季節は春。寒さが和らぎ、暖かくなる時期である。しかし、三寒四温という言葉を忘れてはいけない。冬ほどの寒さではないが、暖かさで油断しきった体には辛い寒さが襲ってくる。
この時期は体調管理が難しい時期である。寒い日もあれば暖かい日があるので、なかなか体が順応していけないのだ。それに季節の変わり目とはよく言うものである。
そして、予想に違わず風邪を引いて寝込んだ者は幻想郷にもいた。博麗神社の巫女、博麗霊夢もその一人である。
「39.2℃か。これはまた盛大に風邪をひいたものだな」
この日も、魔理沙はいつも通り博麗神社にお茶と茶菓子を頂戴に来た。しかし、普段ならのんびりと境内を掃除している霊夢の姿は無く、ついに色々と面倒になって家に引きこもったかと思って母屋の方へ踏み込み、熱で倒れていた霊夢を発見した。
「まあ、治るまで安静にしておくんだな。といっても、霊夢に何かやらなくちゃいけない事なんて何も無いだろうけど」
「う、うるさいわね。どうせ私は暇人よ。毎日のんびりのびのびまったりと。これが私のもっとうなんだから」
いつもの様に霊夢はの軽口に言い返すが、その口調は弱々しいものだった。何となく居心地が悪いものを感じて、魔理沙は立ち上がり、台所のほうへと向かった。
「そろそろ昼飯の時間だし、何か食べるもんを作ってくるぜ。安心しろ、霊夢の分も作ってやるからさ」
「食材とか、どこに置いてあるのか分かってるの?」
「何年の付き合いだと思ってるんだ?この家の構造から霊夢が隠している饅頭の在りかまでばっちり分かってるぜ。ついでに霊夢秘蔵の煎餅を代賃として貰ってこうかな」
「ちょっと、勝手にあれを食べないでよ。毎日少しずつ食べるのが楽しみなんだから!」
慌てて起き上がり、魔理沙に詰め寄ろうとした霊夢だが、前のめりに崩れた。慌てて抱きかかえる魔理沙だが、霊夢の荒い呼吸に表情が曇った。
「悪い、少し調子に乗りすぎた。今何か作ってくるから、少し待ってろ。朝から何も食べていないんだろ?」
「…うん、お願い」
霊夢を布団まで運び、布団を掛け直して魔理沙は部屋を後にした。普段とは比べ物にならないほど弱々しい霊夢を見ていると、いたたまれない気持ちになって仕方が無かった。
何の特徴も無い、強いて言うなら貧相さが漂っている神社。博麗神社に来てからの第一印象はそれだった。
この神社の事は話の噂には聞いていた。しかし、どれも漠然としたもばかりで、興味を引くものは無かった。そのうち、この神社の事そのものを興味の対象外として扱うようになった。
しかし、先日の遠乗りの際に、この神社を見かけた。その時は別の用事の帰りで、日も沈みかけていたので立ち寄る事はしなかったが、後で思い返した時にあの神社が博麗神社だと思い当たった。
噂はともかく、幻想郷の端に位置していたこの神社がどのようなものか確かめてみたい。そう思って実際に足を運んだが、どうやら期待はずれの結果に終わりそうだった。
「何だ、しけた神社だな。もっと怪しげな神殿とか、生贄を祭る祭壇とかを期待していたのにな。これじゃ期待はずれもいいところだぜ」
一通り境内の中を見て周り、思わず愚痴がこぼれた。今までに神社を見た事は無かったが、それでも興味を引くものは何も無かった。
無駄足だったと嘆いて帰ろうとした時だった。気配を感じ、振り返った先には人がいた。服装は巫女服を着ていて、髪は黒色、そして年齢は同い年ぐらい。しかし、彼女の目は尋常ではなかった。
酷く無機質で、感情の色が見えない目。その目を見つめるだけで、背筋に冷たいものが走った。
「誰?」
感情の無い声が聞こえる。しかし、そんなものはまるで耳に入ってこなかった。目の前にいる巫女から感じる強い拒絶感ともとれる気配に圧倒されていた。
「出て行って」
「…言われなくても、こんな御利益のなさそうで愛想の無い巫女がいる神社なんて出て行くぜ」
一秒でも早くこの場から離れたい。こんな薄気味悪い巫女と関わりたくない。口では強がりを言っているが、自然と箒にまたがる動作が早くなった。
二度とこんな場所に来るものか。そう思って地を蹴り、宙に舞い上がろうとした時だった。人が倒れる音がして、振り向くと先ほどの巫女が倒れていた。
「お、おい!どうしたんだ!?」
二度と係わり合いを持ちたくないとつい数秒前に誓ったばかりだが、その対象となる相手が倒れていても見過ごせるほどの非常さを持ち合わせていない自分を呪った。
魔理沙が雑炊をスプーンですくい、霊夢の口元へと運ぶ。運ばれてきた雑炊を霊夢は口にし、ゆっくりと噛んで喉に通した。食事を口にする霊夢の表情は、熱でいかにも辛そうだった。
「どうだ、魔理沙様特性雑炊の味は?」
「意外と、悪くない…」
「そうだろ、そうだろ。なんて言ったって、この雑炊は私が長年試行錯誤を繰り返してきたものなんだからな。ちなみに、作り方については企業秘密な。もし公表されたら、人里の飯屋が全部潰れかねない」
魔理沙の軽口に反応せず、霊夢はただ黙々と運ばれてきた雑炊に口をつける。魔理沙の方も、今の霊夢にたいした反応を求めていない。ただ単に、長い年月を経て癖になったものが抑えられないだけだった。
「まったく、つくづく私もお人よしだよな。霊夢がこうして熱を出して倒れる度に、こうして看病しているんだから。それでいて、私は霊夢に看病された記憶が一度もないんだからな」
「…そうね、ありがとう」
普段ならここで憎まれ口なり、反論なりが飛んでくるところだが、弱っている霊夢は驚くほど素直になる時がある。そんな霊夢に魔理沙は会話の調子が崩されて戸惑う事もしばしばあった。しかし、普段とは違う霊夢の一面を見ているという実感も、魔理沙か感じていた。
「それにしても、毎度思うんだが、霊夢って体調を崩すときっていつも大きく崩すよな。やっぱり普段からの栄養不足が祟っているのかな」
「そう思うんだったら、ちゃんと賽銭を入れてよね。そうすれば、一々風邪の度に倒れるなんて事は無くなるんだから」
雑炊を食べ終わり、霊夢は再び横になった。魔理沙は霊夢の布団を掛けなおした後、霊夢の額に濡れたタオルを置いてあげた。
「そう言えば、私達が出会った時もこんな感じだったかな。霊夢がぶっ倒れて、私が看病して。まあ、あの時は大変だったて事はよく覚えているぜ」
「そうだったっけ?私はよく覚えていないわ。もう何年も前の事だし」
温くなったタオルを回収し、桶の中の水に漬けて冷やしなおす。そして、霊夢の額にもう一つ漬けておいた絞ったタオルを置きなおした。魔理沙の動作は手馴れたものだった。
「それにしても、この神社には薬の一つも置いてないとはな。普通は薬の一つや二つは置いてあるもんだぜ」
「薬を買うお金があったら、食べ物を優先して買うわ。薬じゃお腹は膨れないから」
霊夢のその言葉に、何か間違っていると思っても何も言い返す事はできなかった。ああ、悲しきかな。博麗神社の台所事情。
どうやら自分の認識を改めたほうが良いかもしれない。こんな見ず知らずの薄気味悪い巫女を介抱するなど、どうかしていた。それも望まれた訳でもなく、むしろ拒絶されているにも関わらず。
「まったく、どうかしてるぜ。こんなに熱があるのに動き回るなんて。病人だったら病人らしく大人しくしていろってんだ」
