※この作品は、帰還の道は程遠く? ―序章― の続きとなっております。
前作を未読の方は、お手数ですが序章より読まれることをお勧めします。
凍えるような寒さを感じ、意識を取り戻す。
この刺すような寒気は、一体どこから来るのだろうか。
水か、風か、何かは解らないが、とにかく何かに当てられている様だった。
目蓋に感じる太陽の光。どうやら外のようだ。
耳に入るはびょうびょうと、これは風の音だろうか?
・・・と言うことは、今の自分は野ざらしで強風に煽られているということだろうか。
けれども、このふわふわした、浮いたような感触は・・・?
そこまで頭が働けば、あとは目蓋を開けるのみだった。
目を覚まして驚いた。
何に驚いたかって、空を飛んでいる事よりも、自分が血塗れな事よりも、
何でったって、自分は女性に抱きかかえられているのだろうか?
そうだった、自分は襲われたのだった。
追って来る女から逃げ、転んだと思ったら何者かに肩口をガブリ、と。
なんとか振り解いたものの、そのまま意識を失った事までは覚えている。
その後に、この女性に助けられたという事なのだろうか?
・・・それにしても、綺麗な顔立ちの女性である。
その、白く締まった顎先に見惚れながら、
「ああ、追いかけて来た人か・・・」等と思っていると。
「気がついたか、今は大人しくしていろ」
と、彼女は真っ直ぐ前を向いたまま、こちらに一瞥もくれずに言い放った。
とは言え、男が女にお姫様抱っこされているという、この情けない状況は耐え難い。
さてどうしてやろうかと、身の回りを確認しようとして・・・
途端、あまりショックに思考が完全に止まった。
口元でガチガチと音を立てているのは、合わなくなった歯の根か。
情けない事に、今更ながら意識が、飛んでいるという事に注意したのだ。
高度自体は低いものの、そもそも“空を飛ぶ”という事自体が現実より逸脱した事である。
それだけでも、恐怖心を掻き立てるには十分すぎた。
おもわず女性の背中に腕を廻したのは、落ちまいとの一念による物だった。
それに対して、彼女は軽く身をよじらせると。
「もうすぐ里に着く、落ちるような真似はするなよ」
とだけ喋った。
対する自分は頷く事も出来ずに、只彼女にすがり付く事しか出来なかった。
彼女の言葉の通り、森の一本道沿いに飛んでいると集落が見えてきた。
高度と速度が緩やかに下がり、やがて地上に降り立った。
目の前には家が一軒。竹林を抜けて尋ねたあの家だ。
「もう大丈夫です」と、降ろして貰おうとしたのだが、
「そんな死にそうな顔で何を言う、いいから大人しくしていろ」
と、一喝されてしまった。
その体制まま一、二歩と家へ近づくと、するり、と独りでに玄関の戸が開いた。
「や、お帰り。言われたとおり、医者を呼んでおいたよ」
その先にはあの竹林で出会った、銀髪のリボン少女が立っていた。
「すまないな、妹紅。ついでと言っては何だが・・・」
「あー、わかった。行ってくるよ。さもないとそいつ死ぬんだろ?」
「ありがとう、助かるよ。礼は必ず・・・」
「ああ、それは元気になったそいつから頂くさ。それじゃあ」
親しげに会話をし終えた二人。
妹紅と呼ばれた少女は竹林へと進んでいくと、自分は家へと連れ込まれるのだった。
それからはドタバタである。
家の中で医者と思しき老人に迎えられ床に伏せられると、
傷口の洗浄から始まり、やたらと沁みる薬を塗りたくられて、仕上げに傷の縫合をされた。
麻酔など無いようで、いきなり傷口に触れられたものであるから、
それは今までの人生の中で経験した痛みの中でも、断トツの激痛であった。
その間にも血がドバドバ出る物なので、あまりの恐怖に意識が飛びかけたのだが、
あの女性が暴れさせまいと、体を押さえつけながらも終始激励してくれたお陰で、
なんとか意識を保つことが出来たのであった。
まあ、正直な所、意識が飛んでいた方が楽だったのかもしれないが・・・。
「慧音様。これで治療は終わりました。しかし・・・」
「ああ、わかっている。妹紅を永遠亭に向かわせた」
「左様ですか、薬師ならば安心ですな。それでは私はこれにて・・・」
「ああ、ありがとう。
そうだ、ついでとは悪いのだが、本日の寺子屋を任されたいと
稗田家へ、謝辞と共に伝言を頼まれたい。」
「承知しました。」
そのやり取りを終えると、医者は出て行った。
さて、一応の手当ては終わった様だが、
こちらは床に伏せたまま、激痛の余韻に呻く事しか出来ない。
しかも、失血による貧血か、視界はフラフラ、頭はクラクラとするし、
傷口は疼くし、何より喉の渇きが著しかった。
ふと、無意識に開いた唇に、湿った脱脂綿が当てられる。
まさに命の水であった。
生涯の中で、これほど旨いと思った水は無い。
