※注意 同作品集の{『狂気』を持つ者たち}を読んでおくと更に分かりやすくなります。
※注意 例によってまた長いです。
必要なのは『信頼』だと…私は思う。何事にも『信頼』は必要だ。
私は…あの日、全てを失い、新しい生を受けた。
でも、私は皆から疎まれ、妬まれた。『愛』などという物はなかった。…最低限度の生活しか出来なかった。
覚えているのはあの大きな大きなお月様。そして…懐に入っていた一本のナイフと銀色の懐中時計。
私はその記憶だけを頼りに生きてきた。そのナイフを使って生き残ってきた。
私はずっと一人ぼっちだった。両親の記憶は……非常にあいまいすぎて、無い。
あるのは…たぶん、母親の記憶だけ。あの…長い長い私と同じ色の髪の毛を持っていた事くらい。
顔は分からない。でも……今になってはそんな記憶もどうでもいいのかもしれない。
必要なのは、今を生きていると言う事。そして…『信頼』できる人がいると言う事。
私にとってはそれだけで十分だ。家族…とまでは行かないけど、私を大事に思ってくれている人たちがいる。
だから私は彼女たちを守りたい…いや、守ろうと誓ったんだ。もう…孤独はいやだから。
又あれを体験したら、私は間違いなく破滅してしまう。孤独はいや…誰かに必要とされる人間になりたい。
私は……そんな、周りから尊敬される特別な存在になりたいと…思ったんだ。
――とあるメイド長の手記より一部抜粋――
先の事件(詳しくは『狂気』を持つ者たち参照)後の紅魔館。
人的被害はないが、人付き合い…対人関係に強烈なひびが入った。それも決定的な場所に……。
言っておくが平のメイドたちと美鈴の間ではない。なぜか知らないが余り彼女らの間には亀裂が入っていない。
妖怪だから考える脳が発達している…のかどうかは分からない。それにその理由はこの際どうでもいい。
亀裂が生じているのは、この館の主レミリア、その従者の咲夜、そして美鈴の3名。
ただしレミリアはある程度美鈴の人格を知っているため其処まで大きな亀裂は無い。
亀裂があるのは……咲夜と美鈴だ。外部の人間から見れば、よく分からないだろう。
が、間違いなく彼女達のことを詳しく知っている紅魔館の面々は明らかに態度が違う……と口をそろえて言う。
たとえば…今まではそれなりに会話をし、中が良かった2人。が、今は業務命令以外で会話はしない。
そんな日が続いていた。咲夜と美鈴と言えばそれぞれの部隊長という立場のほかにも
色々な理由で仲が良かったのだ。が、今はそんな気配は全く無く、険悪と言っていい。
原因があるとすれば、それは美鈴ではなく咲夜だ。作った原因は美鈴だが、ここまで発展させたのは咲夜なのだ。
美鈴は…はっきり言って何も変わらない。今までどおり仕事をし、今までどおり生きている。
一つだけ問題があるとすれば…それはあの事件の事。美鈴は一切謝罪をしなかったのだ。
自分が正しいと信じて疑わない。『罪』と『罰』の意識は抱いていても自分の行動に『後悔』を抱いていない。
それが咲夜を怒らせたのだ。2人が出会うとどんなに良い雰囲気でも直に険悪なムードになってしまう。
主であるレミリアはそれに対して何の対策もしなかった。本人たちで解決しろ…ということらしい。
だからこの変な雰囲気を発散させているのは明らかに咲夜だけで、美鈴は全く気にしていなかった。
「…………」
そして今日も、ギスギスとした空気の中紅魔館では何時もどおりの仕事が行われていた。
真昼の紅魔館、咲夜は日の直接入り込まない北側の窓を拭いている。
埃一つ、ムラ一つ残さないように彼女は綺麗に拭いていく。その手際は非常に鮮やかだ。
時には時間をとめる能力も行使し、自分が納得行くまで仕事は終えない、彼女のポリシーのようなものだ。
「…ふう」
一息つきながらバケツに入った水で一度雑巾を洗い、絞る。手が痛い。まぁ無理もないだろう。
時間をとめているとはいえ、その中で作業している事には変わりない。
毎日窓拭きをしていると言うわけではないが、それでも定期的に長時間やっていれば、皸が起こるのも無理はない。
とはいえそんな傷も彼女は『トリックのない手品』とやらでうまく隠しているため肉眼で確認する事はできないのだが。
「メイド長」
今拭いた窓の点検をしていると後ろから自身の部隊の平メイドが声をかけてきた。
内部メイド部隊のみならず3つの部隊全てがいくつかの中隊、小隊に分けておりそれぞれに専門職を与えられている。
そのメイドはそんな小隊のうちの一つの、小隊長だった。
紅魔館の部隊は様々な場所に振り分けられており、
3つの大まかな部隊(つまり内部メイド部隊、門番隊、図書館管理部隊)からはじめに分けたのか中隊。
次にそれをさらに細かくしたのが小隊となっているのだ。
分かりやすく力関係を書くと{隊長>副隊長>中隊長>中隊副隊長>小隊長>小隊副隊長>平メイド}
という図式になっている。更にトップの隊長にも力関係があり
{内部メイド部隊隊長(つまりメイド長)>門番隊隊長>図書館管理部隊隊長}という風になっている。
だから内部メイド部隊隊長になったものが、自動的にメイドたちの全指揮権を握るメイド長になるのだ。
以後この図式を頭に入れながら読んで行って頂きたい。
ここまで分けたのには理由があり、主にローテーションの問題やメイドの人員数などが挙げられている。
「1F北側の窓、清掃完了いたしました」
「そう、お疲れ様。…そろそろ昼食だから、皆に休憩をとらせない」
「わかりました」
丁寧に頭を下げるとそのメイドは去っていく。
「……私も昼食にしようかしら」
考えてみれば朝食から今まで一度も休憩を取っていない。…ここで昼食がてらに小休憩を挟むのも良いだろう。
うん、と彼女は頷くとバケツを片手に食堂へと向かった。
食堂は既にかなりの数のメイドでガヤガヤと楽しそうに昼食を取っていた。
この食堂、ほぼ全てのメイドが食事を取るため非常に広く作られている。
均等に木製の長机が置かれており、そこでメイドたちが向かい合って食事をする…そんな仕組みだ。
小隊で分かれているため、メイドたちは自室以外で他の小隊のメイドに会う事は殆どない。
そんな彼女らのコミュニケーションとリラックス、という効果を生むため、という理由もこめて食堂は作られていた。
「あ、咲夜さーーん! 一緒に食事取りましょうよ!」
食事を受け取った彼女に長机の一端から声がかかる。栗色の短髪のメイドが元気よく手をブンブン振って呼んでいた。
咲夜は苦笑しながらその長机に向かう。メイドたちは席をつめ、咲夜が座れるスペースを作った。
「お疲れ様です、咲夜さん」
「ええ、あなたたちもね」
微笑で部下をねぎらう彼女。この光景を見れば、霊夢たちは目を疑うだろう。
咲夜といえば、何か問題があったら問答無用でナイフを投げてくる冷徹な鬼メイド長と見られている。
だが正確に言ってしまえば違うのだ。確かに彼女は厳しい……彼女自身や、メイドたちが仕事中のときは。
しかし、その実オフの時間帯は部下思いの優しい人間に早変わりする。そのギャップはとんでもなく大きい。
冷徹で恐怖を与えるメイド長から人当たりの良いメイド長に早変わりするのだ。無理もない。
無論、理由はきちんとある。咲夜はこういった大人数での仕事で最も必要なのは『信頼』だと思っている。
恐怖だけでは決して人はついてこない。ついて来たとしても、それでは必ずボロが出てしまう。
ならば部下に人当たりの良く、なんでも相談できる存在として生きれば自然部下もそれについてくると考えた。
咲夜が生きていて手に入れた最大の教訓である。言葉では簡単だが実行は難しい。
仕事中に甘やかしていたら部下はダレてしまうため、仕事中は非常に厳しくし、
それ以外のときは部下を労うように彼女はしていた。必要なのはその境界をキチンと引く事だ。
それをきちんとして働いているため、次第に成果が実り、彼女の株を大きく上げているのである。
彼女に部下がついてくる理由はそんな時折見せる優しさだ。
部下の間でもその優しさと、仕事中ミスをしたらナイフが飛んでくるという
ギャップの大きさを可笑しく思う輩もいる。けれどそんなギャップの大きさで言ってしまえばレミリアもそうだ。
彼女は恐怖の存在として恐れられてはいるが、何せあの外見だ、どうも…必要以上に怖く思えない。
無論、貴族で気品があるためそれなりのオーラを出して他を圧倒している存在なのだが……。
また、瀟洒という辺り、彼女は何処かあっさりした部分も持ち合わせている。
本人は……自覚しているのやらいないのやらという状態。が、完全で瀟洒な従者と言われている辺り、
とりあえず自身にそんな属性が付属しているのを知っているようだ。
仕事とオフのギャップにそんな属性が付加され、それが結果的に更に咲夜の株を上げているのだ。
つまりここで言いたいのは、恐怖だけでは誰もついてこないということだ。
それに見合うだけの、正反対の魅力がありさえすれば部下は自然とついてくる。
そう考えると咲夜は美鈴と似ている存在かもしれない。
が、決定的に違う部分がある。美鈴と違い咲夜は人間なのだ。妖怪ばかりが住むこの館に人間が。
しかもそれが自分たちの上司と来れば、部下たちは不満に思うだろう。
美鈴は元々仕事中でもホンワカと部下と接している。が、それで部下たちが仕事をサボらない理由は
その背後にはとんでもなく長い間を生きてきたと言うキャリアがあるのだ。が、咲夜にはそれがない。
だから咲夜は見た目以上にとんでもない量の努力をしてきたのだ。
その結果が今である。人間である自分が妖怪たちの上に立つには、それ相応の努力があったからだ。
今では彼女を忌み嫌うものはいない。仕事のときは厳しい上司、それ以外のときは優しい上司として
咲夜はその地位を確立していた。
「そういえば咲夜さん、あの件、どうなりました?」
「他の小隊から道具を回すように言っておいたわ。近々麓に下りて買い物をしないとね、ストックが危ないの」
「ごめんなさい、お手数をかけて」
「心配しなくても良いわよ、備品管理も上司の仕事の一つだし、
そろそろお嬢様のお茶の葉が切れるころだったから丁度良いわ」
部下たちは仕事中はメイド長と呼び、それ以外では咲夜さんと呼ぶ。其処に親しみがある。
人間である彼女がなめられないのは、今に至るまでの努力があったからであり、
そしてその苦労を決して顔に出そうとしない事にある。それが皆に魅力を与えていたのだ。
この食堂で昼食をとるのも彼女の部下とのコミュニケーションの一つだった。
自室や執務室で摂ることもよくあるが、どちらかと言うとこの食堂でとるほうが多い。
今日のお昼はスパゲティ。ちゅるちゅると上品に咲夜は食べていく。
部下たちは様々な話をして場を盛り上げる。それに応じて彼女も様々な反応をしていた。
唯一つ、美鈴の話だけは表に出ていない。明らかに場の雰囲気が悪くなるのは眼に見えていた。
もう一つ言ってしまえば、内部メイド隊の副隊長がこの話を決してしないようにと念を入れて
忠告していたのもある。美鈴や咲夜を心配しての事だろう。
そのため2人、特に咲夜の前であの話は禁句だと暗黙の了解になっていた。
「さて…私は執務室に戻るから、何かあったら来なさい」
「はい」
共に昼食をしていたメイドたちに別れを告げ、空のお皿が乗ったお盆をカウンターに返し、食堂を出ようとする。
そこで……予想外の事態が起こった。
「あっ…」
なんと、この場でもっとも部下たちが会わせてはならない人物…美鈴がいた。
はっきり言って驚きだ。彼女は基本、自室で食事を摂る数少ない存在。
レミリアに6ヶ月間の無給労働を言い渡され、金がないとしても、相応の蓄えはある。
正直に言うと、彼女とこの食堂は無縁と言っても過言ではない。
もし来るとするならば、まさに気まぐれでしかないのだ。
美鈴の咲夜に気付いたのか、ペコリと頭を下げ、脇を通り過ぎる。
そんな彼女に、咲夜は声をかけてしまった。
「珍しいわね、あなたがここに来るなんて」
敵意のある声。だが美鈴はそれをさらりと受け流し言う。
「何、唯の気まぐれですよ」
余裕がある声だった。それが咲夜の神経を逆なでする。
「それで、何かようですか?」
どうやらお腹が減っているらしい。キュウ、と腹がなる音がした。
咲夜は無言で彼女を見つめている。理由に気付いたのか、美鈴は言った。
「ああ…そうそう、私ですね」
それを、彼女は微笑をこめて…言った。咲夜は謝罪か? と思ったが…期待は裏切られる。
「あの事件の事、謝罪する気は更々ないですから」
自信満々の言葉。それに咲夜は敵意をむき出しにする。気付けばナイフを握っていた。
「あら…やるんですか? 部下たちの目の前で」
グッ、と咲夜は言葉に詰まる。…そう、私情で問題を起こすなど、上司失格だ。
煮えたぎる思いを何とか押しとどめ、ナイフをしまう。
「クッ」
美鈴の後ろには自分と彼女の一部始終を見ようとするメイドたちの視線が。
さながら視姦ともいえるその状況に耐えかねた咲夜は逃げるように去っていった。
「やれやれ……」
そんな彼女の態度に肩を落としてあきれながらも、美鈴はキッチンで食事を受け取り
誰もいない席に座る。正確にはそこにもメイドたちが座っていたのだが、美鈴が近寄ったとたん
蜘蛛の子を散らすように他の場所に行ってしまったのだ。まぁ普段来ない人が来たのだから無理もない。
更に言ってしまえば、美鈴は門番隊の隊長の任についていた。まぁ今は色々とありその階級も剥奪され、
ある意味平メイド以下の雑用係にされているが。
咲夜とレミリアは平メイドたちにそんな美鈴に遠慮なく命令しろと言っていたが、
平メイドたちからすれば、それは非常に恐れ多いことだった。
美鈴が吸血鬼だと知らない者も知る者も、少なくとも美鈴がこの館の最年長で、元とはいえ隊長で、
とんでもなく凄い存在と言う事は知っていたため、つまりある種雲の上の人。命令できる者などいなかった。
せいぜい『お願い』程度である。実際に命令しているのは咲夜たち各部隊の隊長副隊長くらいだった。
まぁそれでもここまで露骨に避けるようなことはない。原因は間違いなくあの事件だ。
恐らく自身に余り関わっては何時か咲夜のとばっちりを受けるかもしれない、とでも考えたのだろう。
美鈴は美鈴で、それに対して何も言わない。一人なのは慣れていた。
それに自身をよく知る人物はそれなりによって来るのだ。
「珍しいですね、こんなところで昼食なんて」
ほら、来た。聞きなれた声に美鈴はため息交じりの声を出す。
「気まぐれですよ、唯の気まぐれ」
「ふぅん……」
小悪魔だった。彼女はそういう人間関係云々かんぬんを別にしているため
いかなる場合でも話しかけて来ることが多い。
「そういえば話をするのは久しぶりでしたね。どうです? 私は図書館から出ることが余り無いんで
外の様子を知らないんですけど」
当然と言えば当然だろう。彼女は普段図書館から出ることはない。仕事がたくさんあるからだ。
外に出るとすれば、それこそ食事をする時か、浴場での入浴、そしてたまに取れる休暇の時位といえよう。
「私は普通に過ごさせてもらってますよ。命あっての物だね。どういうわけか生きているわけですから
そのご好意には甘えさせていただいています」
「その代わり、咲夜さんには大分嫌われたようですね」
「そうですね。ま、彼女も若いですから。いずれ気付くと思います」
「だと良いですけど…なんにしろ、早い事に越した事は無いですよ。喧嘩は良くありません」
「私はしているつもりは無いんですけどね……」
「それに、ユイさんも色々と大変でしょう?」
