迷いの竹林の近く、人気のない獣道を蟲の姫はたった一人で歩いていた。
きょろきょろと音を頼りに目印を探すが、近くなれば近くなるほど目的地を見つける
ことは困難になる。何故なら目的地というのは友人のミスティア・ローレライが経営する
焼き八目鰻の屋台だからだ。彼女が姑息にも客寄せのために他人を無差別に鳥目に
する歌を歌っているせいで、近寄る者は皆夜目が利かなくなってしまうのである。
「本人は人間を鳥目にする歌って言ってるけど、妖怪にもばっちり利いてんじゃん……」
というのはリグルを始めとする常連弱妖達の言葉だ。
空を見上げても月は隠れてしまっている。段々と大きくなる歌声しか聞こえない状況
というのはは、やや寂しいものだった。
「お、あったあった。おーいみすちー、お酒ちょうだーい!」
そろそろ本格的に心細くなったあたりで目印である赤提灯が見えてきたので、小走りで
駆け出しながら声をかける。
「いらっしゃーい。一曲いかが?」
「後でね。それよりこの見つけにくい屋台どうにかしてよみすちー」
右端の席に座りながら口を尖らせて不平を漏らすリグル。
「はいいつもの焼酎」
そんなリグルはいつものことなので、ミスティアは適当に流してコップに酒を注ぐ。
渡されたコップをあおって、リグルはため息をついた。
――人の話をあまり聞かないのもみすちーの欠点だねぇ。
なんてことを思いながら、満面の笑みで追加の注文をする。
「あ、八目鰻の串焼きもお願いね。もちろんタレで」
「はいはい」
こうばしい匂いがたちこめ、ついつい顔がほころぶ。
この屋台はミスティアが焼き鳥撲滅運動の一つとして始めたらしいが、今では屋台の経営
が主になっているようだとリグルには思えた。なにしろ、こうして八目鰻を焼きながら
歌を歌っているときの友人の穏やかな笑顔は、長い付き合いの中でもそう浮かべたことは
あまりなかったから。
以前彼女はこう語った。客商売というのは色々面倒なこともあるけれど、それでも楽
しい、やりがいのあることだと。
そして、面倒なことの中でも特に厄介なものがある、とも。
「良い匂いさせてるじゃない。私にも焼酎と串焼き一つ。塩で」
「そこの紅白、注文の前にこないだのツケ払ってよ」
厄介な客その一、ツケを払わない貧乏巫女。いや貧乏なはずはないのだが、何故か貧乏
で通っている不思議な巫女だ。
「あー、今度ね。今日の分はこっちのが払うから」
指さした先には、リグルもミスティアも人里に遊びに、というか荒らしに行った際必ず
ボコられる相手が立っていた。それを言ったら巫女にも出会えば即ボコられるが。
「私は飲みに行こうとは言ったが、奢るなんて一言も言っていないぞ」
「堅いこと言わないで奢ってよ。愚痴聞かされた上に割り勘なんてやってらんないわ」
「愚痴なんて言うつもりはないぞ」
「道中散々妹紅との喧嘩したことについてぶちぶち言ったあれは愚痴ではないと?」
「あ、あれは別にっ、……妹紅が悪いんだ。私は間違ったことなんて言っていないんだ。
それなのにあいつときたら――」
やや紅潮しながらブツブツと呟く乙女が一人。
「お客さん、暗い顔は歌と八目にゃ合わないよ。注文はいつもの串揚げでいい?」
来店早々沈み始める慧音にややうんざりした表情をしながらもミスティアは明るく声を
かけた。
「ああ、すまないなミスティア。酒も頼む」
月に一度ハクタク化するよりも、妹紅と喧嘩した時の方が扱いに困るともっぱらの評判
