たぶん彼女は魔法使いだ。
誰のことかというと、霧雨魔理沙という名前の少女のことだ。
少しくせのある薄いブロンドに、黒いとんがり帽子をかぶって、エプロンドレスを着て、いつも箒に乗って空を飛んで回っているような少女のことだ。
彼女が住んでいるのは、きっと、幻想郷という名前で呼ばれている、世界のどこかにあるかもしれない場所。
魔女が住んでいても不思議ではない、自然は豊かだけど、妖怪や妖精みたいなお話の中の存在が住んでいるのが普通という、ちょっと、いやかなり風変りな場所だ。
その土地の外れに、神社が一軒建っている。
魔理沙は、この神社にたびたび遊びに行く。
そこに友達が住んでいるのだ。
博麗霊夢という名前の同い年ぐらいの女の子。
黒髪を大きなリボンで結んで、紅白の、本人は巫女装束だと言い張るが、はた目からはとてもそうは見えない派手な衣装を着ているような女の子。
理屈はよくわからないが、箒などなくても何故か空を自由に飛ぶことができる女の子。
彼女はたぶん、その神社で巫女をやっている。
今日も魔理沙は、霊夢を尋ねて神社へやってきた。
当の友人は、珍しく真面目に境内を掃除している最中だった。
彼女をみつけた魔理沙は、近づいて挨拶を交わした後、こう言った。
「突然だが、楽器がやりたくなった」
「何の前置きもないわね」
「霊夢も付き合ってくれ」
「あのね、まったく話が見えないんだけど」
「楽器、やりたくないか? 興味ない?」
そういわれると、そうでもなかった。というよりも、霊夢は実際、かなり音楽に興味を持っていた。
最近、里の有力者である、稗田家のお茶会に誘われることがあったのだが、その時に座の余興として披露された当主の琴の音に聞きほれたものだ。
できるなら、自分も似た感じで奏でてみたいとも思った。
巫女と楽曲は、それほど縁遠いわけでもないし、趣味としてたしなむのもいいかもしれない。
「興味ないわけじゃないけど、」
「よーし、じゃあ決まり! そうなると、いろいろと準備が必要だよね」
まったく、ちょっと気をゆるすとすぐ突っ走る。
霊夢はそう思ったが、言葉を続ける前に魔理沙の勢いに流されてしまった。
まあ、異変も最近は起こらないので、少しぐらい付き合ってあげるのも暇つぶしになって丁度良いか、そう考えた。
しかし、音楽を趣味とするにしても、まず何の楽器をやるというのか。
それに楽器を持っていないし、買うお金も……あまりなかった。
良い楽器というのは、とてつもなく高価だ。入門用のものでも、それなりに値が張る。
魔理沙だって、そんなに余るほどお金があるわけじゃないはずだ。
「手っ取り早く上達するためには、上手なやつに習いに行くのが一番だな」
得意な調子であごをしゃくりながら魔理沙はそう言った。
もっともな言い分なのだが。
物を破壊する魔法が大好きな彼女が言うと、どうしても、教えろ、さもなくば撃つ、と言っているように聞こえる。
「という訳でプリズムリバー亭へ向かうぜ! あいつらなら、楽器も一杯持ってそうだから、一つぐらい借りれるかもしれないしな」
プリズムリバーというのは、この幻想郷で音楽演奏を生業にしている一家のことだ。
どうやら、最初から楽器をレンタルするつもりだったらしい。
「ちょっと待ってよ。あの姉妹の家がどこにあるのか知ってるの?」
「わからなかったら人に聞く!」
「でた」
「幽々子だったら知ってるだろ。幽霊の総元締めだからな。姉さんってやつだな」
極妻みたいね、と霊夢は思った。
掃除の途中だ、と言おうとしたが、魔理沙は霊夢のほうきを取り上げると、それを勝手に納屋にしまいこみ、ついてこいと言って空へ飛び立った。魔女だから魔法のほうきで飛び立った。しょうがないので、霊夢も渋々着いていくことにした。
こうして、魔理沙御一行二名様は、幽霊の静かなるドン・西行寺幽々子様に会うために冥界は白玉楼へと向かうこととなった。
あるかどうか定かではない空の頂上を目指して、とにかく高く高く飛ぶ。
そうしてたどり着いた幻想郷の大空の一丁目。
雲海の中にとてつもなく大きな門がある。それが幽世の門だ。
この門を越えるとそこは幽霊たちの住む世界、冥界の野辺が広がっている。
冥府でまず現世からの来訪者を迎えるのは、見ただけでうんざりするほど長い長い石段だ。
そうしてその用途不明な階段を上ってしばらく行くと、桜の木が立ち並ぶ庭園の先に、ひときわ大きな純和風邸宅の敷地が見えてくる。これが白玉楼だ。
霊夢と魔理沙はしばらく白玉楼の上空を飛んで見回る。すると、広大な庭で動いている一人の見知った少女の姿を見つけた。
「あ、あれはみょん坊じゃないか。おーい、みょんぼー!」
呼びかけられたことに気づいたみょんこと白玉楼の庭師兼きっと剣士・魂魄妖夢は、いきなり腰と背中にくくりつけていた長物を抜刀しだした。
「だれがみょん坊か! そのような天気予報な名で我が二つ名を愚弄するとは、なんたる侮辱、降りてきてそこになおれ!」
大刀を両手で構え、見事な半身の姿勢で立つ妖夢の前に、魔理沙と霊夢の二人は降り立つ。
面倒な仕事をしている途中にからかわれたからカンに障ったのか、いい加減中途半端ないじられキャラというポジションに飽き飽きしていたのか、どちらが理由かは定かではないが、とにかくどうでもいいことなのに妖夢はちょっとキレ気味だった。
理由などどうでもいいから、何かぶった切って仕事のストレスを解消したかったのかもしれない。
庭木を斬ることに飽きてきて、血のしたたる肉の味を求めだしたのかもしれない。
まこと、もののふの道とは死狂いである。
「いつからみょんがあんたの二つ名になったんだ」
「あー、あー、悪かった悪かった。あんたは立派なカルシウム不足のサムライだ、認めるよ。ハラキリ、スシ、ゲイシャ、コンパック・ミョン・ヨームシュタイン伯閣下。イライラしすぎだぜ、更年期障害はつらいよな? ところで、幽々子いる?」
「私はそんな歳じゃない! 幽々子さまなら、今外出中だ。あー、霊夢も一緒? いったい何の用?」
妖夢が刀をおさめたのは別に、もし二人がかりになったらちょっとやばくね、ぶっちゃけ私一人じゃ無理じゃね、などと考えたわけでは決してない。誇り高い彼女の名誉のためにも重ねて言っておくが、そんなことはあり得ない。サムライは死を恐れない。
「なんだ、留守か。まあ、妖夢でもいいや。実は道を聞きたいんだ。プリズムリバーの家って知ってるか?」
「でもいいやって失礼ね。騒霊姉妹の家? ああ、あそこの角をこういってそういって、あっちへ曲がってそっちどっちでつきあたりよ」
「あっちってどっちだよ! 指示代名詞ばっかりでわけわかんないぜ。日本語は正しく!」
「わかったわ、あそこをこういってそういって、あっちいってそっちどっちでつきあたりね」
「わかるの?!」
霊夢は妖夢から聞いたとおり(?)に道を行った。
魔理沙はそのあとを追いかける。妖夢の出番はこれで終わりだ。
もう一度門をくぐり、空に出たあとぐんと下降して、地上に降りる。
「あれ? 地上に降りるの?」
さっきの指示でどうして地上に降りることになるのか。魔理沙は頭をひねったが、さっぱりわからなかった。
「こんなところにあるのか。向日葵畑から近いんだな」
目の前には見るからに不気味な様子の洋館。廃屋といっても差支えないぐらい古い。
霧の湖に建っている吸血鬼の治める館ほどじゃないが、かなり大きかった。
前庭には花壇があり、色とりどりの花が咲いていた。
とくにスイートピーが大きな花をつけて、香りを辺り一面に振りまいていたが、とにかく屋敷の黒ずみかたが異様だったので、雰囲気を緩和する役割はほとんど果たしていないようだ。
「ロココ様式かしら? それともバロック様式?」
「バロックというよりバラックだな」
ただならぬ妖気を感じた魔理沙が言う。
「って、いうかこれ幽霊屋敷だよな」
「いえ、これは屋敷幽霊よ」
「なんだそれ? どう違うんだ?」
「だから、屋敷自体が幽霊なの。ときどきあるのよ。長く使われていた屋敷が、火事なんかの不意の事故で失われたときに、未練を残した屋敷に霊魂が宿って幽体となるの」
「へー…めずらしいこともあるもんだな」
正面玄関には立派な青銅製の両開きドアがあって、呼び金が付いている。
魔理沙はその呼び金をとって、がんがんとドアを鳴らす。
「こんちはー、開国シテクダサーイ!」
しばらく待ったが、返事はなかった。
「いないのかなー?」
霊夢は屋敷のガラス窓から中の様子をうかがおうとしたが、だいたいの窓は鎧戸が閉め切られているし、そうでなくてもカーテンがかかっていた。
「開けなさいよ、いるんでしょ! ……なんだ、開いてるジャン」
鍵がかかっていなかった。
魔理沙は取っ手を回してドアを開けた。
そのまま、暗い屋敷の中に足を踏み入れる。
ずかずかと玄関ホールの中を押し入っていく。
「あ、こら! 勝手に入って!」
「だって、ドアが開いているってことは入れってことだろ?」
鍵が掛かっていようが、門番が守っていようが入りたければ押し入るくせに、と霊夢は思った。
屋敷の中は薄暗く、これでもかというぐらいの不気味な雰囲気が漂っている。
人魂なんかが浮いていても、おかしくないぐらいだ。
普通の人間なら、ここで恐れをなして引き返すのだが、もともと天外魔境である幻想郷に生きる少女二人はそんなたまじゃない。
幻想郷で暮らす人間は幽霊なんて見慣れているので、いまさら珍しくもないし驚きもしない。
いつもその辺に漂っているし、綿埃のでかいやつだと思えば別段気にもならない。
「おー、なんかこっちの方から音が聞こえるぜ。楽器の音じゃないか?」
確かに楽器の音らしきものが遠くから聞こえてきた。
霊夢はしばらく玄関扉に手を当てて屋敷の中を覗いていた。
ホールの片隅には壁に添えつけるように棚がいくつかあったが、その上には何も置かれていなかった。
普通、このような大きな屋敷なら、そのスペースには壷や美術品など、何がしか飾ってあるのが自然な気がするのだが。
そんな風に観察しているうちに、魔理沙がふいとどこかに消えたのに気づいた。
「あれ? 魔理沙どこいった?」
「おーい、れいむー」
少し遠くから呼び声がした。
仕方がないので、霊夢も屋敷の中に入り、声の聞こえた方へ行ってみる。
玄関ホールから右手奥、中階段の下にある入口を入る。
居間になっているようだ。
カーテンの隙間からかすかに光が差し込んでいて、部屋の様子がうかがえる。
ソファや机が置いてあり、アンティークらしきクローゼットやキャビネットが立てかけられている。
壁には細かい細工の施された置時計が針を刻んでいる。どれもこれも相当年代物だ。
部屋の中ほどに、古い型のテレビが置かれていて、画面に何かうつっている。
霊夢はふと、その画面を覗き込む。
魔理沙がテレビの中に閉じ込められていた。
「やあ。出してくれ」
「な!? あんた、どうやってそんなとこ入ったのよ?」
「そこのところなんだが、実のところ私にもさっぱり…」
テレビの角をこつこつたたいたり、お払い棒でつついたり、つまみをひねったりしてみるが、何も起こらない。
「むうー? やっぱこれもポルターガイスト効果?」
「なに? 幽霊のしわざか。わー、たっけてー」
「真剣味がないわね…」
「意外にこのなかは居心地がいいんでな」
テレビ画面の中で、魔理沙は大胆にもくつろいでいる。姿勢が変わった。どうも寝ころび出したようだ。
あほらしくなってきたので、霊夢はこのまま彼女を置いて帰ろうかとも考えた。
「…なに人の家で遊んでるの?」
「わひゃ!?」
背後から声をかけられて、さすがの霊夢も驚いて乙女らしからぬ声をあげた。
別の部屋につながっている開口部からルナサが出てきた。
鬱そうな顔を下げる長女に続いて、次女と三女も出てきた。
統合失調症に悩むメルランと、花の異変以来、左手があがったまま固定されてしまったリリカ。
幻想郷でおそらく一番有名な音楽一家、プリズムリバー騒霊三姉妹のご登場だ。
「来客なんて久しぶりね。それとも居直り強盗? あら、あんたたち、リリカのお友達?」
「呼ばれることはあっても、呼ぶことはないからね。よいしょ、っと」
リリカがあがったままの左手で天井からぶら下がっていた紐を引くと、
「うわっ!?」
魔理沙の叫び声とともに、ブラウン管がぷつりと消えた。
「そんなところに紐が?」
「バロック様式だからね」
その後、ぎゃー、という悲鳴が遠くから聞こえた。
天井から紐が生えているなんて、全然気付かなかった。
霊夢は声の聞こえた方へ走ってみる。
もう一度ホールを抜けて廊下の奥へ。小さなドアを見つけた。
「こっちから聞こえたわね……」
ノブに手を取って、ドアを開いてみる。
「む…ご不浄?」
洋式トイレの貯水タンクのふたががたがた動いている。
水洗なのか、いいなあ、と霊夢は思った。
両手をかけて、ふたを開けてみる。
「よっ」
「ぶはっ!」
タンクの中から、ずぶぬれになった魔理沙の頭が飛び出してきた。
「なんでトイレのタンクの中から出てくるのよ??」
タンクの中は意外に広かった。
「知るかよ! どうなってんだ、この家の造りは!? ああ、びしょぬれだ…」
「まあ、べんきの中からでてこなくてよかったわね。バロック建築のおかげね」
まったり巫女はいつも前向きだ。
魔理沙を引きずりだした霊夢は、居間に戻って三姉妹と顔をあわせる。
メルランがテレビの上面を軽くたたいて、自慢げに言った。