「ああ…あの子なら問題ないですよ。普通にこなしてますから」
今自分の代わりを担っているのは門番隊副隊長で今は臨時門番隊隊長、つまり自分の直属の上司になっているユイ。
美鈴は個人的理由のほかにもランドの命令やなんやかんやで門番隊隊長としての任を降りる事が多々ある。
その代わりをやっていたのがユイなので、本人曰く別に今までと変わりはないとのこと。
プレッシャーなく行動できるならそれで良いだろう。
「とにかく、私としては早くこの状態を打開してもらいたいものです。
美鈴さんが退院して戻ってから既に2週間、流石にいやになってきました」
「それはすみません。……ところでどうして小悪魔さんは私にそんなに親しく接してくれるんです?」
「へ?」
「いえ…私はここを一度は裏切った身ですから、あなたにとっても恨むべき相手なのではと思っただけです」
「まぁ、罰せられる事ではありますけど、其処までして恨むべきことでもありません。
私はこの事件に其処まで深く関わってませんからね。それにあなたにも何かしらの考えがあったのだと思いますし」
小悪魔の特技ともいえるもので、常時第三者視点で物事を考える、という微妙な能力を
こうして過ごしているうちに自然に身に付けていた。
そのため美鈴があの事件で紫と約束し、誰にも話していない事にも薄々ながら気付いていた。
が、それを聞こうとはしない。深く知ろうとすると命取りになる事を知っていたからだ。
物事の引き際を知っている、ある意味達人のやり方を熟知している存在と言えよう。
そういえば小悪魔は元々魔界の存在で、パチュリーに呼び出されたと言うのを美鈴は思い出す。
パチュリーに呼び出される前からあちらの世界で生きていたのだから、実際結構な歳をくっているのかもしれない。
まぁ…そんな事も美鈴にとってはどうでもいいのだが。
「ま…そんな話はもう良しとしましょうよ、私は気にしてない…それで良いじゃないですか?」
「そう…ですね」
ニコッと笑った小悪魔に微笑で返し、2人はそれから軽く雑談をしながら食事を続けた。
◆ ◆
パリン
「あ……」
手がぶつかり、床に落とし割れてしまったお気に入りのマグカップ(犬のロゴがついている)を咲夜は唖然と見つめる。
「しまった…これ結構珍しいのに」
以前妖夢がたまたま見つけたとかで貰った物だった。それ以来執務室での仕事の際には良く使っていた。
「はぁ……」
気が抜けていた。原因は分かってる。
「分かってる…つもりなんだけど」
そう、彼女…美鈴について。事件が終わってから暫くは本気で彼女を恨んだものだ。
が、それを見かねた小悪魔が数日前に言った。
『もう少し物事を本質的に見てはどうですか?』
たったそれだけだったが、暫く考えるうちに彼女の言いたいことがわかった。
それは美鈴と言う存在を良く考えれば分かる事。彼女は其処が知れない女だ。
つまり、何事にも必ず裏があると言う事。それを考えると彼女がただ幻想郷の未来を考えて
フランドールを殺そうとするはずが無い。何かしらの理由がある。
正直恥ずかしい。彼女のことを考えればすぐに出てくることだ。頭に血が上っていたのだろう。
「実際……どうなのかしらね」
今自分が美鈴をどう思っているのか……微妙だ。最初の頃の爆発的な怒りはもう無い。
また、小悪魔の忠告で気付いてから、その怒りは更に小さくなった。
が……なぜだろう、美鈴に会うたびに一度落ち着いた怒りがぶり返すのだ。
「まだ……許してないのかしら、私の心は」
無意識なのかそうなのか……咲夜は美鈴を完全に許しているわけではないらしい。
頭では理解していても、体が動かない…というのと同じ現象なのだろう。
恐らくは、彼女の深層心理で構築されたものが、今回の美鈴の行動を激しく拒絶しているのだ。
「はあ……」
カップを片付けると椅子の背もたれにもたれ掛かり、大きくため息をつく。
このままでは仕事に差し支える。それは拙い。完全で瀟洒…それはある種ブランド物だ。
一つの称号だ。かつて自身が死ぬほど努力してやっと手に入れたものだ。手放すわけには……。
コンコン
そんなときだ。執務室の扉を誰かがノックし、そして1人の女性が入ってきた。
外見25歳後半、身長は紅魔館で一番大きい美鈴と同じくらい、丈の長いスカート以外は他のメイドとは
なんら変わらないメイド姿の女性(ちなみにそのメイド服は特注だと言う)だ。
「大分参ってるようね」
「ええ…まぁ…」
この女性も立派な妖怪だ。ちなみに、咲夜が隊長を務める内部メイド部隊の副隊長。
歳だって咲夜の倍以上行っている。彼女もまたこの紅魔館が出来た時からここで働いている。
つまり……彼女(名前はミリー)は元々内部メイド部隊の隊長だったのだ。
それを咲夜が来るまでこなし続け、自身よりも能力の高い咲夜の可能性を見抜いた彼女は
こうしてその隊長の任を咲夜に譲り、自身は副隊長として彼女を支えている。
フランドールの暴走など様々な事柄でメイドたちの数はよく変動する。
早い話が、死ぬ者がよく出る。そんな中このミリーは生きてきたのだから立派なものと言えよう。
そんな経歴のためか、副隊長とはいえ彼女と2人きりのときは咲夜も下手に出ている。
「…とりあえず話してみなさいな、このお姉さんに…ドンと!」
「はぁ…」
見た目とは裏腹に、元気な人なのだ、この女性は。が、アドバイスは確かなものなので、
咲夜はゆっくりと話し出す。黙ってそれを聞き終えたミリーはハァ、とため息をつく。
「なるほどね」
「……どうすればいいと思う?」
「そうね、簡単に言っちゃうとね。ぶつかってみれば?」
「へ?」
「だから美鈴さんによ。心の中にわだかまりがあると言う事はあなたはまだ彼女に対して言い足りないの。
ならそれもこめて思いっきりぶつけちゃいなさい」
「…………」
「全部吐き出してきなさい。じゃないときっとその気持ちは相手には伝わらないわ」
「…全部、吐き出す」
「そういうこと。私にも経験があるから、年長者の助言は素直に受け取っておきなさいな」
ミリーはそれだけ言うと咲夜の返答も待たないまま部屋から出て行ってしまった。
「あっ……」
その早業に思わず呆けてしまう。一体彼女は何しに来たのだ?
それも直に解決した。咲夜が割ってしまい、集めておいたカップの破片がなくなっており、
更に其処にはいつの間にか湯気を立てているコーヒーが入っている新たなカップが置いてあった。
「相変わらず……早い」
無論ミリーは時間をとめられない。咲夜に気付かれないでその作業を行ったのだ。
キャリアの長さという貫禄を見せたと言うべきだろうか。
まぁ、彼女なりの気遣いだったのだろう。あのまま咲夜と一緒にいては咲夜はミリーに
色々と相談してしまう。本来なら自分で決断するべき事も彼女にゆだねてしまう。
ミリーはそれを危惧し、最低限のこと(つまり『道』を見せる事)のみを行った。
後は咲夜が決めること。
「はぁ…」
どうやら自分は重症らしい事をようやく咲夜は思い知る。
かつての上司で、今は副隊長の人材までもが自身を心配しているのだ。これはマズイ。
とりあえず心を落ち着けるためにミリーが持ってきたコーヒーを飲む。
「ふう……甘いわ」
適度な甘さ。それがかえって咲夜が気付かなかった疲労感を表に出すことになった。
肉体的に、精神的に相当疲れていたのだろう。もう一口飲んだ後、彼女は椅子に座ったまま
コクリ、コクリと寝返りを打ち始めた。
◆ ◆
レミリアから名前をもらう前の咲夜をサクヤと表記する。
サクヤは自分の両親の顔も名前も知らない。いや、覚えていない。
気付いたら人間の民家にいた。其処はとある老婆の家。何でも自身が家の目の前で
ズタボロになって倒れているところを発見され、保護したのだと言う。
行くあての無いサクヤはそのままその家で世話になる事になった。
咲夜はその時、家事を覚えた。その老婆は足が弱く、歩くのも苦労する体なのだと言う。
親類はいない。そのため老婆を助けるものは村の住人。だがそれにも限界がある。
そこでサクヤが老婆の世話をする事になった。いや、彼女が自分から望んだ。
多分記憶が無く、何処にもいけない『恐怖』に駆られた彼女は必死に今いる場所にすがり付こうとしたのだろう。
老婆はそんな彼女のことを思ってか、老婆は笑顔で迎え入れた。それがサクヤの心を暖めた。
少しでも老婆の為に何かしようと、彼女は懸命に働いた。周りが驚くほどに。
そもそもこの村で咲夜は非常に目立っていた。
この頃の彼女は今のようなショートカットではなく、腰に届くくらい長いロングだった。
それを老婆からもらった少し長めの緑のリボンでポニーテールにしていた。
その銀髪の髪がどうしても人々の目を引いたのだ。咲夜は後ろ髪引かれる思いだったが我慢した。
自分が特別なのは分かっている。自分は何処かが皆と違うのだと。
村人は自身の献身振りを高く評価してはいたが、それでもやはり一歩引き、どこかに警戒心を持っていた。
つまり…『信頼』していないのだ。心のどこかで自分を不振がっているということ。
不幸なのは、慧音がいた村とは違い、この村は非常に外部の人間に対し疑念深いところがあった。
だから、慧音のようなワーハクタクが受け入れられる村もあるし、この村のように受け入れない所もあるのだ。
それがたまらなくいやで、拒絶されるのが怖くて…サクヤは必死に働いた。でも、それでも払拭はされなかった。
逆に老婆は周りと違って暖かな目でサクヤを迎え入れた。家族だと…老婆は言っていた。
老婆は見ず知らずの記憶喪失の少女にあらゆる面を見せていた。この時サクヤは学んだ…『信頼』の重要性を。
本来なら様々な他人と関わる事で学ぶはずの『信頼』関係を、彼女は老婆と、村人とで学び取った。
この時サクヤの対人関係に対する根底部分が作られたとも言っていい。
つまり……互いに『信頼』できる関係にならなければならない…と。
対人関係の上では当たり前の事だが、何も無いサクヤにはそれが今でも濃く、強く心に残っていた。
村人から向けられている不信は、自分が何者かということだ。それは彼女自身が最も知りたい事だった。
記憶が無いと言うのは非常に怖いものだった。過去の遺産はホルスターにいれ、懐にしまっているナイフと
その少女には分不相応な西洋で作られた銀色の懐中時計。万能ナイフらしく、えらくがっしりとした作りだった。
明らかに少女が扱うには分不相応だった。懐中時計はネジで巻く型のらしく、ためしにネジを回してみたら
チッチッチッと動いた。次に自分の名前を思い出そうとする。……思い出せない。
せめて手がかりになるようなものは……? あった。ネームプレートのような物が傍に落ちていたらしい。
そこには単にサクヤとカタカナで書いてあった。どうやらサクヤというのが自分の名前らしい。
そう…たった、それだけなのだ。一風変わったナイフにその名前、そして懐中時計。
たったそれだけが過去の手がかり。自分を知るものは誰もおらず、自分は一人ぼっちだ。
村人は自身を一歩引いたところから観察するように見てくる。多分…妖怪とでも思っているのだろう。
記憶の無い彼女にとって、その仕打ちは非常に堪えた。自分だって自分が何者か分からないのだから。
そんな彼女にとって必要としてくれる老婆は非常にありがたい存在だった。
自身の存在理由が手に入るのだ。これ以上なく、嬉しい事。ならそれに応え精一杯応えようと…決心した。
だが…運命の神様はそうはさせてくれなかった。ある日その村は妖怪の群れに襲われた。
老若男女とわずたくさんの人々が殺された。サクヤも頑張って戦ったがいかんせん、
少女の力で敵う相手ではない。それはサクヤも分かっていた。が、何もしないわけにはいかなかった。
又居場所を失ってしまう……それだけは絶対にいやだった。
そんな彼女の懸命な働きも、結局は妖怪たちに負けてしまい止めの一撃を食らってしまう。
が、それを受けたのはサクヤではなかった。わずかな隙を突いて自分を守った老婆が受けてしまった。
元々体力が余り無い老婆だ。直に事切れた。サクヤは……放心した。
自分が守ろうと思っていたものが簡単に砕け散ったのだ。全部、全部無くなった。
彼女の中で何かがプツリと切れた。
「ア…アア…アアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
そのときだった! 妖怪が自分に振り下ろそうとしてきた刀が止まったのだ。
いや、それだけではない! 妖怪も、逃げ惑う人々も、ピタリと動かなくなっていたのだ。
更に周りの色彩もグレーになっていた。そんな異常事態の中サクヤは驚くほど冷静だった。
どういうわけだか知らないが、これは好機だ。相手は動けない、自分は動ける。なら…やる事は一つ!!
このとき彼女は自分の能力が初めて開花したことを知らない。自身に危険が及んだための反射的な発動、
だが好機だった、妖怪たちを倒すのは今しかない。彼女は持っていたナイフで全ての妖怪を倒した。
そして、最後の一体を倒したときに能力が解け時が動き出した。
『やった!』と彼女は思った。これでもう大丈夫だとも。が、現実はそうはいかない。
村人たちはその異常な光景、つまり一瞬のうちに妖怪が倒された事にひどくおびえた。
無論、サクヤにだ。村人の1人がサクヤが最後の一体を倒す瞬間を見ていたらしい。
どうやら倒す直前に時が動き出したのだろう。全ての原因がサクヤにあると村人たちは断定した。
サクヤはそんな事を知る由も無く、村人の一人を助け起こした。が彼はその手を払いのけおびえてこう言った。
『ば……化け物』
ズキン、と心が抉られる感覚がした。其処でようやく彼女は自分がしてきた事を認識する。
…………確かに…そうだ、これでは、自分の方が化け物ではないか。村人たちを見回すと、皆おびえている。
屈強な若者たちにいたっては鍬などで今にも襲い掛かりそうな殺気を持っていた。
このままでは…殺される、そう思った彼女は一目散に逃げ出す。男たちも追ってきた。
この妖怪たちを自身が手引きしたのだと思ったのだろう。
村から逃げ出し、森の中をとにかく走り抜ける彼女の眼には涙が流れていた。
老婆を守れなかったこと、村人を守ったはずなのに感謝されるどころか恐怖し、疎まれている。
短時間であらゆることがおきた。それら全てが悲しみとなって彼女を襲った。
悲しくて…悲しくて……涙が止まらない。息も切れ、胸が凄く痛い。
できることならここでとまりたい。だが後ろからは男たちが追ってきている。
つかまれば殺される。逃げるしかない。何としても逃げなければならない。
が、彼女は失念していた。男たちの人数は少しずつ減っている事に。
それもそのはず、この森はとある場所へと続く森。妖怪もウジャウジャいる。
何時しか男たちは追う事を止めていた。だが、恐怖に駆られている彼女はそんな事気付かない。
地表に抜き出ていた気の根っこに足を捕られ、転んだとき、ようやく少し落ち着けた。
男たちが追ってきていないことも理解する。が……どうやら危機が去ったと言うわけではないようだ。
ガサガサ
茂みからかなりの量の妖怪たちが現れる。どうやら人間のにおいを感じたらしい。
有象無象の群にサクヤは恐れるが、死にたくなかった。自分が何者か分からない。
そんなまま、流されるままに殺されるのだけはいやだった。
ずっと持ったままだった妖怪の血がついたままのナイフを振りかざし、駆ける。
妖怪の一匹が襲い掛かってきた。恐るべき速度から放たれる爪。
もし…自分にもっと力があれば、これも静止して見れるようになれるのだろうか?
