コポ、コポと急須が音を立て、艶のある黄緑が湯飲みの中に注ぎ込まれていく。
急須の取っ手を握る霊夢の顔は弛緩しきっている。幸せそうを絵に描いた感じだ。
縁側では、甘美なすあまが待っている。
先刻妖怪を一匹しばき倒し、助けた人間からお礼にとすあまを一つ貰った。決してたかり取った訳ではない。表向きは。
さておき、米粉を練って作った、丸みを帯びたその柔肌。表面には、幻想郷ではあまりお目にかかれないグラニュー糖がまぶしてあったり。神社に戻った霊夢は縁側に腰を据え、日が傾くにつれ爽やかさを増す風を肌に感じながら鑑賞。次いで薫りを楽しむ。ここまでで最初に淹れたお茶が無くなった。そうして、すあまを縁側に放置したまま、こうして土間で2杯目のお茶を入れている訳である。
願わくは、この幸せをかき乱す者の現れぬ事を。
「あら、霊夢がこんな濃いお茶を淹れてる。珍しいわね」
まあ、無理な相談でしたと。
横からぬっと現れて湯飲みを覗き込むのは、神社に出没する妖怪の中でもトップクラスのハタ迷惑度を誇る吸血鬼、レミリア・スカーレットと来た。
「上がり込むのは勝手だけど、私がお茶を飲む邪魔はしないでよ」
注ぎ終わった湯飲みを盆に乗せ、霊夢は背を向けた。しかしその態度はぶっきらぼうというよりは、レミリアの事が眼中に入っていない感じだ。この程度では動じない。まさに無重力の巫女である。
そんな霊夢の態度に、レミリアはますますご満悦の様子だ。
「分かってるわよぉ、愛しの霊夢のためですもの」
そう言いつつ、レミリアは霊夢にぴったりと追随し、その巫女服の切れ目に向けて手を伸ばす。
「させないよ!」
そんなレミリアの手首を、横合いからはっしと掴む影。
身長はレミリアとほぼ同じ、いや、頭に生えた巨大な角の分だけ、こちらが高いか。
レミリアは即座にその手をふりほどいた。
「まったく、最近は霊夢の周りにも変な虫が寄り付くようになったものね」
「こっちの台詞だよ。お前みたいな洋モノ妖怪は、この神社には似つかわしくない」
たけり立つのは純和風の鬼、伊吹萃香である。
じりじりと間合いをはかる二人。
と、そこへさらに
「あら、霊夢って、そんなに良いものなのかしら?」
その場の誰のものでもない声が響いた。
気づけば、香の薫りも満ちている。
「なら、私が貰っちゃおうかしら」
霊夢の両肩に、とんと手が置かれる。霊夢より頭半分ほど上背のある黒髪が、その背後にあった。
竹林の奥に住まう姫、蓬莱山輝夜である。
「厄介者ばっかり、今日はよりどりみどりねえ」
そう言いつつ、霊夢は特に嫌がっているふうでもない。来る者拒まず。まさに無重力の巫女である。
一方で、いきり立つ者約2名。
「霊夢に、触るなぁ!!」
レミリアは紅い衝撃波を、萃香は爆炎を同時に放った。台詞と裏腹に、間にいる霊夢の事を一切顧みていないのが、いっそ小気味よい。
着弾、炎上。もうもうと上がる黒い煙は、程なく晴れた。
巫女は変わらず、そこに立っていた。
衣服のあちこちに焦げ目があるものの、盆の上の湯飲みからは、なおも湯気が穏やかに立ち昇り続けていた。
「まったく」
霊夢はまるで何事も無かったかのように、草履を脱いで板の間に上がり、その場を後にしてしまった。
火鼠の皮衣によってこちらも無傷だった輝夜が、ぽやんとその背を眺めている。その隣に着いて、瓢箪から酒を一口あおる萃香。
「ああいう、何物にも動じないのが、霊夢なんだよ」
うっとりとした笑みを浮かべる。
「いや、今のは結構ダメージあったと思うけど」
「ふん、あの程度で倒れるようじゃ、私が認めた霊夢ではないわね」
レミリアの言も聞き、ふうん、霊夢はそうやって楽しめば良いのね、と変な得心をする輝夜であった。
しかしながら、そんな巫女にとっても、今日は少しばかり日が悪いらしい。
外に面した廊下を歩き右に折れると、彼女のお気に入りの縁側がある。日は没したが、地平の向こうから雲の裏面をなおも照らし、僅かばかりの明かりをもたらし続けていた。
最高の景色。しかし、最高の時間を提供してくれるはずだったその場所は、一人の先客によって占められていた。
幽雅に8の字を描く扇。
「雅ね、霊夢」
亡霊・西行寺幽々子が、その景色に最後の彩りを添えていた。
