前回までのあらすじ。
輝夜が慧音に気を持ったり。
慧音が妹紅をおかしいんじゃないかと思ったり。
それでもやっぱり愛してるんじゃないかと思ったり。
輝夜は蓬莱人を理解しようとする慧音を愛しく思ったり。
妹紅がぼろぼろだったり。
結局輝夜が上白沢家にいついたり、そんなお話でした。
もし貴重なお時間にお暇があり、そのお暇をわたくしめの作品で潰してもいいかという方はどうぞ一読ください。
以下レンジャー訓練装備で山並みを三十キロ
↓
1 高木神之血統
「……姫」
到底人間には理解しえない思考と技量を持つ八意永琳は、ただ手を見つめていた。
ただ月明かりに透ける手を、じっと見ていた。
天才であるし、恐らく人間が存在しえる以前より存在したであろうこの薬師は、解らない事な
ど無いと、自負していたつもりだった。
しかしつい最近、解らない事が出来たのである。故に意味もなく月明かりを見ていた。長年の
付き合いである己の体の一部を、月と重ね合わせ見透かすように。
姫が居なくなってからも日課は変わらない。
朝起きて、身支度を整えて、まず向かうのは輝夜の部屋。
長年の連れ添い。変わらない美しさを称えた月の姫に挨拶を済ませるのだが……。
もうこの時点で日課が狂っている。いつも通りこなすのだが、部屋に中身はなく伽藍堂である。
ここ数日、この伽藍の部屋を覗く度に、溜息が出た。
……永琳が、開放的になった永遠亭から輝夜が出て行く可能性を予想しない訳がなかったが、
いざ居なくなって見るとここまで落胆が大きいものか、とギャップを思い知らされる。
それはもう長い間同じように繰り返してきたのだ。真っ当な精神を保有していない永琳とて、
突如日常が変化するのは違和感がある。
「輝夜様……」
あれは居るだけで良かった。別段と彼女に何かを求めていたものではない。永遠の惰性とでも
称するべき存在だ。そして必ず居て欲しい存在であり、それが全てと言っても過言ではない。
でもなければ、わざわざ月を模造し地上を隔離するなどという暴挙になど出ない。
居るだけでよかったのだ。愛してくれなどとは言わない。
そんなものはもう言い尽くしてある。
だが、今は居ないのだ。
本日はもう他にすることは無い。というよりは、あまり仕事が手につかない。
永琳は輝夜が居なくなるまでの状況に満足していた。
途方も無く長い間を生きてきたヒトガタの何かである永琳は、尽きる事のない命に、とうに諦
めがついている。それは蓬莱人たる妹紅も永遠たる輝夜も同じであるが、安定感を好ましく思
う限りは状況はとても有意義である。
特に妹紅はこの幻想郷を蓬莱山と呼んだ。暇は暇だが、刺激のある暇があり、最近は相方も出
来たのであるからして満足この上ないだろう。
永琳もまた、この幻想郷が実に住み易く平穏でいられる事に安心している。
では、同じような方向性の思考を持つ輝夜は、一体何が不満だったのだろうかと考えてみる。
部屋に戻り、いつもの椅子に座り、筆を構え、中空を見上げる。
「人が恋しくなった……か」
それはいつの記憶なのか。何をそれほど恋しがったか。月人の事か、それとも地上人の事か。
「いや……」
いや、たぶん、と頭を振る。
生命に限界があるものへの憧れ、なのであろう。輝夜は妹紅が羨ましい、慧音が美しいと語っ
ていた。
思い出せば何の事はない、そのままの意味である。
ついぞそんな切ない想いをした覚えの無い永琳からすれば、不思議ではあるが。
慧音は有限。
しかし自分は不変で輝夜は永遠で妹紅は不死。
絶対的価値観の違う人種が、理解などしてもらえるのだろうか。
永琳には悩みだった。何せ前例はない。
そして更にもうひとつ。
自分はあの蓬莱山輝夜を、繋ぎとめるだけの力も魅力もなかっただろうか。
それが今一、納得いかない。愛せとは言わない。愛しているとも言わない。だが、蓬莱山輝夜
が満足出来るよう、尽くしてきた事実がある。歴史がある。
突発的な行動にせよ、やはり不自然だ。何せ永琳からすれば永遠亭は絶対的な領土である。
領土内のものは、全て掌握しきっているはずだったが……。
何度考えても納得いかない。
自分に足らなかったものは? この天才が理解出来ない、何かがある?
「はぁぁぁぁ……」
漏れるのは排気ばかり。
たった数日主が居ないだけで酷い落ち込みぶりであった。
「師匠。お茶持ってきたんですけれど……飲みます?」
「うどんげ? えぇ、頂くわ」
そして当然の事ながら、ついぞそんな姿を観た事がない鈴仙も永琳を心配する。
永遠亭の精神衛生はぐっと下落の一途を辿っていた。
「師匠……姫がそんなに心配ですか?」
「悩みはもっと深い部分だけれど……そうね、心配と指摘されれば心配の類ね」
鈴仙からお茶を受け取り、一息付く。
自分がこれでは鈴仙にも示しが付かない。とは頭で解っていても顔は暗くなる。
「姫はお元気でしたよ」
「……? 姫を見かけたの?」
「はい。人里に薬売りに行きましたら、寺子屋近くで」
ふと永琳は顔を上げて目をパチクリさせる。鈴仙はそれが面白かったのか、思わず吹き出した。
「し、師匠……慧音さんの家にいるんだから、当然人里にいますよ……ぷぷ」
「な、なな、何ようどんげ。師匠を笑うとはいい度胸じゃあない?」
「だって……あははっ! 師匠ったら可愛いんですもんっ」
「う……」
まさかこの天才八意永琳が、月の兎の笑いものにされるとは……。多少プライドは傷ついたが、
別段悪い気がする訳ではない。ただ、自分がそんな顔をする事があるのだ、と意外であったの
だ。兎に窘められる程に、面白い顔だったに違いない。
「師匠、まさに図星を突かれた少女の顔です」
「う、五月蝿いわねぇ。うどんげ、ちょっとこっち来なさい」
