ヴワル魔法図書館。
古今東西の知識の全てが収められた場所だ。
その広さは四方一キロを優に越えており、「図書館」という言葉自体がおよそ似つかわしくない。
では、代わりになんと呼べばよいのかと言われると、首を傾げるところだろう。
取り合えず、館の上を決めなければならないのだろうか。
下らない物思いに耽りながら、霧雨魔理沙は図書館へと通じる扉を後ろ手で閉めた。
小脇に抱えているのは三冊の分厚い本。心成しか少し嬉しそうな表情をしていた。
肩に担いでいた愛用の箒に跨ろうとしたところで、一人の女性が魔理沙の視界に入る。
豊かな銀髪を蓄えた、流麗な顔立ちの美少女だ。
館の使用人服に身を包んだその美少女は、他の使用人達に何やらあれこれと指示を飛ばしているようだった。美少女の指示を受けた使用人達は、打たれるように持ち場へと走り去っていく。どうせ、いつものように声まで優雅なのであろう。
使用人を全て見送って一人になった美少女は、箒とちり取りを持って辺りを掃きだし始めた。その動きには一寸の淀みもなく、まさに完璧と言ってもいい程の仕事振りを見せている。
―――紅魔館のメイド長、十六夜咲夜か。確か、
魔理沙の視線に気付いたのか、美少女―――十六夜咲夜が振り返った。
玉のような銀の瞳と視線が合った瞬間、脊髄が全て氷に変わったような悪寒が走る。
感情の灯らない瞳。
まるで獲物を見つけた昆虫のような無造作な視線。
―――時を操る程度の能力だったか。
魔理沙が自らの供である水晶球に念じるのと、視界から咲夜が消えたのが同時。
次の瞬間、魔理沙の背後で何か硬質の物同士がぶつかり合った音が聞こえた。箒に乗る間も惜しい魔理沙は、前方に飛んで転がる。それでも脇に抱えた本を一冊も手放さないところに、彼女の執念が滲み出ていた。
受身をとって後ろを振り向くと、先程まで掃除をしていた筈の咲夜が、手の平サイズのナイフを構えて悠然と佇んでいた。
追撃に備えて水晶球をもう一つ呼びつけたが、咲夜はそれ以上何かしようとはしなかった。魔理沙は床に手をつきながら見上げ、咲夜は軽く微笑みながら見下ろし、そのままたっぷり5秒は経過する。
「ふーむ」
魔理沙はゆっくりと立ち上がると、服を叩いて埃を落とし、身だしなみを整えて胸を張る。
「何の用だ?」
「そちらこそ、今日は何の御用かしら?不法侵入者の霧雨魔理沙さん」
咲夜の手から、構えていたナイフが跡形もなく消えた。
油断するわけではなかったが、対抗するように魔理沙も水晶球を服の中にしまう。
「別に不法じゃないぜ?勝手口から上がっただけだ」
「やましい事がないなら正門から来なさいな。無下に追い返したりはしないわ」
「よく言うぜ・・・・」
咲夜は魔理沙の抱えたものに視線をやる。
「あら、今日も図書館に来たのね。パチュリー様から貸し出しの許可は出ているのかしら?」
「許可を貰いたかったんだが、何しろあの広さだろ?結局会えず終いさ」
相も変らぬ魔理沙の減らず口に、咲夜は一つ溜息を吐いた。
「生憎と今日は忙しくてね。見逃してもいいのだけど、一つ条件があるわ」
「へぇ?条件」
「これよ」
咲夜は手にしていた箒とちり取りを、魔理沙に押し付ける。
「この館の掃除を御願いしたいのだけど。ああ、そっちの汚い箒は使わないでね。余計汚れるから」
「汚いってのは酷いな」
多少薄汚れているのは認めるが、修繕してまで長年愛用してきた品だ。流石に少し傷ついたが、咲夜は気にした様子もない。
「大体、掃除なんてメイドどもにやらせればいいだろ?」
「―――そのメイドどもを半分以上使い物にならなくしたのは誰かしら?」
魔理沙が、ぽん、と手を打つ。ついこの間、紅魔館を初めて訪れたときに霊夢と二人で大立ち回りをしたのを思い出した。咲夜の射るような視線が突き刺さる。
