Coolier - 新生・東方創想話

夢 覚め遣らぬ 幻想時空

2007/06/18 10:07:07
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 ある時突然、時の流れが急に激しく流れ出す事がある…。


・・・・・


【 夢 覚め遣らぬ 幻想時空 】


・・・・・


「お邪魔するわよ?」
「あ、紫様。いらっしゃいませ。」

 いつものように、私、魂魄妖夢が庭の掃除をしていると、突如空間にスキマが開き、紫様が顔を出しました。
 この人(?)の来訪は、ホントに、いつも唐突です。しかも玄関先に来るのではなく、今日みたいに突然邸内の庭先に現れるものですから困ったものです。

「幽々子はいないかしら?」
「今日はまだ起きていらっしゃらないですね。」
「そう…。まあいいわ。」

 スキマからスタッと地面に着地すると、そのまま縁側に腰を下ろす紫様。
 ここはお茶くらい出したほうがいいだろうな、などと思っていると
「ああ、長居はしないからおかまいなく。」
なんて言われました。やっぱりこの人はよく分からないです。
「そうそう。あなたにも話しておかなきゃね。」
「…?何をですか?」
「結界の事。もうじき修理が終わるわ。」
「結界…ですか?」

―――

 結界。
 ある区画とある区画を区切るモノ。
 神聖な場所、聖域、清めた場所に置かれるというイメージがあるかもしれないが、なにも呪いじみたものばかりではない。境界を区切るモノであれば、ただの柵でもそれは結界となりうる。

―――

 さて、唐突に結界と言われても、どこの結界か私にはピンと来きませんでした。博麗結界でも修理していたのでしょうか?でもそんな事、わざわざ私にまで伝える必要は無いように思いますが…。
「もう、すっかり忘れてるわね。」
そんな私の様子を察したのか、紫様が口を開きます。
「あなた達…、正確には幽々子からの依頼だけど、冥界の結界を修理するように、依頼してきたでしょ、私に。」
「…あ。」
 思いも寄らぬ回答に、私は思わず間の抜けた声を上げてしまいました。実際、すっかり忘れていたのは事実です。だけど、それも致し方ないと思います。
 だって、修理の依頼をしたのはもう、何年も前。
 幽々子様と幻想郷の春を集め、そして霊夢たちと知り合った頃。
 紫様も修理の進み具合など教えてくださらないし、幽々子様も何もおっしゃられないし。
 これで私が覚えていたなら、その方が不思議なような気もします…。

「まあ、いいけどね。」
 そのまま紫様は、縁側に腰掛けたままお庭を眺めています。
 私が毎日手入れをしている、白玉楼自慢の庭です。
 しかし、こうも沈黙が続くのは居心地が悪いです。やっぱりそろそろお茶でも出そうかな、などと考えていると
「ああ、それでね。」
と、またしても私をさえぎるように口を開きます。ひょっとして私の心は読まれているのでしょうか?
 これでも剣士として、相手に次の手を読まれないような修行もしてきたつもりです。
 いや…、それでも幽々子様や紫様に比べればまだまだ及ばないのでしょう。修行に終わりはありません…。
「依頼の通り、こんどはかなり強力にしてるから。」
「え?」
「だから、今度の修理で結界の強化を施したの。もう大変なのよ。」
とはおっしゃっているものの、別段大変そうでもなく、普段どおりの様子で話を続ける紫様。また、唐突な話をされます。
「でも、どうして強化なんて?」
「んー?あなた聞いてないの?これは幽々子からの依頼なの。」
「……。」

 なにか違和感、というか、おかしな点があるような…。
 今サラッと、大変な事を紫様は言っていたような気がします。
 結界をどうしているって言っていました?
 強化?
 つまり強くしてるっていう…事…?
「ええっ!?」
「どうしたのいきなり?」
 突然大声を上げた私に、それでも別に驚いた様子も無い紫様。
「け、結界の、強化、ですか?!」
「そうよ。」
 そんな。どうして…。

 恐らく紫様により結界の強化が済めば、冥界と顕界との行き来は並大抵の力ではできなくなるでしょう。それこそ紫様のようにスキマを越える力でもない限り…。
 それはもう、これまでのような騒がしい、けど楽しい日々は終わってしまう、ということ。
 紫様の考えもよく分かりませんが、幽々子様が何を考えていらっしゃるのかも未だによくわからないことが多すぎます。今回も私には幽々子様の真意が掴めません。なぜ結界の強化なんてご依頼されたのか…。その意味は?
 それは…本人に聞いてみるしかないです。
「すみません、紫様!どうぞごゆっくりなさっていってください。」
私はホウキをその辺に立てかけると、幽々子様の部屋へと足早に向かいました。


「幽々子様、お目覚めでしょうか?」
 お部屋の前で声をかけるも返事がありません。
「失礼します。」
 ふすまを開けると、やはりというか、なんというか。幽々子様はまだ布団の中で眠っておられました。
「幽々子様、もう朝です。お目覚めください。」
「………。」
まぁ、呼びかけたところであっさり幽々子様が目覚めるとは思っていないのですけど…。
「…う~ん…。」
おや、起きるのかな?
「…よ~むぅ…。」
「はい、ここに。」
「よ~むぅ…、…おぉもり…もぅいっぱいぃ~…。」
「………。」
 …あぁ、お師匠様…。幽々子様は今日も変わらずお元気で在らせられます…。
 思わず天を仰ぎ、今や何処かの空の下で、幽居生活をされているであろうお師匠様に語りかけたくなります。
 こういった場合の寝言というのは大抵が「もう食べれない」といった類のセリフであると、以前香霖堂で読んだ本にはあったのですが…。でも、幽々子様からそういったセリフが出てくるとは考えられません。そう思えば、幽々子様らしいと言えなくもない寝言なのですけど…。

 とにかく、目を覚ましてもらわない事には話が進みません。ここはあのテでいきましょう。
「幽々子様、朝食の準備ができました。」
「そう、今朝のおかずはなに?」
 瞬時に、布団を跳ね除ける音すらもさせずに身を起こし平然と返事をされる幽々子様。
 …あぁ、師匠…。幽々子様は今日も…
「妖夢?」
「は、はい。」
 幽々子様の声で、師匠に心の報告をしている私は我に返ります。
 わざわざ幽々子様を起こしたのは、本来別の用事があった事を思い出した私は、姿勢を正しました。
「朝食の前に、ひとつお聞きしたいことがあります。」
「なにかしら?」
「先ほど紫様から、結界の修理がまもなく終わる事を伺いました。」
「そう…。紫にも無理してもらってるわね…。」
「幽々子様。その事でひとつ、お聞きしたい事があります。」
私は一呼吸おいてから、幽々子様に尋ねました。
「今回の修理に際して、紫様には結界の強化をもご依頼されたとか。」
「ええ、そうよ。」
その返事は、あまりにあっさりとしたものでした。
「あの、何故でしょう?」
「何故?」
スゥっと幽々子様の目が細くなのを見て、私は思わず息を呑んでいました…。
「あなたは、この白玉楼の主である私の決定に異議があるの?」
「い、いえ、そのようなわけでは…。」
「冗談よ。言いたいことがあるのなら言って御覧なさい。」
「は、はい…。」

