文さんとの生活が始まって早一週間が経過した。
最初は二人とも、慣れないミルク作りやオムツ替えに大苦戦。
だけど、何度も失敗を繰り返すうちにだんだんとコツを掴めてきて、今では文さんは私の作ったベビーフードを美味しそうに食べてくれる。
チルノちゃんの方は相変わらずミルクを凍らせたり、ジャイアンシチューみたいなベビーフードを作ったりと料理はダメっぽい。
その代わりといっては何だけど、チルノちゃんは文さんをあやすのが抜群に上手い。チルノちゃんをママだと思い込んでるってのもあるんだろうけど、それまで何をやっても泣き止まなかったのに、チルノちゃんがあやしてあげると驚くぐらいすぐに泣き止む。
うーん、すごいなぁ。やっぱり精神年齢が近いからなのかなぁ。
「へぇ、それでチルノを母親だと思い込んじゃったわけ? そんなことってあるんだねぇ」
ミスティアが両手を使って器用に鰻を焼きながら私達に話しかける。
ドタバタした生活がなんとか一段落着き、私達は文さんを連れてミスティアの鰻屋台にやってきた。
赤ちゃんをそんな遅くまで外に連れ出すのもどうかと思うけど、まあ夕食替わりにってことでね。
「そーよ! あたいと文は親子の固ーい絆で結ばれてるんだから!」
「まーま、まーまぁ!」
「うわ、自分よりも大きい女に甘えられてるよ。どう見たって親子には見えないでしょこりゃ」
「うーん、やっぱそうだよねぇ。あ、でも親子っぽい所もあるんだよ? 二人ともお風呂が大嫌いってとことか」
「親子っぽいかなぁそれ? はい、お二人さん鰻の蒲焼きお待ち」
私とチルノちゃんの前に綺麗に焼きあがった蒲焼きが差し出される。
口いっぱいに蒲焼きを頬張るチルノちゃんを、文さんは指を咥えて興味深そうに見つめる。
「そっちの天狗には焼かなくていいの?」
「駄目よ、骨が喉に刺さったら大変じゃない」
「体は大人だから食べられると思うけど、万が一ね」
「夜雀じゃあるまいし大丈夫よ。それよりも、私の蒲焼きはまだなの? チルノより先に注文したのに、なんで私だけこんなに待たされるのよ!」
既に酒が回っているのか、リグルが声を荒立てる。
リグルは私たちが屋台に着く前から既に一杯引っ掛けていて、
害鳥を駆除し虫の繁栄に貢献した歴史的英雄の話を延々とミスティアに語っている。
大革命でも大躍進でもどっちだっていいけど、ミスティアにそんな話をして後で食われても知らないよ。
「ああ、ごめんごめん。はい、お詫びにリグルには特別に新メニュー食べさせてあげる」
「新メニュー? どれどれ……なにこれ、肉が硬いわね」
「あれ、美味しくない? 最近鰻が不漁だから代わりにシマヘビを使ったんだけど……」
「ぶーっ!!」
「ちょっと汚いわね! 文にかかったらどうするのよ!」
「あぅー」
んもう、行儀悪いなぁ。
「あ、あんた! なんてもん蒲焼きにしてんのよ!」
「リグルの口には合わないかぁ、巫女に試食させたらかなり好評だったのになぁ」
「マジで!? あの紅白、味覚がおかしいんじゃないの!」
「ミジンコやミカヅキモと比べると格段に美味しいって言ってたわ」
「もっとマシな食生活の奴に試食してもらいなさい! 蛇の肉を食わせるなんて、あんたは羅生門のババアか!」
「正直に蛇って言ってるから、あのババアより大分親切よ」
リグル、肉を偽ったのはババアじゃなくてその辺の死体だよ。
「それにしても、刷り込みかぁ。懐かしいなぁ」
程よく体にお酒が回ったころ、チルノちゃんに寄り添う文さんを見てミスティアが口を開く。
「ミスティアもやっぱり生まれた時、最初に見たものを親だと思ったの?」
「そりゃそうよー、私だって鳥だもん」
「へぇ、興味あるなぁ。ちょっと聞かせてよ」
「私も聞きたいなー。文を育てる参考になるかもしれないし」
「えー、どうしようかなぁ」
顔を赤らめて口を濁らすミスティア。
ん? 刷り込みの経験は鳥にとって恥ずかしいものなのかな?
それとも、変なモノを親だと思い込んだのかな? なびく褌とか。
「私ねー、カタツムリを親だと思い込んじゃったんだよー」
「カタツムリ? それって、あの殻つきナメクジ?」
「そう、そのカタツムリ。大変だったよー、歩くの遅いから逆についていくのが辛くて」
あれ? 至って普通だ。どの辺が恥ずかしいんだろ?
「それでね、恥ずかしいんだけど……今でもその時の癖が今でも抜けないの」
「癖?」
「うん、あのカタツムリの殻のぐるぐる模様。あれを親だと思っちゃったせいで、今でもぐるぐる模様を見るとふらふら~ってついて行っちゃうんだよね。いつもその後の記憶が抜けてて、何故か大怪我を負ってることが多いから、出来ることなら直したいんだけどねー」
「……」
あーうん、なんていうか、生まれ持った宿命ってのは存在するんだなーって思ったよ。
ミスティアは一度、紅魔館に行って運命を変えてもらった方が良いよ。
途中でフライドチキンにされるかもしれないけど。
「ねえ、この天狗、本当に赤ちゃんになってるの?」
「何よリグル。さっきからそう言ってるでじゃない。信じてないの?」
「だって、カラスには随分仲間の蟲を食べられたから、油断できなくて……」
「大丈夫よ。ほらリグル、抱っこしてみてー」
「だぁ、だぁ」
「う、うわ、ちょっと……!」
文さんの体を抱え上げ、リグルの膝の上にのせる。
一週間一緒に住んで分かったけど、文さんは全く人見知りしない。
今も、さっき会ったばかりのリグルにも抵抗なく体を預けている。
一方、リグルの方は文さんの方が体が大きいのでちょっと苦しそう。
それに文さんに対して苦手意識を持っているせいか、若干顔に怯えの表情が浮かんでいる。
情けないなぁ、男の子でしょ! あれ、違った? まあいいか。
「うー、りぐりゅ……」
「ほ……本当だ、いつもの獲物を見るような気配が無い……」
「ねーっ、文は私達の娘なんだから、そんな酷いことはしないもんねっ」
「……んふっ、んふふふふふっ」
「リ、リグル……?」
突然、薄気味悪い笑いを浮かべるリグル。
どうした、脳にハリガネムシでも湧いたか。蟲に脳ってあったっけ?