「ただでさえ広いお屋敷なんだから、それはもう大忙しよ」
「だったらこの館を縮めればいいだろうに・・・・」
魔理沙は天を仰いだ。
今、彼女達が居るのは単なる館の通路だ。だというのに、その天井は恐ろしく高く、顔を上に向けないと天井が視界にすら映らない。通路自体も相当なもので、普通の人間ではその先に何があるのか視認することもできないだろう長さを誇っている。そして、壁にはずらりと等間隔に並ぶドアの数々。その分だけ部屋があると考えると、掃除という言葉を聞いただけで頭が痛くなってくる。
先程の図書館ではないが、いかにも空間を弄りすぎだ。
魔理沙の溢した台詞に、咲夜が分かっていないな、とばかりに失笑を漏らした。
「・・・・何だよ?」
「お嬢様には広い館、と相場が決まっているのよ」
「・・・・なるほどな、勉強になったぜ」
それでもこれはやり過ぎだろう、と思わないでもなかったが。
結局、魔理沙は掃除を手伝うことにした。
―――ここで闘り合って、帰ってから疲労で寝るってのも馬鹿馬鹿しい。
というのが理由だ。
魔理沙としては、今は何よりも借りた本をじっくりと読みたい。
最初は隙を見て逃げ出すつもりだったのだが、「これは預かっておくわ」と、咲夜に本を取り上げられてしまった。流石に抜け目がない。
「それじゃ、とりあえずは此処を綺麗さっぱり掃除して頂戴」
咲夜に通されたのは、楽団が公演を開いていてもおかしくないほど広く、重苦しい威厳に満ちた部屋だった。縦長のテーブルと椅子がいくつも並んでいたお陰で、辛うじて食堂らしいということが分かる。
「任せとけ」
「綺麗さっぱり跡形もなくしたら殺すわよ。当然、掃除する場所はここだけじゃないから、あまり時間を掛けないでね。けど隅々までちゃんとやるのよ」
完全無欠のメイド長は事も無げに言う。
「任せとけ」
対して、やはり魔理沙は根拠の出所の不明な自信をもって答えた。
「それじゃ、任せたわよ」
「任せとけ」
歩き去っていく咲夜を見届けてから、魔理沙は食堂の方へ向き直る。
「さて、始めるか――――」
十分後。
「出来た―――」
感無量、といった声が広い空間に響き渡った。
箒に乗って浮遊しながら最後の一つを積み終えた魔理沙は、床に降り立ち感慨深げに自身の身長の十倍はあろうかというピラミッドを見上げて唸った。
ピラミッドだ。重厚な雰囲気を醸し出していた食堂の隅に、大きなピラミッドが現れていた。
どこからどう見ても見事なピラミッドだったが、あえてオリジナルとの違いを指摘するならば、素材が石ではなく木製の椅子だということぐらいか。
首筋にうすら寒いものを感じ、魔理沙が一足飛びにその場を離れた。少し遅れて、5本の投擲用ナイフが勢いよく飛んでくる。
ナイフは、あわや木製のピラミッドに突き刺さろうかというところで、霞の様に消え去った。備品である椅子を傷付けないように、という細かい気配りが利いている。
そして代わりに現れたのは、美しき般若。
「―――誰が奇怪なオブジェを作れと言ったのかしら?」
「我家ではこれが片付けたことになるんだぜ」
始めは純粋に掃くのに邪魔な椅子を退かしていたのだが、隅に集め、スペースをとらないように積み上げていたら、つい我を忘れてしまって今へと到る。
「あなたの家には是非お邪魔になりたくはないわね」
「私もあんたを我家に招きたくはないな。ところで一つ質問なんだが」
「―――何かしら?」
「いやなに、一体あれだけのナイフを何処に隠しているのかと思ってね」
「企業秘密よ」
咲夜は、唇に人差し指を当てて答えた。仕草は可愛らしかったが、イメージからは実に程遠い。
―――秘密、か。四次元のあれか?