倒れた巫女は病気を患っていた。ただの風邪なのかもしれないが、額に手を当てただけでも相当な熱がある事が分かった。そのくせ、あの時はつらそうな表情一つせず、体調が悪い事を微塵にも感じさせなかった。
「ま、どうかしているのは私の方もだけどな。何が悲しくてこんな奴の面倒をみなくちゃいけないんだ?私の辞書には無償奉仕なんて言葉は無かったはずなんだがな」
巫女が倒れた際、思わず駆け寄ってしまったのが悪かったと思う。いや、倒れた音を聞いて、振り向いた事が悪かったのかもしれない。気にせずにそのまま立ち去っていれば、こんな面倒事にならなかったはずだ。
巫女は駆け寄った時にはすでに意識が無かった。意識が無くなるまで無理をして、それでいて顔色一つ変えないなんて事は信じ難い事だが、とにかくあの時は大いに慌てた。おかげで、気がついたら巫女を母屋まで運んでいて、寝室に運び入れて布団の上に寝かせ、ついでに濡れたタオルを額の上に乗せる事までやっていた。
自分でもどうしたものかと悩んでいた。この巫女にここまでしなければならない義理はどこにも無い。このまま立ち去るべきだと何度も思った。しかし、どうしてもこの巫女を見捨てる事ができなかった。
しばらくして、巫女が目を覚ました。ちょうど温くなったタオルを交換していた時だった。相変わらず無感情な目をしていた。表情も相変わらず何も感じさせないものだったが、それでいて呼吸だけは荒かった。
「何をしてるの?」
「見て分からんか?お前を看病してるんだよ。理由を尋ねられても困るがな。私も何故お前を看病しているのか分からんから」
巫女が顔をこちらに向け、見つめてくる。相変わらず不気味な目をしていた。その瞳に、本当に自分の姿が写っているのかさえ疑問である。
「不要よ。出て行って」
「ああ、そうだろうよ。私もお前の看病をする事に何の意味も無いと感じていたんだ。それも、看病してくれた相手に礼の一つも言えない奴のな」
そう言って立ち上がった。本人からも必要ないと言われたのだ。ここにいる理由が何一つ存在していない。一秒でも早く立ち去り、少し遅めの昼食を取るのが利口な選択というものだろう。
「少し待ってろ。雑炊か何かを作ってきてやるからさ。食欲はわかないだろうけど、こういう時はちゃんと腹に物を入れないと、治るものも治らないからな」
「私は帰れと言ったのよ」
「うるさい。いくらお前みたいな薄気味悪い奴でも、目の前でぶっ倒れられたら見過ごせないだろ。お前は見過ごせるかもしれないけど、少なくても私は見過ごせない。見たところじゃお前は一人で住んでいる様だし、誰かがお前の面倒を見なくちゃいけないんだ。だから私がお前の面倒をみてやるって言っている。人の好意黙って受け取っておけ」
まだ何かを言いかけている巫女をそのままにして、部屋を出た。台所の場所は分からないが、適当に探せばすぐに見つかるだろう。外から見た限りでは、大きな家ではなかったのだ。
自分でも馬鹿な事をしていると思う。感謝される訳でもなく、お礼が期待できる訳でもない。それでも見捨てて立ち去ろうという気持ちが不思議と沸かなかった。
診察に来た永琳が帰り、出した茶菓子とお茶を魔理沙は片付けた。そして、片付けている間に火に掛けておいたヤカンからお湯を湯飲みに注ぎ、霊夢のところへと持って行った。
「おーい、お湯ができたぞ。早いところ永琳がくれた薬を飲んじゃえよ」
「御免ね、何から何まで。永琳まで連れて来てくれるなん、本当に悪いわね」
「良いって事よ。病気の時はお互い様だろ。私が好きでやってる事なんだから、気にするな」
素直に感謝されて、魔理沙は照れ隠しの為に深く帽子をかぶりなおした。看病の都度に思う事だが、どうも素直な霊夢の反応はむずがゆくて仕方が無いのだ。
魔理沙が作った昼食を食べ終えた霊夢は、すぐに眠りに付いた。昼食の後片付けを終えた魔理沙は苦しそうに寝ている霊夢を見て、腕は確かだがどこか胡散臭い医者の永琳を連れてこようと決めた。やはり、医者に見てもらうのが一番だと判断したのだ。
永琳の診断では、予想通りただの風邪であった。しかし、常日頃の貧相な食生活によって栄養が足りておらず、ここまで悪化したとの事だった。
「まったく、皆がもっとお賽銭を入れてくれれば私がこんなに苦労しなくても良いのに」
それは霊夢がしっかり働かないから悪いんじゃないのかと魔理沙は言いかけたが、無駄な事だと思って止めた。何度もこういう会話はした事があるが、一度たりとも聞き流されなかった事はなかったのだ。
「でも、便利な世の中になったものだよな。こんな所まで足を運んでくれる医者がいるんだもんな」
「もっとも、魔理沙が半分強引に連れてきた感じだったけどね。別に急がなくても良かったのに」
「あそこでのんびりしていたら、いらん連中まで付いて来そうだったからな。病人は静かに寝ているのが一番だぜ」
もっとも、魔理沙に一分一秒でも早く帰って来たいという思いがなかった訳では無いが。
「まあ、何だ。もう一寝入りしたらどうなんだ?永琳の言葉だとただの風邪の様だし。しっかり寝て、しっかり食べて、早く治したもんが勝ちだぜ」
「誰と競争するのよ。でも、そうね。もう一寝入りするわ」
「ああ、そうしろ、そうしろ。後で目が覚めたら、リンゴを剥いておくからさ」
「うん、お休み」
しばらくして、霊夢の寝息が聞こえてきた。相変わらず呼吸が荒い。しかし、食事を取り、永琳印の薬を飲んだおかげで、朝に比べたら少し落ち着いているようだった。
魔理沙は霊夢の額においてあるタオルを交換し、よく冷やした濡れタオルを置いた。本当は氷嚢があればいいのだが、無い物をねだっても仕方が無い。チルノを連れて来ても良かったが、下手に騒がれても困る。
桶の水を替える為に、霊夢を起こさない様に静かに立ち上がった。そして井戸の方へと向かう途中、魔理沙は自分が結局昼食を食べていなかった事を思い出した。
結局、数日に渡って巫女の面倒を見る事になってしまった。初めはその日だけだと思っていたが、二日目、三日目とずるずると面度を見てしまったのだ。
看病をしている間、巫女は感謝の言葉を一度も口にしなかった。相変わらず無機質な、虚ろな目で見てくるだけだが、帰れと言われなくなった分だけ進歩とも言える。
「だいぶ調子が良さそうになったじゃないか。この分なら私が付いていなくても、もう大丈夫そうだな」
朝神社に来てみると、巫女が布団から上半身を起こしていた。顔色の方は残念ながら未だに違いが分からないが、呼吸は荒くなくなっている。試しに巫女の額に手をやったが、昨日ほど熱くなかった。
「もうちょっとってところか。咳はまだ収まっていないみたいだし、もうちょっと安静にしているんだな。まあ、こんな辺境でやる事なんてほとんど無いだろうけど」
荷物の中から材料を取り出し、台所へと向かった。どうせ起きていただけで、朝食など取っていないだろう。あの巫女はちゃんと朝昼晩食事を取るという事にあまり関心が無さそうに思えたからだ。
自宅から持って来た御飯で雑炊を作り、巫女の元へと運ぶ。巫女は相変わらず布団から上半身を起こした状態だったが、何をする訳でもなく、ただぼんやりと宙を見つめているだけだった。
「おーし、お待たせ。朝飯の時間だぜ」
雑炊を巫女に渡すと、巫女はおずおずと食べ始めた。初めは巫女が拒んだ為に食事を食べさせるのに苦労したが、今では黙って食べるようになった。本当なら美味しか美味しくないかも言って欲しいが、そこまでは望めそうにはなかった。