である慧音だった。
少々冷めた空気が流れ、微妙に重たい沈黙が店内を包む。
……ぱちぱちと炭の爆ぜる音だけが響いている。
――痴話喧嘩は場を凍らせるにはもってこいだねぇ。
空気を読む必要のないリグルはのんびり酒を口に含みながらそんな風に思っていた。
「よ、よし! 私歌うね!」
沈黙が痛かったのか、ミスティアが軽く息を吸い込んで歌いだす。
「いちにーさんはいっ、瀟洒瀟洒瀟洒瀟洒! 瀟洒瀟洒瀟洒瀟洒!」
澱んだ空気を吹き飛ばすには十分過ぎる選曲にリグルも酒を噴出さざるを得なかった。
超必殺技にも限度がある。後頭部にチョッピングライト級の威力である。
「瀟洒瀟洒瀟洒瀟洒! 瀟洒瀟洒瀟洒瀟洒!」
「ちょ、みすちーそれ以上はまずいって! うぉ熱ゃあ!?」
焦って身を乗り出したがために炭焼き台の端に触れてしまい、リグルは飛び上がる。
そのまま声にならない苦悶の叫びを漏らしながら机に突っ伏してしまった。
それを見て他の三人は薄情にも大笑い。人情はどうした。あ、三人のうち半分は妖怪か。
笑いつづける彼女達の背後に、一人の少女がゆらりと現れる。
「楽しそうじゃない。ねぇ、私も交ぜて?」
一歩々々歩いて近づいてくる姿も、袖で口元を隠している仕草も、なにもかもが優美。
ふんわりとした笑みを浮かべながら、永遠亭の姫君は言った。
「なんだ引きこもりか。職は見つかったの?」
「教師足りないし、里で国語を教えるか? 給料は安いけど」
「金がないなら歌も酒も八目鰻もないよ」
「引きこもってないしお金はあるわよっ! あとそこの巫女に職とかそういうこと言われ
るのはなんか癪だから!」
じんわりと涙を浮かべながら、輝夜は叫んだ。
リグルが見るに、輝夜は実力と評判が一致しない人間の極地だろう。
姫君という肩書きに反してのあまりに親しみやすい性格が原因だろうか。
この永遠を生きる人間もまた常連である。財布の紐は薬師が握っているが、ちょくちょ
くお小遣いを使ってお忍びでここに来ているのだ。
「……ったくもう。永琳といいイナバといいあんたらといい今日は厄日だわ。肝焼きと熱
燗ちょうだい」
「相変わらず妙な注文するわね」
どことなく背中が煤けている姿で、慧音の左隣に腰掛けながら注文をする輝夜だった。
「リグル、あんたの分焼けたよ。八目鰻タレね」
「わーいっ」
子どもっぽい声をあげながら串を受け取り、かじる。
じっくりと炭火で炙られた香ばしい表面とその中から溢れる脂ののった風味に、リグル
はほぅ、とため息をついた。
――ああ、幸せ。
「おいしい?」
「……うん」
思わずだらしのない笑みを浮かべてしまうリグルをにこにこと見守るミスティア。
隣の方で酒を飲みながら騒いでいる化物じみた人間共は意識の外に追いやって、二人は
静かな空間を作り出していた。
何度来てもここの八目鰻は美味しいとリグルは思う。ここのを食べてしまったら人里の
鰻屋とか焼き鳥屋には行く気がなくなってしまうのだ。タレが良いのだろうか、いやしか
し塩もまた捨てがたい。
味の秘訣は焼き鳥撲滅の執念よ、とミスティアは言っていたが、いやはやなんとも。
「――昔のもこたん? そうねぇ、今も昔もあまり変わってないわね。千年単位で生きて
いるのに変わらない人間ってのも凄い話だけど。ああでも、少し丸くなったかな」
「ふむふむ、例えば?」
「あれで丸くなったとか、始めはどんなだったのよ……」
適度に酒が入ってきて、人間共はこの場に居ない人間の話で盛り上がっている。
