう。だが、地上にいる人間を突然装備も何もなしに
濃度が薄い頂上に置いたらどうなる? 空気が薄くなるのだから、順応できなくなり倒れるのは当たり前だ。
そういうことなのだ。今美鈴が行ったのはこの花畑内の『大気』を調節し、
酸素と水素のみにしたのだ。十分といえるほどの操作である。
ちなみに濃度は2:1の割合である。幽香に毒として影響し始めるのは当たり前なのだ。
「馬鹿な! そんなことをすれば、あなただって!」
そう、そんな急激な大気変動なぞ行えば、幽香だけでなく、美鈴にだって影響が出てしまう。
だが美鈴は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「ええ、当然ただではすまないでしょうね」
その言葉にぎょっとする。
「あなたは確かに強い。策の練り方も悪くないですね。ですが、あなたには最大の敗因がある」
「な…に?」
美鈴は幽香を握る手に力を込める。
「ようは『覚悟』の違いですよ。私は永遠亭の皆さんからイナバを助け出せと命令されています。
ですが、あなたはあくまでも自分の『欲望』の元に動いている。その重さの違いです」
『覚悟』と『欲望』……重さが違うのは明らかだ。幽香は己の欲求を満たすために戦っているのに対し、
美鈴は必ず任務を遂行するという『覚悟』を持って動いている。
「それにもう一つ…あなた、悩んでますね?」
「?」
「分かっているんじゃないですか? 『孤独』について……」
その言葉を聞いて、幽香の表情は一変する。
「図星ですね。断言しましょう…あなたは自分が最も悩んでいる『孤独』を何とか紛らわすために
『欲望』を持ちそれをこなしている」
「何を……」
「認めたくないですか? ……まあ、いいでしょう」
幽香の焦った表情を見る限り、美鈴の推測は間違いなく当たっているのだが、
美鈴はあえてココで喋ることはしない。…時間がないのだ。後でじっくり話せばいい。
「話を戻しますが……さて問題です。この大気には現在、酸素と水素が蔓延しています。
ですが、それだけではこの短時間で大きな影響を及ぼすことは出来ません。では、どうすればいいでしょうか?」
学校の先生のように美鈴は言い出した。幽香は怪訝な顔つきになる。
が、すぐに理解し…青ざめる。
「物理のお話です。今この花畑は私の能力により外部と大気と熱が遮断された状態です。
いわば一つの密室空間ですね。では……それを急激に縮めたらどうなると思います?」
美鈴の説明……これは熱の仕事で発生する『断熱変化』と呼ばれる現象だ。
外部からの熱の出入りを遮断したまま、気体の温度や状態を変える過程のことである。
そして、美鈴がやろうとしていることは、その実験の一つ。
例えば、ガラス管の中に綿をいれ、ピストンで急激にガラス管内の空気を圧縮したらどうなるか?
実は火がつくのである。
それを空間単位で美鈴は行おうとしているのだ。
だが……思い出してもらいたい。今この空間には何が蔓延しているか。
そう、酸素と水素だ。火をつければ爆発的に燃える2つの要素がそろっている。
そして! もし爆発が起きれば、それこそ洒落にならないほどの大爆発がおきるだろう。
「馬鹿な!」
「ええ、その通り。……ですが、『覚悟』を決めるとはこういうことです」
「イナバはどうする!」
「あなたは当初、この戦闘が終わればイナバは解放されるといいました。
私の役目はイナバを救い出すこと。ですが、それは鈴仙さんたちにも同じ任務が与えられています。
つまり、私が倒れても彼女たちが助けるわけですから、最終的に私の任務は完遂されます」
「狂ってる……」
「どうぞご自由に言いなさいな。後で好きなだけ聞いてあげますよ」
ゆっくりと美鈴は掴んでいない方の手を上げ、そこに『気』を練っていく。
もしこの断熱変化による発火が上手く起こらなかった場合、その『気』を使って発火させ
彼女たちを中心に大爆発を起こすためである。
幽香は必死に逃げようとするが……美鈴はとてつもない力で押さえつけているため振りほどけない。
