長く大事に使われた物には命が宿る。
昔から迷信だ等と言われているものの、それは少なくとも魔法使いという存在達にとっては事実であった。
例えば、魔女が愛用する箒。
長い間使われた箒の多くは意思を持ち、主の危険を察知すると自分から空を舞い飛んでくるという。
例えば、魔女が管理する本。
大切に保管された物は曖昧だが自我を持ち、主の身を守る守護者となる。
例えば、魔女が操る人形。
丹精篭めて作られたそれはその気持ちの分だけ従順になり、主の意思に応えて熱心に働いてくれる。
どれにも関連するのは結局の所――物は大切にしましょう、という当たり前の事だ。
それは実に常識的な事だが、まだまだ魔法使い歴の短い新米魔女アリス・マーガトロイドの自論でもあった。
……物は大切に、長持ちさせて上げないと可哀想だしね。
思いながら、気持ちを込めて布に糸を通し、丁寧に人の形を作り上げる。
隣では魔法の糸で操られた人形達が紅茶を入れてくれたり、応援してくれていたりと騒がしかった。
何故操っているのに騒がしくなるのかと言えば、その原因はアリスの魔女としての最終的な目標にある。
その目標とは自立型人形の作製。
詰まるところ人間と変わらぬ人形の創造である。
故に操っている人形にもそれなりの意識にも似た構造の思考回路を生み出す術式を埋め込んである。
だが、ある意味アリスの目標は、人間そのものを作ろうという神に歯向かう様な愚行であり――難関だ。
何せ自立した人形は操られるのではなく、自らの意志で動くのだ。
それはもはや人形と呼べるのだろうか。
人間と人形の線引きは難しく、また人間らしい人形の実現も難しい。
しかし、新米とは言え魔法使いとして諦められる筈もなし。
というわけで、今日も今日とてアリスは人形を作り続けるのであった。
……むぅ、この辺りの刺繍が上手くいかないわね……。
目を細めて現在製作中の人形に着せられた服の肩部分にある薔薇の刺繍を睨みつける。
やはり僅かだが魔術的なバランスが崩れていた。
糸を抜いて再度試してみるが、やはり上手くいかない。
……技術的な問題じゃないわよね?
首を傾げる。
配色的には問題は無いし、埋め込み途中の術式にも間違いは見られない。
ならば、
……糸、ね。
布を傷つけない様にゆっくりと人形から抜いた糸を顔の前へと摘んで持って来て凝視する。
「ビンゴ」
糸から漂ってくる魔力やその他の要素が薄れている。
どうやらこの糸も寿命の様だ。
別にこのままでも普通の人形を作る分には問題は無いのだが――。
やはり普通ではない人形を作るにはあまりにも糸が持つ力は弱過ぎた。
……これは普通のを作る時に使いましょう。
糸は日課である『同じ森に住んでいる魔法使いへの嫌がらせ』に使う事にしてポケットに仕舞う。
両手を頭の上で組んで肘を伸ばし、体を弓なりに逸らして全身の骨を鳴らす。
長時間動いていなかったせいか骨は良く鳴り、その快音がある種の爽快感を与えてくれた。
「ふぅ……それじゃあ、材料調達に行きましょうか」
一頻り伸びを終えた後に立ち上がる。
危うく『ヨッコラショ』等と掛け声をかけそうになったのは乙女の秘密だ。
手と意識を少し動かせば人形達が出かけるのに必要な物を集めて来てくれる。
我が子達ながら本当に便利だ。
「よしっと」
準備が終わり、玄関の前まで歩を進めてから改めて扉と逆方向へと振り返る。
汚れ無し。忘れ物無し。人形達を各々の定位置へと座らせて休息タイム開始良し。
「じゃあ、行って来ます」
言うと、気のせいだろうが人形達が笑って応えてくれた様な気がした。
空は青く天気は快晴。今日も何だか良い事がありそうだ。
○
「というわけで、糸頂戴」
「何がというわけで、なのか解からないんだが……まぁちょっと待っててくれ」
場所は変わってアリスが住む魔法の森の入り口に昔からあるお馴染みの道具屋。
大抵の物は揃っており、便利なのだが主人が偏屈という事もあり、人が訪れる事はかなり少ないらしい。
位置が位置なのも問題なのだろう。
もうちょっとまともな所に建てようとか思わなかったのだろうか。
「大きなお世話だよ」
「あら、見つかった?」
振り向けばそこには頭にどでかい埃を被ったこの店の主人――森近・霖之助が無表情で立っていた。
思わず頬の筋肉が引き攣り、込み上げてきた笑いが吹き出しそうになるが我慢。
整った顔立ちに若干の鋭さを持った目付きの組み合わせが中々に男前。それが今はアフロである。
いかん、思考の中で単語を流すだけで笑いが込み上げて来る。
「……」
彼はアリスが必死に笑いを堪えているのを察したのか、頭の埃を手で払った。
ちょっとだけ拗ねている様な表情が可愛かった。
「で、これだろう。ご指名の品は」
と、言葉と同時に差し出してくるのは無色の糸。ご丁寧に針まで付いている辺りは流石だ。
「そうそうそれそれ。でも、予想以上……流石香霖さんね。どこで拾って来たの?」
「それを言ったら商売にならないだろう」
「ちぇっ、ケチ……」
「ケチで結構。商人の気質はケチな方が良いのさ」
「その割りに儲けてないみたいだけど?」
「僕は量より質を重視するんだよ」
大量の商品が所狭しと多く並べられている店内を見るとそうとは思えないのだが。
……あれとか何に使うのかしら。
などという疑問が出てくるが――以前それを聞いてみたら物を触って漸く思い出したという有様だったし、
恐らく店主ですら何処にどんなものがあり、どんな使い方をするのか覚えていないのだろう。
「で、お幾ら?」
「そうだね……何時もは人形と交換だけど、今回はまだ在庫があるし――」
「いざとなればバリエーションも増やせるわよ?」
「いや、余り数を増やすとお客様も見るのに疲れてしまうから難しいだろう」
「むぅ……でも私の収入って人形を売るか人形劇をする位しかないのよね」
「七色を名乗る割りには芸が無いんだね」
「五月蝿い」
暫し言いあってから二人して腕を組み、打開策を思案し始める。
客と店主が一緒に悩むという珍妙な状況。
しかし、二人は――少なくともアリスは本気で悩んでいた。
糸なんてものをわざわざ此処まで買いに来るのはアリスくらいだし、霖之助も早めに売り払いたいのだろう。
悩みに悩んだ結果、結局何も思いつかなかったのか先に口を開いたのは霖之助であった。
「……ふむ。どうしたものかな」
「何かそっちからはないの?例えばおつかいとか定番じゃないかしら」
「生憎おつかい関係は先月から一向に音沙汰が無くてね」
「……注文すら来ないのね」
「……解かってるなら言わないでくれるかい?」
気まずい沈黙が流れた。
言ってはいけない事をついウッカリと言ってしまった時に流れる、複雑に絡み合った糸を見ている様な感覚。
「あ」
が、不意に流れていた気まずい静寂を霖之助が手を打ち、破る。
彼は若干何時もの無表情を緩めながら、
「良い案を思いついたよ」
と言った。対してアリスも笑顔で、
「あら、良かったわ。これで何とか早めに帰れ――」
「体で払って貰うとしよう」
「―――」
言葉も途中に時が止まった。
今度は沈黙が流れた等というレベルではなく、確かに時が停止した。
アリスの世界の中、全てが止まり、一瞬の経過が恐ろしい程の長さを持つ。
永遠とも思える時の中、しかしアリスは停止しかけている頭を回転させる。
体で払う。
基本的に男性が女性に使うべき言葉ではないのはお解かりいただけるだろう。
その言葉の中には様々な意味が含まれている。
余り深く述べると色々と危険そうなので今は控えるが――ともかくそういう事である。
世界の停滞が終わった。
時間の動きが元に戻る。
「……」
「何、悪い話じゃないだろう。これで君は、って待つんだ。何で呪文を――」
先手必勝。これ以上喋らせると自分の身とかその他諸々が危険だ。
だからアリスは動いた。
「このっ――」
魔法を使って強化した脚力で距離を詰め、
「変態店主がぁあああああああああああああ!」
密着しそうな間合いの中、天へと伸ばす様な勢いで相手の顎を打ち抜く蹴りを放つ。
「白ッ!?」
直撃。
店主が何やら意味不明な悲鳴を上げて吹っ飛び、数秒をかけて床へと落ちた。
彼は二、三度バウンドした後動かなくなったが、アリスは気にしない。
店内に残される音はアリスの僅かに荒れた息と空気の流れる音のみ。
何とも諸行無常の響きである。
○
「ところでチルノは知ってる?」
「何よ、緑髪」
「うわ、せめて大妖精って呼んでよ。――まぁ、それでね」
「ん?」
「噂で聞いたんだけど、アンタ幻想郷最高峰なんだって」
「あら、アタイは最強なんだからそんなの決まってるじゃない!」
「馬鹿の」
「……うぼぁー」
閑話休題。
○
勘違いでした。
「……体で払うってこういう事だったのね……」
アリスは上半身を投げ出して突っ伏しながら暗い口調で言う。
現在自分が居るのは森近・霖之助が店主を務める道具屋【香霖堂】のカウンター内。
店主は先程のアリスの一撃で首を痛め、今は店の奥で休息中だ。
ちなみにどうやって誤解が解けたのかと言うと彼が蹴り飛ばされた後、気絶する寸前に、
『み、店を手伝って貰おうとした、だけなの、に……ゴフッ』
と、言ったのだ。すれ違いとは実に悲しいものだとアリスは思う。
取り敢えずは彼の言通りアリスは現在進行形で店の手伝いをしている。
見たところ倉庫の方が汚れていたので、恐らくそちらの掃除をやって貰いたかったのだろう。
が、仕事はそれだけではない。
何しろ店主が戦闘不能状態なのだ。
物のついでに店番もやって上げるのが世の情けというものだろう。
決して罪悪感とかそういうものではない。
ないったらない。
ともあれ、倉庫の掃除の方は人形に任せつつアリスは店番を続ける。
客足は全くと言って良い程無い。元々少ないので問題は無さそうだが。
……あら……やっぱりこの糸良いわね。
店番とは言え、暇な時は自由時間。
というわけでアリスは上半身を起こし、鞄の中に仕舞っておいた人形を取り出し、作製を再開していた。
備えあれば憂い無し。
まさにその通りである。持ってて良かった手作り人形、作りかけ。
「っと、完成」
元々後は最後の仕上げの刺繍だけだったので、すぐさま完成する。
全体的に赤いデザインはどこか某館の吸血鬼の姉を思い出させる姿形をしていた。
……似すぎかしら?
