それはお嬢様から聞いたお話し。
西行妖という桜を何者かが封印し、結界を成しているというお話し。
お伽話の一つで、屋敷書庫の書物にそう書かれているもの。
そのお話し曰く、『春』を集め、西行妖を満開にすることが封印を解くのに必要とのこと。
そしてお嬢様の命により、白玉楼の『春』を全て集めた。
しかし僅かに足りないのか、西行妖の発動には至らない。
そこへ運良く、僅かな『春』を手にした者が白玉楼へ侵入してきた。
「そこをどいてくれないかしら?」
巫女姿をした少女がそう言って獲物を構えていた。
一体何の権利を以ってこの巫女は邪魔をするというのだろうか。
「その僅かな春を置いて、消えなさい」
「……集めればいいことがあるわけ?」
「西行妖が発動し、何者かが復活する。そのためよ」
「何かわからないものは復活させないほうがいいに決まってるじゃない」
巫女の行進は止まらない。口で言ってわからないなら、力でわからせるしかない。
柄を触れ、楼観剣を抜いた。巫女が棒を振る。それが決闘の始まりだった。
しかし巫女は強い。勝ち目がなかった。
如何なる妖術を使い、技を駆使し、どれだけの弾幕を張ろうとも巫女は倒れない。
むしろ相手は大した技も使っていないはず。なのに、負かされた。
力を欠いて地面に墜落。
巫女はわたしなど初めから眼中になかったように、屋敷へと向かった。
悔しい。お嬢様の力になれない自分の弱さに悔しい。
だが自分の命はまだある。力を振り絞ればまだ戦える。
再び巫女の前に立ちはだかる。
「あんたなんかに、お嬢様の邪魔はさせない。たとえここで倒れても、一矢報いてやる。そしてお前なんかお嬢様に殺されてしまえばいいんだ」
「そっちが死んでも知らないわよ?」
「わたしの命より、お嬢様の命よ!お前なんかに、お前みたいなやつに──お嬢様の元へなど、通させはしない!」
もう後はない。ここで斃れればお嬢様の手を煩わせることになる。
楼観剣、白楼剣を構えて巫女を睨んだ。
相手は苛立った表情で、遠くを見据えている。やはり、わたしなんかただの邪魔者であるように。
これ以上自分の力にも、時間にも猶予はない。
全ての技を振るった。限りある術を使い果たした。
奥義、妖術、秘術、秘奥義、いかなる符を以ってして、幾千の業を使っても。
それでも敵は倒れない。怯みさえしない。
むしろわたしが怯んだ隙を突かれ、巫女の凶弾に吹き飛ばされる。
桜の幹に打ち付けられた。その背にある桜こそ、西行妖。
あと僅か。残り少し。微かの『春』で。
満開になるというのに。
もう体は動かない。剣を取る握力も出ない。立つための脚力さえ沸かない。
最早これまでだった。
桜吹雪の中で、遠くからあの方がやってきた。お嬢様だ。
「ごめん、なさい。力が及ばなくて……」
「妖夢。あなたは十分働いてくれたわ、ありがとう。あなたは少し、休みなさい」
頭に手を置いて、撫でてくださった。
良かった。嬉しい。少しでも、自分の仕事を認めてもらえた。
お嬢様の祝福を抱いて、少し休むことにする。
次に目を覚ませば──西行妖が満開になりますように。
目を瞑っていても、巫女とお嬢様の闘いの激しさは音で伝わった。
少しあけてみれば、あの巫女が押されている状態だった。
さすがは幽々子様。わたしなどでは及ばないほどの力。
幽々子様の体から放たれる光の蝶々。それは襲いかかること荒波の如し。
巫女の弾幕が押し込まれ、とうとう敵は倒れた。
敵の『春』を手にした幽々子様は両手を掲げた。
その『春』を取り込んだ桜はとうとう、満開となる。
足を踏ん張り、お嬢様の元へ駆けつけた。
「お怪我はありませんか?」
「怪我もなにも、もう死んでる身だから何ともいえないわねえ」
