噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
じっとりとした霧雨が、魔法の森を覆っていた。
今日は、朝からこんな天気だ。
まあ、魔法の森がからりと晴れる事はなかなか無いのだが。
雨が降ると、濃厚な土の香りが立ち上り、心が安らぐ。
土の香り。
母なる大地の香りだ。
万物は大地より生じ、大地へと還る。
生まれては還り、生まれては還る。
そうやって紡がれる生命の輪廻。
悠久の時間繰り返されてきたそのサイクルから外れてしまった者は、一体どうなるというのだろうか?
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
答えはあった。
蓬莱人。
いつだったか、魔理沙とともに真実の月を取り戻そうとした事があった。
その過程で、永遠の時間を生きるという少女に出会った。
蓬莱山輝夜。
八意永琳。
そして、彼女達に勧められて行なった肝試し。
そこで、もう一人の永遠を生きる少女と出会った。
それが、藤原妹紅。
彼女達が答え。
生まれては還り、生まれては還る輪廻からはじき出された者達。
でも、はじき出されたから何だというのか。
彼女達は、生きている。
今を懸命に生きている。
今を懸命に生き、お互いに殺し、殺され、また生き還り――
なんだ。
結局の所、彼女達も繰り返していたのだ。
生まれては還り、生まれては還る自然のサイクル。
その事に気付き、ちょっとおかしく思った。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
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噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
他にも、輪廻から外れたものがいたはずだ。
誰であったか。
思い出した。
幽々子だ。
西行寺幽々子もまた、生まれては還り、生まれては還る自然のサイクルからはじき出された者であった。
彼女は、繰り返さない。
生と死のサイクルを繰り返さない。
自然にあってはならないもの。
イレギュラー。
彼女を見れば、輪廻から外れたものがどうなるか判るはずだ。
私は、それを知りたい。
果たして、幸せであるのか――
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
幽々子は見た所、毎日を楽しく過ごしているように見える。
だからといって幸せであるとは限らない。
果たして、生まれては還り、生まれては還る自然のサイクルから外れたものが幸せたり得るのか、判らなかった。
私は、それが知りたい。
いや、知りたいのとは違う。
幸せだと言ってもらいたいのだ。
彼女は幸せだと言ってもらいたいのだ。
彼女と同じ境遇にある、彼女の為に。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
ぐるぐると回っていく思考を切り替えるために、外の空気を取り入れようと思った。
窓を開ける。
じっとりとした空気が、濃厚な土の香りを乗せて流れ込んできた。
半分成功で、半分失敗だった。
冷たい空気は私の思考をスッキリとさせてくれたが、湿気が私をいらだたせた。
そして、濃厚な土の香り――
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
生まれては還り、生まれては還る自然のサイクルにより蓄積した死がこの香りを放つ。
落葉が、虫の死骸が、動物の死骸が、そして人間の死骸がこの香りを放つのだ。
なんと残酷で、なんと甘美な香りか。
ああ、気が付いてしまった。
死の少女である私にとって、死を身近に感じる土の香りが心地よいのは当然の事であると。
本当に、胸のすくような良い香りだ。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
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噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
窓を閉め、お気に入りの椅子に座る。
ここからベッドを見ると、ふいに懐かしさがこみ上げてきた。
私はこの椅子に座り、魔理沙はベッドに腰掛けて、いつもたあいのない話や恋の話なんかをしたんだったっけ。
後に、彼女の夫となる男性について相談を受けた時も、彼女はこのベッドに腰掛けていたのだった。
魔理沙。
彼女は幸せだったのだろうか。
そして今、幸せなのだろうか。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
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噛む。
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噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
ワインを開けることにした。
耶蘇教の教えによると、ワインは教祖の血であるらしい。
面白い事を言うものだ。
だが、当っていると思う。
生まれては還り、生まれては還る自然のサイクル。
生と死を繰り返す輪廻のサイクルの中で蓄積された大地。
死を濃厚に含んだ大地から、ブドウは養分を搾り取り、果汁に変える。
ブドウの果汁は、大地の流した血だ、汗だ、涙だ。
死から、生を生み出すのだ。
その生をぎゅっと濃縮したジュースを発酵して得られるものが、ワイン。
濃縮された生。
そして同時に死でもある存在。
絞られてしまったブドウは、もう芽を出さない。
死だ。
生と死が濃縮されたもの、それがワイン。
生と死の循環の象徴がワインなのだ。
ちょうど体の中を巡り巡っている血液に似ている。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
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噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
ああ、良い香りだ。
軽やかな苦味と酸味、そして甘味が口の中いっぱいに広がる。
よくできたワインだ。
農家とワイン工場の人達に、賛美を送りたい。
あなたたちの努力は、確かに実ったのですよと。
そして、ありがとうと。
こんなに素晴らしいワインを造ってくれて本当にありがとうと。
そう言いたい。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
魔理沙がいたら、このワインをどう評するだろうか。
和食派の彼女は、あまり気に入らないかもしれないな。
そう思った。
ああ、ならば私はかわいそうなことをしているな。