「ぅ……ぅぁぁぁ……」
この世ならざる美しい光景を前にしてしかし、霊夢は目を剥いて震え始めた。
盆から湯飲みが落ち、ゴトリという音を立てて床面に水溜まりを作る。それは巫女を巫女たらしめる何かが、あっけなく破れ去った事を示していた。湯飲みが割れなかった点だけが、かろうじて無重力であった。
「あら、どうかしたの霊夢?」
虚ろな目線は、幽々子の脇にある皿に固定されていた。
そう、皿のみである。彼女の夕下がりの時間のすべてだった甘美なすあまは、忽然と姿を消していた。状況からして、成仏して白玉の姫の許に召されたのだろう。って誰が上手いこと言えと(ry
やがて霊夢を追って現れた先の3名も、尋常でない彼女の様子を見て言葉を失った。
「……少し、休むわね」
霊夢は片足を引き摺るようにして、手近な障子の前に腰を下ろした。
人間、こういう時は扉の類に寄りかかると落ち着く。己を煩わす可能性を一つでも減らせるからであろうか。
ところがその点、襖とか障子というものは、こういう状況でもたれ掛かるのに向いていない。
強度の問題はまあ、うまく加減して寄りかかれば良いとして。致命的な点はもう一つ。
障子は、両側から開くのだ。
「善行してますかー?」
威勢のいい台詞と共に、障子の反対側が勢いよく開け放たれる。スライドしてきた障子が、傾いでいた霊夢の頭に直撃した。
現れたのは楽園の最高判事、四季映姫ヤマザナドゥである。以前は非常に忙しい方だといわれていたが、幻想郷縁起の刊行によって一日の半分は暇人であることが発覚したりしなかったり。きっと説教する相手を探していたのだろう。
彼女は非常にきっちりとした性格の持ち主だ。例えば、最後まで開かない障子などは容認できない。
「あれ、何だか建て付けが悪いですねえ」
障子に両手をしっかりと掛け、ガッ、ガッと力を込めて往復させる。決して障子が憎い訳でも、ましてや彼女の認識の及ばぬところで頭部を執拗に打ち据えられている霊夢に恨みがある訳でもない。ただ、彼女はこういう中途半端なものを生理的に受け付けない性癖なのだ。
物も言わずその場に棒立ちになり、ただただ障子の動きをなぞって眼球を往復させている4人も、悪気がないのは同じである。見て見ぬ振りをするのはいじめに荷担するのと一緒だといわれるが、今回はただ単に、あまりの事に言葉を失っているだけだ。
6発目でついに、引っかかりが取れる感触を映姫の手が覚えた。
「ふう、さっぱり! おや、皆さんどうしまし……」
映姫が脇に目を遣ると、霊夢の体が床面に投げ出されていた。
板の床に投げ出された巫女の肢体というのは、何故だか妙にそそるものがあるが、それはそれ。
一番近くにいた萃香が屈みこみ、霊夢の首筋に指を当てる。
そうして、ゆっくりと顔を上げて、言った。
「脈が、ない」
巫女の肢体ではなく、巫女の死体だったようだ。
「地に降りて、交わりを持った人間は多いけれど、みな私より先に逝ってしまったわ。これが蓬莱人の定めと分かってはいるけれど」
「なに綺麗にまとめてるのよ! こら霊夢、あんたを倒すのはこのレミリア様よ、勝手に死ぬなーッ!」
「落ちついて、まだ蘇生する可能性はあります。心臓が停止して最もダメージを受けるのは脳細胞です。萃香さん、あなたの力で酸素を脳に萃めて下さい」
「自分で殺った割にはテキパキと……」
さすがラスボスだけあって、皆余裕のある慌て方をしている。
「あらあら、やっちゃったわねえ。霊夢には幽霊の素質もあると思ってたから、私は一向に構わないのだけれど。約一名誰かさんなんかは、黙ってないんじゃないかしらね」
はたして、空間の一点に裂け目が走った。
「あら、ゆか……」
一転して皆の顔がこわばる。皆の脳裏に一体の胡散臭い妖怪の顔がよぎった。霊夢の遺体を見られたりなどしたらその場で、幻想郷の行く末を大きく左右しかねない大戦の勃発である。
「くっ、こうなったら!」
その大妖怪が顔を出す刹那の間に、神速の動きを見せたのはレミリア。
「じゃーん、みんなの美少女、紫ちゃんとーじょー!あら、やけに豪華な面々ねえ」
スキマから顔を出した紫の目に映ったのは、例の5名。みな曖昧な笑みを浮かべている。求める霊夢の姿は無かった。