「これは最近入ってきたテレビの幽霊なのよ。すごいでしょう」
「珍しいもの飼ってるのね……」
「ちょっと、床濡らさないでよ。痛むじゃない」
リリカがびしょ濡れのまま廊下を歩きまわる魔理沙に抗議する。
幽霊の屋敷でも、水に濡れるとやっぱり劣化するようだ。
「しょうがないだろ! タオル貸してくれ…できたら着替えも」
「まったくもう、しょうがないわね。こっち来なさい」
メルランがそう言って、魔理沙を連れて奥の部屋へと入って行った。
しばらくして、着替えた魔理沙がタオル片手に居間に出てきた。
プリズムリバー三姉妹がいつも来ている衣装と同じつくりの服を着ている。
「ちょっとこの服、ちっちゃいぜ」
「ちびっこいくせに何言ってんの」
リリカがからかうようにそう言った。
「おいおい、よく見ろよ。背はあんたと同じぐらいだぜ。これ誰の服? あんたらのじゃないよね」
「ちょっと、メル姉! これレイラの服じゃない!」
「あら、あなた。そう言えばレイラに似ているのね」
「何言ってんの! 縁起でもない」
「…レイラの髪はこのようなアバズレみたいな色じゃないわ」
「こら長女、それ暴言だろ! まったく、しらっとヒデエこと言うな…レイラって誰?」
「私達の妹」
「へー、じゃあ、三姉妹じゃなくて四姉妹じゃない。若草物語みたいね」
霊夢が言った。ちょっと嬉しそうな声だ。
最近そういう名前の小説を読んだらしい。霧の湖の館にある図書館から借りてきた、外の世界の名作小説だ。
その話を読んだ影響で、少し姉妹や大家族というものに憧れていたのだ。
「もう一人はどこにいるんだ? ご挨拶してみたいんもんだ」
魔理沙が手持ちの魔法炉で髪をかわかしながら言った。
「妹は騒霊じゃないの。普通の人間よ」
「なんだそれ、どういうこと? お前さんたち、幽霊姉妹じゃないの?」
「…幽霊じゃなくて騒霊。話せば長くなるけど、私たちは末の妹にあたる、レイラ・プリズムリバーが自分の本当の姉たちをイメージして生み出した騒霊なのよ。妹はもうとっくに天寿をまっとうしてるわ」
ルナサはなんだか面倒くさそうにそう説明した。低血圧なのだろうか。しゃべるのが億劫そうである。
「わりと短くまとまる話だったわね」
「へー、知らなかったな。お前さんたちの誕生にそんないきさつがあったとは」
「別に今まで興味もなかっただけでしょ? ところで、今日この家に来たのは、いったい何の用?」
腰に手をあててリリカが質問する。左手はもう下している。
「そこなんだ。楽器教えてくれ」
「はあ? いきなり何言ってるの?」
「いや、わりと本気なんだ。たのむよ、あんたらのライブを聴いてから、憧れていたんだ! 楽器をやりたくて、いてもたってもいられない」
そう言って、魔理沙は目の前で手を拝むように合わせ、三姉妹に向けて頼み込む。
「急にそんなこと言われてもなあ」
「そうよねえ。私たち、お弟子さんはとっていないし」
リリカとメルランは顔を見合せて困った表情を作る。
「…別にかまわないわよ」
「「え?」」
「…じゃあ、ヴァイオリンでもやってみる?」
「ちょっと、ルナサ姉さん、そんな安請け合いしちゃって」
「ね、姉さんがレッスンするっていうの? 知らないぞ…」
メルランは少し引きがちにそう言った。どうやらルナサのレッスンというのは、相当恐ろしいものらしい。
「本当か? できたらクラシックがいいな」
「へえ、珍しいわね。いまどき」
「なんでクラシック?」
そんなことは少しも聞いてなかった霊夢が尋ねた。
クラシックといえば、西洋から入ってきた音楽で、あのベートーベンだのモーツァルトだの、とにかくたくさんの楽器を集めて、蝶ネクタイとタキシードで演奏するような堅苦しいやつだ。
霊夢はその程度の知識しか持っていなかった。
そう言えば湖の館に住む連中が、好んで聴いていたことを思い出した。
「そこは、ほら。ヴァイオリンって格好よくない? 弾けたらもてるぜ、きっと」
「だれにもてたいのよ、あんたは」
「でもねえ」
二人を眺め見てリリカが言う。
「ヴァイオリンやるにしても、二人じゃねえ。しまらないわ。ソロだけでやるのもねえ」
「そうねえ。どうせやるんだったら、せめてあと二人ぐらい加えて、四重奏ぐらいにしてみるってのは?」
メルランがそう提案した。
「なるほど、そいつはいいな。カルテットってことか。響きもいいしな。じゃあ、暇そうなやつを誘ってみるか」
魔理沙は勝手に決める。
霊夢はもう、野となれ山となれと思っているようだ。
それにしても、なんだろうかこの勢いは。どうしてそんなに楽器がやりたいのか。
カルテットという単語を知っているということは、そこそこの知識があるようだった。
はじめからクラシックをやるつもりで、下調べしていたのかもしれない。
「暇そうなやつというと…まず思い当たるのはアリスだな」
「暇そうというより、迷惑かけても大丈夫そうなやつのリストから選んだわね?」
「ヨーシ、アリス捕獲作戦開始!」
魔理沙の家の近くにアリス・マーガトロイドという名前の、魔法使い兼人形師の少女が住んでいる。
いつも自分の部屋にこもって魔法の人形づくりに没頭しているので、外から見るとちょっと根暗に感じてしまうかもしれない女の子だ。
家が近いので、魔理沙は良く彼女の家に遊びに行く。
しばらくして、魔理沙がかん袋に入れられたアリスを背負ってきた。
「おまたせ!」
「あら、アリス。久しぶりね」
霊夢がそう挨拶した。
「…ずいぶんと、早かったわね」
おかしな光景だ。ルナサはそう思った。
それにしても、女の子一人背負ってくるなんて、魔理沙って意外と力あるんだね。
アリスの頭には二体の人形が必死でまとわりついていた。彼女が愛用している、上海人形と蓬莱人形だ。
あるじに従って、一緒に魔理沙にさらわれて来たらしい。
「どういうこと!? さっきまで家で人形作りをしていたのに!?」
「たまには外出しないと、アホ毛にカビが生えるぜ?」
「わ、私はアホ毛なんて…!」
「知ってるぜ。隠し持ってんだろ? 立派なやつを、さ」
「う……」
「恥ずかしがることじゃないだろ……むしろ誇ってもいいんじゃないか…」
「いや、意味わからんわ! そんなことより、一体何の用があって私をさらったのよ?」
「実はカルテットをしようと思って」
魔理沙が言った。気持のいい笑顔だ。
「アリスもどうかと思って」
霊夢も言った。どうでもよさそうな笑顔だ。
「はあ? カルテットって…あの音楽の?」
「そうそう、アリス暇だろ?」
「暇とは何よ! 私には大事な研究が……まあ、あんたたちがどうしてもって言うんだったら」
「よーし決まりだな。次いってみようか」
「そりゃあ私だって、丁寧に頼みこまれれば、考えないこともないのよ。あ、でも勘違いしないでね。別にあんたの」
「あと一人か。時間が余ってて、暇をもてあましていて、音感がありそうなやつがいいわね」
なぜか、霊夢もかなり乗り気になってきた。皆で何かを企画するという楽しさに乗せられたのかもしれない。
後ろでアリスがぶつぶつ言っているけど、みんなどうでもいいので無視した。
「あっきゅんとかどう? 名家だから、楽器のひとつぐらい習ってそうだぜ。お嬢様だし、文筆業だから時間もとれそうだし。それに、確か記憶力もよかったんじゃなかったけ?」
あっきゅんとは人間の里に古くからある名門のひとつ、稗田家の現当主を務めている少女、稗田阿求のことだ。
「阿礼乙女」もしくは「御阿礼の子」という名前で呼ばれる不思議な特技を持っていて、一度見たものはすぐに記憶して忘れなかったり、前世の記憶を持って生まれてきていたりするらしい。
本人も自分でそう言っている。
誰も確かめようと思った者などいないので、言っていることの真偽のほどはよくわからないが。
彼女は幻想郷の歴史を扱った書物を出版したり、そのほか物を書いたりすることを生業にしている。
この子も、職業柄やっぱり家に引きこもりがちだ。
「体弱そうねえ。もやしっこじゃない」
一人ごとをひとしきり言い終わったアリスが茶々を入れる。
「人のこと言えんのか?」
「どういう意味よ?」
「あ、でもあっきゅん琴や三味線習ってて、ものすごくうまいのよ」
「よーし決まりだな! 同じ弦楽器だから通じるものもあるだろ。四人目は御阿礼っ子で決ーまり!」
しばらくして、魔理沙がかん袋に入れられた阿求を背負ってきた。
「おまたせ!」
「さすがに強盗は手馴れてるわね」
「いったいどういうことなのか。説明をもとむ」
魔理沙の背中で、袋の中から顔だけを出した阿求がつぶやいた。
「じつはかくかくさんかくで」
魔理沙は袋を床におろし、適当にぞんざいに説明する。
「はあ、かるてっと、ですか。洋物ですか。多少マニアックではありますね。それゆえに心惹かれますが」
「多少何かかんちがいしていないかしら」
アリスの冷静なつっこみが入った。
「これでやっとメンバーがそろったわけね。今回は弦楽四重奏ということで、異存ないかしら?」
リリカがちょっと嬉しそうに言う。教える方もだんだんとうきうきしてきたらしい。
「うーん、私はクラシック自体良く知らないんだけど」
吟謡とか民謡だったら知ってるんだけど、と霊夢は思った。
「なんでクラシックになったんですか?」
「魔理沙がそれやりたいっていうから」
「じゃあ、これから私達三人が何曲か演奏をしてみるわね。まあ、この曲を演奏しろってわけじゃないけど、とりあえず弦楽四重奏のイメージをつかんでみてね…私、第一ヴァイオリンやるね」
「よーし、私、第二ヴァイオリンとったー!」
メルランが威勢良く叫ぶ。
「え~、じゃあ私がチェロ~?」
出遅れてしまったリリカが不満そうにぶーたれた。
伴奏系のヴィオラやチェロは、曲によってはものすごく単調な時もあるので、知っている人の中では敬遠されがちだ。
「もう一つの楽器はどうするんだ?」
「「「ヴィオラは騒霊の力で~♪」」」
「無駄にハモってる?」
「きもちわるいわね」
さきほどまでのゆるんだ雰囲気とはうって変わって、三人とも真剣な表情だ。
霊夢も魔理沙も、弾幕としての音楽は聴いたことがあったが、間近で彼女たちの本気の演奏を聴くのは初めての体験だった。
しばらく無音。
ごくわずかな目くばせが交わされた後、唐突にリリカの操るチェロの音が響き渡った。
ゆっくりとした低音。
しばらくして、ヴァイオリンの旋律が合流する。
その後、幾重にも荘厳な響きの和音が積み重なっていく。
音楽室いっぱいに旋律が満ちあふれる。
音符の刻みがだんだんと早くなる。四分音符から、八分音符、十六分音符へと。
ふたつのヴァイオリンが交互に主旋律を奏であい、厳粛ではあるが、歓喜をあらわす輪唱が交差し続ける。
ポリフォニーとよばれるその音楽形式を聴き手の四人は知らなかったが、そんな知識などなくても、奏でられる美しい音の調和と、刻まれる心地よいリズムは、十分に耳を楽しませるものだった。
(あれ? なんだ、これ…… 涙が…)
魔理沙は感じ入って、おもわず涙ぐんでしまった。
霊夢も、アリスも、阿求も、皆聴き入っている。
けっして悲しい曲調ではないのだが、圧倒的な芸術に触れたときの感動が、彼女たちの心を揺り動かした。
ステンドグラスを通して入ってくるような、色とりどりの光のきらめきを思わせるメロディの数々。
いや、蒼い草原の上に注ぐ、神秘に満ちたオーロラの揺らめきだろうか。
天使が空から降りてくるときは、こんな音楽が演奏されるのかもしれない。
すべての楽器が合流し最後の小節を和音で締めくくる。
曲が終わる。
空気の震えが余韻として残る。
「ま、こんなもんかな?」
「…もー、こんなもんじゃないわよ。メルラン、2回もミスったじゃない。音程は安定していないし」
「だってー、弦楽器は苦手だし。最近触ってなかったし」
音程とは音楽における音の高低のことだ。
弦楽器は弦を指で押さえて音程をコントロールする。
熟練者でもしばらく楽器から離れていると、指を置く位置が若干違ってしまい、ごくわずかの微妙なズレが音程の狂いになる。
といっても、メルランがおかしたミスは、毎日音楽に携わっているプロでないと見分けがつかないほどのささいなものだった。
「おっ、ちゃんと聴いてたみたいね」
空いた口がふさがらないと言った様子の聴き手の四人を見て、リリカがそう言った。
楽器を自席に置いて、少し離れた彼女達の方へ歩いて行く。
「あんた、私たちのライブ聴いたことあるって、嘘だったんでしょ?」
そう言ってリリカは嫌味そうに魔理沙の前に顔を突きつけた。
魔理沙はその両手を取って少し強めに握る。
「お、おまえら……」
「な、なによ……」
「あんたら最高だ!」
「ファンファーレのあらし!」
「ブラボー! おお、ブラヴォー!!」
「アンコール!!」
霊夢も、アリスも、阿求も口ぐちに賞賛を声に出した。
「…あのね、この程度でブラボーっていってたら、本当の演奏を聴いたときどうするつもり? 今のは私以外、みんな得意楽器じゃなかったんだから」
そうルナサは言った。かなりあきれたような様子だった。
そうだ、こいつらいつもとは違う楽器を演奏してたんだった。
それでこの感動? いったいどうなってるんだ。
しかし、褒め称えられて怒るとは。よほどプライドが高いのか。賛辞など聞き飽きているのか。
魔理沙はそう思った。プロ意識というやつから、適切な評価をもらえないと不満なのかもしれない。
それにしても、自分たちにこれほどまでの演奏ができるようになるのだろうか?
