紅魔館の門番は完全で瀟洒だった。
「あら、魔理沙。いらっしゃい」
十六夜咲夜の両手には既に幾本ものナイフが握られている。
霧雨魔理沙が一瞬呆然とした時には、もう咲夜の手にナイフはない。
虚空に浮かび上がった無数の刃が、銀色の雨と化し白黒の魔法使いへと降り注ぐ。
「うっ、撃ったな!?」
「ええ。門番は常に先制あるのみですわ」
「話が違うぜ。お前の仕事は私にお茶を淹れることじゃないのか?」
しかしなぜか今日の完全で瀟洒な従者が振舞ってくれるもてなしは、問答無用の先制弾幕である。
湖面には幾百幾千にも及ぶ小さな波紋が穿たれ、その跡をかき消すように魔理沙が水飛沫を上げて駆け抜けていく。
常ならば湖面に映るのは虹色の彩光のはずである。こんな殺風景で物騒な弾幕ではない。
魔理沙は自らが乗る箒を立てて、水面を掃くように振るった。一際派手な水飛沫が跳ね上がる。仄かに虹が架かるが、それすらもナイフに切り裂かれ塵と化す。
ターンを決めて方向転換に成功した魔理沙はすかさずマスタースパークをぶちかまし、ナイフの嵐を洗いざらい薙ぎ払いはたき倒した。
圧倒的な魔力の奔流によって気化した水分が濃霧となり、二人の間を漂った。
視界を遮る霧をレーザーで払い飛ばした魔理沙は、ミニ八卦炉に魔力を再充填。完全で瀟洒なニクイ奴を睨みつける。
「わかったぜ。撃たれたからにはお前が動けなくなるまで動いてやる!」
「動けなくなれば休むわ。だからあんたの気が済むまで付き合ったげる」
「美鈴に暇を出したのよ」
「なるほど」
動けなくなるまで動いた魔理沙は、危うい調子で宙に浮く箒になんとかしがみついている状態だった。
咲夜は湖に落ちてずぶ濡れになった三角帽子を、魔理沙に渡してやる。
「そういうわけで今日は私が門番」
「いや、だからってお前が門番する理由にはならんだろ」
「まあ、そもそものワケがあるの」
咲夜いわく、昨夜、食事中に彼女と美鈴との間でこんなやり取りがあったらしい。
『そもそも、メイドさんの方が門番より強いって何か間違ってませんか?』
『そう?』
『それで済ませちゃ会話が続かないじゃないですか~』
まあそれもそうであるが、歴然とした紅魔館内でのパワーバランスである。事実である。
咲夜自身としての意見を言わせてもらうなら、主の傍で常に仕えるのがメイドである。主が何よりも大切である以上、主の傍に最強のカードを置くのは当然だと思うのだが。
『やっぱり私のような木っ端妖怪じゃあ紅魔館の門番というお仕事は務まらないのでしょうか……』
両手の人差し指をつんつんしている。
咲夜としては別に美鈴の仕事に文句はない。
まあ確かに週に少なくとも一度は白黒の魔法使いがやってきては、美鈴をぶちのめしているわけだが。
しかし別に魔理沙は素通りさせてもいいんじゃないかなーとか咲夜は考えている。
無害であるのは証明されている。いや、少々盗み癖はあるものの、レミリアに被害が及ぶわけでもなし。
『あなたの強弱なんて瑣末事よ』
『えぇっ』
『だって木っ端妖怪(自称)でしょう?』
レミリアに被害が及ぼせる者が本気で紅魔館にやってきたと仮定すれば、咲夜ですら勝てるかどうか怪しいのだ。美鈴など有象無象だ。
美鈴が涙目になっている。なぜだ。慰めたつもりなのに。
別にこのまま放っておいてもよい気もするが、美鈴はきちんと仕事に使命感を持っている珍しい妖怪だ。
このまま変に気落ちされ、突然『辞めさせていただきます』などと言われるには少々惜しい人材ではある。
従者を束ねる者として、一人一人のメンタルケアに気を配ることも大切なことなのだろう。
咲夜はそう考えたので、美鈴に言ってあげた。
『じゃあ、暇をあげるわ』
『はい?』
『だから暇よ』
『……ま、まさか』
美鈴は疲れているのだ。
思えば毎日毎日頑張ってくれているのにその辛苦を労ってやることもなかった。反省だ。休暇くらい必要だろう。
温泉にでも浸かって気をほぐせば魔理沙にだって勝てるかもしれない。かもだが。まあ無理だろう。
おっと、しかし文無しで出してやるわけにもいかない。
『これは心ばかりだけど』
咲夜は少しばかりのお金を入れた包みを美鈴に受け取らせる。
うなだれた美鈴の肩が震えていた。そんなに嬉しいのか。つくづく悪いことをした。しかしいいことをしたとも思う。
『心配しないで。白黒がやってきたら私が追い払っておくわ』
『う……』
『う?』
『うわああああああああああん』
泣いた。
出て行った。
ご飯もまだ全部食べてないのに。
というか、別に今から出かけなくてもいいだろう。そんなにつらかったのだろうか?
まあ、美鈴の自由である。事後承諾になったが、レミリアも許してくれるだろう。
そうして、完全で瀟洒に咲夜は夕食を続けたのだった。
「そういうわけで、あなたをぶっ飛ばしたのはアレよ。美鈴の仇」
「仇討ちは目下の者しかやっちゃダメなんだぜ」
「細かいことは気にしなくていいわ」
「あーそれと、もう一つ細かいことを言わせてもらうならな」
ミニ八卦炉に晒して帽子を乾かしていた魔理沙は、よれよれになったそれを被り直す。
「中国の奴、勘違いしている気がするんだが」
「そうかしら」
「ああ違ったな。すまない」
「あらいいのよ」
「お前が勘違いしているみたいだ」
「失礼ね。私がまるで馬鹿だって言ってるみたいだわ」
「手っ取り早く言うと、門番、解雇されたって思ってるんじゃないのか? アレ」
咲夜は昨夜の美鈴の様子を思い出してみた。
少女回想中...