今はまだ空気の圧縮現象は起きていない。だが……美鈴がその『気』を溜めた腕を振り下ろせば
それが圧縮開始の合図だ。そして、圧縮による発火のタイミングと、摩擦によって腕に火がつくタイミングが重なり
……この辺りは大惨事になる。
幽香は知らない。この技はかつて美鈴と紫が戦った際、両者を互いに戦闘不能にさせ結果を引き分けにさせた
文字通り、美鈴の最終兵器。言ってしまえば自爆技だ。美鈴は既にこれ以上の戦闘は危険だと踏んでいた。
だが、ここで負けるということはイナバを助けろという命令に反することになる。
命令には忠実に従う彼女にとってそれは駄目なことだ。だから、一撃必殺のこの自爆技に全てをかけたのだ。
「終わりです」
美鈴が手を掴んでいるため、幽香は満足に防御することも逃げることもかなわない。
抵抗する彼女に、ブン! と美鈴は裁判で被告人に採決を言い渡すように、手を振った。
それと同時に着火する。
ドォォォォン
真っ白な光と熱が2人を包み込み、この花畑は一瞬にして焦土と化した。
◆ ◆
「ハッ!」
幽香が目覚めたのはそれから実に丸二日経った後のことである。
あの大爆発に巻き込まれたというのに、案外軽症で、それなりの包帯が巻かれているだけだった。
まだ痛むが、起き上がると彼女は辺りを見回す。日本風の建物だ。
どうやらココは永遠亭らしい。そして、自分はココで治療を受けたのだと理解した。
「おかしいわね」
何故見張りがいないのか気になった。自分がイナバを誘拐したのは事実。
それが知られていないはずがない。
「起きましたか」
と、突然襖が開き、入ってきたのは美鈴。彼女も体中に包帯やガーゼをつけている。
「どうです? 体調は」
手に持っていたお盆(薬と湯飲みが2つ乗っけられている)を畳に置き、美鈴はそばに座る。
「一体何がどうなっているのか……分からないんだけど」
「そうですね、説明しましょう」
あの後、焦土と化し、もはや花畑の体裁も保っていない場所に
爆音を聞いて鈴仙と小町は駆けつけた。幽香は爆発による大火傷で既に気を失っていたが、
美鈴は爆発する直前に一瞬、体の回りを真空状態にしたため、幽香ほどのダメージは負わずにすみ、
気絶もせずにすんだ。また、戦闘が終了したため今まで安全地帯に避難されていたイナバも解放された。
その後、3人はイナバと幽香をつれて永遠亭に帰宅。
なお、このとき美鈴はマジで倒れそうだったのだが、持ち前の精神力で何とかカバー。
永琳がストックしておいた解毒剤(どうやって作ったかは不明)により助かった。
イナバもすぐに目を覚ました。但し、彼女は幽香に襲われたところを覚えていなかったらしく
キョトン、としており周りを脱力させた。そして今日に至るのである。
「私は持ち前の『気』の力で自己回復しました。幽香さんの傷も永琳さんの薬と私の能力で
ある程度回復しましたから、すぐにでも退院できますよ」
「………質問がある」
「何です?」
「私に対して見張りがいないわ。これでも私は誘拐をしたのよ? おかしくないかしら?」
「ああ…そのことですか」
美鈴は苦笑すると話し出す。彼女は嘘をついたのだ。
イナバを誘拐したのは食人花だと永琳たちや鈴仙たちに言ったのだ。
それを幽香と共に倒し、助けたのだ……と。
「何故?」
幽香が疑問を口に出すのも無理はない。自分を助ける理由がないからだ。
「あなたとは少し話をしたかったので」
そんな彼女に美鈴は告げる。
「もしあなたが犯人だと告げれば、周りはあなたを許さないでしょう。
そうなったら私はあなたとこうしてゆっくりと話が出来ませんから」
「…………」
美鈴は湯飲みと薬を幽香に渡し、自身も湯飲みを持ち一口すする。
「……で、何? 話したいことって」
湯飲みを一度下ろすと、一息ついた後美鈴は話し出した。
「あなたと戦ったとき、あなたは『孤独』という言葉に対しひどく反応していた。
そこには恐怖にも似た感情が込められていた……どうです?」
「…………」
「その沈黙を肯定と受け取って話を続けます。どうです? 私に聞かせてくれませんか?
