Coolier - 新生・東方創想話

すきま妖怪と世界を喰らう魔狼・前編

2007/04/22 02:58:40
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※はじめに※

この駄文にはオリキャラが多分に含まれています。

それでも気にならない方は、どうぞ読んでやってください。






その日、わたしは死んだ。

空には一つの星も無く。

月もそこには無かった。

その日は新月。

新月なのだから仕方が無いと言えばそうなんだけれど。

それでも、せめて月は、月だけはそこにあって欲しかった。



遊び疲れて、その日はいつもより早く布団に潜り込んだ。

わたしは、自分でも気付かぬうちに眠ってしまった。


何か、ものすごい音がして。

たくさんの声が外から聞こえてきた。

叫び?

悲鳴?

苦しそうな声。

誰かを呼ぶ声。

怒ってるような声。

声声声声。

わたしはびっくりして目を覚ます。

何があったんだろう?

うるさくて眠れない。

お父さんとお母さんが、わたしを起こしにやってきた。

わたしはお父さんに抱かれて、夜の村を走った。

……家の外は、わたしが知らない場所だった。

周りは火の海だった。

倒れてる人がいた。

みんな血まみれで倒れてた。

遠くから、近くからたくさんの声がした。

なにか、鉄と鉄がぶつかり合う音がした。

わたしの知っている村はそこには無かった。

知らない人が、遠くからこっちを見てなにか言った。

「化物」

そして、手に持った何かを振り上げながら走って来た。

……刀だ。

「死ね」

その人は刀でお母さんを斬ろうとした。

そう思ったら、鈍い音がして、その人は「垣根」の中に頭を入れて動かなくなった。


次から次へと、知らない人がたくさんやってきた。

みんな、わたしたちをいじめてきた。

わたしたちだけじゃなく、村の人たちにも酷いことをしてた。

やめてって言ってるのに、痛い痛いって言ってるのに、その人たちは止めなかった。

そのうちに、わたしたちは捕まってしまった。

わたしの目の前で、お父さんも、お母さんも、他の人たちも、みんなみんないじめられた。

痛い。

助けて。

何で。

止めて。

お父さんはわたしを庇って、殺されて。

お母さんは乱暴されて、殺されて。

そして。

痛いって言ったのに。

止めてって何度も何度もお願いしたのに。



それなのに。


わたしも、殺された。




意識が遠退く。

眠い。

眠りたくないのに。

逆らえない。

痛い。

痛いけど。

痛みを感じなくなっていく。

何か、すごく深くて暗いところへと落ちていく。

そこはどこ?

解らない。

でも。

怖い。

怖かった。

このまま落ちていったら、もう戻れない。

眠ってしまったら、もう起きれない気がする。

怖い。

怖い。

いや。

嫌。

これが死?

死ぬってこと?

嫌だ。

怖い。

怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

死ぬのは嫌。

嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌!


──────嫌か?

え?

──────死ぬのは、嫌か?

誰?

──────答えろ。嫌か。

……いや。絶対に嫌。

──────力が欲しいか?

……力?

──────力があれば、お前は死ぬことは無い。

力があれば、死ななくていいの?

──────お前が死ぬのは、殺されるのは、お前が無力だからだよ。

無力……。

──────問おう。力が、欲しいか?

……。

──────力が欲しいか?

……欲しい。

──────力を欲するか。無力な者よ。

死にたくないよ。力を……力をちょうだい。

──────力が欲しいのなら。

力が欲しい。死にたくない。

──────力を。





……………そして、「わたし」は「私」になった。

私はゆっくりと目を開く。

私の周りには、私をいじめて、殺した連中が、恐怖に引き攣った表情で固まっていた。

そいつらの足元には、私のお父さんとお母さん、そして村のみんなの死体。

みんなは私みたいに力が無いから、死んでしまった。

でも、死ぬことは無かった。

死ぬ必要なんて無い。

何も悪いことしてない。

なのに。

目の前の人間どもはみんなを殺した。

そうだ、私は知っている。

こいつらはみんなを殺した。

笑いながら。

女の人は強姦して。

お年寄りも子供も関係無く、笑いながら殺してた。

そうだ、私も笑われながら殺された。

……気に入らない。

憎い。


どうしてくれようか。

「……決めた。ううん、悩むことなんて無い」

憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。

「答えなんか……最初から決まってる」




全部殺せばいい。







それはまだ、この地に外と内とを隔てる結界が張られる以前の出来事。


新月の夜である。

後に幻想郷と呼ばれるようになるこの地の、さして珍しくも無い森の中で、「それ」は目覚めた。

「それ」は巨大な獣だった。

白銀に輝く体毛に覆われた、巨大な狼の姿をしていた。


そこには一つの集落が存在していた。

集落に住んでいたのは妖怪。

俗に、狼人間と呼ばれる者達だった。

が、そこで暮らす狼人間達は、いわゆる「外」の世界でしばしば話題に上るような、強大で恐ろしい存在では無い。

「外」で生活しているような狼人間は、下手な妖怪よりも力も妖力も強大、むしろ絶大とでも言える位に強力な存在であるのに対し、集落で暮らす狼人間は脆弱とは言わないまでも、「外」の狼人間から比べれば月とスッポンもいいところの存在であった。

「外」で暮らす狼人間は、狼人間という種の中でも特に優良な存在であり、「外」と「内」の狼人間に種族的な差はほとんど無い。

彼等は基本的に争いを好まず、「内」の世界に属する狼人間達は特に閉鎖的でより争いを好まなかった。

……その集落はその夜、この国の歴史から永遠に消え去った。



不幸なことに、その集落から半里も離れておらず森を一つ隔てた位置に、数十年前に人間の村が出来た。

その村は、近くに妖怪の住む集落があると知った瞬間から常に殺伐とした空気が漂う村になった。

土地を耕し、家屋も多く立ち並び、ようやく腰を据えたと思った矢先に、自分たちの隣に妖怪の存在があったと知れば、恐怖と、そしてその妖怪に対しての憎悪が芽生えるのは必然であった。

妖怪とは人間を襲い、食す者である。

つまりは敵である。

常に襲われるかも知れないという恐怖感に、何年も耐えられるような存在はいない。

若干いるかもしれないがそれは例外である。

彼等は、当然のことだが例外ではなかった。

彼等の中には逃げ出す者もいたが、多くはそこに留まった。

せっかくここまで作り上げた村を、簡単には捨てられなかったのである。

彼等は妖怪を倒すことに決めた。

敵の正体を見極め、武器を揃え、戦う術を学んだ。

その間、彼等の狼人間達に対する憎悪は日に日に増していった。

敵のことを調べる過程で、狼人間達は人間を襲うことは無いと解っていたはずだが、恐怖と憎しみに駆られた彼等は、不幸にもそれに気付くことは無かった。


そして、ついに自分達を脅かし続けた妖怪どもを駆逐する日がやってきた。

相手は狼人間。

月がある内は強すぎて手が出せないが、新月の夜ならば人間とさして変わらない。

彼等は周到に罠を敷き、練りに練った策で一気に狼人間達の集落に襲い掛かった。

結果は大勝だった。

争いごとが嫌いな上に奇襲、しかも新月の夜に、間延びしていた狼人間達は為す術も無く殺されていった。

覚悟も何も無い狼人間達に対し、人間達は長年の積もり積もった怒りと憎悪を持って怒涛の勢いで攻め込んだのである。

戦いの結末は火を見るより明らかなものだった。

妖怪の長を殺し、他の妖怪達も皆殺し。

人間達が勝利に酔いしれようとした、その時。


「それ」が目覚めた。



「それ」は聞くものすべてを恐怖させるような咆哮を放った。

その咆哮は遥かな彼方まで響き渡ったことだろう。

その場にいた人間達は知る由も無かったが、村に残っていた人間、つまり戦いに出向かなかった、「勇敢で無い」人間達は、その咆哮を耳にした瞬間、説明のしようの無い恐怖と絶望に支配され、一人残らず発狂死した。

近くで聞いた者も、比較的憎悪の心が少なかった者が狂って死んだ。

死んだのは人間だけ。

人間だけなのは、「それ」の憎悪が人間にのみ向けられていたから。

狂って死ななかった人間達は哀れだった。

自分達の目の前で、具現化する悪夢と絶望を魂に焼き付けられながら、決して明けることの無い夜へと飲まれていったのだから。


「それ」は、集落で最後に殺した、狼人間の子供だった。

牙も生え揃っていない幼いその少女さえも、人間達は一切の容赦無く殺した。

それが自分達の命を断ち切ることになることを知らずに。

嬉々として。




白銀の巨狼は、地響きさえ起こせるような、巨大な遠吠えの後、付近一帯を破壊し尽くした。

巨狼はその間、絶えず吼え続けていた。

まるで何かを求めるかのように。

やがて、その場に壊すものが無くなると、巨狼は今までの激しい動きが嘘だったかのように、その動きを止めた。

そのまま倒れ伏し、それ以後ピクリとも動かなくなってしまった。

……巨狼は、息絶えていた。

先程まで嵐の如く暴れまわっていた、荒々しい生命が、嘘のように掻き消え、そこには屍と化した肉塊のみが残り。

何かが抜け落ちたかのような、不気味な静けさが、その場を支配していく。

本当に死んでしまったのだろうか?

