今日は珍しく店の中は静かだった。
魔理沙も霊夢も居ない。居るのはただ僕一人だけだ。
この雨の中を、わざわざやってくるほど魔理沙も霊夢も、律儀な人間ではない。雨の中を歩く事が出来ないレミリアは問題外だ。そしてレミリアが来られないという事は、その従者である咲夜も、当然来ない。
ただ、深々と雨の降る音だけが、薄暗い店の中に響いている。
……こういう日があっても良い。
本の頁を捲りながら、僕は内心で呟く。
確かに魔理沙達が居る賑やかな空間というのも、嫌いではないし、悪くないと思うのだが、たまにはこうして一人で本を読み、物思いに耽る日があっても良いと思う。
「……?」
ふと、雨音に混じって、何か別な音が聞こえたような気がした。
読み止しの本に栞を挟み、顔を上げ、耳を澄ます。
「……歌……?」
雨音に混じり聞こえるのは、物悲しい女声のバラード。
その声に誘われるように、僕の足は雨の降る店の外へ向かっていた。
そこに居たのは一人の女性。
長い髪と、緑の服をまとい、雨に濡れながら、ただ一人歌を歌いながら歩き続けている。
――あまりの心の寂しきに
あまりの心の哀しきに、石を積んで塔を成す
一つ積んでは母恋し
二つ積んでは父愛し
貴方達の呼び声は、母にも父にも届かざり
されど私の耳には痛く
貴方達の親は娑婆にあり
今より後は私を皆、母とも父とも思うべし
いずれまた、生まれいずるその時まで
私が貴方達の親と成らん―――
「……嘆き女(バンシー)……」
聞いた事があった。
死人が出ると何処からともなく現れて、その家人の前で泣き、死者が出た事を知らせる妖精の女性。
「という事は、誰か死んだのか……」
小さく呟く。
歌の内容から鑑みるに、おそらく死んだのは子供なのだろう。
滅多な事で死ぬ事がない、妖怪やら悪魔やらばかりのこの幻想郷で生きていると、全ては死ぬものだという感覚が希薄になる。
だが、この幻想郷にも僅かばかりであるが人間が住んでいる。妖怪に比べたら、実に簡単に死んでしまう、生き物が。
まして、この幻想郷の中では博霊大結界により人間の住む世界から隔絶されてから、医療というものがロクに育っていない。魔術やそれに伴うアイテムの使用による医学というのは無きにしも非ずだが、はっきり言ってしまえばこの地での人間の死亡率というのは、医療が大して発展していなかった一昔前のそれに等しい。ましてや妖怪に襲われる事によって死亡するケースも、圧倒的に多い。
そういう意味では、人間にとってこの郷は、常に死と隣り合わせなのかもしれない。
「…………」
雨と共に流れる、バンシーの哀しげな歌声を聞きながら、僕は小さく黙祷をした。顔も知らない、何処かの誰かに向けて。
ふと、バンシーがこちらを見て、一瞬だけ微笑んだように見えた。
まるで、共に哀しんでくれる事を、ありがたく思っているかのように。
誰かが死んだ時にしか現れない彼女は、きっといつも哀しんでいる。人が死なない日などありえないのだから。
もっと生きて居たかっただろうに、もっと世界を見て居たかっただろうに。
そんな思いが、彼女に涙を流させるのだろう。
ずっと一人で、ずっと長い時をひたすら死者の為に泣く。それが彼女だ。
「……あ」
ふと、頬を涙が伝った。
今までも、そしてこれからも死を見、死を伝える彼女の役目だ。
だが彼女が居なくなった時、それを伝えるのは誰なのか。それを伝えてもらうのは誰なのか。
きっと、彼女は何処までも一人。
死を知ってもらう相手も居なく、死を伝える存在も居ない。きっと僕は、この出会いがありながらも、彼女が消えた時、それを知らずに過ごすのだろう。
それが、すごく、悪い事のように思えて、そして哀しかった―――。
いつの間にか、雨は上がっていた。
彼女の姿も、既に居ない。彼女の歌声も聞こえない。
「だけど」
忘れるべきことではないだろう。
今日、誰かが死んだという事。彼女という存在があったという事。
それが、今生きている者に出来るたった一つの事なのだろうから。
今日もまた何処かで、彼女は泣いているんだろう――……。
魔理沙も霊夢も居ない。居るのはただ僕一人だけだ。