大事には至っていないようである。
墨染の桜が動く。つぼみが開く。
念願の──西行妖が発動した。
「さすがです、お嬢様!」
「あなたのおかげよ、妖夢。本当にがんばったわ」
力強く枝を伸ばし、淡い桃色の花を見せる桜。
そして桜の根元から、何者かが現れた。
後ろを見ると、満身創痍の巫女が立っている。まだ息があるとは大したものだ。
「あら?」
お嬢様が感嘆を漏らした。それもそのはず。
復活した何者かは幽々子様と瓜二つなのだから。
復活した者の微笑みから、幽々子様と同じ博愛さが感じられた。
「ここはどこ? 私にそっくりな貴女は誰?」
復活した、そっくりな幽々子様が喋る。幽々子様がそっくりな方に触れようとする。
本物の幽々子様が答えようとしたとき、異変が起こった。
幽々子様の体が、透けていく。消えていく。まさか──
「まさか、その桜が……その幽霊を封印していたなんてね」
足を引きずる巫女が、代弁した。
ようやく察しがついく。この桜、西行妖は人間の幽々子様を封印していた。
封印が解かれ、人間の幽々子様が起きれば、霊体の幽々子様はは消えてしまうようだ。
そう、幽々子様の魂は一つ。それが肉体を持つ人間か、持たない幽霊のどちらかにあるかどうか。
人間の幽々子様が復活した今、魂だけの存在である幽霊の幽々子様は矛盾を生む存在。
幽霊にある魂は肉体に戻り、結果幽霊は消え去るということ。
「あなたは、誰?」
人間の幽々子様が私の肩に手を置き、尋ねられた。
「わたしは……魂魄妖夢。お嬢様を、お守りさせていただいてる者です」
「そう。……なんだか長い間、眠っていた気がするわ。何も……覚えてない」
いま目の前にある現実に、悲しんだ。
輪廻の輪から外れ、永久に冥界で過ごすことを選んだ幽々子様が皮肉にも眠らされたご自身を復活なさるとは。
さらに異変が起こった。人間に戻られた、幽々子様の様子がおかしい。
その美しい顔にしわが増え、指先から粉が出ていった。
皮膚がずり落ち、四肢が少しづつ、風に削られていく。
「……年を取っているのよ」
「え?」
巫女が呟いた。
「眠っていて、止まっていた時間が動きだした。きっとその人は、死ぬわ」
「そんな!お嬢様は……!」
生気を失い、骨と化した幽々子様の手がわたしの頬に触れる。
もはやあの美しいお顔は、髑髏と呼べるにふさわしいものになっていた。
最後まで微笑むお嬢様は、桜吹雪の塵となって消える。
泣いた。声を張り上げて泣いた。
そんな。肉体が果てて、幽霊だけの存在となっても一緒にいられると思っていた幽々子様が。
今、お隠れになった。
「……皮肉な話ね」
「お前に何がわかる!」
この状況で、巫女も涙を流していた。
「わたしには何も知らないわよ。でも……これは虚しすぎるじゃない」
興味本位で復活させた桜により、幽々子様は消えた。
もう、幽々子様と一緒にいることはできない。
それだけが、今ある現実だった。
「ねえ……この桜、もしかして人間を取り込んでる?」
そう言った巫女の体が、幽々子様同様、粉となって薄れている。
自分の肉体も同じく、風になりつつあった。
「西行妖はもしかして……妖怪桜?」
逃げる体力のない巫女はどんどん西行妖に取り込まれている。
わたしの半身も例外ではない。
敵は消えたが、幽々子様も消えた。自分も半分消えた。
もう庭師の仕事はできない。
わたしの仕事を見守ってくださるお嬢様もいない。
守るべき人はもういなくなった。
自分さえも半分失った。
西行妖は人の命を喰らう妖怪としてそびえ立つ。
残ったのは、半分幻の自分だけ。周りには誰もいなくなった。
もう涙を流すことさえできないわたしは、ただ絶望するしかなかった。