もしかしたら何かよい助言を与えられるかもしれませんよ」
「あなたに?」
幽香には美鈴の考えがよく分からなかった。何故ココまでして自分にかかわろうとするのか。
第一そんな自分のつまらない話などを聞いて、何か意味があるのだろうか……。
(まあいいさ。駄目元で話してやろう)
どうせ美鈴がココから離れていったら暇なのだ。話し相手程度にはなるだろう。
そう思い、幽香は話し出した。
生きて死んで、生きて死んで、生きて死んで……そう、幽香の周りは常に生と死で満ち溢れていた。
いや……世界は常に生死の輪廻で覆われている。が…幽香の生きる場所はその回転が異常に早かった。
花は簡単に死んでしまう。種から育ち、芽を出し、ぐんぐん育ち、花を咲かせたと思ったら、すぐに枯れてしまう。
自己を表現したと思ったら……枯れている。もしくは、第三者の手によりその命を絶たれてしまう。
花たちの一生は何者よりもはかなく……弱い。彼等は外からの脅威に何も対抗できない。
ただ…外に侵食され、成すがままに表現する。……そう、まさに川を流れる落ち葉のように。
幽香は……いやだった。誰かに流されるままに生きるのがいやだった。
誰かに命令され、それを実行するだけの人生なんて真っ平御免だ。
幽香は『孤独』だ。何時も一人で生きている。勿論これには理由がある。
彼女は花の妖怪なのだ。一年中花の咲いている場所に移動し続けるわけだから、一つの場所に居続けない。
だから、他人とのエンカウント率は低い。
ずっとそういうことをし続けてきたため、彼女には圧倒的に他人と付き合うという経験が不足している。
だから彼女は不器用な付き合い方しか出来ない。
だから『孤独』になってしまった。だが……『孤独』は怖かった。何とかそれを紛らわしたかった。
そのために彼女はそれを隠すように『欲望』をもって行動していた。
「……出会いがあれば、別れもある。それは当たり前のことよ。
でも、私はそれを怖がっていた。私は余りにも多くの出会いと別れを見すぎた。
出会いは喜び、でも別れのときは皆悲しむ。だから……」
「誰かと群れることによりいずれくる別れに耐えられるかどうか自信がない。
そんな不透明な未来を見据えるならば、あえて『孤独』になることでその悲しみから逃げようとした」
言いたいことを掴んだ美鈴が言うと……幽香は頷く。
「でも……誰とも群れないで『孤独』になるということは、何事よりも耐え難い。
もしかしたら、私が恐れている別れの際に訪れる悲しみよりも……」
「…………」
「私は……群れることを恐れてる。でも、『孤独』も怖がってる。……おかしいでしょう?
まさに八方塞なのよ。この私はね」
そう…自虐的に笑って見せた。だが、美鈴は何も言わず、真剣な顔をして聞いている。
「そんな時……あなたの事を聞いた。あなたは私の倍以上、『孤独』に生きてきた。
どこかの組織に属し、一見群れているように見えても……あなたの精神は何時も『孤独』。
でもあなたはそれでも生きている。……私から見て、あなたは不思議に思えたのよ。だから、惹かれた」
幽香がいえることは全て言った。今回のいきさつ。
自分が『孤独』を恐れ、しかし群れることを恐れて生きてきた。
そんな行く当ての無い彼女にとって、美鈴は本当におかしな存在だった。
彼女は『孤独』を恐れていない。そして群れることに必要性を感じていない。
自分と正反対だった。『孤独』は知識ある者ならば、誰しもが恐れる概念の一つである。
それこそ『死』と同じように。だが……美鈴は違う、恐れているような面は全く見せない。
だから彼女と戦うことにより、どうすればそんな生き方が出来るのか…その精神を知りたかったのだ。
美鈴が咲かせる紫陽花の色など元々どうでもよかったのだ…必要なのは、それだった。
美鈴は暫く黙った後……ゆっくりと口を開いた。
「質問します。あなたは……自分が本当に進むべき道が無い、八方塞だと思っているのですか?」
キッと厳しい目つきを向けてくる。幽香は突然のその目つきに押され…しかし熟考した後に頷いた。
「そうですか……なら、断言しておきます。それは間違いですね。
あなたはぜんぜん八方塞などではない。既に道は開けています。ただ…その道を進みたくないと思っているだけです」
「…………」
「きつい言い方かもしれませんが、言わせて貰います。あなたはただ…逃げているだけなのです」
逃げている…その言葉に思わず反応してしまうが、黙って聞く。
美鈴の話は興味深い……黙って聞くべきだ。
「出会いがあれば別れがある。喜びがあれば悲しみもある。そんなこと、当たり前なんですよ。
あなたは長年生きてきて、それをよく理解しているはずです。ですが…何故自分のことになると拒絶するのです?」
「それは……」
「怖いですか? 自分の親しくした存在が死ぬのが」
幽香は答えない。それは肯定の証だった。
