「咲夜、咲夜」
赤い絨毯を敷き詰めたロビーに、銀鈴のしらべが流れる。少女の声だ。
誰もが瞼を閉じ陶酔するような美しさだった。魅入った者は、脳髄に彼女の声だけを反響させ残りの人生を過ごすだろう。或いは、夜毎、少女が訪れるのを心待ちにし、蒼い夜空へと血走った視線を躍らせるか。気品があり、幼さがあり、妖艶であり──何れにしても、廃人は確定だ。
幸い、誰も居なかった。
紅魔館のロビーは、その果てが霞むほどの広さを誇る。近ごろ護衛用に導入した空間歪曲の賜物だ。招かざる客はどこまで進もうとも先には行き着けず、また引き返せない。仮に、それを上回る神秘で以って果て無き果てに辿り着いたとしよう。だが、その先に待つ扉が、回廊が、螺旋の階段が、果たしてどこへ通じるのか知る者はこの館の住人にも居なかった。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
不意に気配が湧き上がる。背後だ。
少女が振り向くと、誰も居なかったはずのロビーの中央で、黒いマントを着た女がこうべを垂れていた。
レミリアは咲夜の異形に小首をかしげた。普段はメイド服をきちりと着込み、さっそうと職務をこなす侍女長である。時折、何故か胸元とスカートを乱し妙に熱い視線をこちらに向ける事もあるが、今日のそれはまた別格だった。
「イメージチェンジかしら? 様式美ではあるけれど、機能的ではなさそうね」
「いえ、これは、その……妹様に……。」
双方とも決して大きな声ではない。それでも十メートルの距離をおいて会話が成り立つのは、館の魔性のせいか、それとも絶対的な主従関係によるものか。
「フランドール? 外に出したの?」
「ご本人は出たがっておいででしたが、私がお相手することでひとまず納得して頂きました。これは、その成果です」
頭を下げていたのは、礼をしていたのではなかった。単に落ち込んでいたようである。
主が命じた。
「前をはだけなさい」
「お嬢様……いえ、しかし……。」
「私にも見せるのよ、咲夜」
「…………。」
「どうしたの?」
美しく可憐だが、それだけに凄みの──いや、凄みもない、のほほんとした声だ。レミリアにしてみれば多少の好奇心と、このメイド長の困り顔が面白かったのだろう。
今は、ただ困っているわけではない。恥じらいに頬を紅潮させ震えているではないか。
「予め申し上げます。私の本意では決してありません」
目をきゅっと瞑り、黒マントの正面をばっと開いた。見ようによっては、まるで変態露出狂。
今度はレミリアが困惑した。
咲夜のその姿が理解できなかったのだ。
──セーラー服。
しかも、ただのセーラー服ではない。
夏服だった。
「……え~と、よく似合ってるわよ、咲夜」
「そ、そんなお嬢様……あ、いえ、ありがとう御座います」
二人ともリアクションに困った。
それから咲夜が遠慮がちに、
「あの、お嬢様もこういったものは、お好きでしょうか……?」
「わからないわ。経験がないもの。どんな遊びをしたのかしら?」
「それは言えません」
「フランドールは喜んでいて?」
「はい、狂気にも似た喜び様で御座いました」
「いつもと同じじゃない」
「仰せの通りです──少々失礼」
やはり動きにくいのか、咲夜は裾の長い黒マントを脱いだ。といっても脱ぐ姿、動作は見えない。気づいた時にはマントが彼女の右手に畳まれていたのだ。
今は完全なセーラー服姿である。しかも、スカートの裾がかなりきわどい。むちむちの白い太ももが柔らかそうだった。
「それでお嬢様、御用向きは何でしょう」
「そうそう。咲夜、日傘を持ってきて」
「どちらかに、お出かけになられるのですか?」
「博麗神社よ。退屈しのぎに霊夢の顔でもみてくるわ」
「お待ち下さい、お嬢様。いくら何でもお嬢様自ら、あの凶暴な紅白の本拠に出向かわれなくともよろしいでしょうに」
「口を慎みなさい。貴方に心配される事でもないわ」
「ですが……お願いです、お嬢様、どうかお考えを改めて下さい。そのかわり、お嬢様のためでしたらこの咲夜、セーラー服とは言わず、ブルマーだろうとスクール水着だろうと、い、いいえ、デコレーションケーキにだってなる覚悟で御座います!!」
拳を震わせ熱く語るメイド長。
レミリアは思った。
本気でやる気ね、と。
「どうして、そうまでして止めるの? 気の向くままに飛び、季節を謳歌し、月下を散策する。生に興味が失せたら永劫に眠るだけ。それが永遠に紅い幼き月──忘れたとは言わせないわ」
「あの者たちは危険です。いいえ、夜の眷属を束ねる姫君に危機が及ぶことなど、幻想郷の上下が転じても起こるはずが御座いません。ですがレミリアお嬢様。奴らは違うのです。決してお嬢様によろしくない事態を招くでしょう」
「例えば?」
「お嬢様の品位が汚されます」
その沈黙は長かったのか短かったのか。静かなロビーで窓から差し込む煌きが豪奢な色に粒子を変換させ、二人の影を真紅の絨毯へと貼り付けた。
それは陽の光に対する憧れの末か、或いは積年の挑戦の結果であろうか。この館ではレミリアも影をもつらしい。
遠くで中国の「フランドール様ぁ、それだけはご勘弁を~」という悲鳴がこだました。どうやら何かされているようだ。
「それで?」
「は?」
「他には?」
「ですからお嬢様の気品に満ちた──は!? ま、まさかお嬢様はまだお気づきになられていないのですか!?」
咲夜の顔が一瞬で蒼ざめる。
その狼狽に興味を持ったのか、レミリアはぴくりと眉を動かし、
「私が知らないこと? ふふ、何かしら? 咲夜は知っているようだから教えてくれる?」
「知らぬ者などいましょうか──レミリアお嬢様のお美しさを」
「え~と……。」
今度こそレミリアの目が点になった。咲夜は気づかずに、
「それは聡明でとてもお美しい。まさに煌びやかな夜空から零れた一滴の鮮血。何て神々しいのでしょう。レミリアお嬢様のことを思うだけで、咲夜はゲージが急速にフルストック! もうアソコ(魔方陣)からたくさん(ナイフが)あふれ出して(時間が)止まらなくなっちゃうんです……。」
胸の前で手を組んだりなんかしちゃって、どっぷりあっちの世界へ旅立とうとしていた。
……。
……。
「……あのね、咲夜。もう出かけるなんて言わないから戻ってきて。つか戻れ」
レミリアの声は何故か疲れているようだった。
