「腕相撲しようぜ。」
深く澄んだ雪が外に降り積もっていた。
初めて博麗霊夢と霧雨魔理沙が稗田の屋敷に来てから二ヶ月と二十五日がたつ。
歓迎するとは言ったものの、まさか茶飲み話に付き合わされるようになるとは思わなかった。
文献の閲覧以外の目的で屋敷を訪ねた人間は、私の長い過去の中にいなかったからだ。
「帰納的に事象が示されるのは、科学においてのみ、か。」
「何言ってんだ?」
「長生きはするもんだって聞こえませんでしたか?」
とりわけ、この魔理沙という人はよく来る。
どうやら純粋に幻想郷の歴史を学ぶために来ているようだ。
博麗の巫女もたまに来るが、彼女はあまり歴史書には興味がないらしく、適当に幻想郷縁起のページをめくりながら、納得したりけちをつけたりして帰る。
出した茶菓子は残らずたいらげて。
茶菓子目的と思われる巫女はさておき、魔理沙が屋敷に来る理由が私にはわからなかった。
素人目にも、魔法を学ぶ上で役立つ書物がうちにあるとは思えないのだが。
それを四十二日前に魔理沙に言ってみると、
「魔法は学問だぜ?先人の行いから得るもののない学問があるか?」
と鼻で笑われた。
最後に他人に馬鹿にされたのは何代前だったか。
まあ、稗田の文献が人の助けとなるのは私の本懐なので、来たら客間に通すことにしていた。
(どうも魔理沙はただでさえ変わり者の多い魔法使いの中でも、とりわけ魔法を研鑽する方法が特殊らしい。
その発想を私が理解することは難しいだろう。
できたところで、それが正しい保証もないし。)
ちなみに彼女達が通されるのは客間で、今魔理沙がいるのは私の書斎だ。
今日に限らず、二人はなぜか私の書斎に勝手に入り込む。
最近では、彼女たちのために、客間の炬燵は書斎に移動している。
別に話しながらでも執筆はできるので構わないが。
今日も魔理沙は炬燵を独占し、歴史書を読み漁っていた。さっきまで。
「なあ、腕相撲しようぜ。」
私は一旦筆を止め、目頭を押さえた。
二回聞こえたという事は、聞き間違いではないようだ。
「遠慮します。」
「なんでだ?一回でいいからさ。」
私は、突然素っ頓狂な事を言い出した少女の方に振り向いた。
「多分弱いですよ、私。ただでさえ妖怪より強い貴女に勝てるわけないでしょう?」
「人を怪力みたいに言うな。頼むよ、一回だけ。な?」
意外にしつこく食い下がる魔理沙に、私は実は動揺していた。
彼女は書斎に来て私に話しかける事はあっても、執筆を妨げるような事は今まで一度もしなかったからだ。
何か彼女なりの意図があるのだろうか?
戸惑いながらも、机を離れ、魔理沙の向かいに腰を下ろした。
「もう。一度だけですよ?」
「ああ、わかってるよ。」
私は着物の袂を捲り、炬燵に左の肘をたてた。
魔理沙が私の手を握る。
「いいか?いち、にの……さん!」
合図と同時に、めいいっぱい力を込めた。
なのに魔理沙の腕は微動だにしない。
「ん~~~~!!」
「おいおい……」
魔理沙は、まるでなんの反作用もないように腕を倒した。
そしてため息混じりに言った。
「それで本気か?」
「じ、実は、はぁ、はぁ……手を抜いた、ん、ですよ。」
「わかったから、腕相撲くらいで息切らすなよ。」
私は大きく息を吸い、呼吸を整えた。
「ふぅ……これで満足ですか?」
「ああ。」
魔理沙はまるっきり興味をなくしたようで、また読みかけの本を開いた。
何に興味を持たれたかわからないまま時間を割いた私に対して、なんて失礼な態度だろう。
私は、知っている呪詛を頭の中で唱えながら、しばらく本を読む魔理沙を眺めていた。
今回に限らず、魔理沙はなぜか私の事を知りたがった。
(歴史はどうか知らないが、私の過去が彼女の役に立つはずはないから、単に下世話な好奇心からだろう。)
とりたてて後ろめたい事もないので、質問には答えた。
一度見たものは忘れない事。
転生前の、私が御阿礼の子として過ごした記憶が、かすかながらも残っている事。
