「なぁ…」
部屋の隅で鍋がこぽこぽと沸いている。
病人食として粥を作るのは久しぶりだった。
「……何よ?」
少し遅れて、返事が返ってくる。キツい口調だが、どこか覇気のない声。
「はぁ…」
「…だから、何よ?」
何度この応酬を繰り返しただろうか。
根負けしたのは自然派魔法使いの方だった。
「なんでよりにもよって、こんな雨の夜に倒れてたんだ?」
ベッドの横にちょこんと置かれた丸イスに座り、霧雨魔理沙は尋ねた。
「よりにもよってこんな雨の夜だから倒れてたんじゃない」
ベッドに臥せっている都会派魔法使いはさも当然とばかりにそう答えた。
「はぁ…」
数刻前、魔理沙は夜の茸採集に出かけた。
連日続く雨のおかげで、魔法の森に群生する茸の生長が早まると踏んだからだ。
生憎と今夜も雨ではあったが、思い立ったが吉日と魔理沙は森へと足を踏み入れた。
「だから、何でそんな体で森を歩き回っていたんだ?時と場所と自分の体を選べって医者に言われなかったのか?」
「う、うるさいわね!そんなこと考えてる余裕がなかったのよっ!……っ!…ゴホッ!ゴホッ!」
体を起こして大声をあげたため、咳き込む都会派魔法使い、アリス・マーガトロイド。
魔理沙が目当ての茸をあらかた採り終えた頃、ふと森の外れに微かな魔力を感じた。
今にも消え入りそうなその力が気になった魔理沙は、魔力の発生源へと向かいそこでアリスを見つけたのだった。
全身ずぶ濡れで倒れていた彼女は魔理沙に家へと担ぎ込まれ、濡れた服を魔理沙の服に着替えさせられたのだ。
「傘もささずに森を歩くなんて無謀もいいところだぜ?この時間の森に何か用があったのか?」
体を起こそうとしたアリスをベッドに寝かしつけ、額に載せた濡れ布巾を交換してやる。
いつものアリスならば魔理沙の手をはね除けるくらいはするのだが、今ではその気力もないようだ。
居心地が悪そうに大人しく魔理沙の介抱を受けている。
魔理沙は掛け布団を整えると、鍋の元に向かう。
その背中に向けてポツリとアリスが話し始めた。
「…人形が…いなくなったの」
計ったかのようなタイミングで、闇夜に降る雨が屋根を一層強く叩き始めた。
「人形って、いつも一緒にいる人形か?」
粥を鍋から漆塗の椀に移しながら魔理沙はアリスに問う。
立ち上る湯気にはしっとりとした甘味が嗅ぎ取れた。
「えぇ、一人だけなんだけどね。あの子だけが…行方不明なの」
魔理沙はあの子とはどの子だろうか、と考えながら鍋を底からかき混ぜる。
その間をアリスが察する。
「私といつもいる子、上海人形のことよ」
「あぁ、あの子、ね」
魔理沙は森で取れた山菜の煮つけを小鉢に添え、アリスの元に運ぶ。
アリスは目線だけを魔理沙に向けて、話し続ける。
「確かに…人形達にはそれぞれ自我があるわ。表情にはあまり出ないけれど、最近では喜怒哀楽も表すようになった。でも、自分からどこかへ出かけるなんてことは考えようもないはず…。だって人形達にとっての世界はあの家の中だけなのだから…」
目蓋を伏せ、溜息をつくアリス。
その様子に黙したまま、魔理沙は持っていた盆を置いてアリスの横に腰掛ける。
腕を組み、何事か思案し始める。
しっとりと流れる沈黙。
天井にぶら下がったランタンがチリチリと部屋を照らす。
雨足は尚も強く、硝子窓に吹き付ける。
目を閉じ、考え込む魔理沙にはいつもの様な破天荒さはなかった。
例えるなら、夜の月。
それも満月ではなく限りなく新月に近い月。
アリスはためらいがちに、魔理沙の手を取る。
「魔理沙、お願い。私の上海人形を探し出して来て欲しいの…ううん、タダでとは言わない。家にある魔導書や実験器具くらいなら構わないから…だから、お願い」
それを聞いた魔理沙は口をへの字に曲げ、少しだけしかめ面をしてアリスに近付く。
そしてアリスの額にそっと手を添えると、
「ま、魔理沙…?」
戸惑うアリスにも構わず、力一杯、でこピンをした。
「!?!」
余りの痛さにベッドに倒れこむアリス。