「ねえ、霊夢知らない?何だか急に力が弱まって、結界に綻びが出始めてるのよ」
事態はとても深刻なようだ。笑みはそのままに5名の顔から血の気が抜けた。
「れ、霊夢は傷んだすあまを食べて大当たりしてさ。当分厠から出て来られないと思うよ」
今度は萃香が機転を利かせる。お食事中の方ごめんなさいって感じだが、うかつに風邪だの怪我だのという事にすると、看病するなどと言い出す可能性が大きいのだ。
「そうなの、まあいいわ。しばらくは私が、頑張って結界を維持する事にするわ」
ほっと胸をなでおろす一同。紫はスキマの中に引っ込もうとする。
そんな紫を、輝夜が引き止めた。
「ねえ八雲紫。今回は何事も無かったからいいけど、もしも本当に巫女の身に何かが起こったら、幻想郷はどうなるの?」
その物言いに、紫はぴくりと眉を動かした。言い方が高圧的だったというのもあり。また、幻想郷の秩序に組み込まれて日の浅い永遠亭の勢力が、今一ついけ好かないというのもあるのだろう。
「その質問は意味をなさないわ。何故なら博麗の巫女は無敵だから。すべてが彼女の味方。運命に守られてる、っていうのが正しいかしら」
運命、という言葉に、レミリア以外の4人がぴくりと反応する。
「絶対に不慮の事故で死ぬことはないから、その力が弱まってきてから、後継者探しを始めれば良いわけ。全ては予定調和。これから面倒な仕事になるんだから、余計なこと喋らせないで欲しいわ」
それだけ言い残すと、紫は今度こそスキマの中に消えた。
「ふう、間一髪だったわね」
スキマが消えたのを確認して、レミリアはおもむろに幽々子の口に手を突っ込んだ。それがずぶずぶと肘まで入ってしまうのだから、
「えろーん」
とばかりに霊夢の身体がその中から滑り出て来ても、誰も驚く者は無かった。みんな入れるところ見てるし。
レミリアは続けた。
「さて、確か魂が三途の川を渡るまでは、抜けた魂が元の体に戻ることは可能だったわね。だとしたら、私たちが幽霊を捕まえて、霊夢の体に戻してやればいいのではないかしら。本当ならバチ当たりじゃ済まない事だけど、幸い今回は閻魔さまが味方だものね」
素晴らしい名案を述べたつもりで胸を張るレミリアだったが、何故か周囲の反応が冷ややかだ。
「その方針には合意しますけどね。行動を起こす前にレミリアさん、貴女の持っている能力を言ってみて下さい」
「そりゃもう、運命を操る程度の能力……」
そこでレミリアは言葉に詰まった。レミリアの能力は、周囲の者の運命をまったく異なる方向に変える。さきの紫の言葉と総合すれば、今回のアクシデントの原因はレミリアにある可能性が非常に大きいことになる。後頭部を冷や汗が流れ落ちる。というか、素で今気付いたのか。
「えっと……れみ、りあ、うー☆」
渾身のぶりっこも空しく、4人のボディブローを順に受けて、レミリアの身体は板敷に沈んだ。
「ああ、ほのかなふくらみが……体温もまだあったかいし」
夜空を行く萃香の背には、唐草の風呂敷が背負われていた。中身はもちろん霊夢の遺骸である。萃香の能力によって全身に酸素が行き渡っているため、その生体機能は維持されているはずだ。メンバーの中に医学に明るい者がいないので、本当に大丈夫かは保証できないが。幽々子の腹に入っている間に青くなってしまった顔色が、処置を始めて風呂敷に入れるまでの間に生前の水準まで戻った事を考えると、効果はあるのだろう。
そんな訳で萃香が霊夢を背負うのは必然なのだが、レミリア様がさっきから物凄い形相で萃香を睨んでいるのは、これはこれで仕様なので仕方がない。
と、そんな風呂敷包みの中から何物かが現れ、萃香の首に絡み付いた。
「て、手え!?ぎゃああああ」
「怨めしやー、怨めしやー、どうして私を殺したのー」
口元を扇で隠しているが、それは幽々子の声だ。恐らく、その辺りの幽霊を霊夢の骸に憑依させたのだろう。
「そこ、人の死体で遊ばない」
閻魔様に怒られてしまった。
そして最後尾を飛ぶ輝夜も含めて、さきの5名は結局、全員が幻想郷の危機に立ち上がる事になった。
霊夢萌えのレミリアと萃香はもとより、こんな生者と死者の秩序を脅かすような行為を積極的に容認している閻魔様も、なかなかの曲者である。善悪に絶対の基準があるのだ。さっきまでの行動を見ていると、自分の失態の埋め合わせにしか見えないが。残りの輝夜と幽々子に関しては、付いてくる理由は「ただ何となく」という感じだろう。
