Coolier - 新生・東方創想話

西行幽明郷

2007/06/09 22:34:30
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―――願わくば、この桜の木の下に。骸を葬ってくれる事を。なんて、そんなの、ご免被るわ。




 一、狂い咲くは桜か姫か




―――この桜の木の下には、何が眠っているのか。

そんなバカな事を考えて、春を集めた。何も難しい事もなし。ただ単純に興味があった。ただ、その単純
な興味が、何時の間にか増幅されていた。
寄るほどに、寄るほどに、引き付けられるような、強い呪詛。
つい最近の出来事だった筈なのに、もうあまり詳しく覚えては居ない。紅白と、黒白と。そんな人間の知
り合いが出来た、その程度。

嗚呼願わくば、何もない日々を永遠に。
嗚呼願わくば、平穏な日常を永久に。




何時の間にか春も過ぎ―――今日も西行寺幽々子は縁側でお茶を啜っている。
長い夜も終わり、霊が溢れかえった時期も過ぎ、冥界は閻魔様に裁かれ終わった魂で今日も賑わっている。

庭師は仕事に精を出し、何も変わる事のない日常を演出している。
西行寺幽々子からすればそれはこの先地球が滅亡するまで続くであろう永劫の一時である事に変わりは無
いが……庭師たる魂魄妖夢からすれば、些かばかり、非日常の一コマだ。

この平和な冥界が何故非日常なのか、と問われると、妖夢も多少困ってしまう。一見して変わった様子も
見受けられず、ぬるま湯のような冥界は元来の風景を保ち、その一要素たる魂魄妖夢もまた、何の変哲も
なく魂魄妖夢である。

……何が違うか。何が間違っているのか。極小に描かれた間違い探しの如きその変化は、毎日一緒にいる
からこそ、気がつけた。
西行寺幽々子である。
何日も何ヶ月も何年も変わらない不変の絵画を乱す唯一の要素。
妖夢からみると……今の幽々子は不自然であった。何か物思いに耽るのは当然、起きていたと思ったら寝
ていたなんてしょっちゅう。突如病気でも発症したかのように買い物を言いつけるのも、何ら幽々子の行
動原理を乱すものではない。

ただ……ただ、最近―――西行妖へ、何度も何度も足しげく通うのだ。

妖夢も最初の内はただの気まぐれとして気にも止めなかったが、その頻度は日毎に増えて、今では一日三
回は西行妖の様子を見に行くようになった。
可笑しいといえば可笑しい。可笑しくないといえば可笑しくないのかもしれない。何せ庭だ。敷地内であ
るからして、自分の敷地内を歩き回る事を変、というのも憚られる。
故に何が非日常であるかと問われると、非常に参ってしまう。

そんな幽々子の日課が続くようになってから数日か数週か、妖夢を西行妖に呼びつけた幽々子は、ただの
一言だけ、こう言った。

「来年、サクラは綺麗に咲くかしら」

それは西行妖を指して言ったのか、判断しかねたが、妖夢は西行妖を除いては咲くでしょうと答えた。

その日から……である。

本格的に西行寺幽々子が―――狂い始めたのは。




「幽々子様?」
「あ、妖夢? 妖忌を知らない?」

妖夢は目を丸くして幽々子を見てから、思わず訝るように眉を顰めた。

「幽々子様、お爺様はもう隠居されました。私とて何処に居るのやら解りませんよ」
「あら、そうだったかしら……まぁいいわ。妖夢、お腹が空いたわ」
「はぁ。ボケ老人じゃあるまいし、しっかりして下さい幽々子様」
「失礼な庭師ね」

それが今から一週間ほど前の事。

呆けているのは何時もの事。何も驚く程のものでもないと、妖夢は楽観視していた。何せ朝食べたご飯を
忘れる程度の能力である。妖忌が居ようが増えようが、恐らく問題はないだろうと踏む。
それ以来西行妖へ近づく事も無くなった為、元通りの白玉楼に戻ったのだと確信していた。

「妖夢? キヌエを知らない?」
「絹? それでしたら幽々子様のお部屋の箪笥の、上から二段目に反物が」
「布じゃないわ。キヌエよ、使用人の絹絵、何処行ったのかしら?」

妖夢の聞き覚えのない人の名だった。
とうとうボケたのかと思い、妖夢はあえて知りもしない絹絵の振りをする。

「どうされましたお嬢様?」
「妖夢、巫山戯ないで頂戴」

……どうやら妖夢の事はしっかりと解るらしい。典型的な痴呆か、とも思ったが、まさか、と頭を振る。
仮にも亡霊だ。脳に障害が及んで起こる病など、かかるわけがない。
もとより物事を忘れやすい体質であるのは……たしか……。
妖夢の思考が止まる。はて、何故だったか。難しい理由があった気がしたが、詳しくは解らない。
それよりも、幽々子を医者に見てもらうか考えたが、例え天才の永琳でも亡霊の病状は詳しくないだろう。

それが今から五日前の事。

日増しに酷くなる。
流石の妖夢もこれには参り、誰かに相談してみようと思ったが……しかし。真っ当に相談出来る相手など
紫ぐらいなものだ。しかもその紫が何処に住んでいるかなど知りもしない。何時も神出鬼没、必要な時に
いない。
仕方なく、幽々子の行動を日記につけることにした。病状(?)把握の為にも良いと思いついたからだ。

「妖夢……」
「幽々子様……?」

「お父様は……どこ、かしら?」

……ここで、妖夢も悟る。どうやら退行しているらしい。
一体何が? どんな理由で? 理解不能という単語が頭を巡る。

そもそも、そもそもだ。何が可笑しいかといえば……それは『生前の記憶』である。
幽々子は亡霊と成り果てる前の記憶がない。暇潰しに文献を読み漁る事は過去何度かあったが、冗談でも
生前の関係者の名前を出すことはなかった。文献を読んでも所詮他人事のようであったし、何より数日で
忘れている。

それがどうだろうか? 今の幽々子といえば……幾分、若い。

それは見た目ではなく、非常に垢抜けない。所謂瀟洒ではない。
冥界に居る事自体が、板についていないのだ。
それからも聞き覚えのない名前を呼んだり、庭にやって来た鳥を名前で呼んだり、何より、幽霊に驚いて
いた。
食も大分細くなり、食べずとも問題ないとはいえ、些かヤツレタように見えた。

それが―――昨日の話だ。

考えれば考えるほど、悩めば悩むほどに妖夢にも影響が出てくる。頻繁に妖夢を呼ぶようになり、一般生
活にも支障が出始めた。
日に日に幼くなる幽々子は、見るに耐えない。突然の事で割り切れない。何も整理がつかないのだ。