遠くでパチュリーの「妹様ぁ、ゆるして下さいよぉ~」という悲鳴がこだました。どうやら次の犠牲者らしい。
頭上を覆う高い枝が、午後の日差しを曇らせる小道だった。可愛らしい日傘が楽しそうに揺れている。
滑るような足取りは軽く、耳を澄ませば期待に弾む息吹させえ聞こえてきそうだ。しかし、どこか違う。その白く抜けた肌からは一切の生命を感じることもできず、陽光でさえ、ふわふわの髪と衣装を日傘の大きさに関わらず避けて流れていった。
光りが少女の美貌に恥じらい、同時に翼の黒色とその存在に恐怖したかのように。
誰かが銀円のもとに君臨する幼い姫をスカーレットデビルと畏怖した──レミリア・スカーレットである。
博麗神社へ続く森は、ただ深いだけではない。
幻想郷を異郷とせしめる代表的な場所を挙げるとするなら、まず五指に入るだろう。
例えば足元に目を向けると、風のそよぎに身を任せた花がこちらへ振り向く。花弁に浮かぶのは人間の顔──人面草だ。黒い大木の枝から逆さまになって得物を狙うのは、双頭の猿である。茂みの奥に音を立てて消えた影は、胴体が蛇の女の後姿だった。木陰で囀る可愛らしい鳴き声がただの小鳥なものか。死肉を喰らう邪妖精の幻惑であり、それを捕食せんと下半身を剛毛で覆った有翼人が空を旋回する。
森は生きている。生命に溢れてる。ただ異形なだけだ。
だからこそ、少女の死を象徴した純白に恐怖した。
彼女が目の前に差し掛かると、巨大な牙をガチガチと鳴らす眼球だらけの大蜘蛛は沈黙し、毛足の長い胴体が三メートルにも及ぶ『何か』は頭を下げて通り過ぎるのをじっと待つ。
魔を統べる威厳と、死と、暴虐なまでの美しさ──あぁ、赤い月の幼き姫よ。
そんな少女を木陰から見守るセーラー服があった。
咲夜だ。
「お嬢様……あれほどお願い申し上げたのに、わかっては下さらないのですね……。」
悲しそうに瞼を閉じる。が、次に開かれた時には、不気味な感情とも鬼気ともつかぬ光を宿していた。
「仕方がありません。お嬢様がそのおつもりでしたら私にも考えがあります。それこそ──時間を止めてまでも」
ちなみに、そんな彼女を木陰から見ていた二組の影もあった。
「わ、見てレティ! 変態さんだよ!!」
「ダメよチルノ、指をさしたりしちゃ」
「凄い! 私、変態さんなんて始めて見ちゃった!!」
「だからチルノってば──。」
「わ、見てレティ! 今、目が合っちゃった!!」
「見ちゃだめー!!」
「凄い! 私、変態さんに始めてメンチ切られちゃった!!」
博麗神社の歴史は古い──のかどうか、誰にもわからない。
いつから存在するのか。そも幻想郷自体がどれだけの歳月を大地に刻んだのかすら不明慮なのだ。
例えば紅魔館の主はよわい500歳、その妹は495歳と語り継がれるが、それが世界が培った歴史と等価とは成り得ない。既に100歳を越す魔女が治めるヴワル魔法図書館──そこに眠る数億の文献ですら、この世界の成り立ちを説くものは無いという。
ただ古ぼけた鳥居とその先に続く石畳。そして境内が、所々苔むし、ひび割れ、表面の朱色を風化させながらも、しかし、確固たる力強さで佇んでいた。
崩れかけた狛犬たちは、どれだけの過去から移ろいを見つめてきたのか。
紐解く者がいるとすれば、それは歴史を喰らい創生するという半獣の女だけだが、今はまだ出会いの時ではなかった。
「気づいてさえしまわなければ、存在しない世界なのかもね」
「『在る』ことを知らない世界じゃなくて?」
「観測者がどこか別の場所にいるんなら、在り続けることも難しいんじゃない?」
「多少のほつれは在ってもここ五世紀、世界自体は普遍だったわ」
「えぇ、そうでしょうね」
夕暮れの中、それっきり巫女は沈黙した。
あれはいつだったのだろう。世界を染める茜さす木漏れ日の列。そのコントラストと巫女の赤色が、非常に不愉快だった。レミリアは牙を隠すのに苦労したものだ。
最後の石段を登りきり、少女はふと空を見た。まだ青く白い。なら安心だ。
太陽光は苦手。灰になるから。紫外線は乙女の天敵だ。染みになるから。では、夕暮れは。赤色の月は。霧は。黒い翼と乱れる乱杭歯──だから彼女を訪ねるのは昼がいい。
おや、と思った。
境内を見回したが、誰もいない。いつもなら竹箒で申し訳程度の掃除をしてるはずだ。
「魔女の所にでも行ったのかしら──さて、魔女と言っても色々いるわ」
そんな呟きと共に、彼女は母屋へと回った。
途中の社務所は確認しなかった。参拝客が来ないとわかっているからだ。わざわざそんな所にいるはずもない。
「霊夢ぅ、霊夢ぅ? いないのぉ? いないのなら、せめて返事をしなさい」
おどけた調子で呼んでみる。
声は大きくないが、母屋の中まで届いたようだ。すぐに返事が返ってきた。
「はいはい~、ただいま~」
ガラガラと、これも古ぼけた縁側のガラス戸が開き、巫女さんが現れた。
「お待たせしましたお嬢さ──いえ、ようこそレミリア!」
咲夜だった。
さすがにレミリアも目をぱちくりさせる。数瞬の沈黙。が、くすりと笑って、
「良かったわ。行き違いになったかと思った。午後の掃除はおしまい?」
「え、えぇ、そんなところよ。今日は何の御用かしら?」
「そうね……ふふ、霊夢に会いに来た、と言えば少しは喜んでくれるかしら?」
(ぶち)
「ぶち? ……霊夢?」
「あ、いえ、なんでもないわ、おほほほ……。(ちっ、紅白め! お嬢様にこんな切ないセリフを言わせるなんて!!)」
「ふふふ、今日の霊夢はちょっと変かも」
「今日だけとはいわず、いつも変です!!」
「そうなの?」
「あ、え~と……そう普段はもっと変だから気をつけなさい!!」
「自己を客観的に評価することは良い心がけよ」
「そ、そんなことより、さぁ上がって上がって」
居間へレミリアを招待する。
えぇ、お邪魔するわ、と彼女が目の前を通った時に気が付いた。
──招待してどうする!!
咲夜の作戦はこうだ。
自分が紅白と入れ替わり、お嬢様にお引取り頂く。その際、霊夢の信用失墜ないしは軽蔑が得られればモア・ベターだ。……冒頭から挫いてどうする。
い、いいえ、くじけちゃダメよ咲夜。お嬢様の名誉と輝かしい未来のため、ファイトよ!! まずは早々にお嬢様に帰って頂いて、その後ゆっくりと紅白を調理して──。
「ところで、今日は何をして遊ぼうかしら?」
そ、そんな、お嬢様とのお遊び!?