さて、この幻想郷だが、どうにも「どこかに向かっている奴には、とりあえず絡んでみろ」という不文律があるらしい。
「聖者は十字架につけられました、って見えるかしら?」
早速現れたのは、宵闇の妖怪ルーミア。力はそれほど強くない。少なくとも5名の実力者とは比ぶるべくもない。しかし世の中にはスペルカードルールというものがあり、こういう場では強さよりも弾幕の美しさを競うことになっているのだ。まあ、それでも勝ち目がない事に変わりはないのだが、適当に喧嘩を売ってボコられて、「あそこまでは避けられたんだけどなー」などと小物妖怪の内で話に花を咲かせるのが、素敵に楽しい幻想郷ライフなのである。
「……おんどれ」
「ひぅ!?」
だから、目の前の凶暴そうな吸血鬼が、どうもマジ切れしてるように見えるのは、何かの間違いだと信じたい。
「急いでる所を、わざわざ邪魔しに来て、あまつさえ弱点をわざわざ突いてくるような輩が」
が、どうやら本当にキレていたようだ。弱点では仕方ない。
「あ、十字架は駄目だったのかー。なら、ほら、人類は十進法を採用しました……」
弁明しようとする内にも、レミリアの右の手には力がみなぎり、見たこともないような巨大な槍を形作っていった。
「聖槍、スピア・ザ・ロンギヌス。何か言い残す事は?」
「ノド渇いたなー」
「却下」
脇腹の槍傷から血と水を流しながら、ルーミアは落ちていって視界から消えた。まあ、3日後には復活するだろう。
レミリアは4名の方に振り返ったが、その掌は槍を放った余韻を噛みしめるように天に向けられていた。
「気持ちいい……この感じ、忘れてたわ」
そこからも、一行は連戦に勝ちを重ねていった。それに伴ってテンションはうなぎ昇りになり、むしろ積極的に骨のある相手を求める流れにまでなってしまった。そして果たして、実際に彼女たちを脅かす相手は現れることとなる。
「楽しそうだな。そのまま幻想郷征服でも目指すつもりか?」
白黒の魔法使い霧雨魔理沙が、箒を駆って高空から現れた。
「征服かどうかは想像に任せるけど。一つ言えるのは、こんなに気持ちの良い夜は久々だという事ね」
レミリアが代表して啖呵を切る。他の4名にしても、魔理沙は霊夢に次いで因縁のある人間である。豪華すぎる顔ぶれに、さすがの魔理沙も気圧された。
「くそ、こんな馬鹿みたいのが纏まって飛んでるのに、巫女の勘はどうしたんだよ霊夢」
なんとなく全員が後ろめたそうに萃香の背中に目を遣るが、魔理沙はそれを意に介すふうもない。早くもスペルの発動準備に掛かっていたからである。
ミニ八卦炉を両手で構える。
(折角だから何人か巻き込んでおけば、後が楽だな)
「一気に行くぜ、恋符、マスタースパーク!」
極太のレーザーが、ちょうど5人すべてを巻き込む軌道で猛進する。
「あー、きついわね。不夜城を壁にしてみる?」
「いえ、ここは私が正面からやり合ってみます」
レミリアを制して前に出た映姫が、悔悟の棒を構えた。
「ラスト・ジャッジメント!」
魔理沙の攻撃より細いが、密度の高いレーザーが放たれる。
中間地点でぶつかり合う光と光。波動はぶつかっても互いに独立して進むはずだろ、なんて無粋なツッコミは不要である。
「なるほど、風評通り、と言っておきましょう」
映姫のこめかみから、汗が一筋流れた。
「こいつは、ヤバい」
一方魔理沙の方はといえば、こちらは汗一筋では済まなかった。
「今からでもファイナルスパークに撃ち替えれば、あのレーザーは破れる。しかし、多分こいつは保たないな」
ミニ八卦炉は、淹れたてのコーヒーくらいの温度に過熱していた。このままでも、じきに手を火傷することだろう。
「問題は、私の身体が耐えられるかだが」
炉を片手と額で支え、空いた手でファイナルスパーク用の燃料を取り出す。意を決して、それを炉に込めようとした、その時。
「何やってるの、しっかりなさい!」
凛とした声が響いた。
魔理沙は顔を上げた。見慣れた顔だが、今はいつもより大きく見えるそいつらは、並んで笑みを浮かべていた。
ただし、向こう側で。