これから一生を費やしたとしても、それは不可能なんじゃないだろうか。
まがりなりにも魔理沙は、魔導の道を究めたいと願っている人間だ。
そのための努力も怠ったことはない。
その経験から、他分野のことではあれど、魔理沙は一曲聴いただけで彼女たち騒霊姉妹の音楽を根底で支えている技術の、途方の無さに気づいていた。
いったいどれほどの研鑚と試行錯誤を重ねれば、これほどの演奏ができるようになるというのか。
彼女たちが騒霊だから、単に音楽に対して超人的な適正があるだけだ。そんな説明だけでは納得のできない感動が、そこにはあったのだ。
これこそ、本物の魔法ってやつじゃないか。
そんなことを考えながら、畏敬の気持ちもこめて三姉妹の様子を眺めていると、ふと、自席に戻ってチェロの弦を調整しているリリカに目がいき、魔理沙は彼女に話しかける。彼女だけ演奏の途中から渋い顔をしているように見えたのだ。
「そういや、リリカは退屈そうだったな」
「もー、私伴奏ばっかで…ヴィオラと同時に操っても、ずっと同じリズムばっかりなんだもん」
「ああ、そっか……チェロやヴィオラは音が低いから伴奏用の楽器なんだな」
「今のはなんて曲なの?」
霊夢がルナサに尋ねる。
もともと純和風(?)巫女という立場もあり、クラシックにうとかった彼女だが、今の演奏を聴いてすっかり気に入ったらしい。
「…これはパッヘルベルという作曲家の『カノン』という曲よ。まあ、カノンていうのは今みたいな曲の様式のことを言うんだけどね。バロック時代のクラッシック。せっかくだから有名どころから行こうと思ってね」
「あー、申し訳ないけど、良く知らないけどな」
「…勉強しときなさい。さあ、続けて何曲かいくわよ。みんな、しっかり聴いててね」
そう言って、三姉妹は休みなしで弦楽四重奏の曲を数曲弾いた。
ハイドン、ヴェルディ、モーツァルト、ドビュッシー、バルトーク、スメタナ、チャイコフスキー、イェルガー、ミヨー。
その時代時代を代表する作家たちの名曲の数々。
古い歴史を持ち伝統とともにあった曲たちだ。
「いやー、お腹たっぷりだぜ」
「ひさしぶりに、素晴らしい芸術に触れましたわ」
「眼福じゃなくて耳福? 福耳?」
「思わず、理由なく上海人形が自律人形になってしまうところだったわ」
温泉上がりのように極楽気分にひたっている四人に向け、メルランが言った。
「ほら、なごんでないで。あんたたちが同じように弾けるようにならないとけないのよ。それで、どれくらいで弾けるようになりたいの?」
「こんだけ」
魔理沙は右手の指を三本立てて答える。
「三年?」
「いや、三ヶ月。夏までに一曲は通して弾けるようになりたい」
「はあ、ちょっと、あんたね…」
「三ヶ月でまともに弾けるようになったらおかしいわよ」
リリカがメルランの気持ちを代弁した。
「たのむよ、時間がないんだ」
拝みこんでお願いする魔理沙。
三姉妹はお互いに顔を見合わせる。
「…とりあえず、今日はもう遅いから、また明日」
ルナサにそう言われて、生徒の四人はとりあえず帰宅することになった。
明日は日曜日だ。
*
そして次の日。
休日ということもあり、四人は朝早くからプリズムリバー亭に集まっていた。
もっとも、その場にいる全員がもともと自営業みたいなものだから、曜日はあまり関係なかったが。
音楽室に集まった三姉妹と、生徒の四人、計七人は朝の挨拶を交わす。
「「「「おはようございます、先生」」」」
「…じゃあ、まずパート決めからしましょうか」
音楽室の机の上には既にヴァイオリンやヴィオラやチェロなどの、弦楽で使う楽器がいくつか置かれていた。
騒霊姉妹はかなりたくさんの楽器を所持しているようだ。
さすがに、音楽を職業としているだけの事はある。
「第1ヴァイオリンは主旋律。一番華々しい役だけど、当然ミスも一番目立つパートだから、普通は一番上手な人がやるわ。アンサンブルの主役だし、コンサートマスターも通常第一ヴァイオリンがやるからね」
ルナサが机の上のヴァイオリンをサンプルに一つ取ってそう説明する。
今気づいたけど、ヴァイオリンって結構小さいんだな。
ルナサの抱えている楽器を見て、霊夢はそう思った。
「って、わけで当然私が第一ヴァイオリンだぜ! 一番ばっかりで私にふさわしいよな」
「ちょっと、主役は私でしょ、っていつもならいうとこだけど。私はこの楽器でいいわ」
そう言って霊夢が指さしたのは、ヴァイオリンより一回り大きいぐらいの楽器。ヴィオラだ。
「おー、霊夢はヴィオラを選ぶの? 意外……でもないけど渋い趣味しているのね」
「なんかこれぐらいの中途半端な大きさが、まったりしていて私には丁度良く感じられるの」
「……あんまり意味がわからないけど」
「でも、なるべく大きい楽器を選びたがる子って一人はいるわよね」
と、リリカが言った。彼女は大きい楽器が好きらしい。
「魔理沙の一番発言はきにくわないけど。私はチェロでいいわ。音楽経験があって、上達がはやそうな人がヴァイオリンをやったほうがいいと思うし。第二ヴァイオリンは稗田さんに譲るわ。体格的にも、私がもっともチェロに合っていると思うし。でしょ? プリズムリバー」
「よろしいんですか、アリスさん?」
「あら、素直ね。てっきり、目立ちたがって第一ヴァイオリンをやりたがるかと思ったけど」
「私も控えめな楽器が好きなのよ。いつも前に出たがる誰かさんとは違って」
「むっ! もしかして嫌味なのか?」
「もしかしなくても嫌味でしょ」
霊夢は苦笑いでそう突っ込んであげた。
「なんか、すんなり決まっちゃったわね」
「でも、魔理沙のコンマスねえ。大丈夫かしら」
そうメルランとリリカが話し合う。
コンサートマスターは、アンサンブルのリーダー。何にしろ、リーダーというのは苦労する役回りだ。
「へへ、マスターといや、魔理沙さんだろ。まあ細工はごろうじろ、ってとこかな」
「いや、まだ何もしていないじゃない。でさ、どんな曲やるわけ?」
そう霊夢が聞いた。まだ演奏する曲を決めていなかった。
「さて、ねえ。どれがいいかねえ」
ルナサが考え込む。
何しろ三か月という短期間だ。あまり難しい曲は選べない。
ベートーベンやモーツァルトみたいな大御所の作品は、たぶん難しすぎてできないだろう。
かと言って、簡単すぎる曲だと教える方も演奏する方も退屈だ。
選曲については悩むところだ。
「あれ、いいんじゃない? 『図書の戯れ』」
リリカが名案を思い付いた様子でそう言った。
「あー、あの曲かあ。そういえば四重奏用の編曲版も書いてたわね」
「あの曲だったら、ヴィオラパートもチェロパートも結構楽しめるし。初心者でも弾きこなせないことはないし、とっつきやすいしね。ちょうどいいかもね」
ルナサもメルランもその曲の内容を思い出し、同調する。
どうやら相応しい曲が見つかったようだ。
「なに、それ? どんな曲?」
「うん、そうね。あんたたちが気に入らないと意味ないものね。じゃ、ちょっとやってみますか。二人とも、暗譜でできる?」
そう言ってルナサは、弓をつがえて準備しだした。
暗譜とは譜面を見ないでそらで演奏することだ。当然曲を全部暗記していないとできない。
「多少即興入っちゃうかもしれないけど、いいかな?」
自信がなかったらしいリリカがそう言う。
「まあ、問題ないでしょ。あんまり音符増やさないでね。この子たちが混乱するかもしれないから」
「わかった。じゃあ、いくわよ」
また再び音楽室に旋律が響き渡った。
四人は集中してその曲を聴く。
弦楽四重奏にしては珍しく、チェロの独奏部がある曲だった。
「おおー、ちょっと風変わりだけど、優しくて、楽しくていいんじゃない? 私たちにぴったりだな」
「古風な感じもあって、異国情緒って感じね。ヴワル図書館を思い出しちゃったわ」
「この曲は、もうちょっと、明るいイメージですけどね」
「感動して、思わず蓬莱人形が首吊っちゃったわ」
「じゃあ、とりあえず課題曲はこれにしておきましょうか。さて、レッスンを始めましょう。メルラン、リリカ。楽器の準備をお願い」
騒霊三姉妹による、音楽レッスンが始まった。
「でね、駒の位置はね」
「なるほど。西洋の楽器とはこういうものですか。この穴が、良い音が鳴る秘訣なんですね。琴とは多少、構造が違いますけど。ほうほう、この弦がこの音で」
「なんか、話通じてるらしいぜ?」
「ていうか、音符読めるのがあっきゅん一人だけって…」
鉛筆をくるくる回しながら、霊夢がそう言った。
音楽室の反対側の隅では、阿求がリリカから楽器の各部の説明を受けていた。
阿求以外の三人は音楽に対する基礎知識がないので、ルナサの用意してくれたテキストを見て、まず音階の仕組みから学習しているのだった。
「だから、今こうやって勉強しているんじゃないか!」
「私はもう覚えたわよ。魔理沙、この音は?」
そう言って、アリスは鉛筆で五線譜に書かれたオタマジャクシを一つ指し示す。
楽譜には、書かれた音符の高低の違いを現すために、へ音、ト音、ハ音の三つの記号がある
アリスの楽器はチェロなので、ト音記号で書かれた楽譜を読むヴァイオリンとは、基本の音階が違うが、アリスはもうへ音もト音もハ音も、三つとも読み方を覚えてしまったらしい。
「んーと、ド?」
「おお、正解。じゃあ、これは?」
「ド」
「ちょっと、なんで二つあがってまたドになるのよ…。あんた、さっき適当に言ったでしょ!」
「時間がかかりそうねえ」
その後三人は、プリントをやらされたのち、テストまでやらされた。
回収した答案をチェックした後、ルナサが言う。
「ふむ、まあ合格でいいでしょ」
「じゃあ、いよいよ?」
「そうね。実際の楽器を使ったトレーニングに移るわ」
「はー、待ちくたびれたぜ」
「あんたは机の学習より、体を動かす方が得意そうよね」
アリスがにくまれ口をたたく。
「でも、結構魔法の本とか読んでんじゃないの? そういや魔法使いって、机上の学問なしでもできるもんなの?」
「霊夢、どんな世界でも異端というのはいるものなのよ。本を盗むだけ盗んでおいて、流し読みしかしない人もいるんだから。じっとしていられなさそうなたちだから、きっと教室で何か習うのは苦手なはずよ」
「むっ! もしかして私のことを言っているのか?」
「まあ、今の話の流れだと、普通そうなるわね」
「よーし、じゃあ魔理沙と霊夢の二人は私が見てあげるわ。メルランはアリスをお願い。リリカ、あなたは阿求をみてあげて」
「りょーかい。よろしくね、アリス」
「お手柔らかにね。えっと、二番目の人?」
「メルランよ。名前覚えてね」
「じゃあ、阿求さん。私たちもはじめましょうか」
「よろしくお願いします。リリカさん」
おのおのの指導教官が決まり、各人別れての講義が始まった。
ルナサは魔理沙にヴァイオリン、霊夢にヴィオラをそれぞれ持たせて、正しい姿勢と構え方を教える。
「じゃあ、そうやって弦に垂直に弓をあててみて。そう。じゃあ、ゆっくりと手元にむけて、まっすぐに引っぱってみて」
「こうか?」
魔理沙は弓を左から三番目の弦に力いっぱい押しつけて、そのまま引いた。ぎりぎりときしむような音がする。
「ああ、そんなに強くひかなくていいの。本当に、乗せるだけでいいんだから。手を元にもどして。そうそう。じゃあ軽く乗せるようにして、ゆっくりと、まっすぐに右手を引いてみて」
「あっ! 鳴った! おお、なかなかきれいな音なんじゃない?」
トランペットなどの金管楽器と異なり、ヴァイオリンは音を出すこと自体は素人でもそう難しくない。
霊夢も自分のヴィオラを構えて弓を引いてみる。
うんともすんともいわない。ただ弓が弦と擦れるわずかな音が聞こえるだけだ。
「あれ? おかしいな?」
「HAHAHA! なんだ、霊夢。その音は。スカスカじゃないか」
「むっ! うっさいわね。あれ~? ルナサ、この楽器なんだか変じゃない?」
「楽器のせいにするのは素人の証拠だぜ? ほーら、私の方はこんなに音出るぜ~」
ギコギコキイキイ。魔理沙が自分のヴァイオリンをでたらめに弾きまくる。
耳障りな騒音が響いた。
「うっさい、黙ってなさい」
「ああ、しばらく使ってなかったから、松脂がおちてるのね。あら? この弓、張り替えたばっかりのやつだった。だからか。これを弓に塗ってみて」
そう言って、ルナサは霊夢に固形の松脂を手渡した。見た目はコハク色の、大きな飴玉みたいだ。
「え、これを塗るの? ……こんな感じ?」
「違う違う、もっと全面にガッと塗って。 そうそう。ちょっと貸してみて」
霊夢からビオラの弓を受け取ったルナサは、端の方から弓の表面に視線を水平にして覗きこむように見る。
霊夢にも同じように見るよう、うながす。
馬の尻尾で作られた弦楽器の弓は、何もつけていない状態だと、通常すこし黄色っぽいが、松脂を塗った部分だけは粉が付着して白く色が変わって見える。
「ほら、塗ったところは色が変わっているでしょ? こんな風に、弓の色が全部変わるぐらいまで塗るの」
「あ、本当だ。よーし」
「粉が落ちてくるぐらいだと、塗りすぎだからね」
「……これぐらいでいいかしら?」
「そんなもんでしょ。じゃあ、それで弾いてみて」
音が鳴った。
「おー!!」