~~~咲夜脳内
「ふふふ、咲夜~、捕まえて御覧なさい~」
「お待ちになって~、お嬢様ぁ~。ほぉら捕まえてしまいますわよ~」
「あはは、やだぁ、咲夜ったらくすぐったぁい」
「まぁ、お嬢様ったら、こんなところまですっかり成長なさって」
~~~
「霊夢、涎がたれてるわよ」
「今夜は帰りたくないの、とか言いますか?」
飛躍していた。恐るべき咲夜脳内。
「貴方は帰したくないの?」
「え?」
一瞬戸惑った。あぁ、お嬢様。そのセリフは咲夜である時に聞きとう御座いました。あ、いや待て、このまま紅白に成りすませば、今夜はお嬢様と二人っきり……!?
それって、それって……つまり、
~~~咲夜脳内
「あのね、実は今月……その、まだなの」
~~~
飛躍する方向、間違ってるしー!? でも、そんな未来もばっち来いー!!
──おてんばメイド長。
そんな単語が筆者の脳裏に浮かんだ。その時である。
(バタン!!)
「ちょっと咲夜!! 突然なにするのよ!!」
一撃よく押入れの襖が内側から爆ぜた!!
ほこりの舞う中、暗がりから現れたのは、もう一人の巫女服姿──博麗霊夢ではないか!?
レミリアは愕然となって呟いた。
「…………霊夢が二人も!?」
「って、どう考えたって偽者はあっちだろー!! あ、こら、そこ逃げるな!! さっきはよくも時間を止めてくれたわね!!」
「な、なんのことかしら? 私は博麗霊夢。永遠の巫女です。何ていうかこのナイスバディから七色のお札とか出るんでしょうが?」
「んなもん出るかー!!」
「霊夢凄い!! 出して出して~」
「だから出ないっちゅーの!!」
「ふん、所詮貴方は偽者ってことね」
「あんただって出せないでしょに!! あーっ、それ私のスペアじゃない!? 勝手に着るなー!!」
「……どうりで胸のところがきつかったわ(ぼそり)」
「あんですってぇ!?」
そんな中、やっぱりレミリアはただ愕然と呟いた。
「困ったわ……これではどちらが本物かわからないわね」
「どうやったらそんな困り方ができるのよ!!」
「でも、両方とも巫女衣装よ?」
「あんた私を何だと思ってるんだ!?」
「だーいじょうぶ!! むぁーかせて!!」
(バタン!!)
今度は、冷蔵庫の扉が内側から勢いよく開いた!!
そこから大儀そうに体を抜き出した白黒のコントラスは、エプロンドレス姿の魔女──霧雨 魔理沙ではないか!?
「この審議、一時私が引き受けましてよ」
「って、あんたも何でそんなところから出てくるのよ!?」
「いや、この近くを通ったら小腹が空いてな。一も二も無く立ち寄らせてもらったぜ」
「あーっ!! 私の晩御飯の下ごしらえが!?」
「少し塩が効きすぎだと思うが。血圧に悪いぞ」
「うるさい!! どうせあんたら魔女なんか血管の中に塩とエーテルが流れてるくせに!! って、それよりも私の晩御飯、返せー!!」
「まぁ、待て。今は本物の霊夢を見分ける方が先決だ」
「だから私が本物だろ!! っていうか、その前提で話してるじゃない!!」
「それはあくまで私、霧雨魔理沙一個人の私見だ。現にそちらのお嬢様は判別できないでいるではないかね?」
「どっちが霊夢なの~?」
「いい加減見分けろ!! つーか迷惑だ、とっとと帰れ!!」
「という訳で、ここで一つの定義を提唱するぜ」
全員の視線を浴びる中、魔女は不適な笑みを浮かべた。
綺麗なブロンドの少女だった。猫のような瞳は、いたずらっ子の笑顔が似合いそうなのだが、その容姿からは底が知れない。幻想郷の奥深く。幽玄と霧の漂う森、『魔法の森』に構える霧雨邸の若き主。
人は彼女をこう呼んだ。
霧雨 魔理沙──普通の魔法使い、と。
「本物の霊夢の見分け方。ずばり弾幕」
「ずばりその結論はどうよ?」
どっかの誰かの口調に似てるなと思いつつ、霊夢は顔をしかめた。
「もっとほら、こう、あるじゃない?」
「何がさ?」
「んー、ほら、掃除が得意とか」
「奴の方が得意そうだぜ」
「あー、なら料理!」
「一歩及ばずってところか」
「え、えーと、それじゃぁ……女の子らしさ、とかダメ」
何故か懇願するような上目使い。
何故か魔女の頬がほんのり桜色。
その顔を隠すように彼女は魔女の帽子を目深にかぶり直し、
「残念、それも負けてるな──ならお前が本物だ。おめでとう」
「めでたくない!!」
「ということで、該当者片方からの再審を求められたため判決は各々の半ケツで決めるぜ」
「弾幕!! 弾幕でいいから!! だいたい何で私のお尻で本物が決まっちゃうわけ!?」
「あら? 私はお嬢さ……いえ、レミリアにだったら見られてもいいわよ?」
「その時点であんたが偽者でしょうが!!」
「まぁその辺は置いといて、これより最終審査に入るぜ。ルールは簡単だ。飛来する弾幕、全弾よけ切ったら勝ち。この時、かすりで点が稼げる事は言うまでもないよな」
「ふん、みてなさい、すぐに化けの皮を剥がしてやるんだから」
「よーし、それじゃ本人のやる気が萎えないうちに始めるぜ。──弾幕プレゼンテーター、レミリア!! カモン!!」
「て、あんたが撃つんじゃないんか!?」
「うふふ、何だか楽しそうね♪」
「楽しむなー!! つか家の中で撃たないでよ!!」
そんなやり取りを他所に、咲夜の胸中にある特殊な感情のさざなみが渦となって巻き起こっていた。
お嬢様の弾幕!! あぁ、なんてこと……こんな時に、よりにもよってお嬢様の弾幕を浴びれるチャンスに巡り合えるだなんて……!!
「それじゃ、行くわよ──」
「って、当たり前のように呪文を唱えるなー!!」
でもでも、ここで弾幕を受けてしまっては偽者だということがばれてしまう……。ここまで紅白を追い詰めておきながら、計画が全て台無しだわ……。それどころか、お嬢様の私への信頼を失いかねない諸刃の剣、素人にはお勧めできない。
「ふふふ、二人とも、ちゃんと避けるのよ」
「げげーっ、そのスペルカードは──!!」
「おっと、こいつは私もまずいぜ」
もし、私の正体が私だとバレたら、きっとお嬢様は私を軽蔑してしまう……あぁ、お嬢様の軽蔑の眼差しをひ・と・り・じ・め。……い、いけないわ、咲夜。それでは、もう二度とお嬢様のご入浴時にお背中をお流したり、お休みの時にお嬢様の棺に添い寝して差し上げることができなくなってしまう……!!