今回の人形の製作テーマは貴族。
幻想郷内でモチーフに出来る人妖はアレくらいしか居ないし似るのは仕方がない事だろう。
そうアリスは納得すると、取り敢えずは人形へと魔法の糸を通して操ってみようと試みる。
ペコリとアリスに向かって優雅にお辞儀を一つ。
クルリとテーブルの上で華麗に回転を一つ。
メメタァと店の展示品に向かって蹴りを一つ。
満足したので、抱き締めて頭を撫でてやった。
今回も高い完成度が保てた様で何よりだ。
「……何やってるんですか?」
「あら、いらっしゃい」
人形の頭を撫でながら不意に聞えた声に顔を上げる。
顔を向けた視線の先には天狗が何だか唖然とした表情で立っていた。
黒のショートカットと頭に乗せた六角形の帽子が特徴のパパラッチこと射命丸・文である。
何時もなら何か妙な事をする前に尻を蹴って追い返してやるところだが、今日は事情が違う。
「で、今日は何をおもとめで?」
故に営業スマイルに優しい口調で首を傾げてみると彼女は二、三歩後退り、
「い、いえ、何時もの新聞を届けに……」
「あ、そうなの。貴女も本当に物好きね……まぁ、香霖さんなら見るでしょうけど」
読書好きだし、と客ではなさそうなので営業スマイルを解除しながら付け加える。
「はぁ……じゃあ、これを」
「はい、御疲れ様」
未だ納得出来ないという表情の文から新聞を受け取る。
「……ところで何でアリスさんが香霖堂に?しかもカウンターの中に座ってるだなんて」
「あー……」
問うて来る文の表情は怪訝なものあると同時に妙な輝きを帯びていた。
……絶対何か狙ってるわよねぇ……どうやって説明したものかしら……。
普通にこれまでの事情を説明すると二日後辺りに、
『森の人形遣いが香霖堂の店主を蹴り殺す!その時文屋が見たものは!?』
等という記事が幻想郷中に広がりそうだし、しっかりと考えねばなるまい。
腕を組み、片手を口元に持ってきて如何にも知的な思考のポーズをとる。
……よし。
考えが大体纏まった。
あまり長い時間待たせていると余計な勘繰りをされそうだし、とっとと話して帰ってもらおう。
「まぁ手短に話すとね」
「手短に話すと?」
アリスはえぇ、と前置きし、
「香霖さん、色々あってちょっと足腰立たなくなっちゃったから仕方なく代わりに店番してあげてるの」
「え」
「まぁ、碌に動かないからひ弱なのよ。深くは追求しないで上げて」
文へと手を振りながら、なるべく飄々とした自然な口調で言う。
説明するついでに霖之助に責任転嫁しておくのも忘れない。
森の人形遣いは冷酷なのである。戦場では常に後ろに気をつけるのだよ、森近君。
「そんなわけでわかった?……って、あら?」
と、視線を戻すと――文が消えていた。
店内を見回すが天狗の姿は何処にもなかった。
入り口の方から扉が虚しく風に揺られる音が店内に向かって響く。
「ま、いいか」
腰を上げて、扉へと向かい、ドアノブを握って扉を締める。
人形も完成したし、やる事も無くなったので店内の整理を試運転も兼ねて人形と一緒に開始。
まず棚に陳列されている商品を乾いた布で軽く拭く事にした。
この時のアリスはまだ知らない。
まさかこの時の言葉があのような事態を巻き起こす事になろうとは。
○
博麗神社は今日も平和である。
そんな事を考えながらそこそこ広い敷地を使って建てられた神社の廊下を博麗・霊夢は歩いていた。
何しろ今日は来訪者も無く、ついでに言うと参拝客も居ない。
参拝客については相変わらずなので別段珍しい事でもないのだが、来訪者が来ないのは久しぶりだ。
特にあの白黒魔法使いこと霧雨・魔理沙が来ないのは本当に久方ぶりである。
「呼んだか?」
「まだ言葉に出してないわよ」
などと思っていたら即登場。
相変わらず神出鬼没な奴だ。
上を見上げれば、箒に跨って白のドロワーズを見せつけながら浮いている少女が一人。
左のもみあげ部分を三つ編みにした髪型とその頭に乗せたトンガリ帽子が特徴の魔法使い。
自称幻想郷最速のくせに最近天狗に負けた魔女である。
ちなみに魔法使いはある秘術を完成させると歳を取らなくなるらしい。
世の中は巫女に対して不公平だと霊夢はちょっと思う。
「まだ完成させてないぜ。あとちょっとだけどな」
「人の心の中を読むな。お茶、出さないわよ」
「わかったわかった。その代わり、お茶は貰うぜ?」
彼女は高度を落として足先までありそうな長さのスカートを風で僅かに浮かせながら着地。
そのまま縁側へと座った。
霊夢はそこまで到る経緯を見ながら溜息。
「全く……じゃあ、今入れてくるからちょっと待ってなさい」
「おーう」
急須は何処だっただろうか、などと考えながら台所へと歩を進める。
今日も相変わらず変わらない平和な日になりそうだ。
○
黒い風が走る。
否。正確にはそれは風ではなく一人の少女であった。
黒いショートカットに頭に乗せた六角帽にミニスカート。
背では一対黒の翼が風を巻いて羽ばたいている。
彼女は空を駆け、手に持った紙の束をバラ撒く。
紙は宙を舞い、地上へと行き着く。
多くの人が住まう場所へ。
巫女が住まう場所へ。
不老不死の者達が住まう場所へ。
吸血鬼達が住まう場所へ。
亡霊達が住まう場所へ。
鬼が住まう場所へ。
天狗が住まう場所へ。
幻想郷のありとあらゆる場所を天狗は駆ける。
その表情は天気の良い朝の様な清々しい笑顔。
射命丸・文。
好きなものは特ダネとゴシップ記事である。
○
「……」
帰ってきたら魔理沙が気絶していた。
何を言っているのか解からないと思うが、霊夢にも何が何だか解からなかった。
此処一帯に殺虫剤が撒かれたとかゴキブリホイホイとかそんなチャチなものじゃない。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わった気分だ。
……生きてる、わよね。
呆然とした表情のまましゃがみ込み、彼女の脈を確認するがどうやら正常の様で何よりだ。
気絶しているだけ――。
では、どうして魔理沙は気絶しているのかと霊夢は疑問に思う。
彼女の様子を見る限りでは、外的な傷も呪術的な傷も皆無。
誰かにやられたという訳ではなさそうだが、
……あら?
良く見ると魔理沙のもう一方の手に何か握られていた。
紙だ。
それも灰色を基調として様々な形の黒が所々に混じった紙――新聞である。
「なにかしら、これ……」
魔理沙の手から新聞を奪って広げてみる。
直後。
「ぶっ!?」
思わず勢い良く吹き出した。
危うく昔人里で見たお笑い芸人ばりに滑って転びそうになったが、何とか踏ん張ってこれを回避。
もう一度震える手で広げた新聞へと視線を向ける。
そこには、
『熱愛発覚!森の人形遣いと香霖堂の店主があんな事やこんな事!?』
と勢いのまま筆で書いたと思われる表紙いっぱいの文字が載っていた。
成る程、魔理沙が気絶した原因はこれだったのか。
分かる様な気もする。
森近・霖之助は霧雨・魔理沙の兄の様な存在である。
その兄代わりが何時の間にかこの様な事になっていたのだ。
さぞかし驚いただろう。
きっとその驚きで先程の霊夢の様に足を滑らして床に頭を叩きつけてしまったのだ。
それにしても、
……アリスと霖之助さんが……?