「んふふ……こいつが無抵抗の今こそ、積年の恨みを晴らす絶好のチャンス!」
「!! リグルっ、相手は赤ちゃんなんだよ! 駄目だよそんなことしちゃあ!」
「関係ないね! 今まで私達は鳥達の暴挙に苦しめられてきた、特にカラスにはねっ! カマキリのクラブ君も、クマバチの蕃熊蜂太夫君も、みんな蟲の未来を信じて死んでいった。その想いは無駄にはさせないよ!」
「そ、そんなすぐ死にそうな名前付けるから……」
「さあ、今まで殺してきた蟲達の怨みを思い知……ひゃあ!」
「うー!」
蟷螂拳のような構えで、自分の膝に座る文さんに襲いかかろうとしたリグル。
だが、やはり体格差がある状態で上に乗られてるのがまずかったのか、
攻撃を仕掛ける前に文さんが両手でリグルの触覚をつかんだ。
「痛っ、やめてっ、痛い、痛い!」
「うぁー!」
「ごめんっ、謝るから止めて! 触覚は、触覚だけは駄目なのぉ!!」
バランスを崩し、文さんと一緒に椅子から地面に転げ落ちるリグル。
二人はそのまま文さんが上の馬乗り状態にもつれこみ、リグルは一方的に触覚を弄繰り回される。
うーむ、いくら体格差があるとは言え赤ちゃんに負けるとは。蟲のヒエラルキーは今後10億年は変わらないだろう。
「……でもさぁ、チルノ」
それまでの楽しい雰囲気から一転、突然ミスティアが真顔になって話し出す。
「んー、何?」
「やっやあぁらめえっ、しょ…しょっかきゅぅ…!! しょっかくはぁ…ビンカンだから触っちゃらめにゃのほぉぉ、あはぅっ!!」
「いくらその天狗がチルノを親だと思っていてもさ、本当の親子じゃないわけじゃん?」
「……」
文さんと戯れるリグルがやかましいが、それはこの際無視とする。
「こんなこと言うのはなんだけどさ、いつまでもこうしてはいられないんじゃないかな?」
「……どういうことよ」
「だってさ、天狗には天狗の元の生活ってものがあって、友達だっているんだよ」
「……」
「もし、いつか天狗の意識が元に戻ったら……」
「みすちー」
「!」
「やめて。あたい馬鹿だから、それ以上言われてもわからない」
「チルノ……」
「んほおぉォォ、らめえっ、本当にら゛め゛なのほぉぉっ!! ひ、ひょっかく馬鹿ににゃるのぉおおっ!! それ以上しょっかくしゃわられるとぉぉ!! おひりっ、おしりがぴかぴか光っちゃひまふぅぅ~!!(リグルはメスなのでお尻は光りません)」
うるせえぞゴキ。
「……ごめん。それはチルノ達の問題だよね。私が口を出すことじゃないわ」
「……」
チルノちゃんは俯いたまま何も答えない。
……私もそれは思っていたことだった。きっとチルノちゃんも同じだと思う。
だけど、二人とも口に出すことは無かった。いや、出せなかったんだ。
私達は赤の他人同士で親子を演じているに過ぎない、文さんとの別れは必ずやってくる。
でも、それを言ったらそこで文さんが去ってしまうような気がして、全てが終わってしまう気がして。
「どうする、他に何か食べる? 今日は特別にサービスしておくよ」
「……いい」
「チルノ……」
「帰ろう大妖精、あんまり遅くまで文を連れ出すのはよくないよ」
「う、うん……」
ミスティアとの話を強引に切り上げ、逃げるように席を立つチルノちゃん。
……やっぱり、チルノちゃんも気にしていたんだ。
ずっと先のことだと思っていた。まだしばらく文さんと一緒に暮らせると思っていた。
でも、ミスティアが言葉に出してしまったせいで、それは急に現実味を帯びてきて私達に重くのしかかる。
いや、ミスティアが言わなくても誰かが言うだろうし、仮に誰も言わなくても必ずその日はやってくる。
私達はただ目を逸らしているだけ。もし、突然その日がやってきたら、私達は一体何ができるだろう。
「文ー帰るよー、リグルと遊ぶのもその辺にしておきなさい」
屋台の暖簾をくぐり、私は文さんを迎えにリグルの元へ歩く。
リグル、派手に騒いでたけど、ちゃんと文さんの相手はできてたのかな?
「あれ……?」
一足先に文さんを迎えに行ったチルノちゃんが、おかしな声をあげる。
何かと思い駆け足で近づくと、その理由は一瞬で理解できた。
「リグル……文はどこ?」
いないのだ、文さんが。
さっきまでリグルとじゃれ合っていたハズなのに、そこに文さんの姿は無く、
ただ恍惚の表情を浮かべたリグルが涎をたらしながら横たわっているだけだった。
「ねえリグル! 文はどこよ! さっきまで一緒にいたでしょ!」
「えへ、えへへへ……」
「何笑ってるのよ! 文はどこかって聞いてるのっ!」
「し、しらにゃい、どっか行っちゃった……」
「どっか行ったって……なによそれ! なんですぐに言わないのよ!?」
「ふひ、ふひひひひ……」
「チルノちゃんの質問に答えろっ! 喰らえ、大妖精奥義・電気アンマ!!」
「ひゃうん!!」
なんてこった、いつの間にか文さんが姿を消してしまった。
そろそろ日も暮れてくる頃、もし文さんが一人で森の中にでも入ってしまえば探すのは困難になる。
それだけじゃない、今の文さんはお腹を空かせた妖怪には格好のディナーに見えるだろう。
早く見つけなければ色々と手遅れになってしまう、唯一の手がかりのリグルも寝てしまった。これは大変だ。
「あたい、文を探してくるっ!」
文さんが居ないと知った途端、その場から駆け出すチルノちゃん。
「チルノちゃん!」
「大妖精はそこで待ってて! 絶対に見つけてくるから!」
チルノちゃんは私達の言葉も聞かずに、そのまま茂みの中に消えていった。
「な、何? なんの騒ぎ!?」
騒ぎを聞きつけ、ミスティアが屋台から飛び出してくる。
「ミ、ミスティア、チルノちゃんが、チルノちゃんが……」
「チルノ? チルノがどうしたの?」
「文さんを探しに、一人森の中に入って行っちゃったの!」
「はぁ?」
どうしよう。そのうち完全に夜になってしまう。
もし、厄介な妖怪が出てきたら無防備な文さんは勿論、チルノちゃんも危ない。
「全く、なんでアイツはああも馬鹿なのよ!」
「ねえ、私達も一緒に行ったほうがいいよね? 一緒に行こうよ」
「そんな必要ないわよ、チルノはさっきここで待っててって言ってたじゃない」
「で、でも……」
「何、あと三十分もすれば、見つからなかったって泣きべそかきながら帰ってくるわよ」
そう言ってくるりと振り向き、屋台に入っていくミスティア。
そして彼女はそのまま、何事も無かったかのように鰻を焼き始める。
その普段と変わらぬ姿は、今起こってる事態なんて心底どうでもいいとでも言いたげだった。
チルノちゃんと文さん、一気に二人も心配していっぱいいっぱいになってる私には、そんなミスティアの態度が信じられなかった。
「ちょっと待ってよ!!」
「?」
「ひどいよミスティア! 二人が森の中に入って行っちゃったんだよ、心配じゃないの!?」
「んー、チルノは結構強いし大丈夫だよ」
私の呼びかけにも顔色一つ変えずに応えるミスティア。
そんな姿を見て、私の中に段々とイライラが募ってくる。
「じゃあ文さんは、文さんはどうなるの! 見つからなかったって帰ってくる? ミスティアはチルノちゃんさえ帰ってくれば良いと思っているの?」
「あー、違うよ。大妖精落ち着いて……」
「何が違うのよ! そりゃあ文さんとは血の繋がりは無いけどね、文さんは私達をママって呼んでくれるのよ! 文さんは私達にとって、本当の子供も同然なんだから!!」
感情が高ぶったせいか、いつのまにか私は涙を流しながら叫んでいた。
ミスティアはそんな私を変な生き物でも見るかのような目付きで見つめる。
おかしい? 私おかしい? そうね、私もおかしいと思うわ。つい一週間前まで、文さんはチルノちゃんを巡る恋敵でしか無かったのに、いつの間にか私達の大切な家族になっていたんだから。
「文さんは、文さんは……ぐすっ」
「落ち着いてってば、ほら、こっち来て」
「?」
「早くしなさい!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにした私の手を強引に引っ張り、ミスティアは屋台の裏に歩き出す。
「ちょ、ちょっと何よいきなり!」
「全く、大妖精もあんまりチルノと頭は変わらないんじゃない?」
「何するの、私は早く二人を探しに行かなくちゃ……」
「二人も探さなくて良いよ。ほら、大妖精が探してるのはコレでしょ?」
「えっ……?」
「だいよーせー……ぐすっ、文が、文が見つからないのぉ……」
チルノちゃんが森の中に入ってから約三十分。
ミスティアの言った時間と大凡同じ頃、茂みの向こうからチルノちゃんは戻ってきた。
暗い森の中を駆け回ったせいか、服は所々破れ、腕や足についた切り傷から血が滲んでいた。
「どうしよう……あたい、文のママなのに……ぐすっ」
自分の体が傷だらけなのに、ひたすら文さんの名前を呼び続けるチルノちゃん。