 やはり…、幽々子様は幽々子様です。
 いつもどおりの笑顔で私に先を促してはいますが、先ほどの威圧感に私は、思わず息を飲んでしまうほどに圧倒されてしまいました。普段はあまりそんな素振りは見せませんが、やはり幽々子様は西行寺家の党首なのです。紫様同様、私なんかとは格が違うのです。

「結界の強化の事です。何故わざわざそのようなことをご依頼されたのですか?
 結界の修理だけでいいのではないですか?」
「妖夢…。今の冥界の様子をあなたはどう思う?」
「え?い、今の、ですか?」
「ええ。」
「い、今は、その…、賑やか、ですね。」
「そう、生きた人間や妖怪が出入りする。それはそれは賑やかな冥界が、今の冥界よ。」

 数年前、霊夢達と知り合った事件以来、ここには多くの生きたモノ達が訪れるようになりました。
 それは顕界の春を集めるために結界を弱くしたことが始まりでしたが、あのときの騒動で無理やり入ってきた霊夢達に、結界を破られてしまっているためです。
「本来冥界とは死後の世界。死んだモノのいるための場所よ。」
「はい…。」
「でも、今は生きたモノも頻繁に出入りしている。これは冥界としてはおかしいと思わない?」
「そ、それはそうかも知れませんが…。」
「だから、今回結界を修理してもらうのと一緒に、結界を強化してもらっているの。
 今度はそう簡単には破られないようなくらいに。」
「……。」
「そう…、本来あるべき冥界の姿に戻すためにね。」
「本来あるべき…冥界の姿…。」

 そうして、私は幽々子様のお部屋を出ました。


「あ、紫様。私、急用ができましたので、失礼します。」
 なぜかまだ縁側で寛いでいた紫様に、私は一言声をかけると、急いで白玉楼の正門へと向かおうとしました。
「あぁ、妖夢。」
そこへ後ろから声がかかりました。紫様です。
「正門の方はまだ結界が薄いから気をつけてねー。」
なんて声が私が振り向く前に背中にかかりました。


 今にして思えば、あのセリフ。紫様には分かっていたのかも知れません。私の「急用」が何なのか…。


・・・・・


「いらっしゃい、紫。」
「お邪魔してるわ。」
 着替えを済ませて部屋から出てきた幽々子は、縁側で寛いでいた紫に声をかけた。そんな幽々子に紫は、顔だけ向けて挨拶をする。
「結界の修理と強化…。もうじき終わりそうよ。」
「そう…。ありがとう。」
幽々子は紫の隣に腰掛けた。
 そうしてしばらく、二人は黙って庭を眺めていた。
「ねぇ、幽々子…。」
「なぁに?」
「あの子に結界の強化のこと、教えてなかったの?」
「だって、言ってないんですもの。」
いつもどおりにこやかに幽々子は答えた。
「意地悪なコね。」
 紫はクスクスと笑う。
 幽々子もクスクスと笑う。
「ええ。意地悪なのは私だけでいいのよ。」
ふぅ、と紫はため息をついた。
「そうやって、またあの子に隠し事ばっかりして…。いつまでそうしているつもり?」
「さぁ?あるがままよ。」

「…ねえ、ところで紫…。」
 紫の隣に腰掛けた幽々子はそう言ってひた、と紫を見つめた。
「なにかしら?」
幽々子の目を真正面から見つめ返す紫。
 じっと見つけあう二人。その雰囲気はただならぬものがあった。
 長い付き合いのあるこの二人でしか作れない、この二人しかいることの許されない空気。それがそこにはあった。
 そして…幽々子が口を開く。
「紫…。」
黙って紫は次の言葉を待った。
「妖夢が朝ごはん、用意してくれていないの…。」
「………。」
ジト目で幽々子を見つめたまま、脇に開いたスキマから紫は、ヒョイと藍を取り出した。


・・・・・


 ある時突然、時の流れが急に激しく流れ出す事がある…。
 初めはそれに気づかない。初めは小さな流れだから。


・・・・・


 紫様によると、正門の結界がまだ弱いらしいです。顕界に行くには、そこからがいいでしょう。


 そうして私は、まず博麗神社に向かいました。


 我儘だと言われるのは覚悟の上ですが、私はまだ、この顕界との交流を断ち切るような事を、したくはありませんでした。
 いや、できませんでした。
 だから結界の修理はともかく、強化は幽々子様に撤回してもらいたかったのです。しかし私では幽々子様を論破できるとは思えません。幽々子様と渡り合えるのは、紫様くらい。ただ、こういう時紫様は、まず動いてくれないでしょう。なにより、今回結界の修理をしているのは他でもない紫様。紫様にお願いしたところで、無駄なことは明らか。
 となると、頼れるのは霊夢くらいしか思いつきませんでした。


「あらいやだ。昼間っから神社に幽霊だなんて。」
 私を見るなり、開口一番にこう言い放ったのは他でもない、博麗霊夢その人です。霊夢はいつものように縁側でお茶を啜っていました。
「私は半分は人間だから問題はないと思いますよ。」
「賽銭を入れてくれるなら、さらに問題ないんだけどね。」
そういうと霊夢はまたお茶を一口。
「でも、今は里の人も賽銭を入れに来てくれるらしいじゃないですか。」
「里の人間達もようやくこの神社のありがたみが分かってきたようね。」
「その功績はあなたによるものではないはずですよ。」
「…やっぱり祓おうかしら、この幽霊。」
と、私は境内を見回しました。
「今日はあの子は?」
「んー?…里の方に行ってるわ。」
「やっぱり貴方とは大違いですね。」
「別人ですもの。違うトコロもあって当然でしょ。」
 あの子は次代を担う、大切な次の博麗の巫女。
 …のワリには、霊夢のあの子に対する対応はなんだか冷たいような気がするのは気のせいでしょうか??
 そんな私にはお構いなしに霊夢は、相変わらずのマイペースな調子でズズーッと残りのお茶を啜っています。そしてコトッと空になった湯のみを脇に置くと
「で?今日は何の用なの?」
と問いかけてくるではありませんか。
「え?」
まさか、幽々子様や紫様だけでなく、霊夢にまで私の心の内は見透かされているのでしょうか?いや、元々勘の鋭い霊夢のコト。その勘が当てただけかもしれません。
「あんたがこうして、一人でフラフラ出歩くコトなんてあんまりないからね。
 何か用でもあるんじゃないかと思ったんだけど?」
 あぁ、言われてみれば、至極簡単な事だったかもしれません。