「ああ……そうかもしれないわね」
「というか、気づけよ。その時に」
「プラス思考なのよ」
「足し算ばっかりじゃパンクしちまうぜ」
「あら、時間はどこまでも足し算しかないけれどパンクするのははるか先だわ。
って、こんなこと言ってる場合じゃないわね。美鈴を回収しないと」
「アイテム扱いか」
戯言や虚言しか口にしない魔理沙を放っておき、咲夜は門番探しの旅に出かけることとした。
あ、でもお嬢様の許可取らないと。取れなかったらどうしよう。
まあ、その時はその時でいいかな。
美鈴が行きそうな所、というのが思い浮かばなかったので、とりあえず咲夜自身がよく行く所から当たってみることにした。
「I MY 3センチ♪ そこでボムっとこかい! ちょっ!」
人里を目指して飛んでいると、ハードな歌声がどこからともなく聞こえてくる。
その歌声を聞いていると昼間だというのにどうも視界が狭まる。方向感覚が狂うというか。
飛行の邪魔である。
犯人の目星が付いたので、歌声の発生源めがけてナイフを投げてみる。
「うわっ! 何よ! 私は食べ物じゃないわよ!」
「鳥肉が何言ってるのよ」
「で、出たっ、メイド人間!」
屋台の下に隠れていた夜雀は、手にしていた金串を突き出して、飛び出てきた。
「な、何? やるっての!?」
「忙しいからやめにしときますわ。それより調度いいわ。美鈴知らないかしら」
「誰それ」
「ウチの門番」
「あんたんとこの門番は来てないけどあんたんとこの元門番なら来たわよ。昨夜」
「ほう」
ミスティアは栓をしたままの酒瓶をひったくり、らっぱ飲みする仕草をしてみせた。
「ひどかったわよ。こう、がばーっと」
「ひどいわねぇ」
そんなことのためにお金を渡したんじゃないのに。
見つけたら一発シメとこう。
「いや、らっぱ飲みまではしてないけど。手酌で」
「はしたないことに変わりない」
「でも大して飲めなかったみたいで『一升瓶持ってこーい!』って言ったくせに半分も空けないうちに撃沈」
「龍もへべれけに酔ってやられる世の中なんだから、あの子に至ってはどうしようもないでしょうねぇ」
「捌いて焼いてやろうかと思ったけどなんの肉かわかんないからやめたわ」
「珍味かも」
「で、その珍味をどうするつもりだったの?」
だんだん捌いて焼いてやってもいい気もしてきたが、初志貫徹である。
ナイフを構えた。
「あの珍味はウチの珍味よ。さあ、隠さず出しなさい」
「うわっ、弾幕反対! 店が壊れる!」
「壊されたくなかったらさっさと出すのよ」
「ないものは出せません。屋台の上で干していたら夜中のうちに目ぇ覚めて、平謝りしてからどっか行ったわ」
「そのどっかを教えてもらえないかしら」
「どっかよ」
役立たずめ。腹いせにこいつを捌いて焼いてしまおうか。
否、時間の無駄か。レミリアから貰った暇は今日いっぱいである。
確かにメイド長と門番がいない紅魔館の防衛力は著しく下がってる。そんな期間を長くしておくわけにはいかない。
何せ、防御力が下がれば攻撃力が突出する。比喩ではなく血の雨が降るだろう。洗濯物が悲惨なことになる。
ナイフを引っ込めた咲夜は、予定通り人里へと向かうことにした。
と、空中に浮かび上がったとたん、足下から声をかけられる。
「な~んか知らないけど、門番いじめるのもほどほどに~」
「別にいじめてないわ」
いやホントに。
まあ、今回の件について仕置きは必要かもしれないが。
人里に到着したので、咲夜は聞き込みを開始することにした。
紅色で虹色で中華な奴を見なかったかと聞いてみたのだが、どうもいい答えが返ってこない。
ここは一つ、コネを使って情報通に聞いてみるとしよう。
「……ずいぶんと大きな生徒が来たもんだ」
「こんにちわー、先生」
寺子屋で教鞭を振るっている真っ最中だった上白沢慧音は、しっしっと口にまで出して手を払う。
「一言で言うと邪魔だ。後にしてくれ」
「せんせぇー、誰ですかぁーこのお姉さん?」
「私知ってる! この人メイドさんだよ!」
「メイドって、アレ? 死んだら行くっていう――」
「そりゃ冥土だ! いいから黙れお前ら!」
「どうしたんですかけーねせんせぇー? もしかして、この人、せんせーの恋人さんですか?」
だんっ
慧音の帽子が、机の上に叩き落とされた。
「黙れ」
寺子屋が静寂に包まれた。
紅魔館の図書館でも、こう重苦しい静けさは漂っていない。
顕にされた慧音の頭頂が何を現すか。咲夜は知らないが、まあなんだか複雑な事情がありそうである。
「せっかく作ってくれたお時間なので有効に使わせていただきますわ。お教えいただきたいことがあるの」
「お前のために静かにしたわけじゃない」
「ウチの門番を探してるの。紅色で虹色で中華なのよ」
「知らん。他を当たれ」
「今知らなくても、そこらの歴史を食べればわかるんじゃないかしら」
「……お前、私を百科事典だと思ってないか?」
「あら、違いますの?」
索引に少々手間取るが。
慧音はため息をつく。
「とにかく待て。授業が終わったら付き合ってやる。……が、その前に話がある」
「お聞きしますわ」
「生徒たちに聞かれたくない。私はこいつらの前で無闇に自分の能力を使いたくない。お前がなんとかしろ」
「はぁ」
面倒だが、協力の交換条件と考えれば仕方ない。
慧音と咲夜の周囲だけ、時間を止める。寺小屋に漂う空気はもはや静寂ですらない。
「メイドとは主の傍に仕え、様々な小用を片付けるものと記憶している。
そのメイドがなぜ主の傍から離れ、門番如きを探しているんだ?」
「ストライキ――じゃあないわねぇ」
「事情を言え。言わなかったら協力してやらない」
交換条件がモノだったりする場合より、厄介な奴だ。
咲夜は口を割るか否か、少し逡巡した。
明日になれば必ず過去のこととするつもりだが、一時期紅魔館の守りが手薄になってしまったという事実は、それこそ目前のワーハクタクでもない限り、消せない。
貴族とマフィアはよく似ていると咲夜は思う。どちらも面子が命だ。舐められたら終わりなのである。
貴族もマフィアも庶民を脅せるくらいの力を持っていることは事実なのだが、それを庶民に向けて行使した時点でおしまいなのだ。