それを横目で見ながら魔理沙は壁に掛けてある帽子を手に取る。
「痛いじゃない!…何よ、私がこれだけ頼んでるのにまだ足りないって言うの?!」
そこまで言い切ってアリスはまた咳き込む。
魔理沙は溜息をつきながら、外套を羽織る。
「探しに行かない、なんて一言も言ってないぜ?それに、見返りを用意するなんて、アリスらしくもない」
「え?え?」
魔理沙の言っている事がよく分からないアリスはただ困惑の表情を浮かべるのみだった。
「まぁ、そうだな、どうしてもって言うのなら…」
魔理沙はアリスに背を向け、玄関に向かう。
玄関脇の箒を左手に持ち、扉を開ける。
「今にも冷めそうなそこの粥の味見でもしてもらえると……嬉しいぜ?」
ニカッと笑い、魔理沙は夜の森に飛び出して行った。
部屋に残されたアリスはしばらく唖然としていたが、何やら思い出して赤面する。
「な、何よ!魔理沙の癖に!」
どこか照れながら、アリスは粥を口に運ぶ。
「……何よ、結構おいしいじゃない…」
気付けば外の雨は少しだけ、その勢いを弱めた。
雲の切れ間に月が覗き、窓辺にもその光が届き始める。
しとしとと雨が降る夜空をひた飛び続ける魔理沙にとって、今回のことは他人事ではなかった。
直接的に自分と関係があるわけではないが、どこか放っておけない。
アリスも上海人形も、二人まとめて放っておけないと魔理沙は確認した。
加えて、最近のアリスは危なっかしくて、とても見られたものではないし。
だからだろうか、いなくなった上海人形に少し共感を覚えてしまうのは。
森の上空を一通り回り、ある程度の目星をつける。
雨露を凌げる場所は、この森にそう多くはない。
加えて、遠くまで移動できる程の魔力は人形には残されていない。
主人からの魔力供給なしで動き続ければ直ぐに燃料は尽きる。
魔法使いと違って大気中から魔力を汲み出せることができないのだから、どこかで動けずにいるだろう。
悪戯好きの妖精に連れて行かれない限りは、すぐに見つけることができる。
魔理沙は森に降下すると箒を片手に捜索を始めた。
昼間見慣れた森の景色も、時間が違えば別世界に見えてくる。
木々の輪郭も闇にぼやけて、一枚の大きな壁絵と見違うほどだ。
大地に張られた木の根も、今では足を絡めとらんとする罠になっている。
それでも歩き慣れた森であるため、魔理沙の足取りに迷いはない。
アリスも魔理沙もこの魔法の森を住処にしている。
魔理沙は実験で使う材料を手に入れる為に、ほぼ毎日森の散策にでかける。
反して、アリスは滅多に家から出ることはない。
実験で使う薬品もほとんどが出来合いのものだし、天然の物は実験においてイレギュラーな要素を含みやすいという考えからだった。
もっとも理由としては、それのみに尽きるわけではないのだが。
魔理沙は帽子のつばに垂れる雨雫を指で拭い、辺りを見回すと歩みを止める。
獣道を少し外れた草むらにかなり大きい岩、それも不自然なまでに横穴を穿たれた岩が転がっている。
横穴は大人が立つことはできないくらいの大きさで、奥行きもそんなにはない。
中は少し苔むしていて、雨水は溜まっていないがじっとりとした岩肌が露出していた。
その洞に、ぽつんと一体の人形が座っていた。
遠目にそれを見つけた魔理沙は一直線に岩洞に向かう。
そして、間髪入れずに声をかけた。
「お前が上海か?」
「………!」
何回か見かけたことはあっても、一応確認はとっておく。
間違って別の人形を連れてきてしまっては後々面倒になるだろうし。
そんな意図とは露知らず、いきなり声をかけられたことに上海人形は驚いていた。
否、驚いた様に見えた。
アリスは上海人形にある程度の感情と、それを表現するための表情は付加してある。
それでも人間のような微細な機微を獲得したわけではなかった。
それでも魔理沙には上海人形の心を理解することができた。
「あー驚かなくてもいいぜ、私は通りすがりの魔法使いなんだ」
「………?」
上海人形が答える間もなく、魔理沙は帽子を取って身を屈ませる。