「・・・・まさかな」
魔理沙は頭に浮かんだ考えを払うように、大きくかぶりを振る。
「独り言?可哀相な人みたいよ」
「人は自己撞着を繰り返して成長していくってことさ」
「?、とにかく―――」
咲夜が積み上げられた椅子を見上げた。
「あなたに掃除は無理だと分かったから、ここは他の者に任せて別の仕事をやって貰うわ」
どうやら、仕事を増やされる前に帰す、という選択肢は無いらしい。
次に連れて行かれた先は、厨房だった。やはりそこも今までと同じく、むやみやたらと広い。そして炊事場には、使用された後の食器類がそれこそ山のように積んであった。最近はピラミッドブームなのだろうか。
「これを全部洗ってもらおうかしら」
このシチュエーションならば、当然予想されてしかるべき要求だ。
「・・・・また凄い量だな。一体何処の大食らいだ?」
あんたか?とは言わなかった。機先を制して、咲夜がナイフを取り出したからだ。
「ここの使用人は全て住み込みなのよ」
「成る程」
魔理沙は山から皿を一枚手に取る。皿には、肉料理用の濃い目のソースが付着していた。油が落ち難そうである。別の場所からもう一枚取ってみたが、それにも同じような赤いソースがついていた。
「なあ」
「何?」
「この館には人間は何人くらい居るんだ?」
「私一人よ。それがどうかした?」
「―――いや、別に何でもないぜ。それじゃ取り掛かるとするか」
魔理沙は帽子を脱いで、箒を立て掛け、袖を肘まで捲り上げる。
「私はもう行くけど、サボらないようにね。手を抜いても駄目よ。それと―――」
「分かってるって。ズルは相手を見てやるもんだぜ」
早速皿を洗い出した魔理沙を尻目に、咲夜は不承不承といった風情で厨房を後にした。だったら任せるなと言いたかったが、猫の手も借りたいのだろう。
十分経って、咲夜は様子を見に戻ってきた。
咲夜は思いのほか真面目に働く魔理沙の背中を見止めて、声を掛けるのを思い止まった。そのまま音も立てずに去っていく。
三十分が経過した。
魔理沙は取り憑かれたように食器を洗いつづけている。
一時間経過。
そろそろ飽きている頃だろうと思ったが、見事に期待が外れる。食器の山が、半分程の大きさになっていた。
そして、あっという間に二時間が過ぎ去った。
そこにあった筈の汚れた食器の山はもう無く、代わりに白く綺麗な食器が棚に整理されて置いてあった。
「どうだ?」
魔理沙は腕を組んで、さも偉そうに訊ねる。
咲夜は食器棚まで歩いていくと、丁度詰まれた皿の真ん中辺りから、一枚抜き取った。
目で見、指で触って洗浄の具合を確かめる。汚れは見当らないし、指には陶器の滑らかな感触しかしない。
「問題は、ないわね」
念のために他の場所からも数枚抜いてみたが、どれも似たような具合だった。
「まさか何事も無く終わるなんてね。・・・・正直驚いてるわ」
咲夜が感嘆の声を漏らすと、
「―――くっく」
魔理沙が人の悪い笑みを浮かべる。
「―――何?」
「いや、頑張ったかいがあった。―――何しろ、こっちはあんたの驚いた顔が見たかっただけだからな」
喉を鳴らす魔理沙に咲夜は呆れ、軽い溜息を吐いた。
「いいのか?本当に見逃して」
「いいのよ。どうせいつものことだし、それに結局持っていくのはあなただもの。責任回避は簡単ね」
「悪党め」
外に出ると、既に日は落ちかけており、差し込む夕日が非常に目に眩しい。
「まあ、雀の涙程には役に立ったかしら」
「せめて、猫の額程度には表現して欲しいぜ」
魔理沙を先頭に、二人は聳え立つ紅魔館の門を潜る。
その姿を見て、門の向こう側にいた緑色の中華風の服を着た女性が声を荒げた。
「あ、あんたは――――!」
「よう」
魔理沙は、まるで友人にするように片手を上げて挨拶する。
「お疲れ様、美鈴」
「―――あ、咲夜さん。お疲れ様です」
