レティ・ホワイトロックは名前がレティだけあって、レディ的な教養ということになると相応のものを持ち合わせていた。
というのは何気ない会話のさい「レティってレディっぽいよね」「それじゃきっとレディらしいに違いないよね」といった流れになることがしばしばあったので、否応なしにレディ的な知識を得ざるほかなかったのだ。
「――ということは」
レティの妹分であるところの氷精チルノは興味津々でいった。
「レディらしく、ドレスの一つや二つ、あるんじゃあないの?」
そう問われて、冬の妖怪は何かを思い出したように空を見上げた。
「ドレス……そうね。昔、持っていた気がする」
そのまなざしは、ここではないどこか、いまではないいつかを視ているようだった。
「ずっと――ずっと、昔に」
その人に出会ったのはいつだったか、いずれかの冬の日であったには違いない。
雪が降っていたのは、憶えている。
「もし――そこの妖怪さん」
なすこともなく、森の中の小路をぶらぶらしていたレティを呼び止めたのは、初老の女性。
黒いコートを羽織ってい、フリルのついた傘をさしていた。
品の良い雰囲気をただよわせた、たたずまい。
「何か? 人間の人」
「そのマント。裂けていてよ」
言われてみれば、マントの裾が裂けている。木の枝か何かで破れたのかもしれぬ。
「ああ……放っておけば、いずれ治るわ」
彼女の衣服は、いわば身体の一部である。寒気の力が宿れば、傷ついても元に戻るのだ。
「とはいえそれは」女性は温和な笑みをたたえたまま、いった。「レディのたしなみではないわね」
「レディ……?」
怪訝な顔をするレティに構わず、女性は手提げ袋から針と糸を取り出し、
「貸してごらんなさい。繕ってあげるわ」
無用なことを、とも思ったが、言われるままにマントを手渡した。
「冷たいこと!」
女性は愉しそうにほほ笑み、慣れた手つきでマントを修繕してみせた。
「これでどうかしら」
「どうも、……?」
返されたマントをふと見ると、繕った部分にいつの間にやら刺繍が施してある。
愛らしい形の、花の模様。
「器用なものね」
レティが舌を巻くと、女性は片目をつむってみせた。
「自分のことは全部自分でしないといけないから、得意になってしまったの」
もともと、裁縫仕事は好きなのだけどね、と彼女は続けた。
「手すさびに、服を仕立てたりもするのよ。もっとも、自分では着ないのだけど」
新雪を踏みしめながら、女性がいった。
別に用事があるでなし、レティは彼女に付き合って散策しているのだった。
「それは何故?」
「だって、私が作るのは、若い女性向けのものばかりなのだから!」
姉たちに着てもらうわけにもいかないしね、と彼女は笑った。
「そうだわ」
ふいに彼女が大声をあげたので、レティはあやうく、つんのめりかけた。
「あなたには、蒼いドレスがきっと似合いそう」
「ええ?」
「ちょっと、ごめんなさいね」
「!?」
ふいに身体のあちこちを触られ、レティはぎょっとしたが、老女のうむをいわせぬ迫力に押し切られてしまった。
「ふむふむ。寸法はわかったわ」
女性はしきりにうなずき、「あとはデザインね。やっぱり、イメージは冬かしら。でも……」
「何を、言っているの」
「え? ああ、あなたのために、服を仕立てようと思ってね」
「ええ!? 私は、お金なんて持っていないわよ」
もちろん、と女性は相好をくずした。「お代なんていらないわ。ただ、私が作りたいだけなのだもの」
(酔狂なことだ)
レティ・ホワイトロックは思った。
が、あまり、彼女が愉しそうで。
また自分自身も、そう、悪い気分ではなかったから。
「ひょっとして、迷惑かしら」
と、ちょっと小首をかしげられたとき、
「楽しみに、してるわ」
と、答えたのだった。
寒気が、薄れはじめていた。
「――もう春ってことね」
くちゅん、とクシャミをひとつ、レティはぼやいた。
冬が終われば春が来る。もう数え切れないほど繰り返されてきた、ことがら。
だが……
(あの人間の人は、どうしたかしら?)