「えー。お仕置きですか?」
「当然よ」
普段から大したお仕置きなどしないが、ただ気恥ずかしさを紛らわしたかった。
「『ぴょんぴょん。うさみみは飾りじゃないんですよー』」
「や、やぁですよ。師匠やめてくださいぃ」
「『とれますけどー』」
「取れません!! それじゃあ飾りになっちゃうじゃないですか」
「『うどんげの本体です』」
「えっ……」
「『我兎耳。故に優曇華兎也。臨める兎、闘う兎、皆兎烈れて兎に在り』」
「い、意味わかんないですよししょうぅぅ」
「おほほ。馬鹿な事いうから悪いのよ、この、この」
鈴仙の耳をいじくり、自分でも何をやっているのかと思う。けれどそんな馬鹿な行ないもまた、
鈴仙だからこそ出来るのだ。
モノは違えど互いに罪人。永遠亭は家族の住む家である。
「満足」
「はぁぁ。耳、敏感なんですから止めてくださいよ」
「そう、大事なところが敏感なのね。しかも良く聞こえる。そんなに良いの?」
「どんな表現ですか……」
「はいはい、ごめんなさいね。行っていいわようどんげ」
永琳を離れた鈴仙は、何か気恥ずかしそうに俯いて動かない。永琳が小首を傾げる。
「師匠」
「なにかしら?」
「お忙しいのは解ってます。けれど、会いに行ってみたらいかがですか?」
「……姫のお邪魔になるわ」
「それと……」
「なぁに、まだあるの?」
「あの、寂しかったらいつでも呼んでくださいね」
「ば、馬鹿言ってるんじゃないわよ。早くお帰りなさい」
「はい……おやすみなさい」
愛い奴だなと、永琳は鈴仙が退散してから微笑んだ。師匠を楽しませてくれるのならば、匿っ
て正解だったと思う。それに鈴仙は、なかなかに素直でいい子だ。
あれを育てる事で、自分の暇が潰れるのならば良し。
鈴仙が立派な薬師になるのも良し。
気まぐれにしては、いい子を拾ったものだと、満足する。
「姫……ねぇ」
邪魔になるからと思い、様子を見に行く事はなかった。姫の自発的な行動を制限する権限は永
琳にはなく、望むのならば何でも与えようと考えているだけにあまり無粋な真似はしたくなか
ったのだ。
姫の為を想えばと……。
しかしやはり、私心を圧殺して他人に大切な人を持って行かれるのはいい気分ではない。
愛してるとは言わない。愛して欲しいとは言わない。
そんなものは言い尽くしたのだ。
だが……やはり愛している。口に出さないだけで。
何せ、輝夜は永琳しかいないのだ。永琳もまた輝夜しかいない。
長い永久を共にして行くのは、互い同士しかいないのだから。
2 真昼の月
その日の幻想郷は実に気分の良い天気をしていた。こんな日よりなれば、うさぎ達もさぞかし
疲れて帰ってくる事だろうが、事前にえーりん特製栄養ドリンクを強制的に飲ませたので死ぬ
か死なないか一歩手前でも元気に走り回るだろう。
鈴仙には処方せず、変わりにミニスカとサイハイソックスを与えてきた。
絶対領域保有者となれときつく言ってきたのだ。勿論意味はない。
最初は嫌がっていた鈴仙も、履いてみると幾ら跳ねてもショーツが見えない事に驚き、別の意
味で永琳を尊敬していた。永琳も原理は知らないがあれは重力場を発生させるらしい。
当然そんな考察もまた意味は無い。
「ま、舞い上がってるのかしらね私」
天才も理解し得ぬテンションだった。
それは兎も角として、人里まで降りてきたのだ。薬売りも殆ど兎に任せている為、永琳が人里
に来るのは稀である。
一晩悩みあぐねいた結果だ。このまま仕事に手が付かない事も問題であるし、輝夜の顔を見て
冷静さを取り戻せるなら行くべきである。顔さえ見れれば合わずとも良い。
大事さえなければいい。
「ごめんくださーい」
とは思ったものの、やっぱり直接会いたいとすぐさま心変わりする。決断は早い。
「はいはい、どちらさ……えー」
「あら妹紅じゃない。こんにちは」
上白沢家から出てきたのは妹紅であった。まだ眠そうに目を擦っている。もう正午になるのだ
が。取敢えずそのだらしなさを諌めると、はいはいと適当にあしらわれた。
「そうね、ハクタクは寺子屋ですものね」
「名前で呼んであげなよ。少なくともお前よりは人だ」
「妹紅も正論を言うのね。そうするわ」
「ところで何しにきた?」
「姫の様子を見に来たのよ」
「うーん。輝夜は今寺子屋で遊んでるよ」
「……そ、想像がつかないわ」
「そうか? あれはあれで楽しんでるみたいだけれど。もしかして永琳、あいつが面白そうに
してるの、観た事無い?」
「え、いやまさか……何年付き合っていると思って?」
「だよねぇ。人間になってから千数百年は付き合ってる筈だもんね」
「えぇ。それで、今は授業中? というか姫も一緒に?」
「いや、そろそろ授業も終わる頃だし、皆とはしゃいでるんじゃないか?」
「は? こ、子供達とはしゃいでる? 姫が?」
「……えーりん。お前さ……」
「い、いいのいいの。その質問は勿論イエスよ。わわ私、ちょっと見てくるからおほほほ」
「……え、えーりん……」
月の頭脳が頭痛を催した。
あの、あの輝夜が? 笑顔で子供達と戯れる姿などトテモ想像できない。何せ高貴な存在だ。
気位だって高い。地上人を穢れと、その他を下々と蔑む輩が……笑顔で?
一体輝夜にどんな心変わりがあったのか。
今までの悩みも含め、永琳の頭脳で処理出来ない事象が多すぎる。
「天才は驕りかしら……というかというか? 姫が何故? 暇そうにはしていたけれど、暇つ
ぶしに自らそんな里の子供と……」
永琳には全く想像出来ない。
あの蓬莱山輝夜の、笑顔が思い出せない。
「……あれ……?」
そしてハタと気が付く。
最後に輝夜の笑顔を見たのは、何時だっただろうか?