何か言い掛けたところを咲夜の挨拶に止められ、美鈴と呼ばれた女性は、どこか恐る恐る頭を垂れた。そして、魔理沙と咲夜を交互に見比べる。
「別にいいって言ったんだがな。どうしても見送りたいらしい」
「本当に帰ったかどうか確認しておかないと、枕も高くできないわ」
「どうせまた来るぜ」
「もう来なくていいわ」
「また来るぜ」
咲夜の顔から能面のように表情が消える。そして、魔理沙に向かって一本のナイフを投げた。
なんてことはない、単純軌道の投げナイフ。
魔理沙は僅かに体をずらしてそれを避け――――死角、真後ろから襲い掛かるもう一本のナイフを立てた箒の柄で受け止めた。
カコン、と小気味よい音が鳴る。
「え――――、あ!」
それから、ようやく事の次第に気付いた美鈴が声を上げた。
「――――ひとつ、質問いいかしら?」
「なんなりと」
「どうしてナイフの軌道が分かったのかしら?」
「今のやつか?」
「全部よ」
魔理沙は器用に口の端を吊り上げて笑った。
「メイドってのは暗殺と相場が決まってるのさ」
「―――成る程、勉強になったわ」
「じゃあな、また来るぜ」
咲夜は何も言わず、踵を返して館へと戻っていった。
引き抜くのも億劫なのか、魔理沙はナイフが刺さったままの箒に大儀そうに跨る。
馴れない作業をした所為で、今日は酷く疲れた。
―――とりあえず、帰って寝るか。
黒い魔女は帽子を深く被り、帰路に着くために夕日の中へと飛び込んでいった。
古今東西の知識の全てが収められた場所だ。
その広さは四方一キロを優に越えており、「図書館」という言葉自体がおよそ似つかわしくない。
では、代わりになんと呼べばよいのかと言われると、首を傾げるところだろう。
取り合えず、館の上を決めなければならないのだろうか。
下らない物思いに耽りながら、霧雨魔理沙は図書館へと通じる扉を後ろ手で閉めた。
小脇に抱えているのは三冊の分厚い本。心成しか少し嬉しそうな表情をしていた。
肩に担いでいた愛用の箒に跨ろうとしたところで、一人の女性が魔理沙の視界に入る。
豊かな銀髪を蓄えた、流麗な顔立ちの美少女だ。
館の使用人服に身を包んだその美少女は、他の使用人達に何やらあれこれと指示を飛ばしているようだった。美少女の指示を受けた使用人達は、打たれるように持ち場へと走り去っていく。どうせ、いつものように声まで優雅なのであろう。
使用人を全て見送って一人になった美少女は、箒とちり取りを持って辺りを掃きだし始めた。その動きには一寸の淀みもなく、まさに完璧と言ってもいい程の仕事振りを見せている。
―――紅魔館のメイド長、十六夜咲夜か。確か、
魔理沙の視線に気付いたのか、美少女―――十六夜咲夜が振り返った。
玉のような銀の瞳と視線が合った瞬間、脊髄が全て氷に変わったような悪寒が走る。
感情の灯らない瞳。
まるで獲物を見つけた昆虫のような無造作な視線。
―――時を操る程度の能力だったか。
魔理沙が自らの供である水晶球に念じるのと、視界から咲夜が消えたのが同時。
次の瞬間、魔理沙の背後で何か硬質の物同士がぶつかり合った音が聞こえた。箒に乗る間も惜しい魔理沙は、前方に飛んで転がる。それでも脇に抱えた本を一冊も手放さないところに、彼女の執念が滲み出ていた。
受身をとって後ろを振り向くと、先程まで掃除をしていた筈の咲夜が、手の平サイズのナイフを構えて悠然と佇んでいた。
追撃に備えて水晶球をもう一つ呼びつけたが、咲夜はそれ以上何かしようとはしなかった。魔理沙は床に手をつきながら見上げ、咲夜は軽く微笑みながら見下ろし、そのままたっぷり5秒は経過する。
「ふーむ」
魔理沙はゆっくりと立ち上がると、服を叩いて埃を落とし、身だしなみを整えて胸を張る。
「何の用だ?」
「そちらこそ、今日は何の御用かしら?不法侵入者の霧雨魔理沙さん」
咲夜の手から、構えていたナイフが跡形もなく消えた。