「ちょっと横に座らせてもらうよ、っと」
「………」
上海人形の返事を待たず、その横に腰を下ろす。
雨は上がったが、頭上に生い茂る樹木の枝葉から水滴がぽたりぽたりと垂れてくる。
それを避けるには十分な大きさの岩のひさしが洞にはあった。
魔理沙は濡れた帽子をギュッと絞ると、岩壁に立てかけた箒に帽子をのせる。
その一挙手一投足を上海人形は見つめていたが、魔理沙は無言のままそれに応じた。
しばしの沈黙の後、魔理沙が話を切り出した。
「……アリスがさ、お前のことを連れてこいってさ」
「………!」
魔理沙とアリスの関係を知らない上海人形はそこで初めて、この魔法使いの少女がここへ来た理由を知る。
そして、そおっと魔理沙との距離を離そうとする。
だが、それに気付いた魔理沙は上海人形の服の裾をつまむ。
「あーこらこら、逃げなくてもいいから。ちょっとだけ話をしようぜ?それならいいだろ?」
「………?」
最初は逃げる姿勢を見せていた上海人形も、逃げられないと観念したのか大人しくなる。
魔理沙はよしよしと、つまんでいた手を離す。
「上海。お前なんでアリスに黙って出て行ったんだ?アリスはお前の創造主だろう?」
「………」
黙する上海人形を咎めもせずに、魔理沙は続ける。
「人形は創造主の力無しで長い時間は一人歩きできやしないって聞いたぜ。こんな雨の夜、しかも魔法の森の外れだ。散歩…ってわけじゃないよなぁ」
「………」
傍目に見れば魔理沙の独り言にしか聞こえない。
一呼吸置いて、魔理沙は核心を突いた。
「これは…私の勘なんだが、もしかしてアリスに言いたいことがあったんじゃないか?」
「………!」
ビクッと小さな体を震わせ、魔理沙の方を見る。
ここで初めて上海人形が反応を見せる。
魔理沙はやはりな、と内心思った。
言いたいことがあるのは自分も同じだった。
当て推量ではなく、確信あってのことだった。
「まあ、あのアリスがすんなりと人、じゃなくて人形の話を聞くとは思わないけどな」
内心、どっちも変わらない気もするぜ、と思う魔理沙だったが。
「それで?何てアリスに言ってやりたかったんだ?」
魔理沙は、ん?と上海人形に先を促す。
最初は言おうか言うまいか逡巡していた上海人形だが、やがて意を決したように魔理沙に向き直る。
「………、………!……、………。………、………」
上海は小さな手をちぎれんばかりに振り、必死に伝えようとしていた。
人形故に言葉にして伝えることはできなかったが、マリサはその一言一言を理解し、その度に頷いた。
「そうか、お前はアリスに戦って欲しくなかったんだな…」
それは魔理沙にとっても、かねてからアリスに願うことであった。
勿論、そのことを口に出したことはない。出してはいけないと思っているからだ。
ただ、アリスの傍にいつもいる上海人形にとって、それはできない相談だったのだろう。
魔理沙は上海人形の言葉を反芻するように、優しく言い聞かせる。
「アリスは友達が少ないんだ、上海。人間だって、妖怪だって、もちろん人形だって独りってのは寂しいもんなんだ。それでも何事にも強気で、決して他人に弱みを見せないあいつは、いつもその孤独に耐えているはずなんだよ」
雨雲が立ち消えた夜空を見上げて、魔理沙は嘆息する。
空には満天の星が輝き、その星明りが森を照らしている。
「アリスは…困ったことに自分を偽ることだけは達者なんだよなぁ。私はその点不器用だからな、想いは全て弾幕に変えてしまう性格だ」
少し照れた様に頬をぽりぽりと掻く魔理沙。
その表情をじっと見つめる上海人形。
見つめ返す魔理沙の顔つきがすっと変わる。
それこそ満月が一瞬にして新月へと欠けていくように。
「戦い続ける限り、アイツは孤独じゃないんだ。だってそうだろう?戦いってのは一人じゃ絶対にできないんだから。あのアリスは戦いに勝利を求めていない。求めているのはいつだって孤独を癒すことだけだったんだ。だから決して戦いの中で本気は出さない。本気を出して、何も返って来なかったら辛いから。手持ちの金貨を全額賭けてしまったら、そしてもしその賭けに敗れてしまったら。もう後には何も残らない。……だから、残念な話ではあるけれど……アリス・マーガトロイドから戦いは取り上げられないんだ」