確かに自分は輝夜が満足出来るようにと尽くしてきたつもりだったが……ついぞ、あの姫の笑
顔をみた覚えがない。長い間生きていて、一日一日を事細かに覚えている程変態的な頭脳では
ない。だとしても、最近見たのなら覚えていてもいい筈だ。
しかし思い出せない。あの美しい顔が、綻ぶ姿を。
そんな考えを錯綜させていると、直ぐに寺子屋は見えた。
その先に居るのは、子供達と蓬莱山輝夜その人。
「ひめ……え?」
「こら貴方達。頭が高いわ」
「へへー」
「おほほほほほ♪ さぁ、次は誰が鬼? え、私?」
「ははー。恐れ多くもそのとおりでございますー」
「まぁいいわ。それ逃げろやれ逃げろ。姫様の鬼は、冗談じゃすまされないわよ?」
永琳は口を半分開けたまま停止した。愛しのお姫様は子供達に遺憾なくカリスマを発揮し従え
ていたのだ。その滑稽な様は笑うに笑えない。
「うぉぉぉぉぉ!!! こえええええ!!! 姫様こええええええ!!!」
「うぉ!! 音もなく現れる!! しかも消える!!」
「取って食うぞ虫けら共♪」
「でたああああああぁぁあぁ!!!! どんだけだし!! どんだけだし!!」
果てしなくハイテンションな鬼ごっこが展開されている。輝夜は惜しむ事無く須臾を用いて子
供達を翻弄。狂っているとココまで出来るらしい。
「輝夜、楽しそうだな」
「……あ、ハクタク……じゃなく、慧音」
「不思議な光景だろう。私もそう思う」
「……えぇ」
あれは月の姫なのだ。神聖不可侵にて冒すべからず、と説明がそえられるほどの。勿論地上
に墜落した存在ではあるも、その気品は永遠変わる事などない。
概念という概念をハリボテのカキワリにまで価値を落とす、冗談では済まされない力を有した、
月の姫なのだ。
それがどうだろう? 今はまるで近所のお姉さんと相違ない。
多少可笑しい所はあれど、今この広場において子供達と輝夜は平等だろう。
自分に頼りきっている輝夜ではない、輝夜。それがどれだけ新鮮なものか。科学ゴミが土に返
ってまだあまるだけの時間を共にしていて……永琳は、そんな輝夜の顔を見た覚えがない。
「ふふ。高貴なものが童心に返る姿とは、趣深いものがある。多少傲慢だが」
「不敬ね。でもまぁ……そうね。姫とは言っても……堕ちて長いし」
「永遠からすれば須臾の間ではないのか?」
「人間的な時間の感覚はあるわ。少なくとも今は人と暮らしているのだもの」
「そうか。それで、永琳は輝夜の顔を見に来たのか」
「話が繋がらないわ」
「いや……人間的な時間の感覚に生きているならば……やはり今までずっと一緒にいた存在が
突如居なくなって、寂しい思いをしたのだろう、と考えが及んだのだが?」
「うぅ……どうしてこういう事については、皆が一枚上手なのかしら」
「自分の体の一部は普段からあって当然だが、ある日それを摘出されてしまうと、酷くその場
所が寂しくなる。貴女の場合は、ここだろう」
慧音に、胸を指差される。
「永琳は頭がいい。だから何でも頭で考えようとする。私心を殺してでも頭で。でも今回は違
う。ここに来たのも、失ったものを埋めたいから。それは頭でなく、心が動かしたものだ」
「まるで昨日の私を見ていたような発言ね。うどんげにも指摘されたわ。私ってそんなに顔に
出るのかしら?」
「当然。頭でなく、心で考えているのだから表情にも出よう。心は天才じゃないのだな」
「はぁぁぁ……やぁね。ポーカーフェイスなんて相当昔に会得していたと思っていたわ」
「どのくらい前なのか想像もつかんな」
「想像しちゃダメよ」
改めて輝夜に目をやる。
彼女は楽しそうだった。あの底知れぬものがある輝夜が、どこまで本気で笑っているのかは永
琳すら知れぬが、少なくとも自分の前であのような顔はしなかった。
最後に見たのは何時だったか。
それすら思い出せぬ程、遠い昔なのだろう。
無かった筈はない。あっかからこそ、今までずっと一緒にいたのだ。
心苦しいものを、感じる。この自分がまさか、とは思う。
けれど、事実だ。大切なモノは、手放してからこそ、その大切さを再認識させられる。何も永
遠に失う訳ではない。逢おうと思えば何時でも逢える場所にもいる。
だが、それが体の一部である場合、数センチ離れようと、違和感は付き纏う。
「今日は帰るわ」
「輝夜に顔を合わせなくてもいいのか?」
「あんな眩しい顔、見たら日焼けしちゃうわ」
「お肌は大事にな、薬師」
「えぇ、コラーゲン取ってるから大丈夫よ」
「―――永琳。輝夜は……」
「いいのよ、慧音。姫の好きにさせるのが、今は一番いいわ。大方、暇も潰れるし貴女と戯れ
ている方が楽しいのでしょうから」
「いやその、それは……」
「傷物にしないで頂戴ね? 貴女の角、鋭いから」
そして、永琳はまた離れる。輝夜は今、自分より笑顔が欲しいのだ。そう納得して、広場へ背
を向けた。慧音には、その背中が寂しそうに見えたが、同時になんとも言い難い、不思議な感
情を読んで取った。
そう。なんとも言い難い、あのモヤモヤする感情だ。
3 からだのいちぶ
利き手を失ったとする。即ちそれは生きて行く上でこの上なく不便であり、ストレスが溜まる
だろう。まして人生と同じだけの時間使い続けてきた大事な部分であるから、失っただけでも
心を病むかもしれない。それは酷い妄想となり、無いはずの部分が痛んだりする。
所謂幻痛症だ。
これは無い部分が痛む。故に身体的なダメージは少ないが、病んだ心が更に病む。心が更に病
めば、自ずと身体的にダメージが出る。早期治療が必要になるだろう。自宅と心療内科の往復
となり、心身及び保険をかけていないとサイフにまで多大なるダメージを与える。
永琳が何を言いたいか、といえば。元から無い部分が痛む苦痛をどう抑えたらいいか、という
問題だ。
実は都合良く医者なのだが、何せ自分が病に冒された事がない。
精神病は薬で治す方法もあるが、永琳に薬物は無意味だ。
唯一効く特効薬となれば輝夜だろう。だが、自由にさせてやりたいと思う故、手には入らない
蓬莱の薬となり果てている。
蓬莱の薬さえ自分で作れる癖に―――と、意味なく悔しがった。
たった数日で、永琳は重病患者である。あっちを向けば輝夜を探し、こっちを向けば輝夜を追
う。幻覚だと気が付いて珈琲をあおったと思ったら、試験中の薬品だった。
効かなくて良かったと安堵する。人間なら三日はラリる所であった。
いっその事ラリってしまった方が……と胡蝶夢丸を大量服用してみる。当然効かないのでお腹
一杯になってその日の夕飯は拒否した。
鈴仙が心配そうな顔をして現れる。少しでも胸の隙間を埋めれれば、と思い鈴仙に手出しして
みるものの、色々な道具を取り出した所で逃げられた。
久しぶりに人間らしい自己嫌悪に陥ってみる。ああ、これは典型的な鬱病に近づいてきた、と
自己診断。しかし治療法はあれど悉く自分には効かない。
不変の薬師も不治の病には勝てないらしい。
「あぁぁぁぁぁぁ……ひめぇぇぇ……ひめぇぇぇ……」