「もう、どうすればいいのか解らなくて……霊夢ならば、紫様の居所を知っていると思って」

結局、紫の居所を知っていそうな霊夢の元にまで、わざわざ足を運んだ。

「うーん。正確な所在地は知らないの。マヨヒガには頻繁に居るらしいけれど、アソコだってそうそう簡
単にいける場所ではないわ。何せマヨヒガって位だから」
「参った。本当に参った……ぐす」
「あぁ泣かないでよもう……それにしても、何で紫な訳?」
「紫様は、幽々子様と付き合いが長いらしい。今起こっている幽々子様の病状は理解出来ないけれど、生
きていた当時の幽々子様を知っている人ならば、何か解るかもしれないと……」
「理にはかなってるわね……紫ー紫ー? 私、死んじゃうー。結界維持できなぁい」
「まぁ、本当?」

紫はにゅるりと現れた。どうやら、ずっと聞き耳を立てていたらしい。人でないものにこの例えを使って
良いものか解らないが、非常に人が悪い。

「紫様?」
「あら妖夢、顔が真っ赤ね。まぁ、当然かもしれないけれど……」
「紫、なんか知ってるなら白状なさい?」
「そうねぇ……」

紫が、苦虫を噛み潰すような顔をする。話しても構わないが……といった様子だ。妖夢ももう紫以外に縋
る妖怪が居ない。妖夢は思わず紫を凝視する。

「そんな睨まないで頂戴。話半分に聞いていたからあれだけれど、結局、幽々子はどの辺りまで退行して
しまったの?」
「私の事は解るらしいんです。けれどそれ以外の言動や行動に不自然な部分が多すぎて……昨日は、お父
様は何処か、なんて訊かれまして……」
「え、嘘……」
「ゆ、紫?」
「紫様?」

八雲紫たるものの顔が、蒼白する。まさかそこまで、いやまさか。そのようにブツブツと呟き、目を瞬い
たり下唇を噛み締めたり、兎に角酷く悩んでいる。
その所為もあってか、妖夢が落ち着かなくなった。亡霊は死ぬはずが無い。当然生きる筈もない。不死不
生の永遠の民だ。幽々子がどうにかなってしまうなど、那由多分の一も可能性はない。
だがしかし、今目の前に突きつけられている現実は、非情で残酷だ。

「紫様……幽々子様は一体……」
「……この目で確かめない限り、なんともいえないわ。二人とも、ついてきて頂戴」
「え、なんで私まで」

霊夢が不思議そうに首を傾げるが、紫は霊夢の首根っこを掴んでスキマに放り投げた。

「妖夢、貴女も」
「は、はい」

奇妙な目が光るスキマの中を泳ぐようにして進む。普段なら一瞬であろうが、冥界の結界を越えねばいけ
ない為に他より手間がかかるのだろう。
しかし出口は直ぐに見えた。霊夢は紫に対して文句を垂れているが、紫もそれ所ではないらしい。

妖夢に不安が募る。何せ八雲紫が動揺する程である、大事になることは予想できたが……。











「ゆ―――幽々子さまあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!!!!」










マサカ、これほどまでに酷い事態になるとは、誰も予想出来なかった。

西行妖の前に伏す、西行寺幽々子。

その腹部からは――――――大量の血液が流れ出ていた。




 二、亡くなりしは桜か姫か




時に、妖夢は思うのだ。
この西行寺の家に仕えて、幸せである、と。何分仕事は全部妖夢に押し付けている幽々子である。妖夢の
負担は増えるばかりで、辛くないと言えば嘘はあるが、不幸せではなかった。
頼りない頼りないと言う言葉も愛の鞭であると思えば、苦でもない。冗談を二乗したような広さを誇る庭
の手入れに、近いとは言えない人里への買出しの往復。手伝ってくれる冥界の住人は居るとはいえ、ほぼ
全てが妖夢の分担である事には違いない。

けれど、自分の行ないを満足そうに見つめる幽々子を見れば、誰でも納得するだろう。自分の作る料理を
美味しそうに頬張る姿を見ていれば、苦労した甲斐があると誰もが納得するだろう。
普段縁側でお茶ばかり飲んでいるが、その実妖夢の見えないところで幽霊の統制を取り、しっかりと妖夢
の負担が軽くなるよう配慮してくれている。

理想的な、主従関係であったと、妖夢は自負している。
いや、理想的な主従関係なのだ。決して、過去のモノになどしたくはない。

己が命尽きるまで、西行寺幽々子という素晴らしい主人の下、働きたいのだ。




「……血液は何かしら強い想いが具現化させたね。というか亡霊は死なないでしょうに」
「とはいえ、あんな衝撃的な姿を見せられたらアンタを呼ばずには居られないじゃない」
「その気持ちは解るわ。亡霊が血を流す姿なんて、私だって観た事ないですもの」

永琳は幽々子の脈を計る動作をするが、思い出してやめた。
そもそも、動物ではないのだから当然である。癖だろう。

長い間生きている永琳もまた面食らっていた。妖夢は幽々子が倒れる姿を見て気絶。今は二人ならんで病
床に伏している。それほどまでに強烈なインパクトがあったのだ。

「……幽々子さんの、このお腹」
「?」

永琳は幽々子の腹部を探って、二人に見えるよう晒す。そこには、L字に刻まれた、傷跡。

「この傷跡は擬似的なものでしょうけれど、割腹の痕ね。わき腹から突き刺して開腹し、更に自分に止め
を刺す為上に引き上げる。斬る動作だけだった打ち首とも違う。これは確実に、一人で死ぬ為の斬り方」
「……」
「何? じゃあ幽々子は自殺したの?」
「―――紫さん。貴女、何か知っているんじゃなくって?」

永琳の鋭い目が、縮こまってしまった稀代の妖怪を刺す。霊夢は要領を得ずに、肩で溜息を吐いた。

「人の家の事、あまり話したくはないわね」
「紫……あんた常識通じない癖に今更なによ」
「妖怪にだって言いたくない事の一つや二つあるわ」
「それでは話が前に進まないわよ。妖怪の薬は作れても、亡霊の治療は出来ないわ、私」

「それは私から話しましょうか、皆さん。八雲紫黙して語らずならば」

それは寝室から望める庭先から声が聞こえた。
サイズの合わない服に大きすぎる帽子。緑の髪を称え、閻魔のシャクを構えた……小さい少女。

「……四季映姫・ヤマザナドゥ」
「閻魔様で構いません。言い難いでしょう」
「偉そうなのは嫌いね、私は」
「博麗霊夢……本当に業が深い巫女ですね貴女は。まぁ、今は不問としましょう。それどころでもなさそ
うですから。失礼しても?」
「主も家人も倒れてるから、幾らでも上がりなさいよ」
「では、失礼」