必死に餌に喰いつく小魚のように、水を吸い込む。
「慌てず、ゆっくり呑むんだ」
その声は、仏の言葉のようだった。
そのまま湯呑み一杯分程の水分を呑み終えると、落ち着いた為か、不意に意識が緩んでくる。
「・・・妖の者に噛まれたとなると、じきに発作が起きる。
腕の立つ薬師を呼ぶが、後はお前の生命力次第だ。
生きて元の世に帰る為にも、頑張って乗り越えろ。
絶対に、諦めるな」
そうして握られた手は、力強く、温かった。
その感触を最後に、意識は沈んでいくのだった・・・
・
・
・
突然感じたのは、全身の血が腐っていくような正体不明の感覚。
余りに不快なそれを掻き出そうと、胸を掻き毟りたくなる衝動が襲う。
だが、手は愚か、体全体が動かない。
意識はあっても、体は睡眠下にあるようだ。
目は覚めているのに起きられない。これは一体どうしたことか。
薄皮一枚まで迫っている目覚めに手が届かないのは、
溺れる者に足を捉まれて、水面に出れない様な感覚だった。
ふいに、背後に誰かの気配を感じる。
意識の裏。そこに自分以外の誰かが、居た。
ゆっくり、振り返るように気配を手繰る。
そこには見覚えのある、一人の少女の影。
「あはは、また会ったー」
それは、悪夢の再開だった―――
・
・
・
急に顔面蒼白となった男の傍に、二つの影があった。
一人は慧音、もう一人は・・・
「月のイナバ嬢」
「ええ、始まったようです。
この薬剤を打った後は、経過を見守るだけ。
・・・妖の力に負けた時が、この人の最後ですね」
「ああ、それで命を落とした者を、私は数多く見てきた。
最近こそ薬師の協力で被害は激減したが、
果たして、幻想の力に外の者が耐えられるかどうか・・・」
「はい。ここの住人より条件が悪いのは確かです」
・
・
男に異変が表れてから、数時間が経過した。
あれから容態は進退無く、熱に浮かされるように、時折苦しそうな呻きを漏らしている。
慧音は男の額に浮かぶ汗を拭いながら、容態を見守っていた。
それを複雑な面持ちで見つめるのは、月のイナバと呼ばれた少女だった。
「慧音さん、一つ、聞いてくれませんか?」
「ん、何だ?」
「ご存知の通り、私は月から逃れてきました。
その経緯は、前にお話したとおりです。
あれから時間も経ち、ここでの生活にもすっかり馴染みました。
永遠亭の皆には、本当に良くして貰っています。
あそこに居ると、とても穏やかな気分になるんです。
まさか、こんな暮らしが送れるとは夢にも思っていませんでした」
「・・・」
「それでも、昔の記憶は色褪せる事無く、私の中に焼き付いています。
そして、この罪は、私が滅ぶ時まで負っていく物です。
私は、もう月に干渉することも無く、孤独に罪を滅ぼしていかなければならない。
でも、この人の服装が・・・この迷彩が、あの時を思い出させる。
月の民を蹂躙して行った、あの兵士達と同じ・・・
一瞬、私は・・・この人間を絞め殺したくなった。
いいや、今すぐにでも殺したいっ!!」
「・・・そうか。
だが、君はそんなに弱くは無い。
仮に、この人間に手を掛けようともなれば、その時は解かるな?」
「ええ・・・突然見苦しい所を、すみません」
「いや、君は良くできた妖怪だ。
こう自制の利く者も、そうそう居ないだろう。
わざわざ辛い事を、思い出すことも無い。
妹紅も居る事だ。後は私に任せれば良い。」
「・・・すいません。今日の所は、失礼します。」
「ああ、世話になった。
君の師匠にもよろしく言っておいてくれ」
「はい、それでは・・・」
そして彼女は戸を開く。
外は夕暮れに染まっていた。
深い深い茜色に染まる里は、あの忌々しい景色に似ていたのかもしれない。
鈴仙は、一瞬だけ肩をすくめると、逃げるように竹林へ駆け込んでいく。
駆け抜ける足音が止んだ後は、静寂だけが残っていた・・・
・
・
・
再び表れた少女を前に、一目散に駆け出した。
躊躇して同じ事を繰り返すほどマヌケではない。
だから、否応なしに逃げ出す。
宵闇の少女も追って来るが、その差は歴然であった。
それはそうだろう、何しろここは自分の意識の中なのだ。
自身の世界でわざわざ捕まる者など、生粋のマゾヒスト位のものである。
どうやら、捉まる心配はなさそうだ。
後は、何とかしてこの正体不明の少女追い返す方法を考えるか、
手段が無くても、少女が諦めるのを待てば良いだろう。
そうして、少女から逃れようと意識を巡らしていると。
ふと、ある事に気がついた。
妙な閉塞感を感じる。と、言うよりも、
彼女の存在が、だんだん大きくなっているような・・・
「あはー、気がついた?」
背後から響く、嬉々とした声。
「逃げられないよー
だんだんきみが無くなっていくのがわかるでしょ?