「師匠……」
「あぁうどんげ……ごめんなさいね……私ったら薬も効かないのにラリって……」
「表現が色々危ないです。いえさっきのは良いとして……その」
「なに……?」
「私、姫を連れ戻します」
と、もう流石に見かねた鈴仙が決意した。
「だ、ダメようどんげ。今は姫の好きにさせてあげて」
「でも師匠。最近ご自分のお顔、見た事あります?」
永琳は指摘され、手鏡を取り出し自分を映し出す。
「誰!?」
「コラーゲンが足りません、師匠……」
「あぁ……大分老け込んじゃってるわ……薬効かない癖に栄養は取れるの、栄養も薬も同じよ
うなものなのに……不思議ね」
「そんな師匠の身体矛盾なんて知りませんよ……兎も角、姫は連れ戻します」
「……姫が帰りたがるとは思えないけれど……」
「いいえ、師匠の危機です。無理でも行きます」
「うどんげ……」
しかし、鈴仙はそんな忠告を無視して夜空へと飛んでいった。
永琳の言葉は、恐らく間違いないだろう。
「月が綺麗だな、狂気の兎」
「……慧音さん?」
「こんな夜遅く、人里になんのようだ?」
鈴仙が人里に差し掛かったところ……丁度入り口付近で降り立ったのだが、そこで居合わせた
のは、上白沢慧音であった。何かしら、警戒を感じる。
「別に、永遠亭の人間が可笑しな事をするとは思っては居ない。だが、夜中に人里に現れるの
は感心しないな。せめてその耳を隠して欲しい」
「あっ……ご、ごめんなさい。自分が妖怪扱いされているの、なかなか意識しなてなくて」
「うん、それでいい」
うどんげが懐から出した帽子を目深に被ったところで警戒は解かれた。万の一の可能性を警戒
するのが、防人である。紅い館の門番然り、守護者とは常に守るものを至上としている。
「満月ではないが、月が綺麗だったからな。多少、警戒してしまった。許して欲しい」
「妖怪は月齢の他にも、やはり光だけでも影響が大きいでしょうから、仕方ありませんよ」
「まぁ……人里で人を襲う馬鹿妖怪などそうそう居ないし、まして鈴仙であれば尚更なのだが
……うんまぁ。性分だ。それで、なんのようだ?」
「じ、実は……」
歩みを進めながら慧音に永遠亭の事情を話す。あの永琳が参りに参っていると聞かされ、先生
は大いに驚いたらしい。
「永琳がグダグダ?」
「グダグダです。酷いんです」
「しかし―――あの輝夜が素直に話に応じるかどうか。そもそも、鈴仙は輝夜のペット扱いだ
ろう? ペットの話を、聞くとは……」
「うぅイタイ所を……えぇどうせ私は一括りでイナバですよ……」
「しかし、師匠を思いやるその師弟愛は、賞賛に値すると思う。なるべく聞くように促そう」
「あぁ! 有難う御座います……やっぱり知識人は違いますね……」
「関係は無いと思うが……知識人でも馬鹿はいる」
慧音に連れられ、鈴仙は上白沢家の前まで辿り付いた。だが、なかなかその一歩が踏み出せな
い。中に居るのは、当然妹紅と輝夜だろう。
永遠亭の主である輝夜には、ペット扱いされている。イナバはイナバなのだ。
その一イナバの話をどこまで聞いてくれるのか、というのは果てしなく疑問である。
だがこれも師匠の為を思えばこそ……。鈴仙は控えめに扉を開いた。
「帰らないわよ?」
扉を開けた瞬間からこれである。
「ひ、姫……あのですね、その師匠がですねぇ……」
「……? 永琳がどうしたのよ? まさか本当に連れて来いとでも言われたの?」
「まぁ、鈴仙、まず中へ入れ」
「うぅぅ……お邪魔します」
鈴仙は思った。なぁんで師匠はここまでワガママな女を気にかけられるのか、と。
4 帰りませんよ勝つまでは
「永琳がグダグダ?」
「はい。グダグダなんです」
「具体的に説明して頂戴」
「……まず、朝起きますと誰も居ない姫の部屋に挨拶をします。そして虚ろな目で戻ってきて、
私の頭を鷲づかみにして、栄養剤をねじ込んできます。それに飽きたのか、最近は耳を結ぶん
です。ちょっと痛いです。お仕事の最中も心ココにあらず、といった様子で、混ぜちゃいけな
い薬品を混ぜて私が死にかけたり、治療と称してツムジを押されたり、夜になるとお夕飯も食
べず輝夜様姫様と探し回り……あれはホラーです。ホラー」
「……」
「……か、輝夜。そのえーりんはヤバイ。やばいよえーりん」
「そ、それで?」
「そして寝る頃になるとその……熱っぽくてふかぁぁぁいため息を吐くんです。あれちょっと
艶かしすぎて困るんです。物凄い目で見られます、私」
「輝夜、それ病だ。病気だ」
「妹紅五月蝿い。へぇーほぉーふぅーん。んふふふ」
「な、何が面白いんです?」
全ての元凶たる輝夜といえば……トテモ面白そうに笑っていた。これは永琳も鈴仙も良くみる
邪悪な笑いである。笑顔というには多少憚りがある。
かぐや姫の心底は……大して深くない部分にあるらしい。
蓬莱山輝夜の思惑といえば、慧音の家で面白おかしく暮らしてみたい、という一種の欲望であ
る。楽しい思い出を持って長い時を生きていきたい。
それを糧に永遠の暇を潰したい。
―――そして、もうひとつ、思い出作り以外に目的があった。
「いえね。そう、そっかぁ。永琳が。ふふ」
「輝夜きもい」
「輝夜、その不気味な笑いなんとかならんものか」
「姫、ラスボス顔です」
「やぁね、この神にも等しき女を馬鹿だの阿呆だの。ちょっと、嬉しかっただけよ」
「嬉しいとあんなきもい顔するのか……」
「些か殺気を感じた」
「……話が進みません。姫、それで、何が面白いんです?」
「あっはっはっ。それはねぇ―――」
体の一部を失うと、当然痛みがある。
しかしそれは、元は一部などではなかった。完全に分離した二つの存在である。
次第に融合し、二つが一つとなっただけ。
そして今は、それが改めて二つに戻っただけの話である。
だが、融合したものを分離させると支障が出る。少なくとも人間的な精神を有する存在が心を
分離された場合、化学物質で出来ている訳ではないから上手くは離れない。
一つになる前、自分は輝夜に対してどう接していただろうか?
兎に角魅力的であった。どうにかして手に入れてみたいと、考えた。
それは汚い下心だったのかもしれないが、理由はどうあれ蓬莱山輝夜は八意永琳という超越者
と一緒にいる事を選んだ。
美しかった。嬉しかった。
あの蓬莱の姫の笑顔を見るたびに……心を解かされる想いがした。
自分はこれから、また新しい存在を手に入れて、終わらない命を生きて行ける。
「姫……」
八意永琳からしても、当然暇はある。暇を潰す存在としても、蓬莱山輝夜を手に入れたかった
事実を、永琳は本人の前ですら否定しない。互いに解っているから。
そして、もっともっと、この底知れぬ月の姫を自分の物にしてみたい。そう、思った。
故に様々なアプローチをしたと思う。
ワガママを聞きながら、互いに笑いあいながら。
それは一体どれほど前だったのか。そんな初々しい時期が、二人にはあった。
今となっては……次第に惰性となり、融合というよりも……一緒になって退化した。