ああ、こういうのが母性なんだな、と今更ながら感じる。
「あたいが文から目を離さなければ……妖怪に食べられちゃってたらどうしよう……ごめんね、文……」
「チルノちゃん、大丈夫! 文さんは無事だよ!」
「え……?」
私の言葉に驚き、涙で真っ赤になった目を丸く見開くチルノちゃん。
私は早くチルノちゃんに笑って欲しくて、屋台の椅子に座る文さんの手を取り、ちょっとだけ強引にチルノちゃんの前に連れ出した。
「ままぁ?」
「あ、文……無事だったの!?」
「最初から森には入ってなかったんだよ、屋台の裏に行っちゃってただけなのよ」
「ずっと私の足元に居たのに、二人とも居なくなったとか騒いじゃって。次からはもっと冷静にならなきゃダメだよ」
「文ぁ、あやぁ!!」
チルノちゃんは先ほどよりも更に顔をくしゃくしゃにさせ、勢いよく文さんに抱きつく。
「バカッ、心配したんだからぁ!」
「うー?」
「もう絶対、絶対に離れないから! うっ、ぐすっ……」
静かな夜の森に、チルノちゃんの泣き声が響く。
それを見たミスティアは「やれやれ」と肩を上げ、そのまま屋台に戻っていった。
そうだ、これでいいんだ。
二人は血の繋がり無くても、固い絆で結ばれた親子。その事実だけで十分。
別れの日? そんなものはその時に考えればいい。いつになるか分からない問題を今から悩む必要なんてない。
自分よりも小さな母親に甘える赤ちゃんと、自分よりも大きな子供を泣きながら抱きしめる奇妙な二人の姿を見て、
私はこの幸せな親子関係ができるだけ長く続きますように。と心の中で強く願った。
だがそんな祈りも空しく、文さんとの別れの日は残酷なほど早くやってきたのであった。
◆◇◆
ある朝、文さんが熱を出した。
チルノちゃんが文さんの様子が変だ、と言い出したので慌てて駆けつけてみると、
文さんは顔を真っ赤に染め、苦しそうに早め呼吸を繰り返しながら、力なくベッドに横たわっていた。
額に手を置くと、明らかに普通ではない量の熱が私の手に伝わってくる。
「なにこれ、凄い熱だわ……」
「大妖精、文は、文は大丈夫なの!?」
「ままぁ……ままぁ……」
「多分、風邪だと思うけど……私はお医者さんじゃないから何とも言えないよ」
「ねえ、こういう時って何をしたらいいの!?」
「え、えっと、とりあえずチルノちゃんは氷袋をいくつか作って頂戴、文さんもそれで少しは楽になると思うから」
「分かった! 文、ママがついてるから安心してなさい!」
「ままぁ……」
チルノちゃんは台所に転がり込み、一瞬のうちに数個の氷袋を作り上げる。
だが、文さんの異常な高熱により、わずか一時間足らずで全て溶けてしまった。
「全然熱が下がらないわ……ねえ、チルノちゃんの家に風邪薬って無いの?」
「ごめん、あたい風邪ひいたこと無いから……」
文さんの症状は時間を追うごとに悪化の一途をたどっている。
泣こうにも泣く元気が無いのか、ただ目に涙を浮かべながらヒューヒューと苦しそうな呼吸を続ける。
どうしよう、これはもう私達がどうにかできるレベルじゃないよ。
もっと、こういう事に強い人が居てくれれば、たとえばお医者さんとか……。
「そうだ! いい事を考えたわ!」
「いい事?」
「竹林の奥にでっかいお屋敷があるでしょ? あそこって、どんな病気も治しちゃうお医者さんがいるんだって! そこに文を連れて行こうよ!」
どうやらチルノちゃんも私と同じ考えに行き着いたみたい。
迷いの竹林の奥にある永遠亭、あそこに行けば薬も沢山あるし、お医者さんもいる。間違いなく文さんの風邪も治るだろう。
だけど……文さんをお医者さんに連れて行くことに、私はある不安を抱いていた。
「じゃあ、早速出発よ! 大妖精、ついて来なさい!」
「ちょっと待ってチルノちゃん!」
文さんを抱えて出かけようとするチルノちゃんを呼び止める。
「何よ! 早くしないと文が可愛そうじゃないの!」
「うん、ごめん……でも、聞いて欲しい事があるの……」
「もう、急いでるのよこっちは! 一体何よ!」
「あ、あのね、文さんをお医者さんに連れて行ったら、風邪は治るよね?」
「決まってるじゃない! 治らなかったらなんの為に行くのよ!」
チルノちゃんはまだその先に気付いていないみたい。
これはチルノちゃんと文さん、二人の運命が決まる大事な事。
言いづらい、言葉が詰まって口に出せない。……でも、言わなきゃ。
「で、でも、文さんをお医者さんに診せたら、きっと風邪と一緒に幼児退行も治っちゃうと思うの……」
勇気を振り絞り、事の重大さをチルノちゃんに伝える。
「……どういうこと?」
「だから、文さんが元に戻っちゃうんだよ。もう、チルノちゃんはママでもなんでもなくなっちゃうの」
「!!!」
ここまできて、ようやく私の言っている内容を理解したのかチルノちゃんが驚愕の表情を浮かべる。
「え、ちょ、ちょっと、なんなのよそれ! あたいは文のママでしょ!?」
「それは、文さんが刷り込みでそう思っちゃっただけ、元の大人に戻ればそんな事忘れちゃうよ!」
「じゃあ、お医者さんに文をこのままにしておいてって、頼んでみたら……」
「無理よ、そんな都合よく話を聞いてくれるとは思えないわ」
「そ、そんな……」
二人の親子関係が終わる。
まさかこんなにも早くこの日が来るとは思わなかったのか、
チルノちゃんは呆然とした顔で風邪に苦しむ文さんを見つめる。
「ままぁ……けほっ、けほっ」
「文……」
しばらくの間ママを務めたとはいえ、まだまだ子供のチルノちゃんにとってはそれはあまりに重すぎる選択。
知識も薬も無い私達でこのまま苦しむ文さんの世話を続けるか、お医者さんに預けて文さんに別れを告げるか。
チルノちゃんは泣きそうな顔で俯いていたが、やがて何かを決意したかのようにゆっくりと顔をあげる。
「……行こう」
「え?」
「行こうよ、お医者さんの所へ。文がこんなにも苦しんでいるのよ。子供のことを一番に考えないで、何がママよ!」
「チルノちゃん……」
さっき心の中で思ったことを訂正しよう。今のチルノちゃんはお転婆で悪戯好きな子供じゃない、
何よりも文さんのことを優先する事を決意したその顔は、一人前の『母親』のそれになっていた。
私達はぐったりした文さんを抱きかかえ、外に向かって走り出した。
文さんを抱えながら全速力で迷いの竹林に突入した私達は、
運良く黒髪のウサギさんを見つけ、そのまま永遠亭に転がり込んだ。
騒ぎを聞きつけやってきたお医者さんに診て欲しい患者がいると伝えると、
お医者さんはそれ以上は何も聞かずに「わかったわ、任せなさい」と言って文さんを診察室まで連れて行った。
妖精が天狗の病人を連れてくるなんて、どう考えても普通じゃないのに事情も聞かずに診察してくれるなんて、ちょっと変わった人だな。
もしかしたら、頼めば文さんをそのままにしておいてくれるかも、なんて淡い期待が私の頭を過ぎった。
「もう大丈夫よ、あとはゆっくりと体を休ませておけばニ~三日のうちに良くなるわ」
文さんのカルテを書き込みおえたお医者さんが、私達に向かってにっこりと微笑む。
風邪はかなりの重症だったけど、このお医者さんの手にかかればすぐに治ってしまうらしい。
お医者さんから渡された薬を飲んだ途端、文さんの熱はどんどん引いていき、そのまま病室のベッドで穏やかな寝息をたてて眠ってしまった。
「ねえ、ホントに文は大丈夫なの!?」
「妖精の癖に疑り深いわね。私の手にかかれば死者の蘇生から、日本人男性の六割の悩みまでなんでもござれよ」
「良かったねチルノちゃん! 文さん元気になるんだって!」
「う、うん……」
チルノちゃんの顔にようやく笑顔が戻る。
だけど、お医者さんがいつ幼児退行の件を切り出すかと思うと、私は素直に笑うことはできなかった。
お医者さんの優しい顔が、かえって私達の不安を募らせる。
「もう、折角治してあげたっていうのに、何暗い顔してるのよ」
「……」
「もしかしてお腹が空いてるの? ウドンゲ、そこ棚のアレを二人に渡して頂戴」
「冥王饅頭ですね。はい、どうぞ、まだまだ沢山ありますから遠慮せずに食べてくださいね」
「あの、これ、カビが生えてますけど……」
「そのぐらい何よ、カマンベールチーズだと思いなさい」
無茶な。
結局、その怪しいパッケージのお饅頭はゴミ箱に捨てられ、代わりに人参味の羊羹と緑茶をご馳走になった。
うん、ウサギ向けの味付けかと思ったけど、結構美味しい。チルノちゃんと一緒に全部食べちゃった。
それにしてもこのお医者さん、文さんの事について何も聞いてこない。
弟子(お医者さんを師匠と呼んでいたから多分そう)のウサギさんと一緒にニコニコ笑っている。
もしかして幼児退行を起こしている事に気付いてない? 風邪でグロッキー寸前だったから区別が付かなかったのかな?