そして、御阿礼の子はただでさえ寿命が短く、さらに転生の準備に数年かかるため、私が阿求として生きられるのは、後十年ほどしかない事。
思えば、自分の事をこんなに話したのは初めてかもしれない。
しかし、自分から聞いてくるくせに、私が丁寧に答えようとすると、魔理沙はすぐに飽きて読書に戻るのだ。
つまり何が言いたいかというと、魔理沙の失礼は生来のものであり、それを咎めても意味がないと思う。
その時一番知りたいことを知る。
それが彼女の付き合い方、生き方なのだ。おそらく。
「多分弱いって言ったよな。」
ふいに魔理沙が口を開いた。
「ええ。」
「お前、今まで腕相撲したことなかったのか?」
「あまり女性のする事ではないでしょう?」
「そうか?私と霊夢は子供ん時からしょっちゅう勝負したけどな。」
貴女達は参考にならない。
「御阿礼の子ってみんな力弱かったのか?」
「そうでしょうね。」
私は再び椅子に座り、紅茶を一口飲んだ。
「御阿礼の子は幻想郷縁起を編纂するためにいるんですから。
筆が持てるだけの力があれば充分でしょう?」
「それを決めたのはお前だろ?」
思ったことはすぐに口に出す人だな。
私は思わずこぼれそうになる笑みをこらえた。
「正確には私じゃないんですよ。
決めたのは阿礼で、私はその生まれ変わりですが、私は私ですから。
私はなんとなく覚えている転生前の意思に従っているだけです。」
「寿命が短いのも、幻想郷縁起を作るのに必要ないからか?」
「そうかもしれませんね。
ちょうど編纂し終わった頃に転生の準備を始めますから。」
「だからさっきも左腕を使ったのか?」
「え?」
「腕相撲だよ。お前利き腕右だろ。」
「いえ、それは……」
「怪我しないように、左手を出したんだな?」
確かに書くときは右手だが、それ以外の作業はなるべく左手でするようにしている。
だから無意識に左手を出したのだが。
言われてみればそれは書くのに支障が出ないように、そうしているのかもしれない。
それより、さっきからなんだか怒られている気がする。
魔理沙は立ち上がって私の所まで歩いてきて、右手を掴んだ。
「ちょっと、なにを……」
「来い。」
そのまま手を引いて、無理矢理構えさせられる。
「もう一戦だ、阿求。」
「さっき一回だけって言ったじゃないですか。」
「さっきのはナシだ。」
魔理沙は私をしっかり見据えて言った。
その目は真剣そのものだ。
「お前が自分の命をどう使おうが知ったこっちゃない。
それが他人のためでも、本を書くためでも、好きにすればいい。
けど、私と勝負する時に手を抜くな。
やるんなら本気を出せ。」
別にやりたくないんだけど。
なんだか断り難い。
「わかりました。もう一度お手合わせしてください。」
「当たり前だ。」
私達はお互いの右手を握りしめた。
「いきますよ。せーの……」
「でいっ!」
魔理沙は思いっきり私の手を叩きつけた。
「……!いったーーーーい!」
私は右手を押さえてうつむいた。
あまりの激痛に、涙がこぼれる。
「痛い痛い!痛いじゃないですかっ!なにするんですか!?」
私の泣き顔を見て、魔理沙は勝ち誇った笑みを浮かべた。悪魔だ。
「どーだ!私の勝ちだな。」
「さっきも貴女が勝ったでしょ!」
「全力でやりあって勝たなきゃ意味ないだろ?
あー、スッとした!」
そう言って朗らかに笑う魔理沙。
私は絶句した。
さっきからどうも不機嫌だったのは、私に完勝できなかったから?
なんて身勝手な人だろう!
ひとしきり笑ってから、魔理沙言った。
「お前、本ばっかり書いてないでさ。
少しは筋トレしたほうがいいぜ。」
「仕方ないでしょう。
余り無駄な事をしてる時間がないんです。」
「無駄、ね……」
また魔理沙はむすっとした。
「じゃあ幻想郷縁起は無駄じゃないのか?
今の幻想郷の妖怪は、めったに人を襲ったりしない。
人間にその対策を講じる意義があるとは思えない。」
「そうかもしれませんね。」
「じゃ、なんで編纂をやめないんだ?