どうせ逃げ道なんてないんだから、あきらめなよ。
そうしたらひとくちで楽にしてあげるから。
抵抗すると、いたいよー?」
ふざけるな、こんな訳の解からない死に方をしてたまるか。
諦めるなんて、真っ平ごめんだ。
相変わらず打開の方法など無いが、とにかく逃げ続ける。
だが、それも時間経過とともに、限界が迫っていた。
「あははー、もうおわりだね。
それじゃあ、いただきまーす」
刹那、宵闇の少女に呑み込まれた。
ガリガリと、意識が削られてゆく。
この痛覚を失った時、自分という存在が無くなるのだろう。
その力の前には抗うことも出来ない。
だが、
――“絶対に、諦めるな”――
ふと、彼女の声を思い出す。
そして、風前の灯火の意識で、磨耗に耐え続けた。
やがて
「んー、だめかー。
もうすこしだったのにぃー・・・
あー・・・おなかへったよぉー・・・」
どの位たった頃だろうか。
宵闇の少女は、その言葉を最後に、自分の意識から離れて行った・・・
― 第一章・終わり ―
前作を未読の方は、お手数ですが序章より読まれることをお勧めします。
凍えるような寒さを感じ、意識を取り戻す。
この刺すような寒気は、一体どこから来るのだろうか。
水か、風か、何かは解らないが、とにかく何かに当てられている様だった。
目蓋に感じる太陽の光。どうやら外のようだ。
耳に入るはびょうびょうと、これは風の音だろうか?
・・・と言うことは、今の自分は野ざらしで強風に煽られているということだろうか。
けれども、このふわふわした、浮いたような感触は・・・?
そこまで頭が働けば、あとは目蓋を開けるのみだった。
目を覚まして驚いた。
何に驚いたかって、空を飛んでいる事よりも、自分が血塗れな事よりも、
何でったって、自分は女性に抱きかかえられているのだろうか?
そうだった、自分は襲われたのだった。
追って来る女から逃げ、転んだと思ったら何者かに肩口をガブリ、と。
なんとか振り解いたものの、そのまま意識を失った事までは覚えている。
その後に、この女性に助けられたという事なのだろうか?