彼女が飲みたいのは、きっと日本酒だろうに。
いや、でもけっこうなんでも飲んでいたかもしれない。
思い出せない。
もう、そんな日々ははっきりと思い出せないほど遠くに過ぎ去ってしまったのだから。
私は陶磁器の壷を手にとった。
振ってみるとカラカラと音がする。
良かった。
まだあった。
ここにあった。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
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噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
そういえば、魔理沙が死んだのもこんな霧雨の降る日だった。
彼女の名前にぴったりの日だった。
なんという偶然かと驚いたから、その日のことはよく覚えている。
たしか、何日か前から彼女が危ないということは聞かされていた。
それでも私は、表面上は普段通り振舞おうとしていた。
駄目だった。
朝食を作っている最中に指を切り、コップを割り、コーヒーを盛大にこぼした。
こぼしたコーヒーを拭いているときに、天狗の新聞で彼女が亡くなったのを知ったのだ。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
棺桶の中の彼女の顔は、とても安らかだった。
やりたい事をすべてやった。
そう思わせる顔だった。
娘さんやお孫さん達が嘆き悲しむ様子を昨日のことのように覚えている。
私は、何一つ気の効いたことを言ってやれなかった。
ふがいなかった。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
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噛む。
噛む。
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噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
そうしているうちに、魔理沙の棺桶は外に運ばれていった。
荼毘に付すのだという。
この極東の島国では、死体は燃やしてしまうとのことだった。
それを聞いた瞬間、私は叫びそうになった。
やめて!
燃やさないで!
なんでそんなもったいないことをするのよ!
だが、私は何も言わなかった。
判っていたのだ、人間と妖怪の論理が違うと言うことを。
私は元々人間だったが、人間を止めてかなり経つ。
どうしても、人間の考えと齟齬が出てしまうのだ。
なぜ、食べないのか。
なぜ、食べて弔わないのか。
みんな、魔理沙のことが好きだったんでしょう。
その思いが、私を貫いた。
私は確かに悲しんでいたのだ。
私は確かに食べたかったのだ。
だが、元人間としての理性がそれをさせなかった。
そのように思えた。
噛む。
噛む。
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噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
紅い炎は天を焦がし、白い煙はどこまでも高く立ち上った。
美しかった。
そして、辺りに立ち込める肉の焼ける匂い。
おもわず食欲を刺激され、なんど口を押さえたことだろう。
私は限界だった。
逃げ出しそうだった。
叫びだしそうだった。
わめき散らして、気をまぎらわせたかった。
できなかった。
ただ静かに、私は待った。
友の死体が焼けてしまうのを、ただ静かに待った。
そして、きれいに彼女の遺体は焼け、あとには煙と少しばかりの骨が残った。
土に還らぬ煙と、土に還らぬ骨。
魔理沙は、悠久の時を歩んできた輪廻のサイクルから、外されてしまったのだ。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
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噛む。
果たして、彼女は幸せなのだろうか?
それが私には判らなかった。
生前の彼女は幸せだったろうと思う。
愛する男と結婚し、娘と孫に恵まれて、偉大な魔法使いとして名をはせた。
充実した人生だったろうと思う。
友としてそばで見ていたものとして、そう思う。
でも、今は――
生まれては還り、生まれては還る自然のサイクルから外れてしまった今は、幸せなのだろうか?
それを知りたいのだ。
私としても、彼女を不幸にするのは嫌だから。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
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噛む。
噛む。
結論から言えば、あの日の私は冷静さを失っていたのだと思う。
親友が死んだのに、冷静でいられるような人妖と付き合いたくも無いが。
私は取り乱していたのだろう。
でなければ、あんなことをするはずがない。
あんなことをするはずがない。
たしか、人が寝静まる夜中に行動を起こしたと思う。
我が家を、スコップを手にとって。
魔理沙の墓へと向かったのだ。
土饅頭が新しかったから、間違うはずも無い。
そして、その墓を、私は、あばいた。
噛む。
噛む。
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そして今、彼女は私の手の中にある。
彼女の好きだった、星をちりばめた陶器の壷に入って。
いま、私の手の中にある。
なんということをしてしまったのか――
そういう思いもある。
けれど、この壷を手に取ると、不思議と心が安らぐのだ。
彼女を、身近に感じる事が出来るからだろうか。
彼女は、こんなことを望んでいなかっただろうに。
これは、私のわがまま。
ああ、なんだ、判っていたんじゃないか。
彼女は今、幸せではなかったのだ。
気が付いてしまった。
けれども、今更どうこうしようとは思わない。
親友よ、どうか私のわがままを許して欲しい。
私は、いつものように彼女を口に入れ――
噛む。
噛む。
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コツカミ 完
噛む。
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じっとりとした霧雨が、魔法の森を覆っていた。
今日は、朝からこんな天気だ。
まあ、魔法の森がからりと晴れる事はなかなか無いのだが。
雨が降ると、濃厚な土の香りが立ち上り、心が安らぐ。
土の香り。
母なる大地の香りだ。
万物は大地より生じ、大地へと還る。
生まれては還り、生まれては還る。
そうやって紡がれる生命の輪廻。
悠久の時間繰り返されてきたそのサイクルから外れてしまった者は、一体どうなるというのだろうか?