油断するわけではなかったが、対抗するように魔理沙も水晶球を服の中にしまう。
「別に不法じゃないぜ?勝手口から上がっただけだ」
「やましい事がないなら正門から来なさいな。無下に追い返したりはしないわ」
「よく言うぜ・・・・」
咲夜は魔理沙の抱えたものに視線をやる。
「あら、今日も図書館に来たのね。パチュリー様から貸し出しの許可は出ているのかしら?」
「許可を貰いたかったんだが、何しろあの広さだろ?結局会えず終いさ」
相も変らぬ魔理沙の減らず口に、咲夜は一つ溜息を吐いた。
「生憎と今日は忙しくてね。見逃してもいいのだけど、一つ条件があるわ」
「へぇ?条件」
「これよ」
咲夜は手にしていた箒とちり取りを、魔理沙に押し付ける。
「この館の掃除を御願いしたいのだけど。ああ、そっちの汚い箒は使わないでね。余計汚れるから」
「汚いってのは酷いな」
多少薄汚れているのは認めるが、修繕してまで長年愛用してきた品だ。流石に少し傷ついたが、咲夜は気にした様子もない。
「大体、掃除なんてメイドどもにやらせればいいだろ?」
「―――そのメイドどもを半分以上使い物にならなくしたのは誰かしら?」
魔理沙が、ぽん、と手を打つ。ついこの間、紅魔館を初めて訪れたときに霊夢と二人で大立ち回りをしたのを思い出した。咲夜の射るような視線が突き刺さる。
「ただでさえ広いお屋敷なんだから、それはもう大忙しよ」
「だったらこの館を縮めればいいだろうに・・・・」
魔理沙は天を仰いだ。
今、彼女達が居るのは単なる館の通路だ。だというのに、その天井は恐ろしく高く、顔を上に向けないと天井が視界にすら映らない。通路自体も相当なもので、普通の人間ではその先に何があるのか視認することもできないだろう長さを誇っている。そして、壁にはずらりと等間隔に並ぶドアの数々。その分だけ部屋があると考えると、掃除という言葉を聞いただけで頭が痛くなってくる。
先程の図書館ではないが、いかにも空間を弄りすぎだ。
魔理沙の溢した台詞に、咲夜が分かっていないな、とばかりに失笑を漏らした。
「・・・・何だよ?」
「お嬢様には広い館、と相場が決まっているのよ」
「・・・・なるほどな、勉強になったぜ」
それでもこれはやり過ぎだろう、と思わないでもなかったが。
結局、魔理沙は掃除を手伝うことにした。
―――ここで闘り合って、帰ってから疲労で寝るってのも馬鹿馬鹿しい。
というのが理由だ。
魔理沙としては、今は何よりも借りた本をじっくりと読みたい。
最初は隙を見て逃げ出すつもりだったのだが、「これは預かっておくわ」と、咲夜に本を取り上げられてしまった。流石に抜け目がない。
「それじゃ、とりあえずは此処を綺麗さっぱり掃除して頂戴」
咲夜に通されたのは、楽団が公演を開いていてもおかしくないほど広く、重苦しい威厳に満ちた部屋だった。縦長のテーブルと椅子がいくつも並んでいたお陰で、辛うじて食堂らしいということが分かる。
「任せとけ」
「綺麗さっぱり跡形もなくしたら殺すわよ。当然、掃除する場所はここだけじゃないから、あまり時間を掛けないでね。けど隅々までちゃんとやるのよ」
完全無欠のメイド長は事も無げに言う。
「任せとけ」
対して、やはり魔理沙は根拠の出所の不明な自信をもって答えた。
「それじゃ、任せたわよ」
「任せとけ」
歩き去っていく咲夜を見届けてから、魔理沙は食堂の方へ向き直る。
「さて、始めるか――――」
十分後。
「出来た―――」
感無量、といった声が広い空間に響き渡った。
箒に乗って浮遊しながら最後の一つを積み終えた魔理沙は、床に降り立ち感慨深げに自身の身長の十倍はあろうかというピラミッドを見上げて唸った。
ピラミッドだ。重厚な雰囲気を醸し出していた食堂の隅に、大きなピラミッドが現れていた。