(せめて……少しでも止まってくれれば)
その言葉がきっかけだった。また、その現象は起こった。
妖怪は爪で突こうとする変な体勢で止まっている。それは他の妖怪も一緒。
更には風でざわついていた木々も止まっていた。音もしない。完全に彼女はここで1人だった。
とにかく彼女は動いた。今はこの危険を乗り越える事が先決。
動かず無防備となった妖怪を倒すのは意図も容易い行為だ。次々に倒れていく。
が、ここで彼女は一つ大きな誤りを犯した。それは……自身の体力。
か弱い少女が派手に暴れ周り、なおかつ能力を行使し続ければ体力と言う燃料は簡単に切れる。
最後の一体…というところで彼女の能力は突如消えた。
「え?」
彼女が反応するよりも早くに、現状を認識した妖怪が鋭く手を横に振る。
それを何とかナイフで受け止めるが、反動で思い切り吹き飛ばされ木にぶつかった。
肺の中の空気が全て吐き出される。
「うっ…ぐぅ」
妖怪はすぐさまサクヤに飛びかかろうとしていた。サクヤは何とか立ち上がろうとする。
が、手足が全く動かない。無理もない。体力が完全に其処をついたのだ。既に手足は動けるような状況ではない。
完全に意思とは別のところにあった。動けない……つまり反撃する事も出来ず、このまま食い殺される。
絶望的なまでの恐怖が彼女に襲い掛かる。更に今の衝撃で意識が飛びそうだった。
ここで死ぬのはいやだった…死にたくない。
「死に…たくない」
呟くようなそんな言葉がサクヤから漏れる。そういえば、死を拒絶する言葉を吐いたのはこれが初めてだった。
「そう」
そして、それに呼応するかのように何処からか凛とした声が響いた。
その瞬間、ふわりと1人の女性が空から降りてきた。サクヤの意識は今にも落ちそうだ。
そんな彼女にその女性は自身に背を向けて言った。
「安心しなさい。お嬢様が眼をかけた人間ですから、死なせたりはしませんよ」
その言葉と共にその妖怪をまるで紙を裂くように持っていた剣で切ってしまった。
サクヤの意識はドンドン遠ざかっていく。恐怖はこの女性が来てから不思議と消えていた。
どうやら安心しているらしい。ドッと疲れが湧き上がると共に意識は完全に落ちる。
その際、その命の恩人の姿をしっかりと眼に焼き付けながら。
次にサクヤが起きたのは室内だった。
それも今まで見たことの無い(というか今までは老婆と住んでいたボロ小屋だけだったが)立派な部屋だった。
西洋風…というやつだ。立派なアンティークに彩られている。明らかに金持ちが住む部屋だ。
そこに置いてある大きなベッドにサクヤは1人寝かせられていた。
起き上がると、自分の身体のいたるところが包帯で巻かれていた。誰かが治療を施してくれたのだろう。
脇にある小机には自身の持ち物の、懐中時計とホルスターにしまってあるナイフが置かれていた。
2つとも綺麗に拭かれている。その時扉が開き、人が入ってきた。メイド姿の女性と、子供だった。
「彼女が?」
「はい」
その子供は女性に聞く。どうやら上下関係はこの外見子供の方が上らしい。
「ふぅん……あなた、名前は?」
「…………サクヤ」
答えるべきか迷ったが、あの時助けてくれた人の知人かもしれないためとりあえず答えておく。
「サクヤ…ね。私はレミリア・スカーレット。こっちのメイドはこの館の内部メイド部隊隊長、
そして全メイド部隊の総隊長…つまりメイド長のミリーよ」
レミリアと名乗ったその少女はミリーと呼ばれたメイドが用意した椅子に座る。
ミリーは慣れた手つきで鮮やかに2人分の紅茶を用意した。
「……ここは?」
「私の館。あなたは森で妖怪に襲われて、それを私の従者が助けたの。それであなたをここに連れてきたというわけ。
ちなみにその日から丸まる4日たってるわ」
どうやら相当寝ていたらしい。身体にもダルさが残っていた。レミリアは続ける。
「美鈴から話は聞いてるわ。あなた、40体近くいた妖怪の内39体を一瞬で全滅に追い込んだそうね。
そのナイフで…一体どうやったのかしら? 教えてくれる?」
美鈴とは…多分その従者の名前なのだろう。響きからして大陸の人間だと彼女は思う。
老婆から幻想郷の外の世界についてある程度教えを受けていたからだ。
「…………分かりません」
そう、分からない。その日突然現れた奇妙な現象は自分でも理由が分からない。
それに、説明したとしても、理解してくれるとは思えない。
「もしかしたら、あなたの持っている疑問に答えられるかもよ?」
「え?」
「話してみなさいな、『疑問は1人で抱え込まず相談せよ』。重要な事よ」
暫くサクヤは考えた。果たしてこの人たちは信じてくれるだろうか? あの奇妙な光景を。
…だが確かに、1人で考えたままでは答えは出ない。結局意を決して彼女は話した。
数分後その話を聞き終わった2人は難しい顔をして考える。レミリアは時折サクヤに眼を向けたりしていた。
(やっぱり…信じてくれないかな)
無理もない、突然誰も動かなくなって、自分だけが動ける世界が現れたなど誰が信じるか。
暫くした後、レミリアはミリーに聞く。
「ねえ、やっぱり」
「そうですね、可能性は高いでしょう。そもそもそうでなければお嬢様が『運命』で手繰り寄せるはずがありません」
「まぁ…そうなんだけど」
などと2人で自己完結し、サクヤに向く。その眼は真面目だ。思わずうろたえてしまう。
「あなた…その時に何か思わなかった?」
「え?」
「だから、何か念じなかった?」
「…………そう…ですね……。ただ、『止まってほしい』って」
「『止まってほしい』?」
「はい。どちらの時も、妖怪さんは凄い速さで攻撃してきました。私が反応仕切れない速度で。
ですから、止まってほしいと願ったんです」
それを聞いて2人は又お互いに向き合う。そして確信がついたのかレミリアは言った。
「ねぇ、ちょっとそれやって見せて?」
「え…でも、どうやればいいのか」
「願えばいいのよ。止まればいいって」
「願う…それだけで良いんですか?」
「それくらいしかないもの。ミリー」
「はい。そうね…あ、丁度いいものがあった」
そういうとミリーは小机の上に乗っていた懐中時計を手に取る。時計はまだネジが生きているらしく時を刻んでいた。
「もしその『止まった世界』を出せたら、この時計を見て頂戴。さっき巻いておいたから途中で止まる事はないわ」
「あ……はい」
願えと言われても難しい事だった。とりあえず……強く願ってみる。
するとどうだろうか。
ものの見事にあの世界が広がった。灰色の世界。レミリアも、ミリーも止まっている。
出来た…と彼女は放心した。数秒後ミリーが言っていたことを思い出し、時計を見る。
すると何ということだろう。先ほどまで何事も無く刻んでいた時が……止まっていた。
見間違えかと思った。慌ててネジを回すが……反応なし。怖くなった。
まさしくこの世界では、時間さえも動いていない。元に戻ってほしいと思った。
動いてほしいと願った。
と、その時その世界は終わりを告げ、世界に色は戻り、皆動き始めた。
「……出来た?」
サクヤの表情の変化を見たのだろう、レミリアが聞く。
「は…はい。あの…皆動かなくって、時計も…止まってました」
それを聞いた2人は確信したのか、未だにそれが何なのか分からないサクヤに説明する。
「いい、その世界はね。時間の止まった世界なのよ」
「時間の止まった世界?」
「そう。万物は時間があるからこそ存在できるの。時間が永遠に動いているから私たちは活動できる」
「で、でも私は其処で動けましたよ?」
「それがあなたの能力なのよ」
「のう…りょく?」
ポカン、と口を開けるサクヤにレミリアは続ける。
「そう、特別な存在にだけ宿る特別な力…それが能力よ。私にもある」
「あなたにも……?」
「ええ。私は『運命を操る程度の能力』。運命を見れるわけ」
「じゃあ……私は」
「そうね…その能力が全てかどうかはわからないけど、いうなれば『時を止める程度の能力』というところね」
「……あなたは…一体」
するとレミリアは高らかに言う。
「言ったでしょう? 私はレミリア・スカーレット。スカーレット家次期頭首にして、吸血鬼」
「き、吸血鬼!?」
つまり、妖怪たちと同じ化け物だ。記憶が無くとも生きていれば自然と知識は身につく。
吸血鬼、つまり自分は血をすわれる。逃げようとするが、足腰に力が入らない。
まだ疲労感が抜けきっていないのだ。
「安心しなさい。助けてまでして血を吸おうとは思わないわ」
そんな彼女にレミリアは苦笑しながら言う。確かに、血を吸おうというのならわざわざ治療する必要は無い。
「あなたに興味がわいたのよ。運命が私とあなたを近づけたからね。
正直最初は驚いたわ。人間の小娘と私が一体何の関係を持つのか……ま、それも分かったわ。
ねぇ、サクヤ。あなた…これからどうするつもり?」
「え?」
突然そんな事を聞かれ、サクヤは言葉に詰まる。正直な話、何処にも行く場所は無い。
もう…あの村には戻れないだろう。
「ねえ、ミリー」
「分かりました。お嬢様がそう願うのなら」
そんなサクヤを他所に、ミリーは一歩前に出るとこう提案した。
「ここで働く気は無い?」
「え?」
全く持って予想外の提案のためサクヤはきょとんとする。
「行く場所が無いんでしょう? ならここにいなさいな。貴重な能力者が外に出てのたれ死ぬよりかは
ここで働いた方が、私たちにとっても、そしてあなたにとっても都合がいいと思うけど?」
つまるところ、ここにいれば安全と生活は保障されるということらしい。
「え…でも」
簡単に承諾できないのは無理もない。何しろここの頭首は吸血鬼だ。
そして、このミリーも恐らく化け物の一種なのだろう。つまり、ここは化け物の巣窟だ。
そんな場所に人間が1人放り込まれるのだ。圧倒的に危険すぎる。
そんな考えは予想できたのだろう。ミリーは続けて提案した。
「基本自分の身は自分で守れ、がモットーなんだけど、あなたはまだ能力者としては半人前。
だから、あなたがキチンと自分で自分の身を守れるまでは私があなたの身を保証します」
「彼女は使用人の中で一番偉いの。だから彼女の決定には誰も逆らえないわ」
信用していいのだろうか……と思った。が、断った場合どういう仕打ちを受けるか分からないし、
何処にも行くところは無い。それよりかはここで働いて、生き抜いたほうが得策ではないか?
「じゃ…じゃあ、お…お願いします」
するとミリーはニコッと笑って一枚の紙を取り出す。まるで自分が引き受けるのを分かっているかのようだ。
いや…考えてみればレミリアは運命を読む。ならば、自分がここで仕事をする事を引き受けるのも知っていたのだろう。
その紙は契約書だった。サクヤは渡されたペンで名前を書こうとするが…そこで止まる。
「あの……名前…なんですけど」
「ん? 分かるところにあるでしょう? どうしたの?」
「あ…いえ…私、フルネームが分からないんです」
そう、契約書という以上フルネームは基本だ。だが、サクヤは『サクヤ』という名前しか知らない。
自身に記憶がないことを彼女は2人に話す。どうやら其処までは知らなかったらしい。
「そう…なら、名前をあげないとね」
「え?」
「だって、フルネームじゃなければ格好悪いじゃないあなた。折角サクヤって言ういい名前があるんだし」
「いい…名前?」
名前をほめられたのは初めてだった。レミリアは暫く考えた後、ポンと手を叩くと
契約書を裏にめくり、其処にペンでスラスラと名前を書いていく。其処に書かれていたのは『十六夜咲夜』。
「これからあなたはこう名乗りなさい。私、あなたを気に入ってるのよ、存在がね。
いずれは従者として傍に置こうと考えてるわ」
「え?」
「なら立派な名前がいるわ。誰にも恥じない立派な名前がね」
「それが…十六夜咲夜なんですか?」
「そうよ。あなたは覚えていないかもしれないけど、あなたを見つけた日は十六夜だったの。
それに十六夜はね…満月の次の日なのは知ってる? 満月は私たち吸血鬼が最も力を出せる日よ。
その次の日に輝く月、永遠に満月の傍で輝く月…それが十六夜。咲夜は、サクヤって言うあなたの元の名前を
壊さないために、作ったの。数少ない過去を壊すのはいけない事だわ。
夜華やかに咲きほこる至高の存在という意味よ。私という月の傍で咲き続ける花、従者にはぴったり…どうかしら?」
どうも何も……まさかこの場で名前を付けられるとは思わなかった。
ただ、このレミリアが自分を偉く気に入っていると言う事は分かる。
そしてこの館に雇うということは、自分を必要としてくれているという事だ。
それが……とても嬉しくて…ポロポロと涙が出てきた。
「はい……あり…がとう…ございます」
「あらあら……」
嗚咽しながらの礼にレミリアは苦笑する。咲夜と名づけられた少女は泣きながら名前を書く。
「ミリー」
「ええ。手続き終了です」
「咲夜」
「…はい……」
レミリアの呼びかけに咲夜は泣きながら応える。
「こら…正式にこの館で働く事になったんだから…泣き止みなさい。十六夜の名が泣くわよ」
「…はい…すみ…ません……」
言葉では言ったものの、結局泣き止むのに数分を要した。手でごしごしと眼をこすったため、
泣き止んだ後眼のまわりは真っ赤になっていた。
「じゃあ…私はパチェの所に行くから、ミリー、後よろしく」
「はい、かしこまりました」
レミリアは扉を開けた際、咲夜に振り向く。
「まぁ、最初は下っ端からよ。早く上がって私が誇れる従者になりなさい」
「は…はい!」
返事を聞くと微笑を浮かべ、彼女は去っていった。
「ふふ……まさかあのお嬢様があそこまで言うなんて、あなた…よほど期待されてるのね」
「え?」
「初めてよ。入ったばかりのメイドにお嬢様があそこまで言うのはね」
「…………」
「あの人はあなたの運命を読んでいる。だから期待していると同時に『信頼』してるの。
あなたが立派な従者になる事を」
「『信頼』…出会った……ばかりなのに?」
「あら、そういうこともあるわよ」
そう言ってミリーは苦笑する。
「まぁ…確かにあなたは珍しい能力者だし、私も期待するわ。早く立派なメイドになって
私を追い抜けるようになりなさいな」
「あ……」
初めての感覚だった。まだ見ず知らずの人にここまで自分は『信頼』を受けている。
そして期待も。自分の居場所はここにある。それが嬉しくて、嬉しくて……また涙が流れそうになる。
「こらこら、紅魔館のメイドになったんだから、もう泣かないの」
「は……はい」
ミリーが差し出したハンカチで顔をぬぐう。ぬぐい終わった後の彼女の顔にはある決心が芽生えていた。
「私……なります。お嬢様が、他のメイドさんたちが『信頼』してくれるような…そんなメイドに」
「よく言ったわ。それでこそ…よ。ならあなたは完全で瀟洒な従者にならなければね」
「完全に…なんです?」
「瀟洒よ。辞書にはすっきりと垢抜けている様、と載ってるわね。お嬢様は余り硬い思考の持ち主は苦手なの。
つまるところお嬢様が求めている側近は柔軟な思考の持ち主で、なおかつ色々と気が利き仕事もしっかり出来る存在。
だから完全で瀟洒な従者なのよ。メイド長には皆この能力が求められてるわ」
「はあ…じゃあミリーさんも?」
「あ~私は少し違うかな。確かにあっさりとはしてるけど能天気なところもあるから。
それに仕事もミスをすることが多いし、完全にとはいえないわね。だからそんな称号は与えられてないわ」
「完全に瀟洒な従者……」
「あなたにはその素質ありそうだし、それを目指しなさい。そうすれば、あなたが仕えたいお嬢様の元にいけるわ」
「は、はい」
「さて…今後の説明をするから良く聞きなさい。あと、これからは私のことはメイド長と呼ぶように」
「はい!」
ミリーは先ほどレミリアが座っていた椅子に座ると説明を始める。
それに咲夜は精一杯の声で返事をした。目指すは完全で瀟洒な従者。
そして、自身に絶大な期待を抱き、名前までくれたレミリアの元で仕える事!