映姫は縁側から上がり込んで、丁度横になる二人の頭が並ぶ場所に腰掛ける。紫は動くのが早いわね、と
愚痴を垂れ、映姫は涼しい顔でそれを流した。

「冥界の様子が可笑しい、と聞き及んだので来て見たらこの通り。事情を知ろうと浄瑠璃鏡で西行妖を覗
いてみたんですが、ほら、罅が入ってしまった。封印されているのに、大分力が強い。粗方解りましたが」
「紫も黙って喋らないし、二人は寝込んでるし……それで、アナタ、何を知っているの、というか何故こ
こに?」
「それはあの世を管理している訳ですから、冥界に係わり合いがない訳がないじゃありませんか―――そ
れはいいとして……幽々子の事については多少、長い話になりますがご容赦願いたいものですね」
「仕方ないわね」
「えぇ、仕方ありません」


コホン、と一つ咳払いした映姫は、重々しく語り始める。


幽霊と亡霊の違いは幾つかあるが、一番顕著に見て取れるのは、それがヒトガタに見えるか見えないか、
触れれるか触れれないか、の違いである。
亡霊はある程度の質量がある精神体。幽霊は質量のない精神体。亡霊とは言わば高次元の人間霊だ。
通常幽霊はただ彷徨うか留まるかしているだけで、どこにでも存在しうる空気のようなものだ。しかし亡
霊は人間の形を取り、かつ知識もあり対話が可能で人間と変わらぬ生活が送る事が出来る。

そんな亡霊にも問題がある。
それはその亡霊が有するキャパシティーの問題。肉体を失い、精神体として人間と同じ活動を続けると、
当然日々の記憶や経験が蓄積する。

何故亡霊が忘れっぽいか、その答えはここにある。
不必要な情報は、人間以上の速度で忘れて行くのだ。であるからして相当印象に残った出来事や経験以外
は不必要と判断し、全てを消し去る。
膨大な記憶は記録となる前に消えなければ、亡霊自身が危ないのだ。精神体は精神を保持する為に必要最
低限の智慧のみで”生きる”。この許容量を越えてしまえば、やがて幽霊性のストレスとでも表現するよ
うな状態になってしまう。

人間が抱えるストレスは、発散できうるし、死に至るにはかなりの時間がかかる。

だが精神のみの存在である亡霊は、それが急性の末期ガンとも呼べるほどに危険だ。

そして、今回問題となっている幽々子。

……通常の亡霊は、このような事態には陥らない。勝手に知識を忘却するのであるから、高等な亡霊たる
幽々子がそんな自動的機能が低下するはずも、怠るはずもない。

―――まして、生前の記憶を思い出すなど、絶対がつくほどにありえないのだ。
亡霊とは妄執。非業の死を遂げたものが多い。その尋常ならざる死に方を、死後まで覚えていたらどうな
るだろうか。それは、極度に精神体に負担をかける。故に、亡霊は生前を、覚えていない。
正確にははっきりと思い出せない。


「じゃあ……幽々子は何故生前の記憶を取り戻し始めた訳?」
「亡霊は、自分の遺体を秘匿します。そして更に幽々子は特殊で、他人によって秘匿された。それはどこ
にあるかといえば……当然、西行妖の根元に」
「もういいわ、映姫。私が話すから」

そこで、紫が顔を上げた。映姫もそのほうがいいでしょうと引き下がる。

「……ちょっと話が読めないけれど、つまり今幽々子さんはストレスでぶっ倒れたと。幽霊のストレス緩
和出来る薬なんて、調合出来るかしら」
「無理よ永琳。亡霊は物質と呼ぶには薄すぎる物質で出来ているから」
「そう、なるほど。原理は理解出来るわ。一つ、暇潰しが増えた」
「貴女は薬の研究でもしていて頂戴。御代は後でいいかしら」
「構わないわ。それじゃあ」
「えぇ」

紫が作ったスキマに、永琳が飲み込まれて行く。
恐らく、時間をかければ出来るのだろう、と紫は思ったが、如何せん時間がない。妖夢の話から、幽々子
が記憶を取り戻してからの時間を適当に暗算してみても、猶予は大分少なかった。

「霊夢、貴女が何処まで知っているかは知らないけれど……幽々子の遺体はあの咲かない桜の木の根元に
あるわ。幽々子は、自分の身を人身御供として捧げて、あのバケモノ桜を封印した」
「そうだったかしら」
「えぇ……それで、春雪異変は、覚えているわね?」
「そうね。寒いったらありゃしなかったわ」


「もう、あの時からかしら……幽々子が、西行妖に魅入られていたのは……」




 三、願わくば、幸せな生を




―――妖夢、妖夢。

今忙しいんです、買い物なら後で済ませますから、水羊羹はもうちょっと待ってください。

違うわ妖夢。あの桜は、何故咲かないのかしらね?

はて、お爺様は満開になる姿を見たことがあると言ってましたが、今思うと見た事がありませんね。

そうよね。気にも止めなかったけれど、見た事がないわ。

大層大きな桜ですから、満開になれば見物でしょう。

えぇ。紫達も呼んで、盛大に花見でもしましょうか。

暴れないようにだけ注意してあげてくださいね……。




……西行妖……なるほど、封印されていたのね、だから咲かないんだわ。

幽々子さま?

封印を解く方法なんて解らないけれど、兎も角桜といえば春よね。

はぁ。

なら、春度を集めればいいわ。妖夢、借りてきて? 幻想郷全土から。

え、えぇぇ……。




幽々子? あの桜を咲かせるって、本当なの?

いけないかしら? 何が封印されているか、気にならない?

……。何故、封印を解こうと思うのかしら?

それは……。

それは?

ただ何となく。気になるの。気になって気になって、昨日はご飯二膳しかおかわりしてないわ。

どうしてそこまで、きになるのかしら?

……懐かしい。のかもしれないわ。それに……。

それに?