人里に遊びに行った際に見かけた女の子達と話の内容はともあれ同じようなことをして
いる三人を見ていると、こいつらも一応人の範疇の中にいるんだなぁ、とリグルはしみ
じみとした感情を抱いた。
その間も串焼きを租借する口は止まらない。口いっぱいの幸せ。
「会うたびに父様の恨みとかなんとかいいながら犬歯剥き出しにして騒いでねぇ。火を放
つわどこで拾ったのか大太刀振り回すわクナイ投げまくるわ、手もつけられないような暴
れっぷりだったわ」
「この間私と雑煮を白味噌にするかすまし汁にするかで一晩揉めた妹紅と同一人物とは思
えないな、それ……」
「え、肝試しの時も大差ない暴れっぷりだったような気がするけど?」
二人とも方向は違えど同じような呆れ顔をして輝夜の話を聞いていたその時。
来てはいけない人物が来てしまった。
ぶすくれた表情で暖簾をくぐったその少女は。
「こんばんわ。熱燗と肝焼きお願い。……って輝夜! あんたなんでここにいんのよ!」
のけぞりながら叫ぶ不死の少女。来た瞬間まで浮かべていた不機嫌顔はどこへやら、そ
の顔にはもはや驚きしか浮いていない。
「あらもこたんじゃない。こっちに席空いてるわよ」
「あ、妹紅……。こんばんは」
上品に微笑みながら手招きする輝夜の隣で、慧音が小さくなりながらやや気まずそうに
挨拶をする。
「う、慧音……、今朝はその、なんだ。あと輝夜はもこたん言うな! そこの巫女はニヤ
ニヤしてんな!」
来た途端騒がしくわめきたてる妹紅にミスティアとリグルは二人揃って同じ表情を浮か
べた。すなわち、『なんて間の悪い』。
なんでこういう時に限って会いたくない連中が揃ってんだよという顔つきで妹紅は怒鳴
り散らしている。単純が故に、思っていることがすぐ顔に出る少女だった。
――なんでって、ここ竹林も人里も近いからそりゃ慧音も輝夜も来るよねぇ。というか
三人ともここの常連なんだから揃っちゃうのは当然だよねぇ。
という当然の突っ込みはリグルの薄い胸の内に仕舞われて、表に出ることはない。
「つーか輝夜、慧音のこっちを見る目がなんかおかしいんだけど、何を話した?」
こめかみに青筋の浮いた笑顔で尋ねる妹紅。輝夜は花さえ霞む笑顔で答える。
「えーと、昔のもこたん珍プレー好プレー集?」
「昔は案外やんちゃだったんだな、妹紅」
ぶちり、という音を聞いたのはリグルだけではないと思う。
想像して欲しい。幼馴染に自分の過去の所業を今の友人にばらされた瞬間を。
それを知ってしまった瞬間を。
まさに今、それが起こってしまったのだ。
「こ、殺す殺す殺す殺すっ、輝夜ぁ! 今日はマジでぶっ殺ぉぉおおす!」
踝まで届く長い銀髪に火の粉を纏わせ、紅い双眸に炎が灯った。
弾かれたように地を蹴り、矢のように飛び掛りながら拳に炎をまとわせる。
「あ、あれはバーンナッコォ!」
「しっているのかけーね!」
雪髪灼眼の少女を迎え撃つ輝夜は、どこから取り出したのか左手に持つ火鼠の皮衣でそ
の拳を受け流す。そして右手に持った仏の御石の鉢でこめかみをパコーン、と一撃した。
「がっ……」
「スキありーっ!」
頭部への衝撃で生まれた隙を輝夜が見逃すはずもなく、次々と弾幕を含めた様々な打撃
斬撃を叩き込む。
反撃を試みるも逆上した妹紅にペースを取り戻す余裕はなく、輝夜の脇腹を拳が掠める
程度だった。
「もぎゅもぎゅ……おーっと妹紅君吹っ飛ばされたー!」