このとき9歳。今ここにサクヤ改め、今日に至る十六夜咲夜は誕生したのだ。
◆ ◆
懐かしい思い出だ。自分が追われたあの村は…その後土砂災害で全滅した。
村に強い思い入れはないが…あの老婆だけは今でも覚えていた。いつか…キチンと御参りをしようと思っていた。
そしてつらいときは何時もあの雇われた時のことを思い出す。
レミリアやミリーから必要とされ期待と『信頼』を一身に受けている。それだけで力がわいてくるのだ。
ここで咲夜は一度眼を覚ます。
「いけない……」
時計を確認すると明らかに仮眠の域を超えていた。まだまだやるべき仕事はたくさんあるのだ。
「やらないと……」
急いで彼女は仕事にとりかかる。レミリアは今日、パチュリーの様子を見に図書館に行っている。
あそこには小悪魔がいるから、ある程度の仕事はあちらでやってくれるだろう。
有事の際に行けばいい。その時間帯を使って急いで書類仕事を終わらせねば。
首を回しながら外を見ると、門のところに門番隊隊員が集まり何やら動いている。
「あれは…美鈴」
2メートル近い細長い棒を持った美鈴が1人ずつ隊員の相手をしていた。
その脇では臨時隊長のユイが何やら書類に書いている。恐らく隊員の評価をしているのだろう。
「訓練…か」
そういえば門番隊の演習を見るのは久しぶりだった。門番隊ではチームを組んでの訓練と個人訓練、
そして今のような美鈴が師事する訓練など、様々な演習がある。
このとき美鈴は1人ずつ相手をし、1人終わるたびに直すべき部分を言っていく。
隊員はそれを聞きながら自分の修正箇所を見極め、次の順番が来た時にそれを直す。
…とまあそんな訓練。美鈴の体力はほぼ無尽蔵といっても過言ではないため、殆ど汗をかいていない。
逆に隊員の方に疲れが見えていた。どうやら長い事相手をしているらしい。
ユイはこの内容を見ながらそれぞれの隊員をランクごとにわけ、バランスを考えながら小隊を組む。
特に美鈴が直々に指導するこの訓練は、主に新人が入ってきたときに行う。
実はつい2日前に以前フランドールによって殺された隊員の代わりに新たに数名外から補充してきたのだ。
その新人と即存の隊員の技量を測っているのだろう。
「そういえば……美鈴をキチンと確認したのってこの訓練なのよね……」
1人呟く。その頭の中ではそのときの光景がよぎっていた。
◆ ◆
咲夜が紅魔館で働くようになってから数ヶ月経った。ここでの生活は彼女にとって驚きの連続だった。
特に一番驚いたのはレミリア。姿に惑わされるな、とは思っていたがまさかあのちびっ子が
500歳を超えているとは思わなかったのだ。そして、働いているうちにこの館の組織体制も覚えた。
正直最初の頃、与えられた仕事はきつく、次の日には筋肉痛になるといった事態にも良く陥った。
が、それ以上に咲夜は頑張ったため、次第に妖怪たちにも受け入れられるようになった。
むろん、まだ完全に受け入れられたわけではないが。基本平メイドは4人1組で寮で寝泊りしている。
が、階級が上がるにつれ少しずつ豪華な部屋に変わっていく。
トップクラスの隊長、副隊長になると個室になるくらいだ。
無論、新人の咲夜も例外ではなく、最初は他の妖怪と共に寝泊りしていた。
最初の頃こそ恐怖は抱いたものの、そのメイドたちと話すと案外人間と変わらぬ思考の持ち主だったと知り
互いが互いを助け合う仲の良い関係を築いていた。
彼女はその功績を認められ紅魔館始まって以来の早さで小隊長を任されるほどまでに至っていた。
このペースで行けば次は中隊副隊長の記録も塗り替える事が出来るだろう。
この頃から咲夜の仕事では鬼、オフでは出来るだけ優しく、といったものは出始めていた。
完全で瀟洒な従者…それになるために、彼女なりの努力をしていたのだ。
それになれば、皆が自身を更に頼ってくれる。必要としてくれる。『信頼』してくれる。
咲夜は誰と付き合うにもまずは『信頼関係』を築く事からはじめていた。
こういった行動が認められたのか、次第に人間であり少女であるというのに彼女を慕うメイドたちは増えていった。
そんな彼女にとってどうしても成さなければならない事があった。
それは…あの夜自身を助けてくれた『美鈴』と呼ばれるメイドに礼を言う事。
新人であるため仕事が忙しく、今の今まで彼女は命の恩人に礼を言う事ができていなかった。
「やっぱり拙いわよね」
働くうちに少しずつ言葉遣いが子供のものから現在のものに変わって行っていた。
助けてもらったのに礼を言わないというのは礼儀に反する。
「けど…どうやったら会えるのかしら」
そう…門番隊隊長というくらいだから門番隊勤務所にいると思った。
が、そうではなく普段仕事中もオフも、美鈴は色々なところを放浪しているのだと言う。
一箇所に長時間留まることは殆どしない。彼女が何処にいるのか、確実に分かる人は何処にもいない。
門から離れているにもかかわらず、今まで彼女が通した侵入者はゼロ。
問題が発生したらまさに風のように現れ、解決しまた風のように去っていく、そんな人だった。
そんな芸当を可能にしているのは自身と同じく彼女自身の能力を持っているからで、それを活用しているからだという。
仮にも門番隊隊長なのだから、きちんと門で立っていなければならないのでは? と疑問に思うのだが、
…キチンと侵入者は片付けているから、何も上は言っていないのだ。
「ふう……」
キュッキュッと今日のノルマの窓拭きを開始する。キチンと綺麗に拭かないと周りがうるさいのだ。
そんな事をしながらも、頭の中で考えているのは美鈴の事。
本名、紅美鈴。役職、紅魔館門番隊隊長。
レミリアは自身が気に入った者や『信頼』を置ける者を高い位につける。
が、勿論実力や能力によってその地位を脅かされる事は多い。
特に内部メイド部隊と図書館管理部隊の副隊長はしょっちゅう変わっている。
それに対してそれぞれの隊長は紅魔館でも強い力を持っており、未だに変動は無い。
更に隊長クラスになると、この紅魔館が出来た頃からずっと働いている存在らしい。
そんな色々とある3つの部隊の中でも最も特殊なのが門番隊だという。
何でも門番隊が発足して以来、一度も隊長、副隊長共に変動がないのだとか。
これはきわめて異例である。寿命もあるが、紅魔館も出来た当時は色々と問題が多く抗争がよくあった。
初期のメイドたちの多くはその抗争で死んだりしているため、今の紅魔館に初期のメイドは数える程度しかいない。
今の内部メイド部隊や図書館管理部隊の副隊長でもそういった抗争の後についたものばかりだ。
だからそういった初期のメイドたちを抜くと、どんなに長くても抗争のピーク以降にここで働き出した
メイドたちしかいないのである。そんな中、門番隊のトップは唯一変化が無い。
門番隊は2人とも古くから働いている超キャリア持ちなのだ。
それはつまりトップ2人が相当な実力者で、まさに紅魔館の顔の一つを表現しているといっていい。
美鈴が実はレミリアが生まれる前からスカーレット家に仕えていたのを咲夜が知るのは
後のこと(作品集39門番誕生秘話参照)になる。
その時ようやく彼女は美鈴の過去の断片を知るのだ。だから幼き日の彼女は美鈴の事を殆ど知らない。
だが、それまでの付き合いで美鈴の凄さは身にひしひしと感じ取っていた。
それを知っているからこそ、彼女の美鈴に対する『信頼』は同話の冒頭部分において、
パチュリーがレミリアに美鈴の異動を願ったとき、咲夜が言った
『私としましても、そろそろメイドの数が心配になってきましたから……』という言葉に含まれていたのだ。
分かりやすく言うと、この言葉をレミリアは美鈴を否定的に言っていると捉えたが、それは間違っていたのだ。
彼女は主人に物言いする事に抵抗を感じ口ごもっていただけで、本当はこういいたかったのだ。
美鈴を激励してもらいたい、と。咲夜は美鈴の強さを良く知っている。
だから魔理沙たちに負けているのは、単に運が悪いとしか思えなかったのだ。
時間がたちさえすれば、彼女は元の強き門番として返り咲くと確信していた。
だからここ最近の彼女に対するお仕置きが過激なのは、そういった意味で激励していたのだ。
無論パチュリーだって美鈴の実力を知っているため、
もしかしたら彼女の言葉の裏にも激励が含まれていたのかもしれない。恐らく本人は否定するだろうが。
話を戻すが門番隊発足後、現時点での彼女の防御率は『ほぼ』100%。
その理由は彼女が肉弾戦が得意だからだという。肉弾戦で彼女に敵うものはいないとか。
だが弱点もあるらしく門番隊の隊員に話を聞いたところ、何でも最近出来た『弾幕ごっこ』なるものが苦手らしい。
それでも並み以上に出来るため、相手がその方面で一流でない限り負ける事は無い。
しかも『弾幕ごっこ』を使う者自体がまだ少ないため、つまるところ鉄壁なのだ。
だがあくまでもそれは彼女が門番の任についているときなので、門番隊全体で考えると防御率は下がる。
またレミリアの気まぐれで侵入者を通す事もあるため、それが100%にならない理由らしい。
実質彼女が誰の命もなく任につけば、防御率は100%ということだ。
其処まで聞くと、凄く厳しい人なのだろうと予想したが、どうも違うらしい。
性格は厳格の正反対、のほほんとした人だという。ボケる時はボケるし、失敗もする。
部下が失敗しそれを注意する事はあっても異常なほど厳しくもしない。部下思いの優しい人。
部下が死んだら一緒に悲しんでくれるし、良いことが起こるとまるで自分自身に起こったことのように喜ぶという。
基本何時も明るく笑顔。ただし『敵』だと彼女が判断した時にはとてつもない力を発揮しそれを粉砕する。
その双方を見ている門番隊の部下にはうろたえるものもいるが、それ以上に信頼を集める大きな存在だという。
彼女に憧れ3つの部隊でも最も危険といえる門番隊に志願するものもいるらしい。
ただ、気になることがあるとすれば…彼女が自身の過去を話そうとはせず、また何時も何かを隠しているらしい。
それが不気味で、そのため『紅魔館1わからない人』という称号を裏では持っているという。
つまるところ、相当凄い人だということだ。新人であり平メイドである咲夜とは天と地の差がある。
また、3つの部隊で最も使役権が高い内部メイド部隊隊長、つまりメイド長であるミリーも美鈴が時折出す
助言には従う事が多く、会話をするときには必ず敬語なのだと言う。
ミリーという人物について咲夜はこの数ヶ月で完全に把握した。悪く言えば大雑把。
よく言えば非常にフランクな存在で、みんなのお姉さんみたいなもの。それでいて仕事はキチンとこなしている。
部下に対してもまるで友人と付き合うように接する彼女が敬語を使うのだ。
とてもじゃないが、自分のような一介のメイド風情が気安く話し掛けていい存在ではない。
「あ……」
その時たまたま拭いていた窓から門が見え、そこで何やら門番隊の隊員たちが動いていた。
「あの人……」
隊員たちは各々の戦闘スタイルで、その中心にいる女性に1人ずつ襲い掛かる。
それを簡単に女性はいなすと倒し、また次の隊員の相手をする。
「凄い……それに…綺麗……」
咲夜も独学で肉弾戦の心得は学んでいた。非力な彼女では力のある者と対等に戦うのは難しい。
なら、無理に真正面から戦わず、相手が動く前に殺してしまえばいい。
それを可能にするのが彼女の能力で、つまり…咲夜は暗殺向きの能力者だった。
そんな彼女は真正面から相手をする事に憧れを抱いている。やはり不意をついて暗殺するのには抵抗があった。
今の彼女の眼は正に憧れの眼だった。自分が抱いた理想像が目の前にいたのだ。
美鈴は例え訓練でも真正面から隊員たちの相手をし、倒している。
しなやかな足が動き、棒を持った手が鮮やかに動く。そして隊員の攻撃も最小限の動きでかわしている。
正に理想像、隊長にふさわしいといえた。
そして、動くたびになびく綺麗で、それでいて幻想的に舞う紅い、紅い長髪。
「あ……じゃあ、あれが……」
紅美鈴だと彼女は確信した。あの時助けてくれた紅い髪の女性、意識が混濁していたため記憶は定かでないが、
間違いなく彼女だ。あの紅くて綺麗な髪の毛は他に紅魔館では小悪魔位しかいないが、
門番隊隊員と関係ない彼女がここにいるはずない。
「会おうにも……今は無理ね」
明らかに取り込み中だ。間に入るわけには行かない。自分はたかが小隊長だ。
それに相手が自分を覚えているかどうかも分からない。
「咲夜小隊長~! 何サボってるんですか~!」
「あ…ああ、ごめんなさい」
第一自分も仕事中だ。小隊長という職務は全うせねばならない。
慌てて作業を再開する。今のメイドは小隊副隊長。基本咲夜と共に行動している。
作業をしている2人は暫く沈黙していたが、不意にそのメイドが口を開いた。
「あ、そういえば小隊長。これから色々と気をつけてください」
「何を?」
「知らないんですか? 第4小隊にですよ」
第4小隊は内部メイド部隊の中でも特に評判が悪い。そのメイドが言うには何でも同僚いじめが相当凄い。
しかも何やらそこの小隊長が中隊長と仲がよいらしく、揉め事を打ち消しているのだという。
「あいつら人間の咲夜さんが記録塗り替えて小隊長になったのが気に食わないらしくて。
いずれ、中隊長ぐるみで何かしてくると思いますよ? 何せ私たち同じ中隊ですから」
そうなのだ。その第4小隊と咲夜の小隊は同じ中隊なのである。
つまり、咲夜を忌み嫌う最も凄い一派と同じ小隊だということだ。
「そうね…分かったわ」
「私たちも出来る限りお手伝い致します」
同じ妖怪メイドだというのにこうも差があるとは……。咲夜は純粋にそう思った。
とりあえず同僚の忠告だ、ありがたく受け取っておこうと思った。
さて、そんなこんなで月日はたち、咲夜が完全に仕事になれた頃。事件は唐突に起こった。
「大変です咲夜小隊長!」
ある日、いつものように通路の掃除を行っていた彼女は慌てて駆け寄ってきたメイドに呼び止められた。
「どうしたの?」
「第4小隊の連中とうちの連中が喧嘩を…」
「何ですって?」
部隊内でのイザコザは隊規によって取り締まられている。それに反すると厳しい『罰』がまっている。
死もありうる。この場合『暴力行為』に抵触する。互いの能力を高めるための訓練や、
上司が部下に対して行うお仕置きという意味での暴力は正当化されているが、
喧嘩はご法度なのだ。するならば最近決まった『弾幕ごっこ』のルールに沿って解決せねばならない。
「わかったわ、私がとめに入る」
「お願いします。あっちなんか、小隊長まで一緒になって……」
とにかく駆け出した。この頃になると咲夜は咲夜で独自に第4小隊について調査していた。
相当なワルで3つの全ての部隊内から嫌われている。そして自身を忌み嫌っている。
実際既に嫌がらせは受けていた。自身の品が盗まれるなど序の口で、メイド服がズタボロにされる事もしばしば。
他の部隊の小隊長は彼女を助けようとしたが、咲夜は拒絶した。
これはあくまでも自身と第4小隊の連中との問題であり、他人を巻き込むわけにはいかないからだ。
それに助けを求められたら自分は周りから臆病な人間だと思われてしまうと彼女は考えていた。
それは、完全で瀟洒な従者、という目標に多大な障害が出る。
だから彼女は我慢した。我慢すれば、いずれ終わると思ったからだ。
周りの部下にも下手に相手をするなといっておいた。相手をしてしまえば第4小隊は図に乗るからだ。
部下たちもそれをよく理解していたため、今の今まで対立すると言った事はなかった。
「あそこです!」
走りながら説明を聞いていた咲夜に、メイドは言った。
其処には……第4小隊の連中と、ボコボコにされている自分の部下がいた。
その位置関係は対極だ。部下たちはそれこそ、通路に倒れているし、第4小隊の連中はニヤニヤと立っている。
「あなたたち!」
咲夜が叫ぶと、第4小隊の連中もそれに気付いたのか、ニヤリ、と不敵に笑った。
咲夜はそいつらを無視して、部下たちに付き添う。幸い大きな傷はない。血は流しているけど。
「ごめんなさい、咲夜小隊長……私たち、どうしても許せなくて」
そのうちの1人が謝る。彼女が最も負傷していた。
「説明しなさい」
小隊長らしく、キッとした目つきで第4小隊の連中をにらむ。
「こいつらが喧嘩を吹っ掛けてきたから相手をした、ただそれだけよ」
と、ふてぶてしく第4小隊の隊員は言った。つまり、自分たちに非はないと。
そんなはずはない。自分の小隊員と第4小隊隊員との差は歴然だ。彼女たちは傷一つ負っていない。
明らかに一方的にやられた。正当防衛を軽く超えている。
「あなた、こうなった理由は?」
とにかく負傷しているメイドに原因を聞かねばならない。そのメイドは口元の血をぬぐうと話し始めた。
第4小隊の陰湿ないじめは度合いを増していた。とくに咲夜に対する中傷が凄かった。
