Coolier - 新生・東方創想話

Demonic Scarlet / Lunatic Servant -4-

2004/05/16 07:49:21
最終更新
サイズ
37.68KB
ページ数
1
閲覧数
831
評価数
4/30
POINT
1500
Rate
9.84
※このお話は続き物です。「Demonic Scarlet / Lunatic Servant -3-」を未読の方は先にそちらをお読みください。


■4-1■

 レミリア・スカーレットは目を覚ました。
 暗い。夜より深い闇が沈殿しているようだった。
 彼女は身を起こす。気がつかないうちにベッドに潜り込んでいたらしい。
 着替えようと、レミリアはいつもの言葉を張り上げる。
 さくやー?
 だが、返事がない。彼女は二度、三度と呼び慣れた名を呼ぶが、別の誰かすらもやってくる気配がなかった。
 何人か他のメイドたちの名も呼んでみるが、彼女らもまた現れる様子はなかった。
 不審に思ったレミリアは、寝間着姿のまま寝室を出る。
 広大な紅魔館の廊下は、しんと静まりかえっていた。騒がしいことの方が少ないとはいえ、耳鳴りの聞こえそうな静寂した空気に違和感を感じる。
 翼を使わず、足でレミリアはとぼとぼと歩いた。騒ぎ立ててはならない、そんな雰囲気を彼女は感じ取っていた。
 しばらく歩いたところで、ようやくレミリアは自分以外の気配を見つける。十六夜咲夜だった。
 レミリアは声をかける。しかし彼女は反応しない。まるで主人のことが見えてないように、レミリアの脇を通り過ぎた。
 その瞬間、レミリアは二つの妙な点に気がついた。
 一つは、咲夜の目。心ここにあらずといった感じで、焦点が定まっていなかった。
 もう一つは首。見慣れない首輪を彼女は身につけていた。
 レミリアは振り返る。
 いつの間に引き離されたのか、咲夜は遙か向こうに見える角を曲がろうとするところだった。
 レミリアは走る。助走をつけて、高速飛行へと推移する。
 角を曲がると、咲夜がちょうど別の角を曲がるところだった。
 慌ててレミリアもそこへ向かう。
 たどり着き、急ターンすると、咲夜は階段を上ろうとしているところだった。
 誘導されている?
 見失うか否かの距離を保ち続ける咲夜に対し、レミリアはそんな考えを抱く。この先は確か――。
 レミリアの思った通り、咲夜がたどり着いたのは紅魔の間だった。彼女は音もなく扉をひらくと、すっと中へ入る。
 扉が閉まりきる前に、レミリアは内部に飛び込んだ。
 いつの間にか咲夜の気配は消えていた。広大なホールの中に、ただ一人レミリアのみが存在している。
 メイド長の名前を幾度となく呼ぶが、やはり返事は来なかった。
 レミリアは導かれるように、ホールの中心部へと足を進める。
 そのとき、レミリアの頬に何か暖かいものが落ちてきた。
 指ですくってみる。血だった。まだ生暖かい紅色の液体だった。
 レミリアは指を舐める。あまりおいしいとは言い難かった。この味は、人間ではない。
 彼女は頭上を見上げる。そこにあったものを発見すると、息を呑んだ。
 天井のステンドグラス。そこにフランドールがいた。彼女は無数のナイフを突き立てられ、磔にされていた。ナイフを伝って血が滴り落ち、再びレミリアの頬を濡らす。
 フランドールと目があった。彼女は姉に気がつくと、力無く微笑んだ。それから何か言葉を発しようとするが、唇が動くだけで音は何も響かなかった。
 反射的にレミリアは飛翔していた。あいつを、助けなくちゃ。
 レミリアは右手を伸ばして、フランドールに触れようとする。
 瞬間、ステンドグラスがまばゆい光に包まれた。フランドールの背後に、複雑怪奇な文言の添えられた陣が浮かび上がっていた。
 刺すような痛みを感じて、レミリアは思わず手を引っ込める。この感触は、太陽光のそれだった。
 レミリアの目の前で、フランドールの身体が崩れていく。手足の先から白い灰になり、風に吹かれて空気中へと拡散していく。
 フランドールが寂しげな目をする。彼女の目は、レミリアの右手に注がれていた。
 やがて、全ては灰になり、フランドール・スカーレットは消滅した。それと同時に魔法陣も消え、太陽光も活力を失い何処かへと消え失せる。
 レミリアは茫然自失となる。浮力を失い、ゆっくりと地面に着地する。
 彼女は自分の右手を見る。火傷を負った手。妹に届かなかった、いや届けようとしなかった手。
 寸前で身の安全を図った手を、レミリアは呪った。
 ふふふ……ふふふふ……。
 どこからともなく笑い声が聞こえる。それは鼓膜に触れるだけで、どす黒い憎悪の感情をレミリアに湧かせた。
 レミリアはきっと顔を上げた。
 気がつけば、目の前の椅子に、この部屋の自分の特等席に自分でない何者かが座っていた。
 それは自分でもあった。
 出来の悪い鏡に相対したように、レミリアは自分とよく似た、しかし等しくはない少女の妖怪と向き合う。
 もう一人のレミリアは笑っていた。その目は明らかにレミリアのことを見下していた。
 レミリアは、声をかけようとして、更に別の気配に気づいた。視線を下げる。
 もう一人のレミリアの足にもたれかかっている者がいた。それはよく見知った顔――パチュリー・ノーレッジであった。しかしその姿はまったく見慣れぬものであった。
 まず、手足に枷がつけられていた。ほとんど身動きが取れない状態で、必死にもう一人のレミリアにすがりついている。
 その頬は青かった。貧血ならいつものことだが、そんな生やさしい色ではなかった。病的な、あるいは死的な青さだった。
 瞳は心ここにあらずといった風で、ぼんやりともう一人のレミリアのことを見上げている。レミリアのことには気がついていなかった。
 紫色の衣服は赤に汚されていた。それは彼女のよく知った、紅い血の色。それが今も、彼女の首から流れ続けている。その傷跡は、レミリアのよく知る吸血鬼によるものであった。
 もう一度、レミリアは顔を上げる。
 もう一人のレミリアの口の周りに紅い跡が残っていた。それが何か、考えるまでもなかった。
 レミリアの手が動いた。虚空に無数の紅色の点を一瞬で描画し、もう一人の自分めがけて叩きつけようとする。
 攻撃は、届かなかった。途中で遮られた。
 レミリアは驚愕する。
 止めたのはリトルだった。彼女が飛び出してきて、すべての弾幕を身体で受け止めたのだ。
 蜂の巣となりながら、リトルは陶酔した表情で、仰向けに倒れる。床が血の色に染まっていく。
 あまりの展開に、レミリアは息をすることすら忘れた。
 だが時は容赦なく動く。
 紅色の大玉が室内に出現する。もう一人のレミリアの魔力の塊であった。
 彼女はそれを、リトルに叩きつける。
 血の色ごとリトルが消滅する。後にはえぐり取られた床だけが残る。
 少しは私の役に立ってくれたようね、ともう一人のレミリアは呟いた。
 再び感情が沸き上がった。憤怒の赤と憎悪の黒が入り混じった本能の破壊的な側面。
 魔力を展開する間も惜しく、レミリアはもう一人の自分めがけて躍りかかった。
 腹部を激痛が走り抜ける。飛び掛かる勢いを殺された。
 彼女は視線を落とす。一本のナイフが彼女の腹に突き刺さっていた。
 勢いを失って、その場に崩れ落ちる。
 それでも何とか、顔を上げた。
 誰がこれを放ったかは、すぐに分かった。解ってしまった。
 そこには咲夜がいた。何の感情も込められていない顔で、レミリアのことを見下ろしている。
 だが、すぐに興味が失せたかのように視線を外すと、もう一人のレミリアの方を振り向いた。
 咲夜はいったん彼女に向かって深くお辞儀をすると、身をかがめた。ハンカチを取り出し、血で汚れたもう一人のレミリアの口の周りを拭き取る。
 その行為は、レミリアだけの特権のはずだった。
 もう一人のレミリアは、レミリアを見つめて微笑む。
 見ての通りよ。ここにはもう、あなたの居場所はない。私は二人と要らない。
 ナイフを携えた咲夜が近づいてくる。その目はどこも見つめていない。誰かに操られた人形の姿。
 レミリアの前に立ち、咲夜はゆっくりとナイフを振りかぶる。
 レミリアは動けない。時が止まったかのようだった。
 そして。