力を使わないで、力を見せつける。それを常に維持するのが貴族の、貴族の従者の務めである。
つまるところ、このワーハクタクを下手に信用し、今回の咲夜のミスが幻想郷中に露呈するのは割とマズイということだ。
そこまで考えて、咲夜は自分の考えが無駄だったことに気づいた。
慧音の能力は歴史を喰う程度の能力だ。どっちみち気づかれる時は気づかれる。防ぐ手立てはない。
すぐさま気づくべきことであった。反省だ。
「わかった、話すわ」
たとえ幻想郷に終わりの日がやってきたとしても、この神社だけはどこまでものんびりしているだろうなぁ、と咲夜は思う。
妖怪からは歯牙を抜き、人間からは浮世の情を引っぺがすこの空気は土地によるものか、はたまた主の人柄によるものか。
咲夜は博麗神社も巫女も嫌いではない。が、この場所、あの巫女と長く付き合っていると、従者としての立場を忘れがちになる。
あまりそれはよくないと自戒はしているので、手っ取り早く用件は済ませることにした。
「霊夢、いる?」
「新聞ならいらないわよ」
湯呑みを片手に、眠そうな目をした博麗の巫女が襖を開けて現れる。
「うちの門番がここに来たって百科事典から聞いたわ。まだいるかしら」
「来たわよ。けど割と前」
「どこへ行くか聞いた?」
「魔理沙のとこだって」
「ありがとう」
踵を返す。
霊夢があくび混じりに呟いた。
「あんたが焦っているのを見るなんて初対面の時以来だわ」
「あら、私はゆとりを忘れたりなんかしないわよ。次の春に頭から新茶の芽が出てきそうな貴方ほどではないけれど」
「それならお茶の一杯くらい出すわよ。お菓子もあんたんとこの門番が持ってきてくれたし」
神社の中にすっこんだかと思うと、片手に菓子折りをひらひらさせて出てきた。
挑発なのだか天然なのだかよくわからない巫女である。
咲夜は特例で自戒を少しゆるめることにした。気分転換には調度いいだろう。
霊夢の言うとおり、少々短気になってきている気がする。人(妖怪だけど)探しの際に判断を誤るのはよくない。
幸い咲夜は潰してしまった時間も後からある程度調節することができる。文字通りの意味で。
「これ何? 月餅?」
「大陸のお菓子ね」
「……こういう趣味してるから中国って言われるんじゃないかしら」
菓子折りの中に詰められた中華饅頭は独特の照り具合をしており、甘い匂いを漂わせていた。
一つつまむ。
「うちの門番は菓子折り持ってきて何言いにきたの?」
「なんだっけ。昼寝していた途中に起こされたからよく覚えてないわ」
「貴方のことだから機嫌悪くして弾幕でも飛ばしたりして」
「よく覚えてないけど、そういえばあちこちに針が突き刺さっていたような……」
普通の人間が霊夢を起こすとすれば、命がいくつくらい必要だろう。
どっかの蓬莱人でも騙くらかして試してみるという手段もあるが、まあそれはさておき。
「少しでも覚えてないのかしら」
「あー……いつもお世話になってます~って」
「どっちの意味でかしら」
「さあ。あ、あとよろしく頼みますって」
「何を」
「さあ」
まあ美鈴も相手が相手である。こういう結果になるということも承知の上でだろう。
そもそもこの巫女にお願いできることと言ったら、ちょっとそこのお醤油取ってくらいなことだと思う。
「さて、それじゃあお暇させていただきますわ」
「一つだけしかいらないの?」
「それ、カロリー高いのよ。飛べなくなっても知らないわ」
「今日は二度目だな」
「二度目ね。だから私の言いたいことはわかるわね?」
静かな森で賑やかに暮らす霧雨魔理沙は、やはり月餅の菓子折りを携えて咲夜を出迎えた。
美鈴がやってきた動かぬ証拠だ。それも、咲夜が動き出してから魔理沙の元に来たのだというのだから、確実に近づいている。あと一歩というところだろう。
「ああ。いつも世話になった。これからはパチュリーの本をかっぱらうのはやめてくれ、だとさ」
「行き先は聞いてないかしら」
「ないぜ」
「ここで手詰まりか」
いっそのこと、時間を止めて周囲を手当たり次第に探し回ってみようか。面倒極まりないが。
「ただ、私の見立てでは」
「貴方の見立てはアテにならないけどとりあえず聞くわ」
「そこの七色バカの蓬莱人形みたいになりそうな感じだった」
「妖怪って自殺するのかしら」
「お前のご主人様に聞いたらどうだ」
「それこそアテにならないわ」
割と深刻になってきた。あの閻魔に一度引き渡してしまえば、もう二度と取り返せないだろう。
念の為、永遠亭の薬師に連絡を取っておこう。それから速攻で無縁塚だ。
忙しくなってきた。
一方その頃、紅美鈴は魔理沙の勘通り、再思の道まで来ていた。
ただ、問題がある。
「……船頭さんがいない……」
どうなっているのだろう。もしかして、あの世で大変なことでも起きているのだろうか。
何をするべきか右往左往していると、生気を纏った人間(妖怪かも)が見つけられた。
あの人に聞いてみよう。
「すみません、おたずねしたいことがあるのですが」
「おや、貴方、まだ生きてますね。生者はお呼びではありません。お帰りなさい」
「や、やっぱり、渡してくれませんか……」
「渡すのは私の仕事ではありません。その仕事を任した者を探しているのですが……。
そんな事より貴方。そう、貴方は物事が見えていなさすぎる」
しゃもじみたいな木の板をびしっと差し、なんだかエラそうな帽子を被ったその人は言った。
わけがわからない。どうしたもんだかと困っていると、彼女はお構いなしにまくし立てた。
「妖怪は人間より強くなくてはいけないという法はない。
妖怪は人間を脅すことが仕事ですが、退治されることもまた重要な仕事なのです。
貴方はその意味を忘れて、強い者には従うべきだという、従者として致命的な勘違いをした」
「し、しかし私は決して簡単に退治されるべきでない仕事に就いているのです!
――って、そもそもなんで貴方が私にそんなことを言う権利があるのですか!!」
「申し遅れましたか。私はこの幻想郷における死者の裁判官。通りよく言うと閻魔です」
げ。
美鈴の背筋に氷が滑るような悪寒が走った。
これがあの、紅魔館最強にして完全で瀟洒な従者、十六夜咲夜すらうんざりさせた幻想郷一の説教魔、四季映姫・ヤマザナドゥか!?
