※同作品集『藤原妹紅の幸運の使い道』と関わりがありますが、読んでいなくても問題ないと思います。
星空の下、焼け野原となった竹林で、傍らに眠る妹紅の髪を梳く。
さらさらと流れる髪は、月の光を受けて輝き、まるで銀の河のよう。初めはどうとも思わなかったこの髪も、今では不思議と愛おしく思う。
力を使いすぎて疲れてしまったのだろう。妹紅は気持ちよさそうに眠っている。
この分だとあと一時間は目を覚まさないはずだ。
「ふふ……それまでゆっくりと貴方の寝顔を眺めていられるわけね」
永遠のような、一瞬のような時間。
さて、今日はどうやって過ごそうか。
◇
妹紅と初めて出会ったのはもう千年以上も昔のこと。
あれはまだ、永遠亭に住み始めてから間もない頃だったと思う。
私が夜の散歩を楽しんでいた時、永琳と似た“におい”をさせた妹紅が、永遠亭に張られた結界を破ろうとしていた。
興味はあったが、そのままにしておけば間違いなく結界を破られてしまう。幸いにもこちらの姿は見えていないようだったので、不意を撃って殺したのだ。
私と妹紅の縁は、そこで切れるはずだった。
しかし、どういう訳か次の日にも妹紅は現れた。
まるで昨日のことなど無かったかのように傷一つ無い体で、目には憎しみの光を湛えながら。
後で知ったことだが、彼女は私があの老夫婦にと残した蓬莱の薬を飲んでいたらしい。
それを聞いた時、私は妙に納得したものだ。
ああ、だから彼女は永琳と似た“におい”がしたのか、と。
それからずいぶんと永い間、私たちは殺し合った。死なない者同士、遠慮も手加減も一切無く。
殺すことが楽しくて、殺されることが愉しくて。相手が動けなくなっても自分が動けなくなっても、殺し合いを止めようとはしなかった。
飽きもせず、懲りもせず、それを百年は続けただろうか。
ある日、私は自分の心に楽しさとは別の感情が生まれていることに気づいた。
けれどもそれが何なのか、私には解らなかった。永琳に聞いても困ったように笑うだけ。
結局答えは出ず、胸の内にもやもやしたものを抱えたまま闘いに臨んだ私は、その日、妹紅に傷一つ負わせることなく、負けた。
◇
両腕を折られて仰向けに倒れた私の上に妹紅が馬乗りになっている。足の感覚はない。初めに炎で焼かれて使い物にならなくなっていた。
私に出来ることはもう何もない。あとは殺されるだけだ。
いつもなら悔しがったり、強がってみたりするのだけれど、不思議と何もする気にはなれなかった。
私はただじっと、妹紅の目を見つめていた。
妹紅も負けじと私の目を正面から見返してくる。
しばらく見つめ合って、私は気づいた。
妹紅の私を見る目が、ガラス玉のように見えることに。
憎しみの炎の消え失せた、何も映さない空っぽな目。
百年と殺し合いを続けるうちに、いつしか私は妹紅の変化に敏感になっていたらしい。
ふと思った。
楽しいことにはいずれ飽きが来る。
それなら、人を憎むことにもいずれ終わりが来るのではないか。
そして、妹紅はもう、自身も気づかぬうちに私を憎むことが出来なくなっているのではないか。
だからこんな空っぽな目をして……。
だとすれば、なんて。
「……可哀相な娘」
言葉と共に自然と涙が溢れた。
しかし、涙でぼやける視界はすぐに赤い色で上塗りされていく。妹紅が何か喚きながら私の顔を殴りつけたからだ。
――どうして!
殴られる度に耳障りな音が頭に響く。
けれど、その音を越えて、まるで直接心に響くように妹紅の声は聞こえてくる。
――どうして私がお前に哀れまなきゃならない!