 時は、終焉に向けて動き出す。


■4-2■

 レミリアは跳ね起きた。
 荒く息をつく。
 ひどく寝汗をかいたことに気づく。
 何かひどい夢を見たような気がする。普段はこんなことないはずなのに。
 呼吸が落ち着いてきてから、彼女は周囲の様子を見回した。
 自分が寝ているのは、和風の布団。ということは、ここは自分の寝室ではない。
 部屋は暗い。星も見えないことからして、つまり窓も明りもない。
 雰囲気からして、そんなに大きくない。どちらかといえば小さな部屋。
 つまり――ここがどこなのか、レミリアはすぐに思い出せなかった。
 ひとしきり頭を捻ってから、とりあえず着替えるかと思い立つ。
「さくやー?」
 呼び慣れた従者の名を呼ぶが、しかし反応はない。
 おかしい。普段なら一秒も待たせずに駆けつけてくるはずなのに。おつかいにでも出たのだろうか。
 レミリアは妙に不安に駆られる。自分一人だけが世界に取り残されてしまったような予感。それは果たして夢の続きだろうか。
 ――一人は、嫌だ。彼女はそう思った。友人に従者に肉親、どれ一つとして欠けるのは嫌だった。それらはすべて彼女の領域であり、世界を形作る大切な一部であった。
 不安は解決しなかったが、これ以上ここでぼうっとしていても仕方ない。レミリアは衣服はそのままで布団を抜け出した。
 寝間着でなく普段着であったことに、彼女は今更ながら気がつく。それから補修をした部分があちらこちらにあることに気づいた。
 補修……? 何か服を傷つけるような行いをしただろうか。
 レミリアはしばしの間考え込む。
 そして、すべてを思い出した。
 ぽんと手のひらを打つと、疾風のような速さで扉を開け放ち、部屋を飛び出る。
 出た先は、紅魔館の魔法図書館であった。記憶に間違いはなかった。
 背中の痛みはもうなくなっていた。微妙な違和感は残っているので完治には至ってないようだったが、普通に動くにはもう十分だった。
 レミリアは咲夜ともう一人の自分を捜して、飛翔する。二人がどこにいるのか分からないが、とにかく捜せばそのうち見つかるだろうと彼女は踏んだ。
 やがて、爆音に気づく。
 レミリアが振り向くと、図書館の一角で煙が上がっていた。続いて二度、三度と似たような爆発音。煙は更に噴き上がる。
 きっとあそこに違いないと、レミリアは急いだ。
 現場にたどり着くと、レミリアは見慣れた姿を発見した。
 フランドール、リトル、そしてパチュリー。
「パチェ!」
 行方不明だった親友の姿を発見して、レミリアは声を上げる。
「レミィ!」
 パチュリーもまたレミリアのことに気がついた。
 パチュリーが振り向き、レミリアが彼女の前に着地すると、互いの両手を軽快に打ち合わせる。
 しかし、二人は再会の喜びの表情からすぐに真顔に戻った。
 事が解決に至ってないことを、レミリアは場の雰囲気から察した。
 経過をパチュリーから聞き出す。
 そのほとんどは、彼女の既に知るところか、もしくはだいたい想像していた通りであった。
 ただ一つ、
「……で、今は二人ともこの向こうにいると」
 咲夜の決意が予想以上であったことを除いては。
 フランドールがもう何度目になるか、扉のあった地点に向けて魔力を放つ。
 力は空間ごと破砕し、吹き飛ばす。爆風による煙がもうもうと上がり、それが晴れた向こうには、より荒れ果てた図書館があるのみだった。
 扉は、開かない。
 なおも攻撃を続けようとするフランドールを、レミリアは止めた。背後から軽く抱き締めると、焼け焦げてずいぶんと荒れた金髪をそっと指ですくった。
「めくらめっぽうにやってもしょうがないわね。確かにフランの能力なら閉じた時空間の扉も破壊できるでしょうけど、それには対象がどこにあるかをはっきりさせなければどうしようもないわ」
 レミリアは、今一度扉のあったはずの時空間に相対する。
 そこにあるのは何の変哲もない虚空であった。そこに異界に通ずる扉のあった気配など、微塵もなくなっている。
「それはわかってるんだけどね」
 パチュリーはため息をつきながら手書きの本を何冊かめくった。
「一応、当たりをつけようとはしてみたの。咲夜のこれまでに行ってきた時空操作の標本から、クセを分析して位置を割り出す。……今のところ全弾はずれだけど」
 何か決定的な情報が必要なことを、レミリアは知った。それも超特急で。
 咲夜ともう一人のレミリアは今もこの向こうで戦いを続けているはずだ。もしかしたら、既に終わっているのかもしれない。どちらにしろ、咲夜が負けるという最悪の事態を考えれば、一秒だって無駄にするわけにはいかない。
 レミリアは、寝ている間のことを思う。
 夢の内容は、今も思い出せなかった。ただ、正夢になってはならない、という強迫観念が胸のうちに残っている。
 何としても扉を再び開けなければならなかった。
 レミリアは己の能力を解放する。
 扉との縁をたぐり寄せようとした。それさえわかれば、位置を突き止められる。
 扉が開くという運命を強引にたぐり寄せる方法もあったが、それでは時間がかかりすぎた。何の前触れもなしにこの扉が開くというのは、あまりに『有り得ない』運命であったから。それほどこの扉は厄介な存在であった。天の理、地の理、人の理、複雑な条件が無数に絡み合った場合のみ開くことが叶うのだから。
 残念ながら、ここにいる誰とも縁が結びついてはいないことはすぐに察知できた。
 だがそれでもレミリアは諦めなかった。ここで終わりにしてはならない。ほんの小さな縁でもいい、何か、突破口になりさえすれば。
 そのとき、レミリアは少し離れた地点に縁が立ち上っていることに気がついた。
 軽く飛び上がると、近くの本棚の裏手に回る。そこには、腹部に大きな風穴を空けた一冊の本が転がっていた。
 覚えのある魔力から、レミリアはこれがただの本でなく妖怪の一種であることを悟る。さっきのパチュリーの話に出てきたクリムゾンという妖怪だろう。
 様子に気づいて、パチュリーとリトルもやってきた。
「あなた、例の図書館に縁があるようね」
 レミリアは単刀直入に切り出した。
 クリムゾンが襲ってくる気配はなかった。敵意も感じられない。ただ、じっと何かを考えているようにレミリアには思えた。本の妖怪は表情が読みにくい。
「……それは当然のことだろう。そこは、私が生まれた場所だ」
 なるほど、本の妖怪は妖怪じみた図書館から生まれたか。レミリアは納得した。
「私たちは、もう一度あの扉を開かなくてはいけない。協力してくれるかしら?」
 一応尋ねてはみるが、抵抗するなら無理矢理にでも手伝わせる気であった。
「ああ」
 すんなり了解が得られたため、レミリアは若干拍子抜けする。
 代わってリトルが話しかける。
「……それは、あのもう一人のレミリア様のためですか?」
「ああ」
 その答えは、再度イエスであった。
「どうしてですか。あなたは、彼女に殺されかけたっていうのに」
 クリムゾンの傷口、大穴をそっと撫でながらリトルは言った。指先から湧き出る魔力が、傷の再生をほんの少しだけ早める。
 レミリアはそれを止めようとは思わなかった。
「言ったはずだ。私は盟約を交わした身だと。お嬢様を一人にしておくわけにはいかない。たとえもう向こうにその気がなくとも、約束は最後まで果たさねばならない。でなければ私の気が済まない」
「わかったわ」
 レミリアは頷いた。
「でも、あなたが盟約を最後まで遵守するというのなら、扉が開いた瞬間に私たちは再び敵同士よ。それでいいかしら」
「望むところ」
 ここに、短期間の契約は完了した。
 本の妖怪を腕に抱くと、レミリアは扉があったはずの地点に立つ。
 すぐに、扉とクリムゾンの結びつきははっきりと見えた。それは彼女の目には数本の紅い糸に映った。
 糸は、扉がかつてあった地点まで来ると、そこから時空間の奥の奥まで触手を伸ばしていた。
 幾重にも時空を重ねて、それは厳重に隠されていた。しかも現在進行形で離れていっている。
 レミリアは、自分の従者のことながら、その仕事ぶりに感服した。
 場所を捕らえることができれば、あとは妹の仕事である。
 レミリアはクリムゾンをリトルに手渡すと、フランドールの後ろに立って密着した。背後から右手を右手でつかむ。
 ほのかな温もりが、レミリアに一時の安らぎを与えた。フランドールが頭を後ろに倒して姉のことを見上げ、笑った。
 レミリアは、妹の笑顔を久しぶりに見たような気がした。いや、笑顔自体は見慣れてはいる。狂気じみた底の見えない笑みは。
 しかし、今彼女の目の前にいるのは、姉に寄り添う妹の笑みであった。
「いい、あっちよフラン。私の魔力と神経に同調して」
 フランドールの右手を扉のある方に向ける。
 レミリアは扉に向けて力を注ぎ込む。それは一本の射線となり、フランドールを導く。
 二つの重なり合った右手より破壊の力が放出された。それは蛇行しながら何層もの時空の壁を貫通し、隠された扉を破壊して、なおも突き抜ける。