ここは最後まで紅白として成りすますのが手よ。うまく立ち回れば、事故に見せかけて奴を永遠の人にすることも……。
「に、逃げるわよ、魔理沙!!」
「待て、まだあいつ気づいてないぞ!? おい、咲夜!! 退艦命令だ!! おまえは艦と命を共にする気か!!」
「あんた今、何て言った、コラ!!」
「空耳だぜ」
さぁ見ていて下さいお嬢様。この咲夜、紅魔館メイド長その腕章に誓って、お嬢様の華麗なる弾幕を避け切ってご覧にいれま──。
「神術『吸血鬼幻想』」
光の源が一点に収束されたと思うと、朱色の帯が一気に複数の線となり四方へ伸びた。赤光が咲夜の顔を照らした時、彼女は瞼を閉じていた。
帯に沿って幾重にも血色の球体が浮かび、さらに暗黒色の死の玉が次々と弾けると、咲夜は右手を自分の咽もとへ持って行き、そして──。
「クロス・アウっ!!」
バッバッバッ、と巫女服を脱ぎ捨てた。中から現れたのはセーラー服姿のメイド長。まだ着てたんかい。
「えぇ、良いでしょう。事ここに到り、もはや逃げも隠れも致しません!! さぁ、お嬢様!! 思う存分弾幕を!! 咲夜に弾幕と愛の嵐を!!」
どうやら誘惑に負けたらしい。
巫女と魔女。二人が母屋から飛び出した時、眩い光と共に、女のこんな叫び声が聞こえたという。
「ラブリィーーー!!」
……。
……。
「浄化したかしら?」
「いや、どうだろうな」
「このたびは、とんだご迷惑をおかけしました」
「霊夢~、またね~」
「いいからもう二度と来るな」
空が薄い蒼色に染まりつつある頃、レミリアに付き従うように咲夜は帰っていった。
折り畳まれた日傘を胸元でぎゅっと握り締める彼女は、何故か恍惚とした表情を浮かべていたという。
ちなみに、何故セーラー服なのかは誰も問わなかった。咲夜だから仕方が無い、で納得してしまったのだ。
そんな主従を、霊夢と魔理沙は、ただ呆然と見送るしかなかったのである。
「ねぇ、聞いた?」
「ああ」
「……全弾、受けきったらしいわね」
「ああ」
……。
……。
「ねぇ、魔理沙?」
「ああ」
「残機に制限がなかったとして、あ、それと精神力も無尽蔵だったとして、貴方──できる?」
「さて──。」
魔女は意味も無く東の空を仰いだ。
もうすぐ夜だ。目を凝らせば両腕を十字に広げた妖怪が飛んでいるのが見えたかもしれない。
「物理的に体力勝負じゃどうにもならんだろうね。神術『吸血鬼幻想』は弾の生成源が複数箇所に同時に発生する。それら全てのベクトルが全方位とくれば、もはや魔術では解明できない尋常ならざる力が働いたとしか思えないぜ」
「だよね」
十六夜 咲夜。時を操るメイド長であった。
「結局、何だったのかしら……。」
「そういや、おまえさんの家、よく無事でいられたな?」
「博麗神社を舐めないでほしいわね。四方八方と幾重にも張り巡らされた結界、如何に闇と魔が付き従うカリスマでも──いいえ、だからこそ、その魔力への耐性は強大になるわ。例えブラド王の末裔、神祖の魔性といえど相殺し得る結界よ」
「怖いねぇ」
「ところでさ」
「うん?」
「私の晩御飯、返せ!!」
「わ、待て、ちょっとその荒縄、どこから出したんだよ!?」
「女の子の内緒」
「私だって女やりはじめて久しいが、そんな内緒は持ち合わせてないぞ!? って、だからおもむろに人を縛ろうとするな!!」
「ふふふ……いいのよ、晩御飯のことは目を瞑ってあげるから」
「寛大で助かるぜ」
「そのかわり、今夜はあんたが晩御飯♪」
「おまえはこれまで食べた霧雨 魔理沙の数を覚えているのか!?」
「今日で一人目よ」
どこか変な目の輝き方をする霊夢の顔が迫った時、魔女はその懐でスペルカードを握り締めた。何故か脳裏に、薄暗い部屋で読書に没頭する少女の影が過ぎる。
──すまない、パチュリー。本、返せそうにないわ。
おしまい
あとがき
ちなみに紅魔館。
「ただいま、パチュリー」
「お帰りなさい、お嬢様……にメイド長? (小声で)ね、ねぇレミリア、メイド長、なんか呆けた顔してるけどどうしたの? あ、今笑った……。」
「何だか幸せそうだから放っておいてあげましょう。留守中、変わりはなかったかしら?」
「私のこの姿をみて、よくもぬけぬけとそんなセリフが言えるわね」
桃色のナース服だった。
そんなパチュリーを上から下へと見回し、
「よく似合ってるわ」
「はぁ……お嬢様も今度やってみなさいよ」
「鑑賞する喜びだけで充分よ」
「……その喜びを私にもちょうだい」
「ところで正門の警備が手薄だったわ。美鈴はどうしたの?」
「あちらでベソかいてるわ」
とロビー奥の柱を指す。
「そう」と言って、レミリアは右手を胸元の位置へ挙げた。愛くるしい人差し指を小さく回した瞬間、その場の誰もが奇妙な浮遊感を感じた。紅いロビーがぐるんと回転したのだ。一秒後には、パチュリーの指した柱が目の前にあった。
「美鈴、出てきなさい」
「ぐす、ぐす……。」
「私にもう一度言わせる気?」
「わっ!? お嬢様!? も、申し訳ありません!!」
柱の影から飛び出した中国は、新婚さんの夢──裸エプロンであった。
よくラーメンのどんぶりに描かれる幾何学模様の刺繍が、あえていうなら中国だった。その模様を内側から水蜜桃のような膨らみが押し上げている。それでいて何故かいつもの帽子をかぶっていた。
よっぽど面白いことをされたのだろう。泣きはらした目が痛々しい。
「あぅ……あぅ……。」
「……。」
レミリアは言葉に詰まったのも束の間、
「ふふ、フランドールったら。やんちゃ盛りなんだから」
そういう問題か?