 私は冥界の結界の事を霊夢に話しました。
 修理がまもなく終わること。その結界が紫様によって強化されようとしている事を。

「このまま結界が強化されれば、もうこちらとの行き来ができなくなるでしょう。」
「紫の仕事ならそうでしょうね。」
「それで…。」
「紫の仕事を阻止でもして欲しいわけ?」
「幽々子様の考えを改めてもらえれば、結果的に結界の強化くらいは免れるかと思うのですが…。」
そんな私の話を聞いていた霊夢は
「無理ね。」
アッサリと、冷たいくらいに霊夢は即答するのです。
「え?」
「というか、なんで私がそんな事しなくちゃいけないわけ?」
「そ、それは…。」
言いよどむ私を尻目に、霊夢は淡々と続けます。
「結界ってのは、あるべきものなの。そこに境界が必要だから結界が存在しているんでしょ。」
「わ、私だって、結界の必要性くらいはわかっているつもりです!」
「いつかも言ったと思うけど、冥界に生きている者が自由に行き来できるなんて、本来危険な事でしょ。」
そう。霊夢の言うことは一々的を得ているのです。
「あんたの事だから、まだこっちに遊びに来たいって気持ちなんでしょうけど…。」
だから、私はとうとう何も言えなくなってしまいました。
「まだ時間があるんだったら、今のうちにこちらの景色をしっかり見ておいたら?」
 …それは…。
 もう話をすることはない、という霊夢の意思表示。
 私はもう、ただ博麗神社をあとにする事しかできませんでした。


・・・・・


「あなたも冷たいわねぇ。」
パキッ、パリパリ…。

 妖夢が立ち去った頃合を見計らったように、奥から霊夢に話しかける声がした。
「何時から聞いてたの?」
霊夢は奥からの突然の声に別段驚いた様子もなく、外を向いたまま返事をした。
「んー…、ワリと最初っから、かしらねぇ…。」
パリパリ…。
「それで?」
「…で、何?」
声の主はなにやら楽しげな様子で問いかける。
「あなたは冥界の結界の事、どうも思わないの?」
「さっき妖夢に言ったとおりよ。あの結界も、元のあるべき姿に戻すべきなのよ。」
「冷たいのねぇ。」

 決して霊夢は冷たいわけではない。
 それは博麗の巫女としての立場があるから。
 博麗の巫女とは何者にも縛られない。博麗の巫女自体が幻想郷における規律である。それほどの存在は、決して人間寄りの立場となっても、妖怪よりの立場となってもいけない。常に中立でなくてはいけない。
 だからこそ霊夢は、用事の無い限りはあまり人里に顔を出さず、神社に居続ける。
 博麗結界を護るために。
 自分の立場を明確にさせるために。

「あの子もそのうち分かるわよ。というか、分からないのでは幽々子の下には居られないんじゃない?」
「そうねぇ…。幽々子も妖夢の事放ったからしすぎだものねぇ…。」
パリパリ…。
「それにしても…。」
 奥の部屋ですっかり寛ぎモードの紫が続ける。
「私が来てることにも驚かないのねー。」
「あんたの事なら姿を見なくても分かるわよ。」
「…ふーん…。」
パキッ…。
 いつものニヤけた笑みのまま、紫は霊夢の後姿を見つめていた。
「…そうやって…。」
 霊夢はそういいながら懐に手を伸ばす。
「勝手に煎餅食べていくのは、魔理沙かあんたくらいですものねっ!」
 振り向きざまに一閃。
 霊夢の放った札が空を裂き、一直線に紫へと向かう。
 が、紫に届く直前。
 事もなく札の前に開いたスキマが札を飲み込む。
 そのくらいの紫の対応は霊夢も予想していたのか、その一枚を放った後は諦めたようで、ため息をつきながら腰を下ろした。

「まぁ…。」
再び外を向いたまま、霊夢は再び口を開いた。
「そのウチ、向こうもイヤでも賑やかになるんじゃない?」
 外を向いたままの霊夢の表情は、背中しか見えない紫からは分からなかった。
 もちろん霊夢もまた、紫の表情は窺い知れなかった。
 そんなセリフの後のお互いの顔なんて、お互いに見たくはなかった。


・・・・・


 ある時突然、時の流れが急に激しく流れ出す事がある…。
 初めはそれに気づかない。初めは小さな流れだから。
 しかし、それらが徐々に集まり、ようやく気が付いたとき、それは大きな奔流となってしまっている。


・・・・・


 霊夢は急に説教グセがついたんじゃないでしょうか?跡継ぎが出来たとたんにあんなカンジになったような気がします。

 説教グセと言えば…。
 いつかの春、閻魔様に怒られたような気がします。
 確か…、私が下界に行き過ぎている事を咎められました。
 と、それと同じくして、幽々子様からも言われた事がありました。
 それは、幽霊をあまり斬らないこと。
 あれは…剣がもったいないからだったっけ?
 でも、もっと大切な理由があったような気もするのだけど…。
 だめだ…。あの時はホントにお茶の淹れ方しか教えてくださらなかったような気が…。


「妖夢さーん。」
 そんなことを考えながら飛んでいると、地上から私を呼ぶ声が聞こえてきました。
 博麗神社を出てしばらく。気が付けば湖の畔の、やけに目立つ紅い洋館近くに私は来ていました。
 そして私を呼ぶのは
「美鈴さん。」
紅魔館の門番、紅 美鈴さん。
 私は紅魔館の門前、美鈴さんの元へと降り立ちました。
「こんな所まで珍しいですね。今日は何か御用ですか?」
「あ、いや、そういうわけでもないんです。ただ近くを通っただけなので…。」
「そう…ですか…。」
 そういう美鈴さんはなんだか寂しそうでした。
 …あぁ、そうか…。
「すみません。最近お客さんとか全然ないもので…。」
私は思い出しました。


 しばらく前。

 紅魔館の主レミリア・スカーレットに仕えていた、一人の人間の時間は、その時を刻むことを止めました。

 元々、時を止めると言う、人間としてはこれ以上無いくらいに強力な能力を持っていた彼女でしたが、あるときその能力を使い続けた代償を支払うときがやってきたのです。
 本来人が持たざる、理から外れた魔の力を行使するには、必ず何らかの代償が必要となります。
 微弱な力ならほんの僅かな、強大な力なら膨大な、行使する能力に見合った代償が要求されます。
 当然彼女には、あまりに大きな代償が課せられました。
 彼女が今までその能力で止めてきた、本来正常に流れていたはずの歪められた時間の代償に要求されたのは、正常に流れるはずの彼女の持つ時間。
 彼女の魔力によって、今までは代償を留める事はできました。そう、例えるなら堤防のように。
 しかしそれも、時とともにやってくる魔力の衰えによって、留めることが出来なくなっていったのです。
 魔女でもない、生粋の人間である彼女にとって、魔力の衰えは自然の流れ。なんの防ぐ手立てもなく、また防ごうともせず…。
 そして…、
 その堤防が決壊するときがやってきました。
 堤防の決壊によって、本来正常に流れるはずだった時間は、全て押し流されていってしまったのです。
 あの館で唯一、最期まで人間でいた彼女の時間は、永遠に止まることとなったのでした。