 血。
 不意に、レミリアの意識にイメージが閃いた。
 紅。
 骨肉。
 お下げ髪の少女。
 かつて人であった者。
 人でなくなった者。
 人でいられなくなりつつある者。
 紅い死者。
 生ける屍たる人形。
 紅い銀色のナイフ。
 針を亡くした懐中時計。
 一人だけの密室。
 一人と死体だけの密室。

 ――鍵が、音を立てて壊れた。


■4-3■

 レミリアたちは開け放たれた扉の向こう側になだれ込む。
 突入した先にまず見えたのは、紅だった。
 レミリアは、それがすぐに血の色であることに気づいた。
 紅の海の中心にいたのは、二人。咲夜ともう一人のレミリアであった。
 二人は血の装束を着込んでいた。
 咲夜は、気を失っていた。苦しげな表情で吐息を漏らす。
 魔王レミリアは、牙を突き立てていた。咲夜の首筋に。
 彼女の唇の端から紅い筋が絶え間なくこぼれ落ちて、足下に波紋を広げていた。
「……何をしているの」
 答えは分かり切っていながら、あえてレミリアは問うた。ポーカーフェイスを保ったつもりであったが、自分で唇が震えるのがわかった。
 魔王レミリアは一行に気がつくと、咲夜の首より離れ、緩慢な動作で顔を上げる。
「……見てわからないのかしら? 仮にも同族でしょうに」
 そう言うと、魔王レミリアは口元を綻ばせた。
 それは単なる食事ではなかった。そのことをレミリアは理解していた。
 だから、手の震えを止めることができなかった。
「一応お礼は言っておくわ。あなたたちが扉を開いてくれたおかげで、十六夜咲夜を眷属にする手間が省けたから。ああ……けれどもう手遅れかしらね」
 魔王レミリアは、自分の腕の中で眠る咲夜を見つめた。
 それから咲夜の首筋にキスをする。優しく、愛おしむように。
 レミリアの心の中で、何かが音を立てて切れた。
 何の前触れもなしに、紅色の弾幕が魔王レミリアを取り囲む。
 次の一瞬で、それらは中心部めがけて収縮した。
 結界が展開される。すべての攻撃を弾き、魔王レミリアは傷一つなくそこに立ち続けた。
「速さは申し分ないけど、破壊力にむらがあるわね。冷静でない怒りは自滅の運命を運ぶわよ」
 魔王レミリアは、その場に咲夜を置くと飛び立った。一度レミリアの方を振り返ると、本棚の山脈の向こうに姿を消す。
 その瞳はついてこいと言っていた。
「逃すか!」
 言われるまでもない。レミリアは即座に追撃する。