いや、よくよく考えれば彼女に会うことは必定だったわけだが、なんだか美鈴が当初期待していた方向とは全く別次元の問題が置きそうな感じがする。
「貴方は今門番は簡単に撃退されるべき職ではないと言った。その時点で視野が狭い。
門番とはそこに訪れる者が通して良い者か否かを見極める職なのです。
確かに通せない者は追い払う力が必要になるでしょう。しかし自分が敵わぬ相手は後方の者に任せればいい。
敵わぬ相手とわかって刃向かう門番は、門番としての責務を果たしていません。
それはただ、貴方の妖怪としてのプライドが人間に負けてはいけないという思い込みを生ませただけなのです。
あまつさえ貴方は自らに任された責務を放棄しようとした。本末転倒ですよ。
そうして職務を投げ捨て、こちらに来ようというのなら、私は断固追い返します。あの世はこの世のゴミ捨て場などではないのですから」
耳が痛い……。なるほど、閻魔の説教が嫌がられるのは、話が長いからなわけではないのだ。それだと寝ていれば済む。
つらいのは思い当たる節を言い当てられるからなのだ。一度耳にすれば逃げようという意思すら奪われる。
映姫はなぜだか美鈴と距離を取る。
そうしてから、宣言した。
「今の貴方のもっとも重い罪は上司の想いを汲み取らなかったこと。
地獄へと落ちたくなくば今ここでその罪を裁かれよ!」
無数の卒塔婆が映姫の眼前に配置され、美鈴めがけて発射された。
慌てて避けるが、既に第二波が用意されている。
美鈴は先ほどの自分の考えはやはり浅慮だと思い知らされた。
閻魔の説教が嫌がられるのは、この弾幕裁判ももれなくセットで付いてくるからなのだ。
どうにかこうにか避けてみようとするが、実力差がありすぎる。
瞬く間に被弾。慌てて立ち上がると、既に弾幕密度は針も通さないほどになっており、泣きたくなってくる。
目前に迫った卒塔婆に、思わず身体を腕で庇った。
「あら美鈴。彼岸の門番でも始めたの?」
被弾するはずだった卒塔婆による衝撃はいつまでたってもやってこなかった。
目を開いてみる。
全ての卒塔婆が空中に静止していた。
風も何もない、完全に止まった世界で、彼女は覇者のよう屹然とナイフを手に立っていた。
刃より柔らかく、優しい銀色の髪をかき上げ、白いメイド服を揺らし、無数のナイフを投擲。
卒塔婆を一つ残らず打ち落とした彼女は時間停止を解除。
広がった空間の中、風に揺られながら完全で瀟洒に君臨する。
「咲夜さん!」
「彼岸の門番は犬か石かよ。貴方程度の木っ端妖怪じゃ、無理」
「咲夜さぁん……」
「やっと迎えに参りましたか」
映姫はやれやれといった視線で、咲夜を睨む。
咲夜の視線が明らかに落ち込んだ。
「……私は門番をつれて今すぐ帰りたいのだけれど、許してくれそうになさそうねぇ……」
「当然です。今回の件、貴方の非も大きい。前にも言ったでしょう。貴方は少し、冷たすぎると。まるで改善されてない!」
「人間に、冷たすぎると言われたので」
「言い訳無用です。上司として部下の分まで裁きを受けなさい」
「というわけだから、貴方は先に帰りなさい、美鈴」
「か、帰る?」
クビにされたんじゃなかったの?
咲夜は美鈴を睨みつけると、頭に手を近づけた。
でこぴんっ
「あ痛っ」
「本格的なお仕置きは紅魔館に帰ってから」
ここで弾幕裁判を受けるのも帰ってから仕置きを受けるのも、割とどっちも地獄なような気がした。
本当に帰っていいのかと、視線を送る。
「さっさと行きなさい」
ナイフが向けられた。まずい。妖怪だから生命力は高いと、咲夜は時々本当にナイフを投げてくるのだ。
もちろん、完全で瀟洒なメイドが狙いを外すわけがない。当然だが、とても痛い。
刺されないうちに、慌てて飛び出す。
しばらくすると眼下では、弾幕の華が咲き始めていた。
「あ痛たた……っ」
十六夜咲夜はふらふらとした調子で、家路を飛行していた。
今日は少々能力を使いすぎた。あちこち飛び回り歩き回ったせいもあるが、かなり体力も消耗している。
そのような状態で閻魔との弾幕ごっこはつらかった。あの閻魔の最大に嫌なところは、単純に強いことだ。
完全で瀟洒な咲夜が勝てるかどうか怪しいと思う一人なのである。
うっかり部下の前で負けるような醜態を晒すわけにはいかない。
そして懸念通り負けたわけだ。
オマケにたっぷり説教まで喰らった。
さんざんな一日だった。これで帰ったら食事の用意を大急ぎで済まさなければいけない。また能力を使って時間調整だ。一日が長すぎる。
夕陽を照り返す湖を越えた先に、紅魔館の門が見えた。
そこに、紅色で虹色で中華な門番が立っている。
いつもの紅魔館である。
「あ!」
美鈴が手を振った。
「咲夜さん、ただいま!」
「――おかえりなさい」
「あら、魔理沙。いらっしゃい」
十六夜咲夜の両手には既に幾本ものナイフが握られている。
霧雨魔理沙が一瞬呆然とした時には、もう咲夜の手にナイフはない。
虚空に浮かび上がった無数の刃が、銀色の雨と化し白黒の魔法使いへと降り注ぐ。
「うっ、撃ったな!?」
「ええ。門番は常に先制あるのみですわ」