弓を引く動作がぎこちないせいで、かなりとぎれとぎれではあるが。
「おー……これを塗っただけで音が出るようになった……こいつはマジックアイテムか!?」
「違うって。松脂のこまかい粉で摩擦ができて音がなる仕組みなの。だから、毎日使った後は松脂を塗って手入れしておくのよ。落ちるとさっきみたいに音が出なくなるからね」
「ほー、ひとつ賢くなったわ」
「ほうきに塗ってみようかな……スターダスト・レヴァリエの時に良い音がでるかも……」
「意味ないでしょ」
そのときちょうど、リリカに教えられていた阿求の弾くヴァイオリンの音色が聞こえてきた。
単純な音階練習だが、数小節よどみなく流れるように弾いている。
「……うめえ。あっきゅん、一番うまいんじゃない?」
「いや、ダントツで一番でしょ…私らは単音鳴らすだけで精一杯なんだから」
「じゃあ、ドレミファソラシドって続けてひいてみて」
「えっと、こうかしら。二番目の人?」
「メルランよ。いいかげん、名前覚えて。そうそう、あらアリス。あなた上手じゃない」
と、こちらはメルランに教えられていたアリスの方だ。
彼女も順調な出だしのようだ。
「……こいつはうかうかしてられないな」
そんなこんなで、今日一日のレッスンも終わりを迎える。
帰りの挨拶をするために、お弟子さん一同が一列に並ぶ。
「「「「ありがとうございましたー!」」」」
「霊夢、魔理沙、アリス」
「「「なんですか、先生」」」
「…明日からしばらく、三人には泊り込みで練習してもらうから」
「「「え~」」」
「…引き受けた以上は、一人前にするまで帰すわけにはいかないわ」
「あのー、私はまったり巫女だから、努力しない主義なんですけど…」
とんでもないことに聞こえる発言をした霊夢に、ルナサは一瞬露骨に顔をしかめた。
まあ霊夢がこういう人間、努力しないことがアイデンティティーにされているような人間だということは、郷中に知れ渡っているのだが。
そうは言っても、今回は事情が違う。
「…楽器の練習っていうのは普通スパルタなのよ? デフォルトスパルタ。とくにあなたたちなんて、わずか三ヶ月で人前で演奏できるようになりたいなんて無茶言うんだから。せめて、血ヘドはく程度には練習してもらわないと」
「せめてで血はくの? 阿求はいいの?」
アリスが帰り支度をしている阿求を見てそう言った。
「あの子は上手だから、自主練だけでも何とかなりそうだもの」
「私らは遅れてるってことか?」
特に他意もなく、少しがっかりしたように魔理沙が言った。
「だって三か月なんでしょ?」
「そうだけど……」
「嫌なら、この話自体なかったことにするわよ。あなたたちを教えるのは今日限り」
「そ、それは困る。わかった。よろしく頼む……いや、教えてください、先生」
「あら、素直じゃないの。その意気よ。じゃあ、お泊りの準備をしてきてね」
大変なことになったものだ。三人は同様にそう思ったが、なぜか素直に受け入れてしまった。
特段差し迫った仕事を持たない霊夢や魔理沙はともかく、アリスなんかは、いろいろとやることもあるだろうに。
いちばん渋りそうだった霊夢も、ある思いつきに至ってからは、口を閉ざした。
どうも三姉妹は月謝などを要求するつもりはないみたいだし、意外と気前がいいようだ。それに泊まりこみで練習ということは、三色昼寝付きということとほぼ同義ではないのか。霊夢にはそういう目算があったのだ。
ともかくも、三人とも当分の間はカルテットの練習にかかりきりになることを約束してしまった。
弟子たちが帰宅したあとで、騒霊三姉妹は後片付けを終え、リビングでくつろいでいた。
大人っぽく、ワインをグラスに注ぎ合ったりなんかしている。
つまみのチーズクラッカーをほうばりながら、メルランがルナサに聞く。
「ものになると思う?」
「どうかしらね。熱心さは認めるけど、人前で演奏できるまでに育てるには、やっぱり期間が短すぎるわ」
「でも意外ね…すぐ根をあげると思ってたんだけど」
リリカが面白そうにそう言った。
興味のある趣味であれ、始めたばかりのころはとっつきにくく、つらいこともある。
期間が三か月と短く区切られていたために、三姉妹による指導もかなり厳しくなっていた。
それでも四人はちゃんと練習した。
退屈な基礎のボーイング練習(弓を弾く単調な練習)や音階練習も毎日かかさずやった。
疲れがたまったり、指の皮が擦り切れてきて休ませなければならないときは、三姉妹の練習を見学して常に音楽に触れるようにした。
四人は、実際に楽器を始めてみると、自分たちと三姉妹との違いがより良く分かった。
彼女たちの技術のすさまじさを嫌というほど思い知ることができた。
自分たちにこんな音は、絶対に出せない。四人は同様にそう思った。
楽器というものは、誰でも同じ音が出せる代物ではないのだ。
「それにしても、こいつはほんとに扱いの難しい楽器だな」
「そうですね。弦を指で押さえますから、押さえ方がちゃんとしていないとすぐ変な音になってしまいますし」
「曲の中でのことなんだけど、弓を端っこまで引ききったら、どうしていいかわからなくなるよな」
「それは、ずっと同じ方向に弾いているからじゃないですか?」
「うん、そうなんだけど、逆の方向に弾き返すタイミングがわからないっていうか…」
「あ、それ忘れてた。本番では二人とも同じ弓の弾き方でそろえなきゃいけないんだった」
休憩中に話し合っていたヴァイオリンの二人に、パート練習を見ていたリリカが口をはさんだ。
「マジで!? それってめちゃくちゃ難しくない?」
「みんなバラバラな弾き方をしていたら、傍目見苦しいでしょうが。いつも同じ弾き方をしていれば、自然に体が覚えてくるわよ。ボーイングの方向については、折を見て指示するから、楽譜にメモっておいて」
「うへー、大変だな」
「まあ、それだけやりがいもあるじゃないですか。弾き方の方向がきっちりそろったら、格好いいですよ」
「そう、その意気よ」
「へー、阿求って前向きなんだな」
そうやって個人練習を積み重ねる。
だんだんと読譜にもなれて、自分のパートもだいたい暗記できてきた。
「はー、やっと自分のパート通して弾けるようになったぜ」
「さて、それじゃあ一度みんなで合わせてみましょうか」
「うっ、合奏?」
「緊張しますね……」
「あっきゅんはうまいからいいよなー」
一同は音楽室に集まる。
机を片付けてスペースを作り、自分の椅子を用意し、指揮台を中心に半円に並ぶ。
右から順番に、魔理沙、阿求、霊夢、アリスの順。
カルテットの配置だ。
椅子を用意したら、その前に譜面台を立てて楽譜を広げる。
リリカやメルランが、合奏のために特別に楽器の調律をやってくれていた。
指揮台の上にはルナサが入り、総譜を広げる。
調律された楽器を受取り、全員の準備が整った。第一回目の合奏の始まりだ。
ルナサが指揮棒を掲げる。
「それじゃあ、いくわよ……いち、に、さん、ハイ」
ゲー。ボワー。
音楽室いっぱいに満ちる不響和音。
「「「うっ……」」」
魔理沙を除いた弾き手の三人がいっせいに顔をしかめる。
不快感に満ちあふれた、なんともばつの悪い響きだ。
「おい…なんだ、その音は……」
「魔理沙、音程ぜんぜん違うよ?」
指揮者のルナサと見学していたメルランから順番に指摘が入る。
「あ、あれ? ちゃんと楽譜通りやってるのに……」
「あ、さてはペグをずらしたな。ちょっと貸してみなさい」
そう言って、リリカは魔理沙からヴァイオリンを受けとり、調弦をはじめる。
みんな自分でチューニングをやるにはやっていたが、やはりプロにはかなわない。
音叉を使って、弾いた弦から出た音を聴き比べる調律法には慣れが必要だ。
三姉妹は音感があるので、弦をはじくだけで道具なしでチューニングができた。
「うわっ、ほぼ半音ずれてる」
「あ、あれ~? いつの間に……」
「もう、何やってんのよ」
「いや、私じゃないんだよ…」
アリスに責められて、魔理沙は思わず弁解しようとした。
その時振り上げた右手に、弓を持っていたことをすっかり忘れていた。
合奏をしているときは、結構メンバー同士の距離が近い。
魔理沙が振り上げた弓の先端は、ちょうど隣にいた阿求の顔のあたりを通り過ぎた。
「ふげっ!?」
「あっ? しまった!?」
「あー!? 魔理沙の弓が!」
霊夢が避けながら叫んだ。
「いままでいじり方がわからなくて影の薄かった阿求の鼻を突いて鼻血が!!」
と、これはアリス。
「うぐぐ、詳細にへつめいしはいでください……みじめになる…」
「ご、ごめんよー」
音楽室の床に鮮血がぽつぽつと落ちる。
すぐにメルランがちり紙を取ってきてくれて、阿求はそれを鼻につめる。
「あっきゅん…昼間っから……」
霊夢はなんだか良くわからないことを言い出した。
「いや、見へたじゃないですか! ふごふご」
「ごめん……言わなきゃいけない気がして…」
「もう…いったんブレイク! 休憩!」
ぐだぐだになったので、ルナサがそう告げた。
そんな彼女たちだったが、熱心に練習した成果はそれなりに出てきた。
二ヶ月を切るころにはビブラートも掛けられるようになり、つかえながらも、通して一曲演奏できるまでになっていた。
「どうだ! いまのはうまくできただろ?」
「…全然ダメ!」
ルナサは指揮棒を譜面台に叩きつける。
「なんでだよ!? よかったじゃん!」
「リリカ、あんた今のマリサの演奏聴いてどう思った?」
「うーん……なんていうのかしら? マスタースパークならぬマスターベーション?」
「そう。意味はひとりよがりよ」
メルランが付け加える。
「は……はい?」
「アンタはアンサンブルがちっともわかってない。アンサンブルの意味は?」
ルナサはそう言って、指揮棒の端を魔理沙に突きつけた。
「が、合奏」
「そう、それなのにアンタときたら……周りの音ちっとも聴いてないだろ!? ひとりで気持ちよく走ってどうする!? 伴奏はあんたの引き立て役じゃないぞ! 個人プレイに走るんだったら、ソロでやってろ!」
みんな、しーんとする。
「…ってとこかしら。まあ、まだ言い足りないことは色々あるけど、日が暮れちゃうし。ハイ、じゃあ以上のことをキモに命じて、もう一回最初からやりましょう」
「・・・」
ずどーん。
魔理沙は落ち込んだ。無意識のうちに三点リーダが中黒点になってしまうぐらい落ち込んだ。
まあ、もともと魔理沙なんて個人プレーだけで生きてきたような人間だ。
アンサンブルに向いているはずもない。
「ま、まあ。そんなに落ち込まないで、魔理沙。あなたにだっていいところはあるのよ?」
「……たとえばどんな?」
「うーんと、そうねえ。音がのびのびしているわ。そう、まるで野放図に伸びきった雑草みたいよ。水をあげなくても勝手に育ってうっとうしいぐらいの。素晴らしいわ!」
「ほんとうか?!」
「ふーん。メルラン姉さんはどぶの中からでも宝石を見つけようとするタイプね」
「せっかくのフォローを。聞こえていないと思って、淡々とひどい事言うわね、あなた」
「……ってそもそも今のメルランの発言はフォローになってたのか?」
その後もルナサの厳しい指導が続いた。
「ヴィオラ、譜面にラクガキするな! なめてんのか!」
「うぴっ……」
「第一ヴァイオリン! 楽譜にない演奏をするな! おまえのオリジナリティなんて、クソでもくらってろ!」
「げふ…」
「こら、第二ヴァイオリン。おまえもだ。もっと音程をあわせろ! ゲコゲコゲコゲコ、おかしな音鳴らしやがって。ヒキガエルじゃねーんだぞ、凍らすぞ!」
「うう、ひどいですわ…」
「ヘタクソ、ヘタクソ! どいつもこいつも、ちゃんとやれ!」
「厳しすぎるぜ。独裁者だ、皇帝即位だ、第三帝国だ」
「なんで私まで…」
霊夢もぼやく。
まあ、練習中に楽譜にラクガキしていたら怒られるのは当たり前なのだが。
それをあっさり見抜いたルナサの観察力は、結構すごいのかもしれない。
それにしても、ルナサの指摘はエスカレートし過ぎな気がした。
「まあまあ、みんな努力してるんだし」
アリスがなだめようとそう言った。
「今、何て言った?」
ルナサが固まった
「…え?」
「これが努力だって? 笑わせるんじゃねえ!!」
バキン。
譜面台にたたきつけられた指揮棒が折れた。
指揮棒って、折れるんだ。霊夢はなぜかそんなどうでもいいことを考えた。
ルナサがキレた。
「努力っていうのはなあ、結果を出すためにするものなんだよ! 結果が出ないものは努力って呼ばねえんだ!」
「……」
「てめえら、なめてんじゃねえぞ! 人前で演奏するってことがどれくらい重いことか分かってねえだろ!」
折れた指揮棒のさきっちょが投げつけられる。
「うわっ?!」
「いでっ!」
霊夢と阿求の中間当たりを狙った投擲は、阿求の譜面台に当たり、跳ね返ってアリスのおでこに当たる。
最近生え際を気にしていたのに。
「ちょ、ルナサってこんな性格だったの?」
霊夢は小声で後ろに座っていたリリカに話しかける。
「生真面目すぎるのよね、ルナ姉は」
「自分と同じレベルのことを他人にも求めようとするの」
メルランがそう付け加える。
「うー、ていうか、別に私達はプロを目指してるわけじゃ…」
それでもアリスがけんめいに抗弁しようとする。