泣きながら、何度も何度も妹紅は私を殴る。
次第に暗くなっていく意識の中で、私は感情の正体に気がついた。
私は愛し、哀れんでいたのだ。
私を憎むことで生きていたこの娘を。
私を憎めなくなってしまった、この悲しい蓬莱の人の形を……。
◇
転生した私は、まず永琳に蓬莱を殺す薬を作るよう命じた。
この薬が完成すれば、妹紅はこれ以上苦しむこともないだろうと思ったからだ。
しかし、私の期待に反して永琳は言った。
「蓬莱の薬によってもたらされる不老不死は、概念で言えば『呪い』そのもの。薬師である私にはどうすることも出来ません。……ただ、それから逃れる方法が一つあります」
そう言って永琳が提案した方法は、生き肝を取り出して誰かに食べさせて『呪い』を移すというもの。
つまり、妹紅の腹を生きたまま切り裂き、取り出した肝を誰かに食べさせろということだ。
私は……何も言うことが出来なかった。
永琳に頼めばやってくれるだろうかと考えもした。
おそらく、やってくれると思う。
永琳は私よりもずっと強い。
きっと妹紅を倒し、その体から不老不死の呪いを取り除いてくれるに違いない。
……でも駄目だ。
そんなことを頼めば、私は永琳を今までと同じように見ることは出来ないだろう。
永琳は大切な従者であり、友人だ。この関係を壊したくはない。
妹紅を助けてやりたいけど、私では力不足。
かといって、今の関係を壊したくないから永琳には頼めない。
あれも欲しい、これも欲しい、でも自分は何一つ捨てたくない。
両手一杯に物を抱えてまだ他の物を欲しがる……なんて子供じみた考えだろう。
結局、何一つ捨てられない私は、やはり何一つ手に入れることも出来ず、不本意な殺し合いの日々を送ることになる。
それもやがては嫌になり、代わりにそこいらで見つけた人間や妖怪を、永遠を餌に刺客として妹紅に差し向けるようになった。
◇
状況が変わったのはそれからしばらくしてからのこと。
私たちが起こした、後に永夜事件と呼ばれる異変で、私は一組の人妖と戦った。
原因は、鈴仙というイナバを連れ戻しに月から使いが来るという話にあった。
その話を鈴仙から聞かされて、私たちは困った。身分のこともあるが、私と永琳は昔、月からの使いを皆殺しにして逃げ出した罪人だ。彼らから見れば、二重の意味で何としても連れ帰らなければならない対象であることは間違いない。
とはいえ、今回も力押しで乗り切ることは可能だと思う。
死人にくちなし。罠に嵌めて皆殺しにしてしまえば、その場は凌げるだろう。
だが、次があったなら? もしも月の民が戦に勝利を収めたとしたら?
鈴仙の同類がいるとなれば、私たちの存在が連中に知られるのは確実だ。それからでは逃げることさえ難しいだろう。
私たちは話し合った末に、月とこの星との唯一の通り道を永琳の秘術によって塞いでしまうことにした。
道がなければ、いかな彼らとてこの星にたどり着くことはない。そして彼らは地上人達との戦いのなかで、一逃亡兵の存在など忘れてしまうはずだ。
永琳の立てた計画は完璧だった。
事実、私たちはなんら妨害を受けることなく計画を実行に移し、安住の地を確保したかに思えた。
――しかし、予想だにしないところから邪魔が入ることになる。
当初全く問題にしていなかった幻想郷の住人たちが動き出したのだ。
私たちの予想を超えて彼女らは強かった。
永遠亭の守りは容易く破られ、私たちは敗北した。
術は解かれ、私たちの目論見は潰えたかに見えた――が、月からの使いは何時になっても現れない。後に酒の席で尋ねると博麗の巫女は言った。
「幻想郷には博麗大結界があるから、外から誰かが入り込むことは出来ない」と。
そんなものなのだろうか。しかし、月から使いが来ない以上、巫女の言うことは真実なのだろう。
この幻想郷にいる限り、月の連中は私たち手出しできない。
何はともあれ、当初の予定通り私たちは平穏を手に入れることが出来た。
そして何より、この幻想郷には、私の予想を超えた強さを持つ存在がいた。
私はおろか、永琳さえ凌駕する力の持ち主……彼女たちならあるいはと、わずかな希望に縋るように、私は言った。
「そんなに暇だったら、今夜の満月の晩、肝試しをしてみない?」と。
◇
結論から言えば、彼女らも妹紅を殺すことはできなかった。如何なる力を持ってしても不老不死の呪いを解くことはできなかったのだ。
また、彼女らは不老不死に興味がないようだった。妹紅を倒しはしても、何食わぬ顔で神社に帰ってきてしまう。
正直な話、それは私を落胆させるには十分な結果だったが……あれから私たちの関係は変わったように――殺し合うだけの日々が終わったように思う。
あの日、永遠亭に戻ると永琳の姿が見えなかった。あとで問い質したところ、どうやら妹紅を始末するために独断で動いたこということだった。
巫女たちとの戦闘で疲れきった妹紅を、邪魔をした半獣ごと殺そうとして、しかし永琳にしては珍しく返り討ちにあったのだそうだ。
永琳の姿の見えないことに嫌なものを感じた私は永遠亭を飛び出し、竹林で瀕死の半獣と、それを庇って妖怪と戦う妹紅を見つけた。
とりあえず助けに入った私に、妹紅は言った。「私はどうなっても構わないから、慧音を助けて」と。
他ならぬ、あれほど憎んでいたはずの私にだ。
それまでの妹紅なら、瀕死の半獣を放り出してでも私に襲いかかって来たかもしれない。
◇
彼女を変えたのはいったい何だったのか?