「あれから…、お邸もずいぶん静かになっちゃいましたし…。」
 そう言いながら館を見上げる美鈴さん。私もつられて館を見上げました。
 何時からここに佇んでいるかは皆目見当もつかない、この不思議な館は、これからも変わらぬ佇まいで、ここに在り続けるのでしょう。

 ここにいた人間が一人亡くなった事すらも、時の流れの中に埋もれさせながら…。


「でも…。」
 ふと美鈴さんが言いました。
「どれだけ時間が経とうとも…、私たちがここにいる限り、あの人の事は決して忘れられることはありません。」
館を見上げたままの美鈴さんの表情は分かりませんでした。
「わ、私、そろそろ帰りますね…。」
顔を射す西日に気が付いた私は、そっと立ち去ろうとしました。
「あ、あの…。」
そんな私に背中から声がかかります。
「はい?」
振り返って私が見たのは、何かを言おうとする美鈴さんの姿。
「…えっと…。」
それでもなにか言いよどんでいました。
「そちらの人たちにも、よろしく、伝えておいてください。」


 すっかり暗くなった幻想郷を見届け、私はお邸に帰りました。


 そして、お邸に帰った私が見たものは、修羅場と化した炊事場で最強の軍神を憑け孤軍奮闘する藍さんと、その料理を「幻想の胃袋」の異名を持つその胃に次々吸い込んでゆく幽々子さまでした…。
 …藍さん、ごめんなさい…。
 白玉楼があっと今に食糧難に陥ってしまうから、幽々子様が要求するだけ料理を出していてはダメなんです…。



・・・・・


 ある時突然、時の流れが急に激しく流れ出す事がある…。
 初めはそれに気づかない。初めは小さな流れだから。
 しかし、それらが徐々に集まり、ようやく気が付いたとき、それは大きな奔流となってしまっている。
 もう、どうすることもできないくらいに。そして、その奔流は全てを飲み込み、押し流してしまう…。


・・・・・


 そして、とうとうその日がやってきました。

 そう。紫様が結界の修理を終える日。

 冥界の結界を象徴する巨大な門の前では、プリズムリバー三姉妹とミスティアによる最後のコラボレーションライヴなど、最後のお祭り騒ぎが催され、最後は、紫様による結界の最後の仕上げ。

 …となるのでしょう。

 結局私は、お屋敷の中で一人、燻っていました。
 幽々子様のご意思なら、と私は今まで、結界の事は無理やり納得させてきたつもりでした。でもやっぱり、自分なりの結論というものが、私は未だに見出せずにいたのです。
 そんな私が結界を閉じるその場にいたら、きっと取り乱してしまうだろう。
 そう思った私は、最後のお祭りに行くことも出来ず、一人お屋敷の中で座禅を組んで瞑想しているしかありませんでした。

「あ~、疲れた~。」
 そうしてどれくらい経ったのでしょう。廊下の向こうから間延びした声が聞こえてきました。
 幽々子様です。
 幽々子様は冥界の主として、当然ながら今回の最後の式典に参加されていました。
 その幽々子様が帰ってきたのです。
 つまり、もう全ては終わってしまったという事。

「あら妖夢、こんなところにいたの?」
 目を開くと、暗くなり始めた庭の見渡せる縁側に幽々子様が浮いていました。
「も~、妖夢も来ればよかったのに。すごい賑やかだったんだから~。」
なんて、袖を振りながら楽しそうに話してくださいます。
「…申し訳ありません。気分が優れませんでしたので。」
そんな様子の幽々子様を見ていたくなくて、私は再び目を閉じました。
 なぜそんな風に楽しそうにしていられるのですか、幽々子様は…?
 もう、もしかしたら、金輪際、皆とは会えないかもしれないというのに…。

「…また…、二人っきりになっちゃったわね…。」
 私がそんな思いに駆られていると、突然間近で声が聞こえてきました。驚いて目を開けると、腰を下ろした幽々子様が目の前にいらしたのです。幽々子様の息遣いが聞こえるくらいに、私の息遣いや、高鳴っている心臓の鼓動が聞こえてしまいそうなくらいに近くに。こんなに間近で幽々子様のお顔を見たのは久しぶりです。
 初めてお会いしたその時からずっと、そしていつまでも変わらぬであろうそのお姿に、しばし見とれてしまいました。
「大丈夫よ、妖夢。」
そんな私に幽々子様が微笑みます。
「今までも二人でやってきたんですもの。」
 二人っきりか…。
 お爺様…いや先代が幽居してそれ以来、時々スキマを越えてやってくる変な妖怪はいましたけど、ほとんど幽々子様と二人っきりでした。確かに、そう言われてみれば、あの頃に戻ったとも言えなくもないです…。
 しかし、あの頃と明らかに違うのは、私が賑やかな地上や冥界を知ってしまっている、という事。
 それだけに、今二人っきりに戻っても、それは寂しさが募るだけなのです…。
「それにね…。」
幽々子様が続けます。
「またここも賑やかになるわよ。」

 …幽々子様は何をおっしゃっているんだろう?
 つい今しがた、冥界の結界は強化され、生きているモノが入ってくることも、ここにいるモノが顕界へ行く事もできなくなりました。
 結界が開かれていた今までのように、皆で賑やかに過ごすことは出来なくなったのです。
 なのに幽々子様はこうおっしゃる。

「なぜ、そのようなことが、言えるのですか…。」
 幽々子様のその言葉は、今まで私が無理やりに押し殺してきた私の心を打ち砕いてしまいそうなくらい、今の私にはあまりに無慈悲に響く言葉でした。
「なぜ…、なぜ、そのように、平然としていられるのですか?」
 だからか、つい、そんな言葉が口から漏れてしまいました。
 そうしたが最後。
「私は…、私は、まだ顕界との交流を断ち切りたくないです。」
 一度堰を切った思いは留めることもできず、どんどん、どんどん流れ出していってしまうのです。
「どうして、ここがまた賑やかになると言えるんですか!?もう冥界の門は閉じられてしまったというのに!」
 視界にはもう自分の膝しか見えませんでした。
 その膝に雫が零れるのを見たとたん、今度は視界があっといまに歪んでいきます。
「妖夢…。」
 再び幽々子様の声が聞こえてきたかと思うと、
「え?」
幽々子様の手が私の顔に触れ、その指が私の目元をぬぐいます。
「あ、あ、あの…。」
「妖夢。」
 私は慌てて自分の手で涙をぬぐいました。
「冥界の結界とは、顕界と冥界との境界…。」
「…境界…。」
「そう…。生と死の境界…。本来あるべき境界。生ある世界の全てのモノに等しく存在する境界。」
 冥界とは、死後の人間がやって来る所。それは十分に承知しています。
 だから、明確な境界が必要だと言うのですか?