首を傾げる。
確かに二人ともどちらかというとインドア派であり、気が合いそうな人種ではある。
だが、と霊夢は自分で考えた思考に楔を打ち、止める。
博麗・霊夢は三日に一回は香霖堂へと物資補給しに行っている巫女だ。
そんな自分に悟られずに逢引する事が出来るのだろうか。
答えは否。断じて言える。否である。
勘の良さには定評のある霊夢だ。
もしも彼等が付き合っていたのならば、見逃す筈は無いだろう。
……となると、また天狗の勘違いかしら。いえ、勘違いね。そう、勘違い。
紙を丁寧に畳んで、気絶しっぱなしで口から白いものを出している魔理沙を縁側に引き入れる。
彼女を適当に寝かせ、続いて霊夢が向かった先は愛用の武器の保管場所だ。
戸棚を開き、御祓い棒を取り出し準備万端。
「真偽を確かめなきゃいけなさそうね」
一応は友人である霧雨・魔理沙が気絶する程のショックを受けているのだ。
友人として何とかせねばなるまい。そう――友人として。
○
「はい、これ媚薬」
「……どうも」
「出産の時は私に任せて頂戴ね?」
「はぁ」
曖昧な笑みを浮かべつつもアリスは生返事を返す。
これで九人目である。
目の前には頬に手を当てて母親の様な柔らかな笑みでアリスを見つめる女性が居た。
銀の長髪を背で三つ編みにした髪型。
頭に乗せた青の生地に赤十字が描かれたナースキャップ。
そして、母性本能溢れる眩いばかりのオーラを放ってる彼女の名は八意・永琳。
本人曰く、医者――らしい。
以前月の異変時に知り合った人物なのだが、その時よりも随分印象が変わったなぁ、とアリスは思う。
……でも、なんでかしら?
疑問に首を傾げる。
先程から妙に来訪者が途絶えない。
平常時の香霖堂ならば考えられない事である。
例えば、人里を守る獣人が何故か揺り籠をプレゼントしてくれた。
『これから必要になるだろう。是非使ってくれ』
くれるのは良いのだが、人形でも入れろと言うのだろうか。
例えば、某館のメイド長が何故か子守の仕方を教えてくれた。
『これでも昔は色んな事をしていたのよ?』
楽しそうだったが、なんで子守の仕方なんて知っていたのか凄く気になった。
例えば、マヨイガの狐が何故か着物をくれた上に着替えさせてくれた。
『ここはこうしてだな。うむ……こうすればきっと並んでも御似合いだろう』
ちなみに彼女の主は隙間に引っ込んで出て来なくなったらしい。何でだろうか。
例えば、騒霊の姉妹が何故か祝福しに来てくれた。
『おめでとう御座いまーす!』
その後歌い始めて五月蝿くなったので追い返しておいた。それにしても着物は動き辛いと思う。
例えば、船頭死神が何故か伊勢海老という虫と鯛という魚と大量の魚の卵をくれた。
『海老は末永く、卵は子宝に恵まれるっていう意味があるのさ。鯛はめでたいってねっ』
と得意気に教えてくれた。使う前に腐りそうなので今日食べる事にする。
例えば、死神に上司が何故かお説教をしにきた。
『夫を愛し続ける事。それが貴女に出来る善行です』
夫が居ない場合はどうすれば良いのでしょうか。
例えば、冥界の庭師が何故か十二単を置いていった。
『幽々子様のお古だそうです。貴方達の誰かが使う事があれば、と言ってはいましたがまさかこんなに早くとは……』
毒々しい紫色の蝶々が描かれていたので貰った後に丁重に仕舞っておいた。
例えば、魔界の神が何故か必死な形相で突っ込んできた。
『アリスちゃぁあああああああああん!お母さんはまだ許へぶらっ!?』
扉を締めたら顔面から扉にぶつかって気絶したので魔界へと送り返しておいた。きっと平気だろう。
そして現在へと至るわけなのだが、どうにも腑に落ちない。
誰も彼もが一部を除き笑顔であり、まるで何かを祝う様な雰囲気を持って店へと入ってくる。
そのくせ何も買わずに出て行くのである。
本当に謎だ。
「とにかく元気でやりなさいね?これから忙しくなるだろうけど、慣れればきっと楽しいわ」
「えぇっと……ありがとう御座います?」
「いえいえ、どういたしまして。それじゃあね」
去ろうとする永琳へと疑問符を浮かべながらも頭を下げて見送る。
入り口の扉が彼女の手によって開き、そして扉は彼女の細身な体を外へと通すとゆっくりと閉まった。
その一連の動きを確認してからアリスは溜息を一つ。
……疲れたわ……。
店番とはここまで大変なものなのだろうか。
だとしたら霖之助をひ弱と評したのは少々間違いだったかもしれない。
これは相当な重労働だ。彼に対する評価を改めねばなるまい。
ともあれ、休憩しなければ。
流石に九連続の接客は神経を相当消耗させてくれた。
そんなわけでアリスはゆったりとした動きでカウンターの中に設置された椅子へと腰を下ろし、
「お邪魔するわ」
入り口の開かれる音に危うく血反吐を吐きかけた。
「……い、いらっしゃいませ……って、霊夢?」
「久しぶりね、アリス」
黒髪に乗せた大きな赤のリボンに脇部分を切り取った巫女服を基調とした洋服を着た巫女。
入り口に立っていた博麗・霊夢はアリスへと向かって歩みを進める。
その手には何故か彼女の愛用品である御祓い棒が握られ、彼女の左右には必殺の陰陽玉が浮いていた。
「何よ物騒ね。また異変?」
「……そうね。異変って言えるかもしれないわね。少なくとも私達の日常にとっては異変かしら?」
「疑問に疑問で返さないの。で、何。異変に紛れて盗みに来たなら追い返すわよ」
苦笑しながら皮肉を混ぜて冗談を言う。
……まぁ、なんか気が張ってるみたいだし、少しくらい肩の力を抜かさせないとね。
正直な話、ちょっと今日の霊夢は鬼気迫る雰囲気を纏っており微妙に恐い。
だからアリスは緊張の緩和を図ったのだが――。
その考えは甘かった。
「出来るかしら?」
「え?」
直後、霊夢の言葉に呼応するが如く頬を何かが掠めた。
ほぼ同時に背後の壁が砕かれる破砕音が聞えた。
見れば霊夢の陰陽玉の片割れが消えている。
頬から生暖かい液体が垂れるが気にしている余裕は――無い。
「……どういうつもりかしら、霊夢……」
「ふふふ、アリスったらまだわからないのかしら。霖之助さんにあーんな事やこーんな事をしたんでしょ?」
アリスは暗い口調を纏ったその言葉に思わず目を見開く。
……あーんな事やこーんな事?
それはつまり。
……香霖さんを勘違いして蹴った事がばれた――ッ!?
おのれ、文屋。まさかそこまでの情報収集能力があるとは思いもしなかった。
思考的にも防御魔法をかけておくべきだったか。
「ご、誤解よ霊夢!確かにあれは私がちょっと勢いづいてやっちゃった事だけど、ちゃんと――」
「私の必殺技パート2」
「ヒィー!?」
陰陽玉が飛んで来た。
避けた。
陰陽玉はそのまま壁に突撃。
粉砕!玉砕!大喝采!
背後から聞えた謎の音を無視してアリスはうつ伏せ状態から勢い良く振り向き、
「こ、殺す気!?」
尻餅をついた状態で霊夢を見上げながら抗議の叫びを上げる。
が、対する霊夢はそんな怒号などなんのその。
素敵な笑顔を浮かべたまま、柔らかい口調で子どもをあやすが如く、
「必殺技って言ったけど?でも大丈夫。ちょっと動けなくなるだけよ」
などと言ってくださった。明らかに黒いオーラが見え隠れしている。
とてつもなく強大な恐怖に対して震えるばかりのアリス。
だが、生き残る為には対抗しなくてはならない。だからアリスは叫ぶ。
「どう考えても動かなくなった時点でもう手遅れよー!」
「あら、妖怪はそれくらい死なないわ。精々九割五分くらいで済むから」
「殆ど死んでるじゃないのっ!?」
言いながら今まで弓なりに細めていた目を霊夢は開き表情を微笑へとは変える。
が、その瞳は虚ろで闇に満ちたものであった。
確かに彼女は霖之助に色々と恩がありそうだし、怒るのも仕方がない事だろう。
しかし、コチラとてそう簡単に叩きのめされるつもりもない。
故にアリスは霊夢に対抗する為、先程作った人形や掃除にあたっていた人形を――。
「あ、あれ?」
引き寄せようとしたのだが――何時の間にか魔法の糸が切断されていた。
人形達からの応答が無い。
……な、なんで!?