自分はあの頃、なんと姫に声をかけただろうか。
自分はあの頃、どのように姫に思いを伝えただろうか。
今が分離した悪影響で、劣化しているのならば、それを補うには……。
「そう……すっかり、忘れてたわ」
見目麗しい姫に―――。そう。
「あぁ……最近、愛してるなんて、言った事がないものね……」
今日もまた、永遠亭に深い深い溜息が響いた。
結局、性悪かぐや姫は―――永琳という従者にやきもちをやかせたかったのである。
ただの一言でも、永遠の従者に愛を語らってもらいたかったのだ。
輝夜が慧音に気を持ったり。
慧音が妹紅をおかしいんじゃないかと思ったり。
それでもやっぱり愛してるんじゃないかと思ったり。
輝夜は蓬莱人を理解しようとする慧音を愛しく思ったり。
妹紅がぼろぼろだったり。
結局輝夜が上白沢家にいついたり、そんなお話でした。
もし貴重なお時間にお暇があり、そのお暇をわたくしめの作品で潰してもいいかという方はどうぞ一読ください。
以下レンジャー訓練装備で山並みを三十キロ
↓
1 高木神之血統
「……姫」
到底人間には理解しえない思考と技量を持つ八意永琳は、ただ手を見つめていた。
ただ月明かりに透ける手を、じっと見ていた。
天才であるし、恐らく人間が存在しえる以前より存在したであろうこの薬師は、解らない事な
ど無いと、自負していたつもりだった。
しかしつい最近、解らない事が出来たのである。故に意味もなく月明かりを見ていた。長年の
付き合いである己の体の一部を、月と重ね合わせ見透かすように。
姫が居なくなってからも日課は変わらない。
朝起きて、身支度を整えて、まず向かうのは輝夜の部屋。
長年の連れ添い。変わらない美しさを称えた月の姫に挨拶を済ませるのだが……。
もうこの時点で日課が狂っている。いつも通りこなすのだが、部屋に中身はなく伽藍堂である。
ここ数日、この伽藍の部屋を覗く度に、溜息が出た。
……永琳が、開放的になった永遠亭から輝夜が出て行く可能性を予想しない訳がなかったが、
いざ居なくなって見るとここまで落胆が大きいものか、とギャップを思い知らされる。
それはもう長い間同じように繰り返してきたのだ。真っ当な精神を保有していない永琳とて、
突如日常が変化するのは違和感がある。
「輝夜様……」
あれは居るだけで良かった。別段と彼女に何かを求めていたものではない。永遠の惰性とでも
称するべき存在だ。そして必ず居て欲しい存在であり、それが全てと言っても過言ではない。
でもなければ、わざわざ月を模造し地上を隔離するなどという暴挙になど出ない。
居るだけでよかったのだ。愛してくれなどとは言わない。
そんなものはもう言い尽くしてある。
だが、今は居ないのだ。
本日はもう他にすることは無い。というよりは、あまり仕事が手につかない。
永琳は輝夜が居なくなるまでの状況に満足していた。
途方も無く長い間を生きてきたヒトガタの何かである永琳は、尽きる事のない命に、とうに諦
めがついている。それは蓬莱人たる妹紅も永遠たる輝夜も同じであるが、安定感を好ましく思
う限りは状況はとても有意義である。
特に妹紅はこの幻想郷を蓬莱山と呼んだ。暇は暇だが、刺激のある暇があり、最近は相方も出
来たのであるからして満足この上ないだろう。
永琳もまた、この幻想郷が実に住み易く平穏でいられる事に安心している。
では、同じような方向性の思考を持つ輝夜は、一体何が不満だったのだろうかと考えてみる。
部屋に戻り、いつもの椅子に座り、筆を構え、中空を見上げる。
「人が恋しくなった……か」
それはいつの記憶なのか。何をそれほど恋しがったか。月人の事か、それとも地上人の事か。
「いや……」
いや、たぶん、と頭を振る。
生命に限界があるものへの憧れ、なのであろう。輝夜は妹紅が羨ましい、慧音が美しいと語っ
ていた。
思い出せば何の事はない、そのままの意味である。
ついぞそんな切ない想いをした覚えの無い永琳からすれば、不思議ではあるが。
慧音は有限。
しかし自分は不変で輝夜は永遠で妹紅は不死。
絶対的価値観の違う人種が、理解などしてもらえるのだろうか。
永琳には悩みだった。何せ前例はない。
そして更にもうひとつ。
自分はあの蓬莱山輝夜を、繋ぎとめるだけの力も魅力もなかっただろうか。
それが今一、納得いかない。愛せとは言わない。愛しているとも言わない。だが、蓬莱山輝夜
が満足出来るよう、尽くしてきた事実がある。歴史がある。
突発的な行動にせよ、やはり不自然だ。何せ永琳からすれば永遠亭は絶対的な領土である。
領土内のものは、全て掌握しきっているはずだったが……。
何度考えても納得いかない。
自分に足らなかったものは? この天才が理解出来ない、何かがある?
「はぁぁぁぁ……」
漏れるのは排気ばかり。
たった数日主が居ないだけで酷い落ち込みぶりであった。
「師匠。お茶持ってきたんですけれど……飲みます?」
「うどんげ? えぇ、頂くわ」
そして当然の事ながら、ついぞそんな姿を観た事がない鈴仙も永琳を心配する。
永遠亭の精神衛生はぐっと下落の一途を辿っていた。
「師匠……姫がそんなに心配ですか?」
「悩みはもっと深い部分だけれど……そうね、心配と指摘されれば心配の類ね」
鈴仙からお茶を受け取り、一息付く。
自分がこれでは鈴仙にも示しが付かない。とは頭で解っていても顔は暗くなる。
「姫はお元気でしたよ」
「……? 姫を見かけたの?」
「はい。人里に薬売りに行きましたら、寺子屋近くで」
ふと永琳は顔を上げて目をパチクリさせる。鈴仙はそれが面白かったのか、思わず吹き出した。
「し、師匠……慧音さんの家にいるんだから、当然人里にいますよ……ぷぷ」
「な、なな、何ようどんげ。師匠を笑うとはいい度胸じゃあない?」
「だって……あははっ! 師匠ったら可愛いんですもんっ」
「う……」
まさかこの天才八意永琳が、月の兎の笑いものにされるとは……。多少プライドは傷ついたが、
別段悪い気がする訳ではない。ただ、自分がそんな顔をする事があるのだ、と意外であったの
だ。兎に窘められる程に、面白い顔だったに違いない。
「師匠、まさに図星を突かれた少女の顔です」
「う、五月蝿いわねぇ。うどんげ、ちょっとこっち来なさい」
「えー。お仕置きですか?」
「当然よ」
普段から大したお仕置きなどしないが、ただ気恥ずかしさを紛らわしたかった。
「『ぴょんぴょん。うさみみは飾りじゃないんですよー』」
「や、やぁですよ。師匠やめてくださいぃ」
「『とれますけどー』」
「取れません!! それじゃあ飾りになっちゃうじゃないですか」
「『うどんげの本体です』」
「えっ……」
「『我兎耳。故に優曇華兎也。臨める兎、闘う兎、皆兎烈れて兎に在り』」
「い、意味わかんないですよししょうぅぅ」
「おほほ。馬鹿な事いうから悪いのよ、この、この」
鈴仙の耳をいじくり、自分でも何をやっているのかと思う。けれどそんな馬鹿な行ないもまた、