・・・それにしても、綺麗な顔立ちの女性である。
その、白く締まった顎先に見惚れながら、
「ああ、追いかけて来た人か・・・」等と思っていると。
「気がついたか、今は大人しくしていろ」
と、彼女は真っ直ぐ前を向いたまま、こちらに一瞥もくれずに言い放った。
とは言え、男が女にお姫様抱っこされているという、この情けない状況は耐え難い。
さてどうしてやろうかと、身の回りを確認しようとして・・・
途端、あまりショックに思考が完全に止まった。
口元でガチガチと音を立てているのは、合わなくなった歯の根か。
情けない事に、今更ながら意識が、飛んでいるという事に注意したのだ。
高度自体は低いものの、そもそも“空を飛ぶ”という事自体が現実より逸脱した事である。
それだけでも、恐怖心を掻き立てるには十分すぎた。
おもわず女性の背中に腕を廻したのは、落ちまいとの一念による物だった。
それに対して、彼女は軽く身をよじらせると。
「もうすぐ里に着く、落ちるような真似はするなよ」
とだけ喋った。
対する自分は頷く事も出来ずに、只彼女にすがり付く事しか出来なかった。
彼女の言葉の通り、森の一本道沿いに飛んでいると集落が見えてきた。
高度と速度が緩やかに下がり、やがて地上に降り立った。
目の前には家が一軒。竹林を抜けて尋ねたあの家だ。
「もう大丈夫です」と、降ろして貰おうとしたのだが、
「そんな死にそうな顔で何を言う、いいから大人しくしていろ」
と、一喝されてしまった。
その体制まま一、二歩と家へ近づくと、するり、と独りでに玄関の戸が開いた。
「や、お帰り。言われたとおり、医者を呼んでおいたよ」
その先にはあの竹林で出会った、銀髪のリボン少女が立っていた。
「すまないな、妹紅。ついでと言っては何だが・・・」
「あー、わかった。行ってくるよ。さもないとそいつ死ぬんだろ?」
「ありがとう、助かるよ。礼は必ず・・・」
「ああ、それは元気になったそいつから頂くさ。それじゃあ」
親しげに会話をし終えた二人。
妹紅と呼ばれた少女は竹林へと進んでいくと、自分は家へと連れ込まれるのだった。
それからはドタバタである。
家の中で医者と思しき老人に迎えられ床に伏せられると、
傷口の洗浄から始まり、やたらと沁みる薬を塗りたくられて、仕上げに傷の縫合をされた。
麻酔など無いようで、いきなり傷口に触れられたものであるから、
それは今までの人生の中で経験した痛みの中でも、断トツの激痛であった。
その間にも血がドバドバ出る物なので、あまりの恐怖に意識が飛びかけたのだが、
あの女性が暴れさせまいと、体を押さえつけながらも終始激励してくれたお陰で、
なんとか意識を保つことが出来たのであった。
まあ、正直な所、意識が飛んでいた方が楽だったのかもしれないが・・・。
「慧音様。これで治療は終わりました。しかし・・・」
「ああ、わかっている。妹紅を永遠亭に向かわせた」
「左様ですか、薬師ならば安心ですな。それでは私はこれにて・・・」
「ああ、ありがとう。
そうだ、ついでとは悪いのだが、本日の寺子屋を任されたいと
稗田家へ、謝辞と共に伝言を頼まれたい。」
「承知しました。」
そのやり取りを終えると、医者は出て行った。
さて、一応の手当ては終わった様だが、
こちらは床に伏せたまま、激痛の余韻に呻く事しか出来ない。
しかも、失血による貧血か、視界はフラフラ、頭はクラクラとするし、
傷口は疼くし、何より喉の渇きが著しかった。
ふと、無意識に開いた唇に、湿った脱脂綿が当てられる。
まさに命の水であった。
生涯の中で、これほど旨いと思った水は無い。
必死に餌に喰いつく小魚のように、水を吸い込む。
「慌てず、ゆっくり呑むんだ」
その声は、仏の言葉のようだった。
そのまま湯呑み一杯分程の水分を呑み終えると、落ち着いた為か、不意に意識が緩んでくる。
「・・・妖の者に噛まれたとなると、じきに発作が起きる。
腕の立つ薬師を呼ぶが、後はお前の生命力次第だ。
生きて元の世に帰る為にも、頑張って乗り越えろ。
絶対に、諦めるな」
そうして握られた手は、力強く、温かった。
その感触を最後に、意識は沈んでいくのだった・・・
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突然感じたのは、全身の血が腐っていくような正体不明の感覚。
余りに不快なそれを掻き出そうと、胸を掻き毟りたくなる衝動が襲う。
だが、手は愚か、体全体が動かない。
意識はあっても、体は睡眠下にあるようだ。
目は覚めているのに起きられない。これは一体どうしたことか。
薄皮一枚まで迫っている目覚めに手が届かないのは、
溺れる者に足を捉まれて、水面に出れない様な感覚だった。
ふいに、背後に誰かの気配を感じる。
意識の裏。そこに自分以外の誰かが、居た。