だが、それは誰にも解らない。

巨狼が倒れ伏してすぐに、彼女はそこに現れた。

何の前触れも無く。

歩いてきたのでもなく、空から降ってきたのでもない。

何も無い空間から、突如姿を現した。

空間の切れ目───隙間から現れた彼女は、当然のことだが人間ではなかった。

「何か、強い憎悪の念と妖力を感じたから来てみれば……」

見渡す限り荒野と化した森の跡を見回して、

「貴方がやったのかしら?……大きな大きな狼さん」

彼女は巨狼にゆっくりと歩み寄る。

「何が起きたのか。貴方が何を起こしたのかは判りません。私に判ることは、ここで暮らしていた、私の知り合いが逝ったことと、貴方がここで倒れていることのみ」

彼女は巨狼の身体に触れるくらいまで近付く。

「貴方が何者なのか、それも判らないけれど。このまま貴方をこうしておくのは、あまり良いことにはならないわね……その身体、見たところ色々とまずいもの」

一瞥。

ただそれだけで、彼女は巨狼を強大な脅威と断定する。

瞳を閉じ、伸ばした腕をを天に掲げ、彼女は何か───呪を口にする。


封魔「夢と現と時の境界」


スペル発動。

術者の周りから立ち昇る魔力が収束され帯となり、それがいくつもの鎖と化し、巨狼の身体に巻きついていく。

「これを使うことは、私は償っても償いきれない罪を背負うことになる。それでも……私は使うわ。愛しい世界を守る為に」

魔力で編まれた鎖は、巨狼の身体に巻きつくと、その巨体を雁字搦めに戒めていく。

「貴方はきっと、良かれ悪しかれ今後、この地の者達に影響を与えるでしょう。過ぎたる力を」

……それは、決して許してはならないこと。

「何年かかるかは解らないけれど……貴方のその身が朽ち果てる、その時まで貴方の魂を縛り続けることを、許して頂戴」

……過ぎたる力は毒になる。

「私はそれを許してはいけない」

鎖で幾重にも縛られた巨狼の身体が一瞬、輝いたかと思うと、その巨体は地面へ、否、巨狼の身体の真下に開けられた、巨大な隙間へと、静かに静かに、音も無く沈みこんで行く。

封魔「夢と現と時の境界」。

それは外界と対象の間の次元に歪みを生じさせ、外界と対象を隔離、幽閉する呪法。

隔離対象は次元の歪みによる結界内に閉じ込められ、結界内部の時間進行は一切停止。

隔離対象は外界からのあらゆる干渉を受け付けない代わりに、自らも一切の行動が不可能となる。

鎖に見えるのは、隔離された空間と外の通常空間との境目を示すもの。

隔離した対象を更に次元の狭間へと隔離し、完成する究極に限り無く近い封印術。

「歪みに少しだけ、隙間を開けておきました。少しづつ、その身は朽ちていくでしょう」

結界に隙間を作ることで時間進行を止めず、緩やかにするだけに留める。

口では簡単に言っているが、それがどれだけ凄いことか。

やがて巨狼の身体が完全に隙間へと飲まれると、隙間は音も無く閉じ、そこには何かがあった痕跡さえも消え失せた。

「さてと……」

大して疲れた様子も無く、彼女は改めて周囲を見渡した。

「随分と派手に暴れたのね。これじゃあ死体も見つからないわね」

そう呟くと、瞳を閉じて何かを念じるかのように黙った後、すぐに瞳を開く。

彼女なりの黙祷だったようである。

「あまり長い付き合いでは無かったけれど。まぁ安らかに眠りなさい」

それだけ言うと、彼女は懐から今度は扇子を取り出すと、それを縦に引いた。

扇子の奇跡に従い、何も無い空間に切れ目が入る。

切れ目は隙間となり、その口を広げる。

「もう少し手間がかかるかと思っていたけれど、そうでも無かったわね……帰って眠りましょう」


……そして妖怪の女もそこを去り。

後に残ったのは何もかもが死に絶えた不毛の土地のみ。

荒涼としたその大地を吹き抜ける風音に、聞き取れぬぐらいに小さな小さな泣き声が混じっているかに聞こえたのは幻聴だろうか……。


後に幻想郷と呼ばれる地の中の、さして珍しくも無い場所で起きた、小規模で密度の濃いこの出来事は、他の誰にも知られることも無く、幕を閉じたかのように見えた……。




春。

今年は特に異変も無く、幻想郷はわりと平穏な日々を送っていたかに見えた。

冬が長く続いたわけでもなく、花の異変があるわけでも無い。

一見して特に何かがあるようには思えない普通の春。

だが、異変は確実に、しかし静かに、少しづつ起こり始めていた。


真っ先に異変が起こり始めたのは、「ごく普通の」人間達だった。

人間達から、笑顔が消えていった。

最初は、里の人間が一人、鬱病にでもかかったかのように塞ぎ込んだだけだった。

本人がボソボソ言うには、「自分の中から、幸福感や嬉しい、楽しいといった気持ちが抜け落ちた」らしい。

何か嫌なことでもあったのだろうと、他の人間達はそう思った。

そのうち、最初に塞ぎこんだ人間と同じような状態になった人間が一人二人と増え始めた。

今では里の人間の大半が、鬱病もどきにかかって塞ぎ込んでしまった。

幸せな気持ちが無くなって、何もする気が起きなくなってしまったのである。

何をするにも失敗する、できない等の考えばかりが浮かび手がつけられない。

この世の終わりのような顔をしている者もおり、里には重い空気が流れるどころか淀んでいる。

絶望感ぐらいしか新たに沸き起こる思いが無く、人間達はその症状を「虚無病」と呼び恐れ始めた。

人間の里を守る、半人半獣の上白沢 慧音が、こうした事態を放って置くはずが無かった。

彼女は人間が大好きなのである。

「……今度はどこの妖怪の仕業だ?それとも幽霊か、まさか人間の仕業では無いだろうが……」

慧音は知りうる限りで怪しい奴を探してみたが、すぐに止めてしまった。

どいつもこいつも怪しさ大爆発だからである。

「……とりあえず、あの巫女にでも相談してみるか」

どうせ今も境内の掃除をサボりつつ、お茶をすすっているであろう巫女の姿を思い浮かべつつ、慧音は早速出かける支度を始めた。

幻想郷の歴史をほぼ知り尽くしている彼女にも心当たりの無いこの事件に、得体の知れない恐怖を感じ始めながら。


異変が起こったのは何も人間に限ったことではなかった。

力のある無しに関係無く、妖怪や妖精にも、「虚無病」の症状が起きていた。

「蟲なんて……ど~せ蟲なんて、斬り潰されたり斬り潰されたり斬り潰されたりされるだけの存在なのよ~……」

重度なのか軽度なのか判別しにくい妖蟲もいれば、

「なんだか最近、ちっとも上手く蛙を凍らせられないわ!他にも何をしても駄目そうな気がするし……イライラするぅ~!」

それほど重症でない氷精、

「最近……ちっとも遊びに来てくれないじゃない……もしかして、嫌われたのかしら……そうよ、きっと嫌われたんだわ……あなたに嫌われたら……私……私……魔理沙ぁ……」

今にも首を吊りそうな勢いの人形遣い、

「今日も平和だといいですねぇ……誰も来ないのは寂しいですが。まぁ何かがあってお嬢様や咲夜さんに怒られるよりはマシですね!さぁお仕事お仕事」

特に何でもない門番等等。

異変は幻想郷中に、徐々に広がりつつあった。


冥界にあるここ、白玉楼にも、「虚無病」にかかった者がいた。

「……ゆゆ様、三時になりましたが」

「ふぁ?どうしたの妖夢」

「三時です。おやつの時間ですよ」

「いやいや妖夢」

「?」

「食べてばかりでは太るわよ」

(あなたがそれを言いますか)

「……ではおやつはいらないと」

「うん」

(これは……どうしたことだ?幽々子様がおやつを食べないだなんて……いや、それ以前に、近頃の幽々子様は朝昼夕の食事も、あまりお食べにならない……)