もちろん、レミリア・幽々子・萃香・輝夜の4人である。
「って、この状況で、そっち側に増援が来るのかよ!」
「ごめんなさい、何だか一対一ってのが面倒になっちゃったの。それじゃあ行くわね、蓬莱の玉の枝」
「サーヴァントフライヤー!」
「投擲の天岩戸だよ!」
「ゴーストバタフラーイ♪」
放たれた七色米粒弾と蝙蝠と岩塊と炸裂へにょりレーザーは、ラストジャッジメントの光線と合わさって一筋の光に――等という律儀な事はせず、そのまま飛んでいって魔理沙のどてっ腹に命中した。
「あ、あのさ、どてっ腹って、レディに対して使うのは、もの凄く失礼だと思うんだぜ……グハ」
失礼、ごもっともである。
ここから先は、もはやなりふり構わずだった。
「あはははははは、お姉様! 会いたかったよお姉様! 急に会いたくなっちゃってね、お姉様に会うために、館を結構壊しちゃったけど、とっても楽しかったの。パチュリーの悲鳴がね、悲鳴がね、とってもか細くて綺麗でね。咲夜なんて、最後までお姉様の事を呼び続けて……へぷぅー」
「輝夜、この黒い炎を見てよ。どうやら、これには蓬莱の不死を滅する力があるらしい。お前は、分かってたんだよな。月人と違って穢れの多い地上人が長く生きれば、こうなるって事を。まあ、それを恨んだりはしないよ。ここに来るまでに割り切った。本当は、お前の事をずっと恨んでいたってのも嘘。自分で言うのも難だけど、私はさっぱりした性格だからね。ただ、お前とやりあえるのが楽しかったんだ。さあ、始めようよ、ステージ・ファイナルだ。どっちが勝ってもゲームオーバ……って、ぎにゃああああああああ」
「あなたたち、何が目的か知らないけど、さすがに危険すぎるわ。これ以上好き勝手させるわけには行かない。幻想郷の秩序を守る者として、あなたたちを退治します。藍、橙、大変な戦いになると思うけど着いてきてくれ……って、どうして逃げ……なのぉぉぉぉぉぉぉ!」
ふっかけてくる者がようやく一段落して、萃香はいったん飛ぶ速さを緩めた。
「ふう、何だか瞬殺しちゃいけないような雰囲気の連中まで轢き殺して来たような気がする。それにしても時間くったね。閻魔さん、霊夢の魂はまだ此岸にいるの?」
返事はない。
気がつくと萃香以外の4人は、揃って恍惚とした表情を浮かべていた。
普段負けが込んでいる彼女らにとって、この快進撃が少し甘美に過ぎたようだ。
「み、みんな、どうしちゃったんだよ、私たちの目的を忘れたの?」
「永遠の紅い月の復活」
「すべての民の上に下される唯一にして永遠の裁き」
「月を私のものに」
「何でも食べ放題」
しかし、最後の台詞を聞いて、一同は固まった。
「えっと、幽々子、ワンスアゲン」
「何でも食べ放題」
その瞬間、皆の心が再び一つになった。はっしと萃香の手を取る輝夜。
「そ、そうよね鬼さん、ラスボスの野望っていうのは、叶わないからこそ意味があるのよね」
「ふ、ふん、今回ばっかりはあんたの事を認めるわ」
「そうだよみんな、うやむやのうちに異変を起こして、うやむやのうちに退治されて、その後もうやむやに隅の方に再登場したりして、うやむやに齢を重ねるのが、正しいラスボスのあり方なんだよ!」
いや、それは他の世界で真っ当にラスボスをしている人達に失礼だろう、などと言う者は、もはや誰もいなかった。
「何でも食べ放題……」
映姫も咳払いを一つして会話を再開した。
「ええと、何でしたっけ。ああ、霊夢の魂ですね。瞳孔がまだ拡がってませんから、おそらく川は渡っていないと思います。一応、川辺の様子でも見てみますか」
映姫は、懐から浄頗梨の鏡を取り出した。閻魔の目からは逃れられないという文句を生んだその鏡、日常生活でも何かと便利だ。
そこには小野塚小町と一匹の幽霊が映った。
『ん、何だこの霊は。不思議な雰囲気だね。何だか掴みどころが無くて、しかもとんでもなく力が強い。銭は……一文もなし!? 一生誰を特別扱いすることなく、生きてきたとでも言うのかい。決まりではあんたを運ぶことは出来ないし、無理して運んだとしても、二人してネッシーに食われたら世話ないしねえ。ふむ』
「ああ、小町のところに行ったのですか。彼女ならサボり屋なので、きっと大丈夫でしょう」