『―――何故かね、あの桜には―――死の香りがするの。芳醇な、甘露のような、死の香りが』












自動的に存在する事を望む己が身体。それと相反する、死への渇望。生きている間は、全てが逆だった筈
だ。生を渇望し、自動的に決められた死へと向かう恐怖心は、身の毛も弥立つものがある。
しかし、今幽々子がどちらかと聞かれれば……生きていたい。死んでいるのに生きていたいと思う矛盾。
意味が解らない。ただ、ただ存在するだけではない生が欲しい。肉体を持ち、人間と接し、人間と共に老
い、人間と共に死んで行く。それを望んだのはいつの事だっただろうか。そして何故今望むのだろうか。
嗚呼それはつまり。
自分が生き返りたい、そう望んでいるのだ。死んでいるけれど、生きている。不死の蝶。
そうではなく、不死の蝶は、不死の蝶でありながらも、人間として生きたがっている。
嗚呼それはつまり、死にたいのだ。生きて死にたいのだ。
生きて黄泉返るのではなく、生きて死にたいのだ。
全てが暗転し反転し混ざり穿たれ、五行がまわる。虚実と虚言と虚偽と虚像と。何もかもがあべこべにな
って行く。真っ当ではいられない。酷く心が痛む。
心に記憶が蓄積して行く。幽々子の、水槽ほどの容器に、湖が流れ込んでくる。それは物理的に入る筈が
ない。だが入ってくる。元はお前のモノであるのだから、責任を持って受け止めろと、誰かが言う。
精神の器が崩壊する。どれだけ自分がちっぽけだったか、身に染みる。記憶も染みる。
やり直せやり直せと叫ぶのだ。生きて死にたいのだと。生きて活きたくは無いのだと。

それは、一体誰だったか―――。

若い女性の声と、おぞましい怨念の声が、幽々子の精神体を支配して行く。




「おはようございます、幽々子様。ご機嫌いかがです?」
「……あなたはヨウム」
「そうです。妖夢です。貴女の忠実な僕です」
「でも、ここがわからない。どこ?」
「ここは白玉楼。簡単に言ってしまえば、魂の待合室。冥界といいます」
「そう……か。うん。あはは」
「幽々子様?」
「年上なのに様づけって、おかしなヨウムさん」
「……は、ははは、そうですね。いや、そうだね、幽々子ちゃん」
「うんっ」

静寂が支配していた寝室に、久しぶりの声が響き渡る。妖夢は取敢えず幽々子が目を覚ました事に安堵し
たが……それと同時に絶望した。思わず、奥歯を折るほどに噛み締めてしまう。
紫達が去ってから、もう丸三日経つ。甲斐甲斐しく看病していた妖夢だったが、その報酬がこれではあま
りに酷だ。

幽々子は……まるで年齢一桁の少女にまで退行していた。言葉遣いどころか、仕草まで。厚ぼったい寝巻
きを窮屈そうにしている。

「暑いかな。少し薄い着物を持ってくるから」
「うんー」

廊下に出た途端、思わず熱いものが零れた。着物など寝室にあるに決まっているが、耐えられなかった。
自分の慕う主人か、壊れてしまった様は、見るに耐えない。
これから一体どう接して行こうかと思い悩んでしまう。いや、それ以上に。

紫の話では……記憶がそのうち”追いつく”というのだ。

それが一体どんな意味合いを持つのか、やはり妖夢には漠然としか理解出来ない。
しかし、もしいざとなれば、覚悟も決めておかねばなるまいと思う。

自刃、だろう。

桜の木の下で、思い切り腹を掻っ捌いてやる。死ねるか死ねないかは別にして、それほどの死に方程度用
意しておかないと、狂ってしまいそうだ。
その心構えで……今はただ、今はただ幽々子に、精一杯尽くすしかない。

「あっははは。間違えた。幽々子ちゃんの着物なんだから、幽々子ちゃんの部屋にあるね」
「へんなヨウム。なんだか、泣いているみたいだし」
「ほんと、へんだね、はは」

寒い笑い声で、自分の身を斬る想いをする。幽々子の目は童女の如く幼く、しかし何かしらの疑いをもっ
て妖夢を見ている訳ではない。純粋に、今自分の保護者がこの妖夢だけだと言う事を知っているのかもし
れない。

「さ、出来た。幽々子ちゃんはお腹空かない?」
「なんだかずっとねてたみたいだから、お腹すいちゃった」
「ここで食べる? 居間に行こうか?」
「ゆゆこは元気だよ、ヨウム」
「そっか、じゃあほら」

半分身体を起している幽々子に、手を差し伸べる。少しだけ躊躇した後、幽々子はしっかりとその手をつ
かまえた。

その温もりは、いつもの幽々子のもの。背格好だってそのまま。ただ、精神だけが幼い。

―――涙ぐんでしまいそうになり、妖夢は思い切り唇を噛み締めた。




『長年生きた西行妖は……きっと封印が劣化していたのかもしれないわ。そして……春雪異変で、封印は
かなり緩んでしまったわ。命を対価に払うほど大きな封印を、簡単には修復なんて出来ない。力を徐々に
蓄積させた西行妖は……幽々子を呼び寄せた。いえ……それも違うかもしれない。あの言葉を信じるなれ
ば……恐らく、幽々子は死を望んでいた。しかも、そんな状態で、まして西行妖の足元に本人の遺体があ
る。あとは、想像の領域だけれど、遺体もまた、西行妖にとりこまれている可能性があるわ。とても、否
定できる状態ではないの。西行妖を再封印でもしない限り……幽々子の精神は崩壊の一途を辿る。西行妖
は幽々子の遺体を用いて、亡霊側に記憶を送り込んだのね。記憶で溢れた精神体は、死ぬしかない……い
いえ、消え失せるしかない』

だから、それが理解出来ないのだ。妖夢には。
何不自由なく、平穏に暮らしていたはずだ。何の憂いもなく、安泰であったはずだ。そんな幽々子が何故
死を望んだのか。幽々子の事なら何でも知っているつもりだった。何せ己が主人である。
何を好み何を嫌い、どこをどうすれば喜ぶのかなどは当然。ただの無表情から意味を汲み取る程度までの
眼力も備えた。
それでも解らないのであれば、妖夢はお手上げである。
不満があったのなら言ってくれれば良かったのに。こうなる事が解っていて、もしその原因が自分だった
のならば、潔く出て行ってみせようとも、思う。

つくづく、こんな状態になっても主人を好いているのだなと、今更ながら自覚する。

「妖夢、幽々子。こんにちは」
「紫様」
「……だれ?」
「―――八雲の紫、ゆかりんって呼んで頂戴?」
「ゆかりん、美人ねっ」
「おほほほほほ。幽々子なんて食べてしまいたいほど可愛いわ」
「妖夢、食べるって」
「気をつけてね、あれはルール無用の凶悪無比な超絶悪魔超人スキマウーマンだから」

あれから二日が経った。幽々子はまだ幼いが、口調も大分はっきりしてきて、行動から幼さが幾分か消え
たように見受けられる。二日で二歳、三歳分程度の成長であろう。

「私は紫様とお話しがあるから、幽々子ちゃんはオハジキで遊んでいてね」
「はーい」
「元気でいいわ。なんだか新鮮ね」
「ゆ、ゆかりさま……」
「解ってるわよ。じゃあまた後でね」
「はいはーい」