「話が違うぜ。お前の仕事は私にお茶を淹れることじゃないのか?」
しかしなぜか今日の完全で瀟洒な従者が振舞ってくれるもてなしは、問答無用の先制弾幕である。
湖面には幾百幾千にも及ぶ小さな波紋が穿たれ、その跡をかき消すように魔理沙が水飛沫を上げて駆け抜けていく。
常ならば湖面に映るのは虹色の彩光のはずである。こんな殺風景で物騒な弾幕ではない。
魔理沙は自らが乗る箒を立てて、水面を掃くように振るった。一際派手な水飛沫が跳ね上がる。仄かに虹が架かるが、それすらもナイフに切り裂かれ塵と化す。
ターンを決めて方向転換に成功した魔理沙はすかさずマスタースパークをぶちかまし、ナイフの嵐を洗いざらい薙ぎ払いはたき倒した。
圧倒的な魔力の奔流によって気化した水分が濃霧となり、二人の間を漂った。
視界を遮る霧をレーザーで払い飛ばした魔理沙は、ミニ八卦炉に魔力を再充填。完全で瀟洒なニクイ奴を睨みつける。
「わかったぜ。撃たれたからにはお前が動けなくなるまで動いてやる!」
「動けなくなれば休むわ。だからあんたの気が済むまで付き合ったげる」
「美鈴に暇を出したのよ」
「なるほど」
動けなくなるまで動いた魔理沙は、危うい調子で宙に浮く箒になんとかしがみついている状態だった。
咲夜は湖に落ちてずぶ濡れになった三角帽子を、魔理沙に渡してやる。
「そういうわけで今日は私が門番」
「いや、だからってお前が門番する理由にはならんだろ」
「まあ、そもそものワケがあるの」
咲夜いわく、昨夜、食事中に彼女と美鈴との間でこんなやり取りがあったらしい。
『そもそも、メイドさんの方が門番より強いって何か間違ってませんか?』
『そう?』
『それで済ませちゃ会話が続かないじゃないですか~』
まあそれもそうであるが、歴然とした紅魔館内でのパワーバランスである。事実である。
咲夜自身としての意見を言わせてもらうなら、主の傍で常に仕えるのがメイドである。主が何よりも大切である以上、主の傍に最強のカードを置くのは当然だと思うのだが。
『やっぱり私のような木っ端妖怪じゃあ紅魔館の門番というお仕事は務まらないのでしょうか……』
両手の人差し指をつんつんしている。
咲夜としては別に美鈴の仕事に文句はない。
まあ確かに週に少なくとも一度は白黒の魔法使いがやってきては、美鈴をぶちのめしているわけだが。
しかし別に魔理沙は素通りさせてもいいんじゃないかなーとか咲夜は考えている。
無害であるのは証明されている。いや、少々盗み癖はあるものの、レミリアに被害が及ぶわけでもなし。
『あなたの強弱なんて瑣末事よ』
『えぇっ』
『だって木っ端妖怪(自称)でしょう?』
レミリアに被害が及ぼせる者が本気で紅魔館にやってきたと仮定すれば、咲夜ですら勝てるかどうか怪しいのだ。美鈴など有象無象だ。
美鈴が涙目になっている。なぜだ。慰めたつもりなのに。
別にこのまま放っておいてもよい気もするが、美鈴はきちんと仕事に使命感を持っている珍しい妖怪だ。
このまま変に気落ちされ、突然『辞めさせていただきます』などと言われるには少々惜しい人材ではある。
従者を束ねる者として、一人一人のメンタルケアに気を配ることも大切なことなのだろう。
咲夜はそう考えたので、美鈴に言ってあげた。
『じゃあ、暇をあげるわ』
『はい?』
『だから暇よ』
『……ま、まさか』
美鈴は疲れているのだ。
思えば毎日毎日頑張ってくれているのにその辛苦を労ってやることもなかった。反省だ。休暇くらい必要だろう。
温泉にでも浸かって気をほぐせば魔理沙にだって勝てるかもしれない。かもだが。まあ無理だろう。
おっと、しかし文無しで出してやるわけにもいかない。
『これは心ばかりだけど』
咲夜は少しばかりのお金を入れた包みを美鈴に受け取らせる。
うなだれた美鈴の肩が震えていた。そんなに嬉しいのか。つくづく悪いことをした。しかしいいことをしたとも思う。
『心配しないで。白黒がやってきたら私が追い払っておくわ』
『う……』
『う?』
『うわああああああああああん』
泣いた。
出て行った。
ご飯もまだ全部食べてないのに。
というか、別に今から出かけなくてもいいだろう。そんなにつらかったのだろうか?
まあ、美鈴の自由である。事後承諾になったが、レミリアも許してくれるだろう。
そうして、完全で瀟洒に咲夜は夕食を続けたのだった。
「そういうわけで、あなたをぶっ飛ばしたのはアレよ。美鈴の仇」
「仇討ちは目下の者しかやっちゃダメなんだぜ」
「細かいことは気にしなくていいわ」
「あーそれと、もう一つ細かいことを言わせてもらうならな」
ミニ八卦炉に晒して帽子を乾かしていた魔理沙は、よれよれになったそれを被り直す。
「中国の奴、勘違いしている気がするんだが」
「そうかしら」
「ああ違ったな。すまない」
「あらいいのよ」
「お前が勘違いしているみたいだ」
「失礼ね。私がまるで馬鹿だって言ってるみたいだわ」
「手っ取り早く言うと、門番、解雇されたって思ってるんじゃないのか? アレ」
咲夜は昨夜の美鈴の様子を思い出してみた。
少女回想中...