どこからどう見ても見事なピラミッドだったが、あえてオリジナルとの違いを指摘するならば、素材が石ではなく木製の椅子だということぐらいか。
首筋にうすら寒いものを感じ、魔理沙が一足飛びにその場を離れた。少し遅れて、5本の投擲用ナイフが勢いよく飛んでくる。
ナイフは、あわや木製のピラミッドに突き刺さろうかというところで、霞の様に消え去った。備品である椅子を傷付けないように、という細かい気配りが利いている。
そして代わりに現れたのは、美しき般若。
「―――誰が奇怪なオブジェを作れと言ったのかしら?」
「我家ではこれが片付けたことになるんだぜ」
始めは純粋に掃くのに邪魔な椅子を退かしていたのだが、隅に集め、スペースをとらないように積み上げていたら、つい我を忘れてしまって今へと到る。
「あなたの家には是非お邪魔になりたくはないわね」
「私もあんたを我家に招きたくはないな。ところで一つ質問なんだが」
「―――何かしら?」
「いやなに、一体あれだけのナイフを何処に隠しているのかと思ってね」
「企業秘密よ」
咲夜は、唇に人差し指を当てて答えた。仕草は可愛らしかったが、イメージからは実に程遠い。
―――秘密、か。四次元のあれか?
「・・・・まさかな」
魔理沙は頭に浮かんだ考えを払うように、大きくかぶりを振る。
「独り言?可哀相な人みたいよ」
「人は自己撞着を繰り返して成長していくってことさ」
「?、とにかく―――」
咲夜が積み上げられた椅子を見上げた。
「あなたに掃除は無理だと分かったから、ここは他の者に任せて別の仕事をやって貰うわ」
どうやら、仕事を増やされる前に帰す、という選択肢は無いらしい。
次に連れて行かれた先は、厨房だった。やはりそこも今までと同じく、むやみやたらと広い。そして炊事場には、使用された後の食器類がそれこそ山のように積んであった。最近はピラミッドブームなのだろうか。
「これを全部洗ってもらおうかしら」
このシチュエーションならば、当然予想されてしかるべき要求だ。
「・・・・また凄い量だな。一体何処の大食らいだ?」
あんたか?とは言わなかった。機先を制して、咲夜がナイフを取り出したからだ。
「ここの使用人は全て住み込みなのよ」
「成る程」
魔理沙は山から皿を一枚手に取る。皿には、肉料理用の濃い目のソースが付着していた。油が落ち難そうである。別の場所からもう一枚取ってみたが、それにも同じような赤いソースがついていた。
「なあ」
「何?」
「この館には人間は何人くらい居るんだ?」
「私一人よ。それがどうかした?」
「―――いや、別に何でもないぜ。それじゃ取り掛かるとするか」
魔理沙は帽子を脱いで、箒を立て掛け、袖を肘まで捲り上げる。
「私はもう行くけど、サボらないようにね。手を抜いても駄目よ。それと―――」
「分かってるって。ズルは相手を見てやるもんだぜ」
早速皿を洗い出した魔理沙を尻目に、咲夜は不承不承といった風情で厨房を後にした。だったら任せるなと言いたかったが、猫の手も借りたいのだろう。
十分経って、咲夜は様子を見に戻ってきた。
咲夜は思いのほか真面目に働く魔理沙の背中を見止めて、声を掛けるのを思い止まった。そのまま音も立てずに去っていく。
三十分が経過した。
魔理沙は取り憑かれたように食器を洗いつづけている。
一時間経過。
そろそろ飽きている頃だろうと思ったが、見事に期待が外れる。食器の山が、半分程の大きさになっていた。
そして、あっという間に二時間が過ぎ去った。
そこにあった筈の汚れた食器の山はもう無く、代わりに白く綺麗な食器が棚に整理されて置いてあった。
「どうだ?」
魔理沙は腕を組んで、さも偉そうに訊ねる。
咲夜は食器棚まで歩いていくと、丁度詰まれた皿の真ん中辺りから、一枚抜き取った。
目で見、指で触って洗浄の具合を確かめる。汚れは見当らないし、指には陶器の滑らかな感触しかしない。
「問題は、ないわね」