場に楽観ムードが漂う。しかし、鏡のなかの小町に、そんな空気が読めるはずもなく。
『はっ、そんなの関係ないね。何としてもあんたを彼岸に連れて行かなくちゃいけないような、そんな気がするんだ。ちょいと手間だけど、あたいの船さばきなら何とかなる。大丈夫、あんたみたいな規格外の霊もちゃんと裁いてくれる、あたいの自慢の閻魔様が彼岸には居るんだ』
映姫は崩れ落ちた。
「小町、あなたという死神は。普段は無駄話ばかりして、サボってばっかりで、いいかげんな奴ですけど、やる時はだれよりも真剣に、かならずやってくれると信じていました。そして、あなたは今まさに、それが単なる私の妄想では無かったということを、こうして示してくれた訳ですね」
「イザという時のパワーは凄いのね、あの娘。けど、ああいう単純労働の人にはあんまり役に立たない長所よねぇ。色々と判断を強いられる管理職とかならまだしも」
幽々子はこんな時にも、幽雅に扇をひるがえしていた。
一方で、絶望感の漂う者、約3名。
「どーしよー、間に合わないよ! 霊夢、霊夢、死んじゃ嫌だー!」
「ええい、うろたえるな! こうなったらゾンビにしてでも生き残らせる」
「あなたこそうろたえすぎです! いいですか、こういう時はですね、時はですね、どうしましょうか」
三者三様に、完全に平静を失っている。
そこで不意に、前に進み出る者があった。
「蓬莱山輝夜、何をするつもりよ」
レミリアに問われ、振り返ったのは輝夜。月を背にした格好になる。
「これは、ピンチね。けど、この位のピンチは私の人生の中に何度もあったわ。私を連れ戻しに、月から使いが来たとき。地上人が月を侵略したと、イナバに聞かされた時。いつどんな時でも、私は困った時にはこうしてきたわ」
輝夜は大きく息を吸い込んだ。
「たすけてえーりん!」
ズザー、と、萃香とレミリアと映姫が腹でスライディングをした。飛んでいるので地面は無いが、そこは気分の問題だ。
「ふざけんな! 登場したときから何となく物腰がカリスマティックだったのは、全部このための伏線かよ!」
「貴女は人に頼りすぎる。そんな事だから、みんなからニートだの人間のクズだの生きてて楽しいのかだの職安行くかいっそ死ねだの言われる事になるんです」
「えー?」
「えー、じゃない! ていうか何、現実逃避? どう考えたって、永遠亭からここまで飛んでこられるわけ無いじゃない」
「心配なく。私の天才的な頭脳によって、呼ばれることを予期し、こっそり付いて来ていました」
「あらぁ、本当に来ちゃった。天才って凄いわ、格好良いわぁ」
「ふん、うちの咲夜よりコンマ3秒は遅いわね」
何だかごちゃごちゃしたが、要約すると、八意永琳が現れた。
「さて、聞こうかしら。この状況を打破できる策はあるの? 月の頭脳さん」
レミリアの改まった問いかけに、永琳は考えるそぶりも見せず、即座に答えた。
「超遠距離砲撃で、三途の川岸ごと焼き払えばいいかと」
「そ の 手 が あ っ た か!」
紅魔館も、瓦礫までは紅くはない。しょせんは塗料である、などと言ってしまえば身も蓋もないが。とにかく、その館の紅には、内部から何かが飛び出したかのような大穴が穿たれていた。
そんな瓦礫の一角が、不意にパラパラと音を立てた。ほどなく、一人の少女の頭が出てくる。
「むきゅー」
動かない大図書館、パチュリー・ノーレッジである。さきに現れたフランドールの談では、か細くて綺麗な悲鳴を上げていたらしいが、なかなかどうして、病弱少女は持病以外に対して異様にしぶといという法則を地で行っている。
「ご無事でしたか、パチュリー様」
咲夜もなんとか生きていたらしい。既に身体の至る所に包帯が巻かれていたが、その巻き方の一目に至るまで瀟洒である。
後ろにそびえる紅魔館の半壊っぷりを見ると、明日からの復旧作業を想像して頭が痛くなるが、二人はとりあえず空に浮かぶ綺麗な月を眺めることにした。
「フラン、かなり興奮していたわね」
「ええ、あれだけやる気があれば、お嬢様も妹様を遠ざけたりはしないでしょう」
やる気の問題なのか。
「やる気がありすぎて、レミィを壊してしまうかもしれないわよ。レミィ大丈夫かしら」