咲夜は気にしていなかったが……先に部下たちの堪忍袋の緒が切れた。
抗議をしに第4小隊に行ったのだ。が、第4小隊は全く相手にせず、逆に殴りかかってきて
大喧嘩になった…というわけである。つまり……殴ってきたのは第4小隊が先だという。
「第4小隊隊長…あなた、何で止めなかったの?」
見ればこういったいざこざをとめるべき責任者まで其処にいた。加わっていたのである。
「ふん、何、生意気な下っ端を懲らしめただけよ」
嘘だと直に確信した。眼でわかる。彼女たちは日ごろの鬱憤も兼ねて痛めつけたのだ。
「……違うわね、あなたたちが気に入らないのは単にこの私だけでしょ?」
「へえ…分かってるじゃない」
「なら、痛めつけるにしろやるなら私にやりなさい。この子達は関係ないわ」
「あらそう、なら…そうさせてもらおうかね!」
パン、と平手打ちが咲夜の頬に当たる。第4小隊隊長の後ろでは隊員がニヤニヤと笑っている。
続けてパン、とまた平手打ち。咲夜は何の反撃もせずただ仁王立ちをしている。
するとドンドン行動はエスカレートしていく。平手打ちも何時しか拳によるパンチになったし、蹴りも入った。
だが咲夜は反撃しない。彼女の部下たちは止めに入ろうとしたが、それさえも静止する。
ここで反撃してしまえばそれこそ隊規に反する。そして何より、それではこの第4小隊の奴らと一緒になってしまう。
『弾幕ごっこ』という解決法があったがこの時咲夜は『弾幕ごっこ』が出来なかった。
まだそれを覚えていなかったのだ。理由は後に述べよう。つまり、ここは必死に耐えるしかなかったのだ。
部下たちに非はない。事実、彼女たちは正論で、言葉で立ち向かい、手は出していない。
出したのは第4小隊のやつらなのだ。むろん、彼女たちもこれが隊規に反している事を知っている。
が、彼女たちには強力なコネがあった。彼女たちの裏には中隊長がいるのだ。
この時の中隊長も咲夜を忌み嫌っていて仕事も咲夜の小隊には
皆がやりたくないような汚れ仕事ばかり押し付けていたのだ。
つまり組織ぐるみで問題を消していたのだ。流石の咲夜たちも中隊長には逆らえない。
だから今の今まで第4小隊は処罰されていなかったのだ。ミリーにもこの報告は行っていない。
が、もしここで咲夜が反撃したらそれこそ彼女たちの言いようにされる。
自分だけでなく自分の部下までも処罰される。それだけは避けなければならなかった。
「その眼、その眼なのよ!」
第4小隊隊長はイライラした顔で殴り続ける。そう、彼女は咲夜のこの態度が気に入らなかった。
人間である咲夜がレミリアに気に入られ、ミリーにも眼をかけられているの気に入らないし、
自分は死ぬ気でようやく登りつめた地位を、最短記録で彼女が登りつめたのも気に入らない。
そして何よりこの眼だった。人間の癖に、妖怪を恐れる存在の癖に咲夜は全く自身らを恐れていない。
むしろ真っ向から立ち向かう眼だった。それが何より気に食わなかった。
つまり…『たかが人間風情が!』という妖怪特有の考え方である。
咲夜はどんなに殴られようと、蹴られようと、決して引く事をせず一身に受けていた。
例え雑魚の妖怪でも力は人間以上だ。9歳の少女の身を考えると既に失神していても可笑しくない。
だが彼女は決して意識が飛ぶ事はなかった。仁王立ちを続けていた。それがメイドの苛立ちを更に揺さぶる。
「こ…の……小娘がぁ!」
どんなに殴っても、蹴っても苛立ちは募るばかり。ついにそのメイドは本気で殴ってしまった。
バキッ
流石に効いたらしく、グラリとついに咲夜の身体は傾いた。片足が地面から離れ、倒れだす。
何とか踏ん張ろうとしたが、どうも完全に効いていたらしく思うように動かない。
激しく自分に憤った。まだだ! まだ耐えなくては! だが、無常にも身体は倒れていく。
目の前には自分の名前を叫びながら、心配そうな顔で走り出そうとしてくる部下たちがスローモーションで見えてくる。
そして、もう地面に体がつく……そのときだった。
唐突に身体を誰かにつかまれた。その衝撃で飛びかけた意識はまた元に戻り、痛みが体中に走る。
背中の部分をムンズとつかまれているらしい。部下たちは自分に駆け寄ってくる事も忘れ、
上を向いて唖然としていた。第4小隊のメイドたちもその方向を見て先ほどとは違い、恐怖に駆られている。
どうやら自分をつかんでいる相手を見ているらしい。ゆっくりと上を見ると……
「…………」
長い紅髪の女性…紅美鈴が自身を掴み、第4小隊の連中をジッと睨んでいた。
その眼には怒気はない。ただ、じっと…まるで心の底を見透かすかのように睨んでいる。
美鈴は口を開く。咲夜はキチンと彼女の声を聞くのはこれが初めてだった。
「これは一体何事?」
それはこの場全員に問いかける言葉だった。その言葉に全員が凍りつく。
「喧嘩は隊規で禁じられてるはずです。……いえ、どうやらそれすらも違うようですね」
自分たちのボロボロの姿と、無傷の第4小隊の姿を見比べて言う。
「全員来なさい」
拒否権はない、と言う声。皆は黙ってそれに従った。
メイド長執務室……紅魔館の最上階、レミリアの部屋があるのと同じ階にそれはある。
部屋は広く、中央の執務席には多大な量の書類が山のように積まれている。
そこに某指令のように口を手で隠すように組んだミリーが座っていた。
前にあったときのような優しさはなく、威厳と風格に満ちた厳しい目。
痛みが吹き飛ぶくらいの……緊張感が襲った。
「説明を」
まず美鈴が自分が止めに入ったときの事を語る。その後、咲夜たち平メイドが語った。
美鈴は仕事前にミリーに近況報告の書類を届けたその帰りに事件に立ち会ったのだという。
その時点で既に矛盾は現れた。第4小隊の者たちは明らかにこちらに責任を押し付けに来ていた。
部下たちはそれに噛み付こうとしたが、咲夜にとめられた。それでは完全にこちらが悪者になってしまう。
「……分かったわ」
全員の話を聞き終わった後、ミリーはついに判決を下す。
「あの」
そんな彼女に対し、咲夜は口を開く。
「何?」
「もし……私の部下に処罰を与えるのでしたら、お願いします。それは私だけにしてください」
「……一応理由を聞きましょうか?」
「今回の件、私の監督不届きが原因です。『罰』は私1人で受けます」
元はといえば自分が原因でいざこざが起こったのだ。部下たちは被害者…むしろ自分を守ろうとしたのだ。
ならば、部下たちが罰せられる必要はない。
「な、何を言ってるんですか小隊長!」
「これは私たちの責任です!」
「そうです! 『罰』なら私たちが受けます!」
無論、彼女を慕う部下たちは反論したが、咲夜とミリーの眼で直に黙る。
「……分かりました、考えておきましょう」
直にここで決断するわけには行かなかったのか、ミリーは告げる。
「処分内容は追って伝えます。今日はこれで解散」
そういうとパチン、と指を鳴らす。すると医療服をまとったメイドたちがやってきた。
「その子たちの治療をお願い」
コクリと医療メイドは頷くと部下たちを連れて行く。
「咲夜、あなたもよ」
「……はい」
できれば今ここで判決は聞きたかったが、どうやらそうも行かない。おとなしく従う事にした。
と、ここで黙っていた美鈴が咲夜の肩に手を乗せる。
「すみませんが、この子連れて行ってもいいですか?」
「? どうしてです?」
「話があるんです」
「……わかりました。但し勧誘は却下ですよ?」
「はいはい」
はぁ、とため息をついてミリーは言う。美鈴は嬉しそうに頷くと
「ほら、来なさいな」
そう言って有無を言わさず咲夜の手を引っ張っていった。
美鈴の部屋に通された咲夜は完全に呆けていた。どうしてこんな事になったんだろうと。
小隊長と隊長…隊長という名義こそ一緒だがいる場所は天と地ほどの差だ。
そもそも美鈴は内部メイド部隊ではなく門番隊だ。部署が違う。何故に自分を呼んだのか全く理由が分からない。
「染みますよ~我慢してくださいね~」
そして今、自分は美鈴に治療を受けている。美鈴ファンのメイドがこの話を聞いたら卒倒するだろう。
自分も受けた~い! と言って。確かに薬は染みた。だが我慢する。
「はい、終了」
そう言って治療道具をしまう美鈴。咲夜はまだ呆けている。そんな彼女を見て美鈴は苦笑しながら頭を撫でた。
それは凄く優しくて、暖かかった。それに先ほど掴まれた手は女性らしく細く繊細な指。
何処に噂されるほどの力を持っているのか疑問に思うほどだった。
「さて……」
「あの……」
治療道具をしまった美鈴はお茶を入れに台所に向かう。ようやく現状を認識した咲夜はそれをとめた。
美鈴は笑顔で、『何?』と向いてくる。その笑顔に引き込まれそうになったが、何とかこらえた。
「あの…ありがとうございます」
「いいですよ、別に」
子供に対しても敬語。其処に違和感を覚えたが、あえて無視する。
「どうして…私なんかを?」
「まぁ、まって下さいな。もう少しでお茶が入りますから」
仕方なく黙る。どうやら話は長くなりそうだ。
数分後、煎茶を入れた美鈴はちゃぶ台をはさみ、座布団に座っている咲夜の対面に座る。
「熱いですから、気をつけて」
「あ…ありがとうございます」
咲夜は猫舌のためフー、フーと息を吹き、冷ましながら飲む。口内が切れているため染みたがおいしかった。
「さて……話に入りましょうか」
真面目な言葉に、咲夜は一度湯飲みを置き、背筋をピン、と伸ばす。
「そんなに構えなくていいですよ。ところで覚えてます?」
「え?」
「あなたは覚えてないかもしれないけど、あなたを紅魔館に連れてきたの、実は私なんですよ」
覚えている。忘れた事はない。ただ、特徴的なところだけだったため本人だと確信したのはつい最近だ。
「お、覚えてます! あの時はどうもありがとうございました!」
「誰かに聞いたの?」
「はい、ミリーさんから。それに…あの時、美鈴さんの凄く綺麗な紅い髪が眼に入ったので……」
「あはは、別に綺麗じゃないですよ。それだったらあなたの銀髪のポニーテールの方がよっぽど綺麗です」
「い、いえ! そんな」
咲夜は慌てて否定する。そしてポニーテールの先っぽを指で弄る。
本当に美鈴の髪の毛は綺麗だと思ったのだ。自分の髪の毛など、及ばないと思い込んでいた。
無論それは間違いだ。咲夜だって、周りから見ればうらやましがるほどの綺麗な髪の毛の持ち主だ。
トリートメントをしていないのに枝毛はなく、一本一本が生き生きとしている。
十人中十人…間違いなく咲夜の髪の毛は綺麗だと言うはずだ。
「自信を持った方がいいですね。私はあなたの髪の毛も綺麗だと思う。それは嘘じゃないですよ」
「…………」
「こういうときは、礼を言うんですよ。ほら…3・2・1、はい」
「あの……ありがとうございます」
「よく出来ました」
そこでにっこりと彼女は笑う。咲夜は思わず顔を真っ赤にした。
「さて…本題に入りましょうか」
「は…はい」
「そう硬くならないでくださいな、私まで硬くなりますよ」
無理を言うな! と心の中で思わず叫んでしまう。が、彼女の笑顔で少し心はほぐされた。
「何で反撃しなかったんです?」
…先ほどの事件のことだろう。咲夜はピシっと背筋を伸ばしなおし、話す。
あの状況で自分が思った事。それは自身のことではなく、部下の身の安全を確保する事だった。
あいにく今の自分は『弾幕ごっこ』が出来なかった。まだ覚えてなかったのだ。
となると相手の嫌がらせは我慢するしかない。何故なら暴力を暴力で返す事は隊規に反するからだ。
だから今まで我慢してきた。事実今までは陰湿的ないじめで、今回の様な暴力行為はなかったからだ。
そしてついに…今回の事件が起こってしまった。そこで自分はあえて自身が犠牲になる事で部下を守ろうとした。
無論、それで部下たちの安全が保障されるわけではない。分かってはいたが、それしか方法がなかった。
……我慢し続けた結果、救いの手、つまり美鈴が現れた……とまあこういう結果だった。
「相手が攻撃してきて、それに私が攻撃しかけたら…隊規に反しますし、
何よりそれでは彼女たちと一緒になってしまいます。それに彼女たちの裏には中隊長がいます。
反撃すれば、明らかにこちらに不利な展開が予想されます。ですから反撃しませんでした」
「……あなた、先程部下を守ろうと自分から『罰』を受けようとしましたよね?
その部下が反撃していたとは考えなかったんですか?」
「はい。事件発生当初、部下たちはボロボロで、第4小隊の連中は皆無傷でした。
もし部下が不意打ちを狙ったのであれば、幾ら連中でも傷は負います。ですがそれもありませんでした。
推測できるのは、一方的にこちらが攻撃された事。正当防衛の過剰行為…です」
それからも咲夜の説明は続く。それを美鈴はウンウン、と頷きながら聞いていた。
話し終わった後、美鈴はゆっくりと口を開く。
「怖くなかったんですか? 妖怪が」
「……怖かったです、でも…それを部下たちの目の前で出すわけには行きません」
「それは…どうして?」
「私には…目標があるんです。そのためにも…無様な姿は見せられません」
「『完全で瀟洒な従者』…ですか。ああ、別にそんなに驚かなくても、私はミリーさんと仕事上同僚ですから。
色々とあなたのことは聞いてます」
「は、はあ……恐縮です」
「今はどうです? 私のことは怖いですか?」
「あ! いえ……どうなんでしょう。恐怖は…感じません」
「なるほどね……あなたの言いたいことは分かりました。……流石はお嬢様が気に入るわけですね」
「え?」
「ふふ、咲夜さん…でいいですか?」
「何なら呼び捨てでも結構です」
「ああ…さん付けは私の癖なので気にしないでください。あなた、部下を『信頼』しているんですね」
「……はい」
当たり前だ…と咲夜は思う。この異常ともいえる職場では『信頼関係』が絶対に必要不可欠だ。
ましてや咲夜自身は誰かに必要とされる人間になりたいし、自身も誰かを必要としたい存在がほしい。
そんな相互関係……今の自分と部下たちは望んだ形を最も具現化しているといっていいだろう。
だから、余計に失いたくはなかったのだ。
「まあ…いいでしょう、『信頼』すると言う事は必要な事です。
あなたが『信頼』しているからこそ、あの時部下たちはあなたを必死にかばったのでしょうからね」
「……はい」
「ただし……」
突然美鈴の声に凄みが増す。思わず唯でさえ張り詰めていた気を更に張り詰めてしまった。
「これから先、あなたの望む『信頼関係』はいずれ挫折する事があるでしょう。
それも、あなたからではなく、相手から。その時あなたはどうします?」
「どうすると言われても……わかりません」
「考えておいた方がいいですね。今のあなたは『信頼』について極度に依存しています。
しかしそれでは、何時か裏切られたときにあなたは破滅するでしょう」
「…………」
「だから先輩としての忠告です。今の内に今後の身の振り方を考えておきなさい」
「はい」
そこで美鈴の声はまた元に戻った。今考えてみると、この言葉は美鈴が自身の『信頼』を裏切る
あの事件を既に考えての言葉だったのだろうか……と現代の咲夜は思っていた。
無論、この頃の少女咲夜はその言葉の裏の意味を知るはずもなく、頷くだけしかしていなかった。
「さて……話は終わりにしましょう。私もそろそろ仕事の時間ですし」
「あ…はい。あの…ありがとうございました」
「どういたしまして」
2人して立ち上がる。ズキリ、といきなり痛みが走ったため、思わず顔がゆがんだ。
「ああ…そうか。痛みが長引いてるんだよね」
「だ、大丈夫です」
「無理しちゃ駄目ですよ…はい」
そういうと咲夜の両頬をソッと手を添える。
その手がにわかに緑色の光を放ちながら輝きだした。その輝きは不思議と暖かいもの。
するとどうだろうか? 今まで全身から痛みが走っていたと言うのに、
少しずつ痛みが消えていっているではないか。数分後、彼女が手を離すと既に、痛みは消えていた。
「あの…これは?」
「ああ…ネタバレしちゃうとね、これが私の能力。『気を操る程度の能力』」
「能力…私と同じ」
「そう。私の能力はこういうふうに治癒にも当てることができるの。どう? まだ痛む?」
「あ、いえ、もう大丈夫です」
「それは良かった。本当は本人の自己治癒能力に任せた方がいいんですけど、今回は仕方ありませんね。
何なら送りましょうか?」
「い、いえ! 大丈夫ですから」
「そう」
逃げるように靴を履き扉を開き、部屋から出ていった。それを美鈴は苦笑しながら眺めるのであった。
咲夜が自室に戻ると、そこには部下たちがいた。自分を見るなり、泣きながら飛びついてきた。
どうやら自分が美鈴に何かされたのではないか…と思い込んだらしい。
それを優しく否定する。9歳の少女にあやされている倍近く生きている妖怪と言うのも変な話だが、
この構図はどれだけ咲夜が『信頼』されているかを明確にあらわしていた。