二人は幽々子から離れ、庭を歩く。暫く進んだ先には、葉すら纏わず不動の威圧を放った桜の木。
妖夢はそれを忌々しげに睨みつける。

「そう、睨まないであげて。幽々子の意志があったのかも、知れないのだから」
「し、しかしっ」
「妖夢……寝ていないのね。半分は人間なんだから、無茶はダメよ」
「……くっ」
「今はもう少し建設的な話をしましょう。この桜の再封印だけれど……」
「出来る、んでしょうか」

紫は……日傘で顔を隠したまま、桜の木を見上げる。

「私はね、妖夢。あの子との付き合いは長いわ。でもやっぱり、時折何を考えているのかすら解らない事
があるの。先の春雪異変のように」
「……」
「幽々子は、長生きするわ。亡霊だもの。けれど、本人が完全なる死を望んだならば、それに限らない」
「何故、何が不満で消えたいなんて思ったんでしょうか……思ったが故に、西行妖に取り入られたのでし
ょう? 私に何か、至らない点があったんでしょうか……」
「私はね妖夢……死んでいる人間に言うのもなんだけれど……今の幽々子の方が、活き活きしているし、
人生を楽しんでいるように思えるわ。生前は、辛い事ばかりであったから」
「人柱、ですか」
「人柱になると教えられたのは、物心ついた頃から。ずっと死ぬ為だけに生きる生だったの。感情は薄く
保たないと、発狂してしまうから、本当に大人しい子に育てられた」
「でも、それと今の状態が、一体なんの関係が……」

『……生きて死にたい。人間として、生を全うしてみたかった』

「「!?」」

そう―――桜の木が、語りかける。
二人は思わず桜に振り返るが、西行妖はもううんともすんとも言わない。突然の事に妖夢は呆気に取られ
たが、紫は……まだ、呆然としている。

「ゆ、紫様……大丈夫ですか?」
「そう……幽々子、貴女……もっと、生きていたかったのね……」

西行寺幽々子は、亡霊以前の生に憧れている。人に生き天寿を全うする事を、望んでいた。
今の幽々子はまさに、それの焼き直し。やり直しているのだ。亡霊の身でありながら、今自分は人間の生
を生きているのだと、完全に勘違いしている。
全てが暗転し反転し、あべこべになった生の概念。冥界にありながら、それはもはやあの世すら許容出来
ない混沌の生と成り果てている。

「幽々子……でもダメよ幽々子……貴女はもう、亡霊なの……亡霊のまま、永遠を過ごすのよ……」

『………………』

「妖夢」
「はい」

「西行妖を、完全封印するわ。二度と、二度と甦らないよう。徹底的に、私の、全てをかけてでも」

妖夢は初めて……幻想郷最強の妖怪が涙ぐむ姿を、目撃した。




 四、願わくば、幸せな死を




生きてみたかった、のだと幽々子は考える。生きる事こそが、ヒトガタを持った人間に積める最大の善行
であると聞いたから。父は素晴らしい歌聖だった。その身は桜の木の下に埋り、それを追って死ぬものが
後を絶えなかった。
生きること事が善行であるのに、何故自ら命を絶つのか。そんな薄い感情の中、幽々子は考えた。

皆、死ぬまで精一杯生きればいいのに。自分は、決められた期限しか生きられないのに。それは大変不公
平だし、愚かしい事であると思う。別段と人に迷惑をかけた訳でもない人達が自らの命を絶つ行為を目撃
する度、そのような気持ちにかられる。

西行妖。人を引き付けて止まぬおぞましき妖怪桜。
血を吸いすぎたそれは……もはや何かしらの手立てを打たねばならなかった。

そのために自分がいる。自分は、父の尻拭いだ。

父はどのように幽々子を思っているだろうか。死んだならば逢えるのだろうか。もし逢えたならば、説教
の一つも出来るだろうか……?

何が素晴らしい歌聖だ。

全く、余計な歌を残してくれたものである。

―――願わくば、あんな桜の下に眠るのはご免被る。

本当は、生きたいのに。

「妖夢」
「……幽々子様、えぇ、なんでしょう」
「―――来年の桜は、綺麗に咲くかしら」
「あの大きな桜以外は満開になるでしょう」
「……そうね。妖夢、甘いものが食べたい」
「只今お持ちします」

数日退行しきった幽々子と暮らしていたが、もうすでに十代半ばを過ぎた精神状態にまで引きあがってい
る。紫が示すタイムリミットが何時であるのかは聞かされていなかったが、少なくとも遠くない未来だ。
言葉遣いも仕草も、妖夢の知っている幽々子と相違ない。
食欲もあるらしく、頻繁にお菓子とご飯を要求する。もしかしたら、このまま直るのじゃあないだろうか
と、ありもしない希望が芽生えてしまう。直ぐに刈り取るが。

それは来るのだ。必ず来る未来。避けては通れない、過去の道。

「……幽々子様?」

和菓子をもって現れた妖夢の視線の先には……幽々子は居なかった。
咄嗟に嫌な予感が湧き上がり、妖夢は走り出す。

「幽々子様!! 幽々子さまぁあッッ!!」

居るとすれば寝室か居間か、双方とも外れ。
ともなれば、居る場所は一つに限られる。もう走ってなどいられなくなり、飛んで庭に舞い上がった。

「これは……くそっ」

上空で妖夢が見たそれは、身震いする程の邪気を放ち。吐き気を催す程のほの明るい瘴気を纏っている。

「紫様!! 霊夢!!」

西行妖の正面に、結界師が二人。丁度スキマを抜けて来たのだろう。二人とも完全に面食らっている。

「二人とも飛んでください!!」

妖夢が言い放ったかが早いか遅いか。
一瞬の間に、狂おしいほどの蝶弾が飛散し、庭を埋め尽くす。上空から見下ろすその美しさを例えるなれ
ば、まるで澄んだ水面に七色の石を散りばめたが如く。避ける隙間などあったものではない。

「あっぶないわね……遅かったか」
「紫様……」

しかし、そこは流石の八雲紫。スキマを潜って妖夢の居る上空まで現れた。その手に引かれて霊夢も顔を
覗かせる。

「あんな弾幕見た事無いわ。紫のほうがよっぽどマシよ。酷すぎるこれ」
「弾幕ごっこなら優勝ね……さて、どうしたものかしら」
「私がいきます」
「妖夢、無理よ。私だってスキマから介入してもやられてしまいそうだわ」