念のために他の場所からも数枚抜いてみたが、どれも似たような具合だった。
「まさか何事も無く終わるなんてね。・・・・正直驚いてるわ」
咲夜が感嘆の声を漏らすと、
「―――くっく」
魔理沙が人の悪い笑みを浮かべる。
「―――何?」
「いや、頑張ったかいがあった。―――何しろ、こっちはあんたの驚いた顔が見たかっただけだからな」
喉を鳴らす魔理沙に咲夜は呆れ、軽い溜息を吐いた。
「いいのか?本当に見逃して」
「いいのよ。どうせいつものことだし、それに結局持っていくのはあなただもの。責任回避は簡単ね」
「悪党め」
外に出ると、既に日は落ちかけており、差し込む夕日が非常に目に眩しい。
「まあ、雀の涙程には役に立ったかしら」
「せめて、猫の額程度には表現して欲しいぜ」
魔理沙を先頭に、二人は聳え立つ紅魔館の門を潜る。
その姿を見て、門の向こう側にいた緑色の中華風の服を着た女性が声を荒げた。
「あ、あんたは――――!」
「よう」
魔理沙は、まるで友人にするように片手を上げて挨拶する。
「お疲れ様、美鈴」
「―――あ、咲夜さん。お疲れ様です」
何か言い掛けたところを咲夜の挨拶に止められ、美鈴と呼ばれた女性は、どこか恐る恐る頭を垂れた。そして、魔理沙と咲夜を交互に見比べる。
「別にいいって言ったんだがな。どうしても見送りたいらしい」
「本当に帰ったかどうか確認しておかないと、枕も高くできないわ」
「どうせまた来るぜ」
「もう来なくていいわ」
「また来るぜ」
咲夜の顔から能面のように表情が消える。そして、魔理沙に向かって一本のナイフを投げた。
なんてことはない、単純軌道の投げナイフ。
魔理沙は僅かに体をずらしてそれを避け――――死角、真後ろから襲い掛かるもう一本のナイフを立てた箒の柄で受け止めた。
カコン、と小気味よい音が鳴る。
「え――――、あ!」
それから、ようやく事の次第に気付いた美鈴が声を上げた。
「――――ひとつ、質問いいかしら?」
「なんなりと」
「どうしてナイフの軌道が分かったのかしら?」
「今のやつか?」
「全部よ」
魔理沙は器用に口の端を吊り上げて笑った。
「メイドってのは暗殺と相場が決まってるのさ」
「―――成る程、勉強になったわ」
「じゃあな、また来るぜ」
咲夜は何も言わず、踵を返して館へと戻っていった。
引き抜くのも億劫なのか、魔理沙はナイフが刺さったままの箒に大儀そうに跨る。
馴れない作業をした所為で、今日は酷く疲れた。
―――とりあえず、帰って寝るか。
黒い魔女は帽子を深く被り、帰路に着くために夕日の中へと飛び込んでいった。
いい雰囲気だと思いますよー
今更気付きましたw
当たらずとも遠からず、って好きなんですよ
いや、ちょっと遠すぎるか・・・?
とくかく、感想有難う御座いました('∀`)
============================================
『第一級メイド検定試験』
試験概要:魔理沙が瀟洒なメイド長である咲夜を満足させ得る仕事を遂行できるか。
試験科目:掃除・皿洗い・(別れ際に咲夜が投げたナイフの回避も?)
試験会場:紅魔館
試験官 :十六夜咲夜
受験者 :霧雨魔理沙
============================================
このような解釈で良いのでしょうか。(全くの推測です。的外れな見解でしたら申し訳ありません。読解力不足です。) どうでも良いことでごちゃごちゃ言ってすみません^^
あと「『変』わりになんと呼べば」は「『代』わりになんと呼べば」、「根拠の出所の不明な自『身』」は「根拠の出所の不明な自『信』」の誤りだと思います。
話の内容は大変面白く、良い雰囲気だったと思います。
えー、ズバリです。
あと、誤字の指摘有難う御座います。一気に変換するんで結構な頻度で見落とすんです。