何しろこの部下たちも最初は咲夜を嫌っていたのだから……。
次の日、処分が言い渡された。咲夜たちは3日間の謹慎が与えられた。
これは、いかなる理由だろうと、副隊長以上の上司に一度も報告しなかったため、という理由だった。
確かに妥当な判断だ。事実、もしミリーか次に位置する副隊長に直接報告していれば、
このような事態はなかったかもしれない。対する第4小隊に対する処罰は厳しいものだった。
小隊は解散、小隊長、および小隊副隊長はフランドールがいる地下室に行き、
彼女の世話をすると言う名の処刑を取られた。小隊員は紅魔館からの追放。
妖怪の巣窟となっている森のど真ん中に叩き込まれたため、生き残る確率は極めて低い。
また、この事件は更に飛び火し、第4小隊に関わっていた中隊長、見てみぬ不利をしていた中隊副隊長も
小隊長たちと同様の処分を受けた。何でもこの2人はこの事件以外に給料の横領などの問題を起こしていたらしい。
この処分で咲夜に対する妖怪メイドたちの嫌がらせはピタリと止んだ。
嫌がらせをしていたトップが消えたのだから当たり前だろう。そればかりか咲夜は更に株を上げた。
人間にもかかわらず、妖怪である部下たちを守った……と。数日後、彼女はミリーの執務室に呼ばれる。
「あなたを中隊長に任命するわ」
当然咲夜はこの決定に驚いた。理由はこうである。
各部隊の中隊長、中隊副隊長、小隊長、小隊副隊長は能力、功績と共に部下や他のメイドからの推薦で決まるのだ。
ちなみに隊長、副隊長はレミリアが直々に試験を行い、中隊長の中から決めるため、仕組みが違う。
むろんそれまでの階級と同じく、部下たちの人気度合いも測るが。
今回先日の一件で中隊長、中隊副隊長がスッポリとなくなってしまったため、
急遽選挙が行われたのだ。その結果、咲夜が圧倒的な人気で中隊長に決まった。
ひとえに今までの彼女の行動が功を奏したのだろう。
「なお、拒否権はないわ。拒否するってことは、周りを裏切る事よ」
「あ…いえ、ただ…突然の事だったので」
「お嬢様曰く、『物事は全て唐突に起こるもの』だそうよ。一応聞くけど、どうする? やる? やらない?」
中隊長になると言う事は今まで一緒に働いてきた小隊の部下たちとは殆どあえなくなる。
それは……さびしいものだ。が、考えてみれば永久にではない。時間は減るが、会うことはできるのだ。
「はい。分かりました。やらさせていただきます」
「OK……と、言いたいところだけど、ここまで階級が上がると、どうしてもあなたには
こなさねばならない課題があるわ」
「課題…ですか?」
「そう…課題よ。ついてきなさい」
言われるままに彼女はミリーについていった。
連れて行かれたのは紅魔館から少し離れた森の中に、直径500メートルほどに開けた草むら。
其処には丸太が何本か突き刺してあるだけの、非常に奇妙な場所だった。
「あなたはこれから弾幕を覚えなければならないわ」
「だん…まく…ですか?」
「そう。基本、これから先のことを考えて、紅魔館に仕えるものは皆弾幕が出来なければならない。
あなたは今まで人間ということで外してきたけど、既にかなりの地位にいるの。
弾幕の一つや二つ出来ないと…もうお話にならないわ」
「確かにそうですね」
完全で瀟洒な従者を目指すのなら、弾幕も覚えなければならない。
特に最近『弾幕ごっこ』というルールが制定されてから今までのような殺し合いは大分減り、
知能がある妖怪たちはこの『弾幕ごっこ』で勝敗を決めることが多くなった。
今までは人間であり少女、そして膨大な仕事があったから考えてもいなかったが、
これから先同じ理由では済まされない。紅魔館のメイドである以上、覚えるべき常識は覚えねばならない。
そしてレミリアの元に行くためには絶対に身に付けねばならない。
「更に、あなたは空も飛べなければならない」
「……それなんですが…一応周りに助言をもらっているのですが、うまくいかないんです」
「そうね、そうだろうと思ったわ。それも込みで、今回あなたに指導をします。
でもあいにく私は仕事で忙しいから、先生を用意しておいたわ」
「先生?」
「そうよ」
頷いた瞬間、背筋に電気のようなものがビリッと走る。咲夜は思わず横にとんだ。
その僅か後に3本の何か細いものが今までいた地点を通り過ぎ地面に突き刺さる。
「これは…暗器?」
暗殺用の道具の針だった。咲夜も使った事がある。
「反応速度は十分……と。どう思います?」
「そうですね…まぁ問題ないでしょう」
ミリーが言うと、丸太の陰から1人の女性が現れた……美鈴だ。彼女が暗器を投げたらしい。
予想もしない事態に咲夜は固まる。
「美鈴さん?」
「こんにちわ」
「彼女が先生よ。じゃあ、美鈴さん後はお願いします」
咲夜が再起動する前にスタコラサッサとミリーは去っていった。姿が見えなくなったところで、咲夜再起動。
「ちょ! メイド長!!」
が、当然いるはずもないため、その言葉は風に吸い込まれていった。
「コホン」
呆けている彼女に対し、美鈴は静かに咳をつく。
「あ、あ! め、美鈴さん? い、良いんですか?」
「あはは~ここ最近門番も暇ですからね~。それに、私の部下たちも強くなりましたから、
少し離れるくらい、大丈夫ですよ~」
「い、いえ…でも……」
「それに、ミリーさんの言った事は本当ですよ。あなたはいい加減、そろそろ弾幕が使えなくてはならない。
でないと、お嬢様の元に行くなんてとても無理ですから」
「で…でも、何も美鈴さんでなくとも」
「あら…私じゃいやですか?」
ブンブンと首を横に振る咲夜。
「い、いえ…そういうわけでは」
「ふふふ…まぁ、この件は私がお願いしたようなものでして」
「え?」
「私も弾幕は苦手です。ですが教える事に関しては得意です。あなたが必要最低限扱えるようになるまで教え込みます。
また、この問題を解決したとき、あなたは空も飛べるようになるでしょう。なお拒否権は許されません。いいですね?」
どうせ裏ではレミリアも暗躍しているのだろう。
どの道拒否権がないのだから従うほかない。それに、レミリアに仕えるためだし、
美鈴との交友も広がる。これはまたとないチャンスだ。
「……はい!」
咲夜は勢いよく、元気に頷いた。
訓練内容は基礎の基礎から始まった。まず15メートル先にある丸太に描かれた的に
ナイフをあてて見せろというもの。何故こんな訓練なのかと聞くと美鈴は言った。
「あなたは人間。しかも特別な力など何一つもたない普通の人間です。
私のように『気』を弾として打つことも出来ませんし、妖力も持ちません。
巷には魔力だとか、空飛ぶ巫女がいるとか言う話を聞きますが、あなたはそういった力すら持っていません」
そこまで言われると軽くへこむ。それに気付いたのか慌てて美鈴は言う。
「しかし、あなたはあるものを持っています。何だと思います?」
「………能力…ですか?」
「そう、時間を操る能力をあなたは持っています。その能力が、全てを解決します」
「え…で、でも…時間と弾幕に一体何の関係が?」
「あります。正確に言ってしまえば時間を止めることはあくまでも付加属性。
必要なのはその能力から派生する力。それが、あなたの弾幕を形作る元になります」
「私の能力から派生する力?」
つまり、自分は時間をとめられる能力だけではなく、まだ何かを持っていると言う事。
「あの…それは一体?」
「教えません。必要なのはあなたが気付く事。まずは、その土台作りからはじめます」
「はあ…どうして全部教えてくれないんですか?」
「それではあなたの為にならないからです」
「…分かりました。で、その土台とナイフ投げに何の関連性が?」
「それもあなたが気付く事。……そうですね、ヒントをあげるとするならば、人にはそれぞれの特性があります。
私なら『気』。お嬢様なら吸血鬼特有の能力…まぁ他にもありますけど。
では、咲夜さんは? と考えたときに、まず何を思い浮かべますか?」
「えっと……」
身体的特徴から言えば、少女…これは成長すれば消えてしまう特徴だ。
そして銀色の髪…関係ないだろう。どこぞの妖怪見たく髪の毛を飛ばすのではないのだから。
あとは…時計とナイフか? 時計は自身の能力を…ナイフは唯一の記憶と共に、護身用なのだが。
「あ……」
「そういうこと。咲夜という人物の攻撃的な特徴はそのナイフ。とはいえナイフ一本では弾幕など出来ません。
ですから、あなたには無数の数のナイフを目標に向かって正確に投げれる技量が必要になります」
「ナイフを……暗器なら、ある程度出来ますけど」
「要領は一緒です。ですがナイフは暗器と違い、重量や重心が違います。
更にナイフには様々な種類があります。あなたはそれら全てを使いこなさなければならない」
「…………」
「そのためのナイフ投げです。感覚さえ掴めば、後は自然と出来ます」
「……分かりました」
そう言って、先程美鈴が地面に引いた線の上に立つ。
「では、まずこのナイフでやってみてください」
そういわれて渡されたナイフは……重かった。なんというか、これがナイフ? とでも言いたくなる位に。
「重いですか?」
「は…はい。これ…本当にナイフなんですか?」
「ええ、私がこの日の為に作った特性のものです。どうです? これをあの的に当てられますか?」
「……無理だと思います。両手投げならまだしも、片手では……」
「ですがそれを出来るようにならなければなりません。それが出来れば、あなたは弾幕を使えるようになります」
そういうと彼女は咲夜から離れ、森に向かって歩き出す。
「あ、あの…見てくれるんじゃないんですか?」
「見てあげますよ。…ただし、どこかでね。他人がいると集中出来ないという事例もありますから。
ここはあなた1人で頑張ってください」
「…はあ」
「ただし、サボったりしたら一発で分かりますのでご了解を。ペナルティー与えますから」
「はい。あの……せめて、ヒントだけでも頂けませんか?」
「まぁ…そうですね、ヒントは『力に頼りすぎるな』です。訓練終了の時間帯になりましたらまた来ますので」
そういうと、美鈴は森の中に消えていった。
ポツンと取り残された咲夜。美鈴の気配は完全に消えた。恐らく気配をたってどこかで見ているのだろう。
手に握られている無骨なナイフを見る。彼女の持ち物であるナイフは華麗な銀色の刃なのに対し、
こちらは真っ黒なもの。恐らく重量を増すために様々な材料を混ぜたのだろう。
相当重い。ナイフと分類していいのか分からないくらいの破格の重さ、勿論砲丸よりかは軽い。
普段紅魔館の清掃で重いものを持ってきたため、其処まで重いものを持つのは苦ではないが、
投げるとなると、やはり相当な重さだ。投げれるようになれば相当な力がつきそうだ。
むしろ、このナイフを楽に投げれるようになれば…普通のナイフなど意図も簡単に操れるようになるのだろう。
とりあえず投げてみる事にした。
ドスッ
やはり初めてだからか、うまく飛ばず4メートル程度で地面に突き刺さってしまった。
少女のため力がない…というのもある。何しろ投げるとき思わずナイフの重さで身体が後ろに仰け反ったほどだ。
だが、それでは今美鈴たちが咲夜にこのような課題を与えた意味がない。
こんな咲夜でも出来るから…彼女たちは課題を与えたのだ。ならば、何としてもクリアせねばならない。
何度も何度もトライした。が…一向にうまくならない。
この日ではせいぜい5メートル弱までしか飛ばず、美鈴が迎えに来たところで終了となった。
また、この日からミリーから肉体強化の特別メニューが言い渡された。
仕事の合間を縫って筋トレに励む日々が始まった。周りは何故彼女が? と疑問に思ったが、
ミリーの命令なので、何も言わず…また咲夜も気にしないように、と念押ししたため何も言わなかった。
さて…そんな日々が暫く続き、咲夜が紅魔館に来てから半年がたつ、という頃。
咲夜はある悩みにぶちあたっていた。
「駄目だ……これ以上、飛ばない」
それは射撃精度と飛距離の問題。この頃になると10メートルほどまで彼女はナイフを飛ばせるようになっていた。
だがそれと同時に問題が浮き彫りになってきていた。
どうやっても届かないのだ。11メートルよりも先にナイフが進まない。
以前これを美鈴に話したら、ここからが正念場…といわれてしまった。つまり…ここからが本番なのだ。
残り5メートル。いかにしてこの距離を詰めるかが焦点だ。この数ヶ月で何度も手を痛め、
その度に美鈴に世話になっていたため、包帯で巻かれた手を押さえながら彼女は考える。
「どうする…………」
考えているうちに、彼女はひとつのことを思い出す。それは美鈴のヒント、『力に頼りすぎるな』。
どういうことだ? 頼りすぎるなとは一体どういうことだろう?
つまり今の自分は力に頼りすぎて、うまく投げられていない、ということだろうか?
いや、そんな事はない。技術は尽くしている。手首も、果ては全身で投げている事もあった。
が、それでも届かないのだ。……つまり、届くための秘訣は他にある。
「他には……あとは、能力くらいしか」
能力…そうだ。これくらいしかない。だが、時間をとめられるだけで飛距離が伸びると言うわけではない。
だが、後考えられるとしたら能力しかない。美鈴も似たような事を言っていた。能力が全てを解決する……と。
「時間…時間をとめる。それはつまり、世界をとめることであって…。
世界をとめるということは、空間を止める……あーーーーーーっ!!! もう!!」
駄目だ、堂々巡りしてしまい、頭がショートしてしまった。
それに仕事の時間帯も近い。今日は美鈴もいない。とりあえず仕事に戻る事にした。
今日の仕事は厨房監督。最近新人メイドが入ってきたため、料理を一緒に作っていく。
新人メイドは、たかが半年前に入った咲夜に対し丁寧にその技を聞いていた。
と、そこで新人メイドはふと口にした。
「あの…中隊長、その髪の毛、料理するときとか邪魔じゃないですか?」
そういえば…と咲夜は思う。考えてみればこの半年間一度しか髪の毛を切っていない。
その時はミリーがやってくれた。が、それも3ヶ月前の事だ。3ヶ月もたてばまた長くなってしまう。
事実、時々この長い髪が鬱陶しくなることもあった。…そろそろ切る頃合だろうか。
「そうね…考えておくわ」
だが今は仕事を優先するべきだ。皿を洗う作業を再開する。本来これは平メイドの役目なのだが、
別段やる事もなかったので咲夜がやっている。新人メイドは夕飯のカレーの材料のジャガイモを向き始めた。
皿を洗い続けていた咲夜は唐突にスポンジに目が行った。握ると当たり前だがつぶれる。
だが力を緩め、手を開くと元の形に戻る。……どんなに力をこめても…形が戻る。
「そうか!! これだ!!」
と、突然咲夜が叫びだしたため、ビクゥと震えた。
「そうか…これなら、いけるかもしれない!! ……あっ」
嬉々しながら声を上げていた彼女も、ようやく周りが不審な目を向けていた事に気付き
コホンと咳をつくと仕事を再開した。
次の日の早朝、彼女はまたあの訓練場に来ていた。謎はすべて解けた。
この考えがあっていれば、全ての問題が片付く。空も飛べるようになるはずだ。
まず時間をとめる。今では、大分体力もつき、苦にはならなくなった。
次に、その時間を止めている空間を狭めていく。目標は肩幅の大きさ。
次第に周りが動き出し……時間が止まっている空間以外の場所は時が動き始めた。
ここまでも比較的楽に出来た。空間を限定して時を止める…理解してしまえば意外と簡単にこなせた。
次に、その空間を圧縮してみる事にした。これが中々難しい。が…何とかできた。
そして気を抜き、一気に戻す。すると爆発的なエネルギーが起こった。
時を止められ、圧縮された時間が暴発したのだ。このエネルギーは咲夜にしか分からない。
分かりやすく説明してしまえば、時間を制御すると言う事は、それに順ずる全てを制御すると言う事。
大まかに言ってしまえば、空間を制御する事になる。時間の流れは川を流れる水のようだ。
時間をとめるということは、その流れを止める事になる。特に空間を限定しての時間停止は
川を止めるようなものだ。では、とめるとどうなるか? 当然せき止めた場所の水量は増加する。
そして、いざそのせき止めたものを解除すればどうなるか? 当然洪水のように一気に流れ出す。
その時に生じるエネルギーは莫大だ。そう…必要なのはこのエネルギーなのだ。
ではこのエネルギーに今までのナイフの投擲力、速度を上乗せすればどうなるか?
言うまでもない、そのエネルギーが付加されより遠くに、より早く、より強く飛んでいくはずだ。
ためしに咲夜はやってみる事にした。ナイフを投げる。このままならば今までどおり飛んで行くだろう。
が、投げた直後にナイフのある空間…正確にはナイフの柄の尻の部分を時間停止。
ナイフも空中で静止した。そして、そのままその空間を圧縮し……開放!