次第に、無秩序であった蝶弾が隊列を組み、方向性を定め始める。目標は当然、この三人。

「けれど何故こんな事に……」
「―――記憶が追いついたの。幽々子は、生きたいって言っていたでしょう……最後の抵抗よ。生贄にな
る事を、完全に拒んでいる。死を否定している。当然、彼女を責める敵なんていやしないけれど、西行妖
自体が幽々子を取り込んでいるから……」
「幽々子様を使って、完全復活しようと……?」
「まさに、今幽々子は反魂を行おうとしている。生き返ろうとしている。偽りの生を生きようとしている。
なれば答えは一つ」
「まさか……」

        ―――幽々子を、偽りの生の概念を、殺害するほかないわ―――


どうして自分が死なねばならないのか。とはいえ、自分の身代わりに誰かが死ぬのもまた、悔しい。
刻一刻と迫る死期に向けて準備する幽々子。死ぬ為だけに生まれたと言われても、否定出来ない幽々子。

時に幽々子は夢想した。
生きている間がこんなものだったのならせめて、死後くらいは幸せになりたい、と。

「いや……」

嫌だった。人間として生まれたのなら、人間として生を全うしたい。

「いや……いやだ……」

一体何処の誰が、そんな短い生を享受して生きなければいけないのか。たった一度きりの人生であるのに、
十代半ばで、自ら命を絶つ事を許容しなければいえないのか。

「いや……いやあぁあっぁぁぁぁぁあっぁッッッ!!!!!」

弾幕が発狂した。

生に固執するあまり、幽々子が支配に置く全ての存在がとち狂いはじめる。

「妖夢……妖夢……助けて妖夢……妖夢……ようむぅぅぅ……」

まだまだ幼い従者の笑顔が脳裏に浮かぶ。頼りない頼りないと言いはするが、唯一無二の、一番信用にお
ける少女。自分の言いつけを二つ返事で快諾し、幽々子様幽々子様と付き従う、愛しき従者。

「妖夢……助けてよ妖夢……私、私生きていたいのに……死にたくないのにっ!!」

錯乱した記憶と感情に捕われた虹色の弾幕は、想いとは裏腹に全てを否定する。寄るものには死あるのみ。
紫とて食らえば冗談では済まされないだろう。
しかし……少なくとも三人のうち二人は、命を賭す覚悟はあろう。

「私はいやねぇ……どうする気なの、二人とも……あ、弾が白玉楼に」
「霊夢、そんなものは後で直せるわ。力を貸して頂戴な」
「これ食らったら、よっと……うわっ……死ぬわよ」

ひょいひょいと迫る弾を避けながら、霊夢は面倒くさげに言う。

「放置したら大異変になるし、後で嫌でも貴女が出なきゃいけなくなるわ。事前対処として、どうかしら。
報酬なら払うわよ。死んだら死んだで境界弄ってあげるし」
「うー。境界弄るのはいらないわ。でも高くつくから、覚えていて」
「ふふ、なんだかんだいっても貴女は貴女ね。妖夢、死に方は用意出来ているわね?」
「魂魄家は、西行寺家と共にあります。主人の為に死ねるならば、誉れでしょう」

いざとなれば……と。妖夢は白楼剣を握り締める。

「そう。なら妖夢、走って頂戴。私達は何としてでも西行妖を一端停止させる。二重と四重で結界を張り
めぐらせてみるわ。貴女は、幽々子の気を引いて」
「はい」
「いくわ……散って!」

三人が散り散りになり、西行妖へと近づいて行く。百戦錬磨の霊夢もいやらしい方向から飛んでくる弾に
は幾分か困惑しているらしい。
紫は境界を操りながら弾を打ち消して行く。スキマを通るにしても、出た瞬間に高密度弾幕が襲って来る
のでは、急接近する意味がない。苦肉の策として慎重をきす。
妖夢は……必死以外の何者でもない。幼い顔を鬼の形相に変え、迫り来る弾を切り伏せては交し切り伏せ
ては交わし。この連携で一番苦労するのは、当然妖夢だ。

幽々子を引きつけるのはまず、自分が幽々子の視界に入らねばならない。

「うぉぉぉぉぉッッ!!」

近づけば近づく程に弾幕の密度が増して行く。全く容赦なく躊躇無く。ミセ弾でなく殺傷する為の弾であ
るのだから当然だが、ここまで来ると、やはり狂っているとしか表し難い。
頭を狙った高速弾。足元を掬う追尾弾。どてっぱらに風穴を空けようと迫る直線弾。そして定期的に襲い
来る超々高速弾は、三度四度と迫るたびに掠る。四肢から生暖かい血液が漏れ出すが、妖夢はそれでも止
まらない。正直、止まった瞬間死ぬだろう。

その努力は報われ、やがて……美しき反魂の姫の姿を望むことが出来た。
妖夢は思わず絶叫する。

「幽々子……幽々子様ッッ!! 妖夢はここです!! 貴女の従者は、ここですっ!!」
「妖夢……妖夢どこ……ああ、私は死にたくないわ妖夢……」
「幽々子様!! 貴女はもう死んでいます!! 貴女は亡霊です!!」

「そんなはずないわ……私は……私は死にたくないの……なのに死んでいるなんて……なんて非道い事を
いう従者なのかしら……妖夢……味方は貴女だけなの……助けて妖夢ぅぅ……」
「目を覚ましてください!! 幽々子様!! ……くそ、全く話が通じない……致し方ない」
「妖夢……助けて妖夢……生贄なんて嫌なの……妖夢……」

「五月蝿い大飯食らい」

「なっ……」

その瞬間、弾幕が止んだ。あれだけ殺傷しようと飛び回っていた弾が、全て一時停止する。

「何でもかんでも私に押し付けて……困ったら妖夢妖夢かっ!! いい加減にしろこのぐーたら姫!!」
「なな、何てこと言うの妖夢。私は……あ、あれ……?」

やはり、と妖夢は納得した。

今の幽々子は生前と死後の記憶が混同している。西行妖の影響下にあろうとも、せめて少しでも死後の、
自分と過ごした、正しい時間系列の話に戻してしまえば、幾ばくかは「亡霊 西行寺幽々子」に戻るので
はないかと踏んだのだ。
妖夢の良心は痛むが、これも幽々子と冥界のためだ。

「勝手に私の楽しみにしていた水羊羹を食べてしまうし、お茶を切らした程度で扇子でポカポカ叩くし、
挙句の果ては昔が懐かしいって弾幕ですか? バカかと阿呆かと。知りませんよそんなの」
「し、知らないわそんなの……貴女は妖夢……うちの使用人の……」
「いーえ、私は亡霊西行寺幽々子の従者にして庭師です。人間じゃなく幽霊です」
「違うわ、貴女は……違う……何が、違うの……かしら?」
「えぇそうですよ。一体何が不満だったんですか。こんなにも貴女に尽くしているのに、一体何が不満で
弾なんて飛ばすんです。私は!! 死後の幽々子様の!! 忠実なる僕です!!」
「……」
「決して!! 生きていた間の使用人などではない!!」