 と、その時。
「あら…。」
幽々子様が顔を上げます。
 それと同時に
「あ…。」
半霊が突然廊下へと出て行ってしまいました。
 自分の半分とはいえ、半霊と直接意思の疎通はできません。分かるのは半霊側から流れてくる思いだけ。
 その思いは私を痛烈に突き動かしました。早く半霊を追わなくては。そんな思いに駆られました。
 でも、今は幽々子様のお話が…。
「お行きなさい、妖夢。」
 そんな私にいつもの微笑みのまま、幽々子様が言いました。
 私は幽々子様に一礼だけすると、すぐに半霊を追いました。
「私から教わるのではなく、自ら、知りなさい。理由を、見つけなさい…。」
 私の背に、最後にかかったのはそんな言葉でした…。

 
 廊下にでて、さらにその先。幽々子様や私の部屋のある奥の区画とは別に、お邸の中でも冥界に住む幽霊も入ってくる区画。半霊はすでにそんなところにまで来ていました。
 そして、その人も。
 私の半霊とその霊魂は、ゆらゆらと睦まじく漂っていました。
 流石に私でも、霊魂を見ただけでは、それが誰なのかはわかりません。
 でも、半霊を通して流れてくるこの気配、雰囲気。
 それは間違おう筈もない、あの人の気配。
 顕界で何度も出会った、紅魔館にいたあの人の気配。
「また、あなたを感じる事ができるなんて…。」
 私が手を伸ばすと、その霊魂は私の手に納まるようにゆるりと寄って来てくれました。
 しかし、ふと思いました。
「貴方は、どうしてここに来れたんですか?」

 人間の死後の行き先を決めるのは閻魔様。あの方です。
 いくらここに縁があったとしても、本人が望んだところで、ここに閻魔様が来させてくれるとは思えません。
 いくら私たちが旧知の仲でも、公平な裁きを行う閻魔様が計らってくださるとも思えません。

 そこまで考えて、私は今になって思いました。
 死後の行き先が、何故この冥界も含め、地獄、天界から選ばれるのか。
 その理由を私は全くといっていいほど知らない事に。
 なんと言うことでしょう。
 そんな事すらも知らずに冥界にいたなんて…。
 それもこれも、あまり私に物事を教えてくれない幽々子様が悪い!
 結界の事もずっと教えて下さらなかったし!
 あぁ、もう!
 いつもふわふわしていてつかみ所のないあの方だけど、今回ばかりはガマンできない。
 こんな無知では…、あの方の従者なんて、とてもではないが務まらないではないか!

 いや、でも…。
 私は、先ほどの幽々子様の言葉を思い出しました。
「自ら、知らなくてはならない…。」
それは、この人がここに来たこと、いずれ皆もこちらに来るであろうこと。
 …それだけではないのです。
 冥界の存在する意味、冥界の存在する理由。
 そして、この人たちが何故ここにいるのか。
 まだなにも知らない私は、もっと、もっと、いろいろなことを知らなくてはならないのです。
 そうしないと、いつかここにやってくるであろう他の皆に、このままでは合わせられる顔がありません。
 あぁ、幽々子様のおっしゃられていたことは正しかったのですね。
 そう、ここはまた賑やかになります。
 そしてそれを、私はただ待っているだけではダメなのです。
 明日からはまたいっそう忙しい日々になりそうです。

 気が付くと、私の頬はまた濡れていました。
 そんな私を慰めるかのように、彼女はゆるりと私の周りを漂います。

(また、逢いましょう…。)

 そんなアノ人の声が聞こえた…ような気がしました。そして彼女は去っていきました。
「また…、また、こうして逢えるんですよね…。」
私は半霊と、彼女の霊魂を見送りながら一人つぶやいていました。


・・・・・


 何故、冥界があるのか。

 死んだ後の魂が行き着く場所は、地獄も天界もある。
 その中で冥界が地獄と天界と違う事。
 それは、冥界は再び転生の輪を巡るまでの、ひと時の休息の場である事。
 再び顕界へ還った魂は、またここへやってくる事。
 輪廻の環の中に在り、生を終えた魂を受け入れ、また新たな生へと魂を送り出す事。

 しかし、もし冥界の結界が希薄だったなら…。冥界と顕界との境界が希薄だったら…。
 冥界は冥界としての役割を十分に果たせないことになる。
 それはただ、死者を迎えられないというだけではなく、輪廻の環にあるべき魂がその環の中を廻ることが出来ないことになってしまう。だから、冥界の結界、境界はなくてはならない。

 そしてさらに、妖夢は自身の事も知らなくてはならない。
 半人半霊というその身は、生と死の境界すらも無効化する、という事。
 彼女の前に冥界の結界は意味を成さないという事を。
 しかし、ソレが特異点と成りうるコトも。
 それ故かつて閻魔に下界に行過ぎることを咎められていた。

 それらの事を妖夢が理解するのは、いつになるのだろうか…。


・・・・・


 すっかり暗くなった庭先にスゥっとスキマが開き、そこから紫が顔を出した。
「幽々子?いる?」
紫は辺りを見回す。
 と、視界の隅には望まずとも、庭の奥に鎮座する枯れた大木が入ってきた。
 紫はほんの少し目を細める。表情の変化はそれだけ。しかしその中に生まれる感情は、普段の飄々とした様子からは想像も出来ないほど、はっきりとした憎悪…。
「あら紫。いらっしゃい。」
「来たわよ。」
 背後からの幽々子の声に反応して振り返った紫からは、先ほどまでの気配は完全に無くなっていた。

「今日はお疲れ様。」
 幽々子は紫のために、とっておきのお酒を用意した。
「ええ、ホント疲れたわ。」
紫は、は~っと息をつきながら幽々子のお酌を受けた。
「これで、結界もかなり強固なものになったわ。
 あんたが本気で破ろうとでもしない限り、破られることはないでしょうね。」
「私がそんな面倒な事するとでも思う?」
「しないわね。」
クスクスと二人は笑いあった。