いやいや、相手はあの名医、八意 永琳さんだ。いくらなんでもそれは無いだろう。一体何を考えているんだろう……。
「どう、美味しかった?」
「はい、ご馳走様でした。とっても美味しかったです」
「ウサギの食べ物にしてはまあまあね! もし余ってるなら貰ってやってもいいわよ!」
「そう、うれしいわ。こんな遠くまで飛んできて疲れたでしょう、丁度ベッドも空いてるし少し休んだらどうかしら?」
「あ、いえ、そこまでは……」
お医者さんの顔は全く崩れない。
ここまでくると、この暖かい笑いも不気味に思えてくる。
「……どうしたの? 人の顔をジロジロ見て」
「え? あ、す、すいません!」
「貴女、さっきからずっとモジモジしているけど、何か気になることでもあるの?」
「え……?」
「ふふふ、貴女の考えている事、当ててあげましょうか?」
ぞくり、と背中に寒気が走る。
「貴女は今こう考えているわね。『どうしてこの人は天狗の事……そう、幼児退行を起こしてしまった射命丸 文の事を聞いてこないんだろう?』ってね」
「!!!」
「そしてこうも考えている、『もしかしたら幼児退行に気付いていないのかもしれない、いや、そうであって欲しい』。どう、当たってる?」
お医者さんの瞳が冷たく光る。
私の心が全て見透かされている……最初から全てお見通しだったんだ。
もしかしたら、これからも文さんと暮らせるかもしれない。
そんな僅かな希望を抱いている事すら読まれてしまうなんて……。
怖い、このお医者さんはとにかく怖い。
文さんとの親子関係の終りを決意して私達はここまでやってきたのに、なぜか震えが止まらない。
文さんの記憶を元に戻す、それだけでは終わらないような、そんな気がした。
「な、なんでアンタが文の事をそんなに知ってるのよ!?」
「貴女達妖精は知らないかもしれないけど、最近、噂になっていたのよ? 『射命丸 文、謎の失踪』ってね。それで調べてみたら、姿を消した日にウドンゲが彼女の家に訪問販売に行ったそうなのよ。しかも、問い詰めてみるとまだ技術としては未完成の退行催眠を施したって話じゃない」
「すいません……私の腕が未熟だったせいで、催眠が強く効き過ぎて幼児退行を起こしてしまったらしいんです」
「それでね、更に情報を集めてみると、失踪した天狗が妖精に連れられて夜雀の屋台にいるところが目撃されてたの。それで私はピンと来たわ。彼女は未だ催眠状態にあり、刷り込みで妖精を親だと思い込んでるって」
「……そこまで知っていながら、何故直接私達の所に来なかったんですか」
「あらヤダ、その情報が入ってきたのはホンの数日前、暇があったらコチラから出向く予定だったわ。貴女達からやって来たのはただの偶然よ」
つまり、仮にお医者さんの手を借りず私達だけで文さんの風邪を治しても、近いうちに文さんの記憶は元に戻ってしまったんだ。
私達がどう足掻こうが、全ては彼女の手の内にある。お医者さんの言葉に、そんな途方も無い恐怖を感じた。
「で、貴女達からここに来たって事は、当然覚悟はできてるんでしょうね?」
「覚悟?」
「そう、記憶を元に戻し、全てを無かった事にする覚悟。本当はあのワーハクタクに手伝ってもらうのが手っ取り早いんだけど、元々全ての原因はウチにあるしね、私達だけでなんとかするわ。どう、あるの?」
「と、当然じゃない、あたいは文の風邪さえ治ればいいの! たとえ文があたいの事を忘れても、あたいは一生忘れないんだから!」
圧倒的な威圧感のお医者さんに強気で当たるチルノちゃん。
子供ならではの無謀と、子供を想う母の心。
その二つを合わせたチルノちゃんは、恐怖に震える今の私にとって、とても心強い存在だった。
そう、私達の親子関係は今日この瞬間、終りを告げる。
悲しいけれど、これも文さんの為を思えば、と無理矢理自分を納得させる。
「そう、決意は固いのね……」
「あったりまえよ! あたいったら最強のママなんだからっ!」
「でもね、貴女は少し勘違いをしている」
「え……?」
お医者さんの顔から笑顔が消え、部屋の空気が凍りつく。
そして、ゆっくりとお医者さんが口を開く。
「無かった事にするのは天狗の方じゃない、貴女達二人の記憶よ」
◆◇◆
私はお医者さんが何を言っているのか理解できなかった。
それはチルノちゃんも同じらしく、ぽかんと口を開けて頭にハテナマークを浮かべていた。
私達の記憶を消す? 何を言っているんだろうこの人は。そんな事をして何になるっていうの?
「ウドンゲ、準備はいい? 今度は失敗は許されないわよ」
「はい、任せてください。あれから何度も練習を重ねましたから、もう大丈夫ですよ」
放心状態の私達を無視して、なにやら準備を始める二人。
流れから考えて、私達の記憶を消す準備を進めているのかもしれない。
「ふ……ふざけるんじゃないわよぉぉぉぉっ!!!」
相手の理不尽さに気付いたのか、チルノちゃんは顔を真っ赤にしてお医者さんに掴みかかる。
「どういうことよっ! なんであたい達が記憶を消されなきゃいけないのよ!」
「そうですよ、意味が分かりません! ちゃんと理由を説明してください!」
「うーん、そう言われてもねぇ……説明したところで貴女達の頭で理解できるかどうか」
冗談じゃない、理由も説明されずに勝手に記憶を操作されるなんて、
一体何の権利があってそんな事をするのか、納得のいく説明をして貰いたい。
「とにかく、全てを無かった事にするのよ。天狗は幼児退行なんて起こさなかったし、貴女達はあの日彼女と出会わなかった。わかる?」
「そんな、自分達が催眠に失敗したからってそれを隠そうって言うの!? 卑怯よ、そういうのなんて言うか知ってるわよ、事実をインケーするつもりねっ!?」
「チルノちゃん、それを言うなら隠蔽だよ……」
「隠蔽とは人聞きが悪いわ。ま、何もかも忘れてしまう貴女達に何を言われても構わないけどね。ウドンゲっ!」
「はい、師匠!」
横に控えていた弟子ウサギさんが、チルノちゃんに向かって飛び掛る。
お医者さんの胸に掴みかかっていたチルノちゃんを強引に引き剥がし、肩を掴んで床に押さえつけた。
「何すんのよ、離せっ!」
「さあ、私の目を見なさい!」
「この、こいつ何をするの……ひゃっ!」
二人の視線が合った瞬間、チルノちゃんの体はまるで電撃が流れたかのようにビクリと跳ね、そのまま糸が切れたように動かなくなった。
「チルノちゃん! 一体チルノちゃんに何をしたのっ!?」
「安心して下さい、ちょっと眠ってもらっただけです」
「なんで、なんでそんな酷い事をするの! 私達が一体何をしたっていうのよ!?」
「最初から大人しく言う事を聞いていれば、ここまではしなかったわよ。ま、抵抗する事は予想の範疇だったから、さっきの羊羹に薬を盛っておいたんだけど。ウドンゲの催眠が数段効き易くなる特別な薬をね」
「そんな……」
チルノちゃんは完全に意識を失っているのか、死んだように倒れこんでいる。
こんな……こんな酷い話って無いよ。
文さんの記憶が無くなるのは仕方が無い、元々私達とは何の関係も無い生活を送っていたのだから。
だけど、ほんの一週間程度だけど、文さんは私達の大事な娘だったんだよ? 何よりも大切な宝物だったんだよ?