「………」
その言葉にうつむく上海人形。頭を垂れたその姿はまさに人形の姿そのものだった。
困った顔をして魔理沙は上海人形を抱き上げ、膝に乗せる。
「でもな、上海」
「………?」
「お前にだってやれることはあるんだぜ?」
ゆっくりと振り向く上海人形。
その動きは不自然なほどゆっくりだった。
首の動きだけでなく、少しずつ全ての動作が緩慢になっていく上海人形。
アリスから与えられた魔力が尽きようとしているのだった。
魔理沙は今まさに動きを止めようとしている人形に語りかける。
その頭に手をのせて、魔理沙は小さく、しかし力強く言葉を発した。
「だからな、上海──────────────」
ゴウっという音と共に強い風が吹く。
森を薙いだその風で、動かなくなった人形はふわりと宙を舞う。
そのまま地面に落ちる前に、魔理沙はそっと人形を手で受け止めた。
今はもう動かない上海人形。
風に掻き消された魔理沙の言葉は、きっと彼女に届いていた。
某刻、紅魔館。
アリス・マーガトロイドは館の主と戦っていた。
巨大な食堂での戦闘はかれこれ小一時間は続き、辺りは廃墟と化していた。
戦況はアリスが若干、劣勢。
持てる人形を片っ端から焼き払われ、残る人形も劣化が激しかった。
館の主も満身創痍、にも関わらずここ一番の大技を繰り出そうとしてくる。
館の主は距離を取り、右手を高々と掲げると一瞬にして魔力を練り上げる。
虚を突かれたアリスが上海人形を突進させる。
紅い魔力の奔流が、主の右手に集束し、槍の形を形成する。
槍の矛先は確実に上海人形を捉えていた。
上海人形が肉迫するには、圧倒的に時間が足りない。
そう判断させたアリスは次なる指示を人形に下す。
「避けなさいっ!上海人形っ!」
アリスの言葉は確かな命令として、上海人形に伝わる。
「遅いっ!」
館の主は乾坤一擲とばかりに、紅蓮の槍を投擲する。
その槍は螺旋を描き、運命すら断絶する紅の光をほとばしらせながら上海人形へと突き進む。
しかし、上海人形は避けなかった。
あの日、雨降る暗い森で出遭った一人の魔法使い。
彼女が最後に送った言葉、贈った物に全てを賭けるために。
『だからな、上海。お前がアリスを守ってやるんだ。戦い続ける馬鹿な創造主を、そしてその創造主が恐れる孤独から、な!これは約束だぜ?幻想郷で三番目くらいに怖い魔法使いとの約束だ。魔法使いとの約束は、破ったら後が怖いぜ!』
迫り来る赤い槍から主を守る為、その小さな身体に魔力をみなぎらせ、最高速度で迫撃する。
あらゆる運命を突き破る紅蓮の槍がうなりを上げて上海人形に衝突する。
力と力のぶつかり合い。刹那に爆散する、赤い雷。
その一部が衝撃波となって、床を壁を天井を、その全てを掘削していく。
館の調度品は粉々になって飛散し、絢爛豪華な絵画や彫刻も容赦なく破壊される。
力の奔流に飲まれた二人はその場で耐えるのが精一杯だった。
「っ?!」
「上海っ?!」
槍を投擲した館の主も、アリスも驚愕する。
最大密度の弾幕の槍と、最大密度の魔力を込めた人形。
相殺必至の状況で。
まさか、その片方が残りうるなんてことに。
「……上海、貴方……何を?」
煤けた人形服の下から、ゴソゴソと不器用に人形は取り出した。
あの日、白と黒の魔法使いに託された、八卦炉を。
それがあの夜に交わした、霧雨魔理沙と上海人形との約束の証だった。
部屋の隅で鍋がこぽこぽと沸いている。
病人食として粥を作るのは久しぶりだった。
「……何よ?」
少し遅れて、返事が返ってくる。キツい口調だが、どこか覇気のない声。
「はぁ…」
「…だから、何よ?」
何度この応酬を繰り返しただろうか。
根負けしたのは自然派魔法使いの方だった。
「なんでよりにもよって、こんな雨の夜に倒れてたんだ?」