 しばしの間、二人は黙々と杯を傾けていた。
「そうそう。」
「ん~?」
 やがて、頬が桜色に染まった紫が唐突に切り出した。
「私、しばらく眠る事にするわ。」
「もうねちゃうのぉ?」
 トロトロにとろけそうなくらいに酔いが回った表情の幽々子は、呂律も回らない、いつも以上にトロトロな口調になっていた。
「今回の結界強化で無理が祟ったみたい。ちょっと長めに眠ることにするわ。」
「そぉ…。おやすみなさい~。」
「そんなわけだから、今のうちに私の事しっかり覚えておきなさい。」
「そうするぅ~。」
そう言うと幽々子はギュッと紫に抱きついた。


「…それで?」
 そのまま、どれくらい経っただろう…。
「ここを閉め切っちゃって、あとはどうするの?」
紫は幽々子に問いかけていた。
「どうするもぉ、こうするもぉ、このままぁ、あるがままよぉ」
「このままって…、妖夢はどうするつもり?」
「どうするもぉ、こうするもぉ、このままぁ、あるがままよぉ」
すっかり酔っているせいか、幽々子の返事は要領を得ないものばかり。
「締めきった冥界に、半分は生きているあの子を閉じ込めておくつもりなの?」
「どうするもぉ、こうするもぉ、このままぁ、あるがままよぉ」
 そんな返事とも言えないような返事を残したまま、突然幽々子は立ち上がるとふわりと庭に下りる。
「ちょっと、何処行くのよ?」
「うふふ…。」
 笑いながら、くるくると回りながら、なんだか矢鱈と楽しそうに、幽々子は庭の奥へとゆっくりと、吸い込まれるように入っていった。
 くるくると回る幽々子。
 紫の言葉も、伸ばした手も届かないように。


 くるくる、くるくる…

 それはまるで、舞を舞うかのようで…。

 くるくる、くるくる…

 その舞は鎮魂の舞い。
 かつて桜が死者を慰めるために植えられたように。
 幽々子の舞もまた、死者を呼び、慰めるかのようで…。

 くるくる、くるくる…

 それはまるで、ひらりひらりと紫の手から逃れようとする、幽々子という名の蝶のようで。
 その蝶は、ただ自分の止まる所を求めて飛び回る。

 くるくる、くるくる…

 狂る狂る、狂る狂る…


「そんなに奥まで行って…。何をしているの…。」
 ゆっくりと紫は、奥へとずんずん進んでいく幽々子を追っていた。
 酔った幽々子を放ってはおけない紫だったが、あまり庭の奥には踏み入りたくはなかった。
 なぜなら庭の奥にはあの樹があるから。
 だから紫の言葉にも、いつもの余裕がなかった。

 やがて、疲れたのか、目が回ってしまったのか、庭の奥で、呆けたように空を見上げたまま立ち止まっている幽々子を、ようやく発見した。
「すっかり酔っているわね。戻るわよ…。」
それでもなお、幽々子は紫の声が聞こえていないかのようだった。
「幽々子、戻るわよ。」
もう一度、幽々子の名を呼びながら、紫は近づいていった。
「戻りましょう…。こんな場所では折角のお酒が醒めてしまうわ…。」
「…そうねぇ…。」
 穏やかで居られない心境の紫とは対照的に、相変わらずの穏やかな微笑みで、幽々子は空を見上げていた。
「…あのこのこともぉ、このままにはぁ、しておけないものねぇ…。」
「あの子?」
「あなたもぉ、しんぱいしてくれたじゃない~。」
そういって、幽々子は再び紫の方へ向き直って微笑む。
「あのこもぉ、いつまでもぉ、ここにとじこめておくわけにもぉ、いかないものねぇ~…。」
 そこまで聞いて、ようやく話が戻ってきたことに紫は気づいた。
「えぇ、そうよ。どうするつもりなの?」
「…そうねぇ…。」
しばらく考えた様子を見せた後、幽々子は
「…あなたにぃ、おねがいしようかしらぁ?」
と答えるのだった。
「…何を言っているの、あなた…。」
あまりに無責任な幽々子の回答に、紫は呆れながら答えた。
「やっぱり酔っているのね…。」
「…えぇ…。…だってぇ…。」
微笑みながらうなずくと、さらに続ける。
「…ここもぉ、いつまでもあんぜん、というわけでもないものねぇ…。」
「…え…?」
突然幽々子が始めた話に、紫は呆気にとられていた。

 ここもいつまでも安全ではない。
 幽々子はそう言う。
 それはまさに紫も懸念している事。

 外界との交流をほぼ完全に断ち切った、これからの冥界。
 常に死に触れ続ける冥界の中で「あれ」を封じた結界が、いつ破られるとも知れない。
 もしそうなったとき、真っ先に危険に曝されるのは、冥界で唯一生きている存在となった妖夢であることは明白だ。
 仮に妖夢が無事だったとしても、今の妖夢と幽々子の力だけでその異変を解決できるだろうか。
 もはや生きているものが入ってくるには、紫のような結界…境界を越えるような能力でも無い限り不可能となっているこの冥界の中で、誰かの力を借りるなりしてその異変を解決するのはほぼ不可能である。
 紫が眠っている間にそのような事態になったとき、どうすることもできなくなってしまうのではないか。
そう思うと紫としては、力を回復するためとはいえ、のうのうと眠ってはいられなかった。
 それに、なにより…。

「…それにぃ…。」
そんな紫の思考を遮るかのように、幽々子は続ける。
「…このこもぉ…、いつまでもぉ、このままにはしておけないものねぇ…。」
そう言いながらゆっくりと、幽々子は後ろを振り返る。
「…幽々…子…?」

 その時になって紫は初めて気づいた。
 幽々子の背後に佇む存在に。


 西行妖。


 かつて、ここが冥界となる前に、多くの生きているモノを死に誘った存在。
 かつて、紫の友人が封印した、力を持ちすぎた妖樹。

 いくら酔っているからとはいえ、いくら幽々子を追っていたからとはいえ、忌み嫌うこの樹の前に、のこのこやって来てしまった事に、紫は動揺を隠せないでいた。
(いや、まさか、この木に誘われた?)
 封印されている今なお、生きているモノを己が下へ誘うその力は健在だというのか。
 ギリ…。
 知らず奥歯を噛み締めていた。
 確かに紫は、かつての友人を奪ったこの西行妖を許せなかった。
 しかし、それ以上に許せなかったのは、無力だった自分だった。

 あの時。
 西行妖が封印されたとき。
 結果として、確かにあの木は封印された。
 しかしそれは、友人の命という犠牲を払った上ので、最悪の結末。
 その時その場にいた自分は、結局何もできなかった。あの木を前に無力だったのだ。

 そして今また。
 西行妖の前に、無防備に無力なこの身を曝している。

 この程度で、何が「幻想郷の大妖怪」か!