咲夜は言葉を切った。思いを巡らすつもりで空を見たが、思いがけず、主が健在であるという徴を見て取ることとなった。
「パチュリー様、見てください」
言われて真上を見たパチュリーの目にも、それは飛び込んできた。骨組みが露出した時計塔の側面から現れ、空を真一文字に切って伸びてゆく光の奔流。
何だかんだで幻想郷の異変に色々と首をつっこんできた咲夜にとって、一つ一つの光はいずれも見覚えのあるものだった。その中に、もちろんレミリアのものである紅の大玉もあった。
「咲夜、ヤマトは本当に凄い艦ね」
「? 何の話ですか」
「ごめんなさい、忘れて頂戴」
光はなおも伸び伸びて、湖の向こう、妖怪の山の裏へと伸びていった。
「よっ、お疲れさん。え、珍しくやる気のある顔だなって? おうよ、今のあたいは本気だからね。なに、雨でも降るんじゃないかって? はは、酷い言われようだね。もっとも、今のあたいなら、たとえ雨が降ろうが弾幕が降ろうが――」
カッ
「うっわ、ひどい有様だね、これは」
一斉射撃から数刻、たどり着いた一行の目に入った河原の光景に、萃香が顔をしかめた。なお一行の頭数は5のままだ。永琳は事が済んだ折りに、何となくボコってしまった。流れから自分も倒されることを悟っていたのか、比較的安らかな顔で逝った。
「幻想郷の危機を救うためですからね。必要な犠牲です」
死神たちの上司である映姫が言う。犠牲といっても、死神たちは伸びているだけで、みな死んではいないが。身体が黒こげなので、暗い中ではうっかり踏んでしまいそうになる。
「……きゃん……」
というか踏んだ。聞き慣れた鳴き声がした気がするが、映姫はスルー。
幽霊達は、いずれも行き場を失って立ち往生(また上手いこと言った)している。川を渡ることも出来ず。だからといって、この地獄絵図を見せられて、生きる希望を取り戻し顕界に引き返す者もいないだろう。
「あら、あれは?」
中には、死神とは明らかに違う格好をした身体も横たわっていた。幽々子がなんとなく見覚えを感じて、うつ伏せだったその身体をひっくり返してみる。
八雲紫だった。
「紫、こんな所まで飛ばされていたのね」
返事がない。
ぱたん。戻した。
「あー、これじゃないかしら?」
一方でレミリアが一匹の幽霊を捕まえた。それは確かに、掴みどころが無く、強い力を持ち、他人と関わりを持たぬ霊であった。ぞろぞろとその場に集結する残りの4人。
「いやあ、長かったねえ。ほら霊夢、ついに見つけたよ。あれ、こっちじゃなくて向こうの幽霊が霊夢?」
萃香が風呂敷包みを河原の砂利の上に横たえ、結び目を解く。
「それで幽々子、どうやったら霊を霊夢の身体に戻せるの?」
「それはね――」
問いに、幽々子は何故かにんまりと笑みを浮かべた。
「この幽霊を持って、霊夢にちゅう!」
ちゅう。
「レミリアDP! レミリアDP!」
「アーマー暴れ! アーマー暴れ!」
「ええい、誰が厨行動しろと言いましたか!」
レミリアと萃香が、突如程度の低い戦いを始めた。
「いや、あれはちゅうの争奪戦みたいよ。私も混ざるわー」
輝夜も行ってしまい、その場には映姫が残った。
幽々子は唇をわざとらしく扇に隠して、何かを求めている。
「まったく、本当に、最後まで仕方のない連中でしたね」
映姫が霊夢の幽霊を手に取った。なお、さっきから皆幽霊を素手で扱っているが、普通の人間がこれをやると凍傷になる。耐久力の無駄に高いラスボス連中ゆえの芸当である。
「お、ザナたん行ったー」
「幽々子、茶化さない。あとザナたん言うな」
口と表情ではクールを保ちながら、何かを決めかねるように緩慢な動作をする映姫を、幽々子は大層ご満悦な様子で眺めた。
「あら?」
眺めて、一つの違和感に気付いた。
映姫の持つ幽霊は、確かに掴みどころが無く、強い力を持ち、他人と関わりを持たぬ霊であった。
だが、違う?
あれは、霊夢の雰囲気だっただろうか。
映姫の顔は、そうこうしている間にも霊夢に近づいていく。
それにつれて、疑心は確信に変わる。が。
「まあ、いいか」
割り切った。同時に映姫の(ピー)が霊夢の(ピー)に(ピー)れた。なお、この二人にあんまり甘い雰囲気は似合わないと思ったので伏せ字である。
周囲を光が包む。
――なあ妹紅、なんか炎が黒くないか?