――冬の間には仕上げるから。
――そうしたら、あなたに届けるわね。
そういっていた、あの女性は。
(ま、酔狂はいつまでも続かないのかもね)
縁もゆかりもない妖怪のために服を仕立てるなど、気まぐれ以外の何ものでもない。
また他のことに気をとられて、すっかり忘れていても、おかしくはなかった。
(いいんだけど、別に)
自分が望んだことでもない。
とりたてて、喜ばしいことでもない。
そのくせ。
(――もう、春になるわよ?)
すでに雪の溶けはじめた小路を、冬眠前の熊さながらうろうろしている自分が、レティは腹立たしくもあり、どこか、おかしくもあった。
「もし――そこの妖怪さん」
ふいに声をかけられ、レティは振り返った。
が、一瞬浮かべた笑顔はすぐに失望に変わった。
そこにいたのは、見知らぬ少女であったゆえ。
「何か? ――霊の人」
金髪の少女はふらふらと宙に浮いており、なかばは消えかけていた。
幽霊……かどうかはわからぬが、どうあれ霊的な存在ではあろう。
「あなたに……渡すものがある」
「え」
無言で差し出されたのは、紙の箱。
その中身は。
「これは」
蒼と白を基調にして仕立てられた、それは夜会服。
ところどころに刺繍されているのは、いつか見た、可憐な花。
黙然と衣装を見つめているレティに、少女がいった、
「……良かったら、ついてきてほしい」
否やはなかった。
石造りの古びた屋敷が、森の奥に静かに横たわっていた。
少女に連れられて中に入ると、耳が痛いほどの静寂が満ちている。
「――っ」
玄関ホールに、それはあった。
数え切れぬほどの小さな花に包まれた、棺。
「あの子の好きだった……花よ」
いつの間にか、別の少女たちがそばに現れていた。
彼女たちもまた、おぼろに姿が霞んでいる。
「……いつ?」
「つい、昨日のことよ」
金髪の少女が棺の中へ手を差し伸べつつ、答える。「その服を仕立て終えて……すぐに」
たいそう気にしていたわ、と別の少女がいった。「あなたが、待ってくれているだろうに……って」
レティはドレスを取り出し、広げた。
末期の作とは思えぬ、見事な出来。
華やかさの中にも、凛とした威厳が込められている。
そしてその厳かさ、激しさに耐え抜いて咲いたかのごとく、愛らしくも凄愴な花の柄。
――冬に咲く花、か。
袖を通すと、驚くほど身体に馴染んだ。
まるで、自分の一部であるかのように。
「お礼は、言えなかったけれど」
裾を翻し、飛翔した。
「ありがたく、貰っておくわ」
寒気を踏みしめ、透き間風に乗り。
春の足音を、冬のステップでかき消して。
レティは舞った。雪のように、氷のように。
ここだけが、冬のさかりであるかのごとく。
それは鎮魂の舞にあらず、四季の祝いであり、大地のことば、空のささやき。
手拍子打てば雪花散り咲き、ぐるり回れば白き渦巻いて。
辛気臭さとは無縁な、それは乱舞であった。
いつしか、かの霊少女たちも混じっていた。
レティの舞に魅せられて? あるいはまた、のしかかる哀しみから逃れるように。
気ままに踊り、気ままに音をかき鳴らし、気ままに飛び回って。
霞み、消えかけていた肢体に精気をみなぎらせて。
日がめぐり、時が過ぎ、吹き抜ける風が暖気をおび、四つの影が三つとなっても、陽気で騒がしい舞踊りは止むことを知らなかった。
「――とても、レディらしいとは言えなかったわね」
「え? 何が?」
なんでもないわ、とレティはチルノにほほ笑みかけた。
「でも、そうね。久しぶりに、ドレスを引っ張りだしてこようかしら」
「いいなーっ。あたしもドレス欲しいーー」
それなら、とレティは空を見上げた。雲の先。はるか先。
「知り合いに、頼んでみる?」
「おっ! さすがレティー、おでこも広いけど顔も広いー!」
「……やめとこうかしら」
「心は狭いーー!?」
へこむチルノのおでこをつっつき、レティは破顔した。
「レディへの道は――険しいってこと」
というのは何気ない会話のさい「レティってレディっぽいよね」「それじゃきっとレディらしいに違いないよね」といった流れになることがしばしばあったので、否応なしにレディ的な知識を得ざるほかなかったのだ。