噛む。
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答えはあった。
蓬莱人。
いつだったか、魔理沙とともに真実の月を取り戻そうとした事があった。
その過程で、永遠の時間を生きるという少女に出会った。
蓬莱山輝夜。
八意永琳。
そして、彼女達に勧められて行なった肝試し。
そこで、もう一人の永遠を生きる少女と出会った。
それが、藤原妹紅。
彼女達が答え。
生まれては還り、生まれては還る輪廻からはじき出された者達。
でも、はじき出されたから何だというのか。
彼女達は、生きている。
今を懸命に生きている。
今を懸命に生き、お互いに殺し、殺され、また生き還り――
なんだ。
結局の所、彼女達も繰り返していたのだ。
生まれては還り、生まれては還る自然のサイクル。
その事に気付き、ちょっとおかしく思った。
噛む。
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他にも、輪廻から外れたものがいたはずだ。
誰であったか。
思い出した。
幽々子だ。
西行寺幽々子もまた、生まれては還り、生まれては還る自然のサイクルからはじき出された者であった。
彼女は、繰り返さない。
生と死のサイクルを繰り返さない。
自然にあってはならないもの。
イレギュラー。
彼女を見れば、輪廻から外れたものがどうなるか判るはずだ。
私は、それを知りたい。
果たして、幸せであるのか――
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幽々子は見た所、毎日を楽しく過ごしているように見える。
だからといって幸せであるとは限らない。
果たして、生まれては還り、生まれては還る自然のサイクルから外れたものが幸せたり得るのか、判らなかった。
私は、それが知りたい。
いや、知りたいのとは違う。
幸せだと言ってもらいたいのだ。
彼女は幸せだと言ってもらいたいのだ。
彼女と同じ境遇にある、彼女の為に。
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窓を開ける。
じっとりとした空気が、濃厚な土の香りを乗せて流れ込んできた。
半分成功で、半分失敗だった。
冷たい空気は私の思考をスッキリとさせてくれたが、湿気が私をいらだたせた。
そして、濃厚な土の香り――
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落葉が、虫の死骸が、動物の死骸が、そして人間の死骸がこの香りを放つのだ。
なんと残酷で、なんと甘美な香りか。
ああ、気が付いてしまった。
死の少女である私にとって、死を身近に感じる土の香りが心地よいのは当然の事であると。
本当に、胸のすくような良い香りだ。
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ここからベッドを見ると、ふいに懐かしさがこみ上げてきた。
私はこの椅子に座り、魔理沙はベッドに腰掛けて、いつもたあいのない話や恋の話なんかをしたんだったっけ。
後に、彼女の夫となる男性について相談を受けた時も、彼女はこのベッドに腰掛けていたのだった。
魔理沙。
彼女は幸せだったのだろうか。
そして今、幸せなのだろうか。
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ワインを開けることにした。
耶蘇教の教えによると、ワインは教祖の血であるらしい。
面白い事を言うものだ。
だが、当っていると思う。
生まれては還り、生まれては還る自然のサイクル。
生と死を繰り返す輪廻のサイクルの中で蓄積された大地。
死を濃厚に含んだ大地から、ブドウは養分を搾り取り、果汁に変える。
ブドウの果汁は、大地の流した血だ、汗だ、涙だ。
死から、生を生み出すのだ。
その生をぎゅっと濃縮したジュースを発酵して得られるものが、ワイン。
濃縮された生。
そして同時に死でもある存在。
絞られてしまったブドウは、もう芽を出さない。
死だ。
生と死が濃縮されたもの、それがワイン。
生と死の循環の象徴がワインなのだ。
ちょうど体の中を巡り巡っている血液に似ている。
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よくできたワインだ。
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そして、ありがとうと。
こんなに素晴らしいワインを造ってくれて本当にありがとうと。
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和食派の彼女は、あまり気に入らないかもしれないな。
そう思った。
ああ、ならば私はかわいそうなことをしているな。
彼女が飲みたいのは、きっと日本酒だろうに。
いや、でもけっこうなんでも飲んでいたかもしれない。
思い出せない。
もう、そんな日々ははっきりと思い出せないほど遠くに過ぎ去ってしまったのだから。
私は陶磁器の壷を手にとった。
振ってみるとカラカラと音がする。
良かった。
まだあった。
ここにあった。
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そういえば、魔理沙が死んだのもこんな霧雨の降る日だった。
彼女の名前にぴったりの日だった。
なんという偶然かと驚いたから、その日のことはよく覚えている。
たしか、何日か前から彼女が危ないということは聞かされていた。
それでも私は、表面上は普段通り振舞おうとしていた。
駄目だった。
朝食を作っている最中に指を切り、コップを割り、コーヒーを盛大にこぼした。
こぼしたコーヒーを拭いているときに、天狗の新聞で彼女が亡くなったのを知ったのだ。
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やりたい事をすべてやった。
そう思わせる顔だった。
娘さんやお孫さん達が嘆き悲しむ様子を昨日のことのように覚えている。
私は、何一つ気の効いたことを言ってやれなかった。
ふがいなかった。
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そうしているうちに、魔理沙の棺桶は外に運ばれていった。
荼毘に付すのだという。
この極東の島国では、死体は燃やしてしまうとのことだった。
それを聞いた瞬間、私は叫びそうになった。
やめて!