「パンピー相手に質問するのは私の仕事だっ!」
ルナサが一喝した。
「ひいっ!? ごめんなさいっ!」
アリスは思わず謝ってしまった。
恐ろしい迫力だ。有無を言わせぬものがあった。
「……そういえば、私たちって、何のために楽器の練習しているんでしたっけ? 何か目標とかあるんですか?」
「いわれてみれば……」
みんなで魔理沙を見つめる。
一瞬静かになった。
魔理沙は六人分の視線を受けているのに気づき、目をぱちくりさせている。
そういえば、理由を聞くのを忘れていた。
「えへへ…」
「えへへ、じゃない! なんのためなのよ!」
「だいたい、三ヶ月っていうリミットはどこからきたんですか?」
「なんで私が怒られなきゃいけないのよ!」
「まあ、まあ。実はさ……」
「「「え? パチュリーの誕生日?」」」
パチュリー・ノーレッジと言えば、霧の湖に建つ屋敷・紅魔館に住んでいる魔女だ。
外見は幼い少女だが、実は妖怪のたぐいらしく、だいたい百年ほど生きていると言う。
いつも屋敷の地下にある大きな図書館にこもっていて、朝から晩までずっと本を読んでいる。
そのため、「知識と日陰の魔女」なんてちょっと揶揄めいた呼び方をされている。
魔理沙は珍しい書物や魔法書を求めて、しょっちゅう図書館へ顔を出すので、この魔女ともだいぶ親しい。
魔理沙が聞いた話によると、このパチュリーは西洋育ちということもあり、大のクラシック愛好家だという。
そこで、彼女の誕生日までに楽器を覚えて、演奏をプレゼントしてあげようと思いついたというのだ。
「あんたがそんなに友達思いだったなんて、知らなかったわ」
「あの魔女にも誕生日があったのね。不詳だと思ってたわ」
「いったい、何回目の誕生日なんでしょうか」
「パチュリーにはいつも図書館の本を借りに行ったりして、世話になってるしな」
「強奪ともいうわね。それにあんた本返したことあんの?」
「誕生日プレゼント贈るより、まずそっちが先だと思いますが……」
「おまえらだって、本返していないだろ?」
「私はちゃんと返しているわよ!」
几帳面な性格のアリスがそう抗議した。
彼女はちゃんと本を返していたらしい。
「むー、本のことはともかく、私も書きものの資料の件では、ノーレッジさんにはいろいろとお世話になっていますし。(幻想の世紀・第十集・中国の悲劇果てしなく、確かアレはまだ家にあったはず…)」
「まあ、やるからには、よいものに仕上げたいしね(……面白いハクタクの調理法・図解説明付き。アレはまだ手元に置いておきたい)」
「しかし、紅魔館には管弦楽団があるじゃない。なんだってわざわざ」
そうリリカが言った。
三姉妹は何度か紅魔館を訪れたことがある。
紅魔館には、メイドが何人も所属しているかなり本格的な管弦楽サークルがあって、彼女たちはそこに雇われて練習指導に行っているのだ。
「そこだよ。私たちみたいな素人がやるから、新鮮味があるんじゃないか?」
「でも、パチュリー・ノーレッジの誕生日だったらこの曲は最適よね。なんたって『図書』の戯れだし」
「レミリア・スカーレットのテーマ曲と同じで、ラヴェルの曲名のオマージュだから、対にもなっているしね」
「まあ、もともとそういうつもりで『水の戯れ』をもじったのだからね」
三姉妹は、ことあるごとに長女、次女、三女の順番でしゃべる。ちゃんと年長を立てているし、実はこの姉妹はすごく仲がいいのかもしれない。魔理沙はそう思った。
「ちょっとまて、レミリアのテーマ曲ってなんだ?」
「あら、聞いたことない? 紅魔館からの依頼で、昔作曲してあげたことがあるのよ。なんでも、夜の帝王としてのカリスマを増すには、テーマソングが必要だとか言って」
「『亡き王女のためのセプテット』という曲よ」
「外の世界の作曲家、モーリス・ラヴェルの代表作『亡き王女のためのパヴァーヌ』をもじったの。ちょうどこんな感じの曲ね」
そう言って、リリカはその場にあったヴァイオリンを持ち上げて、軽く弾く。
根底はクラシックなのだけど、どこかロックのようなジャズのようなテイストが入ったセンスの良い曲だ。
「おいおい、これがあのようじょのテーマ曲だって!? ちょっとかっこうよすぎやしないか!?」
「うーん、赤い霧の吸血鬼ってイメージで作曲したらこうなっちゃったんだけど」
「ま、たしかに本人よりかは、曲のほうがカリスマがあるかもね」
「本人を知ってたら、もうちょっと可愛い曲に作ってたんだけどね」
魔理沙も自分のテーマ曲を作曲してもらいたくなったが、言うのは我慢しておいた。
それにしても、ようじょのくせにテーマ曲とは、分不相応な、生意気な。
かなりジェラシーだ。嫉妬、SIT、SHITだ。
こうなったら、是が否にでもあのようじょ吸血鬼のカリスマを落としてやらないと、気が済まない。
もはや郷における自分の人気は不動のものではある。
それでも、このテーマ曲の存在は脅威だ。
最近、あの幼女も路線を変えてきて、ペド色を色濃く主張する戦法にでてきたから、要注意だ。
自分の人気を維持していくために。対抗馬となる危険人物はすべてチェックして、出る杭は早めに打っておかねば。
などと、魔理沙はなんだか良くわからない黒い考えを持った。
*
残り時間が二週間を切った。
四人の腕前は熱心に練習した甲斐もあり、飛躍の進歩を遂げていた。
もう四人とも自分たちのパートは完全に暗記し、音符を見なくても弾けるようになっていた。
あとは本番に向けて、細かい調整をしていく時間だ。
七月も半ばに入り、空には太陽が高くうだるような暑さが続くが、気を抜いてはいられない。
彼女たちは毎日のように、合奏練習を行い、全体のバランスを整えていた。
全員の譜面に、気をつける箇所をメモした書き込みの跡が、びっしりとできていった。
曲がこなせるようになると、メンバーの間でお互いの主張をめぐって少々の対立が起きた。
特に、魔理沙とアリスがたびたび意見の違いで衝突した。
「楽器はパワーだ。お前にはパワーが足りない! もっと伴奏にぐっと迫ってくるものがないと、安心して弾いてられないんだよ!」
「いいえ、芸術は知性、インテリジェンスよ。御託並べる前に音程合わせなさいよ!」
「そうねえ、まあ確かに楽器は知性よね。音だけでかくしたって聞き苦しいだけだわ」
「はあ? リリカ、なに言ってんの? 楽器はパワーに決まっているじゃない」
「まあたそんなこと言って。メルラン姉さんはいつも目立とうと思って出っ張るじゃない」
「で、で、出っ張るですって! 私はそんなに太ましくないわよ!! リリカだって、いつもおいしいとこだけ持っていくくせに。あんたは調子が良すぎるのよ」
「なにー?」
「なによー」
魔理沙とアリスの言い争いは、メルランとリリカの姉妹にまで飛び火してしまったようだ。
どちらかと言えば、立ち姿はリリカさんのほうがふとましくないですか。
でも食べっこキャラはメルランのほうな気がするしねえ、昼にでたマーボー豆腐もメルランのほうがいっぱいおかわりしていたじゃない。
あれはおいしかったですねえ、こんど作り方をお聞きしたいですわ。
ねえ。昼が中華だったから、夜はフランス料理なんていいわねえ。世界三大料理制覇みたいな。
明日はトルコ料理ですか、シシカバブなんておいしそうですねえ。季節の野菜を添えて。
傍観しているだけの阿求と霊夢がそんな話題で盛り上がっていた。
「こら」
「「あいたっ…」」
ルナサは両手に一本ずつ太鼓のばちを持って、メルランとリリカの頭をたたいた。
響きの良い音がした。
「アリスも魔理沙も。二人ともやめなさい」
鈍器で武装している師匠に目をつけられて、二人は思わず身構える。
「それに二人ともいいこといったのよ。実はパワーもインテリジェンスも、両方とも必要だ」
「「え? そうなの?」」
「魔理沙、あなたに必要なのは力は力でも、パワー・コントロールよ。ボリュームが大きいところもあれば小さいところもある。だから曲にメリハリが生まれるんじゃない」
「そ、そうか。なるほどな。弾幕もでかいヤツばかりじゃなくて、細かい弾で牽制してからとどめで必殺技をたたきこんだりするしな」
「そう、そういうこと。なんだ、ちゃんとわかってるじゃない。そういう全体的な流れを考えるためのインテリジェンスも大切なのよ。そうやって、一つの曲の中で、クライマックスに向かってヤマを作ってあげるの。山あり谷あり。与えるために奪う、奪うために与える。それが人の心を揺さぶって、感動させるコツよ」
「ほほー、なるほどなー」
「感心させらたわ。与えるために奪う、か。人形劇でも応用できそう」
「さあ、みんな。もう一回最初から通して合わせるわよ!」
「「「「はい、先生!」」」」
といっても、そうやって格言のようなものをひとつ覚えたところで、すぐに上達するほど世の中は甘くない。
「私は~いつも~、のんびりカンタービレ~(歌うように)」
「霊夢、のんびりしすぎ! テンポ、遅れてるわよ! そんなんでステージクリアーに間に合うか!」
「あうっ、東方には時間制限なんてないのに……」
「(低速キャラの霊夢が存在を否定されてる……)」
「こら、魔理沙! あんたは速すぎ! ひとりで突っ走って弾にあたってりゃ世話ないわよ! 周りの音をちゃんと聴け!」
「うわっ、こっち来た! (速度が少ない強みのひとつなのに……)」
本当によく怒られた。
みんな均等と思えるほど怒られた。
楽譜が飛んだ。指揮棒が飛んだ。譜面台が飛んだ。
音楽経験者で、一番上手だった阿求すらも、何度もダメ出しされた。
意外なことに、魔理沙や霊夢と同じ素人だったはずの、アリスだけは余り指摘されることがなかった。
そんなこんなで合奏練習は夕方まで続くのであった。
夜。
一風呂浴びたのち、バスローブをはおったアリスは、ベランダに出てワイン片手にたたずんでいた。
プリズムリバー亭のバスルームは結構広くて気持ちがよかった。
すっかり夜は更けていたが、七月なので風呂上がりには蒸し暑いくらいの温度だ。
階下からは魔理沙が練習しているヴァイオリンの音が聞こえてくる。
「まだやってる。熱心ねえ」
「あなたは余裕なのね」
「あら二番目の」
「メルランよ。本当は名前、おぼえてるくせに。わざとそんな言い方するのは、嫌味なのかしら?」
「あら、詰まっちゃったわ。この場合、本当に忘れていても、覚えていても、どちらでも失礼にあたるのね」
「ほんとうに余裕しゃくしゃくって感じね」
「私のパートはそんなに難しくないからね。一休みよ」
「あなた、ずいぶんあの子にご執心なのね。あの子の前では、わざと子供っぽい振りしてるでしょ? 本当は自分から伴奏の楽器を選んだりして、一歩引いたスタンスであの子を立てようとしてるのに」
「んー? 魔理沙のこと? だって、なんだかあの子って可愛いいじゃない。何事もひたむきなくせに、他人の前では斜に構えているようにふるまうところとか。努力しているところを、人に見せたがらないところとか」
「あら、やっぱり芝居だったんだ。妙につっかかったり、思わせぶりな言葉に反応してみせたり。それに、あなた実際はもっと上手く演奏できるのに、あの子たちに合わせてセーブしてるんでしょ? もしかして、何か他の楽器の経験もあったとか?」
「大したもんじゃないわ。まあ、もともと彼女たちとは年齢もかなり離れているんだし。いろいろと経験値が違うことは、確かね。でも、あの子たちの側にいると、輪に交じってはしゃいでみたくなるのよ。まったく、芝居ってわけでもないのよ。あの子には、なんだかそうさせるだけの、人を惹き付ける力があると思うの」
「憧れているんだ?」
「憧れているわよ? と言っても、感情としては妹みたいなものかしら。あの子たち、そそっかしくて危なっかしいところもあると思うし。可愛くてね」
「妹みたい? 本当にそうかしら。あなたの視線って、何だか……」
「人のことばかり言って、そっちはどうなのよ」
「え?」
「自分の妹に対して。ときどき正直じゃないみたいに見えるけど?」
「あら。そんな面を見せていたかしら?」
「やっぱり、自分じゃ気付かないものなのね。お互いにね」
そう話し合っているうちにも、階下から魔理沙の練習するヴァイオリンの音色が聞こえてきた。
ずいぶんと上達したものだ。もう、二ヶ月前はずぶの素人だったとは思えない。
彼女は誰もが認めるほど、かなり熱心に練習していた。
おそらく、正規のレッスン以外にも自習を重ねていたのだろう。
昼間見た彼女の、擦り切れて絆創膏だらけの左手の指が、積み重ねた努力の量を無言で物語っていた。
魔理沙が人に何かを習うのは、ずいぶん昔に魔法の基礎を教わって以来だった。
それだけに、彼女は三姉妹に教授してもらえることが、嬉しかった。
今まで何かを学習することを、彼女は独学でしかやってこなかったからだ。
ずっと独学をつづけている人間は、なぜかたいていレッスンを受けることを焦がれるようになる。
学校に行きたい、教室に通って一からちゃんと習いたいと言い出すようになる。
なぜなのだろうか。
自分はやりたいことをやっているはずだ、自分は間違っていないはずだ。
独立独歩、独学でやってきた人間は、そうやって自分の選択を信じるように、常に自分自身に言い聞かせてはいるものの、やはり不安になるときがあるのだ。