それを、突然忘れろだなんて、絶対納得できないよ!
「さて、貴女はどうするのかしら? 大人しくしてくれれば、乱暴な真似もしなくて済むんだけど」
「うぅ……」
「そうよ、良い子ね。私は物分りのいい子は好きよ」
お医者さんが冷たい笑みを浮かべて私に迫る。
弟子ウサギさんは逃げられないように診察室のドアに寄りかかり、無言で私を見つめる。
恐怖に怯える私の肩に、お医者さんの白い手がじわじわと近づいてくる。
チルノちゃん、文さん、ごめんなさい。私、もうすぐ文さんの事を忘れちゃいます。
出逢っていきなりチルノちゃんに飛びついてビックリした事や、二人がかりで妖怪の山から運んだ事、
ちょっとだけ嫉妬しちゃった事や、初めてのオムツ替えやミルク作りに困惑した事。
大変だったけど、どれも最高に楽しくて、私の一生の思い出になるはずだった時間……。
忘れたくない……ずっと、覚えていたい……。
忘れたくない……。
「いやぁ! 近寄らないでぇ!!」
全くそんなつもりは無かった。
私を押さえようと近づくお医者さん、私は無意識のうちに彼女を渾身の力でもって突き飛ばした。
お医者さんはそのまま後ろに倒れこみ、床に勢いよく尻餅をついた。
「忘れたくない! 私、文さんを忘れたくないっ!」
「っつ、痛たた……」
「大丈夫ですか、師匠!」
「なんでよぉ、なんで覚えてちゃいけないのよぉ! 忘れたくないよぉ!!」
どう考えても勝てっこないのに、なんで私はこんな行動に出たんだろう。
考えても分からない。ただ、文さんを忘れきゃいけないと思うと、とても辛く悲しくて自然と体が動いてしまったんだ。
そんな自分の行為に困惑していると、お医者さんが姿勢をたて直しゆっくりと立ち上げる。
再び私の前に立ちふさがった彼女の顔に、もはや笑顔は浮かんでおらず、鋭い眼光で私を睨みつける。
「残念ね、そこの氷精と違って、貴女はもう少し頭の働く子だと思ったんだけど……」
「私だって、文さんのママなんだからね! 絶対に忘れたりなんかしないんだからっ!」
「師匠、私の目で大人しくさせましょうか?」
「その必要は無いわ。貴女、何故忘れなければならないのか、そう言ったわね? 良いわ、特別に教えてあげる」
「……」
正直に言って、とても怖い。足がガタガタ震えているのが分かる。
私じゃあこの人達には絶対に敵わない。だけど、私は諦めるワケにはいかない。
ここで諦めたら、チルノちゃんや文さんを裏切ることになる。何故かそんな気がした。
「勘違いして欲しくないんだけど、貴女達の記憶を消すのは別に失敗を隠したいわけじゃないの、これは貴女達を思っての事なのよ」
「……私達の事を?」
「分からない? このまま天狗だけの記憶だけを消して、貴女達を帰したらどうなるのか」
「……?」
「いいですか、元の記憶が戻れば、文さんは前と同じように新聞記者の生活に戻る」
「だけど、貴女達は彼女を自分の娘として一緒に暮らしたのを覚えている。ここまで言ってもわからない?」
二人の顔に少し影がかかった気がした。
「……もう二度と、会いたくても赤ちゃんの文さんには会えない。そう言いたいんですか?」
「あら、ちゃんと分かってたのね。そう、射命丸 文は全てを忘れ、貴女達が娘として与えた愛も、母親として慕った事ももう思い出すことは無い。きっと、貴女達にはその辛さに耐えられないでしょうね」
「そんなものは承知の上! 私達はそれを覚悟してここに来たのよっ!」
「妖精は弱い。今どんなに決意が固くても、すぐに心を押しつぶされるわ。二度と振り向いてくれない娘という現実にね」
「そんな、そんなことっ!」
「だからこそ、この八意 永琳が記憶を消してあげようというのよ! 悲しい過去をわざわざ背負う必要なんて何処にもないのよ、そうよねウドンゲ!?」
「はい、過去に囚われて生きていくのはとても辛い事です。患者さん達にはそんな想いをさせたくないんです、だから……」
「そんなもの、そっちの一方的な決めつけよっ! 楽しさも苦しさも、全部受け止めてあげるのがママってものじゃない!」
「青いわね、貴女は死ぬまでその苦しみを背負うつもり? 妖精の死、すなわち自然の死までずっと?」
「ええ、いつまででも背負って見せるわ! 私は文さんの思い出と共に生き、思い出と共に死す、今更なんの躊躇いもないっ!」
「そう、分かり合うことは出来ないのね……。なら、ウドンゲっ!」
弟子ウサギさんが私の前に出て目を見開く。
あの目を見たら、私も催眠にかかってチルノちゃんみたいに気絶しちゃうんだ。
……ええい、弱気になるな大妖精! 単なる視線じゃない、そのくらい耐えて見せるわ!
「さよなら。なかなか面白い子だったわよ、大妖精」
「次に目覚めたときには、貴女はいつもの陽気な妖精に戻っています。さあ、私の目を見て……」
「くっ……!」
私の視界は、一気に弟子ウサギさんの瞳に吸い込まれた。
世界が真っ赤に染まり、ぐにゃぐにゃと歪んでいく。
瞼が重い、少しでも気を抜いたら一発で意識が飛んでしまいそう。
頭がクラクラする、五感が滅茶苦茶になってるように感じる。
「貴女は全てを忘れる、もう何も考えなくて良い、ゆっくりと眠りなさい……」
ダメ、ここは耐えなきゃ……。
私は……文さんを忘れたくない……絶対に、忘れたりしないから……。
ああ、体から力が抜けていく……意識が、だんだん遠のいて……。
「氷符『アイシクルフォール』!!!」
突然、頭から水をかぶったみたいに意識がはっきりと戻る。
驚いて部屋の中を見回すと、お医者さんと弟子ウサギさんが、二人揃って氷の塊に埋もれていた。
これはスペルカード? このスペル、なんだか凄く見覚えがある。
「っつ……何? 何が起きたの!?」
「氷です! 氷塊が突然上から降ってきました!」
思いもよらぬ奇襲に慌てふためく二人。
そんな二人の後ろから、ゆっくりと小さな人影が立ち上がり、そして高らかに叫ぶ。
「 あ た い っ た ら 最 強 ね !」
チルノちゃん……チルノちゃんだ!
弟子ウサギさんの催眠にかかって気絶していたハズのチルノちゃん。
理由はわからないけど、復活したんだ! よかった、本当によかった……。
「どうなってるのウドンゲ!? 貴女、ちゃんと催眠かけたの!?」
「はい、あれは確実に決まっていました!」
「じゃあなんで眠ってないのよ!」
「わ、分かりません……私にも何がなんだか……」
催眠をかけた張本人にも、なんでチルノちゃんが目覚めたのか分からない見たい。
本当に、なんでなんだろう? 自機キャラ補正? テンプテーション見切り? イヤボーンの法則?