少なくとも、転生の準備に要する時間の分は長く生きられるだろ。」
未だ痛い右手をさすりながら、私は答えた。
「私は、今の幻想郷が好きです。」
「はあ?」
「今までの御阿礼の子達は、幻想郷に住む人間のために人生を費やして来ました。
そういう意味では、もう幻想郷縁起は必要ないかもしれない。
けど私は里に住む、ゆとりのある人間も、その生活に、適度な刺激を与える妖怪も、好きなんです。」
今度は、なにが気に入ったのか、魔理沙はにやにやと笑っている。
情緒不安定の気があるのかも。
「だから、今の人間と妖怪の関係を崩したくありません。
今は幻想郷の中での妖怪の恐怖が薄れつつあります。
だから私は、人間に妖怪の恐怖を伝えるために、幻想郷縁起を綴っているんです。
妖怪の威厳を守るために。
おかしいですか?
なんかさっきから笑ってますけど。」
「いーや。」
「この先、妖怪が無闇に人間を襲うようになるとは思いませんが、もしそうなった時は、人間が身を守るために役立つでしょう。
人間と妖怪の均衡を保つために、幻想郷縁起はこの先も必要なんです。」
「そっか。」
魔理沙は満足そうにうなずいた。
そして帽子を手に取った。
「私は自分の事が好きなんだ。」
「はあ。」
「今日は帰るぜ。
またな。」
また不可解な事を言い残して、魔理沙は部屋から出て行った。
私はため息をついた後、今日の分の作業を終わらせるために筆をとった。
筆を走らせながら、魔理沙の言葉について考えた。
自分の事が好きか、か。
考えたこともなかった。
私はどうだろう?
よくわからないが、潔いとは思う。
人を斬るためだけを考えて打たれた刀のように、純粋に一つの目的を遂げるためにある存在は美しいと私は感じる。
人でも、物でも。
だから、幻想郷縁起を編纂する事に特化した自分も、嫌いではないはずだ。
今度魔理沙が来たときにそれを言ってみよう。
また機嫌を良くしてくれるかもしれない。
そんな事を考えながら、私は魔理沙に関する記事を追記した。
サディズムのきらいあり、と。
深く澄んだ雪が外に降り積もっていた。
初めて博麗霊夢と霧雨魔理沙が稗田の屋敷に来てから二ヶ月と二十五日がたつ。
歓迎するとは言ったものの、まさか茶飲み話に付き合わされるようになるとは思わなかった。
文献の閲覧以外の目的で屋敷を訪ねた人間は、私の長い過去の中にいなかったからだ。
「帰納的に事象が示されるのは、科学においてのみ、か。」
「何言ってんだ?」
「長生きはするもんだって聞こえませんでしたか?」
とりわけ、この魔理沙という人はよく来る。
どうやら純粋に幻想郷の歴史を学ぶために来ているようだ。
博麗の巫女もたまに来るが、彼女はあまり歴史書には興味がないらしく、適当に幻想郷縁起のページをめくりながら、納得したりけちをつけたりして帰る。
出した茶菓子は残らずたいらげて。
茶菓子目的と思われる巫女はさておき、魔理沙が屋敷に来る理由が私にはわからなかった。
素人目にも、魔法を学ぶ上で役立つ書物がうちにあるとは思えないのだが。
それを四十二日前に魔理沙に言ってみると、
「魔法は学問だぜ?先人の行いから得るもののない学問があるか?」
と鼻で笑われた。
最後に他人に馬鹿にされたのは何代前だったか。
まあ、稗田の文献が人の助けとなるのは私の本懐なので、来たら客間に通すことにしていた。
(どうも魔理沙はただでさえ変わり者の多い魔法使いの中でも、とりわけ魔法を研鑽する方法が特殊らしい。
その発想を私が理解することは難しいだろう。
できたところで、それが正しい保証もないし。)
ちなみに彼女達が通されるのは客間で、今魔理沙がいるのは私の書斎だ。
今日に限らず、二人はなぜか私の書斎に勝手に入り込む。
最近では、彼女たちのために、客間の炬燵は書斎に移動している。
別に話しながらでも執筆はできるので構わないが。
今日も魔理沙は炬燵を独占し、歴史書を読み漁っていた。さっきまで。
「なあ、腕相撲しようぜ。」
私は一旦筆を止め、目頭を押さえた。
二回聞こえたという事は、聞き間違いではないようだ。
「遠慮します。」
「なんでだ?一回でいいからさ。」
私は、突然素っ頓狂な事を言い出した少女の方に振り向いた。
「多分弱いですよ、私。ただでさえ妖怪より強い貴女に勝てるわけないでしょう?」
「人を怪力みたいに言うな。頼むよ、一回だけ。な?」
意外にしつこく食い下がる魔理沙に、私は実は動揺していた。
彼女は書斎に来て私に話しかける事はあっても、執筆を妨げるような事は今まで一度もしなかったからだ。
何か彼女なりの意図があるのだろうか?