鈴仙だからこそ出来るのだ。
モノは違えど互いに罪人。永遠亭は家族の住む家である。
「満足」
「はぁぁ。耳、敏感なんですから止めてくださいよ」
「そう、大事なところが敏感なのね。しかも良く聞こえる。そんなに良いの?」
「どんな表現ですか……」
「はいはい、ごめんなさいね。行っていいわようどんげ」
永琳を離れた鈴仙は、何か気恥ずかしそうに俯いて動かない。永琳が小首を傾げる。
「師匠」
「なにかしら?」
「お忙しいのは解ってます。けれど、会いに行ってみたらいかがですか?」
「……姫のお邪魔になるわ」
「それと……」
「なぁに、まだあるの?」
「あの、寂しかったらいつでも呼んでくださいね」
「ば、馬鹿言ってるんじゃないわよ。早くお帰りなさい」
「はい……おやすみなさい」
愛い奴だなと、永琳は鈴仙が退散してから微笑んだ。師匠を楽しませてくれるのならば、匿っ
て正解だったと思う。それに鈴仙は、なかなかに素直でいい子だ。
あれを育てる事で、自分の暇が潰れるのならば良し。
鈴仙が立派な薬師になるのも良し。
気まぐれにしては、いい子を拾ったものだと、満足する。
「姫……ねぇ」
邪魔になるからと思い、様子を見に行く事はなかった。姫の自発的な行動を制限する権限は永
琳にはなく、望むのならば何でも与えようと考えているだけにあまり無粋な真似はしたくなか
ったのだ。
姫の為を想えばと……。
しかしやはり、私心を圧殺して他人に大切な人を持って行かれるのはいい気分ではない。
愛してるとは言わない。愛して欲しいとは言わない。
そんなものは言い尽くしたのだ。
だが……やはり愛している。口に出さないだけで。
何せ、輝夜は永琳しかいないのだ。永琳もまた輝夜しかいない。
長い永久を共にして行くのは、互い同士しかいないのだから。
2 真昼の月
その日の幻想郷は実に気分の良い天気をしていた。こんな日よりなれば、うさぎ達もさぞかし
疲れて帰ってくる事だろうが、事前にえーりん特製栄養ドリンクを強制的に飲ませたので死ぬ
か死なないか一歩手前でも元気に走り回るだろう。
鈴仙には処方せず、変わりにミニスカとサイハイソックスを与えてきた。
絶対領域保有者となれときつく言ってきたのだ。勿論意味はない。
最初は嫌がっていた鈴仙も、履いてみると幾ら跳ねてもショーツが見えない事に驚き、別の意
味で永琳を尊敬していた。永琳も原理は知らないがあれは重力場を発生させるらしい。
当然そんな考察もまた意味は無い。
「ま、舞い上がってるのかしらね私」
天才も理解し得ぬテンションだった。
それは兎も角として、人里まで降りてきたのだ。薬売りも殆ど兎に任せている為、永琳が人里
に来るのは稀である。
一晩悩みあぐねいた結果だ。このまま仕事に手が付かない事も問題であるし、輝夜の顔を見て
冷静さを取り戻せるなら行くべきである。顔さえ見れれば合わずとも良い。
大事さえなければいい。
「ごめんくださーい」
とは思ったものの、やっぱり直接会いたいとすぐさま心変わりする。決断は早い。
「はいはい、どちらさ……えー」
「あら妹紅じゃない。こんにちは」
上白沢家から出てきたのは妹紅であった。まだ眠そうに目を擦っている。もう正午になるのだ
が。取敢えずそのだらしなさを諌めると、はいはいと適当にあしらわれた。
「そうね、ハクタクは寺子屋ですものね」
「名前で呼んであげなよ。少なくともお前よりは人だ」
「妹紅も正論を言うのね。そうするわ」
「ところで何しにきた?」
「姫の様子を見に来たのよ」
「うーん。輝夜は今寺子屋で遊んでるよ」
「……そ、想像がつかないわ」
「そうか? あれはあれで楽しんでるみたいだけれど。もしかして永琳、あいつが面白そうに
してるの、観た事無い?」
「え、いやまさか……何年付き合っていると思って?」
「だよねぇ。人間になってから千数百年は付き合ってる筈だもんね」
「えぇ。それで、今は授業中? というか姫も一緒に?」
「いや、そろそろ授業も終わる頃だし、皆とはしゃいでるんじゃないか?」
「は? こ、子供達とはしゃいでる? 姫が?」
「……えーりん。お前さ……」
「い、いいのいいの。その質問は勿論イエスよ。わわ私、ちょっと見てくるからおほほほ」
「……え、えーりん……」
月の頭脳が頭痛を催した。
あの、あの輝夜が? 笑顔で子供達と戯れる姿などトテモ想像できない。何せ高貴な存在だ。
気位だって高い。地上人を穢れと、その他を下々と蔑む輩が……笑顔で?
一体輝夜にどんな心変わりがあったのか。
今までの悩みも含め、永琳の頭脳で処理出来ない事象が多すぎる。
「天才は驕りかしら……というかというか? 姫が何故? 暇そうにはしていたけれど、暇つ
ぶしに自らそんな里の子供と……」
永琳には全く想像出来ない。
あの蓬莱山輝夜の、笑顔が思い出せない。
「……あれ……?」
そしてハタと気が付く。
最後に輝夜の笑顔を見たのは、何時だっただろうか?
確かに自分は輝夜が満足出来るようにと尽くしてきたつもりだったが……ついぞ、あの姫の笑
顔をみた覚えがない。長い間生きていて、一日一日を事細かに覚えている程変態的な頭脳では
ない。だとしても、最近見たのなら覚えていてもいい筈だ。
しかし思い出せない。あの美しい顔が、綻ぶ姿を。
そんな考えを錯綜させていると、直ぐに寺子屋は見えた。
その先に居るのは、子供達と蓬莱山輝夜その人。
「ひめ……え?」
「こら貴方達。頭が高いわ」
「へへー」
「おほほほほほ♪ さぁ、次は誰が鬼? え、私?」
「ははー。恐れ多くもそのとおりでございますー」
「まぁいいわ。それ逃げろやれ逃げろ。姫様の鬼は、冗談じゃすまされないわよ?」
永琳は口を半分開けたまま停止した。愛しのお姫様は子供達に遺憾なくカリスマを発揮し従え
ていたのだ。その滑稽な様は笑うに笑えない。
「うぉぉぉぉぉ!!! こえええええ!!! 姫様こええええええ!!!」
「うぉ!! 音もなく現れる!! しかも消える!!」
「取って食うぞ虫けら共♪」
「でたああああああぁぁあぁ!!!! どんだけだし!! どんだけだし!!」
果てしなくハイテンションな鬼ごっこが展開されている。輝夜は惜しむ事無く須臾を用いて子
供達を翻弄。狂っているとココまで出来るらしい。
「輝夜、楽しそうだな」
「……あ、ハクタク……じゃなく、慧音」
「不思議な光景だろう。私もそう思う」
「……えぇ」
あれは月の姫なのだ。神聖不可侵にて冒すべからず、と説明がそえられるほどの。勿論地上
に墜落した存在ではあるも、その気品は永遠変わる事などない。
概念という概念をハリボテのカキワリにまで価値を落とす、冗談では済まされない力を有した、
月の姫なのだ。
それがどうだろう? 今はまるで近所のお姉さんと相違ない。
多少可笑しい所はあれど、今この広場において子供達と輝夜は平等だろう。
自分に頼りきっている輝夜ではない、輝夜。それがどれだけ新鮮なものか。科学ゴミが土に返