「怖いのは分かります。誰だって悲しみを背負いたくは無いですから。
ですが、死という別れがあるからこその人生であり、世界なのですよ。
それから逃げるということは世界の摂理から逃げていることと道理。それでは矛盾しているのです」
「……では、どうしろと?」
「簡単な話ですよ。今からでも、誰かと群れればいいのです。
それだけであなたのその『孤独』に対する恐怖は解決されます」
そう…本当に簡単な話なのだ。幽香は大変な思い違いをしている。
自分がずっと『孤独』に暮らしてきたため、誰かと群れることを放棄して生きてきたため、
何時しか自分に『もう群れることは出来ない』と勝手な暗示を掛けていたのだ。
思い込みというのは物凄く強い。人の健康状況が思い込みで変わるほどに強い力を持っている。
幽香は口では『群れるのが怖い』といっているが、それが何時しか思い込みで『群れてはいけない』に
変換されているのだ。その要素となったのが恐怖である。
「何故私の精神が『孤独』になっているか分かりますか? 簡単な話です。
私は『孤独にならなければならない』と自身に課しています。
策士であるために、そして遠い昔の『罰』を償うために、私は『孤独』になっている。
分かりますか? 私は『孤独』になるのに何の恐怖心も抱いていない。
いえ…もしかしたら抱いているのかもしれません。ですが、それに勝る何かがカバーしているのです」
策士は他人に対し必要以上に入れ込むと破滅を及ぼしてしまう。
そして彼女はかつて、他人と群れたことにより大切なものを失ってしまった。
この2つの要素が彼女に強い制約を及ぼしているのだ。
「でもあなたは違う。あなたが『孤独』になっている要素は酷く脆く、そして小さいもの。
だから簡単に乗り越えられる。必要なのはあなたが望むこと。
どうです? あなたはどちらに大きな恐怖心を抱いていますか? 群れることですか、それとも『孤独』にですか?」
「…………」
幽香は考える。久しぶりだった…自分自身と向き合い考え込むのは。
そして…何故かスッキリしてしまう。こうまで自分の今までの行き方を否定されたというのに
何故か……怒る気がしなかった。
「私は……今は、『孤独』に対して恐怖を抱いているのかもしれない」
「ならなおさらです」
「でも……受け入れてくれるかしら? 私は散々周りに迷惑を掛けてきた。
己の『欲望』のために、散々……」
「あら…なら私はどうなるんです? 私なんて、目的のために殺しかけてるんですよ?
でも、今でも私はこうして誰かの群れの中に入ってる」
「それって…偽りでしょ?」
「ええ。でも、受け入れられていることに変わりはありません。
幽香さんもまだ大丈夫…手遅れじゃないんですよ」
「…………」
美鈴は突然立ち上がった。
「そう…あなたはまだ手遅れではない。あなたには、まだ未来があります。
考えてみてください。きっと……あなたのことを考えてくれている人がいるはずです。
まずは…その人と付き合ってみてください。それで分かるはずです。あなたにはまだ希望があるということを」
「…………」
「私が言える助言はココまでです。後は……頑張ってください」
グイッと残ったお茶を飲み、お盆に乗せると障子に手を掛ける。
「美鈴…………」
「あなたがこれからどう動くか……それはあなたの勝手です。別に私の言ったことを真に受ける必要もありません。
自分で考え、自分で行動してください。『覚悟』を持って…後悔しない様に」
「…………」
一歩歩き廊下に出る。
「ああ……最後に一つ」
「…何?」
「どうせだし、これも聞いておきましょうか…私の紫陽花の色」
「え?」
「忘れちゃったんですか? あなたの『欲望』は私の血が咲かせる紫陽花の色でしょう?」
「あ……」
どうやら今の会話で忘れていたらしい。
「で、どうです? 花の専門家さん?」
「そうね……分からない」
「は?」
「文字通りよ。あなたは矛盾しすぎている。だから……一概にどんな色をつけるのか、分からないわ」
「あれだけ戦っておいて…それですか」
「そういうものよ。残念なのは私も同じ」
「はぁ……まあいいです」
矛盾…花の色にそれは決定的な誤差を与える。何しろ真実が無いのだ。
花が主体とする色が分からない…それでは、一体何色を形作るのか分からない。
幽香は美鈴と話していて彼女のなりに感じ取ったのだろう…今の美鈴が咲かせる花の色を。
「とりあえず、もう少し休んでいてください。じきに退院できますから」
「……ええ…ありがとう」
「どういたしまして」
にこりと笑って美鈴は障子を閉めた。
こうして、永遠亭での2人の会話は終了し、この事件も収束する。
なお、翌日の朝幽香が病室から忽然と姿を消し、枕元に大量の花束とお酒、そして『ありがとう』と書いてあった
手紙が置いてあったのは余談といえよう。
では、その幽香は何処に行ったのだろうか?