「――ということは」
レティの妹分であるところの氷精チルノは興味津々でいった。
「レディらしく、ドレスの一つや二つ、あるんじゃあないの?」
そう問われて、冬の妖怪は何かを思い出したように空を見上げた。
「ドレス……そうね。昔、持っていた気がする」
そのまなざしは、ここではないどこか、いまではないいつかを視ているようだった。
「ずっと――ずっと、昔に」
その人に出会ったのはいつだったか、いずれかの冬の日であったには違いない。
雪が降っていたのは、憶えている。
「もし――そこの妖怪さん」
なすこともなく、森の中の小路をぶらぶらしていたレティを呼び止めたのは、初老の女性。
黒いコートを羽織ってい、フリルのついた傘をさしていた。
品の良い雰囲気をただよわせた、たたずまい。
「何か? 人間の人」
「そのマント。裂けていてよ」
言われてみれば、マントの裾が裂けている。木の枝か何かで破れたのかもしれぬ。
「ああ……放っておけば、いずれ治るわ」
彼女の衣服は、いわば身体の一部である。寒気の力が宿れば、傷ついても元に戻るのだ。
「とはいえそれは」女性は温和な笑みをたたえたまま、いった。「レディのたしなみではないわね」
「レディ……?」
怪訝な顔をするレティに構わず、女性は手提げ袋から針と糸を取り出し、
「貸してごらんなさい。繕ってあげるわ」
無用なことを、とも思ったが、言われるままにマントを手渡した。
「冷たいこと!」
女性は愉しそうにほほ笑み、慣れた手つきでマントを修繕してみせた。
「これでどうかしら」
「どうも、……?」
返されたマントをふと見ると、繕った部分にいつの間にやら刺繍が施してある。
愛らしい形の、花の模様。
「器用なものね」
レティが舌を巻くと、女性は片目をつむってみせた。
「自分のことは全部自分でしないといけないから、得意になってしまったの」
もともと、裁縫仕事は好きなのだけどね、と彼女は続けた。
「手すさびに、服を仕立てたりもするのよ。もっとも、自分では着ないのだけど」
新雪を踏みしめながら、女性がいった。
別に用事があるでなし、レティは彼女に付き合って散策しているのだった。
「それは何故?」
「だって、私が作るのは、若い女性向けのものばかりなのだから!」
姉たちに着てもらうわけにもいかないしね、と彼女は笑った。
「そうだわ」
ふいに彼女が大声をあげたので、レティはあやうく、つんのめりかけた。
「あなたには、蒼いドレスがきっと似合いそう」
「ええ?」
「ちょっと、ごめんなさいね」
「!?」
ふいに身体のあちこちを触られ、レティはぎょっとしたが、老女のうむをいわせぬ迫力に押し切られてしまった。
「ふむふむ。寸法はわかったわ」
女性はしきりにうなずき、「あとはデザインね。やっぱり、イメージは冬かしら。でも……」
「何を、言っているの」
「え? ああ、あなたのために、服を仕立てようと思ってね」
「ええ!? 私は、お金なんて持っていないわよ」
もちろん、と女性は相好をくずした。「お代なんていらないわ。ただ、私が作りたいだけなのだもの」
(酔狂なことだ)
レティ・ホワイトロックは思った。
が、あまり、彼女が愉しそうで。
また自分自身も、そう、悪い気分ではなかったから。
「ひょっとして、迷惑かしら」
と、ちょっと小首をかしげられたとき、
「楽しみに、してるわ」
と、答えたのだった。
寒気が、薄れはじめていた。
「――もう春ってことね」
くちゅん、とクシャミをひとつ、レティはぼやいた。
冬が終われば春が来る。もう数え切れないほど繰り返されてきた、ことがら。
だが……
(あの人間の人は、どうしたかしら?)
――冬の間には仕上げるから。
――そうしたら、あなたに届けるわね。
そういっていた、あの女性は。
(ま、酔狂はいつまでも続かないのかもね)
縁もゆかりもない妖怪のために服を仕立てるなど、気まぐれ以外の何ものでもない。
また他のことに気をとられて、すっかり忘れていても、おかしくはなかった。
(いいんだけど、別に)
自分が望んだことでもない。
とりたてて、喜ばしいことでもない。
そのくせ。
(――もう、春になるわよ?)