先程まで、というよりも今の今まで魔法によって作り出された糸は人形とアリスを繋いでいた筈である。
「どうかした?」
ふと聞えたドス黒いものを纏った声に思わず涙目になってしまう。
目の前にいるのは見知ったお気楽な博麗・霊夢ではなかった。
悪魔だ。
きっと紅い館の魔女が魔王辺りを呼び出して霊夢に取り憑かせたに違いない。
「ま、魔界神の娘だぞ!え、えらいんだぞ!」
「私は巫女よ。奉るものが違うわ。むしろ敵」
威嚇したけど逆効果。
一歩、霊夢は距離を詰める。
相対距離は約二メートル。
彼女が殺る気になれば一瞬のうちにアリスの首を持っていける位置である。
基本的にアリスの戦闘スタイルは適度な距離をとる事によって成り立つものだ。
加えて、唯一とも言える近接技である蹴りは着物という着慣れぬ服装ではまともに使う事が出来ない。
つまり――これだけ近寄られては碌に戦う事が出来ないという事である。
「あーはー」
「ひっ……!」
近づいてくる巫女から逃げようと尻餅をついたまま後ろへと下がる。
背中が壁に当たった。もう駄目だ。
「絶対絶命ねぇ、アリス?」
「ぎゃー!来るな、欠食貧乳巫女ー!うわーん!死んだら末代まで祟ってやるー!」
「あはは、大丈夫よアリス。魂も残さないわ」
「九割五分じゃなかったの!?」
霊夢がゆったりとした動きで懐から大量の符の束を取り出す。
あれだけの束を喰らったらいくら不老の魔法使いとは言え瀕死の重傷は間違い無しだ。
どうするアリス・マーガトロイド。どうする七色の魔法使い。
選択肢は以下の三つ。
一、可愛らしいアリスは突如として反撃のアイデアを思いつく。
二、タイミング良く誰かが来て助けに来てくれる。
三、殺られる。現実は非情である。
理想的なのは二だが、いくらなんでもそこまで現実は甘くない。
そもそもこの幻想郷で博麗の巫女を止められるのはあの隙間妖怪くらいである。
その隙間妖怪はというと彼女の式神曰く、引き篭もり状態らしいし、まさに打つ手なし。
一は現状では望めそうにもない。
つまり三。
現実は本当に非情である。
かくして、審判の時は来た。
「さぁ、ジャッジメントタイムよ」
十割の確率で有罪。
回避不可能の裁判と言う名の処刑が今始まろうとしていた。
そんな時だ。
「霊夢、何をしているんだ!?」
男の声が処刑場となりかけていた店内へと響き渡った。
○
霊夢は困惑していた。
「り、霖之助、さん……」
時間をかけすぎた。
銀色の髪を揺らしながら眼鏡の位置を指で直す霖之助はゆっくりと歩いてくる。
「嗚呼、店が酷い状態に……どういう事なんだい、霊夢?」
責める様に目を細める彼の言葉に霊夢は一歩下がる。
……私が後ろに!?
否。博麗の巫女は不退転。押しても引いても決して退かぬ幻想郷最強の存在だ。
だが――その中でも最強の巫女と言われている霊夢が自ら後ろに下がった。
……っ。
思わず俯き加減になると同時に目尻に熱いものが込み上げて来るのがわかる。
負けた。
弾幕等で戦えば容易に勝つ事が出来るだろう。
しかし――心で負けた。
これは絶対的かつ決定的な敗北である。
故に霊夢は心の中で魔理沙に仇がうてなかった事を謝りながら、勢い良く踵を返し、
「霖之助さんの馬鹿ぁあああ!うわぁああああん!」
「えー!?」
無意識に叫びながら床を強く蹴る。
扉が邪魔だったので符で破壊して外へと飛び出した。
そのままの勢いで大地を駆ける。
空に浮かんだお月様が異様に恋しかった。
○
「……なんだったんだ」
霖之助は呆然としていた。
いきなり扉を破壊して出て行く霊夢の事も心配だが、店の状態もかなり心配だ。
何せ壁には西瓜程度の大きさの穴が幾つも空き、煙を上げている。
そしてその穴だらけの壁には一人の少女が力なくよりかかっていた。
肩程まで伸ばした金髪に乗せた赤いカチューシャがアクセントのせいか目立つ少女――アリス・マーガトロイドだ。
彼女の格好は来た時とは違って赤い着物になっており、金髪とのアンマッチ具合がまた違う風情を生んでいた。
つまりはこれはこれで。
否、これはやましい心ではない。
「大丈夫かい?」
取り敢えずボーッとしているアリスへと声をかける。
先程霊夢が散々大暴れしたせいで恐かったのか顔を赤くして僅かに涙目になっていた。
口も水中から顔を出した金魚の様に落ち着きなく開閉していて忙しない。
その様子から彼女が怯えている、と霖之助は汲み取った。
……可哀想に恐かったんだろう。
どうするか、と思うと同時に何故か不意に妹分である魔理沙の事を思い出した。
蘇る記憶は夏のとある日。
魔理沙がどうしてもというので森に連れていき虫を捕まえて――。
けれど、その虫の外見に彼女は泣き出してしまった時の事。
いくらあやしても泣き止まなくて、どうしようも出来なくなった懐かしい思い出。
あの時は――そう、こうした筈。
「ひぁっ!?」
「もう大丈夫だよ。これで見えないだろう。何も、恐い事は無い」
何も見えないように、体を被せ優しく抱き締めて頭を撫でてやる。
子供騙しだとは思うが、間違った行動ではないだろう。
人というのは恐怖に震えた時、自然と人の温もりを感じたくなるものだ。
そのまま暫く撫で続ける。
柔らかい髪だ、と思いながらも彼女が落ち着くのを待つ。
約十秒程して、彼女が気持ち良さそうに目を閉じているのを確認してから霖之助は体を離した。
「よし」
「あ」
一瞬名残惜しそうな顔をするアリスを見て霖之助は昔の魔理沙を思い出して苦笑を一つ。
「今日はもう帰りなさい。店番、わざわざありがとう。後片付けは僕がやっておこう」
そう言って、尻餅をついているアリスへと立ち上がるのを助けようと手を差し伸ばした。
○
夜の獣道。
月の光が殆ど差し込まぬ暗い森の中、明かりが一切無いというのにも構わずアリスはゆっくりと歩いていた。
「……」
腕の中には、人形が一つ。
香霖堂で完成させた貴族をテーマにした人形だ。
アリスが歩く度に、又は風に吹かれて人形の人工の髪がが揺れ、僅かにだが乱れる。
だが、アリスはそんな事は気にせずにただ暗き道を歩いていた。
「撫でられた……」
ポツリと呟くと共に思い出すのは先程まで居た店で起こった事だ。
自分の手を頭に乗せてみる。
手入れを欠かさない柔らかな髪にはまだ妙な感触が残っているようだった。
……。
思えば頭を撫でられるなんて幼い頃に母にしてもらったくらいだ。
今でも会う度にしそうな勢いではあるが、大抵抱き付かれる前に姉によって止められているのは我が家の秘密である。
「……ふふっ」
今まではただの偏屈店主だと思っていたが、結構優しかったらしい。あの眼鏡店主は。
今度また手伝いにいってあげよう。
そんな事を思いながらアリスは帰路に着く。
足取りは、何故だかわからないけどとても軽かった。
そんな調子で歩きだした直後。
「!?」
光柱。
文字通り光の柱がアリスの眼前へと突き立った。
雷と見紛う程の輝きを放つ何かが落ちて来たのだ。
咄嗟に顔を腕で守るが光は強く、瞼を通して目を焼いてくる。
が、その様な膨大なエネルギーを発する謎の光も長くは続かなかった。
瞼に閉じられた闇の中を照らしていた光が段々と力を失くしてゆく。
数秒後、顔を守っていた腕をどかす。
すると眼前には、多量の土煙を黙々と放つ巨大なクレーターが出来上がっていた。
思わず目を見開きながらクレーターを覗きこもうと一歩踏み出す。
「な、なにこれ――って、きゃっ!?」
光の柱の次は風。
クレーターを守っていた土煙が吹き荒れる突風に飛ばされていく。
一瞬の内に全てを取り払ったクレーターの底、その中心には影があった。
影は黒い衣装であり、金と白の色も垣間見える。
アリスはその色を纏う者の正体を知っている。
「ま……」
驚きで歯切れの悪くなっているアリス。
だが、クレーターの中心に存在する者はアリスに構わず自らの被る帽子の庇を親指で押して持ち上げ、
「私」
続く動きで自分の顔を親指で指し、
「参上!」
どこからか響いてきた妙な効果音と共に素早くポージングを決めた。
「魔理沙!?」
――― To be continued......
昔から迷信だ等と言われているものの、それは少なくとも魔法使いという存在達にとっては事実であった。
例えば、魔女が愛用する箒。
長い間使われた箒の多くは意思を持ち、主の危険を察知すると自分から空を舞い飛んでくるという。
例えば、魔女が管理する本。
大切に保管された物は曖昧だが自我を持ち、主の身を守る守護者となる。
例えば、魔女が操る人形。
丹精篭めて作られたそれはその気持ちの分だけ従順になり、主の意思に応えて熱心に働いてくれる。
どれにも関連するのは結局の所――物は大切にしましょう、という当たり前の事だ。
それは実に常識的な事だが、まだまだ魔法使い歴の短い新米魔女アリス・マーガトロイドの自論でもあった。
……物は大切に、長持ちさせて上げないと可哀想だしね。
思いながら、気持ちを込めて布に糸を通し、丁寧に人の形を作り上げる。
隣では魔法の糸で操られた人形達が紅茶を入れてくれたり、応援してくれていたりと騒がしかった。
何故操っているのに騒がしくなるのかと言えば、その原因はアリスの魔女としての最終的な目標にある。
その目標とは自立型人形の作製。
詰まるところ人間と変わらぬ人形の創造である。
故に操っている人形にもそれなりの意識にも似た構造の思考回路を生み出す術式を埋め込んである。
だが、ある意味アリスの目標は、人間そのものを作ろうという神に歯向かう様な愚行であり――難関だ。
何せ自立した人形は操られるのではなく、自らの意志で動くのだ。
それはもはや人形と呼べるのだろうか。
人間と人形の線引きは難しく、また人間らしい人形の実現も難しい。
しかし、新米とは言え魔法使いとして諦められる筈もなし。
というわけで、今日も今日とてアリスは人形を作り続けるのであった。
……むぅ、この辺りの刺繍が上手くいかないわね……。
目を細めて現在製作中の人形に着せられた服の肩部分にある薔薇の刺繍を睨みつける。
やはり僅かだが魔術的なバランスが崩れていた。
糸を抜いて再度試してみるが、やはり上手くいかない。
……技術的な問題じゃないわよね?