この雨の中を、わざわざやってくるほど魔理沙も霊夢も、律儀な人間ではない。雨の中を歩く事が出来ないレミリアは問題外だ。そしてレミリアが来られないという事は、その従者である咲夜も、当然来ない。
ただ、深々と雨の降る音だけが、薄暗い店の中に響いている。
……こういう日があっても良い。
本の頁を捲りながら、僕は内心で呟く。
確かに魔理沙達が居る賑やかな空間というのも、嫌いではないし、悪くないと思うのだが、たまにはこうして一人で本を読み、物思いに耽る日があっても良いと思う。
「……?」
ふと、雨音に混じって、何か別な音が聞こえたような気がした。
読み止しの本に栞を挟み、顔を上げ、耳を澄ます。
「……歌……?」
雨音に混じり聞こえるのは、物悲しい女声のバラード。
その声に誘われるように、僕の足は雨の降る店の外へ向かっていた。
そこに居たのは一人の女性。
長い髪と、緑の服をまとい、雨に濡れながら、ただ一人歌を歌いながら歩き続けている。
――あまりの心の寂しきに
あまりの心の哀しきに、石を積んで塔を成す
一つ積んでは母恋し
二つ積んでは父愛し
貴方達の呼び声は、母にも父にも届かざり
されど私の耳には痛く
貴方達の親は娑婆にあり
今より後は私を皆、母とも父とも思うべし
いずれまた、生まれいずるその時まで
私が貴方達の親と成らん―――
「……嘆き女(バンシー)……」
聞いた事があった。
死人が出ると何処からともなく現れて、その家人の前で泣き、死者が出た事を知らせる妖精の女性。
「という事は、誰か死んだのか……」
小さく呟く。
歌の内容から鑑みるに、おそらく死んだのは子供なのだろう。
滅多な事で死ぬ事がない、妖怪やら悪魔やらばかりのこの幻想郷で生きていると、全ては死ぬものだという感覚が希薄になる。
だが、この幻想郷にも僅かばかりであるが人間が住んでいる。妖怪に比べたら、実に簡単に死んでしまう、生き物が。
まして、この幻想郷の中では博霊大結界により人間の住む世界から隔絶されてから、医療というものがロクに育っていない。魔術やそれに伴うアイテムの使用による医学というのは無きにしも非ずだが、はっきり言ってしまえばこの地での人間の死亡率というのは、医療が大して発展していなかった一昔前のそれに等しい。ましてや妖怪に襲われる事によって死亡するケースも、圧倒的に多い。
そういう意味では、人間にとってこの郷は、常に死と隣り合わせなのかもしれない。
「…………」
雨と共に流れる、バンシーの哀しげな歌声を聞きながら、僕は小さく黙祷をした。顔も知らない、何処かの誰かに向けて。
ふと、バンシーがこちらを見て、一瞬だけ微笑んだように見えた。
まるで、共に哀しんでくれる事を、ありがたく思っているかのように。
誰かが死んだ時にしか現れない彼女は、きっといつも哀しんでいる。人が死なない日などありえないのだから。
もっと生きて居たかっただろうに、もっと世界を見て居たかっただろうに。
そんな思いが、彼女に涙を流させるのだろう。
ずっと一人で、ずっと長い時をひたすら死者の為に泣く。それが彼女だ。
「……あ」
ふと、頬を涙が伝った。
今までも、そしてこれからも死を見、死を伝える彼女の役目だ。
だが彼女が居なくなった時、それを伝えるのは誰なのか。それを伝えてもらうのは誰なのか。
きっと、彼女は何処までも一人。
死を知ってもらう相手も居なく、死を伝える存在も居ない。きっと僕は、この出会いがありながらも、彼女が消えた時、それを知らずに過ごすのだろう。
それが、すごく、悪い事のように思えて、そして哀しかった―――。
いつの間にか、雨は上がっていた。
彼女の姿も、既に居ない。彼女の歌声も聞こえない。
「だけど」
忘れるべきことではないだろう。
今日、誰かが死んだという事。彼女という存在があったという事。
それが、今生きている者に出来るたった一つの事なのだろうから。
今日もまた何処かで、彼女は泣いているんだろう――……。
けれど日常において、死が意識される事など殆ど無い。特に自分自身の死については。――あたかも、「死」を忘れたかの様に。
忘れるべき事ではないだろう。
今日、誰かが死んだという事を。その「誰か」は、時として身近な存在であるという事を。そして、その「誰か」は、未来の自分自身であるという事を。
そんな戯言を思った、薄明の時。