ってまだあまるだけの時間を共にしていて……永琳は、そんな輝夜の顔を見た覚えがない。
「ふふ。高貴なものが童心に返る姿とは、趣深いものがある。多少傲慢だが」
「不敬ね。でもまぁ……そうね。姫とは言っても……堕ちて長いし」
「永遠からすれば須臾の間ではないのか?」
「人間的な時間の感覚はあるわ。少なくとも今は人と暮らしているのだもの」
「そうか。それで、永琳は輝夜の顔を見に来たのか」
「話が繋がらないわ」
「いや……人間的な時間の感覚に生きているならば……やはり今までずっと一緒にいた存在が
突如居なくなって、寂しい思いをしたのだろう、と考えが及んだのだが?」
「うぅ……どうしてこういう事については、皆が一枚上手なのかしら」
「自分の体の一部は普段からあって当然だが、ある日それを摘出されてしまうと、酷くその場
所が寂しくなる。貴女の場合は、ここだろう」
慧音に、胸を指差される。
「永琳は頭がいい。だから何でも頭で考えようとする。私心を殺してでも頭で。でも今回は違
う。ここに来たのも、失ったものを埋めたいから。それは頭でなく、心が動かしたものだ」
「まるで昨日の私を見ていたような発言ね。うどんげにも指摘されたわ。私ってそんなに顔に
出るのかしら?」
「当然。頭でなく、心で考えているのだから表情にも出よう。心は天才じゃないのだな」
「はぁぁぁ……やぁね。ポーカーフェイスなんて相当昔に会得していたと思っていたわ」
「どのくらい前なのか想像もつかんな」
「想像しちゃダメよ」
改めて輝夜に目をやる。
彼女は楽しそうだった。あの底知れぬものがある輝夜が、どこまで本気で笑っているのかは永
琳すら知れぬが、少なくとも自分の前であのような顔はしなかった。
最後に見たのは何時だったか。
それすら思い出せぬ程、遠い昔なのだろう。
無かった筈はない。あっかからこそ、今までずっと一緒にいたのだ。
心苦しいものを、感じる。この自分がまさか、とは思う。
けれど、事実だ。大切なモノは、手放してからこそ、その大切さを再認識させられる。何も永
遠に失う訳ではない。逢おうと思えば何時でも逢える場所にもいる。
だが、それが体の一部である場合、数センチ離れようと、違和感は付き纏う。
「今日は帰るわ」
「輝夜に顔を合わせなくてもいいのか?」
「あんな眩しい顔、見たら日焼けしちゃうわ」
「お肌は大事にな、薬師」
「えぇ、コラーゲン取ってるから大丈夫よ」
「―――永琳。輝夜は……」
「いいのよ、慧音。姫の好きにさせるのが、今は一番いいわ。大方、暇も潰れるし貴女と戯れ
ている方が楽しいのでしょうから」
「いやその、それは……」
「傷物にしないで頂戴ね? 貴女の角、鋭いから」
そして、永琳はまた離れる。輝夜は今、自分より笑顔が欲しいのだ。そう納得して、広場へ背
を向けた。慧音には、その背中が寂しそうに見えたが、同時になんとも言い難い、不思議な感
情を読んで取った。
そう。なんとも言い難い、あのモヤモヤする感情だ。
3 からだのいちぶ
利き手を失ったとする。即ちそれは生きて行く上でこの上なく不便であり、ストレスが溜まる
だろう。まして人生と同じだけの時間使い続けてきた大事な部分であるから、失っただけでも
心を病むかもしれない。それは酷い妄想となり、無いはずの部分が痛んだりする。
所謂幻痛症だ。
これは無い部分が痛む。故に身体的なダメージは少ないが、病んだ心が更に病む。心が更に病
めば、自ずと身体的にダメージが出る。早期治療が必要になるだろう。自宅と心療内科の往復
となり、心身及び保険をかけていないとサイフにまで多大なるダメージを与える。
永琳が何を言いたいか、といえば。元から無い部分が痛む苦痛をどう抑えたらいいか、という
問題だ。
実は都合良く医者なのだが、何せ自分が病に冒された事がない。
精神病は薬で治す方法もあるが、永琳に薬物は無意味だ。
唯一効く特効薬となれば輝夜だろう。だが、自由にさせてやりたいと思う故、手には入らない
蓬莱の薬となり果てている。
蓬莱の薬さえ自分で作れる癖に―――と、意味なく悔しがった。
たった数日で、永琳は重病患者である。あっちを向けば輝夜を探し、こっちを向けば輝夜を追
う。幻覚だと気が付いて珈琲をあおったと思ったら、試験中の薬品だった。
効かなくて良かったと安堵する。人間なら三日はラリる所であった。
いっその事ラリってしまった方が……と胡蝶夢丸を大量服用してみる。当然効かないのでお腹
一杯になってその日の夕飯は拒否した。
鈴仙が心配そうな顔をして現れる。少しでも胸の隙間を埋めれれば、と思い鈴仙に手出しして
みるものの、色々な道具を取り出した所で逃げられた。
久しぶりに人間らしい自己嫌悪に陥ってみる。ああ、これは典型的な鬱病に近づいてきた、と
自己診断。しかし治療法はあれど悉く自分には効かない。
不変の薬師も不治の病には勝てないらしい。
「あぁぁぁぁぁぁ……ひめぇぇぇ……ひめぇぇぇ……」
「師匠……」
「あぁうどんげ……ごめんなさいね……私ったら薬も効かないのにラリって……」
「表現が色々危ないです。いえさっきのは良いとして……その」
「なに……?」
「私、姫を連れ戻します」
と、もう流石に見かねた鈴仙が決意した。
「だ、ダメようどんげ。今は姫の好きにさせてあげて」
「でも師匠。最近ご自分のお顔、見た事あります?」
永琳は指摘され、手鏡を取り出し自分を映し出す。
「誰!?」
「コラーゲンが足りません、師匠……」
「あぁ……大分老け込んじゃってるわ……薬効かない癖に栄養は取れるの、栄養も薬も同じよ
うなものなのに……不思議ね」
「そんな師匠の身体矛盾なんて知りませんよ……兎も角、姫は連れ戻します」
「……姫が帰りたがるとは思えないけれど……」
「いいえ、師匠の危機です。無理でも行きます」
「うどんげ……」
しかし、鈴仙はそんな忠告を無視して夜空へと飛んでいった。
永琳の言葉は、恐らく間違いないだろう。
「月が綺麗だな、狂気の兎」
「……慧音さん?」
「こんな夜遅く、人里になんのようだ?」
鈴仙が人里に差し掛かったところ……丁度入り口付近で降り立ったのだが、そこで居合わせた
のは、上白沢慧音であった。何かしら、警戒を感じる。
「別に、永遠亭の人間が可笑しな事をするとは思っては居ない。だが、夜中に人里に現れるの
は感心しないな。せめてその耳を隠して欲しい」
「あっ……ご、ごめんなさい。自分が妖怪扱いされているの、なかなか意識しなてなくて」
「うん、それでいい」
うどんげが懐から出した帽子を目深に被ったところで警戒は解かれた。万の一の可能性を警戒
するのが、防人である。紅い館の門番然り、守護者とは常に守るものを至上としている。
「満月ではないが、月が綺麗だったからな。多少、警戒してしまった。許して欲しい」
「妖怪は月齢の他にも、やはり光だけでも影響が大きいでしょうから、仕方ありませんよ」