 当然のように、パチュリーはレミリアの後に続こうとする。
 だが、そこに立ちふさがる者があった。クリムゾンである。
 パチュリーはそれに気づくと、問答無用で魔法陣を描いた。光は精霊の力となり、クリムゾンを絡め取ろうとする。
 しかし戒めは即座に解かれる。それは術者にしか使えないはずの、契約解除のスペルだった。
 クリムゾンは身を翻すと、更に反撃に移るべく新たな魔力を結集し始める。
 その脇を、フランドールが素速く飛び抜けた。
「……はなから囮のつもりであったか」
「脇役には脇役の仕事があるわ。借りも返さなくちゃならないし」
 会話をしながら、パチュリーは詠唱を続ける。
 魔女のやろうとしていることを察知したか、呼応するようにクリムゾンはまったく同じ詠唱を始める。
 輪唱はいつしか合唱となり、精霊たちを巻き込んでオーケストラを奏でる。
 二人の術者により、万物に遍く精霊という精霊たちが実体を伴い、集い出す。
 かたやかろうじて調子を保っている病弱の魔女。
 かたや重傷を気力で押し返す本の妖怪。
 すべてを一撃のもとに決すべく、最強のスペルが行使される。

「呪詛『ブラド・ツェペシュの呪い』!」
 レミリアの手から忌まわしき十三の刃が放たれ、紅色の死の軌跡を描く。
 敵の周囲を、回避不能の死を告げる呪いが取り巻く。
 魔王レミリアは落ち着き払って、右手に破壊の力を集中させる。
「宙滅『コズミックアヴァランチェ』!」
 力は無数の星の輝きとなり天に昇った。そして、天空から一気に崩れ落ちる。
 呪いは星の雪崩に飲み込まれ、そのままレミリアに食らいつこうとする。
 レミリアは攻撃を一時諦めると、翼をはためかせて全力で回避行動に移る。
 魔王レミリアは、逃げるしか能のないもう一人の自分をあざ笑う。
 その一瞬を、逃さなかった。
「禁忌『レーヴァテイン』!」
 飛来したフランドールが、より勢いをつけて炎の剣を振りかぶった。
 油断していた魔王レミリアは、ぎりぎりのタイミングでラグナロクによりレーヴァテインを受け止める。
 その隙に立ち直ったレミリアは、フランドールと目を合わせると、互いに頷いた。
「神術『吸血鬼幻想』!」
「禁弾『カタディオプトリック』!」
 二パターンの光弾が空を支配した。
 流れの読めない雪崩と、角度の読めない乱反射。
 二つは重なり合って有意義な無秩序を作り出し、魔王レミリアに躍りかかった。
 反応の遅れた魔王レミリアの肌を、先頭集団の弾幕がいくらか削った。鮮血は飛沫となって空を舞い、弾の光に更なる紅の彩りを与えた。
「――絶技『魔王結界』!」
 魔王レミリアは両手を高く振り上げると、力強く振り下ろした。
 彼女を中心に、六角形の巨大な結界が築かれる。光弾はそれに触れると、壁面に吸い込まれるように消えていく。
 レミリアとフランドールは更に攻撃を加え続けた。
 弾は水であり、結界は乾いた砂であった。結界は際限なく弾を飲み込んでいく。
 その様子を見て、レミリアは攻撃の手を止めた。姉の素振りを見て、フランドールも攻撃の手を緩める。
 臨界は、前触れなしに訪れた。
 結界が反転し、紅色の弾に変化する。返る弾の嵐となって二人姉妹に牙を剥いた。
 素速く反応したレミリアが、フランドールの手を取る。二人は即座に逃げ出し、なんとかこれをかわしきる。
「二人がかりとは、やってくれるじゃない!」
「最初出会ったときに、二人がかりをやってくれたのはどこの誰だったかしら?」
 結界であったものがすべて無へと帰ると、立て続けに永遠とも思える弾幕の通路が二人を挟み込んだ。
 終無『紅色の無限回廊』。
「もうネタ切れなの? 一度受けた弾幕は、二度とは通用しないわよ!」
 フランドールは高らかに叫ぶと、今度は彼女がレミリアの右手を取った。
 レミリアは、妹の手をしっかりと握り返す。
 二人は手を取り合って、弾幕の迷宮を走り出した。
「こんな日が来るなんて、思っても見なかったわ」
 ふと、そんな言葉を妹は漏らした。
「……私もよ」
 姉も頷く。
「不謹慎かもしれないけど、今は楽しい。……ずっと、続いたらいいなとも思う」
 レミリアは、久方ぶりに妹の本音を聞いたような気がした。いや、本音を姉に話してくれた、か。
「我が家に謹慎なんて概念あったかしらね」
 彼女は微笑むと、手を強く握り返した。
 二人の姉妹は、この世界に二人だけの姉妹は、一時の永遠を望んで無限に相対する。


■4-4■

 精霊たちの宴が頂点に達したとき、五つからなる一つの技は完成した。
「「火水木金土符『賢者の石』!」」
 精霊術の最高奥義が、まったく同時に放たれる。
 二つの同じ技は、万物を統べる渦となってぶつかり合う。
 パチュリーを、クリムゾンを、衝突の余波が襲う。
 パチュリーは結界を張ってこれを防ぐ。百年を越える歳月を過ごしてきた魔女たるもの、発作さえ来なければ六つのスペルを同時に行使することも不可能な話ではなかった。
 まったく同じようにして、クリムゾンも結界で身を守る。
 鏡面に向かい合ったように、戦いは激しい嵐を引き起こしながらも膠着状態に陥る。
 パチュリーは、時を待った。これは賭けであった。自分の発作が先に起こるか、それとも――。
「……く……ぐぬ……ぐぁぁぁぁっ!」
 クリムゾンの悲鳴が上がる。途中まで再生していた腹部の穴が再び裂け、同時に結界が音を立てて割れていく。
「これで――終わりよ!」
 仕上げとばかりに、パチュリーは己の全存在を精霊たちと同調する。
 拮抗は一瞬にして崩れた。すべての精霊たちは偉大なる魔女の前にひざまずき、にわか主の物真似師に反旗を翻す。
 世界全体とでも呼ぶべき力が、クリムゾンを飲み込んだ。