「大妖精、もう大丈夫よ! あたい、完全復活!」
「う、うん……」
……よく見ると、チルノちゃんの口の周りが赤く染まっているのに気がついた。
「……! チルノちゃん! く、口から血が!!」
「ん? ああ、こんなもん何でもないわよ」
「だ、だって、口の周りとか、服とか真っ赤っかじゃない!!」
「だいじょーぶだって、こんなもんカスリ傷よ!」
チルノちゃんが喋る度に、溢れ出る血が体を赤黒く染めていく。
大丈夫だと言っているけど、明らかに普通の傷じゃない。
口の中からこんなに大量の血が出るなんて、一体、何があったの!?
「チ、チルノちゃん……もしかして、舌を……」
「……」
「バカな! 自ら舌を噛み千切って、痛みで自我を保っていたというの!?」
「ば、馬鹿げてます……下手したら死にも繋がる危険な行為ですよ!?」
「そんな何度もバカバカっていうな!」
「でも、妖精にそこまで機転が利かせられるとは……」
「ふふんっ、ウサギの目を見て床に倒れた時、舌を噛んじゃって、その時閃いたのよ。どうよ、このあたいの戦闘の天才っぷりは!」
そこまで言うと、チルノちゃんは口に溜まった血をぺっ、と吐き出す。
血の染まった顔に輝く瞳は一辺の曇りもなく、強く真っ直ぐに二人を見つめていた。
「さあ、あたいが復活したからには、もうあんたらの好きにはさせないわよ!」
「何だってのよ、貴女達は!? 天狗と貴女達は血が繋がっているわけでもない、ただ偶然そこに居合わせただけで親子になっただけなのよ! そんなママゴトみたいな親子関係を、身の危険を冒してまで覚えている必要は無いでしょう!?」
「いいや、あるっ!!」
その声に、全員が身をすくませる。
「……あたいは生まれたときから一人だった、妖精は自然そのものだから、親も兄弟もいない。だから、家族連れの人間をみると羨ましくて仕方がなかった。大妖精やみすちー、リグルはいつも一緒だけどそういうのとは違う。あたいは、“家族”が欲しかったんだ」
「チルノちゃん……」
「文は、そんなあたいをママって呼んでくれた。嬉しかった、本物の家族が出来たみたいで、本当に嬉しかった。血が繋がってなくたっていい、文はあたいにとって最初で最後の、たった一人の家族なんだ! だから……絶対に忘れるわけにはいかないのよ!!」
チルノちゃんが叫ぶと同時に、吹き上がる炎のように冷気が部屋を包み込む。
空気がキラキラと輝き、棚に並べられた薬瓶が次々と凍り砕け散っていく。
「さあ、かかってきなさい! さっきは油断しちゃったけど、もう負けないわよ!」
「くっ、今度こそ確実に眠らせてあげるわ! 行くわよウドンゲ!」
「はい、次こそは仕留めて見せます!」
姿勢を立て直した二人がチルノちゃんに襲い掛かる、
目がくらむような弾幕の渦の中、チルノちゃんはお医者さんに向けて氷柱を打ち込み、ウサギさんの銃弾を氷の壁で弾き返す。
「どおしたぁ! そんなんじゃあたいは倒せないよ!」
「何なのコイツ、妖精のくせになんて強さなの!?」
「し、師匠、頭に氷柱が突き刺さってます! ああ、ピンク色のドロっとしたものがぁぁぁ!!」
凄い、チルノちゃんってば、あの二人を相手に互角に戦っている……。
でも、二対一じゃやっぱり多勢に無勢。きっといつかは押し負けてしまう。
よし、私もチルノちゃんと一緒に……。
「大妖精! 今のうちに逃げてっ!」
「えっ?」
「この二人はあたいが引き付けておくから、早くっ!」
「な、何言ってるの? チルノちゃんだけ置いて行けるワケないじゃない、私も一緒に戦うよ!」
「バカッ!!」
「!!」
「もしここで二人とも負けちゃったら、誰が文の事を覚えてるっていうのよ!!」
「で、でも……」
「大丈夫だから、先にあたいの家で待ってて。すぐに追いつくから!」
そんな、私一人だけでここから逃げろだなんて……。
チルノちゃんの言う事にも一理ある、別にここでお医者さん達に勝つのが目的じゃない。
要は文さんの事を忘れなければそれでいいんだ。二人の内のどちらかが覚えていれば。
攻撃は更に激しさを増し、チルノちゃんも防戦一方になってきた。
「チルノちゃん……」
「早く! 何をしているのっ!?」
「う、うん……ご、ごめんね……」
「いいって事よ。それでさ、大妖精に一つお願いがあるんだけど……」
「……何?」
「あたいがもし、ここでこいつらに負けちゃって、文の事を全部忘れちゃったら……どんな事をしてもいい、何が何でも思い出させて!」
「……うん」
「お願いはそれだけっ! それじゃ、またね!」
「……うん!」
チルノちゃんが私に向けて軽く微笑む。
それを確認したのと同時に、私は診察室のドアを蹴破り、出口に向かって一目散に走り出した。
「妖精が一匹逃げたわ! 追え、追えーッ!」
お医者さんの号令が出された途端、全ての部屋の襖が一斉に開き、無数のウサギさん達が私に襲い掛かってくる。一羽一羽から放たれる弾幕は、時には複雑に交差し、時には合わさって威力を増しながら、容赦なく私に降りかかる。私は全神経を回避する事に集中させ、弾幕の海を右へ左へ飛び回り出口に向かって突き進んだ。ここで捕まっては、自分を犠牲にしてまで私を逃がしてくれたチルノちゃんの頑張りが無駄になってしまう。私にはワンミスすら許されない、残機はゼロ、ボムもゼロ、ついでに難易度はルナティック級ときた。発狂寸前の弾幕の中を、僅かに見える安全地帯を頼りに抜けていく。天帝よ、私に力を、緋蜂と渡り合える回避センスを!
どのぐらいそれが続けたのかは分からない。永遠に続くんじゃないかと思わせる廊下を駆け抜け、次々と現れる追っ手を振り切り、ついに私は日の光が差し込む玄関にたどり着いた。
転がるように外に飛び出し、そしてそのまま一気に上昇する。
振り返ると、既に追っ手はいなくなっていた。どうやら警備範囲は屋敷内に限るらしい。
永遠亭は竹林に覆い隠され、完全に姿が消えてしまった。もう、戻ってチルノちゃんを助け出す事も出来ない。
「チルノちゃん……」
もしかしたら、チルノちゃんも上手く脱出するのでは。
そんな淡い期待を抱いて、竹林を見つめ三十分ほどその場で待ってみた。
だけど、いくら待ってもチルノちゃんは現れなかった。まだ二人と交戦中なのか、それとも……。
やっぱり、私も逃げずに戦えば良かったのだろうか。
いや、そんな事をしても何の意味もない。チルノちゃんも望んでないだろう。
私にはまだやるべきことが残っている。その為に私はチルノちゃんを置いてきてまで逃げ出してきたんだ。
「……約束、果たさなきゃ」
逃げ出す寸前、チルノちゃんと交わした約束。
一つは、文さんのママとして最後まで娘の事を覚えておく事。
もう一つは、もしチルノちゃんが文さんを忘れたら、どんな手段を使ってでも思い出させてあげること。
……この約束は、できれば果たされない方が良い。
文さんのことを忘れる。それはつまり、チルノちゃんがお医者さんに再び負けた事を意味する。
チルノちゃんは、色々と足りない所もあったけど立派なママだった。それが、全て無かったことになるなんて考えたくない。
私はチルノちゃんを信じている、ママは娘を忘れたりなんかしない。きっと勝って帰ってくる。
……だけど、もし忘れて帰ってきたら?
いくら互角に戦えてたと言っても、二対一でチルノちゃんが不利だ。もしかしたら、負けてしまうかもしれない。
チルノちゃんもその辺は自分でもよく分かっていたに違いない、だから私にあんな約束をしたんだ。
もし、文さんの事を忘れてしまっていたら、私は一体どうしたらいいんだろう?
忘れてしまった記憶を思い出させる。
約束を交わしたものの、具体的に何をすればいいんだろう?