ベッドの横にちょこんと置かれた丸イスに座り、霧雨魔理沙は尋ねた。
「よりにもよってこんな雨の夜だから倒れてたんじゃない」
ベッドに臥せっている都会派魔法使いはさも当然とばかりにそう答えた。
「はぁ…」
数刻前、魔理沙は夜の茸採集に出かけた。
連日続く雨のおかげで、魔法の森に群生する茸の生長が早まると踏んだからだ。
生憎と今夜も雨ではあったが、思い立ったが吉日と魔理沙は森へと足を踏み入れた。
「だから、何でそんな体で森を歩き回っていたんだ?時と場所と自分の体を選べって医者に言われなかったのか?」
「う、うるさいわね!そんなこと考えてる余裕がなかったのよっ!……っ!…ゴホッ!ゴホッ!」
体を起こして大声をあげたため、咳き込む都会派魔法使い、アリス・マーガトロイド。
魔理沙が目当ての茸をあらかた採り終えた頃、ふと森の外れに微かな魔力を感じた。
今にも消え入りそうなその力が気になった魔理沙は、魔力の発生源へと向かいそこでアリスを見つけたのだった。
全身ずぶ濡れで倒れていた彼女は魔理沙に家へと担ぎ込まれ、濡れた服を魔理沙の服に着替えさせられたのだ。
「傘もささずに森を歩くなんて無謀もいいところだぜ?この時間の森に何か用があったのか?」
体を起こそうとしたアリスをベッドに寝かしつけ、額に載せた濡れ布巾を交換してやる。
いつものアリスならば魔理沙の手をはね除けるくらいはするのだが、今ではその気力もないようだ。
居心地が悪そうに大人しく魔理沙の介抱を受けている。
魔理沙は掛け布団を整えると、鍋の元に向かう。
その背中に向けてポツリとアリスが話し始めた。
「…人形が…いなくなったの」
計ったかのようなタイミングで、闇夜に降る雨が屋根を一層強く叩き始めた。
「人形って、いつも一緒にいる人形か?」
粥を鍋から漆塗の椀に移しながら魔理沙はアリスに問う。
立ち上る湯気にはしっとりとした甘味が嗅ぎ取れた。
「えぇ、一人だけなんだけどね。あの子だけが…行方不明なの」
魔理沙はあの子とはどの子だろうか、と考えながら鍋を底からかき混ぜる。
その間をアリスが察する。
「私といつもいる子、上海人形のことよ」
「あぁ、あの子、ね」
魔理沙は森で取れた山菜の煮つけを小鉢に添え、アリスの元に運ぶ。
アリスは目線だけを魔理沙に向けて、話し続ける。
「確かに…人形達にはそれぞれ自我があるわ。表情にはあまり出ないけれど、最近では喜怒哀楽も表すようになった。でも、自分からどこかへ出かけるなんてことは考えようもないはず…。だって人形達にとっての世界はあの家の中だけなのだから…」
目蓋を伏せ、溜息をつくアリス。
その様子に黙したまま、魔理沙は持っていた盆を置いてアリスの横に腰掛ける。
腕を組み、何事か思案し始める。
しっとりと流れる沈黙。
天井にぶら下がったランタンがチリチリと部屋を照らす。
雨足は尚も強く、硝子窓に吹き付ける。
目を閉じ、考え込む魔理沙にはいつもの様な破天荒さはなかった。
例えるなら、夜の月。
それも満月ではなく限りなく新月に近い月。
アリスはためらいがちに、魔理沙の手を取る。
「魔理沙、お願い。私の上海人形を探し出して来て欲しいの…ううん、タダでとは言わない。家にある魔導書や実験器具くらいなら構わないから…だから、お願い」
それを聞いた魔理沙は口をへの字に曲げ、少しだけしかめ面をしてアリスに近付く。
そしてアリスの額にそっと手を添えると、
「ま、魔理沙…?」
戸惑うアリスにも構わず、力一杯、でこピンをした。
「!?!」
余りの痛さにベッドに倒れこむアリス。
それを横目で見ながら魔理沙は壁に掛けてある帽子を手に取る。
「痛いじゃない!…何よ、私がこれだけ頼んでるのにまだ足りないって言うの?!」
そこまで言い切ってアリスはまた咳き込む。
魔理沙は溜息をつきながら、外套を羽織る。
「探しに行かない、なんて一言も言ってないぜ?それに、見返りを用意するなんて、アリスらしくもない」
「え?え?」