「もう一人で食べれるな?食べ終わったらそこに食器を置いといてくれ。後で片付けるから」
「どこに行くの?」
「掃除をするのさ。昨日も一昨日も、お前が眠った時なんかに掃除をしていたんだ。何せこの神社は恐ろしく汚いからな」
「勝手な事をしないで」
「安心しろ、この家の物をいじらない程度にしかやっていない。でも、いくらなんでも汚れすぎだと思うぜ。どれだけ掃除せずに放置していたんだ?」
別にどれだけ放置されていようともかまわなかった。どうせこの巫女の事だ、最低限の環境水準を保つ事さえ興味が無いのだろう。
雑炊を食べ続ける巫女を後に、境内の掃除を始めた。放置してあった落ち葉やどこからか飛ばされてきたゴミなどが散乱していて、とても参拝客が訪れる気にはならない状態であった。
掃除ごときに相棒を使うわけにもいかないので、昨日のうちに見つけておいた掃除用具入れから取り出した古い箒を掃除に使った。流石にこの状態の境内を一人で掃除するのは骨が折れる事だったが、それでも最低限は綺麗にしておこうと思った。本当なら自分の家も人の事が言えた義理ではないが、他人の家に行くとやたらと汚れているのが気になるという心理なのだろう。
掃除をしている最中に、ふとある物に気がついた。境内の片隅に無造作に棒が大地に刺さっていた。棒は朽ち果てていて今にも折れそうであるが、良く見ると本で見た事のあるお払い棒の様にも見える。そして、棒の周りには枯れているが花が添えられていた。
「なあ、庭の片隅にあるのって、誰かの墓なのか?」
巫女の部屋に戻ると直ぐに尋ねた。余りに粗末な作りで、一見墓とはまるで見えない様な代物だが、それでも気になった事があった。
「ひょっとして、お前の家族のものなのか?」
ここに来て、今まで何の反応も示してこなかった巫女に、初めて反応らしきものがあった。一瞬だけ彼女の瞳に灯った、悲しみの色。深い、余りに深い悲しみの色だった。
「あんたには、関係ない」
「御免、悪かった」
人には立ち入ってはいけない領域がある。この巫女の場合、家族の事がそうだろう。何があったかは分からないが、この巫女の感情が死んでいる原因に違いが無い。
その後も、巫女はずっと上半身を起こした姿勢で宙を見つめていた。何を考えているか分からない表情で、昼も、夜も、ずっと同じ姿勢でいた。帰り際にちゃんと寝るようにと説得したが、聞き入れられる様子も無かったので、諦めて巫女の好きにさせる事にした。
翌日、神社に来てみると巫女が例の墓の前に立っていた。墓に供え物をする訳でもなく、枯れた花を取り替える訳でもなく、ただ黙って墓を見つめているだけだった。
「よ、もう出歩いても大丈夫なのか?」
一応挨拶はしたが、案の定、巫女から挨拶は帰ってこなかった。私も別に期待していた訳じゃないので気にはしないが、巫女が何をしているのかは気になった。しかし、雰囲気がそれを尋ねる事を阻んだ。
「なあ、この下に誰が眠っているんだ?」
しばらく巫女と並んで立っていた後、思い切って聞いてみた。返答は期待していないが、このまま黙って立っているのは性に合わないのだ。
「誰も。誰もここには眠ってはいないわ」
「でも、これって墓だろ。それじゃあ、誰かがこの下に埋められているじゃないのか?」
「死んだらそれは人じゃなくなる。ただの人だったものになるだけ。だからここには、誰も、眠ってなんかいないわ」
予想に反して返事が返ってきた。相変わらず無機質な声だが、どこか悲しみが滲み出ている声だった。
「あの墓に使っている棒、今にも折れそうだな」
「ただの、棒よ」
それでも、ただの棒の前に何時間もいるつもりなのか。何故こうまでして割り切らなくてはいけないのか。何の為にお前は心を凍りつかせているのか。立ち入ってはいけない領域に、分からない事が多すぎた。
しかし、やるべき事はもう決まっていた。
「よし、裏の山に行こう。その棒に代わる墓石を探してこようぜ。」
「余計な事はしないで」
「馬鹿言え。婆ちゃんが言っていたぜ、ちゃんと死んだ人は供養してやらなくっちゃいけないってな。こんな棒切れ一つで供養になるもんか」
まだ拒否の態度を顕わにしている巫女を無理やり箒に乗せて、宙に舞い上がった。珍しく感情的な声で抗議している巫女を連れて、一路裏山を目指した。
何故自分はこうまでしてむきになっているのだろうか。それは何度自問しても答えは出そうに無かった。
「おーい、着替えは終わったか?」
「うん、着替えの用意までありがとうね」
魔理沙が夕飯の片付けを終えて霊夢のいる寝室に戻ると、先に渡しておいた寝巻きに霊夢は着替え終えていた。昼間散々汗をかいた服で寝るのはよろしくないという事で、魔理沙が着替えさせたのだ。
「そっか。じゃあ、これお湯な。薬をちゃんと飲むんだぞ」
「分かってるって。子供じゃあるまいし」
永琳が調合してくれた食後に飲むタイプの薬を、霊夢は一息で飲んだ。不味そうな顔一つしないところを見ると、どうやら味の方も工夫されているようだ。魔理沙が飲んだ事のある薬は、どれも劇的に不味いものばかりであった。
「本当、永琳って凄いよな。私なんて薬を飲むなんて嫌で嫌で仕方が無いのに。あんまり薬を飲むのが嫌だったから、病気をしなければいいんだっていう悟りまで開いたぜ」
「何よ、魔理沙の方がよっぽど子供みたいじゃない」
そう言って霊夢は起こしていた上半身を寝かせ、布団の中に入った。それを見て魔理沙は何も言わずに濡らしたタオルを霊夢の額に置いた。
「ねえ、魔理沙は今日どうするの?」
「泊まってくよ。こんな状態の霊夢をほったらかしにできるか」
「別にいいのに。何か悪いし」
「気にするな。私がしたくてやっているだけだ」
自分が寝る為の布団を敷いて、魔理沙は明かりを消した。そして、霊夢の睡眠の邪魔にならないように、静かに布団に横たわる。
「お休み、霊夢」
「お休みなさい、魔理沙。今日は本当にありがとう」
霊夢の素直な感謝の言葉に、魔理沙は慌てて帽子を深くかぶろうとした。しかし、就寝時に帽子をかぶっている訳も無く、手はただ空を切るだけだった。
しばらくして、霊夢の静かな寝息が聞こえてきた。
目の前には大小様々岩や石が転がっていた。あの巫女と二人で墓石になりそうな物を手当たりしだい取ってきたのだ。もっとも、正式な墓を作れる訳ではないので、墓標の様なものでしかならないが。
「さてと、こんだけ集めればいいか。後はお前の仕事だぜ」
巫女が相変わらず無言で立っていた。墓石を集める際、当初は抵抗したものの諦めたのか、それとも病み上がりで体力がすぐに尽きたのかは分からないが、大人しく付いてくるようになった。そして、今こうして墓石選びをしている。
「どれでも良いと思うぜ。お前が選んだものなら、死んだ奴もちゃんと納得してくれると思う」
しばらく巫女は立ち尽くしていた。ぼっと石や岩を眺めているだけで、本当に選ぶ気があるかどうか分からなかった。ただ私は何となくこの巫女を信じていた。
どれだけ長く立ち尽くしていたか分からなかったが、気がついたら巫女は自然と歩み始めていた。そして一つの石を選び出していた。