首を傾げる。
配色的には問題は無いし、埋め込み途中の術式にも間違いは見られない。
ならば、
……糸、ね。
布を傷つけない様にゆっくりと人形から抜いた糸を顔の前へと摘んで持って来て凝視する。
「ビンゴ」
糸から漂ってくる魔力やその他の要素が薄れている。
どうやらこの糸も寿命の様だ。
別にこのままでも普通の人形を作る分には問題は無いのだが――。
やはり普通ではない人形を作るにはあまりにも糸が持つ力は弱過ぎた。
……これは普通のを作る時に使いましょう。
糸は日課である『同じ森に住んでいる魔法使いへの嫌がらせ』に使う事にしてポケットに仕舞う。
両手を頭の上で組んで肘を伸ばし、体を弓なりに逸らして全身の骨を鳴らす。
長時間動いていなかったせいか骨は良く鳴り、その快音がある種の爽快感を与えてくれた。
「ふぅ……それじゃあ、材料調達に行きましょうか」
一頻り伸びを終えた後に立ち上がる。
危うく『ヨッコラショ』等と掛け声をかけそうになったのは乙女の秘密だ。
手と意識を少し動かせば人形達が出かけるのに必要な物を集めて来てくれる。
我が子達ながら本当に便利だ。
「よしっと」
準備が終わり、玄関の前まで歩を進めてから改めて扉と逆方向へと振り返る。
汚れ無し。忘れ物無し。人形達を各々の定位置へと座らせて休息タイム開始良し。
「じゃあ、行って来ます」
言うと、気のせいだろうが人形達が笑って応えてくれた様な気がした。
空は青く天気は快晴。今日も何だか良い事がありそうだ。
○
「というわけで、糸頂戴」
「何がというわけで、なのか解からないんだが……まぁちょっと待っててくれ」
場所は変わってアリスが住む魔法の森の入り口に昔からあるお馴染みの道具屋。
大抵の物は揃っており、便利なのだが主人が偏屈という事もあり、人が訪れる事はかなり少ないらしい。
位置が位置なのも問題なのだろう。
もうちょっとまともな所に建てようとか思わなかったのだろうか。
「大きなお世話だよ」
「あら、見つかった?」
振り向けばそこには頭にどでかい埃を被ったこの店の主人――森近・霖之助が無表情で立っていた。
思わず頬の筋肉が引き攣り、込み上げてきた笑いが吹き出しそうになるが我慢。
整った顔立ちに若干の鋭さを持った目付きの組み合わせが中々に男前。それが今はアフロである。
いかん、思考の中で単語を流すだけで笑いが込み上げて来る。
「……」
彼はアリスが必死に笑いを堪えているのを察したのか、頭の埃を手で払った。
ちょっとだけ拗ねている様な表情が可愛かった。
「で、これだろう。ご指名の品は」
と、言葉と同時に差し出してくるのは無色の糸。ご丁寧に針まで付いている辺りは流石だ。
「そうそうそれそれ。でも、予想以上……流石香霖さんね。どこで拾って来たの?」
「それを言ったら商売にならないだろう」
「ちぇっ、ケチ……」
「ケチで結構。商人の気質はケチな方が良いのさ」
「その割りに儲けてないみたいだけど?」
「僕は量より質を重視するんだよ」
大量の商品が所狭しと多く並べられている店内を見るとそうとは思えないのだが。
……あれとか何に使うのかしら。
などという疑問が出てくるが――以前それを聞いてみたら物を触って漸く思い出したという有様だったし、
恐らく店主ですら何処にどんなものがあり、どんな使い方をするのか覚えていないのだろう。
「で、お幾ら?」
「そうだね……何時もは人形と交換だけど、今回はまだ在庫があるし――」
「いざとなればバリエーションも増やせるわよ?」
「いや、余り数を増やすとお客様も見るのに疲れてしまうから難しいだろう」
「むぅ……でも私の収入って人形を売るか人形劇をする位しかないのよね」
「七色を名乗る割りには芸が無いんだね」
「五月蝿い」
暫し言いあってから二人して腕を組み、打開策を思案し始める。
客と店主が一緒に悩むという珍妙な状況。
しかし、二人は――少なくともアリスは本気で悩んでいた。
糸なんてものをわざわざ此処まで買いに来るのはアリスくらいだし、霖之助も早めに売り払いたいのだろう。
悩みに悩んだ結果、結局何も思いつかなかったのか先に口を開いたのは霖之助であった。
「……ふむ。どうしたものかな」
「何かそっちからはないの?例えばおつかいとか定番じゃないかしら」
「生憎おつかい関係は先月から一向に音沙汰が無くてね」
「……注文すら来ないのね」
「……解かってるなら言わないでくれるかい?」
気まずい沈黙が流れた。
言ってはいけない事をついウッカリと言ってしまった時に流れる、複雑に絡み合った糸を見ている様な感覚。
「あ」
が、不意に流れていた気まずい静寂を霖之助が手を打ち、破る。
彼は若干何時もの無表情を緩めながら、
「良い案を思いついたよ」
と言った。対してアリスも笑顔で、
「あら、良かったわ。これで何とか早めに帰れ――」
「体で払って貰うとしよう」
「―――」
言葉も途中に時が止まった。
今度は沈黙が流れた等というレベルではなく、確かに時が停止した。
アリスの世界の中、全てが止まり、一瞬の経過が恐ろしい程の長さを持つ。
永遠とも思える時の中、しかしアリスは停止しかけている頭を回転させる。
体で払う。
基本的に男性が女性に使うべき言葉ではないのはお解かりいただけるだろう。
その言葉の中には様々な意味が含まれている。
余り深く述べると色々と危険そうなので今は控えるが――ともかくそういう事である。
世界の停滞が終わった。
時間の動きが元に戻る。
「……」
「何、悪い話じゃないだろう。これで君は、って待つんだ。何で呪文を――」
先手必勝。これ以上喋らせると自分の身とかその他諸々が危険だ。
だからアリスは動いた。
「このっ――」
魔法を使って強化した脚力で距離を詰め、
「変態店主がぁあああああああああああああ!」
密着しそうな間合いの中、天へと伸ばす様な勢いで相手の顎を打ち抜く蹴りを放つ。
「白ッ!?」
直撃。
店主が何やら意味不明な悲鳴を上げて吹っ飛び、数秒をかけて床へと落ちた。
彼は二、三度バウンドした後動かなくなったが、アリスは気にしない。
店内に残される音はアリスの僅かに荒れた息と空気の流れる音のみ。
何とも諸行無常の響きである。
○
「ところでチルノは知ってる?」
「何よ、緑髪」
「うわ、せめて大妖精って呼んでよ。――まぁ、それでね」
「ん?」
「噂で聞いたんだけど、アンタ幻想郷最高峰なんだって」
「あら、アタイは最強なんだからそんなの決まってるじゃない!」
「馬鹿の」
「……うぼぁー」
閑話休題。
○
勘違いでした。
「……体で払うってこういう事だったのね……」
アリスは上半身を投げ出して突っ伏しながら暗い口調で言う。
現在自分が居るのは森近・霖之助が店主を務める道具屋【香霖堂】のカウンター内。
店主は先程のアリスの一撃で首を痛め、今は店の奥で休息中だ。
ちなみにどうやって誤解が解けたのかと言うと彼が蹴り飛ばされた後、気絶する寸前に、
『み、店を手伝って貰おうとした、だけなの、に……ゴフッ』
と、言ったのだ。すれ違いとは実に悲しいものだとアリスは思う。
取り敢えずは彼の言通りアリスは現在進行形で店の手伝いをしている。
見たところ倉庫の方が汚れていたので、恐らくそちらの掃除をやって貰いたかったのだろう。
が、仕事はそれだけではない。
何しろ店主が戦闘不能状態なのだ。
物のついでに店番もやって上げるのが世の情けというものだろう。
決して罪悪感とかそういうものではない。
ないったらない。
ともあれ、倉庫の掃除の方は人形に任せつつアリスは店番を続ける。
客足は全くと言って良い程無い。元々少ないので問題は無さそうだが。
……あら……やっぱりこの糸良いわね。
店番とは言え、暇な時は自由時間。
というわけでアリスは上半身を起こし、鞄の中に仕舞っておいた人形を取り出し、作製を再開していた。
備えあれば憂い無し。
まさにその通りである。持ってて良かった手作り人形、作りかけ。
「っと、完成」
元々後は最後の仕上げの刺繍だけだったので、すぐさま完成する。
全体的に赤いデザインはどこか某館の吸血鬼の姉を思い出させる姿形をしていた。
……似すぎかしら?