 パチュリーは、精霊たちを解放する。
 役目を終えた彼らは、魔女に一礼すると本来いるべき世界へと戻っていく。
 力は場から徐々に失われていき、破壊の中心部であった場所から一冊の本が姿を現す。
 物言う本は、ぼろぼろに薄汚れながらも奇跡的に原形を保っていた。世界による洗濯機とでもよぶべき弾幕の嵐に巻き込まれたというのに。
「なぜ、とどめを刺さない?」
 本は、魔女に問いかける。
 パチュリーはクリムゾンに歩み寄ると、ひょいと彼の身体を持ち上げた。傷口に軽く治癒魔法を行使する。
「私は殺し合いに参加した覚えはないわ。けが人は、おとなしく救護班の世話になってなさい」
 パチュリーは、意識のない咲夜の手当をしていたリトルに向かって、クリムゾンを無造作に放り投げた。
 リトルは慌てて彼に向かって手を伸ばし、抱きかかえる。
 戸惑った表情でリトルはパチュリーのことを見つめた。
 リトルの無言の問いに笑みで返事をする。
 それだけですべて伝わった。リトルは深く頭を下げる。
「じゃ、行って来るわね」

「そこぉっ!」
 フランドールはかけ声と共に、迷宮の一角に破壊の魔力を叩き込んだ。
 瞬間、無限に続くと思えた弾幕の回廊全体にひび割れが走る。
 迷宮は、粉砕される。
 弾幕の向こう側にいるはずの魔王レミリアめがけて、フランドールは突撃しようとする。
「危ない!」
 レミリアの声が後ろから響いた。
 言われる前にフランドールは羽を止める。
「宙滅『コズミックアヴァランチェ』!」
 フランドールの目と鼻の先を、弾幕の雪崩がかすめた。
 フランドールはにやりと笑う。レミリアは表情を変えないが、おそらく同じ思いであろう。
 二回も連続して同じスペル。相手のネタ切れだと判断したフランドールは、攻勢に出た。
 真正面から決壊した星くずの波に飛び込む。紙一重の間合いで次々に弾幕をかわし、スピードは緩めず、一気に術者――魔王レミリアの前に出る。
「これで――」
「終わり」
 フランドールの腹部を熱い物が貫いた。
 灼熱の炎の剣が、フランドールを串刺しにしていた。
「実戦不足のようね。こんな簡単なトラップに引っかかるなんて、拍子抜けだわ」
 魔王レミリアは、そのままゼロ距離から左右の腕を交互に突き出して、大量の魔力を弾にして叩き込む。
 フランドールの肉体が、まるで関節人形のように手足をあらぬ方向に曲げながらはね回る。
 とどめとばかりに一際強い魔力が放たれ、フランドールは串刺しのまま撃ち落とされた。

「フラン!」
 レミリアは落ちていくフランドールを追おうとする。
 その前に魔王レミリアが立ちふさがる。
「よそ見をしている暇はないわよ? もう一人の私」
 レミリアはきっと魔王レミリアを睨みつける。
 魔王レミリアは、既に呪文の詠唱動作を終えようとしていた。右手を高く掲げて、それは完成される。
 レミリアは目を見開いた。
 それは無限空間すら飲み尽くそうとするほどの、あまりに巨大な弾。紅色の破壊の化身。かつてレミリアが受けたものより更に強大な力の権化。

 勢いは一切殺されることなく、フランドールは遙か下方にあった床に叩きつけられた。
 それでも衝撃は相殺されず、彼女の身体は床を構築する物体を押しのけて深くめり込み、だがそれでも足らずに――。
 床が、崩壊した。一部の崩壊は、全体の崩壊にして新生であった。
 すべての床がばらばらに崩れていく。本棚は倒れ、沈み、あるいは宙に浮き、秩序だった山脈は混沌の象徴へと移りゆく。
 存在が不確かな天井の方から、本がこぼれ落ちてくる。かつて棚であったものが降ってくる。
 天と地はなくなり、代わりに全方位に無限の星空が輝き始める。
 重力場が消失し、すべては束縛より解放される。
 無限の世界を内包する宇宙が、その全貌の一つを露わにする。


■4-5■

「紅符『ザ・スカーレット』!」
 星々の煌めきの中、それすら従えようとばかりに巨大な紅が放たれようとする。
 レミリアも対抗してスペルを唱え始めるが、このタイミングでは間に合わない。とはいえ瞬時に行使可能な結界程度では、とてもあれを防げるとは思えなかった。
 それでもレミリアは諦めなかった。指と手の動きを止めない。だが、同時に衝撃に備えて反射的に身を固くする。
 攻撃は――運命の想定外によって止められた。
 いきなり魔王レミリアの心臓を一本のナイフが貫いた。何の前触れもなしに、それは忽然と出現した。
 魔王レミリアは現れたナイフを見つめると、呆けた表情で膝を折る。
 それでも腕は振り下ろされ、紅は放たれるが、行動は一拍遅れた。
 その隙にレミリアのスペルがぎりぎりで完成する。
「紅符『スカーレットマイスタ』!」
 無数の紅弾が神速で巨大な紅へと吸い込まれていく。
 耐久の限界点を越えたとき、紅が宙で爆発する。
 猛烈な紅色の衝撃波が二人のレミリアを襲った。
 翼を大きく広げると、レミリアは逆らわずに爆風に乗る。若干翼の角度を変えて軌道を調整すると、フランドールを追いかけて急降下した。
 かなりの距離を落下して――今や上下の境はなくなりつつあるが――レミリアは、フランドールの肩を抱いたパチュリーと合流する。
 パチュリーは、右手にほのかな魔力の輝きを灯らせて、フランドールの腹を貫いた剣の跡をそっと撫でていた。精霊を用いた治癒の魔法だが。
「……だめ。効果はないことはないみたいだけど、治りがかなり悪い」
 パチュリーは頭を振る。
「治癒魔法なんて普段の私たちには縁のないものだからね。効きにくくてもおかしなことではないわ」
 レミリアは自分の人差し指を強く噛んだ。血がにじみ、一本の紅い筋が伝い落ちる。
 それを、フランドールの口に含ませる。彼女はつたない舌の動きでそれを吸い、舐め取った。
「お味はどう?」
「……お姉様の味がする」
「そりゃそうね」
 シンプルな感想に、レミリアは肩をすくめた。
 フランドールはだいぶ落ち着いてきた。顔色も若干良くなってきたが、腹部を貫いた傷は治る気配を見せなかった。今も血が流れ続けている。
 突如、フランドールは咳き込む。口元から血を吐き出す。それは姉の指にもかかった。
 レミリアは、自分の物ではない血を舐め取る。悪くはない味だが、活きが悪くてあまりおいしくなかった。
「この借り、百万倍にして返すからね」
 フランドールは鋭い目つきで見上げる。
 レミリアは妹の目線を追って振り返る。
 魔王レミリアもまた既にこの階層にまで下りてきていた。左胸にナイフを刺したままで。
 魔王レミリアの右手が、胸から生えた柄をそっと撫でる。それは、人間なら明らかに致命傷だった。いや、妖怪であっても致命傷かもしれない。
 レミリアは、ナイフから立ち上る重く重なった気配を察知していた。あれはただのナイフではない。何百本ものナイフが、時空間上のただ一点を追い求めて重なり合った存在。運命を操る術者の思惑すら越えて、時間差で招集のかけられた起死回生の一撃。
「……人間も少しは使えるわね」
 レミリアは、きっちりと仕事はこなした従者の顔を思い浮かべた。リトルはきちんと介抱しているだろうか。
 魔王レミリアは、ナイフの柄を握ったまま力無く笑った。
「はは、あはははは――」
 右手の指先に力を込める。ナイフを少しずつ引き抜いていく。血が紅色の服の上を滴り落ちていく。
「おかしな話ね……。私は勝たなければいけないはずなのに、人間相手に気まぐれを起こして、こんな、決定的な傷を負わされるなんて……」
 一息に、魔王レミリアはナイフを引き抜いた。
 心臓から鮮血が噴き上がる。
 己の血すらもまとって、魔王は高らかに叫ぶ。
「でも、終わりじゃない! 私が負けることなんてあってはならない! 終わりを告げるのは――この私よ!」
 魔力が彼女の体内の中心部に収縮する。それは完全なる紅となり、波と化して光速で時空間に伝播する。
 無限の世界が紅色に染められ、終わりを告げる。
「これで最後よ――『ワールドレッドエンド』!」
 魔王レミリアのラストスペルが発動する。