巫女の選んだ石は何の特徴も無い、一抱えぐらいの大きさの石だった。何の判断基準でこの石に決めたのかは分からないが、巫女が選び出した石だ。私がどうこう言う権利は無いし、言うつもりも無い。
「そいつで、良いんだな?」
巫女が無言で頷く。そして、その石を抱えて例の棒の元へと歩み寄る。私はその様子を、ただ後ろで見守っていた。私には見守るだけしかできなかった。
巫女がしばらく逡巡した後、棒を抜き取った。そして、それを刺さっていた場所に埋め、その上に石を置き、。大事に半分埋めるようにして、その場に石を固定した。
作業を終えても、巫女はその場から動こうとしなかった。私も声を掛けようにも、何と声を掛ければいいか分からなかった。何も声を掛けれないまま、ただ時間だけが過ぎていった。
「…私の父さんとお母さんはね」
どれだけこうしていた時だろうか。ポツリと巫女が声を出した。
「私が幼かった頃、ここで殺されたんだ」
それは過去を呪うかのような声だった。巫女の目も、無機質な色の中に深い悲しみの色が隠されているのが見て取れた。
「私が庭で遊んでいた時、ここで妖怪に襲われたの。私の悲鳴を聞いて直ぐにお父さんとお母さんが飛び出してきたんだけど、その妖怪に負けて食べられちゃったの」
はっきりと巫女の目に、悲しみの色が浮かび上がってきた。表情も無感情なものから、深い悲しみのものへと変わていた。それを見て、私は自然と巫女の方へと歩み寄る。
「お父さんもお母さんも、私よりも霊力が低くてね。何とか善戦したんだけど、結局私の前で食べられちゃった。酷いんだよ、残っていたのはお払い棒とそれを持っていた手だけで、あとは綺麗に食べられちゃったんだから」
目の前で両親が食べられるのを、一部始終見ていたのだろう。まだ幼かった巫女に対して、これほど残酷な事は無い。しかし、掛けるべき言葉が、何も出てこなかった。
「何でお父さんとお母さんは食べられちゃったんだろう。私がこんなところで遊んでいたからかな。私が悲鳴なんて上げたからかな。私が…」
いきなり、巫女が泣きながら抱きついてきた。今まで殺し続けてきた感情が堰を切ったように溢れ出てきて、抑えようの無いものになっていた。しかし、私にはそれをどうする事もできなく、ただあたふたしているだけだった。
「お父さん…お母さん…」
巫女はしきりにお父さん、お母さんと呼んでいた。嗚咽の混じる声で、何度も、何度も呼んでいた。
だが、やはり私にはどうする事も、優しい言葉を掛ける事もできずに、ただ立ち尽くしていただけだった。
結局のところ、巫女は両親の死を受け入れる事ができなかったのだ。心を殺し、感情を殺し、両親の死という事実を受け入れる事を頑なに拒み続けた。それどほどまでに、受けた心の傷は深かったのだろう。
いまさらながら、後悔していた。両親の死、それも目の前で残酷に殺された事について、この巫女を向かい合わせるべきではなかったのではないか。もっと時が経ち、記憶が風化してからのほうが良かったのではないか。ただ漫然と、死者に向かい合わせるようにさせたのは間違いではなかったのか。
いくら後悔してもしきれなかった。そして、情けない事に、自分の胸の中で泣いている巫女に対して掛ける言葉が思いつかなかった。そんな情けない自分を呪う事しか、できなかった。
どれだけこうしていただろうか。巫女がいつの間にか泣き止んでいて、そして顔を上げた。その表情に無機質なものは無く、感情に溢れていた。
「御免ね、勝手に抱きついて、勝手に泣いちゃって。迷惑だったよね?」
「いや、別に私は迷惑はしていないぜ。私こそお前の事情を考えずに、出すぎたまねをしたと後悔しているよ」
「ううん、良いの。私はただ逃げていただけなのかもしれないから」
巫女に感情が戻っていた。まだ悲しみの色が消えないが、それでも殺し続けてきた感情が戻っていた。どうやら先ほどの事で、一気に感情が爆発したようだ。
「ありがとう。もう大丈夫だから。本当は一人で向かい合わなくちゃいけないところなのに、結局手伝ってもらっちゃった。これじゃあ、天国のお母さんとお父さんに怒られるかな」
くっついていた体を離し、巫女が初めて笑った。しかし、どこか悲しみを帯びた笑いだった。
「本当にありがとう。病気の看病までしてもらっちゃって。このお礼はどうすればいいの?」
「…あのさ」
巫女が無理に笑っているような気がした。本当は悲しみで心が一杯なのだろうが、私に心配をかけまいと無理をしている様に見えた。それがたまらなく嫌で、どうにかしたい思った。
「私達、まだお互いに名前を知らなかったよな。私は霧雨魔理沙。幻想郷一早い魔法使いだぜ」
「私は博麗霊夢。ここで博麗神社の巫女をやってるわ」
お互いに名前を知らずに数日間過ごしてきたのは滑稽な話だが、それはもう終わった話だ。これからはお互いの名前を知った上で一緒に時間を過ごす番だ。
「あのな、霊夢。非常に言い難い事だから、一回しか言わない。私は明日も来るし、明後日も来る。気が向いた時はいつでもこの神社に遊びに来る。だから霊夢はお茶と茶菓子を切らさないように注意しておくんだ」
「え…?」
「だから、霊夢を一人ぼっちなんかにさせてやらないって言ってるんだ。頼まれたって一人にさせてやらないから、そのつもりでいろよ」
言って、余りの恥ずかしさにまともに霊夢の方を向けなかった。そのせいで、霊夢がキョトンとした表情をどう変えたかは分からなかった。しかし、何となく満面の笑みを浮かべているように思えた。
魔理沙が起きた時には霊夢はもうすでに起きていて、庭で掃除をしていた。霊夢の顔色をすっかり良くなっていて、どうやら風邪は治ってしまっているようだった。
「よっす、どうやら風邪はもう良い様だな。でも、無理はするなよ」
「おはよう、魔理沙。大丈夫よ、永琳の薬が凄く良く効いたみたいだから」
流石は不老不死の薬まで作ってしまう天才である。良く効く風邪薬など、造作も無い事のようだ。
「それじゃあ、私の出番はここまでだな。帰って一眠りするわ」
魔理沙は眠そうな表情を隠さずに、大あくびをして荷物を取りに寝室へと戻ろうとした。
「魔理沙」
「うん?」
「本当に何から何までありがとう。昨日の夜も、私のタオルを変える為にあんまり寝ていないんじゃないの?」
「よせよ、私が好きでやっていただけだ。感謝されるいわれは無いぜ」
照れた表情をして魔理沙は帽子を深くかぶり直した。やはり素直に霊夢に感謝されるのは、調子が狂うらしい。魔理沙にとって、普段のやる気のない返答や冗談交じりの返答等のほうが良かった。
「でも、わざわざ泊まって看病をする事なんか無かったのに。魔理沙だって大変だったでしょう?」
「良いんだよ、別に。それに、病気の時ほど弱気になって、心細くなるもんだぜ。あまりの心細さに寝れなくて、病気が悪化したら大変だろ?」
「あんたね、私をなんだと思っているの?」
流石に怒ったのか、霊夢が顔をしかめて魔理沙に詰め寄った。それを見て安心したのか、今度こそ魔理沙はほっとした表情になった。
「それじゃ、帰るな」
「二度とくるな、馬鹿!」
「ははは、それはできない約束だな」
約束があるからな。魔理沙が宙に舞がる前に、ポツリとこう呟いた。
この時期は体調管理が難しい時期である。寒い日もあれば暖かい日があるので、なかなか体が順応していけないのだ。それに季節の変わり目とはよく言うものである。