魔理沙の言っている事がよく分からないアリスはただ困惑の表情を浮かべるのみだった。
「まぁ、そうだな、どうしてもって言うのなら…」
魔理沙はアリスに背を向け、玄関に向かう。
玄関脇の箒を左手に持ち、扉を開ける。
「今にも冷めそうなそこの粥の味見でもしてもらえると……嬉しいぜ?」
ニカッと笑い、魔理沙は夜の森に飛び出して行った。
部屋に残されたアリスはしばらく唖然としていたが、何やら思い出して赤面する。
「な、何よ!魔理沙の癖に!」
どこか照れながら、アリスは粥を口に運ぶ。
「……何よ、結構おいしいじゃない…」
気付けば外の雨は少しだけ、その勢いを弱めた。
雲の切れ間に月が覗き、窓辺にもその光が届き始める。
しとしとと雨が降る夜空をひた飛び続ける魔理沙にとって、今回のことは他人事ではなかった。
直接的に自分と関係があるわけではないが、どこか放っておけない。
アリスも上海人形も、二人まとめて放っておけないと魔理沙は確認した。
加えて、最近のアリスは危なっかしくて、とても見られたものではないし。
だからだろうか、いなくなった上海人形に少し共感を覚えてしまうのは。
森の上空を一通り回り、ある程度の目星をつける。
雨露を凌げる場所は、この森にそう多くはない。
加えて、遠くまで移動できる程の魔力は人形には残されていない。
主人からの魔力供給なしで動き続ければ直ぐに燃料は尽きる。
魔法使いと違って大気中から魔力を汲み出せることができないのだから、どこかで動けずにいるだろう。
悪戯好きの妖精に連れて行かれない限りは、すぐに見つけることができる。
魔理沙は森に降下すると箒を片手に捜索を始めた。
昼間見慣れた森の景色も、時間が違えば別世界に見えてくる。
木々の輪郭も闇にぼやけて、一枚の大きな壁絵と見違うほどだ。
大地に張られた木の根も、今では足を絡めとらんとする罠になっている。
それでも歩き慣れた森であるため、魔理沙の足取りに迷いはない。
アリスも魔理沙もこの魔法の森を住処にしている。
魔理沙は実験で使う材料を手に入れる為に、ほぼ毎日森の散策にでかける。
反して、アリスは滅多に家から出ることはない。
実験で使う薬品もほとんどが出来合いのものだし、天然の物は実験においてイレギュラーな要素を含みやすいという考えからだった。
もっとも理由としては、それのみに尽きるわけではないのだが。
魔理沙は帽子のつばに垂れる雨雫を指で拭い、辺りを見回すと歩みを止める。
獣道を少し外れた草むらにかなり大きい岩、それも不自然なまでに横穴を穿たれた岩が転がっている。
横穴は大人が立つことはできないくらいの大きさで、奥行きもそんなにはない。
中は少し苔むしていて、雨水は溜まっていないがじっとりとした岩肌が露出していた。
その洞に、ぽつんと一体の人形が座っていた。
遠目にそれを見つけた魔理沙は一直線に岩洞に向かう。
そして、間髪入れずに声をかけた。
「お前が上海か?」
「………!」
何回か見かけたことはあっても、一応確認はとっておく。
間違って別の人形を連れてきてしまっては後々面倒になるだろうし。
そんな意図とは露知らず、いきなり声をかけられたことに上海人形は驚いていた。
否、驚いた様に見えた。
アリスは上海人形にある程度の感情と、それを表現するための表情は付加してある。
それでも人間のような微細な機微を獲得したわけではなかった。
それでも魔理沙には上海人形の心を理解することができた。
「あー驚かなくてもいいぜ、私は通りすがりの魔法使いなんだ」
「………?」
上海人形が答える間もなく、魔理沙は帽子を取って身を屈ませる。
「ちょっと横に座らせてもらうよ、っと」
「………」
上海人形の返事を待たず、その横に腰を下ろす。
雨は上がったが、頭上に生い茂る樹木の枝葉から水滴がぽたりぽたりと垂れてくる。
それを避けるには十分な大きさの岩のひさしが洞にはあった。
魔理沙は濡れた帽子をギュッと絞ると、岩壁に立てかけた箒に帽子をのせる。