白玉楼の主、西行寺 幽々子を知る者ならば皆、今の幽々子を見れば我が目を疑うことだろう。

誰の目にも異常に見える。

心なしか、幽々子は少しやつれて見えた。

「これは由々しき事態……また何か、良からぬ事が起きているな」

半分幻の庭師、魂魄 妖夢はそう呟くと、主に向き直り、こう告げた。

「何やら異変が起きたようです。とりあえず、夜までには戻ります!」





その日、普段は笑えるぐらいに人がいいない博麗神社は、突然詰め掛けた人間と妖怪と半幽霊で朝から大賑わいだった。

「ちょっとちょっと!何よ急に、こんな大勢でやってきて!しかもこんなに朝早く……何の騒ぎよ?」

博麗神社の巫女、博麗 霊夢は、突然の来客に不機嫌な声を出しながらもしっかりとお茶を全員分淹れていた。

「で?いったい何の騒ぎ?」

神社に集まってきたのは五人(?)。

普通の魔法使い、霧雨 魔理沙。

紅魔館のメイド、十六夜 咲夜。

半人半霊、魂魄 妖夢。

歴史食い、上白沢 慧音。

幻想ブン屋、射命丸 文。

いずれも名高い(?)クセモノぞろいである。

雰囲気から察するに、全員同じ用件ではないか、と霊夢は思ったが、口には出さない。

「なぁ、お前は何か感じないのか?」

最初に切り出したのは魔理沙。

「最近、ツいてないというか、何をやってもサッパリなんだ。昨日も何てことの無い魔法薬の実験でミスっちまったし……」

「うちではメイドの半数近くがどうしようもなく凹んだり、首を吊ろうとまでする始末ですわ」

咲夜が魔理沙に合わせる様に喋りだす。

「私もなんだか物事が上手くいかず正直、辟易しているところですわ」

「お、メイド長もか。物事が上手く行かないというか、出来る、っていう自信が無くなってしまったって感じなんだ」

「正しい手順で進めているはずなのに、無性に、得体の知れない不安に襲われて、気が付いたら失敗していた……なんてことが、ここ最近ずっと続いています」

魔理沙と咲夜はそこまで喋ると、おもむろに霊夢へと向き直り、

「「おまえ(あなた)、何か知らないか(の)?」」

と同時に問いかけた。

「って聞かれてもねぇ……そもそも私は何とも無いし」

「いや、霊夢のことは聞いてないぜ」

「それはそれで腹が立つわね」

「で?どうなんだよ実際。何か知らないのか」

「何か気が付いたことは?」

「無いわ」

「「そう(か)……」」

「だいたい、何がどう変なのか、私には解らないんだけど?」

腕を組み、「さぁ説明しろ」と態度で示す霊夢。

「説明はさっきしたぜ」

「したわ」

「だーっ!さっきのはあんた達の近況でしょうが!つまりどう言うことよ!?」

「落ち着きなさい。今、脳が小春日和の紅白にも解るように説明いたしますわ」

「……シメるわよ、あんた」

咲夜は霊夢を無視して話し始めた。

「他の場所のことは解らないけれど、今から半月ほど前かしらね。メイドの一人が急に笑わなくなったのよ」

「……笑わない?それがどうかしたの?」

「どうかしたの。それ以降、今もずっとそのメイドは笑ってないわ。クスリともしない」

「……」

「そのメイドだけじゃないわ。そのうち他のメイド達も似たような状態になっていったわ。酷い娘は自殺までしようとするし、止めるのに苦労したわ。屋敷中がタチの悪い鬱病にかかってしまったみたい。本物の鬱病ならいいのだけれど、どうも違うみたいだし……」

肩をすくめて苦笑する咲夜。

「私もその鬱病モドキにかかったみたいで、やることなすこと不安と不信で全然上手くいきませんの。このままではメイドとしての責務を果たせません」

咲夜がそこまで話すと、今まで聞き役に徹していた慧音が口を開いた。

「紅魔館でもそんなことが起きていたのか?」

「あら、慧音じゃないの。珍しいわね、あなたが神社に来るなんて」

「好きで来たわけじゃあない……ってさっきからいただろうが」

「珍しついでに賽銭も奉納していかない?」

「……断る」

「ケチ」

「……話を元に戻すぞ。……やはり、半月ほど前になるが、人間の里でも咲夜の話に出てきたメイドのように、急に元気が無くなってしまった者が出たのだ。その者を皮切りに、どんどん元気が無くなる者が増えてきてな、やはり自殺をしようとするものや、自暴自棄になって奇怪な行動をしだす者まで現れた……。里の人間達は、これを『虚無病』と呼んでいる。気力や、希望が根こそぎ奪われてしまった感覚からつけられた病名だ」