赤い絨毯を敷き詰めたロビーに、銀鈴のしらべが流れる。少女の声だ。
誰もが瞼を閉じ陶酔するような美しさだった。魅入った者は、脳髄に彼女の声だけを反響させ残りの人生を過ごすだろう。或いは、夜毎、少女が訪れるのを心待ちにし、蒼い夜空へと血走った視線を躍らせるか。気品があり、幼さがあり、妖艶であり──何れにしても、廃人は確定だ。
幸い、誰も居なかった。
紅魔館のロビーは、その果てが霞むほどの広さを誇る。近ごろ護衛用に導入した空間歪曲の賜物だ。招かざる客はどこまで進もうとも先には行き着けず、また引き返せない。仮に、それを上回る神秘で以って果て無き果てに辿り着いたとしよう。だが、その先に待つ扉が、回廊が、螺旋の階段が、果たしてどこへ通じるのか知る者はこの館の住人にも居なかった。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
不意に気配が湧き上がる。背後だ。
少女が振り向くと、誰も居なかったはずのロビーの中央で、黒いマントを着た女がこうべを垂れていた。
レミリアは咲夜の異形に小首をかしげた。普段はメイド服をきちりと着込み、さっそうと職務をこなす侍女長である。時折、何故か胸元とスカートを乱し妙に熱い視線をこちらに向ける事もあるが、今日のそれはまた別格だった。
「イメージチェンジかしら? 様式美ではあるけれど、機能的ではなさそうね」
「いえ、これは、その……妹様に……。」
双方とも決して大きな声ではない。それでも十メートルの距離をおいて会話が成り立つのは、館の魔性のせいか、それとも絶対的な主従関係によるものか。
「フランドール? 外に出したの?」
「ご本人は出たがっておいででしたが、私がお相手することでひとまず納得して頂きました。これは、その成果です」
頭を下げていたのは、礼をしていたのではなかった。単に落ち込んでいたようである。
主が命じた。
「前をはだけなさい」
「お嬢様……いえ、しかし……。」
「私にも見せるのよ、咲夜」
「…………。」
「どうしたの?」
美しく可憐だが、それだけに凄みの──いや、凄みもない、のほほんとした声だ。レミリアにしてみれば多少の好奇心と、このメイド長の困り顔が面白かったのだろう。
今は、ただ困っているわけではない。恥じらいに頬を紅潮させ震えているではないか。
「予め申し上げます。私の本意では決してありません」
目をきゅっと瞑り、黒マントの正面をばっと開いた。見ようによっては、まるで変態露出狂。
今度はレミリアが困惑した。
咲夜のその姿が理解できなかったのだ。
──セーラー服。
しかも、ただのセーラー服ではない。
夏服だった。
「……え~と、よく似合ってるわよ、咲夜」
「そ、そんなお嬢様……あ、いえ、ありがとう御座います」
二人ともリアクションに困った。
それから咲夜が遠慮がちに、
「あの、お嬢様もこういったものは、お好きでしょうか……?」
「わからないわ。経験がないもの。どんな遊びをしたのかしら?」
「それは言えません」
「フランドールは喜んでいて?」
「はい、狂気にも似た喜び様で御座いました」
「いつもと同じじゃない」
「仰せの通りです──少々失礼」
やはり動きにくいのか、咲夜は裾の長い黒マントを脱いだ。といっても脱ぐ姿、動作は見えない。気づいた時にはマントが彼女の右手に畳まれていたのだ。
今は完全なセーラー服姿である。しかも、スカートの裾がかなりきわどい。むちむちの白い太ももが柔らかそうだった。
「それでお嬢様、御用向きは何でしょう」
「そうそう。咲夜、日傘を持ってきて」
「どちらかに、お出かけになられるのですか?」
「博麗神社よ。退屈しのぎに霊夢の顔でもみてくるわ」
「お待ち下さい、お嬢様。いくら何でもお嬢様自ら、あの凶暴な紅白の本拠に出向かわれなくともよろしいでしょうに」
「口を慎みなさい。貴方に心配される事でもないわ」
「ですが……お願いです、お嬢様、どうかお考えを改めて下さい。そのかわり、お嬢様のためでしたらこの咲夜、セーラー服とは言わず、ブルマーだろうとスクール水着だろうと、い、いいえ、デコレーションケーキにだってなる覚悟で御座います!!」
拳を震わせ熱く語るメイド長。
レミリアは思った。
本気でやる気ね、と。
「どうして、そうまでして止めるの? 気の向くままに飛び、季節を謳歌し、月下を散策する。生に興味が失せたら永劫に眠るだけ。それが永遠に紅い幼き月──忘れたとは言わせないわ」
「あの者たちは危険です。いいえ、夜の眷属を束ねる姫君に危機が及ぶことなど、幻想郷の上下が転じても起こるはずが御座いません。ですがレミリアお嬢様。奴らは違うのです。決してお嬢様によろしくない事態を招くでしょう」
「例えば?」
「お嬢様の品位が汚されます」
その沈黙は長かったのか短かったのか。静かなロビーで窓から差し込む煌きが豪奢な色に粒子を変換させ、二人の影を真紅の絨毯へと貼り付けた。
それは陽の光に対する憧れの末か、或いは積年の挑戦の結果であろうか。この館ではレミリアも影をもつらしい。
遠くで中国の「フランドール様ぁ、それだけはご勘弁を~」という悲鳴がこだました。どうやら何かされているようだ。
「それで?」
「は?」
「他には?」
「ですからお嬢様の気品に満ちた──は!? ま、まさかお嬢様はまだお気づきになられていないのですか!?」
咲夜の顔が一瞬で蒼ざめる。
その狼狽に興味を持ったのか、レミリアはぴくりと眉を動かし、
「私が知らないこと? ふふ、何かしら? 咲夜は知っているようだから教えてくれる?」
「知らぬ者などいましょうか──レミリアお嬢様のお美しさを」
「え~と……。」
今度こそレミリアの目が点になった。咲夜は気づかずに、
「それは聡明でとてもお美しい。まさに煌びやかな夜空から零れた一滴の鮮血。何て神々しいのでしょう。レミリアお嬢様のことを思うだけで、咲夜はゲージが急速にフルストック! もうアソコ(魔方陣)からたくさん(ナイフが)あふれ出して(時間が)止まらなくなっちゃうんです……。」
胸の前で手を組んだりなんかしちゃって、どっぷりあっちの世界へ旅立とうとしていた。
……。
……。
「……あのね、咲夜。もう出かけるなんて言わないから戻ってきて。つか戻れ」
レミリアの声は何故か疲れているようだった。
遠くでパチュリーの「妹様ぁ、ゆるして下さいよぉ~」という悲鳴がこだました。どうやら次の犠牲者らしい。
頭上を覆う高い枝が、午後の日差しを曇らせる小道だった。可愛らしい日傘が楽しそうに揺れている。
滑るような足取りは軽く、耳を澄ませば期待に弾む息吹させえ聞こえてきそうだ。しかし、どこか違う。その白く抜けた肌からは一切の生命を感じることもできず、陽光でさえ、ふわふわの髪と衣装を日傘の大きさに関わらず避けて流れていった。
光りが少女の美貌に恥じらい、同時に翼の黒色とその存在に恐怖したかのように。