チルノちゃんが文さんのママである事を思い出すまで、何度も語りかけてみようか? ダメだ、頭が変になったかと思われて、きっと話を聞いてくれない。
文さんとの思い出の品を見せてみようか? オムツや哺乳瓶ぐらいしかないし、ゴミだと思われそう。
うーん、チルノちゃんに理屈で挑んでも通用しない。もっと、直感に訴えるような方法じゃなければ……。
……そうだ!
私の頭に一つの考えが閃く。
うん、これなら仮に文さんを忘れて帰ってきても、間違いなく思い出せるハズ!
よし、善は急げだ。早速帰って準備をしよう!
私はチルノちゃんの家に向かって全速力で飛び出した。
大丈夫、いつでも帰ってきて良いからね、チルノちゃん!
「ウドンゲ~、天狗の治療は終わったの~?」
「あ、はい、大丈夫です、たった今、催眠を解いてきました。次に目覚めたときは元の文さんに戻るはずです」
「催眠を解くだけなのに、随分と時間がかかったわねぇ」
「思った以上に幼児退行時の記憶が強くて。特に母親……あの二匹の妖精ですね。その部分の記憶だけがなかなか消えてくれなくて……」
「そう、よっぽど好きだったのね、二人の『ママ』が」
「そうですね……。ところで、そのママは今どうしてますか?」
「こっちも丁度、舌の治療が終わった所よ。今はベッドで眠りこけてるわ。全く滅茶苦茶やってくれちゃって、体中霜焼けだらけだわ」
「じゃあ、後は記憶を消すだけですね。目が覚めたら私がやっておきますよ」
「……」
「師匠?」
「……ねえ、ウドンゲ」
「はい?」
「今回は、止めておかない?」
「え?」
「妖精は私達が思っている以上にずっと強い、肉体的にも精神的にももね。今日一日でそれを思い知らされたわ」
「……」
「この子達は強く生きていくわ。どれだけ辛い過去を背負っても、真っ直ぐひたむきに」
「師匠、優しいんですね」
「そんなんじゃないわよ。コイツ、私達に向かって随分と偉そうにしてくれたじゃない、だから少しぐらい苦しんで私の忠告を無視したのを後悔すればいいのよ」
「そうですね、そういう事にしておきますよ」
「ふふ、ありがと。将来、この子はきっといい母親になるわ」
「妖精に子供が出来るのかは疑問ですけどね」
「その時は、改造手術でもなんでもしてあげるわよ」
「あははは……」
「うふふふ……」
◆◇◆
気がつくと、私は見知らぬ部屋のベッドの中で横たわっていました。
頭がボーッとする。なんで私はこんな所にいるんでしたっけ?
「あら、ようやく目を覚ましたのね」
頭のすぐ横で声がする。
寝ぼけ眼を擦って振り向くと、優しい笑顔を浮かべた永琳さんが私を見守るようにベッドの横に立っていました。
永琳さんがいるってことは、ここは永遠亭なのでしょうか? はて、私は確か自宅で新聞を書いていた途中だったはず。なのになんで永遠亭に?
「う、うん……」
「あーダメダメ、貴女は病み上がりなんだから、もう少し寝てなさい」
病み上がり? どういうことでしょう?
何があったか思い出そうとしても、記憶が抜き取られたかのようになにも浮かんでこない。
確か私が新聞を書いてると、鈴仙さんが訪問販売に来て……。
ダメだ、そこから先がどうしても思い出せない。
「貴女、自宅で倒れている所を発見されてここまで運ばれたのよ。働きすぎで疲れが溜まっていたのかしらね」
「そ、そうなんですか? だから永遠亭で治療を受けていたんですね、すみませんありがとうございます」
「うふふ、お礼になら私にじゃなくこの子に言いなさい」
永琳さんの後ろから小さな人影がひょっこりと現れる。
「チルノ……さん?」
「あ、文、目……覚めたのね」
現れたのは氷精のチルノさん。
その顔にいつもの明るさは無く、なぜか少し様子がぎこちない。
「貴女をここまで連れて来て、今までずっと看病していたのはこの子なのよ」
「え? チルノさん、本当ですか?」
「な、何よ! あたいが看病しちゃいけないっていうの!?」
「いえ、別にそういうワケじゃないけど、少し意外だなって……」
「ふふ、結構有能だったわよこの子、食事に着替え、トイレの世話まで何から何までやってくれたんだから」
「えっ……エエェェェェ!?」
火が付いたかのように一気に体が熱くなる。
え、嘘、着替えってことは、チルノさんに私の裸を見られてるって事!?
他人の裸は盗撮しても、自分の体だけは絶対に晒さなかったっていうのに!
いやあぁぁ、恥ずかしい! しかもそれだけじゃなく、トイレの世話まで!? それじゃまるで寝たきり老人か赤ちゃんみたいじゃない!
「もう、大変だったわよ! アンタ意外と重くて、服脱がせるのもひと苦労だったんだから!」
「チ、チルノさん、や、止めてください!」
「オムツも付け方わかんないのに、一日に何度も交換しなきゃいけないし!」
「ぎゃあぁぁぁぁ! 死ぬっ、本気で死ぬぅ!!」
狭いベッドの中でゴロゴロと悶える。
将来の旦那様にすら見せないであろう痴態を、親にすら赤ん坊の時にしか見せてない醜態を、
全部、余すとこなく、無添加100%でチルノさんに見られたっていうんですか!?
他人にプライバシーを暴かれるのがこんなに辛いものだったとは! すいません、もう盗撮はしません! 撮った写真を香霖堂に高く売ったりしません!
中学時代のオリキャラノート発掘並の、強烈なマイハートブレイク。
唯一救いがあるとすれば、チルノさんがそこまで嫌そうな顔をしていない事だ。
まだ子供だから妙な感情が沸かなかったのか、純粋に大変だという感想しか浮かばなかったのか。
「ほらほら、いつまでも悶えてないでちゃんとチルノにお礼を言って」
「あああああありがとうございますチルノさん! 私もう嬉しくって手首をちょん切って三途の川にダイブして閻魔様にラリアットかましてそのまま腸炎ビブリオにでも転生したい気分ですよあははははは!」
「まあいいって事よ! なにしろあたいは文のマ……」
永琳さんがチルノさんの口をそっと押さえ、そして人差し指を口に当て「ダメよ」といった顔をする。
チルノさんもその合図がなんなのか理解したらしく、永琳さんを見て無言で頷く。
畜生、一体なんだっていうんだ! アンタらは私の何を知ってるっていうんだよ!