するとどうだろうか…今まで10メートル前後までしか飛ばなかったナイフが
勢い良く飛んでいき的に突き刺さったではないか! ……成功だ。
パチパチパチ
すると突然後ろから拍手が巻き起こった。其処にいたのは……美鈴。
見ていたらしい、笑顔だった。
「おめでとうございます。課題クリアーですね」
「いえ…まだまだ。今のやり方では過程が長すぎます。もっともっとこの過程を短くしないと」
「そうですね。今のでは私だったら簡単に避けられます。でも後は練習あるのみ。頑張りましょう」
「はい!」
美鈴の声に元気良く頷く咲夜だった。
その後、咲夜は恐るべき速度で立ちふさがる難問を乗り越えていった。
一番最初に乗り越えたのは、『飛ぶ』ということ。高い場所に飛ぶときには足の裏の空間を圧縮し
開放する事により、そのエネルギーで飛ぶ。また、空中で停止するときも圧縮し、出来た力場に足を置くという形で
静止できるようになった。今ではレミリアや他の妖怪たちと同じように自在に飛べるようになっている。
次にナイフを何処に収納するか。流石の咲夜も百本を越すナイフを持っていたら危険人物になる。
第一重い。その収納方法が必要になった。そこで考え出したのが、空間圧縮による収納法である。
たんすの様に一つの空間の中に何本かのナイフを仕舞い空間ごと圧縮。
変な話だが、圧縮されたものはどうやら形大きさまでも小さくなるらしく、持ち運びに便利になった。
キューブのように圧縮された空間を何個か持ち運び、戦闘の際には圧縮を解凍しナイフを取り出すという方法を取った。
次にでてきたのが、相手が動くと言う事。今のままではナイフは直線でしか飛ばないため
もし相手が避けてしまえば、それだけで攻撃は失敗してしまう事になる。
つまり飛んでいる間に方向転換が出来るような攻撃の仕方を考えなければならなくなった。
そこで通常空間で能力による圧縮空間を何個か作り、
その解凍の反動で強制的に軌道を変えるという方法を考案した。
ただし、それには大きな問題があった。多重並列思考による咲夜の負担である。
が、既に咲夜はこの使い方を熟知したためか、持ち前の精神力とタフさで乗り越えた。
今では時の止まった世界の中でナイフを好きな場所に設置し、時が動き出したと同時に発射する芸当も
できるようになった。こういった中で彼女は彼女なりに必殺技であるスペルカードを習得した。
こうして咲夜はあっという間に弾幕戦を物にしてしまった。いまや彼女の弾幕は
メイドの中でも随一と呼ばれるまでに至っていた。
そして……咲夜が10歳の誕生日を迎えた日(誕生日は咲夜が紅魔館に連れてこられた日に設定された)
にとあるイベントが行われた。今咲夜は紅魔館正門前中庭にいる。
また彼女のほかにも内部メイド部隊の中隊長がいた。
「全員集まったわね」
紅魔館の扉の前に立っていたレミリアが言う。
「既に知っているとおり、本日付で現メイド長であるミリーが副隊長になる。
今日はこの中から内部メイド部隊の隊長を選ぶわ」
そう…つい先週のこと…内部メイド部隊の副隊長が病で逝った。其処で急遽次の副隊長を選ばねばならなくなった。
が、その時にミリーが突然自分が副隊長になると進言したのだ。理由は…心身共に疲れたための前線離脱。
確かに隊長に比べれば副隊長の方がデスクワークが多くなり、前線に出る回数がかなり減る。
無論隊長も副隊長も激務だが、精神的には副隊長のほうが楽なため、彼女は自ら降格しようとした。
引退しなかったのはレミリアに忠をつくしているから、死ぬまでメイドを辞めないと決めていたからだった。
そこで…各部隊の隊長、副隊長とレミリアを交え、中隊長の中から新たなメイド長を選ぶ事になった。
歴史的瞬間といえよう。何せ今まで隊長は一度も変わらなかったのだから。
「今までの試験…肉弾戦闘試験、家事試験である程度人数は絞り、あなたたちはその中の逸材といえるわ」
そう…今までの紅魔館での働きぶりや、部下の忠誠心、先日行われた2つの試験により
すでに半数以上の中隊長が脱落している。残っているのは咲夜を含む5名のみ。
「そこで最後の試験よ。美鈴」
「はい」
両者の間に美鈴が割ってはいる。
「最後の課題は…『弾幕』よ。近年新たにスペルカードルールが設定され、『弾幕ごっこ』によって物事が解決される
ようになったわ。メイド長は全てのメイドの基本とならねばならない。
故に『弾幕』も使いこなせねばならないわ。そこで…各々の弾幕を駆使し、美鈴を倒しなさい」
どよめきが走る。弾幕が弱点とはいえ、美鈴は強い。第一隊長クラスではないか。
「安心してください。正確には1人ずつ私に挑み、私が提示したスペルカードをブレイク、
そして私に一撃でも加えられたら合格です」
「ついでに言うと、別に美鈴に一撃入れられなくてもいいわ。あなたたちも最近弾幕を覚えたのだしね。
ただし、いつかは美鈴を越えなければならない。メイド長はすべてのメイドの頂点に立つのだから。
私たちはあなたたちが戦闘不能になるまでの戦闘方法を見る。だから存分に戦いなさい」
美鈴の笑顔の宣告にレミリアが付け足す。
「では、はじめるわ」
美鈴が空中に飛ぶ。空で戦わねば紅魔館に被害が出るためだ。
レミリアが名前を呼び、1人ずつ中隊長が空に上がり戦闘を始める。
1人、また1人と脱落していく。ギャラリーは美鈴の放つ弾幕に心を奪われていた。
実際、咲夜もそうだった。様々な色をした弾幕が襲い掛かる。凄く…綺麗だった。
咲夜はくじ引きで大トリを努める事になった。緊張するが…表には出さない。
クールに以降、と心に言い聞かせた。咲夜の前のメイドが負け、地面に落ちた。さあ…次は自分の番だ。
「次、十六夜咲夜」
「はい」
レミリアに呼ばれたと同時に返事をし、空にとんだ。既に4名のメイドと戦ったというのに美鈴は無傷。
苦手ではあっても並より上というのは本当らしい。
「よろしくお願いします」
美鈴こくりと頷くとは一枚のスペルカードを咲夜に見せる。
「では…あなたはこのスペルを抜き、私に攻撃をしてください」
『華符 セネギエラ9』
そう告げるのと同時に夥しい数の弾幕が咲夜に襲い掛かる。先程までのメイドたちの戦闘で見たが、
間近で見るとやはり凄く綺麗だ。そして、恐ろしく早い。
だが…このときの咲夜は恐ろしく冷静だった。これを乗り越えればレミリアの元に辿り着けるからだった。
その夢のためにも…何としても美鈴は倒さねばならない。
「能力もありです。好きなだけ攻撃をしてください」
その弾幕の向こうで美鈴は言う。咲夜は空間を解凍し、ナイフを取り出す。
だが攻撃はまだしない。まずはこの攻撃を避けながら付け入る隙を見つける。
当たりそうな攻撃はナイフを傘にして防御し、また、ナイフで攻撃しながらけん制する。
そして次第に美鈴の弾幕にパターンが見えてきた。
(パターン…なら、その隙を突いて距離を縮めて一気に攻めよう)
ただしそこで考えるべきなのは美鈴のこと。…何時も笑顔でいる分、何を考えているのか分からない。
もしかしたら意図してこのパターンを放っているのかもしれない。どうする? 乗るか、そるか…。
少し考えた結果…咲夜は決めた。どの道後には退けない…突っ込もう…と。
咲夜はまだ若いため、一度に時間をとめられる時間帯が決まっている。
特に、時間をとめる範囲が広ければ広い程その時間帯は短くなる。
そして、今の咲夜と美鈴の距離では、例え時間を止めて攻撃しても有効打は与えられそうにない。
なら…その有効打が入る距離まで行き、一気に仕掛ける。咲夜にはある一つの自信があった。それは…スペルカード。
美鈴は咲夜が弾幕の基礎を出来るようになった後、訓練を見るようなことはしなくなった。
何か問題があれば呼ぶように…とだけ言い、自身は咲夜の訓練内容を見なくなった。
其処がポイント。恐るべきスピードで上達していた咲夜は彼女なりにスペルカードを開発したのだ。
なお、これはまだ誰にも見せていない。…というか完成したのもつい最近なのだ。
ふと、レミリアを見る。期待した眼でこちらを見ていた。…どうやら彼女は咲夜が勝つと思っているようだ。
ならば、その期待に応えねばならない。自身を拾ってくれた館の主人に見せねばならない。
決意…『覚悟』を決めれば、後は容易い。両手にナイフを持ち、避けまくる。
少しずつ近づいていき……範囲に……はいった!! すばやくスペルカードを手にする。
それに気付いたのか、美鈴が驚く顔を見せた。…そういえば彼女の驚く表情を見るのは初めてだ。
「時符『プライベートスクウェア』!」
咲夜以外の全ての時が止まる。そしてそれと同時に持っていた全てのナイフを刃を美鈴に向けてばら撒いた。
彼女以外の時は全て止まっているためそれらのナイフは投げた所定の位置に止まった。
発想は思いのほか簡単な事だった。時が止まっている間、咲夜だけは攻撃可能なのだ。
ならば……その時が止まっている間にナイフを配置しておき、時が動き出したと同時に全開放。
そうすれば一体どうなるだろうか…想像出来ない。
この弾幕…多少のナイフは美鈴の弾幕に弾き飛ばされても、確実に何本かは美鈴に到達する。
そして…この攻撃の最大の利点は、相手は自分が時を止めた間にした行動に気付かないという点だ。
だから美鈴には次の瞬間、こう見えるはずだ。……突然現れた全方位から押し寄せるナイフ群が。
全ての配置が終わった後、彼女は静かに宣言した。
「そして時は…動き出す」
パァッ、と世界に色が戻る。そして美鈴は見た。
自身の周りに突然現れたナイフが全方位から飛んでくる光景を。
「っ!!」
体術と弾幕でそれらを跳ね除けるが……全て裁ききれず……ついに
グサッ
一本、そしてまた一本と身体にナイフが刺さっていく。
「クッ……」
結局攻撃が完全に止んだのはそれから十秒ほど経ってからだ。
勝利条件を手に入れた咲夜は戦闘行為をやめ、ナイフが身体中に刺さっている美鈴と一緒に地上に降りた。
「……流石ね…久しぶりだわ、美鈴がここまで傷を負うのは」
美鈴の体のいたるところに合計8本ものナイフが刺さっていた。あれだけ投げていてたった8本というのには
少々残念だが…結果は咲夜の勝ち。美鈴に一撃入れられたのだから。
「試験は全て終了よ。結果は……いうまでもないか」
咲夜以外の全員が満場一致…レミリアはそう見て取った。
「咲夜、おめでとう。今日からあなたがメイド長よ。これからも誠心誠意、頑張りなさい」
「あ……ありがとうございます」
実を言うと家事試験も肉弾試験も…そして部下たちからの人気投票も咲夜が勝っていた。
はっきり言ってこの『弾幕ごっこ』の試験をしなくても咲夜がメイド長になる事は明白だった。
だが、美鈴が少なからず師事していたし、主人が試験を行うという名目があったため、あえて行った。
結果は…運命をあえて読まなかったレミリアにしては上出来ともいえる結果。
これならば、自分の従者として、紅魔館のメイド長として問題ないと踏んだ。
が、当の本人はまだ試験合格の余韻が冷めないのか、何処かポーッとしている。
それにレミリアは苦笑した後、その場にいた全員に撤収命令をかけた。
周りのメイドたちはガヤガヤと今の『弾幕ごっこ』の感想をいいながら去っていく。
「美鈴、あなたも大丈夫?」
「はい。直に治ります」
「念のため咲夜と一緒に治療してきなさい」
「え? お嬢様……私は」
「…髪」
へ? と思わず自身の髪を見てみると……こげていた。恐らく避けているうちに美鈴の弾幕が当たったのだろう。
「それに、かすっていた部分もあるんだから、治療してきなさい。これは命令よ」
「あ……はい」
「あと、正式な辞令は後日渡すから、暫くは中隊長の任務をこなしてなさい」
「わかりました」
そうして、レミリアは扉を開けた。……が何かを思い出したのか、
「じゃあ、これからよろしくね。新メイド長、十六夜咲夜。完全で瀟洒な従者として、立派に頑張りなさい」
「は……はい!!」
咲夜に向かってニコッと微笑み言った。それに、咲夜は少し眼を赤くして大きな声で返事をしたのだった。
チョキチョキチョキ
そして、その後の舞台は美鈴の部屋。床に新聞紙を敷き、布を首に巻いた咲夜は美鈴に髪を切ってもらっていた。
髪の毛のこげはある意味幸運だったかもしれない。髪を切るいい機会を手に入れたからだ。
ただし…切る人間が美鈴でなければの話。本人は最初断ったのだが、美鈴がお詫びを込めて…
と無理やり切っているのだ。
「ロングも似合うと思いますけど、やっぱり咲夜さんはショートカットの方が似合うと私は思うんですよ」
「そ…そうですか」
チョキチョキと器用に鋏を動かし美鈴は言う。すると突然美鈴は咲夜の頭を小突いた。
「言葉遣い」
「あ…う……そうかしら?」
凄く言いにくそうに咲夜は言葉を敬語から普通の言葉に戻した。
咲夜はメイド長、つまり美鈴の上司になったのだ。美鈴曰く上司は何者にも平等に接しなければならない。
それなのに、かつて世話になったから…だとか、上司だったから、とかで敬語を使っては、
平等ではないし、咲夜が目指している完全で瀟洒な従者にはなれないと言ったのだ。
そのため、咲夜は強制的に言葉を直されているのである。が、何分急な事なのでなれず、
先程から何度も失敗しては小突かれている。
「私は…そうは思いま…思わないけど」
「気付かずは本人だけ。多分皆言ってると思いますよ」
「そ…そう?」
などと、何処かギクシャクした会話が続いていた。
「ねえ…美鈴さ…美鈴。あなたの身体……」
「ああ、これですか? 気にしなくて大丈夫ですよ。私、こう見えても頑丈ですから」
そう言ってエッヘンと胸を張る美鈴の体には至る所に包帯が巻かれている。
血は止まっているらしいが、念のためらしい。
「それよりも何時覚えたんですか? スペルカード…私、基礎までしか教えてなかったのに」
「ええと…何というか……今までのことを思い出して、それで…」
「なるほど……。ところで話は変わりますが咲夜さん。今更ですけど、紅魔館についてどう思います?」
「そうね……私の…居場所。私を『信頼』してくれる皆がいて、私が『信頼』できる皆がいるわ」
「人間の里で暮らそうとは?」
「思わないわ。能力もちだから、疎まれるもの」
「そうですね……」
一度そこで沈黙が降りる。チョキチョキと鋏を動かす音だけが響く。
「そういう美鈴はどうなの?」
「私ですか? …そうですね……面白い場所ではありますね」
「面白い?」
「ええ。友人の言葉なんですけど、世の中面白い事がないと生きていけないそうです。
それを考えると、ここはそんな面白い事を常時与えてくれる場所…ですかね」
「美鈴にとって面白い事って何?」
「そうですね……色々ありますよ。お嬢様たちの成長を見られることも面白いですし、
何より、あなたのような存在が現れますからね」
「…………」
「あ…ちょっと右向いてください」
押さえられた手は力強いもの。咲夜は何も言わず、言われるがままに従う。
「美鈴……ありがとう」
「? 何がです?」
「私を助けてくれた事、私に師事してくれた事、それら全て」
「…………いいんですよ」
それから暫くの間、2人の間に会話はなくなった。そして、暫くして
「完成!」
布をガバッと取り、美鈴は鏡を渡す。咲夜が見てみると…其処にはショートカットの少女が映っていた。
無論、自分だ。ただし、今までロングでポニーテールだったため、自分でも新鮮に思えた。
「ありがとう」
「どういたしまして。あ……そういえば、これ、どうします?」
そう言って美鈴が見せたのは、一本の緑のリボン。老婆からもらってずっと使い続けてきたもの。
「そうね……」
そのリボンと美鈴を見比べた後、彼女はあることを思いついた。
リボンを丁度に当分の長さになるようにナイフで切る。リボンを切ってしまった事に罪悪感を覚えるが、
我慢する。そして、前髪の両サイドを三つ編みにし、リボンでとめた。
「どう?」
「どうって……それ」
そう、美鈴と同じ髪型だ。
「これならリボンも無駄にしないわ。どう思う?」
「そうですね……似合ってます。でもいいんですか? 私と同じ髪型で」
「いいの。私、気に入ってるから」
ニッコリ笑って見せると、美鈴も納得したのか同じように笑う。
そして、突然敬礼の構えを取ると、彼女は言った。
「では、改めて。これからよろしくお願いいたします。咲夜メイド長」
彼女なりの『おめでとう』なのだろう。その何処か不器用なところが面白く咲夜は噴出しそうになるが、
我慢し普段の上司としての自分らしく、腕を組んでいった。
「ええ。これからもよろしく」
◆ ◆
こうして、メイド長十六夜咲夜は完成した。その後、霊夢たちが来るまで彼女は完全で瀟洒な従者として
メイド長の地位を確固たる物にし、部下たちからの『信頼』も更に強固なものにした。
最初は敬語交じりだった喋り方も、少しずつ改善され、今のような喋り方になっている。
弾幕の実力も、今では美鈴を抜いてしまっている。メイド長としての貫禄は完璧なものになっていた。
美鈴との連携もとれてきた。ある日、咲夜がレミリアに
『シフトにもかかわらず美鈴が門に立っていないのはどうだろう』
と、発言した事により、何とレミリア直々の命で美鈴は勤務時間中は門前で立っていることが言い渡された。
本人は勿論断固反対。なにやら相手を『気』で察知できるのだから、別に立ってなくてもいいじゃないか
という理由だった。だが咲夜もレミリアもこの頃になると知っている。
彼女は勤務時間中にもかかわらず、昼寝をしている事に。結局美鈴の意見は却下され、
その次の日から美鈴は門に立つ事が義務付けられた。
そして、話は現代に戻る。
咲夜の仕事が終わったのは、もう夜になった頃。予定よりも大分かかってしまった。
「気晴らしに……お風呂でも入ろうかしら」
大分精神的にまいっている。ならば、いっそのこと風呂に入ってリフレッシュすべきだ。
考え決定したら即行動。やってきました大浴場。
服を脱ぎ、たたんでかごに入れ、浴場に入る。幸い今の時間帯はピーク前のようでメイドたちの姿はない。
「ふう……」
体を洗い、浴槽に入る。とたん一気に体が重くなった。どうやら先程寝てもまだ取れなかった疲れがあるようである。
「風呂は命の洗濯…誰の言葉だったかしら」
今は彼女の貸切だ。故に下手に気を遣わずにゆっくりとできる時間帯。
今日一日のことを思い出してみる。無論、夢の事も含めて。
そして…彼女の一体何処が美鈴を拒絶しているのかが、分かった。
「そっか……私、『信頼』を裏切られた事に怒ってるんだ」
考えてみればおかしな話だ。自分は美鈴に一度も『信頼しろ』などとは言わなかったのだ。
今までの例を考えてそんなことを言わずとも、互いにそういった相互関係が成り立つと勝手に思い込んでいた。
それで今回、美鈴が『信頼』を裏切ったとしても、自分は何も言えないではないか。
自分は一度も美鈴にそういった願いをしていないのだから。
「……やっぱり美鈴は、私のことを『信頼』してくれてないのかしら」
ズキリ、と心が痛む。考えてみれば紅魔館に来て最初の頃、美鈴に助けられたという事実から
自分は美鈴にあこがれていた。それが美鈴と会ったことによって、付き合うことによって『信頼関係』が出来たと
思い込んでいた。……全ては自分の思い込みだったのだ。
「でも……やっぱり…何か嫌」
そう、自分は最初から美鈴に『信頼』されていなかった…ということを考えると嫌な気持ちになる。
勝手な願いだとは分かっているが……他人と付き合う以上、『信頼』したいし、してもらいたい。
そうでないと、こういう職場の関係上、頼る事も出来ない。
「私…一体どうすればいいのかしら」
口にはしているものの、実を言うと既に答えは出ていた。後は、それを実行する勇気と『覚悟』が必要になる。
が…それを拒絶される事が何よりも怖かった。だから、悩む。
その時、運命のいたずらか何かは知らないが……1人、来訪者が現れた。……美鈴だった。
「あ……」
タオルで前を隠している美鈴は咲夜に気付き、難しい顔をしている。
「入りなさいな。あなたに非はないんだし」
大分精神的にまいっているのか、食堂での敵意はなくなっている。
美鈴はそれに従い、体を洗うと浴槽に使った。
「……先に謝っておくわ」
落ち着いたところで咲夜が口を開いた。
「何をです?」
「今日のこと…それにこれまでの事。私はあなたに勝手に『信頼』を押し付けていた。
だから、謝らなければならないわ。人の行動は誰かによって制限されてはならない。
あなたは…あなたなりに考えたんでしょう。だから、本来なら私が怒る事はしてはならない」
「…………」
「ただ……分かってもらいたい。あなたは、私の『信頼』を裏切った、ということだけは」
そう、それだけは確かだ。例え美鈴が咲夜を『信頼』していなかったとしても、咲夜は『信頼』していた。
誰かを『信頼』するのは自由なのだ。それを美鈴は裏切ったという事だけは分かってもらいたかった。
「ねぇ…美鈴」
「はい?」
「…………私は、これから先…あなたを『信頼』してもいいのかしら」
それは最も重要な質問。これに返答してもらわないと、これから先咲夜は美鈴と付き合えなくなる。
美鈴は考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「その質問に答える前に……一つ、昔話をしましょうか」
「?」
「私の、スカーレット家につかる前までの昔話です」
そう言うと美鈴はゆっくりとだが……話し出した。
孤独……そう、孤独だ。誰だって孤独を怖がるものだ。人間も、妖怪もそれは変わらない。
孤独を超越したものは、わずかしかいない。孤独はそれ即ち恐怖の権化の形でもある。
人は孤独に陥ったとき、正常な思考をしなくなる。何かに寄り添おうとする。
それが…『狂気』であったり、破滅であったり……色々とある。
咲夜なら、孤独から脱出するために『信頼』を求めるようになった。では……美鈴は?