そして、予想に違わず風邪を引いて寝込んだ者は幻想郷にもいた。博麗神社の巫女、博麗霊夢もその一人である。
「39.2℃か。これはまた盛大に風邪をひいたものだな」
この日も、魔理沙はいつも通り博麗神社にお茶と茶菓子を頂戴に来た。しかし、普段ならのんびりと境内を掃除している霊夢の姿は無く、ついに色々と面倒になって家に引きこもったかと思って母屋の方へ踏み込み、熱で倒れていた霊夢を発見した。
「まあ、治るまで安静にしておくんだな。といっても、霊夢に何かやらなくちゃいけない事なんて何も無いだろうけど」
「う、うるさいわね。どうせ私は暇人よ。毎日のんびりのびのびまったりと。これが私のもっとうなんだから」
いつもの様に霊夢はの軽口に言い返すが、その口調は弱々しいものだった。何となく居心地が悪いものを感じて、魔理沙は立ち上がり、台所のほうへと向かった。
「そろそろ昼飯の時間だし、何か食べるもんを作ってくるぜ。安心しろ、霊夢の分も作ってやるからさ」
「食材とか、どこに置いてあるのか分かってるの?」
「何年の付き合いだと思ってるんだ?この家の構造から霊夢が隠している饅頭の在りかまでばっちり分かってるぜ。ついでに霊夢秘蔵の煎餅を代賃として貰ってこうかな」
「ちょっと、勝手にあれを食べないでよ。毎日少しずつ食べるのが楽しみなんだから!」
慌てて起き上がり、魔理沙に詰め寄ろうとした霊夢だが、前のめりに崩れた。慌てて抱きかかえる魔理沙だが、霊夢の荒い呼吸に表情が曇った。
「悪い、少し調子に乗りすぎた。今何か作ってくるから、少し待ってろ。朝から何も食べていないんだろ?」
「…うん、お願い」
霊夢を布団まで運び、布団を掛け直して魔理沙は部屋を後にした。普段とは比べ物にならないほど弱々しい霊夢を見ていると、いたたまれない気持ちになって仕方が無かった。
何の特徴も無い、強いて言うなら貧相さが漂っている神社。博麗神社に来てからの第一印象はそれだった。
この神社の事は話の噂には聞いていた。しかし、どれも漠然としたもばかりで、興味を引くものは無かった。そのうち、この神社の事そのものを興味の対象外として扱うようになった。
しかし、先日の遠乗りの際に、この神社を見かけた。その時は別の用事の帰りで、日も沈みかけていたので立ち寄る事はしなかったが、後で思い返した時にあの神社が博麗神社だと思い当たった。
噂はともかく、幻想郷の端に位置していたこの神社がどのようなものか確かめてみたい。そう思って実際に足を運んだが、どうやら期待はずれの結果に終わりそうだった。
「何だ、しけた神社だな。もっと怪しげな神殿とか、生贄を祭る祭壇とかを期待していたのにな。これじゃ期待はずれもいいところだぜ」
一通り境内の中を見て周り、思わず愚痴がこぼれた。今までに神社を見た事は無かったが、それでも興味を引くものは何も無かった。
無駄足だったと嘆いて帰ろうとした時だった。気配を感じ、振り返った先には人がいた。服装は巫女服を着ていて、髪は黒色、そして年齢は同い年ぐらい。しかし、彼女の目は尋常ではなかった。
酷く無機質で、感情の色が見えない目。その目を見つめるだけで、背筋に冷たいものが走った。
「誰?」
感情の無い声が聞こえる。しかし、そんなものはまるで耳に入ってこなかった。目の前にいる巫女から感じる強い拒絶感ともとれる気配に圧倒されていた。
「出て行って」
「…言われなくても、こんな御利益のなさそうで愛想の無い巫女がいる神社なんて出て行くぜ」
一秒でも早くこの場から離れたい。こんな薄気味悪い巫女と関わりたくない。口では強がりを言っているが、自然と箒にまたがる動作が早くなった。
二度とこんな場所に来るものか。そう思って地を蹴り、宙に舞い上がろうとした時だった。人が倒れる音がして、振り向くと先ほどの巫女が倒れていた。
「お、おい!どうしたんだ!?」
二度と係わり合いを持ちたくないとつい数秒前に誓ったばかりだが、その対象となる相手が倒れていても見過ごせるほどの非常さを持ち合わせていない自分を呪った。
魔理沙が雑炊をスプーンですくい、霊夢の口元へと運ぶ。運ばれてきた雑炊を霊夢は口にし、ゆっくりと噛んで喉に通した。食事を口にする霊夢の表情は、熱でいかにも辛そうだった。
「どうだ、魔理沙様特性雑炊の味は?」
「意外と、悪くない…」
「そうだろ、そうだろ。なんて言ったって、この雑炊は私が長年試行錯誤を繰り返してきたものなんだからな。ちなみに、作り方については企業秘密な。もし公表されたら、人里の飯屋が全部潰れかねない」
魔理沙の軽口に反応せず、霊夢はただ黙々と運ばれてきた雑炊に口をつける。魔理沙の方も、今の霊夢にたいした反応を求めていない。ただ単に、長い年月を経て癖になったものが抑えられないだけだった。
「まったく、つくづく私もお人よしだよな。霊夢がこうして熱を出して倒れる度に、こうして看病しているんだから。それでいて、私は霊夢に看病された記憶が一度もないんだからな」
「…そうね、ありがとう」
普段ならここで憎まれ口なり、反論なりが飛んでくるところだが、弱っている霊夢は驚くほど素直になる時がある。そんな霊夢に魔理沙は会話の調子が崩されて戸惑う事もしばしばあった。しかし、普段とは違う霊夢の一面を見ているという実感も、魔理沙か感じていた。
「それにしても、毎度思うんだが、霊夢って体調を崩すときっていつも大きく崩すよな。やっぱり普段からの栄養不足が祟っているのかな」
「そう思うんだったら、ちゃんと賽銭を入れてよね。そうすれば、一々風邪の度に倒れるなんて事は無くなるんだから」
雑炊を食べ終わり、霊夢は再び横になった。魔理沙は霊夢の布団を掛けなおした後、霊夢の額に濡れたタオルを置いてあげた。
「そう言えば、私達が出会った時もこんな感じだったかな。霊夢がぶっ倒れて、私が看病して。まあ、あの時は大変だったて事はよく覚えているぜ」
「そうだったっけ?私はよく覚えていないわ。もう何年も前の事だし」
温くなったタオルを回収し、桶の中の水に漬けて冷やしなおす。そして、霊夢の額にもう一つ漬けておいた絞ったタオルを置きなおした。魔理沙の動作は手馴れたものだった。
「それにしても、この神社には薬の一つも置いてないとはな。普通は薬の一つや二つは置いてあるもんだぜ」
「薬を買うお金があったら、食べ物を優先して買うわ。薬じゃお腹は膨れないから」
霊夢のその言葉に、何か間違っていると思っても何も言い返す事はできなかった。ああ、悲しきかな。博麗神社の台所事情。
どうやら自分の認識を改めたほうが良いかもしれない。こんな見ず知らずの薄気味悪い巫女を介抱するなど、どうかしていた。それも望まれた訳でもなく、むしろ拒絶されているにも関わらず。
「まったく、どうかしてるぜ。こんなに熱があるのに動き回るなんて。病人だったら病人らしく大人しくしていろってんだ」
倒れた巫女は病気を患っていた。ただの風邪なのかもしれないが、額に手を当てただけでも相当な熱がある事が分かった。そのくせ、あの時はつらそうな表情一つせず、体調が悪い事を微塵にも感じさせなかった。
「ま、どうかしているのは私の方もだけどな。何が悲しくてこんな奴の面倒をみなくちゃいけないんだ?私の辞書には無償奉仕なんて言葉は無かったはずなんだがな」