誰かが銀円のもとに君臨する幼い姫をスカーレットデビルと畏怖した──レミリア・スカーレットである。
博麗神社へ続く森は、ただ深いだけではない。
幻想郷を異郷とせしめる代表的な場所を挙げるとするなら、まず五指に入るだろう。
例えば足元に目を向けると、風のそよぎに身を任せた花がこちらへ振り向く。花弁に浮かぶのは人間の顔──人面草だ。黒い大木の枝から逆さまになって得物を狙うのは、双頭の猿である。茂みの奥に音を立てて消えた影は、胴体が蛇の女の後姿だった。木陰で囀る可愛らしい鳴き声がただの小鳥なものか。死肉を喰らう邪妖精の幻惑であり、それを捕食せんと下半身を剛毛で覆った有翼人が空を旋回する。
森は生きている。生命に溢れてる。ただ異形なだけだ。
だからこそ、少女の死を象徴した純白に恐怖した。
彼女が目の前に差し掛かると、巨大な牙をガチガチと鳴らす眼球だらけの大蜘蛛は沈黙し、毛足の長い胴体が三メートルにも及ぶ『何か』は頭を下げて通り過ぎるのをじっと待つ。
魔を統べる威厳と、死と、暴虐なまでの美しさ──あぁ、赤い月の幼き姫よ。
そんな少女を木陰から見守るセーラー服があった。
咲夜だ。
「お嬢様……あれほどお願い申し上げたのに、わかっては下さらないのですね……。」
悲しそうに瞼を閉じる。が、次に開かれた時には、不気味な感情とも鬼気ともつかぬ光を宿していた。
「仕方がありません。お嬢様がそのおつもりでしたら私にも考えがあります。それこそ──時間を止めてまでも」
ちなみに、そんな彼女を木陰から見ていた二組の影もあった。
「わ、見てレティ! 変態さんだよ!!」
「ダメよチルノ、指をさしたりしちゃ」
「凄い! 私、変態さんなんて始めて見ちゃった!!」
「だからチルノってば──。」
「わ、見てレティ! 今、目が合っちゃった!!」
「見ちゃだめー!!」
「凄い! 私、変態さんに始めてメンチ切られちゃった!!」
博麗神社の歴史は古い──のかどうか、誰にもわからない。
いつから存在するのか。そも幻想郷自体がどれだけの歳月を大地に刻んだのかすら不明慮なのだ。
例えば紅魔館の主はよわい500歳、その妹は495歳と語り継がれるが、それが世界が培った歴史と等価とは成り得ない。既に100歳を越す魔女が治めるヴワル魔法図書館──そこに眠る数億の文献ですら、この世界の成り立ちを説くものは無いという。
ただ古ぼけた鳥居とその先に続く石畳。そして境内が、所々苔むし、ひび割れ、表面の朱色を風化させながらも、しかし、確固たる力強さで佇んでいた。
崩れかけた狛犬たちは、どれだけの過去から移ろいを見つめてきたのか。
紐解く者がいるとすれば、それは歴史を喰らい創生するという半獣の女だけだが、今はまだ出会いの時ではなかった。
「気づいてさえしまわなければ、存在しない世界なのかもね」
「『在る』ことを知らない世界じゃなくて?」
「観測者がどこか別の場所にいるんなら、在り続けることも難しいんじゃない?」
「多少のほつれは在ってもここ五世紀、世界自体は普遍だったわ」
「えぇ、そうでしょうね」
夕暮れの中、それっきり巫女は沈黙した。
あれはいつだったのだろう。世界を染める茜さす木漏れ日の列。そのコントラストと巫女の赤色が、非常に不愉快だった。レミリアは牙を隠すのに苦労したものだ。
最後の石段を登りきり、少女はふと空を見た。まだ青く白い。なら安心だ。
太陽光は苦手。灰になるから。紫外線は乙女の天敵だ。染みになるから。では、夕暮れは。赤色の月は。霧は。黒い翼と乱れる乱杭歯──だから彼女を訪ねるのは昼がいい。
おや、と思った。
境内を見回したが、誰もいない。いつもなら竹箒で申し訳程度の掃除をしてるはずだ。
「魔女の所にでも行ったのかしら──さて、魔女と言っても色々いるわ」
そんな呟きと共に、彼女は母屋へと回った。
途中の社務所は確認しなかった。参拝客が来ないとわかっているからだ。わざわざそんな所にいるはずもない。
「霊夢ぅ、霊夢ぅ? いないのぉ? いないのなら、せめて返事をしなさい」
おどけた調子で呼んでみる。
声は大きくないが、母屋の中まで届いたようだ。すぐに返事が返ってきた。
「はいはい~、ただいま~」
ガラガラと、これも古ぼけた縁側のガラス戸が開き、巫女さんが現れた。
「お待たせしましたお嬢さ──いえ、ようこそレミリア!」
咲夜だった。
さすがにレミリアも目をぱちくりさせる。数瞬の沈黙。が、くすりと笑って、
「良かったわ。行き違いになったかと思った。午後の掃除はおしまい?」
「え、えぇ、そんなところよ。今日は何の御用かしら?」
「そうね……ふふ、霊夢に会いに来た、と言えば少しは喜んでくれるかしら?」
(ぶち)
「ぶち? ……霊夢?」
「あ、いえ、なんでもないわ、おほほほ……。(ちっ、紅白め! お嬢様にこんな切ないセリフを言わせるなんて!!)」
「ふふふ、今日の霊夢はちょっと変かも」
「今日だけとはいわず、いつも変です!!」
「そうなの?」
「あ、え~と……そう普段はもっと変だから気をつけなさい!!」
「自己を客観的に評価することは良い心がけよ」
「そ、そんなことより、さぁ上がって上がって」
居間へレミリアを招待する。
えぇ、お邪魔するわ、と彼女が目の前を通った時に気が付いた。
──招待してどうする!!
咲夜の作戦はこうだ。
自分が紅白と入れ替わり、お嬢様にお引取り頂く。その際、霊夢の信用失墜ないしは軽蔑が得られればモア・ベターだ。……冒頭から挫いてどうする。
い、いいえ、くじけちゃダメよ咲夜。お嬢様の名誉と輝かしい未来のため、ファイトよ!! まずは早々にお嬢様に帰って頂いて、その後ゆっくりと紅白を調理して──。
「ところで、今日は何をして遊ぼうかしら?」
そ、そんな、お嬢様とのお遊び!?
~~~咲夜脳内
「ふふふ、咲夜~、捕まえて御覧なさい~」
「お待ちになって~、お嬢様ぁ~。ほぉら捕まえてしまいますわよ~」
「あはは、やだぁ、咲夜ったらくすぐったぁい」
「まぁ、お嬢様ったら、こんなところまですっかり成長なさって」
~~~
「霊夢、涎がたれてるわよ」
「今夜は帰りたくないの、とか言いますか?」
飛躍していた。恐るべき咲夜脳内。
「貴方は帰したくないの?」
「え?」
一瞬戸惑った。あぁ、お嬢様。そのセリフは咲夜である時に聞きとう御座いました。あ、いや待て、このまま紅白に成りすませば、今夜はお嬢様と二人っきり……!?
それって、それって……つまり、
~~~咲夜脳内
「あのね、実は今月……その、まだなの」
~~~
飛躍する方向、間違ってるしー!? でも、そんな未来もばっち来いー!!
──おてんばメイド長。
そんな単語が筆者の脳裏に浮かんだ。その時である。
(バタン!!)
「ちょっと咲夜!! 突然なにするのよ!!」
一撃よく押入れの襖が内側から爆ぜた!!
ほこりの舞う中、暗がりから現れたのは、もう一人の巫女服姿──博麗霊夢ではないか!?