「虚無病とはまた、嫌な響きの病気だぜ」

魔理沙が心底嫌そうな顔をして言った。

「縁起が悪すぎだ。いや、縁起なんざ最初っから無いか」

慧音は霊夢が淹れたお茶を啜ると、霊夢に向かって再び話し始めた。

「今回の異変……『虚無病』だが、このようなこと……即ち、『人間から幸せや希望を奪える』ような真似をする、または出来る奴を知らないかと思ってここまで来たのだ」

「『人間から幸せや希望を奪える』奴ねぇ……」

じろり、と霊夢は咲夜を見る。

「お嬢様にそんな能力はありません。あるかもしれないですけど、それを行うメリットがありません」

「じゃあ、あの紫もやし」

「パチュリー様は最近、嘆息が酷くて寝込んでいます。だいぶ調子が良くなってきてはいるようですが。それと本人の前でそれを言ったら原子レベルまで分解されるわよ、霊夢」

「紅魔館に、他に怪しい奴はいなさそうね……」

「当然です。むしろ最初から怪しくありませんわ」

残念そうなセリフを言いながら全然残念そうじゃない霊夢に対し、咲夜は遺憾だと言うセリフを言いつつ、ちっとも遺憾そうでなく返した。

自分達が疑われることはほぼ確実に解っていたので特に気にしていないようである。

「じゃあ……妖夢、あんたんトコの食いしん坊は?」

今度は先程から一言も発せずに聞きに徹していた妖夢に話を振る。

「……私がここに来たのは、幽々子様がおかしくなったからその原因を突き止めるため。無礼なことを言っていると刀の錆びにするよ」

「冥界組もシロ、と」

「今回はやけに素直に信用するんだね?何かあったの?」

「今回は私の勘が、あんた達が嘘を吐いてるって言わないの」

「ふむふむ。紅魔館、冥界と、怪しい大御所が二つ一気に消えましたか。嬉しいような、残念なような」

「文、あなた、これも記事にするの?」

今まで黙って黙々と手帳に何かを書き連ねていた文は、妖夢が話し終えるとパタンと手帳を閉じ、

「当然です。こんな面白そうなこと、新聞記者ならば私でなくても記事にしますよ?」

と嬉しそうに言った。

「文々。新聞は常に幻想郷中の最新情報をどこよりも速くお伝えするのが使命であり存在意義。その文々。新聞の記者である私が書かなくて誰が書くのですか」

胸を張って答える文。

「さて、巫女が言うからには、最初に目星を付けていた容疑者候補のうち二組は消えましたし……残るは」

「そうね。とりあえず怪しいので残ってるのは、萃香、それに竹林の連中。それと」

霊夢はそこで言葉を切ると、

「さっきからそこにいるすきま」

振り返り、ある一点を睨みつけた。

「黙っていればずっとそのまま。盗み聞きはあまり感心しないわよ?元から感心なんてしてないけれど」

「あら、盗み聞きじゃあないわよ?」

何も無い筈の空間にスっと切れ目が入り、そこから紫色の少女が現れた。

今日も変わらぬ胡散臭さを纏い、いつもと同じ、人をくったような笑みを浮かべて、すきま妖怪の八雲 紫が姿を現した。

「私は姿が見えなかっただけで、ずっとそこにいたもの」

「それを盗み聞きと言うんじゃないか?」

「いやいや魔理沙、私は最初からいたのよ。最初から貴方達の会話に参加していたわ。姿は見せなかっただけで」

「紫様、屁理屈捏ねていないで早く私達も出してくださいよ~」

すきま妖怪はいつも通りだったが、今日は少し違っていた。

すきま妖怪の式、八雲 藍とその式、橙が一緒についてきていたのだ。

彼女等が一緒にいること自体は珍しくも何とも無いが、宴会など特別に集まる機会でもないのにこうして三人(?)一緒に現れるのは少し珍しかった。

橙はいつもと変わらない様子だったが、何故か藍は全身に包帯を巻いていた。

「なんだ?いつからミイラになったんだ」

「だまらっしゃい」

「ミイラテンコー」

「お前はもっと黙れ」

魔理沙と霊夢にからかわれ、藍はこめかみを引き攣らせた。

魔理沙は包帯グルグル巻きの理由についてもっと聞きたそうにしていたがこれ以上からかうと本気で怒りそうなので止めておいた。

普段なら別に構わないのだが、今やりあったら、恐らく負けると思った。

「話は聞いていたんでしょ?今度はあんたが容疑者よ」

「あら何のことかしら」

「紫様、疑われてますよ」

藍が早くも疲れたように紫に言う。

橙はと言うと……魔理沙と咲夜に遊んでもらっていた。

「で、どうなのよ?あんたがやったの?」

「さっきから貴女達が話していたこと?」

「『虚無病』……でしたか。それなら私も聞いたことがありますよ。先程の上白沢さんの話と良く似た症例が、私の知る限り人間にも妖怪にも現れています」

「妖怪にもか?」

「人妖問わず、妖精もです」

「そうなの?藍」

「……紫様が私に調べさせたんでしょう」

「あら、そうだったかしら」

「……」

「……そうそう思い出したわ。確かに藍にお願いしたわね。それで藍、原因は解ったの?」

「それも報告しました!原因は解りませんでしたよ!!」

「あら、そうだったかしら」

「……!……!!(貴女というひとはぁぁっ!)」

「あんた、頭から煙出てるわよ」

「……そうそう思い出したわ。確か原因は不明だったのよね。それで、解らないしめんどくさいし、とりあえず巫女にでも押し付けとこうって言ったのよね、藍」

「おい」

「そう言ったのは私じゃなくて紫様でしょう」

「藍、自分の失敗を主のせいにするのは式として恥ずかしいことよ」

「……!……!!……!!!(蹴っ飛ばすぞこのすきまぁぁ!!!)」

「あんた、そろそろお茶沸かせられそうね」

「結局、ある意味一番やりそうなこいつらもシロ、か。すると月の連中か?」

慧音は一人真面目モードだ。

「あ、あの連中も特に何もしてないようです。ついでに調べてきたんで」

「む、そうか」

「しかし……あそこの連中はどいつもこいつも戦闘中毒者なのか?聞きに行っただけだというのに、いきなり戦いを挑んできて……」

「その怪我はあそこの連中とやりあったからか?」

魔理沙が橙と遊びながら質問してきた。

なかなかの地獄耳だ。

「兎の大軍団とあの薬士、更にあそこの姫までやってきて!始末の悪いことに不死鳥の娘まで乱入してきて……三日三晩、『退屈凌ぎ』の弾幕勝負とちょっとだけの本気の戦いで、結果はこの様さ。何とか努力と根性と気合で勝って来たが」

「勝ったのかよ!?」

「弾幕勝負に毛が生えた程度のものだしな。完全な勝利とは言わないが、とりあえず最後まで両の足で立っていたのは私だ。その後すぐにぶっ倒れたけど」

「お前……実はすごく強いんだな」

慧音は額に手を当て「むぅ」と唸って黙ってしまった。

妹紅のことでも考えているのだろう。

「何を今更。……まぁ、そう言う事だから、奴等もシロだ。私が身を張って確認したんだからな」

「ご苦労様だぜ」

「……となると……」

「怪しい前科持ち、いなくなっちゃいましたねぇ」

文は再び手帳を開いて何事かをサラサラと書き込んでいる。

「地道に調べていくしかないか……時間が惜しい。私はこれで失礼させてもらう」

慧音はそう言うと、「茶、美味かったぞ」とだけ言って飛び立っていった。

「では私も。いつまでもあのような状態に幽々子様をしておけません。……霊夢さん、貴女はどうするのです?」

「私?そうねぇ……知らないうちに結構大変なことになってたし。とりあえず……萃香でも探してみようかしら。アイツなら何か知ってそうだわ」

「解りました。それでは私はこれで。さようなら!」

一礼すると、妖夢も去っていった。

「お、妖夢と慧音は帰ったのか」

「結局、ここに来てもあまり意味はありませんでしたわ」

橙との遊びの合間に魔理沙と咲夜が戻ってきた。

「ええ帰ったわ。それとうちに来ても意味なんて無いわよ」

「仕方ありませんね。では私は仕事がありますのでこれで。そろそろ約束の刻限が迫っているので」

「おう、じゃあな、咲夜」

魔理沙が挨拶をすると同時に、咲夜の姿は消えた。

時を止めて帰ったのだろう。

「魔理沙はどうするの?」

「今すぐ調査だ!…と言いたい所だが、私は今製作中の新しい魔法薬があるから、しばらくはパスだな。一段落したらすぐにでも調査に出かけるが。大体、今日の夜には行けそうだぜ」

「そう」

「じゃあ、私も帰るか。あばよ、霊夢、橙」

「じゃあね」

「ばいばい魔理沙」

「ばいばいだぜ」

魔理沙は愛用の箒に跨ると、勢い良く石畳を蹴って空へと舞い上がり、次の瞬間には黒い光となって魔法の森のある方へと消えていった。

神社に残ったのは、霊夢と八雲一家、そして文だけとなった。

「皆さん行っちゃいましたねぇ。今回の事件はいいネタになりそうです」

「そう言えば紫」

「ん?なぁに?」

「何であんた達はここに来たのよ」

「……?そう言えば何故かしらね」

「おいおい」

「紫様、今日は皆を『ぴくにっく』なるものに誘おうと仰っていたではありませんか」

「『ぴくにっく』?なにそれ」

「外の世界の人間が、好んで行う環境破壊よ。森や高原、そのへんの草原。とにかく自然の中で風呂敷広げてそこでお弁当を食べたり遊んだりするの。外の人間達はだらしが無くて後片付けできないから、結局のところ環境破壊してるってわけ。それと藍、『ぴくにっく』ではないわ、『ピクニック』よ。発音がなっていないわ」

「はぁ」

「それで?」

「すきまから出てきた雑誌に、その『ピクニック』が載っていてね。橙がやってみたいって言うから行くことにしたのよ、『ピクニック』。藍のご褒美も兼ねて」

「ふぅん……それ、おもしろいの?」

「さぁ?やってみないと判らないわ。とりあえず、花見の小さいものだと思えばいいんじゃないかしら」

「花見ねぇ……そろそろ桜も満開になるかしらね。……またうちで宴会するのかしら……」

「心配しなくても、神社で宴会は必ず行われるわ」

「今度こそ後片付けしなさいよね!」

「霊夢、一緒に行く?ピクニック。他の連中も誘おうと思ってたのだけれど、結局言いそびれてしまったし」

「って聞いてないわね……。折角だけど遠慮させてもらうわ。これから萃香探して、それで解らなかったら、まぁいつも通りに」

「適当にそのへんを飛び回る」

「そーそー…って何が適当なのよ」

「適当に飛び回ってるのでは無かったのですか?」

「文……いつかみたいにシバくわよ?」

「それは勘弁」

「じゃあ霊夢はいかないっと。他のももういなくなってしまったし……そろそろいきましょうか?藍、橙」

「はい」

「はーい!」

「じゃあ私もネタを求めて行くとしましょう。それでは皆さん御機嫌よう~」

「じゃあ私もそろそろ行きますか……はぁ…めんどくさ」



文は手帳片手にどこかへと飛んで行き、霊夢はとりあえず萃香を探して湖がある方へと飛んでいった。

「さぁ行きましょう」

「紫様、楽しそう」

「ふふ……橙だって楽しそうじゃない」

「はーい!昨日は楽しみで楽しみで中々寝られなかったんだけど、頑張って寝ました!」

「はしゃぎすぎて怪我しないようにな」

「はーい藍様」

すきま妖怪とその式、その式の式は、楽しそうに談笑しながらゆっくりと幻想郷の空を飛んでいった。

他の者から見れば、それはとても幸福そうに見えた。





そこは生い茂る森の中に、ぽつんと開けていた空き地だった。

ぽつん、と言っても、森自体が相当に大きい為に、空き地もそこそこ広い。

少し大きめの池ぐらいの泉があって、そこから流れ出ている水が森の中の小川へと続いているようだ。

空き地全体は青々とした草が伸び放題ぼうぼうに生えていたが、極端に高い草は無い。

空き地の中央には大きな木が一本生えており、夏ならばとても居心地がよさそうな、理想的な木陰を生み出している。

風景としてはとても綺麗な部類に入るだろう。

故に、八雲 紫はこの場所でピクニックを行うことにした。

実を言えばピクニックとは家から出かけた時点で始まっており、道中も含めてピクニックと呼ぶのだが、彼女とその式達は出かけた先でお弁当を食べるのがピクニックだと思い込んでいた。