戸惑いながらも、机を離れ、魔理沙の向かいに腰を下ろした。
「もう。一度だけですよ?」
「ああ、わかってるよ。」
私は着物の袂を捲り、炬燵に左の肘をたてた。
魔理沙が私の手を握る。
「いいか?いち、にの……さん!」
合図と同時に、めいいっぱい力を込めた。
なのに魔理沙の腕は微動だにしない。
「ん~~~~!!」
「おいおい……」
魔理沙は、まるでなんの反作用もないように腕を倒した。
そしてため息混じりに言った。
「それで本気か?」
「じ、実は、はぁ、はぁ……手を抜いた、ん、ですよ。」
「わかったから、腕相撲くらいで息切らすなよ。」
私は大きく息を吸い、呼吸を整えた。
「ふぅ……これで満足ですか?」
「ああ。」
魔理沙はまるっきり興味をなくしたようで、また読みかけの本を開いた。
何に興味を持たれたかわからないまま時間を割いた私に対して、なんて失礼な態度だろう。
私は、知っている呪詛を頭の中で唱えながら、しばらく本を読む魔理沙を眺めていた。
今回に限らず、魔理沙はなぜか私の事を知りたがった。
(歴史はどうか知らないが、私の過去が彼女の役に立つはずはないから、単に下世話な好奇心からだろう。)
とりたてて後ろめたい事もないので、質問には答えた。
一度見たものは忘れない事。
転生前の、私が御阿礼の子として過ごした記憶が、かすかながらも残っている事。
そして、御阿礼の子はただでさえ寿命が短く、さらに転生の準備に数年かかるため、私が阿求として生きられるのは、後十年ほどしかない事。
思えば、自分の事をこんなに話したのは初めてかもしれない。
しかし、自分から聞いてくるくせに、私が丁寧に答えようとすると、魔理沙はすぐに飽きて読書に戻るのだ。
つまり何が言いたいかというと、魔理沙の失礼は生来のものであり、それを咎めても意味がないと思う。
その時一番知りたいことを知る。
それが彼女の付き合い方、生き方なのだ。おそらく。
「多分弱いって言ったよな。」
ふいに魔理沙が口を開いた。
「ええ。」
「お前、今まで腕相撲したことなかったのか?」
「あまり女性のする事ではないでしょう?」
「そうか?私と霊夢は子供ん時からしょっちゅう勝負したけどな。」
貴女達は参考にならない。
「御阿礼の子ってみんな力弱かったのか?」
「そうでしょうね。」
私は再び椅子に座り、紅茶を一口飲んだ。
「御阿礼の子は幻想郷縁起を編纂するためにいるんですから。
筆が持てるだけの力があれば充分でしょう?」
「それを決めたのはお前だろ?」
思ったことはすぐに口に出す人だな。
私は思わずこぼれそうになる笑みをこらえた。
「正確には私じゃないんですよ。
決めたのは阿礼で、私はその生まれ変わりですが、私は私ですから。
私はなんとなく覚えている転生前の意思に従っているだけです。」
「寿命が短いのも、幻想郷縁起を作るのに必要ないからか?」
「そうかもしれませんね。
ちょうど編纂し終わった頃に転生の準備を始めますから。」
「だからさっきも左腕を使ったのか?」
「え?」
「腕相撲だよ。お前利き腕右だろ。」
「いえ、それは……」
「怪我しないように、左手を出したんだな?」
確かに書くときは右手だが、それ以外の作業はなるべく左手でするようにしている。
だから無意識に左手を出したのだが。
言われてみればそれは書くのに支障が出ないように、そうしているのかもしれない。
それより、さっきからなんだか怒られている気がする。
魔理沙は立ち上がって私の所まで歩いてきて、右手を掴んだ。
「ちょっと、なにを……」
「来い。」
そのまま手を引いて、無理矢理構えさせられる。
「もう一戦だ、阿求。」
「さっき一回だけって言ったじゃないですか。」
「さっきのはナシだ。」
魔理沙は私をしっかり見据えて言った。
その目は真剣そのものだ。
「お前が自分の命をどう使おうが知ったこっちゃない。
それが他人のためでも、本を書くためでも、好きにすればいい。
けど、私と勝負する時に手を抜くな。
やるんなら本気を出せ。」
別にやりたくないんだけど。
なんだか断り難い。
「わかりました。もう一度お手合わせしてください。」
「当たり前だ。」
私達はお互いの右手を握りしめた。
「いきますよ。せーの……」
「でいっ!」
魔理沙は思いっきり私の手を叩きつけた。
「……!いったーーーーい!」
私は右手を押さえてうつむいた。
あまりの激痛に、涙がこぼれる。
「痛い痛い!痛いじゃないですかっ!なにするんですか!?」
私の泣き顔を見て、魔理沙は勝ち誇った笑みを浮かべた。悪魔だ。
「どーだ!私の勝ちだな。」
「さっきも貴女が勝ったでしょ!」
「全力でやりあって勝たなきゃ意味ないだろ?