 すべてを染める紅を前に、フランドールは涼しい顔をしている。それはレミリアも同様だった。
「やっと追いつめたわね」
「うん」
「いける?」
「私を誰の妹だと思ってるの?」
「もっともね」
 パチュリーに手で別れを告げると、レミリアはフランドールの手を引いて突撃した。
 世界全体が紅色の牙を剥き、時空間自体が弾幕と化して二人の姉妹に襲いかかる。
 スカーレット姉妹はそれを避けた。何の前触れも見せずに忽然と姿を現すそれらを、二人は避けて見せた。
 世界が紅になったというのなら、紅はまた彼女らの領域でもあった。
 三人の紅魔が世界すべてを凶器にして相対する。
「紅符『スカーレットシュート』!」
「禁弾『過去を刻む時計』!」
 二つのスペルは合わさり、一つの刃となって魔王レミリアを穿つ。
 紅は剣であると同時に盾でもあった。中心部の標的に到達する前に、刃は勢いを奪われて紅の中に消えた。
「遠距離攻撃じゃ駄目っぽいわね」
「だったら接近戦?」
「問題はどうやって近づくかね」
 盾は同時に剣でもあった。
 魔王レミリアは動かない。彼女は世界の中心にあって完全に紅と同化していた。
 それはすべてに終わりを告げる紅魔の王女。見えない境より訪れ、隣人を掌握する運命の支配者。すべてを統べてなお一人であり続ける孤独の少女。
「私がやる」
 フランドールが切り出した。
「けが人が?」
「私には、借りを返す機会が必要だわ」
「保証はできないわよ」
「大丈夫よ。だって、私のお姉様ですもの」
 フランドールは不敵な笑みを浮かべる。
 レミリアも笑って返した。
 作戦は決まった。といっても作戦と呼べるかどうかわからないほど至極単純なものだが。
 二人は肩を並べると、一気に世界の中心部めがけて突撃する。
 姉は妹の、妹は姉の左手をそれぞれ取ると、互いに大きく回転を始めた。
 姉が妹を、妹が姉を振り回す。速度は限界を突破し、遠心力は無限の増大を始め、すべてを染める紅の中にあって二人だけの領域が生じる。
 肌が全体から来る殺気を感じ取る。全方位から予備動作ゼロで紅色の凶器が迫り来る。
 攻撃が届く寸前、レミリアはフランドールを思いっきりぶん投げた。魔王レミリアめがけて。
 同時にスペルを発動させる。
「――『レッドマジック』!」
 それは紅の奇跡。紅魔と呼ばれる姫が放つ、夜の世界で最高の奇術。
 紅が紅を染め、魔王レミリアへの道を強引に切り開いていく。
 スペルを放って無防備になったレミリアを、紅色の凶器が飲み込んだ。

 フランドールは、紅の道を錐もみ状に回転しながら突撃する。
 目標、魔王レミリア。
 道が次第に狭くなる。レミリアが切り開いた領域を世界が押し潰そうとしていた。
 だが、そんなことは大した問題ではなかった。ようは、勝ちさえすればいいのだから。それで借りは返せるから。
 フランドールはスペルを唱え始める。
 紅の中にあって紅を貫くもの。世界の終わりすら破壊するもの。勝利を証明する全生涯を賭けた波紋。
 魔王レミリアに肉薄する。彼女は紅の中心でフランドールを睨みつけていた。
 紅色の道が切り裂かれた。終わりを告げる紅がフランドールに襲いかかる。
 だが、もう遅い。
「これで終わりよ――QED『494年の波紋』!」
 すべてを破壊する力が、ゼロ距離で炸裂した。