「藍様、こっちこっち―」

「あまり遠くへ行っては駄目だぞ、橙」

妖怪は人間とは違い、そこに自然がある、それだけでその時その時を愉しむ術を持っている。

人間の中にもそうした術を持っている者がいるが、その数は少ない。

博麗の巫女などがそうした数少ない人間である。

さして珍しくも無い場所でも、追いかけっこなりかくれんぼなりで橙は相当に楽しんでいる様だった。

藍もそうした橙の様子を見ながら、この一時を彼女なりに楽しんでいる様である。

紫はと言うと、何やら本を読み耽っていた。

「……これ、中々美味しそうね。今夜、藍に作らせましょ」

家庭料理の本だったらしい。



紫達がこの場所に着いて、そろそろ二時間あまりが過ぎようとしていた。

「藍様、ご飯にしましょうよー」

「うん?もうそんな時間か……紫様―?」

「ん?何かしら、藍」

「そろそろお昼にしましょう」

「……そうね。ではそうしましょうか」

紫はそう言うとおもむろに腕を伸ばす。

伸ばした腕の先が消えたかと思うと、ずるり、とすきまから大きな包みを取り出した。

「腐っては大変だもの。やはりお弁当はすきまに入れておくのが一番ね」

誰に言うでもなくそう言うと、紫は次々とすきまから弁当の包みを取り出していく。

「ふっふっふっふ……今日のお弁当は腕によりをかけて作り上げた傑作!紫様、橙、覚悟はよろしいですね!」

藍はいそいそと包みを広げながら、子供のように笑っていた。

「それは楽しみだわ。これは覚悟を決めとかないと」

「うわぁ……美味しそう……(ジュルリ)」

目の前に広げられた、山のような量の弁当に、紫と橙はすっかり夢中になった。



藍の作った弁当は、非常に手の込んだものだった。

彼女が傑作と呼ぶのも納得のいくその出来に、紫も橙も、作った藍本人さえも舌鼓を打った。

「藍、これは何かしら」

「『タコさんウィンナー』とか言うものです。豚の腸詰をすこしいじったものです」

「だしまき、だしまきー」

「行儀が悪いぞ、橙」

箸を一本づつ両手に持ち、それぞれに玉子焼きを串刺しにしてはしゃぐ橙を叱る藍も、口調こそ怒ってはいたが目は笑っていた。

「藍」

「何ですか?」

「食べさせて頂戴」

「何でですか」

「あーん」

「紫様……」

「あーん」

「はぁ……」

苦笑しつつも紫の口に料理を運ぶ藍。

「うん、美味しい」

「ありがとうございます」


幻想郷の青い空の下で、緑に囲まれて食べる食事はまた格別だと紫は思った。

(たまにはこういうのも悪くないわね)

今度はちゃんとあの連中も誘って来ようと思う。

萃香では無いが、こういうことは大勢で楽しくやったほうが、もっと楽しいものだろう。

(でも、今日は三人だけの時間を愉しみましょう)

「紫様~!このおにぎり、中に鮭がいぃ~っぱいだよ!」

「まだまだたくさんありますから、どんどん食べてくださいね」

「ええ、もちろんよ」


今この時、八雲一家は間違い無く幸福の只中にあった。




彼女達は気付いていなかった。

自分達を見ている、憎悪に猛り狂ったその視線に。

彼女達は気付いていなかった。





それは何の前触れも無く、突然現れれた。

食事を終え、食後のお茶を堪能している最中。

午後ののどかな雰囲気は、一瞬のうちに跡形も無く吹き飛んだ。

「───っ!?」

森全体を包み込むかのような、濃密な殺気。

否、殺気というよりはむしろ───

「なんて……激しい殺意……」

藍は自分の尻尾の毛が総毛立つのを感じた。

「紫様……」

即座に臨戦態勢を整える藍。

「これ程の気……並の相手ではなさそうです」

橙は突然の出来事に飛び上がるほど驚いていたが、藍を見習って何とか自分を落ち着けているようだ。

「そこのあなた、出てらっしゃいな」

紫はあくまでゆったりと構えている。

(流石は紫様……。しかし、この威圧感……決して油断出来るものでは無い)

藍が警戒を強めるのに比例して、その殺意を発している元凶の威圧感は増大していく。

「うぅぅぅ……!」

橙の目が細まる。

幼く見えても、橙は立派な妖怪である。

爪を剥き出しにし、前方を睨み付ける。

───やがて。

───ビシリ。

何も無い筈の空間に亀裂が入る。

亀裂はまるで、硝子に金槌を叩き付けたかの様に拡がっていき……。

一斉に、何枚もの硝子の板を砕いたかの様な音がしたかと思うと、こことは違う、別の空間がそこに見えた。

開かれた異次元の穴。

そこから「彼女」は現れた。


年齢は人間の外見でいけば10代後半だろうか。

背はすらりと高く、かなりの長身だ。

どこか可愛らしささえ感じられる、繊細な肩の線。

肌は白く瑞々しく健康的で、透き通るように美しい。

髪は艶やかな黒。

背の高さとは対照的に、幼い顔立ちが見るものに可愛いと思わせる。

端整な顔立ちには、どこか気品を感じさせる。

顔立ちが幼いせいで、美人と言うよりは可愛いと言った方がしっくりくるだろう。

少女と呼んで差し支えは無いだろう……見た目としては。

「なかなか可愛いわねぇ」

「紫様……そんなこと言ってる時じゃ無いでしょう……」

少女は可愛いと呼ぶに相応しい容姿ではあったが、その顔に浮かぶ表情は、とても「可愛い」だのと呼べるようなものでは無かった。

その双眸には、地獄の業火さえも色褪せそうな炎が爛々と燃えていた。

……憎悪。

少女の表情は、筆舌に尽くし難い程の激しい憎悪と怒りに染め上げられていた。

(これほどの憎悪と怒り……いったい、どれだけのことをすればここまで何かを憎めるというのだ?)

目の前に立っている少女は、棒立ちだった。

それだけだと言うのに。

(何て禍々しい妖力……!それに加えて……何て深い憎悪の念……。これだけで並の奴なら百回は死ねるぞ……)

思わず背筋に冷たいものが走る。

藍が一層の警戒を強める中、紫はあくまで平静だった。

それどころか余裕さえ感じさせる。

「可愛いけれど……着ているものがあまりに御粗末ね。駄目よ?女の子たるもの服はきちんと着ないと。それにそんな風にしていたら折角の綺麗な髪が台無しよ」少女は裸体にボロ布を一枚被っただけの格好だった。

顔は綺麗だったが、手足は土や埃で薄汚れ、そこらじゅう擦り傷だらけ。

艶やかな髪は色こそ美しかったが、伸びるに任せてボサボサだった。

その髪の中に埋もれるように、犬のもののような耳が見える。

「紫様!」

「貴女、……その耳……そう、貴女は狼人間ね」

紫は藍を無視して少女の観察を続けていく。

「まだ幻想郷に狼人間が残っていたとはね。話では、どこかにひっそりと生き残っているのは聞いていたけど。何年ぶりかしら?最後に見たのは、ええと……」

「!紫様っ!!」

狼少女が動いた。

藍は我が目を疑った。

「消えただと!?」

「藍、後ろ」

「ッ?!」

藍が身を屈めた次の瞬間、藍の頭があった場所に、狼少女の爪が空を凪いでいた。

(速い!)

藍が体勢を整えるより早く、狼少女は次の攻撃を繰り出してきた。

「おおおおおおおおおっ!!」

次々と繰り出される爪、拳、蹴り。

「舐めるなぁっ!!!」

電光の如き速度で繰り出されるそれらの攻撃を、あるものは避け、あるものは捌く。

(何て重い打撃だ……受けに回ってばかりじゃ腕がイカれる……!)

捌く度に腕がミシリと音を立てるように痛む。

(何とか攻めないと!)

藍は相手の攻撃の合間を縫って、なんとかその隙を見出そうとしていた。

狼少女が獰猛な勢いの回し蹴りを放ってきた。

「───ッ!」

それを寸でのところで上体を反らし回避する。

(見えたっ!)

蹴りの直後のわずかな隙を藍が捉えた。

「破っ!」

気合と共に、藍の放った鋭い蹴りが、狼少女の鳩尾に決まる。

少女は背後の茂みまで吹っ飛び、まともに茂みに突っ込んだ。

(速い……その上、一撃一撃が何て重さだ)

「藍様……」

「橙、下がっていろ。紫様を頼む」

橙を片手で制すると、藍はじりじりと茂みに向けて油断無く近付いて行く。

「問答無用で襲い掛かってくるとはな……無礼な奴め……」

藍は吐き捨てるように言う。

「どうした、まさかこれで参ったわけではあるまい?」

(できれば終わって欲しいがな……今の身体の状態で、何時までも戦うのはまずい)

口とは裏腹に藍は慎重で冷静だった。

(奴の攻撃には技もへったくれも無い。それ故捌くこと自体は容易だが……)

「速さと力が尋常じゃない。あんなのをまともに頭にもらったら、首から上が消し飛ぶな……」

茂みの手前まで辿り着いた。

「……」

藍が茂みに予備動作無しで気弾を撃ち込むのと、狼少女が茂みの中から同じく予備動作無しで身を起こしそのまま跳躍するのほぼ同時だった。

藍の放った気弾は虚しく茂みの一部を蒸発させるのみ。

(背筋の力のみで瞬時に跳躍、体勢を整えると同時にそのまま回避行動か!)