舞台は博麗神社へと移る。
この日、神社では夜に宴会を行うため、魔理沙と霊夢による準備が進められていた。
「じゃあ、今日も頼むぜ霊夢」
「全く…きちんと片付けなさいよ?」
「わかってるよ」
まぁ、どうせ片付けないんだろうなぁ…と内心では諦めながらセッティングを手伝う霊夢。
道具を持ち歩き始めた瞬間、足元にあった段差に躓いてしまう。両手は道具を持っているため手をつくこともできず、
また、飛ぶという思考も出来なかったため、そのまま倒れそうになった。
とその時いきなり誰かに抱きとめられた。魔理沙…そんなわけはない。
彼女はこんなに胸は大きくない。第一、あそこで口をあけてこちらを見ている。
ではだれが? ゆっくりと顔を上げると……。
「こんにちわ」
なんと、幽香がいた。珍しいこともある物だ。あの自分の『欲望』がなければ人の前に出てこないあの妖怪がいるのだ。
「ああ…ありがと」
霊夢は彼女に立たせてもらうと、下手な世間話も無駄だろうと思い、話を切り出す。
「で、どうしたの? 生憎だけど何も出せるものはないわよ」
「ああ…いや、そういわけではないのよ……」
霊夢は驚いた。何せ、あの幽香が言いにくそうに、そして恥ずかしそうに頬を赤らめているのだから。
「ええと……あのさ……今日、宴会…あるじゃない?」
キョトン、と霊夢と魔理沙は彼女を見る。
「出来れば……さ、私も…いいかな? 参加しても」
それは精一杯の幽香の努力だった。美鈴に言われた助言を受け、もう一度勇気を出そうと思ったのだ。
彼女にとって幻想郷内で一番付き合いがあるのは霊夢である。
『孤独』からの脱出…まだ誰かと群れるということには恐怖はあるが、少しでも前に進もうとする
彼女なりの決意だった。ただ……やはりこういうことには慣れていないのか、言いづらかった。
そんな彼女の発言……予想しているはずもない霊夢と魔理沙は完全に固まっていた。
無理もない…まさか彼女からこんな言葉が出るとは思わなかったからである。
幽香は自分が求めるものはいわゆるゴーイングマイウェイ状態で行うことが多い。
つまり、自己中なところがよく見られていた。
そんな彼女がけなげに許可を求めている……恐るべき事態だった。
だが、霊夢には理解できた。幽香の変化を……誰かが彼女を正しい道に導いたのだと。
そして、彼女が自分の足でその道を歩もうとしているのだと。
巫女として、本来ならば中立を選ばなければならない身…故にココで彼女に下手に介入すべきではない。
しかし……友人としては、彼女を見捨てることは出来ない。
それに、ココで彼女を導けば巫女の立場としてもゴタゴタの一つが減り、
楽が出来るようになるという利点もあった。
「いいわよ」
だから彼女はニッコリと微笑み、言った。
「ただし、私はね。魔理沙は? あなた幹事でしょう?」
と、未だにフリーズしている魔理沙に振る霊夢。
魔理沙はいきなり話を振られたため、多少混乱した頭で考えるが、
霊夢の目と、幽香の今までに見たことの無い心細そうな表情を見ていると直に答えが出た。
「ああ、私は構わないぜ。大勢いたほうが楽しいしな」
何時も通りのニッコリと笑って許容する。
途端幽香の表情は今までのどこか秘めた笑みではなく、心からの喜びからくる笑顔。
その証拠にその目じりには涙がたまっていた。
彼女は後悔した…なんでもっと早く頼らなかったのだろうか…と。
そして感謝した…寛大な心を持つ彼女たちに。
その感謝を精一杯表すために彼女は今までで一番の笑顔を作り、言う。
「ありがとう」
と。この日から、幽香は宴会に度々姿を現すようになり、また博麗神社に居座るようになったという。
◆ ◆
そして…日は経ち……。
美鈴は永遠亭に対する謝罪行動を認められ、彼女の今回の『罪』は許された。
永琳は美鈴の行使権を紅魔館に返却し、美鈴の鈴仙の護衛任務は終了となった。
最も許された理由には、イナバを助けた功績が一番大きい。
実際につれて帰ってきたのは鈴仙たちだったが、助けたのは間違いなく美鈴なのである。
彼女の命を張った行動に、イナバたちは心を打たれたのだ。そして、それはてゐも同じ。