燃やさないで!
なんでそんなもったいないことをするのよ!
だが、私は何も言わなかった。
判っていたのだ、人間と妖怪の論理が違うと言うことを。
私は元々人間だったが、人間を止めてかなり経つ。
どうしても、人間の考えと齟齬が出てしまうのだ。
なぜ、食べないのか。
なぜ、食べて弔わないのか。
みんな、魔理沙のことが好きだったんでしょう。
その思いが、私を貫いた。
私は確かに悲しんでいたのだ。
私は確かに食べたかったのだ。
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噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
紅い炎は天を焦がし、白い煙はどこまでも高く立ち上った。
美しかった。
そして、辺りに立ち込める肉の焼ける匂い。
おもわず食欲を刺激され、なんど口を押さえたことだろう。
私は限界だった。
逃げ出しそうだった。
叫びだしそうだった。
わめき散らして、気をまぎらわせたかった。
できなかった。
ただ静かに、私は待った。
友の死体が焼けてしまうのを、ただ静かに待った。
そして、きれいに彼女の遺体は焼け、あとには煙と少しばかりの骨が残った。
土に還らぬ煙と、土に還らぬ骨。
魔理沙は、悠久の時を歩んできた輪廻のサイクルから、外されてしまったのだ。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
果たして、彼女は幸せなのだろうか?
それが私には判らなかった。
生前の彼女は幸せだったろうと思う。
愛する男と結婚し、娘と孫に恵まれて、偉大な魔法使いとして名をはせた。
充実した人生だったろうと思う。
友としてそばで見ていたものとして、そう思う。
でも、今は――
生まれては還り、生まれては還る自然のサイクルから外れてしまった今は、幸せなのだろうか?
それを知りたいのだ。
私としても、彼女を不幸にするのは嫌だから。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
結論から言えば、あの日の私は冷静さを失っていたのだと思う。
親友が死んだのに、冷静でいられるような人妖と付き合いたくも無いが。
私は取り乱していたのだろう。
でなければ、あんなことをするはずがない。
あんなことをするはずがない。
たしか、人が寝静まる夜中に行動を起こしたと思う。
我が家を、スコップを手にとって。
魔理沙の墓へと向かったのだ。
土饅頭が新しかったから、間違うはずも無い。
そして、その墓を、私は、あばいた。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
そして今、彼女は私の手の中にある。
彼女の好きだった、星をちりばめた陶器の壷に入って。
いま、私の手の中にある。
なんということをしてしまったのか――
そういう思いもある。
けれど、この壷を手に取ると、不思議と心が安らぐのだ。
彼女を、身近に感じる事が出来るからだろうか。
彼女は、こんなことを望んでいなかっただろうに。
これは、私のわがまま。
ああ、なんだ、判っていたんじゃないか。
彼女は今、幸せではなかったのだ。
気が付いてしまった。
けれども、今更どうこうしようとは思わない。
親友よ、どうか私のわがままを許して欲しい。
私は、いつものように彼女を口に入れ――
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
噛む。
コツカミ 完
いいなあその風習。まだ風習が残るのはいいことだぜ。
最初は吸血鬼姉妹のどっちかと思ったんですがどうなんだろう。
>死の少女である私にとって
アリスでしょうなあ
何かすごく文章に引き込まれました、ごちそうさま
「噛む。」が異様に繰り返されるのも最後まで読んだあと背筋に来る感じで良かった。
こういう仕掛けのある作品は好きだなぁ。
同じ言葉を繰り返したのが効いている様でよかった。
しかし、アリスに狂気はよく合うなあ。