「ああ……そうかもしれないわね」
「というか、気づけよ。その時に」
「プラス思考なのよ」
「足し算ばっかりじゃパンクしちまうぜ」
「あら、時間はどこまでも足し算しかないけれどパンクするのははるか先だわ。
って、こんなこと言ってる場合じゃないわね。美鈴を回収しないと」
「アイテム扱いか」
戯言や虚言しか口にしない魔理沙を放っておき、咲夜は門番探しの旅に出かけることとした。
あ、でもお嬢様の許可取らないと。取れなかったらどうしよう。
まあ、その時はその時でいいかな。
美鈴が行きそうな所、というのが思い浮かばなかったので、とりあえず咲夜自身がよく行く所から当たってみることにした。
「I MY 3センチ♪ そこでボムっとこかい! ちょっ!」
人里を目指して飛んでいると、ハードな歌声がどこからともなく聞こえてくる。
その歌声を聞いていると昼間だというのにどうも視界が狭まる。方向感覚が狂うというか。
飛行の邪魔である。
犯人の目星が付いたので、歌声の発生源めがけてナイフを投げてみる。
「うわっ! 何よ! 私は食べ物じゃないわよ!」
「鳥肉が何言ってるのよ」
「で、出たっ、メイド人間!」
屋台の下に隠れていた夜雀は、手にしていた金串を突き出して、飛び出てきた。
「な、何? やるっての!?」
「忙しいからやめにしときますわ。それより調度いいわ。美鈴知らないかしら」
「誰それ」
「ウチの門番」
「あんたんとこの門番は来てないけどあんたんとこの元門番なら来たわよ。昨夜」
「ほう」
ミスティアは栓をしたままの酒瓶をひったくり、らっぱ飲みする仕草をしてみせた。
「ひどかったわよ。こう、がばーっと」
「ひどいわねぇ」
そんなことのためにお金を渡したんじゃないのに。
見つけたら一発シメとこう。
「いや、らっぱ飲みまではしてないけど。手酌で」
「はしたないことに変わりない」
「でも大して飲めなかったみたいで『一升瓶持ってこーい!』って言ったくせに半分も空けないうちに撃沈」
「龍もへべれけに酔ってやられる世の中なんだから、あの子に至ってはどうしようもないでしょうねぇ」
「捌いて焼いてやろうかと思ったけどなんの肉かわかんないからやめたわ」
「珍味かも」
「で、その珍味をどうするつもりだったの?」
だんだん捌いて焼いてやってもいい気もしてきたが、初志貫徹である。
ナイフを構えた。
「あの珍味はウチの珍味よ。さあ、隠さず出しなさい」
「うわっ、弾幕反対! 店が壊れる!」
「壊されたくなかったらさっさと出すのよ」
「ないものは出せません。屋台の上で干していたら夜中のうちに目ぇ覚めて、平謝りしてからどっか行ったわ」
「そのどっかを教えてもらえないかしら」
「どっかよ」
役立たずめ。腹いせにこいつを捌いて焼いてしまおうか。
否、時間の無駄か。レミリアから貰った暇は今日いっぱいである。
確かにメイド長と門番がいない紅魔館の防衛力は著しく下がってる。そんな期間を長くしておくわけにはいかない。
何せ、防御力が下がれば攻撃力が突出する。比喩ではなく血の雨が降るだろう。洗濯物が悲惨なことになる。
ナイフを引っ込めた咲夜は、予定通り人里へと向かうことにした。
と、空中に浮かび上がったとたん、足下から声をかけられる。
「な~んか知らないけど、門番いじめるのもほどほどに~」
「別にいじめてないわ」
いやホントに。
まあ、今回の件について仕置きは必要かもしれないが。
人里に到着したので、咲夜は聞き込みを開始することにした。
紅色で虹色で中華な奴を見なかったかと聞いてみたのだが、どうもいい答えが返ってこない。
ここは一つ、コネを使って情報通に聞いてみるとしよう。
「……ずいぶんと大きな生徒が来たもんだ」
「こんにちわー、先生」
寺子屋で教鞭を振るっている真っ最中だった上白沢慧音は、しっしっと口にまで出して手を払う。
「一言で言うと邪魔だ。後にしてくれ」
「せんせぇー、誰ですかぁーこのお姉さん?」
「私知ってる! この人メイドさんだよ!」
「メイドって、アレ? 死んだら行くっていう――」
「そりゃ冥土だ! いいから黙れお前ら!」
「どうしたんですかけーねせんせぇー? もしかして、この人、せんせーの恋人さんですか?」
だんっ
慧音の帽子が、机の上に叩き落とされた。
「黙れ」
寺子屋が静寂に包まれた。
紅魔館の図書館でも、こう重苦しい静けさは漂っていない。
顕にされた慧音の頭頂が何を現すか。咲夜は知らないが、まあなんだか複雑な事情がありそうである。
「せっかく作ってくれたお時間なので有効に使わせていただきますわ。お教えいただきたいことがあるの」
「お前のために静かにしたわけじゃない」
「ウチの門番を探してるの。紅色で虹色で中華なのよ」
「知らん。他を当たれ」
「今知らなくても、そこらの歴史を食べればわかるんじゃないかしら」
「……お前、私を百科事典だと思ってないか?」
「あら、違いますの?」
索引に少々手間取るが。
慧音はため息をつく。
「とにかく待て。授業が終わったら付き合ってやる。……が、その前に話がある」
「お聞きしますわ」
「生徒たちに聞かれたくない。私はこいつらの前で無闇に自分の能力を使いたくない。お前がなんとかしろ」
「はぁ」
面倒だが、協力の交換条件と考えれば仕方ない。
慧音と咲夜の周囲だけ、時間を止める。寺小屋に漂う空気はもはや静寂ですらない。
「メイドとは主の傍に仕え、様々な小用を片付けるものと記憶している。
そのメイドがなぜ主の傍から離れ、門番如きを探しているんだ?」
「ストライキ――じゃあないわねぇ」
「事情を言え。言わなかったら協力してやらない」
交換条件がモノだったりする場合より、厄介な奴だ。
咲夜は口を割るか否か、少し逡巡した。
明日になれば必ず過去のこととするつもりだが、一時期紅魔館の守りが手薄になってしまったという事実は、それこそ目前のワーハクタクでもない限り、消せない。
貴族とマフィアはよく似ていると咲夜は思う。どちらも面子が命だ。舐められたら終わりなのである。
貴族もマフィアも庶民を脅せるくらいの力を持っていることは事実なのだが、それを庶民に向けて行使した時点でおしまいなのだ。