あー、スッとした!」
そう言って朗らかに笑う魔理沙。
私は絶句した。
さっきからどうも不機嫌だったのは、私に完勝できなかったから?
なんて身勝手な人だろう!
ひとしきり笑ってから、魔理沙言った。
「お前、本ばっかり書いてないでさ。
少しは筋トレしたほうがいいぜ。」
「仕方ないでしょう。
余り無駄な事をしてる時間がないんです。」
「無駄、ね……」
また魔理沙はむすっとした。
「じゃあ幻想郷縁起は無駄じゃないのか?
今の幻想郷の妖怪は、めったに人を襲ったりしない。
人間にその対策を講じる意義があるとは思えない。」
「そうかもしれませんね。」
「じゃ、なんで編纂をやめないんだ?
少なくとも、転生の準備に要する時間の分は長く生きられるだろ。」
未だ痛い右手をさすりながら、私は答えた。
「私は、今の幻想郷が好きです。」
「はあ?」
「今までの御阿礼の子達は、幻想郷に住む人間のために人生を費やして来ました。
そういう意味では、もう幻想郷縁起は必要ないかもしれない。
けど私は里に住む、ゆとりのある人間も、その生活に、適度な刺激を与える妖怪も、好きなんです。」
今度は、なにが気に入ったのか、魔理沙はにやにやと笑っている。
情緒不安定の気があるのかも。
「だから、今の人間と妖怪の関係を崩したくありません。
今は幻想郷の中での妖怪の恐怖が薄れつつあります。
だから私は、人間に妖怪の恐怖を伝えるために、幻想郷縁起を綴っているんです。
妖怪の威厳を守るために。
おかしいですか?
なんかさっきから笑ってますけど。」
「いーや。」
「この先、妖怪が無闇に人間を襲うようになるとは思いませんが、もしそうなった時は、人間が身を守るために役立つでしょう。
人間と妖怪の均衡を保つために、幻想郷縁起はこの先も必要なんです。」
「そっか。」
魔理沙は満足そうにうなずいた。
そして帽子を手に取った。
「私は自分の事が好きなんだ。」
「はあ。」
「今日は帰るぜ。
またな。」
また不可解な事を言い残して、魔理沙は部屋から出て行った。
私はため息をついた後、今日の分の作業を終わらせるために筆をとった。
筆を走らせながら、魔理沙の言葉について考えた。
自分の事が好きか、か。
考えたこともなかった。
私はどうだろう?
よくわからないが、潔いとは思う。
人を斬るためだけを考えて打たれた刀のように、純粋に一つの目的を遂げるためにある存在は美しいと私は感じる。
人でも、物でも。
だから、幻想郷縁起を編纂する事に特化した自分も、嫌いではないはずだ。
今度魔理沙が来たときにそれを言ってみよう。
また機嫌を良くしてくれるかもしれない。
そんな事を考えながら、私は魔理沙に関する記事を追記した。
サディズムのきらいあり、と。
貴方も言った
これからも素晴らしき人生に感謝
初めて感想をいただいたので、とても嬉しいです。
これからも少しずつ公開するつもりですので、よろしければまた御覧になって下さい。