 そんな思いに陥ってしまうから、紫はこの木の前には来たくなかったし、居たくもなかった。
「幽々子、戻るわよ。」
強引にでも邸に連れ戻そうと、紫は幽々子の腕を掴んだ。それでも幽々子は動こうとはせず、まるで紫に気づいていないかのように、西行妖を見上げたまま一人呟いた。
「このこもぉ、のぞんでこれほどのちからを、えたかったわけでもないのでしょうにねぇ…。」
 西行妖は、元々ただの見事な桜だった。それが人を死に誘うようになった事に、何者かの意思があったわけではないし、西行妖が意思を持った訳でもない。
 ただ、多くの死を吸い上げすぎただけ。
「そうは言ったところで、この木が危険である事には変わりないわ。」
「…そうねぇ…。」
ふっと、また一息ついて、幽々子は続けた。
「このこも…、また、めざめるかも、しれないものねぇ…。」
「…幽々…子…?何を…言って…。」
 紫は血の気が引いていくのを感じていた。
 今の幽々子が、西行妖についての記憶を持っているはずは無い。
 なのに、西行妖は危険で、「再び」目覚めるかもしれない、と言う。
 「再び」。
 それは「以前」を知っていなくては言えないセリフ。
「このこがもし、ふたたびめざめれば…、あのこも、ただではすまないかもしれない…。」
「だからこそ、この冥界を閉じてしまって、その後はどうするのか聞いているんじゃない。」
つい、語気に力が入ってしまう。

 万が一、西行妖が再び目覚めることになれば…。
 「アレ」は、多くの生きたモノを死に誘うことになるだろう。
 かつてのように。
 かつて、紫は西行妖を前に己が無力さを味わった。
 もし、今度このような事が起こるなら。
 例え眠りの最中であろうとも、自身の力が十分に回復していなかったとしても、なんとしてもこの冥界に駆けつけなくてはと思っていた。
 あの時、その身を犠牲にした友人に誓って…。
 眠っている間に、そのような事でこの冥界が取り返しのつかない事態になってしまうくらいなら…。
 あの時と同じ悔しさを味わうくらいなら…。
 例えこの身がどうなろうとも。

 そしてそれは恐らく妖夢とて同じ事。
 あの子の不器用なまでの真っ直ぐさは紫も承知している。
 もしここで異変が起こったとき。
 主である幽々子を置いて、異変に背を向けるなど、あの子がするはずがない。

「…だからぁ…。」
 フワリと。
 そう言うと、幽々子は微笑みながら紫に近づき、その頬に手を伸ばす。
「…あなたにぃ、おねがいしているんじゃない…。」
「……ぁ…。」
 紫は小さく呻いていた。
 その微笑が、あの時の微笑みに重なったから。


 幽明の境界をハッキリさせ、冥界に生きたものが入れないようにする。
 それができるのは、紫だけ。
 そして、現在西行妖に掛けられているの封印とで、二重の封印とする。
 それでもなお、西行妖が目覚めようとするなら。
 冥界が、本当に死の世界と化す前に、強引にでも妖夢を安全な場所に連れ出す。
 それができるのは、紫だけ。
 だから、幽々子は紫にお願いをする。
 そして、紫にも生きよ、と言う。


 なんて残酷なお願いを幽々子はしてくるのだろう…。


 かつて、西行妖を封印する時も。
 彼女はこんな風に微笑んでいた。
 西行妖を背に。
 そして、紫にも生きよ、と言った。

 紫はあの時のような思いは、もう絶対にすまい、と今しがた誓ったばかりなのに。
 その幽々子によって、あの時の繰り返しをさせられるなんて…。

 足に力が入らない。
 スルリと、差し伸べられた手をすり抜け、紫はそのまま足元から崩れ落ちる…。
 それを、優しく抱きとめたのは幽々子だった。
「…どうしたのぉ?…よっちゃったのぉ…?」
「…えぇ、すっかり…、酔いが…、まわってしまった、みたい…。」
その幽々子の肩を掴みながら。幽々子の胸にその顔を埋めながら。紫は途切れ途切れに答えるのだった。
「あんたって、子は…、ほんとうに…、ズルい子ね…。」
「…いまごろきづいたのぉ…?」
「…えぇ。…今度という、今度は…。はっきりと…、思い知らされたわ…。」


 優しく二人を撫でる風に、桜の花びらが舞う。
 それは幻の桜。
 二度とその花を咲かすことはない、その桜の大樹は、
 幻の花を舞い散らせながら、
 ただ、そこに、
 ただ、二人をその下に抱きながら、
 何をするでもなく、ただそこに佇むだけだった…。



・・・・・



「お嬢様、お客様です。」

 特に何をするでもなく、私は外の景色を眺めていた。ただ流れ行く時の流れは退屈の一言。
 こんなにも時間が退屈だと感じるのは、一体どれくらいぶりだろうか…。
 このような時間が訪れるのは、分かっていた。分かってはいたが…。
 無意味に流れてゆく時間に、私は耐えられなかった。

 そんなある日の事だった。

「…客?」
来客なんて一体誰だろう、と思うが、まあ退屈していたしちょうどいい。
「…いいわ、通しなさ…。」
「あ、お客様!?」
「いいじゃない、お通ししなさいって言われたんでしょ?」
「…え?」
 この声、まさか、と思うまもなく。
「はぁい、お久しぶ…り…。」
「八雲…紫…?」
 お互いのセリフが最後まで続かない。
 メイドを押しのけ姿を現したのは八雲紫。
 ずっと前、冥界の結界を修理したあと、それ以来長い冬眠に入ったというのは聞いていた。だから、あまりにも唐突な紫の登場に私は言葉を失わずにはいられなかった。まったく、このスキマは相変わらずである。
「あなた…レミリア?」
 と、そのスキマがなにやら驚いている。
 ああ、そうか。紫が眠りに就いた頃とはもう違うのだった…。
「どう?もうあなたとあまり変わらないわよ?」
そう言って胸を反らしてやった。

 あの出来事からしばらくして…。私の体は変化した。成長した、と人間風に言うこともできるだろうか。もはや「幼い月」の二つ名はふさわしくない背格好となっていた。
 「永遠」の私は、永遠を放棄し、「変化」を受け入れた。
 そのときパチェには「あなたらしいわ」と言われた。
 昔のあなたからは想像もできないけどね、とも言われた。
 確かにその通りだ。
 外見だけではない。私の心はもう、とおの昔に変わってしまっていた。
 そう、あの子達に出会ったあの時から…。
 でも、そんなあの子達も、もう居ない。散々私を変えておいて、私を置いて先にいってしまった。無責任にも程がある。


 バルコニーでお茶を飲みながら、久方ぶりに目を覚ました紫に最近のことを話す。
 と言っても、私もここ数十年、食事に人里近くへたまに下りることがあるくらいで、ほとんど館の外には出ていなかった。そのためしばらくで話題は尽きてしまった。