ゆっくり、振り返るように気配を手繰る。
そこには見覚えのある、一人の少女の影。
「あはは、また会ったー」
それは、悪夢の再開だった―――
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急に顔面蒼白となった男の傍に、二つの影があった。
一人は慧音、もう一人は・・・
「月のイナバ嬢」
「ええ、始まったようです。
この薬剤を打った後は、経過を見守るだけ。
・・・妖の力に負けた時が、この人の最後ですね」
「ああ、それで命を落とした者を、私は数多く見てきた。
最近こそ薬師の協力で被害は激減したが、
果たして、幻想の力に外の者が耐えられるかどうか・・・」
「はい。ここの住人より条件が悪いのは確かです」
・
・
男に異変が表れてから、数時間が経過した。
あれから容態は進退無く、熱に浮かされるように、時折苦しそうな呻きを漏らしている。
慧音は男の額に浮かぶ汗を拭いながら、容態を見守っていた。
それを複雑な面持ちで見つめるのは、月のイナバと呼ばれた少女だった。
「慧音さん、一つ、聞いてくれませんか?」
「ん、何だ?」
「ご存知の通り、私は月から逃れてきました。
その経緯は、前にお話したとおりです。
あれから時間も経ち、ここでの生活にもすっかり馴染みました。
永遠亭の皆には、本当に良くして貰っています。
あそこに居ると、とても穏やかな気分になるんです。
まさか、こんな暮らしが送れるとは夢にも思っていませんでした」
「・・・」
「それでも、昔の記憶は色褪せる事無く、私の中に焼き付いています。
そして、この罪は、私が滅ぶ時まで負っていく物です。
私は、もう月に干渉することも無く、孤独に罪を滅ぼしていかなければならない。
でも、この人の服装が・・・この迷彩が、あの時を思い出させる。
月の民を蹂躙して行った、あの兵士達と同じ・・・
一瞬、私は・・・この人間を絞め殺したくなった。
いいや、今すぐにでも殺したいっ!!」
「・・・そうか。
だが、君はそんなに弱くは無い。
仮に、この人間に手を掛けようともなれば、その時は解かるな?」
「ええ・・・突然見苦しい所を、すみません」
「いや、君は良くできた妖怪だ。
こう自制の利く者も、そうそう居ないだろう。
わざわざ辛い事を、思い出すことも無い。
妹紅も居る事だ。後は私に任せれば良い。」
「・・・すいません。今日の所は、失礼します。」
「ああ、世話になった。
君の師匠にもよろしく言っておいてくれ」
「はい、それでは・・・」
そして彼女は戸を開く。
外は夕暮れに染まっていた。
深い深い茜色に染まる里は、あの忌々しい景色に似ていたのかもしれない。
鈴仙は、一瞬だけ肩をすくめると、逃げるように竹林へ駆け込んでいく。
駆け抜ける足音が止んだ後は、静寂だけが残っていた・・・
・
・
・
再び表れた少女を前に、一目散に駆け出した。
躊躇して同じ事を繰り返すほどマヌケではない。
だから、否応なしに逃げ出す。
宵闇の少女も追って来るが、その差は歴然であった。
それはそうだろう、何しろここは自分の意識の中なのだ。
自身の世界でわざわざ捕まる者など、生粋のマゾヒスト位のものである。
どうやら、捉まる心配はなさそうだ。
後は、何とかしてこの正体不明の少女追い返す方法を考えるか、
手段が無くても、少女が諦めるのを待てば良いだろう。
そうして、少女から逃れようと意識を巡らしていると。
ふと、ある事に気がついた。
妙な閉塞感を感じる。と、言うよりも、
彼女の存在が、だんだん大きくなっているような・・・
「あはー、気がついた?」
背後から響く、嬉々とした声。
「逃げられないよー
だんだんきみが無くなっていくのがわかるでしょ?
どうせ逃げ道なんてないんだから、あきらめなよ。
そうしたらひとくちで楽にしてあげるから。
抵抗すると、いたいよー?」
ふざけるな、こんな訳の解からない死に方をしてたまるか。
諦めるなんて、真っ平ごめんだ。
相変わらず打開の方法など無いが、とにかく逃げ続ける。
だが、それも時間経過とともに、限界が迫っていた。
「あははー、もうおわりだね。
それじゃあ、いただきまーす」
刹那、宵闇の少女に呑み込まれた。
ガリガリと、意識が削られてゆく。
この痛覚を失った時、自分という存在が無くなるのだろう。
その力の前には抗うことも出来ない。
だが、
――“絶対に、諦めるな”――
ふと、彼女の声を思い出す。
そして、風前の灯火の意識で、磨耗に耐え続けた。
やがて
「んー、だめかー。
もうすこしだったのにぃー・・・
あー・・・おなかへったよぉー・・・」
どの位たった頃だろうか。
宵闇の少女は、その言葉を最後に、自分の意識から離れて行った・・・
― 第一章・終わり ―
丁寧に答えてくださってありがとうございました。