きちんとした道を修めた人間に、自分がやっていることが正しいかどうかを確認してもらいたくなるときがある。
道を歩もうとしている人間は、いつまでも傲慢で孤高ではいられない、ということかもしれない。
それに人間の社会においては、おおよそ学術というものは、正しい導きなしでは成立しないものだ。
先人の到達した域に効率良く追いつくためには、やはりちゃんとした師に学ぶ必要があるのだ。
それは音楽や絵画などの、感性を重視する芸術の分野においても例外ではない。
なぜなら、感性とは、人間が連綿と続く歴史の中で積み上げてきた、叡智のひとつに他ならないからだ。
センスは生まれつき持っているものではない。
センスとは、学ぶ必要があるものなのだ。
教室の中においても外においても、世界の美しさを観察し、基礎を修め、先達の技を模倣し研究し、新しいアウトプットの手段を試行する。
そうやって初めて、表現におけるすぐれた感覚が身につくのだ。
しかし、そういった難しいことを杓子定規に考える必要は、本来無いのかもしれない。
単純に、楽器を練習することは楽しい。
ひとつの目標に向かって、みんなで互いに励まし合い、腕を磨きあうことは、楽しい。
魔理沙は自分の究めようとしている魔法のことではなくても、三姉妹に楽器を習ってその通りに練習するのが楽しかった。
決して、音楽を贈ってあげたい友達のためだけに、厳しい練習に耐えているのではなかった。
日々上達していく自分を見つめるのが楽しかったのだ。
ひとつのことに打ち込む時間が、楽しかったのだ。
友達と、お互いの問題を指摘し合ったり、時には言い争ったりすることでさえ、それなりに楽しかった。
そうして、そんな日々を送るうちに、彼女はだんだんと確信していった。
この経験は、自分が本来の道に戻ったときにも、きっと役に立つ。
通っていく途中のルートは、諸々の分野で違うかもしれないけど、つきつめるところ、道はいずれ一か所で繋がる様な気がする。それに、寄り道に見える経験が、実は近道だったりすることもあるのではないだろうか。
彼女には、そんな風に思えたのだ。
*
パチュリー・ノーレッジの誕生会がある日まで、残すところあと一週間となった。
朝から取っていおいた合奏の時間が終わりに近づく。
一区切りついたので、ルナサが指揮棒を下ろす。
「うーん。まだちょっと危なっかしいわね」
「でも、驚いたわね。たった三ヶ月足らずでここまで上達するなんて」
リリカが人さし指を立てながら、楽しそうにそう言った。
ルナサはそれを聞いて、ちょっと微笑みを浮かべた。
「……そうね。音感も身についてきたし。表現力もなかなかのもの。あなたたち、自分を誇っていいわよ」
「本当か! ありがとう、師匠!」
「弟子よ! よくぞ成長した!」
感涙にひたりきって、抱き合うルナサとマリサ。ああ、なんか似たような名前だね。
「感動のシーンですね」
「「……」」
うわっ、芝居くせえ、霊夢とアリスはちょっと白けた様子で見つめていた。
午前中の合奏が終わり、食事休憩が済んだ頃に、プリズムリバーの屋敷を一人の少女が訪ねてきた。(ちなみに、この日の昼食はひやむぎだった)
暑い夏の日だというのに、白いシャツの襟をきちんとしめた、折り目正しい少女。
頭にはコウモリの羽根みたいなものが付いている。ついでに、背中にもひとまわり大きいのが付いている。
飾りではなく、彼女は正真正銘の悪魔だ。
結構つきあいも長くなるのに、誰も彼女の本当の名前を知らない。
悪魔だから契約者以外には真名を明かせないとか、いちおう事情があるらしいが。
今ではすっかり小悪魔という呼称で定着している少女だ。
彼女は紅魔館の図書館に住んでいて、たぶん司書のような仕事をしている。
結局誰が彼女をこの世に呼び出した主なのかは、本当のところ誰も知らないし、興味もないが、たぶんそれはパチュリーなんじゃないかと思われている。
小悪魔は右腕に楽器を入れるような小さめのケースを一つ抱えて、みんながいる音楽室へと入ってきた。
「あら、みなさんおそろいで」
「小悪魔じゃないか。なんだ、偵察にきたのか? いやらしいな」
「偵察? なにそれ」
「違いますよ。今度の定期演奏会のための合同練習に来たんです」
「定期演奏会?」
「そう、私達のね。ちょうど、八月にあるのよ」
ルナサが答えてくれた。
三姉妹は、魔理沙たち四人に楽器を教えながらも、その合間にずっと自分たちの演奏の練習をしていたのだ。
「おまえも出演するってこと?」
「あなた、楽器できたの?」
「この子はね、たぶん幻想郷で一番のフルート奏者なのよ」
「去年、紅魔館の晩餐会に招かれたときに、この子を発掘したの」
「おかげで、今年は今までできなかった曲ができるわ」
そう言われて照れている小悪魔は、まったく純朴な少女だった。
もしかしたら、悪魔としての自覚がないのかもしれない。
「今までできなかった曲?」
「そう。私達の最大作にして、禁曲」
「禁曲!? そいつは、なんだかすごそうな響きだな」
「ま、禁曲っていっても、別に禁じているわけじゃなくて、いままで演奏できる人材がみつからなかっただけなんだけどね」
「なんて曲名なんだ?」
「うーん、ほんとは演奏会当日まで秘密にしておきたかったんだけど、どうせ練習みられちゃうからいいか。『四つの姉妹のためのコンチェルト』という曲よ」
「四つの…なるほど、あんたたちプリズムリバー姉妹を題材にした曲なんだな?」
「そういうこと。まあ、私たちのモデルになった、本当のプリズムリバー姉妹のための曲でもあるんだけどね。これから練習をはじめるから、よかったら見学していく?」
「マジで? やったぜ!」
~少女鑑賞中~
「……言葉がない、あの弾幕は避けれそうにない」
「あんなすごい体験をしたのは、転生開始以来はじめてです。体の震えがとまりません」
「巫女の私でも(?)、さすがにあれは感動したわ」
「この喜びをどう人形で表現したらいいのか」
練習が終わり、音楽室から出てきた小悪魔が四人に挨拶する。
さきほどの素晴らしい演奏を聴いたばかりなので、四人は同様に小悪魔に憧憬のまなざしを向ける。
「魔理沙さんも、がんばってくださいね。パチュリー様、実はすごく楽しみにしているんですから」
「そうなのか?」
「なんだ、パチュリーは誕生日に音楽を贈ることをもう知ってるんだ」
霊夢がそう言った。
「よーし、最後の詰めだな。やってやるぜー、パチュリーの口を驚きで三角にしてやるぜ!」
魔理沙は腕まくりしてそう言った。
ノースリーブの服を着ていたので、まくる袖はなかったが。
それからの一週間も、怒涛のような練習の洪水が続いた。
そして当日。
八月の中頃。
空は見事に真っ青で、からからと暑い日差しが差し込み、大きな雲が地平線に顔を出していた。
霧の湖にある紅魔館では、既に誕生会の準備が整っていた。
パチュリーやレミリアなどの、内部の人間の誕生日は、本来身内だけで祝っていた行事だったが、今回はいろいろと出し物を企画したので、かなり大規模になっている。
会場に指定された紅魔館で最も大きいホールには、色とりどりの食欲を誘う料理が運ばれている。
何人ものメイドがせわしなく準備をしていた。
そこへ魔理沙達四人がやってくる。
プリズムリバー姉妹は少し遅れてくることになっていた。
楽屋へ通されて、楽器を置いたあと、四人はパーティーに参加するためにホールの前の立食スペースへと向かった。
メイド服を着たスレンダーな体系の美人と、金髪と朱色の服に、背中に飾り羽のようなものを付けた少女が立っていた。
紅魔館のメイド長の十六夜咲夜と、屋敷のあるじの妹フランドール・スカーレットだ。
四人は挨拶をするために、彼女たちに近づく。
魔理沙と咲夜の視線が絡み合い、一瞬火花のようなものが散った。
「久しぶりだな、メイドの」
「ふふふ、この日を楽しみにしていたわよ。おおきな口たたいたあんたが、どれほど上達したか見せてもらうおうじゃないの」
「なにこれ。どういうこと?」
霊夢は横にいたフランドールに聞いてみた。
「この前ね……」
それは三か月以上前のこと。
いつものように図書館の本を強奪に入った魔理沙は、こそこそと風呂敷を抱えて廊下を歩いていると、ある部屋から音楽が漏れてくるのを聞いた。
のぞいてみると、そこには館の主の吸血鬼、レミリア・スカーレット以下、紅魔館の主要メンバーが数人いた。
彼女たちは、みんなで合奏をしていたのだ。
パチュリー・ノーレッジはチェレスタのような鍵盤楽器を操り、小悪魔がフルートを吹いている。
門番をしていた中国……紅美鈴という名前の妖怪は、月琴のような弦楽器を弾いている。
レミリアが台の上に乗って弾いているのは、確かコントラバスという楽器だ。
そこに、フランドールの澄んだ歌声が加わった。
魔理沙はしばらくの間、その幻想のような光景と音にひたっていた。
演奏が終わる。
入口に立っていた魔理沙は、隠れていたことも忘れ、思わず拍手していた。
気づいた紅魔館の一同がいっせいに入口の方を向く。
見慣れた白黒ねずみが立っているのを見止める。
『すげー、お前らにこんな特技があったなんて……』
『あなた、その風呂敷……もう隠れる気すらないのね……ある意味、賞賛に値するわ』
パチュリーが魔理沙の姿を見てそう言った。
『やっぱ、何年も生きているだけあって、いろんなことができるんだなー』
『あら、魔理沙にしては珍しく素直に褒めるじゃない』
『でも、別に妖怪じゃなくても、弦楽器だったら咲夜もやってるわよ』
そう言ったのは、レミリア・スカーレットだった。
『咲夜も楽器できるのか? でも、メイドの片手間じゃあ……』
『咲夜は紅魔館管弦楽団の筆頭ヴァイオリニストなのよ。かなりの腕前よ』
『な、なに? そうなのか?』
『まあ、魔法だけじゃあ、メイドは務まらないのよ。馬鹿のひとつ覚えみたいに魔法だけぶっ放していればいい誰かさんとは違って』
『なに~?』
『完璧で瀟洒な少女を名乗るには、楽器のひとつぐらい嗜んでおかないとね。コソ泥の真似事ぐらいだったら、無教養でも務まるかもしれないけど』
「それで魔理沙がさ、なんだいなんだい、楽器ぐらい私だってできらい、とか言って」
「あいつめ…ようするに咲夜と張り合っていたというわけか」
「そうやって、バレバレの大見えきった上すねているみたいな魔理沙は、三歳児みたいで可愛かったわ。思わず食べちゃいたくなるぐらい。幼児プレーっていうのも、結構心ひかれるものがあるわね」
皮肉の応酬から対抗心が芽生えてしまったらしい。
パチュリー・ノーレッジの誕生日が動機の全てではなかったわけだ。
妹吸血鬼の変態的性的願望は、すっぱりと聞き流すことにした。
演奏をすることになっている四人に少し遅れて、プリズムリバー三姉妹が会場に入ってきた。
「あら、騒霊三姉妹? 呼んだっけ? 席は余っているから、別にいいけど。謝礼は用意していないけれど、あなたたちも何か演奏してくれるの?」
「ううん、今回は見学」
「教え子の晴れ舞台をね」
「巣立つ雛鳥を見つめる心境かしら」
「ええ? じゃあ、あなたたちが教えていたの?」
「「「そうよ~♪」」」
無駄にハモりやがって。
しかし、この姉妹に習っていたとなると。この姉妹が音楽のことで中途半端なことをするはずがない。
魔理沙のやつめ、本気で取り組んでいたのか。
楽器を練習していたとは聞いていたが、そこまでしてくるとは彼女にとっては予想外だった。
ちょっと楽しみになってきて、咲夜も微笑を浮かべる。
ふと、すみっこのほうに立っていたアリスに目がとまる。
「あら、人形使い。今回は人形劇じゃないのね」
「ええ。私も魔理沙のカルテットに参加するわ、って前もって知っているでしょ?」
「まあね。そういえば、あなたは何でも器用にこなしそうよね。目立たないけど」
「目立つのは嫌いなの。私だけじゃなくて、みんなよ。今回はみんなかなり練習してきたんだから」
「そのようね。楽しみにしているわ」
「あなたの演奏もね」
魔理沙は会場の隅っこに座っていたパチュリーを見つけ出した。
主役のはずの彼女は、なぜか目立たないところに引っ込んでいた。
自分の誕生日だというのに、服装もいつものネグリジェとナイトキャップのままだった。
「よう、パチュリー」
「あら、魔理沙。また本を盗みにきたの?」
「やだなあ、知ってるくせに。今日はとっておきの音楽を聴かせるためにやってきたんだぜ。今宵の魔理沙さんは、恋の音楽使いだ」
「いつも調子の良いこと言うのね。三か月ぐらいで、そんなに上手くなるはずないじゃない」
「へへへ、そいつは聴いてのお楽しみだぜ」
「ま、期待しないで待ってるわ。ところで、これ食べる?」
「あれ、まだ料理手をつけちゃいけないんじゃないの?」
「私は主役だからいいのよ。ワインは飲む?」
「酒は遠慮しとくよ。酔うと手元が狂って、演奏ができなくなる」
「ふーん、そう。じゃあ、このチーズ食べなさい。おいしいわよ」
並べられている料理を眺めて、今にも何かをたらしそうな霊夢に、屋敷のあるじの吸血鬼嬢が話しかけた。
レミリア・スカーレットはいつにもましてフリフリのヒラヒラが付いた豪華な服を着ている。