「…退屈そうね…。」
 おもむろに紫が口を開いた。
「当たり前じゃない…。」
私は即答した。
「ねぇ、そんなに退屈なら…。」
 紫の方を見る。ああ、あの顔はまたロクでもない事を考えている顔だ…。
「博麗結界をブチ壊してみない?」
「何を言っているの?」
「あら。私や貴方の力を以ってすれば出来なくはなさそうよ。」
「やらないわ、そんな事。」
 やっぱりスキマの言い出すことはロクでもない事だった。
「張り合いが無いわねぇ。」
「あの結界を壊す?バカな事言わないで。」
そのニヤケ顔からそんなバカげた発言があったかと思うと腹が立ってくる。
「それがどういう意味だかわかってて言ってるの?」
「…分からないわけ、ないじゃない。」
今までニヤけていた紫の顔から、笑みが消える。
「あの子達を否定するようなマネ…。できるわけ無いじゃない…。」

 あの結界を代々守り続けてきた博麗の巫女。そしてまわりの人間達。
 あの結界を壊すと言うことは、これまでその結界を守り続けてきたあの子達を否定することに他ならない。
 別に博麗の巫女の為にそう言っているわけではない。たまたま、私たちが知っている、私たちを惹きつけてやまなかったあの子が、博麗の巫女としてあの結界を守っていただけであって、あの子が巫女じゃなかったとしても、私はあの子の存在を否定することなんて、もう出来ない。
 したくない…。

「なんだ、始めっからやる気なかったんじゃない。」
「当然でしょ?」
そういう紫はまたニヤけた顔でこっちをみていた。


「さて、今日はそろそろ帰るわね。」
「あら、もう?夜はまだまだ長いのよ?」
 紫がそういって立ち上がったのは、まだ妖怪の出勤時間からさほど時間も経っていない頃。
「あなたにとっては「まだ」かもしれないけど、私にとっては「もうすっかり」夜なの。」
「だめねぇ、寝てばっかりの妖怪って。」
「えぇ、もうダメだわ。」

 紫の方を見た。しかし紫の方はいつもと変わらぬ様子で、のほほんと立っていた。
「あの結界の修理をしてからずっと寝ていたけど…。もうあんまり無理はできないみたい。」
「…そう…。」
紫の口からそんな話を聞かされるなんて思ってもみなかった。
「あー、もう。しんみりしないの。空気が悪いわ。」
「そうさせたのは誰よ?」
「あら、私はただ私の事を言っただけよ?」
夜には必要ないはずの、差したままの日傘をクルクルと回しながら紫は言った。

「それじゃ…。」
不意にそういうと紫はクルリと背を向けスキマを開いた。
「それじゃ、楽しい夢でも見るために、寝るとしますわ。」
「妖怪の見る夢って楽しいものなのかしら?」
 あいにく、私は夢と言うものを見たことが無い。眠っている間に見ると言う幻想。その中に果たして、あの子たちは出てきてくれるだろうか。私にとっての幻想…。
 振り返りはせず、でも顔だけはこちらに向けて紫は答えた。
「さぁねぇ…。人間にとっては楽しくもない、それはそれは妖しい夢かもしれないわね。」
「私は人間じゃないわ。貴方もね。」
「じゃぁ…、楽しい夢なのかもね。」
「人間にとって楽しくない、妖しい夢も、貴方にしてみれば楽しい夢になるのかしら?」
「さぁ?」
肩をすくめるような仕草で紫は続けた。
「少なくとも、そんな妖しき夢は、私たち妖かしのための夢じゃなくって?」
「なに、その屁理屈。」
 ひとしきり笑った後、紫は今度こそそれじゃ、とスキマにその身を滑り込ませた。

 そして、音も無くスキマが閉じる。


 急に静寂に支配された空気に耐えられず、ふと空を仰ぎ見る。
「…何よ…。なにもこんな夜に来なくてもいいじゃない…。」
空の月は満月からやや欠け始めた形をしていた。

 私は、久しぶりに自分の足で食事を探しに出かけることにした。
 数十年前、あの子と出会ったときと同じ形、変わらぬ輝きを見せる月の下…。


 我が名はレミリア・スカーレット。
 運命を操る程度の能力を持つ吸血鬼。月の下に舞う夜の王なり。
 しかし、今宵ばかりは、その能力を行使することなく歩みを進めてみよう。
 はたして今宵の散歩に現れるのは何者か…。


ご無沙汰しております、チッタと申すモノです。ちなみに名前は「ひらひらチッタ」です。…どーでもいいですねw

ふと「冥界の結界って、修理終わったのかなぁ」とか思っていたら幻視しました、今回のお話。
正直、このような終末的なお話は暗くて苦手です。「幻想」に終わりを持ってくる事自体、蛇足な気もしてしまいますし。
でも「東方」のストーリーやBGMを聞いていると、どうしてもこういう終末的なイメージが切り離せないのです。終末的というか、脆さ、儚さと言うんでしょうかね。こういうものが常に付きまとうような気がします。
テーマが大変難しいので、まとめるのになかなか難儀しました。
でもやっぱり、幻視したこの話を皆様にも見てもらいたいと思い、がんばって書き上げました。
最初の幻視から1年ほどかけて(長すぎorz…)。

今回の話では、妖夢がなんだか何も知らなさすぎな感じに見られた人もいるかもしれません。
花映塚での会話を聞いていると、あの時の妖夢はまだ冥界の事とかあまり知らないかな、と思っています。で、そのまま来ちゃってるっぽいです。でも、この話の妖夢はさらに他にもいろいろと肝心な事とかまで忘れてもいそうな感じです(汗)。

あと、このお話を書いていて思い出したのが、劇場版「ドラえもん のびたと宇宙開拓史」でした。
ラストの、時空を越える扉の前でのシーン。もう二度と会えないかもしれない。それでも皆が笑顔で別れるあのシーンには、子供ながらに涙したものです。そんな、扉を閉じるシーンを思い出しながら、冥界の門を閉じてもらいました。
どうか、この話を読んだ皆様にも、そして妖夢にも、このエピソードが、あのシーンのように皆が笑顔でいられる思い出となりますように、
妖かしたちの見る終わらない妖しき夢、ここにお送りします。

それでは、長々とお付き合いいただきありがとうございました。
平々チッタ
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コメント



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7.90れふぃ軍曹削除
最初こそは少し違和感を感じましたが、すぐに引き込まれるように夢中で読ませて頂きました。
盛り込まれた独自解釈や設定が、上手く物語の雰囲気や、公式設定への伏線として際だたせていると思います。(紫や幽々子の過去や、レミリアの二つ名など)
それぞれのキャラの後日談が気になる所ですが(特に妖夢)が、まあそれも「言わぬが華」というやつなのでしょかね?(笑)

総じて素晴らしい作品だと思います。貴方の今後の作品にも期待させてください。