 世界を埋める紅が消失した。
 レミリアは顔を上げる。
 隣にはパチュリーが佇んでいた。すべての攻撃が止んだことを確認すると、彼女は組んでいた二重もの結界を解く。
「お返しは何がいいかしら?」
「ケーキがいいわ。取れたてのおいしい苺をのせた」
「本ではないのね」
「たまにはね。頭を働かせるには糖分も必要だわ」
 二人は、かつて紅色の世界の中心であった場所を振り向いた。
 そこには、二人分の妖怪の肉体が力無く浮遊していた。フランドールと、魔王レミリア。
 レミリアは妹の側に駆け寄る。
「フラン、フラン!」
 肩を揺すると、彼女は割とあっさり目を覚ました。
「……私は、クランベリーのケーキがいい」
 どうやら起きていたらしい。
「一人だけ仲間はずれでいいんだったら」
「お姉様、付き合って」
「……考えとくわ」
 腹部の傷は開いたままだが、この口振りならどうやら心配する必要はないようだった。一晩も寝れば癒えるだろう。
 レミリアはフランドールの手を取る。おうちに帰りましょうと、声をかけようとしたときだった。
「私は――」
 別の誰かの声がする。
 振り返れば、倒れた姿勢のまま魔王レミリアが力無く呟いていた。
「……私は……もう、二度と……」
 魔力が渦を巻く。
「……絶対に、負けることが……」
 残っているはずのない力が降臨を開始する。
「……あっては……ならない……」
 世界は、まだ紅い終わりを告げてはいない。
「……のよ……」
 魔王レミリアは何かに向けて右手を伸ばすと、そのまま気を失う。
「パチェぇぇぇっ!」
 レミリアは声の限りに叫んだ。
 同時にフランドールをたぐり寄せると、二重に結界を張り巡らす。
 世界が反転し、再び紅へと姿を変える。
 紅色の剛腕が殴りつけてきた。結界ごと二人は吹き飛ばされる。
 吹き飛ばされる最中も、時空間の一点一点が敵意を持って結界を削りにかかってきた。削れる速度に結界を保つ魔力の供給が追いつかない。
 もう駄目か――そう思ったとき、結界が別の結界と合わさった。複数人の力を得て、四重の結界が生み出される。
 パチュリーが合流した。後ろには咲夜とクリムゾンを連れたリトルもいる。
「ケーキは二個でいい?」
「三日に分けて、三個」
「了解」
「まあそれはいいとして。……まずいわね」
「どれくらい?」
「効果範囲が尋常じゃない。このぶんだと、幻想郷は当然として、近くの世界すべてに破滅が訪れそう」
 術者は意識を失っているというのに、スペルは終わるどころかますます威力を高めていた。
 このままでは、結界が保たない。いや、たとえ結界が保ったとしても、帰る場所を失うことになる。
 ならば、考えるまでもないことだった。レミリアは、こっそり結界のはずれに歩み寄る。
「レミィ? ……まさか」
「どうやら、あいつとけりをつけるのはやっぱり私の役目のようね」
「さっきより大嵐だってのに、一人で何とかするつもり?」
「他はほとんどけが人でしょ。かといってパチェがいなくなったらここ全滅だし」
「……すみません」
 クリムゾンを抱いた格好で、リトルが謝った。
「別に謝る必要なんてないわ。いったでしょ、これは私の役目だって」
 レミリアは右手をひらひらさせると、有無を言わせず結界の外に飛び出た。
 先のとがった突進専用の結界を張り直して、レミリアは神速で飛ぶ。
 と、結界の中に一人ついてきていることに気がつく。クリムゾンだった。
「役目といったな。ならば、お嬢様をお止めするのは私の役目だ。このままでは、全存在を魔力として使い果たして、消滅するやもしれぬ」
「でしょうね」
 ラストスペルと呼ぶにも尋常でない攻撃だった。これではまるで――断末魔に咲き誇る、最後の花。
「どうやって止めるつもり?」
「何とか、接近さえできれば。私の中に『ワールドレッドエンド』の情報も書き記した。これから止め方も逆算可能だ」
「ということは、やることはさっきと一緒ね。パートナーは役者不足だけど」
 レミリアはクリムゾンをつかむと、一人でぐるぐると回り始めた。
 紅の向こうに存在するもう一人の自分を見つめる。
 世界が紅に終わる、か。
 周囲の光景を見渡しながら、レミリアはあざ笑う。
 それは幻想に住まう幼き少女。夜と魔を支配する紅い月。時をも統べる紅魔の姉。
 すべてに終わりは訪れるが、それは今ではない。紅魔の目が紅いうちは、そんなことはさせない。
 幻想郷を染める紅はいったい誰か? ――そんなこと、証明するまでもないことだった。
「これで本当に終わりよ――『紅色の幻想郷』!」


■4-6■

 ゆったりとした午後の時間が過ぎていく。
 レミリアは、血のような色合いの紅茶を一口含んだ。
 口の中に残っていたクランベリー味とハーモニーを奏でながら、心地よく喉を潤す。
 隣では、パチュリーが本を読みふけっていた。
「いつも言ってることだけど。私とお茶を飲むときくらい、読書やめたら?」
「言ったでしょ、読書には糖分が不可欠だって」
「微妙に歪んでるわよ」
 パチュリーは返事をせずに、ケーキの上に乗った苺をおいしそうに頬張った。それからカップにほんの少しだけ残っていた普通の紅茶を飲み干す。
 コースターの上に戻すと、咲夜がそっとおかわりを注いだ。
 それはいつものお茶の光景。退屈だけど心安らげる時間。紅魔の時間が静止するとき。
 だが、それを破るものがあった。
 部屋の入り口で、誰かが派手に転んだ。ホームベースにスライディングした野球選手のように突っ伏しているのは、リトル。
「……どうしたの?」
 紅茶のカップを傾けながら、レミリアが尋ねた。咲夜が転んだまま動かなかった彼女を助け起こす。
 リトルは深呼吸して荒い息を落ち着けようとする。
 すー……はー……すー……はー……。
「少しは落ち着いた?」
 咲夜が尋ねると、リトルは何とかうんと頷いた。
 それから、口を開く。
「レミリア様、偵察の使い魔からの定期連絡が途絶えました」
 レミリアは眉を潜める。それから血入りの紅茶を口に運んだ。
 瞬間、紅魔館を轟音が揺るがす。カップが揺れて紅茶がこぼれる。
 レミリアが瞬きをすれば、紅茶はテーブルクロスもレミリアも汚してはいなかった。布巾とナプキンを携えた咲夜が、レミリアに目配せする。
 レミリアは、不敵な笑みを浮かべた。それはすべてを楽しむ悪魔の微笑みだった。
「客人のご到着のようね。リトルはフランを呼んできて」
 言うが早いか、レミリアは一人で部屋を飛び出していった。遅れてパチュリーが「まってー」と言いながら続き、リトルが慌てて別の扉から外に飛び出す。
 咲夜は、先にお茶の片づけを始めた。