今回の人形の製作テーマは貴族。
幻想郷内でモチーフに出来る人妖はアレくらいしか居ないし似るのは仕方がない事だろう。
そうアリスは納得すると、取り敢えずは人形へと魔法の糸を通して操ってみようと試みる。
ペコリとアリスに向かって優雅にお辞儀を一つ。
クルリとテーブルの上で華麗に回転を一つ。
メメタァと店の展示品に向かって蹴りを一つ。
満足したので、抱き締めて頭を撫でてやった。
今回も高い完成度が保てた様で何よりだ。
「……何やってるんですか?」
「あら、いらっしゃい」
人形の頭を撫でながら不意に聞えた声に顔を上げる。
顔を向けた視線の先には天狗が何だか唖然とした表情で立っていた。
黒のショートカットと頭に乗せた六角形の帽子が特徴のパパラッチこと射命丸・文である。
何時もなら何か妙な事をする前に尻を蹴って追い返してやるところだが、今日は事情が違う。
「で、今日は何をおもとめで?」
故に営業スマイルに優しい口調で首を傾げてみると彼女は二、三歩後退り、
「い、いえ、何時もの新聞を届けに……」
「あ、そうなの。貴女も本当に物好きね……まぁ、香霖さんなら見るでしょうけど」
読書好きだし、と客ではなさそうなので営業スマイルを解除しながら付け加える。
「はぁ……じゃあ、これを」
「はい、御疲れ様」
未だ納得出来ないという表情の文から新聞を受け取る。
「……ところで何でアリスさんが香霖堂に?しかもカウンターの中に座ってるだなんて」
「あー……」
問うて来る文の表情は怪訝なものあると同時に妙な輝きを帯びていた。
……絶対何か狙ってるわよねぇ……どうやって説明したものかしら……。
普通にこれまでの事情を説明すると二日後辺りに、
『森の人形遣いが香霖堂の店主を蹴り殺す!その時文屋が見たものは!?』
等という記事が幻想郷中に広がりそうだし、しっかりと考えねばなるまい。
腕を組み、片手を口元に持ってきて如何にも知的な思考のポーズをとる。
……よし。
考えが大体纏まった。
あまり長い時間待たせていると余計な勘繰りをされそうだし、とっとと話して帰ってもらおう。
「まぁ手短に話すとね」
「手短に話すと?」
アリスはえぇ、と前置きし、
「香霖さん、色々あってちょっと足腰立たなくなっちゃったから仕方なく代わりに店番してあげてるの」
「え」
「まぁ、碌に動かないからひ弱なのよ。深くは追求しないで上げて」
文へと手を振りながら、なるべく飄々とした自然な口調で言う。
説明するついでに霖之助に責任転嫁しておくのも忘れない。
森の人形遣いは冷酷なのである。戦場では常に後ろに気をつけるのだよ、森近君。
「そんなわけでわかった?……って、あら?」
と、視線を戻すと――文が消えていた。
店内を見回すが天狗の姿は何処にもなかった。
入り口の方から扉が虚しく風に揺られる音が店内に向かって響く。
「ま、いいか」
腰を上げて、扉へと向かい、ドアノブを握って扉を締める。
人形も完成したし、やる事も無くなったので店内の整理を試運転も兼ねて人形と一緒に開始。
まず棚に陳列されている商品を乾いた布で軽く拭く事にした。
この時のアリスはまだ知らない。
まさかこの時の言葉があのような事態を巻き起こす事になろうとは。
○
博麗神社は今日も平和である。
そんな事を考えながらそこそこ広い敷地を使って建てられた神社の廊下を博麗・霊夢は歩いていた。
何しろ今日は来訪者も無く、ついでに言うと参拝客も居ない。
参拝客については相変わらずなので別段珍しい事でもないのだが、来訪者が来ないのは久しぶりだ。
特にあの白黒魔法使いこと霧雨・魔理沙が来ないのは本当に久方ぶりである。
「呼んだか?」
「まだ言葉に出してないわよ」
などと思っていたら即登場。
相変わらず神出鬼没な奴だ。
上を見上げれば、箒に跨って白のドロワーズを見せつけながら浮いている少女が一人。
左のもみあげ部分を三つ編みにした髪型とその頭に乗せたトンガリ帽子が特徴の魔法使い。
自称幻想郷最速のくせに最近天狗に負けた魔女である。
ちなみに魔法使いはある秘術を完成させると歳を取らなくなるらしい。
世の中は巫女に対して不公平だと霊夢はちょっと思う。
「まだ完成させてないぜ。あとちょっとだけどな」
「人の心の中を読むな。お茶、出さないわよ」
「わかったわかった。その代わり、お茶は貰うぜ?」
彼女は高度を落として足先までありそうな長さのスカートを風で僅かに浮かせながら着地。
そのまま縁側へと座った。
霊夢はそこまで到る経緯を見ながら溜息。
「全く……じゃあ、今入れてくるからちょっと待ってなさい」
「おーう」
急須は何処だっただろうか、などと考えながら台所へと歩を進める。
今日も相変わらず変わらない平和な日になりそうだ。
○
黒い風が走る。
否。正確にはそれは風ではなく一人の少女であった。
黒いショートカットに頭に乗せた六角帽にミニスカート。
背では一対黒の翼が風を巻いて羽ばたいている。
彼女は空を駆け、手に持った紙の束をバラ撒く。
紙は宙を舞い、地上へと行き着く。
多くの人が住まう場所へ。
巫女が住まう場所へ。
不老不死の者達が住まう場所へ。
吸血鬼達が住まう場所へ。
亡霊達が住まう場所へ。
鬼が住まう場所へ。
天狗が住まう場所へ。
幻想郷のありとあらゆる場所を天狗は駆ける。
その表情は天気の良い朝の様な清々しい笑顔。
射命丸・文。
好きなものは特ダネとゴシップ記事である。
○
「……」
帰ってきたら魔理沙が気絶していた。
何を言っているのか解からないと思うが、霊夢にも何が何だか解からなかった。
此処一帯に殺虫剤が撒かれたとかゴキブリホイホイとかそんなチャチなものじゃない。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わった気分だ。
……生きてる、わよね。
呆然とした表情のまましゃがみ込み、彼女の脈を確認するがどうやら正常の様で何よりだ。
気絶しているだけ――。
では、どうして魔理沙は気絶しているのかと霊夢は疑問に思う。
彼女の様子を見る限りでは、外的な傷も呪術的な傷も皆無。
誰かにやられたという訳ではなさそうだが、
……あら?
良く見ると魔理沙のもう一方の手に何か握られていた。
紙だ。
それも灰色を基調として様々な形の黒が所々に混じった紙――新聞である。
「なにかしら、これ……」
魔理沙の手から新聞を奪って広げてみる。
直後。
「ぶっ!?」
思わず勢い良く吹き出した。
危うく昔人里で見たお笑い芸人ばりに滑って転びそうになったが、何とか踏ん張ってこれを回避。
もう一度震える手で広げた新聞へと視線を向ける。
そこには、
『熱愛発覚!森の人形遣いと香霖堂の店主があんな事やこんな事!?』
と勢いのまま筆で書いたと思われる表紙いっぱいの文字が載っていた。
成る程、魔理沙が気絶した原因はこれだったのか。
分かる様な気もする。
森近・霖之助は霧雨・魔理沙の兄の様な存在である。
その兄代わりが何時の間にかこの様な事になっていたのだ。
さぞかし驚いただろう。
きっとその驚きで先程の霊夢の様に足を滑らして床に頭を叩きつけてしまったのだ。
それにしても、
……アリスと霖之助さんが……?
首を傾げる。
確かに二人ともどちらかというとインドア派であり、気が合いそうな人種ではある。
だが、と霊夢は自分で考えた思考に楔を打ち、止める。
博麗・霊夢は三日に一回は香霖堂へと物資補給しに行っている巫女だ。
そんな自分に悟られずに逢引する事が出来るのだろうか。
答えは否。断じて言える。否である。
勘の良さには定評のある霊夢だ。
もしも彼等が付き合っていたのならば、見逃す筈は無いだろう。
……となると、また天狗の勘違いかしら。いえ、勘違いね。そう、勘違い。
紙を丁寧に畳んで、気絶しっぱなしで口から白いものを出している魔理沙を縁側に引き入れる。
彼女を適当に寝かせ、続いて霊夢が向かった先は愛用の武器の保管場所だ。
戸棚を開き、御祓い棒を取り出し準備万端。
「真偽を確かめなきゃいけなさそうね」
一応は友人である霧雨・魔理沙が気絶する程のショックを受けているのだ。
友人として何とかせねばなるまい。そう――友人として。
○
「はい、これ媚薬」
「……どうも」
「出産の時は私に任せて頂戴ね?」
「はぁ」
曖昧な笑みを浮かべつつもアリスは生返事を返す。
これで九人目である。
目の前には頬に手を当てて母親の様な柔らかな笑みでアリスを見つめる女性が居た。
銀の長髪を背で三つ編みにした髪型。
頭に乗せた青の生地に赤十字が描かれたナースキャップ。
そして、母性本能溢れる眩いばかりのオーラを放ってる彼女の名は八意・永琳。
本人曰く、医者――らしい。
以前月の異変時に知り合った人物なのだが、その時よりも随分印象が変わったなぁ、とアリスは思う。
……でも、なんでかしら?