「よしそこだ妹紅! あ、避けろっ、ああ……」
さりげなく串焼きを食べながらノリノリの実況をする霊夢も応援をする慧音もどこか楽
しそうで、みんな現状を面白く思っているようだ。
「ん? どうしたのみすちー!?」
ただ一人、店を荒らされている店主以外は。
「ひえぇ、みすちーの羽がはらはらと落ちていってる!? 落ち着いてみすちー、それ以
上毛が抜けたら布団が作れちゃうよ! あと串揚げちょっと揚げすぎじゃない!?」
妹紅が来るまでは珍しく静かだったので、急に来たストレス源は強烈すぎたのだろう。
リグルが声をかけても、ミスティアはストレスのあまり長い爪をがじがじと噛み続ける。
「その程度じゃ私を殺すなんて無理無理無理の蝸牛よもこたぁん!」
「うっさいうっさいうっさい! 絶対殺ぉおおす!」
咆えて、妹紅は鳳凰を思わせる炎の翼を展開する。
スペルカード宣言、フジヤマヴォルケイノ。
「おっと妹紅選手スペル宣言! 対する輝夜選手もカードを取り出します! むぐむぐ」
「怒ってるもこたんも素敵よー! 愛してるわー!」
叫んで、輝夜はその手に一本の枝を握る。
スペルカード宣言、蓬莱の玉の枝。
凱風快晴。あまりの急展開にみすちーの堪忍袋もヴォルケイノ寸前です。
「燃え尽きろ輝夜ぁあ――――!」
「もこたぁ――――ん!」
七色の弾幕と燃え盛る炎弾が衝突する瞬間。
ついに店主の涙腺と忍耐が爆発した。
「いい加減にしろあんたらァ――――――! ここは飲み喰い歌うところで、暴れるとこ
じゃあないんだァ――――――――!」
後にリグルは友人の⑨妖精にこう語る。
その時の彼女の弾幕は、弾幕というには卑怯過ぎた。言わば閉じるムーンライトレイ。
一時停止しない幻視調律(ビジョナルチューニング)。
そう。全画面暗転夜雀の歌-EX-とでも呼ぶべき弾幕だった。
泣きながらばら撒かれるあの弾幕の前に無傷だったのは、絶妙の勘で気合避けしきった
霊夢と、妹紅を盾にした輝夜だけだった。
ずっと蚊帳の外だったリグルまで巻き込まれたのはどういうわけだろうか。
ひとしきり店主が暴れたあと、一行は静かに酒を飲んでいる。
慧音を挟んで妹紅はしきりに輝夜へメンチ切っていたが、一応は静かにしていた。
「……まあ色々あったけど、八目鰻焼きなおしたから食べてよ。私の奢りだから」
大皿に載せられた串焼きや串揚げを見て、輝夜と霊夢が目を輝かせる。
各々串を手にとり、食らいつく。
すると、誰もがへらっ、とした笑みをこぼすのだ。
「ああ、美味しい――」
始めにそう呟いたのは誰だったろうか。
リグルを含めた五人の言葉を聞いて、ミスティアもまた微笑む。
以前彼女はこう語った。大変なこともあるけど、お客が八目鰻を食べて幸せそうな顔を
しているのを見るのが何より嬉しい、と。
実際、彼女は口の中の幸福を味わうリグル達よりも幸せそうな笑顔をしていた。
――泣く子と店主にゃかなわないっていうけど、それならみすちーは無敵だねぇ。
機嫌良く歌っているミスティアを見ながら、気づかれないように小さくリグルは笑った。
「いらっしゃーい!」
「全く、誘ってくれないなんて酷いぜ霊夢。あぁみすちー、串焼き塩で頼む」
また、幸せを求めてお客が一人。
ああポキャ少ないorz
面白かった
気分がほのぼのします。
ご馳走様でした。
でもやっぱりリグルは損役なんだ…
ゲームになってねーよw
まったりした雰囲気がツボでした。
みすち~の屋台…いきたいなぁ~