 首に鈍い痛みを感じて、咲夜は目覚めた。
 頭が重い。過去がはっきりしない。状況が思い出せない。
 とりあえずこの痛みは何なのかと、咲夜は首を回す。
 そこでは、レミリアが申し訳程度に生えた小さな牙を突き立てていた。
 咲夜は、右手をレミリアの後ろに回すと、そっと頭を撫でた。
「人が気絶しているうちに飲むのは、お行儀が悪いですよ」
 レミリアは首筋から口を離すと、まっすぐ咲夜を見つめた。
「あなたは、夜の住人になりたかったのかしら?」
 その言葉で、咲夜は気絶する前のことを思い出す。
 布石を完成させたまではよかったが、逆襲を受けて血を吸われたこと。
 咲夜は首筋に右手を這わす。まだ暖かい血のぬめり。
 それから、周囲の状況を確認する。
 パチュリー、リトル、フランドール。だいぶ傷だらけで汚れているが、いつもの紅魔館の面々が五体満足で並んでいた。
「昼間でないと、洗濯物はよく乾きませんから」
 その言葉を咲夜は返答に選んだ。
 左手でハンカチを取り出すと、自分の血で汚れたレミリアの口を、丁寧にぬぐった。
 それから、残る二人の方を振り向く。
 完全に気を失った魔王レミリアは、暖かな魔力に包まれていた。その先は、まだ腹部に風穴が空いたままのクリムゾンに繋がっていた。
「あなたのお嬢様が起きたら伝えて。王様ごっこは、自分の家でやりなさいと」
 レミリアがそう告げると、クリムゾンは頷いた。
 虚空に漂う一冊の本が頁を開く。その先には、ここではない別の世界が広がっていた。
 クリムゾンと魔王レミリアは、その中に吸い込まれるようにして消えていった。
 途中、クリムゾンが一度だけこちらを振り向く。
 リトルが申し訳程度に手を振った。
 それを見たフランドールは、その手を掴むと、思いっきり振り回した。
 それに合わせて、レミリアとパチュリーも手を振る。
 クリムゾンが笑ったように、咲夜の目には映った。
「じゃ、私たちも帰りましょうか」
 クリムゾンたちが消えたのとは別の、一冊の本に向かい合う。その先には、懐かしい幻想郷の世界が見える。
 レミリアが先導に立って本の中に消えていく。咲夜は一番最後に扉をくぐった。
 扉とは、この無限の図書館では本の形をしていた。世界とはすなわち本だということなのだろうか。
 無事紅魔館に戻ると、咲夜は時空の扉に向き直る。
「だめよ、閉じては」
 レミリアが咲夜の隣に並んだ。
 理由がわからず、咲夜は次の言葉を待つ。
「一度倒したくらいでは気が収まらないわ。でもわざわざこちらから出向くのも面倒よね。だから、いつでもあいつがこられるようにしておくわ。何度でも返り討ちにしてやるために」
 そう言って、レミリアは不敵に笑った。

「咲夜ー?」
 レミリアが呼ぶ声が聞こえる。
 そういえば時間停止を忘れたな、と今頃になって咲夜は気づいた。
 咲夜は大きな声で返事をすると、時を止める。
 十六夜は、次の満月までを担うのが役目。
 後片づけを完了すると、咲夜は駆け出した。
 再度レミリアの刻が訪れる、その時のために。


-完-
やーっと書き上がりました。
実を言うと、魔王レミリアのネタ自体を思いついたのは半年ほど前だったんですが、どうも踏ん切りがつかずにプロットだけ練ること数ヶ月。
それなのに最終的な作品には反省点がそこかしこに残るという始末(汗)。
タイトルの後半部も、話を組み立ててみたら主役が咲夜であることが発覚してから付け足されました。

次のネタとして時間がないのに性懲りもなくオリキャラ&長編ものを考えてたりするんですが(爆)、公開はかなり先になるか、変則的なものになりそうな予感。


最後に、簡単なキャラ紹介を。
オリキャラである以上、当たり前のように俺設定全開ですんでそこのところよろしくお願いします。


○レミリア・スカーレット(魔王レミリア)
吸血鬼。自称魔王。
運命と破壊二つの能力を併せ持つ。

二つの能力を併せ持つ代償として、覚醒するまでは何の能力も使えなかった。
吸血鬼なのに最弱というそのときのコンプレックスにより、勝利に対して異常なこだわりを持つ。
強さの割りに小細工も使うのは、このときの経験より。
ただし覚醒後の能力を過信している面もあり、油断することもしばしばある。

レミリアとの容姿の違いは、髪にウェーブがかかってないことと、若干背が高め。


○クリムゾン
物言う本の妖怪。一応男性。
すべてを書き記す程度の能力を持つ。
戦闘では主に相手の技のコピーに用いられる。

リトル(小悪魔)と同じ魔力のプールから生まれる。
魔王レミリアと出会ってからは、彼女に名前を与えられて従者となる。

能力の特性上、好奇心が強い。
イースタンセラフ
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.1220簡易評価
1.50IC削除
いや~紅魔館組いいですねぇ(アレデモダレカワスレテルヨウナ…)。
いやいや彼女も大事な仕事をしました。多分。
敵役がイイ味を出していると話が締まりますね。よかたよかた。
長編お疲れさまです~。
15.60名前が無い程度の能力削除
あ、そうか。一年前の話なんですね。とズレた感想を呈してみたり。
17.70いち読者削除
全体を通しての感想を。
バトルの描写がかっこいいですね。ゲーム本編のスペルとオリジナルスペルのぶつかり合いが、迫力あります。
あと、それぞれのキャラがそれぞれの立場で活躍する姿が素晴しいですね。魔王レミリアと対峙する2人、話の端々に姿を見せるリトル、はたまた囮になった中ご……もとい美鈴まで(笑)。オリキャラのクリムゾンも非常にいい味を出していたと思います。
読みごたえのある作品でした。
28.100sisi削除
1から4までの感想をまとめて書く事をお許しください。
イースタンセラフさんの作品を拝読させて頂き思う事は
『上質の素晴らしい作品を読ませて頂けた』、という満足感溢れる思いです。
(それはもう!本当に……!)パチュリーが別空間にある本棚(それも目も眩むような高さ!)の本棚のある空間に何の躊躇もなく飛び込み、
読み始める所など可笑しくもあり、『少しは考えて!』と呆れもあり、
苦笑せずにはいられませんでした。オリジナルキャラクターである
魔王レミリアとクリムゾンは素晴らしく『魅せて』くれますね。
残虐非道ぶりが、徹底されている、手抜きでない描写は、みんな大丈夫
だろうか、と読む者をはらはらさせずにはいさせません。
クリムゾンの動きを訝っていた咲夜さんとの対決のシーンでの
彼(クリム!勝手に愛称で呼びまする!)の『ふむ……完全に、読めた』の
一言で、魅了されました。そうか、読むのか、ああ!この二人は
オリジナルキャラクターなんだけれど、幻想郷のどの住人にも負けず劣らずな
魅力のあるキャラクターだと、その時思わずにはいられませんでした。
最後にはきっちり決着がつき、なおかつこのあとどうなっていくかを
読む者に想像させる言葉がちりばめられ……とても幸せな一時を
過ごさせて頂きました。本当に、ありがとうございます。