「まぁ……人里で人を襲う馬鹿妖怪などそうそう居ないし、まして鈴仙であれば尚更なのだが
……うんまぁ。性分だ。それで、なんのようだ?」
「じ、実は……」
歩みを進めながら慧音に永遠亭の事情を話す。あの永琳が参りに参っていると聞かされ、先生
は大いに驚いたらしい。
「永琳がグダグダ?」
「グダグダです。酷いんです」
「しかし―――あの輝夜が素直に話に応じるかどうか。そもそも、鈴仙は輝夜のペット扱いだ
ろう? ペットの話を、聞くとは……」
「うぅイタイ所を……えぇどうせ私は一括りでイナバですよ……」
「しかし、師匠を思いやるその師弟愛は、賞賛に値すると思う。なるべく聞くように促そう」
「あぁ! 有難う御座います……やっぱり知識人は違いますね……」
「関係は無いと思うが……知識人でも馬鹿はいる」
慧音に連れられ、鈴仙は上白沢家の前まで辿り付いた。だが、なかなかその一歩が踏み出せな
い。中に居るのは、当然妹紅と輝夜だろう。
永遠亭の主である輝夜には、ペット扱いされている。イナバはイナバなのだ。
その一イナバの話をどこまで聞いてくれるのか、というのは果てしなく疑問である。
だがこれも師匠の為を思えばこそ……。鈴仙は控えめに扉を開いた。
「帰らないわよ?」
扉を開けた瞬間からこれである。
「ひ、姫……あのですね、その師匠がですねぇ……」
「……? 永琳がどうしたのよ? まさか本当に連れて来いとでも言われたの?」
「まぁ、鈴仙、まず中へ入れ」
「うぅぅ……お邪魔します」
鈴仙は思った。なぁんで師匠はここまでワガママな女を気にかけられるのか、と。
4 帰りませんよ勝つまでは
「永琳がグダグダ?」
「はい。グダグダなんです」
「具体的に説明して頂戴」
「……まず、朝起きますと誰も居ない姫の部屋に挨拶をします。そして虚ろな目で戻ってきて、
私の頭を鷲づかみにして、栄養剤をねじ込んできます。それに飽きたのか、最近は耳を結ぶん
です。ちょっと痛いです。お仕事の最中も心ココにあらず、といった様子で、混ぜちゃいけな
い薬品を混ぜて私が死にかけたり、治療と称してツムジを押されたり、夜になるとお夕飯も食
べず輝夜様姫様と探し回り……あれはホラーです。ホラー」
「……」
「……か、輝夜。そのえーりんはヤバイ。やばいよえーりん」
「そ、それで?」
「そして寝る頃になるとその……熱っぽくてふかぁぁぁいため息を吐くんです。あれちょっと
艶かしすぎて困るんです。物凄い目で見られます、私」
「輝夜、それ病だ。病気だ」
「妹紅五月蝿い。へぇーほぉーふぅーん。んふふふ」
「な、何が面白いんです?」
全ての元凶たる輝夜といえば……トテモ面白そうに笑っていた。これは永琳も鈴仙も良くみる
邪悪な笑いである。笑顔というには多少憚りがある。
かぐや姫の心底は……大して深くない部分にあるらしい。
蓬莱山輝夜の思惑といえば、慧音の家で面白おかしく暮らしてみたい、という一種の欲望であ
る。楽しい思い出を持って長い時を生きていきたい。
それを糧に永遠の暇を潰したい。
―――そして、もうひとつ、思い出作り以外に目的があった。
「いえね。そう、そっかぁ。永琳が。ふふ」
「輝夜きもい」
「輝夜、その不気味な笑いなんとかならんものか」
「姫、ラスボス顔です」
「やぁね、この神にも等しき女を馬鹿だの阿呆だの。ちょっと、嬉しかっただけよ」
「嬉しいとあんなきもい顔するのか……」
「些か殺気を感じた」
「……話が進みません。姫、それで、何が面白いんです?」
「あっはっはっ。それはねぇ―――」
体の一部を失うと、当然痛みがある。
しかしそれは、元は一部などではなかった。完全に分離した二つの存在である。
次第に融合し、二つが一つとなっただけ。
そして今は、それが改めて二つに戻っただけの話である。
だが、融合したものを分離させると支障が出る。少なくとも人間的な精神を有する存在が心を
分離された場合、化学物質で出来ている訳ではないから上手くは離れない。
一つになる前、自分は輝夜に対してどう接していただろうか?
兎に角魅力的であった。どうにかして手に入れてみたいと、考えた。
それは汚い下心だったのかもしれないが、理由はどうあれ蓬莱山輝夜は八意永琳という超越者
と一緒にいる事を選んだ。
美しかった。嬉しかった。
あの蓬莱の姫の笑顔を見るたびに……心を解かされる想いがした。
自分はこれから、また新しい存在を手に入れて、終わらない命を生きて行ける。
「姫……」
八意永琳からしても、当然暇はある。暇を潰す存在としても、蓬莱山輝夜を手に入れたかった
事実を、永琳は本人の前ですら否定しない。互いに解っているから。
そして、もっともっと、この底知れぬ月の姫を自分の物にしてみたい。そう、思った。
故に様々なアプローチをしたと思う。
ワガママを聞きながら、互いに笑いあいながら。
それは一体どれほど前だったのか。そんな初々しい時期が、二人にはあった。
今となっては……次第に惰性となり、融合というよりも……一緒になって退化した。
自分はあの頃、なんと姫に声をかけただろうか。
自分はあの頃、どのように姫に思いを伝えただろうか。
今が分離した悪影響で、劣化しているのならば、それを補うには……。
「そう……すっかり、忘れてたわ」
見目麗しい姫に―――。そう。
「あぁ……最近、愛してるなんて、言った事がないものね……」
今日もまた、永遠亭に深い深い溜息が響いた。
結局、性悪かぐや姫は―――永琳という従者にやきもちをやかせたかったのである。
ただの一言でも、永遠の従者に愛を語らってもらいたかったのだ。
こんな素敵なえーりんは中々見ないよえーりんえーりん
あと、れーせんれーせん
えーりんえーりん。かぐや! かぐや!
あなたのかくきゃらくたーはみりょくてきすぎます
なんて素敵な永遠主従。
しかし輝夜のカリスマは留まるところを知らないな…。
文章の小気味よさとほのぼのさに充分やっつけられました(笑)。
師匠が可愛いし、それ以外に上手いし、師匠が可愛いし、表現が素晴らしいし、師匠が可愛いし、え、えーりんえーりん!
やっと、えーりん出てきたと思ったらorz
ま、それはおいといて。
読んでて色々節々考えるところがあって面白い。
次の展開を楽しみにしてます。
えーりん!えーりん!
こんなに沢山コメント頂いたの初めてです。見てたまげてしりこ魂が
三回くらい飛び出ました。口から戻しましたが。
ご期待してくださる方々(私の傲慢でしょうか)に失望されぬよう、今後も評価していただける作品を書いていきたいと思います。
嬉しいので今日は肉です。肉食べます。
えーりんを 単身赴任の夫の帰りを待つ新妻みたいだと思った私。
これは良いえーりんですね。
間違いなくエロい
最高っ!
やきもちえーりん!大好きだ!
( ゚∀゚)o彡゜えーりん!えーりん!
あなたのカリスマどんだけだし!!どんだけだし!!どん(ry
しかし、げに恐ろしきは姫様…!
この輝夜は間違いなく性悪、悪女……!