「……死ネ」

狼少女は空中に逃れると、落下の勢いを加え地上の藍に急襲する。

「甘い!」

だが。

藍は既にその攻撃を読んでいた。

雷光の如き素早い動作でバックステップ。

狼少女が気が付いたその瞬間には、藍はその場にいない。

狼少女の爪は虚しく地面を穿つ。

そこに生じた一瞬の隙を藍は逃さない。

「受けろ!式拳「十二神将無礼講」!!!」

藍が咆える。

練り上げられた闘気と妖力をありったけに込めた拳を瞬時に二十四発繰り出された。


一撃一撃に必殺の威力を秘めたその拳が、全弾余すことなく、狼少女の全身に叩き込まれた。

拳が叩き付けられた瞬間に、込められた闘気と妖力が目標の内部と外部で同時に炸裂する。

「十二神将」なのに二十四発なのは、十二神将がそれぞれ両の拳で一発ずつ殴るから、らしい。

「ガっ!!!!!」

全ての拳をまともに喰らい、狼少女は高々と宙に吹き飛ぶ。

「まだだッ」

「……ッ!?」

狼少女の顔が驚愕に歪む。

吹き飛んでいる自分に瞬時に追いすがる藍の姿が視界に写り───

「墜ちろ……!」

身体を高速回転させての空中踵落しが狼少女の脇腹を直撃する。

為す術も無く大地に叩き付けられた狼少女の身体は、轟音と共に地面深くにめり込んだ。

「これで終わりだッ!」

懐から符を取り出し、声高らかに宣言する。

「式輝「狐狸妖怪レーザー」!!!」

スペルカード発動。

構えた藍の両手に、眩い光が顕現する。

「収束……行けぇぇっ!!」

弾幕ごっこの時とは桁が違う魔力で放つスペル。

大気を焦がす眩い閃光が大地を穿つ。

着弾と同時に轟音。

強烈な爆風が巻き起こり、辺りを土煙が包み込む。

(手応えあり……仕留めたか?)

濛々たる土煙の中、藍は地面に降り立つ。

敵の気配を探りながら紫と橙のいる方へと歩いていく。

「気配がしない……手応えもあったし。死んだか?」

狼少女の気配は「完全に」途絶えている。

(どうやら終わったみたいだな……)

徐々に土煙が晴れていき、視界がクリアになっていく。

「藍様……」

「おお橙……無事か?怪我は無いか」

「うん!紫様も私も大丈夫」

「そうか……」

微笑む橙を見て、藍は緊張を解いていく。

(もう少しアイツが距離を取って来ていたらやばかったな……)

身体の節々が痛い。

(これは当分の間絶対安静だな……紫様が許してくれればだけど)

まぁ何にせよ、もう危険は無いだろう……。

「藍」

紫が声をかけてくる。

「紫様……」

主の顔を見て、藍は安堵の表情を浮かべ……

「上よ」

「なっ!?」

突如として途絶えていた狼少女の気配が復活し、その上自分の頭上に現れたのだ。

「馬鹿なっ?仕留めたはずなのにっ!!」

喚こうが罵倒しようが驚こうが狼少女は止まらない。

その右手には赫い魔力光───!!

愕然としながらも、動きまで止まらなかったのは流石と言えよう。

だが一度解いた緊張はそうそう瞬時に戻ってくるようなものでは無い。

初動が遅れ、尚且つ連日の戦闘で消耗していた藍は、既に放たれていた魔力光をまともに喰らってしまう。

「ぐあぁッ!?」

「藍様!!」

「……!」

今度は藍が逆に吹き飛ばされる番だった。

「くそっ……!」

(何とか体勢を立て直さないと……!)

このまま飛ばされればさっきの自分と同じように相手が追撃してきそうな予感がした。

(どうするっ……)

[藍、聞こえるかしら]

藍の思考に紫からの念話が聞こえてきた。

(紫様?!)

[いい?私の言うことをよく聞いて。橙を連れて退きなさい]

(な……)

[貴女じゃその娘に勝てないわ]

(……!!いいえ!!勝てます!!勝って見せます!!!)

[藍!!]

藍は紫との念話を一方的に切ると、

(私は1000年を超える時を生きた天狐だ!こんな……どこぞの馬の骨の小娘なんかに…負けて堪るかぁっ!!)

飛ばされた身体を空中で強引に姿勢制御。

反撃に転じようとするその刹那。

「な……に……」

眼前に、狼少女の姿があった。

(馬鹿な!)

動揺する暇も無く、顔面に強烈な衝撃を受け、遥か後方へと殴り飛ばされた。

(今……どうやってあそこまで来た?)

解らない。

(先程よりも速度が増している……)

「藍!!!」

「───っ!?」

その時、藍の目に映ったものは。

地獄の悪鬼さえも裸足で逃げ出すであろう、悪夢そのものの、獣の笑みだった。


橙には狼少女の四肢が消えたかのように見えた。

爆発にも似た音が響く。

そして。

藍が、まるでボロ布のような無残な姿で大地に叩き付けられた。

「ら……藍様っ!!!!!」

(瞬時にしてあれだけの連撃……間違い無いわ……)

悲痛な声で叫ぶ橙と、鋭い視線で狼少女を見つめる紫。

藍は苦痛に呻き、何とか立ち上がろうとする。

「ぐ……お……」

……駄目だ。

力が入らない。

何て様だ。

こんな奴に負けるだなんて……!!

敵は、余裕たっぷりの動きでこちらへと歩いてくる。

(止めを刺す気か……!)

動け!

動かなければ殺されるぞ……!!!

だが、藍の身体はすでに限界だった。

昨日まで、永遠亭の住人達と不死の妹紅を相手に三日三晩、弾幕ごっことそれを外れた私闘を演じてきたばかりなのだ。

その上でこれだけのダメージでは、いかに天狐と言えど許容範囲をとうに超えてしまっていた。

倒れた藍の手前まで狼少女がやってくる。

その右手には先程と同じ赫い光……しかし今回の光は先程より遥かに巨大で、且つ禍々しい輝きを放っていた。

威力の程は……。

(考えたくも無い)

少女がその手の輝きを藍にかざそうとした瞬間だった。

藍の視界に赤い影が映ったかと思うと、今まで視界を占拠していた狼少女の姿が横へと飛んでいっってしまった。

「ち…橙!?」

緩慢な動作で身を起こした藍が見たものは、狼少女と震えながら対峙する己の式の姿だった。

「よくも……!よくも藍様を!!」

「よ…よせ!橙……っ!!!」

「橙!!駄目よ!!!」

「絶対許さないんだから!!鬼神「飛翔毘沙門……」!」

「「橙――――――っ!!!」」

橙が符を取り出すより早く。

狼少女の瞳が橙を射殺すような視線で睨み付けた。

まるで視線だけで命を奪う邪眼のような、凶悪な視線。

「!!!!」

橙はそれをまともに見てしまった。

「何……?……!!」

「橙……?」

橙はスペルカードを取り出したままで固まっていた。

「無事……なのか?」

「橙!!」

橙の背後に隙間が開く。

紫が隙間を通して橙を狼少女から離したらしい。

そう思った瞬間、藍も自分の身体が沈み込むのを感じた。

(紫様……)

[まったく……なんて馬鹿な子なの?]