上白沢慧音という半獣が切っ掛けとなったのは間違いない。
だが、もっと深いところで誰かが関わったこともまた、動かぬ事実だろう。
それは、止まっていた永遠亭の時間を動かした、あの巫女たちだったのか。
それとも……。
まあ、どれでも同じことか。
私がいて、妹紅もいて、そして私たちが殺し合うことはなくなった。
それで十分だろう。
私はそう納得することにしたのだ。少なくとも、今のところは。
「……ん」
傍らに寝る妹紅の、形の良い眉がしかめられる。
何か悪い夢でも見ているのだろうか?
「仕方のない娘ね……」
幼い子にするように、優しく頭を撫でてやる。
するとどうだ。さっきまでが嘘のように、穏やかな寝顔になった。
もしかしたら、私が気を失っているときにも、妹紅は同じことをしているのかもしれない。そんなことを考えると愉快でたまらなかった。
それからしばらく、気持ちよさそうに眠る妹紅の顔を眺めて時間を過ごした。
◇
やがて妹紅が目を覚まし、この幸せな一時は終わりを告げる。
妹紅は寝ぼけ眼であちこち見た後、私の方へと目を向けた。
「おはよう。よく眠れたかしら?」
「……まあ、そこそこには。それから今は夜だぞ」
「あらそう」
それから私たちは特に何をするでもなく、座ったまま並んで月を眺めていた。と言っても、私は初めの数分だけだったけど。
私はすぐに妹紅の横顔を見始めた。
別に大した意味はない。そもそも月を眺めていたのも、なんとなく顔を上げたら月があったというだけのもの。それなら私の好きなものを見た方が良いに決まっている。
「……どこ見てるんだよ」
妹紅は怪訝そうな顔をしてこちらを見た。
「可愛いわね」
「な――」
顔を真っ赤にして、妹紅は口をぱくぱくさせた。
その様子があまりに可笑しくて、私は声を上げて笑った。
月は笑おうが罵ろうが何も返してこない。
でも、妹紅は違う。
笑ったり、怒ったり、見ていて飽きることがないから面白い。
「――帰る!!」
からかわれたと気づいたのか、妹紅は立ち上がると、どすどすとわざとらしく足音を立てながら歩いていった。
まったく大げさなと思いつつも、本当に怒っていたらどうしようという不安はある。
それを抱えたまま、私は小さくなっていく妹紅の後ろ姿を見送っていた。
妹紅はしばらく行くと、私に見えるよう手を上げて合図した。
怒ってないよ、と。
なんだ。からかわれたのはこっちの方だったのか。
安心したら力が抜けた。緊張から解放された体にどっと疲れが押し寄せてくる。座っていることさえ億劫になって、私は地面に寝転がった。
(……ん?)
ふと視線を感じて顔を向けると、妹紅が振り返ってこちらを見ていた。ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。
今度は私が赤くなる番だった。
顔を見られまいと向けた背に、妹紅の笑い声がちくちく刺さる。
詰めを誤ったな。今回は私の勝ちだ。
笑い声はそう言っているように聞こえた。
悔しいけど、今回は私の負けらしい。
まあ、それでもいいか。
いつもいつも勝ってばかりじゃ面白くない。たまには負けて、妹紅にも花を持たせてやらなくては。そんな私の気遣いなんて、鈍感な妹紅は気付かないだろうけど。
私に背を向けて帰っていく妹紅に、声にならない言葉を乗せて小さく手を振る。
じゃあね。また、会いましょう、と。