表面上ではそんな素振りは見せなかったが、誰が見ても、許していた。
「お疲れ様。イナバを救ってくれた功績は何よりも高いわ。永遠亭を代表して礼を言います」
「任務ですから、当然のことをしたまでです」
笑顔の永琳に笑顔で答える美鈴。
「もう少し滞在してくれてもいいのよ?」
「いえ、まだやることが残っていますので」
任務が終わってしまえば、ここに長居する意味はない。美鈴にはまだやるべきことが残っているのである。
故に客人として留まるよりもここから立ち去ることを選んだ。
「そう……まぁ、これであなたの任務も終了なわけだけど、いくつか忠告しておくわ」
「はい」
「まず一つ目、二度とこのような真似はしないこと」
「わかっています」
「そして、二つ目。もう少し自分の体のことを考えなさい。いくら任務を果たすことが重要と考えていても、
自爆行為はやりすぎよ」
「それが必要だと感じたからです」
永琳の表情は笑顔のままだが、何故か小町は彼女の表情の何処かに怒りが込められているのを感じた。
「吸血鬼といえど、肉体回復にも限度というものがあるの。あなたは気づいていなくとも、
確実にツケは身体にたまっているわ。少し自重しなさい」
「生憎ですが」
それは美鈴の自己犠牲的な行動を自重しろという忠告だった。彼女は医者なのだ。
簡単に命を失われでもしたら、たまったものではない。
美鈴は永琳の言いたいことを感じ取ったのか、直に反論する。
「私は門番であり、策士でありかつては『武人』をやっていました。
門番は使用人…故に命令には絶対に服従しますし、策士は自分を棚に上げ策を完遂することを目的とします。
ましてや『武人』は自分を高めるために自ら危険行為に飛び込んだりもします。
…まぁ、『武人』の理由は今回は外しておきましょう」
ふう、と肩をすくめて見せる。
「故に私は命令は確実に遂行します。最大限の策を練って、最大限の効果を手に入れるために。
そして、あなたは勘違いしていますね。私は別に死にたがり屋ではありません。
自分の体のこともきちんと考えています。ただ、任務や命令、仕事という物と比べた場合、
そちらを優先して実行しているだけのこと。アフターケアもきちんと考えてます」
「そのアフターケアに今回の謝罪も含まれているわけ?」
「…………」
美鈴は答えない。それはきっと永琳の言葉通りだからだ。
周りのものは理解できていないだろうが、永琳や輝夜は既に見抜いていた。
今回の謝罪の件は、許されるところまで全て彼女が先の事件を起こす前に既に予定されていたことだということに。
後先考えずに行動する…その言葉は美鈴には当てはまらない。彼女は後のことも考えて何時も策を練っていた。
「ま、いいわ……忠告するのはそれだけ。本当はまだ言いたいことはあるけどね」
「そうですか」
すると永琳はすっと手を差し伸べてきた。
「とにかく今はそれを抜きにして……とりあえず、お疲れ様と言っておくわ。
この手はあなたに対する感謝と、あなたの永遠亭に対する『罪』が清算された証だと思いなさい」
美鈴はジッとその手を見つめていたが、ゆっくりと自身も手を出し、つなぐ。
「はい。ありがとうございます」
ギュッと2人は手を握り合い、ジッと見つめあい無言になる。……もしかしたら、目と目の会話をしているのかもしれない。
そして、こちらは鈴仙と小町。
「腕はもう大丈夫なのかい?」
「ええ。肩が抜けたときの衝撃で、幸か不幸か麻痺も抜けちゃったわ」
「そうかい。それはよかった。…だが、恐ろしい攻撃だったなぁ…あの巨大座薬砲」
「もう! …まぁ、私も驚いたわ」
2人とも傷は完全に癒え、普段どおりケラケラと笑っていた。
「あの銃…暫くは使わないほうがいいね。一発打つごとに肩が抜けてたら洒落にならないから」
「ええ。だから鍛えるわ。鍛えて、鍛えて…何時か使いこなしてみせる。
二度と、誰かを守る戦いから逃げないためにも」
「ま、身体を壊さない程度に頑張りなよ。つまらない理由で三途の川にでも来られたらたまったものじゃないからね」
「わかってるわよ」
どうやらこの2人。短い時間の中でとても仲がよくなったようだ。