レミリアは愕然となって呟いた。
「…………霊夢が二人も!?」
「って、どう考えたって偽者はあっちだろー!! あ、こら、そこ逃げるな!! さっきはよくも時間を止めてくれたわね!!」
「な、なんのことかしら? 私は博麗霊夢。永遠の巫女です。何ていうかこのナイスバディから七色のお札とか出るんでしょうが?」
「んなもん出るかー!!」
「霊夢凄い!! 出して出して~」
「だから出ないっちゅーの!!」
「ふん、所詮貴方は偽者ってことね」
「あんただって出せないでしょに!! あーっ、それ私のスペアじゃない!? 勝手に着るなー!!」
「……どうりで胸のところがきつかったわ(ぼそり)」
「あんですってぇ!?」
そんな中、やっぱりレミリアはただ愕然と呟いた。
「困ったわ……これではどちらが本物かわからないわね」
「どうやったらそんな困り方ができるのよ!!」
「でも、両方とも巫女衣装よ?」
「あんた私を何だと思ってるんだ!?」
「だーいじょうぶ!! むぁーかせて!!」
(バタン!!)
今度は、冷蔵庫の扉が内側から勢いよく開いた!!
そこから大儀そうに体を抜き出した白黒のコントラスは、エプロンドレス姿の魔女──霧雨 魔理沙ではないか!?
「この審議、一時私が引き受けましてよ」
「って、あんたも何でそんなところから出てくるのよ!?」
「いや、この近くを通ったら小腹が空いてな。一も二も無く立ち寄らせてもらったぜ」
「あーっ!! 私の晩御飯の下ごしらえが!?」
「少し塩が効きすぎだと思うが。血圧に悪いぞ」
「うるさい!! どうせあんたら魔女なんか血管の中に塩とエーテルが流れてるくせに!! って、それよりも私の晩御飯、返せー!!」
「まぁ、待て。今は本物の霊夢を見分ける方が先決だ」
「だから私が本物だろ!! っていうか、その前提で話してるじゃない!!」
「それはあくまで私、霧雨魔理沙一個人の私見だ。現にそちらのお嬢様は判別できないでいるではないかね?」
「どっちが霊夢なの~?」
「いい加減見分けろ!! つーか迷惑だ、とっとと帰れ!!」
「という訳で、ここで一つの定義を提唱するぜ」
全員の視線を浴びる中、魔女は不適な笑みを浮かべた。
綺麗なブロンドの少女だった。猫のような瞳は、いたずらっ子の笑顔が似合いそうなのだが、その容姿からは底が知れない。幻想郷の奥深く。幽玄と霧の漂う森、『魔法の森』に構える霧雨邸の若き主。
人は彼女をこう呼んだ。
霧雨 魔理沙──普通の魔法使い、と。
「本物の霊夢の見分け方。ずばり弾幕」
「ずばりその結論はどうよ?」
どっかの誰かの口調に似てるなと思いつつ、霊夢は顔をしかめた。
「もっとほら、こう、あるじゃない?」
「何がさ?」
「んー、ほら、掃除が得意とか」
「奴の方が得意そうだぜ」
「あー、なら料理!」
「一歩及ばずってところか」
「え、えーと、それじゃぁ……女の子らしさ、とかダメ」
何故か懇願するような上目使い。
何故か魔女の頬がほんのり桜色。
その顔を隠すように彼女は魔女の帽子を目深にかぶり直し、
「残念、それも負けてるな──ならお前が本物だ。おめでとう」
「めでたくない!!」
「ということで、該当者片方からの再審を求められたため判決は各々の半ケツで決めるぜ」
「弾幕!! 弾幕でいいから!! だいたい何で私のお尻で本物が決まっちゃうわけ!?」
「あら? 私はお嬢さ……いえ、レミリアにだったら見られてもいいわよ?」
「その時点であんたが偽者でしょうが!!」
「まぁその辺は置いといて、これより最終審査に入るぜ。ルールは簡単だ。飛来する弾幕、全弾よけ切ったら勝ち。この時、かすりで点が稼げる事は言うまでもないよな」
「ふん、みてなさい、すぐに化けの皮を剥がしてやるんだから」
「よーし、それじゃ本人のやる気が萎えないうちに始めるぜ。──弾幕プレゼンテーター、レミリア!! カモン!!」
「て、あんたが撃つんじゃないんか!?」
「うふふ、何だか楽しそうね♪」
「楽しむなー!! つか家の中で撃たないでよ!!」
そんなやり取りを他所に、咲夜の胸中にある特殊な感情のさざなみが渦となって巻き起こっていた。
お嬢様の弾幕!! あぁ、なんてこと……こんな時に、よりにもよってお嬢様の弾幕を浴びれるチャンスに巡り合えるだなんて……!!
「それじゃ、行くわよ──」
「って、当たり前のように呪文を唱えるなー!!」
でもでも、ここで弾幕を受けてしまっては偽者だということがばれてしまう……。ここまで紅白を追い詰めておきながら、計画が全て台無しだわ……。それどころか、お嬢様の私への信頼を失いかねない諸刃の剣、素人にはお勧めできない。
「ふふふ、二人とも、ちゃんと避けるのよ」
「げげーっ、そのスペルカードは──!!」
「おっと、こいつは私もまずいぜ」
もし、私の正体が私だとバレたら、きっとお嬢様は私を軽蔑してしまう……あぁ、お嬢様の軽蔑の眼差しをひ・と・り・じ・め。……い、いけないわ、咲夜。それでは、もう二度とお嬢様のご入浴時にお背中をお流したり、お休みの時にお嬢様の棺に添い寝して差し上げることができなくなってしまう……!!