巫女が倒れた際、思わず駆け寄ってしまったのが悪かったと思う。いや、倒れた音を聞いて、振り向いた事が悪かったのかもしれない。気にせずにそのまま立ち去っていれば、こんな面倒事にならなかったはずだ。
巫女は駆け寄った時にはすでに意識が無かった。意識が無くなるまで無理をして、それでいて顔色一つ変えないなんて事は信じ難い事だが、とにかくあの時は大いに慌てた。おかげで、気がついたら巫女を母屋まで運んでいて、寝室に運び入れて布団の上に寝かせ、ついでに濡れたタオルを額の上に乗せる事までやっていた。
自分でもどうしたものかと悩んでいた。この巫女にここまでしなければならない義理はどこにも無い。このまま立ち去るべきだと何度も思った。しかし、どうしてもこの巫女を見捨てる事ができなかった。
しばらくして、巫女が目を覚ました。ちょうど温くなったタオルを交換していた時だった。相変わらず無感情な目をしていた。表情も相変わらず何も感じさせないものだったが、それでいて呼吸だけは荒かった。
「何をしてるの?」
「見て分からんか?お前を看病してるんだよ。理由を尋ねられても困るがな。私も何故お前を看病しているのか分からんから」
巫女が顔をこちらに向け、見つめてくる。相変わらず不気味な目をしていた。その瞳に、本当に自分の姿が写っているのかさえ疑問である。
「不要よ。出て行って」
「ああ、そうだろうよ。私もお前の看病をする事に何の意味も無いと感じていたんだ。それも、看病してくれた相手に礼の一つも言えない奴のな」
そう言って立ち上がった。本人からも必要ないと言われたのだ。ここにいる理由が何一つ存在していない。一秒でも早く立ち去り、少し遅めの昼食を取るのが利口な選択というものだろう。
「少し待ってろ。雑炊か何かを作ってきてやるからさ。食欲はわかないだろうけど、こういう時はちゃんと腹に物を入れないと、治るものも治らないからな」
「私は帰れと言ったのよ」
「うるさい。いくらお前みたいな薄気味悪い奴でも、目の前でぶっ倒れられたら見過ごせないだろ。お前は見過ごせるかもしれないけど、少なくても私は見過ごせない。見たところじゃお前は一人で住んでいる様だし、誰かがお前の面倒を見なくちゃいけないんだ。だから私がお前の面倒をみてやるって言っている。人の好意黙って受け取っておけ」
まだ何かを言いかけている巫女をそのままにして、部屋を出た。台所の場所は分からないが、適当に探せばすぐに見つかるだろう。外から見た限りでは、大きな家ではなかったのだ。
自分でも馬鹿な事をしていると思う。感謝される訳でもなく、お礼が期待できる訳でもない。それでも見捨てて立ち去ろうという気持ちが不思議と沸かなかった。
診察に来た永琳が帰り、出した茶菓子とお茶を魔理沙は片付けた。そして、片付けている間に火に掛けておいたヤカンからお湯を湯飲みに注ぎ、霊夢のところへと持って行った。
「おーい、お湯ができたぞ。早いところ永琳がくれた薬を飲んじゃえよ」
「御免ね、何から何まで。永琳まで連れて来てくれるなん、本当に悪いわね」
「良いって事よ。病気の時はお互い様だろ。私が好きでやってる事なんだから、気にするな」
素直に感謝されて、魔理沙は照れ隠しの為に深く帽子をかぶりなおした。看病の都度に思う事だが、どうも素直な霊夢の反応はむずがゆくて仕方が無いのだ。
魔理沙が作った昼食を食べ終えた霊夢は、すぐに眠りに付いた。昼食の後片付けを終えた魔理沙は苦しそうに寝ている霊夢を見て、腕は確かだがどこか胡散臭い医者の永琳を連れてこようと決めた。やはり、医者に見てもらうのが一番だと判断したのだ。
永琳の診断では、予想通りただの風邪であった。しかし、常日頃の貧相な食生活によって栄養が足りておらず、ここまで悪化したとの事だった。
「まったく、皆がもっとお賽銭を入れてくれれば私がこんなに苦労しなくても良いのに」
それは霊夢がしっかり働かないから悪いんじゃないのかと魔理沙は言いかけたが、無駄な事だと思って止めた。何度もこういう会話はした事があるが、一度たりとも聞き流されなかった事はなかったのだ。
「でも、便利な世の中になったものだよな。こんな所まで足を運んでくれる医者がいるんだもんな」
「もっとも、魔理沙が半分強引に連れてきた感じだったけどね。別に急がなくても良かったのに」
「あそこでのんびりしていたら、いらん連中まで付いて来そうだったからな。病人は静かに寝ているのが一番だぜ」
もっとも、魔理沙に一分一秒でも早く帰って来たいという思いがなかった訳では無いが。
「まあ、何だ。もう一寝入りしたらどうなんだ?永琳の言葉だとただの風邪の様だし。しっかり寝て、しっかり食べて、早く治したもんが勝ちだぜ」
「誰と競争するのよ。でも、そうね。もう一寝入りするわ」
「ああ、そうしろ、そうしろ。後で目が覚めたら、リンゴを剥いておくからさ」
「うん、お休み」
しばらくして、霊夢の寝息が聞こえてきた。相変わらず呼吸が荒い。しかし、食事を取り、永琳印の薬を飲んだおかげで、朝に比べたら少し落ち着いているようだった。
魔理沙は霊夢の額においてあるタオルを交換し、よく冷やした濡れタオルを置いた。本当は氷嚢があればいいのだが、無い物をねだっても仕方が無い。チルノを連れて来ても良かったが、下手に騒がれても困る。
桶の水を替える為に、霊夢を起こさない様に静かに立ち上がった。そして井戸の方へと向かう途中、魔理沙は自分が結局昼食を食べていなかった事を思い出した。
結局、数日に渡って巫女の面倒を見る事になってしまった。初めはその日だけだと思っていたが、二日目、三日目とずるずると面度を見てしまったのだ。
看病をしている間、巫女は感謝の言葉を一度も口にしなかった。相変わらず無機質な、虚ろな目で見てくるだけだが、帰れと言われなくなった分だけ進歩とも言える。
「だいぶ調子が良さそうになったじゃないか。この分なら私が付いていなくても、もう大丈夫そうだな」
朝神社に来てみると、巫女が布団から上半身を起こしていた。顔色の方は残念ながら未だに違いが分からないが、呼吸は荒くなくなっている。試しに巫女の額に手をやったが、昨日ほど熱くなかった。
「もうちょっとってところか。咳はまだ収まっていないみたいだし、もうちょっと安静にしているんだな。まあ、こんな辺境でやる事なんてほとんど無いだろうけど」
荷物の中から材料を取り出し、台所へと向かった。どうせ起きていただけで、朝食など取っていないだろう。あの巫女はちゃんと朝昼晩食事を取るという事にあまり関心が無さそうに思えたからだ。
自宅から持って来た御飯で雑炊を作り、巫女の元へと運ぶ。巫女は相変わらず布団から上半身を起こした状態だったが、何をする訳でもなく、ただぼんやりと宙を見つめているだけだった。
「おーし、お待たせ。朝飯の時間だぜ」
雑炊を巫女に渡すと、巫女はおずおずと食べ始めた。初めは巫女が拒んだ為に食事を食べさせるのに苦労したが、今では黙って食べるようになった。本当なら美味しか美味しくないかも言って欲しいが、そこまでは望めそうにはなかった。
「もう一人で食べれるな?食べ終わったらそこに食器を置いといてくれ。後で片付けるから」
「どこに行くの?」
「掃除をするのさ。昨日も一昨日も、お前が眠った時なんかに掃除をしていたんだ。何せこの神社は恐ろしく汚いからな」