(申し訳ありません……)

[…説教は後よ]

(はい……)

やがて、異空間から通常空間へと戻ってきた。

藍は地面に降り立つなり紫が抱えている橙に脱兎の勢いで駆け寄った。

「橙!紫様…橙は……」

「命に別状は無いわ。それどころか外傷も無い」

「そ、それじゃあ……」

藍の表情が安堵で緩む。

しかし、紫の表情は険しいままだった。

「紫様……?」

「見なさい」

「!?こ……これは……」

紫の腕の中で、橙は震えていた。

その瞳は虚ろだった。

まるで奈落の底のように虚ろな闇。

身体の震えは、橙の小さな体を壊してしまうのではないかと思えるほどに激しい。

「橙?橙!おい橙!!返事をしろ!!」

藍は橙を激しく揺さぶり、何度も何度も必死に呼びかけた。

自分でも顔が青褪めていくのが解った。

「ゆ…紫様……橙は…橙はどうなってしまったのですか」

「落ち着きなさい、藍」

「橙は……」

「藍」

「これが落ち着いていられますか!!!」

「落ち着け馬鹿狐」

「……!!」

紫から一瞬、刺すような殺気が立ち昇った。

「まったく、これだから貴女は未熟者だと言うのよ、藍。いいから黙って聞きなさい」

「は……はい」

(怖い……)

一瞬、本気で死ぬかと藍は思った。

やはり紫が一番怖いと、藍は改めて思った。

「恐らく、橙のこの状態……霊夢達が今朝話していた『虚無病』よ」

「……何ですって?」

「あの娘が、今騒ぎになっている異変の元凶と見て間違い無いわ。あの時、橙はあの娘の瞳を直接見てしまったのね。それでこんな酷い状態になってしまった……。元凶があの娘なら、話に聞いた『虚無病』の症状の延長線上として考えれば、今の、橙の状態の説明がつくわ」

「……それでは」

「あの娘をどうにかできれば橙も、他の連中も、恐らくは元に戻るでしょう」

「よしっ……!」

「何処に行くの?」

「決まってます!奴を倒しに……うごっ」

藍の頭上に開かれた隙間から紫のげんこつが飛び出し、藍を殴りつけた。

「その怪我と、消耗しきったその身体で行くつもり?自殺でもしたいのかしらぁ?」

「いたた……」

「気持ちは解るけれど、こんな時こそ冷静になりなさい。貴女は誰?この八雲 紫の式、八雲 藍よ?八雲の名を冠する限り、愚劣な行動をとることは許しません」

「紫様……」

「あの娘、貴女が万全の状態ならば遅れを取ることは無かったでしょう。貴女が私の方程式通りに動けばより確実。ただ……」

「ただ?」

「あの娘はどう言う訳か滅茶苦茶に頑丈なのよ。貴女の攻撃は、本調子で無かったとは言え全部的確に入っていた。それでもあれだけピンピンしているということは、驚異的な再生能力の持ち主か、気が触れるぐらいに頑丈に出来ているかのどちらかよ」

「……」

「……ごめんなさい。貴女を援護しようとすれば出来たのにそれをしなかった。あの娘の能力を見極める為に、貴女を捨て駒のように扱ったわ……。そのせいで、橙はこんな目に……」

「そんな…紫様……」

「さっきは偉そうなことを言ったけれど、これじゃあ主失格ね。こんな酷い主は……」

紫の瞳から涙が零れ落ちた。

主の涙を見るのは何百年ぶりだろうか。千年以上かもしれない。

「……解っていますよ、紫様。私の身体を気遣って、紫様が私に指示をださなかったことぐらい……」

「藍……」

「強がっていても解ります。何年も式をしていればね。……紫様、私はお役に立てましたか」

「……ええ。身体能力だけを見れば、…単純な力と丈夫さは、多分あの吸血鬼や萃香、不死の娘と同じか、少し上ね。貴女と戦っている時は完全に本気では無かったみたいだし」

「舐められていた、というわけですか……」

「今の貴女じゃ誰だって手を抜くわ。……それともう二つ」

「二つ?」

「あの娘が『虚無病』の元凶だということ。理由は解らないけれど、今の橙を見て、さっきのアレを見てれば大体のことは予測が付く。それから……あの娘の能力ね」

「何なのですか?奴の能力は」

「先程の戦闘で、貴女は一度、あの娘を仕留めた気になった。それは何故かしら」

「え……、それは……あいつの気配が急に途絶えて……」

「そう、急に。即死したならそうでもないでしょうけど、いきなり気配が「完全に」途絶えるなんてありえないわ。例え消すことが出来ても、藍は見逃さないでしょう?加えて、そこにあった気配がいきなり無くなるなんて、普通じゃありえない」

「言われてみれば……」

「もう少し修練が必要ね、藍は」

「すみません」

「まだ確証は持てないけれど、あの娘が急に気配を消すことが出来たのは、私がよく知っている手口を使ったからだと思うの」

「紫様が、よく知っている……?」

「空間転移能力。私のそれとは質が違うでしょうけど、それに近いものか、似たようなことが出来る能力じゃないかしら」

「そんな……もしそれが本当ならば、私では勝てない……?」

「……そんなことは無いでしょうけれど、苦労はするかもしれないわ」

紫は一旦話を切ると、意を決したように藍を見つめた。

「ここはさっきの場所からあまり離れていないの。時間が無くて適当な場所を選べなかったし。だから藍。橙をしっかりと守るのよ」

「え…それじゃ紫様は……?」

「例えるならばあの娘は壊れて鳴りっぱなしの目覚まし時計。誰かが止めなければ、あの娘は際限無く幸せを奪い続け、暴れ続けるでしょう」

「紫様……戦うのですね?」

「相手は空間を渡れる。もしかしたら空間操作も出来るかもしれない。ならば似たことが出来る私が相手を務めて差し上げなければね」

紫は藍に向かって微笑むと、抱きかかえていた橙をそっと地面に降ろした。

「それに……私が悪いとはいえ」

「…?」

「私の大事な娘達をこんな目に合わせた相手を、そのままにしておけるほど私は妖怪出来ていないのよ」




隙間を使い、先程の空き地へと紫は戻ってきた。

「……」

ほんの数分前まで、自分達が楽しくピクニックに興じていた場所。

それが今では。

空き地の中央に佇む少女が放つ、禍々しい憎悪と殺意の念により、まったく見知らぬ場所になってしまったかのように感じられる。

「私が来るのを待ってくれていたのかしら。それとも、ここは貴女のお気に入り?」

「……す」
少女は答えない。

ブツブツと何かを囈語のように断続的に言うだけだった。

「貴女は狼人間の筈よね?でも、貴女は狼人間じゃあない」

隙間から、愛用の傘を取り出しながら紫は続けた。

「ただの狼人間では、手負いとは言え藍に勝てる筈無いもの。それに加えて貴女の空間を渡る能力。狼人間にそのような能力は無いし、そもそも狼人間という種族は己の肉体で戦うことのみに固執する変り種。貴女みたいに飛び道具は撃たないし、撃てない……。貴女、いったい何?」

傘を少女に突きつけ、紫は叫ぶように言った。

傘の先端に紫色の魔力光が燈る。

「……まぁいいわ。今はそんなことなどどうでもいい。さぁ……はじめましょうか」

狼少女は答えない。

ただ、紫の魔力に反応し、両の掌に赫い魔力光を生み出した。

「貴女に足りないものは、鏡ね。自分を見つめなおす為の」

それが戦闘開始の合図となる。



先に仕掛けたのは紫。

傘の先端で中を薙ぎ、その軌跡から魔力を収束した五本のレーザーが放たれる。

「まずは小手調べ。でも」
傘を振り回すと同時に回転。


振り向き様に、何時の間に取り出したのか、手にした扇から大量の魔力弾を放った。

「例え小手調べでも、手は抜かない。手を抜いてしまっては、料理は美味しく食べれない」

舞を踊るかのように、くるくると回りながら雨のような弾幕を展開していく。

その動きは次第に速くなっていき、竜巻のような速さへと到達した。

洪水の如き膨大な量の弾幕が狼少女に迫っていく。

だが、狼少女はそれら弾幕の合間を縫うようにして、驚異的な速度で紫へと迫ってきた。

全て紙一重の感覚で紫との距離を詰めていく。

「……」

その距離、約5m。

紫には狼少女の口に薄笑いが浮かんだように見えた。

「やるわね……でも」

相手がすぐ近くまで来ていると言うのに、紫は少しも慌てずに、歌うように喋り続ける。

「貴女が抜けてきたその道は、すべて予め空けておいたもの」

「!!」

「残念賞~♪」

狼少女の周囲、360度。

「逃げ場は無くてよ」

狼少女の周囲に、瞬時にして開かれた隙間から、洪水のような勢いで弾幕が降り注ぐ。

加えて先程から紫が放ち続けているレーザーと魔力弾も容赦無く狼少女に襲い掛かる。

「……!!!!」

着弾。

炸裂する膨大な量のエネルギー。

間断ない勢いで連続して爆発が起こる。

「……結界「光と闇の網目」」

駄目押しと言わんばかりにスペル発動。

大気を震わす大爆発。

「……手応えあり。けれど、まだ終わってないわよね、当然」

濛々と立ち込める土煙の中、狼少女の気配が消える。

(やはり……空間転移能力ね。どこから来るのかしら)

