すべてが崩れていく。すべてがかき消えていく。
故に私の存在は一層艶やかとなる。集束するただ一瞬のために。
無限にして無の色彩を奏で始める世界。あの人の姿はもう見えないが、それでも手も足も止まらない。
あるがままに私は舞い上がる。混沌へと帰りゆく流れに任せ、残留する私という存在の端から端までを想うままの形に変える。
この世に居残ったただ一人の相方と向かい合う。
軽やかに一点へと向かう二人だけとなった世界。力と力は手と手のように触れ合い、終末の果てを彩る舞踏を踊る。
宴はたけなわとなり、やがてフィナーレを告げられる。
純粋にして白の閃光。術者すら気にも止めない力の奔流。私の全財産を賭けて描いた形が、暴力的なまでの魔力に押し潰されていく。
世界は一つになる。
私は消える。
――願わくば、彼女のこれからに幸せが数多く訪れますように。
Prologue ~ 久遠の姫
――愛しています。
腕の中で眠る彼女にささやきかけると、今一度ぎゅっとしたい気持ちをたえにたえて押さえてから、そうっと抱き締めて春の緑のような香りを胸いっぱいに吸い込む。
私の一日は、こうした小さな温もりから始まる。
もう三分ほどこの感触を味わっていたいという誘惑を全身全霊の力で引きはがすと、二人で一つの布団から這って抜け出る。起こさないよう、物音一つ立てることも許さずに。
ゆっくりと、東に面した障子戸を開ける。峰の間から顔を出したばかりの朝日が差し込んでくる。
今日も当たり前のように快晴だ。じめじめした雨は、特別なときでない限り必要ない。しかし、雲が空にまったくないのは物足りなくもある。形の定まらない白のふわふわは、彼女が想像の翼をはためかせるのによく役立つものの一つだから。
夜を占めていた星々は、輝き始める太陽に後を任せて緩やかに消えてゆく。
毎日の事ながら、感慨深い光景だった。彼女の温もりの次に、心地よい目覚めを私にもたらしてくれる。
だが、残念なことに姫様は滅多にこれを見ることはなかった。というか、私の記憶が正しければ見たことがなかったかもしれない。朝のこの時間は、多くの人間たちがそうであるように、彼女にとってはまだ夜だった。
朝日に向かい合って軽く身体を動かしてから、厨房に立つ。
ここ最近は私自らが朝食を作るようにしている。始めた当初の、自分で言うのも何だがどこの時代の後衛芸術家が一ヶ月間安物酒を飲みつつけた翌朝にインスピレーションの沸き上がるまま三分半で作ったのかと思わんばかりの奇妙奇天烈なかろうじて料理の面影が見えなくもない代物を見て失笑する姫様の表情が、今となっては懐かしい気がする。いったいどれほどの月日が経ったのだろう。どうも私は時間感覚というものを必要としないので、よく分からない。だが、少なくとも懐かしく感じるほどには時は経過しているはずだった。
不意に小袖を引かれた。
驚いて振り向くと、姫様が寝ぼけまなこをこすりながらちょこんと立っていた。
見慣れぬものを前にして、私の時間は一瞬止まってしまった。
「……」
私だけが聞き取れる小さな声で、おはようとつぶやく声が聞こえた。
気を取り直して私もあいさつを返す。まあこんな日もたまにはあるか。
せっかくだ。いっしょにあの太陽を見ようと、私は姫様の手を引いて東の空に向かい合った。
気の利かない太陽は待ってはくれず、もうだいぶ高く昇ってしまっているが、さいわい夜から朝に移り変わる時間が醸し出す香りはまだ残っている。
彼女の心には、この輝きはどう映るのだろう。私と同じように美しいと思うのだろうか。それとも単にまぶしいぐらいにしか思わないだろうか。どれほどの月日を共に過ごしてきたことだろうか、それでも私にはうかがい知ることはできない。彼女の表情は相変わらず半分寝ている。
というか寝ていた。私の隣で、立ったまま寝ていた。最近はやらないと思っていたのに。だが同時にとても愛おしくもあるその仕草。ああ感無量。
私は小さな身柄をそっと抱きかかえると、もう一度寝床へと運んだ。眠りたいときには眠らす。姫様を起こすのは誰の仕事でもない。それこそ太陽にも許される所行ではない。
布団の上に横たわらせ、いつものように毛布を整える。
今の私はどんな表情をしているのだろうかと、ふと思った。鏡があったら覗いてみたい気もしたが、間抜けだと思ってやめた。
鍋の噴きこぼれる音がした。いかん、火をかけたままだったことを忘れていた。私は立ち上がると、きびすを返して。
急に立ちくらみを覚えた。
今まで感じたことのない異常な感覚に、私は混乱に陥る。頭を抱えて、その場にへたり込む。
さいわい少し経つと治まった。右手と左手を交互に閉じたり開いたりしてみる。感覚も神経も正常に戻っていた。
だが、私は最大の異常に気がついていた。有るものがなくなり、無いものが存在しているとはこれいかに? 奇妙な表現だがそうとしかいいようのない違和感。
そうだ、姫様は?
振り向くと、彼女は半身を起こしていた。目を覚ましていた。愛らしい瞳をぱちくりさせて、私のことをはっきりと見つめていた。
彼女に何が起こったかも、私は直感で察知した。
これは――何かは分からないが、嫌な予感がした。
There are two girls in the center of pseudo paradise.
They'll draw two girls, and stir up big troubles.