「勝手な事をしないで」
「安心しろ、この家の物をいじらない程度にしかやっていない。でも、いくらなんでも汚れすぎだと思うぜ。どれだけ掃除せずに放置していたんだ?」
別にどれだけ放置されていようともかまわなかった。どうせこの巫女の事だ、最低限の環境水準を保つ事さえ興味が無いのだろう。
雑炊を食べ続ける巫女を後に、境内の掃除を始めた。放置してあった落ち葉やどこからか飛ばされてきたゴミなどが散乱していて、とても参拝客が訪れる気にはならない状態であった。
掃除ごときに相棒を使うわけにもいかないので、昨日のうちに見つけておいた掃除用具入れから取り出した古い箒を掃除に使った。流石にこの状態の境内を一人で掃除するのは骨が折れる事だったが、それでも最低限は綺麗にしておこうと思った。本当なら自分の家も人の事が言えた義理ではないが、他人の家に行くとやたらと汚れているのが気になるという心理なのだろう。
掃除をしている最中に、ふとある物に気がついた。境内の片隅に無造作に棒が大地に刺さっていた。棒は朽ち果てていて今にも折れそうであるが、良く見ると本で見た事のあるお払い棒の様にも見える。そして、棒の周りには枯れているが花が添えられていた。
「なあ、庭の片隅にあるのって、誰かの墓なのか?」
巫女の部屋に戻ると直ぐに尋ねた。余りに粗末な作りで、一見墓とはまるで見えない様な代物だが、それでも気になった事があった。
「ひょっとして、お前の家族のものなのか?」
ここに来て、今まで何の反応も示してこなかった巫女に、初めて反応らしきものがあった。一瞬だけ彼女の瞳に灯った、悲しみの色。深い、余りに深い悲しみの色だった。
「あんたには、関係ない」
「御免、悪かった」
人には立ち入ってはいけない領域がある。この巫女の場合、家族の事がそうだろう。何があったかは分からないが、この巫女の感情が死んでいる原因に違いが無い。
その後も、巫女はずっと上半身を起こした姿勢で宙を見つめていた。何を考えているか分からない表情で、昼も、夜も、ずっと同じ姿勢でいた。帰り際にちゃんと寝るようにと説得したが、聞き入れられる様子も無かったので、諦めて巫女の好きにさせる事にした。
翌日、神社に来てみると巫女が例の墓の前に立っていた。墓に供え物をする訳でもなく、枯れた花を取り替える訳でもなく、ただ黙って墓を見つめているだけだった。
「よ、もう出歩いても大丈夫なのか?」
一応挨拶はしたが、案の定、巫女から挨拶は帰ってこなかった。私も別に期待していた訳じゃないので気にはしないが、巫女が何をしているのかは気になった。しかし、雰囲気がそれを尋ねる事を阻んだ。
「なあ、この下に誰が眠っているんだ?」
しばらく巫女と並んで立っていた後、思い切って聞いてみた。返答は期待していないが、このまま黙って立っているのは性に合わないのだ。
「誰も。誰もここには眠ってはいないわ」
「でも、これって墓だろ。それじゃあ、誰かがこの下に埋められているじゃないのか?」
「死んだらそれは人じゃなくなる。ただの人だったものになるだけ。だからここには、誰も、眠ってなんかいないわ」
予想に反して返事が返ってきた。相変わらず無機質な声だが、どこか悲しみが滲み出ている声だった。
「あの墓に使っている棒、今にも折れそうだな」
「ただの、棒よ」
それでも、ただの棒の前に何時間もいるつもりなのか。何故こうまでして割り切らなくてはいけないのか。何の為にお前は心を凍りつかせているのか。立ち入ってはいけない領域に、分からない事が多すぎた。
しかし、やるべき事はもう決まっていた。
「よし、裏の山に行こう。その棒に代わる墓石を探してこようぜ。」
「余計な事はしないで」
「馬鹿言え。婆ちゃんが言っていたぜ、ちゃんと死んだ人は供養してやらなくっちゃいけないってな。こんな棒切れ一つで供養になるもんか」
まだ拒否の態度を顕わにしている巫女を無理やり箒に乗せて、宙に舞い上がった。珍しく感情的な声で抗議している巫女を連れて、一路裏山を目指した。
何故自分はこうまでしてむきになっているのだろうか。それは何度自問しても答えは出そうに無かった。
「おーい、着替えは終わったか?」
「うん、着替えの用意までありがとうね」
魔理沙が夕飯の片付けを終えて霊夢のいる寝室に戻ると、先に渡しておいた寝巻きに霊夢は着替え終えていた。昼間散々汗をかいた服で寝るのはよろしくないという事で、魔理沙が着替えさせたのだ。
「そっか。じゃあ、これお湯な。薬をちゃんと飲むんだぞ」
「分かってるって。子供じゃあるまいし」
永琳が調合してくれた食後に飲むタイプの薬を、霊夢は一息で飲んだ。不味そうな顔一つしないところを見ると、どうやら味の方も工夫されているようだ。魔理沙が飲んだ事のある薬は、どれも劇的に不味いものばかりであった。
「本当、永琳って凄いよな。私なんて薬を飲むなんて嫌で嫌で仕方が無いのに。あんまり薬を飲むのが嫌だったから、病気をしなければいいんだっていう悟りまで開いたぜ」
「何よ、魔理沙の方がよっぽど子供みたいじゃない」
そう言って霊夢は起こしていた上半身を寝かせ、布団の中に入った。それを見て魔理沙は何も言わずに濡らしたタオルを霊夢の額に置いた。
「ねえ、魔理沙は今日どうするの?」
「泊まってくよ。こんな状態の霊夢をほったらかしにできるか」
「別にいいのに。何か悪いし」
「気にするな。私がしたくてやっているだけだ」
自分が寝る為の布団を敷いて、魔理沙は明かりを消した。そして、霊夢の睡眠の邪魔にならないように、静かに布団に横たわる。
「お休み、霊夢」
「お休みなさい、魔理沙。今日は本当にありがとう」
霊夢の素直な感謝の言葉に、魔理沙は慌てて帽子を深くかぶろうとした。しかし、就寝時に帽子をかぶっている訳も無く、手はただ空を切るだけだった。
しばらくして、霊夢の静かな寝息が聞こえてきた。
目の前には大小様々岩や石が転がっていた。あの巫女と二人で墓石になりそうな物を手当たりしだい取ってきたのだ。もっとも、正式な墓を作れる訳ではないので、墓標の様なものでしかならないが。
「さてと、こんだけ集めればいいか。後はお前の仕事だぜ」
巫女が相変わらず無言で立っていた。墓石を集める際、当初は抵抗したものの諦めたのか、それとも病み上がりで体力がすぐに尽きたのかは分からないが、大人しく付いてくるようになった。そして、今こうして墓石選びをしている。
「どれでも良いと思うぜ。お前が選んだものなら、死んだ奴もちゃんと納得してくれると思う」
しばらく巫女は立ち尽くしていた。ぼっと石や岩を眺めているだけで、本当に選ぶ気があるかどうか分からなかった。ただ私は何となくこの巫女を信じていた。
どれだけ長く立ち尽くしていたか分からなかったが、気がついたら巫女は自然と歩み始めていた。そして一つの石を選び出していた。
巫女の選んだ石は何の特徴も無い、一抱えぐらいの大きさの石だった。何の判断基準でこの石に決めたのかは分からないが、巫女が選び出した石だ。私がどうこう言う権利は無いし、言うつもりも無い。
「そいつで、良いんだな?」
巫女が無言で頷く。そして、その石を抱えて例の棒の元へと歩み寄る。私はその様子を、ただ後ろで見守っていた。私には見守るだけしかできなかった。