それはいいことである。小町は内心で、次の休暇にはここに遊びに来よう…と思ったほどだ。
「では、そろそろ」
「行こうか」
何時までもここにいては拙いだろうと美鈴は話を切り上げる。
美鈴の調査を任されている小町は美鈴についていかなければならないため、ここには留まれない。
「そう、では道中気を付けなさい」
「はい」
美鈴は永琳、鈴仙等に軽く会釈をすると、背中を向けて歩き出す。小町もそれに続く。
と、その時
「待って!」
不意に後ろから声がかかった。美鈴が振り向くのと胸元に何かを突きつけられたのは同時だった。
それは笹の葉で包まれた……何か。差し出したのはてゐだった。
そういえば……今までここにはいなかったな…、と美鈴は思い出す。
走ってきたのかわずかにてゐは息を切らしていた。美鈴が渡されたものを訝しげに見ていると彼女は言う。
「何処に行くにしても、あなたまだ朝ごはん食べてないでしょう? 道中にでも食べて。お握りだから」
そう言って小町にも同じ物を渡す。
「毒は入ってないわ」
美鈴は別に気にしてはいないが、本人は念のため、と告げる。
また自分が嫌がらせをするのだろう…と美鈴に思われているのだと思ったのだろう。
「てゐさん?」
「それとね……」
美鈴が驚きの目でてゐを見ると、彼女は罰が悪そうな表情で頭をかき、耳を弄りながら……言った。
「イナバ…助けてくれて、ありがとう」
精一杯の声。そしてそれが彼女なりの感謝の表れだった。
それを汲み取った美鈴は表情を朗らかなものにする。
てゐはやはり恥ずかしかったのか一気にまくし立てた。
「べ! 別にまだお前のことを許したわけじゃないんだからね!
もし今度同じようなことしたら二度と許さないんだから! だから…キャッ」
最後まで言わせぬ内に美鈴は彼女の頭を撫でた。愛おしかったのである。
その行為にてゐは更に顔を赤くし、怒った。
「キィィーーーー! 子ども扱いするな!!」
ドッと周りからは笑いの声が噴出した。まぁ…無理もない、体格から見るとまさしく大人と子供なのだから……。
彼女たちの間には、美鈴が永遠亭に来た頃のギスギスした雰囲気はまるでなくなっていた。
てゐも、まだ心の中では美鈴に対し警戒している部分があるのだろうが、
それでも、十分両者の関係は改善されたといえよう。
数分後、永遠亭の者たちと別れ、小道を進む美鈴と小町。
「へぇ…なかなか美味いじゃないか」
「そうですね」
既に二人してモグモグとお握りを食べ始めていた。
「で? これからどうする?」
「ま…行き先は決まってます。とりあえずゆっくりご飯を食べましょう」
「ん、了解」
とは言うものの、小町は美鈴よりも大分早くお握りを食べ終えてしまった。
「ま、マイペースで行くのはあたいも好きだしねぇ…のんびり行こうか」
「はい」
のほほんと言う小町に対し、お握りをパクパク食べながら頷く。
美鈴の謝罪はまだ続く。さあ……次の場所は一体何処なのだろうか。
◆ ◆
……と、言うわけさ。これでこの物語の一幕は終了だよ。ん? 如何したんだい旦那?
ああ…美鈴ね。まぁ…確かに難しい存在だわな、彼女。
あたいから見た彼女はそうだね……まさに空気みたいな奴だよ。
生きる明確な目的がないのに、生きている。生きた亡霊とでも言えばいいのかね?
居る様で居なくって、居ない様で実は居る…そんな存在さ。
気を遣うって言葉があるだろ? あれの究極の存在といえるだろうね。
何せ空気みたいな奴だからね…もしかしたらそれが問題なのかもね。
紅美鈴はあたいから見れば、こういえるね…うん……話の中で度々言われてたろう?
『矛盾』している存在だって。
まさにその通りさ。あの女は矛盾しているんだよ。さっきも言ったけどさ、あの女はまさに生きた亡霊なんだよ。
彼女が行動する策は勿論、安全な奴もあるけど…危険な奴も本当に多いんだ。
しかもその危険な策ってのが殆ど自分の命を掛けるようなものばかりだから
傍目から見ればまるで死にに行っているようなもんなんだ。
でも彼女は死ぬつもりはないという…その策は自分が生きるうえでも問題ないって言うんだ。
どうだい? この時点でも矛盾しているだろう?