「もういいです、私は帰ります!」
「もう退院するの? 気の早い患者ねえ」
「こんな医者がいる病院にいられるか! 私は自分の家に戻るぞ!」
「あら死亡フラグ。貴女は病み上がりなんだから急に体を動かすのは良くないわよ」
「天狗の体力を甘く見ないでください。ふんっ! ふんっ! ふりゃあ!」
体の反動を使ってベッドから起き上がろうとするが、全然うまくいかない。
ぬぅ、一体どれだけ入院していたんだ。下半身の筋肉が落ちているのか、さっぱり力が入らない。
上半身を起こしても、その体勢を維持できずにすぐ後ろに倒れてしまう。
「大丈夫? あたいが手を借そうか?」
「いえ……いいです。ふんっ、ふんっ!」
チルノさんが不安そうな顔で手を差し出すが、私はそれを無視してダンゴムシの様な運動を続ける。
一刻も早くここから立ち去りたい、これ以上チルノさんの手を煩わせるのは私のプライドが許さない。
「もう、つまんない意地張ってんじゃないわよ!」
「きゃっ!?」
チルノさんが私の手を引っ張り、私の体を一気に起こす。
突然、氷のような手が触れたせいで、私は少女のような悲鳴を挙げてしまった。
「ほら、自分でも体を動かしなさいよ!」
「……」
……なんだろう。チルノさんの手が触れた瞬間、私の体に何か暖かいものが流れてきた。
氷精であるチルノさんの体は冷たい、今でも繋がった手からは冷気が伝わってくる。
でも、確かに感じた。なんだかとても懐かしい安心感、心が安らぐような優しさ。これは……。
「……お母さん」
「えっ?」
思わず言葉が口に出た。
「あ、いえいえ、なんでもないですよ!」
「文……」
「すいません、手を借してもらっちゃって。後は自分で起き上がれますから」
「う、うん……」
私よりずっと年下のチルノさんを、なんでお母さんだと思ったのか。
きっとチルノさんは母親のような優しい心で私の看病をしてくれたのだろう。
それを私はやれ裸を見られただのなんだの騒いじゃって、これじゃあどっちが子供だからわからないな。
「本当にもう行くの? もっと休んでいた方がいいわよ」
「ええ、お気遣いはありがたいのですが、入院していた間に溜まった仕事を処理しなければいけませんし」
「そう、自分で大丈夫だと言ってるのなら別にいいけど」
チルノさんに支えてもらい、ベッドから降りる。
どうやら私は一週間以上も意識を失っていたらしい。
いくら文々。新聞が不定期発行だといっても、こんなにも間を空けたら天狗仲間から何を言われるか分からない。久しぶりの新聞、どんな記事を書こうかな……。
「……チルノさん」
「ん、何よ?」
「これから私の家に来てくれませんか? 次の新聞は妖精特集を組もうと思いまして」
「いいけど……一体どんな記事を書くつもりよ」
「うふふ、ヒミツです」
書きたいことが次々と浮かんでくる。
妖精の知られざる実態、記者と妖精の直接対談、妖精にも母性が存在した。
なにしろ私が直接体験したことですからね、きっといい記事になるでしょう。
「それじゃ永琳さん、色々とお世話になりました」
「はい、それじゃあお大事にね。あ、それとチルノ」
「ん?」
「……忘れたくなったら、いつでもいらっしゃい」
「ばーかっ! 二度と来ないわよ!」
「? 二人とも、何の話ですか?」
「何でもないわよ! さあ、行くわよ文!」
「うふふ……」
私とチルノさんは、玄関まで見送りに来てくれた永琳さんに別れを告げ、私の家がある妖怪の山に向かって飛び出した。
「そうだ、文。ちょっとあたいの家に寄っていい?」
「いいですけど……何かあるんですか?」
「文の世話をしたのはあたいだけじゃない、大妖精も一杯手伝ってくれたの。だから、大妖精も一緒に連れて行きたいの」
「へえ、じゃあ早速行きましょう!」
なんと、母のような優しい心を持った妖精がチルノさんの他にもいたとは。
これはますます取材に力が入ります、頑張っていい記事にしないと!
「だーいよーうせーい! 帰ったよー!」
チルノさんは友人の名を呼びながら、自分の家のドアをドンドンと叩く。
家の中から返事は無い。その代わりに家の中から階段を駆け下りるような足音が聞こえてくる。
ところが、どういうことか足音は聞こえたのに、いつまで経っても一向に玄関が開かない。
「あれ? どうしたんだろう?」
足音が聞こえたのだから、大妖精さんが中にいるのは間違いない。
なのに、なんで出てきてくれないんだろう。
「だいよーうせ-い、一体どうしたのよー!
「待ってくださいチルノさん、中から妙な音が聞こえてきませんか?」
耳を澄ますと、家の中からずるずると何かが這いずるような音が聞こえてきた。
そして、その不気味な音は段々と玄関に近づいてくる。
生き物が動く音なのは間違いない、だが、二足歩行の妖精がこんな音を立てるはずが無い。
「な、何? 何の音?」
「チルノさん、もしかして大妖精さんは妖怪に襲われているのかもしれません!」
「!?」
「蛇の様な妖怪に襲われているのか、それとも大妖精さんが負傷して足を引きずっているのか、どちらにしろ確かめないと!」
「大変! 大妖精、今行くわよ!」
早くしないと、手遅れになってしまうかもしれない。
私とチルノさんは、玄関のドアを蹴り破り中に転がり込んだ。
「大妖精ッ!!」
「大妖精さんっ!!」
私は相手の攻撃に備えるため、懐から扇を取り出し身構える。
這いずるような音はだんだんと私達に近づいてくる。
そして、物陰からゆっくりと音の正体が姿を現す。
「!! ……これはっ!?」
「ま、ままぁ、おかえりぃー、わたしお腹が空いちゃったーおっぱいが飲みたいなー、オモラシもしちゃったからオムツも交換してー」
「……」
「……」
「……」
「大妖精、なにやってんの?」
私はあまりの衝撃に何が起きたのか理解できなかった。
が、ジャーナリストとしての本能か、私は無意識のうちに鞄からカメラを取り出し、目の前で行われている奇行に向けてシャッターを押した。
異変の前兆か!? 妖精が謎の自殺!
本日未明、妖怪の山の崖の下で妖精が頭から血を流して倒れているのが発見された。
この妖精は霧の湖近くに住む大妖精氏(年齢不詳)。崖の上には彼女が書いたと思われる遺書が見つかり、彼女はここから飛び降りて自殺を図ったと見られている。幸い、崖から9m先にあるフェンスにぶつかり一命は取り留めたが、普段陽気な妖精が自殺を図ったケースは過去に無く、専門家の間で物議を醸し出している。
なお、大妖精氏は自殺を図る一時間ほど前に、自宅でオムツ一丁に四つんばいといった奇妙な姿でいることが確認されており、この行動に対し全裸芸の第一人者、八雲 藍氏は『下着を何も着けないスッパこそが真のテンコーであり、オムツを着用するなど邪道極まりない、言語道断だ。私がトルコでデンデン太鼓を披露した時などは(略)』とコメントしている。
また、人間の間ではこの行動が新たな異変の前兆ではないかと不安がる声も聞こえ、それに対し異変解決のスペシャリスト、博麗 霊夢氏は『また誰かが幻想郷の平和を乱そうとしているのなら、私はそれを許す事は出来ない。この命に代えてでも相手の企みを阻止してみせる。それが、博麗の巫女である私の使命なのだから!』と寝言で語っており、今後の動向に注目したい。
(5月13日付 文々。新聞より抜粋)
さておき、とても素晴らしいギャグとほのぼのをありがとうございます。
でも何故か、東の夜空に大ちゃんの大きな笑顔が浮かんで流れ星が一つキラリな読後感が。取り敢えず敬礼しておきますね。
>トルコでデンデン太鼓
江頭さん……!
盛大に自爆したなw
ラストのオチがもう…!!
オチにすべて持っていかれましたwww
記憶を消して貰っていれば、こんな辛い目には遭わなくて済んだかも知れませんね。
えーりん、真人間になったな。冥王饅頭は霊夢なら喜んで食べるであろ。
あと、あとがきで嘘はいけないと思います!(大苦笑
そして、最後まで涙する話と思わせて最後のI'can fly!
なんという予想外 なんという窪塚の自演!
最後に…大妖精に敬礼!
にしびれた。
あんたの書き方好きだぜw
感動で、くだらなさで、涙が止まりませんww
それで十分じゃないですか!
「ああ、ギャグで初めて感動で落とす王道パターンか」と思いつつも、チルノの再起場面ではちょっと涙腺にじんときた。
じんときたというのに……このオチは。このオチはっ!
――最高だよアンタ。文句なしに100点だ。
面白かった!
こ れ は ひ ど い
落とし方がいろいろな意味でおもしろすぎる。
世界が滅びるといいですね。
僕もそう思います
本文はザッと読むだけにしようと思っていたのですが、思っていた以上に内容が面白そうだったので、ついつい読破してしまいました。
ギャグとシリアスの両方で涙腺が緩み、そして、あとがきで完全に決壊しました。
早く世界が滅びるといいですね。
つまり、ほうk(ry
後書き最高!
もうやめてwww読者のHPはもうゼロよwwwwwww
…実際は8割以上いってると思いますよ。
→緊張で画面から目が離せない
→イイハナシダナー
→こ れ は ひ ど い
あとがきの方は前半のあとがきを見て予想出来ちゃったけれどオチがこれは相当にひどすぎてもう吹いた私の負けですはい