扇を閉じたり開いたりしながら待つこと10数秒。

紫の背後に唐突に殺気が生まれた。

虚空から現れた爪が紫を襲い……。

「?」

狼少女の爪は空を薙いだだけだった。

「またまた残念賞~♪ゆかりんはう・し・ろ」

少女の顔が驚愕に歪む。

「この私に空間移動で勝負を挑むだなんて……」

少女の背後、隙間から身を乗り出した紫の目がスッと細まる。

「一千万光年早い」

零距離。

「結界「魅力的な四重結界」」

大きく広げた紫の両腕の間に、巨大な魔力の力場が形成される。

背後に生じた強大な魔力の塊から、狼少女は即座に離脱を試みる。

その反応速度は雷光の如く。

賞賛されて然るべき、素晴らしいものだった。

しかし。

結界に逃げ場は無い。

逃げようとした空間そのものごと、少女の身体は結界に抗い難き圧倒的な力で引き寄せられたのである。

為す術無く結界へと引き込まれる狼少女。

少女の身体と結界が触れ……。

「ギャァァァァァァァッ!!」

少女の絶叫が森に木霊する。

肉の焼ける臭いが辺りに充満する。

結界とは本来、殆どの場合は内側と外側を隔てるものである。

その為の手段は多々あるが、四重結界は霊力による障壁を発生させ外敵を阻むものである。

これに、無理に進入しようとすれば結界を構成する霊力の障壁に阻まれ、排除されることになる。

障壁とは一種の力場のようなものであり、そこには外敵を防ぐ為の、高密度の霊力が絶えず流れている。

霊力は外敵を排除する為に、そこに触れたものに対し、霊力による攻撃を加えるのだ。

結界が強固であればあるほど、そこに触れたものへの攻撃……即ち抵抗は激しく苛烈になっていく。

その威力は下手な攻撃手段よりもよほど凶悪だ。

四重結界は防御手段であると同時に攻撃手段でもあるのだ。

「折角、強力な威力があるんだもの。使わなきゃ損というもの」

結界の威力を十二分に発揮する為に、相手を結界へと引き込む。

この術の真の恐ろしさはここにあった。

「さぁ……もう貴女は逃げられない」

紫が手にした傘の先端に、魔力の光が収束されていく。

「グッ…ガァァァ……!!」

「墜ちなさい」

傘の先端から、泣く子も黙ってまた泣き出す程の膨大なエネルギーを持った、巨大な光が放たれる。

その光は四重結界ごと少女を飲み込み、背後の森ごと吹き飛ばしていく。

触れるもの総てを根こそぎ消し飛ばす滅びの光。

荒れ狂う強大なエネルギーは、光からかなり離れた木々も消し炭にしていった。

……やがて。

放たれた光は次第に収縮していき、そして消えていった。

「ふぅ」

まるで射撃直後の銃口の様に、傘の先端から煙が立ち昇っていた。

「魔理沙の真似をして、即興でやってみたのだけれど……」

まだ煙で閉ざされた前方を見ながら。

抉れた地面はまるで硝子のように変質し、熱された大気は夜雀の焼き鳥が出来上がりそうな程の高温。

「威力の方は自信があるのだけれど」

徐々に煙が晴れていく。

「所詮、付け焼刃ね」



結界に身を焼かれ、強大な威力の魔砲を受けて尚、彼女は両の足で大地を踏みしめていた。

「……まったく、呆れるほど頑丈なのねぇ。満月の夜でもないのに」

じと目で少女を見据え、溜息混じりで紫はぼやいた。

「貴女、本当に何者?ただの狼人間じゃあ無いでしょうに」

「……」

「……少しは喋って欲しいわ。独り言言ってるみたいで寂しいじゃないのよぅ」

「……」

無言。

少女は無言のまま、再び紫に向かって飛び掛ってきた。

(ほんとに頑丈ね。あれだけ喰らって、まだこの速度を維持できるだなんて)

超高速で繰り出される怒涛の連撃。

それらを紫は紙一重ですべてかわしていく。

「無駄よ。貴女の動きは御見通し。確かに貴女の力は凄いけれど」

紫は傘を目にも止まらぬ速度で一振りする。

と、次の瞬間、派手な音を立てて後方へと少女が転がっていった。

「技がてんでなっていないわ。だからこうして足をすくわれる」

勢いを無理矢理殺し、反転しざまに跳躍する。

そして再びがむしゃらに突撃していく。

「……当たらないわ」

少女の、必殺の威力を秘めたその一撃一撃は、しかし当たらない。

「無駄無駄……」

先程の焼き直し。

再び傘で足を払われ、少女は、今度は大地に叩き付けられた。

ある種の合気術だったようだ。

「いくら頑丈でも、勝てないものは勝てないわ」

今度は倒れたままの少女に諭すかのように紫は語りかける。

「……いい加減倒れてくれない?これ以上は……」

紫は最後まで続けられなかった。

その瞬間、紫の身体が宙に舞い上げられたのだ。

「……がっ?!」

まるで、目に見えない巨大なハンマーで殴られたかのような強烈な衝撃が紫を直撃した。

吹き飛んだ紫に、更に衝撃が襲い掛かる。

テニスボールのように弾かれ続け、最後に真上から一際大きい衝撃が紫を地面に叩き付けた。

「っ痛ぅ……」

紫は苦痛に顔をしかめながら立ち上がろうとする。

が、のろのろと緩慢な動作で立ち上がろうとする紫に、またしても見えない何かが襲い掛かる。

たまらず弾き飛ばされる紫。

(念動力『サイコキネシス』……?いいえ違う……これは)

いつの間にか立ち上がっていた少女が、紫に向けて手をかざしていた。

その姿を視認した瞬間にまたしても衝撃が紫を襲う。

弾かれながら、紫は思考を廻らせる。

(この攻撃の正体は……)

そう考えた時だった。

少女が、伸ばした腕を振り下ろすのが見えた。

その刹那。

紫には、何か刃物のようなものが閃いたように感じた。

そして。

「……っあぐぁッ!!!!」

紫の右腕から鮮血が吹き上がり……。

どさりと。

紫の腕が切り落とされていた。

「うぐ……ッ!ぬぅ……!!」

ものすごい勢いで血が吹き出てくる傷口を押さえ、崩れるように片膝を着く。

「クッ……クカカカカカカカ……」

戦いの余波でズタズタに裂かれた森に、乾いた哄笑が響いた。

先程まで、ほとんど何も喋らなかった少女が笑っていた。

その顔に邪悪な喜悦と変わらぬ憎悪の色を浮かべながら。

「っ…はぁはぁはぁ……笑うならっ…もっと……女の子らしい、笑いにしなさいな……っ」

肩で荒い息をしながら紫が軽口を叩く。

だが、その表情は暗く、顔は半ば土気色だ。

何より肩で息をしているような者の軽口など、負け惜しみにしか聞こえない。

狼少女にもそう感じられたのか。

その笑い声が一際高くなったように聞こえた。

そして。

少女は笑いながら紫に向けて再び手をかざし、

「…死ネ」

拡げた掌を握り締めた。

「───ッ!?」

何かが……。

何か、得体の知れない…否、力のようなものが自分の体内に押し寄せてくるような感覚を紫は覚え……。


次の瞬間。


紫の身体が、内部から、爆ぜた。


その身体はばらばらの肉片となって周囲に散り。

その身に流れていた血液は、驟雨のようにザッと地面を濡らした。


残された少女は伸ばした拳をそのままに、狂気の混じった笑顔でその光景を眺めている。

「ク…クカカカカカ……」

やがて。

「キャハハハハハハハハハ!!!!!!!!」

絶叫のような哄笑が森を震わせた……。



つづく
ここまで、お疲れ様でした。
色々ありますが、それは後編のあとがきにて。

と言うわけで後編へ続いちゃいます。
引き返すなら今のうちですよ。

◆4月24日誤字脱字、及びミス修正。御指摘ありがとうございました
>スペカは幻想郷ができて、ルールが定められてから生まれたのでは?
自分の勉強不足です。申し訳ありませんでした。こっそり修正…
>意図がはっきり掴めませんでした。
冗談として書いたのですが…誤解を生んでしまったようです。ごめんなさい。
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コメント



0.250簡易評価
2.20名前が無い程度の能力削除
つっこみを一つ
スペカは幻想郷ができて、ルールが定められてから生まれたのでは?
3.無評価名前が無い程度の能力削除
>少し
>珍しかった。 改行が入っちゃってます
>『虚無病」 括弧と括弧閉じが違っちゃってます
>折角
>の綺麗な 改行が入っちゃってます
>生き残っているは のが抜けちゃってます
>無かったみい たが抜けちゃってます
>あおの娘を おが入っちゃってます
>置けられる 可能表現が重複しちゃってます
>刃物のようなもの閃いた がが抜けちゃってます

感想・採点は後編で。
4.無評価名前が無い程度の能力削除
オリキャラ自体はあまり気にしてないので読んだのですが、あとがきの「引き返すなら今のうち」を見た瞬間、 今更最後までみて引き返せとは後半を見せたいのか見せたくないのか意図がはっきり掴めませんでした。