西行妖という桜を何者かが封印し、結界を成しているというお話し。
お伽話の一つで、屋敷書庫の書物にそう書かれているもの。
そのお話し曰く、『春』を集め、西行妖を満開にすることが封印を解くのに必要とのこと。
そしてお嬢様の命により、白玉楼の『春』を全て集めた。
しかし僅かに足りないのか、西行妖の発動には至らない。
そこへ運良く、僅かな『春』を手にした者が白玉楼へ侵入してきた。
「そこをどいてくれないかしら?」
巫女姿をした少女がそう言って獲物を構えていた。
一体何の権利を以ってこの巫女は邪魔をするというのだろうか。
「その僅かな春を置いて、消えなさい」
「……集めればいいことがあるわけ?」
「西行妖が発動し、何者かが復活する。そのためよ」
「何かわからないものは復活させないほうがいいに決まってるじゃない」
巫女の行進は止まらない。口で言ってわからないなら、力でわからせるしかない。
柄を触れ、楼観剣を抜いた。巫女が棒を振る。それが決闘の始まりだった。
しかし巫女は強い。勝ち目がなかった。
如何なる妖術を使い、技を駆使し、どれだけの弾幕を張ろうとも巫女は倒れない。
むしろ相手は大した技も使っていないはず。なのに、負かされた。
力を欠いて地面に墜落。
巫女はわたしなど初めから眼中になかったように、屋敷へと向かった。
悔しい。お嬢様の力になれない自分の弱さに悔しい。
だが自分の命はまだある。力を振り絞ればまだ戦える。
再び巫女の前に立ちはだかる。
「あんたなんかに、お嬢様の邪魔はさせない。たとえここで倒れても、一矢報いてやる。そしてお前なんかお嬢様に殺されてしまえばいいんだ」
「そっちが死んでも知らないわよ?」
「わたしの命より、お嬢様の命よ!お前なんかに、お前みたいなやつに──お嬢様の元へなど、通させはしない!」
もう後はない。ここで斃れればお嬢様の手を煩わせることになる。
楼観剣、白楼剣を構えて巫女を睨んだ。
相手は苛立った表情で、遠くを見据えている。やはり、わたしなんかただの邪魔者であるように。
これ以上自分の力にも、時間にも猶予はない。
全ての技を振るった。限りある術を使い果たした。
奥義、妖術、秘術、秘奥義、いかなる符を以ってして、幾千の業を使っても。
それでも敵は倒れない。怯みさえしない。
むしろわたしが怯んだ隙を突かれ、巫女の凶弾に吹き飛ばされる。
桜の幹に打ち付けられた。その背にある桜こそ、西行妖。
あと僅か。残り少し。微かの『春』で。
満開になるというのに。
もう体は動かない。剣を取る握力も出ない。立つための脚力さえ沸かない。
最早これまでだった。
桜吹雪の中で、遠くからあの方がやってきた。お嬢様だ。
「ごめん、なさい。力が及ばなくて……」
「妖夢。あなたは十分働いてくれたわ、ありがとう。あなたは少し、休みなさい」
頭に手を置いて、撫でてくださった。
良かった。嬉しい。少しでも、自分の仕事を認めてもらえた。
お嬢様の祝福を抱いて、少し休むことにする。
次に目を覚ませば──西行妖が満開になりますように。
目を瞑っていても、巫女とお嬢様の闘いの激しさは音で伝わった。
少しあけてみれば、あの巫女が押されている状態だった。
さすがは幽々子様。わたしなどでは及ばないほどの力。
幽々子様の体から放たれる光の蝶々。それは襲いかかること荒波の如し。
巫女の弾幕が押し込まれ、とうとう敵は倒れた。
敵の『春』を手にした幽々子様は両手を掲げた。
その『春』を取り込んだ桜はとうとう、満開となる。
足を踏ん張り、お嬢様の元へ駆けつけた。
「お怪我はありませんか?」
「怪我もなにも、もう死んでる身だから何ともいえないわねえ」