すでに雪の溶けはじめた小路を、冬眠前の熊さながらうろうろしている自分が、レティは腹立たしくもあり、どこか、おかしくもあった。
「もし――そこの妖怪さん」
ふいに声をかけられ、レティは振り返った。
が、一瞬浮かべた笑顔はすぐに失望に変わった。
そこにいたのは、見知らぬ少女であったゆえ。
「何か? ――霊の人」
金髪の少女はふらふらと宙に浮いており、なかばは消えかけていた。
幽霊……かどうかはわからぬが、どうあれ霊的な存在ではあろう。
「あなたに……渡すものがある」
「え」
無言で差し出されたのは、紙の箱。
その中身は。
「これは」
蒼と白を基調にして仕立てられた、それは夜会服。
ところどころに刺繍されているのは、いつか見た、可憐な花。
黙然と衣装を見つめているレティに、少女がいった、
「……良かったら、ついてきてほしい」
否やはなかった。
石造りの古びた屋敷が、森の奥に静かに横たわっていた。
少女に連れられて中に入ると、耳が痛いほどの静寂が満ちている。
「――っ」
玄関ホールに、それはあった。
数え切れぬほどの小さな花に包まれた、棺。
「あの子の好きだった……花よ」
いつの間にか、別の少女たちがそばに現れていた。
彼女たちもまた、おぼろに姿が霞んでいる。
「……いつ?」
「つい、昨日のことよ」
金髪の少女が棺の中へ手を差し伸べつつ、答える。「その服を仕立て終えて……すぐに」
たいそう気にしていたわ、と別の少女がいった。「あなたが、待ってくれているだろうに……って」
レティはドレスを取り出し、広げた。
末期の作とは思えぬ、見事な出来。
華やかさの中にも、凛とした威厳が込められている。
そしてその厳かさ、激しさに耐え抜いて咲いたかのごとく、愛らしくも凄愴な花の柄。
――冬に咲く花、か。
袖を通すと、驚くほど身体に馴染んだ。
まるで、自分の一部であるかのように。
「お礼は、言えなかったけれど」
裾を翻し、飛翔した。
「ありがたく、貰っておくわ」
寒気を踏みしめ、透き間風に乗り。
春の足音を、冬のステップでかき消して。
レティは舞った。雪のように、氷のように。
ここだけが、冬のさかりであるかのごとく。
それは鎮魂の舞にあらず、四季の祝いであり、大地のことば、空のささやき。
手拍子打てば雪花散り咲き、ぐるり回れば白き渦巻いて。
辛気臭さとは無縁な、それは乱舞であった。
いつしか、かの霊少女たちも混じっていた。
レティの舞に魅せられて? あるいはまた、のしかかる哀しみから逃れるように。
気ままに踊り、気ままに音をかき鳴らし、気ままに飛び回って。
霞み、消えかけていた肢体に精気をみなぎらせて。
日がめぐり、時が過ぎ、吹き抜ける風が暖気をおび、四つの影が三つとなっても、陽気で騒がしい舞踊りは止むことを知らなかった。
「――とても、レディらしいとは言えなかったわね」
「え? 何が?」
なんでもないわ、とレティはチルノにほほ笑みかけた。
「でも、そうね。久しぶりに、ドレスを引っ張りだしてこようかしら」
「いいなーっ。あたしもドレス欲しいーー」
それなら、とレティは空を見上げた。雲の先。はるか先。
「知り合いに、頼んでみる?」
「おっ! さすがレティー、おでこも広いけど顔も広いー!」
「……やめとこうかしら」
「心は狭いーー!?」
へこむチルノのおでこをつっつき、レティは破顔した。
「レディへの道は――険しいってこと」
べりぃGoodです。
しんみりとしているけれど、変にしめっぽくなることもなく、それでいて短くまとめられた良い作品だと思います。
ところで、冒頭の、
>得ざるほかなかったのだ。
の部分は違和感を感じました。確かに「得ざるを得ない」って書くとそれはそれで変ですが。
…まあ、自分も国語には自身が無いんですけどね…。