力を使わないで、力を見せつける。それを常に維持するのが貴族の、貴族の従者の務めである。
つまるところ、このワーハクタクを下手に信用し、今回の咲夜のミスが幻想郷中に露呈するのは割とマズイということだ。
そこまで考えて、咲夜は自分の考えが無駄だったことに気づいた。
慧音の能力は歴史を喰う程度の能力だ。どっちみち気づかれる時は気づかれる。防ぐ手立てはない。
すぐさま気づくべきことであった。反省だ。
「わかった、話すわ」
たとえ幻想郷に終わりの日がやってきたとしても、この神社だけはどこまでものんびりしているだろうなぁ、と咲夜は思う。
妖怪からは歯牙を抜き、人間からは浮世の情を引っぺがすこの空気は土地によるものか、はたまた主の人柄によるものか。
咲夜は博麗神社も巫女も嫌いではない。が、この場所、あの巫女と長く付き合っていると、従者としての立場を忘れがちになる。
あまりそれはよくないと自戒はしているので、手っ取り早く用件は済ませることにした。
「霊夢、いる?」
「新聞ならいらないわよ」
湯呑みを片手に、眠そうな目をした博麗の巫女が襖を開けて現れる。
「うちの門番がここに来たって百科事典から聞いたわ。まだいるかしら」
「来たわよ。けど割と前」
「どこへ行くか聞いた?」
「魔理沙のとこだって」
「ありがとう」
踵を返す。
霊夢があくび混じりに呟いた。
「あんたが焦っているのを見るなんて初対面の時以来だわ」
「あら、私はゆとりを忘れたりなんかしないわよ。次の春に頭から新茶の芽が出てきそうな貴方ほどではないけれど」
「それならお茶の一杯くらい出すわよ。お菓子もあんたんとこの門番が持ってきてくれたし」
神社の中にすっこんだかと思うと、片手に菓子折りをひらひらさせて出てきた。
挑発なのだか天然なのだかよくわからない巫女である。
咲夜は特例で自戒を少しゆるめることにした。気分転換には調度いいだろう。
霊夢の言うとおり、少々短気になってきている気がする。人(妖怪だけど)探しの際に判断を誤るのはよくない。
幸い咲夜は潰してしまった時間も後からある程度調節することができる。文字通りの意味で。
「これ何? 月餅?」
「大陸のお菓子ね」
「……こういう趣味してるから中国って言われるんじゃないかしら」
菓子折りの中に詰められた中華饅頭は独特の照り具合をしており、甘い匂いを漂わせていた。
一つつまむ。
「うちの門番は菓子折り持ってきて何言いにきたの?」
「なんだっけ。昼寝していた途中に起こされたからよく覚えてないわ」
「貴方のことだから機嫌悪くして弾幕でも飛ばしたりして」
「よく覚えてないけど、そういえばあちこちに針が突き刺さっていたような……」
普通の人間が霊夢を起こすとすれば、命がいくつくらい必要だろう。
どっかの蓬莱人でも騙くらかして試してみるという手段もあるが、まあそれはさておき。
「少しでも覚えてないのかしら」
「あー……いつもお世話になってます~って」
「どっちの意味でかしら」
「さあ。あ、あとよろしく頼みますって」
「何を」
「さあ」
まあ美鈴も相手が相手である。こういう結果になるということも承知の上でだろう。
そもそもこの巫女にお願いできることと言ったら、ちょっとそこのお醤油取ってくらいなことだと思う。
「さて、それじゃあお暇させていただきますわ」
「一つだけしかいらないの?」
「それ、カロリー高いのよ。飛べなくなっても知らないわ」
「今日は二度目だな」
「二度目ね。だから私の言いたいことはわかるわね?」
静かな森で賑やかに暮らす霧雨魔理沙は、やはり月餅の菓子折りを携えて咲夜を出迎えた。
美鈴がやってきた動かぬ証拠だ。それも、咲夜が動き出してから魔理沙の元に来たのだというのだから、確実に近づいている。あと一歩というところだろう。
「ああ。いつも世話になった。これからはパチュリーの本をかっぱらうのはやめてくれ、だとさ」
「行き先は聞いてないかしら」
「ないぜ」
「ここで手詰まりか」
いっそのこと、時間を止めて周囲を手当たり次第に探し回ってみようか。面倒極まりないが。
「ただ、私の見立てでは」
「貴方の見立てはアテにならないけどとりあえず聞くわ」
「そこの七色バカの蓬莱人形みたいになりそうな感じだった」
「妖怪って自殺するのかしら」
「お前のご主人様に聞いたらどうだ」
「それこそアテにならないわ」
割と深刻になってきた。あの閻魔に一度引き渡してしまえば、もう二度と取り返せないだろう。
念の為、永遠亭の薬師に連絡を取っておこう。それから速攻で無縁塚だ。
忙しくなってきた。
一方その頃、紅美鈴は魔理沙の勘通り、再思の道まで来ていた。
ただ、問題がある。
「……船頭さんがいない……」
どうなっているのだろう。もしかして、あの世で大変なことでも起きているのだろうか。
何をするべきか右往左往していると、生気を纏った人間(妖怪かも)が見つけられた。
あの人に聞いてみよう。
「すみません、おたずねしたいことがあるのですが」
「おや、貴方、まだ生きてますね。生者はお呼びではありません。お帰りなさい」
「や、やっぱり、渡してくれませんか……」
「渡すのは私の仕事ではありません。その仕事を任した者を探しているのですが……。
そんな事より貴方。そう、貴方は物事が見えていなさすぎる」
しゃもじみたいな木の板をびしっと差し、なんだかエラそうな帽子を被ったその人は言った。
わけがわからない。どうしたもんだかと困っていると、彼女はお構いなしにまくし立てた。
「妖怪は人間より強くなくてはいけないという法はない。
妖怪は人間を脅すことが仕事ですが、退治されることもまた重要な仕事なのです。
貴方はその意味を忘れて、強い者には従うべきだという、従者として致命的な勘違いをした」
「し、しかし私は決して簡単に退治されるべきでない仕事に就いているのです!
――って、そもそもなんで貴方が私にそんなことを言う権利があるのですか!!」
「申し遅れましたか。私はこの幻想郷における死者の裁判官。通りよく言うと閻魔です」
げ。
美鈴の背筋に氷が滑るような悪寒が走った。
これがあの、紅魔館最強にして完全で瀟洒な従者、十六夜咲夜すらうんざりさせた幻想郷一の説教魔、四季映姫・ヤマザナドゥか!?