幻想深夢譚 ~ Spiral Beauty.
故に私の存在は一層艶やかとなる。集束するただ一瞬のために。
無限にして無の色彩を奏で始める世界。あの人の姿はもう見えないが、それでも手も足も止まらない。
あるがままに私は舞い上がる。混沌へと帰りゆく流れに任せ、残留する私という存在の端から端までを想うままの形に変える。
この世に居残ったただ一人の相方と向かい合う。
軽やかに一点へと向かう二人だけとなった世界。力と力は手と手のように触れ合い、終末の果てを彩る舞踏を踊る。
宴はたけなわとなり、やがてフィナーレを告げられる。
純粋にして白の閃光。術者すら気にも止めない力の奔流。私の全財産を賭けて描いた形が、暴力的なまでの魔力に押し潰されていく。
世界は一つになる。
私は消える。
――願わくば、彼女のこれからに幸せが数多く訪れますように。
Prologue ~ 久遠の姫
――愛しています。
腕の中で眠る彼女にささやきかけると、今一度ぎゅっとしたい気持ちをたえにたえて押さえてから、そうっと抱き締めて春の緑のような香りを胸いっぱいに吸い込む。
私の一日は、こうした小さな温もりから始まる。
もう三分ほどこの感触を味わっていたいという誘惑を全身全霊の力で引きはがすと、二人で一つの布団から這って抜け出る。起こさないよう、物音一つ立てることも許さずに。
ゆっくりと、東に面した障子戸を開ける。峰の間から顔を出したばかりの朝日が差し込んでくる。
今日も当たり前のように快晴だ。じめじめした雨は、特別なときでない限り必要ない。しかし、雲が空にまったくないのは物足りなくもある。形の定まらない白のふわふわは、彼女が想像の翼をはためかせるのによく役立つものの一つだから。
夜を占めていた星々は、輝き始める太陽に後を任せて緩やかに消えてゆく。
毎日の事ながら、感慨深い光景だった。彼女の温もりの次に、心地よい目覚めを私にもたらしてくれる。
だが、残念なことに姫様は滅多にこれを見ることはなかった。というか、私の記憶が正しければ見たことがなかったかもしれない。朝のこの時間は、多くの人間たちがそうであるように、彼女にとってはまだ夜だった。
朝日に向かい合って軽く身体を動かしてから、厨房に立つ。
ここ最近は私自らが朝食を作るようにしている。始めた当初の、自分で言うのも何だがどこの時代の後衛芸術家が一ヶ月間安物酒を飲みつつけた翌朝にインスピレーションの沸き上がるまま三分半で作ったのかと思わんばかりの奇妙奇天烈なかろうじて料理の面影が見えなくもない代物を見て失笑する姫様の表情が、今となっては懐かしい気がする。いったいどれほどの月日が経ったのだろう。どうも私は時間感覚というものを必要としないので、よく分からない。だが、少なくとも懐かしく感じるほどには時は経過しているはずだった。
不意に小袖を引かれた。
驚いて振り向くと、姫様が寝ぼけまなこをこすりながらちょこんと立っていた。
見慣れぬものを前にして、私の時間は一瞬止まってしまった。
「……」
私だけが聞き取れる小さな声で、おはようとつぶやく声が聞こえた。
気を取り直して私もあいさつを返す。まあこんな日もたまにはあるか。
せっかくだ。いっしょにあの太陽を見ようと、私は姫様の手を引いて東の空に向かい合った。
気の利かない太陽は待ってはくれず、もうだいぶ高く昇ってしまっているが、さいわい夜から朝に移り変わる時間が醸し出す香りはまだ残っている。
彼女の心には、この輝きはどう映るのだろう。私と同じように美しいと思うのだろうか。それとも単にまぶしいぐらいにしか思わないだろうか。どれほどの月日を共に過ごしてきたことだろうか、それでも私にはうかがい知ることはできない。彼女の表情は相変わらず半分寝ている。
というか寝ていた。私の隣で、立ったまま寝ていた。最近はやらないと思っていたのに。だが同時にとても愛おしくもあるその仕草。ああ感無量。
私は小さな身柄をそっと抱きかかえると、もう一度寝床へと運んだ。眠りたいときには眠らす。姫様を起こすのは誰の仕事でもない。それこそ太陽にも許される所行ではない。
布団の上に横たわらせ、いつものように毛布を整える。
今の私はどんな表情をしているのだろうかと、ふと思った。鏡があったら覗いてみたい気もしたが、間抜けだと思ってやめた。
鍋の噴きこぼれる音がした。いかん、火をかけたままだったことを忘れていた。私は立ち上がると、きびすを返して。
急に立ちくらみを覚えた。
今まで感じたことのない異常な感覚に、私は混乱に陥る。頭を抱えて、その場にへたり込む。
さいわい少し経つと治まった。右手と左手を交互に閉じたり開いたりしてみる。感覚も神経も正常に戻っていた。
だが、私は最大の異常に気がついていた。有るものがなくなり、無いものが存在しているとはこれいかに? 奇妙な表現だがそうとしかいいようのない違和感。
そうだ、姫様は?
振り向くと、彼女は半身を起こしていた。目を覚ましていた。愛らしい瞳をぱちくりさせて、私のことをはっきりと見つめていた。
彼女に何が起こったかも、私は直感で察知した。
これは――何かは分からないが、嫌な予感がした。
There are two girls in the center of pseudo paradise.
They'll draw two girls, and stir up big troubles.
幻想深夢譚 ~ Spiral Beauty.