妖夢は畳み掛けるように押し切る。戻ってもらいたい。

『死後の、幸せな生活を営む、西行寺幽々子に』

「私は魂魄妖夢!! 冥界の庭師です!! 貴女を誰よりも愛している、貴女の死後の従者なんです!!」

「ようむ……魂魄、妖夢……」
「もういいわ、離れて妖夢!! 行くわよ霊夢……!!」
「はいはい、明日は足が立たないかも……」
「ゆかりんが看病したげるから、全力でやりなさいっ」

「あぁもう!! 二重大結界!!」
「そう、それでいいのよっ!! 四重結界!!!」


瘴気に支配されていた西行妖を、目を瞑っても眩しい程の光が包む。先ほどの、幽々子と西行妖が放った
弾幕とはまったく違う気質の、強い強い力。この幻想郷の秩序を維持する、超々高度の神聖結界。幻想を
幻想として許容する力を持つほどの、比類なき隔離。

「なんて……綺麗」

停止していた弾幕がその場で全て消え失せる。

―――同時に、幽々子もまたその場に伏した。




何も難しい事もなし。
ただただ、西行妖が気になったのだ。酷く、心惹かれるものがあって、幽々子はそれに従ったまで。

……長い間亡霊をしている事に、疲れていたのかもしれない。精神体の本能が、継続していく事に疲労を
感じたのかもしれない。

「妖夢……私は……」
「くっ……霊夢、もうダメ?」
「腰が立たない……一年分の結界張ったわ。それでダメならもうお終いね」
「妖夢……妖夢……」

ただ呼ぶのは、愛しき従者の名前。だがしかし、未練が、未練が残っている。ありもしない生前の幸せを
追い求める心が、亡霊である事を否定する。それがどこまで自分の意志なのか、当の本人もまた理解しえ
ないものだった。

「妖夢……妖夢……助けて……」

地面に伏したまま、妖夢を呼ぶ。
妖夢は……直ぐ傍でその姫の手を握り締めているというのに、だ。

「こうなったら仕方ないわ……幽々子の記憶の境界を弄る。精神を弄ると支障が出るかもしれないけれど
一か八か、賭けるしかないわ。幽々子が過去を妄執し続ける限り、西行妖は力を提供する……」
「……紫様、大丈夫です」
「妖夢……? あ、あなた。その剣、どうする気なの?」

紫が目を見開いた先。妖夢の手に握られているのは……白楼剣。

「ぼ、亡霊に白楼剣を使う気!? バカ言わないで、そんなことしたら……」
「幽霊ならば即成仏でしょう。でも、亡霊にならば解らない」

白楼剣は……迷いを断つ。幽霊に使えば即ち成仏。人に使えば痛いだけの代物だ。

「妖夢……助けて……」

「わ、わたしは……紫様……私は、魂魄妖夢。魂魄家の娘であり、死するまで西行寺に仕える為にいます
……くっふぅ……ぐっ……なれば、なれば、主人が迷わぬよう逝かせるのも、勤めでしょう……」

止め処ない涙が溢れる。拭っても拭っても、拭いきれないほどの涙。主人に刃を向けるなど、従者失格以
外の何者でもないなと自覚しつつ……こんな哀れな主人を、見るのも見せるのも苦痛だった。

「紫様、有難う御座います……けれど、これは西行寺と魂魄の問題です……」
「妖夢……」
「幽々子様……どうか……もしこれでその迷いが絶てるならば絶ててほしい……それがダメなら、一思い
に、どうか安らかに、逝ってくださいまし……」

幽々子をあお向けにし、丁度胸の辺りに、白楼剣を……躊躇せず突き刺す。

勿論……それを止めるものなど、誰もいない。幽々子にとって、その二つの選択肢はどちらも、幸せであ
るように、思えたからだ。

「うぅ……うぅぅ」
「幽々子……」



「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁっぁあぁッッッッ!!!!!」



冥界に、半人半霊の絶叫が木霊した。






























些細なる終章 願わくば、桜花咲き誇らぬ事を願う。





























生きることはなんと素晴らしい事かと、誰かが言った気がする。なんと愚かしい答えなのか。

物事には、須らく例外が存在する。

生きて不幸せだった人間が、死後幸せになれるのであれば、一概にそうともいえないであろうに。
死ぬこととはなんと素晴らしい事か。こんなにも良い従者がいて、何も難しい事は考えず、幸せに暮らし
て行ける。なんとも夢のような、理想郷。

いきることはなんと素晴らしい事かといった後に続いた言葉。
それは、どうやら共通するらしい。
愛する事とは、なんと美しいことか……と。

それは単純な愛などではなく、もっともっと精神的に繋がった、一心同体の如き感覚。深い交わりは互い
の共存を許可し、不確かな永遠を与えてくれる。

不確かでも、偽善でも構わない。人間的な思考回路を持った存在であるなれば、それは幸せだ。

当然苦労もあるだろう。憂いもあるだろう。しかし、繋がりを求める愛は、幸せだ。

何故過去など、思い出したのか。今更何故辛い記憶を持ってきて、やり直そうなどと考えたのか。
ほとほと、バカらしい。

もう、思い出したりなどしないのだ。

辛い記憶は、それだけで罰を受けたに値する。なれば、死後幸せになって何が悪いか。
迷いなど……断ち切ってしまえばよい。
自分は……西行寺幽々子は……これからも、この幸せを甘受する。








「……妖夢、妖夢……お腹空いたわ」

魂魄妖夢から溢れるのは涙。

胸が一杯になり、それがこみ上げ、耐え切れなくなって漏れ出す、気持ちの雫。

「はい、はい……ただいま、ただいま用意いたしますから……西行寺幽々子様……」

「うん……♪」

冥界は今日も温かく、冗談みたいな緩さを称えて存在していた。


えーきん「白玉楼の修復費? 無理だ捻出できない。経済難でな」
妖忌爺「出番ないよ」

こんにちは皆様、こんな長ったらしいもの読んで頂いて感謝感激雨あられ。明日は槍か飛行機か。
えぇ読者様のためならばその直撃も甘んじて受け入れましょうとも。

このたびPN変えさせていただきました。経緯は以下の通り。

彼女「ねぇ、俄ファンってどうなの?」
わたくし「はぁ。いけませんかね」
彼女「モグリっぽくて嫌じゃない?」
わたくし「ですよねー」
わたくし「まぁ改名して、心機一転みたいな?」
わたくし「ですよねー」
わたくし「貴方がいいって言うなら別にかまわないけれど」
わたくし「いえ、ご忠告感謝します。変えますね」
わたくし「そう、いいんじゃないかしら」






………あれ?