いや、よくよく考えれば彼女に会うことは必定だったわけだが、なんだか美鈴が当初期待していた方向とは全く別次元の問題が置きそうな感じがする。
「貴方は今門番は簡単に撃退されるべき職ではないと言った。その時点で視野が狭い。
門番とはそこに訪れる者が通して良い者か否かを見極める職なのです。
確かに通せない者は追い払う力が必要になるでしょう。しかし自分が敵わぬ相手は後方の者に任せればいい。
敵わぬ相手とわかって刃向かう門番は、門番としての責務を果たしていません。
それはただ、貴方の妖怪としてのプライドが人間に負けてはいけないという思い込みを生ませただけなのです。
あまつさえ貴方は自らに任された責務を放棄しようとした。本末転倒ですよ。
そうして職務を投げ捨て、こちらに来ようというのなら、私は断固追い返します。あの世はこの世のゴミ捨て場などではないのですから」
耳が痛い……。なるほど、閻魔の説教が嫌がられるのは、話が長いからなわけではないのだ。それだと寝ていれば済む。
つらいのは思い当たる節を言い当てられるからなのだ。一度耳にすれば逃げようという意思すら奪われる。
映姫はなぜだか美鈴と距離を取る。
そうしてから、宣言した。
「今の貴方のもっとも重い罪は上司の想いを汲み取らなかったこと。
地獄へと落ちたくなくば今ここでその罪を裁かれよ!」
無数の卒塔婆が映姫の眼前に配置され、美鈴めがけて発射された。
慌てて避けるが、既に第二波が用意されている。
美鈴は先ほどの自分の考えはやはり浅慮だと思い知らされた。
閻魔の説教が嫌がられるのは、この弾幕裁判ももれなくセットで付いてくるからなのだ。
どうにかこうにか避けてみようとするが、実力差がありすぎる。
瞬く間に被弾。慌てて立ち上がると、既に弾幕密度は針も通さないほどになっており、泣きたくなってくる。
目前に迫った卒塔婆に、思わず身体を腕で庇った。
「あら美鈴。彼岸の門番でも始めたの?」
被弾するはずだった卒塔婆による衝撃はいつまでたってもやってこなかった。
目を開いてみる。
全ての卒塔婆が空中に静止していた。
風も何もない、完全に止まった世界で、彼女は覇者のよう屹然とナイフを手に立っていた。
刃より柔らかく、優しい銀色の髪をかき上げ、白いメイド服を揺らし、無数のナイフを投擲。
卒塔婆を一つ残らず打ち落とした彼女は時間停止を解除。
広がった空間の中、風に揺られながら完全で瀟洒に君臨する。
「咲夜さん!」
「彼岸の門番は犬か石かよ。貴方程度の木っ端妖怪じゃ、無理」
「咲夜さぁん……」
「やっと迎えに参りましたか」
映姫はやれやれといった視線で、咲夜を睨む。
咲夜の視線が明らかに落ち込んだ。
「……私は門番をつれて今すぐ帰りたいのだけれど、許してくれそうになさそうねぇ……」
「当然です。今回の件、貴方の非も大きい。前にも言ったでしょう。貴方は少し、冷たすぎると。まるで改善されてない!」
「人間に、冷たすぎると言われたので」
「言い訳無用です。上司として部下の分まで裁きを受けなさい」
「というわけだから、貴方は先に帰りなさい、美鈴」
「か、帰る?」
クビにされたんじゃなかったの?
咲夜は美鈴を睨みつけると、頭に手を近づけた。
でこぴんっ
「あ痛っ」
「本格的なお仕置きは紅魔館に帰ってから」
ここで弾幕裁判を受けるのも帰ってから仕置きを受けるのも、割とどっちも地獄なような気がした。
本当に帰っていいのかと、視線を送る。
「さっさと行きなさい」
ナイフが向けられた。まずい。妖怪だから生命力は高いと、咲夜は時々本当にナイフを投げてくるのだ。
もちろん、完全で瀟洒なメイドが狙いを外すわけがない。当然だが、とても痛い。
刺されないうちに、慌てて飛び出す。
しばらくすると眼下では、弾幕の華が咲き始めていた。
「あ痛たた……っ」
十六夜咲夜はふらふらとした調子で、家路を飛行していた。
今日は少々能力を使いすぎた。あちこち飛び回り歩き回ったせいもあるが、かなり体力も消耗している。
そのような状態で閻魔との弾幕ごっこはつらかった。あの閻魔の最大に嫌なところは、単純に強いことだ。
完全で瀟洒な咲夜が勝てるかどうか怪しいと思う一人なのである。
うっかり部下の前で負けるような醜態を晒すわけにはいかない。
そして懸念通り負けたわけだ。
オマケにたっぷり説教まで喰らった。
さんざんな一日だった。これで帰ったら食事の用意を大急ぎで済まさなければいけない。また能力を使って時間調整だ。一日が長すぎる。
夕陽を照り返す湖を越えた先に、紅魔館の門が見えた。
そこに、紅色で虹色で中華な門番が立っている。
いつもの紅魔館である。
「あ!」
美鈴が手を振った。
「咲夜さん、ただいま!」
「――おかえりなさい」
笑い所は多かったのですが、ここでたまらず吹き出しましたww
ほのぼのとギャグと感動が上手い具合に合わさっていてツボでした。
霊夢を起こした美鈴の根性に拍手。
で、私は実は三角もいいですが、俵型も好きです~の人なのですが、
なるほど、けーねの服ってワンピース。では、脱げろ!!改め・・・・
破けろおおおお!!!!
次回作も期待しています。
しかし作者としては無念なことにそこはギャグのつもりで書いたのではないのであった。
全体的にほのぼのというかのんびりで済ませるつもりだったんですが、いい加減オチくらい付けようかな、と思ってこうなりました。
>>紅魔館の防御力を下げてはいけない! の人
まず敬意を込めて「このエロ野郎!」
よくよく考えれば確かに中国よく霊夢起こしましたね。最早死を覚悟した妖怪に怖いものなどなかったのでせうか。
>>勘違いのさせ方も~ の人
咲夜さんが天然属性持ちで助かりました。
>>緊張感を持たせつつどこか~ の人
緊張感が出たのは咲夜さんのおかげです。これが霊夢や魔理沙だったら……ずっとのんびりしてます。
次回作、今日投稿しました。期待できるほどのものかはわかりませんが。
>>極東極楽さん
ZUNドコ節が好きなので。
>>話のリズムよく読んでいて~ の人
プロットある程度立てたらノリと勢いに任せて書いているせいでしょうか。
……いや、そんなこたぁないのはわかってますけどね。えぇ。
とか言いたいこともうすでに言われてたけど、とにかくGJです。
茶目っ気たっぷりで天然なナイフ。私の咲夜さんのイメージを前面に出したらこうなりました。
基本的に東方SSではほのぼのが好きなんですが、咲夜さんだとこうなるんですよね。
だというのになんだ、この突っこみ所満載の作品は。
だが、そこがいい。
あと一言。
咲夜さんひでえwww
幻想郷ってボケっぱなしジャーマンで突き通すところが多いじゃないですか。なんでツッコミは我々外の住人の仕事です。
その中でも咲夜さんは神主公認の天然さんなのでw
特に映姫さまの説教が最高ですねw
花映塚に美鈴が出ていたらと想像しました。
だがそれが良い! 良いったら良いのだ!