その一挙手一投足を上海人形は見つめていたが、魔理沙は無言のままそれに応じた。
しばしの沈黙の後、魔理沙が話を切り出した。
「……アリスがさ、お前のことを連れてこいってさ」
「………!」
魔理沙とアリスの関係を知らない上海人形はそこで初めて、この魔法使いの少女がここへ来た理由を知る。
そして、そおっと魔理沙との距離を離そうとする。
だが、それに気付いた魔理沙は上海人形の服の裾をつまむ。
「あーこらこら、逃げなくてもいいから。ちょっとだけ話をしようぜ?それならいいだろ?」
「………?」
最初は逃げる姿勢を見せていた上海人形も、逃げられないと観念したのか大人しくなる。
魔理沙はよしよしと、つまんでいた手を離す。
「上海。お前なんでアリスに黙って出て行ったんだ?アリスはお前の創造主だろう?」
「………」
黙する上海人形を咎めもせずに、魔理沙は続ける。
「人形は創造主の力無しで長い時間は一人歩きできやしないって聞いたぜ。こんな雨の夜、しかも魔法の森の外れだ。散歩…ってわけじゃないよなぁ」
「………」
傍目に見れば魔理沙の独り言にしか聞こえない。
一呼吸置いて、魔理沙は核心を突いた。
「これは…私の勘なんだが、もしかしてアリスに言いたいことがあったんじゃないか?」
「………!」
ビクッと小さな体を震わせ、魔理沙の方を見る。
ここで初めて上海人形が反応を見せる。
魔理沙はやはりな、と内心思った。
言いたいことがあるのは自分も同じだった。
当て推量ではなく、確信あってのことだった。
「まあ、あのアリスがすんなりと人、じゃなくて人形の話を聞くとは思わないけどな」
内心、どっちも変わらない気もするぜ、と思う魔理沙だったが。
「それで?何てアリスに言ってやりたかったんだ?」
魔理沙は、ん?と上海人形に先を促す。
最初は言おうか言うまいか逡巡していた上海人形だが、やがて意を決したように魔理沙に向き直る。
「………、………!……、………。………、………」
上海は小さな手をちぎれんばかりに振り、必死に伝えようとしていた。
人形故に言葉にして伝えることはできなかったが、マリサはその一言一言を理解し、その度に頷いた。
「そうか、お前はアリスに戦って欲しくなかったんだな…」
それは魔理沙にとっても、かねてからアリスに願うことであった。
勿論、そのことを口に出したことはない。出してはいけないと思っているからだ。
ただ、アリスの傍にいつもいる上海人形にとって、それはできない相談だったのだろう。
魔理沙は上海人形の言葉を反芻するように、優しく言い聞かせる。
「アリスは友達が少ないんだ、上海。人間だって、妖怪だって、もちろん人形だって独りってのは寂しいもんなんだ。それでも何事にも強気で、決して他人に弱みを見せないあいつは、いつもその孤独に耐えているはずなんだよ」
雨雲が立ち消えた夜空を見上げて、魔理沙は嘆息する。
空には満天の星が輝き、その星明りが森を照らしている。
「アリスは…困ったことに自分を偽ることだけは達者なんだよなぁ。私はその点不器用だからな、想いは全て弾幕に変えてしまう性格だ」
少し照れた様に頬をぽりぽりと掻く魔理沙。
その表情をじっと見つめる上海人形。
見つめ返す魔理沙の顔つきがすっと変わる。
それこそ満月が一瞬にして新月へと欠けていくように。
「戦い続ける限り、アイツは孤独じゃないんだ。だってそうだろう?戦いってのは一人じゃ絶対にできないんだから。あのアリスは戦いに勝利を求めていない。求めているのはいつだって孤独を癒すことだけだったんだ。だから決して戦いの中で本気は出さない。本気を出して、何も返って来なかったら辛いから。手持ちの金貨を全額賭けてしまったら、そしてもしその賭けに敗れてしまったら。もう後には何も残らない。……だから、残念な話ではあるけれど……アリス・マーガトロイドから戦いは取り上げられないんだ」
「………」
その言葉にうつむく上海人形。頭を垂れたその姿はまさに人形の姿そのものだった。