疑問に首を傾げる。
先程から妙に来訪者が途絶えない。
平常時の香霖堂ならば考えられない事である。
例えば、人里を守る獣人が何故か揺り籠をプレゼントしてくれた。
『これから必要になるだろう。是非使ってくれ』
くれるのは良いのだが、人形でも入れろと言うのだろうか。
例えば、某館のメイド長が何故か子守の仕方を教えてくれた。
『これでも昔は色んな事をしていたのよ?』
楽しそうだったが、なんで子守の仕方なんて知っていたのか凄く気になった。
例えば、マヨイガの狐が何故か着物をくれた上に着替えさせてくれた。
『ここはこうしてだな。うむ……こうすればきっと並んでも御似合いだろう』
ちなみに彼女の主は隙間に引っ込んで出て来なくなったらしい。何でだろうか。
例えば、騒霊の姉妹が何故か祝福しに来てくれた。
『おめでとう御座いまーす!』
その後歌い始めて五月蝿くなったので追い返しておいた。それにしても着物は動き辛いと思う。
例えば、船頭死神が何故か伊勢海老という虫と鯛という魚と大量の魚の卵をくれた。
『海老は末永く、卵は子宝に恵まれるっていう意味があるのさ。鯛はめでたいってねっ』
と得意気に教えてくれた。使う前に腐りそうなので今日食べる事にする。
例えば、死神に上司が何故かお説教をしにきた。
『夫を愛し続ける事。それが貴女に出来る善行です』
夫が居ない場合はどうすれば良いのでしょうか。
例えば、冥界の庭師が何故か十二単を置いていった。
『幽々子様のお古だそうです。貴方達の誰かが使う事があれば、と言ってはいましたがまさかこんなに早くとは……』
毒々しい紫色の蝶々が描かれていたので貰った後に丁重に仕舞っておいた。
例えば、魔界の神が何故か必死な形相で突っ込んできた。
『アリスちゃぁあああああああああん!お母さんはまだ許へぶらっ!?』
扉を締めたら顔面から扉にぶつかって気絶したので魔界へと送り返しておいた。きっと平気だろう。
そして現在へと至るわけなのだが、どうにも腑に落ちない。
誰も彼もが一部を除き笑顔であり、まるで何かを祝う様な雰囲気を持って店へと入ってくる。
そのくせ何も買わずに出て行くのである。
本当に謎だ。
「とにかく元気でやりなさいね?これから忙しくなるだろうけど、慣れればきっと楽しいわ」
「えぇっと……ありがとう御座います?」
「いえいえ、どういたしまして。それじゃあね」
去ろうとする永琳へと疑問符を浮かべながらも頭を下げて見送る。
入り口の扉が彼女の手によって開き、そして扉は彼女の細身な体を外へと通すとゆっくりと閉まった。
その一連の動きを確認してからアリスは溜息を一つ。
……疲れたわ……。
店番とはここまで大変なものなのだろうか。
だとしたら霖之助をひ弱と評したのは少々間違いだったかもしれない。
これは相当な重労働だ。彼に対する評価を改めねばなるまい。
ともあれ、休憩しなければ。
流石に九連続の接客は神経を相当消耗させてくれた。
そんなわけでアリスはゆったりとした動きでカウンターの中に設置された椅子へと腰を下ろし、
「お邪魔するわ」
入り口の開かれる音に危うく血反吐を吐きかけた。
「……い、いらっしゃいませ……って、霊夢?」
「久しぶりね、アリス」
黒髪に乗せた大きな赤のリボンに脇部分を切り取った巫女服を基調とした洋服を着た巫女。
入り口に立っていた博麗・霊夢はアリスへと向かって歩みを進める。
その手には何故か彼女の愛用品である御祓い棒が握られ、彼女の左右には必殺の陰陽玉が浮いていた。
「何よ物騒ね。また異変?」
「……そうね。異変って言えるかもしれないわね。少なくとも私達の日常にとっては異変かしら?」
「疑問に疑問で返さないの。で、何。異変に紛れて盗みに来たなら追い返すわよ」
苦笑しながら皮肉を混ぜて冗談を言う。
……まぁ、なんか気が張ってるみたいだし、少しくらい肩の力を抜かさせないとね。
正直な話、ちょっと今日の霊夢は鬼気迫る雰囲気を纏っており微妙に恐い。
だからアリスは緊張の緩和を図ったのだが――。
その考えは甘かった。
「出来るかしら?」
「え?」
直後、霊夢の言葉に呼応するが如く頬を何かが掠めた。
ほぼ同時に背後の壁が砕かれる破砕音が聞えた。
見れば霊夢の陰陽玉の片割れが消えている。
頬から生暖かい液体が垂れるが気にしている余裕は――無い。
「……どういうつもりかしら、霊夢……」
「ふふふ、アリスったらまだわからないのかしら。霖之助さんにあーんな事やこーんな事をしたんでしょ?」
アリスは暗い口調を纏ったその言葉に思わず目を見開く。
……あーんな事やこーんな事?
それはつまり。
……香霖さんを勘違いして蹴った事がばれた――ッ!?
おのれ、文屋。まさかそこまでの情報収集能力があるとは思いもしなかった。
思考的にも防御魔法をかけておくべきだったか。
「ご、誤解よ霊夢!確かにあれは私がちょっと勢いづいてやっちゃった事だけど、ちゃんと――」
「私の必殺技パート2」
「ヒィー!?」
陰陽玉が飛んで来た。
避けた。
陰陽玉はそのまま壁に突撃。
粉砕!玉砕!大喝采!
背後から聞えた謎の音を無視してアリスはうつ伏せ状態から勢い良く振り向き、
「こ、殺す気!?」
尻餅をついた状態で霊夢を見上げながら抗議の叫びを上げる。
が、対する霊夢はそんな怒号などなんのその。
素敵な笑顔を浮かべたまま、柔らかい口調で子どもをあやすが如く、
「必殺技って言ったけど?でも大丈夫。ちょっと動けなくなるだけよ」
などと言ってくださった。明らかに黒いオーラが見え隠れしている。
とてつもなく強大な恐怖に対して震えるばかりのアリス。
だが、生き残る為には対抗しなくてはならない。だからアリスは叫ぶ。
「どう考えても動かなくなった時点でもう手遅れよー!」
「あら、妖怪はそれくらい死なないわ。精々九割五分くらいで済むから」
「殆ど死んでるじゃないのっ!?」
言いながら今まで弓なりに細めていた目を霊夢は開き表情を微笑へとは変える。
が、その瞳は虚ろで闇に満ちたものであった。
確かに彼女は霖之助に色々と恩がありそうだし、怒るのも仕方がない事だろう。
しかし、コチラとてそう簡単に叩きのめされるつもりもない。
故にアリスは霊夢に対抗する為、先程作った人形や掃除にあたっていた人形を――。
「あ、あれ?」
引き寄せようとしたのだが――何時の間にか魔法の糸が切断されていた。
人形達からの応答が無い。
……な、なんで!?
先程まで、というよりも今の今まで魔法によって作り出された糸は人形とアリスを繋いでいた筈である。
「どうかした?」
ふと聞えたドス黒いものを纏った声に思わず涙目になってしまう。
目の前にいるのは見知ったお気楽な博麗・霊夢ではなかった。
悪魔だ。
きっと紅い館の魔女が魔王辺りを呼び出して霊夢に取り憑かせたに違いない。
「ま、魔界神の娘だぞ!え、えらいんだぞ!」
「私は巫女よ。奉るものが違うわ。むしろ敵」
威嚇したけど逆効果。
一歩、霊夢は距離を詰める。
相対距離は約二メートル。
彼女が殺る気になれば一瞬のうちにアリスの首を持っていける位置である。
基本的にアリスの戦闘スタイルは適度な距離をとる事によって成り立つものだ。
加えて、唯一とも言える近接技である蹴りは着物という着慣れぬ服装ではまともに使う事が出来ない。
つまり――これだけ近寄られては碌に戦う事が出来ないという事である。
「あーはー」
「ひっ……!」
近づいてくる巫女から逃げようと尻餅をついたまま後ろへと下がる。
背中が壁に当たった。もう駄目だ。
「絶対絶命ねぇ、アリス?」
「ぎゃー!来るな、欠食貧乳巫女ー!うわーん!死んだら末代まで祟ってやるー!」
「あはは、大丈夫よアリス。魂も残さないわ」
「九割五分じゃなかったの!?」
霊夢がゆったりとした動きで懐から大量の符の束を取り出す。
あれだけの束を喰らったらいくら不老の魔法使いとは言え瀕死の重傷は間違い無しだ。
どうするアリス・マーガトロイド。どうする七色の魔法使い。
選択肢は以下の三つ。
一、可愛らしいアリスは突如として反撃のアイデアを思いつく。
二、タイミング良く誰かが来て助けに来てくれる。
三、殺られる。現実は非情である。
理想的なのは二だが、いくらなんでもそこまで現実は甘くない。
そもそもこの幻想郷で博麗の巫女を止められるのはあの隙間妖怪くらいである。
その隙間妖怪はというと彼女の式神曰く、引き篭もり状態らしいし、まさに打つ手なし。
一は現状では望めそうにもない。
つまり三。
現実は本当に非情である。
かくして、審判の時は来た。
「さぁ、ジャッジメントタイムよ」
十割の確率で有罪。
回避不可能の裁判と言う名の処刑が今始まろうとしていた。
そんな時だ。
「霊夢、何をしているんだ!?」
男の声が処刑場となりかけていた店内へと響き渡った。
○
霊夢は困惑していた。
「り、霖之助、さん……」
時間をかけすぎた。
銀色の髪を揺らしながら眼鏡の位置を指で直す霖之助はゆっくりと歩いてくる。
「嗚呼、店が酷い状態に……どういう事なんだい、霊夢?」
責める様に目を細める彼の言葉に霊夢は一歩下がる。
……私が後ろに!?