巫女がしばらく逡巡した後、棒を抜き取った。そして、それを刺さっていた場所に埋め、その上に石を置き、。大事に半分埋めるようにして、その場に石を固定した。
作業を終えても、巫女はその場から動こうとしなかった。私も声を掛けようにも、何と声を掛ければいいか分からなかった。何も声を掛けれないまま、ただ時間だけが過ぎていった。
「…私の父さんとお母さんはね」
どれだけこうしていた時だろうか。ポツリと巫女が声を出した。
「私が幼かった頃、ここで殺されたんだ」
それは過去を呪うかのような声だった。巫女の目も、無機質な色の中に深い悲しみの色が隠されているのが見て取れた。
「私が庭で遊んでいた時、ここで妖怪に襲われたの。私の悲鳴を聞いて直ぐにお父さんとお母さんが飛び出してきたんだけど、その妖怪に負けて食べられちゃったの」
はっきりと巫女の目に、悲しみの色が浮かび上がってきた。表情も無感情なものから、深い悲しみのものへと変わていた。それを見て、私は自然と巫女の方へと歩み寄る。
「お父さんもお母さんも、私よりも霊力が低くてね。何とか善戦したんだけど、結局私の前で食べられちゃった。酷いんだよ、残っていたのはお払い棒とそれを持っていた手だけで、あとは綺麗に食べられちゃったんだから」
目の前で両親が食べられるのを、一部始終見ていたのだろう。まだ幼かった巫女に対して、これほど残酷な事は無い。しかし、掛けるべき言葉が、何も出てこなかった。
「何でお父さんとお母さんは食べられちゃったんだろう。私がこんなところで遊んでいたからかな。私が悲鳴なんて上げたからかな。私が…」
いきなり、巫女が泣きながら抱きついてきた。今まで殺し続けてきた感情が堰を切ったように溢れ出てきて、抑えようの無いものになっていた。しかし、私にはそれをどうする事もできなく、ただあたふたしているだけだった。
「お父さん…お母さん…」
巫女はしきりにお父さん、お母さんと呼んでいた。嗚咽の混じる声で、何度も、何度も呼んでいた。
だが、やはり私にはどうする事も、優しい言葉を掛ける事もできずに、ただ立ち尽くしていただけだった。
結局のところ、巫女は両親の死を受け入れる事ができなかったのだ。心を殺し、感情を殺し、両親の死という事実を受け入れる事を頑なに拒み続けた。それどほどまでに、受けた心の傷は深かったのだろう。
いまさらながら、後悔していた。両親の死、それも目の前で残酷に殺された事について、この巫女を向かい合わせるべきではなかったのではないか。もっと時が経ち、記憶が風化してからのほうが良かったのではないか。ただ漫然と、死者に向かい合わせるようにさせたのは間違いではなかったのか。
いくら後悔してもしきれなかった。そして、情けない事に、自分の胸の中で泣いている巫女に対して掛ける言葉が思いつかなかった。そんな情けない自分を呪う事しか、できなかった。
どれだけこうしていただろうか。巫女がいつの間にか泣き止んでいて、そして顔を上げた。その表情に無機質なものは無く、感情に溢れていた。
「御免ね、勝手に抱きついて、勝手に泣いちゃって。迷惑だったよね?」
「いや、別に私は迷惑はしていないぜ。私こそお前の事情を考えずに、出すぎたまねをしたと後悔しているよ」
「ううん、良いの。私はただ逃げていただけなのかもしれないから」
巫女に感情が戻っていた。まだ悲しみの色が消えないが、それでも殺し続けてきた感情が戻っていた。どうやら先ほどの事で、一気に感情が爆発したようだ。
「ありがとう。もう大丈夫だから。本当は一人で向かい合わなくちゃいけないところなのに、結局手伝ってもらっちゃった。これじゃあ、天国のお母さんとお父さんに怒られるかな」
くっついていた体を離し、巫女が初めて笑った。しかし、どこか悲しみを帯びた笑いだった。
「本当にありがとう。病気の看病までしてもらっちゃって。このお礼はどうすればいいの?」
「…あのさ」
巫女が無理に笑っているような気がした。本当は悲しみで心が一杯なのだろうが、私に心配をかけまいと無理をしている様に見えた。それがたまらなく嫌で、どうにかしたい思った。
「私達、まだお互いに名前を知らなかったよな。私は霧雨魔理沙。幻想郷一早い魔法使いだぜ」
「私は博麗霊夢。ここで博麗神社の巫女をやってるわ」
お互いに名前を知らずに数日間過ごしてきたのは滑稽な話だが、それはもう終わった話だ。これからはお互いの名前を知った上で一緒に時間を過ごす番だ。
「あのな、霊夢。非常に言い難い事だから、一回しか言わない。私は明日も来るし、明後日も来る。気が向いた時はいつでもこの神社に遊びに来る。だから霊夢はお茶と茶菓子を切らさないように注意しておくんだ」
「え…?」
「だから、霊夢を一人ぼっちなんかにさせてやらないって言ってるんだ。頼まれたって一人にさせてやらないから、そのつもりでいろよ」
言って、余りの恥ずかしさにまともに霊夢の方を向けなかった。そのせいで、霊夢がキョトンとした表情をどう変えたかは分からなかった。しかし、何となく満面の笑みを浮かべているように思えた。
魔理沙が起きた時には霊夢はもうすでに起きていて、庭で掃除をしていた。霊夢の顔色をすっかり良くなっていて、どうやら風邪は治ってしまっているようだった。
「よっす、どうやら風邪はもう良い様だな。でも、無理はするなよ」
「おはよう、魔理沙。大丈夫よ、永琳の薬が凄く良く効いたみたいだから」
流石は不老不死の薬まで作ってしまう天才である。良く効く風邪薬など、造作も無い事のようだ。
「それじゃあ、私の出番はここまでだな。帰って一眠りするわ」
魔理沙は眠そうな表情を隠さずに、大あくびをして荷物を取りに寝室へと戻ろうとした。
「魔理沙」
「うん?」
「本当に何から何までありがとう。昨日の夜も、私のタオルを変える為にあんまり寝ていないんじゃないの?」
「よせよ、私が好きでやっていただけだ。感謝されるいわれは無いぜ」
照れた表情をして魔理沙は帽子を深くかぶり直した。やはり素直に霊夢に感謝されるのは、調子が狂うらしい。魔理沙にとって、普段のやる気のない返答や冗談交じりの返答等のほうが良かった。
「でも、わざわざ泊まって看病をする事なんか無かったのに。魔理沙だって大変だったでしょう?」
「良いんだよ、別に。それに、病気の時ほど弱気になって、心細くなるもんだぜ。あまりの心細さに寝れなくて、病気が悪化したら大変だろ?」
「あんたね、私をなんだと思っているの?」
流石に怒ったのか、霊夢が顔をしかめて魔理沙に詰め寄った。それを見て安心したのか、今度こそ魔理沙はほっとした表情になった。
「それじゃ、帰るな」
「二度とくるな、馬鹿!」
「ははは、それはできない約束だな」
約束があるからな。魔理沙が宙に舞がる前に、ポツリとこう呟いた。
のくだり、文の切り方が変じゃない?
過去の方で永琳を呼んできたように読める。
ただ読みづらいです。過去と現在の区切り箇所がはっきりしていないからだと思います。もっと行間を空けるか、何か目印をつけるなどの工夫が欲しいところです。
自分は赤提灯関連の話以来、貴方の作品を読んでなかったので、めちゃくちゃ懐かしいです。
特に読みづらくもなく、すんなりとお話が入ってきたので、むしろ読みやすかったですよ。これからも頑張ってください。
風邪って何気に辛いですし。