頭にはカチューシャをつけたりなんかして、まるで王女殿下スタイルだ。
かなり、気合を入れてお召かししていたようだ。
誕生会の主役より目立つ格好をして、一体何をするつもりなのか。
「ひさしぶりね、霊夢」
「先週、神社に来たじゃない」
「そうだったかしら。今日は料理もたくさん用意したから、楽しんでいってね。どうせお腹すかしてるんでしょ?」
「悔しいけど、オールウェイズ三丁目の腹ぺこって感じね」
「ところで、私の格好見て何か気になること無い?」
「なんのこと?」
「……」
「ああ、わかった、わかった。可愛いわよ、可愛い。似合ってる」
「でしょ、でしょ」
霊夢はそう言ってレミリアの頭をなでてあげた。
吸血鬼嬢はとても嬉しそうだ。
本当はレミリアの方がはるかに年上なのに、完全に立場が逆転している。
隣で取り皿を用意していた魔理沙が半分あきれ顔で見つめる。
「おいおい、吸血鬼がそんなことでいいのかよ。威厳が保ててないんじゃないか?」
「最近、カリスマよりも大切なものがあるんじゃないかと思えてきたのよね。ところで、このちんちくりんな子はだあれ?」
「あっきゅんじゃない。何度か図書館を訪れたことあるって話よ」
「里に住んでいる、稗田阿求です。レミリアさんには幻想郷縁起を書くときに取材したんですが……」
「気にしなくていいよ。吸血鬼は脳みそがないから、記憶力が悪いんだ」
「ばかにしないでよ。ちゃんと覚えてるわよ、あっきゅんでしょ、あっきゅんきゅん。こんなおいしそうな子を忘れるわけがないじゃない」
「お、おいしそうですか……」
「気を付けないと食べられちゃうぜ。性的な意味で。このようじょは和食好きなんだから。霊夢なんてしょっちゅうセクハラされているしな」
「私今、カリスマがなくなっていく原因を作っている犯人をみつけた気がするわ」
誕生会はつつがなく進んだ。
食事の時間がしばらく過ぎて、いよいよ宴会の出し物をする時間に入った。
現在、魔理沙たちは楽屋で準備をしながら、自分たちの出番が来るのを待っている。
今はちょうど、前の演目である紅魔館管弦楽団による演奏が始まろうとしているところだ。
「咲夜も性格が悪いよな。自分たちのあとに私たちを持ってくるなんて。プレッシャーを与えようっていうセコイ作戦だぜ」
「むこうは私たちのことなんか意識してないんじゃない?」
霊夢はそう答えた。
もっともな話だ。
その時ちょうど、紅魔館管弦楽団による演奏が始まった。
曲目はモーリス・ラヴェル作曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」、サン・サーンス作「組曲・動物の謝肉祭」より「水族館」、イェルガー作「威風堂々」。
三曲も一度にやるらしい。今回は外からの来訪者が多かったので、有名な曲目を選んだという。
四人は舞台裏から楽団の演奏をのぞく。
弦楽器が五名、金管四名、木管六名に打楽器としてティンパニ。計十六名。
かなり本格的な構成。音の深みが四重奏とは段違いだ。
コンサートマスターの第一ヴァイオリンには十六夜咲夜が座り、ファーストのフルートとして小悪魔が居る。
両方とも十分にソリストをこなせる技量の持ち主だ。
特に、小悪魔が一曲目の「亡き王女のためのパヴァーヌ」で奏でたフルートの音色には、震えさえ感じさせるものがあった。
「うわ、これは上手いわ」
「シャンハイが泣きだしちゃった」
「これはすごいですよ。あれだけたくさんいるのに、ぴったり息が合っています。音程にもほとんど狂いがない」
「く、くそ…」
当然、三か月程度の練習しかしていない魔理沙たちには、太刀打ちできる相手ではなかった。
そして、直前にここまで上手な演奏を聴かされると、自然自信を失ってくる。
魔理沙が意気消沈しようとしたところに、阿求が声をかけた。
「魔理沙さん、勝ち負けじゃないでしょう? これはパチュリーさんの誕生会なんですから。誕生日を祝ってあげて、相手のことを考えて、私たちにできる最高の演奏を贈ってあげればいいじゃないですか」
「……そうだな。阿求の言うとおりだ。精一杯やるよ」
「魔法少女幻楽団のみなさん、もうそろそろ出番ですよ。準備はよろしいですか?」
出場者の世話係をしていた妖精メイドから呼び声がかかる。
「おう! みんな、頼むぜ」
「ええ、巫女の勘を駆使した演奏を見せてやるわ」
「人形使いは音楽使いでもあるって証明してあげる。頼むわよ、シャンハイ!」
「……みなさん、練習の成果を見せましょう」
緞帳が下がり、準備のための時間がやってきた。
全員自分の席につく。
おのおのの楽器の最終チェックを行う。
弦も弓も問題なし。調律も済んだ。
リハーサルでも、練習どおり演奏できた。大丈夫だ、本番でもちゃんとできるはずだ。
みんなそう自分に言い聞かせた。
「いよいよ最後の演目です。トリを飾るのは、魔法少女幻楽団による弦楽四重奏」
幕が上がる。
けっこうな量の拍手が四人を迎える。
数は百数十人ほどで結構見知っている身内が多かったが、実際に観客の入ったステージに立つとこれほど緊張するとは。
今まで観客を迎えて演奏などしたことのない四人にとっては、初めての体験だった。
「メンバーのご紹介をさせていただきます。まずは第一ヴァイオリン! 私に盗めないものは何もない、大変なものを奪ってスティール・ハート・ラン、うふふ、うふふな頭の中身、普通じゃないけど普通なの、霧雨ー魔理沙! 今回はコンサートマスターも兼ねています」
司会にシフトした小悪魔のおかしな実況が入った。
どう考えても、クラシックの演奏会の司会が喋る内容ではない。
おまけに、舞台が暗くなり、魔理沙の上にだけスポットライトが当たった。
聞いてない展開に、一瞬戸惑う。
紅魔館管弦楽団のときは、普通の進行だったのに。完全に遊んでいる。
にゃろう。魔理沙はちょっと小悪魔をにらんだ。
ほんかえせー!
もんなおせー!
でもそんなあなたにむちゅうなのー!
私もうばってー!
客席から声援ともヤジともつかない声があがる。
大多数が紅魔館に仕えるメイド達からの声だ。
よく見たら中国帽を被った知り合いの門番もいる。
あのメガネをかけた白髪っぽい男も、どこかで見たことがある。
魔理沙には、誰だったか思い出せなかったが。
「第二ヴァイオリン! 人の里に住み着いては、幻想の歴史を紡ぐ座敷わらし、転生だったらまかせとけ、あなたの歴史は私が綴る、いつも側にはりついて見ていてあげる、稗田ー阿求!」
ちっちゃくてかわいー!
おかっぱさいこー!
あたまなでてー!
今度私の部屋に遊びに来て―!
次は阿求にスポットが当たる。意外に人気だった。
「ヴィオラ! 金はなくてもまったりずむ、のんびり、もっさり、むっつり。ステキにムテキで玉露が大スキ、アンゴルモアの恐怖の大王、幻想郷の影のプレジデント、博麗ー霊夢!」
でたー!
リボンでけー!
わきわきー!
すずしそうー、さわらせてー!
わりと、珍獣扱いだ。霊夢がお札を持って客席にとびかかるように威嚇すると、声援が悲鳴に変わる。
「チェロ! 人形遊びはお手の物、ちょっとツンデレラなピュアピュアハートが魅力なの、あなたの心にごっすん釘、丑三つ時の木陰に地雷源、アリスー・マーガトロイドー!」
人形の大ファンです!
影があるのがステキ!
シャンハーイ!
ホウラーイ!
声援の半分が人形に向けられたものであるのが、アリスらしいといえばらしい。
「今回皆さんが演奏していただく曲目をご紹介いたします。組曲『霧の湖』より第四楽章『図書の戯れ』。作曲メルラン・プリズムリバー、編曲ルナサ・プリズムリバー。それでは、よろしくお願いいたします」
沈黙。
四人はお互いに目くばせをする。
大丈夫、みんな上手くできるはず。
魔理沙がうなずく。
それに合わせて、霊夢も阿求も、アリスもうなずいた。
演奏が始まった。
まずは導入部。
はじまりは第一ヴァイオリンの独奏が四小節。
大図書館の古い歴史を感じさせる、典雅でどこか憂愁の色を含んだメロディ。
適度な緊張具合が、魔理沙の弦に程よいテンションを加えている。
悪くない出だしだ。メンバーは皆ほっと息をつく。
そこに阿求の第二ヴァイオリンが合流し、しばらくして伴奏としてヴィオラとチェロが入り、音が深みを増す。
甘く切々と訴えかける二つのヴァイオリンのメロディが交差し、互いの旋律を強調しあう。
長い歳月の間、外との交流を絶ってきた場所。封じられた古代の知識の殿堂。
今、大図書館の扉が開け放たれ、明るい交流という名の光が差し込む。
多くの人々が訪れ、賑わいを増し始める場所。
様々な経験を得て、知識は人々の能力となり、それは世界を変える力となる。
もう、日陰の少女なんて呼ばせない。
前半部が終了した。
練習では乱調だったビブラートも、今日は落ち着いている。ミスもない。このまま後半も一気に乗り切る――
後半部に入る前に、一部チェロのソロパートがある。十二小節。結構な長さだ。
練習では、アリスはこの独奏部分を、三回に一度はミスしていた。
アリス自身、このソロパートを最も危惧し、最も練習していた。
はたして今日は上手くできるか。
いよいよソロに入った。
上手い。練習より格段に上手い。
音が鳴っている。弦が響いている。
チェロのゆったりとした、豊かな低音が会場に満ちる。
鮮やかな早弾き。この独奏の表すものは、大図書館の逡巡。
今まで孤高であることを誇りとしてきた姿勢を捨て去って、人の和の中へ入って行こうとする決意。
アリスは曲が表すメッセージを、自分自身の過去にも重ねていた。
今なら解る。あの人の心が、迷いが。彼女は私と同じだった。
やがて迷いは晴れる。明るい太陽の下へ向って歩き出す。
楽器の音は奏者の心を反映する鏡。その言葉を真実だと信じさせてくれる、情感に溢れた演奏だ。
客席から、驚きのうめき声がかすかに聞こえる。
ノーミスだ。音程も安定していた。
アリスがここまでやってくれたからには、最後の締めはきっちりとやらなければならない。
他の三人にも気合が入る。
後半は一気にテンポが速まり、雰囲気が明るくなる。
多くの人々の目に触れるようになった書籍たちが、本来の役割を十分に謳歌し、本棚から飛び出して踊り出す。
図書の戯れが、殿堂の中を美しく楽しい舞踏で満たしていく。
阿求。彼女の安定した技術の高さは、第一ヴァイオリンの魔理沙の不安定さをきちんと補佐してきた。
霊夢。課題だったテンポの乱れも、本番までには見事に克服した。ヴィオラの上行音階は曲調をしっかりと支えていた。
アリス。ソロも抜群の出来栄え、裏方としても狂いのないリズムは、メンバーの心を安心させ、曲全体のイメージを作り出していた。
そして、魔理沙。当初彼女は最も不安視されていた。自身過剰で、勘違いに満ちた演奏と、何度も駄目出しをされた。
しかし、彼女の音には聴く者を引き付ける一瞬の輝きがあった。弓捌きには独特の魅力があった。
そして、素人らしさから来るものかもしれないが、凝り固まった形式にこだわらない、自由なのびのびとした新鮮な音の響きがあった。
格式や伝統も確かに大切で、守り伝えゆく価値のあるものなのだろう。
とはいえ、新しい世界を作ることができるのは、やはり彼女のような人間なのだ。
異端と呼ばれることを恐れない強い意志だけが、可能性の扉を開くことができるのだ。
おのおのの個性が殺されること無く、共鳴しあい、一曲が完成する。
彼女たちの師は、三姉妹は三か月という短い期間の中で、弟子たちの演奏をその理想に近づけようとしたのだ。
決して完成された演奏ではなかった。完璧には程遠い。表現も幼く、技術的にも未熟で乱れも多かった。
それでも、彼女たちの演奏には、もっと先が聴きたくなる魅力があった。
心に汗を流しながら無我夢中で、最後の和音をみんなで締めくくる。
演奏が、終わった。
しばしの静寂。
第一ヴァイオリンの魔理沙が楽器を下げる。
それに合わせて、他の三人も楽器を置いた。
同時に、会場中に割れんばかりの拍手が響いた。
立ち上がり、楽器を左手に、弓を右手にもちながら、コンサートマスターを務めた魔理沙がおじぎをする。
演奏を終えた興奮からか、のどがからからで、体中が震える。
他のメンバーも、立ち上がって順番にお辞儀をする。
厳しい練習を重ねて、やり遂げた達成感、お客さんの拍手を受ける嬉しさ。万感の思いが四人の心に浮かんでくる。
ふと、魔理沙はパチュリーの姿を探した。
いちばん楽しんで欲しかった彼女は、今どんな顔をしているのだろうか。
「素晴らしい演奏を、ありがとうございました。魔法少女幻楽団のみなさんでした。え? なんですか、はい」
司会の小悪魔の隣に一人のメイドがやってきて耳打ちをした。
観客席のほうに動きがあった。
客席の中心、主賓席に座っていたパチュリー・ノーレッジにマイクが渡される。
主役の彼女自身にコメントを求めるようだ。
どういった発言がなされるのか。
みんな息をのむ。
メンバーのみんなは、立ったままで、かたずを飲んでその様子を見守る。
拍手がやみ、会場が静まり返る。
しばらくして、パチュリーが口を開いた。
「はっきりいって、なってないわ」
第一声。
ざわめきが起こる。
今いったいなんて言ったんだ?