否。博麗の巫女は不退転。押しても引いても決して退かぬ幻想郷最強の存在だ。
だが――その中でも最強の巫女と言われている霊夢が自ら後ろに下がった。
……っ。
思わず俯き加減になると同時に目尻に熱いものが込み上げて来るのがわかる。
負けた。
弾幕等で戦えば容易に勝つ事が出来るだろう。
しかし――心で負けた。
これは絶対的かつ決定的な敗北である。
故に霊夢は心の中で魔理沙に仇がうてなかった事を謝りながら、勢い良く踵を返し、
「霖之助さんの馬鹿ぁあああ!うわぁああああん!」
「えー!?」
無意識に叫びながら床を強く蹴る。
扉が邪魔だったので符で破壊して外へと飛び出した。
そのままの勢いで大地を駆ける。
空に浮かんだお月様が異様に恋しかった。
○
「……なんだったんだ」
霖之助は呆然としていた。
いきなり扉を破壊して出て行く霊夢の事も心配だが、店の状態もかなり心配だ。
何せ壁には西瓜程度の大きさの穴が幾つも空き、煙を上げている。
そしてその穴だらけの壁には一人の少女が力なくよりかかっていた。
肩程まで伸ばした金髪に乗せた赤いカチューシャがアクセントのせいか目立つ少女――アリス・マーガトロイドだ。
彼女の格好は来た時とは違って赤い着物になっており、金髪とのアンマッチ具合がまた違う風情を生んでいた。
つまりはこれはこれで。
否、これはやましい心ではない。
「大丈夫かい?」
取り敢えずボーッとしているアリスへと声をかける。
先程霊夢が散々大暴れしたせいで恐かったのか顔を赤くして僅かに涙目になっていた。
口も水中から顔を出した金魚の様に落ち着きなく開閉していて忙しない。
その様子から彼女が怯えている、と霖之助は汲み取った。
……可哀想に恐かったんだろう。
どうするか、と思うと同時に何故か不意に妹分である魔理沙の事を思い出した。
蘇る記憶は夏のとある日。
魔理沙がどうしてもというので森に連れていき虫を捕まえて――。
けれど、その虫の外見に彼女は泣き出してしまった時の事。
いくらあやしても泣き止まなくて、どうしようも出来なくなった懐かしい思い出。
あの時は――そう、こうした筈。
「ひぁっ!?」
「もう大丈夫だよ。これで見えないだろう。何も、恐い事は無い」
何も見えないように、体を被せ優しく抱き締めて頭を撫でてやる。
子供騙しだとは思うが、間違った行動ではないだろう。
人というのは恐怖に震えた時、自然と人の温もりを感じたくなるものだ。
そのまま暫く撫で続ける。
柔らかい髪だ、と思いながらも彼女が落ち着くのを待つ。
約十秒程して、彼女が気持ち良さそうに目を閉じているのを確認してから霖之助は体を離した。
「よし」
「あ」
一瞬名残惜しそうな顔をするアリスを見て霖之助は昔の魔理沙を思い出して苦笑を一つ。
「今日はもう帰りなさい。店番、わざわざありがとう。後片付けは僕がやっておこう」
そう言って、尻餅をついているアリスへと立ち上がるのを助けようと手を差し伸ばした。
○
夜の獣道。
月の光が殆ど差し込まぬ暗い森の中、明かりが一切無いというのにも構わずアリスはゆっくりと歩いていた。
「……」
腕の中には、人形が一つ。
香霖堂で完成させた貴族をテーマにした人形だ。
アリスが歩く度に、又は風に吹かれて人形の人工の髪がが揺れ、僅かにだが乱れる。
だが、アリスはそんな事は気にせずにただ暗き道を歩いていた。
「撫でられた……」
ポツリと呟くと共に思い出すのは先程まで居た店で起こった事だ。
自分の手を頭に乗せてみる。
手入れを欠かさない柔らかな髪にはまだ妙な感触が残っているようだった。
……。
思えば頭を撫でられるなんて幼い頃に母にしてもらったくらいだ。
今でも会う度にしそうな勢いではあるが、大抵抱き付かれる前に姉によって止められているのは我が家の秘密である。
「……ふふっ」
今まではただの偏屈店主だと思っていたが、結構優しかったらしい。あの眼鏡店主は。
今度また手伝いにいってあげよう。
そんな事を思いながらアリスは帰路に着く。
足取りは、何故だかわからないけどとても軽かった。
そんな調子で歩きだした直後。
「!?」
光柱。
文字通り光の柱がアリスの眼前へと突き立った。
雷と見紛う程の輝きを放つ何かが落ちて来たのだ。
咄嗟に顔を腕で守るが光は強く、瞼を通して目を焼いてくる。
が、その様な膨大なエネルギーを発する謎の光も長くは続かなかった。
瞼に閉じられた闇の中を照らしていた光が段々と力を失くしてゆく。
数秒後、顔を守っていた腕をどかす。
すると眼前には、多量の土煙を黙々と放つ巨大なクレーターが出来上がっていた。
思わず目を見開きながらクレーターを覗きこもうと一歩踏み出す。
「な、なにこれ――って、きゃっ!?」
光の柱の次は風。
クレーターを守っていた土煙が吹き荒れる突風に飛ばされていく。
一瞬の内に全てを取り払ったクレーターの底、その中心には影があった。
影は黒い衣装であり、金と白の色も垣間見える。
アリスはその色を纏う者の正体を知っている。
「ま……」
驚きで歯切れの悪くなっているアリス。
だが、クレーターの中心に存在する者はアリスに構わず自らの被る帽子の庇を親指で押して持ち上げ、
「私」
続く動きで自分の顔を親指で指し、
「参上!」
どこからか響いてきた妙な効果音と共に素早くポージングを決めた。
「魔理沙!?」
――― To be continued......
ついでに誤字
>相対距離は役二メートル
役→約かと
何度もすみません
なんて可愛い脅し文句。
引きこもったゆかりんにもいつかきっと相手が……できそうにないなぁ(隙間)
赤い着物を着たアリスですか・・・おもちかぇ(サクリファイス
笑いが止まりませんでした。
これから魔理沙とアリスが弾幕って、くんずほぐ(マスタースパーク
じゃないだろ!続けよ!クソッ!なんて時代だ!
この香霖は間違いなく幸せモノ。
あと誤字です 選択肢の三は「非常」ではなく「非情」だと思います
続きを是非お願いします。
フツーにだめー
いや、アリスが可愛いんですもん。
それに、元を断たない限りこの騒動が終焉するとは思えない…よし、そのためにもこーりん殺(ry
機会なのかもしれん……。
あと、基本的にはみんなちゃんと祝福するのな。
このあと霖之助は死亡フラグが立ちそうだなぁ。
是非続きを……主にアリス方面で。
ゆかりん行き遅れ説を見て泣いた
泡吹いた白黒への哀悼と次回作への期待を込めてこの点数。
電王ネタとジョジョネタが素敵…そしてこれはいい勘違い幻想郷
そしてすぐさま祝福に駆けつける皆にちょっとホロリ。
・・・みんな仕事速いなぁ。
貴公にはまだ続けて貰う。さぁ(血眼
何で人名にわざわざ博麗・霊夢と中黒を打つのか判りません。
求聞史紀でも別にそんな表記はされて無かったですよね。
まあ、そんな無粋なことはおいておいて。
大変おもしろかったです。
幻想郷の面子がいい奴すぎる。
霊夢と魔理沙を除いて。
続編を心待ちにしております。
いっぱいいっぱい感の漂うアリスがかーいかったです。
そんな無粋なことはどうでも良い程にアリス萌え。
あと、とりあえずこーりんは殺しておきますね(目が笑ってない笑顔
で、続きはっ!!!((o(^∇^)o))
紫が引篭もりと化したのは妖怪が精神ダメージに弱いからなのか…
まぁとにかく続編に超期待
何にせよ結婚祝いでやって来る幻想郷の住民達が面白くて(ショックで引き篭もった紫含めて)GJでした!
それと誤字
>そもそもこの幻想郷で博霊の巫女を止められるのは
博霊→博麗
どういうことだ!?キバヤシ!?
さぁ、早く続きを書きやがってください!
これは間違いなくこーりんが主人公
とりあえずつづきよみたいw
ゆかりんが不憫なのがあれですが彼女との話も見てみたいw
粉砕! 玉砕! 大喝采!
いつもガセネタだと流してる文文。新聞を信用しちゃったのは
やっぱりこういう桃色でうふふな話題だからか……この新聞、買いだな。
和服アリスに萌えたとか、アリスが魔理沙と弾幕って
服が破けてたりするの想像して鼻血吹いたとか、なってないんだからね!!
二次創作では百合ばっかだから凄く新鮮!
涙目で怯えているアリスを慰める香霖・・・ステキ
可愛すぎて噴いた。