死にたがり屋なのか、死にたがり屋じゃないのか……分からないのさ。
ま、矛盾という点で究極を行ってしまえば、それはあいつの立場にあるね。
覚えてるかい? 彼女の親から付けられた名前。
策士として育てるためにとはいえ、『無名』だよ? 傑作じゃないか。
生まれた時点で、しかも他人から矛盾を身体に沁みこまされて生きてきたんだよあいつは。
どういうことかわかるかい? 策士として生きるということは何度も自分を偽らなければならないのさ。
勿論、彼女には『武人』紅としての誇りがあった。でも、その紅でさえ本家を襲名した名前なわけだから
彼女の本質を偽る名前になっているのには間違いない。
分からない顔をしているね。あたいが言いたいのはね。あたいたちが持っている人格の本質が、
美鈴にはないかもしれない…って言うことだよ。わかるかい? これがどういうことか。
人格の本質がないってことはね、存在自体がもはや矛盾してしまってるってことさ。
ほら、つながったろ? あの娘は矛盾しているって。
あの子はね、今まで周りからどんな存在なのか全く知られてなかったんだよ。
妖怪か、吸血鬼かさえわかっていなかったんだ。分かっていたのは人外ということだけ。
これが何を意味するか分かるかい? 原因は彼女の矛盾さ。
美鈴はね、自分の正体を余り他人に知られたくないから偽っているって以前行ってたんだけどね。
実はそんな必要なかったんだよ。何しろ、彼女は1から10まで滅茶苦茶なんだからさ。
ん? そんな存在が幸せになれるのかって?
ははぁん、なるほど。もしかして旦那はこの世に生きる生物はすべからく幸せになるべきである、って言う
考えを持つ人間だったね? いやいや、悪くないよ。
そうだねぇ……美鈴が幸せになれるとするならば…か。
例えば、偽りの人生を続けてきた中でも、やはり彼女の心の中には何かとても重要な要素が残るはずなんだ。
それを彼女が思い出し、理解し、周りが支えられれば……幸福に慣れるかもね。
まぁ、難しいかもよ? 何せ彼女自身が幸福になることを拒んでるからね。
そこを正せれば……あるいは…ね。
お? そろそろ対岸が見えてきたね。お疲れさん。
ん? 続きが聞きたい? あ~御免よ旦那。あたいにも仕事があるし、
お前さんは今から閻魔様のありがたいお説教やら何やらを聞かなきゃならないんだ。
まぁ、今は色々とあって霊がわんさか居るから、もしかしたらまた会う事になるかもしれないね。
だから、それまで待ってくれよ……ありがとう。
じゃあな、旦那……縁があったらまた会おう。
終わり
でも幽香の最大の武器は極太レーザーではなかったかなぁ?
そして、幽香に萌え。
きっと、視線も合わさずにあの台詞を言ったに違いない!
と、一応ツッコミを。
バキかい!
その他のキャラクターも、『元々こういう性格だった』と思わせるほどに良い味を出してます。
回を重ねるほどに、氏の描く世界にのめりこんでいってしまいます。
今回読み終えてみて、どうして私が氏の作品にここまで惹かれているのか。
意地でも感想を(あまつさえお節介な指摘まで)返す事に拘るのか。
その答えが、ようやくわかりました。
――ああ、私はこういう形であの話(朱月)を書きたかったのだな、と。
もっとも私の場合は、段階を踏んで氏の美鈴のように強くなっていく、という彼女を描くことになるのでしょうが……。
もはや過去の事ですけれど、ね。
感動と憧憬と、ちょっとだけ嫉妬と。
そして下ではついに見受けられなかった誤字脱字のお祝いをこめて。
満点を付けさせて頂きます。
次回も当然、期待しています。
何時まででも待ちますとも。
彼女、分身に花攻撃にマスタースパークいけますからねぇ、
本来ならば最も近接に頼らないタイプでしょう。
狂気シリーズでは、総掛かりでだったのに幽香は一人で美鈴をそこまで追込みますか、さすがですね、まさに期待どうりでした。
幽香ファンとしては最高の一話でした。
次回楽しみに待っています。
感動しました!
ありがとう
素直に言える心が可愛らしいかったです・・・・幽香さん。
あと・・・・「座薬って言うな~~!!」byイナバ