「ああ、これ。新しい力に目覚めた。と思ったんだけど違って、どうも昨日飲んだガソリンのせいみたい」
――何でまたそんなものを。
「アルコールを切らしてね。有機化合物だから同じかなって」
――参考までに、感想を聞こうか。
「美味かったね。ただちょっとガソリン臭かった」
当主レミリアが帰還したときには、日は既に昇っており、紅魔館は復旧作業の真っ最中であった。
まず妖精メイドたちが湖畔の木を伐採して筏を作り、翅の力で孤島まで引っ張ってくる。設計図片手の紅美鈴が、その筏から丸太を引き抜き、適当な場所に運ぶ。よっこらせ、と丸太を無造作に立てかけたつもりだったが、何故だかそこに妙にかっちりと嵌った感触を覚えた。改めて見上げると、丸太だった物はいつの間にか角材に化けており、ほぞが切られ、他の木材と噛み合って骨組みの一部になっていた。そして美鈴の額には「倍速で働きなさい」とのタグを下げたナイフが刺さっていた。いきおい倍速で働いてみたところ、ナイフが刺されなくなったのでむしろ困った。放置プレイだ。感きわまって丸太を捕鯨銛の要領で投擲してみた。丸太は空中で脱皮するように角材に生まれ変わり、寸分たがわず骨組みに嵌った。自分でやっておいて何だが、正直かなり格好よかった。
一連のマジックの仕掛人である咲夜は、そんな中でも主の帰還を見逃さなかった。
「お疲れでしょうか、お嬢様」
果たしてレミリアは色々あって衣類も乱れ、神社に置いて来た日傘の代わりに、ふきの葉で日光をしのいでいた。本当に、従者抜きでよく頑張ったものだ。
「咲夜、アホ共の相手は正直、疲れたわ。もう寝たいのだけど」
レミリアは周囲を見回すと、棺桶を一つ見つけた。
「ああ、お嬢様、あの棺桶は……」
咲夜の制止を聞くことなく、レミリアはよろよろと棺桶に入って行ってしまった。
咲夜は遅れて棺の傍らに立ち、ごくりと喉を鳴らした。日光を己の身体で遮りながら、少しだけ蓋をずらす。
そこですやすやと寝息を立てているのはレミリアと、もう一人の吸血鬼。そう、この棺は二刻ほど前に帰ってきたフランドールが寝床に選んだ物だった。
レミリアの呼気にフランドールがくすぐったがって顔をそむけると、空いたスペースを使ってレミリアが寝返りをうち、額をフランドールの頬に押し当てる。フランドールは姉の首筋に細い指を這わせるが、レミリアはその上に自らの手を重ね、そのまま二組の指は互い違いに絡み合い。
「咲夜さん」
そんな微笑ましくも危うい空間を神妙に目に焼き付けていた咲夜の肩に、不意に手が置かれた。
「咲夜さん、仕事してください」
キリキリと振り向いた咲夜の視界には、満面の笑みを浮かべた門番と、その後ろに、尖塔の側面に無情にぶっ刺さった丸太が映った。
しばしの間、二人は無言で見つめあった。
幾日か過ぎても、幻想郷に何かが起こるという事は無かった。
「霊夢、霊夢ー、お客の魔理沙さんが来たぜ、居ないのかー?」
もとより、幽霊は気質の具現である。記憶とか身体能力は、あくまで肉体に帰属するものであり、たとえ個人を構成する微妙なものが変化してしまったとしても、さほどの影響を受けるものではない。
「なんだ、また寝坊か。なんか誰かを思い出すなあ。ん、何か落ちてる」
しかし。
「足袋か。って何だこれ、臭っ!」
他人には、案外分かるものである。
むやみやたらと突っ走ってる感じが好きです。
あとあまり関係ないけどガソリンって幻想郷にあるのだろうか、空と海の間にはあったけど。
腹筋スペルブレイク!
この発想は無かったわ
魂が入れ替わる話は新鮮でした。
これは、「現れぬことを」ではないでしょうか。「願わくは~現れんことを」だと、現れることを願う形になってしまうかと。
幽々子の発言でみな態度を変えたくだりがちょっと分からなかった他は笑いっぱなしでした
映姫と霊夢のあれは某富樫漫画を思い出しました。
「さっすがえーりん、分っかりやすーい♪」
もう、某白い悪魔にしか見えない……_| ̄|○
そりゃあ6ボスが5人もいたら止めようが無いよなあ。
>あー、これじゃなかしら?
「い」の脱字ではないでしょうか。