困った顔をして魔理沙は上海人形を抱き上げ、膝に乗せる。
「でもな、上海」
「………?」
「お前にだってやれることはあるんだぜ?」
ゆっくりと振り向く上海人形。
その動きは不自然なほどゆっくりだった。
首の動きだけでなく、少しずつ全ての動作が緩慢になっていく上海人形。
アリスから与えられた魔力が尽きようとしているのだった。
魔理沙は今まさに動きを止めようとしている人形に語りかける。
その頭に手をのせて、魔理沙は小さく、しかし力強く言葉を発した。
「だからな、上海──────────────」
ゴウっという音と共に強い風が吹く。
森を薙いだその風で、動かなくなった人形はふわりと宙を舞う。
そのまま地面に落ちる前に、魔理沙はそっと人形を手で受け止めた。
今はもう動かない上海人形。
風に掻き消された魔理沙の言葉は、きっと彼女に届いていた。
某刻、紅魔館。
アリス・マーガトロイドは館の主と戦っていた。
巨大な食堂での戦闘はかれこれ小一時間は続き、辺りは廃墟と化していた。
戦況はアリスが若干、劣勢。
持てる人形を片っ端から焼き払われ、残る人形も劣化が激しかった。
館の主も満身創痍、にも関わらずここ一番の大技を繰り出そうとしてくる。
館の主は距離を取り、右手を高々と掲げると一瞬にして魔力を練り上げる。
虚を突かれたアリスが上海人形を突進させる。
紅い魔力の奔流が、主の右手に集束し、槍の形を形成する。
槍の矛先は確実に上海人形を捉えていた。
上海人形が肉迫するには、圧倒的に時間が足りない。
そう判断させたアリスは次なる指示を人形に下す。
「避けなさいっ!上海人形っ!」
アリスの言葉は確かな命令として、上海人形に伝わる。
「遅いっ!」
館の主は乾坤一擲とばかりに、紅蓮の槍を投擲する。
その槍は螺旋を描き、運命すら断絶する紅の光をほとばしらせながら上海人形へと突き進む。
しかし、上海人形は避けなかった。
あの日、雨降る暗い森で出遭った一人の魔法使い。
彼女が最後に送った言葉、贈った物に全てを賭けるために。
『だからな、上海。お前がアリスを守ってやるんだ。戦い続ける馬鹿な創造主を、そしてその創造主が恐れる孤独から、な!これは約束だぜ?幻想郷で三番目くらいに怖い魔法使いとの約束だ。魔法使いとの約束は、破ったら後が怖いぜ!』
迫り来る赤い槍から主を守る為、その小さな身体に魔力をみなぎらせ、最高速度で迫撃する。
あらゆる運命を突き破る紅蓮の槍がうなりを上げて上海人形に衝突する。
力と力のぶつかり合い。刹那に爆散する、赤い雷。
その一部が衝撃波となって、床を壁を天井を、その全てを掘削していく。
館の調度品は粉々になって飛散し、絢爛豪華な絵画や彫刻も容赦なく破壊される。
力の奔流に飲まれた二人はその場で耐えるのが精一杯だった。
「っ?!」
「上海っ?!」
槍を投擲した館の主も、アリスも驚愕する。
最大密度の弾幕の槍と、最大密度の魔力を込めた人形。
相殺必至の状況で。
まさか、その片方が残りうるなんてことに。
「……上海、貴方……何を?」
煤けた人形服の下から、ゴソゴソと不器用に人形は取り出した。
あの日、白と黒の魔法使いに託された、八卦炉を。
それがあの夜に交わした、霧雨魔理沙と上海人形との約束の証だった。
面白かったです。面白かったんだけど、もうちょっと読みたかったような。
サッパリとまとまっているので、これ以上の文章を求めるのも変かも知れませんが。
あとは…何故紅魔館食堂でレミリアと?
アリス(上海人形)の(想いの)強さを表す上で、強敵相手が良かったのかもですが、
読んだとき、疑問に思ってしまったので。
これは王道ですね!すごくよかったです!
ただ、文がちょっと密集してて読みづらいと感じました。
台詞や段落で区切ればもっと読みやすくなると思います。
でも、読み応え十分のいい作品でした!次も期待しています!
ただ八卦炉が唐突なきがしました。上海八卦炉?むしろそれは出して見せるよりも服の中で大事に抱えていた、とかのが良かった気が・・・