ととととと、ともあれ。それでは失礼おばいたしますです、はい。病院逝こう。
俄雨(俄ファン)
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コメント



0.1960簡易評価
2.100七氏削除
あーー!あーー!もう何でいつもこう貴方の作品は心に響くんだろうねぇ!
頭の中で墨桜が途中流れまくりですよ!えー!すばらしい!
3.100幻想と空想の混ぜ人削除
今私の中では100点を入れようとする私と、
彼女が居るあなたに嫉妬している私が居る、
-30点か100点か-30点か100点か、嗚呼、
半人半霊のかわいい少女が迷いを断ち斬ってくれないものか。
4.90名前が無い程度の能力削除
いいよいいよー
5.90ぱるー。削除
お涙一直線か鬱展開の多いこの手の話ですが
さりげない会話や独特のテンポの回し方で
そんなに重くない一品に仕上がってると思います。
良話でした。御馳走様。
7.100華月削除
素晴らしいの一言に尽きますね。
貴方の作品を読むと自分の作品がちっぽけに見えてしまいますよ。
いつか自分もこんな作品を作れればなぁと思いますね。
以後の作品も期待してます。
感動しました。
8.100名前が無い程度の能力削除
かの……じょ?
幻想郷のみんな! オラに嫉妬を分けてくれ!

それはともかく、良いお話でした。
12.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしいお話でした!
後書きテラ一人芝居wwwwwwwwwww
13.90名前が無い程度の能力削除
ずばっとぐーたら姫に啖呵を切る姿と主の為に主に刃を向けた妖夢に惚れ惚れしました。
16.100名前が無い程度の能力削除
シリアスな話に一滴の笑い。すばらしいですね。
20.無評価通りすがり程度の能力削除
まずは、お疲れ様でした。
言い回しと言葉の読ませ方の一つ一つが面白かった。
あと、幽々子・白玉桜・冥界を題材に使うと
結構話が括られがちになるのですが
そうはならずに新しいルートを作った事に脱帽(脱ズラでも可)。
話の進め方も秀逸なのですが少々くどくなり過ぎてる感が否めませんでした。
(偉そうにスイマセン)
しかし、この点数を付けます。
良作ありがとうございました。

・・・メルポ
21.100通りすがり程度の能力削除
おおう!!マイッガ!点数付け忘れました・・・。
虫取り網で冥界の蝶を捕まえてきます・・・。
22.100ルエ削除
病院へ・・・?竹林を抜けて?(ニヤリ

いまここに愛があるという事が素晴らしいのです
私にとってはこの作品がそうなのです
23.100fr削除
このように素敵な冥界主従の絆を見てしまっては、もうこの100点を入れざるを得ない。
31.90名前が無い程度の能力削除
鳥肌が立った・・・よかったです。
32.80名前はまだ無い削除
まってましたの白玉楼
軽くなく、重すぎず、ほどよいテンポで読めました
霊夢シリーズから読ませて頂いてますが本当に文章が上達されましたねぇ
その才能に嫉tt、いやいや次回作も期待しています
34.90名前が無い程度の能力削除
最後の方の二つの山場、「無礼な言葉遣いで現在に引き戻す」と「白楼剣で切る」が盛り上がりを分断してしまっているように感じました。例えば「無礼な言葉遣いにより一旦現実に戻ったものの、西行妖に再び強く誘われて混乱し、それまで以上の弾幕を放出し始めたのでもうどうにも手に負えず、涙ながらに白楼剣を手にする…」という感じにするとか、上手く二つの山場が相乗効果を作れるように工夫するといいと思います。
35.無評価名前が無い程度の能力削除
私はあなたのデビュー作に二番目のコメントを付けた者です。
失礼を承知で申し上げます。かなり真剣に読み込みましたが、私には面白いと思える要素が見つけられませんでした。過去の話をするのは良くないと思いますが、幽々子と妖夢の絆をうたったものとしてはこれよりは素晴らしい作品が数多くあります。
説明を丁寧にしてあるのはいいのですが、流れをぶった切っているように思えました。妖夢が幽々子に入れ込む理由もわからなかったので、感情移入できません。無理やりくっつけようとしたようにしか思えませんでした。
36.100名前が無い程度の能力削除
待ってました、待っていましたとも!
そして期待通りの良作、泣かせていただきました。

地の文とキャラの会話とでテンポの緩急も心地よく感じましたし、完全に私の好みですが、ねっとり(と言っていいものやら)とした心情の描写が素敵です。

本当、白玉楼はゆるゆるとした雰囲気で包まれていて欲しいものです。


あぁ、でも彼女持ちってのは万死に値しますョ?
37.無評価俄雨削除
>>ALL
ご評価有難う御座います、有難う御座います。
毎度ご評価していただき、本当に嬉しく思っております。皆様のお声あってこその
俄雨で御座います。

>作れるように工夫するといい
ご指摘有難う御座います。何せ未熟者ですので、たまに物語が前後不覚になったり
してるかもしれません。今後はそのような事を減らすよう、努力して参りたいと思います。

>私はあなたのデビュー作
ご指摘有難う御座います。わたくし自身、妖夢は幽々子を慕っている、という前提で書きましたもので、妖夢の心理描写を怠った事は自覚しております。今後は万人に読んで頂けるようなSSに工夫して参りたいと思います。

>七氏氏
どどどど、どうか落ち着いてくださいまし。毎度読んでくださって本当に感謝しております。十人十色千差万別御座います。どうかどうか、お怒りにならず、楽しい幻想郷ライフを楽しみましょう。

皆さんのお声を糧にして、頑張って参りたいと思います。今後も投稿した際には、ご意見ご感想のほど、よろしくお願いします。

ちなみに彼女は脳内パーソナリティデス。泣けますね。
39.80名前が無い程度の能力削除
良かったです。
個人的な欲をいえば、話題の中だけでもかまわないので妖忌の出番が欲しかったかな。
41.90真十郎削除
ゆかれいむを引き立て役に
ゆゆようむペアがゴール!
次回作が楽しみだひゃっほう!
45.90名前が無い程度の能力削除
おもしろかったですよー。
今更かーいって感じですがね、気にしない方向で。
56.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしいです……

私的には非の打ち所のない作品でした。
62.100名前が無い程度の能力削除
 ああ、冥界組は幸せそうでいいな……
64.603削除
小説というよりは、何か映画か、漫画を見ているような、そんな感じでした。
題材がとても面白いです。
やはりこの作品は映像や絵などが付いてこそ生きるのではないか、と思います。
67.100非現実世界に棲む者削除
ゆゆみょんの絆は深し!
素晴らしい作品をありがとうございました。