パチュリー様がそんなことを言うはずは……
ここは、無難な褒め言葉を入れるところじゃないの?…
いや、でも……
けっこう、よかったと思うんだけど……
かなりうまかったよ……
発言の内容を受け止められない観客が多かった。
「音程は安定していなし、ミスも多いし、山の作り方も中途半端。みんな弾いているときの姿勢が硬いから、ボーイングに切れがたりない。中盤から、霊夢とアリスの息が乱れてきたから、基本的なリズムが保てていなかったわ。それに、魔理沙。ずいぶん抑えていたみたいだったけど、やっぱりあなただけ自分の世界にひたりすぎよ。セカンドヴァイオリンの阿求も、ファーストが乱れて来たら自分で音量をコントロールするなりして、フォローするべき。ただ周りの流れにまかせているだけなのでは、アンサンブルとは言えないわ」
「ちょ、ちょっとパチェ」
隣で見ていたレミリアがパチュリーを止めようと声をかけた。
いくらなんでも、言いすぎだ。批評をするのであれば、もっとふさわしい場所があるだろうに。
「でも」
それでも、パチュリーは言葉を続ける。
「でも、でも…………こんなに嬉しくて素晴らしい演奏は、生まれて始めてだわ!」
直前まで無表情だったパチュリーの顔に、花が咲いたように笑みがこぼれる。
「ああ、いつもレミリア達が聞かせてくれる演奏も嬉しいのよ。ただね、あの魔理沙が、それにみんなも。霊夢、アリス、阿求。本当に、本当にありがとう! こんな素晴らしいプレゼントは……はじめて。私のためにたった三ヶ月でここまでの演奏を聞かせてくれるなんて。信じられないわ、ありえないわ。いったいどんな魔法を使ったの? どんな、どんなプロの楽団よりも感動したわ! あなたたち、最高よ!!」
拍手の渦が巻き起こる。
口笛の音が鳴る。
弾き手のみんなは、席を立って、いっせいに舞台を降りる。
歓声をあげて、パチュリーに向かって走っていく。
「誕生日、おめでとう! パチュリー!」
「ありがとう、霊夢。ハクタクの調理法はもうちょっと貸しといてあげるわ」
「いつもお世話になっています、ノー…パチュリーさん」
「こちらこそ、またいつでも図書館に来てね、阿求ちゃん。幻想の世紀のディレクターズカット版が入荷したのよ」
「私からもおめでとうを言わせてもらうわ。パチュリー先輩」
「嬉しいわ、アリス。あなたに見てもらいたい、新しい研究の成果があるのよ。また一緒に研究しましょうよ」
そしてパチュリーはその輪からひとり離れている魔理沙を見た。
頬かいて、少し照れくさそうにしている。
「魔理沙……」
「へへ、頑張ったんだぜ」
パチュリーは思わず笑みをこぼす。
「うんうん、わかるわかる」
パチュリーは嬉しくて、胸が熱くて涙ぐんでしまう。
齢百を重ねた魔女とは思えない素直さだ。
彼女は自分でもそう思った。しかし、取り繕った自尊心など今は必要ない時だろう。
「魔理沙…本当にありがとう」
心をこめてそう言う。そう言うだけのことじゃないか。
「あのさ、私さ…」
「うんうん」
「パチュリー、死んだばあちゃんにそっくりだからさ。何かしてあげたかったんだ」
一瞬凍りついた。
「え…?」
「私、おばあちゃんっ子だったんだけど。気づいたらばあちゃんの誕生日に何も贈ってないことを思い出してさ…」
「そう……(おばあちゃん……)」
どうやら、魔理沙のおばあちゃんはすでに他界されているらしい。
どうも魔理沙は自分の祖母の面影をパチュリーに重ねていたようだ。
ごほっ。パチュリーはショックで思わず喘息の発作が出そうになり、よろめいた。
「おっと。大丈夫か? それにしても、似てるなあ。その腰まげて立ってるところとかさ。せきをするしぐさとかさ。懐かしいなあ」
「……」
魔理沙には悪気はないのだろうが。なおさらのこと。
それにしても、おばあちゃんはないだろう。
たしかに、精神年齢的にはかなり老人なのかもしれないが。
後ろでアリスが、くすっ、と笑ったあと口を両手で押さえて反対側を向いた。
「養生して、長生きしてくれよ。私もできるだけ孝行するけどさ」
そのセリフがとどめだった。善意だけでやっていても人を傷つけるときはあるのだ。
パチュリーは魔理沙のおばあちゃん。もう、脳があるみんなの脳裏にはその一文が刻まれてしまった。
アリスなんかしゃがみこんで小刻みに震えている。
パチュリーの口は三角になり、目はうつろになって視線がさだまらない。
「む…」
怒りをはきだして、本人にぶつけることもできない。
内側でためこんだ憤りのやり場をなくした知識の魔女は、一瞬固まったのち、感情の蒸気圧が極限に達した瞬間に爆発した。
「むきゅきゅきゅきゅきゅきゅきゅきゅきゅきゅきゅきゅきゅきゅーーーーー!!」
唐突に、会場の中に奇声が轟く。
「……!?」
「ぱ、ぱちぇ!?」
「どうした、ぱちゅりー?」
「むっきゅーーー!!」
パチュリーは両手を振りまわしながら、サロンの中をものすごい勢いで走り回った。
目もぐるぐる回っている。
「わあ!?」
「パチュリー様が狂った!」
魔理沙はさっと身をかわす。小悪魔が叫んだ。
そのままの勢いでドアを突き破り、パチュリーは屋敷の外へ飛び出していった。
他の演奏者の三人は、みんなで魔理沙を見つめた。
「?? なんだー? そんなに嬉しかったのかなあ?」
「「「……」」」
*
霧の湖にほど近い森、そこに、むきゅう、むきゅうと独特の鳴き声をあげる一匹の魔女がいた。
「むきゅ、ひどいよ……むきゅ……おないどしのともだちみたいにおもっていたのに……私だって、すきでまじょにうまれたわけじゃないのに……すきでとしをとったわけじゃないのに……むきゅー、むきゅー、むきゅむきゅむきゅ……うわわわーん!」
それを木の陰から見守る二つの影。小悪魔とレミリアだ。
「パチュリーさま…おいたわしい…」
「喜んだあとに受けたショックだったから、余計に応えたのね。そっとしておきましょう……今はひとりになりたいと思うし…」
そう言って、二人はそれぞれ持っていたハンカチで目頭をぬぐった。
「それにしても、ちょっと子供っぽすぎやしませんかね?」
いつの間にか咲夜も後ろに来ていて、ツッコミを入れる。
「年をとると、逆に幼児化してくるのよ」
「あ、それ説得力あります……いたっ! ちょっ、爪が食い込んでますよ? レミリア様……えっ、わざと? いっ? な、なんで頭の羽根をはぐはぐしているんですかっ? 噛みほぐさないでくだっ、やっ、やめてくださいっ、それをされると、はうう、力が……」
でも、魔理沙さんが親切にしてくれるので、パチュリー様もそのうち、まあいいか、って思うようになったみたいです。ときどき肩とか揉んでくれるみたいですし(小悪魔談)
音楽という東方シリーズの魅力をSSで感じ取ることができました。
魔理沙たちの少女らしさや、音楽の美しさが伝わってきました。
いくつもの賛辞の言葉を作者様にお送りしたいですが
まとまりきらないので一言だけ送らせていただきます。
このような素晴らしい作品を読ませていただき、ありがとうございます!
あと、むきゅきゅなパチュリーに惚れましたw
ご馳走様でした。
これはコンチェルトの方も読まなければっ
>おばあちゃん
その発想は無かったわw
「パチュリー、死んだばあちゃんにそっくりだからさ。何かしてあげたかったんだ」
で・・・・・・・・・・・・
爆笑ーーーーーーーーーーーー!!!!!
流した涙を返せーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
でも、素晴しい作品でした。
あと、本気で練習して臨んだ本番が何か神懸かったように練習より全然上手く行くことって確かにあるんですよね。楽器じゃないですが、実際経験ありますし。
最後に、おばあちゃんワラタw
でも、いい話でした
素晴らしい、って思っただけに最後で目が点に。
これだけ展開していればすとんときれいに収まるのに最後にここまでぶちこわすとは。
いやはや脱帽です。
レミリア×小悪魔!!
僅か数行が何て威力
>「幽々子だったら知ってるだろ。幽霊の総元締めだからな。姉さんってやつだな」
個人的にここの所は「姐さん」を推したい。そのほうが極妻って感じ。
>「あ、あれはみょん坊じゃないか。おーい、みょんぼー!」
みょんぼー可愛いよ!
>「こんちはー、開国シテクダサーイ!」
ペリー提督吹いた。
>統合失調症に悩むメルランと、花の異変以来、左手があがったまま固定されてしまったリリカ。
固定されちゃったんだ。リリカカワイソス。
>「たまには外出しないと、アホ毛にカビが生えるぜ?」
「わ、私はアホ毛なんて…!」
「知ってるぜ。隠し持ってんだろ? 立派なやつを、さ」
「う……」
さすがは神綺さまの娘。アホ毛をカチューシャで押さえているわけですな。
>「感動して、思わず蓬莱人形が首吊っちゃったわ」
ホライカワユス。
>「そう、それなのにアンタときたら……周りの音ちっとも聴いてないだろ!? ひとりで気持ちよく走ってどうする!? 伴奏はあんたの引き立て役じゃないぞ! 個人プレイに走るんだったら、ソロでやってろ!」
ルナサ姉さんまじ熱い。男前。そこに痺れる! 憧れる!
>幻想の世紀・第十集・中国の悲劇果てしなく
紅魔館は燃えているか?
>あのメガネをかけた白髪っぽい男も、どこかで見たことがある。
魔理沙には、誰だったか思い出せなかったが。
コーリンの扱いにまじ涙が止まらない。
>客席の中心、主賓席に座っていたパチュリー・ノーレッジにマイクが渡される。
幻想郷にマイクがあるのか?
某スレをみて飛んできました。
まず書かせていただきますが、貴方の悩みは杞憂に終わりました。この作品はこれだけの評価を受けています。物書きのはしくれとして、正直この高評価には嫉妬する。嫉妬、SIT、SHITだ。流れる雰囲気が良い。プリズムリバー三姉妹の描かれ方が良い。作中にでてくる音楽のセレクションが良い。スパルタ教師のルナサ姉さんが良い。カリスマが低下しまくっているお嬢様が良い。お姉さんしているアリスが良い。変態ちっくなフランちゃんにはうぎぎぎぎ。むきゅきゅな魔女には涙が止まらない。良い作品でした。
ただ、一言述べさせていただくならば、雰囲気は良かったのですが、少々盛り上がりに書ける気がします。感動の大作には一歩及ばずという感じがします。実に惜しい。
ただ,誤った用語の使い方や音楽に対する認識の甘さなど,所々に違和感(職業病なのかもしれませんが)を感じました。
話はとてもいい話なので,是非簡単な音楽知識(楽典や楽式論程度でいいので)を勉強してから書かれると魅力がぐーんと上がると思います。今のままじゃ余りにも俄(にわか)感が強くて,それが作品の魅力の放出を阻害しているように思います。
これからもどうか頑張ってください。応援しています。
用語に関してですが、突っ込みたいところはありますがまあ本筋に関係ないといえばないので別にいいです。
ただ「イェルガー」は馴染みないなあw
で、ハクタクの調理法についての番外編なんてものはないんでしょうか
ピクッ
これは素晴らしかった!!てか魔理沙wwwwもうちょい言い方あるだろww