吸血鬼になり、世界を放浪し始めた彼女が最初に学んだ事は相手を心の底から『信頼』しないということ。
それは、かつての対人関係で『信頼』から生まれる心の隙を突かれ全てを失ったからだった。
それ以降、彼女は何者に対しても気を許した事はない。何者も決して彼女に心から『信頼』される事はない。
無論、放浪した後も、何度か他人を『信頼』しようとした部分があった。
わずかな希望を求めたのだ。少しでも……繋がりがほしかったのだ。
だが、それらも尽く打ち砕かれた。何時しか名前や風貌を覚えられ、他人に近づく事も出来なくなった。
全てにおいて異端…人間にもなれず、妖怪と断言できず、かといって吸血鬼とも呼べない彼女は
全てにおいて孤立していた。そのため封印されるまでの約1000年間。
彼女は一度たりとも孤独から脱出した事はなかった。誰かとの繋がりも持つこともなかった。
むしろ心から『信頼』したら死ぬとまで自身に言い聞かせたほどだ。
だから例え命の恩人であったとしても、友人であったとしても彼女が心を許す事はなかった。
簡単に言ってしまえば、美鈴は心の底から他人を信用できなくなった。
付き合うにしても必ず裏があると思い込むようになってしまった。いわば、疑心暗鬼というもの。
既に心は冷め切っている。人間不信ともいえなくない。だが、彼女をそうさせたのは間違いなく他人なのだ。
だって彼女は他人に受け入れられようと努力をしたのだから。
彼女は誰かの上に立つということをしなかった。いや…出来なかった。
かつて、フランドールに自分は富も名声も興味が無いといった。それは確かに事実だ。
だが、実のところ、すべては彼女の深層心理が邪魔していた。
疑心暗鬼であり人間不信に陥っている……レミリアのように頭首として君臨する事が怖かったのだ。
それならば、下っ端でも誰かの下で働いた方が大分心が安らいだのだ。
今の彼女は門番隊の隊長だ。だが、それすらも苦痛だった。出来れば平メイドとして働きたかった。
だがそうさせなかったのは、レミリアの父、ランドの存在。彼には恩があった。
長く封印されていたところを助けてもらった恩があった。幾ら彼女でも恩を返さずに消える事は出来ない。
だから、彼の命令には従っていた。レミリアに仕えているのも簡単な理由だ。単にそれが命令だったからだ。
重要な事は美鈴はレミリアに忠誠を誓ってはいない。だから裏切る事も平気で出来たのだ。
ただ…レミリアの成長を好奇心が刺激しているのは事実だ。
其処を考えればレミリアの成長を見たいが為に彼女に仕えているといっても過言ではない。
結局のところ……紅魔館内で、いや全世界で彼女が心を許している存在は……誰もいない。
今で言う門番隊の隊員たちは彼女に絶大な『信頼』を寄せている。それはいい事だ。
しかし美鈴は彼女たちに対して心を完全に打ち解けない、打ち解ける事もない。
悲しい事だ。紅魔館に住み、初めて自分は周りと打ち解ける境遇を手に入れたというのに。
だがそれでも彼女は言い聞かせる。
『その場所が永遠に続く事はない。かならず……崩壊する』
と。どんなに今幸せであろうとも、それが長らく続くことはなく、必ず崩壊する。
それを予期し、彼女はどんなに『信頼』されていようとも心の底まで打ち明ける事はなかった。
むしろ、そういった『信頼』を向けられる事が苦だった。まるで自分が悪者のように見えるから。
そして、そういったものを向けられるメイドたちをまぶしいと思った。
自分の魂は既にどす黒く汚れている。そんな彼女にとって何の気なしに他人を『信頼』できる
者たちはうらやましく、そして雲の上の人のように思えたのだ。
美鈴は永遠に他人を心の底から『信頼』する事はない。自分でもそう言い聞かせているほどだ。
唯一心を完全にではないが、一番開いている人物がいる。似たような孤独を味わった存在…それが八雲紫。
妖怪として破格の力を持っていた彼女は、周りの妖怪から受け入れられず、孤独だった。
だから2人は打ち解けた。だから2人は親友なのだ。何者にも頼る事が出来ない2人は強い絆で結ばれている。
勿論2人は互いに心を完全に打ち明けた事はない。いや…2人に限ってはそうする必要性が無かったのだ。
例え両者が互いに心から『信頼』していなくても、同じ究極の孤独を味わったもの同士付き合えるのだ。
そんな美鈴にとって…いや、紫も含め、最も合わないのが十六夜咲夜だった。
彼女は自分たちが忌み嫌う『信頼』を最も大事にする存在だった。
まさか同じ孤独から、こうも正反対の方向に進むとは……誰も思わなかったのだろう。
はっきり言おう。美鈴と、咲夜は壊滅的に相性が悪いのだ。
「あなたが私を『信頼』するのは別にかまわない。でも、私があなたを心の底から『信頼』する事は未来永劫ない」
話が終わった後、美鈴はそう宣言した。咲夜は黙って聞いている。
「もし先程あなたが謝らなければ、私があなたにあなたの欠点を告げるつもりでした。でも…その必要は無いようですね」
「…………」
悲しい話だ…と咲夜は思う。そして、想像出来なかった。
自分にとって『信頼』は切っても切れない絶対のファクターだ。むしろそれが無ければ自分が存在できない。
だというのに…目の前の女性はそれを最も忌み嫌い、たった一人で今まで生きてきた。
強靭な精神力の賜物だろうが……無論、怯えたこともあるはずだ。
「あなたは…はっきり言って運がいい。たまたまこの紅魔館で、たまたま皆があなたを受け入れてくれたに過ぎない。
あなたは能力を身に付けていたとしても、人間なのだから。種族は変わらない。
だからあなたは館のメイドたちと打ち解けられた。無論、努力もあるでしょうけどね。
でも…それはあくまでも妖怪と、吸血鬼、そして人間の3つが揃っているこの紅魔館だから出来た事。
あなたは紅魔館以外の場所で同じような事をやったとしても……それは決してうまくいかない」
美鈴は断言した。確信を持っていた。咲夜は…本当に運が良かっただけ。多分、他の場所では今頃死んでいる。
「そうね……」
「まぁ…お嬢様はもしかしたら、そういうことを考えて運命を操ってあなたをここに呼び寄せたのかもしれませんけど」
「ありえそうね……あの人なら」
2人して苦笑する。笑いが止んだ後、咲夜は聞く。
「……ねぇ美鈴」
「…なんです?」
「あなたの言いたいことは大体分かった。でも、私は一つだけ聞いておきたいことがある。
これは…私が今後仕事をする上で、一番必要な事。確かめたい事がある。さっきも言った事よ」
「…………」
今まで美鈴の顔を見ずに発言していた咲夜が、初めて美鈴を見つめる。
「私は……あなたを信用してもいいのかしら? あなたはこれから先もこの館で働く事になる。
そして、私はあなたに命令をしたりする立場。なら、私はあなたを『信頼』して命令を下さねばならない。
……『信頼』して…いいの?」
「…………」
これは美鈴との関係を進めていく上で一番必要な事だ。そして…咲夜が一番求める答え。
「……わかりません」
美鈴が…心の底から迷っている。はじめてみる光景だ。
「あいにく、ああいった生き方しかしてこなかったので、信用しろと言われて『はい』と頷く事は出来ません。
でも……唯一ついえることがあります。…それは……心の底からは無理ですが、
私は少なからずは『信頼』しているということです。…無論、裏切った際に支障が出ない程度に」
「…それが聞ければいいわ」
咲夜は安堵のため息をついた。美鈴はそれにきょとんとした顔を向ける。
「……100%の『信頼』を受けていなかったら、私は永遠にあなたを信用しなかった。
でもあなたはこういった。少なからず『信頼』していると。それで十分。
なら私はその少ない『信頼』に最大限の力を持ってこたえてあげる」
「……咲夜さん?」
「それにあなた、何時か私に忠告したわね。…もし私の生き方が否定される事があったらどうするか。
答えは簡単よ。最後の最後まで、私は相手を信じぬく。例え、間違っているのなら最後に直せばいい。
あなたがあなたなりに自分の生き方を通しているのなら、私は私なりにこの生き方を通していくわ。
私はこれからの先、最後まであなたを信じぬく」
「でも…もし未来で私が裏切ったら…どうします?」
「その時はそれ相応の『罰』を与えるわ。それで十分。その人物の生き方を否定する事をしてはいけないもの。
だから……」
そこで一度言葉を区切り、美鈴の手を握る。
「あなたも、私をもっと『信頼』できるようにしなさい。私は…あなたを裏切るような事はしない。
だって……あなたは私の数少ない友人なんだから。今お風呂に入ってるから、
感じ方は変わるけど……私は覚えてる、あなたの優しさ、暖かさを」
そしてその手をゆっくりと自分の頬にあてがっていった。
美鈴は……なぜか、心が温まる感じがした。風呂のせいではない。咲夜の言葉のせいでだ。
「…………分かりました」
ゆっくりと…美鈴は頷く。こんな決意は…久しぶりだった。
「なら…私は、出来る限りあなたを『信頼』できるように、努力してみます」
「ええ。私はその全てを受け止めてあげるわ」
最早最初の頃の怒りは無い。この2人の間にあるのは、今までどおりの雰囲気。
友人としての、上司と部下としての…約束をしたこの2人。
少なくともこれで美鈴は咲夜を裏切るような事はしないだろう。
「さて……そろそろ皆さん来る頃でしょうし、上がりましょうか」
「そうね…そうしましょう」
2人一緒に浴槽から上がる。その際、咲夜はある物を眼にした。
「ねえ美鈴。その傷……」
「ああ、これですか?」
美鈴の腹に2つの円形状の傷跡が出来ていた。
「お嬢様と、妹様の一撃の跡です」
「治さないの?」
「これは…私なりに自分に課した『罰』です。あの事件はたくさんの人に迷惑をかけましたから。
その『罪』と『罰』を決して忘れないように、こうして跡を残してあります」
「痛くないの?」
「ええ、今は」
心配そうに見る咲夜に美鈴は笑顔で応えた。咲夜はそれを聞いて安心したのか、脱衣所に入る前にいった。
「明日からビシバシこき使うわよ。昼寝なんかしてたら、ナイフ刺すからね」
「あ、あはは……お手柔らかにお願いしますよ」
それに、美鈴は苦笑しながら答えるのであった。
次の日から、紅魔館を覆っていた嫌な空気は払拭された。今では美鈴もレミリアも咲夜も普通に暮らしている。
今までどおり魔理沙は侵入してくるし、問題も山積だ。そしてその度に紅魔館門前から悲鳴が耐えない。
美鈴の頭にはナイフが今までどおり刺さる。だが、その痛みを気にせず、彼女は笑っていた。
咲夜も、表情には出さないものの、笑っている。お互い……日常になった事を素直に喜んでいるようだ。
今回の事件で紅魔館は大きく揺れた。…だが、それ以上にフランドールを頂点に皆成長した。
この成長が…この先の未来に、大きく響くのだろう。
だが、彼女たちは気付いていないようだ。彼女たちが望んだのは『普段の日常』なのだから。
だからほら、耳を澄ませばまた聞こえてくる。またいつもの喧騒が………。
「こんの…! 馬鹿美鈴! また門破壊して!!」
「さ、咲夜さ~~ん!! ゆ、許してくださいよ~~!!」
終わり
読み応えがありました。
咲夜さんと美鈴さんの間にはたとえ「信頼」が無いとしても
心に深い「絆」で結ばれてますよ。
次回作も楽しみにしてます。
誰も信頼できない美鈴の生き方は悲しいですけど、
咲夜さんなら信頼できるようになると思います。
10歳でメイド長なら紅魔郷の時も実は若いのかも・・・
気付いたところを少し、
レミリアの成長を見たいが為に彼女は使えている→仕えている の誤字と思われます。
また、門番誕生秘話を参照というところに作品集いくつか書いておくと良いかもしれません。
最近は自分の中の『信頼』なんて言葉ををすっかり忘れていた気がします。しかし人間として他人と暮らしていくには、そこに『信頼』がなければうまくいく筈がないのですね。そんな大事なことを思い出させてくれる作品でした。
このお話を読めたことに感謝しつつ、次回作も楽しみにしています。
一応、浴槽には浸かりましょう
咲夜さんの過去も美鈴と同様に謎ですが、美鈴との違いは彼女が人間である事。(妖怪は一部例外除いて過去に意味ないですし)
そしてスペルカードに(かなり意図的に)出自を匂わせる(想像させる)キーワードが散りばめられている事が挙げられます。
DIO様はネタなので除外するとして。
しかしそんなイメージに一切左右される事なく、ご自分の世界観に相応しい「十六夜咲夜」を活躍させる氏に改めて敬意を表します。
いや本当に、東方にカッコいいキャラなんて本来一人も居ないのですから(ぉ
……で、毎回パターンになってしまっていますが……。
それ故に誤字・脱字が惜しいのです。
慎重に変換すれば気付くであろうケースが大半なだけに、尚更。
長文の宿命なので仕方のない事とは思いますから、
私は「ここが間違ってる」と一つ一つ指摘はしてきませんでしたし、これからもするつもりはありません。
言い出したらキリがないですし、貴方に限った事ではないですから。
もう少しだけ、推敲の時間を。
素晴らしい物語を創り出す貴方への、残り10点分の期待です。