ここは最後まで紅白として成りすますのが手よ。うまく立ち回れば、事故に見せかけて奴を永遠の人にすることも……。
「に、逃げるわよ、魔理沙!!」
「待て、まだあいつ気づいてないぞ!? おい、咲夜!! 退艦命令だ!! おまえは艦と命を共にする気か!!」
「あんた今、何て言った、コラ!!」
「空耳だぜ」
さぁ見ていて下さいお嬢様。この咲夜、紅魔館メイド長その腕章に誓って、お嬢様の華麗なる弾幕を避け切ってご覧にいれま──。
「神術『吸血鬼幻想』」
光の源が一点に収束されたと思うと、朱色の帯が一気に複数の線となり四方へ伸びた。赤光が咲夜の顔を照らした時、彼女は瞼を閉じていた。
帯に沿って幾重にも血色の球体が浮かび、さらに暗黒色の死の玉が次々と弾けると、咲夜は右手を自分の咽もとへ持って行き、そして──。
「クロス・アウっ!!」
バッバッバッ、と巫女服を脱ぎ捨てた。中から現れたのはセーラー服姿のメイド長。まだ着てたんかい。
「えぇ、良いでしょう。事ここに到り、もはや逃げも隠れも致しません!! さぁ、お嬢様!! 思う存分弾幕を!! 咲夜に弾幕と愛の嵐を!!」
どうやら誘惑に負けたらしい。
巫女と魔女。二人が母屋から飛び出した時、眩い光と共に、女のこんな叫び声が聞こえたという。
「ラブリィーーー!!」
……。
……。
「浄化したかしら?」
「いや、どうだろうな」
「このたびは、とんだご迷惑をおかけしました」
「霊夢~、またね~」
「いいからもう二度と来るな」
空が薄い蒼色に染まりつつある頃、レミリアに付き従うように咲夜は帰っていった。
折り畳まれた日傘を胸元でぎゅっと握り締める彼女は、何故か恍惚とした表情を浮かべていたという。
ちなみに、何故セーラー服なのかは誰も問わなかった。咲夜だから仕方が無い、で納得してしまったのだ。
そんな主従を、霊夢と魔理沙は、ただ呆然と見送るしかなかったのである。
「ねぇ、聞いた?」
「ああ」
「……全弾、受けきったらしいわね」
「ああ」
……。
……。
「ねぇ、魔理沙?」
「ああ」
「残機に制限がなかったとして、あ、それと精神力も無尽蔵だったとして、貴方──できる?」
「さて──。」
魔女は意味も無く東の空を仰いだ。
もうすぐ夜だ。目を凝らせば両腕を十字に広げた妖怪が飛んでいるのが見えたかもしれない。
「物理的に体力勝負じゃどうにもならんだろうね。神術『吸血鬼幻想』は弾の生成源が複数箇所に同時に発生する。それら全てのベクトルが全方位とくれば、もはや魔術では解明できない尋常ならざる力が働いたとしか思えないぜ」
「だよね」
十六夜 咲夜。時を操るメイド長であった。
「結局、何だったのかしら……。」
「そういや、おまえさんの家、よく無事でいられたな?」
「博麗神社を舐めないでほしいわね。四方八方と幾重にも張り巡らされた結界、如何に闇と魔が付き従うカリスマでも──いいえ、だからこそ、その魔力への耐性は強大になるわ。例えブラド王の末裔、神祖の魔性といえど相殺し得る結界よ」
「怖いねぇ」
「ところでさ」
「うん?」
「私の晩御飯、返せ!!」
「わ、待て、ちょっとその荒縄、どこから出したんだよ!?」
「女の子の内緒」
「私だって女やりはじめて久しいが、そんな内緒は持ち合わせてないぞ!? って、だからおもむろに人を縛ろうとするな!!」
「ふふふ……いいのよ、晩御飯のことは目を瞑ってあげるから」
「寛大で助かるぜ」
「そのかわり、今夜はあんたが晩御飯♪」
「おまえはこれまで食べた霧雨 魔理沙の数を覚えているのか!?」
「今日で一人目よ」
どこか変な目の輝き方をする霊夢の顔が迫った時、魔女はその懐でスペルカードを握り締めた。何故か脳裏に、薄暗い部屋で読書に没頭する少女の影が過ぎる。
──すまない、パチュリー。本、返せそうにないわ。
おしまい
あとがき
ちなみに紅魔館。
「ただいま、パチュリー」
「お帰りなさい、お嬢様……にメイド長? (小声で)ね、ねぇレミリア、メイド長、なんか呆けた顔してるけどどうしたの? あ、今笑った……。」
「何だか幸せそうだから放っておいてあげましょう。留守中、変わりはなかったかしら?」
「私のこの姿をみて、よくもぬけぬけとそんなセリフが言えるわね」
桃色のナース服だった。
そんなパチュリーを上から下へと見回し、
「よく似合ってるわ」
「はぁ……お嬢様も今度やってみなさいよ」
「鑑賞する喜びだけで充分よ」
「……その喜びを私にもちょうだい」
「ところで正門の警備が手薄だったわ。美鈴はどうしたの?」
「あちらでベソかいてるわ」
とロビー奥の柱を指す。
「そう」と言って、レミリアは右手を胸元の位置へ挙げた。愛くるしい人差し指を小さく回した瞬間、その場の誰もが奇妙な浮遊感を感じた。紅いロビーがぐるんと回転したのだ。一秒後には、パチュリーの指した柱が目の前にあった。
「美鈴、出てきなさい」
「ぐす、ぐす……。」
「私にもう一度言わせる気?」
「わっ!? お嬢様!? も、申し訳ありません!!」
柱の影から飛び出した中国は、新婚さんの夢──裸エプロンであった。
よくラーメンのどんぶりに描かれる幾何学模様の刺繍が、あえていうなら中国だった。その模様を内側から水蜜桃のような膨らみが押し上げている。それでいて何故かいつもの帽子をかぶっていた。
よっぽど面白いことをされたのだろう。泣きはらした目が痛々しい。
「あぅ……あぅ……。」
「……。」
レミリアは言葉に詰まったのも束の間、
「ふふ、フランドールったら。やんちゃ盛りなんだから」
そういう問題か?
東方のお話としてみたときにどうかというと、ちょっと評価が難しい。
確かに各個人個人の幻想郷があるとは思いますし、(私も自己設定作ってますし)
いろいろなキャラ像があってもいいと思うんですが…。
やりすぎと取るか許容するか、かなり微妙なラインではないかなと思います。
>確かに各個人個人の幻想郷があるとは思いますし
なるほど。実は私も迷ったんですよ。
幻想郷でセーラー服はどうかと。
しかも、レティが出てるのに夏服かと。
ちなみ、
私の中の幻想郷は終始桃色で紅魔館に一歩でも足を踏み入れたら最後「お客さん始めて?」とおしぼりを出してくれます。
中国が。
★名無しさん
咲夜さん、ちょっぴりおてんばにしちゃったけど、すごく好きです。
だがしかし、ここで一つ問題があります。
咲夜さんのスカートに潜り込んだ時、
「こら、もう仕方が無いんだから(ちょん)」
と優しく嗜められるか、或いは、
「この愚鈍がっ(ガッガッガッ)」
とあの美しいおみ足で踏んで頂くべきか……。
迷う。実に迷う。
なんていうか、普通にごめんなさい。
>今回は、比較的シリアスに書けた方です。
…どのへんがシリアスなのかとひたすらに問い詰めたいんですが(汗)。
それにしても、遊び方がぶっ飛んでますね。咲夜を筆頭に霊夢もなかなかの壊れ具合。
ただ、明らかに筆者さんの趣味が随所に暴発していて、嫌う人は嫌うでしょうね、この作品。
私はこういう(?)趣味はないのですが、面白かったから許容しちゃいますけどね(笑)。
私の書くSSでは比較的シリアス(まとも?)な方なんです。つまり、普段はもっと酷いという……。
でもでも、これでも3分の1にカットして品質維持に努めたんですっ。
……って、何の言い訳にもなってませんね。えへへ(<反省の色なし)
それにしても、最近、巫女さんをそんな目でしか見れなくなった自分が憎い……。
咲夜さんのセーラー服、パチェのナース服、中国の裸エプロン…ん~一番萌えるのは、やっぱ中国かも。
さりげに霊夢が魔理沙食っちゃってる?w