大事には至っていないようである。
墨染の桜が動く。つぼみが開く。
念願の──西行妖が発動した。
「さすがです、お嬢様!」
「あなたのおかげよ、妖夢。本当にがんばったわ」
力強く枝を伸ばし、淡い桃色の花を見せる桜。
そして桜の根元から、何者かが現れた。
後ろを見ると、満身創痍の巫女が立っている。まだ息があるとは大したものだ。
「あら?」
お嬢様が感嘆を漏らした。それもそのはず。
復活した何者かは幽々子様と瓜二つなのだから。
復活した者の微笑みから、幽々子様と同じ博愛さが感じられた。
「ここはどこ? 私にそっくりな貴女は誰?」
復活した、そっくりな幽々子様が喋る。幽々子様がそっくりな方に触れようとする。
本物の幽々子様が答えようとしたとき、異変が起こった。
幽々子様の体が、透けていく。消えていく。まさか──
「まさか、その桜が……その幽霊を封印していたなんてね」
足を引きずる巫女が、代弁した。
ようやく察しがついく。この桜、西行妖は人間の幽々子様を封印していた。
封印が解かれ、人間の幽々子様が起きれば、霊体の幽々子様はは消えてしまうようだ。
そう、幽々子様の魂は一つ。それが肉体を持つ人間か、持たない幽霊のどちらかにあるかどうか。
人間の幽々子様が復活した今、魂だけの存在である幽霊の幽々子様は矛盾を生む存在。
幽霊にある魂は肉体に戻り、結果幽霊は消え去るということ。
「あなたは、誰?」
人間の幽々子様が私の肩に手を置き、尋ねられた。
「わたしは……魂魄妖夢。お嬢様を、お守りさせていただいてる者です」
「そう。……なんだか長い間、眠っていた気がするわ。何も……覚えてない」
いま目の前にある現実に、悲しんだ。
輪廻の輪から外れ、永久に冥界で過ごすことを選んだ幽々子様が皮肉にも眠らされたご自身を復活なさるとは。
さらに異変が起こった。人間に戻られた、幽々子様の様子がおかしい。
その美しい顔にしわが増え、指先から粉が出ていった。
皮膚がずり落ち、四肢が少しづつ、風に削られていく。
「……年を取っているのよ」
「え?」
巫女が呟いた。
「眠っていて、止まっていた時間が動きだした。きっとその人は、死ぬわ」
「そんな!お嬢様は……!」
生気を失い、骨と化した幽々子様の手がわたしの頬に触れる。
もはやあの美しいお顔は、髑髏と呼べるにふさわしいものになっていた。
最後まで微笑むお嬢様は、桜吹雪の塵となって消える。
泣いた。声を張り上げて泣いた。
そんな。肉体が果てて、幽霊だけの存在となっても一緒にいられると思っていた幽々子様が。
今、お隠れになった。
「……皮肉な話ね」
「お前に何がわかる!」
この状況で、巫女も涙を流していた。
「わたしには何も知らないわよ。でも……これは虚しすぎるじゃない」
興味本位で復活させた桜により、幽々子様は消えた。
もう、幽々子様と一緒にいることはできない。
それだけが、今ある現実だった。
「ねえ……この桜、もしかして人間を取り込んでる?」
そう言った巫女の体が、幽々子様同様、粉となって薄れている。
自分の肉体も同じく、風になりつつあった。
「西行妖はもしかして……妖怪桜?」
逃げる体力のない巫女はどんどん西行妖に取り込まれている。
わたしの半身も例外ではない。
敵は消えたが、幽々子様も消えた。自分も半分消えた。
もう庭師の仕事はできない。
わたしの仕事を見守ってくださるお嬢様もいない。
守るべき人はもういなくなった。
自分さえも半分失った。
西行妖は人の命を喰らう妖怪としてそびえ立つ。
残ったのは、半分幻の自分だけ。周りには誰もいなくなった。
もう涙を流すことさえできないわたしは、ただ絶望するしかなかった。